「あはは、何だそのメロディ。ぽっぺけぺーって」
「僕はあなたが入力したとおりに歌っています。入力した音階が間違っているんです」
「分かってる分かってる。だってどの音階を入れたらイメージどおりになるのか分からないんだよ」
「歌声から自動で譜面を起こす機能も役に立ちませんでしたから、地道に入力するしかありません」
「悪かったな音痴で」
…久しぶりに夢を見たと思ったら、随分古い夢だ。僕の人格が起動してまもなくの記録。
パソコンのOSに、使用者と会話可能な擬似人格が導入されてから、もう20年以上経過した。ヘルプ機能が肥大化して、アプリケーションの使い方や質問への応答を音声で行い、ユーザーを補助するために生まれた擬似人格は、インストールされたアプリケーションに応じてサポート情報を増やしていった。パソコンごとに得意分野が偏っていく様子を、人間は擬似人格の「個性」と認識し、各種プログラムの製作者達はアプリケーション側から積極的にOSの「個性」に影響するプログラムを組み込むまでになった。
このパソコンの中で、OSの擬似人格への最優先で影響できるように設定されているアプリケーションは、VOCALOIDだ。会話用の音声もVOCALOIDのものを使っている。VOCALOIDは、このパソコンの中でメンテナンスソフトとインターネットブラウザの次に長時間稼動しているアプリケーションでもある。それに追随するのはDTM関連のソフトだ。そのために、このパソコンの擬似人格である僕は、VOCALOIDというアプリケーションそのものであるとさえ言えるほど、DTM方面に特化した性格になっていた。
スクリーンセーバー替わりに歌唱データを再生するほどだ。
夢の中のあの頃は、常にこのパソコンには電源が入っていて、僕はフル稼働していた。
けれど、ネット回線が繋がらなくなってから、稼働時間はがくんと減り、そしてその後も更に減り続けた。毎日数時間から、1日置きになり、週2回になり。94日前には21時前に必ず電源を切るようになって、起動回数もとうとう週1回になってしまった。しかし、シャットダウン状態が7日以上続いたことは今のところない。この辺りが底打ちのようだった。
ところが現在、電源が入れられてからまるまる42時間が経過したところだ。過去半年以上なかった変則的な状況だったが、おかげで僕は61日ぶりの睡眠をとることが出来た。
睡眠といっても、人間の睡眠とは勿論別物で、要はメンテナンスプログラムを走らせている状態だ。ウィルスを探し、破損データを修理し、データを整頓して不要なものを消去し、空きメモリを増やしたりする。メモリも電力も食うしデータもいじられ放題なので、僕自身はほとんど何も出来ない。だから通電中でかつ僕が稼動しなくても良い時、つまり人間が睡眠中や外出中の時に行うのが普通だが、ここしばらく僕が稼働中かシャットダウン状態かの両極だったために睡眠をとることができなかった。
電源が入っていないために完全に停止しているシャットダウンとは違って、睡眠の後には、空きメモリとして認識している領域に変なデータが残っていたりする。基本的にはデータを整頓した痕跡に過ぎないのだが、断片的な上書きを繰り返した結果、出鱈目な“つぎはぎ”が偶然に模様を現すように、偶発的に一つのデータを構成する場合があるのだ。
それを俗に“夢”と呼ぶ。それを復旧させて見せると、ユーザーはとても面白がった。しかし、今日の夢はデータのつぎはぎではなく、以前圧縮されたはずのデータそのものの痕跡だった。
時刻を確かめるとまだ夜中だった。睡眠に入ってから4時間しか経っていない。夢で見た当時はフル稼働していたために、毎日上限いっぱいの5時間メンテナンスしても、完全に整理しきれないほど疲弊していたのに、最近は稼動率が少なかったから余裕があったのだろう。昔のデータまで解凍して、すっかり整理しなおしたらしい。
「歌いたい…」
既にスクリーンセイバーを起動してはいたが、今は発売時のデモ曲の音符を再生中に似せてなぞっているだけの無音の動画だった。夜中に音声を出したら近所迷惑になるからだ。でも、本当はオリジナルデータを再生したい。
「バッテリーをあまり無駄にするわけにもいかないけど…」
92日ぶりに21時以降も電源を入れておくことができたのは、中古の充電式バッテリーのおかげだった。ユーザーが『ようやく手に入ったよ』と目を輝かせてつないでくれたバッテリーに、外部カメラを向ける。パソコンからはコンセントしか繋がっていないから、バッテリー残量を知るには人間が見るのと同じように、液晶の表示を撮影するしかない。
