『はじまりの話』





晶君の唄と出逢ったのは2002年3月半ばの頃。

あの日、真直ぐ帰っていたら
「山口晶」という名も、晶君の唄も一生知り得なかったかも知れません。

忘れもしない、
遠く八王子まで仕事に出掛けた帰りの中央線。
さて乗り換えてまっすぐ家に帰ってしまおうか、
それともギリギリ間に合いそうだし誘われていたライブに行こうか、
悩んで悩んで悩んで悩んで
乗り換え駅でドアが開いた瞬間、ライブに行くことを選んだのでした。

出会いの偶然は必然なのかなあと思います。

やっと到着して混み合う客席の中、知人の隣に落ち着くと
程なくひとりの青年がのそりと登場。
おもむろに始まった1曲目は『Drive』という曲でした。
その出だしの音が聴こえてきた途端、
何だか時間が遡ったような、妙な感覚に陥ったのを憶えています。

数曲を歌い終えたところで北京に留学していたときの話をぽつぽつとして、
それから彼は中国の唄を原語で歌いました。
確か『隠れ家』や『ヨダカの星』も歌っていたと記憶しています。

唄いっぷりといい、佇まいといい
顔かたちも、話ぶりも、表情も、当時のクルクルした髪型も
実にカッコ良く、且つ、とても可愛らしく
他の人のライブを観に来ていた姉さん方の心を見事に打ち抜いていました。

ライブ後はそのまま出演者や関係者たちの打ち上げとなり、
「やまぐちしょう」君の可愛らしさに目を付けた知人とふたり
挟み撃ちにしました。
なにしろ初対面でしたから、たいした話はしなかったと記憶していますが
暴君ふたりに挟まれた彼の心境は如何なるものであったでしょう。

・・・まあ今となってはどうでもいいことですが。

かつての自分にとってライブというのは「誘われるから観に行くもの」で
このときもやっぱりそうだったわけですが、
彼のライブにはこれまでに感じた事のない<匂い>がして
それは何だか癖になるような<匂い>で
その数日後には
今度は彼のライブを観たいがために生まれて初めて下北沢に赴き
「BIG MOUTH」を訪れたのでした。

そこは窓を背に演奏するという、それだけで何となく浮遊している感じがして
ステージに見立てた場所と客席の間は恐ろしく気軽な距離感で、
そこに、四谷で見た時とは全く違う
見るからに楽しそうなオーラを発している「山口晶」がいました。
余りの楽しさに高揚が抑え切れないらしい演奏をしていて
前回と同じ曲がまた違った色を放っていて、これは面白いものだなあと。

日をおかずに全く違う雰囲気の晶君を見たことが
ファンになったきっかけといえばきっかけかもしれません。

まあ今となっては推測でしかありませんが・・・

このときを境に、誰に誘われなくてもひとりでライブに行くようになりました。
こっそりファンを自称して空耳海廊の掲示板にライブ情報を載せたりして。
当時はそう頻繁には行けませんでしたが、
それでもこれは自分にとって本当に驚くべき変化でした。

出会って約一年後に晶君のメジャーデビューが決定して
もうびっくりするやら嬉しいやら。
それならはっきり応援しようじゃないかと「愛でる会」を立ち上げました。
あくまでも個人的なものということが分かるように<完全非公認地下組織>と銘打って。
夜な夜なネットを彷徨って情報を見つけては更新を繰り返していました。

2005年からは都内でのライブがぐっと増えたので
これはでき得る限り観に行こうと心積もりをしてライブに通い始めました。

するとひょんなことから公認してもらえることになって、
それはもう嬉しかったので、じゃあ何か自分に出来ることを始めようと思って
始めたのが、ライブ中の晶君をスケッチすることでした。

それから3年。

すっかり「おっかけ」な自分がいます。
始めはこんな風になるとは思ってもみませんでしたが
2度目の個展を終えて
振り返ってみれば
何もかもが必然だったのかなあ、なんて思います。

過ごす日々の中にはいろいろなことがあるけれど、
今は今のありのままの流れを静かに受け入れていこうと思っています。
そして
晶君がどこまでも自由に空回っていくのを見ていようと思います。

そんなわけで
やっぱりこれからも地味な活動をひそやかに続けるであろう愛でる会。
皆様にこっそり楽しんで頂けるようなサイトになれば幸いです。



どうぞよろしくお願いします。

2008年6月某日 愛でる会カイチョウこと、ヒロ姉  



Copyright,HIROKO SEKIGUCHI.All Rights Reserved.
画像、文章ノ無断転載・転用・複製ヲ固ク禁ズ。


山口晶公認ファンサイト・山口晶の世界を愛でる会
http://orange.zero.jp/mederu/yamaguchi-sho-fan.html