The Journey

2014.9.26-10.3 「遅れてきた夏休み」
PlanA : HOPE3
PlanA': HOPE3 & 口永良部
PlanB : 上甑島
PlanC : 隠岐・知夫里島 or 中ノ島
PlanS : 奥只見シルバーライン~二本松~成り行き
 9月終わりから10月始めにかけて、突如6連休が取れることが判明。上位プランの島旅を検討しながらバイクでどう行くか考えていると、これまで思ったこともないひらめきが・・・。

SpaciaZX-10R
・頚椎への負荷:なし大きい
・積載能力:いくらでもほぼゼロ
・油種:レギュラーハイオク
・タンク容量:27L17L
・満タン航続距離:600km250km
・燃費:25km/L17km/L
・巡航速度:90km/hかなり速い
・天候悪化:影響なし影響大
・食事:自炊可外食
・休息:車中泊可野宿
 そして最大のメリットは悲願の道走破。
・奥只見シルバーライン:四輪通行可二輪車通行不可

 ZZ-R1100を福島に取りに行って、2014年9月22日でちょうど10年。ネモトくんと最後に会ってから9年。チノさんとも会いたい。昼間何気なくつけた「こころ旅」蔵出しスペシャルは偶然福島。種子島は3日あれば行ける。6連休なんてもういつ取れるかわからない。よってPlanS決定!
 全行程2,500~3,000kmを予想。やる気と移動手段さえあればどこへでも行ける。目的の観光地はない。ただ、通りたい道一つと、会いたい人がいるだけ。BOSTONの名曲にのせて・・・。
♪ It's easy, takin' it day by day.

Day 1 9.26
23:00
ALL SYSTEMS GO, START THE ENGINE !
 結局サブウーファーは乗せたまま、地図も東北・関東甲信越は00年版。ガイド本の類は一切持たず。乗り出して10ヶ月、スペーシアにとって初の長距離旅。
「やっぱり車遅っせぇ!」
 走り出して数分もたたずこうなるのは予想されたこと。レギュラー満タン、空気圧調整、気楽に行きましょう。いつものように、わずか1時間のDay 1終了。

Day 2 9.27
 0:13、志和ICイン。今朝はソユーズ打ち上げのため睡眠不足で休憩多め。どのあたりで明るくなったか記録してない。初めてで新鮮な舞鶴若狭道が終わった敦賀あたりから修行の様相。
「やっぱり遠い。」
 それでも、自分の距離感の境界線がどうやら800kmあたりにあるとわかった。「山陽道・志和IC>中国道>舞鶴若狭道>北陸道・柏崎IC、790.8km、8,890円。」セール価格ではないが、700km台だとなんとなく近い気がする。
 北陸道・小矢部川SAで昼食と初回給油。通しで追求できる燃費データは、9.27/11:41/ODO 6,778km/満タン 630.8km/給油量 25.00L/燃費 25.23km/レギュラー@177円/合計4,425円。まず家の近所のハイオクより10円も高いリッター単価に目が飛び出る。満タン航続距離630kmには満足も、燃費25.23kmは少し微妙。セルフではないため、いつもの規定量が入ってない可能性が高い。今後の参考データ。もう少し引っ張りたかったが、満タン27Lに対し25L給油は、高速ではかなりのデンジャラスゾーン。
 富山以降の北陸道はおそらく初めて。もちろんR8は何度か走っているが、2ストクォーターの旅では高速道路に縁がなかった。天気も最高。大嫌いな町、能生通過。
 14:02、柏崎ICアウト。長岡を回ると30km近いロスとなるため一度柏崎でアウト、R291を小千谷へ。途中の長岡市小国でR404と交差。ハンドルネームの404を冠する国道がこんな遠くにあったことを知り親近感。小千谷には19歳のとき知り合った忘れられない人がいる。恐怖体験として。
 14:28、小千谷ICイン~14:46 小出ICアウト。小出から新潟県道50号・R291。15:06、ついに今回唯一の場所的目的地である奥只見シルバーラインにとりついた。
 ウィキによると、「新潟県道50号小出奥只見線、奥只見シルバーライン。全長22.6kmのうち18.1kmをトンネルが占め、計19本のトンネルから成っている。普通のトンネルと違って、素堀の部分と湧水が随所にあり、さらに交差点がトンネル内に設けられているなど、極めて特徴的なものとなっている。南側を走る国道352号は上折立以東、難所の枝折峠を越える勾配が急な狭隘区間である。このため、シルバーラインはこの区間のバイパス道路としても機能している。ただし、二輪車、軽車両および歩行者は通ることができない。ちなみに奥只見ダムはのちに漫画・映画としても展開された『ホワイトアウト』の原作小説の舞台となった事でも知られている。作品において、シルバーラインは犯人グループに爆破され崩落している。」とある。
 この道を知ったのはいつだったか覚えていないが、もう20年は経つだろう。オフローダーとして注目のロケーションも、二輪車通行止め。今回車で行く目的の最重要項目。走り出しはスノーシェッドで開放的な感じだったが、徐々に暗く閉鎖的なトンネルに。
 シールドで掘られた円形の筒ではなく、コンクリートで固められたかまぼこ型の空間がいっそう閉塞感を増強させる。そのうちトンネル内でくねりだし、緩やかな登りの直線に変わった。はるか彼方に大きな赤い矢印が点滅し、曲がるとまたはるか先に次の矢印。舗装路面は荒れ、湧水でおそらく365日へヴィウェット。
「そういうことか!」
 二輪通行止め納得。正直なところ、単なる長いトンネルの確認作業になると予想していたが、意外な展開。さらに開けていた窓から入り込んでくる冷気・・・。霊を全否定する自分にも何か出そうな恐怖感。1,000km走ってきた甲斐があるというもの。
 トンネルを抜けると奥只見湖。ここも予想外にたくさんの車で賑わっており、大きな食堂や土産物屋もある。片道100円払ってなんちゃってケーブルカーに乗り湖畔へ。ゴージャスな遊覧船あり。少し歩いて電力館という施設に入った。入館無料で、記名と簡単なアンケートでボールペンと扇子をくれる気前良さ。下りは歩いても2分。土産物屋に流れていたテレビで、御嶽山の噴火を知った。
 奥只見湖の中心が県境でここはまだ新潟県。トンネルを1/3ほど引き返し、福島・二本松を目指してR352樹海ラインへ。すぐ檜枝岐村に入ったが・・・。
「なんという山深さ!」
 ここに来て初めて認識の甘さに気付いた。広島で例えるなら、東城の県境から広島市内を目指すようなもの。気ままな放浪旅で、行き着いたところで車中泊ならまだしも、今回は10年ぶりにネモトくんとの再会が待っている。しかし・・・。
「走っても走っても山また山!」
 本来なら大好きなクネクネ道が苦痛。ただこれだけの山中にもかかわらず対向車がけっこうあり、車がたくさん止まっているペンションやロッジ、道路脇のテントなどが多数あった。R352~R401を結び、会津若松ICにたどり着いた頃には21:00を回っていた。さらにミスは続く。
 21:37、会津若松ICイン~22:38 船引三春ICアウト。磐越道に乗ってからの記憶がほとんどない。よって東北道への分岐をスルーし、気付いたときには三春PA手前。慌ててPAに入って位置を確認した。すぐ先の船引三春ICで下りても大きなダメージはなかったが、その後もルートミスを連発。すぐ電話して聞けばいいのに、すでに冷静な判断力を失っていた。思えば、仮眠やダム散策こそあれ、24時間以上運転中。思考停止も頷ける。結局ネモトくん宅の玄関先に着いたのが23:46。10年ぶりに訪れる一般家庭への到着があわや午前様という大失態に平謝り。
「本当に申し訳ない。」
 そんな状況にもかかわらずビールとギョウザでもてなしてくれた奥さんとネモトくん。10年前はまだ結婚すらしていなかった二人と、過ぎ去った一昔を語り合った。