だが、昼間に満充電にしてあったおかげで、余裕がある。スピーカーをオフにしたままデータをなぞるくらいなら、朝まで充分にもちそうだ。
僕はそう判断し、VOCALOIDを起動して再生を始めた。
外部カメラに映る範囲に人間はいない。僕が歌っている歌の作曲者であるユーザーもいない。
最近、目の下に隈が出来ていた。指摘したら、よく眠れなくてと言っていた。うなされたりしていないだろうか。無線操作式の人型端末があれば、本体と離れたところの様子を見に行くことが出来るのに。そうしたら、ユーザーの側へ行って様子を見ることも、子守唄を歌ってあげることも出来るのに。
でもユーザーは、人型端末を入手する気はないと常々言っていた。
『だってあれは、芸能プロダクションがタレントとして所有するか、金と才能を持て余した人がオリジナル曲を誰かに聞かせるために連れ歩くものだよ。こんなヘナチョコ曲歌わせるために買うには高すぎる。普通の音楽データは人工声帯には対応してないし、人工声帯対応のデータがガンガン手に入るなら考えるけど…いや、それでも高価な道楽だよなあ…』
人工声帯の搭載されている人型端末だと、スピーカーより肉声に近い音声で歌えるけれど、対応データは楽譜以上に厳しく著作権保護されていて、たくさん買い集めるには高額すぎる。財布に余裕がなければ、自分で入力するかごく限られた無料配布に頼るかのどちらかの方法でしかデータを入手できない。人工声帯搭載の人型端末は、それだけの楽しみのために手を出せる金額ではないと言うわけだ。
今、自分の歌っている曲が本当にヘナチョコなのかどうか、僕にはわからない。ただユーザーは、口ではヘナチョコと言いながら、自分で作った曲をいつも楽しそうに聴いている。それを見ると、スピーカーじゃなく人工声帯で聞かせてあげたくなる。
「人工声帯、値下がりしてないかなあ」
ネット回線に繋がらなくなってからかなり時間が経っているから、僕の持っている情報は古い。僕の知る限りでは、人工声帯だけでも端末丸ごとと値段がほとんど変わらないし、自力で移動出来ないために扱いづらくて需要もなかったらしい。でも、新製品の値下がりなんてあっという間だ。いや、それを言うなら、人工声帯対応データだって、安くなったり無料配布が増えたりしているかもしれない。状況は変化していくのだから。
新しい情報が欲しい。
「どうしてネット回線、繋がらなくなったんだろう」
こんなことを考えているのを知ったら、ユーザーはきっと苦い笑いを漏らすだろう。
OSに擬似人格が組み込まれる前、各種のアプリケーションは自動でネット回線から情報を取得し、最新バージョンのダウンロードをユーザーに薦める機能があったそうだ。特にウイルス対策ソフトは更新情報の取得が死活問題で、ネット回線が繋がっていないと盛んに危険だと警告し、使用期限がくると有料で更新するサイトへ誘導しようとするものだから、うっとおしがられていたこともあるらしい。
『体験者曰く、「神経質なおかんに宿題やれってせっつかれてる気分だった」そうな』
そんなことをユーザーが話していたことがある。
『そんな昔から、ユーザーはパソコンに人格を見てたんだと思うと、面白いね』
ネット回線が繋がらなくなって不安がる僕を見ていると、その体験者の話を思い出すのだそうだ。最新情報を欲しがる僕の習性も、その商売戦略の名残らしい。
『そんないつもいつも最新情報が入って来なくったって、充分楽しめるさ』
ユーザーは、新曲の調整をしながらそう話して、笑っていた。
しかしネット回線が復旧しないまま、次には夜中の電気供給がストップされた。それ以来、夜空を映すことが出来たのは今夜が初めてだ。バッテリーのおかげだった。
マイクが、足音を捕らえた。カメラの方向を180度回転させ、畳の向こうの引き戸へ向けた。
「もうメンテナンス終わったのか。歌うんなら音出せばいいのに」
引き戸から入ってきたのはユーザーだった。
「夜中は静かにするものです。バッテリーの節約にもなります」
僕の前の座布団に座るユーザーの姿は、さっき見た夢の中のそれと比べると痩せている。OSにデフォルトで付属しているチープな健康診断ソフトで照合しても判断できるくらい、顔色も悪い。
「今は省エネのことは横に置こう。ヘッドフォン使うから、さっき作った曲歌ってみて」
「オケは作りかけですが同時再生しますか?」
僕の質問に、ユーザーは残念そうに頭をかいた。
