2019
12.31 "Goldberg Variations 30"
 3月に乗り換えたH2の年内走行距離を五桁に乗せる旅を計画。欲しいのは600km弱、2年半会っていない行橋地蔵さんを目的地に選んだ。28日に計画したが午後から体調不良で延期。仕事も大変忙しく、30日も昼間の勤務なのに帰宅するころには日が変わりそうだった。元旦も仕事だし明けては意味がないためラストチャンス。
 14:59廿日市ICイン。気温は一桁後半。
 16:00前、まだ明るい美東SA手前でICEアラート表示(気温3℃以下)。美東SAに入って行き先を練り直す。路面にはウエットパッチが残っていた。帰りの時間を考えると安全を確保できないため行き先変更。もう5年近く訪ねていない曾祖母の墓を目指す。
 17:35小月ICアウト。04年7月、まだしっかりしていた母を連れ、親戚のわずかな情報から母方の曾祖母の墓を探し出した。真っ暗になった墓地で、ライトを当て風化しかけた文字を撫でる。
「リヱ 五十才 大正七年八月十二日 」
 なんとなくハイカラな名が印象的な母の母の母。5年訪ねないうちに、彼女が亡くなった年齢を超えてしまっていた。長沢ガーデンでお風呂とレトロ自販機年越しそばでもとR2を走り出した。
 リヱさん。大正七年に若くして亡くなったひいばあさん。あまりにも昔すぎてかすりもしない。その後連れ合いのひいじいさんは能美に移り、是永に墓がある。厳寒の闇を切り裂きながら考える。
「どんな人だったんだろう」
 時は流れ、彼女の人となりを知る人は誰もいない。その娘、うちのばあさんは二十歳のころ、関釜連絡船(下関〜釜山航路)で看護師をしていたという。もちろん母も生まれておらず詳細は知らないし、認知低下した今、神のみぞ知るというところ。「いっぺん私が生まれたところに連れて行ってやりたい」というのが口癖だったらしい。晩年は神戸のおばのところにいて会う機会も少なく、自分が中学3年の時に83で亡くなった。
「二人と話がしたい」
 どんなに頑張っても実現しない望みに胸が苦しくなる。何十年も前に亡くなった曾祖母、時間は共有できたがこちらがまだ子ども過ぎた祖母。もし今の経験と知識をもって話ができたら、どんなに楽しいだろう。
「宇宙と似てる」
 今見てる星ははるか昔の光。手が届きそうなのに途方もない先にある。いや、もうないかもしれない。二人も必ず生きていたから今の自分があるのに、墓石の文字になってしまった。そう考えると、今普通に話している自分にかかわる人たちは、宝くじのような確率で同じ時代を生きている。音楽も、絵も、写真もすべて。
「すごいな」
 信号待ちで止まったとき、前の車のリヤガラスからテレビが見える。音は聞こえないが、「浜田、松本、アウトー」と。2019が終わる。あと何年この世界を楽しめるだろう。
 長沢ガーデンは31〜1日、風呂も自販機も休み。19:31防府東ICからまた高速に、20:14岩国ICアウト。欽明館での天ぷらそばが年越しそばとなった。もちろんラーメンも。
「リヱさん、またいつか」
 明けて島の墓に行こう。ひいばあさんの墓に行ったことをばあさんに伝えに。母と行橋地蔵さんにも報告しなくては。結局H2年内1万キロは達成できなかったが、8か月半で9,783kmは良いペース。

12.25 "Tonight's Sky"

12.22 13:18:56 "Winter Solstice"

12.15
"Moon Phases 2020"
Northern Hemisphere
Southern Hemisphere
 休日のお昼前、ブランチを作りながら気が付いた。
・昨日津和野で買ったピノ・ロッソのパン
・なごみの里で買った150円でバレーボールのようなキャベツとサニーレタス、たまご。
・熊本・山幸窯さんのマグカップと皿3枚。
・東京の友人黒田から届いた蜜たっぷりの山形のりんご。
・種子島宇宙センターの屋久杉箸。
・挿し木で増えたシャコバサボテン。
・BGMはC.P.E BACHのチェロコンチェルト。
 そしてやつら。
「これまでの人生が凝縮されたメニュー」
 エネルギー充填100%。午後から小さな旅に。

12.2 "REIGN IN BLOOD"
 SLAYERが最後のライブを終えたそう。これまで聴いたすべての音楽の中でたった一枚を選ぶとすれば、迷いなく答えられる孤高の一枚。

11.30 "Tonight's Sky"

11.28 "What's Up"

11.23 "Concerto for 2 Violins"
 マイサイト"AiR:"が今日で20年。旅履歴を記載し始めた那須から30年。所有した移動ツールの累計走行距離は地球11周に達する。よく見ると、10年サイクルで9に支配されていることに気付く。
 エッセイと紀行文を記録した人生データベース。10年後も生きているかわからないが、1秒先の自分に宛て書き続けよう。

11.21 "Eye Of The Tiger"
 今から34年前、川崎の関東労災病院。左ひざ靭帯断裂疑いで初めての手術。病室を出るとき、同室のフットボーラーがラジカセで流してくれたのがSuvivorの「Eye Of The Tiger」。映画「ロッキー3」のテーマ。結局靭帯は断裂しておらず、内視鏡のみで保存的治療となった。
 時は流れ、今日18:00。87歳母、大腿骨頸部骨折人工骨頭置換術。親子で同じ痛みを共有。ラジカセはスマートフォンに変わり、Spotifyに「Eye Of The Tiger」をスタンバイ、オペ呼び出しと同時に音は出さず再生開始。
「がんばれ!」
 20:40、無事終了。母サヴァイブ。ロッキー・バルボア、いまだ効果あり。

11.18 "ケ・セラ・セラ"
 まあしょうがない。

11.6 "Another Night"
 おうし座流星群を見るため大島へ。佐賀のときUさんとメールのやり取りあり、2年前の花火以来の訪問。19時過ぎに橋たもとでいきなり連絡。一般宅にこの時間、非常識極まりないが、U家なら許されると。
「泊まってくんじゃろ」
 予想通りのお出迎え。気のおけない夫婦に1時間ほど談笑。竜崎温泉近くのビーチに面するお宅はほんとうに素晴らしいロケーション。いつかカヤックで海から上陸したい。
 21:00飯の山着。調べると2年前もUさん宅から星を見に来ていた。4階建ての展望台からは完璧な360度の展望。東の空にはオリオンが出かかってるところ。最初に星より目立ったのが飛行機。視界にいない時間はないのではと思うほどどこかにいる。スマートフォンのフライトレーダー24を立ち上げた。北九州、大分ほかほとんどが中国行き。上海、深セン。いい旅ができたかな。気を付けて。
 面白いのが東京〜岩国便。南からのアプローチで大島上空を回り込んでいくため、かなりの低空で肉眼で窓まで確認できる。
 島から救急車がやってきた。去年災難があった大島大橋を渡り、海岸線を柳井方面に走っていく。いつまでも見える赤色灯と音。どのくらい離れているんだろう。見える映像と音はどのくらいずれているんだろう。
 今度は山陽線の列車。神代から大畠に停車、走っていく様子がずっと見えている。何キロも離れているのに線路の継ぎ目の音がはっきりと聞こえてくる。もうNゲージのジオラマにしか見えない。
 空を見上げると、上弦の月が明るすぎて星を見るには今一つだが、引き換えに海に伸びる月の道が美しすぎる。気温10度を切る中、あっという間に3時間がたち日が変わってしまった。肝心の流星は数個でも納得の夜。
 西の空にヴェガとアルタイルが沈む。織姫彦星。2匹が腹を空かせていることを思い出し家路についた。もちろん欽明館に寄って。最低気温4度。移りかわる季節。

