2024
12.21 18:19:54 "Winter Solstice"

12.6 "Battle Hymn Of The Republic"
 2期。短くも忘れられない仮住まいのあさがおに幕。2024年9月のストリートビューで10年は見られるはず。

12.4 "Nova Era"
 先陣きってH2SXから深夜のお引越し。2年半住んだ仮住まいにもう戻ることがないと思うと少し寂しい。
 あさがお専用花壇。真砂なので土壌改良中。といっても荷物と一緒に織彦うんちをわざわざ車で運んで埋める作業。

11.26 "NEVER ENDING STORY"
 11.23、ここが25年満了。26年目へ。他人事のようにすごい。年間走行距離も計ったように12,000kmペースを維持。次のステップなどさらさらなし。居心地の良い世界の片隅で、年相応の健康と、リアルタイムで進んでいく森羅万象とともに。

11.25
"Moon Phases 2025"
Northern Hemisphere
Southern Hemisphere

11.24 "Eye Of The Tiger"
 この後7:00スタートで久留米へ。はるか昔、関東決勝パルサーボウルが開催された日程。ちょうど1年生のとき、コーチ陣が総入れ替えになった。72年初めて甲子園ボウルに出場し、関学を撃破して初優勝を飾った主力メンバー。ふと考える。
「皆さん当時30代後半」
 まだスタイル(防具装着)してプレーしていたOBも多かった。18歳の自分からみておじさんにしか見えなかった彼らをもう20歳も上回る自分が不思議。まだ40にもなっていない若造だからいきり立っても仕方がない。そりゃ黄色のビッグホーンでグランド走り回るよね。
 今仮にOB戦みたいなのに出たら即病院送り確定。ドジャースのロバーツ監督もかなり年下だもんね。正平ちゃんが天国「とうちゃこ」するのも無理はないか。
 「Eye Of The Tiger」は関東労災病院でACL(前十字靭帯再建術)オペ出しの際、同室者(6人部屋うち4人がフットボールプレイヤー)が流してくれた曲。前処置浣腸後排便をどれだけ我慢できるか競うという微笑ましい環境。仕事で人に浣腸するときに今でも思い出す。そういえばサヴァイヴァーのVo.ジミ・ジェイミソンももう亡くなって10年。
 昨日庄原4度。すでに塩カルまいたあとあり。寒いな。美祢が凍ってたら怖いのでスタートを1時間ずらそう。
 さて出ようかという時にトースター内に焼いていたパンを見つけるという。年相応健忘。
 30対6で勝利。次は東京で関学戦。

11.23 "Tonight Is What It Means to be Young"
今年も花火が開催される土曜日に備北イルミに。

11.20 "こころたび"
火野正平 1949年5月30日〜2024年11月14日
 スタートから欠かさず見ていたリアルロードムービー。撮りためてみていないもの多数。もう増えないけど消せなくなった。寂しいことが増えてきたぞ。

11.9
「良い写真ですね」
 06年、旧熊本物産館で出会ったマグカップ。2年後、陶芸家山本幸一さんと出会った瓢箪堂。なんだかんだで16年。
 彼女の口車に乗せられて買ったたくさんの生活を豊かにする方法。それで香典は前払いということで。山幸さんによろしく。

11.9 "Bolero"
 ほぼ完成。

11.8 "心のうた"
 今朝の江戸風情、立冬のあさがお。シャコバサボテンが花芽をつけ、11.3にはおそらく今季最後の月下美人が咲いた。ジャングル化したがじゅまるはそろそろ家に入れてあげないと。

11.1
 昨日の午前の競技のライブをシェアしたとき時間がなく書けなかったが、今年はこれまでになく気球が飛ばない年になると感じた。まさかそれ以上の事態になるとは。
 コロナで中止になった2年間、何もないとわかっていて、ただ嘉瀬川の風を感じるためだけに現地を訪ねた。何もかもが草ぼうぼうで、イベントのために管理されていたことを痛感した覚えが。関係者の苦渋の決断、経済的痛手は計り知れない。

10.23 "Love Will Find a Way"
 織彦今日で7歳、室内飼い換算44歳。来月にはロフト15畳が彼らのテリトリーに。毎日がパラダイス。
 ここ数日、台所のりんごの皮目当てアリが大名行列。外堀作戦で数は減ったが、いまだ殺生しまくり。
 観ているととても興味深く、ファーブルになる。換気扇から一列に生ごみパックへ。間違いなくコミュニケーションをとっている。対策後は明らかに数が減り、もう成果がないこともわかっている。ただ自分で確認しないと気が済まない気質の残党がうろうろしつぶされる。アーミーターファー。あさがおを用意しているのでそちらでお願いします。おしべに蜜があるんだね。
 新居玄関灯、透過光とラチス格子が美しい。

10.22 "Murders in the Rue Morgue"
Paul Di'Anno、1958.5.17~2024.10.21

10.21 "胎動 (New Birth)"
 銀河と、彗星と、流星と。

10.14 "Move the Sky"
「1階リビング」
 コスト的に頑張った210角の大黒柱を中心に、少しでも広く感じられるよう階段、キッチン、クローゼットをすべて壁に寄せたワンフロア。清家清を独自解釈し、収納、水回り以外はまったくの1空間。2階のエアコン1台でまわす。
 階段下、無地の中に際立つアクセントクロス。大黒柱には80年以上動き続けるゼンマイ時計。天上にはツバメのモビールをつるす。

10.13 "天体観測"
「ロフトフリースペース」
 とにかく仕切りのないことがコンセプト。2階は約15畳の完全なフリースペース。ほぼ織彦の部屋。野良猫兄妹にこれ以上恵まれた環境があるだろうか。膝に爆弾を抱えているため、将来1階ですべてを済ませることを想定。家具を壁付けにして最終的には物置に。
 今治のカフェ「青と蒼」に背中を押してもらったクロスの構想。室内の多くを占めるメインのクロスはティファニーブルーをやや淡くしたベビーブルー。バルコニー側掃き出しは藍に切り替えメリハリをつける。この藍の商品名がまさに「天体観測」。
 そして目玉は棟の三角両側に貼った星空。マーブルのグラデーションが素晴らしい。実は蓄光になっていて、照明を消せば黄緑の星が光る。ただスポットライトが梁下のためあまり期待はできないか。

10.12 "スーパーマリオ 地下BGM"
新居最終パースイメージ 「2階洋室(納戸)」
 唯一といっていいまとまった収納スペース。ロフトから勾配天井が1階に下がるため、高い部分の空間をいかに活用するかが収納のポイント。奥の低いところへすのこをひいて寝具を収める。
 クロスは即決。20年来サイト背景に使っている倉敷アイビースクエア外壁のイメージ。BGMはマリオ地下だが、開口部にはめる十字の室内窓がポイント。通気と1階吹き抜けからの見上げたときのアクセントに。普段は開放してネオン系の時計を設置予定。

9.26 "Detonate"
 これはすごい。久しぶりに生粋のイエテボリサウンド、イエスパー節を聴いたような。メンバーもイエテボリオールスターズ、というよりもはやIn Flames Feat. Mikael Stanne。フルアルバムが待ちどおしい。

 開き切らずしおれたが昨日今季いちばんヘブンリーブル―。去年が9.24だったので猛暑の今年もほぼ同じ。江戸風情のマーブル/ランダム紫も安定の美しさ。
 仮住まい転居後初の白リコリスも伸びるのがみえる勢いで成長中。

9.12 "Battle Hymn Of The Republic"
 今季いちばんるこう開花。

9.6 "Supernatural"
 突然LIONVILLEが新曲を出すというのでドキドキ最高潮でプレミア公開。
「え!?」
「VoがLars Safsundじゃない!」
 必ずCDで持ちたい数少ないBAND、というかLarsの歌だったのに、これは買わないな。かけ持ちBANDの「WORK OF ART」も違っていたら喉に何かあったか。かなり心配。
Lionville ”With You" [2011]
https://youtu.be/TO3B4iyyI2A?si=iyYlIJD6F_zwebbt

9.4 "Home"
 何年も前に現代美術館で出会った清家清の「私の家」。解釈が正しいかはわからないが、収納とキッチン以外の水回りを除けばまったく仕切りがない空間が完成予定。市に無償で土地を15%まきあげられ、建屋面積8メートルかけ6メートルと極小ながら男一人とねこ2匹には十分。
 膝に爆弾を抱えているので、近い将来2階は物置になり1階だけですべてが終わるよう設計。それまで2階は織彦スペース。トイレのドアをつけたくなかったが、工務店はじめ周囲の反対にあい断念。
 今しがた決定したのがクロス。ずっと心の片隅にあった青への思い。かなり攻めすぎなため当たり障りのない白で考えていた。ところが先日、リュウゼツランの旅で偶然立ち寄った今治のカフェ「青と蒼」でくすぶっていたアイデアが覚醒。空間すべてが青ベース。想像しただけでわくわくが止まらない。
第92回アーバントリップ「私の家」から清家清を探る
https://youtu.be/u0cVCcVtJNY?si=SPi1L-7_TEOgktuw

9.2 "Home"
 今年は大輪紫がきれい。白紫変幻自在の江戸風情はやっと咲き始め。ヘブンリーブルーは9月後半。月下美人は花芽5つ成長中。彦っち。いよいよ仮住まいをたたむ準備。

8.29
サンサン
 天草から九州都市部を避け日田経由、竹田津からフェリーで四国入り。南海フェリー深夜便で紀州に渡り、関西都市圏を最小限で回避して一気に日本海へ。最短距離で仙台。どこにも寄らないならこのルートが第一選択。これはかなり旅慣れたやつ。

8.25 "When I Look Into Your Eyes"
「織と彦の2500日」
 明日8.26で彼らと出会って2500日。10月の誕生日満7歳は44歳。おばちゃんおじちゃんおじいちゃんで程よく楽しくいきましょう。

8.24 "Battle Hymn Of The Republic"
 暑さにしなしなも少しずつ増えてきた。

8.24 "DREAMS"
 19 H2 SXと組んで5年。走っていて身体に染みついているのが10年乗った10Rの軽さ。コーナーのたび、どこかにその幻影を追いかけている。
 結局タンク(戦車)。車重をまったく問題にしない圧倒的なパワーがあっても、切り返すたびに感じる重さ。数秒で250km/hオーバーでも開ける楽しさは皆無。
 今ならZX-6R、重量199km。10Rよりましてファイター(戦闘機)。切り返しというより飛行機でいうヨーとロール感覚。コストも安い。ただ、ポジションはいけても首の爆弾が。あとクイックシフターほかたくさんの電子デバイスは不要。スロットルとクラッチ、ブレーキがついていればそれでいいのに。
 人生最後のW800は変わらず。

