2018
12.22 7:21:51 "Winter Solstice"

12.21
"Moon Phases 2019"
Northern Hemisphere
Southern Hemisphere

12.6 "Moonlight"
 今、北海道は深川の上多度志を旅している。もちろんGoogle Map上でのこと。
 撮りためた「こころ旅」で、添牛内という魅力的な駅跡を訪ねる回があった。行った事がない場所だがなにか感じるものが。
「深名線」
 今は廃線となったかつてのJR路線。記憶の断片が線となってつながっていく。
「思い出した」
 86年から92年まで、東京は目黒区鷹番のアパートで6年間を過ごした。ある日、天井から水が垂れてきてすぐに大家さんに相談すると、上の階に住んでいる人が謝りにきた。それが赤岩さんとの出会い。以来顔を合わせたときには挨拶するようになった。1〜2年が経ったころ、赤岩さんが田舎に帰ることに。その彼の実家というのが上多度志。引越しの際もらった笛吹きケトルは、10年以上に渡って愛用した。
 91年、はじめての北海道放浪旅で赤岩さんを訪ねることになる。
 広い農地の中を走る一本道沿いのお宅。思い出すのは甚平のような服を着た赤岩さんのお父さんと話した時間。車で健康ランドに連れて行ってもらい、夜はけっこうな距離を歩いて地域の集会所みたいなところに泊めてもらった。空撮をたどってみる。
 深名線はこの旅の4年後の95年に廃線。線路跡は今もしっかりと残っていて、赤岩さんのお宅は線路に沿った道々98号線に面する家のどれか。東に進んでみるが集会所のような建物はもうない。連れて行ってもらった健康ランドは「秩父別温泉 ちっぷ・ゆう&ゆ」に間違いない。
「28年前」
 はるか昔のことになってしまった。多度志を訪ねる直前の深川で忘れられない思い出がある。跨線橋を下った三角地帯にあったホクレンのガソリンスタンド。洗濯物がたまっていて給油の際コインランドリーの場所を聞いたが、この街にはないという。すると店員さんがここでやっていけと。スタッフルームに通され洗濯、乾燥。当時の乾燥機はなかなか乾かず、結局4〜5時間滞在することになった。その間出前のラーメンをおごってくれた。数百円のガソリンしか入れてないのに。旅から帰ってもみじ饅頭を送った。
 ホクレンスタンドはセルフにはなっているが今も健在。あの時の店員さん。仮に30代だったとしてももう60代。お元気だろうか。そういえば07年トカラ・大東島の旅でも深川のおじさんチャリダーと出会って盛り上がったことがある。あの日の北海道、若き日の旅の空に思いをはせる。

12.2 "What's Up for December"
 11月30日。ニキシークロックが届いた。レトロ自販機に通い始めて4年半、うどんが出来上がる25秒限定ではなく、ずっと時を刻み続ける時計。
 子どものころ、電気製品は真空管だった。リモコンなどあるはずもなく、テレビまで行ってスイッチを引っ張ると、映像が出るまでかなりの時間がかかった。それでもイライラした記憶はない。廃屋となっていた田舎の母屋に壊れたテレビがあり、真空管を抜き取って「超電子ダイナモ」だと言って遊んだ。ぶち割って手を切った記憶も。ニキシー管バルブの寿命は200,000時間という。
「約23年」
 もちろん先のことはわからないが、この真空管の寿命が尽きる以前に自分の寿命が尽きる可能性は低くない。
「ライフタイムを表示しているのかも」
 できれば母、二匹、自分の順番でお願いしたい。
 迷った年月に匹敵するほど高価だったが、微妙に前後するオレンジの数字を眺めていると穏やかな気分になる。特に夜間の美しさは格別。実用的な時計というより、時間の浪費を楽しめる逸品。

11.29 "Tonight's Sky December"

11.25 "The Four Seasons"
 11:50中国電力本社エントランスホールでのヴィヴァルディ。第一ヴァイオリンの右前、チェンバロの左後ろというタッチの見える最高の場所にスタンバイ。正面にある大理石の白い壁には紅葉した楓の葉が反射し、時折路面電車が通り過ぎていく。
 ヴァイオリン10本、ヴィオラ3本、チェロ2本、コントラバス1本、そしてマエストロが奏でるチェンバロという編成。第一ヴァイオリンまで5メートルない。
「春」
 ものすごい臨場感。この距離で聴ける演奏会なんてない。面白いのが演奏者の視線。特に第二ヴァイオリンの白井さんは表情豊かで、コンサートマスターの佐久間さんに送る熱い視線がが印象的。
「秋」
 ゆっくりしたテンポの第二楽章では、みんなが第一ヴァイオリンの弓に合わせてタイミングを取っている。
「冬」
 ハイライトの第一楽章でミスがあり、終わった瞬間顔を見合わせて笑っていた。人間らしくてほっこり。
 ずっと続けていってほしいイベント。来年は行く行かないにかかわらず募金しよう。

11.24 "Land Of Hope & Glory"
 10:30アステール。3年ぶり3度目の「威風堂々クラシック」に行ってきた。10分前に到着するとすでに立ち見も満員。会場には入れず入口付近から中を覗く。
「なるほど」
 小さな会場のスペースの半分はオケで観客席はわずか。しかしイベントの主旨に賛同するなら不満はない。前説からすぐに演奏が始まった。
「威風堂々」
 大英帝国プロムスの代表曲。涙が出た。曲が終わり、マエストロの挨拶。ぐずる子どもの声も演奏の一部と。実際MC中に声を上げた1歳の子どもを母親ごとセンターに引っ張り出し、タクトを握らせる場面も。最年少の指揮者誕生。ホルンのミスが多かったり、顔で弾くチェロがいたりと色んな意味で見どころ満載。
 イベントはいろいろな編成で今日明日、広島市内各所で。どれかもう一つ行きたい。
 壁の反響なんて必要ない。楽器から大気を伝わってくる最短距離の音を楽しもう。

 夕方は109cinemasで"Bohemian Rhapsody"。タイトル曲は歌詞見なくても歌えるほど。知らない間にフレディ・マーキュリーが亡くなった歳を超えてしまっていた。ElgerからQueen、イギリスのメロディにあふれた一日。

11.23 "Air"
 本日で19年満了し20年目に。毎年この時期にするのが開設当初リンクしていた方々の今。ほとんどのサイトがリンク切れ、つながっても何年も更新されていない。そういう自分も数度サーバー移転してるため、1999年開設時のURLは真っ黒の表紙だけ。その中で唯一、当時のURLのまま今も更新され続けているのが雜賀雄二さんのサイト。すごい。
 疲労が蓄積し、休養と自宅の生前整理、母の散歩で過ぎていく日々。反面、一人の生活は充実していて、音楽と読書で満たされている。記録開始から初めて年間積算距離が10,000kmを下回りそう。ドライスーツのテストも兼ねて今年中にもう一度海に出たい。
 二匹は好きな場所が決まっていて、織は膝の上で香箱座り、彦はモニターの前。邪魔な上時折キーボードを踏んで訳のわからないショートカットを立ち上げる。飽きたら織にちょっかいを出すろくでもないヤツ。
 先ほど久しぶりにISS観望。時は流れても、変わらない秋の夜空に平安を感じる満月の今宵。ALSながら新作を発表するJASON BECKERの名曲「Air」で。

11.3 "What's Up for November"

11.2 "1102AM TaskBriefing TakeOff"
 1:00廿日市ICイン。日勤からの流れのまま、睡眠調整なしで徹夜状態。
「なんか辛い、衰えたか」
 いやいや、それが普通で今までが鉄人過ぎた。美東と鞍手で2度の仮眠を入れ会場到着6:40。一斉離陸20分前で帳尻合うところに自画自賛。田んぼに無造作に置かれたマットビハイクルに目を奪われる。
 今年で11回目。数十機のバルーンが一斉に飛び立って行く光景に、深夜の強行軍が報われる。露店で朝食を済ませたあと、土手の斜面に横になった。以後2時間はまったく記憶なし。目が覚めてからが良かった。
「気持ちいい」
 会場に流れるBGM、河川敷を吹き抜けていく風。半分うとうとしながら、その感覚を認識している状態。土手の上を歩いている二人の会話が聞こえてくる。
「ここで寝たら気持ちいいよね」
 はい、気持ちいいです。
 いつものパフェ屋「そらり」でナポリタンと紫芋モンブラン。
「さあ」
 奴らが腹をすかせて待っている。

 帰りの佐賀大和ICで長崎市方面に行こうかと迷い、いくつかのICで降りようかと迷い、結局どこにも寄らず帰宅。明るいうちに帰るなんて記憶にない。

10.25 "Tonight's Sky November"

10.23 "Alley Cat"
「織と彦」2/4 #19
「2017年10月22日。彼らはまだ、この世に存在していなかった」
 2017年10月23日、台風の暴風が明けた肌寒い朝。立てかけられた板の中に鳴いている4匹を見つけた。母親の姿はない。
「このままなら死んでいくのが自然の摂理」
 誰か通ったのか、家の中にいても鳴き声が聞こえてきた。
 3日後の2017年10月25日早朝。
「命のタイムリミット」
 何を血迷ったかメスの三毛を取り上げた。玄関で鳴く彼女をみてオスの茶も。残った2匹はその夜いなくなってしまった。メス150g、オス180g。手の平におさまり、ドンキーの小ハンバーグと同じ。もっとも必要のないと思われた技術を使って、体温維持と数時間おきの授乳、排泄介助を行った。
「織と彦」
 大好きな星、ヴェガとアルタイルにちなんだ名前。離乳食、予防接種、避妊、去勢手術を経て日ごと大きくなっていく。そして昨日、丸1年が経過。織3.5kg、彦4.6kg。あの朝から20数倍、前週とほぼ変動なし。
 2018年10月23日、完全に家の住人となり、2階を占拠。大音量でメタルが流れていてもくつろいでいる。
 星になった2匹とは今日でお別れ。時折母を交え、なんでもない幸せな日々を重ねていく。

10.11 "Drive"
 Soyuz、無事でよかった。

10.6 "Heart of Mine"
 先日、18年前八重山で放浪中1ヵ月行動をともにした横浜のケンジが家に来た。この18年間で再会したのはこれで3回目。家に来るのも初めてだが、米原キャンプ場で別れて以来何も変わらない空気が流れる。宮島を案内しようと考えていたが、台風で回避。おかげで丸々半日、家で近況を語り合った。またいつか。

 ここのところ、バイクや船を出そうと思うがなかなか。忙しさで疲労がつのる一方、自宅では穏やかな日々が続いている。母親がグループホームに入って以降かなりの金額を散財。いや、有効な自己投資と言うべきか。
 3年ぶりに復活したカブは近所使いで一番の頻度で乗っている。2部屋同時に購入したLEDシーリングライトは、タングステン光でやわらかい空間を演出している。生まれたころすでにあったボロボロのダイニングテーブルも更新。美しさに見とれている。同じくダイニングに170度まで倒せるリクライニングチェアー。あまりの気持ちよさにうたた寝してしまうことたびたび。冬を待たず石油ストーブ。電気を必要とせず、ランタン調の造形美に冬が待ち遠しい。そして昨日、BOSEの「Wave music system IV」購入した。
 リビングで過ごすことが多くなり、自室はほぼねこ部屋状態。さらに自室に置いてある30年使用のセパレートのCDデッキが不調。少し前から移動しやすいこのシステムが気になっていた。ネットワーク機能が付いたものは75,000円とかなりお高め。現物を見たいと夜勤明け福屋にあるというファクトリーショップを探すが、「THE OUTRETS」移転していた。家電量販店ではなくファクトリーを訪ねたのは正解。CD音源にこだわりがあるため、必要のないネットワーク機能を省いたものを50,000円台で買うことができた。
 BOSEとの出会いは27年前に買った111ADというミニスピーカー。現役使用中だがスピーカーコードの端子が壊れている。参考に聞いてみると、今も部品があり修理可能とのこと。自分で修理できるレベルで、費用も20,000円近くするためお願いすることはないが、修理可能期間の長さに驚いた。当時買ったもっと高価なスピーカーは、ゴムのエッジが朽ちてすべて使えなくなってしまった。高音になる車内に設置していたこともある111ADはいまだ現役。耐久力抜群。そのときの店員との話。
「確か91年頃買ったものです」
「その品番は久しぶりに聞きました。僕が生まれた年です」
 吹き出しそうになった。ここのところかなりの金額の買い物をしているが、けっして夜勤明けの軽躁にまかせたものではなく、何週間も吟味した結果。今買うものは残りの人生を共にすることになる。
 休日の今朝古いCDを引っ張り出し、小野リサのボッサでブランチ。今はBobby Caldwellのベスト。久々に聴く「Heart of Mine」にα波を感じる。密度のあるメタルより、ジャズやバロックなどすき間のある音源がフィットする。
 台風の強風でガタガタ揺れる窓に、危険を感じることなくお昼寝の2匹。室温29度。「南ぬ風(ぱいぬかじ)」が懐かしい沖縄の風を運んでくる。

