2016
12.31 "Hollyann"
"What's Up for January 2017"

12.30 "Tonight's Sky January 2017"
"Moon Phases 2017 Northern Hemisphere"
"Moon Phases 2017 Southern Hemisphere"

12.29 "Fuzz Universe"
 母の介護は削られて削られて、常に減っていく感じ。それでもわずか6時間の旅で今日減った分だけ取り戻す。
 GoogleMapで気になっていた倉橋の火山。なんと、コルにある駐車場から山頂へいたる登山道のストリートビューあり。
 14:00自宅スタート。登山口にある駐車場に着くと、駐車スペースの一角に豪華な花が飾ってある。事故が発生しそうなロケーションではないので自殺か。
 山頂まで距離はないが急登。階段の段差が高く、悪いほうの右足が上がらない。身体が暖まる間もなくすぐに山頂到着。岩峰からの眺めは、忠海の黒滝山に匹敵する瀬戸内トップクラス。周防大島から愛媛の島々、遠くは四国本土まで見渡せる。新しいカメラ、X70をテスト。
 時間はすでに17:00、桂浜に降りて遅い昼食。去年オープンしたというCafe「SLOW」。お姉さんの接客がよそよそしいが、雰囲気とメニューはフィット。置いてあったウユニ塩湖の本に釘付けに。次回火山とセット。
 桂浜温泉館。最後に来たのは15年も前か。建物や売店の様子は変わってないが、お風呂のロケーションの記憶がまったくない。露天からギラギラ輝く宵の明星が見える。
 出る頃には真っ暗。金星を眺めながら走り出すと、南の空に火球(流れ星のすごいやつ)の贈り物。破片が砕け散る様子もわかった。そのまま帰るつもりでいたが、素晴らしい星空に再び火山に。誰一人いない駐車場にあの花が映える。
 金星の明るさがものすごい。かなり小さくなった火星のそばには海王星ネプチューンが見えるはずだが、肉眼では無理。地表付近には雲があり、カノープス(シリウスにつぐ全天で2番目に明るい星)は見えなかった。(19:00にはまだ上ってなかった。)天の川、涅槃像のオリオン、天空を横切っていく人工天体。ソラリラ(天体観望用コット)持ってきてそのままテントを張りたい気分に。
 下りの林道で山側から降りてきたタヌキと併走。こちらが谷側から囲い込む形になったため逃げ場がなくなり、100mくらい一緒に走っただろうか。時折振り返って確認する様子がかわいい。驚かして申し訳なかったが、かなり面白かった。
 せっかくのエナジーチャージも母の健忘に帰宅後すぐやられるというオチ。
 駐車場の花を検索。何があったかわからなかったが、少なくとも3年前からあるらしい。トリッカーで往復120kmワンタンクジャーニー。カフェと温泉と岩峰と星空合わせて新たなリピートポイントを獲得。

12.28 "The Great Mystery"

12.27 "Poison"

12.26 "Last Christmas"
ニッポン号
遺品を本社に寄託 副操縦士・故吉田さん長女
毎日新聞2016年12月2日 19時42分
 なんという共時性。たった今ネット上で見つけた記事は今月2日。スミさんの長女さんが毎日新聞に遺品を寄贈とのこと。昔お宅で見せてもらったものが含まれているかもしれない。

 昨日発注した買い物に思うところあり。カメラの買い替えに伴い、予備バッテリーと25年ぶりの携帯三脚購入。さらに安物のドライブレコーダー導入と記録用のメディア(SanDisk/Extreme Pro 32GB UHS-I(U3)対応 microSDカード 95MB/s)。
 話はマイクロSDカード。手に取った瞬間、30年前の5インチフロッピーが浮かんだ。ペラペラの紙に包まれた15cm四方の磁気ディスクの容量は約1.5MB。ガチャガチャいいながら読み込む間、じっと我慢の子だった。目の前にある新しいカードはありえないコンパクトさ、容量、スピード。知らない世代は何も感じないのだろう。サンディスクマイクロSDの現在の最大容量は200GB。桁違いどころかざっと14万倍。ため息が出る。

