"HOPE"

2012 11.2-5
 初めての休み希望を出して取った11.3-4の二連休。偶然にも2日に休みが付いての三連休は4月以降二度目の快挙。久しぶりにテントでのバルーンと期待は膨らんだ。しかし早々に目的を失い落胆。バルーンは去年で一区切りつけようと思っていたが、行けば期待を裏切らないこともわかっている。それを絡めたプランは?
 薩摩半島、種子島、口永良部、竹島、黒島、甑島。千野さんたちに会いたく東京や、佐渡も浮かんだが現実的でない。暫定で種子島、その戻りのバルーン、余裕あれば臼杵でスタートした。

Day1
 この日の仕事はとてもきつく、21時より3時間ほど仮眠を取り、深夜1時半スタート。着替えは一日のみ、寝袋はなし。二日前より急に寒くなったが、野宿できない気温ではない。そもそも、かなりの時速で長時間走っても耐えられる装備は、止まれば寝袋に匹敵する。ネックウォーマーで、直接外気を吸い込むのを防げば、気温一ケタ台でもそのまま寝れる。実際、それで風邪を引いたこともなく、ましてや凍死などない。真冬仕様で走り出した最低気温は4度を示し、そこそこの寒さ。
 とりあえずの目標は3日朝8:40鹿児島南埠頭、種子島・西之表行きフェリー。美東、古賀、北熊本、宮原の4ストップで、予定通り8時ちょうどに港に到着したが、乗るはずの「プリンセスわかさ」は、荷物がたくさんあり乗船できないという。もともと流動的なプラン。再構築するため港の東屋に落ち着いたのだが・・・。
 真正面に桜島、目の前には沖縄航路の「クイーンコーラルプラス」と、「フェリーみしま」。「フェリーとしま」は出払っているが、思い入れのある発着場がずらりと並ぶ光景には自然と頬が緩む。「わかさ」と「みしま」を見送り、1時間ほどゆっくりした。
 さて、船に乗れなかったことは、逆に心に火をつけた。夕方発の別会社、「はいびすかす」をリサーチ。予約なくとも乗れることを確認し、有料の指宿スカイラインに入った。実は、薩摩半島の鹿児島市以南を走ったことがない。
 このような有料観光道路に入ることは珍しい。全線展望がいいというわけではないが、適度なコーナーとアップダウンがあり、なにより空いている。すぐに池田湖畔まで到着してしまった。ここで食べた紫いもソフトクリームはなかなかの美味。
 JR開聞駅近くのGSで給油と情報収集。開聞岳登山は片道2時間ほどかかるらしい。駅によってみると、電車待ちの男子学生が一人。電車が来るなら見ていこうと次の便を尋ねると、なんと1時間半後。大変なところだと思ったが、すぐに考え直した。それがこの場所の時間なのだ。
 開聞山麓ふれあい公園を通り抜け、開聞岳をぐるりと一周する道に出た。ここは九州の友人たちのブログで何度も紹介されているが、もちろん通るのは初めて。最後のトンネルは本当に面白い。でも、もっとすごい光景は海上にあった。

「硫黄島だ!」

 かつて、素晴らしい出会いを与えてくれた島。いつか必ず再訪することになるであろう活火山島は、その荒々しい姿をシルエットに変えていた。両サイドには、未踏の竹島、黒島。時間を忘れて眺め続けた。朝見送ったフェリーみしまも、今見えているどこかにいるのだろう。
 ついでに寄った長崎鼻では、駐車場に大きなガジュマルが立っている食堂で、鰹のたたき定食を注文。おいしかったが、少し接客に問題あり。
 ソロとしては珍しく、ストップアンドゴーの旅が続く。次に複合レジャー施設「ヘルシーランド」の大露天風呂、「たまて箱の湯」に入った。何の情報もなく立ち寄った温泉だったが、予想に反して驚きの絶景。屋根のない広々とした湯船の眼前には錦江湾が広がり、小ぶりながら、荒々しい地層がむき出しの竹山、開聞岳も見える。さらに、すぐ近くの海に浮かぶ岩に目が釘付けになった。

「孀婦岩?(そうふいわ)」

 受付で聞いてみると、「俣川州(またごし)」という名前らしく、ツーリングマップルにも載っている。温泉からは切り立った立神に見えるが、海上から見ると二つのピークの間に侵食された穴があり、円月島のような形をしているとも。陸地からの別アングルが見たくなり、竹山を回りこんだ森に入った。辺り一帯は、若干廃墟チックな別荘地になっていて、敷地内に白馬のいるありえない豪邸に出会ったりととても面白い。
 結局、円月島アングルは見れなかったが、温泉側より近くで見ることが出来た。

「そろそろか・・・。」

 18:00発、種子島・西之表行きのフェリーが出る、七ツ島の谷山港に向かった。
 出港1時間前に無事到着。フェリー「はいびすかす」は、ほぼ貨物船といえる小さな船。気になるのは屋久島との運賃の差。二等旅客運賃は約3,000円と変わりないが、バイク(750cc以上)が種子島6,600円に対し、屋久島3,600円と倍近い。距離は屋久島の方が遠いのになぜ。これは朝の問い合わせの段階で疑問に思い、回答を得ていた。屋久島航路は競合との絡みとのこと。つまり、種子島へ行く人は少ないということか。
 さらに、朝乗れなかったフェリー「プリンセスわかさ」は搭乗者込みで7,200円。「はいびすかす」(9,600円)は、なおさら高く感じる。運賃も含め、違う船に乗ってみたくて、日曜帰り便は「わかさ」を予約した。
 次に今夜泊まる場所。先に書いたとおり、野宿が第一選択。しかし、島の情報が得られる宿の宿泊も捨てがたく、事前に気になる数件をピックアップしていた。その中で最も心ひかれたのが「島宿 HOPE(http://shimayado-hope.com/)」。オープンは先月という新しさに加え、マングローブの自生する入江が目の前にあるという。乗船後、デッキに出てコールしてみた。

「一人なんですけど明日、部屋取れますか?」

「大丈夫です。お食事はどうされますか?」

 応対がやわらかいのでこの瞬間に決めた。

「二食付きでお願いします。」

 さらにひらめいた。

「22:00前に島に着くんですけど素泊まり出来ますか?」

「港から1時間くらいにかかるので気をつけて来てください。」

 素晴らしい!夕方便になったことで、すでに帰りの佐賀バルーンは却下。休みぎりぎりの日曜まで二泊二日滞在することを考えていた。そうなると、同じ宿に二連泊することで、そこを起点に軽装備で外出できる。何より、連泊してみたいと思わせる何かを感じた。島での段取りも確定し、長距離移動と睡眠不足からすぐに爆睡。(といっても3時間弱。)

 目が覚め、デッキに出てみると、すでに西之表の街の明かりが見えている。ふと左に目をやると、

「月の道だ・・・。」

 すでに満月は三日ほど過ぎていたが、まだまだ明るく丸い月に向かって、波光きらめく光の道がのびている。

「楽しい旅になりそうだ。」

 到着直前、隣りにいた女の人と少し話をした。仕事で一泊の滞在で、なんと息子さんが広島のマツダで働いているらしい。飴を二ついただいた。なんでもないこんなひと時が大好き。
 無事上陸。先ほどの月と、満天の星が行き先を照らし、信号で止まることなく走り続ける。真っ暗で何も見えないが、右の海には屋久島を感じる。この気持ちをどう表現すればいいのだろう。街灯もなく、初めて走る夜道を駆け抜ける高揚感は交感神経。そして、まるで宇宙空間を走っているかのような充足感は副交感神経。その両方が同時に優位に立ち、絶妙のバランスで拮抗している。
 港から宿までは37kmほどあったが、あっという間に到着。期待どおりのロケーションとオーナー夫妻が温かく出迎えてくれた。明るくなったとき、どんな風景を見せてくれるのだろう。zzz...。

Day2
 目が覚めた。マングローブの入江、道路脇にはビロウやソテツなど南の島を象徴する木々が並んでいる。

「西表か?」

 かつて見た光景がよみがえる。決して仕事をしていては行けない八重山の島々に比べ、ここは思ったより近いと感じた。窓を開けて、広いテラスに出てみる。

「暖かい!」

 出発前、島の予想気温はチェック済み。これならかなりの軽装備で走れる。昨夜、港近くのコンビニで買い込んだパンをほおばりながら、楽園の、朝のまどろみに酔いしれた。
 とりあえず考えたプランは、外周を時計回りにまわる。絶対外せないのは種子島宇宙センターと鉄砲に関する資料館か。だらだらと準備して一階に降りてみると、

