鍛冶師の願い
俺から生まれ出でた剣に願う。
俺にもっとも近い魂を持つ俺の末裔を、
真名志の末裔の下へ導いてくれ。
真名志の末裔が、その業に挑むその時に。
その業を分かち合い、真の昇華を叶えるために。
幾百年の時を経ても、力になってやれるはずだ。
真名志のために鍛えたお前たちならば。
俺を救い、真名志は全ての業を独りで背負った。
俺には一つも任せることなく、
己が身と己の血族だけを犠牲に、
何もかもを贖うつもりなのだ。
しかし、あの尊い孤高の魂とその血族の苦しみを、
座して見守ることなどどうして俺に出来ようか。
宿命を負った血族に、どうか救いを。
俺から生まれ出でた剣と、子供たちに願う。
固く閉じていた夕香の両目がうっすらと開かれたとき、既に常ならざる光が宿っていた。
夕香の身体を光が包む。その光は、夕香自身から発しているようでもあり、夕香めがけて集まってくるようでもあった。
表情が消え、夕香の両目がはっきりと開ききった。
次の瞬間、闇己の手が夕香の両目を塞ぎ、夕香めがけて集まっていた気をやんわりと払う。
途端、夕香ががくりと身体を崩し、傍にいた蒿が慌ててその身体を支えた。
「い、今…もしかして」
ぜいぜいと喘いで蒿にすがったまま、夕香が目を見開いて闇己を見上げる。
「ああ。初めて一人で成功させたな。完全に憑依する前に解いたけど」
ぱぁっと夕香が顔を輝かせた。蒿も夕香の両手をとって快哉を叫ぶ。
「嬉しい〜!」
「やったじゃん夕香!!ここまで長かったなあ〜〜!」
「ほんっと〜〜〜〜〜〜に長かったけどな」
喜びをかみしめる二人には、冷水を浴びせるような闇己の言葉だった。
「ったくここまでくるのにどんだけかかってんだお前は。素質はあるのに覚えが悪すぎる」
「そんな言い方すんなよ、今達成感に浸ってるとこなのに!」
闇己の厳しすぎる言い様に、蒿が抗議の声を上げる。
「ようやく一つ進歩しただけだろう。先は長いんだから気を散らすなと言ってるんだ」
「今気を散らしちまったのはお前だろうが!何で完全に憑依するまでやらせなかったんだよ?」
「気は集まり始めていたが、夕香自身の意識が薄らいでいたからだ。あの状態では気を憑依させても操れない」
蒿に乗っかって抗議しようとしていた夕香が、闇己の反論にぐっと言葉につまる。
蒿もふと思い出したように、腕の中の夕香に注意を戻した。
「そういや、ちょっとぼーっとしてたよな?よくあんな状態で成功したな」
「う、よ、よく分かんないけど、途中から頭の芯がしびれたみたいに真っ白になってきて、気が付いたら成功してたっていうかあ…」
「夕香の場合、難しく考えないほーがいいのかもな」
「考えると雑念が入るからな。今のをまぐれにしないよう、その時の状態をいつでも再現できるようにしろ」
「む、難しいこと言わないでよ闇己くんの鬼!」
「何も考えないことの何が難しいんだ。つくづく頭悪いな」
「…きーっ!!」
「ほ、ほら夕香、ともあれ一度コツ掴んじまえばきっとガンガン成功するようになるって、な、落ち着け!」
「…しばらく休憩。俺が戻るまでに頭冷やしとけ夕香」
ヒステリーを起こしてしまった夕香と、それをなだめようと必死の蒿を見捨て、闇己は道場からさっさと退散する。
どうせ蒿にとっては役得なのだ。気にするつもりもない。
闇己にはそんなことよりも気になることがあった。
今の憑依、夕香一人で成功させたものではない。どこかから補助されていた。
闇己は、補助の正体を確かめるために、気配を辿ってふすまを開けた。
――やっぱりあんたか。
そこにいたのは、夕香を連れて布椎家へきた七地だった。修行の間は授業のレポートをやると言って離れへ行ったはずだったが、何故か母屋の一室にとどまっている。
