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 派手な音と共に、店の片隅で酔っ払いが大きな音を立てて酔いつぶれていた。酒場には良くある風景と、皆ちらりと目をやって、そしてまた自分達の中に興味を戻す。ただ、その向けられた目線の中に、「何だ、戦士か」という蔑みがあったのを、メレルカは冷静に見ていた。やれやれ、ひとりで静かに飲もうと思ったらこの有様か。まさかそれを無視するわけにもいかず、酔いつぶれた男に声をかけた。
「おい、ケペル?」
「お客さん、お連れさんですか?」
「ああ、すまないな。迷惑かけて」
 酔いつぶれたケペルを引きずるように、店の奥へと場所を変える。
「……メレルカ?」
「今頃気付くな、ほら、しっかりしろ」
 ケペルを座らせる。その腰にはしっかりと剣が下げられていた。
「お前、ここで何しているんだ?」
「お前が言うな、ほら、こんな物騒なものさげているんじゃない」
 メレルカがケペルの腰に下げられている剣を取ろうとした。先ほどの衆人の蔑みが向っていた先。戦士の象徴、戦いの象徴。
 ケペルは不機嫌そうな顔をして、メレルカを押し払った。
「何だよ、お前。そういうお前は何で下げてないんだよ」
「いいから、ほら、お前目立つんだから」
「じゃあお前はなんで下げていないんだよ、俺たちの……」
 執拗に絡むケペルに、メレルカはケペルに水の入った器を差し出す。ケペルはそれを一気に飲み干すと。
「どうしてお前は剣を下げていない?俺たちは、戦士だ、俺もお前も戦士だ。その証じゃないのか!」
 はっきりした口跡に酔いはもうみられない。……いっそ酔っぱらってくれていたほうがまだ楽だったかもしれない。
「それが……『平和』だからだ」
 メレルカは答えた。それが、彼にとって答えになっていない事を知っていながら。
 ケペルは、苦々しく顔をしかめた。そして再び傍らの酒瓶を取って自分で注いで、飲んだ。メレルカもそれに倣った。
「……なぁ、メレルカ」
「なんだ?」
「これは、正しかったのか?『平和』って何なんだ?」
「今が『平和』だ、これが『平和』だ」
 そう答えるメレルカにとっても、それは答えになっていない。
「……何故だ」
「何が」
「どうして『平和』になったんだ?何が『平和』なんだ?『平和』になって何が変わった?俺たちは戦う場所を失った、戦うべき目的を失った」
「そうだな」
「確かに戦いは無くなって、人々は幸せそうに暮らしている。それじゃあ俺たちはどうすればいいんだ?俺にはわからない、あいつが、何故あんな事を言ったのか、あいつも同じじゃないのか?戦う場所を失って、戦うべき目的を失って、あいつも……」
 ほとばしるように言葉が出てくるのは、それがケペルの中でずっとうずくまっていた言葉だからだ。それをメレルカはただ聞いていた。
「そうだな、俺たちは何もかも失ったのかもな。戦う場所も、戦うべき目的も、人々は平和を謳歌して、戦いがあったことすら忘れて、戦いがあったことを憎んで、そして俺たちはいずれ憎まれて、そして忘れられる」
 よどみなく言葉が出てくるのは、それがメレルカの中でずっと澱のように留まっていた言葉だからだ。それをケペルは少し驚いた顔をして聞いていた。でも何も言わなかった。
「俺にはわからない、あいつが何を考えているのか」
 同じ言葉を繰り返して、ケペルは苦しそうにまた酒を煽った。もう酔えはしないだろうに。
「わからないんだ、今まではわかっているつもりだった。あいつと共に戦って、あいつと共に苦しんで、あいつと共に喜んできた、それなのに……」
「それなのに?」
 急に問い返された。
「それなのに、『あいつは俺たちとは違ってしまった』『あいつはもう俺たちとは違う』『あいつは間違っている』『あいつは俺たちを裏切った』……か?」
「メレルカ!」
 思わずケペルは立ち上がった。メレルカは、動じない。
「図星か?安心しろ、お前を責めるつもりはないさ。俺だって思っている事だからな」
