| トロイメライ |
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それからなんとなく週イチぐらいで会って食事をしたりするようになって。 わたしはその度に涼さんの「おかねもち」っぷりに驚くばかりで。困るくらい驚くばかりで。それでも会うのは楽しかった、会いたいと思うようになっていた。……涼さんのことを好きだと思っていたから、一体これはどういう関係なのかなと、友達なのか、それとも、涼さんはどう思っているのかなと、ぐるぐると考えはじめていたちょうどその頃だった。 いつも家の近くまで送ってくれるリムジンの中で隣に座っていた涼さんが、わたしの手の上に掌を重ねて、そう告げられたとき、わたしは驚きながらも、迷わずに「はい」と答えた。だって、それはわたしのなかで「間違いない」感情だったから。 それからいわゆる「お付き合い」が始まったのだけれど、またわたしはぐるぐると考えるようになってしまっていた。色々なことがわたしのなかで「ためらって」いた。やっぱり涼さんとわたしは違う、違う世界の人なのだと思ったし、涼さんがわたしのことを好きなのはちゃんとわかっていたけれど、なんで好きになってくれたのかは、さっぱりわからない。それに、涼さんは、こう……意外と手が遅いというか。 デートの帰りはいつもちゃんと、次の日に差し支えない時間に家まで送ってくれた。帰り際に額にキスしてくれるのだけれど、いや最初はすごく驚いたし照れたのだけれど、そんな習慣ぐらいで。……ちょっと寂しいような気もしていた。その反面、どこかほっとしていた気持ちもあった。わたしは、少しだけ先に進むのをためらっていた。あるいは涼さんはそんな「ためらって」いるわたしを敏感に感じていたのかもしれない。 涼さんは決して焦らない、急がない、いつも落ち着いた物腰で、わたしをやさしく見つめていた。 だけどそんな時間が長引けば長引くほど、わたしのぐるぐるした思考は深く深く落ちていって、いろいろなうたがいが生まれて、ためらいはどんどん広がっていく。 金曜日の夜、会社帰りに待ち合わせて二人で飲みに行った。涼さんのお薦めの、すごく高そうな、でも雰囲気のいいお店で。少し酔っ払ってしまったわたしを、涼さんはやっぱりちゃんと送ってくれようとする。運転手つきのリムジン。何度も乗せてもらっているのに、未だに慣れない柔らかなシートに体が沈むと、酔いも手伝って眠くなってきてしまった。 「今、何時ですか?」 時計を見ると、もう1時を回っていた。 「ちょっと、過ごしちゃいましたね」 「でも、楽しかったです〜」 ふんわりした、いい気持ちでいると。涼さんがわたしに口付けた。……甘い。 「今から帰ると、ずいぶん遅くなりますね」 「あ……、そうですね」 週末の夜は道路も混んでいる。家について色々やってベッドに潜りこむのは3時ぐらいだろうか。 金曜日なのだから、そんな事は気にしなくてもいいのだけれど、明日は早起きして、ちょっと郊外の美術館に来ている巡廻展を見に行く予定だった。二人とも楽しみにしていたのだけれど、なかなか日程が合わなくて、ようやく会期が終わる頃になって、予定を組むことが出来たのだ。8時過ぎにはわたしの家を出ましょうか、くらいの日程を組んでいたから、今から帰って、また出てくるのはちょっと大変だ。 「泊まっていきましょうか」 「え?」 「この辺りからだったら、明日もそんなに早くに出なくても大丈夫でしょう?」 そう言った時にはもう涼さんの中では決定事項になっていたらしい。 「空いているかな?あの部屋」 「今日は大丈夫だったと思います」 「連絡いれてくれる?」 「かしこまりました」 運転席に声をかける。泊まるって、あの部屋って、 「あ、あの涼さん」 「着替えは何か用意させますよ」 「いや、あの」 「うん、それがいいです」 涼さんの中ではどんどん決まっていくのだけれど、わたしは全然ついていけなくて、酔いがさっと醒めていく。だって、そんな、そういう事なんですよねぇ?……とは聞けなかった。いや、別に構わないはずなのだけれど。なんだか今までが今までだったから、急に、なんだか、焦る。 涼さんはそんなわたしの様子も構わずに、静かに目を閉じていた。 