2023
12.31 "I Had a Good Time"
 世の中いろんな事があっても旅を続けられる幸せ。もう3年カヤックを浮かべてないけど、新居が落ち着いた再来年かな。

12.26
 夕方殺されかけた。片側1車線、広島市旅券センター前をCT125で電車通り方面に南下中、向こうから1BOXが走ってきた。こちら側の車線を。
 何をしたいのか理解できずアクセルオフして様子をみていると、なんと加速してきたため左の路肩に緊急回避。すれ違う瞬間会釈している。まだこちらの車線内で。ドライバーは40代くらいの眼鏡の男。避けなければもちろん正面衝突。
 さすがに心臓ばくばくで一瞬考えたあと、窓ガラスをぶち殴ろうとすぐにUターン。相手は数台前、中央警察前の横断歩道で歩行者待ちしていたが発進、そこでクールダウン。追いつくためにはこちらが逆走になるし、こんな運転をする狂ったやつの行動は予測できない。そこで冷静になりまたUターンした。
「なんの会釈?」
 家に帰ってもどきどきしながら考えるがまったくわからない。ワインディングでのスキル不足からコーナーを曲がり切れず出てくることはある。でもまったくの直線で対向車がいても加速してくる相手に出会ったのはこれまで経験したことがない。
 ライダー、ドライバー、ひいては人間そのものが変わってきているのは間違いない。例えば自宅近くの一歩通行では一時停止せず突っ込んでくる。相手が一時停止だからと減速しなければ死ぬのはバイク。一方で、優先だからと見通しの悪い交差点にノーブレーキで進入したなら、免許を持っていないヘッドフォン学生がやはりノーブレーキで突っ込んでくる。
 一方通行逆走は日常茶飯事。一昔前、逆走車に一通であることを伝えると素直に引き返すことがほとんどだった。今はそのまま逆走する。つまり一方通行と知って進入しているということ。
 優先道路、左方優先を理解していないドライバーも多い。一方通行と同様、優先だからと減速せず突っ込むとリスクがあるし、反対に優先なのに停止して相手に譲ろうともたつくドライバーも少なくない。
 あと目立つのが無理な右折。左折同様、右後ろから横断歩道を渡ろうとする自転車を確認するのは当たり前。対向車のみ見て右折不可能なタイミングで曲がり出し、自転車に気付いて横断歩道手前で急停止。直進車にブレーキをかけさせる。右直事故の大きな要因にもなる。
 これまでバイクでの大きな事故が2回。一度目は交差点を曲がったら道路を塞いだ横向きのトラックの壁だった。どこにも回避できる場所がなかったので自分で転んだ。2度目の相手は飲酒運転。一度の謝罪もなく、結局顔も声も知らず。こちらがまだ自宅にも帰れない入院中、過失割合を強要し、断ると入院費をストップした。解決まで3年かかった。右足を失いそうになった。事故していいことは一つもない。
 先日、右折車線で信号待ちしていると、黄色車線をまたいで割り込んできた。こちらも発進直後で急制動しクラクションを鳴らすとわざわざ窓を開けてガン飛ばし。
 煽り運転もほとんどが煽らせ運転。仮に狂った煽りだとしても先に行かせば数秒で解決。それを通せんぼするからトラブルになる。そして煽られた部分だけを切り取って動画サイトにあげる一億総ドラレコ警察。実際譲る方法を知らないドライバーも多い。停車しなくてもいい。少しの直線があればまずウインカー出し、ブレーキランプを点灯させ減速すればさようなら。自分のペースで走れる。
 話ずれるが、昨今の信号のない横断歩道取り締まりにも大きな違和感。いつからそうなった。高齢者を急がせると転倒リスクになるし、2車線では連携が取れないと違う車線の車やすり抜けバイクにはねられる。対向車線含めて数台通り過ぎればゆっくり渡れるのに、追突リスクを冒してまで急に止まるドライバー。それで行ってしまうと取り締まる警察。何もかもが一場面だけで判断され、俯瞰でみること、臨機応変な対応ができない。
 基本的には発達特性の問題で解決できる。そもそも法規を作っている人間がそうだから仕方がない。気付けない人に気付けというのが無理。「事故したくないならそっちが避けろよ」という相手との接点はない。心理までを含めた状況判断と予測。とにかくバイクが車と衝突して怪我を避けることはできない。もちろん車を運転していても同様。
 ヘルメットに装着するドライブレコーダーを発注しているが、2月入荷予定。ただ、今日のような狂った相手には無効。いくら映像があっても命なければ意味がないし、それこそ自分が死ぬ瞬間の映像が残ってしまう皮肉も。最後は運、いや、より普遍的に言うならタイミング。

12.22 12:27:06 "Winter Solstice"

12.21 "Come Alive"
 冬至を前についにヘブンリーブル―刈り取り。いちばん熟れていそうな種をつぶしてみたが青くソフト。これ以上待っても採取出来そうにない。
 10月から11月にかけ季節を無視した圧倒的な花を咲かせたヘブンリーブル―。通りがかりの知らない人がカメラを向け、不要な芽を摘んでいると何人もに話しかけられた。刈り取り中もお隣さんが種が欲しいと。白くなった種を見せた。なんとなく懐かしい塀と、完全に隠れて機能していなかったインターホンが出てきた。
「花の記憶は残る」
 知り合い行きつけの花屋さんの言葉。花そのものに留まらず、咲いていたときに起こった色々な出来事が同時に記憶される。願わくは満開のときにストリートビューが来てくれていたらうれしい。
 45Lゴミ袋が7袋。残った茎は指ほどもあり、もうつるではなく木。すっきりした庭を耕し、新たな穴を掘ると、分解されない猫砂が出てきた。もちろん織彦2匹のうんちは跡形もない。星野道夫の番組でみたシーンがよみがえる。
「すべては分子となり形を換えて循環している」
 2匹に食べさせたロイヤルカナンが排泄され庭の肥料に。そしてヘブンリーブルー。キャットフードがばかみたいに高騰しているが、満開のあさがおになると思えば仕方ない。また冬の間、せっせとうんちを埋める。

12.18 "Were You There?"
 10年もののシャコバが満開。ヘブンリーブル―は12.12に一輪だけ開いたマーブルが最後。とにかく種を取ろうと残しているが、数日前まで青々としていた葉もこの寒気で一気に枯れてきた。やはり種も熟す前に枯れそう。来年は11月に引っ越すし、いきなり花壇にまかず早めに苗床作って室内管理し、植え替えたらどうなるか。
 コスモスもまだ少し咲いているのに、金曜には氷点下の予報。それまでにオステオスペルマムを鉢上げして家に入れる準備をしておかないと霜にやられてしまう。
 天候が読めず、花の手入れの概念が崩壊。今年は特に難しい。定番の育て方は参考にとどめ、天気と気温をみて判断。これはこれで咲いたときの喜びもひとしお。朝起きてまず外に出るのが日課に。

" Don't think ! Feel..." Bruce Lee

 感じるだけじゃなく、「季節を読んでどう咲かせるか!」

12.18 "Let It Go"
 雪アタックルーティーン、石ケ谷・天上山林道から太陽の広場へ。珍しく先人あり。タイヤブロックも鮮明でおそらく昨日。結論から言ってあっさり広場まで到達。登坂不可で撤退したいわけじゃないが、簡単に行けるのも楽しくない。でも次来るときはあの橋の先は登れないかも。
 いつものつららがもう地面につきそうなくらい伸びている。2月には極太の柱になっているはず。
 停車中もまさかの熊よけでエンジン切らず。昨夜も自宅でなんと、蚊に刺された。
 17:30には真っ暗。あと4日で冬至。ほんと、真夏は暑くて乗れないけど寒さはなんとかなる。ラジエーターファン=ファンヒーターで。

