2020
12.30 "Tonight's Sky"

12.29 "白衣のひと"

12.28 "Nonsite"
 検査陰性を受け雪を求めて県北へ。雪に覆われた場所はなく路肩や橋、日陰の吹き溜まりにスノーパッチの状態。山頂でやっと、降って数日後のアイスバーンに遭遇。夕日の照り返しの美しさといったら言葉にできない。踏まれていないところにはここの住人たちの足跡。林の中からこちらの様子をうかがっているかもしれない。
 雪中アタックの楽しさはずばり物理の支配。摩擦、慣性、運動・位置エネルギー。どれを軽視しても強烈なしっぺ返しを食らう。二本足で止まっていても滑りそうになるアイスバーンの下り。フロントブレーキを握ればあっという間に路面を友達に。意識するのは大地へ垂直のベクトル、エンジンブレーキ、ステップ荷重。つるつるバーンに誘ういくつものトラップは、間違ったライン取りをする自分を地面にたたきつけようと待ち構えている。
 アスファルトに出て身体の力が抜けるのを感じる。今怪我をして救急外来の手をわずらわせる訳にはいかない。転倒しても怪我しないふかふかの降雪が待ち遠しい。
 帰宅後、チャッピーとの「北九州ここどこ」やり取りがことのほか楽しかった。

12.21 19:02:26 "Winter Solstice"

12.8 "風を食む"
 まとめて4冊新刊購入。アクセント「のら猫拳」「銀河英雄伝説列伝1」真家泉「きょう出会う空」「折れない心のつくりかた」
 「のら猫拳」はインスタ、ツイッターもフォローしている九州の著者。釣り竿で猫じゃらしを動かし飛び上がった瞬間を止めている素晴らしい写真集。「銀河英雄伝説列伝」は田中芳樹も監修したトリビュート短編集。「きょう出会う空」はウェザーニュースのキャスター作った空図鑑。「折れない心のつくりかた」は近々やる研修の資料に。どれも面白そう。

12.6 "クロノメトリー"
 無事カプセルを届けてくれたはさぶさ2のその後に驚き。ボイジャーのように永遠の旅に出るのかと思ったら、11年後!10分に1回高速自転する小惑星1998 KY26を目指し、人のライフタイムを無視した旅を続けるらしい。
 11年後この記事を見返し、小惑星到着のニュースを見ることができるだろうか。それとも、自分自身が星になっているか。さて、どちら。

 母の難題に際し島へ。困った時だけ神頼みでもないし、今のご時世では神仏もキャパシティオーバーなはず。しかし出だしからつまずく。少しうとうとしたため12:25のフェリーに間に合わず。それならと寄った出島で小銭なし。財布を開けると万札のみ。セブンで両替する気もなく失意のまま走り出した。
 途中も40kmで走る車に何度も出会いいらいらするが、交通安全期間中だし無理をすれば絶対いいことにならない。結局ゆめタウン江田島まで引っ張って弁当を買った。花も買えたので良かったかも。
 墓の前で遅い昼食。目の前の早瀬の瀬戸が光り輝いている。墓の左の法面の崩落が進み、2段目まで埋まっている。正月に母方本家のいとこに連絡したが気のない男。今となってはコロナで動けない。
 祖母、祖父、曾祖父に助けを請う。絶対なんとかしてくれるはず。もう一つの墓所ではまた蓋が取れて骨壺がむき出しになっていた。
 かつて茅葺きの母屋、蓄音機のあった土蔵、十間長屋が建っていた場所は更地となり、子供のころからあるだいだいの木が大きな実を付けていた。その向こうにある隣の家の玄関に人影ありバイクを寄せた。母と同級生のおばさん。おじさんはこの9月に亡くなったと。耳も遠く膝も悪いが、独居で三度の飯は自分で作り、買い物もタクシーで買いに行くとのこと。ちゃきちゃきだった母の今を話すと残念がっていた。イケ面だったおじさんを亡くしてまだ3か月。寂しいに違いない。
 帰りも船のタイミングが悪く自走。母より年下となった祖母がきっと何とかしてくれる。

 先日ネットで7000円のなんちゃって真空管プリメインアンプを購入した。ずっと使っていなかった古いBOSEの111ADを接続。87年ころ購入し、初代ジムニーに載せて日本中を駆け回ったスピーカー。真空管の柔らかい音はジャズ、クラシック向き。ヴォーカルが浮き立つ。ほのかに光るチューブの雰囲気は良いし、面白い組み合わせではあるが、ポップスやロックでは明らかに低音が不足している。それで久しぶりにブックシェルフのスピーカーを購入した。デンマークのDALIをいうブランドでペアで5万のグレード。そうなると7000円のアンプでは心もとない。そこで何年も2階に放置していたアンプをリビングに持って降りた。同じく80年代後半に買ったKENWOODのDA-1100EX。当時はレコードからCDへの過渡期。D/Aコンバータ内臓が売りで、定価を調べると14万もした。他にもセパレートのCDデッキ、カセットデッキ、サラウンドプロセッサーなどそれぞれ10万クラスのハイエンドの機種を購入しており、バブル真っただ中のすごい時代だったと思う。ほとんどをそろえた秋葉原の石丸電気を検索すると、吸収合併されてエディオンとなっているのに驚いた。
 重さ20kgあるアンプはおろすのに一苦労。久々に電源を入れ、DALIのスピーカーを接続した。最初バランスノブがガリって音が出なかったが、ぐりぐりしてるとかつての音を取り戻した。音源は自宅Wi-Fiのみ使用可能な古いスマホでSpotifyとradiko。アナログ接続だがやはり7000円のアンプとは違うし音質も調整できるのでいいきっかけはなった。
 真空管アップはもったいないのでKENWOODのREC OUTから出力して4スピーカー駆動に。音の厚みが増した。大きな音の出せない深夜なんかは真空管だけで聴ける。でかいアンプはリモコンなんて付いてないし、音量調整は行ってどでかいボリュームノブを回さないといけない。リモコンが当たり前になってる自分に気が付いた。そういえば島の母屋に壊れた真空管のテレビがあったのを思い出した。

