2024
4.29 Back in 1984
"緑の日々"
 前年鈴木康博が抜け、オフコースがオフコースじゃなくなった最初のアルバム。小田和正はともかく、鈴木康博と大間ジローのラジオ番組はラジコで聴いたことがあるし、みな健在なのがうれしい。
 このPVに限っていえば、高樹沙耶の方が時の流れを感じる。

4.28 Back in 1984
"Drive"
 夜勤で一緒になった同世代のスタッフに1984振り返りのことを話すと、やはり「ベストヒットUSA」からということに。

4.27 Back in 1984
"(You Can Still) Rock In America"
 ブラッド・ギルスのアーミング、ジェフ・ワトソンのフルピッキングからのタコ足ライトハンド。当時のギター雑誌を席巻した曲。

4.26 Back in 1984
"Wanted Man"
 LAメタルを一つ上げろと言われれば間違いなくラット。あえて"ROUND AND ROUND"ではなく、針を落として最初に聴こえてくるこの曲。まだレコードの時代だった。MVの寸劇は今となっては滑稽な印象。
 ギターのロビン・クロスビーは薬物の注射の使いまわしによりエイズで死亡。

4.24 Back in 1984
"We're Not Gonna Take It"
 ディー・スナイダーは喉も衰えていないし、いい歳の取り方をしていてうらやましい。
"We're Not Gonna Take It"

4.23 "Answers"
 今年のオステオスペルマム。去年の猛暑で挿し芽が総崩れ。初めて種をまいてみたが発芽率も低め。残った株を寄せ植え状態に。スプーンのピッコロはやはり華がある。咲き始めのおしべの群青色もきれい。
 数日前、一つだけ紫のピッコロが。周囲が白のため同じ株に咲いた突然変異かと思っていた。ところが今日もう一つ淡い紫が開いた。
「どういうこと?」
 あらためて株をみてみると、白ではなく一つの株から。葉の光沢や形も微妙に違う。去年入手した濃い紫のスパイダーも咲いているが、こちらはくびれが強すぎて今一つ貧相な感じ。
「まさか?!」
 去年種を取ろうと、開いた花をこまめに受粉した。もしかして。
「フュージョン!!!」
 つまり白のピッコロを受粉した指で紫のスパイダーを受粉した、もしくはその逆。その可能性は頭の隅にあったが、本当にできるとは。
 黄色のキンギョソウも骸骨から。キンギョソウの花がらを取らず残しておくと、人間の骸骨そっくりの種ができる。ゴマより小さな種を大量にばらまいたところ、素晴らしい森ができあがった。

4.20 Back in 1984
"Jump"
 ヴァン・ヘイレンと同時期にヒットした"Jump"として記憶に残る。映像を見てカール・ルイスを検索した。終盤にマジックも登場。
 三姉妹というだけで個々の人柄については知らなかったが、家族には日本にゆかりのある人もいるらしい。70年代は四姉妹グループで、うち存命なのは長女ルースのみとのこと。

4.19 Back in 1984
"Blackout"
 1984年リリースの"Love at First Sting"ではなく1982年のこちらを選んだのは知ったタイミングとツインギターとの出会いから。
 左チャンネルがザクザクキレキレカッティングのルドルフ・シェンカー、右は縦横無尽に動きまわるエクスプローラーのマティアス・ヤプス。エンディングはレコードジャケットをビジュアル化する目にフォークを突き立てガラスをぶち破るサウンドエフェクト。とても42年前とは思えない、まさにブラックアウト。
"Big City Nights"

4.19
 今日仕事から帰宅すると、家の玄関に犬2匹を連れた若いカップル。バイクが入れないので待つが、ヘッドライトで照らされていてもしばらく気付かず。
 会釈もなく立ち去ったあと、朝リサイクルプラを出していたカラス避けゴミネットに犬の小便。これまでにもその痕跡が何度か。その家の人間が手に触れてネットを扱うことが想像できないのか、できて気にしないのか。怒りというよりただすごいなと。宇宙からきた人たち。

4.17 Back in 1984
"Say Say Say"
 MJが良い意味で黒人だったころ。

4.16 Back in 1984
"Metal Health (Bang Your Head)"
 映画「フットルース」で、VWビートルに乗ったケビン・ベーコンがこの曲をかけながら学校に現れるシーンが印象に残る。
 高校入学してパールのドラムセットを買ってもらい、クワイエット・ライオットを叩いていた。当時のメンバー2人はすでに故人。ランディ・ローズも。
 今や当たり前のヘッドバンギングも頚椎症の要因と言われて久しい。最近では「新しい学校のリーダーズ」がやたら頭を振っているのを見て心配になるおじさん。
"Cum On Feel The Noize"