七地は、ふすまを開けた闇己に気づいていなかった。
床の間に向かい、片膝を立ててしゃがんで、うつむいている。左手には、床の間に安置されていたはずの迦具土の柄を握っていた。七地の右手は、所在無く畳に落ちている。
柄を七地の左手に、鞘に納まった刀身を床の間の縁に預けた迦具土は、鼓動でもするかのように規則正しく波動を放っていた。
闇己が聴き慣れた共鳴りとは違う。高く短いカンという音と共に、火花のような光がぱっと散らばる。一つ鳴るたびに、少しずつ、迦具土の霊力が高まっていた。
闇己は、迦具土がこんな風に力強く輝くのを初めて見た。迦具土は他の神剣が盗まれて以来たった一本で結界を守り続け、闇己が生まれたときには既に弱っていたからだ。
――迦具土が、鍛えなおされている…。
七地の右手は動かない。当然だ、ここには鉄を熱する炎も、冷やす水も、鎚も、金床もない。ただ一つ、七地という鍛冶師の他は。
だが、一度完成した神剣にとっては、それで充分なのだ。
鍛冶師は、巫覡に神剣を与える。
さっき夕香が憑依を成功させたのも、おそらくはこの波動の影響だ。高まった迦具土の波動が、七地を通してもっとも血の近い夕香に伝わり、憑依を補助したのだろう。
――…巫覡は、神剣に助けられることしか、…神剣を消費することしか出来ない。
閉じているのだと思っていた七地の目は、うっすらと開いていた。迦具土を見つめ、その輝きを慈しむように見つめている。迦具土は、そのまなざしに答えるように鳴り響く。鍛冶師と神剣の交歓。その様子の、なんと眩しく、暖かいことか。
闇己は立ち尽くして、しばらく七地と迦具土を見守ることしか出来なかった。
しかし、ふと気が付く。
七地の顔色は、恍惚とした表情とは裏腹にひどく青ざめていた。迦具土が霊力を増すたびに、うっすらと汗をかいた額からは血の気が引いていく。
ざわ、と闇己は背筋が総毛立つのを感じた。
「七地!」
光を突き破るようにして七地の手から迦具土を取り上げると、途端に七地の身体がバランスを崩した。
神剣を畳に放り出し、完全に脱力した生身の重さを全身で支える。
「あれ…闇己くん」
夢うつつの表情で、七地が呟いた。
「いつの間に寝たんだろ、俺…すっごく気持ち良い夢、見てたぁ…」
うっとりとしたまま、七地が闇己の頬を撫でる。
「どうしたの?なんだか、顔色が悪いよ」
言われた瞬間、かっと闇己は頭に血が上った。
「それは俺の台詞だ!あんた今自分が何してたかわかってるのか!」
「何って…居眠り?」
「違う!」
分かっている、七地は何も分かっていないに違いない。
だが、無自覚だからこそあまりにも無防備で、手加減を知らないのだ。
「あんたこの迦具土握ってぼーっとしてたんだよ!」
その台詞に、流石の七地も目が覚めたようだ。
「えええっ、お、俺なんで、いつの間に!」
「わ、馬鹿、立つな!」
闇己の制止も間に合わず、七地が起き上がろうとして、適わずに再びへたり込む。
下手をすれば頭から畳に落ちるところを、闇己が受け止めて畳の上に寝かせた。
「言わんこっちゃない!」
「ご、ごめん、何か身体に力が入んない、ていうか勝手に神剣に触ったりしてごめ…」
「あんたが神剣に触ったくらいで怒るわけないだろう」
七地があまりに無自覚すぎて、闇己はイライラと言葉を遮った。
「何がきっかけか知らないが、あんた迦具土に呼ばれたんだよ多分」
「迦具土が?そうか、夢だと思ってたけどあの光は迦具土だったのかあ。すごく力強くて奇麗な光だったよ」
「違う!それはあんたが命削って迦具土にくれてやってる光だったんだ!」