10.2 "What's Up for October"

9.28 "Tonight's Sky October"

9.19 "Havana"
 2ヶ月ぶりのシーカヤック。安浦・大芝島よりスタート。この島は本土と端でつながっており、17年前当時まだ存在した大芝小学校を見に行ったことがあった。今回は取り壊された小学校跡地前から船を出す。
 最初の目的地はハート島小芝島。すぐ目の前にあり数分で北側の浜に上陸。空撮ではわからなかったが、岸からすぐの斜面にコンクリート製の倉庫のようなものが建っている。壁面には通気抗のようなものしかなく入口にはがっちりと南京錠がかかっていた。
 進路を西にとり柏島へ。無人島で船でしかアクセスできないにもかかわらず、立派な社が数棟建っている。一番大きな建物が倒壊し、屋根だけが無残な姿をさらしていた。
 3番前の島はすぐ南にある小熊島。取り付いたのは島中央南側の小さな浜。ここにも小さな小屋のようなものがあった。
 再び西に向かい馬島へ。この島には特徴的な光景が広がっていた。東側に深い入江があり、大量のカキ殻が投棄されている。島のようなカキ殻の山で入江内が迷路のようになっていて面白かった。ここでも浜に向かって土砂崩れがあり、小屋が倒壊していた。
 最後は再び小芝島に戻り、東側の岸伝いに漕ぎ進めたが、いたるところでがけ崩れが発生し、島のかたちが変わっていた。
 この日スタートの大芝島を含め5つの島をコレクションに加えたが、印象に残ったのは往復の里山の風景。熊野、黒瀬、安浦への抜けるすべての集落で災害の爪痕に驚く。まだ手付かずの場所も多く残っていた。

9.18 "上弦の月"
9.17 鈑戸の野墓
 今年に入って2県をまたいだのは1月の博多だけという記憶にない状況。7年越しの目的地を訪ねる。13:45五日市ICイン。200kmオーバーの鳥取日帰りにこの時間スタート。久しぶりの遠出も人間そうそう変わるものではない。三次までは快調に距離を伸ばすが、松江道では対面通行、速度厳守の車に引っかかりかなりストレスフル。追い越し区間も短くいらいらさせられる。15:41米子西アウト。一般道へ。
 目的地は鈑戸(たたらど)の野墓。火野正平の「こころ旅」で印象に残る風景の一つ。2011年にバスで出会ったおばあさんと、2014年に同じ場所で再会する話。これまでグーグルマップで何度も訪ねているため、良くも悪くも勝手知ったる道。すぐにおばあさんがシニアカーで渡っていた橋にたどり着いた。
「なるほど」
 野墓とは大山周辺に行われていた土葬の方法。棺の上に川原の石を積み上げた墓と、髪の毛等を入れた普段参る二つの墓を作るという。昔から死生観には思うところあり。ガンジスやチベットの鳥葬、実際目の当たりにした子宝島の風葬場、沖縄では清明(しーみー)で他人の墓参りに参加し、その土地ごとの送り方に死を考える。このような方法になったのはなぜだろう。案内板には理由までは記載されていなかった。使っている石はいろいろ。一見ケルンのようにも見える角張ったものもあるし、きれいに丸くなった川の石もある。名前は記載されていないが、杖や電気かみそりが添えられている墓があった。故人が生前愛用していたものだろう。
 場所が場所だけに歩き回るわけにいかない。手前に見えるものの中に日付の読めるものがあった。
「平成30年2月」
 すたれた風習ではなく今も続いていることに驚く。自然に還るという理想のかたち。墓は恐くも寂しくもなく、むしろ出会いの一つ。この墓に葬られた人に生前会っていたなら、一期一会の会話をしていたかもしれない。
「どこから来たの」
「広島からです」
「それはそれは」
 新しく石を積み上げられた顔も知らない故人と言葉を交わす。あのおばあさんでないことを祈りながら。帰り際、1台の軽トラックが墓のそばまで乗りつけ、降りてきたおばちゃんが手入れをし始めた。都市部の墓は斜面にあり自宅からも離れている。夕方気軽に寄れる平地。本来はそういうものなのだろう。少し話を聞きたかったが、戻ってくる様子はない。またの機会に。近くに来れば寄りたい場所がまた一つ増えた。
 時間はすでに17:00。昨夜は時間あれば20年ぶりの植田正治と考えていたがほぼ閉館時間。近くに何かないかと記憶をたどる。
「明地峠」
 映画「八つ墓村」のラストシーン。夏八木勲ふんする尼子義孝ら八人が、炎上する多治見家を見下ろした高台。実際にロケセットを燃やした古き良き時代。暗くなる前に着きたい。久しぶりの旅で紙の地図を忘れていた。スマートフォンで確認しリスタート。
 懐かしい里山を横目に良い意味で無心に快走していたが、違う峠を越えた時点でルートミスに気が付いた。スマートフォンではよれば全体像がわからないし、引けば道番号が表示されなくなる。やっぱり紙の地図がいい。あわてて引き返すが生山駅の近くで嫌な兆候が。ルート確認後エンジン再始動すると、メーターがリセットされた。
「種子島の時と一緒」
 周囲はすでに暗くなっておりヘッドランプでエンジン周辺を点検していると別のトラブル発見。シリンダヘッドガスケットからのオイル漏れ。こんな場所で動かなくなったらお手上げ。近いが山越えの庄原ルートを避け、野宿できる伯備線沿いを東城へ。途中にあった坂根駅で、買っておいたおにぎりとサンドイッチを食べる。誰もいないホームに線路が浮かび上がり、幻想的な空間が広がる。
「宗太郎だ」
 かつての駅寝の一夜を思い出す。無事東城までたどり着き、19:50高速イン。途中で止まる可能性もあるためおとなしく走行、七塚原SAで夕食。上弦の月と寄り添う土星を追いかける。21:34西風新都ICアウト。
手念 「何とか帰れそう」
 最後の給油をしてエンジンスタート。
「ギュル・・・」
「出た。ここでか」
 明日も休みなのでとにかく家に持ち帰りショップへ持ち込みたいところだが、押しがけダメ。JAFに連絡90分待ち。保険会社のロードサービスに連絡すると、すぐ来れるというのでJAFキャンセルし救援を待つ。ほどなく請負の自動車屋さん到着。バッテリー11.1、発電は10.1。ダメかも。とりあえずつないでエンジン再始動。家までギャンブルとエンジンをかけたまま急いでシートを取り付けるが作業中ストップ。峠一つ越えれば家なのに残念。ただ峠で止まるよりここで止まるほうがいい。レッカー決定。種子島、茎永の風景を思い出しトラブルを楽しむ。大山や七塚原で止まるよりまし。
 動かなくなった相棒を見送り、タクシーを呼ぶ。タクシー代は後精算で保険会社から出るとのこと。素晴らしい。日が変わって帰宅した家では、やつらが腹をすかせて待っていた。
 いろいろあったが無事帰れば勝ち。面白いエピソードがまた一つ増えた。

 本日昼過ぎショップに寄ってみると10Rが到着していた。カバーを開けるとやはりステーターコイル焼きつき。エンジンのガスケット含め6万仕事。いやはや・・・。

9.17 "Cello Concerto Wq172"
 波乱万丈のとても面白い旅だった。10Rとは種子島以来の別行動。

9.16 "We're Gonna Make It"
 天候不順のため特に必要としていなかったカブ。暗くなり始めた夕方、初めてODOを進めた。キックスタート、3速ロータリーの懐かしいフィール。
「カブだ」
 母の顔を見に行き、初回の燃料を補給して事故現場へ向かう。
「帰ってきた」
 90ccの動くカブで訪れる不思議。

9.7 "Need You Now"
 雨が降る前にカブ納車。久しぶりに軽1台+バイク4台(+1艇も)体制に。04年式90cc、丸目、藍、走行30,890kmで車体85,000円。セルなしキックスタートオンリー、右配置縦ウインカー。04年式で87年式と同じ仕様に驚く。事故の件で風向き悪く、通勤に使えるかどうかは雇用主の意向しだい。通勤に使ったとしても年間1,000kmちょっと、普段使いのみなら数百kmに留まるはず。自分のライフタイムを考えると、最後に残るのはこのマシンかもしれない。
 事故車についていた父のシートカバー、キーホルダーはジーザスのガーディアンベルを引き継ぐ。物は考えよう。事故にあったというネガティブイメージではなく、死線を切り抜け、また乗れるようダメージを最小限に抑えてくれたというポジティブイメージに変換。最初に事故現場に行き、危険回避とセーフティライドを覚えてもらおう。
 入れ替わりに父のカブとお別れ。あらためて見るとレッグシールドは大破、各所割れ多数。こちらも身代わりとなってくれた。テールランプを撫で見送った。

 年式について調べてみると、02年から04年の車体はすべて02年式とのこと。

9.4 "You'll Never Walk Alone"
 昨日どうなったかと思い出したカブ。タイミングよく今日連絡があり契約完了。行きつけショップで新車販売のワンオーナー車。リヤタイヤ、リヤキャリアを新品にしてもらって納車予定。3年ぶりにカブ主へ。

9.1 "What's Up for September"

8.28 "Tonight's Sky September"

8.20 "Think"
「織と彦」2/4 #18
 保護からちょうど300日目、発見から302日目。体重3.5/4.3kg。彦の血尿は肉眼的には落ち着いたが、前回の検査で依然潜血あり内服継続中。今後続けていかなければならない療法食が高価。そうはいっても飲む、食べる、出るは順調。そこそこ穏やかな日が続いている。
 見上げればヴェガとアルタイル。3年前眺め続けたあの空が広がり、2匹の初めての夏が終わろうとしている。
 星になった兄弟たちの分まで・・・。

8.4 "北へ"
 昨日はリビングのテレビでねぶたと長岡花火ライブをザッピング。スマホからBluetoothで飛ばすこともできるし、Wi-Fiでネットから直接受けることもできる。こんなテレビを3年も放置していたとはおどろき。
 便利さと引き換えに行きたい衝動を抑えられなくなるというデメリットが。