「メレルカ、お前」
「今更取り繕っても仕方ないだろう?俺もお前も、あいつを疑っている」
「メレルカ……」
 立ち上がっては見たものの、ケペルには何も言えなかった。それはメレルカの言うとおり、「俺も」「お前も」の言葉だったからだ。ケペルがずっと避けて通っていた言葉。けれどもそう言い放つメレルカに、冷静さよりも非情さよりも、何故か自分と同じものを感じているのは何故だろうか。
「そして世の中は、『平和』を受け入れられない俺たちを受け入れてくれない……どうだ?」
 メレルカは、最後に軽く肩をすくめて笑った。それまでの真摯な表情をかき消すように。
「俺は正直わからない、わからないから正直に言った、それだけだ」
「メレルカ……」
「俺には、わからないだけだ」
 ケペルが「何故だ」と問いつづけたことを、メレルカは「わからない」と言い続けている。どちらも答えにはなっていない。けれども。
 急にケペルが小さく笑った。
「何だよ」
「いや、お前は何でもわかっているのかと思っていたから」
「馬鹿言え、俺もお前も変わらないさ」
「……お前も、『平和』がわからない」
「ああ」
「お前も、あいつを疑っている」
「ああ」
「お前も、あいつを……『信じたいと思っている』」
 メレルカは、はっと顔をあげた。そうだ、あいつを信じたいと思っているから、あいつを信じているから、俺たちは、いまこうしてやり場のない思いに囚われているのだ。
 これまで共に戦ってきた、共に苦しんで、共に喜んできた。それは疑うべきもない事実だ。
 メレルカはケペルの肩に手を置いた。
「お前も……、俺も」
 ケペルが頷く。肩に乗せられたメレルカの手が、いつになく熱いと思った。ずっと信じていた。俺もお前も信じていた。戦場ではいつだってそう思っていたのに、平和になると言葉にしないと忘れてしまうものなのだろうか。
 メレルカが、急にその手を外した。少し気恥ずかしいと思ったのか、酒に口をつけた。ケペルもそれに倣う。そしてふと
「……あいつも、一緒だろうか」
「聞いてみたらどうだ?」
「え?」
「ラダメスに、聞いてみたらどうだ?」
「……そうか」
「ああ」
「わからないなら、聞いてみればいいのか」
「ああ、そうだ」
「気付かなかったよ、そうだ、そうすればいいんだ」
「……俺も気付かなかったよ、今、言うまでは」
 自分で言った言葉に驚いた、という顔のメレルカに、ケペルが目を細めて笑った。
「お前……やっぱりわかっていないんだな」
「言っているじゃないか、わからないと」
 からかわれて、少しだけむっとした顔をするメレルカ。けれども「わからない」自分、それが苦痛であった自分。今、ケペルの前でただそれだけの事実を言える事が、少し不思議で、少し納得したような気分だった。
「よし、俺今からラダメスに……」
 今にも立ち上がろうとするケペルをメレルカが押さえた。
「まあ落ち着け。今夜はもう遅い。とりあえず飲もうお前のおごりで」
「ああ、って今お前なんて言った?」
「気にするな、これが『平和』だ」
「いや、俺は」
「これが世の流れだ」
 真顔で言って、そして笑った。メレルカがケペルの杯に酒を注ぎ、ケペルもそれに倣い、乾杯をする。
 ふと。こんな風に二人で杯を交わせるのも、また『平和』であるのかもしれない、とケペルは思った。メレルカも思った。けれどもそれが、彼らの『平和』では無いことは、彼らの答えではないことは、ケペルにもメレルカにもそれだけはわかっていた。


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 メレケペ(真顔)。
 「そうとも時代は変わった」の前にはこんなやりとりがあったのではないかと思ったのです。……(むっさん観劇しながら同時上映しちゃったらしいよ?)。


(2005.02.21)
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