11.4 "Next 2 U"
 最近感動することが多くて困る。今朝見つけたスパイダーズウェッブ。庭のもみじから軒へ、その間隔1.5mほど。
「最初の2本をどうやって渡したんだ?」
 命をつなぐトラップは逆光にきらめき、光の線となって美しくさえある。
 いまだに咲く貧相な黄色のコスモスは一度倒れてまた立ち上がった茎から。
「頑張ってんじゃん」
 300円で買った朝顔の種は、この夏毎朝生い茂る花を見せてくれた。今は鈴なりの種が収穫待ち。
 極めつけはプリンセチア。もう何年も前に母が持ち帰ってきたもので、その年こそきれいなピンクの葉があったがすぐに枯れ木に。小さな鉢で水を枯らすことも多く常時瀕死。それでもまばらに葉をつけていたので水だけはやり続けていた。夏に地植えにしてみると、みるみる成長して驚く。今はトップの葉がポインセチアのように赤く色づき始めている。調べると寒さに弱いらしいので鉢に戻そう。
 白の彼岸花が枯れた場所から水仙のような葉がわんさか。
「どんな花が?もしかして雑草?経過観察」
 正直なところ雑草にいちばん感動。咲かせようとして枯れてしまう花とは対照的に、むしってもむしっても出てくる生命力。
「おまえら最強」
 今あるすべての生き物は最強遺伝子。織ち、彦ちもね。
 一方、大局はみて目の前の課題は置き去りというオチも。

 軽井沢に電話。数年ぶりのM子さんは相変わらず元気でほっとする。残念ながら東京へ出る用事があり、この連休での軽井沢遠征は延期となったが、次回への具体案検討へ。

11.3 "What's Up"

10.31 "Into the Sky"
 0:30に目覚ましセットも廿日市ICに入ったのは2:55。あまりゆっくりはできない。会場入りしたのは競技気球が膨らみ始めたところだった。初日午前の競技は必ず飛ぶ。
 サプライズは終了後。おととし仕事の同僚絡みで知り合ったフォトグラファー集団。あの時から機能していないLINEグループに何気なく呟いてみると、熊本の女子が反応。なんと至近距離。現在位置写真を撮りあいながら再会。とても面白い出会いだった。あれから写真の仕事に就いたらしい。
 福岡の研矢さんと百ちゃんにメール。二人ともかつてこの場所で知り合った古い友人。何年も会っていないがお互いの生存確認ができる貴重な機会。
 土手に寝転がって30分ほど仮眠し、次のプランを考えた。飛ぶかわからない午後の競技を待つのはもったいない。ご無沙汰している熊本金峰山に山幸さんを訪ねてみよう。
 2回目の電話でつながり、相手をしてくれるとのこと。有明湾岸通から大牟田、玉名を通るのは12年ぶりだろうか。初めて海側から金峰山を登った。
 山本幸一さんと出会ったのは06年の旧熊本物産館。正確には山本さんのマグカップと。当時収入が安定しておらず、4000円するカップを迷いに迷った挙句購入した。旅から帰ってから調べると、地元毘沙門台のギャラリー「瓢箪堂」と関わりがあり、隔年で個展を開いていることがわかった。
 2年後の08年に初めて会ったとき、瓢箪堂の外テーブルでギターを弾いていた山本さんの姿を今でも覚えている。その後広島での個展3回、熊本の個展1回、熊本金峰山の工房を2度訪ねた。ものを作り出す陶芸家の話はいつも楽しかった。最後に会ったのは14年で、熊本地震のときと、昨年の広島での個展(終わってから知った)のときメールをやり取りするにとどまっていた。
 5年ぶりの再会に変わらない笑顔。奥さんとも2度目。1時間半ほど話し、これまで入ったことのない工房の奥まで見せてくれた。特徴的なトルコブルーの作品ストックはなく、2代目マグカップと同色の皿2枚と、3代目マグカップと同じデザインの小皿1枚を買った。リヤバッグに収納できず送ってもらうよう依頼。バイクまで見送りに来てくれ握手をして別れた。
 この日のことを一生忘れないだろう。山本さんおすすめの峠の茶屋でだご汁をすすりながら、これから生まれる新しい作品を手に入れたいと願った。ぜひ広島に。

10.24 "Tonight's Sky"
 H2デフォルトのBS/S21が8,000kmほどでなくなりそう。国産至上主義なのでツーリング寄りのT31で考えていたが、ミシュランのROAD5がよさそう。ROAD2は忘れられないタイヤ。フロントは2009/9/14から2013/4/29の28,391km、リヤは2010/7/8から2013/10/31までの23,630kmというとんでもないライフだった。
 やっぱりブリジストンをつけたいところだが、スポーツ寄りのS22はライフが短いし、乗り心地も今一つ。T31は10Rで使っていた。ここらで浮気してみるのもあり。トレッドパターンも個性的。

10.23 "Fertilization"
「織と彦」#22
 本日10/23で織と彦満2歳。体重4.1kg(150g)/5.2kg(180g)は保護した時の約27~28倍。
 母なる大海に放たれた3億の精子は長い旅に出る。まず膣の酸によって皆殺しに。生き残った精鋭は、誰に教わるわけでもなく子宮頸部へ。マクロファージに貪食されていく仲間の死骸を乗り越えていく。二つの卵管はまさに運命の分かれ道。どんなに最強の遺伝情報を持っていても、女王のいない方の道を選べば一巻の終わり。
 卵管に入っても試練は続く。トラップにかかり次々と倒れていく仲間。死線をくぐり抜けた勇者たちがついに女王にたどり着く。しかし、運と強さ、そして速さを兼ね備えたたった一人だけが扉を開けてもらえる。2番じゃダメ。遅れれば門前払い。
 受精後の減数分裂はもはや宇宙。
 最後のシーン。子宮へ向かう受精卵に未練たらたらでついていくやつらの哀愁がハンパない。ここまで生きてたどり着いた彼らも最高のアスリートなのに。
 生まれたら安泰というわけにもいかないのは猫も人間も同じ。様々な病気や生命の危険を乗り越えて今がある。
「おりちひこち、お互い生きているだけで数億の遺伝子のトップに君臨する最強の勝ち組」
 柵を乗り越えてえさの袋を食い破っても許す。

10.8 "Black Coffee"
Windows 10 Home 64ビット
インテル Core i5-9600K プロセッサー
8GBx2 16GBメモリ
Blu-rayディスクドライブ
500GB SSD
1TB HDD
NVIDIA GeForce GTX 1050 Ti/4GB
インテル Z390 チップセット
31.5型 iiyama ProLite X3291HS
税込 ¥190,404

 9月末、2013年以来6年ぶりにPC更新。今回もマウスのBTO。消費税を意識したつもりはなかったが、Win7のサポート終了が大きな理由。トピックはSSDとモニター、スピーカー。SSDはものすごいスピードでカルチャーショックレベル。モニターは何年もアマゾンのリストに入れていたもの。リビングのテレビとほぼ同じ大きさで、ダイニングテーブルに置いた。グラフィックカードはゲームをするわけじゃなく、動画をいじるわけでもないのでなんとなく。スピーカーはHarman Kardon SOUNDSTICKS。音もさることながらそのビジュアルに一目ぼれした。
 キーボードはマイクロソフトのエルゴノミクス。配置が変わってまだ慣れてない。マウスはエレコムのトラックボール。目からうろこ。手首を動かすことなく最高の使い勝手。残念なのは2階で過ごす時間が減り、2匹がほったらかしになっていること。2歳の誕生日が近い。

10.5 "Binary Star"

10.3 "What's Up"

10.2 "Tonight's Sky"

9.15
 同期の死にふと思い立ち、地元中四国学生リーグの試合を観戦。島根大学VS愛媛大学というまったく縁もゆかりもないカード。フットボール観戦は、母校最後の甲子園以来数年ぶり。こういうかたちで試合を見るのは初めてかもしれない。
 両チームともサイドラインには12〜13人しか残っておらず、スペシャルチームはおろか、両面のプレーヤーも数人。選手層から考えて強い選手は使わざるを得ない。炎天下でのフル出場はきついだろう。
 一つ変わらないものが。学生フットボール協会のフラッグ。確か日本でフットボールが日本で最初にプレーされたときのフォーメーション。旗の向こうに、30年前の友を想う。

9.14 "Be the Believer"

9.3
Takashi Iwashige 1968.2.21~2019.9.3

9.1 "Tonight's Sky"

8.31 "What's Up"