12.25 "The Time Is Now"
 今年絶対書き残しておかないといけないエピソード。去年夏骨折入院していたとき、病棟の図書コーナーで一冊の本と出会った。
「生きるぼくら」
 泣いた。同時に原田マハという女流作家との出会いでもあった。退院後、仕事復帰の忙しさに本を読む機会は失われたが、ずっと気になっていた。そしてこの秋、意外にも広島県立美術館での「東山魁夷展」とつながった。有名な白馬の池の絵(「緑響く」)が、「生きるぼくら」に登場する御射鹿池(みしゃかいけ)だったのだ。自然な流れで、片道わずか20分の電車通勤時間が読書の時間に変わった。
 最初に選んだのが「翼をください」。第二次世界大戦前、飛行機が急速な発展を遂げていく時代、実際に存在したアメリカ人女性パイロットと、純国産飛行機で世界一周を成し遂げた「ニッポン号」をつなぎ合わせたフィクション。胸躍る展開に一気に読了。余韻に浸りながら読んだ「あとがき」に、知っている名前を見つけ驚いた。「翼をください」〜「ニッポン号」〜実在の副操縦士Yさん・・・。脳内で断線したニューロンが、シナプス間隙で神経伝達物質を分泌していく。6-7年ほど前に仕事で関わったYさんの奥さんスミさん〜お宅の欄間〜たくさんの飛行機の写真・・・。
「あ〜!!!」
 思い出した、あれが「ニッポン号」。晩年のスミさんを看ていた姪御さんは趣味でケーキを焼いており、仕事での関わりがなくなってからも2-3度注文したことがある。つい最近も近くを通りかかり、どうしてるのか気になった。一冊の病棟図書からの不思議なつながりは、新しい情報と昔の記憶を絡め、網の目のように広がっていく。「ニッポン号」の副操縦士だったYさんは戦争で亡くなった。スミさんは、1945年8月5日夜、当時住んでいた中島町を離れて「生」をつないだ。映画「この世界の片隅に」で往時の中島町を見たとき、スミさんを思い出し鳥肌が立った。中島町は現在平和記念公園。1945年8月6日8時15分に蒸発した町。あの朝、広島市内に戻ろうとするすずさんに、「行っちゃダメだ!」と、本当に声を掛けそうになった。その後スミさんは、広島では誰もが知っている老舗洋装店を開店し、現在も親族が経営している。長女さんは某巨大企業の社長夫人。
 数日後、久しぶりにお宅を訪ねた。あれから7年、いつも一緒にケーキを作っていた師匠は亡くなり、ご主人もつい1ヶ月前に逝ってしまったという。一人になった姪御さん(自分と同じ高校の大先輩)と、昔の話に花が咲いた。スミさんのこと、ケーキのこと、庭に咲いた月下美人のこと、そして「ニッポン号」のこと。欄間に飾ってあった写真の多くは娘さんが持ち帰っていたが、一枚だけ、コックピットで振り返るY操縦士の笑顔。病棟図書からの流れを反芻し、不思議な気持ちを楽しむ。数年ぶりにケーキも注文し、美味しくいただいた。
 実在のアメリカ人女性パイロット、アメリア・イアハートについても調べた。ヒラリー・スワンク、リチャード・ギア、ユアン・マクレガー出演で映画化され、2010年日本でも公開。ミステリアスな消息は今も調査中で、現在進行形。自分が生まれたちょうど30年前の7月2日、ニューギニアを飛び立ち、太平洋に消えた。そして日本が誇るべき「ニッポン号」は、ネット上でもたくさんヒットする。
 原田マハに夢中。旅、映画、アートすべてで共感し、昨日「ジヴェルニーの食卓」を読了。これより「暗幕のゲルニカ」スタート。

12.24 "Winter Wonderland"

12.23 "The Name Of The Rose"
 SLに熱中し、「999」のトラック集を買った年末での松本零士展。宇宙、機関車、子どものころのノスタルジー、そして今ある現実のすべてを盛り込んだ世界観に酔う。底知れぬ切なさとともに。
 深夜明けのロビーコンサート。心地よい眠りと拍手のたびの覚醒。来年はルドゥーテの薔薇が自室を彩る。

12.22 "The Only One"

12.21 "Winter Solstice" 19:44:00

12.20 "Blackbird"
 12.19 21:00に家を出て日が変わるころ帰宅。冬至前日の高速道路。寒さどころか冬装備では暑い。
 「車の流れは絶えずして、しかも元の道にあらず。」
 欽明館のベンチ。闇に消えていく車の行き先を思い、方丈記の一節を拝借。