12.17 "We are on your side"
 たまたま休みが合った9年ぶりの甲子園ボウル。もちろんバイクで行く予定が朝起きたらまさかの雪。9:00まで様子をみていたが、志和50キロ規制、本郷事故でもう間に合わないのでやむなく新幹線に。
 覚えてないくらい久しぶりの新幹線。やっぱり速い!うちのパートナーもメーター読み283までは表示したことあるが、300巡航にはお手上げ。ちょっとしたデカルチャー。
 スタジアム入り口で時間調整中、おそらく直前の吉野家で踏んだご飯粒に寄ってきた鳩と遊ぶ。
 試合は勝てるなら接戦、負けるときはボロ負けのほぼ予想通りの展開。キッキングゲーム、リードパス&キャッチング、パシュート、ボールタックルとどれを取っても相手が一枚上手。
 終了後”残念会”ならぬ”ちくしょう会”に参加。同期や同じ時間を共有した先輩後輩に加え、接点のなかったその下の代の話が面白かった。甲子園など夢でしかなかった低迷期の自分たちとは違い、それぞれの甲子園のエピソード。こちらも実際応援に行ったり、テレビで観た試合もある。思えば卒業して33年。33世代の4年生が社会に巣立ち、財閥系大手企業から自営業までさまざま。多くがその世界の第一線で活躍する年代。脈々と続く学生スポーツのすばらしさ。それだけにタイムリーな日大のバッドニュースが残念でしかたがない。
 バイクなら関西で一泊も考えたが、県北の雪みたら今日は帰って明日は新雪にタイヤの跡をつけにいかないと。

12.13 "R.Y.U.S.E.I."
 各地のライブではもうかなりの数流れてる。外に出てみたが市街地では二等星までがやっと。明日から天気が崩れるし直に観るなら今日だけっぽい。あとはライブで。
 22:55にすごいのが。方角的にふたご座由来ではなさそう。

12.11
"Moon Phases 2024"
Northern Hemisphere
Southern Hemisphere

12.10 "Road Racin"
 H2 SX Rタイヤ ROAD5からROAD6へ。走行18,988km、47.3ヶ月。距離はともかく期間がまずかった。もうカチカチなので、あられ混じりの別府ではなるべくマシンを立て、かなり気を遣って走った。これから路面温度が下がるのでとりあえず安心。反対にオイルは3.4ヶ月で3,600km走行。よく走った秋。
 それにしても、リヤタイヤたった一本交換で42,000円。軽自動車のタイヤ4本全部換えてもおつりがくる。命に直結しているので仕方のいないところ。
 そして。30年お世話になったカワサキショップ(現在はバイクショップ)キティさんが今月をもって閉店。ここ数年斬新なマシンを投入するカワサキだが、20年から正規代理店でも売れるのは400cc以下だけ、401cc以上の扱いはカワサキプラザのみに。つまりカワサキを主に売る小売店では、単価の高い大排気量は売ることができなくなった。まさに代理店泣かせ、いや、代理店殺しといっても言い過ぎじゃない。
 おそらくコロナも追い打ち。移動手段としての小排気量バイクは一時販売が伸びたが、スクーターや原付二種をラインナップしていないカワサキの恩恵は少ない。
 ここ数年、いつまでみてもらえるのかという疑問を感じていたが、コロナとこの販売網再編がなければもう少し続けてくれていたのでは。なんにしても寂しい。

12.1 "Ray"
 大分のカフェで展示されている樹脂アートを目指す。天気は今一つのようだが残りの会期でのチャンスは今日だけ。11:11廿日市IC。途中で降り出してPAまで濡れたくないのと、風避けも兼ねスタートからレインウェアを着込む。
 休憩は美東での給油ワンストップのみ。九州入りしてからは遠くのいたるところで雨が降っている。周防灘に降り注ぐ雨の合い間に現れる天使のはしごは幻想的。虹が出てないかと四方を見回すが残念ながら見つけられなかった。
 14:46大分IC。目的地の「CAFE NA COSTA」へはGoogleの導きにより分譲住宅団地の中を抜けた。14万分1のマップルなら難易度高く、遠回りでも太い道を選択していたはず。例によって、バイクを左に寄せては位置を確認し「路肩の思い出」を刻む。
 "NA COSTA"はベイサイドに立ち並ぶお店の一角にあり、北側はすぐ海。かつて使われていた桟橋の支柱の上に「マッテルモン」というオブジェが。18年のストリートビューには、それはそれで味のあるいい感じのバラックが建っており、その跡地にできたわりと新しい建物のよう。お店の奥にお目当てのエポキシ樹脂アート6点がディスプレイしてあった。
 とりてん氏あらためTAGUCHI KYOKOさんとの出会いはおそらく09年ころ。北九州のバイクのコミュニティ「マイナリスト」つながり。といっても実はお目にかかったことはなく、サイトのコメント欄でのやり取りのみ。ただ11年のJSBオートポリスで出会っていたらしい。先日別府のボルシチの店「馬家溝」を訪ねて数年ぶりにメールしたところ、アーティストになっていて驚いた。
 エポキシ樹脂アートは、色や透明度の違う樹脂をレイヤーにして塗り重ね製作されたアート作品。SNSのおすすめで中華ぽい製作動画が勝手に流れてきて見入ってしまったことがあった。
 TAGUCHIさんの作品の特徴は、ベースに建設現場で使われる足場板を使用していること。学生時代のアルバイトを思い出した。ゼネコンの監督に気に入られ、竣工前の現場を渡り歩いて色々な職人の手元についた。左官屋、ボード屋、設備屋、電気屋と、そばで見た職人技が今も役に立っている。足場板もしかり。作業では足場を行き来し、解体時クレーンから受け取ってトラックに積み込んだ。金属に変わり、木製は入手が難しくなっているのでは。
 作品のモチーフもフィット。波の音が聴こえてきそうなビーチは、島ツアラーとしてはいつか見た光景そのもの。一つ欲しくなったが展示はどれも大作でいいお値段。手が届きそうな小品を受注製作できないか直接交渉してみよう。硬化前の流体の特性上一枚一枚のレイヤーの表面はどうしてもフラットになるので、厚みと板目、強度が確保できれば海側を削って深みに沿うのも面白そう。暗礁やリーフ、珊瑚のお花畑なんか埋まってたらより立体感が出る。そうなると値段的に手が出なくなるか。
 カフェを出ると15:44。大分まで来て別府に寄らないのはあり得ない。大分〜別府のR10を走るのは何年ぶりだろう。一時期通った臼杵も久しぶりに行ってみたい。
 以前泊まったカプセルホテル「グロリア」の前を通り過ぎ、自衛隊前のネズミ捕りに注意しながら訪ねたのはやはり照湯温泉。観光客はゼロですべて近所の人たち。一緒になったおじいさんたち、受付のおばちゃんと、何気ないが楽しい会話の花が咲く。
「行橋に寄りたいが」
 2年ごぶさたの行橋地蔵さんの顔が見たいが、温泉に到着した時点であられが降っていた。日曜の日帰り鹿児島と違って明日は仕事。もし美祢で凍結、一般道に降りるとなるときつい。別府湾SAで再検討しようと九州横断道に出る交差点で一時停止した瞬間。
「うわー!」
 真正面のグランシア方向に花火があがった。たぶん、あと5分早くても遅くてもだめ。強運に納得。いや、運ではなく、この時この場所にここにいるということへのプレゼント。
 17:56別府湾スマートIC。バイクの気温表示は"ICE"2度。
「地蔵さんまた来年!」
 美祢もやはり2度。もちろん氷点下の高速走行は避けるが、今年なんてむしろ夏がシーズンオフ。裸でも暑くて走れない高温より、着れば対策できる低温の方がなんとかなる。21:53廿日市IC 650km。鹿児島の1000kmはさすがにしんどかったが、片道400km以下ならまだまだ余裕。

artworks TOMBOY
https://www.artworks-tomboy.com/
CAFE NA COSTA
https://www.instagram.com/cafe_na__costa___/

