『一番星、欲しい』


 会社帰りに、ばったりと大真くんに会った。
 どうしてこんなところで?と一瞬思ったけれど、帰り際、ももかの部署が何やらトラブルがあったらしく、バタバタしていたのを思い出して、ああ、待ち合わせていたけれどドタキャンされたんだなぁと、すぐに合点がいった。
「あー、秋園さんお久しぶりです」
 手持ち無沙汰にしていた顔がぱっと明るくなる。やっぱり人の彼氏ながら、大真くんはかなり好みだ。
「ももか、忙しそうだったみたい」
「うん、聞いてます、仕方ないですよね?」
 そうやって、こちらに疑問形で聞いてくるのが、いかにも残念そうで、それがなんだかカワイイ。
 不意に、というか前からだったのだけれど、ちょっとちょっかいを出したい気分になった。
「大真くん、これから暇?」
「え?ええ、まぁ」
「良かったら飲みにいかない?」
「あー、でも」
「でも?」
一瞬嬉しそうにして、そして一瞬ためらう。その時タイミング良く、大真くんのお腹が鳴った。こちらに聞こえるくらい、笑っちゃうくらい大きな音で。
「いや、でも給料日前なんで」
「いいわよ、奢ってあげるわよ」
「ええ!そんなの悪いですよ」
「でも、お腹は我慢できないみたいだけれど?」
 そしてまた鳴った。大真くんは決まり悪そうに笑いながら
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「いいのよ。私も新人の頃は良く先輩に奢ってもらったもの」
 むしろ私にとっては好都合だった。


 いきつけのダイニングバーで、本当に大真くんはよく食べた。聞いたらお昼も食べてなかったとの事。金欠の理由を問いただしても曖昧に答えるだけで。でもまあ、ももかがらみなのはなんとなく察しがついたから、特には言及しなかった。美味しい美味しいと言いながら、食べる大真くんはホント子供みたいで、こちらも母親みたいな気分になる。だけどそんなあどけない表情を浮かべつつ、体のパーツを観察していると、やっぱり大人の男なんだなぁと。私より大きな手、私より長い腕。
 せわしなく動く喉仏をなんとなく眺めていたら、大真くんがふと私の視線に気づいて
「何か?なんかついてます?」
 確かに、ほっぺにご飯粒がついていた。私が手を伸ばして取って、口に運ぶと、大真くんは照れたように真っ赤になった。そして照れを隠すようにまた食事を口に運ぶ事に懸命になっていた。
 カワイイ。
「カワイイなぁ」
 思わず、思ったとおりに口に出た。その小さな呟きを大真くんは聞き逃さなかった。
「……カワイイ、ですか?」
 急に真顔になって聞き返す。
「僕、カワイイですか?」
「……ええ」
 大人の余裕でにっこり笑いかけた、もちろんあざとい目的を持って。大真くんはまた照れてしまうかと思ったのだけれど、何か考え込んでしまって。
「それって誉め言葉なんでしょうか?」
「え?」
「ももかさんも、ごくごくたまに言うんです。カワイイって」