「誰もいない。(笑)」

 そういえば昨日夜、島のイベントがあるので出かけるとのお断りがあった。「鍵どうよ。」と思いながら一人でニヤつき、バイクのセルスターターを回すと、

「ギュルギュル、カチッ。」

 これがこの旅を語る上での伏線となる。症状はセルモーター回転中、一瞬電源が切れたような感じになり、時計とトリップがリセットされるというもの。10月に入ってから数回発生していたが、その後普通にエンジンはかかるため経過観察としていた。このときも同じ。二度目にはエンジンがかかり、すぐ近くにある「千座の岩屋」(ちくらのいわや)に向かった。
 千座の岩屋は波に浸食された洞窟で、干潮時にはかなりの広さになるらしい。宿のカウンターに潮見表があり、次の干潮は14時過ぎ。タイミングが合えばまた来ようと思っていた。それにしても素晴らしいビーチ。名前が浜田海水浴場というのには笑ってしまう。島根の浜田にこんなビーチがあったなら毎週通ってしまいそうだ。色んな言語の漂着物などを観察しながらしばし散策した。
 バイクに戻り、セルボタンを押すと、トラブル発生。

「キュルルルル。」

 エンジンがかからない。セルは回っているのでこの時点でバッテリーは疑わなかった。何度かトライしたが、何かが空回りしているよう。押しがけ一発目、かからない。地元のカワサキショップに電話してみた。実際に見てもらってる訳ではないので推測での診断となる。セルモーターの異常か?電話を切って再び押しがけ。

「ブオォン!」

 かかった!これでとりあえずは走れる。とにかく宇宙センターだけは押さえておかないと。
※押しがけ:ギヤを3速に入れてダッシュ、スピードが乗った所でクラッチを少しつないでやると、火が飛んでエンジンがかかる。
 ここから県道以下の道をつないで走ったが、そこかしこで看板が出ていてわかりやすい。そしてセンターへのアクセス道路。中速コーナーが続き、切り返しの連続。これに激しい高低差が加わる。ライダーにとっては最高の道だ。この道が近所にあったら毎週来そう。で、すぐに二輪車通行止めとかにになるのは間違いない。
 さらに、左右には絶景と、興味深いセンターの施設が点在する。とても忙しく、バイクのトラブルなど忘れてしまった。
 さて、種子島宇宙センターを知らない人はいないだろう。広報活動としてロケットに関する博物館が開放されている。中でも目玉は無料の施設内バスツアー。一日三回、新旧の発射場や管制室、打ち上げられることのなかった本物のH-IIロケットなどを至近距離で見ることが出来る。やっぱりロケットはすごかった。かなり大きなものだが、意外に小さいとも感じた。
 施設内はとてもきれいに管理されている。これって税金よね?と、ひねくれた見方もしてしまうが、ここから打ち上げられた気象衛星やGPSなど、実は毎日その恩恵にあずかっている。
 再スタート。観光バスや、レンタカーのたくさんいる駐車場内で押しがけするのはなかなか恥ずかしい。次の目的地は種子島最南端の門倉岬。茎長で給油し、県道75号下中の三叉路にさしかかったとき、突如エンジンが停止した。メーターを見ると、何もかも消えている。

「バッテリーダウンだ!」

 辺りを見回した。北側遠くに人家、それ以外には畑と丘しか見えない。

「ここでか?」

 携帯を取り出した。電波はアンテナのみと圏外を行ったり来たり。

「ここでか?!」

 追い込まれた状況とはいえ、気持ちはそれほど絶望的でもない。転倒などで怪我をしているわけではないからだ。頭の中に五つのシナリオを描き出した。

良い方から。
1.この場所から自走できる。(最高)
2.島内で修理、自走できる。(ベター)
3.鹿児島で修理、自走できる。(許せる最低ライン)
4.鹿児島に置いて帰る。(最悪)
5.島に置いて帰る。(島に移住する)

 1番を目指すべく、まずは状況判断。(バッテリーを肝臓に例えると。)
・バッテリー死亡(グリコーゲン全消費、貯蔵不可能)
・レギュレーターレクチファイア、もしくは配線トラブル(門脈閉塞)
・オルタネーター(交流発電機)トラブル(腸管からの吸収不能)
・ECU(電子制御部)トラブル(中枢神経障害)

 再び押しがけから。メーターパネルも付かないということは、ほとんど電気がないはず。少しでも電気を使わないよう、常時点灯式のメインヘッドランプのコネクターを外した。押しまくって自分もATPを使い果たし、汗だくヨレヨレ。一度だけエンジンがかかったが、アイドリングが安定しないまま止まってしまった。安静時消費カロリーすら確保できていないということになる。つまり、バッテリー以外の原因がここで証明された。そもそも走行中のエンジンストールがそれを立証しているのだが・・・。悪あがきでバッテリー端子を外し、ECUリセットをかけてみたがもちろん回復せず、次のシナリオへ。
※このT字路にバス停があった。書いてあるのは朝夕の一便ずつ。月曜から金曜までとある。(この日は11/3土曜。)
 港まで50kmある。西之表港への移送手段確保と、島内で修理出来るかの調査を並行して行う。電波を求めて人家のある方向へ歩くがせいぜい一本程度。それどころか電波状況が悪いため常時電波サーチしており、電池の消費量が激しい。何とかJAFに連絡が取れ折り返し連絡となったが、バイクに戻れば圏外。状況を打破すべく地図を開いた。すると、西へ行けば下中の集落があることが判明。遠くに見えるあの坂を押して登れということか。覚悟を決めてスタート。ただ、10Rより野郎一人分(約70kg)も重いZZ-R(300kg近い)を3km押したことがあり、まだまだいける。何とか坂を登りきった先に、下中の集落が見えた。

「助かったのか?」

 唯一ひと気のある小さな商店へ。

「この町に公衆電話はありますか?」

「ないですね。」

(助かってなかった・・・。笑)

 しかし、電話を借りることは出来る。このころには、もしかしたら月曜帰れないこともあると想定。そうなると、連絡先の入っている携帯の電源も温存しておかなければならない。最悪の場合、切れる前に書き写す必要もある。ここでJAFより電話あり、「今日中に手配できないかもしれません。」という恐ろしい回答があった。電話帳と電話を借り、島のバイク店にコール。およその判断は自分となんら変わらず。そして、同じバッテリーはこの島にないだろうとも。シナリオ3以下が確定。
 JAFから、西之表のクルマ屋さんを手配し、そちらに向かうとの朗報が。しかし、JAFの無料レッカーは20kmくらいだったはず。残り30km。いくらかかるのかは考えないことにしよう。とにかくここから動かすことが先決。ベストな判断をしているはず。これで、押してでもフェリーに乗せることができ、本土帰還が確定した。
 すぐに次の選択を迫られる。残りの荷物はすべて宿に置いてきた。このままバイクと一緒に港へ行くわけにはいかない。バスはない。タクシーで20-30km単位で乗り継ぐなんて、金額的にとても考えられない。しかし、考えるとか考えないとか言うレベルじゃなく、それしか手がないのではないか。日も傾いてきた。どちらにしても、宿にこのトラブルの報告と、必要なら夕食のキャンセルをしなければいけない。

「今、子どもたちが上中にいるんで迎えに行きますよ。」

「え〜っ、それはとても助かるんですが、大丈夫ですか?あと、明日、宿から西之表へ行く交通手段はありますか?」

「送りますよ。」

 数分後、奥さんから。

「上中から向かうので15分くらいで着きます。」

「でも、まだJAFが来てないんですが。」

「お待ちしますよ。」

 そうか・・・、自宅でプランニング中、気になった宿。野宿から一転、急なアポから深夜のチェックイン。そしてニ連泊。

「島宿 HOPE」

 この出来事での希望(HOPE)だったのか?人生すべて偶然。運命論者ではない自分が、少しばかり運命を感じた瞬間だった。

 このとき見た空が、この旅一番の空だったのかもしれない。トラブルがなければ、島の外周を一周しながら、西之表で鉄砲の資料館へ入る。初めて来た島では必ずやることだが、悪く言えばやっつけ仕事。もちろんトラブルを望んでいたわけではないが、このなんでもない場所を、何時間も堪能する旅人がいるだろうか?意図しない状況が新鮮ですらある。

「きれいだな・・・。この場所にはまた来る気がする。」

 ほどなくして奥さんの軽が、時間を空けずにJAF(の請負の車屋さん)カートレーラーがきた。10Rはドナドナ、迎えの車に乗り込む。助手席で疲れて寝ていた男の子が目を覚ました。

「壊れたの?」

「疲れてるのにごめんね。」

 希望の一人に感謝した。

 無事、身一つで自分の部屋に帰りつき、急いで状況を整理する。まずフェリー。予約しているのは14:00発の「プリンセスわかさ」。鹿児島港南埠頭着は17:30。もう暗いだろう。それに対して、往路に使った「はいびすかす」は11:00発。3時間早く鹿児島に着く。ただ、最大の問題点は、鹿児島中心部より15km南の七ツ島・谷山港に着くこと。動かないバイクにこの15kmをどう捉えるかが難しい。さらに、違う船に乗ってみたいという気持ちも決して小さくはない。
 地元のショップへの連絡と宿で借りたPCで、南埠頭から近いバイク店を数軒ピックアップした。そのうちの一軒に連絡を取り、港に到着しだい拾ってもらえるようアポを取った。同型のバッテリーを売ってそうなホームセンターの探してみたが、意外に少ない。ま、何とか本土に持って帰れるよう目星がついた。
 奥さんにシャワーを浴びてくると声掛けすると、

