| happiness 1 |
物心ついた頃から、世の中にはお金で手に入るものがたくさんあること。そして自分にはそのお金がたくさんあることに気づいた。少しして、世の中にはお金で手に入らないものもあることを知った。 ある日、僕の父はこう言った。 お前は恵まれたことに、たいていの欲しいものは手に入れることができるだろう。お前自身の意思とは関係なく。だけど、そういう立場の人間は必ず、本当に欲しいものだけは手に入れることが出来ないものだ。それが、お前が生まれてきた立場と言うものだ、と。 幼心によく覚えている。その意味を僕が理解するのは、もうすこし大人になってからだった。生まれて初めて本当に欲しいと思ったものは、父の言葉通り、手に入れることは出来なかった。その次に本当に欲しいと思ったものも、その次も同じだった。やがて僕は、本当に欲しいものを欲しがらないようになっていった。そうすれば、自分も傷つかない、人も傷つけない。そして世の中のたいていのことは二番目に欲しかったもので、それなりに動いていくものなのだから。 だけど、そんな僕が最後にどうしても本当に欲しいと思ったもの、それがヤツカだった。 たまたま行った演奏会で、知人に紹介されたヤツカを、今でもはっきりと覚えている。 白いワンピース、春先にはまだ早い襟ぐりから、きれいな鎖骨が見えた。 目の前の彼女が急にそわそわしだして、しきりに自分の姿を確認していた。その挙動が、なんだか妙に愛らしくて、僕は笑いそうになった。いや、それはすぐにおさまったけれど。公の場では過剰な笑顔は不要だから。ましてや相手は女性なのだし。 そんな僕にヤツカがはにかみながら、笑った。 欲しい。 急にそんな欲求が沸いてきた。 家路についてからも、どういうわけだか彼女の事が頭から離れなかった。もう一度会いたいと思った。わからない、そもそもそういう欲求が自分にあるのが、信じられない。これはもしかしたら「恋」なのだろうか。確信は無かった。もう一度会いたいという気持ちだけが先走る。 自分の欲求のまま行動するのはタブーだった。行動には動機と結果、そして利害の有無を伴わなくてはならない。不用意な行動は、いつどこで何に繋がるかわからないからだ。僕はいつものように考えて、彼女に会いたいと思うことは、僕と、彼女以外には何も及ぼすものはないと判断した。いや、たとえどんな状況であったとしても、僕はどうにか理由をつけて、彼女に会いに行っただろう。 そして彼女と再会した時に、僕ははっきりとわかった。 僕は彼女が本当に欲しい。 いつもはあきらめられる本当に欲しいもの、だけど彼女だけはどうしても欲しかった。 子供のようだけれども、それが僕の「恋」の始まりだった。 多分、ヤツカは相当困惑していたのだと思う。 それは今まで僕と関わってきた人間なら、男女問わず当然見せる反応だった。だけど僕は構わなかった。多少強引だったかもしれない。 別れる時に僕はいつも「次はいつ会ってもらえますか?」と、次の約束をとりつけることを忘れなかった。焦ることはしなかった。ただ彼女と繋がっている「約束」という糸だけを、慎重に握りしめて。 嬉しかったのは、ヤツカは僕の出自や背景に驚き、引くことはしても、僕自身に対しては引いてはいなかったことだ。それどころか、少しずつ彼女の方からも歩み寄ってきてくれて。ヤツカが手の届くところまで来たと思った時、僕はようやく彼女に僕の想いを伝えた。拒絶されない自信はあった。自信がなければそんな行動にはでない。だけどそんな自信に裏づけされた僕であったはずなのに、心臓は早鐘のように鳴っていた。ゆるぎない確信を持ちながら、怖くて仕方なかった。 ヤツカの前では常に、自分ではないような自分と対面しているようだった。 ヤツカと正式に付き合うようになって最初のデート、僕はヤツカを自宅に招待した。