カワイイ


 明らかに常軌を逸している。
 今日こそは今日こそは、ちゃんと言おう。
「涼さん!」
「な、なんですか?」
 気合が入ったから、思わず大きな声になってしまった。涼さんがびっくりしていた。ううん、それにひるんじゃいけない。
「あ、あのですね」
「ヤツカ」
 涼さんがテーブルの上に置かれた私の手を握ってくる。
「何か?」
 優しく微笑みかける。ああ、もう、そんな風に笑うのはホントいつもずるい。そして私はなんだか照れてしまう。涼さんが、じっと私をみつめる。一気に顔だけ体温があがる感じだ。
「ヤツカ、カワイイ」
 ああ!また!まただ!
「あの!わたしの事カワイイって言わないでください!」


 涼さんと付き合い始めてから、多分わたしはその言葉を一番聞いている。どうして、こう、この人は、そういう事をさらっと言ってしまうのだろう。わたしはその度にぼんっと何かが爆発するような気持ちになる。何度聞いても慣れない、抗議をしても「だって、カワイイから」と一言で片付けられて。
 だけどその「カワイイ」の連呼は、やはり常軌を逸していると思うのだ。
 だってわたしもう23ですよ?カワイイも何もないじゃないですか?
 それに自分が人並みなのは、それこそ23年間生きてきて一番わかっている事だ。
 そして今までわたしにそんな事を言ってくれた人などいないのだ。
 だからわたしは今日こそ涼さんに言おうと思ったのだ。それがどれだけわたしを戸惑わせるのか、それを言われるたびに、わたしの鼓動は早くなって、体温が上がって、そうまるで病気みたいだ。
「どうして?カワイイのに」
「かわいくないです!」
「それはヤツカの視点でしょう?僕から見ればヤツカはほんとカワイイんですよ?」
「だ、だって」
「自分の視点を他人に押し付けるのは、ナンセンスですね」
「で、でも」
「本当のことを言って、何が悪いんですか?」
 ……ダメだ。言葉で勝てる相手じゃない。改めて涼さんって切れる人だなぁと妙に感心……している場合じゃない。
「……でも、わたしには苦痛です」
 やっと搾り出した反論は、自分でも思いもかけず重い言葉だった。涼さんも、ちょっとたじろいだ。
「苦痛……ですか」
「いや、苦痛というか」
「僕がそんなにヤツカを苦しめているんですか?」
「い、いや、そこまでは」
「僕はヤツカを守りたいと思いこそすれ、ヤツカを傷つけるような事は絶対しませんよ?そんな僕がヤツカを苦しめているなんて」
 だんだん話が大きくなってきた。
 目の前の涼さんは、その眉間をわずかに寄せて真剣に考え込んでいる。きゅっと寄った眉根がちょっとカッコいいなぁと思って、いる場合じゃない。
「ヤツカ……僕はヤツカを愛しています」
 その真面目な顔のまま、まじまじと言われてしまった。わたしは、こういう涼さんにも弱い、というかわたしは涼さんに弱いのだ。甘えた顔をされたり、真面目な顔をされたり、哀しそうな顔をされたり……涼さんには逆らえなくなってしまうのだ。
「ヤツカ……」
 涼さんがちょっと身体を乗り出して、わたしにすっと口付ける。小さな音がしそうな、キス。誰も気付かないように自然に。だけど涼さん、ここは普通の喫茶店なんですよ?
 どんどん涼さんのペースに巻き込まれる。
 涼さんがため息をついた。
「カワイイって言っちゃダメなんですか?」
「だ、ダメっていうか、ただあんまり言わないで」
「あんまりって、どれぐらいですか?」
「どれぐらいって」
「何回ぐらいなら、言っていいんですか?」
「何回って……」
 畳み掛けるように質問される。聞かれても、答えられないことばかりだ。だけどその哀しそうな顔の陰で、涼さんの目がいらずらっぽく光ったのを見てしまった。そう、これは涼さんのいつもの作戦だ。そうやって下手に出て、同情を誘って、結局自分の思い通りにしてしまう「確信犯」。はっと気付いて
「じゃあ一回!一日一回!」
 きっぱり言い切った。涼さんは、今度は本当にがっかりした顔になった。……言い過ぎたかもしれない。でもわたしがその言葉を聞くたびに、自分でもどうしようもないぐらい慌てたり、呼吸が苦しくなったりするのは確かだから。


