農閑期自由研究2004


「おじさま」
 湖畔の遊歩道、白い日傘のまりえがふりかえった。思わず目を細めたのは、夏の暑い日ざしのせいだけではない。
 まりえと一緒に我が家の別荘に避暑に来た。夏休みだと言うのに、どこにもおじさまは連れて行ってくださらないの?と、まるで子供のような事を言うから、こうして僕達は家族旅行に来た。そう家族旅行、今は2人だけになってしまった、家族。
 まりえもここに来るのは久しぶりだと言う。子供の頃には毎年、兄夫婦と来ていたのだという。
 きらきらと湖面が光る。何か陰が見えたと、遊歩道の手すりから身を乗り出すように湖面を覗き込む。不意にバランスを崩す、慌てて側に寄ってまりえを支えた。まりえの髪からかすかにシャンプーの匂いがして、
「あー、行っちゃった。今ね、すごい大きなお魚がいたの!」
 無邪気にそう僕に伝えてくる。そうやって大きな目をきらきらと輝かせてまるで子供なのに、最近とみに綺麗になったまりえに、僕は時々戸惑うのだ。兄夫婦の突然の死に帰国した時、再会したまりえはまだ高校生だった。それから数年、そこからの成長を見守ってきた僕だけれど。けれど。
「……まりえちゃんがもっとちっちゃい時に一緒にくれば良かった」
「え?」
「いや、小さい時のまりえちゃんが見てみたかったよ。ここで夏を過ごしていたまりえちゃんを。朝、ラジオ体操をするまりえちゃんとか、虫取り網を持って走り回るまりえちゃんとか、湖におてんばがすぎて落ちるまりえちゃんとか、アイスを食べ過ぎて、お腹をこわすまりえちゃんとか」
「失礼ね、私、そんな……」
「そんな子供じゃなかったと、言えるかい?」
「……もう!」
 そんな風なからかいとは別に、僕は幼いまりえを見ておきたかった。僕の目の前にいるまりえの成長を、僕なりに見守ってきた。けれども少女の頃をほとんど知らない僕の目には、時々まりえが姪でも家族でもなんでもなく、1人の女性として映ってしまうことがあるのだ。それはあるがままの事実で、決して間違っていることではないけれど。ただ僕はそれに時々戸惑うから、だから幼いころのまりえを見て起きたかった。この女性は僕の姪で、なくなった兄の忘れ形見で、僕の唯一の家族である事を、目の前の光景にかき消されないだけの、確かな証拠が欲しかったのだ。
 けれども、そんなものが無くても僕達は家族だ。まぎれもない家族だ。
 そんな感傷が、あるいは弱気が浮かぶのはこの暑さのせいかもしれない。だから、別に何も心配することはない。
「まりえちゃん」
 少し先を行っていたまりえが振り返る。そして
「おじさま」
 まりえが笑った。その笑顔を大事にしたい、その笑顔を守りたい。
 僕が心配することは、ただそれだけでいいのだから。