やはりヤツカに僕の事を知っておいてもらいたかったからだ。もちろん、それまでも僕はありのままの僕を彼女に見せているつもりだった。だけど自分という人間と、世間の感覚は違うのだという事もちゃんとわかっていたから。僕が意図していることは、本当にヤツカにその通りに伝わっているのだろうか、と常にそんな疑問に苛まされて。 ヤツカはこれまで以上に困惑し、とまどい、引いて。あの日ヤツカは驚くばかりで、ろくろく僕と会話はしていなかったような気がする。そして僕はその隙間で漏らされた、ヤツカの小さなため息を何度か耳にしてしまった。 ……やはり、本当に欲しいものは手に入らないのだろうか。 帰り際に、僕はいつものように聞いた。 「次はいつ会ってもらえますか?」 ヤツカは驚いた顔をして言った。 「どうしてそんなこと、わざわざ聞くんですか?」 必要ないじゃないですか?だって、とヤツカは笑った。 僕は嬉しかった、そんなヤツカを思わず抱きしめた。ヤツカはやっぱり驚いていたけれど、決して拒みはしなかった。 僕の本当に欲しいもの、ヤツカ。 本当に欲しいものを得た喜びが僕の中にあって、だけどそれ以上のよろこびをヤツカが僕にくれた。 こういうのを「しあわせ」と言うのだろうか。 何故か僕はそんな「しあわせ」はいつまでも続くものだと思っていた。一度得たものが、失われることを考えもしなかった。 それからも度々ヤツカは困惑したり、とまどったり。僕自身はそれをハードルとは思っていなかったけれど、彼女にとって僕との「違い」は高い障害物だったようだった。だけどそんな困惑やとまどいを繰り返しながら、僕たちは少しずつ深まっていった。 彼女に触れるだけで、本当に触れるだけで僕は自分の中の欠けていたものが、全て埋まるような感覚すら覚えた。何が欠けていたのか、わからないままここまで生きてきた僕だけれど。 僕の、僕のヤツカ。 ヤツカと父が対面したのは、本当に偶然だった。 いつもの車で郊外へのドライブ。立ち寄ったレストランで食事を済ませ、車を出そうとしたときに、僕は見慣れたナンバーをみつけた。 父の車だった。向こうもすぐに僕に気づいて、僕は父にヤツカを紹介した。そしてヤツカに父を。 ヤツカは驚いて、慌てて挨拶をした。そのヤツカが下を向いた瞬間の、父の目を僕は今でもはっきり思い出せる。 瞬時に父の目は、ヤツカを値定めしていた。冷たい傲慢な眼差し。無遠慮で、暴力的ですらあると思った。傍で見ていた僕ですら怯えるほどの。そして瞬時にして父はヤツカを「取るに足らない階級の者」と判断したのが手にとるようにわかった。 僕はカッと頭に血が昇るのを感じた。 「これは可愛らしいお嬢さんだ、息子がお世話になっています」 父は冗談めかしてそうヤツカに話しかけた。緊張していたヤツカの顔がほっと緩む。けれど僕はそれが父の社交術だとわかっている。ヤツカを取るに足らないと判断したからこそ、無駄で何の足しにもならない笑顔を向けられるのだ。ヤツカはそれに気づいていない。 僕はその場を離れたかった。一刻も早く離れたかった。 一緒に食事でもと誘う父に、僕らはもう済みましたから、と足早に去ろうとする。 「では今度改めて」 それも社交辞令。今度なんてない。今度会うにも足らない、と、そう父の中では判断されているはずだ。 丁寧に挨拶を返すヤツカを無理矢理車に乗せて、まるで逃げるようにその場を後にした。 僕は堪らなく悔しかったのだ。 あの無遠慮で、暴力的な目。一瞬にして、ヤツカを丸裸にしたも同然の目。そんな目にヤツカを晒してしまった事が悔しい、ヤツカをあんな風に見られる事から、ヤツカを守れなかった自分が腹立たしい。 そして。 間違いなく僕はあの父の息子であるのだ。僕はあちら側の人間だ。僕もまた、あの冷たい傲慢な目で、誰かを見下したことがあるはずだ。 「すごい驚きました。