ビバテラメリクリ2004
 『嶺君とひかるさんのクリスマス』




 クリスマス、だからって訳じゃない。

 けれどもクリスマスの街の雰囲気は、確かにオレの気分を高揚させたのかもしれない。……後で思えばそこにたどりつくまでどれほど高揚したんだオレはとツッコミたくなるのだけれど、とにかくオレはクリスマスを間近に控えてある決心をした。
 クリスマスにひかるさんを誘おう。
 何に誘うとか、どうするとか、そんな事はまったく考えていなかった。とにかくひかるさんを誘おう。誘えるような気がしたんだ、クリスマスなら、誘われてくれるかもしれないと思ったんだ、クリスマスなら。
 というわけでクリスマスイブ。終業後、ちょっとのんびりしていたら、ひかるさんはの姿はもう見えなくなっていた。
「あ、あのひかるさんは?」
「え?ああ、もう帰りましたよ?」
 さなえちゃんに聞いてなんてこったと慌てて、コートと鞄を掴んでエレベーターホールに飛び出そうとした。
「あ、嶺くん!ひかちゃんなら裏だよ?」
「裏?」
「今日、バイクで来てたから」
「あ、そういえばそうでしたね」
 突然呼び止められてつんのめりそうになりながら、オレは反転して「裏」に通じる搬送用のエレベーターホールに向った。ありがとうももか主任。後で思えばその時ももか主任に教えてもらわなかったら、きっとオレはひかるさんを捕まえる事が出来なかっただろう。
 事業部のビルの裏側に駐車場がある。マイカー通勤する人はほとんどいないから、社用車が何台かあるだけの小さなスペース。そこにひかるさんは愛車を置いている、もっとも危ないからと窘められて、めったにバイクで通勤はしないけれど、それでも休出の時なんかはよく愛車を飛ばしてくる。初めてその姿を見た時、オレはしびれるぐらいにカッコいいと思ったんだ。
 なかなか来ないエレベータを待ちきれず、オレは一気に非常階段をかけおりた。ひかるさん、ひかるさん、待って、待って、階段を2、3段飛ばしながら、オレは祈るようにひかるさんに呼びかけた。それが通じたのか
「ひっ、ひかるさん!」
 駐車場でひかるさんをつかまえた。既にライダースーツを身にまとい、今まさに愛車に足をかけようとしていたところだった。ひかるさんがメットを外した。さらり、と髪がこぼれた。か、カッケー……じゃなくて!
「ひかるさん!あの、オレ!」
「嶺君?何?」
 …………ひかるさんが不思議そうな目でオレを見る。
 その瞬間何を言えばいいのかわからなくなった。そこで初めて自分が「誘う」事しか考えていなかった事に気付く、何に、どうやって、そんな事をまったくすっとばしていたのだ。5W2H、問題解決技法の基本、そんな事を新人研修の時にやったはずなのに。
 ひかるさんが不思議そうに……いや、訝しげにオレを見る。情けないことにオレは何も言えなかった、何も言葉が出てこない……オレは、オレはひかるさんを……ダメだ、ぐるぐると頭の中を色々なものが回っている。
 ひかるさんは……イライラしているのかもしれない。その証拠にオレに何かを投げつけた……うわ、なんだ?……ヘルメット?
「ひかるさん?」
「乗りな」
 …………ええええええええええええええええ!
 ひかるさんはまた自分のメットを被ってバイクに跨る。オレは慌ててその後ろに飛び乗った。
「ひかるさん?」
「しっかりつかまって」
 ひかるさんがぐい、とオレの手を自分の腰に回させた。ひかるさんの薄い背中にオレの身体がぴったりと張り付く。
 うわぁ、オレ、オレどうしたらいいんだ?