「近くに温泉がありますけどいかがですか?」

「行きます!でも帰りは?」

「電話いただければ迎えに行きます。」

「女神に見えます。(笑)」

 広い湯船にバッチリ足を伸ばして昼間の疲れを癒した。
 夕食のメインは鹿児島の鳥刺し。瓶ビール追加して最高のひと時を過ごしたのは言うまでもない。

Day3
 良眠。フェリーは14:00の便に決めた。バイクは12:00に港に持ってきてもらうよう手配。宿はお昼に絡むと申し訳ないので、チェックアウト前くらいに送ってもらうようお願いした。精算時、送迎のガソリン代を加算するよう申し出たが、請求は宿泊代のみだった。
 朝食後、宿の周りを散策。マングローブの入江は本当に素晴らしい。鹿児島からわずか3時間で沖縄の風を感じることができる。またこの島へきたときはここしか考えられない。
 真冬仕様の装備がかさばるため、紙の手提げがないか頼むと、出てきたのはしっかりとした生地のDFS(ディーティーフリショッパーズ)のバッグ。

「10年くらい前のものですけど。」

「新婚旅行のですか?海外帰りかと間違われそうです。」

「ある意味海外ですよね?」(笑)

「帰ります。ホントにお世話になりました。」

 ご主人の運転で西之表へ。1時間弱の道のり、移住のこと、宿開業のこと、馬毛島のこと(普天間移設の候補地とも言われる。)色々な話を聞いた。あっという間に港到着。

「次は普通の客としてきます。」

 希望(HOPE)が、軽ワンボックスに乗って去っていった。
 次は鉄の塊となったパートナーの回収。昨日別れたときと同じカートレーラーに乗って運ばれてきた。

「バッテリーはそれほど悪くないね。ただ充電はされてない。」

 やっぱり。しかし、

「時間あったんで満充電にしといた。セルも回るよ。」

「えっ?」

 これ、宿の助けに匹敵する希望となった。またしかし、

「24,500円」

 JAFの無料レッカーは15kmまで。1km700円x35kmで激ブルー。ただね、これはどうやっても必要経費。納得するしかない。上がったり下がったり大変。気分転換に西之表の街を歩いた。ふらりと入った明月食堂のちゃんぽんで何とかリセット。そして、船員さんに後ろから押してもらい乗船。激動の島を後にする。

 「プリンセスわかさ」はどちらかというと客船寄り。ロビーにキレイなお姉さんもいる。行きは睡眠不足と疲労、暗くて何も見えなかったためリラックスして船旅を楽しむ。屋久島、硫黄島は大切な思い出の島。口永良部、竹島、黒島はいつか絶対行きたい島。遠くに併走して航行している白いフェリーがいるのに気付いた。

「まさか!」

 カメラを最大望遠にして撮影、拡大してみると、

「フェリーとしまだ!」

 07年トカラの旅で何度も乗り降りした船。九州最南端、佐多岬も見えてきた。その影から、

「開聞岳は、日本一美しい山だと思う。」

 今回を含め5度、錦江湾を船で南下した。そのたびに見送り、出迎えてくれたのがこの秀麗な三角錐。おととい、たまて箱温泉から見えた気になる岩、「俣川州(またごし)」も海から確認できた。色々な旅の思い出が、ごちゃ混ぜにフラッシュバックする。
 17:00過ぎ、空は真っ暗になり雨が落ち始めた。客室のテレビでは、ニュース速報が甑島(出発時目的地候補の一つ)の大雨洪水警報を告げている。海外帰りのDFSバッグからすべての装備を取り出し身に付ける。最後にレインウェアを着用。

「楽しい旅は終わった。サバイバルゲームの始まりだ。」

 船の中には登りがあるため再び船員さんに押してもらい、雨で滑りやすくなっているランプウェイからなんとか本土帰還を果たす。すぐに屋根のあるところへ移動しバイク屋へ連絡。しかし・・・、同型のバッテリーは在庫してないとの返事。

「どうする?」

 問題は、バイクの発電量がゼロか、そうでないかだ。前駆症状はあったが、初日スタートからトラブル発生まで動いていた。ということは、発電はされていたが消費量の方が勝り、徐々に衰弱していったことになる。ただあくまで推測の域。途中でまったく発電されなくなり、バッテリーだけで走っていたという可能性もあり、このまま走り出すと高速道路上でストールという最悪の事態も予想される。予備電源として違う小さなバッテリーを手に入れるプランもあるが、この一回こっきりに1-2万円の出費はもったいない。鹿児島で修理依頼し、今日は新幹線で帰り、修理完了後引き取りに来るというシナリオ4が最も賢明な判断だが・・・。

「帰りたい。」

 やらなければならないのは究極の節電。
・メインヘッドランプは引き続き消灯。
・ウインカーは点滅一回。後ろに車がいないときは出さない。
・ブレーキランプを点けないよう車間を取り、エンジンブレーキで減速、仕方がないときだけ最後の最後にガツンとかけてすぐ離す。
・電気消費の激しいセルを極力回さないよう給油は最少限の2回。

 明るい市内を通りぬけ、18:30、何とか鹿児島北ICから高速インしたが、雨は強くなり目の前は真っ暗。

「これは無理だ!」

 前を走る80km走行車のテールランプを凝視しながら、果てしなく遠い自宅までの600kmに愕然とする。
 熊本に入るころにはだいぶ慣れてきた。見えない落下物を回避するため、前車が走っているタイヤのラインを正確にトレースする。燃料ギリギリまで引っ張り、広川SAで最初の給油。二度目の給油でクイックスタートするため段取りを整えていると、電気を消費する冷却ファンが回りだし慌ててエンジンストップしてしまった。

「かかるのか?」

「ギュルルル、ブォン!」

「なんとか帰れるかもしれない。」

 福岡に入ると街灯も増え、さらに走りやすくなってきた。追い越し車線に速い車が現れるたび次々に乗り換え、スピードアップを図る。パーキングや高速を降りていくぺースメイカーにはその都度声を掛けた。直前の視界を確保するため長時間煽るかたちになるためだ。

「先導ありがとう。」

 関門海峡大橋通過。

「あと200。」

 下松で2度目で最後の給油。ここまで帰れば何とかなる。やっと食事する気になった。広島に入り、初めてハイビームを点灯してみた。

「明るいとはこういうことか。」

 油断は禁物。家に着くまでは温存し、再び速い車に付く。そして・・・、2:00前真っ暗な深夜の自宅庭で、一人小さくガッツポーズした。タンクを二度叩くいつもの儀式にも力が入る。

「お疲れ!よう頑張った。」

 同日11/5夕方、ショップに修理出し。翌日着信履歴あり。

「嫌な予感・・・。」

 バッテリー、レギュレーターは問題なく、三相交流電源を発生するオルタネーターの中のステーターコイルの一つが焼き切れていた。残り二つで充電がなされていたかはわからないが、すべての説明がつく。

「修理代32,000円也。」

 レッカー代も含めれば、それこそ海外に行ける出費。ただ、あの車屋さん。満充電は最高に気の利いた配慮。バッテリーがあがった状態で渡されても不思議ではなく、こちらもそこまでは気が回らなかった。もちろんそれがなければ、鹿児島に置いて帰ることになったのは間違いない。「島宿 HOPE」には長崎堂のバターケーキを送った。

『バイクに乗り始めて最大のトラブルより帰還。無事帰ることで、それは大切な思い出の一つとなる。』

 あれから一週間。今はもう、島の美しい風景と開聞岳、希望を与えてくれた人たちの顔しか思い出せない。


Special Thanks To !!!