8.23 "タイム・トラベル"
 お昼にそばを食べていて椀の下につゆが。少し前からひびが入っていることに気が付いていたが、ついに交通したよう。
1999.12.20-22
金沢カメリアイン雪椿・輪島・神戸ルミナリエ
 この椀、25年前買った輪島塗り。珍しく公共交通機関を利用。新幹線で米原まで、そこから夜行のサンダーバードに乗り換えた。車窓には雪が吹きつけるドラマティックな鉄旅。ちょうど日が変わるころ降り立った金沢は、白銀の世界だった。
 七尾線、輪島線を乗り継ぎ能登の外海へ。もちろん両親は健在で、朝市近くのお店で三つ同じ椀を買った。
 時は過ぎ、輪島線は廃線となり、両親もいなくなった。今年、輪島の朝市も・・・。
 残り二つはあまり使っておらず、あと50年はいけるね。
※とりあえずリークテスト実施中。穴をあけて鉢で使うという第二の人生もあり。
 リークテストで面白い結果が。水を溜めてすぐは少しずつ漏れていたが、受け皿に溜まることなく止まった。濡れて膨張することで目が詰まるよう。さすが木の特性。

8.18 "Battle Hymn Of The Republic"
 さて、ほぼ生け垣ができあがったあさがお。勝手にこうなっているわけではなく、朝晩ネット1マスずつ伸びるツルの先端を伸ばしたい方向に巻き替えている。
 これからオーソドックスな葉の形をした左半分の和系が開花。中央から右へ伸びるハート形の西洋系はおそらく9月中旬頃より。そして花が終わり、片付けるころ新居への引っ越し。仮住まいはわずか1年半ながら、静かで住みやすい良い街だった。

8.16 "Once Bitten Twice Shy"
Jack Russell December 5, 1960 ~ August 15, 2024

8.14
 8.12〜8.26仕事休みなし。13:40現在、夜勤後ぼちぼち寝たので行けないことはない。ただし明日は日勤。18時徳島着なら出発リミット14時。21時帰路についたとして帰宅は日が変わる。外に出てみたが灼熱。先日の愛媛アガベツアーではラジエーター熱風で右ひざ熱傷水泡。クルマ・・・、ないな。
 春、「はなはるフェスタ」には行けた。新居で詰める項目もあり。
 結論、ねぶた、ペルセウスに続き、阿波おどりもライブで我慢。

8.13
 今日はどのくらい流れる?
https://www.youtube.com/live/pIqjCQRaLf0?si=ipx55sffMcQu5YOT

8.9~10 "My Empty Room"
 19:55、8つあった最後の花芽が開花。
 「7人の女王」と同じく、そばに横になり香りに包まれながら寝た。やはり3時半、頭を垂れ、しぼんでいく姿。
 花の派手さもさることながら、開いていくプロセスが興味深い。つぼみが重く大きくなっていくにつれ、葉全体がモビールのごとく絶妙なバランスを取る。徐々に花芽を持ち上げ、一旦ほぼ180度反転して天を向く。重みでまた頭を下げながら、咲く時は地面と平行に。夜半過ぎ、首を一回転ねじってうなだれ、力尽きる。そのまま放っておけば、数日後には根元から落ち、軽くなった葉は元の高さに。
 花の命からすればそれこそあさがおの方がよっぽど短いが、出産にも似た命を削る印象。株が弱っているので今季はもう頑張らなくていい。また来年新しい家で。その前にどうやって運ぶかが問題。

8.7 "Silent Lucidity"
「7人の女王」
 18:00、かねてよりリクエストのあった職場園芸部の二人を招待。朝より七つ開きそうだったが、何しろ複数開花は初めての経験なので開いてみないと自信がない。
 20:00、次々と開き始める。
 22:30、カープの引き分け試合が終わりお開き。
 23時過ぎ、一人になりあらためて鑑賞。今後もこんなにたくさん咲くのか、今日が最初で最後なのかはわからない。親株の疲労感が強く、命削っている印象も。深夜業務から一睡もしていないためこちらも限界。ふと思いつき、鉢のそばで寝ることに。女王たちに囲まれて夢の世界へ。織ち彦ちも遠巻きに参加。
 3時半一度目が覚める。しぼみかけている姿を初めてみる。
 7時半、女王たちは去っていたが、そばで香りつづけた数時間で残り香が記憶されたような。もう一つ残ったつぼみはたぶん8.9。

8.7
 7つきた!

8.6 "Gonna Get Close To You"
 @が明日きそう。Bもか。

8.3 "Empire"
 女王の帝国。時を越えたリュウゼツラン6本に負けないうちの月下美人。もうやる気になっているいちばん上の2本が8.8。少し頭をもたげ始めた2本が8.9。ひょっとしたら、まだまっすぐ垂れている3本が8.10同時に開くかも。1本だけ遅れているがトリ。
 開花予測は今季いちばん花の経過を毎日写真に撮っていて比較。ほぼ的中。
 8.8が新居上棟式。続けて11日まで連休。そこにすっぽりはまる開花予定。当然夜勤の日は出会えないのであまりの強運にびっくり。

7.29 "Queen Of The Reich"
 一方、とんでもないことになっているのが月下美人。
「なんと!!!」
 八つの花芽が爆速成長中。一つを除けばほぼ同じスピード。まさかの一晩七つ同時開花、もしくは二日連続複数開花があるのか。部屋がどんな香りになるのか想像もつかない。
 予定日は8/8〜8/9あたり。ここ、上棟式で4連休取得済み。なんという運の強さ。
「女王の国」
「女王たちの集い」
 一日に何度も成長確認。わくわくが止まらない。

7.27 
"二千年... 若しくは... 二万年後の君へ..."
7.27 13:47
 暑さ回避で岡村〜今治航路。メイン道路災害で迂回路。港到着して運賃払って即乗船、待ち時間なし。言い換えれば、この便逃したらとびしま引き返してしまなみ回りという大事故。いつもながらどうなのかと自問自答。
 それにしても8耐ライダーの凄さを実感。
7.27 18:00
 50年に一度咲くというアガベが6本。これも気温上昇の影響?
 それにしてもいつ誰かここに植えたのか?時を超えた空間にただ立ち尽くすのみ。
 落ちそうな種がたくさんあるけど、仮に家でまいたとしても今生で花に会えないのは間違いない。
「花の記憶は残るんです」
 友人が通う園芸店店主の言葉。今からぴったり半世紀前、母校の小学校の中庭にアガベ(リュウゼツラン)が並んでいた。当時は何の興味もなく、サボテンか大きなアロエ的な感覚。それよりも、池の中心にある鯉の噴水に飛び移れるかが優劣を決める重要な評価対象だった。もちろん数十年に一度咲くという知識もなく、巨大なマストを見た記憶もない。今どうなっているか知りたいが、自由に入れるのは選挙投票くらい。平日勝手に入れば不審者で通報されるご時世。休校日に用務員室通せば大丈夫かな。
 6本のマストが立つ場所は急峻な斜面だが、あたり一帯がアガベの林になっていて、地面をよく見るとたくさんの小さな株を発見できる。
「いつ誰がこの場所に?鳥が運んできた?」
 この小さな株がマストを立ち上げるころ、自分はもうこの世にはいない。
「数十年後、ここへ来た誰かへ」
 植物にも人の記憶が残るだろうか。小学一年生のアガベさん、50年後訪れたライダーに今日のことを伝えて欲しい。
 今治到着後立ち寄ったカフェ「青と蒼」が大当たりだった。
 伊予灘SA。この時期土曜夜走っていてよくあるのが偶然の花火大会。検索すると松山の風早海祭り。遠いけど雰囲気は十分。
 同時刻自宅カメラ。腹を空かせて待ちくたびれた織ち。ご飯にありついたのはこの4時間後。すまん。

7.25
 なんと!6本とは!!
 ストリートビュー数秒で発見。土曜日アタック。
https://maps.app.goo.gl/GpmyYrJSyaKGj9t96

7.21 "MOONLIGHT CINDERELLA"
 18:00現在まだ開かず。
 今季2番花と並行してこれまでない事態が。たくさんの花芽ができた先月。咲いた一つを除いてほかすべてが1mmで成長が止まり、黄色から茶色へ朽ちていた。ところが今、枯れず大きくなり続けているものが8つ。すべてが花開くのか、やはり途中でダメになるのかはデータなし。一つだけでも周辺の葉がしわしわになるほど犠牲にするので、8つ同時に咲くと母体が心配。あと枯れた花芽の場所にまた来年芽がつくのかという疑問。
 8耐ゴールも気になるが朝少し見た印象は寂しいばかり。WGPライダーがたくさん来ていた昔に比べ、世界の片隅でのローカル感が漂う。SBKやMOTOGPのサマーブレイクにやるしかないんだろうが、気温もあり得ない。苦戦して久しいHONDAがトップを走っているのも違和感あり。※SBKは今日チェコだった。
 20:20開き始めた。3度目だけど感動変わらず。ホワイトローズの香りを強くした感じ。
 21:30開花。それにしてもなんという造形美。太陽の塔最下層にあるニューロンのよう。めしべは岡本太郎。
 翌6:00、日常が特別な夜に。満月と重なって、商品名「MOONLIGHT CINDERELLA」を実現。

7.19
Shannen Doherty 1971.4.12~2024.7.13
 つい3か月前にディランを除く全員がそろっていたよう。ブレンダ、さようなら。
BEVERLY HILLS 90210 Reunion
Panel Steel City Con April 2024
https://youtu.be/3kXlDbKvbuE?si=J8jL2WNSgxMTT0OL

7.3 "Lazy Sod"
 かっこいい!後期高齢者ロックここにあり。

7.3
 晴れ、基礎工事開始。月下美人に次開く花芽。

7.2 "A/Z"
 最近買ったGARMIN EPIX PROより誕生祝い。今年はうるう年のため一年前半の最終日。
 明けての地鎮祭。「雨降って地固まる」。
 その足で初回1,100万円振り込み。仕事や自営ならまだしも、一般人にとっては自動車購入の数百万が最大というところ。なかなかできない体験。一旦現金を出して家でばら撒きたかったが、これは断念。工務店に話すと現金持ってきた人もいるらしい。

6.30
 先日吉和フェスタで再会した高校の恩師。大雨のブルーベリー農園でジャスト40年前にタイムスリップ。

6.29
 夢のあと・・・。次の花芽に期待!

6.28 19:22~ "白色彗星"
 今日だ!!!!!