車が止まった。ドアを開けられると、どこかのホテルのエントランス、いやどこかの高級ホテルのエントランスだった。すぐにどうみても支配人みたいな人が現れて涼さんに挨拶していた。うわーと思う間もなく、別室に案内されて、何故かその支配人に紹介されて、丁重な挨拶と名刺までもらってしまって、なんというか、ものすごく「おもてなし」を受けてしまった。 「あの部屋」と言っていたくらいだから、いつも使っている部屋があるのだろう、このホテルに。……それは涼さんのプライベートというか、つまりはその、その為に……っていうかわたし、涼さんの何だと思われているんだろう……。丁重に扱われれば扱われるほど、一体自分がどうこの空間に映っているのか、人の目が気になる。ただでさえ気後れするような豪華な空間で、眩暈がしそうなぐらい、ぐらぐらした。そういう事をするためだけにここなのか、いやそういう事をする場所なのかここは、なんでわたしは名刺なんかもらっているんだ、……今までは誰が、誰を? そのまま気の遠くなるような、高い場所へのエレベーターに乗って、おそらく最上階の部屋に案内される。多分フロア全体を使っているんじゃないかという広い部屋、というか普通のおうちみたい。いや、普通のおうちじゃない、高そうなおうちだ。窓からは、都会の夜景がまるで借り物の絵を嵌めたように見える。嘘みたいな、豪華な光景。 涼さんはすっかりリラックスした様子で、部屋の奥のソファーに腰を下ろした。それではごゆっくりとボーイが部屋を出て行くと、急に二人きりの空間が妙に静かになった。わたしは言葉を発することもできずに。 「大丈夫?酔ってしまいましたか?」 酔ったのはお酒でも車でもなく、ここの雰囲気。多分それは涼さんに訴えてもわからないだろう。 どんどん、どんどん涼さんが遠くなる。なんだかそんな感じがした。 わたしが弱々しく首を振ると、涼さんは少し飲みますか?とわたしをそのソファーに招き、座らせる。バーカウンターから、グラスとワインを持ち出してきて、ガラス板が綺麗な彫金で縁取られたテーブルに置く。 わたしはもうその場に呑まれるばかりで。逃げ出したい気持ちだった。やっぱりこの人は違う、ここにいるわたしは違っているような気がする。そしてこのままいたら、わたしは多分戻れなくなる。そんなのイヤだ。怖い。訳がわからなくなっていた。心臓が嘘みたいに鳴り続けた。ダメだ、このまま、イヤだ。 涼さんが不意に、急に、突然、わたしに近づく。 ちょ、ちょっと待ってくださいと言う間も無く、涼さんがぐっと迫ってきて…… 「……や!」 わたしの両腕が涼さんの体を押し退けた。あまりにも力任せだったから、涼さんはそのままよろめくようにして、でもなんとか体勢をとりながら 「ヤツカ?」 「ごめんなさい!わたし……」 「ヤツカ?」 涼さんの声が困惑気味に、いや、どこか拍子抜けしたように響く。 おそるおそる顔を上げて、涼さんを見た。 困ったような顔の涼さんの手にはソムリエナイフ。調度品としても飾る事のできる、ちょっと凝ったデザインのナイフだった。それは、確かわたしが今座っているソファーの後ろに置いてあったもの……? 「そんなに驚かせましたか?すみません。や、取ってもらっても良かったんですが」 「は?」 「カウンターに取りに行っても良かったんですが……これを、こう使えば、ちょうどいいかと思ったので」 涼さんはなんだか良くわからない顔をしたまま、わたしがあまりにも大きな声で叫んで、そして怯えていたものだから、そんな風に「説明」してくれた。 なんてことはない、涼さんは、わたしの後ろに置いてあったものを取っただけ。なんて間の抜けたわたしの反応だったんだろう。どうやらひとりで勝手に、盛り上がってしまったようだ。耳の先まで赤くなった。そして鼓動は収まらない。背中に汗がじっとりと染みるのがわかった。だって、本当に焦ったんだもの、……。訳もわからなく怖かったのだ。 「あ、」 急に涼さんが高い声をあげた。そして急におろおろしだす。 「いや、……泊まるって……あ、そうですか、……そ、うですよね」 意味をなさない言葉をつなげていた。そして真面目な顔になって 「ヤツカ、この部屋はうちの会社が通年で借りている部屋なんです」 「はい?」 