4.15 Back in 1984
"They Don't Know"
 メロディとほくろがセットで記憶に。

4.14 "今日もどこかでデビルマン"
 デビルマンに行く途中たくさんおいしそうなお店があったのに、空腹を我慢してもレトロ自販機に行く不思議。
 コロナの4年間。それまでと変わらない距離を走ったし、毎年恒例の場所にも行っていたけど、人が集まるところを避けていたのは確か。
 走っていてどこか違う感覚が。例えば、信号待ちで止まったとき見えたマンションの一室に灯る蛍光灯とか、走行中バイクの音に反応して目が合った散歩中の犬とか。
「どんな人が住んでいるんだろう」
「(犬の)名前は何というのだろう」
 その時間そこにいるという偶然と必然、タイミングの不思議。すべてが一期一会。

4.14 Back in 1984
"Girls Just Want To Have Fun"
 9人で首振るとこ!
 結局歳の話にならざるを得ないんだけど、シンディ当時30歳、つまり今70歳。有名人で知る時の流れ。ここまで続けてきただけでもすごい曲だらけの1984。

4.13 Back in 1984
"Rebel Yell"
 口をひん曲げて歌う姿が記憶に残る。メタルフリークとしてはやはりスティーブ・スティーブンス。86年の「トップガン・アンセム」を聴いた方がわかりやすい。そして「トップガン・アンセム」と言えば「Ninja GPZ900R」となるよね。たくさんのニンジャを乱発しても、ニンジャ=GPZ。
"Top Gun Anthem"

4.12 Back in 1984
"Karma Chameleon"
 ジョージ・マイケル、エルトン・ジョン、フレディ・マーキュリー。ロブ・ハルフォードのカミングアウトは衝撃だった。
"Church Of The Poison Mind"

4.12 "When I Look Into Your Eyes"
Carl Jeffrey Snare 1959.12.14~2024.4.5
 4月6日付けの桜のトピックにFIREHOUSEの曲を使用したのはまったくの偶然だった。
"HERE FOR YOU"
 つまり「醍醐桜=あなたのためにここにいます」という思いを込めたものだった。
 今日YouTubeを開けると、ヴォーカルのC J Snareのショートがおすすめ動画に。この2月の関連動画も上がっていて元気に歌っているんだとみていると、亡くなったという記事が。すぐウイキを開けると、4年前大腸がんを患い、死因は心停止との記載。64歳。
 FIREHOUSEの1990年のファーストはいわゆる「ジャケ買い」。ネットのない時代、渋谷のタワーレコードで新譜をあさっていて1曲も聴かずに買ったアルバム。そしてサード収録の”HERE FOR YOU”は、2000年稚内でローカルFMに出してもらったときリクエストした曲。世代的にこれからこんなニュースをたくさんみることになるんだろうな。
 ちなみに明日4月13日は母の三回忌と父の十三回忌を同時に行う。そして今日4.12は母の誕生日。生きていたら92。C Jの歌を聴きながら母を想う。

4.11 "Eclipse"
 北米での日食で月が地球に落とした影。これを肉眼でみられるのは世界でたった7人だけ。地形から推測するとカナダ東海岸のよう。

4.10 "Halo"
 稲田神社「ゆかり庵」。VIVANTの乃木憂助(堺雅人)の名刺があったがロケ地ではないそう。
 三刀屋桜並木は葉桜へ。御衣黄はまだつぼみ。

4.6 "Love of a Lifetime"
 醍醐桜から数キロ離れた岩井畝の大桜。まさに陰と陽。混雑した醍醐桜に比べ、いつ行っても誰もいない。今年は珍しく、倉敷からの二人連れとしばしの談笑。
 ライトアップも現場用の投光器。普段はないのだろう。

4.6 "Here for You"
 真庭醍醐桜と今年も再会。土曜日ということもあり車は2時間待ち。ただし18時以降は駐車場料金は発生しないらしい。
 映画「フィールド オブ ドリームス」エンディングのような車列がふもとまで続く。もちろんバイクはストレスなくたどり着ける。
 神は信じなくともあまりの神々しさに離れるタイミングが難しい。また来年。

4.5 Back in 1984
"Union Of The Snake"
 当時もっともかっこいいベーシストと思っていたのがデュラン デュランのジョン・テイラー。81年の「プラネット・アース」では、印象的な前髪と、ギャロップに合わせて踊る姿が目に焼き付いている。現在も動画をあげていて、良い歳の取り方をしているのがわかる。
 ボーカルのサイモン・ル・ボンの動きはかなりオネエっぽいが、当時有名モデルと付き合っていたはず。最近は若干残念な大きさに。
"Planet Earth"

4.4 Back in 1984
"Through the Fire"
 ごく私的な、切ない思い出とともに。

4.3 Back in 1984
"In The Future To Come"
 86年の「The Final Countdown」で、北欧メタルを一気に世界へ押し上げたヨーロッパ。しかしここ日本では、すでに84年に「Seven Doors Hotel」が名曲と囁かれていた。懐かしい。
"Seven Doors Hotel"