8.28 "Runaway"
 おととい観た「宮西達也Newワンダーランド展」は素晴らしい世界観で、珍しく図録と絵本2冊を買ってしまった。もちろんマグカップも。
 そのまま帰るのももったいないので地図を検索したところ、春にショックを受けた旧三江線の洗濯物を思い出した。快走路を抜け構内へ。
「やっぱり」
 相変わらず洗濯物が干しっぱなし。
「?!」
 よく見ると干してあるものが違う。玄関に置いてあったズックもなくなっている。中から子どもの声が。ありえない。中国モーテルで生きた浮浪者を見つけたときのような衝撃。周辺の情報を分析。
 洗濯物はやはりその日干したような感じではなく、何日もそのままにしてあるような雰囲気。玄関まわりは以前と同様にゴミ屋敷の様相。カーテンのついていない窓から見える障子はビリビリに破れている。外見上は限りなく廃屋。気を取り直して駅のホームに上がった。すると建物の裏側の網戸からまた子どもの声が。本当にここに住んでいるんだ。驚きの中にも何か不幸にあったわけではなかったことにホッとした。
 帰宅してストリートビューを確認すると、以前と同じく建物全体にぼかし処理がされていて、年度の違うアーカイブも同じ。リクエストしないとああはならないはずなので何らかの理由がありそう。前回廃屋と誤認して他人の家の写真を撮りまくったわけで、完璧な不審者だったことに苦笑。

 来る日も来る日も自宅整理。区画整理による立ち退き計画が動き出し、最短で2年後。今の場所に移って80年以上、自分が物心ついてから手を入れたことがない場所もあり、膨大な物に今や家がゴミ屋敷。
 現在は衣類の整理を実施中、その量に驚くと同時に途方に暮れる。捨てなくても置けていただけに、ほとんど捨てたことがなく、亡くなって7年もたつ亡き父の服までものすごい量。先週の資源ごみで45Lゴミ袋満杯で12袋出し、今日13袋まとめた。衣類だけでもまだ半分も済んでいない。やってみないとわからない想像以上の疲労感。本当に疲れ果てる。
 次から次へと出てくる自分が小さな頃母が着ていた見覚えのある服。急激な認知低下が進行し、ほぼ記憶を失った今、それらを選別し、ゴミに出すのは心身ともに辛い作業。自分で作ったり、手編みで編んでくれたセーターなどが出てきて胸が締め付けられる。かといって取って置いても今着れるようなものはなく、シミや虫食いも多数。迷っているうちに時間が経過していく。今後も布団廃棄、仮住まいやその後の建て替えで母の婚礼家具をどうするか、琴やオルガンまで。そもそもそれがいつ始まり、いつ終わるのかまだ未定。遠出する気にもなれずストレスは増大していく一方。
 ただ、この作業を60過ぎてから終活としてやるのは大変過ぎる。この機会がなかったら本当のゴミ屋敷にしてしまう可能性もあり、必然として与えられたきっかけとも捉えることができる。

8.18 "Highway to Oblivion"
 これまでカスタムというものに縁遠く、本当に必要なパーツ以外ほぼノーマルで乗り継いできた。しかし厳しい排ガス規制に対応した巨大なサイレンサーはどう見ても野暮ったい。検索してみると、たった一本の筒が10~15万。ありえない。
 さらに検索。奈良にあるLCIパーツというメーカーが4万で出しているのを発見。YouTubeで動画をあさるが、今一つ情報が少ないうえ実際の音量がわからない。深夜暖機することも多く、近所迷惑は避けたい。結局のところ、どのメーカーのものを買っても目の前で音を聞くことはできず、LCIのを注文、盆前に届いていた。
 本日午後取り付け。エンジンスタート。
「うるさくない」
 拍子抜けするほど変わらない。大きな触媒はそのままなのでサイレンサーのみの交換ではあまり変化はないよう。そもそも直接のエンジン音が大きい。走り出す。
「低速トルクが減った」
 アイドリングでクラッチミートしてもエンストはしないが、明らかにトルクが減少している。山道に入り、スロットルを開ける。
「抜けが全然違う」
 サイレンサーだけでこんなにも変わるものか。ノーマルでは低速トルクがある分どこかぎくしゃくした感じがあったが、スムーズで乗りやすくなった。まだバッフルを付けているので外してみるのもありかも。車検時ノーマルに戻すのがネック。

8.13 "この街のどこか"
「織と彦」2/4>3/4?>4/4? #21
 洗濯物取り込みで近所情報通のお向かいさんとベランダ越しの会話。家の猫には気付いていたらしくその話に。そこで衝撃の事実が発覚。
「あの日、小学生の女の子が1匹を拾っていった」
 記録を読み返してみると、発見後3日目の早朝に彦と織を保護、その日中、隣の家で動いている残りの2匹を目撃。夜仕事に出る前には1匹の姿はなく、彦と似た茶白が瀕死の状態で横たわっていた。ということは小学生が拾って帰ることができる下校時にグレーが保護された。茶白はほぼ助からない状況だったが、翌朝消えており死骸は確認していない。
「彦と織の兄弟が、少なくとも1匹生きている可能性がある」
 そう考えると死にかけていた1匹も保護したかったが、4匹の時点で1匹を残すのは不憫だしあの時点で2匹は妥当。女の子の親は飼うことを許してくれただろうか。拾われたグレーは元気で生きているのだろうか。会いたいし会わせたい。ひょっとしたら死にかけていた茶白もどこかで生きているのでは。お隣への聞き取り調査と、家の前を通る小学生を見つけたら聞いてみよう。
 いつもと違うまなざしで彦と織を見つめるが、まったくわかっていない様子。命の不思議に感動した一日。

8.5 "Above The Sky"
 4年と1ヶ月と1日をもって事故の裁判が終結。といっても一昨年夏の足の症状固定以降何かしたわけではなく、2ヶ月前に一度裁判に出ただけ。過失割合では納得いかないが、かなりふっかけた金額をあっさり飲んだということで、こちらの弁護士は妥当という見解。過失割合にこだわればまだ争うことも可能だったがこれで幕引きに。
 車1台、バイク4台所有のため特殊な保険のかけ方をしており、今回対象となったのは車のファミリーバイク特約。今は業務撤退したアメリカンホームダイレクトの担当にはお世話になった。大阪の弁護士も2度広島に来てもらい相談、裁判も面白い体験だった。ちょっとした宝くじ並みのお金を得たものの、右足の小転子は遊離したままだし股関節の可動域は制限あり、挙上保持にも難がある。ただ、障害の代償はもう無意識下で行っているし、日常生活の何の支障も感じていない。お金は要らないから事故がなかった方がよかったというのが本音だが、バイクにも乗れるし船も漕げる。それで十分。

 プチガーデニングが面白い。挿し木したシャコバサボテンは伸び、アジサイは芽を出した。早咲きのオレンジのコスモスが咲き誇っている。蔓ばかり延びていたあさがおは、毎日大輪の花を咲かせる。苗ではなく種まきからスタートしたので思い入れが深い。

8.2 "What's Up"

7.25 "Tonight's Sky"

7.7 "Tonight We Are The Only"
「織と彦」2/4 #20
 名をもらった七夕。生まれてから623日目、20ヶ月と15日。体重4.2/5.2で大きな変動なし。彦の肉眼的血尿はなく経過観察中。変わらない平和な日常。彼らはどう思っているか。