「大事なお客様の接待とか、内密な商談とか。部屋もいくつかコネクティングされていて、そういったわが社にとってのVIPを泊めたりもできるんです」 「はぁ」 「どの部屋も鍵がかかるようになっていますから、普通に女性のお客様もご案内したりします。だけど、そういった『社用』がない日には一族の者が自由に使っていい部屋になっているんです。だから、その」 だんだん、理解が追いついてきた。 涼さんは、本当に「泊まる」つもりだったのだ。言葉の通り「泊まる」だけの意味だったのだ。 涼さんもまた、ようやく私の意図するところの「泊まる」の意味に気づいて、ひどく納得したような顔をしていた。 一気に脱力した。涼さんがぽつりと言った。 「……そうですか、いや、残念というか……」 「え?」 「いえ、その」 ……明らかに涼さんは動揺していた。そして 「……駄目、ですか?」 「え?」 「いや、なんでもないです、なんでもないんです」 そして涼さんは、ちいさく、ほんとうに小さくため息をついて、そして少しだけ笑ってみせた。 ああ、そうか。 状況はどうであれ、わたしは涼さんを確かに「拒んだ」のだ。 そして、涼さんは「拒まれた」事に気づいたのだ。 結果として、そういうことだ。 なんだかおかしな事になってきた。奇妙な空気と沈黙が流れる。涼さんは口に手を充てたまましきりに考えていた。何かをじっと堪えているようだった。 「ヤツカ」 驚いた、今までにない、低い声。わたしはビクリと反応した。それにちゃんと涼さんは気づいて、慌ててとりなすように 「……ヤツカ」 もう一度驚く。なんだか妙にか細い声だったから。 「……寝ましょう、明日も早いのですから」 涼さんは何かを吹っ切るように、そう言った。 「……涼、さん?」 「……今日はなかったことにしましょう。ちょっと、おかしな感じになってきました」 涼さんは、何かを堪えている。それが何かわかる。だけど、確かにおかしな展開だ。誤解と勘違い。涼さんが「なかったこと」にしようと言うのもわかる。だけどどこか寂しげな涼さんの表情が、わたしの胸をつく。 涼さんがわたしをその「いくつかある部屋のひとつ」に案内する。わたしは涼さんにうながされるままで。 「鍵はかけてください」 涼さんが言った。そうお願いされた。 わたしが驚いて見上げる。ひどく真剣な顔だった。 「……」 「……おやすみ、ヤツカ」 そう言って、いつも別れる時みたいに、わたしの額に口付けようとして、ためらって、そのままパタリとドアが閉められる。 確かに鍵がついていた。 いくつか部屋があると言っていたけれど、この部屋だけでも普通のホテルのシングルと変わらない。さっきの部屋と同じように豪華なつくりで、丁寧にバストイレまでついていた。この通年で借りていると言う『部屋』だけで、ちょっとしたホテルだ。 わたしはふらりとベッドの上に身体を投げ出した。……初めて。本当におかしな話だけれど、初めてわたしは涼さんの中に男の人を見たのだ。だけどそれを涼さんはきっちりと理性で抑えていて……初めてみる涼さんだった。苦しくなってきた。目を閉じた、まぶたの裏に残るのは、わたしに拒まれたと気づいたときの、涼さんの寂しげな顔だった。傷ついていた、涼さんは確かに傷ついて……いや、わたしが傷つけたのだ。 どうして、わたしは涼さんを拒んでしまったのだろう。 コドモの付き合いじゃないのだから、そんな事に過剰に反応するのはおかしい。だけど、わたしの中の積もり積もった「ためらい」が、涼さんを拒んだ。やっぱりわたしと涼さんは違うひと、いまならまだ戻れるのかもしれないと思って-----いや、そうじゃないんだ。だってわたしは涼さんが好きだ、確かに好きだ。だけど自分の中にどこか臆病な気持ちがあった。そういう自分に対面できない臆病さだ。多分、わたしは怖かったのだ。不安だったのだ。そのわたしの中に芽生えた恐怖とか不安を、すべて涼さんの「世界」のせいにしてしまっていた。そうやって、自分の中の気持ちを、後回しにしてしまった。何かにすりかえていた。それはすごく卑怯なことだ。そしてそのずるさが涼さんを傷つけてしまった。……泣けてきた。まるで自分が至らなくて、涼さんのあの寂しげな顔が切なくて、そして、やっぱり涼さんのことが大好きなことに気が付いて。 