◇5
その瞬間、何も見えなくなった、何も聞こえなくなった。
見えているのに、見えない。聞こえているのに、聞こえない。
ラダメス、お前もこんな孤独を感じていたのか?この広い戦場で、お前が感じていたのはこれだったのか?
その時、視界を真っ赤な鮮血が覆う。自分の血だった――――。
死にぞこないの自分を、執拗に追いかけてくる敵。もはや自分がどこにいるのかもわからなくなっていた。馬鹿な、もう放っておいても死にゆくのだから、何故俺を追う?……いや、ならば何故自分は逃げているのだ、そう思うのなら、そのまま相手の刃の下に身を投げればいい。それでもメレルカは逃げていた。逃げて、追われて、また逃げる。
不意に足元を取られて膝が砂についた。相手の気配をすぐ後ろに感じていた。メレルカは、ぐっと足に力を入れると、再び逃げ出そうとする代わりに、振り返り、敵に相対した。どうせ死ぬのなら、せめて相手に一矢報いたい。いや、そんな大層なものではない。逃げることを諦めた。どちらかが倒れなければこの「おいかけっこ」は終わらない。ならば一刻も早く、この苦しみから逃れたい。メレルカは諦めたのだ、放棄したのだ。
けれども、頭上高く敵が剣をかざした時、とっさにメレルカは砂を握り締め相手に目潰しとばかりに投げかけた。卑怯な手とは思わなかった。いや、それよりもそんな行動に出た自分に驚いた。相手がひるんだ隙に身体を交わして、体勢を立て直し腰の剣を取ろうとした。しかしそこに剣は無かった。戦いの狭間で失ったのか、そこには鞘があるだけだった。
もはや成す術もない。
「死ぬとは何か」、そんな事は初陣の時から知っている。知っているから、戦ってこれたのだ。知っていればこそ、死を畏れずに戦ってこれたのだ。その死が自分の背後にぴったりと張り付いている。
「死」を畏れてはいない。
なのに何故、自分は今こうして足掻いているのだろう。
メレルカはがむしゃらに、腰の鞘を外すと相手に投げつけた。メレルカは再び逃げ出そうとしたが、この状況で相手に背を向けることもできず、また実際にそんな力は残っていなかった。
「死」を畏れてはいない。
けれども、生きたいと思った、そんな可能性はどこにも残っていないのに、メレルカは生きたいと思った。
敵は今度こそとばかりに、剣を振り上げて、まっすぐにメレルカに突き落とす。
それでも、生きたいと思った。
生きて、生きてもう一度……。
飽くなき生への衝動はどこから生まれるのか。死を目の前にしてまだ生まれてくるものがあるのか。
「メレルカ!」
目の前の敵が急に姿を消し、代わりに友の姿があった。
「……ケペル」
「孤独」ではないのだから。
生きたい。メレルカはもう一度思った。
再び戦いを始めたエジプト。やはり歴史は繰り返されるのか。
膠着状態から、勝敗がつく前に双方が疲弊して終わった今回の戦い。ケペルは自力では歩けないメレルカをずっと肩に担ぎ、祖国への長い道のりを歩んでいた。
傷の深さというよりは、傷の進行が早い。メレルカは再び死が背中に張り付くのを感じた。
「……ケペル」
メレルカは、言葉を振り絞った。
「何だ?」
「……俺を、置いていけ」
「馬鹿言うな」
「いいから、俺は後からゆくから」
「嘘をつけ」
「このままじゃ、お前までも道連れだ」
現に、ケペルも負傷していた。
「馬鹿言うな」
ケペルがもう一度言った。
「お前まで、死なせてたまるか」
はっとしたように、メレルカは顔をあげようとしたが、その力は無かった。
お前もか、お前もずっと自分を責めてきたのか。「死なせたのは俺だ」と……。
『平和』とは何なのか、それはあいつを死なせない事だと思った。もう二度と、ラダメスを死なせない事だと思った。それがメレルカの答え。そしてケペルの想いでもあった。
けれども再び戦場に出て、またメレルカはわからなくなっていた。『平和』とは何だ?あいつが命を賭して願った『平和』はいとも簡単に崩れたではないか。
けれども。
メレルカは答える代わりに、ぐっとその足に力を入れた。
生きたいと思ったのだ。生きて、生きて……。
ケペルがメレルカの身体を力強く担ぎなおした。そしてまた歩き続けた。ケペルの剣だけが、その歩みに合わせてカタカタと金属音を鳴らしていた。その音を聞きながら、ただ歩き続けた。