 感覚的に翌日の仕事帰り、4回目のエディオン。75,380円のFUJIのX70が、カード会員と下取り、わずかな値切りでアマゾンより安い69,800円で即決。
 イプシロンの初速が速過ぎる。リフトオフ後すぐに曲がっていくので失敗するのかと思った。内之浦なら休みを取れば見に行けるのに。

12.19 "Mack the Knife"

12.18 "I Will Wait"

12.17 "Reclaim The Sun"

12.16 "Story"
 紀伊国屋で「この世界〜」の公式ガイドブックを手に入れた。
 おととい、18のときから使っているハンガーが折れ、買った店のことを思い出した。するとついさっきのネットニュースで、その店がイオンになるとのトピックを発見。
「かつてのダイエーがイオンに、東京・碑文谷店がオープン」
 旧ダイエー碑文谷店は1975年開業、今年5月に閉店したらしい。東京に出たとき、家財道具の多くを近所にあったこの店でそろえた。ストリートビューを開くと、最新は今年の2月。まだ営業している様子をうかがうことができる。同じハンガーはあと5本。
 "Hitting The Apex"横川シネマ。平日の昼間は明らかにライダーとわかる3人と自分の計4人。マルコ・シモンチェリが亡くなって早5年。
 FUJI X70をほぼ買うつもりで出かけ踏みとどまる。普段ワイド側しか使うことがないが、この間オハマナを撮るときはテレ側最大。24mmに慣れてしまった自分もいる。28mm単焦点で7万出すのはなかなかの勇気。やはりズームは必要か。

12.14 "Hitomi Wo Tojite"
 仕事帰りに空を見上げた瞬間一筋の流星。

12.11 "瞳がほほえむから"
 大学時代一緒に野山を駆け巡った友人とそのお友だちを呉へ。90年6月、死に最も近づいた南アルプス広河原で後ろを走っていた彼女は日文科卒の教師。お友だちも芸大卒、大手自動車会社のモデラー。大和やてつのくじら館を持て余すのではという心配は杞憂に終わった。会話中原田マハが出てきたのに驚き、九州国立博物館で同じ「阿修羅展」を見たという。こういう人たちが近くにいれば楽しいのに。
 満天の星空の下で聴いた今井美樹は26年前の夜のこと。

 来年の手帳とカレンダーを購入。「世界の片隅に」のガイドブックはアマゾンもアルパークも在庫切れ。
 買った手帳というのが「天文観測手帳」。これは優れもの。星座早見表が要らなくなるかも。

 21:44現在進行中のシグナスミッション。シグナス(=はくちょう)とスペルが微妙に違うので調べてみると、Cyclone Global Navigation Satellite System (CYGNSS)。ハリケーンの観測目的。打ち上げというか、ジャンボの下に搭載したペガサスロケットを高高度でミサイルのように切り離すというもの。質量が軽ければ静止状態から打ち上げるより効率がいいんだろう。たった今チェイスプレーンのF-18がテイクオフ。戦闘目的じゃないNASAカラーのF-18って素晴らしい。どんな映像が見られるのだろう。わくわく。
 21:55、F-18がジャンボ直下に追いついた。ロケットの定点カメラとチェイスプレーンのパイロット目線が切り替わり、まるで映画のよう。ロケットはほぼコバンザメに見える。なるほど、ジャンボがOrbital ATK。ISS補給船シグナスとかぶるのに納得。
 22:40、やめた?ハイドロウリックポンプがどうとか?
 22:50、コースに戻った。リトライ?
 23:00延期。お疲れさま。また条件を整えて。

12.9 "What's Left Of Me"
 エッシャー展はかなりのインパクト。新制作絵画展は、個展より影響を受ける。
 レンズが戻らなくなったカメラ。キヤノンのリコールでは対象外のロットで1万かかるとの回答。実際同じ症状出てるのに残念な対応。25年くらいお世話になったキヤノンとも一時お別れ。広島の修理窓口が年内で営業終了、受付も今日までとのこと。次の候補はFUJIFILM X70、X30。
 久しぶりにH-IIB打ち上げをリアルタイムで。