大企業の社長さんだから、もっととっつきにく……あ、いえ、すみません」 ヤツカは少し興奮気味にそう言った。僕の父と出会えた事をとても喜んでいた。違う、ヤツカ。僕の父はそんな人ではない、ヤツカが気づいていないだけ……ヤツカは、気づいていないのだろうか?本当は気づいているのではないだろうか、あの侮蔑の眼差しで見られたことを……。 僕は闇雲にアクセルを踏んだ。あても無くハンドルを切る。 「涼さん?」 ヤツカに問い掛けられても返事をしなかった。できなかった。 「涼さん危ない!」 それからどれぐらい時間がたったのか。ヤツカの声に驚いてブレーキを踏むと、そこには行き止まりの看板、その先にはぽっかり暗い穴をあけたトンネルがあった。おそらく、道を誤ったのだろう。海岸沿いに開けた道ではなく、昔はつかわれていた切り通しのトンネルに繋がる道に出てしまったのだ。 「涼さん!大丈夫ですか!」 その心配をしなくてはならないのは、僕の方だ。見境無く車を走らせ、あまつさえヤツカを危険な目に合わせるところだった。心臓の鼓動が止まらない、額にじっとりと汗をかいていた。ヤツカが僕を心配そうに見つめているのがわかる。僕はその顔を見ることができない。ハンドルに額を当てるようにつっぷした。泣いている自分を見られたくなかった。情けない話だが、涙が止まらなかった。ヤツカを守れなかった自分が情けなくてしょうがなかった。父にヤツカを見下された事が悔しかった。そして自分もまたそういう人間であるのかもしれないという思いは……説明がつかない。 「涼さん」 ヤツカの声。心配そうな、だけど暖かな響きのする声に思わず顔を上げてヤツカを見た。 「涼さん」 それは僕の甘えだ。 だけど僕はその時のヤツカが、僕の全てを受け止めてくれようとしているように思えた。情けなさも悔しさも、僕の中にあるヤツカを傷つける全ての要因ですら、受け止めて、包んでくれるような気がした。 僕はヤツカに抱きついた、その胸に縋るように顔を埋めた。そして泣いた。ヤツカは子供をあやすように僕の背中を叩いてくれた。そう、まるで子供だ自分は。ヤツカは何も聞かなかったし、何も言わなかった。ただそこに暖かなヤツカがいるだけだった。 こんな僕は卑怯だ。ヤツカを守ることすらできない僕に、ヤツカにすがる資格はない。けれどもヤツカはそれすらも受け止めてくれている。 ようやく衝動が治まった僕が見上げると、ヤツカが柔らかな優しいまなざしで、僕をじっと見つめてくれていた。その目に魅せられるように見つめ返していたら、ヤツカがはっとしたように慌てて、そしていつものようにはにかみ、笑った。 「あ、ごめんなさい」 「……何が?」 「……いや、嬉しいなって思っちゃったんで」 「嬉しい?」 「あ、ごめんなさい……あの、怒られるかもしれないんですけれど」 ヤツカは言った。 「わたしにも、涼さんにしてあげられることがあるんだなぁと思ったら、嬉しくて」 ヤツカ。 ヤツカ、君は馬鹿だ。 僕がどれだけ多くのものを、ヤツカからもらっているか君はわかっていない。ヤツカがどれだけの事を僕にしてくれているのかわかっていない。それに比べたら、僕がヤツカにしていることも、あげているものも、ほんの微々たる物にしか過ぎないのに。 僕がどれだけヤツカにしあわせをもらっているのか。 たまらなくいとおしい。言葉にならないくらいいとおしかった。その想いを僕はどうにか伝えたくて、ヤツカを抱きしめた。そんな想いをそんな衝動にしか替えられない僕は、なんて陳腐な男だろうか。だけど、ヤツカは黙ってそれに応えてくれた。 数日後、重役会議でしばらくは会いたくないと思っていた父に会った。 重役会議、と言っても僕は次期社長の肩書きがあるだけの一般社員にすぎない。会議に参加はさせられても、発言は許されず、資料や機材の用意と言った雑用をさせられる。それもまた父流の帝王学だった。