・「島宿 HOPE
 カバーはこの家族の雰囲気が伝わってくる素晴らしい写真。

・種子島・西之表:(株)杉自動車商会
 バッテリー充電の機転に感謝。

コスモライン(プリンセスわかさ)
 鹿児島(南埠頭)-種子島航路(西之表港)。初日朝、船に乗れなかったとき常務が携帯番号の入った名刺をくれ、トラブル発生後直接電話して予約を取って貰った。



"Re:HOPE"

2013 11.2-6
Day1
・19時過ぎまでハードワーク、終わる寸前まで気が抜けず。

・23:39、自宅スタート。23:54、廿日市ICイン。Day1といってもスタート後21分だけ。日付はすぐに11.3に。出発前、福岡・古賀SAあたりでの雨予測も、いきなり岩国で小雨がぱらつく。そのまま走っても問題なかったが、玖珂PAでレインウェア着用。2~3時間後には必ず着ることになるから。

Day2
・3:44、古賀SAで1回目の給油。建物に入る前には降っていなかったが、休憩して外に出てみると雨。
「気象予報士か?」
 笑ってしまった。
・宮原SA以降はさすがに疲れが出て記憶がない区間が。2回ほど2輪駐車場でヘルメットも脱がず、タンクバッグに突っ伏して寝た。どこのPAだったかも覚えてない。
・えびのあたりで夜が明ける。暗い時間の内に向いた思考から、見え始めた景色に気持ちが切り替わる瞬間が好き。古賀以降降り続く雨は、強くもなく弱くもなく。霧に煙る山なみは深山幽谷。これもまたよし。少しスピードアップ。
・7:13、鹿児島本線アウト。7:29、港近くの天保山で給油、船内で摂る朝食を買う。出港は8:40。車輌積込みは1時間前の7:40から。で、到着は7:45。600km走って+5分の誤差は、いつもながら苦笑。最高に合理的ともいう。
 向かいにはマリックスライン・クイーンコーラル、Aライン・フェリーきかい(喜界)。島旅の聖地!
・8:40、フェリーで錦江湾を南下するのはこれで6回目。そんなことよりzzz...。

 12:10、種子島・西之表港。天候・小雨。2等客室で再びレインウェアを着用するも・・・。
「暑い!」
 気温は23度だが、それ以上に蒸す。何よりナイトライド仕様のため厚着。脱いでも積むとこなし。現地の気温は事前にチェックしていたが、行き帰りの防寒を優先する必要があった。
 下船してすぐに立ち寄ったのは・・・、
「1543年、鉄砲伝来。」
 はるか30年以上昔、中学の日本史で習った年号の中で今も覚えているものの一つ。「種子島開発総合センター(鉄砲館)」は、前回トラブルがなければ、やはり寄るつもりだった。入った時点で他の入館者はなし。床やら天井やらシミで汚れており、かなりくたびれた感じ。
「ささっと見てお昼ご飯に・・・。」
 前半は予想通り。紹介ビデオは現在主流の液晶モニターはなく、古いプロジェクションモニター。それも壊れて映らないものもいくつか。しかし、祭りのビデオから状況は変わり始める。
「深川のめん踊。」
 鹿児島の離島には、それぞれの島で独自の発展をした神と祭りがある。トカラ・悪石島の仮面神「ボゼ」などはその最たるもの。一度見たら忘れないビジュアルと強力な個性は、恐れ多くも、その存在自体がキャラ立ちしている。壁には祭りで使われる面が。
「すごい!本物が見たい!」
 興奮冷めやらぬまま次のブースへ。砂鉄からの製鉄をベースに特産となっている種子鋏(はさみ)。なにやらボタンを押すと、超リアルな鍛冶屋が延々と吹子(ふいご)を押し続ける。なんとそのメカニカルなこと!動きより、中で動いているクランクやモーターの音が凄まじい!焼ける炭の炎が、吹子と連動している。
「壊れたら直せる人いるのだろうか?貴重すぎる!」
 隣の動かない人形の顔を覗き込み、しばらく見つめる。
(なに見てんだよ!!!)
 と、今にもこちらを睨みそう。
「リアルすぎる!怖い!笑」
 クライマックスは次のブース!
 30年前に学んだ、鉄砲伝来にまつわる大まかなエピソード。
「銃の複製を担当した鍛冶屋は、発射の反動による銃身の抜けを防ぐ方法がわからなかった。娘を西洋人に連れて行かれ、怒りのあまり木にノミを打ちつけたら、開いた穴がネジになっていて問題が解決したという。」
 ところが、詳細は違っていた。当時の日本にはネジの概念がなく、銃身の問題があったのは正しい。しかし、銃の複製を担当した刀鍛冶の娘が、何らかの取り引き、合意のもとポルトガル人と一緒に島を出たという。それによりネジの切り方を教わったと。その娘の名を「わかさ」といった。
「なるほど!」
 フェリー「プリンセスわかさ」とは彼女の名前だったのだ。
 このストーリーを、豪華などん帳のある回転舞台で、やはり恐ろしくメカニカルな人形たちが、動くジオラマとして繰り広げる一大スペクタクル!あのポルトガル人、一発で飛ぶ鳥を打ち落とすし!(笑)ポルトガルで思い出すワードといえば、「リスボン」、「カステラ」、「ルイス・フィーゴ」、「クリスティアーノ・ロナウド」、「エストリルサーキット」くらいのもの。でも知らずに使っている外来語は多いんだろうね。
「現代のCGのなんと味気ないことか?すご過ぎる!」
「たぶん・・・、これを見に来るため、またここに来るだろう。」
「どうか壊れないでいて欲しい。」
 ジオラマの最後のシーンに流れる流れ星にお願いした。
 意外なオチも。
「わかさ。プリンセスでもなんでもなく、ただの刀鍛冶の娘じゃん。」
 どういう経緯か、その翌年の1544年、種子島に帰島し、すぐに病気で亡くなっている。西之表に墓もあるらしい。
 そのあともたくさんの火縄銃の展示があり、ここを侮ったことを後悔した。さらに、1階のトイレに戻ったときには!
「うわっ!」
 その前にある漁師のリアル人形にマジビビらされた!
「鍛冶屋にガンつけた仕返しか?恐るべし鉄砲館!」
 バイクを駐車場に置いたまま近くの食堂「喜元」へ。生活感のある細い路地。歩くスピードは楽しい。HOPEさんへメールした。
「食事後、15時前後になりますがチェックイン可能ですか。」
「お待ちしております。」
 さあ、第一目的地へ!

深呼吸の必要」いつか見た大東島の風景・・・。

 小雨、レインウェア内サウナ状態で走り出す。島のメイン道路は、これまで何度も紹介した、鹿児島市内と那覇を結ぶ「海の見えざる道」国道58号線。しかし日中は遅い車につかまり快走できないだろう。併走する県道76-75を選択。初めて走る道だと思っていたが、しばらくしてピンときた。
 去年、11.2の23:00近くにHOPEさんにチェックインした。翌朝、宿から宇宙センター、そしてあの三叉路でバッテリーダウン。下中から奥さんにレスキューしてもらって宿に。翌11.4の昼前に、今度はご主人の車で港まで送ってもらった。車中での会話を思い出した。
「西之表まで信号が一個しかないんですよ。」
「あの道だ!初めてじゃない。」
 たまに遅い軽トラに詰まるが、なだらかなコーナーとアップダウンが続く快走路。走りに気を付ける。島では派手な緑のバイクは目立つ。強引なパスはツーリングライダーのイメージダウンにつながる。「わ」ナンバーにも注意。それにしても・・・。
「植生が違う。」
 延々と続くサトウキビ畑。刈り取りを前に、高さは2m以上ある。
「忘れていた旅の高揚感。ドキドキと安らぎの共存。」
 5月、決して小さくはない別れがあった。日常生活では心身ともに負荷が増大し、負の相乗効果。ダメ押しは首の爆弾悪化。一時は「前傾姿勢のバイクには一生(!)乗るな。」と言われた。痛みが軽減してからも、走っていて楽しくない日々が続いていた。結果、半年近く遠出していない。
「おれの旅は終わったか?」
 真剣にそう感じた日もあった。
「これが深呼吸?」
 いや、どちらかと言うと、トウモロコシ畑の中からユニホーム姿のシューレス・ジョー・ジャクソンが現れる感じ。(映画:フィールド・オブ・ドリームス)
「Go The Distance ! (やり遂げろ!)」
「うん、まだ旅は終わっていない!」
 中種子温泉保養センターを過ぎ、右手にマングローブの入り江が見えてきた。すぐに、
「島宿HOPE!」
「帰ってきた!緑のバイクとともに。」