6.26
 がじゅまるの爆速成長が楽しすぎる。
 あさがおは一つ気付いた点。ダンゴムシ対策のポット苗育成は功を奏したが、本葉が出るまでの段階で強い苗かそうでないかが判別可能。やはりある程度数をまいて間引くことも必要。
 月下美人は豪快な弧を描くつぼみ。上側のフィジカルと葉との接合部の強度に感心。おそらくあさって。つぼみと同じ葉脈から出ている葉。スペースバンパイアなどSFホラーで精気を搾り取られてしわくちゃになる人間のよう。触れてもふわふわ。それが花が終わると元通りになるのが不思議。

6.25 "Fragile"
 胡蝶蘭。結局残り二つのつぼみは枯れてしまった。不注意で折れた部分が維管束だったらしい。来年は取扱注意。B  月下美人。どうやら開花は6.28あたり。夜勤回避できそう。それにしてもこのモビール状態。かなりの重さになってきているのに頭をもたげる遺伝情報に感動。

6.22
 あさがおダービーは上まで到達した一番手を摘心して脇芽を伸ばす。
 月下美人は少し頭をもたげ始める?あと1週間くらい。

6.21 5:50:23 "Summer Solstice"

6.20
 重みで下がってきた。周囲の葉が精気を吸い取られてしわしわ。

6.19 "Every Rose Has Its Thorn"
 月下美人。夜勤のため咲いてもらってはいけない日をささやき中。
 ローズフェスタ。駐車場に入る前からバラの香りがした。路肩にはそこかしこにタチアオイが。
 帰路。00年旅の途中北海道で乳牛をかじって、一度肉牛にかかわってみたいと06年世羅の牧場に一か月ほど。その時買い物していたのが下徳良の三谷屋。去年もローズフェスタの帰りにベンチで軽食。昨年末に破産していたらしい。閉店後半年以上経過していても店内の備品はそのまま。
 お世話になった牧場は健在。ポニーが増えていた。左奥の白い小屋で寝泊り。ちょうど蛍が飛ぶこの季節だった。
 福富辺りで満面の笑みで手を振ってくる囚人服のおじいさんがいたのだがあれはなんだったのだろう。

6.17
 かなりツルが伸びてきたのですべてを適正なラインに巻き替え。もっとも育ちの良い和大輪と星咲2本を塀の穴を通して外へ。コンクリートのエッジでツルが痛まないようボロ靴下で養生。あとこれからの酷暑で塀上面が焼けるため余ったネットをたくってツルが直接当たらないよう緩衝材に。さあ、毎日あみだくじ巻き替えの日々が始まるぞ!!!

6.16 "Beyond the Sky"
 この花芽は順調だが20個以上ついていた他の花芽が総崩れ。複数開花は難しいかも。
 本来ならスリーシーズンは外に出して日に当てるのがベスト。窓際にはあるが夏至近いこの時期黄道は高すぎて日が入ってこない。来年春の新居では外に出してみよう。
 あさがおは順調。2か月後、塀の向こう側にグリーンモンスターができるとは信じがたい。左に旧宅から移植したギボウシが開花。右に想定外に元気なにんじんの花。
 花がすべてじゃないのが緑を育てる面白さ。去年室内から出さず元気のなかった「がじゅまる」。今年丸坊主剪定のあと外に出したら爆速で成長中。そりゃそうだ。沖縄では炎天下で巨木に。キジムナーも喜んでいるはず。
 ライダーなら空気圧チェックやラジエーターファンで夏を感じる。織彦もそう。
「暖の切れ目が縁の切れ目」
 膝に乗ってこなくなり、先週から居場所が変わった。兄妹でもそれぞれ好きな場所が違うのが面白い。

6.12 "Battle Hymn Of The Republic"
 ポット苗を花壇に植え替え。たった1本で勝負するヘブンリーブル―の周囲は少し広くとり日当たりの良い場所に。数で勝負するのは白/紫マーブルの江戸風情。ちょっと詰めすぎだがせっかく育った苗なので手前の「キンギョソウの森」と左のギボウシを少し間引いてすべて植えてみた。右の和大輪勢は花の大きさで勝負。
 テーマ曲はあさがお(=Morning Glory)とかけて南北戦争軍歌のこれで。ヨドバシカメラじゃないよ。酷暑に打ち勝て。
 月下美人、英名「クイーン・オブ・ザ・ナイト」。21年の誕生日にもらって3年目の去年一輪だけ開花。商品名「MOONLIGHT CINDERELLA」。どの名前もエレガント。
 葉が伸びすぎないようピンチ(摘心)するのだがその際なるべく脇芽を残すように。この花芽絶妙な位置。
 たった5時間で目に見える成長。予想開花日6.21的中すると夜勤。この日以外でお願い!!!

6.11
 花壇ネット張り。

6.10
 月下美人いちばん花経過良好。あさがおポット苗はもう少し本葉が伸びてから植え替え。がじゅまるは丸坊主剪定から順調に再生中。人参の花も元気。

6.7 "Long Way Home"
 6月1日の兵庫ツアーで移動ツールの積算距離が50万キロを超えた。ただ、距離そのものはステータスではなく一度も止まることなく走り続けていることに意味がある。たくさんのヒヤリハットと二度の大きな事故は、危険予知、回避能力として備わっている。目標をあげるなら一つだけ。
「無事帰る」
 兵庫も午後スタートで約800km。安全のための判断力を維持するなら一日の走行距離を考えないと。

6.6 "Battle Hymn Of The Republic"
 地植えのあさがお。右の和は順調。特に右上のふたばはこれまで見たこともないような大きさ。それに比べ西洋系の左側はダンゴムシに食われ瀕死の状態。ポット苗育成で発芽率100%。本葉が育ち始めたところで植え替え予定。
 あじさいダンスパーティーはこれまでにない紫。特に何かしたわけではないが酸性土壌に変わったらしい。
 ひっそりと咲く人参の花。台所で観葉にしていたが、根の人参にカビがわき始めたため地植えにしたらそのまま成長して花芽がついた。
 仮住まいで初めてひまわりの種をまいてみた。種が取れたら新居で継続。
 室内の月下美人は咲きそうな花芽とそうでないのがわかるように。複数開花は確実。胡蝶蘭は残り二つのつぼみが開花間近。
 朝晩成長を確認しニヤつくこの季節。いろいろにぎやかになってきた。

6.4 Back in 1984
"Living in a dream"
 元アイアン・メイデンのギタリスト、デニス・ストラットン率いるLionheartの珠玉のバラッド。Voのチャド・ブラウンはこの1枚でシーンから消えてしまった。

6.2
 パン屋さんになった高校の恩師を訪ねて吉和まで。このあとモリアオガエルに会いに吉水園まで。
 吉水園春の一般公開。Ninja ZX-Molyは目で語る人格者。

6.2 "The Sixth Station"
 コインスナックふじ。いつものようにふらっと出たけどここから家まで5時間はかかりそう。でも街並みは昭和で走っているだけで楽しい。
 隼駅に寄るつもりだったが微妙に関係ない。クルマはスズキ一筋だしRMXは2台乗り継いだけど「スズキ」じゃなく「隼」。雨も降り出したしまたの機会に。
 若桜駅にも行きたかったがこちらも雨スルー。で帰り道のここだけは外せず。
 智頭急行、宮本武蔵駅。生誕は播磨や美作と所説あるらしいが、巌流島はもとより、関ヶ原や島原の乱にも行き、江戸にも足跡あり。そしてこの春訪ねた熊本で没す。生涯死線をくぐり抜けても64歳まで生きた。偶然にも今月が380回忌。移動はすべて徒歩と考えると足腰どうのこうのと論じるのがナンセンス。死ぬまでアスリート。
 後世の伝えはかなり盛ってると思うけど、400年後、鉄の箱が留まる場所の名前になると知ったらどう思うのだろう。
 21:42列車待ち。
 すごい、6人も降りた。
 この場所から家まで4時間かかるというのに立ち去れない。正気を取り戻したカオナシ、坊ネズミとハエドリ、そして千。少しずつ降りていく不思議な乗客。カエルの合唱を切り裂いて通り過ぎたあと、まるで何もなかったような異空間。21:42の下りで帰ろうと思っていたが、最終の22:08まで待っていると、今度は銀河鉄道(イベント列車あまつぼし)が来た。

5.29
 和大輪あさがおは順調だが、るこう、江戸の芽が美味しいのかダンゴムシにことごとく食われる。もともと織彦うんち有機肥料で大量発生し、それまでは分解者として感謝していたが芽を食うなら話は別。オルトランで撃退後も残党に食われるのでポッド苗床で対抗。
 ひょろ長いのはキッチンで水耕栽培していた人参。地植えにしたところ花芽が出てびっくり。

5.29 "かあさんおはよう"
「母をたずねて少しだけ」(今考えた)最終章
 亡き母が残したメモから母が生まれた場所を探す最終章。最後はこのメモがいつだれによって書かれたものなのか。そして右下に書かれた一文。
「書いてみると覚束ない図ですが
一度行ってみてください そして何時か
会った時、話をして下さい」
 残された未解決キーワードは「和裁」「市女」「善法寺」「鈴木様」。これらが相互に関わるものか、それぞれ単独なのかはわからない。
 まず手書きの原本と、それをコピーした後追記されたものを比べてみる。手書き原本には鉛筆書き、母の筆跡で上記キーワードと「S8年頃」、角地の「菓子屋兼口様」とある。そのコピーにはさらに詳細なお店やお宅の名前が、母以外の筆跡で追記されている。原本を書いた人と同一人物なのかは不明だが、複数の違う筆跡あり。
 「和裁」。以前寺の近くに「公認 やすい文化服装学院」という建物があったが、空き家となって長い時間が経ち、現在はリフォームされている。「和裁をしていた市女の鈴木様」などたくさんの捉え方が考えられる。メモの冒頭にあるため当時ここに住んでいた鈴木様、つまりこのメモを書いた鈴木様という可能性も高い。
 「市女」。これは自分とも大いに関係がある。広島市高等女学校、通称「いちじょ」は1921年創立の自分の母校の前身。
 そして「善法寺」が最も有効なワード。週末は法事で忙しいだろうと、平日の今日を選んで訪ねてみた。出てきたのはおそらく住職の妻。すぐに現住職も現れ、いきさつを説明。
「こうこうこういうことで母の生まれた場所を探して、それは見つかったんですがこのメモを書いた人を探しているんです」
「先代がいるんで呼んできます」
 先代住職は昭和14年生まれ。つまり母より七つも若く、メモ当時まだ生まれていない。善法寺の歴史についてはかなり早い段階から調べていた。戦国時代阿戸村、つまり行きつけの珈琲屋「木小屋」さんやケーキ屋「ananas」さんのある周辺に庵を開いた。1631年寺町に出て、昭和4年に今の場所に移った。その3年後に母が生まれたことになり、何らかの関わりがあったと推測される。古すぎるルーツを紐解くには、役所より菩提寺の方が可能性が高い。
 先代はしっかりはしていたが、やはり80代中盤。100年近い時の流れと、生き証人にたどりつくことは奇跡に近いことを感じずにはいられなかった。結局先代からキーワードに関する情報は得られなかった。
「書いてみると覚束ない図ですが
一度行ってみてください そして何時か
会った時、話をして下さい」
 覚束ないどころか、とても正確な情報。まだご存命なのだろうか。母が生まれた「湯屋」の現在の位置と、当時を知る方と話ができたことは最高の幸運だった。ひょっとしたら、母も湯屋のあったローソンの前に立っていたかもしれない。「母をたずねて少しだけ」は一旦終了。引っ越し荷物に埋もれている書類はまだたくさんある。面白い母のこと。忘れたころにまたヒントを出してくるかも。よくある古い写真の今を探すのも面白そう。
「お母さんよ、行ってみたで」
 365日笑っている母の遺影に報告し、線香をあげる。

