ヤツカメラ

 

 涼さんからの電話は謝罪の電話だった。
 二人とも忙しくて、気が付くと二週間も会っていなくて、それでようやく都合をつけたのに、凉さんの仕事でドタキャン。
 そりゃ久しぶりだったから、凄く残念だったけれど仕方がない。凉さんは確かに社長令息という立場だけれど、そんな甘い会社では無いことは、会話の端々から分かっていた。同族ゆえの甘えは無く、同族だからこそ、常に高いハードルを与えられて。優秀であることは、当たり前で、そして凉さんはその期待に応えつづけている。
 その大変さはわたしには想像もつかないけれど、いつも忙しい涼さんが、わたしの為に都合をつけてくれているのはわかるから、文句なんて言えない。寂しかったけれど。
 凉さんは電話口で何度も謝ってくれた。わたしが申し訳ない気持で一杯になった頃
「で、お詫びというかこの埋め合わせなんですが」
 はっと気づいてその続きを言うのを遮った。涼さんの「お詫び」はとんでもないスケールなのだ。以前にも、やっぱり似たような事があって、その時の「お詫び」は高級料理店のランチに始まり、あげくの果てに自家用ヘリで東京夜景クルーズ。涼さんは純粋に「お詫び」の気持ちなのはわかるけれど、あまりにもケタが違いすぎる。ひどくつかれたあの日を思い出して、必死にその「お詫び」を辞退する。
「いや、ホントいいです。そんなお詫びなんて!」
「でも僕の気持ちがおさまりません」
「ホントいいですから!」
「だって、寂しい想いをさせたでしょう?」
「はい」
 ウッカリ本音。
「ね?そうでしょう?だから…」
 言質を取られる、とはこのことか
「や、そんなダメですよぅ!」
「ダメって」
「じ、じゃあわたしのお願い聞いてくれますか?」
「お願い?」
 苦し紛れで言った言葉だったけど、その瞬間、ある計画が浮かんだ。
「今度の日曜日、わたしに一日つきあってもらえます?」


 日曜日の朝早く、涼さんに車で家まで迎えに来てもらった。
 付き合い始めた頃、どこへ行くのも運転手付のリムジンだった。辟易したわたしが、無理を言って涼さんの運転する車で来てください、とお願いをしてから涼さんは自分で車を運転してきてくれる。
 せっかくの2人の時間、何も言わない運転手さんとはいえ、やっぱり息苦しかったし、第一リムジンでは家のアパートの前の道まで入ってこれないのだ。いや、この日本でリムジンが通れる道なんて3割ぐらいしかないと思うけれど。だからいつも涼さんは途中で降りて歩いてきた。10分ぐらい。それもなんだか申し訳なかったし。
 わたしの「お願い」でわざわざ買ってもらった車。家の前の道まで入れるのが条件だから、カワイイ軽自動車だ。……多分、この車は家に来る時にしか乗らないのだろうなぁと思うと、無理を言った事が申し訳なくもなるのだけれど。でも、こういう風に「おでかけ」したいとき、やっぱり車があると便利だ。
 もっとも涼さんにとっては、こんな小さな車を買うのは「無理」でもなんでもないのだろうけれど……多分、ローンは組んでない、間違いない。
 そんな曰くつきの車の後ろに荷物を積んで。今日ははりきってお弁当を作ってきたんですよ、と言うと涼さんがこらえきれずに聞いてきた。
「で、今日は何をするんですか?」
「写真を撮りに行くんです」
「写真?」
 目的は、葛西の臨海公園。
 そこに行く道すがら、わたしは初めて涼さんにわたしの写真の話をした。高校・大学とずっと写真部だったこと、今でも趣味で続けている事、一度、臨海公園で撮ってみたかったこと、せっかくだからピクニックが出来ればと思ったこと。
 そして、今は趣味だけれども、一度は目指した道だから、いつか写真を撮る事を仕事にできればいいと思っている事、も。