12.3 "What's Up"
 どう行動すべきか。

11.27 "果てない星の物語"
 いよいよはやぶさ2帰還。

11.25
"Moon Phases 2021"
Northern Hemisphere
Southern Hemisphere

11.24 "Tonight's Sky"

11.23 "男はつらいよ"
 佐賀県小城、嘉瀬川を横切る国道43号の西詰に、「千代雀酒造」という廃業した酒蔵がある。その存在を知ってからもう10年は経つ。バルーンの特設キャンプ場からほど近いその場所、当時の検索により寅さんのロケ地だったことを知った。この夏映画配信サイトと契約して古い映画を自由に見られるようになり、なんとなく選んだ第42作「ぼくの伯父さん」。
 映画はタイムカプセルだった。「ぼくの伯父さん」は90年の正月映画。ストーリーは89年秋、10月21日から22日週末の出来事。すでに体調が悪くなり始めていた渥美清に代わり、その甥の満男のラブストーリーとなる。自分自身が東京に住んで4年目であり、諏訪満男(吉岡秀隆)は映画設定上も実年齢も3つ下で同世代。何より1989年は自分の人生の転機となる忘れられない年だ。
 1989年、昭和64年/平成元年。年号が変わったこの年、23歳というわりと遅い年齢で車の免許を取得した。サイトの旅履歴の開始となるのもこの年から。「ぼくの伯父さん」では満男がヒロインの後藤久美子を追いかけて東京から佐賀までバイクで旅をする。満男の駆るSPADAは当時女子が乗るイメージだったが、部屋にはかなり通なステッカーを貼っていたり、自分が今でも使っているコースの防水バッグを使っていたりと思わず唸る設定あり。机に尾崎豊の「回帰線」(レコード!)があった。寅さんが満男に未成年飲酒をさせる場面も。今ならあり得ない設定に古き良き時代を感じる。
 第10回のバルーンフェスタ会場、バルーンさが駅が新設工事中だったり貴重なシーンがあった。コスモスと彼岸花が咲き誇る中、千代雀酒造が登場する。東京の満男の自宅もそうだが、部屋に置いてあるものにいちいち反応してしまう。魔法瓶、炊飯器、数々の台所用品。何もかもが懐かしい。居間には千代雀の日めくりもかかっていた。
 満男と後藤久美子のその後が気になり、最後の48作目(95年)、回想の49作目、昨年公開されたばかりの50作目まで一気に観た。どれも素晴らしい映画だった。テキ屋の寅さんとは切っても切れない現地の祭り、「嘘だろ」といつも突っ込んでしまう偶然の出会い。安心のレギュラーキャストに加え、役を変えカメオ出演する馴染みの脇役たち。すべてが納得の予定調和。
 96年、渥美清が亡くなる。そして50作「おかえり寅さん」。いるのが当然だったおいちゃんおばちゃん、タコ社長、笠智衆の御前様、星野哲郎、山本直純、尾崎豊、SPADAをプロモーションしていたHONDAつながりのアイルトン・セナ。みんなみんないなくなってしまった。「ぼくの伯父さん」から30年をたった数日で駆け抜け、現在の千代雀酒造の様子を思い出し何とも言えない喪失感に襲われる。
 ここ数ヶ月、放浪の虫がうずいている。終盤、檀ふみに向って寅さんが言う、「風のやつが、東から西に吹いてますんでね、西へでも行きますか」。ほかにも突き刺さるセリフが満載。最後の放浪旅から13年が経過した。残りの人生と貯えを計算したりもしたが、それを踏みとどまらせる二匹がこちらを見ている。微塵も興味のなかった映画に感じる郷愁。良くも悪くも歳をとったということか。そうそう、50作目、満男の書斎に雜賀さんの「軍艦島 - 棄てられた島の風景」があった。

11.4 "2020夜間係留"
10.29 Facebook
 例外なく中止のあおりを受けた佐賀バルーン。夜間係留の無観客ライブ中継とのこと。クラウドファンディングに参加。
「行ってみよう」
 河川敷に寝転がり、嘉瀬川の風に吹かれるだけで充分。旅履歴には13回目の参加と。

11.3 10:58 Facebook
 昨年のさがバルーンの帰路、気まぐれに寄った熊本が山幸さんとの今生の別れとなった。5月に山幸さんはいなくなり早くも一年。
 本日無観客夜間係留とのこと。検索すればそう時間はかからず場所を特定できそうだけど、放送棟の土手に寝転んで、スマートフォン疑似ライブといきましょう。実は会場だったりして。
 間に合えば友人おすすめの背振オークヒルビューで遅いランチといきたいけど、山幸さんマグで珈琲飲んでスタートは午後か。結局パフェ屋そらりかも。