 上半期バイクで動くことが多く、やっとのことで今期初めての航海。倉橋の鹿島から羽山島〜横島〜黒島とまわろうと思ったが、12:25のフェリーは間に合わず13:55に。尾立から鈴鹿島〜小情島〜情島に変更。情島といえば真っ先に思い浮かぶのは周防大島だがこちらは呉。
 16:00出航。日の入りが19:25なので3時間半はある。しばらくは穏やかな入江を進み、最初のターゲット鈴鹿島へ。島カウントは上陸が自分ルールなので浜でしばし休憩し小情島へ。ここも狭い砂浜しかなく早々に情島へと漕ぎ出す。
 本日の目的地情島。集落の南の小さな浜に上陸し歩き出した。すぐに寂しい光景が目に飛び込んできた。
「限界集落」
 朽ち果て、人の気配のない家々。調べると戦後の最盛期200人ほど住んでいたというが、数年前には6〜7人と。細い路地から見えるのはすべて廃屋、それも近年のものではない。上手の学校らしき建物に導かれ奥へ。正門からは草むらとなった校庭。分け入りたい衝動にかられるが短パンなのでマダニが恐い。目的地ではもれなくヤブ漕ぎがあるのに去年と同じミスを犯してしまった。校門の前に人感センサーと連動したデジタルカメラが設置してある。手をかざしてみるが機能していないよう。
 校庭を見下ろせる道に回りこんでみる。ここもヤブに覆われていて注意しながら進む。
「なるほど」
 草むらとなった校庭を見下ろしていたのは金次郎さんだった。誰も居なくなった学校に一人残っているのがいつも彼。何度経験しても慣れることのない寂しさ。検索すると最後の生徒は平成2年(1990年)だが廃校ではなく休校扱いらしい。これまでたくさんの廃校を訪ねたが、稀にあるケース。確か岩国の端島小学校が一度休校となったあと再開、卒業後再び休校となった。しかしここは違う。再開どころか近い将来、島自体が無人化の可能性すらある。
 人がすれ違うのがやっとの細い路地を散策する。島の北に人の気配を感じる家があった。センサーがあるくらいなのでよそ者は警戒されているはず。来た道を戻る。浜通りに出てほっととする光景に出会った。
「参院選ポスター」
 人がいる証し。ただ、ポスターを貼られていない掲示板は畑に倒れている。その畑には綺麗なタチアオイが数本。管理されているものか、自生状態なのかはわからない。
 センチメンタルな気分を引きずりながらパドリング再開。実は目的地はその先にあった。
「伏龍基地の碑」
 ゼロ戦による特攻や人間魚雷回天は有名だが、伏龍という兵器を知ったのはここ数年のこと。潜水服を着た兵士が爆弾の付いた棒を持って潜り、上を通る上陸艇を突くというもはや兵器というより水中竹やり。その訓練場がこの島にあったという。集落から3つほど先の浜に見つけた。当時のことはわからないが、現在集落からの道はなく、海からアプローチするしかない。
「なんという悲しい時代」
 平和な時代に生まれた自分が馬鹿げた戦法だと片付けるのは簡単だが、若い兵士たちがどういう思いで訓練していたか想像を絶する。碑の奥には防空壕らしき穴。隣りにはこの島の沖で沈没した戦艦日向(真珠湾攻撃、ミッドウェイ海戦にも参加)の殉忠碑がある。この浜にも機能していない人感センサーが設置してあった。蝶が舞う穏やかで小さな浜に当時の面影はない。

7.4 "人と人"
 物心ついたときにはすでに居間の柱の上にあり、チクタクと時を刻んでいた。高さ60cm、幅30cm、奥行15cm、古いゼンマイ式の柱時計。文字盤の「4」と「8」の内側に穴が開いており、一つは駆動系、一つは時報で、ネジ巻を差し込んでゼンマイを巻く。子どものころは父がやっていたが、自分たちの成長に伴って椅子に登って巻くようになり、そのうち椅子も必要なくなった。柱には自分と弟の成長が傷として残っている。
 時計の上部には小さなレリーフ、文字盤には白鳥のエンブレム、扉中央に「ジルバ香粧店」と書いてある。ネット検索してもヒットしない。香粧とは香料と化粧品の総称で、明治32年に出自がある古い言葉らしい。けっして安価なものではないだろうし、販促とも考えられず、どういう経緯で家に来たものかはわからない。化粧品店にあったものを譲り受けたのだろうか。父は亡くなり、母も記憶を失った今、神のみぞ知る。
 いつ頃まで動かしていたかはまったく覚えていない。父が確かな頃は管理していたような記憶があるが、間違いなく20年は止まったまま。何度か動かそうとしたことはあるが、錆びついていてすぐに振り子が止まった。もう10年以上原爆投下の8時15分に合わせていたが、その存在は空気と一緒だった。
 意識したのは数年前、佐賀の泊れる図書館「暁」に泊ったとき。現役のゼンマイ時計がかかっていて、静寂の中に淡々と流れるチクタクに、子どものころの記憶がよみがえった。具体的に動き出したのは去年母がグループホームに入ってから。もちろん処分するのではなく直す方向で。ゼンマイ式時計が稼動している行き付けの珈琲屋さん「木小屋」で聞いてみると、お客さんに廿日市の時計屋さんがいるという。何度か電話してみたがつながらずやっていないようだった。その後も市内繁華街の老舗時計店で聞いてみたが、何万もかかりますよとやる気のない返事。そもそも居間で過ごしていて見える範囲に八つの時計がある。緊急性なく時が過ぎていった。
 5月のある日、FACEBOOKの友人がゼンマイ式時計の修理を投稿しており目が釘付けになった。すぐにメールすると、加計にある時計屋さんらしい。
「もうすぐ吉水園」
 毎年6月と11月のたった8日間だけ開園する庭園。モリアオガエルに会うため、初夏のルーティンとしてもう10年近く通っている。教えてくれた友人との出会いにも感じるところがあった。カワサキの旧車にのるYさんとは2015年4月、岩国のレトロ自販機「欽明館」で出会った。会ったのは後にも先にもこのときだけ。その後も投稿に「いいね」しあうだけだったが、古い物への興味に共感を感じていた。
 6月1日、メインストリートにある時工舎時計店を訪ねた。出てきたのは40前後の男性。意外に若く、ゼンマイ時計の修理をするには多少の違和感を感じつつ修理出し。期間は1ヶ月。時間の調整は振り子のストロークをミリ単位で動かしていく必要がある。加計の町では、イベント展示してある木炭エンジンの鼓動をBGMに、モリアオガエルとも再会し帰宅。時計のなくなった壁は、56年間浴びていなかった光を受け輝いていた。
 7月、そろそろかなと意識していた誕生日に留守電が入っていた。
「ちょっとした誕生日プレゼント」
 翌日の休み、車で加計に向かった。お店に入ると、壁でチクタクしている家の時計が目に飛び込んできた。応対してくれたのは前回と違い、六十前の店主。行なった修理の行程を30枚近くの写真に撮っており、それを見せながら説明してくれた。
「けっこう大変だったよ、80年は経ってるんじゃない」
「白鳥のマークはどういうメーカーかわかりますか」
「初めて見るね」
 錆びついたビスは綺麗な真鍮のものに交換してあるが、経年劣化はそのまま。
「味があるからね。変えすぎちゃいけない」
「絶対やっちゃいけないのはCRCを吹くこと。スイスのオイルを塗ったから20年は動くと思うよ。次の修理はもうできないけどね、ははは」
「こっちも20年後は似たようなものですよ」
「今の時計は故障しても部品がないで終わりだよ」
 設置にも注意が必要。正確に垂直を出す必要があり、傾いていると止まってしまう。
「文字盤の裏に名前を書いとこうかと思ったよ」
「なんか書いてあったんですか」
「1967と書いてあった」
「えっ」
 自分が生まれた年だった。
「さっきは80年ものだって、写真は撮ってないんですか」
「撮ってない。おそらく修理でもしたんじゃない。見たかったらばらし方を教えておくよ」
「やめときます。もう一つ古時計があるんで気が向いたらお願いします。毎年吉水園に来るんで」
「ちょっと待って」
 店主がくれた名刺には「加計木炭自動車を動かす会代表」とある。思い出した。最近衰えを意識せざるをえない脳内で、「木炭」と店主の顔を結ぶニューロンが繋がった。
「10年くらい前話したことがありますよ。木炭エンジンのことを教えてもらいました」
 修理代25,000円。1967年の修理にいくらかかったかはわからないが、25,000円割る80年で年間維持費約313円、月割り26円。
 帰宅して垂直出しし、振り子を動かす。チクタクと小気味良い音を出して時を刻み始めた。物心ついたとき6人が住んでいた家も今は自分一人。原爆で傾いたままの母屋も、数年後には立ち退きで消滅する。
「8時15分にセットしていたのもまったくの無関係じゃない。原爆を生き抜いたのかも。」
 止まった時が、再び動き始めた。

7.3 "What's Up"

7.2 "Tonight's Sky"

6.24~25 "おはようおやすみ"
 やることが山ほどある中、彦が眺めている窓からはハイコントラストの青空と白い雲。
「家にいては人生の無駄使い・・・プランは?」
 すぐに浮かんだのは3年ほど前から気になっていた長平の碑。江戸時代、高知から遭難して鳥島で12年を生きぬいて生還した男。香我美駅敷地内にあるドルチェも期待大。
 抱き合わせでスイッチバックの秘境駅、土讃線新改駅。時間が許せば坪尻駅も。
 明日も仕事だしスタートは13:00過ぎるだろうが、片道300km圏内は近所ということで。
「Instinct GPS捕捉。彦織、留守番よろしく」