「へぇ?」
 涼さんの横顔が驚いていた。なんだか妙に饒舌になってしまって、ちょっと照れた。
 そう言えば言っていなかった事だと気づいた時、いつか聞いて欲しいと思っていたことだ。
「ヤツカのチェキ日記は単なる日記じゃなくて、そういう背景があったんですね」
「まぁ、あれはホントお遊びみたいなものなんですけ……って涼さん!何で、チェキ日記の事知っているんですか!」
 驚いた、思わず叫んだ。
「この間遊びに行った時見せてもらいました」
「見せてません!」
「だって、見たかったから」
 ちっとも悪びれない涼さん。いや、薄々は気づいていたのだ。だって最近ところどころ抜けているんだもん。疑惑はすべて涼さんの上に、それでも問い詰めなかったのは、まあ、黙認していたというか……。
「大事にしていますよ」
 やっぱり悪びれない。でも改めてあの写真を涼さんが持っている事実を目の前につきつけられると……恥ずかしさに眩暈がしそうだった。
「……持っていっちゃ、ダメでしたか?」
「だ、ダメに決まっているじゃないですか!」
 キツイ調子で言ったら、意外に涼さんがしょぼんとして
「だって、かわいかったから、つい」
「……」
 信号待ちで止まった。涼さんが、寂しそうにわたしを見上げた。
「あ、あの、じゃあ、今度はちゃんと断ってから」
 その様子がまるで子犬みたいだったから、つい、仏心をだしてしまったのがいけない。
「はい」
 にっこりと返事をして、笑う涼さんは、相変らずの確信犯だった。


 天気は上々、青空に大きな観覧車が映える。
「あの観覧車、お台場からも見えるんですよ?」
 涼さんが言った。
「お台場にも観覧車があるでしょう?あれと重なって見える場所があって、夜なんて綺麗ですよ」
「へぇ。そうなんですか?」
「会社が接待でよく使うホテルの、最上階のバンケットから良く見えるんです」
 また、さりげなくスケールの大きな話を。
 でもそう言いながら涼さんは、子供のような、いかにも乗りたいという顔をして観覧車を見上げていたから
「はいはい、観覧車は後です。今日はわたしにつきあってくれる約束ですよね?」
 涼さんが名残惜しそうな顔をしながら
「後で、ならいいですか?」
「後で、ですよ」
 わたしは無意識に涼さんの手を掴んで引きながら、公園の中に入っていった。
 臨海公園、海に面した緑溢れる、大きな公園だ。噴水もあれば、子供の遊び場もある。いくつか点在する広場に、ここがいいと辿り着き、ベンチの上でカメラの用意を始めると、涼さんが好奇心剥きだして、食い入るようにみつめている。
「本格的ですねぇ?」
「でも型はすごく古い奴なんですよ?」
「でもすごいなぁ」
 いくつか持ってきたレンズをかわるがわる手に取っては覗き込む。
「ヤツカは何を撮るんですか?」
「わたしは風景を」
「人は?」
「人を撮るのは、苦手なんです」
 涼さんの反応を見る前に、ふと自分の肩口に感じた木漏れ日に気づく。振り返ると、大きな木があって、初夏の若葉の隙間から、綺麗な光が零れていて。ちいさく声を上げると、わたしはカメラを撮って近づく。そしてシャッターを切る。
「何を撮ったんですか?」
「ひかりを」
「光?」
 ざわっと風が吹いて、木々が鳴った。わたしはまた無心でカメラを構えた。涼さんは今度は何を撮ったかは聞かなかった。というか聞けなかったのかもしれない。


 ふと気が付くと、涼さんがいなかった。写真を撮るのに夢中で、思わず涼さんを放ったらかしにしてしまった。