11.3 19:47 Facebook
 放送塔のある土手に座り、スマートフォンで夜間係留ライブ。草ぼうぼう、あまりにも真っ暗でもちろん誰もいない。人があふれかえっていた例年が夢のよう。コロナの恐ろしさをいちばん感じたのは今かも。
 寂しそうな月が昇ってきた。デスペラードを聴いて帰ろう。

 05年初めて訪ね、種子島にいた12年13年、骨折入院してた15年をのぞく12回。阿波おどりと並ぶルーティーン。連日感染者が報道された6月早々に中止発表されたが、無観客でのイベント開催。高速に乗ったのは15:00といういつもの流れ。
 正直、現地での寂寥感は言葉にできないほどだった。例年11.3と言えば、夜間係留はないが遅くまで露店が並び、土手にはたくさんの人、臨時開設のバルーンさが駅はごった返していた。昨夜19:00前に土手に到着しまず驚いたのが雑草に覆われていたこと。当然と言えば当然ながら、イベント中止で手入れされないことでこんなにも印象が違うのか。出会ったのも散歩のおじさん一人。先の見えない中、来年どうなっているのか想像もつかない。
"Desperado"

10.28 "Tonight's Sky"

10.25 "Heaven Knows"
 地植えの西洋朝顔。夏の間、花は咲くがしっかり開いたのを見たことがなく、ほんとうに朝顔か疑っていた。9月になって一転、毎日たくさんの花が開いた。脇芽から一つだけ咲く大輪朝顔と違い、一房に3〜5つの花芽ができるのが特徴。白い花びらと中央に淡いピンクはしとやかで可憐。まれに紫の筋が入ったものも。ところが10月に入り予想もしない事態に。
 いったいどういう遺伝情報なのか、ただ一つの枝から毎日一輪だけ紫の花。11月も近づいた季節外れな朝顔に毎日朝が楽しみ。たった一日だけ二つ咲いた。極めつけは、一つの花に5分の4の紫と5分の1白に紫縞。この枝から取った種は何色の花を咲かせるのだろう。

 織と彦が3歳を迎えた。人間で言えば28歳らしい。あの台風の朝から3年。いたずらに困ることなく、穏やかな2匹に育っている。

 オーストラリアのシンガーRick Priceの"Heaven Knows"は92年に買った同名アルバムの収録曲。自分の聴診器に刻んだ一言でもある。歌詞の内容は失恋の曲だが、タイトルのみに他人の体内の音を聞くという思いを込めた。父の心音が停止するときもその聴診器を使った。
 Rick Priceを検索してみると、30年前とは別人だが良い歳の取り方をした彼の元気な姿。ファルセットを抑えた今の歌い方の方が耳に心地よい。使い込んだアコースティックギターも年輪を感じさせる。
"Heaven Knows"~2019~
"Heaven Knows"~2020~

 先日の高速1区間ツアー。五日市から乗り、中国道から山口を回って山陽道へ。乗った五日市を一つ過ぎた西風新都で降りて300km250円。途中ではSA・PAをSTOP and GO。色々なナンバーのトラックと遭遇し旅心をチャージした。夜の高速道路は車に乗り始めたころから続く原点。

10.7 "Eruption"
Edward Van Halen
Jan.26 1955 ~ Oct.6 2020


10.3 "Take the A Train"
 食卓にEF66をディスプレイしてみた。自分が生まれたころ、歩いて数分の最寄り駅は貨物取り扱い駅で、たくさんの貨物車両やコンテナが置いてあった。線路に降りただけで戦犯扱いされる今と違い、ワム(=貨車。ラストクリスマスじゃない)の扉を勝手に開けたり、連結器をいじったり。いいか悪いかは別にして数ある遊び場の一つ。駅の構内には使われていない建物があり、自分ちのごとく秘密基地となっていた。
 当時の貨物列車けん引の主役がEF66。ブルートレインブームを経てEF65 1000番台に浮気したこともあったが、40年前、小学校の時買ったこのNゲージがEF66とコキ、Cタイプ入換用ディーゼルとワム。客車が一台もないのが感慨深い。バイクに例えるなら、ブルートレインがにぎやかなマスツーリングなのに対し、EF66は孤高のソロツアラー。今も後者にあこがれるのは「三つ子の魂百まで」を表す。
 統一感のあった黄緑のコンテナは、今思えばカワサキライムグリーン。
「戸口から戸口へ」
 山奥のお宅の物置となっている国鉄コンテナを見かけ、郷愁を感じていたが、今ではその姿を見ることも少なくなってきた。

10.2 "What's Up"

10.1 "Keep on keeping on"
 再開発に伴う取り壊し。ついに直接の影響あり。駐車場地権者より先週突如として年内退去命令が。約20台が一斉に近くを探すだろうと即動いた。
 現在の駐車場は未舗装。8年前8,400円で始まった。当時はまだジムニー。2度の消費税引き上げにより8,800円となっている。優先順位はもちろん距離。ストリートビューで確認しながら片っ端から空きと費用を調査。家から一歩も出ることなく探せる本当に便利な時代。
 おそらく安いであろう近所の"土"駐車場は残念ながら満車。舗装の相場は11,000〜12,000円。さほど時間がかからず、家からもっとも近く、連絡先が個人名の物件を見つけた。すぐに連絡してみると、10月1日から空きが出るという。不動産屋を介さず、相場より安い10,000円ぽっきり。なんというタイミング。30年以上前目黒に住んでいた時、登戸に借りた駐車場を思い出した。
 当時軽のジムニーは車庫証明が不要で、若さゆえ置き場所も考えず購入、しばらくは路駐していた。しかし都心の一等地。ずっと続けられるわけもなく、駐禁が気になって眠れない。近所を調べると、当時の家賃44,000円に対し、駐車場代40,000円。車で生活するのかという笑い話も考えたほど。ところが、弟が下宿していた川崎の登戸に10,000円の物件を見つけた。家から原付で30分という今考えたらあり得ない遠さだったが、料金と使用頻度から一度も苦に思ったことがなく、帰広するまでの2年間利用した。毎月地主さん宅に行って、直接現金を収めるという懐かしい時代。
「1万円」
 何かが一周まわった感じがした。これからは運転席が土だらけになることはなくなるが、これまでもそれほど気にはならなかった。車、バイク。すべてのスタートラインはダートにある。