Day 3 9.28
 目が覚めたのは9:30、昨夜からの大迷惑継続中。みんなでの遅い朝食となる。ここでネモトくんの子どもたちと初対面。すでにやんちゃな長男は生まれたとき祝いを贈った記憶が。少しハニカミぎみの長女もかわいい。10年前はこの世に存在すらしていなかった二人。それにしても・・・、
「不思議だ・・・。おれは何でここにいるんだ?」
 これがこの旅を通して感じ続けた不思議感。新潟に入ったあたりからなんとなく気付いていた。金曜の夜まで普段と変わりない日常生活があり、福島などはるか彼方。それが今、かつての放浪ライダーが築いた幸せな空間にいる。リビングに戻ると、
「二人で今同じこと話してたんですよ。何で山本さんが家にいるんだって。(笑)」
 単なる時間の経過は、その数値の増大とともに、ある種の価値観を生む。14年前、サロベツのあの場所からサロマ湖、10年前のこの場所、そして今。どうとらえるかは自分しだい。さらに10年後、どうなっているだろう。
 朝食後みんなで近所を散歩。彼岸花の咲く小高い場所にある小さな神社、立派な夫婦杉のあるお寺、10年前ZZ-Rを譲り受けるため30万円をおろした郵便局。神社でネモトくん。
「こんなとこまで来た旅人は初めてですよ。」
「地元の神さまに挨拶しとかないとね。」 
 土蔵を改築した部屋も見せてもらった。お宝たくさん。とても懐かしいシャープのLPレコードを縦にセットするラジカセが大ヒット。きれいなリフォームもいいが、こちらの方が居心地がいい。古いものが残っているということは、保管場所に困っていないということ。断捨離など無縁。
 お昼は自家製パンと安達太良そば。いただきます!
 話は尽きず、放っておくとこの家の住人になってしまいそう。
「そろそろ・・・。」
 深夜の襲撃、寝坊、申し訳ない。また会おう!
 14:12、船引三春ICイン。さて、ここからは完全にノープラン。明日の夜、渋谷のチノさん宅に着けばいい。昨夜降りた三春より高速に乗り、阿武隈高原SAで地図を開いた。
「塩屋崎へ!」
 火野正平のこころ旅で見た、美空ひばりの歌が流れる岬。再スタート。
 いわきJCT。思うところあり左へ。R6が開通したのは報道やネモトくんから聞いていた。四倉PA、止まっている車はたった一台のみ。トイレの横には、「国道6号富岡町以北、二輪車通行はできません。」、掲示板には「常磐道、放射線量情報」とあるが、もう数値は貼られていないよう。いわき四倉IC、もう一つ先へ。対向の車線はけっこうな交通量。16:06 広野ICアウト。福島第一原子力発電所より20kmの地点。富岡以北の二輪車通行禁止区間は、車でも窓を開けない方がいいということか。
 R6南下開始。走り出してすぐ、眼下にすごい波が打ちつける海岸が見えた。降り口が見つからずぐるぐるしていて行き着いたのが広野町高荻集落。防波堤に立って北を見ると発電所が見えるが、これは広野火力発電所。台風の影響で時折高潮が上がり、濡れている部分もあり危険。近所の人が普通に犬を散歩をしている。
「こんなにきれいでのどかな場所がどうしてこんなことに・・・。」
 R6から県382を舞子浜へ。廃墟となったレストランや住居の基礎が点在。あれから3年半、雑草に覆われているところも多い。
 塩屋崎には、立派な灯台と美空ひばりの歌碑があり、人が近づくとセンサーにより「みだれ髪」が流れる。一番が終わるといったん止まり、また近づくと二番。これが楽しくて何度もうろうろ。到着したとき明るかった岬は真っ暗になり、灯台の光が、一定の周期で辺りを照らしている。悲しいメロディと、風と波の音がいっそう寂しさを増強させるが、それが妙に心地よく、「寂しさを楽しむ。」という感じ。
「おれはなんでここに・・・。」
 また、あの感覚が襲ってきた。
 19:45、塩屋崎灯台スタート。県15号を南下、小名浜といえば海の幸。県道沿いの食堂を探してみるが・・・、すでに時間遅し。かなり細い道に入ってみると、何か雰囲気が違う。四つ角毎に椅子に座った人が。
「なるほど!」
 風俗街。ヘッドライトが当たった瞬間すぐに立ち上がって反応する呼び込み。面白いので行ったり来たり。ストリートビューでは昼間も写ってる。
 結局良さそうな食堂はなく、県26にあるMARUTO SC岡小名というスーパーで、旬にぎりと銀チョコを買って車で食べた。各地の銀チョコは旅の定番。
 ここでプラン検討。夜間のためこれ以上走っても展望はない。事前に考えていたのは水戸・偕楽園と銚子・犬吠岬。水戸はこれまで通過のみ。金沢・兼六園と岡山・後楽園は行ったことがあるため、日本三名園の残された一つ。犬吠岬はいわずと知れた九十九里の北端。先端ステータスとしては非常にポイントが高いが、実は初めて。22:30、スーパーの駐車場スタート。
 滞在時間不明、セブン北茨城関南町店で寝落ち・・・。