3.31 Back in 1984
"99 Luftballons"
 当時NENAのわき毛が話題に。黒木香の出現はこの2年後。

3.30 Back in 1984
"All Night Long (All Night)"
 この時代のMV。細かいところにラフさが垣間見えて好感が持てる。

3.29 Back in 1984
"You're the Inspiration"
 Chicagoを象徴する2曲は1984年リリースの「Chicago 17」から。もちろん大ヒットした「Hard to Say I'm Sorry」(1983)は知っていたが、好きになったのはリアルタイムではなく89年のベスト「THE HEART OF CHICAGO」で。
 このPVに一つ不思議な点が。右利きのセテラがBASSを左利きで弾いているが、弦は普通に右利きで張ってあるという。MTV全盛の時代。映像へのアンチテーゼか。
 多くの人がそうであるように、Peter Cetera=Chicago。彼のソロアルバムも愛聴盤。
"Hard Habit To Break"

3.27 Back in 1984
"Love Somebody"
 もう74歳とのこと。

3.26 Back in 1984
"She Don't Know Me"
 Bon Joviを知ったのも高校のクラスメイト「ジョン」の影響。ベーシストは細身の長身という勝手なイメージがあり、彼もそうだった。
 40年という歳月でBon Jovにも変化が。Alec John Suchは亡くなったし、Richie Samboraも今現在バンドとは別行動。
"Runaway"

3.25 Back in 1984
"Tooth and Nail"
 肥満と喉について。ヴォーカルのDon Dokken。Motley CrueのVince NielやGunsのAxlのように、往時を想像できない残念なビジュアルになった一人。加えて喉を痛めて当時の曲を再現できない。クリスタルキングの田中昌之が、草野球のボールが当たってハイトーンを失ったのは有名な話だが、突き抜ける高音はいつまでも色褪せない。
"Alone Again"

"大都会"
 「大都会」は東京ではなく、結成時活動していた佐世保からみた博多。

3.23 "The Galaxy Express 999"
 SL人吉58654、101歳。本日最終運行。10年7月旅先で初対面。16年6月乗車して熊本-人吉間を往復。一方で肥薩線再建の動きに期待。

3.23 Back in 1984
"Synchronicity II"
 ごみが舞う中、スティングがぶら下がってる光景が頭の片隅に。これもベストヒットUSAの記憶。ネットのない時代、欲しい情報は、テレビ、ラジオ、雑誌で自分から取りにいく必要があった。
 サブスクリプション時代。シングル数曲リリース後、アルバムが出たときにはすでに聴き飽きた曲多数。レコード時代はアルバムリリース後シングルカット。初めて針を落とすとき、未知のメロディにわくわくした。サイドAとサイドBの始まりと終わりにも起承転結があった。A面の終わりの曲、B面の1曲目とかで覚えている曲も。30cm角のレコードジャケットは、4分の1の大きさになりアート性は失われた。今やそのCDジャケットすら消えていきそうな勢い。
 視点を変えれば、MTV全盛のミュージックビデオそのものが大きな変革の途中経過だったとも。
 このアルバムには、音楽史上避けては通れないこの曲あり。
"Every Breath You Take"

3.21 Back in 1984
"The Lion's Mouth"
 カジャグーグーは不思議なバンド。リマールのいたファーストと、ベースのニック・ベッグスがヴォーカルをとるこのセカンドはまったく違う魅力がある。PVでもわかるように、ニックはチャップマン・スティックをかるテクニシャン。
"White Feathers"
 カジャグーグーのファーストと言えば「君はTOO SHY」だが、1曲目のこの曲のインパクトが大きかった。当時TDKのメタルテープにダビング。アルミダイキャストのフレームが透けて見える重厚なカセット。40年経った今でも、まるで昨日録音したかのような高音質。この曲でもニックのベースがカッコよすぎる。
"Don't Suppose"
 カジャグーグーを抜けたリマールのソロ第一弾。世界的にヒットした「ネバー・エンディング・ストーリー」は外せないが、ゴージャスなアルバムタイトル曲を選んだ。
 3枚ともレコードをCDで買いなおしている。

