君の言葉
 本当はさ。いつでもおまえの話す言葉を、聞いていたいんだ。
「わあ、きれい!」
 街の花屋の前。色とりどりの花の溢れる籠に、瞳を輝かすビビ。
 その体の中に溢れる気持ちをそっくり写しとって現してしまう、素直で柔らかいビビの声。
 その言葉はどんな話題でも、ジタンの耳にはたまらなく甘い。
「ねえ、ジタン、このお花はなんて言うの?」
 まっすぐジタンを見上げて、尋ねる金色の瞳。ほんの少し首を傾げ、ジタンの言葉を待つ。
 出会ったばかりの頃は、下を向いて自信なさげにボソボソ喋っていたのに、今ではその声と言葉で、懸命に話しかけてくれる。
 その姿に思わず微笑みながらジタンが答えると、ビビは教えてもらった花の名を、大切にしまい込むように口の中で繰り返した。
「まだつぼみが残ってるね。明日になったらこれも咲くかなあ」
 瞳を細めて、小さな手でそっとつぼみを撫でて呟く。
 楽しそうに、嬉しそうに。ちょっと舌足らずに、でも一生懸命に、ビビの唇からこぼれる言葉。その響きが何かの呪文のように、ジタンの心をビビの心とそっくりの、弾んだ色に染めていく。
 買ってやったら、明日花が咲いた時、おまえはまた嬉しそうにそれを報告してくれるだろうか?
 そんな事を思いながら、ジタンの手がコインを探して、ポケットの中を探り出す。
 でも当のビビは、そんなジタンの様子に気付かずに、花の籠に顔をうずめて、その匂いを嗅いでいた。
「いい匂い…このお花って、根っこのところが食べられるんだよね?」
「よく知ってんなあ」
 そんなジタンの言葉に、照れたように帽子をいじるビビ。
 ジタンは、頬の辺りから微笑みが思わずにじみ出てくるのを自覚した。
 もっとおまえの言葉が聞きたい。
 そんなことを思った時、ビビがこう呟く。
「おじいちゃんが、教えてくれたんだ」
 途端、ジタンの笑顔がぴたりと止まる。
「おじいちゃんね、何でもよく知ってたけど、その中でも食べられるもののことはとっても詳しかったんだ」
 楽しそうに語る言葉を聞きながら、けれどジタンの笑顔は微妙に引きつったものになっていく。
 笑え、笑えってば。てめえ一応役者だろ。そうしないとビビが傷つくじゃないか。
 必死に自分に言い聞かせるジタン。けれど顔の筋肉は、上手く言うことを聞いてくれなくて。
「だからね、…ジタン?どうしたの?」
 ジタンの様子がおかしいことにやっと気がついたビビが、ちょっと不安げに覗き込む。
 まずい!
 そう思った瞬間。
「ビビ、ジタン、そろそろ宿に入らないと、日が暮れてしまうわよ」
 それまで傍観していたダガーが、やんわりと割りこんだ。
「あ、うん」
 ダガーに促されて、ちょっと名残惜しげに花篭を見遣りながらも、歩き始めるビビ。
 ジタンはビビの視線がそれたことにほっとして、のっそりと歩き始める。
 本当は、どんな話題だって君の言葉を聞いていたいと思ってる。
 思ってるはず、なんだけどさ。
 ビビの後姿を眺めながら、ジタンは微妙なジレンマに頭を抱えたくなる。
 そんなジタンを知ってか知らずか、ダガーはビビと手をつなぎ、にこにことこんな言葉をかけた。
「ビビは、おじいちゃんのことが大好きなのね」
「うん!」
 間髪入れずに返る、実に嬉しそうなビビの声に、びきんとジタンの顔が引きつった。
 分かってる、こんなのは子供っぽい反応だって。
 分かってるんだけど…。
「あ。そうだ、ジタン!」
 くるりと振り返るビビに、ジタンは慌てて笑顔を取り繕う。
 けれど。
「あのね、おじいちゃんのことなんだけ…」
「待った」
 思わず、続きを遮ってしまう。
 いぶかしげに覗きこむビビの瞳から、微妙に目をそらしながら、必死に続きを飲み込もうとする。
 言うな、言わないで黙って聞いてやれ。そんな事言ったらビビは落ちこむ、絶対に。
 理性はそうと分かってるのに、嫌な脂汗が止まらない。
「おまえの優しくて物知りなじいちゃんのことはよく分かったから、早く宿へ入らないか」
 言ってしまった…。
 怖くてビビを見下ろせない。でもどんな顔してるかは、見なくても分かる。見なくても分かるだけに、それを確かめるのがなおさら怖い。
 ひどく長く感じる沈黙の後、ビビが呟く。
「うん…ごめんなさい」
 ちょっぴり暗く沈んだ声が、ざくりと心臓に冷たい。
 違う。おまえが謝るようなことじゃないんだ。
 ないんだってば。
 でも、くるりと前に向き直り、ビビは重たげにとぼとぼと歩き始める。