 まさかの展開、オレの緊張と興奮は最高潮になった。
 今、オレの腕の中にひかるさんの細腰が……。
 そんな甘い夢と不埒な考えが吹き飛ぶのはそれから30分とかからなかった。


「ひっ、ひかるさん止めてください!」
「うるさい!男がガタガタ言うな!」
「でっでも!」
「ビビってんじゃないよ!」
 快調な、いや快調すぎるエンジン音でバイクはものすごいスピードで都内を駆け抜けた。クリスマスイブで交通量の増えた道路を、こともなげに飛ばしていく。オレは振り落とされないようにするので精一杯だった。どう見ても法定速度は越えている、オレはおまわりさんに捕まる恐怖、いやそれ以上に命の危機を感じていた。……そう言えば、さっきから信号で止まった記憶が無い……。
 更にバイクは快調に飛ばしに飛ばし、オレは意識を飛ばしそうになるのを必死でおさえているうちに、やがて坂道、いや山道に差し掛かる……峠越えツーリング!!
「うわわわわわ、ひ、ひかるさん!!」
「やっぱりこのカーブが最高だよねー」
 暗闇を向うにたたえた峠道、先の見えないカーブから対向車のヘッドライドがオレの視界を襲う、いつ、いつこのガードレールを越えてオレははばたくのか、おとうさんおかあさんさきだつふこうをおゆるしください。カーブの度に振り放されまいと必死にひかるさんにしがみつく。ひかるさんは怯えもひるみもせず、絶妙なコーナリングを見せる。
「うーわー!!!」
 それからどれぐらいたったのかわからない。ようやくバイクが止まったのは、峠を越える直前の駐車場。といっても自動販売機も街灯も何もない、そしてそこにはオレとひかるさんだけ。それでも車の流れは結構あって、そのライトが代わる代わるこの場所を照らしている。
「だいじょーぶ?」
 バイクから降りて、ふらふらなオレにひかるさんが声をかける。オレはやせ我慢で笑おうとしてみせたけれど、笑顔がはりつくぐらい消耗していた。……怖かった、マジで。なんかスーツの下が色々なモノでぐっしょりとなっていた。
 アスファルトの上に大の字になって倒れてると、オレの白い息が視界をさえぎった。そしてそれが消えると、びっくりするぐらいの星空。こんなにくっきりした夜空は、子供の頃に行ったキャンプで見たきりだ。ああ……なんだか、なんだか気持ちいい。
 オレの額に冷たいものが当てられた。気持ちいい……良く冷えた缶ビールだ。ひかるさんはそれをオレに持たせると、クーラーバックの中から自分の分を手にした。
「ええ?ひかるさん、飲酒運転じゃないですか!」
 言葉が出るぐらい落ち着いてきていた。ひかるさんはそんなオレのツッコミを気にも止めていない。ええい、こうなったらもう自棄だ、とばかりにオレは缶ビールを開けた。
「あ、嶺君気をつけ……」
 とひかるさんが言った時にはもう遅い。バイクの荷物入れの中でオレと同じように揉まれていたビールはイキオイ良くふきだしてオレの顔にかかった。うわーオレバカだー!思わずひかるさんを見たら、ひかるさんも同じようにビールを開けた。危ないという前に、ひかるさんの缶ビールも見事に噴射。けれどもひかるさんはちゃんと自分にもオレにもかからないようにしていて……ぷしゅっとはじける発砲の音が、まるでマンガのようで、そしてお約束みたいにビールを浴びたオレ、なんだか自分がおかしくて笑いだしてしまった。ひかるさんも笑った。ひかるさんがタオルをオレに投げてくれた。そして、
「乾杯」
「か、かんぱい」
 なんとも言えない、というか想像もしていなかったシチュエーションだ。
 ひかるさんはすぐには飲まずに、タバコに火をつけた。暗闇にぽっとライターの火がともる。ひかるさんはそれを一息だけ吸うと、そのまま缶ビールの上に置いた。そして、そのままだった。
 オレがビールを飲みながら不思議そうな顔でそれを見ていると、ひかるさんは「ん?」と気付いた顔をして、そしてちょっと笑った。
「うん……これはアイツの分だから」
 アイツ?