 フロントで声をかけるが反応がない。そのうち、奥で物音が。ゆっくりと現れたのは奥さん。髪の毛がショートに、そしてなんと二人目ご懐妊!
「女神がマリア様になってる!おめでとうございます!」
 ここに来たのは本当に2回目なんだろうか?何度も来ているような不思議な気持ちになった。部屋は去年泊まった隣りで、入り江が見渡せる眺めのいい部屋。ポイントは、千座(ちくら)の岩屋を示す青い案内標識。
「そうそう、この絵。つい昨日見たような・・・。」
 部屋を出たところで、この宿の主人、風間さんと再会。固い握手を交わす。ここでFacebookの果たす役割はとても大きい。7月終わり、いつもの悪い癖でアカウント削除しかけた。顔を見れる地元の友人はともかく、ここでしかつながっていない友人と種子島が浮かび、踏みとどまった。継続して発信される島の風景は、かけがえのない情報。
 「積もる話は夕食時に。」ということで向かったのは中種子町温泉保養センター。ここも去年、10Rを失ったあと奥さんに送ってもらった場所。いつも来る場所のような不思議感覚が継続している。帰り、一度はやんだ雨がまた降り始めた。
 宿に戻り、初めてテレビを付けたとき飛び込んできたのは・・・、
「すごい!!!」
 佐賀バルーンフェスタ、一時間枠の特集番組。こんな偶然って!
「もう深呼吸の必要はない。完全に満たされている。」
 種子島で両方を感じられるとは!前日まですべての競技が開催され、今年は当たり年かなと思っていたが、今日は雨で中止。逆にあのイベントらしい。
 持参した着替えの1セットを使ったため洗濯に。雨のため、ケージ内で暇をもてあましている看板娘、マーブルにご挨拶。
 2泊5日という行程ながら、荷物はランドセル大のタンクバッグ一つ。手土産を断念しても持ってきたのは、去年借りたDFSの手提げ。貰っていても何の問題もなかっただろうが、また一つ、トラブルを上書きしていく。
 同泊は関西からのサーファー夫婦、東北の女の子、別館にもう一組?この日は日本シリーズ第7戦。ビールで乾杯しながら盛り上がる。いろんな話をした。
「ネットやガイド本には載っていないのはこれ!」
 細かい話の内容は徐々に忘れていくかもしれない。しかし、
「2013年、楽天イーグルス日本一!」
 その瞬間、種子島で酒を酌み交わしていた。これからは楽天と言えば種子島の夜。一生忘れられない記憶としてセットで刻まれる。薄れた記憶はまた取り戻しにくればいい。
 22:30、心地よい疲労感を意識した。考えてみれば、昨日朝から仕事、深夜は走り続け、寝たのはフェリーでの仮眠2時間だけ。深呼吸より優先されるのは「睡眠の必要」だった。

Day3
 網戸を開けたままで寝た。暖かい南の島の風に、レースのカーテンが揺らめいている。夢と現実のはざま。

「おはようございます。」
「あれっ?」
 風間さんは、宿の仕事だけでなく、地元の漁にも出ている。
「今日はしけで休みです。雨残りましたね。」
「問題ないです。ここが目的地なんで。笑」
 外はまだ雨が降っているが、徐々に回復するとの予報。心配はしていなかった。ロビーに流れているBGM。つい最近今日の一曲に挙げたばかりの"Eternal Flame"と"Lean on Me"に、思わず頬が緩む。サーファーのご夫婦も連泊とのこと。夕食での再会を約束し見送る。
「さて、どうする?」
 せっかくなので、宇宙センター見学はもう一度行きたい。あの三叉路を経由して門倉岬。そのまま海岸線を北上。カウンターにあったパンフレット、西之表のタイ式マッサージ「うたたね」(フットリフレクソロジー30分¥1,500)も気になる。最北端に寄って、島の最高所、天女ヶ倉展望台まで日があるうちに行けたらベスト。雨も上がり、セルも一発始動!
 広田遺跡を通過。ここでもエンジンがかからなくなり押し掛けした記憶あり。宇宙センターまで数キロは、フラットな路面のタイトコーナーが続く、ライダーには最高の道。左側には宇宙センターを望む絶景の海岸線。路面にはウェットパッチが残っているため、ゆっくりと景色を楽しみながら、それでいて残ったニュータイヤのひげを削り取っていく感じ。
 宇宙センターは来るたびに必ず押さえなければならないポイントだと感じた。何より1時間の無料バスツアーは最高。去年はまだあった中型ロケット発射場が取り壊され、瓦礫となっていたのが印象的だった。最新のH-IIBロケットは高さ57m、重量530t。ほぼコンバトラーVのサイズ。
「巨体がうなるぞ、空飛ぶぞ〜!」
 小さいころ聴いたアニメソングは忘れないね。あと、ツアーバスの乗降口の階段にヒエログリフ(エジプト象形文字)が刻んであったのに妙に喰いついてしまう。
 積載の制限から基本お土産は買わないが、ミュージアムショップにあったチャパティという、石に絵を描いたペーパーウェイトに心ひかれた。数が足りないが、R58沿いのティアドロップというお店から仕入れているということで、寄ってみることにする。
 バイクに戻ると、シートに新鮮な鳥の糞が。これまで全国各地で鳥との戦いを繰り広げてきたが、
「今回だけ運がついたと言うことで許す!」
 ロケット発射時、報道関係者の取材用施設となる竹崎展望台で、今回旅に出て初めてカメラを取り出した。空はまだすっきりせず。
 宇宙センターをあとにし、宝満神社と宝満池に。HOPEさんは、以前あった「宝満」というペンションをリフォームしたもの。現在もグーグルマップやストリートビューには「宝満」として載っている。ところが、おまけで寄ったつもりが意外に面白い。参道は日中から裸電球でライトアップされており、不思議な雰囲気。宝満池も思ったより大きく、岸にはたくさんの蓮の種が漂っていた。
 再スタート、そして・・・。
「ここだ!」
 今回の旅のもう一つの目的地、南種子町下中の三叉路。この場所から坂(写真右奥)を登った先の商店までバイクを押し、そのまま動くことなくトラックに運ばれていった。
「2年越しの旅の続き、ここからスタート!」

※帰ってから1週間、若田さんのソユーズ打ち上げ〜ISS船長、インドの火星探索ロケット打ち上げ成功、さらにロシアの人工衛星「GOCE」の地球落下と、関連トピックが連発している。

「?・・・、バーンナウト?」
 モータースポーツの世界でバーンナウトといえば、リヤタイヤをホイルスピンさせタイヤスモークをあげること。でもここではもちろん燃え尽き症候群。自分にとって最大の観光地、下中の三叉路で、今回の旅の目的は達成した。実はスタートではなく、終着点だったのだ。あとは気楽に、とりあえずはあの時も目指していた門倉岬へ。
 走り出してすぐ、面白いことに気付いた。去年10Rと別れたあと、奥さんの車で県道75をHOPEへ。トラックに積まれた10Rは南種子町まで北上し、R58で西之表へ向かったはず。つまり、自分が見ていない景色を見ていたということになる。10Rとバディになって以来、一緒に移動するのが当たり前。こちらが徒歩で先行することはあっても、バイクだけが移動するということはありえない。(車検時を除く。)ただ、ニュートラルインジケーターさえつかないほど完全放電したバッテリー。人間で言えば、ブドウ糖を絶たれたあまりにも深い昏睡。海馬にはすべての記憶が刻まれない、言わば仮死状態ではないか?
「何も覚えていないだろう・・・。(笑)」
 そんなことを考えているうち、前之浜海浜公園の名前に誘われ、ふらりと左折。
「これはもったいない!」
 8km続くビーチの真ん中に整備された公園とオートキャンプ場。人影はゼロ。夏以外は無料だって。近くにあったら毎週来そう。地図を見ると、宇宙センターから門倉岬までの島の下辺は全部砂浜。これを楽園と言わずして何と言おうか?その門倉岬はとてもオーソドックスな観光地。観光バスも乗り入れていて、たくさんの人で賑わっていた。
 県道75〜屋久島行きフェリーが出る島間港〜県道588〜中種子中心部。田んぼやサトウキビ畑を抜ける沖縄のような風景が続く。お昼抜きのまま中種子市街地についた時点でもう16時前。しっかり食べるとせっかくの夕食がもったいないため、Aコープでパンを一つ。目に付いた宝くじブースで200円くじ1,000円分バラ5枚。当たるかな?南種子町観光情報

 昼間のR58は予想通り退屈な道だった。おとなしく車について走る。屋久島は左後方、うっすらと馬毛島が見える。何も考えず走っていると、コンテナハウスのようなティアドロップさんを通り過ぎそうになった。
 扉を開けるとすぐに、宇宙センターにあった石のチャパティやらマグネットやら。同じものはなかったが、お土産に気に入ったものをゲット。
「島の人なんですか?」
涙:「違うんですよ。」
(やっぱり!)
涙:「どこに泊まっているんですか?」
「HOPEさんです。」
涙:「風間くんとこ!部屋に同じのなかったですか?」
「あ〜!」
「そういえば「なみ」だか「うみ」だか(去年の部屋とごっちゃ)がテレビの前に!」
 HOPE別館にも関わっているとのこと。個人的にくいついたのはフィギュア。「変身前のギターを抱えたジロー(キカイダー)」と「アカレンジャー」、めちゃくちゃマニアックな「怪傑ズバット」。
「ズバッと参上、ズバッと解決。人呼んでさすらいのヒーロー!快傑ズバット!!」
 仮面ライダーV3や、アオレンジャーでおなじみの宮内洋演じる早川健も、TVジョッキーの奇人変人コーナーで貰うような白いギターを抱えていた。昔から旅人と楽器・音楽は込み。でも今なら思うよね。さすらいのヒーローはどうやって生計を立てていたのか?(笑)
「ご主人は同世代かも。」
涙:「たぶん、知らないで買ってきてると思います。」(笑)
 西之表で給油。フットマッサージと、去年レッカーしてもらった杉自動車に寄りたかったが、日没まで天女ヶ倉に行きたいためスルー。島の最北端に向かった。
「喜志鹿崎(きしかさき)灯台」
 バイクで行けるのは岬の南東にある灯台まで。保守点検作業をしていて意外にもたくさん人が。北側の展望は開けているが、印象は薄い。あと、島の北側は路面がかなりバンピー。快走できない。
「天女ヶ倉」
 島の最高所であり、抜群の展望。眼下には安納集落とパシフィックオーシャン。背後には夕焼け。宿に帰れば島一周完了。この場所にもすばらしいキャンプサイトが整備されている。
「いつかテント張りたい!」
 そして、
「ミッションコンプリート!」
 行ってないところはまだまだたくさんあるが、自分の中でのポイントはほぼ押さえた。あたりはすでに暗い。
 宿へ帰り、すぐに中種子温泉保養センター。入れ違いに出て行く車からサーファーのM夫妻。
「宇宙センターで見かけたよ!」
 夕食後は風間さんも加わり4人、サーフィンのDVDを見ながら盛り上がった。奥さんとは干支が同じで乾杯!違う世界の話ってとても新鮮で面白い。坂口憲二ってすごいんだね。
 23時過ぎにお開きになったあと、ひとり、歩いてすぐのビーチに出た。千座の岩屋のある砂浜の北端で、入り江の河口となっている。明かりは左奥に点々、自分を取り巻く半球すべてが漆黒。またたく星と、打ち寄せる波の音。目の前には大三角形、シリウスよりプロキオンの方が明るく見える。

