3月7日(火)

今週は冬型の天気で山の天気も悪く、ガイド登山も見送りとなり、部屋でTVやインターネットからの新しい情報を待つだけで悶々としていても仕方がないので、現場へ行ってきました。今日からは警察や事故調の検分が始まっているので墜落現場までは寄れませんでしたが。



扉温泉の登山口から1時間半、辿り着いた尾根の部分がちょうど第1衝突地点でした。


ここにはまだ検分が入っておらず、近づくことができましたが、
そこにあったのは、どうやら副操縦席(助手席)側のドアのようです。なんでここにドアだけが落ちているんだろうか。かなり不自然なことで、このあとの解析でポイントになりそうです。

などと、別に原因究明がしたくてここに来たわけではないし、鼻の奥がツンとする感じの消えない自分の気持ちを噛み砕きたくて来ただけ。 あんまり民間人がウロウロしてても迷惑かと、警備の人にドアのことを伝え、知り合いの警察官と少し言葉を交わして下山してきました。



3月は6年前の震災に始まり、3年前の岳沢小屋スタッフの野田の事故、昨年のガイド顧客・酒井さんの事故と、なぜか3月は鼻の奥がツンとするようなことが立て続けに起こります。

パイロットの岩田さんとはある宴席をきっかけに10年来の付き合いで、あの人の遭難現場への機体の投入スピードにはいつも感嘆し、そんな話しを毎年12月には暮れの挨拶で航空隊へ訪問した際に、お茶をいただきながらその年の出動について振り返るのが楽しみでした。

原因はまだ分かりませんが、この場所で最初の強い衝撃を受けてから墜落までの数秒間、どんな気持ちだったんだろうかと考え込んでしまいました。


災害はいつ自分の身に降りかかるかもわからないし、事故だって誰の身にも起こりうること。特に自分は他の人よりはその確率が高いような生活を送っているわけで、救助隊で現場を離れた諸先輩には会うたびに「坂本君、くれぐれも気を付けてやってよ」と言われます。

これまでもそしてこれからも、慎重に注意して日々を過ごさなければならないと、頭では分かっているつもりです。 今回の事故はそういうことを改めて思い直さなければならない事故だと感じています。避けられるリスクは努力によって避けられることもあるはずですから。


とはいえ、今回のようになにが起きるか分からないのも人生、だから悔いだけはないように生きていきたいとも思っています。