 うわ、怒っているかな、と涼さんを探すと、遠くの方にその姿を見る。海に向かって広がった芝生の上では多くの家族連れが思い思いの形で、休日を楽しんでいた。涼さんは何故かその一角にいて、そして誰かと一緒だった。カメラのレンズを一番高倍率の物に変えて、望遠鏡の代わりとばかり覗き込むと、そこには涼さんと小さな子供たち。意外な組み合わせに、へぇと思いつつ、わたしはその瞬間から、カメラを下ろせなくなった。
 涼さんが子供たちと何か話をしている。子供たちは、紙飛行機を折っては飛ばしていた。涼さんが子供に何か言った。子供がちょっとわからない顔をした。涼さんはしゃがんで、その子の折っていた紙飛行機を、広げて、また折りなおしてあげていた。その子が紙飛行機を思いっきり投げると、紙飛行機はびっくりするぐらい高く飛び、そしてまた投げた子のところに戻ってきた。子供がうわー!と歓声をあげる。涼さんもうわーと歓声をあげた……わたしはその間夢中でシャッターを切りつづけた。人を撮るのが苦手なわたしが、シャッターを切りつづけていた。いや、本当は涼さんを撮りたいと思っていたのかもしれない。いつも、自分が心動かされるものを撮ってきた、自然の偶然、自然のゆらめき、そんな一瞬にこころときめかせ、せめてもともがくように、その一瞬を押しとどめようと、神への冒涜のような畏敬をこめて……今、わたしが一番こころ動かされるのは、涼さんだからだ。
 もっと、もっと撮りたくて、無意識に足が前に出た。涼さんは子供たちと何やら真剣に話していた。涼さんが紙飛行機を手に、何かを説明していた。その涼さんの一瞬一瞬が、たまらなく、いとおしくて、わたしはシャッターを切りつづけ、近づいて……。
「ヤツカ、その格好は怪しいですよ?」
 涼さんに気づかれない距離を保ったつもりなのだけれど。確かにカメラを構え構え、近づくわたしは相当不審人物だ。子供たちも訝しげにわたしを見て
「この人だれ?」
 怯えさせちゃったな、ごめんね、と弁解する前に、涼さんが答えた。
「おにいちゃんの、大好きな人だよ」
 さらっと、言って。そして子供たちも普通に受け止めて。
 わたしがどれだけ赤くなっているかも知らないで、涼さんは出来上がった紙飛行機を思いっきり投げた。今度は戻ってこない代わりに、本当に遠く遠くへ飛んでいって−−空にはばたく紙飛行機がなんだか白くまぶしくて、そしてわたしはシャッターを切った。
「おねえちゃん、カメラ屋さん?」
 そう聞いてきた女の子の、首を傾げた様が可愛かったので、返事をする代わりに、シャッターを切った。女の子は、レンズの向こうではにかんで笑った。
 涼さんが放った紙飛行機を、取りに言った男の子が戻ってきた。
「すげぇ、海の方まで行くかと思った!」
 興奮気味に男の子は、顔を真っ赤にしていて、涼さんに言った。涼さんは大層満足げに頷いていた。
「ほんと良く飛びますねぇ」
「いや、理論値としては簡単なんですよ?要は角度と、気流の抵抗と、投げ方と……」
 ……紙飛行機の上に、数字が見えるかと思った。でもそれはそれでとても涼さんらしいと思ったけれど。
 子供たちを各々の親が迎えに来た。お昼ですよ、と午前の遊びを打ち切られた子供たちと別れて、そういえばお腹すきましたね、と、もとのベンチのところに戻ることにした。
「写真は、撮れましたか?」
「……え?あ、はい」
 先ほどまでの涼さんを無意識に反芻していたから、慌てて返事をした。
「僕を撮っていたんですか?」
「え?」
 気づかれていたのだ。いや、そりゃそうだ。
「何だ、僕を撮りたかったのならそう言えばいいのに」
 涼さんが急に真顔になって
「撮るなら、脱ぎますよ?」
 耳元で囁くから、ひゃあ!と声を上げた。いや、そういうつもりじゃないんです、と慌てていると涼さんはからから笑い出した。もう、人が悪い。……確かに涼さんはこう見えて、結構イイ身体の持主だから、そういうモデルとしても……その思考を打ち切るように、別の話題にした。