「・・・。」

時間が止まった。この空間を表現する言葉はない・・・。














「ドサッ!」
「何?!」
 物音にビクッとしてあたりを探索する。今は干潮。かなりのスピードで流れる川面と、自分が立っている砂浜とは40-50cm程度の段差があり、流れに削られた外側の壁が崩落していく。
「面白い!」
 物理的機序は異なるが、氷河の末端で氷が崩落していくあのイメージ。予想したポイントを凝視していると、少しずつ亀裂が入り、大きな音とともに崩れ落ちる。固まりはあっという間に砕け散り、海へと注いでいく。高いところから低いところへ。地球が平坦化していく悠久の時間を感じた。次の崩落場所を予測したり、自分で意図的に崩したりして、島での最後の夜を楽しむ。飽きたらオリオン。
「ずっとここにいたい。」
 残念ながら地面は海水で湿った砂。横になる場所はなく、ずっと空を見上げているのは首によくない。そういえば、出る前にM夫妻に聞かれた。
「怖くないの?」
 確かに、屈強なノースコリアンソルジャーが海から音もなく現れても不思議ではない。
「もう一つ流れ星見たら帰ろ。」
 楽園の夜が、静かに更けていく・・・。

Day4
「おはようございます。」
 今日も漁は休みとのこと。すでにM夫妻は宇宙センター近くのサーフポイントに出掛けていた。
 朝食で全員揃う。M夫妻、
「2人は友だちなの。」
「普通のお客さんですよ。」
 その通り!こちらもずっと感じていたこと。去年、佐賀を断念し、種子島へ。当初の野宿から宿利用、そしてあのトラブル。もしそのまま野宿していたら、トラブルなく旅を続けていたら、その一度で満足し、もう種子島に来ることはなかっただろう。甑島、黒島、竹島、口永良部、わざと残してあるトカラ平島。まだ行きたい島はたくさん残っている。
 今回久々に感じた旅の高揚感。去年のトラブルの上書きではなく、今日につながる一つのストーリー。

「HOPE=希望か・・・。」

 バイクマタガリータ撮影大会のあと、2人を送り出す。昼前のトッピー(高速船)で鹿児島、夕方の飛行機で大阪へ。

「気を付けて、また会いましょう!」

 往路雨のためチェーンメンテ。
「懐かしいな。」
 久しぶりに持ち出したこのチェーンオイルは、06年郡上八幡〜千野さん別荘ツアーの帰り際、長野の佐久で買ったもの。さあ、今度はこちらが送られる番だ。

「ありがとうございました。元気な赤ちゃんを!」

 出港の14:00まで、昨夜走行した島東部の県75を北上する。
・10:10、千座の岩屋。去年ここで初めてエンジンがかからなくなった。沖に印象的な岩のあるきれいなビーチ。
・10:56、地図チェックで止まった広域農道と県75の分岐。
「まいど〜。」
 誰もいない小さな交差点で、寂しく呼び込みする自販機がかわいそうになり、コーヒー1本。しかし、「おーきに。」とか、「ありがとう」はなし。(笑)
・11:10、立派なレンガ作りの戸畑の煙突。敷地内の水溜りに巨大なヒキガエルが。
「車には気を付けろ!」
 南の島の路上で頻繁に見かけるのが、マンガチックにぺちゃんこになり、干物状態のコイツ。
・11:20、増田宇宙通信所。軌道にのった人工衛星を監視する施設。見学可。
 港近くで昼食を摂り乗船。
「また会おう種子島、また会おうHOPE!」
 錦江湾入口、ちょうど佐多岬沖あたりでデッキに出た。かもめが船のまわりを旋回していて、かなりの至近距離まで近寄って来る。
「へ〜。」
 空中で体幹と主翼をよじらせ、尾羽でバランスをとり滑空。獲物を狙っているのか?キョロキョロと海面を見回している。昨夜見たサーフィンのDVDを思い出した。
「みんなバランスの妙。」
 バイクも同じだ。下半身で乗り、視線は行く先へ。
・15:38 佐多岬から北へ最初の突端、立目崎の高台に巨大な建物を見つけた。ホテルにしては窓らしきものがない。
「帰って調べてみよう。」
※なにかの宗教施設らしく、航空写真からもそれとわかる巨大な涅槃像が、宇宙を仰いで横になっている。一般の入場も出来るようなので、いつか訪ねてみたい。
 完全に浮いて走るトッピーにぶち抜かれる。振り返れば併走するフェリーやくしま。去年探索した指宿の奇岩竹山と、海上の俣川洲(またごし)。美しい三角錐、開聞岳。
17:45下船。走り出してすぐ、
「目、痛っ。」
 天文館で黒豚豚カツでもと考えていたが、市内はかなりの降灰。「長居は無用。撤収!」
・18:29、鹿児島北ICイン。
「気温あったか、雨なし、ヘッドライト付いてる!」
・22:07、古賀SAで給油。" 主は来ませり" 今年初めて、クリスマスソングを聴いた。

Day5
・0:00ジャスト、下松でルーティーンの給油。
・0:31、廿日市ICアウト。
・0:43、満タン帰宅の最終給油。ほぼ予定した時間で自宅車庫に滑り込んだ。タンクを2度叩く。
「お疲れ!」

 去年は場所を訪ねる旅。今回はやり残した続き。そして、次回は人を訪ねる旅。4人+2匹になった風間ファミリーを目指し、"HOPE 3"へ、続く・・・。

"島宿 HOPE"


 ハイオクリッター単価、西之表(種子島)の184円は仕方ないとして、宮原(八代)の180円は高いよね。うちの近所はみな165円前後。島では景色を楽しむため燃費もGood!最後の下松〜家の間は少し飛ばした。数値で一目瞭然。

時間/ODO/給油区間距離/給油量
リッター単価/金額

2013/11/3
3:44 42,751km 260.2km 13.49L
19.29km/L 173円/L 2,333円 古賀

5:50 42,906km 154.9km 9.01L
17.19km/L 180円/L 1,622円 宮原

7:29 43,049km 142.7km 8.66L
16.48km/L 179円/L 1,550円 天保山

2013/11/4
16:27 43,183km 134.4km 7.33L
18.34km/L 184円/L 1,349円 西之表

19:36 43,442km 258.5km 14.15L
18.27km/L 177円/L 2,505円 山江

2013/11/5
22:07 43,637km 194.5km 12.18L
15.97km/L 173円/L 2,107円 古賀

2013/11/6
0:00 43,821km 184.4km 10.01L
18.42km/L 177円/L 1,771円 下松

0:43 43,894km 73.0km 5.39L
13.54km/L 165円/L 889円 観音

全行程:1,403.0km
平均燃費:17.19km/L
合計金額:14,126円


"HOPE3"
Day 1 : Sep.1 2017 Fri
 8月最終週、前回の連休と同様、軽井沢と種子島の天気を注視していた。台風15号の影響で東日本は無理そう。台風16号は中国大陸へ。最終決定は前日出勤前の午前中に。
 8月31日朝。休み期間中の種子島地方はすべて晴れ。渡ったはいいが帰れないと大変なことになるため、もう一度台風の動きを確認。奄美・種子島地方は大丈夫そう。まず往復のフェリーを確保。往路は9月2日8:40鹿児島南埠頭発「プリンセスわかさ」。復路も「わかさ」で9月4日14:00種子島西之表港発。次にこの春から3年間の予定で種子島に赴任しているK先生に連絡。2日土曜の夜相手してもらうことになった。最後に「島宿HOPE」。4年ぶりに聞く奥さんの声は元気いっぱい。2日は朝食のみ、3日は「地産地消・究極堪能〜薩摩黒牛×安納黒豚×インギー地どり」プランを予約した。2日土曜の夜、「HOPE」でアフリカの太鼓、ジャンベのライブがあるという。
 夜勤のため1日2:00に帰宅し、翌昼ごろ目が覚める。家のルーティーンワークを済ませて準備開始。といっても普段日帰りに出る装備に着替えワンセットを加えるのみ。2泊5日ながらタンクバッグ一つに集約する。さあ、準備は整った。
 20:14廿日市ICイン。22:07美東SA。気温は暑くもなく寒くもなく順調に距離を伸ばす。山間部走行中の夜空はとてもきれい。この日わし座の東に見えるというフローレンス・ナイチンゲールの名を冠した小惑星「フローレンス」を探すが、走行中はさすがに危険。しかしパーキングに入ると光害で月しか見えないというジレンマ。結局特定することができなかった。