11.27 "テイキング・オフ!"
 少し前、同僚に水曜日郵便局のことを話す機会があり今現在を調べてみると、「入魂の宿」とある。水曜日郵便局は、津奈木町旧赤崎小学校で行われたアートプロジェクト。16年5月に訪ねた。今回は、つなぎ美術館の企画でプールをリノベーションし、宿泊もできるアート作品らしい。1泊素泊まり2万。かなり微妙だが面白い。受け入れ可能な11/26までに機会を調整できず、とりあえずは見学のみでエンジンに火を入れた。
 夜遅くになるが日帰りのつもりでスタート。走り出してすぐ泊まりもできるよう織彦ご飯をセットしておくことを思い出したが、引き返すのが面倒でそのまま先を急いだ。10:22廿日市IC〜14:50津奈木IC。そういえば熊本に来るのは山幸さん追悼展以来3年ぶり。
 赤崎小にはそこそかしこ変化が。校舎には柵ができ、ブランコがなくなり、さっぱり小ぎれいになっている。前日1000円支払って入手したパスワードを入力しドアを開いた。アーティストの名に覚えはなかったが、犬島精錬所にも関わり、なんと広島市立大を経て尾道在住らしい。プールをビオトープに見立て、それを見下ろすように階段上にベッドルームあり(宿泊者専用見学不可)。ただ、これで2万は泊まらずとも見学で十分。
 16:00。今から帰っても21:00。もう一つ考えていたプランがあって、大分で展示してある樹脂アート。しかし日曜定休とのことで行くならどこかに泊まって明日。やはり織彦のご飯を用意しておくべきだった。どうしよう、ここまで来てもったいなさはある。地図を開いてみた。
「そうだ、おこば駅に行こう!」
 JR肥薩線大畑駅。矢岳(やたけ)駅、真幸(まさき)駅とセットで何年も前から行きたかった場所。特に大畑駅は、巨大ループとスイッチバックで圧倒的な存在感。特別列車「いさぶろう・しんぺい」に乗って訪ねる旅を検討したこともあった。しかし、令和2年7月豪雨で甚大な被害を受け、3年経った今も不通。名前だけ残っていた「いさぶろう・しんぺい」も、乗るチャンスなく先月運行終了となった。中国四国もしかり。すでに廃線となった可部線、三江線、今はまだ健在の木次線、芸備線、山口線、美祢線など、もし災害があればもう復活しないだろう。「いつか」はない。記憶に刻みたいなら、チャンスを作らないと未来永劫その機会を失う。
 道路から見下ろす谷沿いに見つけた「イル・パラッツォ」というラブホテル遺構に目を奪われた。その名前から、映画「ニューシネマパラダイス」の壊される直前の映画館のよう。博多にある同名のホテルとは別物。10年くらい前に閉業したらしい。そんなことをしているから大畑駅に着いたのは18:00過ぎ。冬至前のこの季節もちろん真っ暗。
「すごい!」
 駅舎の壁にはおびただしい数の名刺。幸福駅や夕張の黄色いハンカチのよう。一方で、もう3年列車の来ないホームにはやはり寂しさが漂っている。信号に灯はなく、光っているのは待合いの電灯だけだが、それも一つは古くなり点滅している。あることに気付いて苦笑い。これまでたくさんの秘境駅を訪ねたが、いつも真っ暗な記憶ばかり。一瞬ここに泊まることも頭をよぎったが、ドアがなく熊が怖いのでやめた。鹿の鳴き声がする。
「さて」
 矢岳と真幸に向かうが、道中これでもかという酷道。地元ならまだしも、その分時間を要し、帰りはどんどん夜明けに近づく。ちなみにハンドルバーにマウントしたスマートフォンの絵ずらが死ぬほど大嫌い。モトブログでみるのも嫌。あの操られ感。ただ使わない手はない。スマホのない時代の闇夜の山中、自分がどこにいるのかわからず何度迷ったことか。幾度となく止まり、ポケットから出して位置を確認、それでいい。いつかまたここを通った時、自分の位置を確認した場所だと思い出す。遠くに民家の灯り、満月を見上げた場所と。
「久しぶりの修行か」
 大畑〜矢岳間は民家もなく果てしないくねくね。ハクビシン(アナグマ?)やら鹿の群れやら飛び出してきてスピードも出せない。路面も万年ウエットパッチ、浮き砂、落ち葉。黄泉の国への入り口か。ほうほうの体で矢岳駅にたどり着いた。線路は大畑に増して草ぼうぼう。ガラス窓越しに展示してあるSLを確認。
「ここなら泊まれる」
 めし抜きの織彦には申し訳ないが、矢岳駅の待合いは扉があり寒さもしのげる。後ろ髪を引かれながら矢岳をあとにした。
 矢岳〜真幸間も同じく酷道。切り返しても切り返しても次から次へとコーナーが現れる。いくつか踏切があったが、もちろん機能していない。線路が撤去されていないことが唯一廃線でない証し。町に出たときホッとしたのは久しぶりかも。
 真幸駅。「20年間ありがとう」と紅白の横断幕。駅を盛り上げてきた友の会が終わるとのこと。前二つの駅と違っていたのは、信号には赤が灯っており、ホームの街灯も光っている。近所に民家はないが、幸せの鐘を控えめに鳴らした。鹿が鳴きまくるのでヘッドランプを林の方へ。光る眼が多数こちらを向いている。ここも泊まれないことはないが、やはり帰ることに。20:30、朝帰り確定。この駅もスイッチバックなのを帰宅してから気付いた。
 熊本、鹿児島を通って宮崎のえびの。民家の入り口や四つ角に、こころ旅で知った田の神さあ(たのかんさあ)がたくさん。沖縄のシーサーみたい。
 市内にある老人ホームを通過。友人のおばあちゃんちの前にある何の関わりもない施設だが、ストリートビューの車が通るとき施設内が丸見えで、スタッフもカメラ目線で何度か見ているうちに寄りたくなった。念願叶う。
 現役京町温泉駅に寄って絶句。華やかなクリスマスイルミネーションが輝く駅舎と、立ち寄った三つの駅とのあまりのギャップに驚く。ご飯を食べて高速と思っていたが、21:00過ぎにもかかわらずあたりはもう深夜の雰囲気。これからの気温低下を考えると長居は無用。時間的に種子島から帰るときを思い出した。21:30えびのIC。
 走り出しはまだ10度以上あり寒くはない。それでも疲労からSAごと休憩。滞在時間も徐々に長くなる。向かってくる車線をぼーっと眺めながら、今日見た風景を振り返る。この3年、走行距離は維持しているものの、佐賀や徳島を除いた遠出は減っていた。織彦たちが来て泊まりで出なくなった。旅は山(海)〜谷〜川〜家〜人、それのくり返し。夕方まだ干してあった洗濯物、民家から立ち上る煙、犬の散歩をしているおばちゃん。週末のSAでいっぱいのゴミをあさる地元猫。何もかもが一期一会。もう二度と会うことはないだろうし、会ってもたぶん覚えていない。ニュースでは子どものころ一世を風靡していた有名人が亡くなっていく。いつまでも当たり前だと思っていたことが、そうではないということ。
 宮原、めかり、美東すべて1時間滞在。美祢で最低3度を記録も、概ね7〜8度と苦になるほどではない。美東SAで最終給油後限界、下松で寝落ち。5:53廿日市IC。6:18帰宅。
「織っち彦っち、晩飯抜きすまん」
 日帰りと言えるのかわからないが、20時間で1,047.7km。こんな走りは残りの人生でももうないと思う。当たり前に帰るためには。

11.19 "Blue Revolution"
 この寒波でさすがに峠を越えた感じのヘブンリーブル―。種を買ったのは世羅高原農場。市内より高地の世羅でさえ8月のイベント。12月に入ってもいくつかの花が咲きそうな状況は本当にあり得ない。まだまだ青々とした葉はとても大きい。これも昨冬織彦有機肥料を埋め続けた効果だろう。
 ここ数日面白い現象が。朝の寒さでつぼみが開かず、午後気温が上がって徐々に咲き、翌朝近くまで開いている。もはや朝顔ならぬ夜顔。深夜帰宅で闇に咲くブルーも幻想的。
 視線を夜空に移し、しし座流星群を探す。周囲には高いビルや街灯がたくさん。流星は見られなかったが、一つだけ人工天体が通り過ぎた。東の空にはオリオンと大三角形。冬の星空に開く夜顔はやはり不思議な光景。
 懸念しているのは種が取れるかどうか。急に寒くなると、種が熟す前に落ちてしまいそう。これほどのジャングルになったヘブンリーブルーもたった2株から。年2個、仮に20年続けられたなら40個取れればもう人生分を充足。もし今の状態ですべて種が取れたら何度も生まれ変われるほどのとんでもない数が回収できる。
 20年後、気候はどう変わっているだろう。朝顔が秋に咲くだけならまだしも、地球規模で農作物への影響があれば間違いなく日本は飢える。言いようのない不安を感じつつ見上げた星空に、こころも身体も寒くなった。