9.27 "Tonight's Sky"

9.11 "What's Up"

9.5 "Sky-hurricane"
 今更ながらラジコ契約。プレミアム会員350円/月。何ヶ月も聞かない時期もあれば、家にいるとき常に鳴らしていることもあるラジオ。プレミアム登録することで全国すべての地域の放送を聴くことができる。地方FMで放送されている好きなアーティストの番組を聴けるようになっただけでなく、1週間さかのぼって聴くこともできとても便利。
 一方で楽しみにしていたのがローカル情報。J-WAVEの懐かしいスポット。うんざりする都内の渋滞情報が、一瞬にして30年前の学生時代へ連れて行ってくれる。北海道、長崎、沖縄。地元の宣伝は旅心をかきたてられる。いつかの旅先の夜、テントの天井を眺めながらボーっとしている至福の時。台風の報に、はるかうふあがり島を想う。

8.27 "Tonight's Sky"

8.26 "この闇を照らす光のむこうに"
 去年一度だけ、今年一度も。船を出したいが疲れていてなかなか。ただ自宅でいくらでも有意義に過ごすことができるのでとりたててSTAY HOMEのストレスはなし。出られないのと出ないのは違うか。
 先日間接的殺生をしたスズメ蛾幼虫。なんと昨夜、2階のあさがおに4匹も発見。それも5cmクラス2匹と7cmクラス2匹と巨大。どこかのサイトに書いてあったが、ほんと突然現れる感じ。あの大きさで今まで気づかなかったのが不思議。
 大半の人が気持ち悪がるだろうビジュアルも、よく見ると愛嬌がある。背中を撫でるとどこかねこの肉球のような触感。おしりの角が誇らしげ。1匹は威嚇か口から青汁を吐き出した。人んちのあがさおを食っといて失礼なやつ。
 ペンタスを食べたやつらは2匹とも黒かったが、こちらは薄いグレーのような茶色のような。幼虫、成虫ともいろいろな種類がいて、幼虫は良質なたんぱくと必須アミノ酸を含み、食べることもできるらしい。今朝見ると、さすがに日陰に隠れながら、それでも食べている大食漢。サナギから越冬させてみるのも面白い。
 2〜3か月前にもらってうどん粉病が付き地植えにしていたカリブラコア。ほぼ雑草と化していたが、思い出したように咲き始めた。3〜4株の挿し芽をもらっただけのポーチュラカが増殖しまくり鉢いっぱいに。スズメ蛾といい、草花といいとても面白い。こちらがコントロールできない時間の流れ。季節の移ろいとともに、彼らの時間の中で変化し、昨日と違う今日を見せてくれる。
 もう一つトピックが。2006年千野さんから聞いて意識し始めた鹿児島甑島。これまで何度も計画し、フェリーの予約を取るところまで行ったこともあったが結局未踏。そのうち島を結ぶ架橋計画が持ち上がり、この8月29日開通。これで一度渡ればすべての島に移動できる。今後のプランA++。

8.21 "Night On Bald Mountain"
 昨日の朝次の花芽が育っていたペンタス。今朝水をやろうとしてびっくり。花芽はおろか葉の多くが食べられはげ山に。よく見ると巨大ないもむし。それも2匹。たった一晩でのあまりの食べっぷりに思わず笑ってしまった。
 スズメ蛾なので無害。かといってそのままにしておくと明日にはすべての葉がなくなりそうな勢い。思案のあげく炎天下の駐車場のよもぎのそばへ。薬草にもなるよもぎはおそらくえさにはなるまい。生き残るにはまず高温での乾燥を回避し、食べられる葉にたどり着く。実はかわいそうになり助けに行ったが、すでに姿はなくなっていた。今日の日中をしのげていれば、夜のうちの安全なところに移動できるはず。千尋の谷に突き落としはしたが、もし帰ってきたならペンタスを提供しよう。
 そういえばもう2か月以上斑入りミントに住み着いていた小さなオンブバッタがいた。今は大きくなって、確認できているだけで4匹。あさがおまで食い散らかしている。あさがおの葉は無尽蔵なのでご自由に。
 織ち彦ち以外にも、愉快な仲間たちがいて飽きない。

8.18 "StarRingChild"
 2か月ぶりに母に面会。距離をあけ10分程度。なんとか息子を認識できたが衰えは顕著。恩返しする貴重な時間が失われていく。
 今日の吉和展望台はとてもクリア。5年前リハビリテーション病院の屋上で見続けたあの配置。流れ星一つと11個の人口天体を見送った。ウリ坊3頭とも遭遇。気温も21度と止まっていれば肌寒いくらい。

