――閉じ込めたらマカじゃなくなるだろ、どう考えても。
独占欲に蓋をするのは結構辛い。
「これ、オレの」
と正々堂々公言できれば良いのに、ソウルとマカの仲は案外曖昧だ。
相棒自慢するには今更過ぎる。ただでさえ人気者なのに、これ以上信望者が増えられても困る。
「キツいね…」
皆に囲まれた彼女の笑顔は眩しい。
「オレはどうしたいんだか」
皆から引き離せば誰も彼女の笑顔を見なくなるだろう。
皆から引き離せばオレにも笑顔を見せなくなるだろう。
それでもいいから独占したい?
「馬鹿のやることだよ、そんなのは」
その馬鹿になりそうな自分をどう押さえ込もう。
男友達ばかりと連れ立って、一晩遊び明かした朝だった。
「おはよ」
いつもの笑顔がソウルを起こした。彼女の髪を、カーテンから降り注ぐ朝日が艶となってすべる。
見慣れているはずの光景に、違和感を覚えた。
彼女の髪に照りかえる、朝の光がおかしい。窓の位置が違う。まずそこに気が付く。
窓枠も違う。カーテンも違う。壁紙も違う、いや…壁がない。
ベッドは確かにいつも自分が寝ているものなのに。
床はある。やわらかいアイボリーのタイルが、何処までも無限に続く。果ては白く霞んで見えなかった。
壁紙のように見えたのは、空中に浮かぶ活字達。
ぽっかりと浮いている窓から、朝日が差し込んでいた。
窓から見える景色は、水彩で描いた風景画のような、広々とした草原だった。
「ここ…どこだ?」
「どこだろね?」
彼女は応えつつも笑顔を崩さない。それどころか、とてつもなく嬉しそうに、その顔を輝かせる。
「私も、こんなことは馬鹿のすることだと思ったよ」
考えたことを、読まれている。魂を共鳴させている時のように。
「でも、何かやっぱり我慢できなくなっちゃった」
ベッドのふちに腰掛け、彼女は苦笑する。
「つまんない場所で、ごめんね。私本ばっかり読んでるから…」
「じゃあ、ここは…」
「マカルームへ、ようこそ」
ぼぉん。枕元で、柱時計が鐘を打つと、急に耳障りな音で時を刻み始める。
ちき、ちき、ちき、ちき、ちき。それは、秒針ではなく短針の回る音だった。
早朝を示していたそれは、あっというまにぐるりと正午を通り過ぎる。それとともに日光と部屋の明るさも変化していく。
「小さい頃、日が暮れるのがいやだった。友達とどんなに楽しく遊んでても、日が暮れたら別れて帰らなくちゃいけないもの」
部屋が、赤く、暗く染まっていく。
窓の景色はいつの間にか、夕日の沈む海になっていた。
部屋は、刻々とその表情を変化させていく。ここは、紛れもなくマカの魂だ。
そんな彼女だから、周りに人は集まり、それがソウルを不安に追い込んだ。
けれど不安だったのは、ソウルだけではなかったということだ。
「どんなに時間がたっても変わらずにいるって、難しいね」
部屋が暗くなるにつれ、彼女の笑顔も翳っていく。
ソウルはよく知っている。彼女の笑顔は眩しく、その反面翳りやすい。
「マカ…」
「…あのね」
名を呼ぶと、マカは何かを言いかけて、やめた。ソウルから目を逸らし、うつむいて、膝の上で握り締めた両手を見つめている。
時計は既に真夜中近い。昇り始めの下弦の月が、視界の端に映る。窓の夜空に星は無く、孤独に痩せた月の光は、ひどく赤みがかっていた。
マカはソウルから目をそらしたまま、ぽつりと呟くように問いかけた。
「ソウル、ここから、出たい?」
暗い声に、身体がすくんだ。
何故そんなことを訊くのか。この状況は、彼女自身が望んだもののはずなのに。いや、彼女なら、こんなことはそもそも望まないと思っていた。だから、解らない。
彼女は今、何を求めているのか。何と応えれば、何が起きるのか。
