『鍵屋』
「たーまや〜〜〜!」
威勢のいい声でももかさんが叫んだ。目前に広がるのは見事な花火。
花火大会の日、ももかさんが「ウチはすごく良く見えるの、特等席だから」と僕を呼んでくれた。
確かに見事な眺めだった。だけどよく言えばレトロ、悪く言えば古臭いこのアパートにももかさんが住んでいるのは、前から不安だった。築何十年もの、木造アパート。トイレだって和式で。別に高級マンションに住めとは言わない。けれどもここは防犯的にもそもそも建物の安全面的にも、不安だった。
何度も引っ越したらと言ってはいるのだけれど、ももかさんはここが気に入っているらしい。……まあ、大家さんちが近いのがせめてもの救いか。元々は大家さんちの広い庭の一角に立てられたアパート。だから目の前は大家さんちが片手間にやっている畑で、日当たりよく、見晴らしも、近くの河川敷で行われる花火がこれだけ見える眺望の良さ……。いささか近すぎない気もしなくはない。さっきから花火が上がる度に窓ガラスがビリビリと音を立てて、花火大会が終わる頃には、このアパートは灰燼に帰すのではないかとすら思えてしまう。
また、機嫌のいい時にでも引越しの話をしてみよう。……本当は、僕のところに来て欲しいのだけれど。
そんな古いアパートでも、ちゃんとベランダがついていて。そこにビールケースを三つ並べて、二つには部屋の座布団を敷いて椅子代わりに、もう一つのケースの上には、さっき取った宅配ピザと、良く冷えた缶ビール。ちょっとした宴会だ、悪くない。
この黄色いビールケースはどこから持ってきたのかは聞かなかった。この間来たときには無かった。ももかさんが腕力たくましく運んできたとも、自分で消費した故の残骸とも、どちらとも容易に想像はつく。
そんな風に色々御託を並べつつも、結局誰よりもここが居心地良くて好きなのだ。いや、居心地がいいのはももかさんがいるからかもしれない。お祭り気分も、ほろ酔い加減も手伝って、なんだか楽しい。
打ち上げ花火が上がる度に、ベランダの手すりに乗り出していたももかさんが、自分の席に戻ってきた。僕が缶ビールを差し出すと、嬉しそうにぷしゅっと開けて「とりあえずカンパイ」と。ももかさんはキャミソールに短パンのいでたちで……相変らず男の目を意識していない格好だと、一枚何かを着せたい気持ちになるけれど、それも随分慣れた気がする。
花火は次の打ち上げの準備の為に、休憩を置いているようだ。ようやく話ができるような静かさになって、ももかさんが言った。
「そういえばね」
「はい?」
「大家さんちのおばあちゃん、大真くんの事覚えたみたいだよ?」
「おばあちゃん?」
「この間ゴミ捨て場で会ってね、『いつも来ているあの顔の丸い男の子は友達かい?』だって」
顔の丸い、は余計だと憮然とした表情をしたら、ももかさんがやっぱりーと笑った。いや、本当に憮然とすべきは『友達かい?』の部分だ。おばあちゃん、この年になって友達も何も……いや、いつも健全な時間に来て健全な時間に帰っていくから、やっぱり『友達』にしか見えないのかもしれない。それに気付いてややへこむ。そしてそれに対してももかさんが、何と答えたか……聞けなかった。
「珍しかったんじゃないのかな?ウチに男の子が来るなんてめったにないから。今度おばあちゃんに紹介するね」
ももかさんは何も気にもとめず、話を続けた。それは「珍しい」事に喜ぶべきなのか、「めったにない」ということは他にも誰か来た事があるのかと嫉妬すべきなのか、「おばあちゃんに紹介」される事を名誉と思えばいいのか。いや、未だにももかさんに「男の子」と呼ばれてしまう事が一番の問題かもしれない。……そうやって、ももかさんの言葉ひとつひとつに、ももかさんが全く織り込んではいない「意味」とか「意図」とか「裏」を読んでしまうのは、やっぱり僕はいつだって何かが不安なのだからだと思う。
割と情けない。
でも好きなんだからしょうがない。
そしてそういう僕の心の襞というか機微にももかさんが全く気付いていないのも「しょうがない」事だ。
残っていた缶ビールを一気に飲み干した。
どぉんと大きな音がして、再び打ち上げが始まった。ももかさんはまた手すりに飛びつかんばかりに立ち上がって「た〜まや〜」と叫んでいる。……僕がここの大家だったら、こんな近所迷惑な人とは絶対に更新契約をしないと思う。でもここの大家さんは皆ももかさんを気に入っているから、そんな事は言わないのだろうけれど。