5.28
「胡蝶蘭がさいた!」
 去年の母の一周忌、母が働いていた時の同僚から頂いた胡蝶蘭。蘭は管理が難しそうなイメージがあり、そもそも高いので自分で買うことはなかった。
 直接陽の当らない室内で、鉢の3分の1ほど水をやり、なくなって3日置いた後水やり。それを1年続けてきた結果三つ花芽がついた。売っている立派なものとは違い、曲がって伸びる。軟らかいうちの花芽をゆっくりまげ棒に固定していた。先日同じように棒に沿わせようと曲げていたら、なんと!!!
(ボキッ)
「おわーーー!!!」
 花芽三つのすぐ下で折れた。
「この一年が!!!!」
 泣きながら、それでも植物なので再生の可能性に期待し、曲がったままに。
「開花!!!」
 よかった。あと二つの花芽も咲きそう。この花をくれた母の元同僚はもちろんもう80代。母が定年まで働いた会社に誘ってくれたことで、息子二人を大学まで出せた恩人。今回の失敗を教訓に来年は無理しない。それにしても売っている縦に並んだ豪華な胡蝶蘭。どうやったらああなるのか今後調査予定。

5.25 "Queen of the Night aria"
 月下美人。21年誕生日に苗をもらって3年目。去年初めて一つだけ開花。今年は今日の時点で20以上の花芽。一晩複数開花もあるのか。何度も眺め、少しずつ大きくなるのを確認し一人ニヤつく。
 この地で最後のあさがおの子どもたち。去年は通りがかりの人が立ち止まって写真を撮るほど。白と紫マーブルの比率を増やしてみた。
 種まいて1年越しのオキシペタラムホワイトスターも開花。これは残していくしかないので種を採取予定。新居ではオキシペタラムの楽園を作る予定。
 あじさいダンスパーティーも戸山のケーキ屋さんananasで挿し芽をもらって4年目。今年は酸性に傾いたらしく紫。新居に持ち帰り地植え予定。※動画ではピンクに見えるが実際はかなり紫。
 がじゅまるとシャコバサボテンは引っ越しに備えコンパクトに。

5.23 Back in 1984
"Island In the Sun"
 のちにSTEELERの音源を知ることになるが、これが間違いなくイングヴェイが世に出たアルバムではないかと。
"Jet to Jet"
"Hiroshima Mon Amour"
"Too Young to Die, Too Drunk to Live"
"Starcarr Lane"

5.22 Back in 1984
"つぐない"
 大昔付き合った子がカラオケで「別れの予感」歌っていてシングルCD買ったよね。
"別れの予感"

5.21 Back in 1984
"Slow an' Easy"
 ロックドラムを叩いていたなら必ず通るコージー・パウエル。飲酒運転で亡くなったのはもう四半世紀前。あらためて検索してみると50歳没。もうかなり年下。
"Slide It In"

5.20 Back in 1984
"CRAZY DOCTOR"
 英語版のクレイジードクターは1984年だったらしい。ラウドネスがアメリカ進出後の1987年、原宿竹下通りのマックでVoの二井原に遭遇。その時のことをハガキに書いて、当時のメタルラジオ番組ロックトゥデイに出したら酒井康に読まれた。人生最初で最後のラジオへのハガキ。

5.19 Back in 1984
"Aces High"

5.18 "Please Don't Leave Me"
 改装後初めての元宋小由女。偶然なのかひろ美のフィンランド展とリンク。デンマークは昔母が旅したという小さな接点あり。コペンハーゲンで買ったお土産のトレーナーは今も寝巻。

5.17 "From Hell I Rise"
 こちらも今日0時より配信開始。SennaRinと同じくCD予約しているがまだ発送なし。120%スレイヤー!!!
"Raining Blood"

 あとはBOSTONの最後のアルバムがあるのかどうか。48年間でたった6枚しかアルバムをリリースしていないトム・ショルツも77歳。7年前に7枚目のアルバムについて言及しているが微妙。

5.16 "mЁЯR0r"
 いい!!!CDはまだ届かないけどSpotifyでヘヴィローテーション中。しっかりと音源を買ってアーティストに還元しないと。

5.15 Back in 1984
"The Sentinel"
 KKは抜けグレンはPDだけどいまだ現役なのがすごい。

. "Painkiller~Breaking The Law"

5.14 Back in 1984
"ファーストデイト"
 この2年後、意味そのままに飛び立った彼女。今考えると、適応障害だけではそこまで至らない。ベースの発達気質にパーソナリティの問題、家族歴も考える必要がある。ただ今なら労基に触れるだろう過密スケジュールがいちばんの原因かも。なんにしても人間「寝て食べて動く」のどれが欠けてもだめ。

5.12 "たんぽぽ"
 この成り行きを見ていた友人より古地図店の情報。たまたま近くに行くことがあったので寄ってみた。地図屋というより、昔はどの町にもあった古本屋という印象。ネットで調べておいた昭和八年の地図があるか聞いてみた。
「これが八年、これが九年、あと十四年。こっちは店が載ってる」
 間髪入れずに出てくるのに笑う。母のメモが八年。たくさんあるお寺の位置がヒントなので、母が生まれた風呂屋のだいたいの場所はわかる。十四年も手に取ってみた。一枚は八年と同じ感じだがもう一枚のが面白い。青焼きで裏にはお店の広告まで載っている。今も市内に現存する「べっぴん店」や、利用したこともある「ニシナ屋珈琲」の名前を見つけた。すぐにニシナ屋のサイトをを検索すると、創業がまさに昭和八年。よく創業何年という言葉は目にするが、こういう形で関わると、長く続けていることの素晴らしさを感じずにはいられない。一枚千円と安いので八年と十四年を買った。いきさつを店主に話すと、おもむろにファイルを取り出してきた。
「寺町寺町」
 なんと、お宅の名前まで載っている昭和二十年の住宅地図を取り出してきた。舟入から北上。
「神崎小、もっと北」
「広瀬、その東」
 あった。
「湯屋!!!」
「これですよ!!!母が生まれた風呂屋」
 周囲も確認してみる。
「植木医院、清水建具、兼口菓子屋」
 まさに母のメモのまんま。
「コピーさせてください!」
「隣のウオンツで10円。A3はよく紙が詰まるので気を付けて」
 ほんとに紙が詰まった。
「同じような人がよく来るよ。前にも〇〇(有名人)のマネージャーが訪ねてきて喜んで帰っていった」
 その頃の電話帳も見せてくれたが、そこに湯屋の番号は見つけられなかった。そもそも当時電話があったかはわからない。
「今は手に入れるのも厳しくてね」
 現地で生き証人の女性に出会えたのもすごいが、この出会いも素晴らしい。こういうお店が残っていること、資料にたどり着けること。地図二枚を購入し、いきさつを話さなければ店主も教えてはくれなかっただろう。
 住宅地図にある昭和二十年の湯屋。もう母家族はいない。おそらく引き継いだ誰かの経営。とにかくこの地域、直後の8月6日8時15分になにもかもが蒸発する。いた人いなかった人、すべての人生の分岐点。
 祖父、つまり風呂屋をやっていた母の父親は、母が六歳のとき、昭和十三年に四十一歳の若さで亡くなっている。能美に帰ってから町の助役をしていたそうで、母によると、夜遅くまで囲碁をやっていて身体を壊したんじゃないかと。昭和八年には寺町にいたので、九年〜十二年の間に島に帰ったと考えられる。
 神戸のいとこの話によると、字が上手で町の戸籍は祖父が書いたらしい。母の原戸籍にある古い記録は祖父の筆跡かも。
 曾祖父彌一は、何人もいた息子のほとんどを戦争や病気で亡くし、いつも母に「あんたにあれ(男性器)があったらのう」と嘆いていたらしい。※母の姉、伯母が養子を迎え本家を継いだ。
 それにしても母が持っていたメモがとても正確なこと。最後の謎、いつだれがこのメモを書いたか。九十歳以上なのは間違いない。
「書いてみると覚束ない図ですが 一度行ってみてください そして何時か会った時、話をして下さい」
「話がしたいです!!!」
 最後のヒントを求め、地元のお寺を訪ねよう。

5.6 Back in 1984
"Under My Gun"
 メジャーレーベルから3枚のアルバムを出しているのに過小評価されているバンドの一つ。セカンドの"NIGHT OF THE CRIME"のA面5曲が名曲揃い。もちろんCDで買いなおしているが、珍しい輸入カセットテープ所有。
"Night Of The Crime"

