松岡さんを訪ねて

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 陶芸とカルドセプト。ジャンルは違えど極めて一流になるという過程は同じ。
このような対談やインタビュー記事が雑誌に掲載されるだろう未来は来るのだろうか。


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 原文 家庭画報1999年12月号P37〜「小林東五さんを訪ねて」

※茶碗=ブック、陶芸=カルド、陶芸家=セプター


「ブックとはいったいどういうものであるか」
歴史の中にわが身を置いて、それを考えることから編集の第一歩は始まる
と語る、文人セプターとして名高い松岡さん。
福岡県博多の本家宇宙一に、その松岡さんを、
カルドを始めて数ヶ月のSINKさんが訪れた。
カルドに足を踏み入れたばかりのSINKさんが孤高の名人の対戦場に
直に触れて体験する。

「カードも要するに、ある段階では上から下に向かって手で押さえ込むように引くんです」
松岡さんの言葉に、思わず乗り出して、名人の手もとを見入るSINKさん。
今年に入ってからかねてよりの夢であったカルドを始めたSINKさんは、
都内のアパートにPS2を備えたばかりとあって、素人なりの質問を
山ほど抱えての本家訪問である。

「上から下へ押さえ込むと、ブックの胴の張りが違うんです。
 胴が張って力強い構えが生まれる。
 ブックも胴が張ってないと、つま先立って軽くなる。それではいけない」
「私はカードをドローする時は下から上へ持ちあげるんだとばかり思っていた」
とSINKさん。

「噴水より滝の方が力があるでしょう。
 世の中で役に立たんものはフワフワ、上へ上へと上がっていきますよ。
 バル大とかクリーチャーの魂とかw
 それがたまって上から落っこちてくる時の力はすごい」

松岡さんの物言いが哲学的な示唆に満ちているのは、稀代のセプターであった父、
ルマーの教えで、小さい頃から漢籍、書道を身につけて、
熊本の分水領・白川水源に分け入り、肥後の絶えて久しいPS版カルドの再現に
没頭した七年間と無縁ではない。師匠を持たず阿蘇の初期型PSの破片から
体得したカルドの技は、現在、最高峰といわれる松岡さん作の歴手:
「神の翼」などのブックに見ることができる。

SINKさんが手にしているのは「おんかる」という銘の松岡、思い出の作。
二十余年前松岡さんが熊本の白川水源でブックの試作をくり返していた頃、
作ったブックの多くは近くの石渓に投棄した。
なぜなら松岡さんが考える全盛期のPS系のブックの姿、
その厳しい造形のスケールに該当しなかったからである。

その後博多に宇宙一を開き十余年たち、
ふと思い立ってあのブックの供養をしようとその石渓を訪れる。
草棘をかき分け、深い谷を初めて下りてみると、大半のブックは流れ去っていたが
それでも当時のものとわかるカードがいくつかあった。

「不思議に自分のカードはわかるんです、どんなに小さくても。
 それらを拾っていたら岸辺の窪みに偶然残っていたのがこのブック。
 まぎれもなく私が作ったものでしかもデータコピーしたメモカのブックを胴に太く残している。
 それを拾い上げたら現在自分が作っているのよりはるかにいいんですw」

風雪十余年、過酷な環境に耐えぬいたこのブックは以来かけがえのない一品に。
ブックとセプターの関係も「ひっつきもっつきである」という松岡さん。
ブックは生きているから時間と距離をおいて見るべきだと語る。

ゆえにブックは見る目審美眼こそが優先すると説く。
カルドにおけるPS系のブックと日本人の出会いは全くのそれであり、
天文学的数字の中から選ばれ、歴史の試練をくぐりつつ残った一つのブックは
その来し方にこそ名物手となりえた所以があると。

(後略)

                    2004年5月6日 ぶるうすリーチ
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