必死に彼女の表情を読もうとするソウルの視線に気づいて、マカがキッと目を剥いた。
「答えてよ」
迫る緑の瞳は、こんなに暗いのに、どうしていつもと同じように強いのか。
ソウルがひるむと、マカは追い打つように問いかけ、ソウルの両肩を掴んだ。
「答えて」
ソウルの両肩に、マカの全体重がかかる。体力的には圧し負けるはずのない細身なのに、緑の瞳に射抜かれると勝てない。ソウルの上半身は倒れ、ベッドに縫い付けられた。
ソウルを押さえつけながら、マカは震えていた。
「ソウルの気持ちを答えてよ」
ぱた、と、ソウルの頬に雫が落ちた。見開いて瞬き一つせぬまま、緑の瞳は涙に濡れていた。
温かい雫と緑の瞳。見つめているうちに、脳髄がしびれていく。
先ほどまでの困惑を、熱を帯びた疼きが押し流していた。
ぼんやりと、ソウルは悟っていた。彼女は、彼女の考えに媚びる様な答えなど求めていない。ならば答えなど、一つしかなかった。
うわごとのように答える。
「オレは…ここでも、どこでも、いい。お前の、傍なら」
ふ、と虚をつかれたように、マカが瞬いた。
しかしその目は、すぐに猜疑心を湛えて淀む。肩に、マカの爪が食い込んだ。
「嘘。そんなこと言っといて、すぐフラフラするのが男の十八番じゃない」
ほとんど墨黒になった部屋で、活字達だけがうっすらと赤い月光を灯している。
「なら。オレがなんて言おうとお前の満足できるようにやるといい」
「私の勝手だけで私が満足できるわけあるか!」
どん、と拳をソウルの胸に叩きつけてマカが怒鳴った。
――…そう、お前はどう血迷ってもほんの一時のことなんだ。
結局はフェアなやり方じゃないと満足できない。
「…じゃあ、一度ここを出よう。オレはお前を満足させてやる。それを、証明してやるよ」
「証明?する前に逃げないっていう保障は?」
「目印、つけろよ。オレが、お前以外のモンにはならねぇって言う目印」
「目印。」
にや、とマカが笑った。
時計は、夜明け前を指している。赤い下弦の月が、頂点に座す。一番、闇の深い時間。
目覚めると、相棒が覗き込んでいた。
紅い瞳の相棒が、布団越しに馬乗りになっている。
「ソウ…」
マカは驚愕に目を見開いている。たった今起きたばかりなのに、一気に頭が冷えたようだ。
そんなマカにソウルはぐっと顔を近づけ、息がかかるほどの距離で囁いた。
「マカ」
びくりとマカが震える。
ソウルがまたがっているのはマカの下半身だ、その気になれば上半身でソウルを押し返すことが出来るはずだ。しかし、マカはそれをしない。
それを確認して、ソウルはにやりと笑った。
「証明、しにきた」
どくん、と布団越しにマカの鼓動が伝わった。
その鼓動が、ソウルの背筋を電流のように走った。思わず、顔がにやりと歪む。
「まさか…今のは、夢、だったはず…」
「さあ、どうだろうな?」
カーテンに遮られた朝の光が、部屋を陰影で彩った。ぼんやりとゆらめく影が、大小の活字に見えるのは気のせいか。
マカの上で、ソウルがTシャツの裾をめくり、ジーンズをわずかに押し下げて、臍の辺りをむき出しにする。
「夢の中だろうとどこだろうと、約束は約束だろ?」
ソウルの臍の左下には、マカの筆跡で、くっきりとマカの名前が刻まれていた。
「オレは、間違いなくお前のモンだ」
ソウルは、自分の名前を凝視するマカの頬を捉え、その目を覗き込んだ。
「そうだろ?マカ」
呆然としつつもマカは、自分の頬を包む大きな両手に、か細い自分の手を重ねた。
細い指はソウルの指の隙間に入り込み、絡めとって握り締める。
「そうだよ、ソウル…よそ見したら、許さないんだから」
「証明してやるって、言ってんだろ?」
カーテン越しに朝の光を受けながら、ソウルはマカの唇に、自分のそれを深く押し付けた。