 13:46五日市ICイン。休日の高速は流れが悪い。あおり運転が問題になっているが、追い越し車線を遅く走っている車はその比じゃない。普段明るいうちに走ることが少ないのでストレスフル。
 通過することが多いしまなみだが遅い昼を摂ろうと来島海峡SAによってみた。こんなにきれいなSAだったっけ。中国人がいっぱい。鯛せいろ蒸し御膳をいただいた。
 右肩痛は続いているが、クルーズコントロールの恩恵を受け快調に距離を延ばす。対面の高知道では前車に詰まり、何キロもステアリングに触れない区間があった。大豊付近で猿が前を横切ったため急ブレーキ。これまで同じ日に猿とキジと犬に出会ったことが2回あり、頻度の少ないキジに期待。
 SA/PAごとにだらだらするため南国ICを出たのは17:20。18:00ちょうどに香我美駅に着いた。手作りジェラートのお店、「ドルチェかがみ」は18:00閉店、ぎりぎり間に合った。期待していなかった裏返しかとても美味しい。ただ、「外のベンチで食べていいか」と聞くと「片付けるから」と断られた。断言はできないが、雇われではなくオーナーっぽいおじさん。駅を離れる19:00にはまだ電気が付いていた。ジェラートを食べる時間なんて10分もかからないのに残念な対応。ほんとにちょっとしたことなのに。
 無人島長平の碑。傍らに小さな墓石もある。FRPの像はもちろん想像の産物だろうが、記録の残っているサバイバル生活では人類史上特筆すべき実話。江戸時代にあって、生還後60過ぎまで生きたことを考えると驚きしかない。19:00、辺りは暗くなり始めている。300kmオーバーだが給油は1回で済みそう。秘境駅上位の土讃線新改(しんがい)駅へ。
 後にも先にも車はいない。もちろん外を歩いている人はいない。民家はなくなり、街灯など一切ない漆黒の闇を駆け抜ける。ふっと明るくなった場所に災害通行止めの単管バリケード。災害直後ならまだしも、バイク1台通れないはずはない。未舗装区間はあったが、案の定問題なく通過できた。あとでわかったことだが、この通行止め区間が通れなければ北側から10km以上迂回しなければならず、この時間では現実的じゃない。裏を返せば、この駅がいかに利用されていないかということ。荒れた道を走ること数分。
「えっ」
 たどり着いた秘境駅は、拍子抜けするほど無駄に明るかった。スイッチバックのこの駅は引込み線の奥にあり、この時間もう停車する列車は来ない。そういえばバリケードのところで思案しているとき、列車が通過する音がしていた。そうこうしているうち警笛が。引込み線手前の本線を通過していく。
「しまった、次は」
 通過する列車を調べるとほぼ1時間後。なかなか来れる場所じゃないので待ってみよう。付近を散策。色んなところでガサガサ音がしている。夜の住人たちが、よそ者を警戒しているのだろう。駅ノートがあったので記入。
「おっ」
 21:00を過ぎたころ、照明がいっせいに消えた。かつて駅寝した宗太郎(大分日豊本線の秘境駅)を思い出した。秘境度が一気に高まる。明日が仕事じゃなければ1泊していきたいのに。列車はそろそろか。ふとそばの草むらをみると蛍。明るいままだと気付かなかった。
 警笛が聞こえた。駅には入ってこず、3両編成の列車が通過していく。さらに10分待って逆方向も。
「さて、帰りますか」
 帰路につくとはいえ高知道大豊ICまではまだまだ山中を走る。飛び出してきたタヌキと猫を緊急回避。犬はともかく、結局キジには出会えなかった。
 22:41大豊ICイン、石鎚SAで夜食。織と彦をモニターで確認すると、そわそわ動き回っている。やつらのためにもセーフティライドで。しまなみの橋の上では、新月に向かう下弦の月が海面に道を作っている。
「やっぱり夜がいい」
 1:35向島本線アウト。この時間もう高速は必要なく、がらがらのR2とバイパスを乗り継いでいく。家には腹を空かせたやつらが待っている。

6.22 0:53:44 "Summer Solstice"

6.20 "キセキ"
 所用あり3年間を過ごした場所へ。懐かしく変わらない顔がたくさん。時の流れは、図書室のおばちゃんがおじさんに変わっていたのと、東警察が跡形もないこと。

6.15 "Unsainted"

6.12 "Carry On"
Andre Matos 1971.9.14~2019.6.8

6.7 "無情のスキャット"

6.4 "What's Up"

6.1 "Tonight's Sky"

5.12 ""
 背中が痛くてバイクに乗れないのと、周囲の影響もありガーデニング。先日すでに耕し済み。腐葉土、肥料、石灰を混ぜふかふかにした花壇にひまわり2種、あさがお、コスモス、すずめうりの種をまいた。出てきた得体の知れない球根も埋め戻した。白い彼岸花かも。
 どういうタイミングか母の日に植物公園の話が出て決行。20年以上は行ってないはず。福利厚生で駐車場以外の負担金10円。興味を持って見るとすごい施設であることに気付く。すでに帰りの車の中では忘れている母も、瞬間瞬間は楽しめているよう。坂に車椅子なのでかなりハード。涼しくなったらリピート。

5.2 "What's Up"
 前夜、朝早く起きれたなら土讃線坪尻駅と新改駅、余裕あれば土佐長平の碑をプランニングも目覚めたのは昼近く。さてどうする。今日は新しいGPSギア、Garmin Instinctと新調したBates×Kasawakiコラボメッシュジャケットをシェイクダウン。Garminは今持っているのをカヤック専用に、Instinctは心拍計が付いているのでライフログ、ツアーログの普段使いに。
 結局スタートは15:00。福塩線の秘境駅中畑駅だけ決めて走り出す。3連休初日の高速は予想通りの混雑ぶり。けっして自分の運転が優れているわけではないが、危険な車がたくさんいて安全運転に徹する。当然距離は伸びずストレス増大。
 16:50に中畑駅到着。30分ほど待つと三次行きの汽車が来るので買っておいたコンビニ昼食。県道からのロードノイズはあるもののほぼ鳥の世界。民家はあるが人の気配はまったく感じられない。ノートが置いてあり記入。そうこうしているうちに汽車が入ってきた。10人程度乗っているが、もちろん降りる人はいない。
 17:20。日が沈むまでまだ1時間以上あり、福地簡易郵便局まで足を延ばしてみることに。途中見たことがある光景にバイクを寄せるとレトロ自販機のLOGLAND。故障中の貼り紙あり。
 福地郵便局は77年の「八つ墓村」で、濃茶の尼が「たたりじゃー。八つ墓明神はお怒りじゃー。」と叫ぶ印象的なシーンが撮影された場所。物置に使われていた土田さん宅のバス停ロケセットはもうない。撮影から40年以上、薄暗くなった周辺で写真を撮っていると、中の人が気付いてカーテンを閉められてしまった。ずっと訪ねたかった場所で、先日の明地峠と合わせてミッションクリア。あとは神庭の滝くらい。
 帰りにもう一度LOGLANDに寄って珈琲タイム。
 神辺で「Hideaway」というライブハウスを見つけ路肩に寄せた。ハイダウェイといえばBOSTONのトム・ショルツのプライベートスタジオ。もしかしてと思い調べたがジャズやブルーズがメインのよう。もちろんそれもいいがちょうど終わってお客さんが出てくるところだった。
 出るとき適温だったメッシュジャケットも気温12度では極寒。レインウェアを着ても震えながら走った。無給油347km走行でまだ残2L。良いデータ収集だが混雑による低燃費走行のため追い風参考値というところ。GPSの使い勝手は持っているものと変わりなし。
 帰宅後、LOGLANDについて久しぶりに懐かし自販機をチェックすると、つい先月動画があがっていてオーナーのおばあちゃんが亡くなったと。鹿児島の阿久津商店のハンバーガーも撤去されたらしい。改元フィーバーは引き気味でみていたが、昭和が二つ前の元号に変わった今、自販機の消え方が加速した印象を受ける。毎回最後と考えたほうがいいかも。

4.25 "Tonight's Sky"