Day 2 : Sep.2 Sat
 0:14広川SA給油。1:45山江SAで再ルーティング。この日は肥薩線秘境駅、大畑(おこば)、矢岳(やたけ)、真幸(まさき)駅のどれかで駅寝しようと考えていたが、三駅すべて高速からのアクセスが悪い。船は8:40だが乗船手続きは1時間前。となるとそれほど余裕はない。秘境駅探訪は見送り、そのまま山江で仮眠することに。
 4:28鹿児島北ICアウト。5:02天文館近くのモスで早めの朝食。鹿児島市内の繁華街「天文館」。今考えればすでに宇宙への一歩踏み出していたことになる。
 5:30鹿児島南埠頭着。桜島は山頂を雲に隠し、日の出前の東の空に大きなシルエット映し出している。自宅から600km離れたこの場所だが見慣れた心の風景。沖縄、三島村、十島村、そして種子島・屋久島。何度ここから旅立っただろう。離島航路が勢ぞろい。「フェリーみしま」。これから種子島で再会する先生、鹿児島のむっちゃんやゆりかさん、そして今回もう一つのプランだった軽井沢の光子さんと知り合ったのが、2006年この船で訪ねた三島村・薩摩硫黄島。活火山とオレンジの海、俊寛、アフリカのジャンベを知ったのもこの島だった。「フェリーとしま」は2007年、20日間で14回乗り降りした忘れられない船。7つある有人島6つを訪ね、いつかの旅のためあえて一つだけ残してある。埠頭にはたくさんのコンテナと各島宛ての貼紙。このまま乗ってしまいたくなる。「フェリー屋久島2」は唯一乗ったことがない船。2000年の屋久島へは高速船トッピーを利用した。乗船待ちの列に「北見」ナンバーのDN-01が1台。はるか北海道からどんな旅をしているのだろう。そして種子島行き「プリンセスわかさ」。定期航路には珍しく接客が良い船会社。この往路で4度目の乗船。心が躍る。
 トッピーの待ち合いで仮眠、7:15乗船手続き完了し、定刻の8:40種子島へ向け出航した。すぐに横になる。夜勤明けからの夜移動は必然だが、乗船後すぐに寝てしまうことに意味があった。台風15号の影響で外海での時化は必至。寝不足では間違いなく船酔いする。あっという間に夢の中へ。
 11:00過ぎ、激しい揺れに目が覚めた。とても気持ちの悪い浮遊感。「はてるま」「よなぐに」「だいとう」、沖縄の名だたるゲロ船を思い出す。あれに比べたらまだまだ。出航後すぐに寝たため船酔いもない。とても普通には歩けない船内を壁伝いにトイレに、男子トイレの個室二つは案の定使用中。中からは嗚咽と酸っぱい臭いが漂ってくる。お気の毒。自分のスペースに戻って今日の大雑把なプランを練る。まず鉄砲館であの超メカニカルな人形劇観覧。15:30枠が取れればやはり行っておきたい宇宙センターバスツアー。あとはジャンベライブと先生との夕食を成り行きで調整。その主旨を先生にメールする。
 12:10「西之表港」着。その名の通り種子島北西部、島の玄関口に4年ぶりに降り立った。地図の必要なくすぐに鉄砲館へ。ところどころに現れるマネキンに驚きながら奥へ。ギヤとモーターとワイヤーで動く「鉄砲伝来物語」ジオラマが目的。
「素晴らしい!」
 展開に見入っていると、脇から動く人形が現れびっくり。ここでK先生と1年半ぶりの再会。おかげで最後の大事なところを観そびれた。バスツアーの予約が取れたため余裕ができ近くの月窓亭へ。見た目は和風古民家だが庭がすごい。南の植物が生い茂るトロピカルな庭園は一見の価値あり。
 一度先生と別れ、種子島宇宙センターへ。最短の島中央を抜けるつもりだったが、ルートミスし東海岸の現和(げんな)に出てしまった。せっかくなので海を眺めながら南下。増田のしゃべる自販機、「HOPE」の前を通り過ぎ、14:30宇宙センター着。3度目のバスツアーだが、今回は管制室のPCが起動し、点検作業していたのが新鮮だった。
 17:00「島宿HOPE」にチェックイン。奥さんの笑顔に島に来たことを実感する。前回まだお腹にいた長女さんが水着を着て走り回っている。1回目の部屋は「なみ」、前回は「うみ」、そして今回は「そら」。息つく暇もなくシャワーを浴びると、先生が迎えに来てくれていた。彼女は新婚さん。ご主人は歳も近く遠慮なく話せそう。車で中種子(なかたね)まで出て、さぶちゃんというお店に入った。ここで先生と同じくこの春赴任してきた栄養士さんと合流。海の幸に楽しい時間を過ごす。
 全員であわただしく「HOPE」にとんぼ返りすると、すでにジャンベライブは始まっており、中庭はたくさんの人であふれかえっていた。
「なに?この空間」
 珍しいアフリカのリズムと聞きなれない言語。近くにいるお姉さんのグループは素人とは思えないリズムで踊っている。観客と思っていた人たちが入れかわり立ちかわり飛び出し、トランス状態で踊り狂う。記憶は2006年の硫黄島につながり、一昨年亡くなった千野さんを思い出した。そばにはその時出会った先生。暗がりにHOPEのオーナー風間さんを見つけ、固い握手とハグ。世界遺産の屋久島は1度しか訪ねていないが、種子島を3度訪れた意味が今わかった。空には十二夜の月が輝いている。

Day 3 : Sep.3 Sun
 7:00のアラームで起床。夢うつつ、遠くから町内放送が聞こえてくる。デジャビュではなく、実際に経験したことのあるマングローブの朝。
 今日は先生たちとカヤックの予定。朝食をゆったりといただいたあと奥さんにツアーの手配を依頼。午後から予約が取れた。台風の影響で海には出られないため、マングローブの入江内を散策するとのこと。
 朝食後洗濯。日曜の朝のため、子どもたちが思い思いのペースで遊んでいる。この島で慌てて見に行かなければならない場所はもうない。昨日本棚で見つけた「この世界の片隅に」を開いた。コミックを読むのは初めて。はるか南の島で思いがけないすずさんとの再会。自分が広島人であることを強く感じる。それにしても、旅先でなんと言う贅沢な時間の使い方だろう。連泊ならでは。風間さんに映画を観たかと聞くと。
「観てないです。映画館ないですから」
 確かDVD発売間近だったはず。帰って調べてみよう。
 昼を食べようと上中まで出たが思ったより時間がない。ファミリーマートで予想外に美味しいパンを発見。それにしても、5年前初めてこの島に訪れたとき西之表に島最初のコンビニができたばかりだった。こんなところにも時の流れを感じる。
 12:40、宿近くのマングローブパークでインストラクターと待ち合わせ。関西出身のお姉さんの簡単なレクチャーを受けてツアー開始。二人乗りシットオントップのカヤックで、先生夫婦、インストラクターの自分で二艇に分乗した。満ち潮で緩やかな逆流、穏やかな水面。実はこの旅に出る前からカヤックを物色していた。元々土壌はあって、中学の頃、友だちのレジャー用ゴムボートで地元太田川の河口で遊んだり、宮島を岸伝いにツーリングしたこともあった。90年代後半にはダム湖で朝食材を積み込み、一日中浮かんでいるボートキャンプ。カヤックの体験としては17年前の西表・浦内川で。ヒロやケンジたちとマングローブの川をさかのぼった。アウトドア遊び人の椎名誠や野田知佑の「カヌー犬ガク」は愛読書で、冒険心に拍車をかける。そして先月、久留米美術館で星野道夫のカナディアンカヌーを見たとき何かを感じた。瀬戸内にはたくさん無人島があり、内海で穏やかな海は、人生下り坂の自分にも比較的安全。空撮ですべての島を見尽くした。メインはシーカヤックになりそうだがスペーシアに5mの艇は積めない。ルーフキャリアや安全のための付属品も含めると20万前後になるためゆっくり時間をかけ検討中。
 これまで道路から眺めたことしかなかったマングローブの入り江は素晴らしかった。ただ護岸が整備されすぎているのが残念。次は海へ出たい。
 先生たちと河内温泉センターで潮を落としたあと茎永の交差点にある流木家具「KEEP」に立ち寄ってTシャツ購入。地元の日常に種子島の風を持って帰る。そのままカフェを探すがやってない。結局南種をウロウロして断念し、宿まで送ってもらった。ここで今回の旅ではお別れ。次回は海で。途中道を間違えたせいで、バイクトラブルで立ち往生した下中のT字路を通過。もはや自分だけの観光地となっている。
 夕食は「地産地消・究極堪能〜薩摩黒牛×安納黒豚×インギー地どり」を堪能。風間さんと宇宙談義。まだウミガメの産卵が見られるかもしれないという情報を貰い、ビールを我慢して前之浜に向かった。
 以前昼間に来たドラメルタン号漂着の碑。トイレの灯りだけが光っている誰もいない浜辺。あいにく雲が多く、天体観望には不向き。雲の切れ目からヴェガが見え隠れしている。昨夜より明るさを増した月は、黒々とした海に月の道を作り、三角波の白い頂点が、激しい音を立てながら移動していく。美しさと同時に、本能で感じる畏怖の念。得体の知れない何かが海から上がってきそうな恐さを感じる。
「ウミガメは」
 真夜中のビーチコーミング。もしいたら驚かせないよう天体観望用のレッドライトで歩く。月明かりに照らされた白い浜辺に、漂着物が黒い影を作る。ほとんどがゴミで、ハングルのものが少なくない。カニの穴やイカの骨。波打ち際と砂浜を注意深く観察しながら歩くが、それらしき痕跡は見当たらない。結局1.3kmある浜を往復してあきらめた。次回への宿題。食後のいい運動になった。
 帰りはあらためて5年前のバイクオルタネータートラブルに見舞われた下中へ。電話を借りた花峰小学校前の商店自販機で缶コーヒーを買う。実は旅に出る前、3回目の種子島でひと区切りと考えていた。ところが先生の種子島赴任といううれしいハプニング。恐らくあのトラブルがなければ再訪することなく、単なる旅の通過点だった種子島と「HOPE」。それが今はアフリカの夜とカヤックの足がかり。
「HOPE4、セカンドステージへ」