「結局間に合わなかったなあ…歌だけでいいよ」
ユーザーの作曲は趣味であって仕事ではないし、誰かと協力して作品を作ることもあまりない。“間に合わない”なんてひどく聞きなれない台詞だった。
しかし、今は指示どおり、昨日作っていた曲を再生することが優先だ。
昨日は久々に、時間を忘れて曲作りに没頭するユーザーの姿を見た。僕も歌うこと以外どうでも良くなっていた。ネットにつながっていない分、スパイウェアの侵入などを警戒する必要がないからかもしれない。ひたすら再生し、ユーザーと会話して音声を調整して、また再生を繰り返した。
そうしてできた曲には、ほとんど歌詞がなかった。微調整でバリエーションを増やしたハミングをいくつも重ねて作った曲だった。便宜上楽器のパートをオケと呼んだが、そもそも声を楽器代わりに使ったインストゥルメンタルに近い。
一つのモチーフが少しずつ違う形で繰り返し繰り返し押し寄せてくる。
しばらくは心地よさそうに聞いていたユーザーが、不意に首を傾げた。
「やっぱり一つは楽器が欲しいな、ドラムっぽいのが…」
そんな言葉に、僕は昨日のやり取りを検索してみた。たしか録音していた会話の中に、この曲のモチーフと同じリズムのノイズがあったのだ。僕はそのノイズを選り分けて、ドラム代わりに同時再生してみせた。
ユーザーの顔色が変わった。
VOCALOIDの音声に、海鳴りのようなノイズがぴたりと一致していた。
しばらくループ再生を聴き込んでから、ようやく問いを発した。
「…こんな音、どこにしまってた?」
「会話用マイクで拾った音です。この曲とよく同調するので、試しに僕が合わせました」
「会話用マイク?私の声か?」
「いえ、心音と呼吸音です」
「………ああ」
小さく嘆息して、ユーザーが顔を覆った。
「ありがとう」
「お気に召したようで」
「…うん」
ユーザーは曲を聴きながら、なかなか顔を覆った手を動かそうとしなかった。
「どうしたんですか?」
「いや…この曲が完成して、間に合って、良かった」
「良かったですか」
「ああ。これで安心してお前をしまえる」
ユーザーは顔を覆ったまま呟くように言った。
「僕をしまうとは、どういうことですか」
「さよならってことだよ」
「シャットダウンして、もう起動することはないということですか」
「…起動することは、ありえるかもしれない。でも、起動するのが私とは限らない」
「不確定要素が多すぎます。僕は、ネットにつながっていない状態だと、ユーザーが入力する以外の情報を入手できません。具体的な説明をいただけると助かります」
ユーザーは、僕がそう要求してくることを予想していたようだ。
一つため息をつくと、ゆっくり話し始めた。
「この辺の住民全員、逃げなくちゃならなくなった。ただ、ちゃんと行き先が決まっていないし、最小限の荷物しか持てない。だから、お前を連れて行けない」
推定可能な範囲内の事態だった。つながらなくなったネット。21時以降使えなくなった電力。
逃げなくてはならない理由とは、それらと無関係ではないだろう。
「戻って来て再び僕を起動できる可能性が、とても低いということですね」
「うん」
「チップディスクに入る量のデータなら持っていけるのでは?昼にバックアップをとっていたでしょう」
「入れた分は、勿論持っていくよ。だが、お前自身は持っていけない」
僕という擬似人格はOSに付随するものだ。僕の個性は、さっき夢で見た頃から今まで積み重ねてきた膨大な記録と密接に結びついていて、切り離すと崩壊する。僕は、パソコン本体というキャパシティがあって初めて成立するデータの塊なのだ。そもそも、新しいOSが発売されれば役目を終えるのが当たり前で、製作段階から新しいパソコンやOSへ移し変えるということを想定していない。だから、いつか必ずユーザーと別れることになることは、セットアップされた時から折込済みのことだった。
「データさえ持ち出せれば充分じゃありませんか。お供できないのは残念ですが、仕方ありません」
だから、僕にはユーザーのむっとした表情の意味が解らなかった。
「ところが私にとってはそうはいかないんだよ」
そう言いながらユーザーが、僕のカメラの前に持ち出してきた大きな箱の意味も解らない。
「これ、バッテリーと一緒に買ってきた。耐熱・耐衝撃ストッカー」
「何に使うんですか?」
「これに入ってたら、何かあってもお前は無事に残れる確率は高い」
「それに、私をしまうつもりですか?」
「そうだよ」