4.22~23 "1985"
 背部痛ひどく完全公共交通機関の旅。広島駅から高速バスで三次。三次から芸備線で備後落合まで、木次線に乗り換えて亀嵩が目的地。三井野原~出雲坂根間は初めてのスイッチバック体験。面白かった。たくさんの駅をバイクで訪ねているが、やっぱり乗ると違う。車窓は散りゆく桜。
 宿泊した玉峯山荘は07年の日帰り入浴以来というからもうひとまわり昔。最近新しいバイクでの再訪場所が多く、時間の経過に驚く。

4.20 "Just place of Love"
 同じくあてのない桜旅。湯来からR186を右折、戸河内から191へ。広域農道で芸北に出て再び186に戻る。平地では散った桜も県北では桜吹雪。
 千代田で遅い昼食。まだ日も高く以前の仕事で水曜日コースの昼休憩場所だった香六ダムへ。土曜日ということもあり数組のファミリーキャンパーがテントを張っていた。
 ここまできたら、やはり仕事でトイレ休憩場所だった旧三江線式敷駅まで足を延ばす。廃線後初めてだが今にもキハが到着しそうなほどきれい。続く信木駅にはノートが置いてあり足跡を残す。所木駅では目の前にある土建屋さんに人の気配があり寂しい感じはない。ところが。
 山手にある船佐駅。ここは敷地内に民家があって、手前の建物には体操服が干してあり子どもがいるよう。奥の家には軽が1台止まっている。開けた場所にある他の駅とは違い、寂寥感がとんでもない。センチメンタルを通り越し、メランコリックな感情さえ芽生える。
 船佐から秘境駅中の秘境駅、長谷まで災害通行止め。対岸から迂回して寄ろうと走り出したが。
「!」
 家族が住んでいたと思っていた洗濯物の家。よく見るとここ数日中のものではない。父親のものらしき作業服。おそらく男の子のものと思われる体操服。学校の給食着。女の子の制服、パンツ。母親のものらしいキャミソールから下着まで干してあるが、すべてが埃をかぶって黒ずんでおり、とても最近のものではない。玄関に放置された自転車には、白いスニーカーと青い上履きが立てかけてあり、週末の雰囲気がうかがえる。これまで何度も廃屋をめぐってきたが、久々の衝撃を受けた。あまりにも日常的な光景から止まった時間は、この家族に間違いなく良くない出来事が起こったと容易に想像できる。いろいろな検索ワードも事件性のあるものはヒットせず、グーグルストリートビューを開けるとさらなる衝撃。
「モザイクがかかっている」
 ストリートビューには2011年と2013年のアーカイブがあり、その両方の建物全体にモザイク処理が施されている。表札や車のナンバーにモザイクがかけられることは多いが、建物全体が隠されていることは少ない。11年にはうっすらと赤い車が止まっているのが確認でき、13年のものにはない。12年の10月に初めて訪ねたが、もちろん洗濯物の記憶などない。外からうかがえる屋内の様子は明らかにゴミ屋敷で、洗濯物と時系列がミスマッチ。いったい何が起こったのだろう。この乾ききった洗濯物はいつ干され、いつまで干されているのだろう。後ろ髪を引かれながら、船佐駅をあとにした。
 長谷駅には以前あった書き込みノートはなく、ホームに線路の敷石を使って「ありがとう三江線」と書いてあった。ここで感じただろう寂しさは、あの洗濯物の衝撃にかき消されていた。

4.13 "Sweet Sweet Memories"
 目的地はないのでこの前融雪剤で引き返したR186方面へ。久地PAで遅い昼食。なかなか出来ないなと思いながら、15分待って券売機と厨房が連動していないことに気が付いた。最近こういうミスが多い。
 加計スマートで降りてR186へ。土曜日のため譲らない遅い車にストレスを感じつつ浜田に入った。そのままドライブイン日本海を目的地に設定するが、浜田駅の標識に誘われどんちっち時計の前に立った。30分待って16:00の神楽。懐かしい。
 せっかくなので少し引き返してコケッコーの後野小学校に立ち寄る。まだ桜が残っていてラストシーンがよみがえった。
 2度目の日本海。にくそばを食べたあと汎用機で12番のノアールを買おうとしたら柿ピーが落ちる。おかしいなと思いもう一度1番2番の順で押すとまた柿ピー。ここで12番の番号があることに気付く。認知低下というより視野の狭さ。1度ならまだしも2回も同じミスを犯さないと気付かないとは。久地PAのことも含め、仕事で気をつけないと。敷地内には鮮やかなオレンジのマリーゴールドと紫のデイジーが咲き誇っていて、残念なミスを慰めてくれた。
 ツーリングマップルに載っていた野坂の桜並木が気になり、浜田方面に少し引き返して県34へ。標高が高いためほぼ満開、圧巻の散り始め。遠回りのかいあり。
 R191に合流して一度は帰ろうとしたが、引き返して美都温泉。二匹とカヤックで激減したバイクの旅。忘れていた温泉の素晴らしさを思い出す。起爆剤として期待したH2への乗換えは、原点回帰に十分な効果を発揮している。
 県境は6度だったが、真冬装備と温泉で温まった身体はさほど影響を受けず。深入山で遅い車に急激に追いつくとなんとパトカー。しばらくの間40kmで後ろを付いていると、松原のT字路を右折したところで譲ってくれた。置き去りにするわけにもいかず、10kmのマージンを築きながら徐々に離していく。
 やはり夜走るほうがいい。あまりに暗いヘッドライトにコーナーリングランプ装着検討中。

4.8 "ユメオイビト"
 01~02年の大晦日に年越しした「ホテルせきがね」。名物の酒樽ふろに加え、美人なのにドリフのコントのような動きをする仲居さんが忘れられない。その後廃業したことは知っていたが、朽ち果てたストリートビューをみて行ってみたいと思いつつ数年が経過していた。
 実際現地に立つと、その荒れ具合によりいっそう寂しさを感じる。あの酒樽湯船は箍がはずれ、無残に開いていた。
 せっかくなので共同温泉に立ち寄り情報収集。地元の人によると、15年ほど前に経営者が亡くなったあと後継者がおらず休業し現在まで。聞く誰もが人気もあったと。
 中国地方最後の未踏自販機「ドライブインふじ」を検討するが、思いのほかアクセスが悪く見送り。2度目のトライとなる「八つ墓村」ロケ地、明地峠へ。見下ろす集落は多治見家ロケセットを実際に燃やした場所。前回と同じくR180を一本早めに右折するミスを犯し、またも日没間近。何とか見ることができた。
 それにしても寒い。出るとき23度だったので完全なる油断。大山に雪が残っているし、路肩温度計の最低が4度。身体はレインウェアでなんとかなるが、薄いレザーグローブでは台無し。指先からすべてが極寒。真冬より寒い思いをした。
 東城で香川飲食店に寄る。2回目ですでに顔。1時間ほどしゃべり、さらに寒さを増し塩カルが雪のような中国道を走り続けた。神原しだれ桜は散り始めている。

4.2 "What's Up"
 あてもなく桜めぐり。美鈴が丘トンネル手前の登り坂からスタート。神原はほぼ満開でたくさんの人で賑わっている。桜ヶ峠は標高と日当たりからまだ三分。不明峠が通行止めのため191に出て戸河内で遅い昼食。ここ数年ごぶさたの王泊方面へ。仙水湖あたりから路面に塩カルが残っているためかつてのお茶屋で引き返す。
 再び戸河内からいつもの吉和周回コース。里山の桜もさることながら、道なき山腹に咲く一本桜に感動するのは毎年のこと。気温2度。吉和展望台では新しい雪が残っている。冬と春の狭間。

3.31 "Still Got the Blues"
 H2、1,000km到達し初回点検、オイル/フィルターエレメント交換。フルパワーモードに設定し、6,000回転解禁して初めてのSAに。
 ZZ-R1100、ZX-10Rと乗り継ぎ、そのたびに速度制限とスペックの矛盾に首を傾げたが、さらに上をいくありえないパワー。法令順守すればこれ以上の性能は不要。加速もさることながら、中低速域がトルクフル。減速からの加速もギヤを下げることなく軽々とマシンを押し出す。それが楽でもあり、物足りなくもあり。
 SAは非常に感じの悪いスタッフが大声を出していて居心地が悪かった。
 もう少し走ろうとR433を川角に抜け、伏谷に差し掛かったところでパネルに「ICE」の表示。3℃以下で出る路面凍結の注意を促す警告。先へ進むと路面に水が流れている箇所があるので無理をせず引き返す。県77から71、桜ヶ峠はまだ三分咲き。神原しだれ桜は七分というところ。深夜にもかかわらず、若いカップルが写真を撮っていた。
 やはりライトが暗すぎる。早急な対応が必要。