3.20 Back in 1984
"Loud 'N' Clear"
 1984年、間違いなくヘヴィローテーションだったのがSTRYPER。授業で行く理科室の机に、定規を使ってバンドロゴを落書きしていた。

3.18 "晴る"
「繋ぐ」
 熊本から広島へ。1週間前に訪ねた熊本・島田美術館の息子さんの個展が地元広島、瓢箪堂で。けっこういいお値段するグラスなど3点を手に入れた。
 グラスを液体を入れる容器とだけ捉えるなら100円ショップで十分。それを何十倍ものお金を出して手に入れる理由。一日の終わり、お気に入りのグラスに注いだワインを眺める至福のとき。支払った対価は、作家が次の作品を生み出す糧に。器は使ってなんぼが持論。何気ない日々の夕食にささやかな彩りを添える。もちろん2匹には要注意。
 瓢箪堂オーナーは熊本でみたA列車に乗ったことがあるとのこと。応接には山浦めぐみさんの卒業制作。ティールームには山幸さんの肖像画。何かがどこかで繋がる。
 最後は広島市現代美術館「とびたつとき」最終日。今年も年間パス更新。
 母と入れ替わりに復活した椿。去年おととしと一つだけ咲いたが、3回忌の今年は八つほどつぼみをつけた。2か月も早く一番花開花。来年の今頃は、新しい家に地植えとなっている予定。

3.18 Back in 1984
"Uptown Girl"
 この曲が入っているイノセントマンもヒット曲満載のすごいアルバム。ロンゲストタイムと迷ったけど、やはりベストヒットUSAで観たのが印象が強い。

3.17 Back in 1984
"Ghostbusters"
 間で出てくるアイリーン・キャラやピーター・フォークも故人。40年となるとさすがにそんな観点になる。

3.16 Back in 1984
"In The Beginning
~Shout At The Devil
"

 レコードジャケットが見開きで、B.C.Rich WARLOCK BASSのNikki Sixxが最高にカッコよかった。一般的にギタリストがフロントマンになることが多いが、ボーカル、ベース、ドラムの個性が強過ぎ、ギターのMick Marsだけが地味という珍しいバンド。

3.15 Back in 1984
"True"
 音源は持たずとも、いつもラジオから聴こえてきた曲。

3.13 Back in 1984
"Break Down The Wall"
 時に、とんでもないアルバムを1枚だけ残して消えていくバンドがある。STONE FURYもその一つ。セカンドやKINGDOM COMEとも違う光を放つ。40年経った今もヘヴィローテーション。
 ギターのブルース・ゴウディは、長期に渡り矢沢永吉をサポートしていたのは有名な話。

3.12 "ONE SPARK"
 熊本こぼれ話。黒亭ももう6回目。07年トカラ・大東島の帰り、店の外で出会ったおばちゃんにもらったデコポンがあまりにも美味しく、今回も駅のスーパーで購入。
 島田美術館併設カフェ「木のけむり」の眺めが最高。目の前に桃が咲いている。鍵が内からぐるぐる回すタイプ。一昨年取り壊した自宅もサッシは一か所もなくすべてこの鍵。とても親近感。
 「A列車」は熊本〜三角を結ぶ。天草もそれこそ06年の「五足のくつ」ツアー以来行ってない。
 めずらしく宿泊し利用したホテルの部屋がビンゴ!(20年来使っているハンドルネーム)

3.12 Back in 1984
"Love Is A Battlefield"
 当人も健在だし、検索するとたくさんのミュージシャンがカバーしているよう。ただ、現代のダンスが異次元に進化しているのが衝撃。下手したら幼稚園児でもこれ以上のキレあり。この曲もレコードのみ持っていて聴くにはSPOTIFY。

3.10 "To Love You More"
 06年、旧熊本物産館で出会った一つのマグカップ。以降15年間に渡って懇意にしてもらった陶芸家山本幸一さんが亡くなって4年。回顧展以来の島田美術館を訪ねた。併設のカフェ、木のけむりもアートにあふれる。地植えのクリスマスローズがお出迎え。
 島田さんの息子さんがガラス作家で、今週末地元広島のギャラリー瓢箪堂さんで個展開催予定。素晴らしいタイミングになった。
 5年前、バルーンのついでに寄った際に病気闘病中であることを聞き、会うことができた最後の機会に。山幸さんのいなくなった金峰山の工房は、寂しさにあふれていた。

3.10 "SAYONARA"
 今月でお別れの86。旅先で何度か出会っただけでなく、8年前乗車し、熊本〜人吉間を往復。本来企画された肥薩線の営業区間は、災害で復旧のめどもたっていない。旅に「いつか」はないことを再認識する。
 うかつにもチケットを取ろうとしたが、高騰で全国ニュースにまでなってることを知り苦笑。それでも雄姿を目に焼き付けるため熊本まで。
 ホームには「かわせみ やませみ」と「A列車で行こう」が停車中。「かわせみ〜」はもともと「いさぶろう・しんぺい」とともにSL人吉と同じ肥薩線を運行。それも災害の影響で今は熊本〜阿蘇を結ぶ。「いさぶろう〜」が終了した今、乗っておかないと永久にその機会が失われる。
 夜宿でテレビを見ていると、最近の各地の群発地震のニュースが。明日はあの3.11からちょうど13年。15時から夜勤。帰りを1時間ほど早めたが、それでも9時にはまだ熊本にいたという綱渡り。ちょっと無理があった。