 ひかるさんはちゃんと、クーラーボックスから自分用のウーロン茶を出してそれを飲んだ。飲酒運転じゃないんだと安心するより、その言葉が気になる。
「……」
 しばらくの、沈黙。オレは「アイツって誰ですか?」と聞くタイミングを失っていた。そしてまた沈黙。ひかるさんが口をひらいた。
「……昔ね、ここでトモダチが事故で死んだんだ。今日は、そいつの命日」
「え?」
「クリスマスなんて、関係ないよって、2人で遊びみたいに峠の反対側からそれぞれバイクであがっていって、峠の頂上で落ち合おうって、そんな子供みたいな事をしていた。けれども、アイツはこなかった。ずっと待っていても、来なかったんだ……」
「ひかるさん……」
「ま、もう随分前の話だからね。昔話、昔話」
 オレはどう反応していいかわからなくて、そして何を言っていいかもわからなかった。ひかるさんの言葉は重い、けれども目の前のひかるさんは決して暗くも哀しくもない。どうしていいかわからないまま、オレは不謹慎にもその「アイツ」が気になってしょうがなかった。男とも女とも言ってないけれど、ひかるさんの、大切な人、に違いない。
「ああ、ごめん。そんなしんみりさせるつもりないんだ。うん、なんというかもう年中行事みたいなもんなんだ。盆や正月と一緒で」
 そう言ってからからと笑い飛ばす。
「……」
「……」
「でも」
「でも?」
「……ううん、本当はまだちょっと、怖いのかもしれない。アイツは死んだのに、なんであたしは生きているんだろうって、もし逆のルートを選んだら、待ちぼうけをくらったのはアイツで、死んでいたのはアタシかもしれない」
 ひかるさんはゆっくりと立ち上がった。立ち上がって、崖下の近くまで歩いていった。
「ひ、ひかるさん!」
 オレは慌てて追っていった。なんだかひかるさんがそのまま暗闇の向うに行ってしまいそうだったから。オレは無我夢中でひかるさんを後ろから抱きしめようとした、時にひかるさんがくるりと振り返った。
「嶺君?」
「あ、いや……」
「やだ、ごめん。そういう意味じゃないから」
 ひかるさんは笑いながら、手にしていた「アイツ」のビールを弔いのように暗闇に注いだ。
「大丈夫だよ」
「ひかるさん」
「でも大丈夫じゃないから、嶺君を連れてきたのかもしれない」
「……ひかるさん」
「ひとりだと……怖かった」
「ひかるさん……」
「でもひとりじゃないから、だから大丈夫」
「……」
「アイツに笑われるかもしれないけどね」
 そうやってひかるさんは屈託のない笑顔で「弱いねー」と自分を笑い飛ばした。でもオレはその笑顔がとても強いと思った。オレの邪推なんか足元にも及ばないぐらい、ひかるさんはこれまで色々乗り越えてきたんだろう。それは弱いと言える強さだと思った。そんなひかるさんを、オレは強いと思った。不謹慎かもしれないけれど、カッコいいと思った。そして、そんなひかるさんをオレは……
「ごめんね、湿っぽい話につき合わせて」
 いや、その前にこんなところまで付き合わせたことの方がアレだよねぇ?とひかるさんは笑った。でもオレは嬉しかった、そして少しだけ、少しだけ優越感。だってオレ、こんなひかるさんは初めてだし、ひかるさんはオレだから「怖い」って言ってくれたんじゃないだろうか……。
「本当にね、毎年こんなカンジで成長なくてね。去年はちーくん連れてきたんだけどねー」
 ……え?
「ももたんにも一回つきあってもらったかなー」
 ……え?
「今年こそ、ひとりで来たかったんだけれど」
 ……え?
