『コウノトリと僕』
せっかくの休日、僕はおうちでお留守番。といってもここは僕のうちなのだけれど。
ももかさんは退職した同僚のところに赤ちゃんが生まれたとかで、会社の人たちと一緒に見に行っている。えーっと、この人の事は僕も何度か聞いている。確かものすごいおかねもちと結婚した人。そう言えばももかさんがそのヤツカさんとおかねもちとの結婚式に行った時も、僕はこんな風にお留守番していったっけなぁと、思い出した。思い出しながら、その時僕とももかさんが結婚式をあげるのはいつになるんだろうなぁと、ぼんやり思っていたのも思い出した。
そして今、僕は僕とももかさんの間に赤ちゃんができるのはいつになるのだろうなぁと、色々想像していたら、ちょっと楽しくなってきてしまった。そんなひとり遊びで、日はすっかり暮れて。
夜になって、ももかさんが帰ってきた。
「ただいまー」
「おかえりなさーい、どうでしたか、赤ちゃん?」
「もー、すっごくかわいくってねぇ!」
「ももかさんが産んだってきっとかわいい赤ちゃんですよ!」
「それでね、涼さんてばすっかりパパになっちゃってねぇ!」
「僕だって、きっといいパパになりますよ!」
「でね、ヤツカのおっぱいもすごく大きくなっていてね!」
「ももかさんだって、赤ちゃんができれば大きくなりますよ!」
「あれは女体の神秘ってやつだねぇ、でね、涼さんに『おっきくなって嬉しいでしょ?』って聞いたら涼さん『はい』なんて言っちゃってねぇ」
「もも……」
「そしたら、ヤツカがくわっと顔色変えて『あなた』って睨んでね、涼さんがしまったって顔してね」
「ぼく……」
「あ、そういえばヤツカ普通に『あなた』ってゆってたなぁ」
「……」
「ヤツカってば結婚してからもずっと『涼さん』って呼んでたんだよー」
「……」
「いやあ、子供生まれると変わるわー」
一気にしゃべるももかさん、いや一方的にしゃべるももかさん。僕の話なんかまったくまるきり聞いていない。そりゃそんなのいつもの事だけれども、でもそんな風に流されるほど、僕が言った言葉は軽くないんだけれど。それとも故意に流しているのか、なんだ、なんだか腹が立ってきた。今日一日想像していた楽しい未来図がどんどん壊されていく。
「それでねー、あかちゃんがさなえちゃんの……って大真くん、どうしたのー?」
すっかり拗ねて、膝を抱えて部屋の隅でうずくまる僕に、ももかさんがようやく気付いて言った。遅い、そんなの遅い。というかやっぱり今まで僕のことも気にしていなければ僕の話も聞いていなかったんだ。
「なになに?どうしたの?」
そんな事にも気付かないももかさんに、僕は心底怒っていた。
「なーに?どうしたのよー」
なだめるように僕の頭を撫でる。僕はそれを力任せに振り払った。
なんだ、なんなんだ。
僕とももかさんの間に『赤ちゃん』という話題は何度もあがっている。その度にももかさんははぐらかしたり、怒ったり。それなのに他人の『赤ちゃん』の話題にはこんなにイキイキとしている。なんだ、よそんちの『赤ちゃん』ならよくて、僕との『赤ちゃん』は駄目なのか。おかねもちの『赤ちゃん』はよくて僕の『赤ちゃん』は駄目なのか。
履き違えているとは思わない。僕はそんなももかさんがひどくて、ずるいと思った。だから怒った、なんだか悔しいような気持ちで怒った。僕はいつだって真剣なのに、僕はいつだってももかさんがダイスキなのに、だから僕はいつだって……。
「もう!いいかげんにしてよ!」
拗ねたままで何も言わない僕にももかさんが怒り出した。けれども僕はそんな理由もわからないももかさん、そんな事を気遣ってくれないももかさんを今日はどうしても許せなかった。
「ねえさん帰る!」
喧嘩別れ、よりもっとひどく、何も言わない僕と、怒ったももかさん。