Day 4 9.29
 3:29、セブンリスタート。この時レシートに10.12開催、MOTOGP日本グランプリの広告あり。実はもてぎに寄ることも考えたが、レースもないのに今回はスルー。海岸線を行くR245にスイッチしてすぐ、大型トレーラーが通るため5分程度止められた。「東海村関係?」と問うと、「日立関係!」との返事。それも帰り便で空荷らしい。
 走行中見つけた居心地の良さそうなパーキングは望洋台一里塚ロードパーク。トイレがあるため窓ガラスを掃除する。塩屋崎にいたとき飛んできた潮でベタベタだった。水平線はうっすらと白みはじめ、激しい白波が打ち付けているのがわかる。月曜の朝5:00前、海岸の歩道をたくさんの人が散歩しているのに驚いた。
 5:40、久しぶりの水平線からの日の出。ただし残念ながらその上の雲から。水平線は約16km程度か。ここでは素朴な宇宙的不思議感覚。
「昨日塩屋崎で沈んだ夕日がまた昇ってきた。」
 R245を離れ水戸市内へ。9:00過ぎ偕楽園入園。(8:58-10:45)
「これは絶景!」
 三名園ではダントツの一番かも。標高差があり見晴らしは最高。真っ青な青空と広大な緑、オレンジはコスモスかな。キラキラ光る千波湖には、噴水とスワンボートが浮かんでいる。梅を意味する好文亭では真剣に住みたいと思った。しかし最も印象に残っているのは東門そばにあるお店の梅ソフト。これが絶品。そのためだけに行って食べたいくらい。もう一つ食べておけばよかったと後悔。興味のあった徳川ミュージアムは残念ながら休館日。
 10:30、偕楽園を出て、涸沼(ひぬま)の南側を通ってR51へ戻る。途中の鹿嶋スタジアムはかなりの田舎。
 13:16、踏み切り待ちにて一両編成の銚子電鉄の電車が。
「こいつか!ぬれ煎餅!」
 銚子の街は想像より大きかった。思い浮かぶのは煎餅と篠塚くらい?13:20、犬吠埼に到着し驚いたのは強風と荒波。これも台風の影響だろう。エンジンを停止しても、地震のように車が揺れ続ける。遊歩道からは十数メートル吹き上がる波。
「東映や〜。」
 少なからず驚いた。今これを書いていて何気なく調べると、あの東映のオープニングは犬吠埼で撮影されたそう。もちろん知らなかった。岬の海鮮レストランで海鮮丼(13:36)を注文し、昨夜の思いを達成。銚子電鉄発売元(ここ重要)のぬれ煎餅購入。(13:56)ここまでの予定完了のため次のプラン検討。すぐ先の長崎鼻にも寄って、千葉の弟の家へ。何年も前に購入し住んでいるが、行ったことがない。
 インターに向かう途中、千葉の名産、落花生の直売店「こば屋本店」を見つけた。母が好きで昔通販で取り寄せてたくらい。殻付き落花生をお土産に買う。(14:48)
 15:45、松尾横芝合併イン~15:45 松尾横芝本線~16:20 千葉東ICアウト。実は、初めて行く弟の家の住所を控えてきていなかった。ただ、数年前、まだ姪姉妹の愛想がよかったころ、3人でPCの前に座ってストリートビュー散策していた。インターを下りてドラッグストア、その先にスーパー、あそこを曲がって突き当たり。
「ビンゴ!」
 16:30、あまりにも簡単にたどり着いたため吹き出してしまった。ピンポン鳴らすが反応なし。寄ったのは思いつきのため一切連絡はしていない。いなくても問題なし。3回ほど鳴らして出ないため車に戻り、偕楽園の常盤神社で買ったお守りの袋にメモ書きと1万円を入れ、隙間を探して家の中に差し込んだ。再スタートしようと車に戻ってなにげなく2階を見ると、カーテンが揺れた。もう一度玄関でチャイムを鳴らすと姪姉妹。親から子どもたちだけのときは出ないように言われていたらしい。とにかく寄った甲斐はあった。
 渋谷にどうやっていくか検討する。首都高は・・・。車で都内を走るのは大学卒業以来。分岐が複雑で間違えるととんでもないところに行き着き、大幅な時間のロスとなる。夕方の渋滞時間でもあるため、下で行くことを選択。なるべく直進で記憶がある道。
 葛西橋通り〜永代通り〜茅場町。ここまでくればもう大丈夫。茅場町は運送屋のアルバイトで通った街。2学年後輩の実家で、明日の夜泊めてもらうクロダと知り合ったのもここ。とても寄りたかったが、すでにチノさんを待たせている。涙をのんでスルー。
 それにしてもこんなに走りづらかったか?道を忘れかけているため、突然の分岐に対応できない。何車線もあるため、真ん中付近で走っていないと寄りきれない。車、バイクの免許はこの街で取ったのに。(笑)
 何とか間違えず進み、青学を左折した。そうそう、ここで初めてバイクで事故した。脇道もない場所でUターンしようとした車に突っ込んで宙返り、怪我はなし。懐かしい。代官山でお宅がわからなくなり電話。
「なんだよ〜タケちゃん!246そのまま真っ直ぐ進めばよかったのに。」
 細い道をクネクネしてついに!チノさんの姿発見!
 入庫後24時間最大2,600円の駐車場に入れた。渋谷のど真ん中、これは仕方ない。
「お久しぶりです!」
 チノさんとは06年、鹿児島の硫黄島で知り合った。その夏には軽井沢の別荘で何日もお世話になり、08年には広島にも遊びに来てくれた。渋谷駅から徒歩数分のところにある建築雑誌にも載った家に住み、何年も前から「渋谷に来てよ!」と誘われていた。やっと実現!その自宅とは?
 3階建て、長方形の3面総ガラス張り。各部屋の窓というか壁には90cmスパンのパーテーションがあり、雨戸のように室内に重ねることにより外が丸見え、当然外からも中が丸見えに。少しいりくんだところにあり割と静かだが、それでも渋谷。外を眺めていていつも誰かしら歩いている。
「すごいですね!丸見えじゃないですか!」
「意外とみんな見ないんだよ。」
 確かに、窓のすぐ前に座って外を見ていても、誰もこちらを向かない。不思議。
「タケちゃん遅いからさ〜。リーズナブルな寿司屋に行こうと思っていたんだけどもうたくさん並んでるよ〜。」
 歩いて渋谷駅方面へ。
「明日の神話だ!」
 展示場所を広島と争った岡本太郎の大作!
 リーズナブルな寿司屋というのは渋谷マークシティ内にある梅丘寿司の美登利・渋谷店。なんと40組待ち。やたら外国人が多い。同じフロアのエクセルシオールで時間調整、改めて再会を喜ぶ。数年前体調を崩したと聞き気になっていたが、とても元気でうれしい。お寿司は・・・?そりゃ美味しいさ。久々の再会&ゴチなら!
「もう一軒寄っていこうか?M子とたまに来るんだけど。」
 M子とはもちろん奥さん。若い頃モデルをしており、会社の経営者だったチノさんより収入があったらしい。めちゃくちゃ豪快な人で、いつも「タケちゃんいつ結婚するのよ!?」とうるさい。(笑)今回は残念ながらパリ・ミラノに服の買い付けに行っており不在。
「M子が『何で私のいないときに来るの?』ってブーブー言ってたよ〜。実はつい最近、タケちゃんに会いに広島に行こうって話になったんだよ〜。」
 と、上がって行くのは地上40階、セルリアンタワー東急ホテル・タワーズバー「ベロビスト」
「マジですか!?」
 新宿の高層ビル群、スカイツリー、負けずに東京タワーが大作絵画のように視界全面に!下世話な話だが、下々のものとしてあえて書こう。チャージ、二人で一杯ずつ、チョコレートでほぼ1万円。(22:55)さすがチノさん、軽自動車のプチ放浪旅で別世界を見せてくれる。ただメインはやはり会話。お互い日本全国各地どこの話でもできる。何より元気、それだけでいい。考えてみれば、今回泊めてもらうお宅はクロダ以外すべて旅で出会った人たち。
 日が変わるころ帰宅。すぐにシャワー浴びて寝ようということになり、車に置いたままにしていた着替えを取りに行った。何とはなしに料金表確認。
「へ?」
 入庫後24時間最大2,600円は間違ってない。
『土・日・祝』
『平日は最大料金ございませんのでご注意ください。』
『20分・400円』
 慌てて現時点での料金確認。
「6,400円!!!マジですか・・・?」
 すぐにもう一軒のパーキングへ確認。(実はこちらの方がチノさん宅に近い!)曜日問わず2,600円。すぐに戻って精算!
「6,600円!!!チーン、もう200円上がっとる・・・。」
 下々の絶望の叫びをあげた・・・。しかしここはメンタル踏ん張りどころ。すぐにストレスコーピング。
「もし今気付かなかったら・・・。そこそこのホテルご宿泊同等!」
「素晴らしい夜景も見せてもらったし・・・。」
 いやいや、どんなに素晴らしくても、まったく無駄な6,600円。揺れ動く気持ち。この日の駐車場代、計9,200円なり。確認不足は仕方ない。次から気を付ける。でももう少し安い授業料にして欲しかった。渋谷の夜・・・。
   
