〜落語家になるまでの赤裸々経歴〜
◆平成4年4月、高校卒業後、脚本家を目指して上京。
◆同年6月、学校で毎年開催される【ジャナ専大賞】の小説・シナリオ部門に応募するために、
なけなしの全財産はたいてワープロを購入。
◆9月、ワープロもようやく何とかまともに打てるようになる。
10月上旬の締め切りに向け、応募原稿の執筆も、規定の100枚まで残すところあと5枚という、ある夜。
いつものように、その応募原稿『男はピンからキリがない!』という、
全くもってお恥ずかしいタイトルの脚本の入ったフロッピーをいつものようにワープロに差し込み、
文章を呼び出そうと決定ボタンを押した途端!
その画面には「フロッピーが使用不能になりました。解除キーを押してください」
と表示される。約5分位言葉を失う。.
何度やっても同じく表示され、結局約30分もがいた後、そのフロッピーは呆気なく不燃ゴミ箱へ。
《今までの、何日間にも及ぶ徹夜作業は何だったんだ。
フロッピーが壊れるような事なんもしてないのに、なんでだー!! 私が何をした!》
と、心の中で叫びまくり、人生の中で5本の指に入るほどに落ち込み、そのまま不貞寝。
翌日、高田馬場にある学校へ向かう、西武新宿線車内。
昨夜の事がまだ抜けず、高田馬場に来た途端、学校へ行く気が一気に失せ、そのまま終点の西武新宿駅で下車。
新宿の街をブラブラ何をするでもなく練り歩く。
映画でも観ようかなあと思い始めた頃、かなり趣のある建物にたどり着く。
《オオ、これはマップルに載っていた末広亭だ。人物描写の勉強になるかもしれないし、
こういう時じゃないと入らないかも。気分転換にいいかな》と思い、中へ入る。
落語を聴いているうちに、気分転換どころか馬鹿ハマリ。
トリが終わり(確かB師匠)建物を出る頃にはスッカリ虜。
目から目ん玉コロコ…うろこがポッロポロ。
ナマの落語、初体験秘話。
◆平成5年10月、第1回目の《魔がさしモード》に入る。
ふと、落語家になろうかしらなんと思い始めるが、一人っ子だし、
親もとっくに還暦を過ぎて高齢者になっていたので、悩んだ末に落語家への道を諦める。
◆平成6年2月、卒業制作の撮影追い込みで忙しいさなか、第2回目の《魔がさしモード》に入る。
今回の決心は固かった。学校卒業後、親に打ち明ける。
しかし、約30秒の絶句攻撃を浴びせられたのち
「お前は、まだ早い」という、意味不明なお答え。
《じゃ、一年ぐらい待てばイイのかしら》と大きな勘違いをする。
◆同年4月、放送科の友達のバイト先に、その友達の紹介でアルバイトを始める。
私が配属された部署には何と、現在の師匠・橘ノ
圓の娘さんが社員として働いていたっ!
(世の中って狭いわねぇ)
◆平成7年9月、円満退社(バイトじゃこうは言わないか)。
◆同年10月11日《そろそろイイかなあ》と、事後承諾という作戦を練り、春風亭柳昇宅を訪問。
作戦大成功!! 親の許可がおりて、晴れて入門。オメデトウ。
◆10月15日、NHKの楽屋にて。
私の名前を決めるという話になり、師匠の私に対する印象が「桂 南なん師匠に似てる」だったので、
危うく「女南なん」になるところだったが、周囲が止めて、ようやく
秋に入門したという意味で「もみ路」と名付けられる。
その5日後、浅草演芸ホールから田原町駅に向かう道中に、私の名前が決まったという話題になり
某姉弟子の「全部平仮名にした方が…」というたった一言のために、その場で「もみぢ」に改名される。
◆12月13日、師匠・柳昇の吉祥寺の落語会で、飛び入り初高座を務めた翌日、末広亭にて正式な初高座。
ネタは『寿限無』
◆現在に至る。