8.8 "夏を生きる"
 母がグループホームに入って2年。受動的に引き継いだ庭が夏している。放置して小さくなりかけていたアジサイは、去年挿し木して拡大傾向。お隣さんによると、弟が贈ってくれたと自慢していたらしい。
 物心ついたころからあるもみじの根元にはギボウシが毎年立派な葉を広げる。
 去年膨大な種を回収したアサガオは地植えとベランダのプランターで毎朝たくさんの花を咲かせる。正直なところ朝晩5Lの水やりと花がら摘みがつらかったりするが、摘心して捨てていたツルが1週間後に花をつけたときにはその生命力に感心した。雨の恵みも実感。その圧倒的な水量、夕立に喜んだりすることも。
 今年増やした鉢植えも花盛り。今はペンタスが鮮やかなピンクで咲き誇っている。もらったポーチュラカは挿し芽で増殖中。
 コロナ禍で面会禁止となり半年。庭に母の痕跡を見つけると同時に、いつかの記憶がよみがえる。正月には葉牡丹、夏にはひまわりが咲いていた。当時は何の興味もなかったが、人知れず手をかけていたのだろう。草むしりをして膝を痛め、身体より草むしりかと怒ったこともあった。今は自分が草むしり。雑草の力強さを感じながら。

8.5 "星空サンクチュアリ"
 1週間前に摘心して車の前に捨てていたアサガオのツルが2日連続して花を咲かせた。少し申し訳ない気持ち。

8.2 "What's Up"

7.28 "Tonight's Sky"

7.18 "予想もつかないStory"
「織と彦の1000日」#23
 4匹を見つけた夜明けからちょうど1000日。母子手帳ならぬ授乳記録を見返す。150/180gだった体重は、成長が止まって以降4.0/5.2kgを正確にキープ。穏やかで人懐っこい居候に育った。その後の情報から1匹は通りかかった小学生の女の子に拾われたらしい。もう1匹もきっとどこかで生きているはず。
 やんちゃな織はリビング侵入禁止のための150cmの柵を無力化。彦ちはひたすらマイペース。このまま当たり前の日常が続きますように。

7.11 "白色彗星"
 明け方東の空にいるというネオワイズ彗星。この雨に見るチャンスなく暗くなっていってる。

7.10 "The Ecstasy of Gold"
Ennio Morricone
1928.11.10~2020.7.6


7.7 "CRY"
 陶芸家山本幸一さん、いや、山本さんの作品と出会ったのは2006年、念願の天草「五足のくつ」の旅でのこと。今はなき熊本物産館で見つけた、まさに一目ぼれとしか言いようのない器。誰か作ったのか知りたくなるのは必然だった。2年後、地元広島のギャラリー「瓢箪堂」で、動いている山本さんと出会うことになる。以降、瓢箪堂さん主催の個展4回、熊本での個展1回、金峰山にある工房に3回お邪魔した。そして先月6月17日、島田美術館での遺作展。
 昨年10月、佐賀バルーンのあと金峰山に寄ってみようと思ったのはいつもの気まぐれだった。病気の話、別れ際交わした握手。動く山本さんを見るのは最後だと感じた。それでも4月に最後の個展が予定され、その予感が裏切られることを期待したが、コロナで延期。このような悲しい流れが、世界中に星の数ほどあるのだろう。
 球磨川氾濫の報道に、ちぎれた記憶の断片がつなぎ合わされる。ちょうど10年前のこの時期、熊本を旅していた。山幸さん工房から日奈久温泉。その道すがら、のちに乗ることになるSL人吉。撤去された荒瀬ダム堰堤、遺影のかかった廃屋。その球磨川流域から続々と被害の報、SL人吉の肥薩線は壊滅的被害。
 大雨の中、近所から騒音が聞こえてくる。区画整理に伴う立ち退きで、この1か月に近所3軒が解体された。生まれたころから当たり前だと思っていた風景が、当たり前ではなかったことに気付く。被災地ではたった数時間でその当たり前が失われる。すべては薄氷の上に成り立っている。
 大雨が続いている。昨夜から車を立体駐車場の高層階に避難させた。有事には仮の宿になるだろう。移動はH2よりCRFが役に立つ。
 山幸さんから続く喪失の連鎖は、センチメンタルを通り越し、メランコリックでさえある。

7.6 "幸福の硬貨"
 球磨川のダムなし治水報道から記憶の連鎖。荒瀬ダム撤去〜道の駅坂本〜遺影の廃屋〜日奈久温泉〜10年〜SL人吉。

7.4 "Tranquility"
 事故から丸5年を無事に迎える。

7.2 "What's Up"

6.23 "Tonight's Sky"

6.21 6:43:02 "Summer Solstice"

6.10 "What's Up"

6.6 "Nothing Without You"
"The Voice"

5.26 "Tonight's Sky"

5.23 "I had a good time"
山本幸一 1947-2020

5.5 "What's Up"

5.4 "Shout Baby"
 昨夜は誰もいない山の中に行って、オーディオのタイムアライメント調整。これでいったん終了。あとは助手席下でパスタになっているケーブル類の整理くらい。
 今朝は128GBのUSBメモリーが2個届いたのでせっせと再取り込み中。車内環境でどこまで音質が上がるかわからないが、PC内の圧縮データを整理できて一石二鳥。それにしても、今は当たり前のように使っている外部ストレージに隔世の感を感じざるを得ない。1曲50MBあるWAVファイルをかなり取り込んだがまだまだ序の口。基準は20年以上前のフロッピー。1.44MBは写真1枚すら入らない。