華やかな凱旋ではない。けれども人々は、息子を、夫を、恋人を迎えるために、いやその生死を確かめる為に、街道の入り口にひっそりと姿を見せていた。
不意に、ケペルが足を止めた。しばらくそこに立ち尽くす、何だ?とゆっくりと顔をあげると、そこにイトネーンがいた。いつものようにきらびやかな女官の装いではなくそこにいた。
メレルカと目が合うと、イトネーンは駆け寄り、ケペルが静止するのにも構わず、ケペルの代わりにメレルカを支えようとした。当然、イトネーンの身体ではメレルカを支えきれずに、2人は、向かい合う形で膝をつく。
イトネーンの肩に手を着き、イトネーンに身体を預けるような形になりつつも、メレルカは顔を上げることができなかった。いや、顔を見せることが出来なかった。
「……メレルカ様」
イトネーンが呼びかける。
「メレルカ様」
何度も何度も呼びかける、そしてメレルカの言葉を待っていた。
「メレルカ様」
メレルカの言葉を待っていた。
「イトネーン殿、私は」
ようやく言葉が出た。その瞬間言葉があふれ出た。顔はうつむいたままで、言葉だけが溢れだした。
「私は『平和』がなんであるのか、まだ答えが見つかっていません。いえ、見つけたと思ったのです。けれどもまた見失いました、私にはまだ見つかっていないのです」
メレルカは続けた。
「けれども、生きたいと思いました。……生き続けたいと思いました。生きて、生きていきたいと……」
「死ぬとは何か」わかっている自分には、そんな言葉は許されないと思っていた。死を賭して戦う者に、そんな言葉は許されないと思っていた。けれども、メレルカの中に残ったのはただそれだけだった。生きてもう一度イトネーンに逢いたかった。あの孤独の中ですら、生きたいと思ったのだ。生きたい、生きていきたい……ただ、それだけの渇望。
知らず知らずに涙が溢れてきた。言葉はもう溢れてはこなかった。もう、それだけでしかないのだから。
「……それが、メレルカ様の『平和』へのお答えなのでしょう」
イトネーンが言った。その声が震えていた。驚いて、メレルカは顔を上げた。
イトネーンの指がメレルカの頬に触れた。
「そして貴方様が、わたくしの『平和』への答えです。答えだったのです」
それだけなのだと、ただ、それだけなのだと。イトネーンは繰り返した。泣いているメレルカに、イトネーンが微笑みかけた。その目から、涙が溢れていた。その唇が、生還を喜ぶ言葉を綴ろうとしていたが、もはや言葉にならなかった。
メレルカは、力を込めてイトネーンを抱きしめた。イトネーンもメレルカをしっかりと抱きとめた。互いに伝わる鼓動、暖かな呼吸、柔らかな肌。ただそれだけを分かち合いながら、いつまでもそうしていた。
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俺的王家完結編。結局メレイト祭かよ!と言われそうですが(笑)、まあ所詮は「俺的(妄想)」ですから。
以下言い訳総括。
思いもかけずに拡張していった「俺的王家に捧ぐ歌@中日」。発端は「メレイトをやりたい(真顔)」だったんですが、裏で密かにこっそり抱いてた私の野望がありました。
「大真みらんさんを誰彼はばかる事無くカッコよく書きたい」
これです(いやそんな太字にしなくても)。
いや、普段ネタ視点でイジっている事が多くて、またこの辺りでもネタとしてしか見られていない大真みらんさんをピュアメイト視点でとことんカッコよく書けるなんて中日公演直後の今しかない!今ならやっても見逃される!大真みらんさんが実はカッコいいと認識された(はずの)今なら!(むっさん必 死 だ な )(笑)。
って言う割には無駄にだらだら続いてしまったのですが(うなだれ)。そんな感じにわたくしの中の過剰なドリー夢大放出(笑)。でも私的には超楽しかったです。いや、やっぱり超恥ずかしいです(脱兎)。
相変わらずの重い内容ですみません。でも私の中ではエチオピアサイドで書いた「光スト」(@ちゃらさんち)に続いて、エジプトサイドでこうやって書けたので、なんとなく達成感があります(どんなんだ)(超自己満足)。
何はともあれ、お付き合いありがとうございました(多謝)。
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