12.8 "I'm Broken"

12.4 "CHILDREN OF THE SMITH"
 昨夜のクイーンコーラルとの再会は、いまだ余韻が残る。
 10Rの年間走行距離が9,000kmを超えた。それほど乗った感はないのに8年間で2番目の距離。
 CANONS100。レンズエラーのリコールが出ているらしい。なんだかんだ言ってもう5年。24mmが捨てがたいが、他社製品にも興味あり。撮る機会はかなり減っているが、ないのもどうかと。

12.3 "Time To Say Goodbye"
 11:13五日市ICイン、11:50三次東ICアウト、すぐに松江道にアクセス。三刀屋から県24~54を経由し、大根島へと至る走りなれた道。島中央の大塚山にはかつてライブカメラが設置されており、桜に誘われて数年通ったことがある。
 14:30、近くにある地元スーパー「みしまや」で惣菜をほおばりながら、旅の円熟期を感じた。入れ替わり立ち代り現れる地元のおじいさんおばあさん。会話に耳を傾け、ここにある日常を、非日常として楽しむ平和な時間。パッケージを見てこの店で作られたことを確認。地元にお金を落とせたというプチ満足も。
 ベタ踏み坂で有名になった江島大橋通過。写真を撮っている人もいたが、地元の廿日市大橋となんら変わりない。
 境港、DBSクルーズフェリーの国際旅客ターミナルに到着。受付の人からパンフレットを貰い、面白い話を聞いた。ここからバイクを積んでウラジオストクまで行き、現地でツーリングする日本人が少なくないという。中にはロシアを横断してヨーロッパまで旅する猛者もいるらしい。外国への入口にわくわくする。お目当てのEASTERN DREAMは、ロシア向けの中古車を積むために舞鶴に行っており、16:30頃入港予定。ゲート、金網の向こうは韓国で、事前予約なしでは見学は無理とのこと。もちろんパスポートも持っていない。まだ時間もあるため、海峡の入口までロケハンに向かう。
 先端の公園は素晴らしいところだった。右には大山、左手奥は美保関、釣り人がちらほら。堤防に寝転んで空を見上げる。おこぼれを狙ってか、かもめやトンビが上空を旋回している。大きな漁船が出港するときには、数羽のかもめがくっついて飛んでいく。中海に通じる狭い海峡のため、甲板で作業している船員の姿がはっきり見える。低空飛行するトンビをよく見ると、首を回しながら下の様子をうかがっているのがわかる。どのくらいの視力なんだろう。背景は宇宙まで見通せるような青空。「みしまや」で感じた安らぎがよみがえる。
 展望台に移動。「来た!」美保関方面から白い船体が見える。「EASTERN DREAM」、かつてのマリックスライン「クイーンコーラル」。「珊瑚の女王」は、「東方の夢」となり、境港とウラジオストクを結んでいる。クイーンコーラルに乗って旅した南の島の記憶が現れては消えていく。
 ところが、さあ海峡進入というところでカメラのレンズが戻らなくなり、使用不能に。それまで撮ったものもボケている。
「写真撮るならまた来いということだね。」
 鼓膜に伝わるエンジンの鼓動と、重油のにおい。写真を撮れなくなったことで五感が敏感になる。安芸灘に寂しく係留されている「オハマナ(=フェリーあけぼの)」の姿と重なった。イースタンドリームは、今を生きている船。
 埠頭へ戻り、接岸作業を見守った。500mしかない狭い海峡をスラスター(横推進装置)を使って反転。受付の人の話によると、クルーの操船技術はピカイチらしい。「もやいロケット砲発射!」無事接岸に拍手。
 舞鶴では貨物のみの扱いのため下船してくる人はいない。出航まで2時間、バイクに横座りしてウトウト。待ち合いにはバスが到着し、キャリングカートを持った旅行者が続々と降りてくる。
 船内にはBGMが流れ、放送はハングル。金網の向こうで、乗り込みが始まった。「なんとかハセヨ〜」。タラップの下で迎える乗務員の接客はやわらかい。今日のパッセンジャーは120人と言っていた。ほとんど韓国人に見えるが、白人も数人。警備員が話しかけてくる。
「見送り?」
「沖縄航路時代に2回乗った船に会いに来ました。」
「そりゃまた寒いのに。」
 BGMが変わった。
Sarah Brightman "Time To Say Goodbye"
「さよならの時間・・・。」
 出航時間の19:00には少し早いが、どうやら全員乗船したよう。タラップが上がり、もやいが解かれる。ゆっくりと離れていく「東方の夢」。警備員に別れを告げエンジンスタート、船の速度に合わせて併走する。船上の照明が波に反射し、きらめいている。映画「タイタニック」のワンシーンが浮かんだ。先端公園で行き止まり、これ以上先にはいけない。
「帰路気を付けて、良い旅を!」
 遠ざかっていく波のきらめき。
「さあ、こちらも無事帰宅。」
 紗のかかった三日月と、寄り添う宵の明星に向かって走り出した。
 ※夜のベタ踏み坂は必見!