3.30 "Tonight's Sky"

3.21 "Head Above Water"
 16:00スタートで今日も慣らし。市内の渋滞を避け高速で戸河内ICからR191へ。またしてもクルーズコントロールに感心。高速は好きだが1秒ごとに楽しめるはずもなく、単なる移動で過ぎていく時間がほとんど。肩の痛みも加わって恩恵は余りある。よくできたシステムで平地では設定速度を保持。登り始め、下り始めではタイムラグからプラスマイナス3km程度の加減速が発生するが、傾斜が安定すれば設定速度に戻る。今後の長距離移動に期待が高まる。
 R191は高速コーナーが連続するためせいぜい使って5速。まんべんなくギヤを使いたいため道の駅匹見峡で路線変更。県307からR488、県312で津和野に入った。早くも苔むした三桁県道を走ってしまう。
 昨年4月、モッチーと再会したとき以来のピノ・ロッソ。いつものように美味しいディナーをいただき、帰り際店内を見回して思う。1年来ていないとは思えない普通さ。明日も仕事、帰らないと。
「ごちそうさまでした」
 するとシェフ。
「1年ぶりの感じがしないですね」
 今思っていたことを言語化され爆笑。
 誰一人歩いていない津和野のメインストリートがとてもきれいだった。バイクを乗り換えることで期待したのはこれ。おととし二匹と出会い、去年海上へのツールを得て走る機会が激減した。これからしばらくの間、見慣れた景色が新鮮なものに変わるだろう。
 帰路、H2 SXの致命的な欠点を発見。
「暗い」
 厳密にいえばライトの暗さというより照射角の狭さ。街灯一つなくタイトコーナーが連続する区間では先取りができない。これは10Rでは感じなかったこと。
「そういうことか」
 H2の上位グレードには、フェアリングにコーナーリングライトというものが付いており、バンク角度をセンサーが感知して曲がる先を照らしてくれる。車両価格で30万ほどの差があるので今考えてもありえないが、ついでではなく必然性があったのだと気付く。残念なことに後付けのオプション設定はないし、ヘッドライトの明るさだけの問題でもないためどうしようもない。納車後おそらく半分以上夜走っている。街灯がある市街地では感じなかったが、旅のスタイルはむしろここにある。コーナーの先に鹿がいたとか、山側から猪が降りてきたとかけっして冗談ではなく、実際このときも2匹のタヌキが飛び出してきて轢きそうになった。コーナーリング中意図してバンクさせれば多少照射範囲が広がるが、先の見えないヘアピンでは転倒リスクが高まる。この車の用途が違うといえばそれまでだがかなりのデメリット。ずっとついてまわりそう。
 今更返すわけにもいかず慣らし続行。楽なのは確か。10Rではルーティーン宮島SAの35kmですら翌日筋肉痛になった。H2は5日で700km走ったが特に感じない。800kmで6000回転までアップ、全開(できるのか)は1600kmまでがまん。

3.20
"The Glory Of The Sacred Truth"
2006 ZX-10R:2009.4.26~2019.3.15
ODO 71,154km
実走 67,225km
給油回数 549回
ガソリン使用量 3,845L
平均燃費 17.05km/L
使用燃料総額 558,875円

 午後から慣らしに。魔除けの金蒔絵梵字ステッカーを貼ったのち、15:30五日市ICイン。
 マシンの特性とデータ収集が目的のためなるべく一般道を走りたい。志和ですぐに降りて高速ワインディングのある世羅方面へ。慣らしの4000回転が約100km/hでスロットル開度はわずか。開ければどうなるのか現時点では想像がつかない。
 久しぶりの宝積工場によるがミルクセーキが売り切れでミルクココアに。ここで作ってるんだろうに管理がなってない。
 まだエンジンは回せないのでパワーモードをL、トラクションコントロールは1にしてみる。スロットルが軽く、走り出しのクラッチミートが吹かし気味になるのでレバーを調整してみたが今一つ。エンストしないぎりぎりの低回転でつなぐのが理想。いろいろやっているうちに気付いた。
「アイドリングでつないでもエンストしない」
 以降走り出しスロットルを開けずにクラッチをつなぐがエンストは一度もなかった。
 17:00。10年以上前に1ヶ月滞在し、買い物した世羅・下徳良の三谷屋で惣菜ランチ。明日も休みなので、交通量が少なく、なだらかなコーナーが続く県央を北へ向かう。蛍で通った灰塚から三良坂へ抜け、去年10Rが動かなくなりかけた八つ墓村ロケ地、明地峠を目的地に設定した。下のギヤを使いたいため高速には乗らず、県道23をまず東城へ。この区間はR183を使えばとてつもない遠回りとなるが、中国道に沿い、割りと直線的な県道を使ってもかなりの時間がかかる。案の定東城についたころには19:00をまわり、ご飯を食べて帰ることに。地元スーパートーエイの駐車場で検索。香川飲食店というマニアックな料理屋がヒット、ここが良かった。
 客は地元のおやじ6人。みな知り合いらしく、すでに二人座っているテーブルに相席になった。話しかけられなければ食べてすぐ出るつもりだったが、やはり回避できず。同席のやまおかさんは、出身は東城だが自宅は広島市内にあり、整体の仕事のため平日は東城に滞在しているそう。結局一時間近く話し込む。お店の雰囲気も良いし、タイミングが合えばリピートしたい。久々の旅の出会い。
 東城から三次まで高速使用。三次で福原商店に寄って帰路に着いた。
 あらためてクルーズコントロールのすごさを実感。走行288kmで燃料計残量2目盛りは低回転のため参考数値。静かにライディングしている時のマシンの挙動はほぼ掴んだ。

3.16 "The Launch~Cool the Engines"
 きれいな月夜にあらためて出直し観音茶屋へ。
 ライディングポジションは10Rとは比較にできないほどアップライト。10Rの前傾を辛いと感じたことはなかったが、明らかに楽だと感じる。シートは幅広になり密着度は上がったが、まだ違和感は否めない。ウインカーが付いているミラーは最悪。張り出し具合を調整することはできず、狭い場所を通り抜けるのはかなり厳しくなった。万が一の転倒の際にはダメージも大きい。リヤシートの積載性が飛躍的にアップ。10Rに乗り換えて10年、あまりの積載性のなさからキャンプ道具を積んだことは一度もなかった。ただしキャンプしようという意欲がないのも継続中。
 機能を確認していく。楽しみにしていたクルーズコントロールは期待を裏切ることはなかった。慢性的な右肩の痛みに悩まされており、右手を離して巡航できるのはこれ以上ない機能。直進安定性も素晴らしく、車間をしっかり取れば両手放しで何kmも走行できる。エンジンブレーキを多用していたためスリッパークラッチに違和感。シフトダウン直後の効きがあまく2ストを思わせる。トラクションコントロールはワインディングを走っていないため自覚なし。200psスーパーチャージドエンジンのモンスターパワーも慣らし4000回転しばりのため未経験。燃費は2回の給油でアベレージ20km/L。回し始めると15~17km/Lあたりか。
 停車中の取り回しは非常に重い。自宅車庫入れは重さと車幅から何度も切り返しが必要。走行中はバンクのひらひら感がなくなり、ツアラーであることを痛感する。先代のZZ-Rに戻ったと言えばそれまでだが、10Rにあった高揚感は明らかに失われた。ただ、身体機能の低下と現在の用途を考えればベストな選択なのだろう。

3.15 "366日"
 夜勤明けの昼下がり。仮眠のアラームをセットするため携帯を取ると、ショップからの履歴。すぐにコールバック。新しいバイクが届き、オプション取り付け後17:00頃には渡せると。
 純正スクリーンに戻し、ETCを取り外した。最後にシングルシートカウルをタンデムシートに。スーパースポーツの象徴、グラマラスなテールが一気に市販車になる。
 2ヶ月も待った納車のうれしさより、寂しさが先にたつのはなぜだろう。目を閉じれば、種子島でレッカーを待つときに見た光景。
 夕方には雨の予報。明日にしようか。一眠りして考えよう。