11.14 "The Four Seasons"
 昨日雪の芸北八幡原から今日の家は夏と、秋と、冬が同居。ヘブンリーブルーはまだ枯れる気配なし。持ち帰った向日葵は、職場とキッチンと仏壇とダイニングテーブルに。3日ほど玄関のバケツに放置していたら太陽を求めて真上向いてた。まさに向かう日の葵。写真用ねこタワーの一輪挿しはこのあとひっくり返された。
 昨夜今季初めて暖房入れたらすぐに暖かいところに集まってくるげんきんなやつら。

11.11 "愛は時を越えて"
大橋純子 1950年4月26日 - 2023年11月9日
 邦楽プレイリストには必ず入れる、時を越えて生き続ける曲。

11.7 "This Wish"
 戸山向日葵畑。うちのあさがおと同様、真夏のオリオンかというくらい不思議な光景。異常な高温を憂いつつも、無数のニコちゃんマークを前にして笑顔なしではいられない。くしくも2年前とまったく同じ日。

11.4 "気球にのってどこまでも"
 2:00スタートのつもりがお約束の3:04廿日市IC。給油のみに留め6:24佐賀大和アウト。いつになく渋滞がひどい。6:55駐輪場着という、これもいつも通り。
 今年で14回目。コロナ中止で意味なく来た2回含め自分的に16回目。会場からの一斉離陸ではなく、風上から飛んできてマーカーを落とす競技フライインは久々。ここで知り合った15年来の友人たちとメール交換。
 とにかく暑い。来る途中一けたを予想した美祢も12度。そこに合わせるため真冬装備が地獄。(結局最高27度まで)追い打ちをかけるようにコバエのような大量の羽虫がたかってくる。これも間違いなく気温が高いせい。ルーティーンでは土手に寝転んで仮眠をとり、昼間会場を回って夜間係留と考えていたが、朝の競技の人がはけてもすごい人出。
 撤収!!!

11.4 "幸福の黄色いハンカチ"
 バルーンとセットの山王神社と旧千代雀酒造。(男はつらいよロケ地)神社の社は建て替わったばかり。千代雀の建屋は竹組みが露出して穴が開いているところも。いつまでも持つか。去年まで北西の角にあった蔵も取り壊されて基礎だけになっている。
 とりあえずお昼。いつものパフェ屋「そらり」はやめ数年来気になっていた吉野ヶ里のオークヒルビューを目指す。時間もあるので地図を見ず太陽の位置を見ながら北東へ向け走る。間違って入り込んだ袋小路になんと!黄色いハンカチが。こんな偶然って。
 オークヒルビューは佐賀平野を眼下に見下ろす素晴らしいロケーション。
 こうなると山田洋治を訪ねずにはいられない。三瀬の入り口にある「モクモクハウス」は、バイクでこけた吉岡秀隆とそれを助けた笹野高史が食事したシーンに登場。川の対岸に見える赤いもみじは窓枠をフレームにした奥田元宋の絵のよう。りんごのケーキは絶品。マスターから撮影時の思い出を少し。
 三瀬旧道へ。この道を通るのは30年ぶりくらいではなかろうか。すれ違うバイク多数。

11.4 "勇者 ライディーン"
 しんどすぎる。真冬ジャケット着ての博多市街地走行。ファビオ・クアルタラロ並みにジッパーを開いていても暑すぎる。脱いでも載せる道具もない。バイク温度計は27度を表示。行きの最低温度12度と15度も差がある。
 かねてより機会をみていた福岡市美術館「日本の巨大ロボット群像」。自分のためにやってくれているのかというほどジャストフィット。マジンガー、ゲッターロボ、ライディーン、ジーグ、コンバトラー、そしてガンダム。すべてが世代。超合金は必須アイテム。超レアなジーグの球体関節マグネットロボも持っていたのに、あれはどこに行ったのか。今なら高価で売れるはず。ジャンボマシンダーなんてバラして足から重りの砂袋取り出したし。
 アニメ自体も進化していたことがわかる。単なる勧善懲悪の一話完結からストーリーへ。確かにマクロスなんてラブロマンスだし、ヒロインさえ二股かけるというまさかの三角関係。優柔不断なろくでもない男なのにもてる一条輝。そこがデカルチャー!人がコントロール不可能なイデオンなんかも独特な世界観。
 実は子ども番組のターゲットは狭い。わかりやすいロボットものや戦隊ものは5〜6年くらい。(例えば自分ならゴレンジャーからバトルフィーバーJくらい。デンジマンやサンバルカンはやってるな程度)高校になるともう見なくなる。そう考えるとここで取り上げられたヒーローたちは小学生時代の自分に完璧に当てはまった。主題歌を聴けば今でもわくわくするし、そもそも歌える。
 企画したキュレーターは間違いなく同世代。違う世代の人にはどう映っているのだろう。おそらく見えているものが違う。逆に言えば、ヱヴァンゲリヲンなど見たこともない。もし地元に巡回してきたら再訪しよう。
 16:46福岡IC〜20:37廿日市IC。めずらしく早い帰宅。

10.23 "六番目の駅"
ピノロッソ40~山口線青野山駅~日原駅~青原駅~東青原駅~オアシス~本俣賀駅~美都温泉湯元館
 どうでもいい話だが、ローカル駅が好きなのであっていわゆる鉄ちゃんとは一線を画す。編集済み動画だから、青野山駅では列車が来るまで30分待った。時刻表をみると、午前中3時間1本も来ない。ただ、待ったという表現も適切ではなく、傾いていく太陽とのどかな里山の風景に時間が経つのを忘れる。
「静けさ〜幻列車〜静けさ」
 列車が来るのは一瞬。本当に次の駅に向かうのだろうか。どこか違う世界を目指し、旅人はカオナシでは。郵便局併設の日原駅以外はすべてそんな駅。
 20時も過ぎてオリオン座流星群の名残りでも見れないかと深入山駐車場に。バイクのスタンドを立てシッティングのままリヤフェンダーに仰向けになろうとした。
「あれ?」
 一瞬ふわっとしたと思ったら突然バイクの右側にもんどり打った。何時間も走っていて平衡感覚がにぶっており、天を仰いでいて受け身も取れない。沈んだサスでマシンが垂直になっての立ちごけ。こういうシチュエーションで倒れるやつは世の中広しと言えどいないのではないか。誰もいない真っ暗な山中で、あらためて星を見上げながらニヤニヤした。
 帰路、時間も遅くクマには出会わなかったが、ハクビシンと野うさぎにこんばんは。

10.23 "18 'till I Die"
織彦6歳=40歳。だいぶ追いつかれてきたぞ。同い年になるのはあと5年と少し。

10.21
憩の森~西平次林道~恵下谷林道~県71不明(あけず)峠崩落箇所~木小屋
 西平次は雨水溝多めで荒れ気味。積雪時覚えておかないと。
 不明峠の崩落場所、峠側はほぼ完成しアスファルト仕上げ待ち。マップ空撮では2か所の九十九折れを巻き込む大災害。復旧する技術がすごい。
 https://www.google.com/.../@34.4907418.../data=!3m1!1e3...
 猿軍団は湯来町麦谷。
 沈下橋は安芸太田の程原橋。夕暮れの水面に、あめんぼや羽虫が作る波紋が美しい。
 戸山でも熊の目撃情報が増えているとのこと。林道走行中も少し緊張して走った。