ももかさんはそのまま家に帰ってしまった。
ももかさんに帰られたことよりも、ももかさんに叱られたことよりも、僕は、僕との間の『赤ちゃん』を考えてくれないことがひどくひどく悲しかった。
休み明けの月曜日。どんよりとした気持ちで仕事に行った。あれからももかさんからは連絡がない。僕はあれから色々考えたけれど、やっぱり僕から謝る気にはなれなくて。
それは時としてエッチをする時の口実でしかなかったりするけれど、僕は一度だってその言葉を面白半分に行った事はない。僕はいつだって真剣だし、ももかさんとはそうなっていいと思っているし、そうなりたいと思っている。例えば明日、ももかさんの元に比喩でもなんでもなくコウノトリが『僕たちの赤ちゃん』を運んできてくれたとしても、そんなありえない事が起こったとしても僕は一向にかまわない。
ももかさんはこう言うのだろう、僕の収入じゃ子供を育てられるわけないでしょ?と。それに僕は全く反論できない。子供が子供育てられないよー、とも言うのだろう。それにも僕は反論できない。それでも、たとえ未来の話だとしても、僕の設計図には「ももかさんと築く幸せな家庭」とうのがある。女々しいと言われるのだろうか、でも僕は最初からそういう未来図を描いている。そう、それは今すぐ実現するものじゃない。そんなの僕だってわかっている。けれどもこうやってももかさんにあからさまに拒否されたり、否定されたり、拒まれたりすると、ももかさんにはそんな未来図はないのだとまざまざと知ってしまう。
今じゃなくてもいい、すぐでなくてもいい。けれども少し先ならば……ももかさんは、一度も考えてくれた事がないのだろうか、僕との未来を。それがひどく悲しい。つらい。考えてくれてないことが、ただそれだけが悲しい。
月曜日恒例のディケアセンターへの訪問を終えて、僕はとぼとぼと庁舎への道を戻っていた。庁舎に戻っても今日はあと一時間ぐらいで終業時間だ。それでなくても今日はずっととこんな調子だから、迷わず途中の小さな公園で、さぼりという名の長い休憩をした。
缶コーヒーを飲みながら、やっぱりぐるぐると考えてしまう。そんな風にももかさんに怒るのは、僕のエゴなのかもしれない。そんな僕だから、子供だと言われるのかもしれない。でも、やっぱり悲しいし、寂しいし、切ない。
一口飲んではため息を繰り返していた。公園には誰もいない。傍から見ればいかにもくたびれたリーマンが仕事をさぼっているように見えるだけなんだろうなぁと思いながら。
「あー!おーまくんだー!」
急に聞きなれない子供の声、でも声の主を見てすぐにわかった。美城んちの上のお嬢ちゃんだ。僕とは面識があるというか、一度預かってあげた事もあるから結構懐いている……という言葉ではちょっと厳しいイキオイで、イキナリ膝の上に飛び乗ってきた。重い、でも元気だ、かわいいなぁ。
「こんにちは、はるかちゃん」
そしてその後ろからは下の子をだっこした美城の奥さん、まりぃちゃんがいた。僕たちは彼女を親しみを込めて……いや親しみが湧くようにそう呼んでいる。
「こんにちは、まりぃちゃん」
「……こんにちは」
「そっか、保育園のお迎えか」
「うん」
「おーまくん、遊んでー」
膝の上でじたばた暴れるのを抑えながら、
「ごめんね、お兄ちゃんちょっと疲れているんだ」
「うわー、としよりだなぁ」
生意気にそんな事を言うと、じゃあもう興味がないとばかりに、ひとりで砂場の方へ遊びに行ってしまった。ベンチの隣にまりぃちゃんが座る。下の子のかなたくんはその腕中でよく寝ている。……ああ、思い出しちゃった。赤ちゃんはカワイイ、こんなにカワイイのにももかさんはなんで。いや、「なんで」じゃなくて、それは明らかにももかさんが僕の事を本当は好きじゃないって事じゃないか?そんな事まで考えては、更に落ち込む。
