『LOVE&PEACH』


 僕がももかさんと初めて出会ったのは、社会人生活にも慣れた新緑眩しい5月の事だった。
 その日、久しぶりに鳴海さんが僕を飲みに誘ってくれた。
 戸籍課の鳴海さんとは課は違えども、新人研修の時の講師でお世話になった人だ。僕が一方的になついていて、こうして良く構ってもらっている。鳴海さんは、なんというかこうカッコいいのだ。見た目とかではなく一本筋が通った感じのする人。憧れといってもいい。
 たまには市川じゃないところで飲もうかと、電車でちょっと足を伸ばした。
 いきつけの飲み屋さんがあるそうだ。なるほど、割と落ち着いた感じの店構え。ここは手打ち蕎麦と日本酒が上手いんだと、鳴海さんが喉をならす。
 鳴海さんはお酒に強い。僕も人並みに飲める方だけれど、鳴海さんには敵わない。一度同じペースで飲んだらとんでもない目に合った。なので鳴海さんはしょっぱなから「一之蔵」で始めているけれど、僕は軽くサワーで一杯目だ。
 淡々とお酒と会話が進んでいく。普段同期とかと学生気分の抜けない馬鹿騒ぎな飲みばかりだから、こういう雰囲気はちょっとどきどきする。大人の世界だなぁと思う。僕は鳴海さんの話を聞くのが好きだった。とりとめない話ばかりなのだけれど、やっぱりカッコいいなぁと思ってしまったり。
 そんな静寂にも似た僕たちの会話が突然妨げられた。
「あー!かんちょーだー!」
 女の人の声。その声の主と、いかにもサラリーマンなスーツの男の人と、そしていかにもOLさんだなぁという女の人、都合3人。
「あ!もも」
 どうやら鳴海さんの知り合いらしい。
 久しぶりなんだろうか、なんだかすごいテンションだった。既に酔っ払った風のその男の人と鳴海さんが熱い抱擁を交わしている。ええっと、そういうんじゃなくて、そう苦楽を共にしたバッテリーコンビ、みたいな?
「ねぇ?この子かんちょーの後輩?」
「そ、今年の新人。大真」
「うわー、若いねぇ、新人ってことは22?」
 いきなり、最初の声の主にぴたぴたと頬を触られた。うわ、なんだこの人。
「うわーぴちぴちだー」
 な、なんだこの人。
「……気をつけて、ももかに吸い取られるわよ」
「なによう、そんちゃんだって吸い取りたいくせにー」
「失礼ね」
「大真、お前ホントに吸い取られるぞ」
「もうー、何よ人を妖怪変化みたいにー」
 な、なんなんだ。