 ジタンは、そんなビビの背中を捕まえられないまま、その足取りはもっと重い。
 だって、苦いんだ。おまえの語る言葉の中でほとんど唯一。
 『おじいちゃん』のことだけは、笑って聞くのが難しい。

「あら。拗ねてるわね」
 宿に入り、自己嫌悪に唸りながらベッドに転がっているジタンに対し、ダガーの言葉は容赦ない。
「いくらなんでもさっきの態度はひどかったものね」
 自覚はある。
 あそこまで露骨な反応をしてしまったのははじめてだ。
 ビビはきっと今ごろ落ちこんでる。『あんまりぺらぺら喋るから嫌がられちゃったのかな』などと考えながら、うつむいてるはず。
 謝りに行こうかなと思いつつ、『もうジタンなんか嫌い』とか言われてしまったらどうしよう、などと恐ろしい考えが浮かんできて動けない。
 だって、あんな態度をとってしまう原因と言うのが、本当に下らないことだから。
「要するに、ビビのおじいちゃんがうらやましいんでしょ?馬鹿ね、本当に」
 ざっくりと図星を突き刺してくるダガーの言葉に、思わずやさぐれた言葉を返してしまう。
「ああ馬鹿だよ、クワン洞で釣り糸垂れてたら、オレがビビを釣り上げてたかもなんてアホな事考えるくらいになっ」
「……ビビのことになると、本当に子供みたいなのね」
 呆れたようにため息をつかれても、ジタンには返す言葉がない。
 だってさ。本当にビビを釣り上げてたら。
 ビビの言葉も、ビビの笑顔も。ビビの現在も過去も未来も。
 ビビの心も。
 全部、独り占め出来てたかも、なんて。
 時々思ってしまうのだ。
 ビビという存在を知らないで過ごしていた時間が惜しくて。
 自分が知らない時間を過ごしていたビビまで全部欲しくて。
 その間のビビを全部知っていて、しかも今でもビビの心にしっかり住み着いてる奴がいるって事が悔しくて。
「でもね、ジタン」
 寝転がった背後から、ダガーの声がかかる。
「ビビを釣り上げたのがジタンだったら、まず間違いなく今のビビには育たなかったと思うわよ」
 仰る通りです。

 人気のない食堂の片隅。
 一人ぽつんと椅子に腰掛けて、ビビがうつむいている。
 その肩を、ぽんと叩く手があった。
「あ…ジタン」
 ビビが振り向くと、その手の主がビビに優しく微笑みかけて、ためらいがちに言葉を発した。
「えっと、さ。さっき言いかけてた話の続き、聞かせてくれないか?」
 その言葉に、ビビの顔がぱっと輝く。
 それを見て、『嫌』なんて言われやしないかと内心びくびくしていたジタンは、ほっと息をついた。
『とにかく。あんな落ち込んだビビを見てるのは嫌よ。何とかしてね』
 最後の最後まで正論を突き付けて、ダガーは出ていった。
 別に、そう言われたから来た、という訳でもないけれど。
 だってジタンにとって本当は、ビビが笑っていることが一番だから。
 結局、ビビを釣り上げたのはビビのおじいちゃんと言うのが、現実。だったらせめて、ビビの言葉を少しでも聞く事が、昔のビビを知る一番の方法だって事も分かっている。
 ほんのちょっと、ないものねだりしてみたくなっただけなんだ。
 ごめんな、ビビ。
 心の中で謝りながら、ビビのとなりに腰を降ろす。
 優しく微笑むジタンの眼差しに、ビビも嬉しそうに話し出した。
「あのね。ボクがはじめて大好きになったの、おじいちゃんなの」
 途端に、うっ、と言葉に詰まるジタン。
 反省したそばからまた妙な事を言いそうになって、ジタンはごくんと言葉を飲み込んだ。
 顔だけはきっちり微笑んだままなので、ビビはそんなジタンの様子に気付かないまま、話を続ける。
「それでね、おじいちゃんが、そういう気持ちを『大好き』って言うんだよって教えてくれたんだ」
 話しながら、ビビがジタンの頬に小さな両手を伸ばした。
 伸ばされた両手に、ジタンは飲み込んだ言葉をふと忘れ、ビビを自分の膝の上に引き寄せる。
 するとビビは引き寄せられるままにジタンの膝の上に乗って、その両手でジタンの頬を捕まえた。
 間近にジタンの顔を覗きこみながら、言う。
「だから、ボクのジタンへの気持ちが『大好き』なんだって分かるのは、おじいちゃんのおかげなんだなって思ったの。おじいちゃんに教えてもらったおかげで、ジタンに『大好き』って言葉でちゃんと伝えられて、良かったなって。さっきおねえちゃんと話しててね、そう思ったんだ」
 その言葉に、ジタンは軽く目を見開いた。