5.3 "A/Z"
 昨日午前中庭を手入れした。最初に隙間のないほど生い茂っていた椿の剪定。ネットで調べると、ちょうどこの時期が適していたらしい。運よくチャドクガのターゲットにはなっておらず、すき過ぎるほど切ってしまった。同様に南天も。2本の木の木陰が減り、陰になっていた部分にこれでもかと陽光が降り注いでいる。
 刈り取った葉や枝を片付けて耕す。固く乾いた土を掘り起こし、なだらかに整地していく。いたるところにある野良猫の糞は埋めて堆肥に。アリやダンゴムシが忙しく動いている。普段気にも留めない花壇にも、初夏の命が息づいていた。
 南側の縁にブロックを置いてわずかに拡張。そこにもらったアスター、オキシペタラムブルースター・ホワイトスターをまき、薄く土をかけた。昨年と同じ場所に、これももらいものの変わった花が咲く朝顔をまいた。メインはピンクと紫の朝顔。昨年300円で買った種は、近所でも話題にあがるほど大輪の花を咲かせ、数倍の種を回収した。
 今朝、予報通り雨。いつもなら休日の雨は遠慮したいところだが、穏やかな気持ちで眺めた。ホースでまく水とは違い、ゆっくりと、時間をかけ浸み込んでいく天水。雨の当たりにくい木の下と、そうでない場所のコントラストが高まっていく。瞬間瞬間で変化していく土のグラデーション。1週間くらい前からあたりを彷徨っていたガガンボが、雨宿りできる場所を探して飛び回っている。
「母は元気だろうか」
 コロナ禍の施設閉鎖でもう3か月顔を見ていない。これまで庭いじりなどしたことがなかった。それでも維持されていたのは人知れず母がやっていたから。草むしりで足が痛くなり、無理するなと怒ったこともあった。弟が送ってきたアジサイを自慢していたと、近所の人づてに聞いた。
「50年生きてやっとわかることもある」
 人類の危機をよそに、庭では当たり前の季節が移りかわってゆく。

5.2 "Angel Of Death"
Jeff Hanneman Jan.31 1964 - May.2 2013

4.29 "Black Bird"
 3週間を費やしたSWIFTの音響が完成。休みといえば雨だし、この状況下での体調不良あったりで思った以上に時間がかかった。
 元々ALPINE至上主義だったが、ナビ全盛の今、ヘッドユニットの製造をやめてしまった。国産の選択肢はKENWOODとPIONEERくらい。KENWOODは自宅のプリメインアンプがそうだし嫌いではないが、車内環境でのシャリシャリ感を否定。PIONEERといえば長年バルーンのメインスポンサーとして思い入れもある。そもそもナビ以外のユニットの選択肢な少なく、結局DEH-970に落ち着いた。実は10万する”あれ”も検討したが、別体のアンプの置き場と取り回しがしんどそうなのと、発売が10年以上前という古さも気になって却下。
 スピーカーはハイエンドのTS-V173S。上級アンプの配線を嫌がった割に、4つもあるパッシブネットワークの置き場所がなく助手席下に。おのずとスピーカーケーブルの海となりさらなる時間を要した。特にウーファーのバッ直とケーブルのドアへの引き直しには苦労して、左ドアなどは配線スリーブの爪を破損させるという残念な事件も発生した。
 50W×4の最大出力を生かすため、MIDのメインスピーカーをフロントに、ツイーターをリヤに接続して仮想バイアンプを構築。20年以上使っている450wのアンプと18cmウーファーも健在。それぞれのカット域とタイムアライメント調整中。
 カーオーディオは大音量で音楽を聴くには最高の空間。感染リスクもない。誰もいない山の中に行って、自分だけのライブを楽しむ。
 この機会に乗じてもう一つの音質向上化進行中。これまで最高音質のMP3をUSBにコピーして聞いていたが、所詮圧縮データ。新しいユニットにはUSBが2系統あるため、新たに128GBのUSBを二つ購入し到着待ち。すべての音源をWAVファイルで再取り込みする。一つはメタル、ロック系、もう一つはジャズ・クラシック、ポップスと整理。1曲50MB、アルバム1枚500MBで換算すると、一つのUSBにCD256枚分、2つで516枚分はあまりある。車内の音響はけっして良いわけではないので違いを聞き取れるのかわからないが、その分ソースの向上で音質を少しでも引き上げることができればベター。少なくともSpacia時代よりはるかに良い。
 ちなみに、14000Hzはもう聞き取れなかった。年相応。
 SWIFT自体の印象はまだ書き残していないが、あらゆる面において感嘆のひとこと。もはや衝撃レベル。

4.28 "Tonight's Sky"

4.19 "You Are Love"
 本当に中国研究施設からの流出だとしたら、まさに小松左京。

4.15 "Epidemic"
 人生最高のアルバムであるSLAYER"Reign In Blood"のB面2曲目がまさにこの曲。
 「丸腰で突撃ー!」みたいな様相。万が一の時のため弟家族への伝言をまとめ中。