12.2 "What's Up for Dec 2016"

11.29 "Tonight's Sky Dec 2016"

11.27 "悲しくてやりきれない"
 「この世界の片隅に」の余韻は、まだ続いている。すずさんの実家は家のとなりのとなりの町。すずさんが嫁いだ呉の北條家は以前仕事で通った地域。
 「月の道」が届いた。いや、遅れていたので佐川まで取りに行った。80後半〜90年代初頭へのタイムマシーン。

11.26 "The End"
 今日は境港のクイーンコーラル(Eastern Dream)との再会から三江線・宇都井駅のINAKAイルミを計画したが、天候悪化のため断念。
 本日走行中、猿、雉、犬と出会った。これまで2度くらいしか記憶にないレアな出来事。猿は井仁を過ぎた山中で10匹以上の軍団、犬はよそのお宅の家来という条件付き。雉は微妙なステータスながら日本の国鳥。もちろんキビだんごは持っておらず、彼らを従えることはできなかった。
 掛頭、191はリフトのゴンドラさえついていない。遠くのサイオトには人口雪ゲレンデが一本見える。
 ほぼ7ヶ月ぶりの憩の森は思ったより壊れておらず。最上段ダブルの砂防ダムは自然に帰っていたが、上部貯水槽にはわずかな流れがあり、下部塩ビからもちょろちょろ。今日は偵察のみ。
 21:20の回。生涯ベストに入る映画と出会う。

11.25 "メロディー"

11.24 "The Best Of Times"

11.23 "Long Way Home"
 このサイトが18年目に突入。
 雜賀さんの「月の道」を10,800円で見つけた!

11.22 "The Story Ain't Over"
1.シンクロニシティ〜セレンディピティ
 10月31日、半日人間ドックで食事券をもらった。周辺の店と提携していて、選択肢にあった沖縄料理店に心惹かれる。地元で沖縄料理を食べるのは00年代前半、観音の「ゆんたく」以来。
 日替わりのビーフンとハーフの沖縄そば。店内で流れていた琉球のメロディに乗せ、ぱいぬかじ(南ぬ風)を感じた。これが驚きの連鎖の始まり。
 翌11月1日。仕事終わりに携帯を開けると、00年石垣で1ヶ月行動を共にした横浜のケンジから、年に1度あるかないかのメール。これまでと同じく1枚の写真と、たった一言「どこだ?」と書いてあるだけ。
 最初は与那国の西岬(いりざき)と答えたがはずれ。2回目に西表星砂キャンプ場のトイレで見事正解。つい最近、久高島、石垣、西表を7日間旅してきたという。

2."阿摩美久"(アマミキヨ) 〜久高島〜
 ケンジとLINEのやり取りが続く。11月2日は一緒に過ごした八重山を回想。彼と出会ったのは2000年5月1日、今は倒産した有村産業の大型客船、クルーズフェリー「飛龍」の船上でのこと。
 11月3日は彼が見てきた今の久高島の様子を聞いた。「そもそも久高島に興味持ったのは、山本さんから斎場御嶽(せーふぁうたき)の話を聞いたのがずっと残ってて、いつか行こうと思ってたんですよ。」と。おそらく15年以上前の話。