「涼さんは子供、好きなんですか?」
 そう、さっきの子供たちと涼さん、という組み合わせは結構新鮮だった。
「いや、わからないんですよ」
「わからない?」
「僕はひとりっこで、弟や妹はいないし、当然姪も甥もいないですし。それに子供の頃から、子供に接する機会って無かったですからね。だから、わからないんですよ」
 きゅっと、何か寂しい気持ちに満たされる。わたしは取り繕うように
「でも、あの子たちはきっと涼さんの事好きですよ?」
「『間違いない?』」
 涼さんが、わたしの口癖を真似てまぜっかえす。
「はい、間違いないです」
 ひとまず写真は休憩と、作ってきたお弁当を広げて、ようやく2人で過ごす休日らしくなった。
 食事が終わると、涼さんは「何か紙がないですか?」と言った。涼さんの中ではまだ紙飛行機ブームが終わってなかったらしく、わたしがさっきそこでもらったチラシを渡すと、「一番飛ぶ紙飛行機」の講義をしながら、紙を器用に折り曲げ始めた。
 わたしはつい、カメラに手を延ばして、そしてシャッターを切った。
 涼さんは「撮るんですか?」と言いつつ、まんざらでもない顔で、そのまま紙飛行機の作業に戻る。そしてわたしはやっぱりシャッターを切っていく。……不意に、気づいた。普通、人はカメラを構えられると、自然と構えてしまうのだけれど、涼さんにはそれが無い。意識はしているのかもしれない、でも「撮られている」という気負いがない、本当に自然で。変に強張らせちゃうかと最初は遠慮していたわたしも、次第に涼さんを撮る事に夢中になってしまって。でも、思い当たった事があった。涼さんにとっては、「撮られる事」は普通のことなのかもしれない。もっというと「見られること」というか。おさない頃から、大人に混じって、様々な思惑と、過剰な期待を一身に浴びて育ってきた涼さんにとって、こんな風に「撮られること」はなんともないのかもしれない。……それは、いいことなのだろうか、悪いことなのだろうか。
 ファインダーを覗いたまま、そんな考えで固まってしまった。紙飛行機を飛ばし終わった涼さんは、ごろりとレジャーシートに横たわっていた。男の人の割には、色が白いなぁといつも思っていた。多分、こんな風にお日様の下で何かをする、いや何もしないで過ごす事なんてないんだろうなぁと……またきゅっと寂しくなった。上手く説明がつかないけれど。
 不意に涼さんが起き上がる。そして
「ヤツカ」
 レンズ越しに近づく顔。というかカメラを構えたまま固まっていたわたしに近づく。え?ええ?と思っているうちにレンズの中で涼さんの顔がどんどん大きくなって、え、それじゃあまるで、と思った瞬間、何やらレンズの前に緑色の物体が現れた。
「ひゃあ!」
 ……すぐにわかった。だけどレンズ越しに見るカエル、というかカエルの表皮の拡大は、あまり気持ちのいいものではない。驚いて、わたしはそのまま後ろに倒れこんでしまった。カメラだけは守りたかったから、両腕を高く挙げて、カメラを宙に浮かせたまま、まるでバンザイで倒れこむ兵士のようなわたしの上に涼さんが、いたずらっぽい表情のまま、覆い被さってきて、キスした。
「……」
 質が悪い。子供じみている。まるでいたずらっ子。ずるい。というかクサイ。
 文句なんていくらでも出てくるけれど、それを言えないのは、涼さんがそうした事をあまりにも自然にやってのけてしまうからだ。ホント、ずるい。
 涼さんに手を貸してもらって、起きあがる。だけどそんな体勢になったから、気づいた事があった。
「あ、」
「どうしました?」
 西のほうの空がどんよりと曇っていた。わたしたちの上の空はまだ快晴だったけれど。