3.9 Back in 1984
"Wake Me Up Before You Go-Go"
 いい意味でのこの軽さと、朝から突き抜けた陽気さ。邦題「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」もフィット。もちろんラスト・クリスマスやケアレス・ウイスパーも外せない。
 ジョージ・マイケルが亡くなってもう7年、53歳没。こちらももう年下になってしまった。この曲のころはまだゲイを公言してなかったが、これをみると動きがオネエっぽい。

3.6 Back in 1984
"Far Beyond The Sun"
 車検で純正に戻していたH2のマフラーを元に戻し、5年で弱っていたバッテリーを交換。ちなみにショップで見積ったらバッテリー2万5千に工賃とのこと。充電だけ頼んだら工賃2000円もかかっていた。Amazonなら国産YUASAでも12000円。車検に1週間かかった。これまでなら数日前に代車ある日を聞いて持ち込みの翌日には完了。
 タイヤはこれまでマッハで買ってショップで交換のみお願いし6000〜7000円。引継ぎのショップでは基本持ち込み不可。どうしてもなら工賃1万とのこと。ROAD6リヤの概算を聞くと、タイヤ時価と工賃で57000円。リヤだけで。軽自動車4本で2台分交換できる。マッハでも年末買ったときより4000円値上がりして37500円。前後合わせると10万と言われた。
 先月パンクで待機中だったCT。穴2か所とチューブ自体も弱っていたので交換。
 交代で待機に入るCRFを満タンにしようと近所のスタンドへ。近いのでカメラなしで行ったが、右の一時停止か飛び出てきた軽は、その先の一時停止もないかのように左折し、次の黄色信号も無視して走り去った。ガソリン入れて出ようとしたら、自転車スマホにヘッドホンお姉さんが前を横切る。怖くてカメラなしではもう走れない。

3.4 Back in 1984 "十七歳の地図"
 若い現代社会の先生が授業の中で熱く語り、曲を聴かせるという、今思えば素晴らしい試み。
「先生、今わかったよ」
 尾崎が綴る言葉は、当時の「現代社会」だったのか。1984年まさに十七歳。社会への不満など微塵も感じたことのなかった自分にはまったく共感できなかった。
 あらためて尾崎の生涯をみてみると、歌詞に込められたシーンは実際の出来事。
「生き辛かっただろうに」
 やはりASD/HSP気質があったのだろう。晩年には薬物の影響もありバイポーラのような印象も。新たな曲を生み出すにはそれ以上の体験が必要。例えそれが破滅だったとしても。この八年後、二十六歳。永遠の二十六歳。

3.3 "Witness"
 いいの撮れた。左奥に横断歩道を渡ろうとする歩行者。それに気付いた直進の軽が一旦停止して待っているのに、譲ってくれたと勘違いしたのか先に右折する赤色灯付けてない国家権力。
 そもそも信号のない横断歩道での歩行者妨害を取り締まるようになったのがここ数年。クルマがさっさと通過した方が歩行者もゆっくり渡れるし、高齢者を急がせることでの転倒リスク、追突や逆走の惹起など危険極まりない。コロナで減った分の反則金を稼ぐ国家権力。この歩行者や前の軽が仮に譲っていたとしても、一般車なら検挙される。

3.3 Back in 1984
"Fight Fire With Fire"
 いまやMetalを知らない人も名前は聞いたことがあるモンスターバンドになってしまった。
 実はこの曲、当時レンタルした時には理解できず、ダビングせず返却した記憶が。84年はまだLA Metal全盛、凄さがわかるまで2年を要した。

3.2 "frost flower"
 1月に行った愛媛、新宮・霧の森にあった観葉にんじん。帰宅後すぐにやってみた。1か月半経過。

3.1 "I GOT YOU"
 車検中H2 SXの代車Ninja400。せっかくなので少し走ってみた。実をいうと、400ccを持ったことがない。30年以上前、NS400Rを3年間持っていたことがあるが、ちょっと訳あり。まだ学生のころ知り合いから車検切れをただでもらった。エキパイに亀裂が入り、メーターケーブルは切れスピードはわからないし、当然ODOメーターも動かない。東京のアパート暮らしでは保管場所がないため、そのままの状態で広島まで乗って帰った。結局治すこともなく廃車。
 Ninja400。とにかく軽い。ツインなので爆発力はないが、1万回転くらいでつないでいくとそれほどストレスはない。むしろ全開にできるのがとても楽しい。H2で1万まで回したら1速でも150km/h出る。
 後ろに乗るとかなり前傾になるので首の負担がきつい。まあ非力なことに変わりないのでもう所有することはないけど、4発の4Rはもっと楽しいんだろうね。
 400ccをぶち回していたので、H2で帰るとき吹かし過ぎてしまった。スロットルレスポンスが別次元で1週間ぶりに乗ると少し怖い。最高出力は4倍以上。普段いかにシビアなコントロールをしているかあらためて感じた。