10.15 "風花"
 ずっとブタクサとセイタカアワダチソウが同じものだと思っていたが、どうやら違うらしい。
 益田自販機「風花」。彦ちにそっくりな野良猫発見。これから寒くなるので気を付けて。
 そしてなんと!井仁でツキノワグマ親子と出会った。新月で辺りは真っ暗。冬眠前の子連れ。止まりでもしたらタックルを受けそうなので後ろ髪を引かれながら走り去った。前回クマと会ったのはもう10年以上前で2回目。やはり子どもだけだった。もちろん近くに母親がいそうでやはり早々に退散した覚えが。全国でクマの事故が多発しているので逃げるが勝ち。

10.9
芸備線野馳駅〜市岡駅〜矢神駅〜香川飲食店
 さて、多忙明けやっとのことで走れるようになりプラン立案。福岡市美の「巨大ロボット展」は休館日。四国新宮、霧の森は今一つ押しが足りない。まだ訪ねていない秘境駅を目指して12:50広島ICスタート。県北は14時台でも19度。
 野馳駅は立派な木造。駅機能としては無人。近くの小奴可駅同様、地元タクシー会社が事務所として使っている。30分ほど列車待ち。車内はそこそこ混雑しているが乗降客はなし。
 先回りしようと二つ先の市岡駅に向かうが軽トラブロックで追いつけず。この駅は国道に面していて秘境感はなし。
 一つ戻って矢神駅。着いた時点では晴れていたが、北から雨雲が流れてきて小雨が降りだした。でもさらに先には晴れ間見えしばしの雨宿り。ここでは40分待ちでちょうど下校時間。高校生が3人下車。一人は自転車で、二人は車のお迎え。そのころには小雨もやみ虹が。
 17:00開店と同時に東城の香川飲食店に。コロナ越え4年ぶりにもかかわらず一目で思い出してくれる。ほんとに4年経ったのかと不思議。
 帰りの中国道で覆面にロックオンされる。もちろん計測前に気付いてそそくさと走行車線に。といっても最近はクルーズコントロールで18km設定の安全運転。実測5km差があるので固定オービスに撮られることは絶対ないが、人間が取り締まる覆面は気が抜けない。なにより日本国民一億総自警団。下手なことをしていると動画を世界発信される恐ろしい世の中。

10.11
 いつものように朝起きてからの気分で別府発案。とりあえず決めたのはどこかの温泉に入ることだけ。10:07廿日市ICイン。だらだら休憩しながら14:18別府ICアウト。
 インター出口すぐ、扇山ゴルフ場入口手前の下りにレーダー、ゴルフ場入口が会場。九州はこれだから怖い。広島の取り締まりは多くが幹線道で、下りというあこぎな手法は少ない。ところが九州ではインター出てすぐの下り。ありえない山道でもやっていたり、もう反則金稼ぎとしか思えない。
 遅い昼食はなんと13年ぶりのボルシチ馬家溝。寒くなるこれからの季節にピッタリ。デザートはもちろん岡本屋地獄蒸しプリン。
 駐車場で温泉検索し、近くの奥みょうばん山荘へ。貸し切り風呂が4つあり550円とリーズナブル。
 帰りに知り合いが関係者であることがわかった山口山陰堂の「名菓舌鼓」を探し、下松で無事入手。

10.2 "Glorious morning"
 朝、跳ねた脇芽を摘心していると、二人の女の子を連れた若いお母さん。
「いつも見させてもらってます。」
 ピンク、紫、赤、青、笑顔の花咲く。

9.24 "TRUE BLUE SKY"
 ヘブンリーブルーやっときた。

9.22 "Freedom"
 6種類の種をまいたあさがお。仮住まいで初めての夏、織彦うんこ有機肥料に加え緩効性肥料までまいてしまったことでつるぼけが発生。高カリウム土壌によりつるばかり生い茂って花が咲かない状況に。猛暑も関係ありそう。
 ここにきて真っ赤なルコウが咲きほこり、おなじみ白に紫の斑入りの江戸風情にもつぼみが。そして、根元の茎はもう木になり、ほぼほとんどの面積を占めているヘブンリーブル―が明日明後日いちばん花の予想。10月いっぱいは期待できるか。朝外にでるのが楽しみ。

9.9 "Nature at Play:Bach's Cello Suite"
 今日咲いた星咲少し変わっていて、ひとまわり大きく、普通が5角形に対し7角形。奥が深い。
 昨日Spotifyに上がってきていたヨー・ヨー・マはだいぶ歳を取った印象。その辺の林道を走っていたら出くわしそうな光景。映画「MISSION」の"Gabriel's Oboe"みたい。

9.7 "JET STREAM"
 久しぶりの天の川と秋の気配。このあとの走行中、飯山集落あたりできれいな星空と出会い、道端で空を見上げる。ここのところあまりにも忙しく気分低調だったが、ナイトライドと天の川で完全にリフレッシュ。
 通り過ぎていく飛行機や人工衛星。もう城達也しか浮かんでこない。冒頭のナレーションの一字一句がそこで感じたすべて。ほんと、夜のしじまの饒舌さに動き出すタイミングを失った。
「もう一つだけ衛星をみつけたら帰ろう」
 今夏あまりの暑さにTシャツだけで走ろうと、HYODのハイエンドインナープロテクターを購入。今頃シェイクダウン。走り出しの16時こそ有効だったが、日没後の吉和では無効。寒い・・・。

9.3 "夏の終わり"
 来年のカレンダーと日めくり到着。366Days。

8.31 "Moon"
 ユアーズのレジに並んでいると、前の人のかごににんにくの芽を発見。列から外れて探しに行った。
 大学時代、東急東横線学芸大学駅に住んでいた。駅近くにあった上海菜館というお店に通い、なかでも好きだったのが蒜苗(ソンミョウ)炒め定食。それ以来なかなか出会うことのなかったにんにくの芽。喜び勇んで帰宅し、よく見ると中国産だったが、なんとなくタイムスリップしたような感覚。
 どう記憶がつながったのか、同期のリキの姿が浮かんできた。絵柄は白いジャージでまだ1年生のころ。38年前のワンシーン。
 寿司むらさきが織っちの形で向きも最高なのに今気付いた。

8.30 "Ride Into The Storm"
 2か月火入れしていなかったH2SXフロントタイヤ交換。ROAD5からROAD6へ。3年半で15,060km走行。ROAD2の23,000kmには及ばないが、まずまずのトラクションを維持したままこの持ちはすごい。
 Fパッドが残1.5mmというので発注。現在25,000km。ZX-10Rは、10年で71,000km走って一度も交換しなかった。やっぱり重いってことよね。

8.30 "Evolve"
 元気な星咲きピンク、パープルは同じ一つの株から。大輪ピンクは5年目の種。黄花コスモスも持ち越した種。サルスベリは家から飛んだ種が二軒隣で根付き、立ち退き時里帰りした株。みな一緒に新居へ戻る予定。

8.27 "Killin' Me Good"
 高知マルモッタンまで見に行った青いスイレンが、実はご近所下瀬美術館にあったという。ただこの藻はいけん。水面だけでなく底にもびっしり。この気温じゃ仕方がないか。

8.21 "GAIA"
 星咲の鮮やかなピンクと淡い紫はなんと同じ株。今年も開花待ち、白に紫の斑が入る「江戸風情」もすごいが、いったいどういう機序で同じ木から違う色が咲くのが不思議。面白いのがアジサイと一緒で土壌のペーハーの影響を受ける。家は織彦のうんこがたくさん埋まっておりアルカリ。同僚宅の酸性土壌では鮮やかな紫と淡いピンク。
 開き切ってない大輪ピンクはもう5年前、廿日市のナフコで買った種の末裔。遺伝子異常を起こす花も多いが、開いたときの大きさは西洋に勝る。
 あとまだ咲いていないのは、ルコウ、大輪紫、江戸風情、ヘブンリーブル―。もう9月になりそう・・・。

8.18 "UnderTheSky"
 ウッドワン美術館「猫まみれ展」の行き。湯来「団栗亭」前のひまわりは花の直径最大30cm、いちばん太い茎7〜8cmはあろうかという極太。ほれぼれする。
 美術館手前の道端に今年いちばんのピンク彼岸花発見。
 帰りの吉和ひまわり畑。小ぶりな花の中に群を抜いて高い1本。周囲はみなうつむいているのに、この花だけが天を仰ぐ。かっこよすぎ。

8.7 "サマータイムシンデレラ"
 今季いちばんあさがお開花。6種の共演楽しみ。

8.1 "Queen of the Night aria"
 月下美人。なんと!今日咲くとは!!インスタライブ中!!!