8.3 "Build The Love"
 一人で生活するようになって小さな変化が続いている。家にいる間果てしなく続いていた徒労がなくなり、心穏やかに過ごせている。
 掃除機を2台買った。21年ものの1台は先日壊れ、もう1台は85年東芝製の33年もの。ねこの毛と喘息対策から健康を左右する重要アイテム。日立のハイパワーを1階に置き、パナソニックの超軽量2kgを2階に。ただし毛ですぐいっぱいになる2階は、紙パックが余っている33年ものを継続。
 特筆すべきは炊飯鍋。16年使用の電気炊飯器が壊れた後、最新型を物色したがフィットするものがない。ネット検索でガス炊飯器に興味を持ち、すぐに炊飯鍋にたどり着いた。その結果とても美味しいご飯が炊けるようになった。手間はさほど変わらない。研いで買い物に出て、帰って火を入れれば30分で炊き上がる。タイマーは元々使っていなかったので問題ない。3~4万の電気炊飯器を検討していたのがばからしい。炊飯鍋は購入した5,000円でもハイエンドクラス。コストパフォーマンスも最高。ご飯を炊くのが楽しい。
 リビングのテレビを母の施設に持っていったため、3年ほど使用していなかった仏間のテレビをリビングへ。これが目からウロコ。2.1サウンドバーが壊れていて修理代がかかったが、Wi-Fi、Bluetoothに対応していてスマートフォンから飛ばしたり、You Tubeで音楽流しっぱなしにできる。
 10Rが5回目の車検。毎回これが最後と思って乗り続けているが、来年春で10年。開ければ加速するモンスターバイク。身体能力と動体視力がついていかず、新車を買うことはないだろう。いけるところまで。
 ショップでグッドニュース。新車のカブ110の問い合わせをしたところ、04年新車販売後、70歳代後半の人がずっと乗リ続けているという90ccの下取り車が出るらしい。1,000kmごとにオイル交換して走行3万km、8万円程度で出せるとのことで願ってもない物件。近いうちにカブ主復帰となりそう。
 彦の膀胱炎内服。錠剤を口に含ませると泡を吹いて嫌がる。彼なりに絶対飲み込んでやらないぞという意気込みが伝わってくる。フードに混ぜると敏感に察知してそこだけ避ける。ネットを検索するとありがちなパターンのようで、のどの奥に落としてシリンジで水を注入するという方法がビンゴ。一つ看護技術を習得した。
 最後は母の状況。入所してしばらくは帰宅欲求が強かったが、今は少し落ち着いたよう。時間を見つけては顔を見に行っており、距離を開けたことで良い関係を構築できている。
 現在は、自分の終活をも視野に入れた50年来の自宅整理に明け暮れている。

8.2 "What's Up for August"

8.1 "蜃気楼"
「織と彦」2/4 #17
 保護から281日目。長く経過をみた彦の血尿はおさまらず、7/23病院へ。迷った末保険には入らなかったので、今後腎泌尿器系疾患は自腹決定。その日は採尿できず抗生剤と止血剤を打って帰宅。3日ほどで血尿再開。飲水・食事摂取、血尿以外の排泄で特に気になるところはない。自宅での採尿できず、結局今日再診。
 膀胱用手圧迫で排尿なく導尿することに。血尿と軽度の通過障害、結石はないよう。膀胱への薬剤投与と注射。膿盆に出た血尿に触れた尿カテの先から薬剤注入していた。膿盆の清潔度が怪しい。内服をもらって帰宅。
「医療費がかさんできたぞ」
 仕方ない。死が手招きしていた彼らを生の世界に呼び戻したのはこちら。なるべく動きのよかった2匹を取り上げたのに期待はずれの彦。とはいえオペ適応じゃない疾患までは面倒みてやろう。ねこの泌尿器疾患はストレスの影響が大きいとのこと。大音量でメタルを流しているため音響機器を母のいなくなったリビングへ移動検討中。しだいにやつらの環境になりつつある。
 帰って治療フード検索。高い・・・。
「こら〜お仕置きだー」
 2週間ぶりに爪を切ってやる。
 星になった兄弟たちの分まで・・・。

7.26 "Tonight's Sky August"

7.21 "Miss Summertime"
「織と彦」2/4 #16
 保護から270日目、9ヶ月経過。忙しくて忘れていた七夕は2匹の名を冠した日。寝る時間を削って授乳・排泄介助した日々が思い出される。連日の猛暑、初めて夏に何を想う。
 豪雨の朝、母をグループホームへ。翌週16年目の炊飯器、22年目の掃除機、テレビのスピーカーシステムがたて続けに昇天。一つ歳を取ったと同時にいろいろな物が去っていく。街に目を向ければ、生まれたときから当たり前のようにあったズッコケ花山デパート、広電己斐店(あえてマダムジョイと書かない)が53年の幕を閉じた。先週は子どものころからあった金物店がわずか数日にうち無人のATMに変わった。
「壮年期から老年期へ。喪失の始まり」
 いやいや、この春海を手に入れ、部屋では2匹が駆け回っている。今週電気炊飯器を物色すれば、いつの間にかガス炊飯器に目移りし、ついには炊飯鍋を検索中。毎日自宅キャンプの夜を想像し、最高のご飯との出会いが待ちきれない。掃除機は紙パックを継承しつつ、やつらの毛を根こそぎ吸い取るミラクリーナーにほくそ笑む。
「晴耕雨読」
 暑ければ本を読み、涼しければ漕ぎまた走る。状況に抗わず無理をしない。古いものが去れば新しいものがやってくる。その穏やかな気持ちを持って、代わりのきかない母に会いに行こう。

6.30 "What's Up for July"

6.28 "Unbroken"
6.24 Voyage8 赤曲鼻(能美島11)~長島12~ホリスアイランド(沖野島13)~大黒神島14
 カヤックでは上陸した島をカウント。何度も起点となっている母の郷、能美島を追加調整。タンクの並ぶ鹿川の赤曲鼻から12:00ちょうどに出航。ウインドの人がたくさん。
 本日の目的地は長島、沖野島、大黒神島。最初に沖野島の閉鎖されたリゾート、ホリスアイランドのビーチを目指したが、上げ潮が近づいているため先に長島に向かうことに。区間距離5.54km、ジャスト1時間で北側の入江に到着した。この入江には大黒神島の採石場関連と思われる大小2隻の砂利運搬船が停泊していて、Googleの空撮にもはっきりと写っている。
「でかい!」
 フォールディングカヤックで近づけば、ほとんどの船を大きいと感じてしまう。昔沖縄で、停泊中の船には船員が常駐する義務があると聞いたことがあるが、ブリッジに人影は見えない。浜に上陸して遅い昼食。
 リスタート後船の周囲を回ってみる。この2隻、後部にタグボートがスッポリはまるような構造になっていて、サンダーバード2号とか、変身合体ロボのようでかっこいい。
 堤防のある狭い海峡を通過して北上開始。ご飯の間に潮が満ち始め、上げ潮に乗りパドリングしていない間でも前に進む。すぐにホリスアイランドに到着した。
 「マリントーク瀬戸内」、のち「ホリスアイランド」は、営業していたころからその存在は知っていたが、一度も訪ねたことなし。沖野島は20年ほど前、沖野島マリーナにヨットを持っている同僚がいて2度ほど乗せてもらったことがある。
 00年代後半には閉鎖されたというが、ビーチはきれいに管理されていた。トイレの水も出るし、電気も点く。ただ砂浜に降りる木のステップが傷み、しばらく開放されていないと推測できた。これだけの施設が放置されているとはとてももったいない。
 もう一度海峡を横切り、最終目的地大黒神へ。上陸はないが、同僚のヨットで沿岸をセイリングしたのがこの島。南側には大きな採石場が3箇所ある。牛石ノ鼻にある別荘地の一つ手前の浜に上陸した。朽ち果てた海の家風の建物一つ。別荘地からはチェーンソーの音が聞こえてくるので住人がいるよう。カヤックで渡った島の中でもっとも大きい。見上げれば最初に見える山頂に岩塊。トム・ハンクスの映画「Cast Away」を思い出した。
 不要な荷物を降ろしてセルフレスキューの練習。00年石垣島で購入した鼻までカバーするゴーグルを持参したが、装備の有無は関係なくロールがマスターできない。結局沈脱からの最乗艇をくりかえすばかり。また次への課題。
 新たに4つの島に到達して島コレクションは14。さらに累計の移動距離が100kmを超えた。バイクならわけない距離だが、腕だけの力で進んだ短くも偉大な100km。さて、次はどの島へ。

6.26 "Tonight's Sky July"

6.23 "Walk"
Vincent Paul Abbott
1964.3.11~2018.6.22

6.21 19:06:42 "Summer Solstice"

6.20 "Trilogy"
 半年振りにモカパス更新。貸し切りのミュージアムカフェでくつろいでいると、館外から直接入ってきた3人の外国人。上品なフランスのマダム(マドモアゼルかも)に声をかけられる。
「それはなんですか、カステラですか」
「シフォンです」
「おいしいですか」
「おいしいです」
 もちろん日本語で。

6.16 "Here To Save You"
 7回目の航海は初回以来の観音マリーナから。あの時の失敗をを教訓にリョーコーのファミリーマートでしっかりエネルギー充填。SUPしてる人がたくさんいる。
 今回の目的はセルフレスキューの習得。練習場に5km先の小弁天、弁天島を目指す。子どものころからそう呼んでいたが、ネット検索すると小カクマ、大カクマとも呼ばれているらしい。
 15:00スタート。途中休憩できる島はないためゆっくりとこぎ進む。2度の船待ちあり1km10分をキープできず。
 最初にたどり着いたのが北側の小弁天島。ほぼ干潮のためそばの岩礁とつながりかけている。
「なんという青!」
 これまで行ったどの島よりも青く澄んだ海。市内からたった5kmでこんな海があることに驚く。さっそく着替えて北側の島影、風がなく凪いでいる入江で練習スタート。最初はロール。沈脱(転覆して船から出ること)せずパドルの力でおきあがりこぼしのように元に戻る動作。すぐできるだろうとたかをくくっていたが、とても難しい。逆さになったとき鼻に水が入ってきて予想外にあわててしまう。上下感覚がわからなくなり、どの方向にパドリングしていいかわからない。おかげで沈脱からの再乗艇は完全にマスターした。幅の細いツーリングカヤックは、そのまま乗ろうとするとすぐにひっくり返る。一度船から出た場合は、まず裏返った艇を元に戻し、パドルの先にパドルフロートという浮きをつける。これを艇に垂直に差し、足がかりを作って乗り込む。ロールを何度も失敗しているうちにフロート使用の手順確立。最後はフロートなしでも再乗艇できるようになった。結局ロールは一度も成功せず。
 初夏とはいえ着衣で何度も海に入っているうちに体温低下が進行。浜に上がると強風で体感温度はさらに低下。ロールの習得は次回へ持ち越し。鼻栓必須。乾いたウエアに着替えて350m南の弁天島を目指す。
 弁天島は戦時中軍の施設があったらしく、東西に貫くトンネルがある。墓参りで三高行きフェリーに乗ったとき、一瞬だけ向こう側が見える瞬間があるのに気付いていた。西側の浜に上陸。すぐ沖をマツダ車を載せていると思われる超巨大船が通り過ぎていく。
「先輩・・・」
 人力カヤックに乗り始めてから動力船のすごさに気付いた。あんなでかい船に何千トンもの車を積んであのスピードで。
「訂正。師匠・・・」
 トンネルを抜けると、そこはキャンプ場だった。昔何らかの形で整備されたらしく、実際キャンプの残骸が多数。壊れてはいるが、しっかりとしたコンクリート造りのトイレもある。1泊で星を見上げたなら素晴らしい夜を過ごせそう。もう一つのトンネルも押さえておく。例によって日の入りまで制限時間いっぱい。再乗艇し島を1周して帰ることにする。
 海から見ると、もう一つのトンネルの周辺にレンガ造りの遺構あり。さらに中腹には手すりのある道のようなものも。
「行き付けの島に決定」
 ちょうど小弁天を離れるところでプラジャーボートの人から話しかけられた。
「どこまで行くんですか?」
「観音マリーナまで帰るところです。」
「気を付けて」
 ライダー同士がすれ違うとき挨拶を交わす感覚と似ている。
 結局可部島の教訓は役に立たず、マリーナに戻るころにはほぼ日が落ちていた。ピンクから藍へのグラデーションに、宵の明星と薄目を開けた三日月がこちらをうかがっている。これでドア・トゥー・ドアたった6時間のレジャー。ランニングコストはドリンクと昼食。得るものはグレートブルー。素晴らしいツールを手に入れた。