「はぁ?何それ?おれにそんなこと出来るわけないでしょ」
七地がいぶかしげに闇己を覗き込む。しかし、現にその顔は今も血の気がなかった。
闇己から苦いため息が漏れる。
「信じなくてもいい。とにかく何かのきっかけで迦具土と同調してこんなことになったんだ。あんた道場出てった後、何してたんだ?その辺にきっかけがある」
「何…って」
記憶を辿るように天井を彷徨っていた七地の視線が、ふと止まる。
途端、青ざめていた顔にさっと赤みが戻った。
「ええと…」
「言え」
七地がごまかそうとしたのを感知し、闇己が脅しを込めて圧力をかける。
言い逃れは無駄そうだという諦めが七地の顔に浮かび、居直ったようにため息をついた。
「何か、俺だけ巫覡の才能なくて、役立たずっていうか…仲間はずれみたいで、寂しかったんだよ。それで、何か君の役に立てることないのかなって考えてた」
――…それでか。
「阿呆が」
「あ、あ、阿呆!?」
「そんな弱気なことを考えてるから神剣につけこまれるんだ」
「つけこむって、闇己くんっ!神剣はそんなヨコシマなものじゃないだろ!」
神剣をかばうような七地の台詞に、闇己はますますムッとする。
「じゃああんたがお人良し過ぎるのが悪い。命削ってまで役に立ってくれなんて頼んだ覚えはない!」
「な、何を〜!」
思わず起き上がろうとした七地だが、まだ血の気が足りていないらしい。三度ぐらりと傾いだ七地を、闇己は横抱きに抱え上げる。
「ちょ、ちょちょちょちょっと、いきなり何すんの!?」
「とにかく、あんたは今神剣に精気をやりすぎてまともに動ける状態じゃない。離れに布団敷いてやるから妙なこと考えずに大人しく寝てろ」
大の男が軽々と抱き上げられるのは気恥ずかしいものの、手足に力が入らないのは確かだから、大人しく運ばれるしかない。
「くそ〜…」
毒づいた時、闇己の肩越しに見える神剣に気が付く。
「闇己くん、神剣が畳に放りっぱなしだよ。床の間に戻さなくていいの?」
「かまわん」
「ちょっと、家宝なのに扱いぞんざいなんじゃないの?」
「だ・ま・れ」
「…はい」
七地は、人のことには鋭いくせに自分のことにはてんで無神経なのだ。それが闇己をいらだたせる。
闇己の役に立ちたい。神剣はその願いに呼応して七地を呼んだのだろう。強く蘇った神剣は、間違いなく巫覡としての闇己の力となる。しかし闇己にとっては七地を犠牲にする力ならいっそいらない。
いや、七地が慈しみ、恍惚として命を注ぎ込んでいた…そして七地と共に他の何者も寄せ付けない空間を作り出していた迦具土が、むしろ憎らしくさえあった。
畳に放置したのはちょっとした意趣返しのようなものだ。
どうして自分がそんなそんな子供じみた感情に身を任せているのか、闇己自身にもわからない。けれど、今こうして七地を運んでいる時間が少しでも長引くようにと、ことさらゆっくりと足を運んでいる自分には気が付いていた。
腕の中に七地のぬくもりを感じることを心地よいと感じていることだけは、はっきりしていたから。
真名志が知ったら、怒るだろうな。
自分の業に俺を関らせるのは嫌だと。
けれど、お前の苦しみを座して見守ることなど、
俺には出来ないのだ。
だから、願う。お前の末裔を慈しむ者の存在を。
そして願わくば、それが俺の末裔であることを。
ひたすらに、願う。無力な俺が、
お前に何かしてやれることを。
こめんと。
ミカチヒコにしろ七地にしろお人良しが過ぎて、面倒見るのが大変だ。しかも巫覡たちにとっては鍛冶師であることを除いても不可欠な人物。なのに当人達にはその自覚がない。ただ己の微力を巫覡たちに捧げようとするその魂が一番似ている。