 17:30、目が覚めて天気を確認すると雨は逃げたよう。着替えてショップへ。暗いグレーの車体はすでに夕闇に同化し始めていた。車幅がごつい。簡単な操作説明の途中に小雨がぱらつく。
 ETC2.0標準装備。とりあえずSAに向かってみようとエンジン始動。SA手前でもう少し走ってみたくなり行き先を観音茶屋に変更するが、掲示板には雨注意の表示。大竹ICで落ち始めたため降りて市内方面に戻る。以降再び降ることなく行き先を出島に修正したが、江波付近で再び降り始めた。みるみる強くなる雨。近距離のため雨宿りの選択肢はなく、とにかく早く帰ろうとあせるが、稀にみる暴風雨に信号待ちで身体をあおられるほど。結局自宅に戻った頃にはびしょ濡れ。車庫入れした途端に嘘のようにやんだ。劇的なシェイクダウン。

3.9 "More Than A Feeling"
Brad Delp 1951.6.12~2007.3.9

3.6 "はやぶさ2"
 リュウグウまでの距離を調べてみるとおよそ3億キロ。イメージがわかないので地球4万キロで割ると7,500倍。やはりイメージできない。
 持ち帰ったサンプルに未知の病原体が含まれているとか、撃ち込む弾丸で軌道が変わり、地球に衝突するとかないのだろうか。
 科学の発達した世の中といってもただそれを享受しているだけ。3億キロの彼方で、どうやってはやぶさをコントロールしているのかまったく知らない。それどころか、家の家電がどういう原理で機能しているかさえもわからない。

3.2 "What's Up"
 ZX-10R。年明けの時点では10万キロも視野に入れていた。この4月26日で丸10年。ODOは7万キロ超えだが今のペースでは10万キロにはまだ時間がかかる。いくつかの問題も。
●2度発生した遠出先でのステーターコイル焼きつき。(種子島、鳥取)
●そろそろフロントフォークのオイルシールが経年劣化する。
●一度も交換してないフロントブレーキパッドが交換時期。4枚で費用もかさむが換え時を逸した。リヤタイヤもほぼ使い切っている。
●2年続いている排気デバイスの不具合。ワイヤーを外してキャンセルできるらしい。
 一方、なんとなく考えていた現行モデルでの次期ツール。
Ninja1000:
 空力は維持。10Rからの乗換えではもっともベストな選択。しかし致命的な欠点は好きになれないこと。
Z1000:
 価格も手頃、ビジュアルも好みで最有力だがなんといってもネイキッド。フルフェアリングに慣れているので抵抗がある。
ZZR1400:
 一気に価格が上がる。ノーマルのサイレンサーがありえないが、交換は15万仕事。
W800:
 まだ早い。人生最後に。
国産他メーカー:
 カワサキへのこだわりというより乗りたいモデルがない。外車は論外。
 そのときの結論。去年車検を通したしもう少し乗る。しかし。
 1月13日、久しぶりにのぞいたカワサキのサイトで、頑張れば手の届くツアラーのH2 SXがあることを知る。以前のラインナップは300万を超えるため対象ではなかった。
 翌1月14日。この時点では単なる情報収集のつもりでカワサキショップに寄り、2019モデルのH2 SXが2月1日に発売になることを知る。なんとなく流れのよさを感じ、18モデルのカタログをもらって帰る。
H2 SX:
●長距離移動にはフルフェアリングは必須。
●10Rは180kmほどでF-TRIPになったが、タンク容量は19Lとなり少しだけ航続距離が伸びる。
●スーパーチャージドエンジンは最後のハイパワーマシンとしては申し分ない。
●価格は家の車より高い
●車重は260kg近くあり女子1人分重くなる。
●今後買えなくなる要素は山ほどあるが、今ならなんとか。
 1月17日にショップより電話があり、19年モデルが受注開始になると。もう20年以上お世話になっているショップだが、去年の中古カブが初めての車体購入。今年から販売ルートが変わるらしく、リッターバイクは扱えなくなるとのこと。買うならこちらで。
 具体的交渉に入る。10Rは購入時よりみてもらっており、状態を知っているだけに下取りは10万。そこでセンタースタンドとスライダー、タンクパッドを付け実質15万で成立。思い立ってわずか3日、流れるようなタイミングの良さを感じ契約となった。
 1月19日、総額の半分を入金。
 3月2日、残金の1/2と住民票渡し。3月中旬納車予定とのこと。
 3月5日、全額入金完了。

3.1 "生命の賛歌/太陽の塔"
 太陽の塔。去年のいつ頃からかAMAZONのお気に入りに1/350スケールフィギュア。気にしていると横川シネマでまさに「太陽の塔」のドキュメンタリー映画鑑賞。あとは行くだけ。
 今回も320km走って予約時間の10分前到着。高速道路から何度も見たが真下から見上げるととてつもなくでかい。約50年ぶりに公開された内部は息を飲むアナザーワールド。岡本太郎と当時の関係者、そして今回再生に関わった人々にひれ伏すのみ。これだけのために広島から日帰りしてもお釣りがくる。
 大阪万博が開催されたのは自分が3歳のころ。ちょうど弟が生まれ、父は行った。生きていれば話を聞きたかったが、生前万博について話をした記憶はない。
 帰路はいつになくセンチメンタルな旅。おそらく最後になるだろう10Rとの遠出に、過ぎ去った10年を想う。
 
2.27 "ヒカリ"
 先月予約済み、到着が楽しみ。

2.26 "Tonight's Sky"

2.23 "REASON"
 大学時代の友人とお友だち2年3ヶ月ぶりの再会。奥多摩、道志みちあたりは人生における旅の出発点。久しぶりに関東にも行ってみたい。

2.19 "Jump Then Fall"
 深夜、ベランダのトタンがベコベコと鳴るのはよくあること。窓を開けると、彦が反応した。凝視する先にとがった耳のシルエットが二つ。いつもなら窓を開けた時点で逃げていくが、どうやら肝の座った野良のよう。振り返ると、彦が瞳孔散大し、興味津々なようすで暗闇を見つめている。その距離1.5mほど。
 2階から遠くの野良を見下ろすことはあっても、ここまで至近距離で他人と接するのは初めてかもしれない。
「どちらが幸せなのだろう」
 自由を謳歌する反面、気温ひと桁の中、死と隣りあわせで糧を求める日々。一方、暖かい部屋で食を気にすることはないが、1部屋と階段だけの世界。野良猫平均寿命5年、飼い猫15年。幸せの概念があるかはともかく、お腹が満たされ、苦痛のない時間が続くことが、10年という途方もないライフタイムの差を如実に反映している。
 野良に興味を示さない織は膝の上。テイラー・スイフトのメロディに合わせ、右足はバスドラ、左手は背中でスネアの拍をトントン。激しい振動なのに目を閉じてゴロゴロいっている。
「少なくともこの瞬間は幸せなはず」
 寒空の下、2匹の両親はまだ生きているだろか。

2.17 "Friends"
 宮島サービスエリア。2輪パーキングに止まっている10Rを見たとき、いつもと違う感覚に襲われた。
 帰路、給油の必要がないことに気付いていたのに、無意識にガソリンスタンドの方向へ曲がってしまった。10年間慣れ親しんだコックピットもあと少し。

2.10 "The Witch/魔女"
 まったく期待せず観て返り討ちにあった。今後KIM DA MIから目が離せない。

2.5 "What's Up"

2.4 "Tonight's Sky"

1.24 "Bohemian Rhapsody"
 JAFの自動更新通知が30年と。正直保険のロードサービスが充実し必要ない。実際この間の10Rのトラブルでは対応の早い保険特約のサービスを使ったし、家までのタクシー代があとで振り込まれるという至れり尽くせりの結末。JAF利用は30年で6~7回。年会費4000円でもやめられず30年が経過したが、国東の山中や種子島のトラブルは思い出として美化されている。

1.17 "Playing Love"
 震災から24年。いつの間にか、終戦から自分が生まれた年までの年月を越えてしまっていた。原爆はそう遠くないついこのあいだ。四半世紀がそれほど長くない時間であることに驚く。

1.16 "Gabriel's Oboe"
 今年も良い旅を。

1.11 "Tonight's Sky"

1.6 "Night Comes Crawling"
 部分日食。雲のフィルターがほどよい。年末に向け日食グラス物色中。

1.1 "Livin' For You"