 以下、2007年久高島の記録。
2007年4月17日 家を出て38日目
 今日は久高島に向かう。本島南部を横切り、島の東海岸へ。峠から海辺に出る途中に、大胆なループが連続するニライカナイ橋があった。高いところからみる南の島の海は、サンゴ礁のエメラルドグリーンが透け、まるで別世界。あまり景色に見とれているとハンドル操作を誤り、ほんとうにニライカナイへ行ってしまいそうだ。
 船が出る安座間港に到着。高速船とフェリーがあるが、この日は整備の関係かフェリーのみだった。バイクを持っていくことも出来るが、神聖な島ということと、歩いてそこそこ回れる点から人だけで渡ることにした。
 出港したフェリーのあまりの速さに驚く。「これでフェリー?」それこそ高速船並み。後ろの海面を盛り上げながら疾走。あっという間に到着した。
 久高島は本島知念から5キロほど沖合いに浮かぶ小さな島で、琉球の始祖「アマミキヨ」が降り立ったとされる神聖な島。7年前、今は世界遺産となった斎場御嶽の割れ目から眺めて以来、いつか訪れたいと思っていた。しかし神聖な・・・という点が先行して一見さん立ち入り禁止と錯覚し、普通に渡れるの知ったのは後になってから。そうして降り立った港は、他の島と変わらないのどかな時間が流れていた。
 周囲4キロ、貸し自転車という手もあるがここは気合で徒歩ダー。島の中心部を抜け、交流館にはいる。ここで写真や展示物を見て、島内マップを入手。職員の人に男子禁制のクボー御嶽について聞いてみた。
「写真もいけないんですよね?」
「あれだったら撮ってみれば?なんか写るかもよ。」
ナイスな脅し。こういう返しは嫌いではない。
 島の真ん中を突っ切る中道を歩いていく。ほどなくクボー御嶽の分岐へ。さらに奥へ進むと男子禁制の看板が立っていた。ここから先はやめておこう。
 中道まで戻り、ロマンスロードといわれる島の北西海岸へ出た。なるほど、ロマンス・・・とネーミングされると、なんとなく一人で歩いているのが寂しくなる。
 貯水池を経由して再び中道に合流。ここから島の最北端まで一本道の未舗装路が続く。行き着いた先がまさにアマミキヨが降り立ったとされるカベール岬だった。神聖かどうかをさておき、沖縄の小さな小島の最北端、キレイでない訳がない。古事記や日本書紀とは違ったいにしえの神々に思いをはせる。
 折り返し、今度は東海岸を南下していく。今度は左側を林で覆われているが、所々ある小道を抜けると、すぐに浜に出る。うぱーま浜やしまーし浜では、ここで一日ボーっとしていたい衝動にかられる。
 さらに歩いていると道端に一台の軽が止まっていた。何気なく見えた後部座席に見たような包装紙が。なんと!もみじ饅頭ではないか。そばには島人(しまんちゅ)らしきおばぁが2人の観光客にガイド中、思わず話しかけた。
「広島からですか?」
「はい。」
 まさか遠く離れた南の神々の島でもみじ饅頭に出会うとは。その後ニヤニヤしながら歩いているさまは、はたから見ると不気味だっただろう。といっても誰ともすれ違うことはないのだが・・・。
 集落に戻り、御嶽を全部回ってみた。面白い集落だった。細い路地が曲がりくねって交差し、まるで迷路のよう。あちこち迷いながら手を合わせる。道端の花といい、もみじ饅頭といい、歩きは正しい選択だった。バイク、いや自転車なら見逃していたに違いない。4時間程度という短い滞在時間の中で、それ以上の何かを見せてもらったような気がした。
 07年旅記録より。

 ケンジは今回の旅で、文中にある交流館に2泊したとのこと。
 そして11月5日朝、テレビをつけた瞬間鳥肌が立った。
「斎場御嶽!」
 テレビ朝日系「旅サラダ」。何の説明もなくそこが沖縄の聖地だとわかった。当然の流れで、御嶽から見おろすもう一つの聖地、久高島の映像に切り替わる。
「なんというシンクロニシティ!」
 旅サラダのことをLINEし、自分のサイトに短いテキストを書いた。
「鳥肌ものだった。月曜偶然の沖縄料理から、翌日には最近沖縄を旅してきた横浜のケンジから久高島の便り。そして今朝、「旅サラダ」をつけた瞬間、斎場御嶽から久高島の映像。ナビゲーターは懐かしいかとうれいこ。レアすぎるつながりは、偶然と片付けるには出来過ぎ。そういえば先月、ツイッターにカベール岬への道をアップしていた。呼んだ?それとも呼ばれているのか?」
 この文を読んでないケンジからの返答に驚く。
「そういうのありますね。南から呼ばれてるんですよ。繋がってるんですよ。また南の島であいたいですね。あさひ食堂(石垣市:当時通った)集合で。」
 単なる偶然を、呼ばれていると考える。上陸できる八重山有人島のほとんどを彼と一緒に旅した理由をあらためて実感した。突然、ドック入りしている大型客船の写真を送ってきた。意味のある偶然が、素敵な偶然に変わる瞬間だった。