6.12 "Will You Remember Me"
 スマートフォン導入に伴ってISSを見る機会が増加。ここ最近19:00~20:00ころの通過でちょうど帰宅時間。今日も自宅近くでISSディテクターを立ち上げると、3分後に現れるとの知らせ。広角を見渡せる駅裏の駐車場で空を見上げた。
 マジックアワーのVENUSとJUPITERは息をのむ美しさ。金星の下から現れたISSは、しし座を通り抜け木星のほうへ消えていった。金井さん帰還後交替で上がったドイツ人アストロノート、アレクサンダー・ゲルストは、ちょうどISS興味を持ち始めたときに滞在していたクルー。勝手に親近感を持っている。それにしても。
「正確すぎる」
 JAXAの「きぼうを見よう」では若干の時差と、8分割の方位で出現を推測する楽しみがあった。ところがアプリを利用すると、方角から時間、軌道まで恐ろしく正確。スマートフォンに操られていることに気付く。人生を楽しむにはある程度のルーズさが必要。知りすぎると失うものがある。
 21:00には土星がのぼり、大接近を間近に控えた火星が続く。梅雨の晴れ間、惑星たちのカンファレンスに耳を傾ける。

6.6 "Never Enough"
「織と彦」2/4 #15
 保護から225日目、7ヶ月半。体重2.8/4.0kg。値は1週間前と変わらず。手術の際皮下脂肪が多いと指摘あり計量して給餌中。与える量が減ったと思われる。2匹ともまだ平均体重には達していないのでもう少し増えるはず。
 成長後期のフードがなくなったため本日から去勢(ベッツプラン メールケア)・避妊(ベッツプラン フィーメールケア)に変更。種類と量が個別対応となり器を分けることにした。これまでは同じフードを同じ器に入れていたが、2匹が同時に食べるには小さくなり互いを押しのけながら摂取。それぞれの摂取量も把握できていなかった。手間だと思われた個別対応はむしろ楽。ケージの別フロアで同時に置くとほぼ自分の分だけ食べ管理がしやすい。
 忙しさもありイベントなく過ぎていく日々。夜間、外出時はケージに、それ以外は部屋、階段、玄関ホールまで開放。自分も含めたそれぞれが自由気ままに過ごし、ルームシェアの様相。ふと、18年前全国を放浪してたどり着いた北海道鶴居村でのある朝を思い出した。
「今日何しよう・・・」
 非日常であるはずの放浪旅が日常に変わった瞬間。さすらいの旅人は単なる世捨て人に変わり、家へ帰ろうと思った。
 母をデイに送り出し、駆け回る2匹を眺め、わずかに残った時間で海へ、山へ。そんな気持ちを知って知らずか、おもむろにやってきては顔をこすりつけてくる織。甘えてるふりしてマーキング。
「なんでもない日常に幸せがある」
 星になった兄弟たちの分まで・・・。

6.3
"ステイ・ウィズ・ミー〜そばにいてほしい"
 金井さん無事帰還。

6.2 "What's Up for June"

5.27 "サヨナラはくちぐせ"
 車で宮島に渡るのは何年ぶりだろう。14:50宮島口発、10分で宮島へ。わき目もふらず大砂利まで。急いでクルーソーを組み立てるが出航は16:00になってしまった。ちょっと遅い。
 今日のターゲットは宮島の海の神々と無人島可部島。片道8kmは処女航海に次ぐ長距離。1km10分ペースをキープしないと日が暮れてしまう。今日は岸伝いで移動するので大型船を気にする必要がない。次から次へと現れる岬に心が折れそうになりながら、GPSの距離を頼りに漕ぎ進んでいく。最南端の岬、革篭崎をクリアすると、可部島と大竹のコンビナートが現れた。いつものように島を1周し、扇形の小さな浜辺に上陸した。
 ビーチにはバーベキューの残骸と、わりと新しい足跡あり。左手木々に覆われて目的のトンネルがあった。入口には中村と彫ってある。島の反対側に抜けると、さっき通過した革篭崎が見える。岩棚になぜか丸めたブルーシート。そうゆっくりしてはいられない。日没までに帰らないと。
 もう一つの目的は、大きな浜辺ごとにある神社。大砂利から西へ道はあるが、頑丈なゲートがあり一般車は走れない。復路は陸地の様子をじっくりと観察していく。革篭崎の巨石のかなり高いところに「大日本帝国〜」という文字が刻まれている。いつ頃のものだろう。次に寄ったのが山白浜神社。小さな岬の先端で木々に守られている。養父浦神社は左右に浜がなく岩に囲まれている。最後は青海苔浦神社。ここはかなり広い浜で、少し歩いてみると大砂利から続く道に出た。ここですでに時間オーバー。まだ3.5kmもあるのに日が沈んでしまった。暗礁が確認できないし、漁船から視認されず危険。そもそもこの後夜勤あり。フェリーの時間もあるし急がないと。
 大砂利にたどり着いた頃にはすでに真っ暗になっていて、どこから出航したかわからない。ポケットからジップロックに入った車のキーを取り出した。ロックボタンを押す。
「ここじゃない」
 暗礁に気をつけながら、岸伝いに少し漕いでは繰り返す。
「光った!」
 ところが最後に残念な出来事が。車の近くで片付けようと艇を担いで岩場を移動中石につまづいて船底をヒット。大きな傷を作ってしまった。航海に差し支えるほどではないが、いつか修理に出さないと。フレームにもかなりの重量をかけてしまったのでクラックや曲がりがないかも確認しておかないと命に関わる。
 包ヶ浦まで1台とも離合することなく21:25のフェリーに間に合う。もう1便最終があるが、これを逃すと夜勤に遅れそうだった。青海苔浦神社でのお賽銭が効いたか。桟橋で一羽のサギが見送ってくれる。
 帰って調べてみると、七浦巡りという神事があるそう。宮島の裏側は、厳島神社の喧騒をよそに静かなときが流れていた。
 ほとんど休みなく19km近く漕いだが、処女航海のときのような疲労を感じることはなく、徐々に筋力がついてきているよう。もはや最高速に意味はなく、疲労を抑えて10min/kmをキープするのが最優先。GPSの表示を設定しなおした。反省点はもちろん出る時間。
「教訓。日没までに片付けろ」

移動距離18.65km 最高速11.2km

5.24 "Tonight's Sky June"

5.21 "I Believe In You"
 栗城さんが山で死んだ。

5.19 "漂流~スカイハリケーン~"
 時間だけでなく感性も削られ、映画や美術館の頻度が減っている。現美の年間パスも更新せず早4ヶ月。しんどいときは無理することはない。ただし絶対スルーできないのが今開催中の奥田元宋・小由女美術館「児玉希望展」とウッドワンの「吉村芳生と吉村大星 365日エンピツ画」。ハシゴしようと思ったが時間制限のある観覧はしたくないし、心が一つだけでいっぱいっぱい。先に遠い方の三次を選択し14:01五日市ICイン。
 師弟関係でもある希望と元宋。二人とも広島出身のため県美の常設展で見た作品も多数。魑魅魍魎と骨と皮の釈迦は一度見たら忘れられない。ふくよかな仏像より説得力があり、強さと絶望が共存している。レストランでリッチに牛タンシチューのコース。美味。窓から見える強風にあおられる木々に心が落ち着く。ここのところ海の景色が続いていたためとても新鮮。長年走り続けてきて陸地での驚きはなくなっていたが、カヤックのメリットがここにも。残りは空か。
 帰路はお約束の福原商店麺類自販機。まだ日も高く、彫刻村を経由することに。グラウンドゴルフの工事が微妙に進行しているよう。林道はいつ行っても違う表情を見せる。川が2本出来てた。
 最短ルートを取ると必然的に南原林道を通ることになる。夕暮れに鹿がたくさん。かなり慣れているのかけっこうな距離まで逃げようとしない。キャンプ場は変わりなし。ペットボトルのゴミが散乱している。
 さらにフレンドの前を通るのでここでディナー。昼夜コースで贅沢な半日だった。

5.17 "ブルースカイ・ブルー"

5.12 "裸の島"
 故新藤兼人監督は地元石内小学校出身。セリフのない映画「裸の島」の観たときの印象は強烈だった。当然ロケ地の宿祢島に興味を持ち、三原を通れば対岸から遠望した。海上移動ツールを手に入れ、優先順位上位にランク。5度目の航海で訪ねることに。
 いつもより早めの午前中スタート。本郷ICから三原バイパスへ。終点のループを降りたところにある小さな港を出航地に選んだ。広島湾以外で初めての航海となるが、海は穏やか。下げ潮にも乗って2km15分で到着した。
 干潮を狙ったので岩礁伝いに島を1周。ロープが垂れているところがあったのでそこからとりついたがどうやら間違っていたよう。しばらくは木々がかき分けられ道のような状態だったが、ほどなくしてそれも消えてしまった。またいばらが出てきて、ついには斜度60度以上はあろうかというクライミング状態に。ここで落ちれば骨折して助けも来ず、変死体確実と、冷静なのか判断を誤っているのかわからない思考で上へ。もちろん標高が高くないことは確認しており、すぐに頂上台地へ出られるとは思っていた。
 願い叶い木々のない台地に出た。しばらく進むとすぐにあの場所を見つけた。
「家族4人が住んでいた小屋があった平地」
 撮影は今から58年前。それ以前男性一人が住んでいたという記録があるが、映画自体はセットだろうしすべて撤収したはず。おそらく後世のものと思われるビンや食器、貝塚のような貝が捨ててある場所もあった。
 頂上へ。今の所有権をめぐる経緯は地元紙でリアルタイムに知っていた。3年前に映画の碑が建てられ、Googleの空撮でも確認できる。関係者をはじめ島買い取りのため寄付された方々、新藤ファンのハリウッドスターベニチオ・デル・トロ、映画関係にたずさわる友人のいとこさん、ローカルFM曲のパーソナリティーなど知った名前もちらほら。パンをほおばりながら読み込んでいく。北東の木々の切れ目には出航地、南には佐木島、小佐木島が浮かんでいる。もう一度小屋があった場所に。奥には小屋の壁に使ったような板を発見。
 帰りの道はすぐに見つかった。しっかりとロープで誘導してある。この斜度を桶を担いで登るのはかなりの重労働だったに違いない。撮影からほぼ還暦。ほとんどが緑に覆われているが、映画のシーンを思い出させる風景も多数。殿山泰司と乙羽信子の姿と、あのなんともいえない寂しいメロディが流れてくる。調べてみると、殿山のお父さんは生口島の出身。自分が物心ついたときすでにおばさんだった乙羽も鳥取出身で、後に新藤監督と結婚。亡くなった際遺骨は宿祢島に散骨されたとのこと。
 再び船に乗り佐木島へ。映画の中で水を汲みに行ったり、収穫した農産物を売りに行ったりした対岸の島。きれいだが誰もいないビーチに上陸し、港まで散策した。出会った人は3人だけ。さらに向かいの小佐木島まで足を延ばす。集落にも人の影は見当たらず、至近距離まで近寄ってきたトンビにご挨拶。
 帰路は夕方ということもあり大型船の往来が多い。確認したつもりだったが尾道方面から現れた貨物船に警笛を鳴らされる。まだまだ経験不足。それにしてもまたもやヤブこぎに。帰ったらパドリングシューズに棘が刺さっていて完全に用途が違う。ボートを傷つける危険もあるため、重たくなるのは嫌だがトレッキングシューズ必携。