4.4 "あなたがいることで"
 SWIFTで花みずきへ。帰り際奥さん。
「きれいな黄色ね。ホイールがいいわね」
「えっ?」
 エレガントなマダムから意外なワード。
「車好きなのよ」
「何に乗ってるんですか」
「コペン」
「それはすごいですね」
「女性が乗るにはちょうどいいのよ」
「どのくらい乗ってるんですか」
「4年くらい。中古だから。でも買ったときは2万kmくらいだったのよ。もう10万km超えちゃった」
「えー!?年2万平均ですか!」
「松江とか日帰りで行くのよ。サンクスまで買い物に行くし。裏にあるけど見る?」
「ハンドルMOMOに換えたんですか」
「最初からなのよ」
 意外な一面に驚き、ある意味納得。素晴らしいロケーションのカフェ、娘さんはアーティスト。良い意味で普通の人じゃない。だから通って13年目。
 H2に乗り換え、たくさんの人で賑わう神原枝垂れ桜から桜ヶ峠。ルーティンの吉和展望台。後からカップルの乗っている車が上がってきてすぐそばに止まり、エンジンを切らない。自然のBGMはかき消され、居心地悪くすぐに退散。
 下りのヘアピンで、上りの車がこちら側の車線半分までふくらんできて心臓が飛び出そうになった。あれ以上出てきていたら避けられなかった。このヘアピン、8年前にもいわくあり。ブラインドコーナーの先、電柱工事かなんかで何の表示もなく車を止めており、回避するためクラッシュ、フェアリング修理代10万怪我無し。10年乗った10Rで唯一の自損事故。天気も良く、あり得ないところに路駐している車を何度も見かけて気を付けていたのに、一寸先は闇。展望台で来たあの車がエンジンを切っていたら、もう少しあの場所に留まっていた。意味のある偶然の対極に最悪の偶然もある。とにかく母を送るまでは死ねない。
 高揚感と安心感が同居する桜の中を、いつもと違う気持ちで走り抜ける。何千人が亡くなろうとも変わらない季節の移ろい。はらはらと散りゆく花びらは誰かの一生か。ヘアピンでの出来事も含め、自分が散らないという保障はどこにもない。西の空に宵の明星が輝き始める。人類の危機を傍観しているようで、どこか冷徹に見えた。

4.1 "What's Up"

3.24 "Tonight's Sky"

3.14 "The Launch~Cool the Engines"
 さようならSpacia、ようこそSWIFT SPORT。

3.9
"Midnight Driver Of A Love Machine"
 なんと!納車可能の電話。スペーシアから取り外すもの多数。ドアはがしたりするしすぐには対応できず。13日金曜日なんていいね。

3.6 "What's Up"

2.27 "Tonight's Sky"

2.22 "The Journey~It's Easy"
 登録書類関係でアリーナに連絡すると、納車が4月に早まりそうとのこと。コロナの影響なし。営業担当とまたカーオーディオの話題で話し込んだ。
 スペーシアの燃料計は残少。もう満タンにすることもないと思うとセンチメンタルな気分になる。ハイライトは14年の"The Journey"。福島のネモト君宅から大学時代の思い出をたどり、翌年急逝されたチノさんとの再会。ハリーとの北陸自販機ツアーも捨てがたい。大切な3万4千キロ/LIFE。

2.10 "SWIFT SPORT"
 何がすごいってwt.970kg。軽さはパワー。初めてのFF2WD、3ナンバー。そしてターボ、MT返り咲き。
 初回見積もりは全方向モニター付き(ナビ必須)の250万。駐車は常時前入れだし不要。当然ナビも不要で30万減。ドライブレコーダーは今のをリヤに流用してフロントは後付け新規購入でオプションからはカット。ETC2.0もH2で恩恵を授かったことなく標準にダウン。オーディオはドアのデッドニングもあるので後付け。5ドアハッチで母と車いすも可、もちろんカヤックも載せられる。
「駆け引き面倒なんでぶっちゃけでお願いします」
 スペーシア下取り35万で出てきたのが175.5万という驚きのコストパフォーマンス。感覚としては軽のハイエンド並み。それでも交渉した感を満たすため端数5千円カットを申し出ると、店長決済とのこと。たった5千円で。裏を返せば、一発目で本当にぎりぎりの価格を出してきてくれたということ。商談成立。2台のジムニーとスペーシア、さらに2台のRMXも含めるとスズキに生涯をささげているよう。もしもう一台乗れるなら、間違いなくジムニーに戻る。
 今は軽に乗っているという若い営業担当が音響に凝っていて、カーオーディオの話題で盛り上がる。リヤスピーカーの配線について親身に調べてくれた。面白い偶然も。彼もこの春スイフトスポーツに乗り換えるという。チャンピオンイエローとすれ違ったらドライバー確認と笑いあった。
 気持ちはカタログで即決、発注後の今になってレビューを見まくっているが、軒並み高い評価。無鉛プレミアム、3ナンバーで、燃料、税金、高速道路すべてでランニングコストが上がるが、残りの人生も見据え、一度は普通車に乗るもの良し。抑えればそこそこな燃費は出そうだし、そもそも燃費を求めるツールではない。自動で車間を保持してくれるアダプティブクルーズコントロールなどはまさに旅向き。納車の5月上旬が待ちきれない。直後はH2の出番が減りそう。