発言は求められずともその末席に位置し、未来を見据えるのが今の僕に求められている事だった。 「お前、あのお嬢さんと付き合っているのか?」 会議の後、資料の片づけをしている僕と、何故か退室していなかった父と二人きりになった。 いや、それを言うためにわざわざ忙しい時間を割いて残っていたのだ。僕も何か言われるだろうとは覚悟していた。そしてその言葉の裏に有無を言わせぬ力で、別れろと言っているのもすぐにわかった。父に取るに足らぬと判断されたヤツカは、後継者である僕にふさわしくない、と。 「はい」 僕は父の目を見てまっすぐに答えた。強い、意思を込めて。別れる気などありません、僕は彼女を愛していますと。 誰よりも強い力だと思った、誰よりも強い意志だと思っていた。 無言のまま僕たちは見つめ合っていた。父は表情を崩さず、むしろ無表情とも言える顔で僕を見て、僕は僕でそんな父の威圧感に負けないようにするのが精一杯だった。 先に折れたのは父だった。時間の無駄と思ったのだろう。黙って立ち上がると、僕の脇をすり抜けて会議室を後にした。 とたんに僕はその場に座り込んでしまった。体中の神経を張り詰めて、父に対峙していた。それ以上の言葉を、その続きの言葉を言わせないために張り詰めていた緊張が一気に解けた。 父に僕の想いが伝わったのかはわからない。 いや父にとっては僕の想いなどどうでも良いのだ。父の決めたことが、僕の行くべき道なのだから。 漠然と浮かぶ不安。本当に欲しいものは、やはり手に入らないのだろうか。 いつかは失われてしまうのだろうか。 「ヤツカ……」 今すぐ、君に会いたい、ヤツカ。 いつから僕はこんなに弱くなったのだろうか。 ヤツカの前では常に、自分ではないような自分と対面している。 いや、ヤツカの前にいるもうひとりの僕が、本当の僕なのかもしれない。 僕たちの時間と、僕たちの季節は瞬く間に過ぎてゆく。 僕はヤツカの部屋で過ごすのが好きだった。誰にも邪魔されない二人の時間。 僕たちは二人で随分色々なところへ行った。僕の知っている素敵な場所へヤツカを連れて行きたかったし、僕の知っている美味しいものをヤツカに食べさせたかった。何よりもヤツカを喜ばせたいと思っていた。だけど、そんな風に過ごした時間より、今こうして一緒にヤツカの部屋で、お茶を飲んでいるだけのひと時が、何にも替えがたいものだと思う。 何でもないのに、何もしないのに、それをいとおしいと思えることはなんて贅沢なことなんだろうと知った。あたりまえの事がいとおしい。僕は本当にヤツカを欲しいと思った、そしてヤツカを手に入れたら、自分でも気づいていなかったたくさんの、本当に欲しかったものを手に入れた。それはこうした何気ない時間も、そうであったのかもしれない。 コタツで横になったまま、うとうとと眠りの入り口に差し掛かる。ヤツカがそっと僕に毛布をかけくれた。ふわっとした丁度良い重み、ヤツカが僕の顔を覗き込んでいるのが、目を閉じていても気配でわかったから、僕は突然目を開けて、そしてヤツカを引き寄せて口付けた。怒るヤツカを尻目に、僕はまた眠りの淵につらつらと落ちていく。 そんな時間が過ぎてゆく。けれども、甘く優しくたゆたうような時間に、時々襲われる不安。いつか失われるのではないかという不安。その度に僕は彼女の名前を呼んだ。そして彼女が僕の掌の中にあることを確認する。そしてきつく抱きしめる。ヤツカのぬくもりが僕の不安を溶かしていく。 海外勤務の話が決まったとき、僕は迷わずヤツカにプロポーズしようと思った。 不安がなかったといえば嘘になる。だけどそれは、僕自身を取り巻く環境から生まれる不安であったから、それに立ち向かうだけの覚悟もしていた。だけど、僕の覚悟は何の意味もなさなかった。 まさか。ヤツカに断られるとは思っていなかったのだ。 ヤツカを必死に説得しようとする自分をみっともないとは思わなかった。