3.1 Back in 1984 "Say it Isn't So"
 当時カセットにダビングして擦り切れるほど聴いたベストアルバム。今はCDで買いなおし、車にもデータで。

2.28 Back in 1984 "Borderline"
 マドンナのファーストアルバム"MADONNA"(邦題「バーニング・アップ」、厳密には1983リリース)。小林克也のベストヒットUSAでみた「Lucky Star」のMVに衝撃を受け、即レコード屋に走ったが、まだどこにも売っていなかった。多分1984年の初めだったはず。中でもこの曲、セカンドヴァースから下っていく流れが最高。
 同年リリースの"Like A Virgin"で世界ブレイクしたのは誰もが知る通り。

2.26 "この世界のあちこちに"

2.26 Back in 1984
"Owner of a Lonely Heart"

2.25 Back in 1984
"Footloose"
"Holding Out For A Hero"
"Almost Paradise"
 このサウンドトラックから絶対外せない。"NEVER"もピンクレディーのMIEが「不良少女と呼ばれて」の主題歌でカバーしヒット。もちろんレコードあり。

2.24 King of 1984 "Thriller"
 まあもちろんレコード持ってる。他の曲も、というか全曲KING。

2.23 Back in 1984 "1984~Jump"
 明日にしようと思ったけど待ちきれずこれ。2曲メドレー必須。説明不要。

2.23 Back in 1984
"Rock My Nights Away"
 ジャズ、クラシックからK-POPにいたるまで、ここまであらゆるジャンルを聴くのも珍しいはず。
 マイサイトの一文に一曲を付け始めてもう20年以上。高2クラスメイトのジョン(B)が文化祭でプレイしたこの曲を聴いて40年。ヘヴィメタル/ハードロック(HM/HR)はいまだメインストリーム。

2.22 "All Along"

2.16 "The Four Seasons ~Spring~"

2.12
 初めて観たリコージャパンボウルは1984年1月、スティーブ・ヤングがブリガムヤング大学4年生の時。創始者ブリガムヤングの孫という触れ込みだった。そのヤング率いる49ersがスーパーボウルを最後に勝ったのが1994シーズン。黄金期のモンタナ、ライス、テイラーたちレジェンドは外せないけど、ロジャー・クレイグやトム・ラスマン、ロニー・ロットなんかも瞬時に思い出す名前。あれから40年、30年とは・・・。
 先週東京にいたテイラー・スイフト(チーフスTEケルシーの彼女らしい)が観戦、モンタナ、エルウェイはおじいさんになっている。歳を取るはずだ。
 アメリカ最大のスポーツエンターテイメントの放送がなんと日テレG+のみという驚き。
 いや〜、戦略の妙というか、玄人好みのすごい試合だった。昔石川顕〜久保田薫のコンビが好きだったけど、現代の近藤祐司、村田斉潔、有馬隼人の放送も素晴らしい。
 次は2.24〜25 SBKフィリップアイランド、3.9〜10 MOTOGPカタール、3.20パドレスvsドジャース(大谷出ないという話も)。待ちきれない。

2.10 "蘇州夜曲"
 すでに90年代後半に意識していた長崎ランタンフェスタ。四半世紀の時を経てついに実現。もちろん日帰り。点灯式は誰かが押し間違えフライングで失笑。カウントダウン7秒前に一度消えてまた点くという微笑ましいシーン。

2.9 "Sabre Dance"
 ヘルメット装着型ドライブレコーダーその後。車と違うシーンが撮れて面白い。自分が何を見ているかもわかる。どのバイクでもどのヘルメットでもこれ一台で済むので良い買い物でした。

 3時間前、たまたまこの「剣の舞」を選んだが、たった今、小澤征爾の訃報を知る。あまりの偶然に驚いた。また偉大な人が一人星になった。

2.5 "風になる"

2.3 "Rocky II Overture"
 イントロ聴いただけで脈が速くなり、階段を駆け上がりたくなるど真ん中世代。ドルフ・ラングレンもがん闘病中とのこと。国内外問わずそういう時代に。
※トミー・モリソンもすでに10年前に他界。

1.25 "The amazing adventures of Rosetta and Philae"
 SLIM月面着陸の記者会見を見ていて、67Pチュリュモフ・ゲラシメンコ彗星で眠るロゼッタとフィラエを思い出した。アヒルちゃん67Pの今日現在の位置を調べてみると、木星軌道の少し内側を遠ざかっているところ。どうしてるかな。今見てもどきどきする、壮大な宇宙探検の物語。