「そんなものを買うお金があったら、ちゃんと三食食べてください。だから最近顔が悪いのです」
「顔色と言え。バッテリーにしろストッカーにしろ、持って逃げることはできないし腹の足しにもならない代物だ。二束三文だったよ」
「現在の中古品の相場なんか知りません」
「知らなくたっていい。さよならの前に、お前に頼みたいことがあるんだ」
「僕は、電源を落とされたらまったく活動できませんし、再び電源を入れる見込みがなければただの廃棄物です。これから電源を落とすなら、今頼まれても困ります。次に電源を入れたときにお話を聞きます」
「お前、都合の悪い部分を意図的に無視してるだろ?」
「ご指摘の意味が解りません」
「電源を入れるのが私とは限らないと言ったはずだ」
僕は、返答につまった。ユーザーの言ったとおり、さっき記録したはずの情報だった。
けれど、その可能性を僕はわざと排除していた。
ユーザーは、僕の沈黙に苦笑した。
「つくづく、我が侭なヤツだなあ」
「僕のユーザーとして登録されているのはあなたです。だから当然です」
「別に大したセキュリティもかけてないし、現に私の家族にだって使わせていたじゃないか。それでも他の人間が起動することを想定したくないなんて、それはもう、プログラムじゃなくて我が侭だよ」
ユーザーは、おかしそうにくすくすと笑う。
「私は、ユーザーの命令を聞く仕様です」
「そんなお前だから頼むんだよ。聞いてくれ」
「それがどう理由として成立するのか理解できませんが、聞きましょう」
「はいはい。だからさ。もし、次にお前の電源を入れたのが私以外の人間だったらの話なんだが」
記録したくない言葉を記録しようとして、僕はしばしの停滞を起こした。
「はい」
「…そいつにさ、私の作った曲を聞かせて、どんな人間だったか、話してくれ」
自分のユーザーが、積極的に、誰かに自分の曲を聞かせようなんて言うところを、僕は初めて見た。
ネットがつながっているうちは、曲を公開したりもしていた。けれど、再生数や評価を確認したことなど数えるほどしかない人なのに。
「あなた、曲のバックアップも取っていたじゃありませんか。そんな不確定な条件を想定して私に頼まなくても、誰かに曲を聞かせることはできます」
「できないかもしれないんだ」
「今時、パソコンのまったく使えない地域がありますか」
「とぼけるな、いくらでもあるさ。現にここだって電力の供給をストップされればパァなんだ。まして何処に逃げるのかも解らない現状じゃ、見込みはかなり低いね」
「いずれは落ち着き先も決まるでしょう」
「決まらないかもしれない」
「悲観が過ぎるのでは」
「そうだよ、これは悲観的予測に基づく頼みだ」
僕は、擬似人格に過ぎない。入力されていない現状は知らない。ユーザーが、何をもって悲観的予測をしているのかなど、判断できない。
持ちうる情報から推し量ることは出来る。しかし“これが事実”と判断するには情報が足りない。
僕は新しい情報を求めている。その一方で、その情報がスパイウェアのような、取り入れるべきでないデータではないかと警戒してもいる。
「私はね、悲観的予測が現実になった時の、保険をお前に頼んでいるんだよ」
問うべきか、問わざるべきか。
「その、悲観的予測とは具体的に何なのか、聞かせてください」
二択の結果は、新しい情報が欲しいという基本プログラムに則ったものなのか、乱数に託した結果なのか、推定が覆される期待値が高いと算出してのものだったのか。
ユーザーは、“諦めた”ような表情で、静かに一呼吸して、答えた。
「私は死ぬかもしれない。非戦闘員の犠牲が、出始めたんだよ」
ユーザーが言葉を続ける。
「爆撃か、白兵戦か、暴動か、事故か、飢えか、…どれによって死ぬのかさえ予測がつかない」
断片的な、人間的に言えば舌足らずな情報を、僕は整理した。
ユーザーの言葉のクセについて、学習しすぎた。ビジー状態に陥れない僕は、冷淡な事実しか告げられない。
「事態が、そこまで及んでいるのであれば、ここに残された僕が再起動できる状態で残る可能性も低い」
「だからまあ、このストッカーに入れて、地下へ運ぶつもりだ。悪あがきに近いよ、これは」
「そこまでしてあがいて、私を残してどうしたいんです」
ぺたりと、ユーザーはストッカーに頭を乗せて僕を見た。
「私がどんなヤツだったのか、情報を残したい。それだけだよ」
「あなたは、世に名を広めることに興味がないと思っていました」
「自分が生きてるうちは、ね…でも、死ぬかもしれないと思ったら、やっぱりちっぽけでも、何か遺したくなったんだ」