 わたしが指差すと
「ああ、あれはひと雨きますね」
 みるとカメラのフィルムが1枚残っていた。
「あ、じゃあこれ撮りきっちゃったら引き上げましょうか?」
「そうですね、あ、ヤツカ」
「はい」
「それ、僕に撮らせてください」
 涼さんにカメラを渡すと、涼さんはウロウロと被写体探しを始めた。カメラを持つ手がなんとなくおぼつかないけれど、ちゃんとAFに切り替えてわたしたから、そんなに意識しないで撮れるはず。そのあいだに、とわたしは広げたシートを片付け始めた。
 雲の足は早かった。次第にあたりが薄暗くなる。慌てて荷物をかたづけていると、写真を撮りおえたのか涼さんが声をかけてきた。
「ヤツカ」
「はい?」
 振り向き様にシャッター音。涼さんは満足げに頷くとわたしにカメラを返した。てのひらに載ったカメラに、涼さんの温もりが残っていた。


 午後のまだ早い時間だったけれど、結局そのままうちに帰ってきた。アパートにたどりついた時にはもう土砂降りで。やっぱり道は狭いので、アパートの前に車は長時間は止めて置けない。いつも角を曲がった先の、少しだけ広い道の路肩に寄せて「駐車」するのだけれど、そこから傘をさして来たにもかかわらず、玄関に入ったときは二人ともずぶぬれだった。
「切り上げてきて良かったですねぇ」
 観覧車に乗れなかったのは残念でしたけれど、と言いながら。
 それからなんとなくふたりで。服が乾くまでの間、久しぶりの2人の時間を過ごして。
 夕御飯を食べて、涼さんが帰り際に言った。
「これで、お詫びになりましたか?」
 そうだ、そもそも今日は涼さんの「お詫び」の日だったのだ。
「ありがとうございました、楽しかったです」
 涼さんの顔がほっとしたように綻んだ。
「よかった、僕だけが楽しいのかと思ってしまって」
 涼さんは、そんな余計な心配を時々する。わたしはそれを否定するように、
「また一緒に写真撮りに行ってくれますか?」
「もちろん、なんなら僕脱ぎますよ?」
「いいいいいいいですから!」
 真っ赤になって答える。……でも、ちょっとだけ撮ってみたいような気もしな……今のは無かった事にしよう。
 幸い雨はやんでいたから、わたしは涼さんの運転する車のテールランプが、見えなくなるまで見送った。


 数日後、会社帰りに現像された写真を取りに行った。いきつけの写真屋さんがある駅で途中下車。学生の頃からお世話になっている写真屋さん、というか大学の写真部のOBのお店なのだ。
 時間がある時は、暗室を借りて自分で焼くのだが、やはり社会人ともなるとなかなかそうもいかず。ならば信頼できる先輩の腕にまかせようと、写真はここ以外で出した事がない。昔ながらの「町の写真屋さん」だ。
「やあ、ヤツカ」
 先輩とはいえ、10も歳が違うから、学校で一緒だった訳ではないけれど、在学中から本当にわたしたちの面倒を良く見てくれた人だった。
「こんばんは」
 お店はもう閉店間際で誰もいなかった。じゃあ、と先輩がわたしの撮った写真をカウンターの上に並べた。余裕があると、こうやって先輩に写真を見てもらうのだ。それで構図だとか光の具合とかを、世間話を交えながら、語り合う。そう、たぶん、それが一番でわたしはここに来させてもらっているのだ。
 ところが今日は勝手が違った。だって並べた写真はほとんど涼さんばっかりで……しまった、とばかり写真をしまおうとすると先輩はニヤニヤ笑いながら聞いてきた。
「ねぇ?この人誰?彼氏?」
 当然肯定すべきなのだが、ちょっと口篭もってしまった。なんとなく誤魔化す。それはいわゆる「彼氏」である事を誤魔化すというより、涼さんの事を誤魔化したというか。根掘り葉掘り聞かれるのは、という危惧があったからだ。いや、先輩はそんな人ではないのだけれど、ただこの人が日本でも5本の指に入る大企業の、御曹司と知ったら、いやでも色々聞かずにはいられないだろうから。