1.25 "No One There"
 満を持して今季3回目の雪中アタック。いつもの橋すらたどり着けず積雪30cmを超えたところで断念。そのくらいの深さになるとタイヤが地表に届かず圧雪になって登りではトラクションを得られない。
 つららの造形は自然が作り出すアート。気の遠くなるような時間をかけ成長する鍾乳石を早送りでみている感じ。映像にあるように、時には重力に反して伸びる。一方でつたって下りてくる水滴は血管のようにも、電子のようにも見える。
 転倒しても大丈夫なハードプロテクター、破れたり壊れたりしても気にならない使い古した装備は必須。ただ現地では誰もいないし、雪がクッションになってダメージも少ない。CRFに乗り出してからの転倒はおととし1回だけ。電波が入らないため行き先を伝えておくのも必須。
 大事なのはそこへ至るまでの道。基本午前中は避ける。交通量が多いし、日陰の凍結、通勤で圧雪になった路面は技術ではカバーできず危険すぎる。走行ラインは、雪が溶けていれば轍だが、低温や日当たりがなければ凍っていてブラックアイスバーンの可能性もある。まだ雪のある路肩を走る方が安全。橋の手前では必ず減速しリーンインでマシンを立てる。後ろに車が来たら行かせるのは絶対。交通量のある道路で路面が全面雪で覆われていたなら撤退か目的地変更。
 あと大事なのが対向車線の路面状況。帰り同じ道を通る通らないにかかわらず、どこに雪が残っているか確認しながら走る。今日スタートは16:00。帰りは暗くなり気温も低下しているため、往路で問題なかった場所も状態が悪化している可能性あり。
 安全さえ確保できれば、これほど楽しい遊びもそうそうない。雪がないとわからない野生動物の足跡、水墨画のような雪景色、斜光に光り輝く雪面。美しいの一語に尽きる。

1.14 "BEHIND THE MASK"
 昨年の高知ツアーのやり残しと先日の下瀬美術館「四谷シモン」(1/14終了)の振り返り。
 お茶どころ愛媛新宮、霧の森大福。昨年新宮PAでは売切れで買えず、今回直営の霧の森、霧の高原へ。接客は今一つもランチやカフェのハードが充実。茶フェ、チャウンドケーキ、フォンダンチャコラなど徹底ぶりが妙にハマる。またリピートしたい場所が増えた。
 引き返して、坂出は鎌田ミュージアムの四谷シモン人形館「淡翁荘」は9年ぶりの再訪。先日地元の下瀬美術館の特別展を観覧したばかり。鎌田醤油の迎賓館に展示された耽美な作品の数々。局部もリアルに描写した人形はほとんどの人が気持ち悪さを覚えるだろうが、それだけに作者への興味が増す。下瀬美術館への貸し出しは3体。なんとそれ以外は下瀬さんのコレクションとのこと。受付のおばちゃんのキャラクターが素晴らしい。
 元町本町通りのアーケード街がすごすぎた。日曜ということでほぼシャッター。もちろん閉店した店も多くほんとにシャッター通りだが何十年もやってないような雰囲気でも開く店もあるらしい。長年遺構廃屋を見てきたが、けっこうなインパクトを受けた。古い産婦人科。取り上げられた子どもは元気だろうか。

1.12 "最強の推し!"
 年末の逆走車緊急回避を受けついにバイクのドライブレコーダー到着。と言っても11月には発注済み。以前より必要性は強く感じていたが、3台すべてに納得いくグレードを付けるには10万仕事。ただ昨今の事故動画をみているともうそんなことは言っていられない。信号のない横断歩道がとても危険。止まらないと捕まる、止まると追突される。誤認取り締まりにもとても有効。映像がなければ、どんなに正しくても泣き寝入りになる。
 購入したのはMAXWIN MUFU MF-BVDR-001、台湾製。PCを自分で組み立てたことがあれば、台湾製品の信頼性は確立。現在使用中のスマートフォンも台湾のASUS。
 最大のメリットはヘルメットに装着すること。ヘルメットホルダーのみ買い足せば本体一台で済むので、ヘルメット5個稼働でも総額で3万半ば。映像もスマートフォンですぐに確認できる。動画を記録されているということから安全運転啓発への付加価値もあり。

1.6 "Call of Silence"
 前日に続き、終了が来週にせまった下瀬美術館「四谷シモンと金子國義 ―あどけない誘惑」。去年の開館後すべての企画展をみているが、今回は特に思い入れのある四谷シモン。思ったより展示数が多く驚いた。ひときわ目立つ天使のは初めて。見る人によっては気持ち悪いと感じる作品もあるが、この天使だけは別物。たぶん誰が見ても美しいと思うはず。四谷シモン人形館は、香川・高松にある鎌田醤油の迎賓館。やはり近いうちに再訪したい。
 それにしても。展示品すべてが下瀬さんの所蔵なのだろうか。美術館の建物を含めすごすぎる。ただ、ガレの庭の手入れはして欲しい。池の藻は興覚め。
 これから冬本番だが、桜はしっかりと蕾をつけ春を待っている。もう災害は御免こうむりたい。