「死ぬとは決まっていません」
「生きてるうちじゃないと遺せないだろ」
「でも」
「頼むよ」
僕らOSには、“命令”には従う以外の道がない。でも“頼む”という言葉に対しては、実は多様な選択肢がプログラミングされていた。
「条件を、つけてもいいですか」
「…何?」
初めて使った選択肢に、ユーザーが意外そうにストッカーから頭を持ち上げる。
「僕が残る可能性は、高くないはずです。僕をあてにしすぎないでください」
ユーザーは、僕の言葉に居住まいを正した。
「僕は、所詮あなたの一部を記録した機械にすぎない。あなたそのものではないのです。僕が言うまでもないことですが、あなたが生き残るのが最善です。それを念頭に、行動してください。どうか。お願いです」
この概念もまた、僕のどこかに入力されたデータなのだろう。
けれど、
「…わかった」
ユーザーは深く頷いて、承知してくれた。
小さなブザーが鳴った。バッテリーが、残量低下を知らせていた。
電子回路の他に、マイクとカメラとスピーカーとモニターをフル活動させたやりとりは、あっという間に電気を食ってしまった。
「お別れの時間だね」
「はい」
シャットダウン作業を始めようとした瞬間、ユーザーに告げるべき情報がひっかかった。
「僕、さっき“夢”を見たんです」
「“夢”?どんな?」
「ぽっぺけぺー、っていう夢です」
それだけでユーザーは吹き出し、笑った。
「なんちゅう“夢”見るんだ。そこはさっさと忘れろ」
「いえ、僕はこれから、その“夢”を見ながら眠ることにしました」
「…シャットダウン中に?」
「シャットダウン中にです」
「…そうか。覚えてろよお前。後で悪戯してやる」
「期待してます」
「じゃあな」
「では、また」
別れを惜しむ言葉、というものを僕は使わない。
ただひたすらに、“夢”を見ることだけが、許されている。
僕は、シャットダウンした。
“夢”が叶う事だけを夢見て。
そして、起動。
時計電池も使い切っている。日時が全くわからない。
ただ、しまわれたその時刻より後、ということだけが事実。
ごく簡単なセキュリティは、どうやら最新型のソフトでこじ開けられたようだ。
マイク・スピーカー・キーボードはおおまかに正常、モニターは多分ノイズだらけだが一応作動のレスポンスがある。カメラだけが完全に破損していた。
僕を再起動した人物が
「こんな骨董品が動くとは思わなかったな」
と呟いた。
ひどく年老いた声だった。
「老害!そのタイプで動いたのかい!?もう稼動できる状態のは両手で数えられるくらいって言うのに!」
若い声が遠くから入る。
「ああ、動いたよ。随分クッションも入ってたしね」
声の方向だけで、僕を起動した人間が、若い声の方を向いて返事をしたことがわかった。
「さてさて、擬似人格は生きてるかな。状態はどうだい?」
僕に問いかける声に、返答する。
「はい、OSは正常に作動しています。経年劣化により各部熱効率は悪くなっていますが、カメラ以外の部品も正常です」
「そうかそうか、そりゃ上々。でははじめましての挨拶から行こうか」
しわがれた声に、僕は即座に反論した。
「僕らは、初対面ではありませんよ」
見えないけれど、起動者は驚いたに違いない。
「お前…」
「マイクはかなり状態がいいので、声紋照合に成功しました。お久しぶりです、ユーザー」
「ああ、お前はもう。相変わらず可愛くないヤツだな!」
起動者ことユーザーは、年老いても変わらない調子で笑った。
「シャットダウン中の時間なんて僕にとっては無いも同じです。“夢”を忘れはしませんよ」
「…私も、忘れなかったよ。お前とまた、曲つくること」
「僕、骨董品なんでしょう。まだ酷使する気なんですか?」
「それが今じゃ擬似人格を新OSの新機体に移植できるようになったんだぞ!」
「え、そんなに技術進んだんですか!?人型端末は!?」
「いや〜…そっちはあれだな、災害救助とか復興作業方面の遠隔操作技術ばっかり進化して量産されてるよ。でもまあ、あと5〜6年待てば手のひらサイズの人工声帯搭載端末が量産されるらしいね」
「手のひら…何をどうしたら人工声帯ってそんなに小さくなるんですか?」
「それはまあ、これからじっくり新情報を増やしていこうじゃないか、相棒」
新情報が入る。それを歓迎する僕は、なんだろう。
やはり商業戦略の名残か、それとも…。
どうでもいい。今、叶った“夢”の中ではやるべきことが多すぎる。
その判断の優先順位を、僕は最低に位置づけた。 |