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2006年2月15日 タハティさんからの手紙


『晶くんを愛でよう!(出逢い編)




晶くんの唄との出逢いについて、記憶の糸を手繰り寄せながら思い起こしてみました。

私が晶くんを初めて見たのは2003年の7月、CLUB CITTA’川崎のライブでした。
その日のライブのことは何故か良く覚えていて、私の着ていた洋服や会場がエアコンが効き過ぎていて寒かったこと。なんとなく座っていた場所まで覚えているのですが、ちょっとステージから遠い位置だったので、晶くんがどんな唄い方をしていたのか良く見えなかったのが今思うと少し残念です。
そのライブを見た時の晶くんについては、落ち着いた感じの唄を唄う人だなぁという印象でした。
しかし、そのライブイベントの最後に山口晶という名前を私が忘れられなくなる出来事があったのです。最後にそのイベントの出演者全員でビートルズの「Don’t Let Me Down」をセッションしたのですが、晶くんが唄う番になった時、晶くんは歌詞を変えて唄ったのです。
内容は京浜東北線に乗って乗り過ごしたら、磯子だぁ〜。というような内容だったのですが、サビの” Don’t let me down”に、磯子だぁ〜歌詞が何かしっくりはまった感じがしたのと、突然みんなと違う機転の利いた場所柄のネタの替え歌という発想のセンスで笑いをとった晶くんは面白い人だなぁという印象に変わりました。結局、そのライブ後にまたしばらくライブに行くことはなかったのですが、何となく山口晶という名前だけを記憶の奥底に残していました。

そして、次に晶くんの名前を目にしたのが、尾崎豊トリビュートアルバムでした。中学の時に初めて尾崎豊に出逢って、私の思春期を共に過ごした尾崎豊の唄を晶くんが唄うというのです。その曲は「街路樹」。晶くんの唄う「街路樹」はもう晶くんの「街路樹」になっていました。
とても独特の世界を持っている人だなぁと思って、ちゃんと唄を聴いてみたいなぁと思い晶くんのCDを聴きました。思ったとおり素敵な唄を唄う晶くんがそのCDの中には溢れていました。

それから、晶くんという人物を知るために”Men's Breath”というラジオ番組を聞くようになって、晶くんがゆっくりと語るお話、そして唄を聞ける月曜日が楽しみで仕方ない日々が続きました。
そのうちにだんだんライブに行ってみたいなという気持ちが強くなり、O-Crest、宇都宮まで出掛けてみました。その宇都宮で初めて晶くんとお話をしたのですが、何を話していいのか分からずに、その時にラジオでメールが読まれた人に送られると言われていた「センスのいい扇子」が届かないんです。と話してしまいました。帰りの電車で何であんなことしか言えなかったんだろうと、その言動が悔やまれました。。。 しかし、初めてお話した晶くんと太一くん、とても優しい笑顔でした。
そうやってライブに通うようになっていった訳です。

晶くんという人と晶くんの唄はじんわりと浸透していくまでにとても時間がかかるような気がします。でも、そうやって長い時間をかけて沁み込んでいくものは絶対に色褪せていくものではないと思います。
私にとって晶くんの語りかけてくれるような唄声は、何だかとても気持ちを落ち着かせてくれます。時には、見上げた夜空に綺麗な月がぽっかりと浮かんでいるのを見つけた時のような嬉しい気持ちにさせてくれたりします。
そして、その唄から広がっていく世界を想像しながら聴くのがとても好きです。

これからもゆうるりと山口晶の世界を愛でていこうと思いますので、何卒宜しくお願いします。

タハティ 

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