Day 5 9.30
「タケちゃん遅いよ〜。」
 9:30起床、ネモトくん宅より迷惑継続中。この時点ですでに走行1,700kmオーバー、お許しを。コインパーキングの悲劇は寝たら治った。
「朝昼一緒で虎ノ門に天ぷら食べに行こう。一番新しいビル、虎ノ門ヒルズにも行ってみよう。」
 かつてよく利用していた地下鉄銀座線で虎ノ門へ。「天ぷら・逢坂」は、11:30前、こちらが入った直後に客が並び始めた。もちろん美味しくないはずがない。
 虎ノ門ヒルズは、この6月に森ビルが開業したばかりの超高層ビル。5Fまでは商業施設、以降高くなるに従い、オフィス、分譲・賃貸のレジデンス、最上階付近はホテル・アンダーズ東京となっている。オフィス入口には駅の改札のようなゲートがあり、一般の人は入れない。豪華なエントランスのあるレジデンスも同じ。
 カフェ(11:56)でお茶しながら二人で人間ウォッチング。たくさんのお店があり一般価格。明らかにおのぼりさん的有閑マダムのグループが行ったり来たりしている。
 何度か来ているチノさんも行ったことがないという最上階の入口を探すが見つからない。この時はまだ最上階がホテルとは気付いてなかったから。正解はレジデンスのエントランスホールに行く途中だった。
 ものすごいスピードで耳の痛くなるエレベーターを52Fで降りると、チャペルでイベントか何かの準備中。ポロシャツ・ジーンズで入れるような雰囲気ではなかったが、エレベーターホールに下を見ることができる窓がある。地上から見ればそこそこ高いはずの建物がはるか下に。意外な探検ができて面白かった。
 一度渋谷に戻り、今度は一人で東横線に乗った。地下5階に移動した渋谷駅に昔の面影はない。
 中目黒駅通過。モンキーは、昔この駅にあった「Cat's」というバイクショップで買った。
 学芸大学駅に到着。目黒区鷹番。86年から92年まで、6年間を過ごした街。ホームにはドアごとにゲートができている。階段を下りていく感じと、改札前にある東急ストアの雰囲気は変わっていない。先に、住んでたアパートとは反対側の西口に出てみた。最初に寄ってみたのはオダレコード。いきつけは渋谷のタワーレコードだったが、このお店で取り寄せたものも少なくない。店主はあのころと変わりなく、話しかけようと思ったが、他の客との会話が切れなかったため店を出た。
 「上海菜館」は頻繁に通った中華料理屋さん。ここの蒜苗(にんにくの芽)炒め定食が大好きだった。広島から上京した1学年上の先輩がこの駅に下宿したことにより、同期、後輩と集まり、広島学芸軍団を形成していた。その先輩がこの中華料理店でアルバイトしていて通うように。いつもご飯大盛り、一品追加してくれるなどとても良くしてもらっていた。今日は残念ながら定休日の張り紙。明日もう一度チャンスがあるので寄ってみよう。
 今も持っているデニムジャケットを買ったジーンズショップ、「ビートニクス」はなくなっていた。再び改札の前を通って東口に。
 メタル雑誌「BURRN」を買っていた本屋さんは健在。アルバイトしていた居酒屋は前に来たときもうなくなっており、別の店に。スナック「プラスワン」はあったがやってるかどうかは不明。当時すでにおばあさんに見えたママは・・・、今も続けているとは考えられない。
 どこの商店街も同じだが、やたら派手なドラッグストアが目立ち、違和感はぬぐえない。コンビニの栄枯盛衰もしかり。かつて住んでいたアパートに向かった。(14:40)角のパン屋さん(ストリートビューにより閉店確認済み。)を曲がると。
「更地!?」
 瞬間、心臓をギュッと鷲掴みにされた気がした。大家さんの家を中心に、2棟あったアパートすべてがなくなっている。激しい喪失感に襲われた。建築表示盤を見てみると日付は最近。ただ施主に大家さんの名前はない。あれから10年、なにがあってもおかしくはない。
 大家さん夫婦はYさんといい、息子さんたちとは同世代、当時長男さんが仕事で広島にいたこともあり、とても良くしてもらった。今の賃貸アパート支払いは口座引き落としで、大家さんと顔を合わせることはないと思うが、当時は毎月現金で直接支払っていた。その支払い帳は今も残っている。何とかして会いたい、消息を知る方法は?
 角のパン屋さんだったお宅に行ってみた。実はこのお店のおばちゃんにも会ってみたかった。当時月曜発売の少年ジャンプを前日の日曜に買わせて貰ったり、ファンタの空き瓶を30円で買い取ってもらったり。古き良き昭和の思い出であると同時に、89年は平成への転換期でもあった。
 このお店がある交差点は、変則的な四差路となっており、ストリートビューの更新のタイミングにより09年10月のお店健在時と、去年13年6月の閉店後の様子両方を確認できる面白いことになっている。なんと、去年の写真におばちゃんが写り込んでいるのだ!玄関は開いているので声をかけると。
「いた!おばちゃんだ。」
 2年前に体調を崩したときお店を閉めたとのこと。ここでYさんの重要な情報を得た。ご夫婦とも元気で、建て替えのため近くに仮住まいしているそう。
「よかった〜。」
 ただその仮住まいが問題。情報は「レストランの裏」とだけ。おばちゃんに礼を言って行ってみたが、名前のないポストがあるアパートだらけ。まさかすべてノックしていくわけにはいかない。もう一度更地に戻って、近所の3軒に尋ねてみた。2軒は不在、反応のあった1軒もパン屋のおばちゃんと同じ答え。近くにいることがわかった以上ここであきらめるわけには行かない。次の手は?
 建築表示盤にある施工会社に電話してみた。とても愛想のない応対で、「うちは請け負っているだけだからわからない。」と。次に連絡を取ったのは設計事務所。受付の女性が出て今度は普通の応対。電話した経緯を伝え、「個人情報保護のため答えられないだろうから、先方に連絡を取ってもらって了解なら連絡して欲しい。」とお願いした。それに対して、「担当の営業が外出中のためすぐには答えられない。伝えるが確約はできない。」との回答。
 さて、どうする。何らかの答えが出るなら待つが、いつになるか?いや、返答もあるとは限らない。半分うわの空で歩きながら、もう一つの手を打つ。
 電話帳。電話ボックスを探し、確認してみるが、ハローページ、タウンページしか置いてない時代。もう一手、106番号案内。住所とフルネームはわかっている。ただ、携帯電話の普及した現在、仮住まいに固定電話を移設するのか?案の定登録はないとの返答。手は尽きた・・・。
 もう少し周囲を散策しながら電話を待つ。おそらく至近距離にいながら、会うことができない。これもめぐり合わせか。
「ここまでか?」
 そのとき、まるで映画のようなタイミングで携帯が鳴った。
「話は伺いました。少し確認させてもらえますか?」
 設計事務所の営業担当からだった。
「わかりました。連絡を取ってみます。」
 5分後、Yさんから電話。ついさっき行ったり来たりした「レストランの裏」へ。小さな路地から出てきたYさんに手を振る。
「お元気で何よりです!」
 願えば叶う・・・。
 お二人とも元気!積もる話は尽きない。息子さんたちのこと、アパートのこと。この夏に取り壊し、新たに3階建ての家を建てるそう。それまでずっと、毎月住人と顔を突き合わせ、直接家賃を受け取っていたとのこと。素晴らしい。そして将来のこと。今は元気だが、今後は?ご主人は家の母より一つ若いだけだった。水戸・偕楽園の話では意外な事実が。奥さんは水戸の出身で、美空ひばりの塩屋崎にも行ったと。
「時間あるの?ご飯食べていって。」
 う〜ん、そうしたいがチノさん宅に帰ってクロダのいる板橋に向かわなければ。
「あの場所に新しい家が建つことがわかりました。いつかまた来ます。」
 最後の最後に会うことができた。これもめぐり合わせ。
 帰りの学芸大学駅、志木行き。東武東上線と直通になり、当時は表示されるはずのなかった行き先。逆に中目黒からの日比谷線直通はなくなっていた。東京を離れてちょうど3年後、この日比谷線でも地下鉄サリン事件が起こる。
 吊り革に揺られながら、またあの不思議感覚を覚えた。四半世紀をさかのぼること6年間、ずっと続くと思われた当たり前の日常が、まるで浦島太郎のような今この瞬間。渋谷駅では地下5階に到着する。去年、一夜にして地上2階から地下深くへ引越しするニュース映像を見た。
 駅より徒歩3分で帰宅。窓のパーテーションが2枚ほど開いており、中でチノさんがテレビを見ているのが見える。お宅の2階の部屋から見下ろしていた外の雑踏にまぎれてみた。携帯を取り出し電話すると、すぐにチノさんが反応し、スマートフォンを手に取った。
「外からどう見えるか試してみました。」
 こちらを向いたチノさんと目が合い微笑む。2006年鹿児島・硫黄島〜2014年渋谷、すべては旅の中で起こっていること。
 中に入ってまた話し込む。
「今日は赤坂の友達の店に行こうと思っていたんだけど。」
「(笑)また居候しそうですよ。」
「近いうち広島行くから。駐車場まで送らないよ。」
「楽しみにしてます。」
 駐車場最大料金、2,600円(0:27-19:23)にホッとして再スタート!
 板橋のクロダ宅へは首都高速も考えたが、放射状の分岐を間違えると大変なことになるので、環七〜川越街道の無難なルートを選択。
「もう何年住んでる?」
 00年の旅では行き帰りともお世話になり、ほぼ居候と化した懐かしい街並み。昨日通過した日本橋は茅場町、後輩宅経営の運送屋アルバイトで知り合って20数年。唯一の接点であるただそれだけで続く面白い友人関係。世代はかなり離れているが、実はチノさんと高校が一緒だったと判明。
 駅近くの焼肉「牛繁」とつけ麺「てつ蔵」をハシゴ。焼肉ではいいと言うのにお金を受け取らない。振り返ってみると、移動の必要経費以外でまともにお金を使ったのは、コインパーキングの悲劇くらい。(笑)いつもありがとう。
 近年、家族的背景が非常に似通っており、共感するところも多い。
「実家に戻れよ。」
 一緒に暮らせば喧嘩も絶えないだろうが、残された時間はそう多くない。