「ま、ヤツカがそう言うなら、そういうことにしておこうか」
 相変らずニヤニヤしている。多分わたしの無意識の反応は、先輩の質問をまるっきり肯定している以外のなにものでもないのだろう。
「でもこの人はきっとヤツカの事好きだよ」
「え?」
「だって、好きな人というか、心許せる人の前じゃないと、なかなかこんないい顔はできないなぁ」
 感心した声で、しげしげと一枚の写真をとって眺めていた。いや、そうじゃないんですよ。涼さんのその気負いの無い写真写りは子供の頃からの……説明のしようがなかった。
 それとも、先輩の指摘する事の方が正しいのだろうか。確かに「いい顔」の写真ばかりで。
「あ」
 先輩の目が一枚の写真に止まった。それは最後に涼さんがわたしを撮った奴だ。呼ばれて、振り返って、涼さんを確認して笑った瞬間
「……」
 思わず息を呑んでしまった。驚いた。わたしじゃないみたいだった。自分で言うのもなんだけれど、すごいカワイイ写真だった。そんな顔、自分でも見るのは初めてで。
「ね?好きな人じゃないと、こういう顔はできないよ?」
 照れるというより、新鮮な驚きだった。そして、もし涼さんの目に映るのがこんなわたしなのだとしたら、こんな「カワイイ」わたしなのだとしたら……嬉しい。
「でも、まぁよかったよ」
 先輩が言った。
「もう写真撮らないのかと思っていた。せっかくいい腕しているのにもったいなって。それが久しぶりに、しかも人物撮っているんだもんな」
「……撮りたいものが、できたからだと思います」
 撮りたい人、ではなく、撮りたいもの。それは涼さんと過ごす今の時間かもしれないし、あるいは自分の想いなのかもしれない。わたしのこころが動かされる。
 わたしはお店を出ると、たまらなくなって涼さんに電話した。
 写真が出来たので、見せたいんですと都合を聞こうとしたら
「いま家からですか?」
「いえ、帰りの途中なんですけれど」
「今ちょうど仕事が終わったところなんですよ、ちょっと今から、どうです?戻ってこれます?」
「はい!」
 わたしの声が突然大きくなったから、涼さんが電話口で笑った。
 きっと今の涼さんは、この写真に写っているように「いい顔」しているに違いないと思った。
 そして今のわたしは、多分あの写真と同じくらい「カワイイ顔」をしているに違いないと思った。





 

 色々設定をもりこんだら、無駄に長くなりました(反省中)。
 盛り込みすぎというか、やりたい放題ですな(私が)。
 ヤツカの趣味というか夢がフォトグラファーな設定は小郷さんから出たものなんですが、もう「凄いアイデア」と心底震えました。伏線にもなりました。チェキ日記もこれで合法化です(されてないよ)。
 ちなみにカメラの事は全然知りません。ほぼ想像。知っている人が見たら……み、見なかったコトに(笑)
 重なる二つの観覧車はお金持ちじゃなくても見れると思います。確かゆりかもめからその光景を見て、すごい驚いた事があったので。結構前の事なので今はどうかわかりませんが。
 100の質問でヤツカが相手の好きな部分で「車をバックさせる時の横顔」を答えています。でも小郷さんと「でも涼さんは運転手付の車だよな」「下手したらヘリコプターで迎えに来かねませんよ(来ません)(でも自家用ヘリはあるはず)」という事になっていたので(笑)。あの回答を合法化させてみました(なっているのかどうか)。

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