 涼さんは一日一回の「カワイイ」をちゃんと守ってくれた。
 時々言いそうになって、あっと言う顔するのはちょっとかわいい。うっかり言ってしまってから、残念そうに「もうちょっと違う時に言いたかったのに」とがっかりするのもかわいかった。いやだ、わたしの方が今度は涼さんに「かわいい」を連呼している。もちろん、口には出して言わないけれど。
 ある日、涼さんがうちに泊まったとき、突然夜中に「カワイイ、カワイイ」と言われた。何事?と思ったら「今日はどうしても二回続けて言いたかったんです」と。時計12時をちょっと過ぎたところ。ああ、そうか昨日の分の「カワイイ」と今日の分の「カワイイ」なんですね。
 なんだか、いじらしくなってきてしまった。
 だけど涼さんは、涼さんでやっぱり「切れる」人だから、今度はその一日一回の「カワイイ」をいかに効果的に言うかに勝負をかけてきた。
 都心の夜景を見下ろしながら、そっと耳元で囁く「カワイイ」。ちなみに自家用ヘリでのナイトクルージング中だ。
 夜の東京湾、潮風に冷えた身体を温めるように後ろから抱きしめて「カワイイ」。当然今乗っている船は貸切で。
 わたしの首に、凄い重いダイヤのネックレスをかけながら「カワイイ」。涼さんに連れられて某宝石店に来たけれど、それを買ってもらうのには丁重にお断りした。
 なんだか「カワイイ」の単価がどんどんあがっていく。すごい重い。
 そして。
「ヤツカ、カワイイ」
 ちょっと待ってください!今、何見て言っているんですか!っていうか何しながら言っているんですか!何がカワイイって言うんですか!
 わたしは涼さんの腕の中で、身悶えた。どこかに隠れたいくらい恥ずかしかったけれど、どこにも隠れる場所も、何もわたしを隠すものもないのだ。
 甘く濃厚な「カワイイ」。
 一日一回だけれど、成人男子の一週間分のカロリーはあるんじゃないかと、本気で思った。


「……もう、もういいです」
「はい?」
「普通にしてください、普通に」
「何が?」
「そんなにゴージャスに『カワイイ』って言わないで下さい」
「だって、ヤツカが」
「だからもういいです……一日一回じゃなくても」
「いいんですか?」
 涼さんの顔がぱっと明るくなった。驚くぐらい素直にぱっと明るくなった。
 ああ、そうか。
 わたしが涼さんに「カワイイ」って言われるのがちょっと苦痛だったように、涼さんにとって「カワイイ」って言うのを我慢するのもまた苦痛だったんだ。
 だったら、わたしが苦痛を味わうほうがいい。いや、本当は認めたくないのだけれど、涼さんに「カワイイ」って言われるのは、嬉しいのだ。どうしても慣れないから、ドキドキしたり、苦しくなったり、慌てたりするけれど、本当は……すごく嬉しい。
 そのうち、涼さんに「カワイイ」って言われる事にも慣れるかもしれない。
「ヤツカ、カワイイ」
 涼さんがわたしをぎゅっと抱きしめ、ほんとに嬉しそうに言った。やっぱりダメ、心臓がドカンと音を立てるのが聞こえた。
 わたしはいつまでも慣れないかもしれない。
 でもそれはそれでいいかもしれない。
 わたしはいつまで涼さんに「カワイイ」って言ってもらえるだろうか。
 ずっと涼さんに「カワイイ」って言ってもらえるわたしでいられるだろうか。
「なんだか馬鹿のひとつ覚えみたいですね」
 いや、自分で言わなくても。
「でも、他に言葉が思いつかないんです。きっとね、僕はヤツカがおばあちゃんになっても、きっとカワイイって言いますよ」
「おばあちゃん?」
「怒りました?」
 わたしは首をふった。だってもし本当にそうだったら素敵だと思ったんだもの。
 そしてそんな歳になっても、涼さんにとって「カワイイ」わたしでいられたら。わたしがおばあちゃんになっても一緒でいられたら
「ヤツカ?」
 なんとなく、嬉しいような、切ないような。わたしは涼さんにぎゅっと抱きついた。
「もう一回、言ってください」
「……カワイイ、大好き」
 後ろの言葉はこころの準備ができていなかったから、わたしは耳まで真っ赤になった。涼さんはその耳に軽く唇で触れた。そして聞こえるか聞こえないかの声で、もう一度、その言葉を繰り返してくれた。




 おまけと言いつつ、明らかに己の欲望のままに漏らしてます(笑)。
 イキナリ毛色が変わってすみません(慌)。いや、ちょっと軽めの甘いのが書きたかったんで。どっちかと言うと、事業部視点のすずやつ(注1)なのかもしれません。小郷さんにもらったトップ絵に触発されたんだと思ってください(イイ笑顔)。
 こういう無責任なベタ甘なのは大好きです。いいんだよ、植物だって動物だって「カワイイ」って愛情むけて育てると発育が良くなるって言うじゃん、きっとヤツカも発育が良くなるよ!(どこの?)(笑)

注1.事業部視点のすずやつとは、小郷さんと「ヤツカを幸せにしてやりたい」という共同声明の元、「ももか主任の後輩のヤツカ、もうすぐ寿退社、お相手は取引先の涼さん」という設定で、事業部ベースで盛り上がれというシロモノです。でもこの話をしているとなぜかみらもも話になってしまうのは、二人ともみらももが大好きだからです。でも設定変えてでもまだイジリたいぐらいすずやつも大好きです。

 さらにここまでも(笑)おつきあいいただきましてありがとうございました。


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