移動距離10.73km 最高速12.6km

5.6 "Through"
 今日は海なら宿祢島、陸なら篠目駅でC56ポニーの最後の勇姿を計画するが、10:00で降り始める。こういうときは無理せず美術館に。
 昨日の小黒神島の振り返り。ネット検索しての現地確認作業は冒険としてはもっともしたくない行為。ただ無人島探索に関しては情報収集が不可欠。出航できるポイント、距離、潮、風向き、上陸できる浜は満干潮で大きく影響を受ける。ルーキーとしては現状再訪より初めての島をコレクションしていきたいので、目当てのポイントは確実に押さえていきたい。前回の大奈佐美のように、見つけられずリトライは避けたいところ。冒険度が減少するのは仕方ない。
 第一候補として宿祢島を検討。郷土が誇る新藤兼人監督の作品「裸の島」の舞台となった島。映画を見て以来ずっと行きたいと思っていた島のひとつ。ただ満潮では上陸ポイントが少なく延期。無人の浜にブランコが揺れているという小黒神島に決定。検索すると、いつも地元2人のカヤッカーのサイトがヒットする。
 14:55の三高行きフェリー乗船。今回も岸根から出航。ただし今日は南からの向かい風が強い。海もこれまでで一番のうねりで、バウ(船首)が三角波に突っ込み、海水かぶりまくり。オフロードで例えるならガレガレの林道という感じ。腰の使い方がバイクと変わらない。島まで3km30分で到着。海の状況にもよるが、これまでのデータからだいたい1km=10分という目算が立つ。最高速12.6km/hも更新。なまくらで細くなった上肢の筋繊維が破断し、より太くなって復活する。大学時代からマシンでのウエイトトレーニングが大嫌いだったが、パドルで水をかき、必要な筋肉が強化されるのは大歓迎。とりあえず周囲を一周、東側の広い浜に上陸した。
 波の音しかしないプライベートビーチ。あらためて素晴らしい世界を手に入れたと実感する。
 日の入りまで1時間。それほどゆっくりしてはいられない。乗り込むとき波にあおられて初めての沈はご愛嬌。ちょうど大型船が通過していて、見られたのではないかと妙に恥ずかしい。帰路に着きつつもう一度ブランコを探すと、すぐ北の浜で風に揺れていた。時は夕暮れ、誰もいない小さな浜で強風に揺れるブランコは、とてつもなくノスタルジックでセンチメンタル。切ないほどの寂しさも、それを楽しめる自分に自画自賛。宮島に沈む夕日を左手に4度目の航海を終えた。

移動距離9.39km 最高速12.6km

 今夜けっこうな雨との予報。やりますか、憩大修理。

5.2 "What's Up for May"
 「ゆうとぴあ」を見つけた。この船は乗ったことはないが、横浜の友人ヒロがチンタオに行く際乗船。オリエントフェリーの運行休止に伴い、15年から呉、川尻沖に係留されていた。去年秋以降姿を消しており、名前検索するも見つからず気になっていた。
 「ゆうとぴあ」は、1987年、石川島播磨重工業相生工場建造。同3月に「ニューはまなす」として新潟〜小樽航路に就航。2002年4月、「ゆうかり」の就航により引退、オリエントフェリーに売却され、「ゆうとぴあ」と改名して、2002年10月より下関〜青島航路に就航。貨物、旅客の減少により、2015年12月末で航路休止。「オハマナ」と一緒に見たのはこの後、神田造船所川尻工場で係船されていた。
 「UTOPIA」で検索するが、行方不明。今回「オハマナ」の消息と同時に「NEW HAMANASU」で検索すると、あっさり見つかった。
 2017年7月24日から8月10日までペルー船籍の「OPIA」という名前に。さらに同月22日からインドネシア船籍の「RORO PRAYASTI」という名前に変わり、You Tubeに動画もあがっている。この4月末でアラビア海に面したインドのアランという港に停泊中。空撮で見ると、この港も船の墓場のよう。「Ship Breaking Yard」というポイントもある。「オハマナ」と同じ運命をたどるのだろうか。まさに流転。川尻の空撮では今も2隻が写っている。

4.30 "Sail Away"
 14:00自宅スタート。カヤックでオハマナの近くまで行ってみようと川尻へ。
「いない」
 去年10月1日、「ゆうとぴあ」は姿を消していたが、「オハマナ」は健在。もめていた韓国と新潟との裁判がついに結審したか。検索してみると、昨年11月上旬のツイートでバングラデシュ、チッタゴンにいるとの情報。その中に。
「チッタゴン=船の墓場」
 AIS検索。最終更新は2017年11月18日。ベンガル湾を微速航行中。
「Status:Decommissioned or Lost」
 Decommissionedとは。
「廃船・・・」
 移動を考えると、最後に見た直後にいなくなったと考えられる。おそらく他人にはわからない、自分でも意外なほど大きな喪失感。ついでに近くの島をコレクションしようと思っていたが、カヤックを組み立てる気が失せた。
 Google Mapでチッタゴンを検索。
「本当に墓場」
 ここまで執着するのは、たぶん、フェリーは放浪旅の象徴だから。船を調べるうち、数十年スパンで主を変え、人生と似ていることも大きい。特にオハマナ=あけぼのは、なみのうえ=セウォルと姉妹船のため、哀しい印象が強い。もちろんいつまでも川尻にいるとは思わなかったが。
 昨日はやはり2000年の旅に関わりのあるモッチーと再会。18年、とても長い時間が経ってしまった。連休最終日、悲しい幕切れ。

4.29 "Interdimensional Summit"
 距離の伸びてないCDFのエンジンを回すため浮かんだのはほぼ1年ぶりの津和野。時を同じくして静岡のモッチーからメールあり、角島周辺とのこと。津和野に誘う。高地はまだ桜あり。新緑がまぶしい。
 ピノ・ロッソで3年ぶりの再会。北海道の知内で出会ってもう18年になる。近況報告の後、今年C571貴婦人に代わって新しい客車を牽引しているD51200と初対面。発車を見届けて日原レトロ自販機。
 角島から大分に向かうというモッチーを見送って帰路に。お互い元気で走り続けよう。

4.28 "Meet Me At The Rainbow"
「織と彦姉」2/4 #14
 昨夜2匹のいない夜。鍵についている鈴の音に「あれ?」と思う瞬間が何度もあった。思えば半年以上泊まる旅に出ていない。
 帰ってきた2匹は、普段と変わりない彦に比べ、さすがに元気のない織。開腹しているので侵襲も大きい。早く良くなりますように。

4.27 "Heat of Emotion"
 前回イバラに阻まれ撤退した大奈佐美島リトライ。上着に加え、肌から距離のあるルーズフィットカーゴ。そして20年来愛用の斧(よき)。どこかにナタがあるはずだが探すのが面倒。最適なのは大き目の剪定ばさみだが、さすがに長い刃物をカヤックに載せるのは躊躇した。
 13:25宇品発三高着。岸根から出航。15分ほどで前と同じ錆びた桟橋のある浜に上陸。着替えて意気揚々とイバラに分け入ったが、すぐに足取りは止まった。このイバラ、微妙な高さで繁殖していて、踏みつけるならかなり膝を上げないといけないし、突っ切ればいくら長ズボンでも棘が突き刺さる。おまけにけっこうな引っ張り強度で引きずっても切れない。斧は空を切るばかり。進んでも進んでも現れるイバラに心が消耗する。さらに左のパドリングシューズの靴擦れ。わざわざトレッキングシューズを積んでいたのになぜ履き替えない。
 Google Mapの空撮でも確認できる目当てのタンクローリーを探すがなかなか見つからない。スマートフォンを手に取るがオフライン。圏外。そんなはずはない。台地を彷徨い、ついに心が折れた。
 浜に戻って軽食。もう一度スマートフォンで位置を確認すると、やはりオフライン。岸根が見えているのにそんなはずはないと再起動をかけると、まさかのオンライン。おまけにタンクローリーのすぐ近くを通り過ぎており、どうやらイバラに覆われてたよう。そうなるとやる気再燃。日の入りまで1時間半。まだ行ける。スマートフォンを片手に再度イバラに分け入った。
 まず巨大なホッパー跡を発見。目指すタンクローリーはその裏。頂上台地に出て回り込む。なるほど、ほぼヤブこぎの分岐は空撮がないと気付かなかった。グリスのにおいが漂い始め、草木に埋もれたタンクローリーが姿を現した。
 砕石の最盛期は70年代中盤。高校時代キャンプで上陸したのが84年。そのときはまだ草に覆われていないダートを登っていった記憶がある。ざっと見積もって40年近く放置された車体。旧日本石油らしきカラーリングは、風化と錆で薄くなっている。運転席の錆びた天井にはたくさんの穴が開き、真昼のプラネタリウムと化していた。燃料計、水温計、油圧、空気圧計。どれもがアナログ。ODOメーターは547,164kmを表示。運転席の足元にはお守りが一個落ちている。
「50万キロ越え。どこでどう稼動していたのだろう」
 今は運び出すことさえできない小さな無人島で、50万は到底考えられない。国内を走り回っていた雄姿を想像し、いつものようにバルス後のラピュタを思い出した。小鳥を肩に乗せ、緑の中悠然と歩くロボット兵。ここも緑のイバラに覆われている。ホッパーの上に出てみた。奈佐美瀬戸を大型船が通過していく。ウグイスのさえずりと、木々を照らす夕日の射光線。
「リアル天空の城」
 探せば明治の遺構、定番のレンガ積み軍用倉庫があるらしいが、もう十分。大奈佐美島コンプリート。次のターゲットへ。

探索込み移動距離7.14km 最高速11.8km/h

4.26 "A Little More Love"
「織と彦」2/4 #13
 保護から184日目。体重2.5/3.6kg。体重増加は2匹とも2週間で0.1kg程度。成長スピードはかなり緩やかになってきた。
 いよいよ明日、去勢と避妊手術施行。男目線で語ると、メスは生殖機能を失ってもメスであるのに対し、オスはいわゆるニューハーフに。ここのところ凛々しさを増している彦に同情を隠せないが、すでにこすりつけマーキングが始まっており、くさいしっこを撒かれてはたまらない。明日の今頃、大きなボディイメージの変化が生じる。損なこととは露知らず走り回っている2匹。生物一個体が持つ最大の目的、「繁殖」をこちら都合で奪うジレンマ。あの夜、寒空の下丸くなっていた4匹のねこ団子を思い出す。
「おまえらどっから来たん」
 動いている、触れば暖かい。当たり前のことに感心する。
 織は1泊、日帰り可の彦もついでの1泊。この半年、2匹のいない初めての夜に、しっかり羽を伸ばさせてもらおう。
「よろしく彦姉」
 星になった兄弟たちの分まで・・・。

 ZX-10Rに乗り始めて昨日で丸9年満了。今日より10年目に突入。9年間で64,370km。乗換えを考えたこともあったが、今は少しでも長く乗っていたい。300km/h近く出るマシンに乗ることはもうないだろう。ライフタイムを感じる1台。

4.21 "Tonight's Sky May"

4.14 "Dreaming The Night Away"
 この3日間疲れきって着の身着のままうたた寝。1時間おき目が覚めて疲れ倍増という最悪の自己健康管理。それでも明日の仕事が昼からとなれば、夕食がてらの宮島SA。
 カヤックの影響か、バイクでも路面の感覚が繊細。週末のため、フードコートはどことなく浮わついている。
「1980年代の映画には僕たちの青春がある」
 今読んでいる本を数ページ。穏やかな時間。
 亡くなった女の子の家を今日知った。このあとお宅を左折して帰路に。元気でいたなら、もう結婚してあの家にはいなかっただろうと、勝手な推測をする。この時間、あそこの信号は必ず赤になる。信号待ちで黙祷。
 いくら疲れていても、走ればリフレッシュ。止まると死ぬ。