ももかさんはすっかりご機嫌で、次の花火を待ちわびていた。手すりに寄りかかり、片足だけぴょんと後ろに曲げて、その先でサンダル(というかつっかけ)をブラブラさせている。……ももかさんは決してグラマーな方ではない。このいでたちに慣れてしまったのも、ももかさんの身体が、そのなんというか「女性」を感じさせないからなのかもしれない。むしろみていて清々しい身体だ、引き締まった筋肉、すらっと伸びた手足。だけど、ももかさんの「お尻」だけは、その、なんというか……僕はももかさんの後姿が好きだった。思わず鼻の下を伸ばしそうになりながら、今もその、なんというか……目の毒だ、やめよう。こっちが盛り上がったって、その気になったって、向こうがその気にならなければ、何も始まらないのだと、もう何度も何度も何度も学習してきた事だ。
なんだかモヤモヤした気持ちで、ももかさんから目線を逸らした先に、今まさに天空に向かって伸びていく光の筋。ももかさんが叫ぶより早く、いきなり身を乗り出して叫んだ。
「たーまやー!」
突然参加してきた僕を、ももかさんがびっくりして見た。そして笑った。
僕は僕で、叫んだらなんだかスッキリしてしまった。単純なんだ。こう見えて。いや、ももかさんの側にいるだけで、僕はどんどん単純になっているような気がする。結局、いまももかさんとこうしていられる時間が、僕にとってはなによりシアワセなのだから。
そんなこんなで、2人して近所迷惑よろしくとばかり、花火に向かって声をかけた。息も切れかけた頃、今度は仕掛け花火が始まった。河川敷の、向こう岸の大きな櫓に思い思いの絵が、光によって描かれるが、さすがに何の模様だかは判然としない。派手な音もしないけれど、仕掛けはかなり大掛かりのようで、こちらまで光が漏れ届く。
ももかさんは「なんだろうね?あれ何だろうね」と仕掛花火を夢中になって見つめていた。ちらりとその横顔を覗う。ももかさんの凛とした横顔が、暗闇の中ほんのりと花火に照らされて浮かび上がる。ああ、前にもこんな光景を見た。あれは2人ではじめて行ったディズニーランド、最後の花火を見上げるももかさん。初デートとはりきったのに、散々な結果で。だけどももかさんはとても喜んでくれた。「キレイ」と花火を見上げていたももかさんを抱き締める代わりに、勇気を出して手を握ったあの日。汗ばんだ僕の汚い手を、ももかさんが握り返してくれたあの日。僕は昨日の事のように思い出せた。失敗もたくさんあったけれど、僕には忘れられない思い出……ももかさんは、覚えているだろうか?
「思い出すねぇ、ほら、2人で最初に?行ったよね?ディズニーランド」
まるで、僕の想いを見透かしたように、ももかさんが言った。
「あそこの花火もスゴイきれいだったよねー」
「覚えているんですか?」
「もちろん、だって嬉しかったもの」
僕はまじまじとももかさんの顔を見た。ももかさんの目はまだ仕掛花火を……いや、まるでその思い出が目の前にあるのかのような表情で
「嬉しかったな……大真くんが、こう、手をぎゅーっと握ってくれて……」
ももかさんが自分の胸元でぎゅっと手を握る。僕はくらくらした。それは嬉しさなのか、いや、ある種の驚きと、感動。
じっとみつめていた僕の目線に、ももかさんがはっと気付く。そして「ヤダ、今アタシ恥ずかしい事言った?」と書いた顔して。今更気付いたようなその顔。僕はももかさんを抱き締めた。あの時、抱き締められなかった分もこめて、あの時抱き締めたいと思った以上の想いを込めて。
ももかさんはいつも通り、まるで針金のように固まってしまった。いつもならすぐ離して冗談めかす僕だけれど、そのままじっと抱き締めたまま。
「ちょ、ちょっと大真くん?」
ももかさんが、居心地悪そうに身体を動かす。それでも構わなかった。
「ね、ねぇ?暑いでしょ?そんなぴったり……」
そんな事は構わなかった。
「アタシ、今日、汗いっぱいかいたから、その、汚いか」
仕掛花火は終り、花火大会はグランドフィナーレ。
ももかさんの抗議が途絶えたのは、最後の大花火の音のせいだけじゃない。
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お蔵だしみらもも処女作(笑)。ビバリウムさんちに置いてもらっていたのを、引きとってきました。や、やっぱりこれはテラリウムサイドかなぁと(笑)。
大真くん視点で書いているから、というか私が単に大真担だからかもしれませんが、割と大真くんを「よく」書きがちです。まあ、たまにはいい思いさせてやらないと。
言いっぱなしで、大真くんのTDL初デート失敗談として、県民割引になるからと、ウッカリ千葉県民の日に行ってしまって尋常ならざる大混雑だった、という設定を付け加えておきます。ちなみに6月、どうですか?繋がってきませんかね?(聞くな)
いずれ時系列でまとめたいなぁと思っています。
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