〜落語家になるまでの赤裸々経歴〜



平成4年4月、高校卒業後、脚本家を目指して上京。


同年6月、学校で毎年開催される【ジャナ専大賞】の小説・シナリオ部門に応募するために、
 なけなしの全財産はたいてワープロを購入。


9月、ワープロもようやく何とかまともに打てるようになる。

  10月上旬の締め切りに向け、応募原稿の執筆も、規定の100枚まで残すところあと5枚という、ある夜。
 いつものように、その応募原稿『男はピンからキリがない!』という、
 全くもってお恥ずかしいタイトルの脚本の入ったフロッピーをいつものようにワープロに差し込み、
 文章を呼び出そうと決定ボタンを押した途端!
 その画面には
「フロッピーが使用不能になりました。解除キーを押してください」
 と表示される。約5分位言葉を失う。.
 何度やっても同じく表示され、結局約30分もがいた後、そのフロッピーは呆気なく不燃ゴミ箱へ。
 
《今までの、何日間にも及ぶ徹夜作業は何だったんだ。
   フロッピーが壊れるような事なんもしてないのに、なんでだー!! 私が何をした!》

 と、心の中で叫びまくり、人生の中で5本の指に入るほどに落ち込み、そのまま不貞寝。
  
  翌日、高田馬場にある学校へ向かう、西武新宿線車内。
 昨夜の事がまだ抜けず、高田馬場に来た途端、学校へ行く気が一気に失せ、そのまま終点の西武新宿駅で下車。
 新宿の街をブラブラ何をするでもなく練り歩く。
 映画でも観ようかなあと思い始めた頃、かなり趣のある建物にたどり着く。
 
《オオ、これはマップルに載っていた末広亭だ。人物描写の勉強になるかもしれないし、
  こういう時じゃないと入らないかも。気分転換にいいかな》
と思い、中へ入る。
 落語を聴いているうちに、気分転換どころか馬鹿ハマリ。
 トリが終わり(確かB師匠)建物を出る頃にはスッカリ虜。
 目から目ん玉コロコ…うろこがポッロポロ。
 ナマの落語、初体験秘話。


平成5年10月、第1回目の《魔がさしモードに入る。
 ふと、落語家になろうかしらなんと思い始めるが、一人っ子だし、
 親もとっくに還暦を過ぎて高齢者になっていたので、悩んだ末に落語家への道を諦める。


平成6年2月、卒業制作の撮影追い込みで忙しいさなか、第2回目の《魔がさしモード》に入る。
 今回の決心は固かった。学校卒業後、親に打ち明ける。
 しかし、約30秒の絶句攻撃を浴びせられたのち
 「お前は、まだ早い」という、意味不明なお答え。
 
《じゃ、一年ぐらい待てばイイのかしら》と大きな勘違いをする。


同年4月、放送科の友達のバイト先に、その友達の紹介でアルバイトを始める。
 私が配属された部署には何と、現在の師匠・橘ノ 圓の娘さんが社員として働いていたっ!
 (世の中って狭いわねぇ)


平成7年9月、円満退社(バイトじゃこうは言わないか)。


同年10月11日
《そろそろイイかなあ》と、事後承諾という作戦を練り、春風亭柳昇宅を訪問。
 作戦大成功!! 親の許可がおりて、晴れて入門。オメデトウ。


10月15日、NHKの楽屋にて。
 私の名前を決めるという話になり、師匠の私に対する印象が「桂 南なん師匠に似てる」だったので、
 危うく「女南なん」になるところだったが、周囲が止めて、ようやく
 秋に入門したという意味で「もみ路」と名付けられる。
  その5日後、浅草演芸ホールから田原町駅に向かう道中に、私の名前が決まったという話題になり
 某姉弟子の「全部平仮名にした方が…」というたった一言のために、その場で「もみぢ」に改名される。


12月13日、師匠・柳昇の吉祥寺の落語会で、飛び入り初高座を務めた翌日、末広亭にて正式な初高座。
 ネタは『寿限無』

現在に至る。