![]() Intermission2 | |
退院を急いだのは、仕事のこともありましたが、一刻も早く僕の愛馬・ジョゼファーツ号に会いたいという気持ちがありました。 あの日、しげみから飛び出した栗鼠に驚いて僕を振り落としてしまったジョゼファーツ号、しかしジョゼは栗鼠に驚いた時よりも、僕が落ちてしまった事に驚いていました。そして心配そうに僕の頬を舐めるジョゼ、僕が起き上がれないとわかると、ひときわ高くいななきをあげました。それによって厩舎の人間が、僕の異常に気づいて駆けつけることができたのです。けれども現場に駆けつけた彼らは言葉で、態度で、ジョゼを責めたてたのです。かわいそうに、その空気ですっかり怯えてしまったジョゼは暴れました。そしてそんなジョゼを抑えようとする人々の「こんな暴れ馬だから僕を振り落としたのだ」という責めに、ジョゼはまた暴れ、そして悲しげにいなないていました。 違うのです。子馬の頃から可愛がっていたジョゼファーツ号は大人しく、そして臆病な性格でした。小さな動物に怯え、落ちた僕を心配していた優しいジョゼなのです。けれどもその時の僕はどうすることもできませんでした。 担架に乗せられてその場から運び出される時、ジョゼファーツ号の「泣き」声が響きました。その泣き声は僕の耳奥に深く残りました。 だからこそ、僕は一刻も早くジョゼファーツ号に会いたかったのです。臆病で優しいジョゼに僕の元気な姿を見せて安心させたかったのです。 病院から自宅に帰る途中、直接厩舎に車を向けてもらいました。隣にはヤツカが「何も今日じゃなくても」という顔をして僕を無言で嗜めていました。 いや、ヤツカは明らかに緊張していたのです。ジョゼファーツ号に会うことに。 ヤツカとつきあっている時に、僕はちゃんとヤツカに僕の愛馬を「紹介」しました。僕の数少ない、僕が僕であることができる時間。ジョゼファーツ号と過ごしてきた時間はそんな日々でした。だからこそ、ヤツカにも紹介したかったのです。 ところがヤツカとジョゼの出会いは最悪でした。人と人との相性があるように、人と動物との相性もあります。ヤツカとジョゼはこの相性が、どうにもこうにも合わなかったようです。僕から見れば、ヤツカは初めて近くで見る馬という動物に怯えすぎでしたし、ジョゼファーツ号は僕の側にいる僕が心を許している人間……いままではいなかった……に過分に懐疑的でそして怯えていました。ある意味、それはジョゼの嫉妬だったのかもしれません。ヤツカが勇気を出して歩み寄るとジョゼは怯えるあまり威嚇してきました。びっくりしたヤツカは、もうジョゼに近寄らなくなったのです。僕としてはとても残念な事でした。僕のヤツカと僕のジョゼファーツ号には仲良くしてもらいたかったのですが、こればかりは僕がどうこうしても仕方ない事です。 そんないきさつがありましたから、ヤツカはジョゼとの再会に緊張していたのだと思います。 西日が差し込む厩舎の奥にジョゼファーツ号がいました。僕は何度も何度も厩舎の人間にジョゼを責めるなと言い伝えてあったのですが、そのジョゼの様子から「大事なご主人様を振り落とした暴れ馬」のレッテルを貼られてこの数日を過ごしていたのだとわかりました。かわいそうなジョゼファーツ。 ジョゼは足音ですぐに僕と気づきました。嬉しそうに鼻を鳴らすのが聞こえます。僕も久しぶりにジョゼの声を聞いて嬉しくなりました。ジョゼが怯えるといけないので、僕はできるだけ肩のギプスが目立たないような格好をしていました。できるだけいつもどおり。でなければジョゼは「いつもと違う僕」に怯え、そしてそれが自分のせいだと思い自分を責めてしまうでしょう。賢く優しいジョゼファーツ号。ところがジョゼは僕が近づくと急に暴れだしました。すぐに気づきました、このギプス特有の匂いに気づき、「いつもと違う僕」に気づいてしまったのです。 落ち着かない様子で、軽い興奮状態に陥るジョゼファーツ号。