本当に欲しいものが失われるのをどうして黙って見ていられる?何より僕はわからなかった。何故ヤツカが僕を受け入れてくれないのか。どうして僕にこの指輪を嵌めさせてくれないのか。ヤツカは頑なに首を振りつづけた、僕は何度も「どうして?」と聞いて。 いや、本当はわかっていたのかもしれない。最初から、ヤツカに会ったときから。 今までの僕ならば、最初からそれはわかっていたはずだ。 だけどヤツカの前にいた僕は、それまでの自分じゃない僕は「本当に欲しいものが手に入る」と信じて疑わなかったのだ。 僕が感じていた不安は、端的に言ってしまえば、父や涼の家のしがらみとか、そういうものから生まれたのだと思っていた。そうではない、それは今までの僕が、最初から鳴らしていた警鐘から生まれた不安だったのだ。ヤツカに出会う前の僕が、二番目に欲しいもので満足していた僕が。 だけど、それでもなお、僕はヤツカが欲しかった。ヤツカの前にいた今までの自分じゃない僕、おそらくはヤツカの前にしかいなかった僕に、そんな警鐘は聞こえなかった。聞こえたとしても、きっと止まらなかった。僕はヤツカが本当に欲しかった。初めて知った本当に欲しいものを手に入れる喜び、いとおしいという感情。子供のような独占欲、大人の男の所有欲、そんな言葉では尽くせないぐらいに欲しかったのだ。 わかっていたのではなかったのか。 「見送りに来て下さい」 旅立ちのその日まで、僕は本当はまだあきらめてはいなかったのだ。どんな手を使ってでもヤツカを連れて行きたいと思っていたのだ。けれども 「ヤツカ」 空港に現れた泣き腫らした目のヤツカを見たとき、何故かふっと僕の中で終わったような気がした。わからない。けれどもヤツカを抱きしめたとき、親しい友人同士のような抱擁を交わしたとき、ヤツカの前にしかいなかった僕はもういなくなるのだと知った。 ヤツカの前にしかいなかった僕、ヤツカが僕の前からいなくなるのだから、その僕もいなくなるのだ。 驚くほど静かな気持ちだった。最後の最後で、僕はやっと理解したのかもしれない。 結局、本当に欲しいものは手に入らなかったのだろうか。 いや、僕は確かにヤツカを手に入れていた。その記憶、ぬくもり、痛み。五感すべてでヤツカを感じていたはずだ。本当に欲しかったヤツカが僕にくれたもの、そして残してくれたもの、それもまた「本当に欲しいもの」ではなかったのか。 それが確かなものとして、僕の中にある。 きっと僕は本当に欲しいものを手に入れることができたのだ。 ファーストクラスの座席で、僕は額を窓に押し付けるようにして眠ったふりをしていた。泣いている自分を見られないように。スチュワーデスが、気を利かせてそっとブランケットをかけてくれた。 再び地上に降りたとき、僕はきっと今までの僕に戻っている……いや、そうではない。きっと新しい僕がそこにいる。それはヤツカがくれたものだった。今までの僕、そしてヤツカの前にしかいなかった僕、そして新しい僕。 この涙は、そんな失われる「僕」への惜別の涙だ。 ヤツカ、 あれから随分経ちましたが、今のあなたはしあわせですか? しあわせでいてください、何故なら僕のしあわせは君のしあわせの上にあるからです。 そして、君のしあわせもまた、僕のしあわせの上にあるのだと。そう思うのは、そう感じるのは思い上がりでしょうか? いや、間違いないのだと、僕はそう確信しています。 そろそろ時間です、と声をかけられた。僕はソファーの肘掛に置いてあった白い手袋を手にした。 部屋を出る前に、姿見で真っ白な衣装をまとった自分を見る。悪くない。 そして僕は、僕と共に幸せを築いてくれる伴侶を出迎える為に、明るい日差しが差し込むチャペルに向かった。 |
後日談というか番外編。一度書こうと思っていた涼さんの視点です。 最後を書きたいが為に書きました。 もうひとつ、ありますので(えー?)。 戻る |