7.18 "All My Life"
マルモッタン ボルディゲラの庭 アガベ=リュウゼツラン
 数十年をかけ成長したのち、1度だけ花を咲かせ枯れてしまう。まず、「栄養成長期」には葉を次々に出して栄養を貯めていく。原産地である熱帯地域では栄養成長期は10-20年にわたり、その後開花する。日本では30-50年で開花する。
 開花期になると「生殖成長」へと切り替わり、葉から花茎へと養分の転流が起こり、下の葉から枯れ始めると同時に花茎が急成長をする。花茎は1日に10cm程成長し、2ヶ月ほどで大きいもので高さ10mにもなり数千の花をつける。
 花は下の方から咲き始め、それぞれの花では雄しべが枯れ始めると雌しべが成長するという受粉に困難がある成長形態であるが、メキシコでは蜜や花粉を食べるオオコウモリが受粉を媒介している。午後6時以降夜間に大量の蜜を分泌しているとの観測があり、コウモリの活動時間と合致している。wikiより。
 数年前、これをみるためだけに尾道までバイクを走らせた花。50年に一度咲いて枯れるというなんとも宇宙的なライフタイムに惹かれる。母校の小学校の中庭にたくさんあり、それこそ50年前。共にした半世紀の間に咲いたのだろうか。見に行きたいが学校はもはや閉鎖空間。勝手に入ると不審者という。
 この庭園の管理者が枯れても撤去せず残してあることにも感心。50年がワンフレームに。

7.18 "Hymn"
 モネの庭マルモッタン。長年栽培したい願望がある蓮。仏様の台座や仏壇の装飾、落雁など仏教思想ともかかわりが深い。大きな甕が必要なので再来年以降新居に戻ってから。ボウフラ対策にメダカを放つとかいろいろ画策中。この庭では水連もすごいが、やはり育てるなら蓮。
 イギリスのコンストラクター。「ロータス (Lotus) とは、英語で「蓮」を意味する。グループエンブレムの中にも角の丸い三角として描かれており、創業者のコーリン・チャップマンが仏教思想を取り入れ、「俗世の苦しみから解放されて夢がかなう実」とされる蓮にちなんで名付けたとの説が有力である。エンブレムの「A・C・B・C」は、アンソニー・コーリン・ブルース・チャップマンのイニシャルである。」wikiより。
 まだ10Rに乗っていたころ、京築アグリラインでエキシージにぶっちぎられた思い出あり。

7.9 "Aluminosity"
 上半期走行距離1,000km/月ペース変わらず。コロナあろうがなかろうが、減りもせず増えもせず。
 ウッドワン 「アートの中の自然図鑑」 6.30、久々にマイセンも堪能。
 筆の里工房 「こびとづかんの世界」 7/8、織彦、シーリングライトにかけたカクレモモジリに反応する。
 元宋 「リサとガスパールのおもいで」 7/8、10年ほど前、2年続けてリサとガスパールの手帳を使った。
 瓢箪堂 「黒砂糖のSummer TIME」 7/9、雑貨5点購入。

6.27
"Rain"
"Rain"
"Rain"

6.23 "Rain Song"
 My Flowerbed。6種あがさおネット張り。

6.21 23:57:11 "Summer Solstice"

6.9 "Cherokee"
404 is Here ! ! !
 FBにGoogleマップの現在位置共有リンクを貼ってスタート。誰が見ているかはこちらでわからない。
11:05、廿日市ICイン。
12:39、美東SA。九州入りしてみる?!湯布院雨乞牧場の「うんこ」が浮かぶんだが。つい最近、よく見ているYU.SR500さんの動画にも登場していた。
13:49、壇ノ浦PA。天念寺も浮かんできた。夏至間近、日は長い。大分方面へ。
14:30、今川PA、アイス休憩。ここで目的地設定、鬼会の里に向かうことに。
15:15、宇佐ICアウト。
16:06、15年前、天念寺入り口のトイレのベンチで一泊。
16:14、無明橋登頂開始。登山口にセンサー監視カメラが設置している。
16:37、無明橋。実に10年ぶり。前回がつい昨日のよう。
17:07、さて、帰るか?ひとっ風呂浴びるか?別府方面へ。
17:26、県道655は苔むしウエットパッチで危険きわまりないが、エンジンを止めるとウグイスの楽園。森のナチュラルなエコーに選択した道が間違いでないことを感じた。
19:04、鍋山も考えたが共同浴場で検索、照湯温泉へ。
19:57、別府の知り合いのお宅に寄って帰路に。現在位置共有終了。
20:39、別府湾スマートICイン。
00:40、廿日市ICアウト。
 いろいろなことを感じた面白いデイトリップだった。かつて訪れた場所、行ったことのない場所を区別しない。止まったところで次を考える目的のない旅。
 ナビやスマートフォンをステアリングにマウントした絵ずらが大嫌い。もちろんグーグルマップは使うが、3つくらいの分岐と道番号、交差点のランドマークを覚えてポケットにしまう。おかしいと思ったら躊躇なく止まって現在位置を確認。戻るかそのまま行けばどうなるか検討する。スマートフォンがない時代、この現在位置の把握がもっとも難しかったが、これを利用しない手はない。画面ではなく、周囲を見回すことで、季節の花や面白いトマソンが目に留まる。グーグルに案内された道を受け入れるのではなく、自分が走りたい道を走る。苔むした道のウグイスもその一つ。
 十文字演習場から、鶴見岳、由布岳を遠望する道は何度来ても言葉にできない。海岸近くの1,300m峰は広島にはない。
 岡本屋に降りてくる明礬温泉の硫黄の香り。旅の原点は那須の秘湯だった。いたるところで湯気が噴出する光景は、40年経った今でもわくわくする。
 天念寺無明橋。滑落事故があったのかフクロウのセンサーカメラが設置してあり、控えめなアラームが鳴っていた。確かに道が荒れ気味で踏み跡がわかりにくいところがあった。それより、たぶん人生でいちばん体力が衰えているのを感じて愕然とした。この4年間の情勢と、加齢合わせ、途中で何度も休んだ。滑りやすい急登や鎖場が多数あるが、いままでこんなことはなかった。受け入れなければならない衰えなのか、運動不足なのか見極めが必要。
 照湯温泉。この4年間走行距離はまったく変わらず、コロナの影響はほぼ受けてないと思っていたが、やはり温泉など人が多い場所は避けていた。湯船で地元の方と語り合う、忘れていた素晴らしい出会い。ここのところYou Tubeで「なんしーおじさん」とか、「排気量マウント」とか、自分のコミュニケーション能力を棚に上げて他者批判する風潮にうんざりしていた。減るもんじゃなし、排気量くらい教えてあげればいいじゃないか、ぶち回せる小排気量のすばらしさを教えてあげればいいじゃないか。知らない人と出会い、知らない話を聞く。それも旅。
 別府知人宅。今の仕事をするための資格を得るため、13〜14年に通った学校の恩師の実家で、16年に泊めていただいた。もちろん今回はお邪魔するつもりはなく、玄関先まで行って引き返すつもりだったが、電気がついていない。胸騒ぎを感じて恩師にメール、すぐに返信。
「両親は亡くなりました。」
 7年前元気に相手してくれたお二人。7年という長いような短いような間にいなくなってしまった。かつて旅先で行き残した場所は、また行けばいいと思っていた。しかし次に思い立ったとき、もう存在していないかもしれない。自分の体力も、時とともに衰えていく。
 万物は移りかわっていく。今を記憶するために、また旅に出よう。毎日がいい日旅立ち。