3.「汽船も亦道路なり」
(トカラ、中ノ島に立つ記念碑より)
 2000年5月1日、間違えて乗った石垣行き「クルーズフェリー飛龍」で、5人の旅人と同室になった。その5日前、鹿児島〜与論のフェリー「あけぼの」で出会っていた愛知のミヤ、横浜のヒロ、神戸のノッチ、甲府の早川さん、そしてケンジ。ミヤとは青森で再会し、家にも遊びに来た。ヒロは彼の地元横浜、茨城、徳島、大分と全国各地で再会、家には家族を連れて泊りにきたこともある。ノッチも青森のねぶた、中標津の開陽台で再会した。早川さんとはあの旅以来会っていないが、メールでのやり取りは継続している。ケンジとは本当に年一度メールするかしないかだが、2度の再会では、まるで昨日別れたように話をした。

 11月6日、LINEのグループにヒロも招待し、長距離フェリーの話題で盛り上がった。鹿児島〜沖縄間は丸1日24時間、沖縄〜石垣間は半日かかる。さらに奄美諸島や宮古島など、経由地のピッキング(荷物の積み下ろし作業)しだいでは平気で数時間遅れ、鹿児島から石垣まで往復すれば、3日以上かかる計算になる。限られた休日で旅をするとき、これほど非合理的な手段はないだろう。ところが当時仕事を持っていたのは早川さんだけ。あとの5人はいつ帰るとも決めていない職業旅人。船に何日乗っていようが誰も気にしない。そもそもバイクと一緒に渡ることが大前提のため、飛行機など選択肢にない。
 出会いと別れ、まだ見ぬ未踏の地への憧れ、360度の水平線。それらを消化する有り余る時間は、良くも悪くも、その後の人生を変えた。2000年当時、運行会社4社、8隻のフェリーが就航しており、うち6隻に乗船、以来放浪旅の象徴に。船そのものにも興味は膨らみ、AIS(自動船舶識別装置)を使って「飛鳥2」や「ぱしふぃっくびいなす」、ロイヤル・カリビアン・インターナショナルの世界最大級クルーズシップを追いかけた。
 ところが2012年、沖縄への渡航方法を調べて愕然となった。5人と出会った「飛龍」を運営していた有村産業は倒産し、琉球海運は貨物のみに、大島運輸とマリックスラインは鹿児島〜那覇のみ。つまり石垣までバイクで渡ることができなくなっていたのだ。
 自然な流れで、乗ったことのある船の消息を調べると、アジア各地に売却され、新しい人生を歩んでいたことを知る。そして今回、色々な偶然が重なり再び消息を追った。あれから4年、どこの海で活躍しているのだろう。