それを宥めるために近づくと、ますます「いつもと違う僕」に怯え、震え、そして悲しげに自分を責めていました。 「ジョゼ、落ち着いて」 ほら、僕の声も僕の表情もいつもと同じじゃないか。けれどもやはり動物は敏感です。何度も何度も首を振り、低く唸るジョゼに僕が対処しかねた頃 「ジョゼファーツ号」 てっきり厩舎の入り口で待っているかと思っていたヤツカが、僕の脇をすりぬけジョゼに近づきました。あんなに怖がっていたのに、ヤツカはすっと手を延ばし、ジョゼの鼻を優しくなで、首をなで、そして頬を寄せました。 「ジョゼファーツ号、心配しないで」 ジョゼが少しだけ大人しくなりました。 「うん、わかるわ、わかるわ。あなたも涼さんの事が心配で心配で仕方がないのよね」 優しくジョゼに話し掛けるヤツカ。ジョゼはやがてそれにじぃっと耳を傾けはじめました。 「大丈夫、大丈夫よ。でも不安ね、どうしても不安になるわよね」 ジョゼフファーツが、それに頷くように小さくいななきました。 「こんなに心配させて、ひどいわね。でも不安なのはジョゼだけじゃないの。大丈夫、大丈夫……」 ジョゼをあやすように話し掛け、撫でていたヤツカ。ジョゼは嘘のそうに大人しくなりました。いや、僕からすればこの光景こそが嘘のようでした。あの二人がこうやって、まるで姉妹のように仲睦まじく……。 ヤツカとジョゼが僕をじいっと見ていました。その目はまったく同じでした。二人とも僕を心から心配し、僕をどれだけ思っているか……。せつないぐらいにいとおしくなりました。 きっとヤツカがジョゼにかけた言葉は、ヤツカが自分自身に言い聞かせた言葉でもあったのでしょう。心配で不安でたまらない。同じように僕を心配する二人の心が共鳴したかのように、そしてその二人の心の共鳴した音に、僕は軽く感動すらしました。同時に、二人に揃って心配という刃で責められて、少し立つ瀬がないとも思いました。2対1ですから。それでも二人から溢れてくる僕への思い……ああ、こんなに心配かけさせてしまった、こんなに心配するほど、僕は思われている。……きっと西日で蔭になって、僕の涙は見えなかったと思います。でもヤツカもジョゼも、僕が流した一筋の涙に気づいていたことでしょう。 心配かけてごめん、というのもおかしな気がしました。早く直るからね、という約束も違うような気がしました。心配しないでという気休めも、僕からはもう言えませんでした。 僕は、二人にむかって頷きました。色々な答えと想いを込めて。それで、充分だと思いました。 ヤツカとジョゼが笑うのがわかりました。馬も、笑うんですよ。 帰りの車の中で、ヤツカが祈るようにつぶやきました。 「早くまた、ジョゼに乗れるといいですね……」 その時はヤツカもね、もう大丈夫でしょう?というと、ヤツカは笑いました。出会いは最悪でしたが、僕のヤツカと僕のジョゼファーツ号はすっかり仲良くなったようです。 「早くまた、ジョゼに乗れると、いい、ですね……」 もう一度、ヤツカが言いました。僕はちょっとした悪戯心で、そこ言葉に続けて言いました。 「ヤツカにもね」 ヤツカの反応(おそらくは真っ赤になって怒る)を待っていましたが、何もありませんでした。さすがにちょっとふざけすぎたかと、ヤツカの顔を覗き込むと、ヤツカは眠ってしまっていました。疲れたのでしょう、ずっと慌しく、そしてずっと不安でいたのですから。 たまたまヤツカが僕の右側に座ってしまった為に、僕は眠るヤツカを僕の肩に預かる事も、その手を握る事もできませんでした。ただ、ヤツカをじっと見つめていました。そしてヤツカに似合う乗馬服を誂えようと考えはじめました。そんな事を考えていれば、僕の怪我も早く治るようなそんな気がしました。いえ、きっと早く治るはずです、僕のヤツカと僕のジョゼファーツ号、二人の祈りが僕にはちゃんと届いているのですから。 | |
| 2006.01.22 | |
| Sweets2のおまけ、と思ってください。 ※ブラウザバックで戻ってください。 |