5.3 "悲しくてやりきれない"
 5月2日、夜勤での起床時間。いつものようにデイルームの窓のスクリーンを上げた。きれいな青空。いつもと同じ光景、いや、なにかが違う。
 ここ数日、母が生まれた戦前の市内中心部と被爆後の写真を見比べていた。今いるこの場所はかつての西練兵場。目の前には広島城。明治時代大本営が置かれ、およそ1年間日本の首都機能を担った。
「・・・」
 感動とは違う、言葉にできないなにか。1945年8月7日に米軍が空撮した焼け野原と、新緑も鮮やかな、普段と何も変わらない当たり前すぎるおだやかな朝。頭の中が整理できない。
 仕事を終え、母が生まれた場所のメモを手にある一軒家の前に立った。最有力情報の電話番号と名前が書いてあるお宅。下調べでこの家であることは確かだが表札はない。サッシを開け中へ。
「こんにちは 」
 人の気配はあり何度か声をかけるが返答はない。玄関の中に目的の表札を見つけた。もう一度外へ出てみると呼び鈴あり押してみる。奥の居間のカーテンが動き、高齢の女性が現れた。
(期待される最高の展開)
「こんにちは、やまもとという者ですが、戦前この近所で風呂屋をやってまして、近所だったOさんというお宅を探しています」
「うちですよ」
「母の出生届けが寺町八拾九番地で出ているんです」
「うちは九拾番地でした」
(あ〜!!!)
 たくさんの話を聞いた。女性は御年90歳。昭和九年生まれで母の二つ下。戦前は同じ区画にある母の風呂屋の東隣で電気店をやっていたそう。今から90年前のこと。当然家電などなく、電球やその配線などの工事が主だったらしい。
「大平のうどん屋さんにはかっちゃんという同級生の男の子がいてね」
「兼口さんはお菓子屋さん、隣りがせんべい屋さん」
「そこは4人こどもがいてね。まさこちゃんが同級生。今住んでいないけど白島にいます」
「うちの隣りは洗い張りと言ってね。着物を一旦解いて反物にして洗っていたんです。伸ばしたら長いでしょ。竹を丸くしたのに張って乾かしているのがきれいでした」
「昔あいだに小路があってね。小川さんはとても腕のいい大工さんでした。この家も建ててもらったんです」
 話を聞きながら驚くしかなかった。昭和九年生まれのOさんとめぐり会えたことだけでもすごいのに、その記憶の確かなこと。1時間の話の中で、長期記憶において認知症を疑う瞬間は一度もなかった。
「子どものころお風呂屋さんに行きたかったんですよ。うちにもお風呂があるから行かないでしょ。島から来た人と聞いてました」
「肉屋さん、魚屋さん、果物屋さん、色々あってね。住みやすい町でした。寺が十六軒あるからお坊さんもたくさんいました」
「昔、寺町と十日市の間にもう一つ電停がありました」
「空鞘橋ができるとき怖かったんです。向こう岸にはたくさんバラックがあったからね」
 もちろん原爆の話になった。今目の前にいるOさん。志和地に疎開して難を逃れたのは当然だが、やはりご両親は亡くなったそう。
「一緒に来ちゃったらよかったのにね」
 まさにその通り。
「一声かけてくれよお母さんよ」
 昔ひいばあさんの墓を探し当てたこともあり、次に休みにでも探しに行ったよ。母の認知を思い返すと10年はさかのぼらないといけないが、現地に立てたならぼけていても回路がつながったかも。
 Oさんに丁寧にお礼を言いお宅を出た。年齢を考えると一期一会。この地を記したメモは、立ち退き引っ越しがなければ今後何年も埋もれていただろう。
 あらためて、かつて風呂屋があったであろう場所に立ってみた。今は電車通りに面したローソンとビル二つ。よくあるタイムスリップじゃないが、母や先祖のすべての人たち、そのみなが出会ったすべての人たちとの関わりで未来という今が変わってくる。星の数ほどの偶然と瞬間瞬間が重なり合った今。もしかしたら、お隣同士2歳違いの母とOさんは遊んでいたかもしれない。Oさんにはその記憶はないようなので、島の出という壁があったのかも。いつ島に戻ったのかも母がいなくなった今知りようがない。スイカのシーンのすずさんとリンと思い出した。母もひとさらいのバケモノと出会っていたかも。
 一つ疑問が残った。あまりにも正確な近所の配置。母の追記はあるが書いたのは別人。Oさんも知らないと。
「書いてみると覚束ない図ですが 一度行ってみてください そして何時か会った時、話をして下さい」
 明らかにここに住んでいた人で、今は別の場所にいる誰か。一つだけヒントがある。連休明けにまた出かけてみよう。

4.30 "こどものせかい"
  いよいよ7月より新居着工。昨夜片付けをしていてすごいものが出てきた。
「母が生まれた場所」
 母は昭和7年4月生まれ。広島の島しょ部能美の出身で生まれたのもそこだと思っていた。昭和初期広島市中区の寺町で風呂屋をしていたことは知っていたが、2年前亡くなったとき取り寄せた原戸籍ではそこから届け出がされており驚いた。古い住所が今のどこに当たるかわからず、落ち着いたら探してみたいと思っていたが。
 ホッチキス止めした6枚のメモには、当時の近所の様子や今も住んでいる方の連絡先などが詳しく記載されていた。
「母も探していたのか・・・」
 寺町だけにたくさんのお寺、石屋。通りには肉屋、魚屋、酒屋。うどん屋や果物屋、呉服屋まで。車夫はやはり人力車だろうか。自分が生まれたころもまだスーパーはなく、近所の商店で買い物をしていた。パンはその場で切ってもらい、耳を付けてもらった。肉屋では手回し式の器具でミンチを作り、薄い木の包装に包み持ち帰った。なんとなく往時を想像できる古き良き時代。
 古い空撮を検索。1939年のおそらくここだろうという場所に検討をつけた。そして6年後、避けては通れない1945年。産業奨励館(原爆ドーム)から至近距離。
「焼け野原」
 そのころには母は島に戻っていて、13歳で下級生を引率していた時キノコ雲を見ている。まさに人の数だけドラマがあるとはこのこと。もし母が8時15分に寺町にいたら、自分は今ここにいない。
 現地調査へ続く。

4.29 Back in 1984
"緑の日々"
 前年鈴木康博が抜け、オフコースがオフコースじゃなくなった最初のアルバム。小田和正はともかく、鈴木康博と大間ジローのラジオ番組はラジコで聴いたことがあるし、みな健在なのがうれしい。
 このPVに限っていえば、高樹沙耶の方が時の流れを感じる。

4.28 Back in 1984
"Drive"
 夜勤で一緒になった同世代のスタッフに1984振り返りのことを話すと、やはり「ベストヒットUSA」からということに。

4.27 Back in 1984
"(You Can Still) Rock In America"
 ブラッド・ギルスのアーミング、ジェフ・ワトソンのフルピッキングからのタコ足ライトハンド。当時のギター雑誌を席巻した曲。

4.26 Back in 1984
"Wanted Man"
 LAメタルを一つ上げろと言われれば間違いなくラット。あえて"ROUND AND ROUND"ではなく、針を落として最初に聴こえてくるこの曲。まだレコードの時代だった。MVの寸劇は今となっては滑稽な印象。
 ギターのロビン・クロスビーは薬物の注射の使いまわしによりエイズで死亡。

4.24 Back in 1984
"We're Not Gonna Take It"
 ディー・スナイダーは喉も衰えていないし、いい歳の取り方をしていてうらやましい。
"We're Not Gonna Take It"

4.23 "Answers"
 今年のオステオスペルマム。去年の猛暑で挿し芽が総崩れ。初めて種をまいてみたが発芽率も低め。残った株を寄せ植え状態に。スプーンのピッコロはやはり華がある。咲き始めのおしべの群青色もきれい。
 数日前、一つだけ紫のピッコロが。周囲が白のため同じ株に咲いた突然変異かと思っていた。ところが今日もう一つ淡い紫が開いた。
「どういうこと?」
 あらためて株をみてみると、白ではなく一つの株から。葉の光沢や形も微妙に違う。去年入手した濃い紫のスパイダーも咲いているが、こちらはくびれが強すぎて今一つ貧相な感じ。
「まさか?!」
 去年種を取ろうと、開いた花をこまめに受粉した。もしかして。
「フュージョン!!!」
 つまり白のピッコロを受粉した指で紫のスパイダーを受粉した、もしくはその逆。その可能性は頭の隅にあったが、本当にできるとは。
 黄色のキンギョソウも骸骨から。キンギョソウの花がらを取らず残しておくと、人間の骸骨そっくりの種ができる。ゴマより小さな種を大量にばらまいたところ、素晴らしい森ができあがった。

4.20 Back in 1984
"Jump"
 ヴァン・ヘイレンと同時期にヒットした"Jump"として記憶に残る。映像を見てカール・ルイスを検索した。終盤にマジックも登場。
 三姉妹というだけで個々の人柄については知らなかったが、家族には日本にゆかりのある人もいるらしい。70年代は四姉妹グループで、うち存命なのは長女ルースのみとのこと。

4.19 Back in 1984
"Blackout"
 1984年リリースの"Love at First Sting"ではなく1982年のこちらを選んだのは知ったタイミングとツインギターとの出会いから。
 左チャンネルがザクザクキレキレカッティングのルドルフ・シェンカー、右は縦横無尽に動きまわるエクスプローラーのマティアス・ヤプス。エンディングはレコードジャケットをビジュアル化する目にフォークを突き立てガラスをぶち破るサウンドエフェクト。とても42年前とは思えない、まさにブラックアウト。
"Big City Nights"

4.19
 今日仕事から帰宅すると、家の玄関に犬2匹を連れた若いカップル。バイクが入れないので待つが、ヘッドライトで照らされていてもしばらく気付かず。
 会釈もなく立ち去ったあと、朝リサイクルプラを出していたカラス避けゴミネットに犬の小便。これまでにもその痕跡が何度か。その家の人間が手に触れてネットを扱うことが想像できないのか、できて気にしないのか。怒りというよりただすごいなと。宇宙からきた人たち。

4.17 Back in 1984
"Say Say Say"
 MJが良い意味で黒人だったころ。

4.16 Back in 1984
"Metal Health (Bang Your Head)"
 映画「フットルース」で、VWビートルに乗ったケビン・ベーコンがこの曲をかけながら学校に現れるシーンが印象に残る。
 高校入学してパールのドラムセットを買ってもらい、クワイエット・ライオットを叩いていた。当時のメンバー2人はすでに故人。ランディ・ローズも。
 今や当たり前のヘッドバンギングも頚椎症の要因と言われて久しい。最近では「新しい学校のリーダーズ」がやたら頭を振っているのを見て心配になるおじさん。
"Cum On Feel The Noize"

4.15 Back in 1984
"They Don't Know"
 メロディとほくろがセットで記憶に。

4.14 "今日もどこかでデビルマン"
 デビルマンに行く途中たくさんおいしそうなお店があったのに、空腹を我慢してもレトロ自販機に行く不思議。
 コロナの4年間。それまでと変わらない距離を走ったし、毎年恒例の場所にも行っていたけど、人が集まるところを避けていたのは確か。
 走っていてどこか違う感覚が。例えば、信号待ちで止まったとき見えたマンションの一室に灯る蛍光灯とか、走行中バイクの音に反応して目が合った散歩中の犬とか。
「どんな人が住んでいるんだろう」
「(犬の)名前は何というのだろう」
 その時間そこにいるという偶然と必然、タイミングの不思議。すべてが一期一会。

4.14 Back in 1984
"Girls Just Want To Have Fun"
 9人で首振るとこ!
 結局歳の話にならざるを得ないんだけど、シンディ当時30歳、つまり今70歳。有名人で知る時の流れ。ここまで続けてきただけでもすごい曲だらけの1984。