 というわけで、改めて自己紹介。
 最初のデカイ声の女の人がももかさん、男の人が朝澄さん、この二人は鳴海さんとは大学の同期なんだそうだ。そしてもう一人の女の人がアキソノさん。この三人は同じ会社の同僚という事だ。鳴海さんとアキソノさんも面識があるようで、良くここで飲んだりしているらしい。見た目はてんでバラバラの同期三人だけれども、すごく仲が良いのはよくわかった。この歳になっても、こういう構成で仲がいいのって珍しいなぁと思いながら見ていた。
「ところでなんで『かんちょー』なんですか?」
「大真、今度それ聞いたら殺すからな」
「いやっだー、そんなたいした由来じゃないのよー」
「もも、頼むから黙っていてくれ」
「なに?かんちょー恥ずかしいの?恥ずかしいの?」
「だぁあ!もも!いいから!いいから!」
 鳴海さんが頭を抱えた。『かんちょー』の由来はわからなかったけれど、鳴海さんがいつもとは全然違ってくだけているのが、妙に新鮮だった。
 ふと、アキソノさんと目が合った。にっこりと微笑まれる。うわ、おんなのひとだなぁ。きれいな、そして胸の大きな……いやいやいや。
 アキソノさんはそんな三人からちょっと引いて見ている感じだった。確かにこの三人にはちょっと入れない。だけどそれを
「もー、そんちゃんてば!」
 ももかさんが絡んで輪の中に引き入れる。アキソノさんは呆れつつも、ちょっと嬉しそうで。
 それにしても、賑やかな人だ。
「あ、大真くん全然飲んでないじゃなーい!何か頼む?」
 よく言えば賑やか、というか多分お店の他のお客にはきっと迷惑なんだろうなぁ。でも
「大真くんって何課?今どこ住んでいるの?」
「福祉介護課です、一応市川に住んでいるんですけれど」
「アタシね、江戸川なの。都営新宿線」
「あー!……近いような近くないような」
「何言ってんの!川泳げばすぐ!すぐ!」
「もも、お前酔っているな?」
 鳴海さんのツッコミが入る。
 そんな感じにももかさんはしきりに僕に話しかけてくれた。僕がグラスを空ければ、「次?何いっとく?」と気を遣ってくれて。それは僕に対してだけじゃなく、皆に対してそうだった。だけどそれがすごく自然で。一番うるさいのはももかさんだったし、一番気を遣ってくれているのもももかさんだったし、そして一番楽しそうなのもももかさんだった。
 あれ、僕はなんだって彼女のことばかり考えているんだろう。
 どういうわけだか彼女から目が離せなくなった。なんだかももかさんがとてもキラキラして見えたから。
 後で鳴海さんに聞いたら、アキソノさんがちょっと僕に興味を持っていたらしいけれど、僕はそれに気付かないぐらいももかさんにクギヅケだった。
 もっとこの人と話してみたい。
 だけど僕の席はちょうどはすむかいになっていて、テーブル越しに話すのはちょっとやりにくかった。それにももかさんの隣には朝澄さんが、べったりと文字通り張り付いていて。酔っているからなのか、そういう関係なのかはわからない。ももかさんは「あー、もう邪魔!」といいながらまんざらではないみたいだし、結構かいがいしく世話を焼いていた。
 気が付くと僕の隣の鳴海さんとアキソノさんが、額を突き合わせるようにして何か話し込んでいた。結構真剣な雰囲気だったから、僕にはわりこめなくて。相変わらず朝澄さんはへらへらーとももかさんに絡みつき、ももかさんはそんな朝澄さんを押し退けながら、話し掛けたりなんだりしている。ちょっと僕だけ浮いた感じになってしまった。僕はももかさんと話がしたいのに。
「ああ!じゃあ席替えをしましょうか!」
 合コンの時の時のとっておきテクを応用しようとしたら、全員に速攻「なんで?」とつっこまれた。すみません、つい……この人数で席替えも何もないですね。完全に外した僕をももかさんがニコニコ眺めていた。
 どうしてだろう?例えば「おんなのひと」という意味では、アキソノさんの方が断然魅力的なのに、僕はどうにもこうにもももかさんが気になる。それを「恋」と決め付けるのはできなかったけれど。
 ふらりと朝澄さんが立ち上がった。
「トイレ」
 と、言いつつもはや足元がおぼつかない。ちょっとしっかりしてよと朝澄さんの背中をバシバシ叩くももかさんに、僕が連れて行きますよ、と鳴海さんアキソノさんを押し退けて奥の席からようやく抜け出した。ももかさんに近づくチャンスというより、朝澄さんがかなりヤバそうだったから。
 果たしてその予感はまんまとあたった。
 僕が朝澄さんの身体を支えるようにトイレに連れて行こうとしたら
「うえぇぇぇぇぇ!」
 ……それは誰の叫びだったのか。
 見事にリバース、僕のスーツはダイナシにされた。