まりぃちゃんは何も言わずに、ただ隣に座っていた。美城の奥さんながら、まりぃちゃんはちょっと掴めないところがある。何か話を、と話題を振ってみる。
「美城、元気にしてる?」
「……」
言ってから、今日朝の全体朝礼で美城に会った事を思い出した。「なんだ大真、しけた顔しているなぁ」「うるさい、妻子もちだからっていばるな」「はぁ?」そんな会話を交わした。もちろん、美城は気にも止めなかったけれど「またももかさんと何かあったのか」と図星を指されて。
「あー、美城に今朝は悪かったって言っておいてくれる?」
「……」
まりぃちゃんは、ちょっと間を置いてこくんと頷いた。何かあったの?と聞かれれば、僕はその場でだーっとこれまでのいきさつを話してしまったに違いない。けれどもまりぃちゃんは反応が薄いというか、何を考えているのかわからないというか、会話はそこでぱたりと途切れた。
沈黙。たまらなくなって僕は前々から聞きたかったことを聞いた。
「ねぇ、まりぃちゃんと美城の馴れ初めってどんななの?」
まりぃちゃんと美城は学生結婚だ。しかもまりぃちゃんは美城にもったいないぐらいカワイイ。一体二人の間にどんなラブロマンスがあったのか、いつも気になっていたのだ。もちろん美城は一切答えてくれない。
まりぃちゃんはまたしばらく間を置いて、ちょっとだけ笑った。な、なんだその笑いは。でも僕の質問には答えてくれなかった。というか僕の質問など聞いていなかった、もう忘れたかという顔で、またぼんやりと遠くを見ていた。……僕は諦めて、そしてまた悶々と昨日の事を反芻していた。
しばらくして、急に辺りが暗くなった。あれ、まだ日が暮れるには早いよな、と顔をあげたら、すぐ近くの建設中のマンションが、傾いた陽射しを遮っていた。マンションの長い長い影に公園が包まれる。
「うわー、くらいねーくらいねー」
はるかちゃんが面白がって辺りをウロウロしてた。かなたくんが起きて、急に暗くなった事に怯えたのかぐずり始めた。
本八幡という地域は昔ながらの町並みのせいか、道も細く結構ごちゃごちゃしている。最近はそんな中でも、隙間を縫うように、猫の額ほどの土地でも、どんどんマンションを建てている。けれどもこんな子供たちの公園から、光を奪ってしまうなんて、そんなのあっていいのか?そういえば美城が、マンション建設ラッシュで近所との日照権やらの交渉や、古くからの商店街からの苦情やら大変だよ、とぼやいていた。美城は市川市役所の都市開発課にいる。まさしくそういう最前線、そして下っ端にいるから矢面に立っているんだろうな。
美城は最初は環境問題とか、そういう事をやる課への配属を希望していたらしい。希望通りの課ではなかったけれど、美城はすごく頑張っている。
そう言えば前に一緒に飲んだ時に、こんな話をした。
『でもまあ、お前頑張っているよ』
『まあな……ほら、あいつらにちゃんとした街を残してやりたいからな』
『?』
『ウチの子達がさ、大きくなった時にこの街が、というかこの地球がさ、どうしようもなく汚れていたり、手遅れだったり、住みにくかったり、安全じゃなかったりしたらかわいそうじゃないか……いや、そうじゃないな。子供たちにちゃんとした世の中を残してやるのは、俺たちの義務なんだと思っているよ』
『……』
『守ってやりたいよな、あいつらの為に』
『……』
ちょっと酔っていた美城は、饒舌にそんな話をした。そうか、だから最初環境関係の課を希望していたのか。その時の僕はと言えば、そんな美城に思わず感動して抱きしめて……思い出したくないがキスまでした記憶が……いやだから僕も酔っていたわけで。
そんな事を、思い出していた。薄暗い、というより不穏な感じすらするマンションの影の中で、ふと、僕は思った。