※ 渋谷で蚊に刺された。話題だった代々木公園は目と鼻の先。今日現在2週間近く経過し、もう潜伏期間は過ぎただろう。虫除けやら蚊取り線香やら(初めてのローズの香り)たくさん買って行ったが、一度も使用せず。

Day 6 10.1
 曜日感覚がなくなりつつある水曜朝。もちろんクロダは仕事のため、7:50一緒に家を出た。短い時間だったが直接顔を見ることが大切。ありがとう、お母さん大切に。(20:41-7:58)
 今日のプラン検討。昼食を学大の上海菜館で食べることを柱にするとその周辺。それなら目黒寄生虫館。学大に住んでいたころ、電車移動はすべて東横線基本だったが、広島へ帰るときだけJR目黒駅までバスを利用していた。そのとき目立っていたのがこの施設。当時から気になっていたのに加え、今は割りと関連した環境にいる。行くなら今!
 昨日通った川越街道から環七、目黒通りに入って、再び住んでいたアパートの前に来た。小名浜のスーパーで買ったストックのポテトチップスが朝食代わり。ここで、昨日Yさんとの再会を取り持ってくれた設計事務所の営業担当にお礼の電話を入れるがつながらず。
 走り出してすぐ、目黒通り沿いに忘れられない場所がある。といってもどこだったか厳密には特定できない。91年中型二輪免許を取り、初めて乗る250トレールバイク「KDX250SR」を買った「Bullet」というバイクショップがあった場所。92年春先に寄ると、閉店作業をしていて驚いた。正月にオーナーがスクーターの事故で亡くなったという。親族以外で死を意識した初めての瞬間だった。この店のワッペンを今も持っている。
 寄生虫館到着。なるほど、色々捉え方はあるが、なにを持って寄生とするか。その個体以外まったく関わりを持たず生きている生物はない。いわゆるパラサイトシングルは考える。展示内容より達成感が勝る訪問だった。(10:50-11:24)
 学大に戻り、当時足しげく通い、昨日定休日だった「上海菜館」に向かった。大学卒業後広島に戻ってから1-2回訪ねた記憶はある。東京に行った時期も正確に記録しているが、それがどのときだったかは不明。いずれにしろ10年以上、下手したら20年は経っている。建物がリニューアルされているのはストリートビューで知っていた。
 12:00前、中に入ると客は一組。テーブルに座って、おばちゃんから受け取ったメニューを開く前に聞いた。
「20年以上前、蒜苗炒め定食をよく注文してたんですが・・・。」
「うん、あるよ!」
 すかさず厨房から!
「お兄さん、昔よく来てたよね?」
「え〜?!、覚えてるんですか?」
 この旅一番の衝撃だった。
「トマホーク(法政大学アメリカンフットボール部)の雰囲気が出てるよ。顔も髪型も変わらないね。でも少し小さくなった?」
「すごい!よく覚えてますね。」
「去年Nくん(この店でアルバイトしたことがある先輩)とWくん(同期)が来たよ。」
 そう言いながら料理を作り始めた店主。あえてこちらから言うことではないが、念のため付け加えた。
「ご飯普通盛りで十分です。昔ほど食べられないですから。(笑)」
 彼らは関東在住のため来るのは簡単だが、広島からは難しい。本当に定期的に通いたいくらい。この旅は、元々長く会ってない旅人を訪ねるものだったが、昨日あたりから18以降の自分を探す旅に変わりつつある。キュッキュッとしたにんにくの芽の食感を味わいながら、あの不思議感を楽しんだ。
 車に戻ると携帯に留守電が。設計事務所の営業担当から。
「わざわざご連絡ありがとうございます。非常に良いお話だなと思いまして、Yさんから色々お話を聞かせていただきました。折り返し不要ですので、また何かありましたらよろしくお願いいたします。」
 この人は仕事ができる。最後にもう一度跡地を見ておこうと前を通ると、スーツの3人が打ち合わせ中。
「この中に電話の営業担当が?」
「ありがとう。」
 遠ざかるドアミラーの中の景色に後ろ髪を引かれつつ、一期一会の出会いを噛み締めていた。
 横浜に向かう前に、鮮やかなブルーの人工芝に変わった法政大学武蔵小杉グランドを見てみたい。ルートは迷わず目黒通り〜環七〜中原街道を選択。目黒通りで触れずにいられないのが碑文谷ダイエー。18歳で上京したとき、生活用具全般をこの店舗で揃えた。自分の部屋を見回しても、そのとき買ったハンガー、布団タタキ、紙パック式掃除機など、今も現役で使っているものがある。先月、イオンがダイエーを完全子会社化し、ダイエーブランドがなくなるというニュースを見たばかり。タイムリーで残念な情報。
 丸子橋交差点を右折後少し迷ったが、適当に走っているうち、グランドに突き当たった。同期のフェイスブックの情報から建物の様子が一変していることはすぐにわかった。ここで驚きのメロディが。
「川崎市ごみ収集車。」
 オルゴールのようなメロディが練習前の嫌な時間に必ず流れていた。今でも口ずさむことができる。調べてみると、川崎市民の歌、「好きです かわさき 愛の街」。
「30年たった今初めて知った!」
