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| fireworks |
神社の石段を降りていたら、突然上がった花火の音に驚いて、足を滑らせそうになった。思わず涼さんの浴衣の襟をつかんで、抱きつくような形になってしまった。 涼さんはちゃんとわたしの身体を支えてくれて、石段を転げ落ちる事は無かったけれど、下駄が片方だけ脱げて十段ほど下の踊り場に、転がっていった。 涼さんはわたしを手すりに掴まらせて、からからと音をたてて下駄を拾ってきてくれた。 「ああ、これは駄目ですねぇ」 涼さんの指にぶら下がるわたしの下駄は、鼻緒が切れたばかりか、歯まで取れてしまっていた。涼さんはなんとかその歯を戻そうとしていたが、やはり無理そうだった。 涼さんはほら、と背中を向けてしゃがんだ。え?ええ? 「いや、だってそんなイイです。重いし」 「でも、そのままじゃ降りられないですよ?」 「いや、このままでも」 「そんな、怪我でもしたらどうするんですか?」 ……確かに、この場ではそうするしかないのだとはわかっているのだけれども。 辛抱強く背中を向けてしゃがんでもらっている事の方が申し訳なくなって、わたしは浴衣の裾を少しだけくつろげると、すみません、と涼さんの背中におぶさった。 涼さんはひょいと立ち上がると、何事も無かったように石段を降りはじめた。 「あ、あのすみません。重いですよね?」 「いいえ」 「すみません、本当に。暑いですよね?こんな」 「いいえ、気持ちいいですよ」 「き……」 な、何言っているんですか!……涼さんにしては、なんて質の悪い冗談。 背中にぴたりと押し付けていた自分の身体を慌てて離そうとする。 「暴れると落しますよ?」 ……落してくれた方がましかもしれない。 涼さんはくすくすと笑っている。わたしは恥ずかしさのあまり涼さんの肩に顔を埋めるようにしていた。 「あ、ほらヤツカ」 涼さんに言われて顔をあげると、まさに見事な大輪の花が夜空に咲いていた。 「うわ」 「綺麗ですね」 「……はい」 「そう言えば、去年の新ビル落成記念のパーティでも、あんな大きさの花火があがっていました」 「落成記念?」 「うちの本社ビルを建て替えたんです。そのお祝いで、東京湾沖で上げたんです。クルーズ船でのパーティで……」 ……壮大すぎる。話を変えよう。 「は、花火と言えば昼間の花火を思い出します」 「昼間の?」 「はい、昼間に遊ぶ花火です。パラシュートとか、ヘビ花火とか。あとロケット花火とか。あれを良く幼馴染の男の子と一緒に、近所の怖い犬のいる庭にわざと飛ばしたり」 「ロケット花火?」 「あれは結構目的の場所に飛ばすのは難しいんです、空き缶の位置と、ロケット花火の角度と……」 不意に、その幼馴染の男の子の事を思い出した。今はもう会うことのない、いつも泣いていた幼馴染を。 なんだか急に切なくなった。 「涼さんは?あの広いお庭で、ドラゴンとか、何十連発とか?」 話題を逸らすように涼さんに聞いてみた。 「僕は、そういう花火をしたことはないですね」 「え?」 「危ないからと言われて」 「あ」 時々、というか頻繁に涼さんはわたしと違う世界の人なのだと思い知らされる。 それは2人の間の埋めがたい距離として感じることもあるし、それに、いや、本当はそう思ってはいけないのだけれど、当たり前の普通の子供時代を送ってこなかった涼さんへの同情として、わたしを苛む。 「でも隣の家でやっているのを良く見ていました。あれは上から見ても綺麗なものですね。部屋の電気を消して、隣の家族が一家総出で花火で遊んでいるのを、見ていました」 淡々と、涼さんはそんな「思い出」を語った。 わかっている、それを哀れんでしまうのはとっても失礼なことなのだと。現に涼さんはそのことを何とも思っていないだろうし、そういうものだと思っている。涼さんにとって、それはひとつの情景にすぎないのだ。 だけど、それはちょっと寂しい事だとわたしは思う。本当にそんな事を思うのはただのお節介なのだとわかっているけれど、もしそんな風に隣の家の家族があげる花火を、じっと見ている小さな涼さんが目の前にいたら、わたしはだまってその男の子を抱き締めてあげるだろう。 わたしの中で、あのいつも泣いていた幼馴染と、見た事もない子供の頃の涼さんの姿が重なった。 なんだか、寂しい。 わたしは涼さんの肩口をぎゅっとつかんだ。急にわたしが黙ってしまったからか、涼さんも、その続きはしゃべらなかった。花火にまつわる思い出は、わたしも涼さんも、というかわたしからみた涼さんの思い出も、どこか物悲しい。 涼さんの背中の体温を感じながら、そんな物思いに耽ってしまったわたしの目に、石段を降りた先にあったコンビニが写った。突然わたしは思いたったように 「涼さん、コンビニ寄ってください」 「え?何か欲しいものでも?」 急にそわそわと動き出したわたしに、涼さんはバランスを崩しそうになりながら、訝しげに聞いた。 コンビニの前に辿り着くと、わたしは涼さんが止めるのを押し切るように、裸足のままお店の中に入って、あるものを探した。 