6.3 "The Hardest Part Is Losing You"
 H2 SXフロントタイヤROAD5が40か月14,270km、そろそろスリップサイン。ROAD6がマッハで22,900円。もちろんフロントのみ1本。軽自動車なら1台分4本でもおつりがくる。
 危険回避においてもっとも命に直結するのがフロントのトラクション。ステアリングを介して路面を感じる。ライダー込み300Kg超をわずかハガキ一枚の接地で止める。
 走行距離、スリップサインはもとより、この40か月が安全確保に矛盾しているのは自覚。とりあえずポチっとして今日どうする?なんとなく西へ。SAトイレでまた考えよう。
 ROAD5/F、もう一日よろしく。

6.3 "ごはんができたよ"
 土鍋を使い始めて何年にもなる。炊飯器が壊れ、ネットを検索した。長いこと使う器具だけに奮発して10万前後のハイエンドを当たった。その中で出てくるキーワード。電気<ガス<ガス炊飯器。高い炊飯器にでてくる言葉。
「まるで土鍋で炊いたような」
「ん?」
「じゃあ土鍋でいいじゃん」
 大黒ごはん鍋ハイエンド5000円。研いで30分浸す。そのあいだほかの食材の下ごしらえ。タイマーが鳴り火にかける。仮住まいではIHのため大昔キャンプで使っていたカセットコンロを使用。
「始めちょろちょろ中ぱっぱ」
 下ごしらえの続き。湯気が出始めたところで強火。鼻を近づけ、怒り狂う鍋の機嫌をうかがう。全国放浪旅で日常だった鍋炊飯のノウハウはそのタイミングを逃さない。少しだけ焦げたにおいがしたところで火を止め15分蒸らす。
「かにの穴!」
 底のおこげを掘り起こし全体に空気を通す。これまで一度も失敗なし。仏壇におはちさんを供え、すぐおろして自分の茶碗に。おかずもジャストタイミング。4合炊いてあとは茶碗一杯分に小分けして冷凍。
 片付けも簡単。丸洗いしてよく乾かし食器棚へ。へまをしない限り半永久的に壊れない。
「10万の炊飯器いる?」

 矢野顕子の「ごはんができたよ」を初めて聴いたのはもう40年も前の中学の頃。父も母もいなくなり、コロナ、戦争を通して今聴くとまた違った感覚。矢野顕子は宇宙にも精通していて、宇宙飛行士や篠原ともえとも交流あり。
「静かに夜は来る、みんなの上に来る」
 善悪ひっくるめた宇宙思想。全員がプレイヤーでありコンポーザーでもあるYMO周辺。すごいな。

6.3 "絆ノ奇跡"
 コロナを乗り越え実に4年ぶりの吉水園。昨年秋には再開したがタイミング合わず、もちろんカワサキライムグリーンの彼らはいなかった。今回驚いたのは1人の女子に3人の野郎が群がる図。
「誰の子かわからんじゃん。」
 いやいや、人間の思考で物事を考えるのはナンセンス。生物の最大で唯一の目的は種の保存と増殖。誰の子どもかは問題ではなく、可能な限り強い遺伝子を後世に残すこと。ねこ団子ならぬカエル団子に見えなくもない。しばらく一般公開のなかったビオトープは、前にも増していきものたちの楽園となっていた。
 たい焼きよしおがメインストリートから旧駅前に移転。
 帰路、挿し穂をいただいたスイートキッチンananasさんに咲き誇るアジサイの報告。こちらのアジサイは開花までもう少しかかりそう。ジギタリスの花がひときわ目立っていた。

6.2 "You and I"
 いただいた切り花。つぼみ二つを咲かせるぞ。

6.1 ""
 本日種まき。あさがお6種(大輪紫、大輪ピンク、ヘブンリーブル―、江戸風情、星咲き、るこう)、オキシペタラム・ブルー・ホワイトスター、コスモス、きんぎょそう。きんぎょそうは骸骨を潰しながらまいたので種の数としてはとんでもない量。どうなるか楽しみ。このあと雨、水入らず。
 動画では織彦うんこ堆肥の香りを伝えられないのが残念。うんこにかかっている白いケサランパサランはオキシペタラムの種の翼。

6.1 "Hare Hare"
 2年前の6月、行きつけのパティスリー「ananas」さんよりいただいたアジサイの挿し穂がほれぼれする花を咲かせた。来年まで鉢で管理し、新居で地植えにする予定。
 先月丸坊主剪定したがじゅまるが芽生え。キジムナーたちもご機嫌良さそう。
 くびれがセクシーなオステオスペルマム ピッコロ。今年は花がらを摘まず黙々と人工授精。一生分の種を収穫できそう。種から育てるのは未知数。とりあえずこの冬実験。挿し芽もいいけど種からの方が思い入れあり。

5.23 "Living in a dream"
 中国道で北見と釧路の警察バス見送る。
 元宋小由女「菱田春草と画壇の挑戦者たち」思った以上に良かった。しかしアーティストは短命。
 今年もそらの花畑 世羅高原花の森 のローズフェスタへ。まだ5分咲きというが十分。写真では絶対わからないのが香り。開放空間なのに大気に香るバラの楽園。住みたい。
 さて、再来週は4年ぶりにやつらに会いに行くぞ。
吉水園 http://yoshimizuen.com/

5.23 "heart notes"
 大分・国東をストリートビューしていて不思議なことが。
 2012年12月放送の「こころ旅」。火野正平がコーヒー休憩した「ひなた焼き菓子店」というカフェがずっと気になっていて、4年後の2016年に訪ねることができた。今はもうグーグルから消えていてやってないよう。近所の道をネット散策していて断片的な記憶がよみがえってきた。
「確かお店の周囲に何件か雑貨屋があって歩いてまわった。小さな川の土手にあった古民家に入ったような」
 見覚えのある街並み。ストリートビューのない小道に「すずめ草」というギャラリー。
「あっ!」
 クリックして息をのんだ。そこにあったのは家の玄関の光景。
 個展があれば訪ねている地元広島のギャラリー「瓢箪堂」。おととし21年10月に訪ねた「よつめ染布舎 型染の手仕事展」で2枚の手拭いを買った。不苦労、福来ろうとして縁起物の色違いのふくろう。飛んでいる柄はめずらしい。1枚2000円もした高価な手拭いだが、なるべくなにかを買うようにしている。それが作家の創作継続への寄付のつもり。玄関につっぱり棒を渡し、のれんとして使っている。まさに同じ絵がグーグルから飛び込んできた。
 今から7年も前に訪ね忘れていた場所。5年後に偶然再会しても気付かなかった。そしてさらに2年経ち、なにげないグーグル散策からまったく違う時間と場所がつながる不思議。いつも思う。初めて会った人でも、実はどこかですれ違っていたんじゃないか。旅と出会い。これだからやめられない。

5.17 "風のとおり道"
 大根島「由志園」で5/7まで開催されていた「ぼたんまつり」に行けなかったのと、これまで2回空振りだった蕎麦「かくれ庵」さん3度目の正直。でも今日の旅は結局志村けんと上島竜平、いや、この3年がなんだったのか。答えの出ない堂々巡りに終始したような。
 慣れは怖い。今だコロナで亡くなっている人はいるのに、もう数字すらあがってこない。一人亡くなれば何人もが悲しんでいるというのに。
 風の見える休耕田。白鳥は優雅に泳ぎ、牛と鷺は戯れ、ツバメは子育て真っ最中。でもまだ世界のどこかで戦争は続いている。

5.10 "Breakthrough"
 せらふじツアーからレトロ自販機福原商店へ。帰路についてすぐ、右の川向こうに酒蔵のような煙突を見つけて脇道に入った。門に至る橋がとてもいい。荒れてはいるが、飛び出した木は剪定してあり、ALSOKのステッカーと防犯カメラ。管理はされているよう。帰って地図をみてみると。
「あー、なるほど!」
 その建物は日野家住宅といい、映画「吟ずる者たち」のロケにも使われたらしい。比嘉愛未主演の映画は、公開当時気になっていたが機会を逃していた。さっそく鑑賞。
 ありがちなストーリーを、二つの時代と実在の人物を絡めて感動的に描いていた。脇道の景色から素晴らしい出会い。秋には建物の一般公開もあるよう。
日野家住宅 http://hinokejyuutaku.main.jp/

4.30 "Tonight's Sky"

