ヨウカイ
妖怪は、いるんです。
だって、私が小学校の頃、私の家の近所に、住んでいたんですから。
それは、毎週土曜の午後に、習字の塾に行くために通る道。
新興住宅地にあった私の家の周辺には、新しい家が規則正しく並んでいました。習字の塾に行く際は、そんな住宅地を抜け、田んぼに挟まれた砂利道を通って、曲がりくねった道に沿って農家の人達が住んでいるちょっと型の古い家々が並んでいる辺りへ入ります。
その妖怪の住処は、その農家の並んでいる道にありました。
道に向けて建てられた、トタン作りの古びたトラクター小屋。
その、大きく張り出たひさしの、ジワリと暗い影の下。
時折姿を現す妖怪は、決まってその暗がりの中にいました。
その妖怪は、何か器物のふりをしているようでした。塗装のはげかけた鉄骨の枠の身体の中の、赤く錆びた円盤に、ギザギザの刃を持っていました。
湿っぽい暗がりの中に佇む妖怪は、私が通る度、ギザギザの刃を密かに構えてじっと私を見ていました。
その妖怪の住処の隣には、小さな檻があって、その中には農家の人達が飼っている鶏や兎が入っていました。しかし、その数が見る度に違うのです。
妖怪のギザギザの刃が真っ赤に錆びていたのは、夜な夜な鶏や兎の血を浴びているからに違いありません。
それを思うと、土曜が来る度その道を通らねばならないのは、恐ろしくて仕方ありませんでした。
妖怪はいつも必ずいたわけではありません。
私はその小屋の前を通る時、必ず遠くからまず今日は妖怪がいないかどうかを確かめ、いる時はなるべく妖怪に隙を見せないようにらみつけながら足早に通り過ぎ、いない時でもひさしの下の空っぽの暗がりを警戒して通っていました。
ある時、夕方薄暗くなってから、妖怪の前を通らねばならない羽目に陥った事も何度かあります。
小学校低学年の時は、母親に電話で泣きついて迎えに来てもらいました。
中学年になってからは、さすがにその手は使えず、いつも以上の警戒をすることで、何とか自力で通り過ぎて来ました。しかし、通り過ぎて妖怪から目を離そうとした瞬間の感覚は、今でも忘れることが出来ません。
足の裏から、熱いような冷たいような、気味悪い感触がじわじわ這い上がってきて、背中に広がっていくのです。
妖怪が放つ殺気に思わず振り返り、妖怪が見えなくなるまで後歩きで逃げたこともありますし、息を詰めて全力疾走したこともあります。
しかし、小学校も高学年になってくると、その妖怪が少なくとも昼間は大人しく器物のふりをしているものらしいと言うことが分かってきましたので、それほど怖いとは思わなくなってきました。
少しはまともに観察できるようになって、私は妖怪が時々おがくずにまみれていることに気が付きました。
妖怪は、器物のふりをしていました。おがくずにまみれていたのは、妖怪の器物としての持ち主が、妖怪を使っていたためでしょう。妖怪の器物としての名は、多分電動ノコギリと言う名だったと思われます。
しかし、多少怖く無くなったとはいえ、それは私にとってやっぱり妖怪だったのです。
あんな恐ろしいものを器物として使っている持ち主の気持ちが、私にはさっぱり分かりませんでした。持ち主は多分それが妖怪であることを知らなかったためでしょうが。
その後、私は中学校にあがり、忙しくなって習字の塾に通わなくなってしまいました。必然的に妖怪の前を通ることも殆ど無くなってしまいました。
それから数年。
実に久々に、その道を通ることになりました。
その道に沿って建っていた家々は、何軒か改築や建て直しをしたり、増えたり減ったり、景色は少し変わりました。
しかし。
妖怪は未だあのひさしの下にいたのです。
小学校の時と変わらず、あの古びたトタンのひさしの下に。
ジワリと暗い影の下、妖怪は、やはりじっとこちらを伺っていました。
ただ、数年前に感じたような粘りつくような殺気は、殆ど感じられなくなってしまいました。立ち止まっても、感じるのはその視線のみ。
多分、私は小学校の時より歳をとってしまったので、肉が固くなったとか、アクが強くなったとか、妖怪にとってあまり食欲をそそらない存在になってしまったからなのでしょう。
ほっとした反面、ちょっと残念なような、寂しいような気がしました。
でも考えてみれば、これは逆に好都合かもしれません。
だって、小学生だった頃と違って、妖怪と対等に付き合えるって事じゃありませんか。
今度、思い切って声でもかけてみようかなあと思っています。
「よっ、妖怪、元気?」
そしたら案外、小学校の頃の私のことでも、話し出してくれるかもしれません。
妖怪は、いるんです。
だって私の家の近所には、そんな妖怪が未だに住んでいるのですから。