4.10 "Love Will Live"
 洗濯機を2回まわして家を出た。お昼を食べながらフェリーを検索すると、25分後三高行き、30分後切串行き。あわててお昼をかき込む。
 切串行きセーフ。30分間船上の人に。右舷に巨大な空母のような艦船が接近中。艦載機が離着陸できるほどの距離はないが、どう見ても空母に見える。
 今日は岸根から大奈佐美島を目指す。切串からは中海を迂回しなければならず、けっこう時間がかかる。15:00過ぎ岸根到着。
「がんねムーンビーチ」
 高校時代何度か訪れた海水浴場は寂びれ、かつての賑わいはない。当時好きだった子を誘って3対3になるはずが、目当ての子は来れずがっかりした。300mほど沖にある岩に泳いで渡り、上から飛び込んだ。友だちの親が所有するプレジャーボートで無人島に渡り、キャンプをした。夜、波打ち際に青白い夜光虫が輝いた。朝起きると、友だちの一人がいなくなっていた。毒のある何かに刺され、夜のうちに市内の救急病院に連れて行かれていた。1984年、Van Halen"JUMP"。尾崎豊のデビューアルバム「十七歳の地図」が出た年(正確には83年12月)、自分も17歳だった。ビーチでは釣り客が一人、糸を垂れている。
 15:30パドリング開始。ターゲットは2km先の大奈佐美島。前回の21kmは、限界を知るには良い経験だった。今回は往復4km。島を回っても10kmもない。一度も休むことなく錆びた桟橋のある浜に上陸。ここでの目的は高台にある砕石場の遺構と、空撮に写っているタンクローリーらしき特殊車両。ところが。
「失敗した!」
 探検用にコットンのカーゴパンツを持ってきたのに、濡れそうなので車に置いてきてしまった。予想通りすぐにヤブこぎになり、短パンなのでイバラで傷だらけに。
「撤退!次回へ延期」
 気を取り直してリスタート。
「ここだ・・・」
 セブンティーンだった1984年、キャンプで幻想的な夜光虫を見たあのビーチ。ロサンゼルスオリンピックがあった年。
「34年前・・・」
 センチメンタルな気分で島を反時計回りに進む。北側のビーチ。向かいには先週よれよれでたどり着いた絵の島が見える。ここでの目的は空撮に写っている緑の屋根。イバラをかき分け取り付くと特徴的なフォルムの建物が現れた。呉にある会社の研修所のよう。
「体力を造れ 気力が出る 体力 気力なき者 去れ」
 かなりスパルタなスローガンが貼ってある。01年の防災ポスター、91年のカレンダー、97年5月5日(1面がフラワーフェスティバルの記事)の新聞と、最終年代が特定できないタイムマシンのような場所だった。
 ビーチに出て海岸を散策する。かなりの大きさと思われる鳥の足跡が印象的。平日カヤックの旅は、どこに上陸しても自分だけのプライベートビーチ。
 リスタートし島を1周。34年前、泳いで渡った岩の近くまで戻ってきた。振り返ると、宮島に日が沈んでいく。もう少し浮いていたい衝動に駆られ、パドリングをやめ潮の流れに身を任せる。海鳥の鳴き声、マツダの巨大船、上空では、トンビがこちらの様子をうかがっている。夕日が海に反射してきらめいている。二十三3夜の月、小潮。月の満ち欠けと満干潮がつながった気がした。
 岸根に戻ると、出航したときにもいた釣り人が話しかけてきて、あの空母は「加賀」だと教えてくれた。なるほど、からすこじまで見たことがある。「加賀」と言えばミッドウェイで撃沈された空母が思い出される。ここ数年、ふと22年という歳月を考えることがある。
「太平洋戦争終結から自分が生まれる年まで」
 22年。たった22年。ずっと戦争ははるか昔のことだと思っていたが、今日思い出した十七歳の自分は34年前。わずか3時間の海上散歩で70年の時間旅行をした。帰宅し、冷たくなった洗濯物を取り込みながら、あの夜の夜光虫を思い出す。

距離8.85km 最高速9.1km/h

4.1 "Maiden Voyage"
 観音マリーナから進水式~処女航海へ。組み立て終わったところで昼ご飯を買っていなかったことに気が付く。いちばん近いコンビニはリョーコーに隣接するファミリーマート。艇を置いていくのも、また片付けるのも躊躇して無しでスタート。バウとスターンに普段飲んでいるワインをかけ、航海の安全を祈願。
 11:02、GPS捕捉スタート。まずは津久根島を目指す。昨日が満月の大潮。満潮が9:57で下げ潮だが、南からの向かい風が強い。40分ほどで津久根島に到着。満潮のため取り付く浜はない。あまんじゃく、湯蓋道空に想いをはせる。
 このまま戻るのももったいない。ここから最短で上陸できるのは弁天島か絵の島。ちょっと遠いなと思いつつ、かつて海水浴場で遺構の残る絵の島を目指す。
 うねりはやや強まり、迂回を迫られるカキ筏に体力を消耗。バウに残っていた進水式のワインが波に洗われていく。
「なるほど、これが大型船待ち」
 所詮人力のため全力で漕いでも融通の利かないカヤック。すごい速さで迫ってくる定期船や貨物船をやり過ごさなければならない。広島湾の交通量は多く、かなり遠くに見つけた時点で進むのをやめ通り過ぎるのを待った。
 漕いでも漕いでも近づかなかった絵の島にやっとの思いで到着。薄々わかっていたが、無理のある距離。戻らなければならないことに呆然とする。おまけに昼ごはんがない。ここまで10kmのパドリングに乳酸たまりまくり。軽い吐き気をもよおすほどだった。それでも初めての単独行での無人島到達に達成感あり。ちなみにビーチにはけっこうな人数の釣り客あり。
 島を一周して帰路に。どこにも船の姿はなく釣り客は瀬渡しかプレジャーボートの迎えが来るよう。帰りは上げ潮追い風のはずなのにペースがあがらない。明らかにエネルギー切れ。大型船こそ来なかったがカキ筏迂回が辛い。潮と風を味方につけ津久根島まではたどり着いたが、そこからはよれよれ。休む間に漕ぐ状態で、息も絶え絶えにマリーナに滑りこんだ。パドリングテクニックも未熟で腕はパンパン。色々な意味で実りある処女航海となった。

処女航海データ
観音マリーナ~津久根島
0h42m 3.40km 4.9km/h
津久根島~絵の島
1h58m 7.17km 3.6km/h
絵の島~津久根島
1h27m 7.14km 4.9km/h
津久根島~観音マリーナ
1h03m 3.87km 4.2km/h
全行程
5h11m 21.58km 4.2km/h 最高速8.4km/h

 覚悟した筋肉痛はそれほどでもなく、恵まれた体格を与えてくれた親に感謝。今回初の海上での使用となったGARMINのGPSは、海の状況やペース、大型船待ちがデータに反映されていてとても面白い。自分ではかなり迂回したつもりだったが、ほぼ最短距離で往復しており、初航海としては十分な出来。瞬間最高速8.4km/hもすごい。
 初回でたくさんの学びを得た。波光きらめく海面も魅力的だが、そもそもの目的は無人島探索であって航海そのものではない。カヤックはあくまで到達の手段のため、今後は目的地にいちばん近い陸地まで車で移動し、最短での上陸を目指す。デイキャンプから1泊も視野に入れながら、たためるフォールディングカヤックの利点を活かして宿を利用した未踏の有人島アタックも。島旅加速。

3.30 "What's Up for April"

3.27 "Tonight's Sky April"
 クルーソーハイブリッド460。処女航海の準備は整った。次の休みか?

3.23 "Listen To The Light"
「織と彦」2/4 #12
 保護から150日目。満5ヶ月経過。体重2.2/3.1kg。彦はさすがに重量感あり、予期せず腹に飛び乗ってくるとオエっとなる。肩に乗ってくると、見なくても重さでどちらかわかる。食欲中枢がいかれているんじゃないかという彦の暴食は落ち着き、爆発的体重増加は落ち着いたよう。それでも織の1.5倍あり、じゃれあいの際は無差別級の様相。小さい方も負けてないが。
 2~3週間前より乳歯の生え変わりが進行中。抜け落ちた歯はそのまま飲み込んで便と一緒に排出されることが多いらしく、見つけたら桐の箱に取っておく人もいるとか。ところが家では犬歯(ねこも犬歯というらしい)4本×2匹、計8本のうちなんと6本を回収。(さらに1本見つけて7本に)生え変わりのプロセスも違っていて、織は新しい歯が生えたあと古い歯が抜け落ち、彦は抜け落ちたあと新しい歯が生え始めている。アポトーシスという言葉を思い出した。
「プログラムされた細胞死」
 おたまじゃくしのしっぽのように、成長過程で遺伝子に組み込まれた細胞の自殺。なるほど、抜け落ちた歯を見ると、歯根から溶け落ちたのがよくわかる。歯牙そのものが自殺したわけではなく厳密にはアポトーシスではないが、その成長過程に感動せずにいられない。
 こちらも犬歯には思い入れがある。保護したときは当然歯はない。成長とともに乳歯が生え始め、甘噛みし始めた当初は攻撃パターンを読めず痛い思いも。今は爪も含めて動きを熟知しており、手に傷を作ることはまずない。調べてみると、このプロセスにも意味があることがわかる。
 母親は、乳首に乳歯の痛みを感じて距離をとり始め、離乳へと向かう。もし生まれたとき歯が生えていたなら、授乳に影響し成長は妨げられるだろう。計算された生命のプログラムに驚くしかない。織は上下とも立派な犬歯が生えそろった。それも少しずつ磨耗し、歳をとっていくのだろう。
 5ヶ月が経過し、去勢と避妊計画中のため生殖をリサーチ。交尾前から本能レベルで強いオスの選別が始まっているのは人間と同じだが、発情期や交尾後の排卵など違っている部分もあって面白い。億単位の精子が、母ねこの膣の酸に虐殺されながら、強さと運を兼ね備えた4つが卵子にとたどりつく。2ヶ月を経てこの世に産み落とされ、寒空に3日。さらに動きの良い2匹が選別され、そのうちの1匹が肩に登ってきた。
「ええけ、重い」
 たぶん奇跡。自分、関わる周囲の人々、小さな虫に至るまで、困難な命の選別を勝ち抜いて存在する最強の遺伝子。
「おまえ、わかっとんか」
 洗ったばかりの髪の毛を、かにかま入りかつおスープ仕立てを食べたばかりの舌でぺろぺろ。
「わかってないね・・・」
 星になった兄弟たちの分まで・・・。

3.17 "I would die for you"
 3月17日土曜日。今日も朝から母の通院に付き添い、午後からは美容院の送り迎え。20年通ったレザークラフト教室が月曜で終了となるため最後の食事会。美容室のスタッフに電話依頼して2時間の待機。非常に空虚な時間だが、ふらつきの自覚なく一人で帰って転倒するよりはいい。夕食も準備して開放された20:00。2年ぶりの1区間ツアーを思い立った。
 全国の高速道路網には、一度も降りることなく周回できるルートが数箇所かある。それを1周し、一つ過ぎたところで降りると1区間の料金だけしか適用されない。1つ先に行くのに数百キロ走るという普通の人には意味のない行為だが、夜の高速をこよなく愛する自分には都合のよいコーピングツール。広島からは山口JCTまわりが300km、岡山まわりが500kmとなる。前回山口右まわりを走ったため、今回は五日市ICから西へ。シーカヤック用に購入したGARMINのGPSウォッチのテストも兼ね20:34五日市ICイン。
 21:13、下松SAで遅い夕食。夜の高速の魅力は、適度な高揚感と内省。何度も書いてきた交感神経のコントロール。走り出し、そこそこのスピードで交感神経が刺激される一方、夜の帳に景色はマスクされ、自分と同じスピードで流れていく白線は、ある種の瞑想状態を引き起こす。交感神経と副交感神経が拮抗し、気持ちよくバランスの取れた状態。興奮していて、かつ無心というフローエクスペリエンス。
「山口JCT・・・。えっ、行き過ぎた?」
 周回コースの中国道には給油できるSAがひとつもない。佐波川SAで給油しないと終点の宮島SAまで走りきることができない。かといって、ジャンクションを西に向かうと1区間ツアーは成立しない。気分に呼応して制限速度に落としてみるが、どんなに燃費走行してもあと200km走りきれるわけがない。
「やってしまった。瞑想しすぎた・・・」
 山口JCTからは寒く、暗く、後にも先にも車はいない。もちろん給油していればむしろそれを求めて走っているのに、1区間ツアーが物理的に破綻した今、同じ景色が寂しいものに変わる。とりあえず最初の荷卸峠PAで対策検討。週末の夜なのに、トラックが2台と乗用車が1台いるだけ。調べてみると佐波川SA下りのGSは22:00で閉店。夕食を食べた下松は近すぎて給油する気はまったくなかったため、どうやってもこの事態を招いていたことになる。よくよく考えると前回は左回り。給油の必要な後半は山陽道に入っているためGSを気にする必要がなかった。それがわかると失敗はすぐに合理化。
「徳地で下りて、R2から欽明館レトロ自販機」
 高速を下りてもGSのない山間部突入を避け、すぐにR2へ向かう。23:30徳地ICアウト。五日市IC~宮島スマートの1区間260円ツアー予定が1,880円に。さらにここはくそ寒い山の中。
 思考が変われば、寂しい道は、再び瞑想の道へと変わる。正面にはきらきらの木星。それにしても寒い。真冬装備で出ているのに指先が冷たい。
 玖珂の路肩温度計が0度を示しているが、むしろ暖かく感じる。つまり徳地は氷点下だったということ。そして岩国、レトロ麺類自販機「欽明館」。
「今日も良い旅だった・・・」
 バッテリーは満充電、古いガソリンは入れかわった。起こった状況を楽しめる自分に自画自賛し無事帰宅。GPSのテストも完了し、シーカヤックの処女航海は近い。いよいよ海へ。無人島が待っている。

3.13 "Together"
ZENO ROTH 1956.6.30~2018.2.5
 今日書店で久々に身体が震えた。2月5日にZENO ROTHが亡くなっていたと。唯一無二のメロディがもう生み出されないと思うと、その喪失感に涙が止まらない。♪ Together Till The End...