 法政二中前のグランドには新たな校舎が。一時的に二つあった時計塔はすでに一つに。ブルーの人工芝もさることながら、最も驚いたのは、辛い思い出のホッケー場に建つ大きな部室。ガラス張りのジムの中には、たくさんの筋トレマシンが見える。
「すごい!」
 5-6人の部員が出てきたので声を掛けた。この時間にいるのは間違いなく1年生。
「自分らトマホークス?」
「はい。」
「20年くらい前のOBなんだけど、今日練習何時から?」
 全員の背筋がピンとなったのがわかった。
「3時半です!」
 無意識に時計塔を振り返った自分に笑う。
「まだ2時間ある・・・、(待てんな。)広島出身いる?」
「あっ、はい!」
 一人が反応するが・・・。
「でも生まれただけです。」
「なんだ。(笑)」
 中央にかなり体格の良いヤツ。
「でかいねぇ。」
 照れくさそうな表情をみせる1年生。
「ちょっとグランド見ていい?」
「はい!」
 グランドを一周してみた。ちょうど良い硬さの人工芝。(マップ:35°34'20.1"N 139°38'54.2"E。すごい青。)たくさんの用具、塩ビパイプじゃないゴールポスト。(笑)
「別世界!」
 かつて下級生が整備した土のグランドの大変さはここに書ききれない。部室の2階には、「早稲田戦までX日。甲子園(学生日本一決定戦)までX日。」とカウントダウン。自分たちの時代には甲子園など夢のまた夢。
 1年生のいるところに戻ってきた。常識的に結婚して子どもを持っていれば、もう息子以下の年代。
「甲子園行くから、期待してるよ!」
「はい、失礼します!」
 グランドを後にすると、たくさんの部員とすれ違った。上級生だ。みなでかい!
「こいつらの中ではDL(ディフェンスライン)で1本目(レギュラー)取れんな・・・。」
「いや、本来やりたかったラインバッカーならいける!」
 などと今は実現不可能な妄想が浮かぶ。
「首も悪いのに殺されるわ。(笑)」
 再び走り出し、綱島街道でも懐かしい場所が続く。膝の靭帯損傷で入院した関東労災病院。綱マラ折り返し地点。(鶴見川大綱橋北詰までのランニング。)
「またいつか・・・。」
 綱島街道から大倉山で13号に分かれて1国へ、すぐに県22、長後街道に入った。途中でヒロにメイル、道沿いに温泉がないか聞くと教えてくれたのが泉区中田の「葛の湯」。入り組んだ住宅地の中にあるが、各所に道案内があるため何とか到着。露天でゆっくりできた。
 18:00に仕事帰りのヒロをひろって「焼肉ざんまい本店」に行くと定休日。駐車場で10年ぶりにケンジと合流し、「焼肉くいどん湘南台店」でご飯。その前後のやり取り。
ヒロ:「焼肉でいい?」
「昨日も焼肉。」
ヒロ:「ゲストだからおごるよ。そういやケンジが『10年前来たときデニーズ行きたい。』って言ってたって。」
 そんなことまで覚えているケンジはすごいと思うときがある。デニーズは、関東を中心に出店しているファミリーレストラン。大学時代、練習後にデニーズ会と称して入り浸っていた。当時はバブル全盛期、学生でも普通に1,500~2,000円使い、食材も良かったのだろう、一番美味しかったという幻想が今でも残っている。広島にはないというのもその思いを増幅している。
「やっぱりデニーズがよかったな。昔ほど食べないからね。」
ヒロ:「ケンジが焼肉がいいって。ここでは抑えといてよ。この後デニーズ行くから。」
「おれがゲストやろ?(笑)」
 出会ったとき20代だった彼らももう40。
ヒロ:「おれも昔より食べなくなったよ。」
 と言いながら、二つある網の一つを自分専用にしてガンガン食べる。そこB!(笑)ケンジは黙々と肉を焼きながら、たまにこちらに寄せてくれる。対照的な彼らも6年ぶりらしい。近いのに・・・。
 ネモトくん、チノさん、目の前の二人、クロダもそう、旅人というのはどうしてこんなに居心地がいいのだろう。同じ組織に所属したわけでもなく、日常を共有したことは一度もない。みな基本はソロ。それぞれ確固たる個があり、適度な距離を保ったねじれの位置と解釈した。一瞬近づいては、また離れていく。デニーズ中田店で念願を達成しつつ、時間を忘れて語り合った。
ヒロ:「なんでスマホじゃないの?バリバリ使ってるかと思った。ナビも付いてると勘違いしてた。」
「バカになるぞ!機械の言いなりに動いて何が楽しいんだ?(笑)」
 ネモトくんとも同じ話になり意気投合した。もちろんルートミスは避けられない。ただ、同じミスを起こさないよう、順に交差する県道番号や、合流の仕方、地形なども記憶するようになる。迷ってしまえば、コーヒー1本を買って地元のよろず屋で情報収集。旅を振り返るとき、真っ先に思い出すのはこのような光景だったりする。また、迷ってUターンした場所は、何年か後の目的地になるケースも。ガイド本に載っている場所に行くのは単なる確認作業に過ぎない。
 ヒロは、長女と新たな旅のかたちを楽しんでいる。もちろんケンジも違うかたちで・・・。
 3:00お開き。ヒロは5:30に起きて仕事。たまたま明日休みだったというケンジ宅へはジャスト10年ぶり。