「ま、運が悪かったっと思って諦めな」
 男らしくバッサリと言い切るひかるさん、オレはそれにバッサリと切り捨て御免ときた気分だ。……な、なんだ、オレだけじゃないのか、オレだからじゃないのか、オレは……。峠を越えるイキオイで一気に盛り上がったオレの気持ちは一気に落ちていった。うう……ま、まあ世の中そんなに上手くいかないよな。
「帰ろうか」
 帰り道のひかるさんは、行きとはうって変わって安全運転だった。麓についてから、「こんなんだけれど、一応クリスマスって感じでしょ?」とケンタッキーで奢ってくれた。暖かい店内で、ひかるさんと差し向かいに、2人とも急に腹が減ってきていたのか夢中でチキンを頬張った。店の中には他に客はいなかった。呑気にクリスマスソングが流れている。
 ……あ、オレ、今、結構幸せだ。
 そうだ、ひかるさんはそうは思っていないだろうけれど、オレにとっては間違いなく今日はひかるさんとの初デートだ。初ツーリングだ。何よりも今日はクリスマス、オレ、ちゃんと最初に決心したように、今ひかるさんと一緒にいるんだ……。
 結局、ひかるさんがウチまで送ってくれることになった。オレが送っていきますよ、と言いたかったけれど、足は向こうが持っているから仕方がない。満腹になって、いやそれ以上にこころが暖かく満たされるのを感じながら、オレはバイクの後ろでひかるさんの細腰に腕を回していた。
「嶺君……もうそんなきつくしがみつかなくても大丈夫だよ?」
 オレは、風の音でそれが聞こえないふりをしていた。これぐらいは、多分許されるだろう。ちょっとだけ邪な想いもあったけれど、オレはさっきひかるさんに何も言えなかった代わりに、そしてあの時暗闇に引き込まれそうだったひかるさんを抱きしめられなかった代わりに、ひかるさんにぎゅーっと抱きついていた。ひかるさんは、特にそれ以上は何も言わなかった。ただ
「嶺君の腕、長いよね」
 ひかるさんの腰が細いんですよ、とは言わなかったけれど。
「かいぶつくんみたい」
 そしてくくっと笑った。わらったひかるさんの振動が、オレに伝わってくる。ひかるさんに抱きついていることよりも、そんな振動がオレの鼓動を昂ぶらせた。
 このままずっと続けばいいと思った道のりは、あっという間にウチの前にたどりついてしまった。オレは少し惜しむようにヘルメットをひかるさんに返した。
「じゃ、おやすみ。明日はゆっくり休んでね」
「……お疲れ様でした」
「嶺君」
「え?」
「……どうもありがとう」
 ひかるさんがぺこりと頭を下げた。子供のように。
「ひっ、ひかるさん!」
 オレは叫んだ、とにかく何かを伝えたかった、でも何を?
「……?」
「ひかるさん、オレ」
 なんだ、こんな時はなんて言えばいいんだ、っていうかオレはなにを、何を言いたいんだ?オレはひかるさんに、何を伝えたいんだろう……。
「あの、オレ、オレで良ければ来年もつきあいますから!」
 ひかるさんがきょとんとしている。
「あ、その、来年だけじゃなくて、再来年も、その先も、オレで良ければ」
 ……後で思い返せばオレはなんて恥ずかしい事を言っていたんだろうと思った。けれどもオレにはそれしか言えなかったし、そう言いたかった。強くてカッコよくてオレの憧れのひかるさん、そのひかるさんが少しだけ見せてくれた弱さ。今年は何もしてあげられなかった。けれども来年ならオレはもっと気の効いた事をいえるかもしれない。もっと、ひかるさんを、もっとひかるさんに。
「…………サンキュ」
 そう言って、はにかんだようにひかるさんは笑った。頬が赤いのは、気のせいだろうか。
「じゃ、来年用に」
 そう言ってひかるさんはオレにヘルメットをまた返してくれた。そして、慌ててメットをかぶるとバイクに跨って手を振りながら去っていった。あっという間に見えなくなる。
 ひかるさんからのクリスマスプレゼント……いや、これはちょっとキザなあの人のポーズにすぎないかもしれない、こんなの約束でもなんでもない。けれども何よりあのひかるさんの笑顔がオレへのクリスマスプレゼントだ。ってオレだって十分キザ、かもしれない。それでもいい、それでいい。だって、来年だってクリスマスはきっと間違いなく来るのだから。

 メリー、メリークリスマス。



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 東京近郊の道路事情には詳しくありませんので(先手弁解)。
 おかひかです。おかひかが読めるのはビバテラだけ!(こっちもいばらみちだなぁ)(笑)。
 微妙にしんみりというか重い話ばかりですみません。芸風だと思ってください(芸か)。

2005.01.31