3.9 "Come Back Again"
 裁判の資料請求にリハ病院に。受け持ちであり、指導者だった看護師をはじめ、クラスメイトや懐かしい面々との再会は心が和む。何よりバイクで乗りつける幸せ。3年前、入るときも出るときも松葉杖だった。そのままこころのマックへ。病院食に飽きたファーストフードは最上級の美味しさ。
 小雪の舞う木小屋に1時間ほど寄って少しだけダメージ回復する。

3.5 "Last Man Standing"
 3月4日。一人で行けていた通院に転倒以降付き添っているので休みの日はほぼ病院通い。気分転換さえままならない。ふと年末年始も墓にいっていないことに気が付いた。墓が気分転換とは残念だが、そこは風光明媚な瀬戸内の島。15:00過ぎてからの出発。
 衝撃だったのは大君にあるユウホウの工場が取り壊し作業中だったこと。調べてみると明治25年創業。ものすごい近代遺産がほぼなくなっている。この時代不法侵入というわけにもいかず、塀の外からみるだけだったが、時すでに遅し。
 飛渡瀬のファミリーマートで遅い昼食を買って墓へ。母方の祖父は昭和13年、41歳で亡くなった。気の毒なのは祖祖父。昭和20年までに、祖父を含めた男3人を失い、10基以上ある墓はほとんど祖祖父が建てたもの。母が男だったらというのが口癖だったらしい。唯一面識のある祖母が亡くなったのは中学3年のとき。神戸の伯母のところにいたので記憶も薄い。若いころ下関〜釜山航路で看護師をしていた。この3人とは本当に話してみたくて、自分が歳を取るごとにその思いは強くなっている。母をどうしたものかと尋ねてみるが、線香だけでは教えてくれない。
 帰りはカノープスを見に陀峯山まで足を伸ばす。南中は19:45だが、南の山の端は厚い雲に覆われている。時折オリオンが姿を見せたが、結局一度も姿を現さず。
 3月5日。今日も定期の内科受診と歯医者でほぼ一日つぶれる。夕方からパドルパークさんへ。パドル、パドルフロート、ドライスーツ、パドリングシューズを購入。17万円なり。これで大きな買い物は終了。あとはGPSロガーをどうするか。スマートフォンで色々なアプリを試しているが、どれも一長一短あり、実はグーグルマップがいちばんわかりやすかったりする。ただ、現在位置がダダ漏れだし、情報を送らず、電池の持ちがいい単体の機器の方がいいのだろうか。
 踊り場で躊躇していた織がついに1階に降りた。彦はまだ怖気づいている。1階には危険物がたくさんあるし、母が玄関を開けていたら屋外に出てしまうため対策が必要。室内でのいたずらもエスカレートしていて、さっきも何か誤食したようで口を動かしていた。この忙しい中、物にあふれている部屋を整理するのは気が重い。

3.2 "What's Up for March"

2.27 "Tonight's Sky March"

2.25 "Amazonプライム"
「織と彦」2/4 #11
 保護から124日目。もうすぐ4ヶ月までの子ねこ用キャットフード「マザー&ベビーキャット」がなくなり、12ヶ月までの「キトン」に変更。ふやかす量を徐々に減らし、ドライの割合を増やしていく。食べている、寝ている、うんこしている。当たり前のことに感心する毎日。身体も大きくなり4階のベッドでは手狭になったのか、別々で寝ることが増えてきた。
 外に出れば、近所の野良ねこは相変わらずの天敵。家の庭に臭すぎる糞を撒き散らしていく。市販のねこ避けはほぼ無力。どけてもどけてもされるいたちごっこ。ただ、以前とは違う見方があった。
「どことなく彦に似てる」
 たまに見かける白/茶の野良。調べるとねこの行動範囲は数百メートル以内。つまり2匹の親はまだ近所で生活している可能性が高い。去年の10月、台風の朝に発見して3日間、一度も母親の姿を見ることはなかった。単なる育児放棄かもしれないし、母親の身に何かがあったとも考えられる。その後約1ヶ月間、授乳と排泄の援助を行った。
 授乳は人間で経験してイメージそのまま。しかし排泄に関しては、母親が陰部をなめて刺激しなければ自分ですることができないことを初めて知った。小さな織は、保護したとき150g。びっくりドンキーの小サイズのハンバーグと同じ。腹腔の広さは限られており、食前に排尿すれば腹圧が減少してミルクの飲みが良くなり、飲んだあとはまた腹圧が上がるため刺激すれば排尿した。金色のしずくに汚さを感じることなく、自分の母性に驚いた。この経験を通じて、自分をかえりみるのにそれほど時間はかからなかった。
 50年前、呼吸することしかできない自分を世話してくれたのは間違いなく両親だった。もし何の援助を受けられなかったら、死んだ2匹と同じく、3日と生きられなかっただろう。月日は流れ、母は衰え、自分も歳をとった。数分ともたない短期記憶と、不必要な徒労に消耗し、顔を合わせれば罵り合いばかり。わかっていてもコントロールできない怒り。こんなにやってるのに。数日前転倒し、手を引いて歩く羽目に。思えば他人の手ばかり引いているのに、肝心な母の手を引くことは少ない。しわしわの手を見て、6歳のときのある記憶がよみがえった。
 小学校に通いだしてすぐのこと。学校に行きたくなくて、母屋に隠れていた。そこへ母が現れ、強引に手をとって学校へ。逃げたい一心でつないだ母の手をつねり上げた。思い出したのは、内出血しても離さなかった母の手の甲の記憶。
「そうか、キミたちはそれを伝えに来たのか」
 今は穏やかでも、顔を合わせれば大ゲンカになるだろう。振り返れば、ケージの中から4つの瞳がこちらを見つめている。
「わかったわかった」
 50年前、母は生まれたばかりの自分を世話していて、「こんなにやってるのに」とか、「世話してあげてる」などと思ったことは微塵もなかったに違いない。
 向かいの家の庭で、彦に似た野良ねこが日向ぼっこをしている。
「おまえか〜4匹の親は。おかげでいい経験させてもらってるよ」
 星になった兄弟たちの分まで・・・。

2.24 "Light of Transcendence"
 半年に一度のスパンになりつつある憩の森。調子に乗って飛ばしているといきなり雪に乗ってびっくり。駐車場はほぼ全面ガリガリ雪に覆われていた。
 水量少ないが流れはかろうじてキープ。毎度のことながら大改修したい。

2.20 "High Hope"
「織と彦」2/4 #10
 保護から4ヶ月、119日目。体重1.9/2.6kg。オスの彦の方が見た目ふたまわり大きい。彦は保護したときの14倍、織も13倍。爆発的な成長は落ち着き、緩やかに移行している。目の感染症は2匹とも自然の治癒力を活かして軽快。
 生後4ヶ月までのキャットフードから12ヶ月齢までのものに変更していく時期。今食べさせているロイヤルカナン「マザー&ベビーキャット」がなくなりしだい「キトン」に変えていく。不規則な勤務状況のため食事は1日1回~2回。5割をお湯でふやかし、カルカンの子ねこ用ウエットフードを絡めて残り5割をドライフードで。寝る間を惜しんで授乳していた頃が懐かしい。初乳を飲んでいるか確認できないため、気休めにやや高価なグロブリン入りのミルクを飲ませた。今食べさせているロイヤルカナンも少々お高いフランス産。毎日フレンチも贅沢だが、成長期の十分な栄養摂取は免疫力を高め、無駄に病院にかからないようにするため。そのかいあってか今まで元気がないなと思うことは一度もなく、ほぼケンカに近いじゃれ合いを続けている。
 摂取量の個体差が大きい。えさを食べるとき、織は水を飲むときと同じく舌で絡めとるのに対し、彦はかぶりつくように食べ一口量も多い。離乳食を始めた頃は食器を分けていたが、今は一つ。同一ケージ内で摂取量のコントロールはできないため、時間に余裕があるときには先に織に食べさせ、その様子を彦が恨めしそうに見ている。大きな彦に毛を逆立てて立ち向かう様子は、応援せずにはいられない。先に膝や肩に乗ってくるのも織。
 ケージ内のレイアウトは、1階に大きなダンボール製爪とぎとトイレ、2階に麻ロープ爪とぎとキャットフード、3階4階にホットカーペット付きのベッドと水場。4階ベッド向かいにハンモック。爪とぎと水は行った場所でやっていて好き嫌いはないよう。3階のベッドはほとんど使うことなく、4階ベッドでねこ団子になるか、どちらかがハンモックで過ごしている。織はよく外を眺めているが、彦は物音がしないかぎり興味がない様子。他にも性格の違いがあり面白い。
 もうすぐ3月、初めての春。早朝の夜空を見上げれば、わし座とはくちょう座が昇ってくる。ヴェガとアルタイル、織姫と彦星。自分の名を冠した星に何を想うだろう。死んだ2匹もそばで瞬いているはず。星になった兄弟たちの分まで・・・。

2.18 "Dead Inside"
 スマートフォン導入の続き。エキサイトのマイページで200kbps以下の低速設定にすればパケットが発生しないことがわかり、さっそく実行。動画やアプリをダウンロードしない限り、特に問題ないスピード。結局今日現在で発生しているパケットは510MB。このままなら基本料金500円+SMSオプション140円+1GB従量制で合計800円。継続の携帯2台と合わせても月々4,500円程度とまさに格安。余裕を持った64GBの最速MicroSDをセット。
 2/17にWi-Fiルーターが到着。機器接続と数分の設定で自宅での無線LAN環境が整う。さすがに速く、1KのYou Tube動画をストレスなく再生できる。同時にGPSを多用した際の電源供給のため10,000mAhのモバイルバッテリーも購入。出先で3回強のフル充電可能。
 電車でスマホ奴隷になることなく適度に初期設定中。あらためて色々なことができるのに驚く。時間はEST(北米東部標準時間)をデュアル表示できるのがうれしい。これで時差計算することなくケープ・カナベラルの現地時間を知ることができる。天気も設定数いっぱいで各地の都市をチェック中。一般人でここまで活用しているのも少ないのでは。天体やGPSログ関連のアプリをテストしていく。
 導入が遅かったとは思わない。「満を持して」という感じ。情報を取り過ぎないというスタンスは変わらず。写真や動画を撮ってすぐSNSにアップできるようになったが、やっぱり面倒。

2.11 "Don't Ever Give Up"
 寒さはともかく、徒労の繰り返しで消耗の一途をたどる毎日。ふと気付けば2台とも1ヵ月近くエンジンを回していない。SAでは雪の舞う中カチンコチンの空気を切り裂く。250に乗り換えてパドルパークまで。もう一度ドライスーツを試着したかったが閉まっていた。走行目的なので問題なし。それぞれ40km前後走行。たまには間を開けるのも新鮮。