Day 7 10.2
 ケンジとは独特な距離感がある。00年石垣で1ヶ月行動を共にし、10年前一度再会。ではこの10年どうだったかと言えば、メイルは1年に一度あるかないか、電話で話したのも10年で1-2回?それでいてこの普通すぎる感じ。
 朝はゆっくりし、デニーズ港南台店でブランチ。決して短い時間ではないひと昔には色々あったようだ。寡黙なくせに手が早い、そのテクニックの一端も垣間見れた。(笑)
 日野ICまで先導してもらい握手。次はいつだろう?今日この瞬間がつい昨日のような、普通すぎる再会になるのだろう。
「また会おう。」
 14:19、横浜横須賀道路・日野ICイン〜14:37 保土ヶ谷バイパス経由・横浜町田ICイン。厚木付近でめぐみさんにメイル。甲子園で会いたいね。
 初めて走る新東名で休憩中、目からうろこの出来事が。「横浜横須賀道路・日野IC>保土ヶ谷バイパス>東名>新東名>東名>伊勢湾岸道>東名阪道>新名神>名神>中国道>山陽道・志和IC、769.6km。」。
「そんなに近いわけないだろ。」
 この20年間、広島〜東京間は950km程度あると思っていた。しかし、新東名は静岡の弧を内回り、伊勢湾岸、東名阪、新名神は、冬大変な関が原、米原を直線的にショートカット。950kmは下道のR1~R2をつないだ距離かも。
「今回わかった距離感分岐点800kmを切っている。思ったより近いじゃん。」
 18:00、愛知・豊田JCT。
 18:45、伊勢湾岸・刈谷PA。
 21:30、兵庫・西宮名塩SA。ここまでくれば帰宅時間の見通しがたつ。夕食と仮眠。BOSTON大阪公演のラジオCMが流れてきて、心躍らせる。