美城の守りたいもの、それは未来のこの街であり未来のこの世界であり、そして未来の子供たちだ。『守りたい』……じゃあ、ももかさんとの未来図を好き勝手描く僕が、守りたいものはなんなんだろう……。
「おーまくーん、くらいよー、くらいよー」
はるかちゃんが僕の足元に絡み付いてきた。けれども僕ははっと思いたったその考えが頭から離れなかった。僕の守りたい、もの。
「ごめん、僕帰るね!」
僕は思わず駆け出した、公園の入り口で振り返ったらまりぃちゃんが、ひらひらと手を振っていた。
「ありがとうまりぃちゃん!」
まりぃちゃんは「は?」という顔をした。でも僕の中で急に形をなし始めたその気持ちはきっと、ここにまりいちゃんや子供たちといたから、生まれたものだ。気付いたことだ。僕はそのことを感謝したかったのだ。
そうだ、そうなんだ。
定時を少し過ぎた庁舎に戻ると、僕はすぐに荷物を取って、そしてそのままももかさんちへスクーターを走らせた。ももかさんに少しでも早く会いたかった。そして僕の気持ちを伝えたかった。
僕が守りたいもの、そんなの決まっている。
それに気付かずに、ただ駄々を捏ねるように自分勝手な未来を描いていた僕。未来を築く為には、今が大事なのに、今を大切にしなくちゃいけないのに、今できることを、しなくちゃいけないのに……。ぐるぐるとそんな思いが回った。
ももかさんはきっとまだ帰っていないだろう、けれども僕はいつまでも待つつもりだった。早くももかさんに会いたい。
ももかさんのアパートに着くと、ヘルメットを脱ぐのももどかしくアパートの階段を駆け上った。そしたら、ちょうどももかさんが家を出るところだった。
「あれ、大真くんどうしたの?」
「もっ、ももかさんこそどうしたんですか?」
「うん、今から大真くんのところ行こうと思っ」
僕はももかさんを力いっぱいに抱きしめた。
言葉にならない気持ちで抱きしめた。
僕の守りたいもの、それはももかさんだ。ももかさんとの一緒の今、ももかさんと過ごす今、すべてひっくるめて、僕が守りたいのはももかさんだ。
僕は本当に子供で、そんな大事なことも気付かずに、都合のいい未来ばかり夢見て。けれどもその為に僕がしなくちゃいけないことは沢山あるはずだ。子供たちの未来の為にこの街を守ってやりたいという美城のように、僕は僕なりに今できることがあるはずだ。
大好きなももかさん、大切なももかさん。
僕はももかさんを守りたい、守るには非力な僕だけれど、ももかさんを傷つけてばかりの僕だけれど、けれども、大好きだから、守りたい。
「ちょ、ちょっと大真くん……」
ももかさんが僕の腕の中でもがく
「あ、あのね、昨日の事なんだけれどね」
ももかさんがもぞもぞもと言い出した。
「あれ、何で大真くんが怒ったのかあたし、まだよくわらかないんだけれど」
構わなかった。きっとそうやってももかさんは今日一日僕の事を考えてくれていたんだろう。それが、すごく嬉しかった。
「大真くん……」
ももかさんをぎゅっと抱きしめたまま、僕はその場に立ち尽くしていた。ももかさんを守るように、守れるように。
* * * * * * * * * *
赤子ネタをひっぱってすみません(ひらあやまり)。でもここまで込みで、去年末には出来ていたんです。いや「でも」もなにもないですが。
大百は大真くんの成長物語でもあります。割と真顔でそう言っておきます。でも実際にこの話にたどりつくのはかなり先かなぁ(笑)。というか全然時系列考えてなくてすみません。
美城ジュニアの名前は同期のリアル美城君(謎)ちのお子様から無断借用(笑)。
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