 へぇ、あのももかでもそんな事言うんだ、と驚く私の前で大真くんは続けた。
「でも僕は、そう言われる度に、やっぱり弟ぐらいにしか思われていないのかなって……」
「そんな事ないんじゃないのかなぁ」
「でもカワイイって事は、頼りないって事ですよね?」
 どうしたらそうなるのかは、わからないけれど、大真くんの中ではそれは同義のようだった。
「僕はね、年の差なんて関係ないって思ってます」
 目が真剣だった。
「何をしたって、年の差が縮まる訳じゃないです」
 少し、酔っているのかもしれない。
「でも、物理的な年齢はさておいても、やっぱり僕は子供なんです」
 熱っぽく続ける。
「せめて、精神的にでも大人に、大人じゃなくてもいい。ももかさんと同じでありたいんですよ、僕は」
 私は黙って聞いていた。というか何を言っていいかわからなかった。
「でも僕はやっぱり幼くて、子供で、それゆえにももかさんを傷つけたり、悲しませたりしちゃうんです」
 そして、大真くんはあろうことか泣き出した。
 びっくりした、泣き上戸だったなんて。
 でもそれ以上に、ももかの事を思っている大真くんに驚いた。
 私から見れば「年下の男の子」な大真くん、ももかに懐いている大真くんはやっぱりカワイイ印象だったんだけど、色々と、なんというか男として抱えるものはあるのだなぁと、妙に感心してしまったりして。
 泣きじゃくる大真くんを抱きしめたい衝動にかられたけれど、酔っているからちょっと質が悪い。それに結局ノロケを聞かされただけのようなものだし。でも。大真くんが落ち着くのを待って、
「大真くんは、動物って好き?」
 大真くんがきょとんとした顔をした。
「犬と猫ならどっちがすき?」
「犬、です。昔飼ってました」
「カワイイよね、犬」
「はい……」
「大真くんはその飼ってた犬を、やっぱりカワイイって思ってたよね」
「はい」
「カワイイから、大好きだったよね」
「……はい」
「カワイイ、ってそういう意味もあるんじゃないのかなぁ」
 大真くんが、はっとしたように固まった。
「ももかなりの愛情表現かもしれないよ、あの子照れ屋だし」
「……」
「好きじゃなくちゃ、カワイイって言えないよ?」
 言外に「私がカワイイって言うのも、そういう意味よ?」を匂わせて。
 だけど大真くんは私の「解説」にすっかり舞い上がっちゃって
「そ、そうですよね!」
 割と単純なんだなぁ、この子。でも大真くんがさっぱりしたようにニコニコしていたから、私もなんだか嬉しくなった。
「いやー、やっぱり秋園さんすごいなぁ、人生の先輩だぁ」
 それから大真くんは良く飲んだ、私もつられて飲んだ。よっぱらった大真くんは冗談まじりに「ももかがやらせてくれない」事を愚痴りだした。もうすっかり自分を解放してしまったらしく、「そんな事言ってもいいの?」みたいな事まで言い出すから、むしろこっちがヒヤヒヤするぐらい。
 でも私は酔っていなかった。むしろそんな大真くんを冷静に観察していた。