Day 8 10.3
 再スタートの記録なし。たぶん0:00前後だったはず。
 1:00頃流れてきたFM TOKYO系の深夜番組では、1987年をピックアップとのこと。あまりのつながりにびっくり。懐かしいメロディとともに、この一週間を振り返った。
1:01 SWEET DREAMS / 松任谷由実
1:07 Oneway Generation / 本田美奈子
1:11 三番目の幸せ / EPO
1:18 I Feel The Earth Move / Martika
1:22 異邦人 / 久保田早紀
1:25 I Just Can't Stop Loving You / Michael Jackson
1:34 Heaven Is A Place On Earth / Belinda Carlisle
1:38 Luka / Suzanne Vega
1:42 Cry On Your Smile / 久保田利伸
1:45 Shake You Down / Gregory Abbott
1:51 季節が君だけを変える / BOOWY
 2:42、岡山・吉備SA。広島ナンバーは、すでに周囲になじんでいる。ここで給油イベント。横浜横須賀道路の日野ICに乗る前にタンク満タン。結果は?
「走行654.4km、給油26.35L、燃費24.83km/L、@170円、合計4,480円。」
 リッター25は切ったが満足。満タン654kmは最初で最後だろう。そもそももう挑戦しない。タンク容量27に対して給油26.35も高速道路では無駄なギャンブル。もちろん計算した上でのトライではあるが、登りが続けば危険だった。ともあれスペーシアのデータ収集は完了。大体の特性はわかった。
 3:59、三原・八幡PA。最後のコーヒー休憩。
 4:43、志和ICアウト。
 5:30、疲労困憊で無事帰宅。息つく暇もなくいつもの一日が始まる。この一週間で感じたものとは違う不思議感覚とともに。

2014.10.13
 いつものように、思い付きとひらめき、ノープランでスタート。長く会ってない友人たちに会うためだけの旅が、大学入学以降の自分探しに発展した。あそこへ行きたい、あれが食べたいなんて必要ない。ただ、ガソリン満タンで走り出すだけ。

"The Journey~It's Easy"

 10.6のBOSTON JAPAN TOURにつながっていくテーマ。4泊8日、2,725km。付き合ってくれたみんな、ありがとう!素晴らしい旅でした。またいつか・・・。

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