 宿に帰ると、テレビは宮家の婚約のニュースで持ちきりだった。「太陽と月」。そういえば・・・、前之浜で鹿児島のむっちゃんとメールしたとき、「月がきれい」と送ってしまった。どうやら知らない間に愛の告白をしてしまったようだ。

Day 4 : Sep.4 Mon
 9月4日、やはり7:00のアラームで起床。雨。4日先の天気が崩れるのは仕方がない。帰りの「プリンセスわかさ」は14:00発。手続きで13:00前に港に着けばいいため、時間に余裕がある。朝食を食べながら、本棚に「秒速5センチメートル」のDVDがあったのを思い出した。
 「君の名は」でブレイクした新海誠監督の07年度作品。第2話「コスモナウト」では種子島が舞台、なかでも田舎の商店のシーンは忘れられない。二人はカブ通学だし、カブを「単車」と呼ぶし、犬の名前はカブだし、極めつけは右の縦型ウインカー。今どきの高校生は絶対乗ってないと思う。店の位置を風間さんに聞くと、中種子を過ぎたあたりの県75号沿いのこと。だらだらと北上しよう。DVDを早送りで観て、切ない気持ちを盛り上げる。それにしてもヒグラシの鳴き声ってなんであんなに切ないのだろう。もわっとする夕暮れの空気感。過ぎ去っていく夏の思い出。
 予報は熊本まで雨。タンクバッグの中身もすべてビニールに入れ、さらにザックカバーで覆う。奥さんに挨拶、風間さんと握手を交わす。今回も聞けなかった「HOPE」の由来はまた次回。
 「コスモナウト」に出てくる店、アイショップ石堂大平店はすぐに見つかった。外観、壊れかけたベンチ、店内の様子も映画そのまま。おばちゃんはどちらかというとおばあさんだった。奥に進み冷蔵庫を開ける。
「あった!」
 デイリーヨーグルッペ。外に出てあのベンチに座り、ストローを差す。空きパックを捨てるのがなんとなく寂しくなり、しっかりと飲み干してつぶし、バイクのシングルシートカウルの中に入れた。
 ベンチの横には映画に登場するシーンのマップが紹介してある。カブで通り過ぎる通学路が近くにあるというので足を延ばしてみるが、さっき通ったばかりの県75号、新光糖業の交差点に出てしまった。引き返してすぐ。
「あー!!!」
 4年前の最終日、やはり港に向かう途中見つけた印象的な道。八重山・小浜島のサトウキビ畑を思わせる一直線の道だった。
「なるほど」
 映画とは逆向きだったことに気付く。坂を下り転回、そこには映画と同じ通学路があった。道のど真ん中にバイクを止め、エンジンを切る。
「ざわわ、ざわわ。」
 まず森山良子が聴こえてきた。ミラーを覗く。後ろから車が来る気配はない。遠くのサトウキビ畑から、シカゴホワイトソックスの"シューレス"ジョー・ジャクソン(レイ・リオッタ)が出てくる。最後は「秒速5センチメートル」の主題歌、山崎まさよしの「One more time,One more chance」。

♪ いつでも捜しているよ どっかに君の姿を
交差点でも 夢の中でも
こんなとこにいるはずもないのに ♪

 人生50年にもなれば、当てはまる人の一人や二人はいる。センチメンタルな一本道。
「雨の中、誰もいない田舎道におっさん一人。帰ろ」
 フェリー待ちは前回と同じく埠頭近くのラーメン濱商。たばこ3人と相席になりえらい目にあう。
 外海はまだまだ怪しい雰囲気。島への別れもそこそこに出航と同時に寝る。
 目が覚めたのは佐多岬に入る手前だった。その時点でかなり揺れが残っていたが、岬を過ぎるころから急に穏やかに。やはり内海は違う。岬の展望台に大きなタワークレーンが建ち、工事をしているようだった。
 立目崎の巨大涅槃像は相変わらず異様な存在感を示していた。前回帰って調べてみたところ、平等大慧会の施設であることが判明。この宗教団体、広島・大野にある旧「王舎城美術館」、現「海の見える杜美術館」と同じ。巨大な偶像の建設資金に思うところあるが、ここでは控えよう。
 桜島が見えてきた。頂上付近は雨雲に覆われ、小爆発している。雲にぶち当たって流れていく火山灰が、運ばれていく先で雨のように降り注いでいるのがわかる。フェリーから降りてからも、圧倒的な自然に心を奪われ、しばらく眺めていた。
 さて、明日は日勤。ぼやぼやして入られないが、無駄な渋滞に突っ込んでいく。
「海道・国道58号」
 基幹国道最後のナンバーを冠する58号は、以前詳しく調べて書いたことがある。西郷隆盛が見下ろす中央公民館前交差点から600m東に走り、一度錦江湾に消える。種子島・西之表の農協前に突如現れ、島間に消える。その後奄美を縦断したあと、再び海に消え、沖縄本島やんばるに再上陸し、那覇の明治橋で終点となる壮大な道。途中「黒かつ亭」というとんかつ屋を見つけ、エネルギー充填。ここで昨夜、「月がきれい」と知らないうちに宮家風愛の告白をしてしまったむっちゃんにメール。もう逆方向に帰ってるということで、見事にふられてしまった。彼女も06年硫黄島で出会った一人。次回は種子島で先生たちと再会しましょう。
 西郷どんのある国道10号を左折、180m先にある照国神社前交差点の存在感もすごい。九州の主要道国道3号と、大分〜宮崎を駆け抜ける国道10号の交わるところ。この短い区間が、九州の陰陽道と、はるか沖縄への海道の起点となる。
 19:05鹿児島北ICイン。福岡に入って一度雨があがったが、関門橋を渡った辺りからまた強く降り始めた。なかなかの修行。日が変わって9月5日0:48廿日市ICアウト。ほぼ予定通り帰宅し、タンクを2度叩いた。

 帰宅後、映画館のない種子島へ「この世界〜」のDVD手配。自分も買った「カヌー・カヤック入門」を先生宅に直送。「KEEP」のTシャツを着て茎永の風を感じ、ヨーグルッペの空パックを眺めて切なくなる。前回書いた記録の最後を読み返してみた。

『去年は場所を訪ねる旅。今回はやり残した続き。そして、次回は人を訪ねる旅。4人+2匹になった風間ファミリーを目指し、"HOPE 3"へ、続く・・・。』

 次回はむっちゃんと合流し、風間ファミリーと先生夫婦を目指す。そしてカヤックツアーのインストラクターに答える。
「カヤックに乗ったことありますか?」
「持ってます」と。


"HOPE 4"
20xx
Day1~