獣(尾崎清羅)


 いつの頃からか俺の中に獣が生まれた。
 それは獰猛で醜くて。俺はそれから目を背けた。だけどそれが俺の中にいることは紛れもない事実。
 お前は何だ。どうしてお前は俺の中に生まれてしまったのだ。
 俺はお前など知らない、お前など知らない。
 だけど、それが俺自身であることは紛れも無い事実。


 初めて椿の頬の傷に触れた時、俺の腕の中で椿は殊更に抵抗した。俺から逃れようとする椿を抱きしめた。力を込めて抱きしめた。その傷にそっと舌を這わす。椿の涙の味がした。暗闇の中俺は椿をみつめた。怯えた椿の目を俺はじっとみつめてやった。その時何を言ったのかは自分でも覚えていない、いや、何も言わなかったのかもしれない。やがて椿の目が俺をみつめた。俺の手を取り、自らの傷に触れさせた。俺は何度も何度もそれをなぞった。椿が身体を震わせる。それは嫌悪ではなく、快楽であるが故。
 いとおしい。
 憧れでも忠誠でも献身でもなく、ただ、いとおしいという存在。


 だけど。
 俺の中の獣が吠える。
 俺はそれを抑える事ができない。その獣が吠えれば吠えるほど、俺の中に椿への疑いが生まれる。お前はまだ小次郎の事を忘れてはいないのではないか。
 俺の中の獣が暴れる。
 俺はそれを抑える事ができない。その獣が暴れれば暴れるほど、俺の中に椿への憎しみが生まれる。お前はまだ小次郎の事を想っているのではないか。
 何度も何度も椿を抱きながら、俺は何度も何度もその獣を殺そうとしたのだ。だけどその獣は俺には殺せない。わかっている、それは俺自身だからだ。俺は何度も椿を抱いた。疑いをぶつけるように憎しみをぶつけるように、そしてそんな自分に許しを乞うように。椿の傷に指を這わす舌を這わす。これは俺にだけできることだ、俺にしか許されないことだ。それでも尚、俺は疑いと憎しみを捨てられない。俺の中の獣が狂う。俺の中の獣は更に高く叫ぶのだ。狂おしいほどに暴れだすのだ。俺はそれを黙って見ているしかできない。


 あの男がつけた椿の頬の傷を唇でなぞりながら思った。
 この傷に触れているのは俺なのに、お前はこの傷をつけた男を想うのか。
 ならば俺がお前に傷をつければ、お前は俺を想うのか。
 この傷より深い傷を、お前につければお前は俺を想うのか。
 できることなら、お前の身体中にこの傷をつけたい。
 優しく這わす舌の代わりに、刃をつき立てお前に傷をつけたい。
 あの男がつけた傷よりも深く。
 お前のなかに俺を深く、深く深く刻みつけるために。


 なんと醜い獣なのだろう。俺はその獣を憎んだ、お前がいるから俺は狂うのだ、乱れるのだ。憎い、けれど何故かいとおしくもある。椿をいとおしくも憎むのと同じように。
 俺の中に生まれた獣。
 ならば俺の中で死んでゆくがいい。
 俺と共に死んでゆくがいい。


 俺の刃が椿を貫いた。
 俺の刃が獣を貫いた。
 椿も死んだ、俺も死んだ、そして獣もようやく死んだ。




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自ら獣である事を知りながら、その運命から逃げようとした男、小次郎。
自ら獣である事を知っていたが故に、強さを手に入れていた男、武蔵。
そして自らの中に生まれた獣に狂わされた男、清羅。

っていうのはどうですかね?(聞くな)(つうか尾崎清羅はそんなに比重の高い役じゃないから)(ズバー)。
小次郎と対峙した時には既に自ら死を覚悟していたんではないかなぁという解釈です。自らの中の獣を己と一緒に葬る為に。夢見すぎですかそうですか(うなだれ)。