4.21 "Heaven Knows"
「Heaven Knows」
 10年以上使っている聴診器に刻んである。歌詞はともかく、この曲のタイトルからとった。通常名前を入れるためのサービスだが、2つの思いが込められている。生まれてから死ぬまで、一度も休むことなく動く続ける心臓と、生命に対する畏敬の念。また、生殖器に次ぐ究極のプライベートとして、他人の体内の音を聴くという恐れ多さ。
 11年前の7月14日朝、この聴診器を通して父の心音が途絶えた。よくテレビで見るような、波形がいきなりフラットになるのではなく、ゆっくりと、少しずつ弱くなり、フェードアウトするように85年の役目を終えた。
 時は流れ、去年4月21日。午後までのなんでもない日常は、1本の電話で非日常に変わった。21:45、母の拍動は、握った手の中で止まった。死亡診断は21:47だが、意味を持たない。この2分が、最後を一緒に過ごせた証し。90年と9日動き続けた母の心臓にお疲れ様。両親二人を送れたのはこれ以上ないギフト。
 今日流れていく時間の一瞬一瞬に母を振り返る。21:45まで、まだ母は存在していた。
 去年母の日に数年ぶりに花を咲かせ、先週91歳の誕生日に開いた椿はまだ咲いている。散るときいきなり花ごと落ちるため忌み嫌われることもあるが、捉え方しだい。今日花を落とすのではないかとひそかに期待している。
「すごいじゃろ」
 母が笑っている顔が浮かぶ。
 自分の心臓はいつまで。「Heaven Knows・・・」

4.12 "Mademoiselle de Paris"
 何年も前、日当たりを確保するため切った庭の赤椿。根まで引き抜いてやろうと引っ張ったが、切り株だけが残った。
いつしか新しい葉をつけているのに気付いた。そして去年5月8日、生まれて初めての母のいない母の日の朝、たった一輪だけ赤い花を咲かせた。
 去年暮れ立ち退き引っ越し。母の日のことがあり何とか持って行こうと掘り返すと、抜けなかった根があっさり抜けた。
 今年も一つだけ花芽をつけた。また母の日くらいに咲くのだろうと楽しみにしていた。さっき夜勤から帰り、開いていた。椿の咲く季節。たまたま今日咲いただけ。偶然、ただの偶然なんだが。
 生きていれば今日91歳の誕生日。孫も21歳の誕生日。昨日でもなく、明日でもなく、今日91歳の誕生日に花開く。とりあえず、母はうまいことやってるんだろうと、偶然思った。

4.11 "Slow"
 08年9月蒲刈〜豊島。同年11月の豊島大橋開通で消えるフェリーに乗った。港には軽1BOXを改造したうどん屋さん。航路廃止で港もなくなり、どうなったか気になっていた。
 時は流れ22年春。初めて訪ねた「Cafe ななくに」さんでその話をすると、なんと妹さん。海辺に出てうどん屋さんを続けているとのこと。すぐに行きたかったが、高齢のため夏休みだったり、ご主人の怪我で臨時休業だったりしてやっと行くことができた。目の前には波光きらめく海と散りゆく桜。おばちゃんにあの時の写真を見せて15年の時を埋めた。
 そのまま「ななくに」さんへ。まだ3度目ながらほぼ常連。センスがちりばめられたパンを買って帰る。
 最後は必ず立ち寄る白雪楼。海峡を見下ろし、畳に寝転び、少し肌寒い春の風を感じる。遠くまで行く必要はない。フェリーはなくなっても、走ることが新たな発見への渡し舟。

4.10 "風の中"
「織と彦の2000日」#24
 この4月14日、彼らと出会ってちょうど2000日。5歳半はもう38歳になるらしい。野良猫ならもう天寿をまっとうする時期。これを書いている最中、ちょうどテレビで星野道夫の番組を放送している。最近ほとんどテレビをつけることがないのでどこか導かれたような気が。
 印象的なエピソードがあった。交流のあった作家が、当時星野がトナカイの骨を撮り続けていたと。
「限りない循環。生き物は大地に帰り再生する。同じ分子が無限に繰り返す。違う形で。」
 まったく同感。スピリチュアルな世界など笑い話。宇宙の流れの中で魂など存在しないし、生まれ変わりなどない。ただ、恐ろしく客観的に、分子は形を変えて循環している。
 仮住まいに引っ越し、庭を耕し、彼らのうんこを埋め続ける。今まさに分解され、肥沃な土を作る。今年もあさがおの種をまき、変わらない花を咲かせてくれるはず。いつか織彦もいなくなり、自分もそのあとに続く。願はくはその順番で。
 彼らが来て、長い旅が出来なくなった。その代わりに、春夏秋冬日帰りで行ける花、木、場所、人を訪ねる。
「あと何回?」
 けっしてネガティブなカウントダウンではない。毎年同じとき、同じ場所に咲く花も少しずつ変わっていく。それを見つけるためまた走り出し、彼らに夕飯をあげるため帰ってくる。次は3000日。

 偶然にも昨日、記録に残る移動ツールの走行距離合計が48万キロを超えた。地球12周。
 実のところ仕事で運転した期間もあるし、DIOやNS400Rなど記録が不明で加算されていない距離も少なくないが、自分ルールには影響なし。あくまで通過点、次の50万キロまで線はつながっていく。

4.9 "HEART OF MINE"
BOBBY CALDWELL
1951.8.15~2023.3.14
 昨日佐藤竹善のラジオで知った。影響を受けた人たちが次々と亡くなっていくのも、そういう歳になってきたということなんだろう。

4.3 "Castalia"
坂本 龍一 1952.1.17~2023.3.28
 同じ年に生まれ、未来の音楽を生みだし、同じ年に亡くなるとはなんという縁。

3.30 "Tonight's Sky"

2.28 "Tonight's Sky"

2.8 "アルジャーノン"
 多忙の中やっと雪遊び。この橋とその後の急登が鬼門。前にもここで引き返した。ヘルメット雪だるま製作。去年と区別がつかないデジャヴュ。いつ天上山へ抜けられるか。きっとそのころが春。
 乗り換えてレトロ自販機観音茶屋〜欽明館。観音茶屋は災害で水没したが何とか復活。誰もいない山間の道に有線放送が暖かい。グッズのあった汎用機はいまだ電気が消えている。
 欽明館で面白いことが。うどん後コーヒータイムに、半キャップZとダイネーゼつなぎR3のやんちゃ坊主が爆音で乗り付けてきた。こちらが電話が終わり間髪入れずにR3。
「H2ですか。写真撮ってもいいですか」
 田布施から来たという二人。目を輝かせてバイク談義。これまであまり感じたことのない若さへのうらやましさが。帰り路面に気を付けて。
 これまで見たことがない景色を求めて走り回ってきた。いつの頃か、毎年同じ場所、同じ景色を見ることが幸せに。何も変わらない、いや少しずつ変わっていく。おそらくこれからの5年間が人生のハイライト。

1.31 "Tonight's Sky"

1.18 "Diva Dance"
 年末、連日の夜逃げ引っ越しから体力回復しないまま新築相談。まだ六畳二間が通れないほどの段ボールの山。ただ、この歳で単身一戸建ても珍しいコンセプトではある。当初より壁のないワンフロアで検討中。

1.11 "COSMIC SURFIN'"
高橋 幸宏 1952.6.6~2023.1.11
 Facebookの1.1に"Energy flow"をあげたばかり。

1.7 "I feel Coke"
 つい先ほど、佐藤竹善のラジオでこのCMについてふれていた。たくさんのコメントにある通り、誰もが輝いていた時代。
 あれから35年、もういない人も多いはず。コンポーザーの井上大輔はGSというより「哀・戦士」世代。衝撃の自死からもう20年以上。あらためて検索してみると、奥さんと合わせてとても悲しい終わり方だったよう。
 日常まだ衰えを感じることは少ないけど、このCMを見ていると過ぎ去った時間を感じずにはいられない。上田正樹はちょっと違うような・・・。

井上大輔「哀・戦士」https://youtu.be/ZbQI9Iqbj2w

1.6 "133 Days on the Sun"

1.1 "Don't Look Back"