4.13 Back in 1984
"Rebel Yell"
 口をひん曲げて歌う姿が記憶に残る。メタルフリークとしてはやはりスティーブ・スティーブンス。86年の「トップガン・アンセム」を聴いた方がわかりやすい。そして「トップガン・アンセム」と言えば「Ninja GPZ900R」となるよね。たくさんのニンジャを乱発しても、ニンジャ=GPZ。
"Top Gun Anthem"

4.12 Back in 1984
"Karma Chameleon"
 ジョージ・マイケル、エルトン・ジョン、フレディ・マーキュリー。ロブ・ハルフォードのカミングアウトは衝撃だった。
"Church Of The Poison Mind"

4.12 "When I Look Into Your Eyes"
Carl Jeffrey Snare 1959.12.14~2024.4.5
 4月6日付けの桜のトピックにFIREHOUSEの曲を使用したのはまったくの偶然だった。
"HERE FOR YOU"
 つまり「醍醐桜=あなたのためにここにいます」という思いを込めたものだった。
 今日YouTubeを開けると、ヴォーカルのC J Snareのショートがおすすめ動画に。この2月の関連動画も上がっていて元気に歌っているんだとみていると、亡くなったという記事が。すぐウイキを開けると、4年前大腸がんを患い、死因は心停止との記載。64歳。
 FIREHOUSEの1990年のファーストはいわゆる「ジャケ買い」。ネットのない時代、渋谷のタワーレコードで新譜をあさっていて1曲も聴かずに買ったアルバム。そしてサード収録の”HERE FOR YOU”は、2000年稚内でローカルFMに出してもらったときリクエストした曲。世代的にこれからこんなニュースをたくさんみることになるんだろうな。
 ちなみに明日4月13日は母の三回忌と父の十三回忌を同時に行う。そして今日4.12は母の誕生日。生きていたら92。C Jの歌を聴きながら母を想う。

4.11 "Eclipse"
 北米での日食で月が地球に落とした影。これを肉眼でみられるのは世界でたった7人だけ。地形から推測するとカナダ東海岸のよう。

4.10 "Halo"
 稲田神社「ゆかり庵」。VIVANTの乃木憂助(堺雅人)の名刺があったがロケ地ではないそう。
 三刀屋桜並木は葉桜へ。御衣黄はまだつぼみ。

4.6 "Love of a Lifetime"
 醍醐桜から数キロ離れた岩井畝の大桜。まさに陰と陽。混雑した醍醐桜に比べ、いつ行っても誰もいない。今年は珍しく、倉敷からの二人連れとしばしの談笑。
 ライトアップも現場用の投光器。普段はないのだろう。

4.6 "Here for You"
 真庭醍醐桜と今年も再会。土曜日ということもあり車は2時間待ち。ただし18時以降は駐車場料金は発生しないらしい。
 映画「フィールド オブ ドリームス」エンディングのような車列がふもとまで続く。もちろんバイクはストレスなくたどり着ける。
 神は信じなくともあまりの神々しさに離れるタイミングが難しい。また来年。

4.5 Back in 1984
"Union Of The Snake"
 当時もっともかっこいいベーシストと思っていたのがデュラン デュランのジョン・テイラー。81年の「プラネット・アース」では、印象的な前髪と、ギャロップに合わせて踊る姿が目に焼き付いている。現在も動画をあげていて、良い歳の取り方をしているのがわかる。
 ボーカルのサイモン・ル・ボンの動きはかなりオネエっぽいが、当時有名モデルと付き合っていたはず。最近は若干残念な大きさに。
"Planet Earth"

4.4 Back in 1984
"Through the Fire"
 ごく私的な、切ない思い出とともに。

4.3 Back in 1984
"In The Future To Come"
 86年の「The Final Countdown」で、北欧メタルを一気に世界へ押し上げたヨーロッパ。しかしここ日本では、すでに84年に「Seven Doors Hotel」が名曲と囁かれていた。懐かしい。
"Seven Doors Hotel"

3.31 Back in 1984
"99 Luftballons"
 当時NENAのわき毛が話題に。黒木香の出現はこの2年後。

3.30 Back in 1984
"All Night Long (All Night)"
 この時代のMV。細かいところにラフさが垣間見えて好感が持てる。

3.29 Back in 1984
"You're the Inspiration"
 Chicagoを象徴する2曲は1984年リリースの「Chicago 17」から。もちろん大ヒットした「Hard to Say I'm Sorry」(1983)は知っていたが、好きになったのはリアルタイムではなく89年のベスト「THE HEART OF CHICAGO」で。
 このPVに一つ不思議な点が。右利きのセテラがBASSを左利きで弾いているが、弦は普通に右利きで張ってあるという。MTV全盛の時代。映像へのアンチテーゼか。
 多くの人がそうであるように、Peter Cetera=Chicago。彼のソロアルバムも愛聴盤。
"Hard Habit To Break"

3.27 Back in 1984
"Love Somebody"
 もう74歳とのこと。

3.26 Back in 1984
"She Don't Know Me"
 Bon Joviを知ったのも高校のクラスメイト「ジョン」の影響。ベーシストは細身の長身という勝手なイメージがあり、彼もそうだった。
 40年という歳月でBon Jovにも変化が。Alec John Suchは亡くなったし、Richie Samboraも今現在バンドとは別行動。
"Runaway"

3.25 Back in 1984
"Tooth and Nail"
 肥満と喉について。ヴォーカルのDon Dokken。Motley CrueのVince NielやGunsのAxlのように、往時を想像できない残念なビジュアルになった一人。加えて喉を痛めて当時の曲を再現できない。クリスタルキングの田中昌之が、草野球のボールが当たってハイトーンを失ったのは有名な話だが、突き抜ける高音はいつまでも色褪せない。
"Alone Again"

"大都会"
 「大都会」は東京ではなく、結成時活動していた佐世保からみた博多。

3.23 "The Galaxy Express 999"
 SL人吉58654、101歳。本日最終運行。10年7月旅先で初対面。16年6月乗車して熊本-人吉間を往復。一方で肥薩線再建の動きに期待。

3.23 Back in 1984
"Synchronicity II"
 ごみが舞う中、スティングがぶら下がってる光景が頭の片隅に。これもベストヒットUSAの記憶。ネットのない時代、欲しい情報は、テレビ、ラジオ、雑誌で自分から取りにいく必要があった。
 サブスクリプション時代。シングル数曲リリース後、アルバムが出たときにはすでに聴き飽きた曲多数。レコード時代はアルバムリリース後シングルカット。初めて針を落とすとき、未知のメロディにわくわくした。サイドAとサイドBの始まりと終わりにも起承転結があった。A面の終わりの曲、B面の1曲目とかで覚えている曲も。30cm角のレコードジャケットは、4分の1の大きさになりアート性は失われた。今やそのCDジャケットすら消えていきそうな勢い。
 視点を変えれば、MTV全盛のミュージックビデオそのものが大きな変革の途中経過だったとも。
 このアルバムには、音楽史上避けては通れないこの曲あり。
"Every Breath You Take"

3.21 Back in 1984
"The Lion's Mouth"
 カジャグーグーは不思議なバンド。リマールのいたファーストと、ベースのニック・ベッグスがヴォーカルをとるこのセカンドはまったく違う魅力がある。PVでもわかるように、ニックはチャップマン・スティックをかるテクニシャン。
"White Feathers"
 カジャグーグーのファーストと言えば「君はTOO SHY」だが、1曲目のこの曲のインパクトが大きかった。当時TDKのメタルテープにダビング。アルミダイキャストのフレームが透けて見える重厚なカセット。40年経った今でも、まるで昨日録音したかのような高音質。この曲でもニックのベースがカッコよすぎる。
"Don't Suppose"
 カジャグーグーを抜けたリマールのソロ第一弾。世界的にヒットした「ネバー・エンディング・ストーリー」は外せないが、ゴージャスなアルバムタイトル曲を選んだ。
 3枚ともレコードをCDで買いなおしている。

3.20 Back in 1984
"Loud 'N' Clear"
 1984年、間違いなくヘヴィローテーションだったのがSTRYPER。授業で行く理科室の机に、定規を使ってバンドロゴを落書きしていた。

3.18 "晴る"
「繋ぐ」
 熊本から広島へ。1週間前に訪ねた熊本・島田美術館の息子さんの個展が地元広島、瓢箪堂で。けっこういいお値段するグラスなど3点を手に入れた。
 グラスを液体を入れる容器とだけ捉えるなら100円ショップで十分。それを何十倍ものお金を出して手に入れる理由。一日の終わり、お気に入りのグラスに注いだワインを眺める至福のとき。支払った対価は、作家が次の作品を生み出す糧に。器は使ってなんぼが持論。何気ない日々の夕食にささやかな彩りを添える。もちろん2匹には要注意。
 瓢箪堂オーナーは熊本でみたA列車に乗ったことがあるとのこと。応接には山浦めぐみさんの卒業制作。ティールームには山幸さんの肖像画。何かがどこかで繋がる。
 最後は広島市現代美術館「とびたつとき」最終日。今年も年間パス更新。
 母と入れ替わりに復活した椿。去年おととしと一つだけ咲いたが、3回忌の今年は八つほどつぼみをつけた。2か月も早く一番花開花。来年の今頃は、新しい家に地植えとなっている予定。

3.18 Back in 1984
"Uptown Girl"
 この曲が入っているイノセントマンもヒット曲満載のすごいアルバム。ロンゲストタイムと迷ったけど、やはりベストヒットUSAで観たのが印象が強い。

3.17 Back in 1984
"Ghostbusters"
 間で出てくるアイリーン・キャラやピーター・フォークも故人。40年となるとさすがにそんな観点になる。

3.16 Back in 1984
"In The Beginning
~Shout At The Devil
"

 レコードジャケットが見開きで、B.C.Rich WARLOCK BASSのNikki Sixxが最高にカッコよかった。一般的にギタリストがフロントマンになることが多いが、ボーカル、ベース、ドラムの個性が強過ぎ、ギターのMick Marsだけが地味という珍しいバンド。

3.15 Back in 1984
"True"
 音源は持たずとも、いつもラジオから聴こえてきた曲。

3.13 Back in 1984
"Break Down The Wall"
 時に、とんでもないアルバムを1枚だけ残して消えていくバンドがある。STONE FURYもその一つ。セカンドやKINGDOM COMEとも違う光を放つ。40年経った今もヘヴィローテーション。
 ギターのブルース・ゴウディは、長期に渡り矢沢永吉をサポートしていたのは有名な話。