それからしばらく私は泣いていた。本当は泣く資格なんてないのだけれど、そうすることしかできなかった。ようやく落ち着いてとりあえずシャワーを浴びる。ベッドに潜り込んだのは結局夜中の3時を過ぎていた。多分明日は涼さんには見せられない顔になっているだろうな、と思いながら。どんな顔をして涼さんを見ればいいかわからない。わからないまま、そのまま眠りについてしまった。 結局、鍵はかけなかった。 「ヤツカ!ヤツカ!」 突然誰かに揺り動かされる。驚いて目覚めると涼さんの顔がわたしを覗き込んでいたことにもっと驚く。 「あ、……涼さん?」 「起きてください、見せたいものがあるんです」 涼さんの声が心なしかはずんでいる。わたしは何のことだかさっぱりわからずに、涼さんに引っ張られるまま、ベッドから抜け出して窓際に。まだ頭ははっきりしない。昨日の記憶は頭の片隅にあったから、はっきりさせたくなかったのかもしれない。 涼さんが勢い良く、厚いカーテンを開いた。 「うわ……!」 叫び声のような声をあげてしまった。あまりにもまぶしかったから。だけどそのまぶしさにくぎ付けになった。都会の朝焼け。ミニチュアのような世界に、まっすぐな、生まれたての光が満ち溢れていた。 「綺麗でしょう?」 わたしがつぶやく前に、涼さんが言った。 「ここからはね、夜景も綺麗なんですが、僕はこの朝の光景の方が好きで。ここに泊まると、どんなに遅くに寝ても、どうしても早起きして見てしまうんです」 キラキラと輝く涼さんの目が、やさしく微笑んでいた。 「ヤツカにも、どうしても見せたかったから」 その目で私の顔を覗き込む。 「まだ眠かったでしょう?起こしてごめんね」 「そんな……すごいです、すごく」 言葉にならなかった。 そしてどうしていいかわからなかった。 そのあまりにも綺麗な光景に、そして、それを少年のような目で見つめる涼さんに。 わたしはどうしていいかわからなかった。 わからなかったから、自分の衝動のままに動いていた。わたしは涼さんの腕にしがみつくように擦り寄った。 「寒いですか?何か……」 見上げるわたしの目と、涼さんの眼差しがぶつかった。 わたしはどうしていいかわからない。 だけどどうしようもないぐらい、好きだと思った。今まで感じていた「ためらい」はどこかに消えて、いろいろな「世界」がすべてなくなって。ほんとうに、今、目の前にいる涼さんが好きだと思った。 わたしはなにをためらっていたのだろうか、なにが怖くて、なにが不安だったのだろうか。ただ、それだけなのに、わたしも涼さんも、それだけなのに。 言葉にもならないわたしの想いを、涼さんはちゃんとわかってくれる、そう思った。 涼さんの顔にちょっとだけ驚きの色がさした。 「……ヤツカ」 涼さんの声。少し高い、だけど柔らかな声。 「鍵はかけてくださいって、言ったじゃないですか」 いたずらっぽくその目がくりっと動く。咎めているのではない。わたしが何か言おうするその前に、涼さんは私の身体を抱き上げて、ベッドまで運んでいく。 二人分の重みが沈み込む。 「本当に……?」 その続きの言葉はまったく無意味だったから、わたしは涼さんの唇を指でつまんだ。涼さんはむっとした顔をして、それから笑った。子供のような笑顔で。 部屋の中が、朝の光でいっぱいになってきた。 「あ……涼さん、カーテン、」 閉めて下さいという弱々しいそのお願いは聞き流された。明るすぎる部屋がすべてをさらしてしまう。 「ヤツカ、綺麗ですよ」 死にそうなぐらい恥ずかしい言葉。だけど、わたしはもうためらわなかった。 |
そんな朝日がいっぱいの部屋で、ヤツカは涼さんの隠れマッチョな身体とすごいアンダーを確認してしまったんだなぁ(100質参照)(繋がった!)(つうか自分で落とすな)。 俺が死にそうなくらい恥ずかしいです(ダッシュ)。 おかねもちとやるには色々大変なんですよ、多分(言いっぱなし)。 ちなみに涼さんとヤツカが行こうとしていた美術館は千葉の川村記念美術館、でなければ水戸芸術館ぐらいな位置かなぁ(またそうやって固有名詞出すと失敗するよ?)(しかもどっちも行ったことない)(単に私が行きたいだけだ)(一生懸命話をそらしています)。 戻る |