1.5 "Hardest Heart To Break"
 会期のせまってきた下瀬美術館の四谷シモン。9年ぶりに高松の淡翁荘で予習しようと、岡山の「ホキ美術館名品展II」と抱き合わせでプランニング。閉館時間の早い高松から戻りの岡山を計画も、まあいつものこと。スタート広島ICに12:36で岡山一本に絞る。
 ホキ美術館はもっとも行きたい美術館の一つ。賛否両論ある写実絵画も結局は好きか嫌いか。もちろん大好き。広島市立大学にゆかりのある故 磯江さんの回顧展や、元宋小由女の名品展Iは圧巻だった。3m離れれば写真にしか見えない作品も、寄れば間違いなく絵。人物は静脈の描写に注目。前腕では平面的で、手背では隆起しているのがわかる。五味文彦さんの森のワンシーンは、鳥の声や風の音が聞こえてくるようだった。広島に巡回してくる可能性も高いので必ず行く。
 駅ビルのみのるダイニングのランチはとても美味しかった。そこでいちごパフェも頂いたが、20年ほど前何度か訪ねたフランス洋菓子「スーリィ・ラ・セーヌ」を思い出した。検索すると駅から約2km。腹ごなしに歩いていく。
 ライダージャケットで岡山の繁華街を歩くのは、場違いなような、恥ずかしいような。前を歩いていたカップルの会話にケーキの話。案の定お店の方向に曲がった。
「あれ?」
 通り過ぎた。なるほど、まだ正月休みでした。普段は人のいないところに行くのがほとんどで、街中を走るのはどちらかと言えばしんどいことが多いが、歩くスピードで見る街並みは新鮮。良い散歩。
 引き返して大通りに出ると、路面電車の県庁通り駅が目の前。乗り方と運賃をリサーチ。地元広島と違い島のホーム。岡山駅まで120円。面白そう。
 広島では最新型の車両が増えているが、ここ岡山はレトロなものばかり。整理券は昭和だし、「次止まります」はリアルな鐘を鳴らすとてもメカニカルなやつ。運転手の真後ろに料金箱があり、電停に止まるたびに振り向いて支払い状況を見守っている。前に座っている女子二人、カートを持った帰省っぽい青年。路面電車が走る街に住む者として、地元にいるような、それでいて異空間に迷い込んだような不思議な感覚。ただ、電車の中のライダージャケットが違和感満載なのは自意識過剰。たぶんだれも気にしていないただのおじさん。
 駅に戻り、連絡通路をくぐって西口のバイク置き場に戻ってきた。津山線のキハが入ってくる。発着メロディが銀河鉄道999。素晴らしい。かなり時間が経ってから電車で見たカートの青年が歩いていてほっこりする。さて、時間もあるので帰りは一般道で。帰省のUターンか市内を抜けるのに時間がかかった。久しぶりの国道2号線が懐かしい。
 4時間弱走って帰広。出島のレトロ自販機五洋商店に寄る。結果的にこれが不要だった。尾道あたりから給油警告。ただ"FUEL"表示が出てから50kmは走る。点滅の状態が長いなとは思っていたが。
 自宅まで2km、帰宅前給油のガソリンスタンドまで550m、片側3車線の右折待ち。
「あ!」
 エンジンストップ。即ハザード出して左確認、後続車は来ていない。ラッキー。乗ったままダッシュで歩道へ。何度かセル回すがすぐ止まる。"FUEL"出てないのにどうして。でも状況は限りなくガス欠。昔、ZZ-R1100は押し掛けでトータル3km押した。10Rは種子島で上り坂含む2km押した。今回平地550mだが10歳年をとった。考えていても270kgの鉄の塊は動かないので、さっき右折しようとした横断歩道を渡る。ガス欠は15年くらい前の国東半島が最後。なんにしても右折開始してからでなくて良かった。
 よれよれになり給油。タンク容量19Lに対して19.2L入った。もちろんエンジンは何事もなく再始動。おそらくの原因を分析。"FUEL"は表示切り替えで一旦リセットされる。走行中クルーズコントロールを頻繁に操作するため、知らないうちにリセットされたのだろう。それでも一度エンジンを切れば再表示されるが、岡山駅から出島レトロ自販機まで一度も止まらず。そこからの再スタートでも同じことをした可能性が高い。過去に無給油347km走って残2Lのデータもあり過信。今回349.6kmはもちろん最長。こんなときリカバーできる体格に産んでくれた母に感謝せずにはいられない。帰って線香をあげた。

1.1 "More Than a Feeling"