3.12 "ONE SPARK"
 熊本こぼれ話。黒亭ももう6回目。07年トカラ・大東島の帰り、店の外で出会ったおばちゃんにもらったデコポンがあまりにも美味しく、今回も駅のスーパーで購入。
 島田美術館併設カフェ「木のけむり」の眺めが最高。目の前に桃が咲いている。鍵が内からぐるぐる回すタイプ。一昨年取り壊した自宅もサッシは一か所もなくすべてこの鍵。とても親近感。
 「A列車」は熊本〜三角を結ぶ。天草もそれこそ06年の「五足のくつ」ツアー以来行ってない。
 めずらしく宿泊し利用したホテルの部屋がビンゴ!(20年来使っているハンドルネーム)

3.12 Back in 1984
"Love Is A Battlefield"
 当人も健在だし、検索するとたくさんのミュージシャンがカバーしているよう。ただ、現代のダンスが異次元に進化しているのが衝撃。下手したら幼稚園児でもこれ以上のキレあり。この曲もレコードのみ持っていて聴くにはSPOTIFY。

3.10 "To Love You More"
 06年、旧熊本物産館で出会った一つのマグカップ。以降15年間に渡って懇意にしてもらった陶芸家山本幸一さんが亡くなって4年。回顧展以来の島田美術館を訪ねた。併設のカフェ、木のけむりもアートにあふれる。地植えのクリスマスローズがお出迎え。
 島田さんの息子さんがガラス作家で、今週末地元広島のギャラリー瓢箪堂さんで個展開催予定。素晴らしいタイミングになった。
 5年前、バルーンのついでに寄った際に病気闘病中であることを聞き、会うことができた最後の機会に。山幸さんのいなくなった金峰山の工房は、寂しさにあふれていた。

3.10 "SAYONARA"
 今月でお別れの86。旅先で何度か出会っただけでなく、8年前乗車し、熊本〜人吉間を往復。本来企画された肥薩線の営業区間は、災害で復旧のめどもたっていない。旅に「いつか」はないことを再認識する。
 うかつにもチケットを取ろうとしたが、高騰で全国ニュースにまでなってることを知り苦笑。それでも雄姿を目に焼き付けるため熊本まで。
 ホームには「かわせみ やませみ」と「A列車で行こう」が停車中。「かわせみ〜」はもともと「いさぶろう・しんぺい」とともにSL人吉と同じ肥薩線を運行。それも災害の影響で今は熊本〜阿蘇を結ぶ。「いさぶろう〜」が終了した今、乗っておかないと永久にその機会が失われる。
 夜宿でテレビを見ていると、最近の各地の群発地震のニュースが。明日はあの3.11からちょうど13年。15時から夜勤。帰りを1時間ほど早めたが、それでも9時にはまだ熊本にいたという綱渡り。ちょっと無理があった。

3.9 Back in 1984
"Wake Me Up Before You Go-Go"
 いい意味でのこの軽さと、朝から突き抜けた陽気さ。邦題「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」もフィット。もちろんラスト・クリスマスやケアレス・ウイスパーも外せない。
 ジョージ・マイケルが亡くなってもう7年、53歳没。こちらももう年下になってしまった。この曲のころはまだゲイを公言してなかったが、これをみると動きがオネエっぽい。

3.6 Back in 1984
"Far Beyond The Sun"
 車検で純正に戻していたH2のマフラーを元に戻し、5年で弱っていたバッテリーを交換。ちなみにショップで見積ったらバッテリー2万5千に工賃とのこと。充電だけ頼んだら工賃2000円もかかっていた。Amazonなら国産YUASAでも12000円。車検に1週間かかった。これまでなら数日前に代車ある日を聞いて持ち込みの翌日には完了。
 タイヤはこれまでマッハで買ってショップで交換のみお願いし6000〜7000円。引継ぎのショップでは基本持ち込み不可。どうしてもなら工賃1万とのこと。ROAD6リヤの概算を聞くと、タイヤ時価と工賃で57000円。リヤだけで。軽自動車4本で2台分交換できる。マッハでも年末買ったときより4000円値上がりして37500円。前後合わせると10万と言われた。
 先月パンクで待機中だったCT。穴2か所とチューブ自体も弱っていたので交換。
 交代で待機に入るCRFを満タンにしようと近所のスタンドへ。近いのでカメラなしで行ったが、右の一時停止か飛び出てきた軽は、その先の一時停止もないかのように左折し、次の黄色信号も無視して走り去った。ガソリン入れて出ようとしたら、自転車スマホにヘッドホンお姉さんが前を横切る。怖くてカメラなしではもう走れない。

3.4 Back in 1984 "十七歳の地図"
 若い現代社会の先生が授業の中で熱く語り、曲を聴かせるという、今思えば素晴らしい試み。
「先生、今わかったよ」
 尾崎が綴る言葉は、当時の「現代社会」だったのか。1984年まさに十七歳。社会への不満など微塵も感じたことのなかった自分にはまったく共感できなかった。
 あらためて尾崎の生涯をみてみると、歌詞に込められたシーンは実際の出来事。
「生き辛かっただろうに」
 やはりASD/HSP気質があったのだろう。晩年には薬物の影響もありバイポーラのような印象も。新たな曲を生み出すにはそれ以上の体験が必要。例えそれが破滅だったとしても。この八年後、二十六歳。永遠の二十六歳。

3.3 "Witness"
 いいの撮れた。左奥に横断歩道を渡ろうとする歩行者。それに気付いた直進の軽が一旦停止して待っているのに、譲ってくれたと勘違いしたのか先に右折する赤色灯付けてない国家権力。
 そもそも信号のない横断歩道での歩行者妨害を取り締まるようになったのがここ数年。クルマがさっさと通過した方が歩行者もゆっくり渡れるし、高齢者を急がせることでの転倒リスク、追突や逆走の惹起など危険極まりない。コロナで減った分の反則金を稼ぐ国家権力。この歩行者や前の軽が仮に譲っていたとしても、一般車なら検挙される。

3.3 Back in 1984
"Fight Fire With Fire"
 いまやMetalを知らない人も名前は聞いたことがあるモンスターバンドになってしまった。
 実はこの曲、当時レンタルした時には理解できず、ダビングせず返却した記憶が。84年はまだLA Metal全盛、凄さがわかるまで2年を要した。

3.2 "frost flower"
 1月に行った愛媛、新宮・霧の森にあった観葉にんじん。帰宅後すぐにやってみた。1か月半経過。

3.1 "I GOT YOU"
 車検中H2 SXの代車Ninja400。せっかくなので少し走ってみた。実をいうと、400ccを持ったことがない。30年以上前、NS400Rを3年間持っていたことがあるが、ちょっと訳あり。まだ学生のころ知り合いから車検切れをただでもらった。エキパイに亀裂が入り、メーターケーブルは切れスピードはわからないし、当然ODOメーターも動かない。東京のアパート暮らしでは保管場所がないため、そのままの状態で広島まで乗って帰った。結局治すこともなく廃車。
 Ninja400。とにかく軽い。ツインなので爆発力はないが、1万回転くらいでつないでいくとそれほどストレスはない。むしろ全開にできるのがとても楽しい。H2で1万まで回したら1速でも150km/h出る。
 後ろに乗るとかなり前傾になるので首の負担がきつい。まあ非力なことに変わりないのでもう所有することはないけど、4発の4Rはもっと楽しいんだろうね。
 400ccをぶち回していたので、H2で帰るとき吹かし過ぎてしまった。スロットルレスポンスが別次元で1週間ぶりに乗ると少し怖い。最高出力は4倍以上。普段いかにシビアなコントロールをしているかあらためて感じた。

3.1 Back in 1984 "Say it Isn't So"
 当時カセットにダビングして擦り切れるほど聴いたベストアルバム。今はCDで買いなおし、車にもデータで。

2.28 Back in 1984 "Borderline"
 マドンナのファーストアルバム"MADONNA"(邦題「バーニング・アップ」、厳密には1983リリース)。小林克也のベストヒットUSAでみた「Lucky Star」のMVに衝撃を受け、即レコード屋に走ったが、まだどこにも売っていなかった。多分1984年の初めだったはず。中でもこの曲、セカンドヴァースから下っていく流れが最高。
 同年リリースの"Like A Virgin"で世界ブレイクしたのは誰もが知る通り。

2.26 "この世界のあちこちに"

2.26 Back in 1984
"Owner of a Lonely Heart"

2.25 Back in 1984
"Footloose"
"Holding Out For A Hero"
"Almost Paradise"
 このサウンドトラックから絶対外せない。"NEVER"もピンクレディーのMIEが「不良少女と呼ばれて」の主題歌でカバーしヒット。もちろんレコードあり。

2.24 King of 1984 "Thriller"
 まあもちろんレコード持ってる。他の曲も、というか全曲KING。

2.23 Back in 1984 "1984~Jump"
 明日にしようと思ったけど待ちきれずこれ。2曲メドレー必須。説明不要。

2.23 Back in 1984
"Rock My Nights Away"
 ジャズ、クラシックからK-POPにいたるまで、ここまであらゆるジャンルを聴くのも珍しいはず。
 マイサイトの一文に一曲を付け始めてもう20年以上。高2クラスメイトのジョン(B)が文化祭でプレイしたこの曲を聴いて40年。ヘヴィメタル/ハードロック(HM/HR)はいまだメインストリーム。

2.22 "All Along"

2.16 "The Four Seasons ~Spring~"

2.12
 初めて観たリコージャパンボウルは1984年1月、スティーブ・ヤングがブリガムヤング大学4年生の時。創始者ブリガムヤングの孫という触れ込みだった。そのヤング率いる49ersがスーパーボウルを最後に勝ったのが1994シーズン。黄金期のモンタナ、ライス、テイラーたちレジェンドは外せないけど、ロジャー・クレイグやトム・ラスマン、ロニー・ロットなんかも瞬時に思い出す名前。あれから40年、30年とは・・・。
 先週東京にいたテイラー・スイフト(チーフスTEケルシーの彼女らしい)が観戦、モンタナ、エルウェイはおじいさんになっている。歳を取るはずだ。
 アメリカ最大のスポーツエンターテイメントの放送がなんと日テレG+のみという驚き。
 いや〜、戦略の妙というか、玄人好みのすごい試合だった。昔石川顕〜久保田薫のコンビが好きだったけど、現代の近藤祐司、村田斉潔、有馬隼人の放送も素晴らしい。
 次は2.24〜25 SBKフィリップアイランド、3.9〜10 MOTOGPカタール、3.20パドレスvsドジャース(大谷出ないという話も)。待ちきれない。

2.10 "蘇州夜曲"
 すでに90年代後半に意識していた長崎ランタンフェスタ。四半世紀の時を経てついに実現。もちろん日帰り。点灯式は誰かが押し間違えフライングで失笑。カウントダウン7秒前に一度消えてまた点くという微笑ましいシーン。