 店のトイレの前の廊下が、そのまま非常階段に繋がっていた。そこに僕とももかさん。僕はTシャツ一枚で、ももかさんは僕のワイシャツをすぐに洗ってくれてそれをバサバサ振り回しながら
「ごめんねぇ、ほんとに。これ落ちるかなぁ?」
 微妙にトマト系なのが痛い。ももかさんはジャケットを手に取って、店員さんからもらったおしぼりで、その赤い染みをごしごしふき取ろうとした。
「ああ!駄目です!」
「え?」
「こういのはこすっちゃ駄目なんですよ?」
 僕は自分の太ももの上にハンカチを広げて、染みの部分をそこに当てて、そしてジャケットの裏側からおしぼりでとんとんと叩く。
「ほら、汚れは表面についているわけだから、裏から繊維を通して、水分で下に叩き出していくんですよ」
「うわー、すごいー。よく知っているね」
「むかしおばあちゃんが、いえ、祖母が良く」
「ふうーん、おばあちゃんのちえぶくろだ」
 しゃがんで染み抜きをする僕の前でももかさんもしゃがんで、僕の作業をじっとみていた。なんだか急に二人きりになれて、僕は何を話していいかわからなかった。
 ももかさんが。ふと思い出したように、非常階段のドアを開けて
「アサズミー、最後までちゃんと吐くんだからねー?」
 男子トイレに篭もっている朝澄さんに聞こえるように大きな声、いやきっと店中に聞こえているだろう。
 朝澄さんからは「まかせろー」という訳のわかんない返答が返ってきた。
「ほんとゴメンね、しつけが行き届いてなくて」
 いや、謝るのはももかさんじゃなくて……いや、謝ってしまうのはやっぱり二人はそういう関係だからなのか。
「ちゃんとクリーニング代もらってね」
「いえ、そんな」
「何言っているの新人、どうせ一張羅なんでしょー?」
 その通りだ。
「朝澄もね、ほんとこんな飲む人じゃないんだけれどね……やっぱり寂しかったかなぁ」
「え?」
「あ、うん。朝澄ね、急に転勤が決まってね。地方の支社に行くことになったの」
「あー、じゃあ送別会ですか」
「ううん、まだ公式には発表になっていないから。あ、かんちょーにはまだ言わないでね。朝澄が自分で言うとおもうから」
「……寂しくなりますか?」
 なりますね、ではなくてそう聞いてしまったのは、まだ心のどこかに確かめたい気持ちがあったからだ。そう、最初からわいている疑問。ももかさんと朝澄さんが、いわゆる恋人同士なのかということを。それを知りたがるということは多分そういうことなんだろう。でも、それが本当だったら、僕は諦めるしかないわけで。
「うん、まあね……ずっと一緒だったからねぇ。でもそんちゃんの方が寂しくなっちゃうんじゃないかな」
「え?」
「朝澄、ちゃんと自分の口から言えたかなぁ」
「え?」
「2人とも、ほんとじれったいぐらいなんだから」
 え、ええ?
 ということは
「ももかさん、朝澄さんと付き合っているんじゃないですか!」
 思わず言ってしまった、思わず大きな声だった。ももかさんはきょとんとして、それから
「ぃやっだー!そんなわけないじゃん」
 バシバシバシバシ、肩を叩かれる。なんだそうなのかという安堵の前に痛い、痛いですももかさん。
「朝澄とはね、こうなんていうか親友というか戦友というか?男同士の友情?」
 いやアタシ男じゃないけれどな!と自分でつっこんでいた。
 でもそういわれれば、そんな言葉がぴったりだった。
「じゃあ朝澄さんとアキソノさんて……」
「うん、でもはっきりしないんだよね、朝澄がさ。それでそんちゃんも『ほんとうにほしいもの』は欲しがらない人だからなぁ」
 な、なんだか深刻な話なのかもしれない。
「僕にそんなこと言っていいんですか?」
「ん?だって大真くん言わないでしょ?」
「……はい」
 なんだかそんなふうに、最初から真っ向から信頼されるのは、ずいぶん嬉しいものだ。
 そしてもう一つ嬉しいこと。ももかさんがフリーだという事だ。
 僕はどきどきした。さっきまで歯止めをかけていた想いが、いきなり溢れ出しそうだった。
「あ、あのももかさん!」
「なーに?」
「携帯の番号教えてください!」
 まずはそれだけ言うのが精一杯で。僕はポケットから携帯を取り出した。ももかさんはいいよーと即答してから
「あ、ごめん。携帯カバンの中だ」
 一瞬、はぐらかされたのかと思った。
「でもね、アドレスは覚えやすいから。Docomoで、大文字でね"LOVE&PEACH"」
「ぴーち?」
「アタシ、ももかだから」
「ああ」
「後でメールちょうだい。そしたら折り返すから、ね」
「はい、必ずします必ず!」
 繋がった、繋がった。
 僕は嬉しかった。多分ももかさんは僕を友達ぐらいにしか思っていないだろうけれど、友達の後輩にすぎないけれど、だけどももかさんとこうやって繋がれたことが嬉しかった。
 これがももかさんと僕の出会い。そう、やっぱりこれはひとめぼれって言っていいのかもしれない。
 ももかさんがにっこりと笑った。ああ、本当にキラキラしている。光ってる、輝いている、僕にはそう見える。


 翌日、僕はさっそくももかさんの携帯にメールを入れた。仕事中だったけれどももかさんからすぐにメールが入った。僕はすぐにももかさんに電話した。そしてデートの約束を取り付けた。昨日もらったクリーニング代が余ったので返します、と。ももかさんはいいよー、と言っていた。朝澄に黙っててもらっちゃいなよーと。でも僕はそれが朝澄さんからといいつつ、ももかさんのお財布から出た事にちゃんと気付いていた。そういうももかさんは、やっぱりステキだなぁと思っていた。
 あまりスマートな誘い方じゃないけれど、むこうはデートだなんて思っていないのかもしれないけれど、僕はももかさんと繋がった糸をたぐりよせるのに必死で。
 気が付くと、ももかさんのメールには、ちゃんと本名署名がついていた。
「百花」
 ……。
 ももかさん、それを言うなら"LOVE&HUNDRED"じゃないんですか?
 心の中で思い切りツッこむのだけは忘れなかった。



* * * * * * * * * *
 ようやく生まれました。みらもも馴れ初めSS。……ちょっと自分の中で自家培養させすぎたのかもしれません(うなだれ)。ビバリウムもテラリウムも去就関係なく、とは言いつつ朝澄さんを飛ばしてしまいました。いや、当初は退団者はやっぱり絡ませちゃいけないかなぁと思っていたので、その名残です。大丈夫、必要ならばすぐに呼び寄せますんで!(笑)。
 
 現在の大真くんを見ると(笑)、出会った時には押し倒していたんじゃないかと思わせられますが(大笑)、ほんと初期のみらもも設定では、いつもお預けくっている状態の大真くん(カワイイイ年下の彼氏)だったんだけどね……大人になって(感涙)(笑)。

 あ、ももかさんの名前は本当はひらがなで「ももか」だそうです。
2003.11.24