 『おじいちゃん』がいてこそ、ジタンにとって嬉しいビビの言葉がある。
 オレは。つまらないことを考えてる内に、こんな大事な言葉を聞き逃すところだったのか。
 ジタンがちょっと呆然としている間にも、ビビはなお続ける。
「あ、でもね、その時、『好き』にもいろんな種類があるんだっていうことも教わったの。だから気付いたんだけど、ボクのおじいちゃんへの『大好き』と、ジタンへの『大好き』は、ちょっと違うみたいな気がするの。何が違うんだろう?」
 その言葉に、ジタンはくすりと笑った。
 あーあ。敵わないな、ビビの『おじいちゃん』には。
 やっぱりうらやましいから、礼なんて言わないけどさ。
 認めるよ。オレじゃあんた以上に上手に教えてやることなんか出来ない。
 だって、オレなんか自分の中の『大好き』の正体すら、ろくに見極められてないんだから。
 思いながら、ジタンはビビと額をこつんと触れ合わせた。
「ビビ。オレもそれがよく分かんなくて、考え中なんだよ。だから、一緒に考えてくれないか?」
 すると、ビビが間近のジタンの顔を見つめて、不思議そうに問い返す。
「ジタンにも、分からないの?」
「うん。オレも一生懸命考えるからさ。ビビも何か分かったら、教えてくれよ」
 ビビがこくりと頷くと、帽子のつばがジタンの前髪の辺りに当たる。ジタンは膝の上のビビを引き寄せ直してから、その帽子をそっと直してやった。
 おまえがどんな言葉で答えを教えてくれるのか、楽しみにしてるよ。
 思いながら、自分にこんな優しい声が出せたのかと思うほど、そっとビビに囁く。
「今の話、聞けて良かった。じいちゃんと出会えて、良かったな」
 すると、嬉しそうに細めたビビの瞳が、じっとジタンを見つめて、小さく頷いた。
「ありがとう。大好きだよ、ジタン」
 染みとおる柔らかい言葉、甘い声。
 何より一番、オレを落ち込ますのも、舞い上がらせるのも、おまえの言葉なんだよ。だからおまえの言葉を聞いていたいんだ。
 そして今も、ジタンはビビの言葉に押されるようにして、小さな体をぐいと引き寄せて、きつく抱きしめた。
「な、何…?苦しいよ、ジタン」
 戸惑うビビの耳元に、いたずらっぽく囁く。
「今の、もう一度言ってよ」
「今の…?『苦しいよ、ジタン』?」
 抱きしめられて、いぶかしげに首を傾げるビビに、ジタンは首を振る。
「違う。その前」
 するとビビは、ちょっと照れたように小さく言う。
「……『大好きだよ、ジタン』?」
「それ。もう一遍」
「ええっ?」
「言わなきゃ、離さないぞ」
 にやにや笑うジタンの台詞に、ビビは困ったように、しばし逡巡してから尋ねる。
「言ったら、離す?」
「多分、な」
 とぼけた言葉に、拗ねたようにうなるビビの声。
 ジタンがさらに強く抱きしめながら、ビビの言葉を待っていると。
「………じゃ、言わない…」
「…ええ!?」
 耳元で囁かれた言葉に、思わずビビを抱きしめたまま硬直するジタン。
 それって、どういう意味?
 しかし、ジタンを硬直させた当の主は、ぎゅっとジタンの首筋に抱き着いて、その肩に顔をうずめてしまった。
 肩にかかると息と、襟首にしがみつく小さな手が、さらにジタンの体を強張らせる。
 結局、ジタンを驚かすのもビビの言葉。
 それはストップの呪文より余程効き目があったらしい。
 何しろダガーが声をかけるまで、ジタンの金縛りは解けなかったのだから。

山月のはんこ


   こめんと
 200番キリゲッター、サービー様のキリリク、『むちゃくちゃ甘いジタビビ』でした〜。ええっと…実は、「ちょっと意地悪っぽいジタンで」とのご要望だったのですが、…ムムム(汗)
 言い訳なのでございますが、ジタンがビビに意地悪を言う時って、何考えて言うんだろう、などと考えてみた結果なのです。どうやら、ジタンくんてば、どこまでもビビには勝てないみたいなんです〜、どうか勘弁してください〜。
 ただ、「むちゃくちゃ甘い」は達成できたんではないかな、と。ありがちなとこに落ちついてしまった感じはございますが、ラストのあたりなんぞは、書きながら大量のアリが襲ってくる幻覚が見えました。小動物幻視っすよ、重度のアル中の如しっす。黄色い救急車が来そうな勢いです。それっくらい甘いと思うんですが…どうでしょう?
 ちなみに、時間軸としては、わがままのちょっと後くらいを想定してます。相手に振り回されてるような気がするのは、お互い様なんでしょう。