「ヤツカ、足!」 さすがに涼さんも訳がわからず、怒ったように追いかけてきた。 わたしは目的の「花火セット」を手にすると涼さんに向かってつきつけた。 「涼さん、花火やりましょう、花火」 「は?」 「やりましょう、花火」 一気に、本当に一気にそこまで自分が動いた感じだった。涼さんはちょっと困惑した顔をしていた。わたしはその顔に自分の今の行動がいかにおかしいかを、ちゃんとわかっていた。でもどうしても花火をしたいと思ったのだ。 「したいんですか?」 「はい!」 涼さんは附に落ちない顔を、ふわっと笑顔に包んだ。そして店内を見渡して冷蔵ケースから、プラスチックケースに入ったロックアイスを持ってきた。 「……涼さん?」 「花火をする時には、水の入ったバケツが必要でしょう?外に持っていけば、ちょうどいい具合に溶けて代わりになるかと」 うわ、とわたしも笑顔になった。なんだか嬉しい。 「とにかく、ちょっと外で待っててください、ね?」 わたしは片方の下駄を履かされて、片足で外に追い出された。そのまま、自転車止めの手すりに座っていると、涼さんが色々買いこんで戻ってきた。もちろん花火も忘れずに。 涼さんは、どうしてわたしが急にそんな事を言い出したのかは一切問いたださなかった。わたしの足元に屈むと、買って来た袋からウェットティッシュを取り出して、わたしの汚れた裸足を拭いてくれた。 「あ…………ごめんなさい」 「しょうがないですね、本当に」 そういう涼さんはどこか嬉しそうだった。わたしは涼さんに足を拭いてもらいながら、今の自分の行動があまりにも恥ずかしくて顔から火が出そうだった。でも、ちゃんと意味のあることだから後悔はしていない。 寂しい思い出しかないのなら、楽しい思い出を作ればいい。 だからわたしは涼さんと、今すぐに、花火がしたかったのだ。2人で花火がしたかったのだ。 再び涼さんの背に揺られ、河原の方に歩いていく。涼さんの首にしっかり両腕を回して。 「あ」 「どうしました?」 「今のコンビニ、サンダルぐらい置いてありましたよね?」 「さあ?」 「いや、きっとありましたよ、サンダル。うわ、買ってくれば良かったのに」 「それは気付きませんでした」 「……ごめんなさい、本当に」 「何が?」 「重いですし」 「重くないですよ」 「暑いですし」 「暑くないですよ、それに」 「……そこから先は言わないでください」 「はい」 同じ会話を繰り返している。結構間抜けかもしれない。 花火会場になっている、河川敷の近くならと思って河原に向かったのだが、途中で手ごろな公園をみつけた。そこそこ花火が見える場所なのに、人っ子ひとりいないのは、みんな「本拠地」である河原の方に詰め掛けているからだろうか? それから、2人して花火をした。涼さんの思惑通り、ロックアイスはちょうどいい按配に火消しのバケツ代わりになった。すごいなぁと言ったら、涼さんはちょっと得意げに鼻を鳴らした。そして子供みたいに花火に興じた。履物のないわたしは石造りのパンダさんに腰掛けながら。涼さんは、本当に初めてみたいで、これは?どうするの?と聞いてくる。ちゃんと見てないと逆さまに火をつけかねない、だけどそれがなんともいえずおかしかった。本当に楽しかった。涼さんも、楽しそうだった。煙にむせながら、次から次へと火をつけて、いろとりどりの炎を満足そうに眺めていた。 最後の締めは線香花火ですよ、と。涼さんと並んで線香花火に火をつけた。涼さんは案外不器用で、何度も「玉」を落としてしまう。わたしのはじぃっとぱちぱちと小さな瞬きを見せる。 「綺麗ですね」 「はい」 わたしが持っているのが、最後の一本になってしまった。2人して肩を並べて、息をひそめてその光を見守っていた。そしてぽとん、と光が落ちて消えた。……子供の頃から、線香花火の最後はなんだか悲しくて、本当に小さい頃は泣いてしまった事も度々だった。だけど、今は不思議と寂しくなかった。ぽとんと落ちて、光は消えたけれど、まだどこかほの明るいような気がした。 「楽しかったですね」 涼さんが、ぽつりと言った。 そして涼さんはさっきのコンビニの袋から、サンダルを出してきてわたしに履かせてくれた。 「あー」 思わず声がでる。そんな買っていたのなら言ってくれれば、あればちゃんと自分の足で歩いてきたのに。確信犯だ。涼さんはわたしの抗議の声もものともせず、辺りをちゃんと片付けはじめた。わたしはそのちょっと大きめのサンダルを引きずるように、その後に倣った。 急に辺りが明るくなった、そして大きな音。 今日最後の、この夏一番の大花火。わたしたちの小さな花火大会に夢中で気付かなかったけれど、花火大会は続いていたのだ。 そしてその音に驚いて、わたしはやっぱり涼さんの浴衣の襟を掴むような形で、抱きついてしまった。 「来年も、来ましょうね」 涼さんの腕の中、その言葉に頷いた。 |
2周年イベントで出した「花火大会」の再掲です。 そう言えば初出時に「読みながら幼馴染の男の子は拓麻クンだと思って、まんまとそうだった事に半笑い」なお客様が結構いました。 皆様わかっていらっしゃるなぁ(嬉々)。 戻る |