 結局、閉店まで飲んでいて、ぐでんぐでんに酔っ払った大真くんを引きずりながら、近くの公園のベンチで休ませた。途中、ちょっと吐いてぐったりした大真くんがひっくり返っているベンチに、缶ジュースを買って戻ると、寝言だかなんだかわかんない声で「ももかさ〜ん」と呟いている。
 私がジュースを手渡すと、零しながら飲んで、ようやく一息ついたようだった。
「ねぇ、大真くん?」
「はぁい?」
「そんなに、ももかとしたい?」
「そりゃあ、もちろん」
「あたしとじゃ、ダメ?」
 大真くんの首筋に、腕を絡ませる。大真くんはまだ良く状況を読めていない目をしていた。
「ももかの代わりでも、いいんだけれどなぁ」
「だっ、ダメですよ秋園さん!」
 ようやく事態に気づいた声を出す。だけど、こちらを振り払わないのは、そういう事だ。
「秋園さんを、そんな代用品みたいに!」
 そうね、それはそうなのだけれど。
 でもこの場合はそういう風に攻めるのが得策だし。
「ううん……あたしだって、大真くんを誰かの替わりにしているのかもしれない……」
 大真くんをじっと見つめる、大真くんは凍ったように動かない。私は大真くんが堕ちるのを確信していた。
「……さびしいの、ずっと……」
 大真くんの頬に手を添える。すっとなでると、それが気持ちいいように大真くんが目を閉じた。それを合図に私が唇を近づけると、大真くんの唇もまた……。
 だけど、寸でのところで、唇がかわされた。そのままお互いの顔が見えない形で抱き合う形になって。
「……駄目ですよ、秋園さん」
 低い、静かな声。さっきまでのうわずった、浮かれた声はどこに?
「僕じゃ、代わりにはならないでしょう?」
「……」
「代わりじゃ、駄目なんです」
「……」
「本当に、欲しいものじゃないと、駄目なんです」
「……」
「それに秋園さん、まだ朝澄さんのこと」
 びくり、とした。体を起こして大真くんを見た。
「ももかさんが言ってました、朝澄さんは鈍いし、秋園さんは、本当に欲しいものの前だと、欲しいって言えなくなっちゃうから、って」
「……」
「だから、本当に、欲しいものを手にしてください」
「……」
「僕なんかじゃ、駄目ですよ」
 そう言って笑い飛ばす。
 なんと言っていいか、わからなかった。だけど、何故か涙がこぼれた。
 そういえば、私、本当に欲しいものは、いつだって手に入らなかった。
 誰もが私を、何でも手に入れていると思っている。だけど本当はそうじゃない、それを、ももかは知っていた。
「……僕なんかで良ければ」
 泣いて、いいんですよ。と大真くんが私の頭をぎゅっと肩口に抱き寄せた。
 背中をその大きな手で、ぽんぽんと撫でてくれた。
 驚くことばかりだった。何よりも、年下のカワイイ男の子だった大真くんが、こんなに大きく見える。
 私は少しだけ泣いた。本当に泣いてしまったら、ももかに悪い気がしたからだ。だけどそれだけでも、なんだか少し楽になる。
 大真くん、頼りなくなんかないわよ。
 現に私が、こうして大真くんに甘えさせてもらっている。
 しばらくして、落ち着いた私が体を離す。大真くんはまた急に照れた顔になって
「よっぱらってますね、僕。何カッコつけているんだか」
 そうやって、全てを笑い飛ばそうとするのは大真くんの優しさだ。
「……大真くん」
「でも、ちょっと危険でしたよ。ちょっとだけ、ぐらっとしました」
 そういうのもやっぱり大真くんの優しさ。
「本当に?」
 それに甘えたように聞き返す。
「ええ、秋園さん、素敵だから」
 私はまた大真くんにキスしたいと思った。誘惑ではない、むしろ感謝のキスだ。私がもう1度大真くんの頬に手を添えると大真くんが固まった。その隙をつくように、思わず、その唇にそっと口付け……ようとして、その広いおでこに口づけた。大真くんがくすぐったそうに身をすくめた。
「やっぱり秋園さんだって子供扱いじゃないですか」
 そう言ってちょっと膨れて、そして笑った。私も笑うことが出来た。
「帰りましょう、僕、送っていきますよ」
「でも、もう終電終わっちゃったわよ?」
「……」
「お金あるの?」
「……すみません、貸してください」
「返すあて、あるの?」
「……秋園さんイジワルですね」
「イジワルだったら、おごってあげるだなんて言わないわよ。ご飯も、タクシー代も」
「あ、ありがとうございます!」
 大真くんの顔がぱっと明るくなった。ああ、やっぱりカワイイなぁ。けれども欲しがってはいけないものだから、手に入らないものだから、それはきっと、ももかにとっての本当に欲しいもののはずだから。
 本当に欲しいもの。いつか、まだ、きっと、私にも手に入るかもしれない。


* * * * * * * * * *
 園大です。久しぶりの新作というか、実は去年の9月頃書いたものです。
 私が書く「よく書きがちな大真くん」(笑)と秋園さんのお話です。実は最初、ラストシーンは二人のキス現場をももかさんが偶然見てしまうというのを考えていたのですが、「そそそんなことしたらももかさん『アタシじゃなくていいんだ』で身を引いちゃいますよ!」と小郷さんに止められました。やはり餅は餅屋、ももかさんの事はまぁ担ですな(笑)。ちなみに「大真くんが空腹の、ももか絡みの理由」はそのうち美波里ねぇさんから出るかもしれません。出ないかもしれません。ちゃんと色々繋がっているんです、我々の間では(笑)

2004.05.05