2.4 "What's Up"
 先月上関に出る前の点検で、スペーシアのタイヤがかなり減っていることに気が付いた。13年秋乗り出しの7年目。今年車検。この車を選んだのは母の介護のため。広い後席とスライドドアが役に立ったが、タイヤの件も含めて、乗り換えるならまだそこそこ下取りの付く今。もちろんジムニー。ディーラーに行ってみた。
「まだ一年!」
 昨年業界を賑わせた納車1年待ちはまだ続いているという。今並んでもタイヤ交換+車検後でもったいない。もう一回車検に落ち着き、何気なくスズキのサイトを眺めていた。
 「ダートを走れない乗り物に興味はない」と豪語していた若き日。あれから30年が経過し、バイクは3台(+1)ですべての路面対応。車は四半世紀、2台のジムニーを乗り継いだ。そして介護目的のスペーシア。初期には燃費追及を楽しみはしたが、今はATの退屈さしか感じない。そしてジムニーのフィルターを取り去った時思い出した。
「スイフト スポーツ」
 出始めから、それでも普通車に乗るならと興味を持っていた1台。あの黄色は、はるか昔に通り抜けたスーパーカーブーム、カウンタックLP400を彷彿とさせる。軽NAのスペーシアと割り切っていたが、アクセルを踏み込んだ時の非力さには絶望。圧倒的悪路走破能力を持つジムニーならまだしも、ストレス以外のなにものでもない。
 価格を調べてみると、スタンダードモデルがジムニーハイエンドクラスと同じ180万円台。最上級モデルも200万という安さ。スペーシアの下取りを考えると200万以内に収まる。とりあえず見積もりを。自動車税確定後の4月以降か。

1.31 "Tonight's Sky"

1.25 "ONE〜君がいる理由〜"
 95年、RMXでアタックに明け暮れていた。アタックとはオフロードバイクで山中の道なき道へ分け入ること。当時のお気に入りはのうが高原と彫刻村。崖に落ちかけたり、登れなくなったり、何度「置いて帰ろう」かと思ったことか。
 先日久しぶりに彫刻村に行った。それでも1年に一度は出かけていたが、今回はふと思い立ち、25年、四半世紀以上行ってない支線へ。支線といっても道はない。小さな川がある脇の斜面。流れのそばにバイクを置いた。目指すは左上方へヒルクライムした上にある、一枚岩のステアケースセクション(階段状の段差)。
 当時20代、今50代。明日は仕事。ここで怪我をすれば誰にも見つからない。歩いて登るのも大変なヒルクライムに挑戦する気持ちはさらさらなかった。3点支持で登った崖の先に、その壁はあった。
「変わっていない。でも多分変わっている」
 記憶にある絵に違いはなかったが、大災害を含む20年以上に及ぶ浸食は、大地を大きく削っているはず。段差の上に登ってみた。周囲を観察。真ん中が削れた倒木があるが、バイクによるものかは判別できず。少なくとも最近登ってきた者はいないよう。降りてステアを分析。左側が幾分なだらかになっており、助走があれば壁に当てて登れそう。25年前、度胸はあったがテクニックがなく断念。今、行けそうだが度胸がなく断念。そもそもこの場所まで来れる自信がない。一生越えれれない壁。誰もいない山の中で、25年プチ振り返り。元気でここまでこれただけで十分。
 その後も側道探索。ある行き止まりの斜面半ばに、あり得ないタイヤ痕発見。登ろうとして途中で失速、山側に足を付いて前後タイヤをズリズリして少し下がり、右方向へ抜けているのが手に取るようにわかる。雨が少なかったのでここ半年以内のものだろうか。
「アホだ」
 オフロードライダーは、常に登れそうな場所を探している。
「同じアホなら登らにゃ損々。次回のクリア祈る!」
 いつの時代も変わらないチャレンジャーに苦笑して、家路についた。

1.17 "カエルノウタ"

1.16 "Gabriel's Oboe"

1.3 "天気"
 家の墓参りからばたばたと用を済ませて島へ渡るフェリーに乗る。デッキには初めて止まっている状態で出会うH2SXSE。やっぱりあの色遣いは好きになれない。
 三高港から山中のダムを抜け是長へ。太陽のリフレクションが眩しい。展望の良い山腹に母〜祖母つながりの曾祖父徳松の墓がある。先日行った山口・小月のリヱの夫にあたり、昭和十年十月、七十七才で亡くなっている。ということは死別してから17年、リヱとは10歳離れていることを今知った。
 供えた花は干からびており、年末年始は誰も訪れていないよう。一つ面白い気付きが。令和元年の7月、101歳で亡くなっているサワというおばあさんがいる。聞いたこともない名前だが、少しだけ同じ遺伝子を持った人だと思うと親近感あり。大往生をねぎらう。
 最短距離の今まで通ったことがない廃道を抜けると、先祖の墓地の前の道に出た。ところが。
 数年前倒れた墓石の一基がまた倒れ藪に埋もれている。地面にじかに骨壺を埋め石で蓋をしてあるだけの墓は、蓋が通路に落ち雨ざらしに。お骨が見える。とりあえず起こしてまだ立っている一基の横に並べた。骨壺の墓は蓋をする。さらに少し離れたところにある母〜祖父〜曾祖父の流れの本家の墓。曾祖父夫婦、祖父夫婦の墓の左の法面が崩れ、墓の二段目まで土がかかっている。こちらも土をどけて雑草を抜いた。
 帰り道、ユウホウは更地になり、向かいのセブンイレブンは跡形もなくなっていた。
 母のところに寄る。これまでも息子を認識できない日があったが仕事柄気にせず接していた。今日色々なものが無くなっている喪失感に少し憂鬱な気分になる。母がまだしっかりしているとき、母方の家系のいろいろな話を聞いたが、記憶が失われた今、何もわからなくなってしまった。
 家に帰り、母方の本家に当たる大阪のいとこに電話。墓が倒れそうなことは何年も前から知っている。もう5年参ってないらしい。今回の話をしてせめて倒れそうな墓だけ何らかの手を打つよう提案するが、「考える」と気のない返事。

1.2 "What's Up"

1.1 "Don't Look Back"