2.9 "Sabre Dance"
 ヘルメット装着型ドライブレコーダーその後。車と違うシーンが撮れて面白い。自分が何を見ているかもわかる。どのバイクでもどのヘルメットでもこれ一台で済むので良い買い物でした。

 3時間前、たまたまこの「剣の舞」を選んだが、たった今、小澤征爾の訃報を知る。あまりの偶然に驚いた。また偉大な人が一人星になった。

2.5 "風になる"

2.3 "Rocky II Overture"
 イントロ聴いただけで脈が速くなり、階段を駆け上がりたくなるど真ん中世代。ドルフ・ラングレンもがん闘病中とのこと。国内外問わずそういう時代に。
※トミー・モリソンもすでに10年前に他界。

1.25 "The amazing adventures of Rosetta and Philae"
 SLIM月面着陸の記者会見を見ていて、67Pチュリュモフ・ゲラシメンコ彗星で眠るロゼッタとフィラエを思い出した。アヒルちゃん67Pの今日現在の位置を調べてみると、木星軌道の少し内側を遠ざかっているところ。どうしてるかな。今見てもどきどきする、壮大な宇宙探検の物語。

1.25 "No One There"
 満を持して今季3回目の雪中アタック。いつもの橋すらたどり着けず積雪30cmを超えたところで断念。そのくらいの深さになるとタイヤが地表に届かず圧雪になって登りではトラクションを得られない。
 つららの造形は自然が作り出すアート。気の遠くなるような時間をかけ成長する鍾乳石を早送りでみている感じ。映像にあるように、時には重力に反して伸びる。一方でつたって下りてくる水滴は血管のようにも、電子のようにも見える。
 転倒しても大丈夫なハードプロテクター、破れたり壊れたりしても気にならない使い古した装備は必須。ただ現地では誰もいないし、雪がクッションになってダメージも少ない。CRFに乗り出してからの転倒はおととし1回だけ。電波が入らないため行き先を伝えておくのも必須。
 大事なのはそこへ至るまでの道。基本午前中は避ける。交通量が多いし、日陰の凍結、通勤で圧雪になった路面は技術ではカバーできず危険すぎる。走行ラインは、雪が溶けていれば轍だが、低温や日当たりがなければ凍っていてブラックアイスバーンの可能性もある。まだ雪のある路肩を走る方が安全。橋の手前では必ず減速しリーンインでマシンを立てる。後ろに車が来たら行かせるのは絶対。交通量のある道路で路面が全面雪で覆われていたなら撤退か目的地変更。
 あと大事なのが対向車線の路面状況。帰り同じ道を通る通らないにかかわらず、どこに雪が残っているか確認しながら走る。今日スタートは16:00。帰りは暗くなり気温も低下しているため、往路で問題なかった場所も状態が悪化している可能性あり。
 安全さえ確保できれば、これほど楽しい遊びもそうそうない。雪がないとわからない野生動物の足跡、水墨画のような雪景色、斜光に光り輝く雪面。美しいの一語に尽きる。

1.14 "BEHIND THE MASK"
 昨年の高知ツアーのやり残しと先日の下瀬美術館「四谷シモン」(1/14終了)の振り返り。
 お茶どころ愛媛新宮、霧の森大福。昨年新宮PAでは売切れで買えず、今回直営の霧の森、霧の高原へ。接客は今一つもランチやカフェのハードが充実。茶フェ、チャウンドケーキ、フォンダンチャコラなど徹底ぶりが妙にハマる。またリピートしたい場所が増えた。
 引き返して、坂出は鎌田ミュージアムの四谷シモン人形館「淡翁荘」は9年ぶりの再訪。先日地元の下瀬美術館の特別展を観覧したばかり。鎌田醤油の迎賓館に展示された耽美な作品の数々。局部もリアルに描写した人形はほとんどの人が気持ち悪さを覚えるだろうが、それだけに作者への興味が増す。下瀬美術館への貸し出しは3体。なんとそれ以外は下瀬さんのコレクションとのこと。受付のおばちゃんのキャラクターが素晴らしい。
 元町本町通りのアーケード街がすごすぎた。日曜ということでほぼシャッター。もちろん閉店した店も多くほんとにシャッター通りだが何十年もやってないような雰囲気でも開く店もあるらしい。長年遺構廃屋を見てきたが、けっこうなインパクトを受けた。古い産婦人科。取り上げられた子どもは元気だろうか。

1.12 "最強の推し!"
 年末の逆走車緊急回避を受けついにバイクのドライブレコーダー到着。と言っても11月には発注済み。以前より必要性は強く感じていたが、3台すべてに納得いくグレードを付けるには10万仕事。ただ昨今の事故動画をみているともうそんなことは言っていられない。信号のない横断歩道がとても危険。止まらないと捕まる、止まると追突される。誤認取り締まりにもとても有効。映像がなければ、どんなに正しくても泣き寝入りになる。
 購入したのはMAXWIN MUFU MF-BVDR-001、台湾製。PCを自分で組み立てたことがあれば、台湾製品の信頼性は確立。現在使用中のスマートフォンも台湾のASUS。
 最大のメリットはヘルメットに装着すること。ヘルメットホルダーのみ買い足せば本体一台で済むので、ヘルメット5個稼働でも総額で3万半ば。映像もスマートフォンですぐに確認できる。動画を記録されているということから安全運転啓発への付加価値もあり。

1.6 "Call of Silence"
 前日に続き、終了が来週にせまった下瀬美術館「四谷シモンと金子國義 ―あどけない誘惑」。去年の開館後すべての企画展をみているが、今回は特に思い入れのある四谷シモン。思ったより展示数が多く驚いた。ひときわ目立つ天使のは初めて。見る人によっては気持ち悪いと感じる作品もあるが、この天使だけは別物。たぶん誰が見ても美しいと思うはず。四谷シモン人形館は、香川・高松にある鎌田醤油の迎賓館。やはり近いうちに再訪したい。
 それにしても。展示品すべてが下瀬さんの所蔵なのだろうか。美術館の建物を含めすごすぎる。ただ、ガレの庭の手入れはして欲しい。池の藻は興覚め。
 これから冬本番だが、桜はしっかりと蕾をつけ春を待っている。もう災害は御免こうむりたい。

1.5 "Hardest Heart To Break"
 会期のせまってきた下瀬美術館の四谷シモン。9年ぶりに高松の淡翁荘で予習しようと、岡山の「ホキ美術館名品展II」と抱き合わせでプランニング。閉館時間の早い高松から戻りの岡山を計画も、まあいつものこと。スタート広島ICに12:36で岡山一本に絞る。
 ホキ美術館はもっとも行きたい美術館の一つ。賛否両論ある写実絵画も結局は好きか嫌いか。もちろん大好き。広島市立大学にゆかりのある故 磯江さんの回顧展や、元宋小由女の名品展Iは圧巻だった。3m離れれば写真にしか見えない作品も、寄れば間違いなく絵。人物は静脈の描写に注目。前腕では平面的で、手背では隆起しているのがわかる。五味文彦さんの森のワンシーンは、鳥の声や風の音が聞こえてくるようだった。広島に巡回してくる可能性も高いので必ず行く。
 駅ビルのみのるダイニングのランチはとても美味しかった。そこでいちごパフェも頂いたが、20年ほど前何度か訪ねたフランス洋菓子「スーリィ・ラ・セーヌ」を思い出した。検索すると駅から約2km。腹ごなしに歩いていく。
 ライダージャケットで岡山の繁華街を歩くのは、場違いなような、恥ずかしいような。前を歩いていたカップルの会話にケーキの話。案の定お店の方向に曲がった。
「あれ?」
 通り過ぎた。なるほど、まだ正月休みでした。普段は人のいないところに行くのがほとんどで、街中を走るのはどちらかと言えばしんどいことが多いが、歩くスピードで見る街並みは新鮮。良い散歩。
 引き返して大通りに出ると、路面電車の県庁通り駅が目の前。乗り方と運賃をリサーチ。地元広島と違い島のホーム。岡山駅まで120円。面白そう。
 広島では最新型の車両が増えているが、ここ岡山はレトロなものばかり。整理券は昭和だし、「次止まります」はリアルな鐘を鳴らすとてもメカニカルなやつ。運転手の真後ろに料金箱があり、電停に止まるたびに振り向いて支払い状況を見守っている。前に座っている女子二人、カートを持った帰省っぽい青年。路面電車が走る街に住む者として、地元にいるような、それでいて異空間に迷い込んだような不思議な感覚。ただ、電車の中のライダージャケットが違和感満載なのは自意識過剰。たぶんだれも気にしていないただのおじさん。
 駅に戻り、連絡通路をくぐって西口のバイク置き場に戻ってきた。津山線のキハが入ってくる。発着メロディが銀河鉄道999。素晴らしい。かなり時間が経ってから電車で見たカートの青年が歩いていてほっこりする。さて、時間もあるので帰りは一般道で。帰省のUターンか市内を抜けるのに時間がかかった。久しぶりの国道2号線が懐かしい。
 4時間弱走って帰広。出島のレトロ自販機五洋商店に寄る。結果的にこれが不要だった。尾道あたりから給油警告。ただ"FUEL"表示が出てから50kmは走る。点滅の状態が長いなとは思っていたが。
 自宅まで2km、帰宅前給油のガソリンスタンドまで550m、片側3車線の右折待ち。
「あ!」
 エンジンストップ。即ハザード出して左確認、後続車は来ていない。ラッキー。乗ったままダッシュで歩道へ。何度かセル回すがすぐ止まる。"FUEL"出てないのにどうして。でも状況は限りなくガス欠。昔、ZZ-R1100は押し掛けでトータル3km押した。10Rは種子島で上り坂含む2km押した。今回平地550mだが10歳年をとった。考えていても270kgの鉄の塊は動かないので、さっき右折しようとした横断歩道を渡る。ガス欠は15年くらい前の国東半島が最後。なんにしても右折開始してからでなくて良かった。
 よれよれになり給油。タンク容量19Lに対して19.2L入った。もちろんエンジンは何事もなく再始動。おそらくの原因を分析。"FUEL"は表示切り替えで一旦リセットされる。走行中クルーズコントロールを頻繁に操作するため、知らないうちにリセットされたのだろう。それでも一度エンジンを切れば再表示されるが、岡山駅から出島レトロ自販機まで一度も止まらず。そこからの再スタートでも同じことをした可能性が高い。過去に無給油347km走って残2Lのデータもあり過信。今回349.6kmはもちろん最長。こんなときリカバーできる体格に産んでくれた母に感謝せずにはいられない。帰って線香をあげた。

1.1 "More Than a Feeling"