 スマートフォンは翌日不在票が入っていたが、忙しくて3日取りに行けず、昨日やっと手元に。スピードはまずまず。アプリをいくつかダウンロードして昨日だけで500MB近く消費。10GB使っても2,500円くらいだが、早くWi-Fi環境を整えないと。

「織と彦」2/4 #9
 保護から111日目。3週間ほど前から目の感染症発症。織の左目に始まって右目にうつり、治ったと思ったら今度は彦の右目。今は左目も怪しい。医者に連れて行くことも考えたが・・・。
 縁あって同居ネコとなった2匹。自然の摂理に基づけばもうこの世には存在しないし、母親が育児放棄せず元気に育っていたなら野良となり、今は糞害の天敵となっていた。そもそも自然界に抗生剤の目薬などあるはずがない。
「自分で治せよ」
 暖かい部屋で過ごし、栄養は十分すぎるほど摂取して免疫力は申し分ない。ただうるうるの目は目ヤニだらけでイケニャン台無し。医療ネグレクトともいかず、汚れたら拭くだけは援助。その心知ってか知らずか、軽い抵抗をみせたあとはおとなしく拭かれている。食欲、活動とも変わりないので大丈夫でしょう。
 同時期に飼いはじめた同僚のラガマフィンが膝に乗らなくて寂しいらしい。家はというと、立っていれば足を登ってくるし、これを書いている最中、膝どころか両肩に乗ってきて邪魔。2匹あわせれば4kgを超え重いことこのうえないが、介護疲れにはほどよいレスパイト。目を拭いたお返しかも。
 星になった兄弟たちの分まで・・・。

2.9 "Take Cover"
Pat Torpey 1953.12.13~2018.2.7

2.6 "Falcon Heavy"
 FBやツイッターをフォローしていると、宇宙関連のトピックが勝手に入ってくる。タイミングが合う打ち上げはなるべく見ているが、今夜のは寝る時間を削ってでも見たいイベント。
"SpaceX Falcon Heavy"
 史上最高出力のロケットは、月周回軌道ステーションや火星への足がかり。おそらく自分が生きているうちには実現しない壮大なミッションにワクワクが止まらない。無人テストとはいえ、何年か前アニメーションで見た計画が今夜現実に。早くて2022年には有人計画中とのこと。
 打ち上げ行程で見どころがもう一つ。初期の爆発もなんのその、今は当たり前のように地上に帰ってきているFalcon9ファーストステージ。Heavyではコアに加え、ブースター2本をあわせた3本が帰還するらしい。もちろんあとで映像見ればいいとこ取りだが、リアルタイムの臨場感は何物にもかえがたい。3:30。延期も日常茶飯事だしどうする。

 スマートフォンの端末のみが届くということで、たまたま休みの今日朝から自宅待機。14:00過ぎても気配がないため来ないなら来ないで所在を知りたいとサポートに連絡。そもそも契約の翌日、5日発送6日着とメールが着ただけで、発送したとのメールはなし。お約束で長時間待たされたのち「送り状番号はわからない、発送はしており今日着くので待て」と。悪天候による遅れも想定し、「来ないなら出たい」というと、「いなければ不在票を入れる」と。不在配達のムダが叫ばれる昨今、可能な限りコンビニ受け取りにしている自分にのたまうオペレーター。さらにどのみち端末のみでは使えないので、7日着という別便のSIMの発送はいつかと尋ねるとそれもわからない。発送してからわかると。7日着ならすでに発送済みのはず。結局端末も届かず丸一日ムダに。一方で初期費用は契約当日の2日にちゃっかり決済済み。ある意味感心。なるほど、人材も運営も格安。もうサポートのお世話になることはないが、そこは削っていいので安定したサービスにのみ期待。

2.4 "Swan"
 布団を買った。おそらく20年は使っている羽毛掛布団。本体は破れ、シーツにも穴が開き、羽が噴き出して部屋に舞う状態だった。敷布団にいたっては30年近いかもしれない。母が縫ってくれた真綿220cmの長尺。こちらも破れて綿が露出し、新しいころが嘘のように薄く、硬くなっていた。最初はニトリあたりを考えたが、よく言われる人生の1/3を過ごす場所。地元老舗寝具店を訪ねた。
 予想通りピンきり。セール品の1万を切るものから数十万のものまで幅広い。担当のスタッフがなかなかの商売上手。誘導されていることを楽しみながら、最終的に羽毛掛布団3万、敷布団2万、端数とシーツで計6万に落ち着いた。気になったのは大谷翔平、マー君、カズやネイマールまで登場する「AiR」(小文字までうちと一緒)。名前だけでなく寝心地にとても心惹かれたが、売れ筋が10万円台なうえ先月今月来月とカヤック関連でトータル60〜70万の出費予定。本当に一日6〜8時間を過ごすと場所と考えればけっして高くはないが、かなりの勇気がいるのは確か。今回は断念。
 古い布団は普通にゴミに出せば自治体連絡後有料なので、無料で引き取ってくれた。人格などあるはずもないのに、後ろ髪を引かれる切なさを感じた。くるまった数千日の夜を想う。

2.3 "Forever Gone"
 ふと3年前の事故のことを思い出し浮かんできたワード「Bulleto」("o"が付く)。91年3月、中型免許を取得してすぐKDXを買った目黒通りのバイクショップ。その夏初めて北海道を放浪し、今へと続く、人生を変えたツールだった。
 翌92年3月、就職で広島へ帰る直前に寄ったときのこと。オーナーの姿はなく、店じまいをしている女性とスタッフに驚いて尋ねると、その年の正月、原付で白金のトンネルを走行中、事故に遭い亡くなったと。女性は奥さんだった。オーナーは当時40才前後、もっと若かったかもしれない。ヒゲ面に人懐っこい笑顔。今思えば、バイクに関わりのある初めての死だった。不思議な気持ちになったのを覚えている。
 以前本人からもらったショップロゴの刺繍のワッペンと、このとき在庫整理といって奥さんにもらったグローブがまだ残っている。当時の売買契約書で住所を確認(27年前の書類がすぐに出てくるのがすごい)し、ストリートビューで調べると、建物は変わっておらず、店舗があった場所は歯医者に。4年前の旅で前を通過している。最近昔のことを思い出すことが多い。やはり原付は危ない。

2.2 "Gestalt~Eve"
 ついにスマートフォン契約。エキサイトモバイルのデータSIM+SMS。普段持ち歩きのソフトバンク携帯はそのまま。当然SMSオプションは必要ないが、これをつけることにより1年後10,000円のキャッシュバックがあるとのこと。プランは従量制で基本500円から(これにSMS+140円)。最大10GB使っても2,380円、3GBなら880円とまさに格安。
 導入の決め手となったのはやはり海への進出。ガーミンの単体GPSを物色していたが、機能はともかく価格が合わない。距離計のないカヤックでのGPSログと、リアルタイムの天候や潮流、大型船の把握など安全確保が目的。天体観望にも利用でき多様性、付加価値大。
 2匹の影響も少なくない。周囲に写真を見せろと言われてLINEにアップしてみたが、デジタルカメラ取り込みのプロセスは面倒極まりない。そもそもスマートフォンで撮るならSNSにあげる必要もなく、画面を見せればそれで終わり。それ以上に後悔しているのが生後間もないころの写真をほとんど撮ってないこと。もちろん貴重な時間の意識はあったが、起きてるときは止まることがなかったし、授乳で両手をふさがれていたので先送りのまま過ぎていってしまった。あのあどけなさは永遠に失われた。スマートフォンがあればもっと気軽に撮っていたはず。動画もいける。

2.1 "What's Up for February"

1.31 "Soul on Fire"
"Dear Curiosity"
 雲越しにみるソフトフォーカスの月食も悪くなかった。
 2月は引き続き惑星たちの集い。火星からはもう7年も”写メ”が送られてきている。2011年火星に降り立った探査機「キュリオシティ(好奇心)」。先日も福岡で実物大レプリカを見たばかり。黙々と仕事をこなしているのか、それとも、自由気ままに旅を楽しんでいるのか。もはや人格を持つ彼には後者が似合う。
 朝、火星を見上げるとき、荒野を闊歩している姿を想像し誇らしくなる。タイヤに穴が開き始めていると聞く。体に気をつけて!好奇心おもむくまま、良い旅を!

1.24 "Tonight's Sky February"
 多忙の中、やっとのことでクルーソー460を開封。仏間で組み立ててみた。バタフライカヤックスの高嶋さんが年末にアップしてくれていた動画を参考に、思ったより簡単に出来上がった。畳の海に、これから実際に見るだろう大海原を想う。組んだら乗りたくなるのは必然。装備の選定に本腰を入れよう。

「織と彦」2/4 #8
 保護から92日目。動物病院に行こうと2匹をダンボールに入れるとずっしりと重い。到着して体重を計ると2.0/1.6kg。保護したときの10倍超、2匹で3.6kgに納得。
 2回目の混合ワクチン接種。前回は在庫の関係で4種だったが、今日はクラミジアを追加して5種1匹6,000円也。完全室内飼育のため感染リスクは低いが・・・。
 このテキストを打っている今、2匹とも膝の上にやってきて、パソコンから流れてくるエンニオ・モリコーネに耳を傾けている。ただしヨー・ヨー・マがわかるわけではなく単に暖かいから。そうこうしているうちゴロゴロいいだし寝はじめた。
 3ヶ月前消えるはずだった二つの命が、膝の上で丸くなっている。星になった兄弟たちの分まで・・・。

1.16 "Gabriel's Oboe"
 今年も良い旅を。

 前夜寝る前ステラナビゲータを立ち上げると、たまたまISSが通過。目覚ましを6:10にセットして就寝。
 6:25。あわてて外に出ると、すでに北西の空に見えていた。金井さんの乗るISSを見たのは初めて。木星の右脇を通り抜け、南の空に消えていった。1/17、大震災の時刻にはもっと高い高度で天頂から現れるよう。祈りながら見上げよう。

1.14 "大空と大地の中で"
 紋別のライダーハウス「はた乃食堂」が、閉鎖に伴い今年のツーリングマップルから削除されるとのこと。91年に初めて訪ね、00年にそのときの足あと帳を見つけたときには感動した。おいちゃんもいい歳のはず。ストリートビューでは食堂もやってないようだし亡くなったのかも。寂しい時の流れ。

1.7 "Here to Stay"
 1月6日。14:30に家を出て姫路へ。バタフライカヤックスの高嶋さんから組み立てのレクチャーを受ける。実際の船を目の前にして思ったほどの感動はなかった。たぶんすぐに漕ぎ出せるわけではないから。実感するのは処女航海に出てからだろう。とりあえずはそろえる物、覚えること、レスキューテクニックなど環境を整えてから。帰りは給油してから高速に乗ろうと思っているうちに鴨方まで戻っていた。ラーメン食べたら元気が出てそのまま一般道で帰宅。やっぱり夜の旅は楽しい。
 1月7日。昨秋オープンした福岡市科学館へ。交通整理の警備員に大二の駐輪場はないと言われ、すぐ目の前の六本松駅の駐輪場は空いているのに50ccしかとめられないと言われ、どちらも近くに大二をとめられる場所はないと断言された。どういう施設。14:30のドームシアターに間に合わなかったと落胆していると、何のことはない夕方の回まで満席。特別展の会期が迫っているため連休に決行したのがまずかった。混雑は想定以上。家族連れの洪水に展示物を見る気も失せた。印象に残っているのはガリレオの望遠鏡の複製と、キュリオシティ・ローバー実物大模型のみ。よほどの特別展か近くを通らない限りしばらく敬遠。
 科学館出てすぐの洋食屋「むつの木」が良かった。満腹になり駐輪場の件は忘れた。じっくり見ていれば雨に降られたはずなので、早く帰れということだと判断。
 行きの博多港に大型クルーズシップが停泊していたので帰って調べてみると、コスタ・クルーズのコスタ・アトランチカ。大きかった。

1.3 "What's Up for January"

1.1 "More Than A Feeling"