4.「再会」
 処女航海、姉妹船、母船。船は女性だった。ふと、沖縄の亀甲墓が浮かんだ。沖縄はかつて独立国家であり、独自の文化が発達した。一度見たら忘れられない亀甲墓は、人が生まれ、帰っていく場所。女性の子宮、胎内を表しているという。それをふまえてみると、けっして変な意味ではなく、M字開脚した女性の下半身に見える。そういえば、琉球の始祖アマミキヨやノロ(琉球の信仰における司祭)も女性。世界の豪華クルーズシップの船名に目を移せば、「クイーン〜」、「プリンセス〜」、「アイーダ〜」、そして「ぱしふぃっくびいなす」。船もまた、通り過ぎていく旅人をやさしく包む。
 乗った船の消息を、運行会社と船名から検索。最大のトピックは、2007年奄美の名瀬から沖縄本島の本部に渡る際乗船したマルエーの「フェリーなみのうえ」だろう。2012年引退後韓国に売却され、セウォル号と改名、2014年、たくさんの命を飲み込んだまま海中に没した。
 有村の飛龍、飛龍21は、2008〜2009年頃、かなり長い間福山の常石造船沖に係留されていたことを後になって知った。あの旅の出会いの主役だった飛龍は、2009〜2010年ごろ、PYEONG SANとなって境港〜ロシア航路に就航。週末境港に行けば会えるのを知っていたが、時期を逸し、今は中国〜韓国の国際航路に。手が届かなくなった。
 2000年4月与論から那覇、2007年4月本部〜鹿児島へ戻るときに乗ったクイーンコーラルは、イースタン・ドリームとなってウラジオストク〜境港間を週1便で運航。2007年、本部港のコンテナ内で過ごした凍える夜は忘れられない。もたもたしているとどこかに行ってしまう。雪が降る前に再会計画立案中。
 1988年尾道で産声をあげた「かりゆしおきなわ」は、2012年中国で解体され、セウォル号と同じくこの地球上に存在しない。石垣から宮古へ。南の旅のエピローグに付き合ってくれた船。
 AIS(自動船舶識別装置)でリアルタイム(2016年11月21日14:00)の現在位置を調べる。
   
フェリーあけぼの
 Ohamanaとなり、神田造船所沖で係船。

クイーンコーラル
 Eastern Dreamとなり、ウラジオストク港停泊中。週末は境港に。

クルーズフェリー飛龍
 ORIENTAL PEARL 6となり、仁川港停泊中。

かりゆしおきなわ
 NEW GOLDEN BRIDGE II〜ASIANA ACE〜ASIA ACEに改名。2012年1月、中国で解体。

わかなつおきなわ
 ASIA INNOVATORと改名、2015年インドネシアに売却、MUTIARA PERSADA IIIとして就航。スマトラ〜ジャワ島間の海峡に停泊中。

フェリーなみのうえ
 セウォル号となり、2014年4月16日、観梅島沖で沈没。

クルーズフェリー飛龍21
BIRYONGとなり、大連港停泊中。

「えっ!神田造船って。」
 2000年愛知のミヤと出会い、与論へ、そして最後の未踏の県沖縄への旅立ちの船。「フェリーあけぼの」が、オハマナ号となって呉の川尻沖に停泊中。慌ててGoogleMapに切り替える。
「いる!!!」
 近くにもう1隻大きな貨客船が係留されている。素性はすぐに判明した。

ゆうとぴあ(UTOPIA、理想之国)
IHI相生工場建造 1987年3月新潟〜小樽航路に就航〜2002年4月引退。
 オリエントフェリーに売却。ゆうとぴあと改名して、2002年10月より下関〜青島(チンタオ)航路に週2便で就航。貨物、旅客の減少により、2015年12月末で航路休止。12月24日青島発の便が最終運航となった。神田造船所川尻工場で係船されている。

「あ〜!」
 2000年代中盤青島に知り合いができ、この航路を調べたことがあった。チンタオビールで有名な地方都市だが、人口を聞くと、700万人との答えが返ってきてびっくりした覚えがある。2005年には、横浜のヒロがこの船に乗って青島に渡ったが、現地で肺炎を患いすぐに帰国。その帰りに家に寄った。けっして縁もゆかりもない船じゃない。
 オハマナは韓国の定期航路に就いたのち、姉妹船であるセウォル号の沈没をうけ運行停止。一昨年新潟〜ロシア航路への就航が決まって日本へ戻ってきたが、契約時の速度が出ないということでトラブルに。知事の進退問題になるほど大事になり、1年近く川尻にいるという。

「会いに行こう。あの日の自分を探しに。」

5.「履歴書」
フェリーあけぼの:大島運輸(現マルエーフェリー)
 2000年4月25日、鹿児島から与論、2000年6月11日、本部から鹿児島へ戻るとき乗船。
 三菱重工業下関造船所建造 1989年就航〜2003年2月引退。
 韓国の清海鎮海運でオハマナとして仁川〜済州を結ぶ。2014年4月、姉妹船セウォルの沈没事故により運航停止。清海鎮海運の倒産により競売にかけられた。その後、新潟港とウラジオストク港を結ぶ日本海横断航路開設のため2015年10月に日本へ回航されたが、想定していた船速が出ないことから新潟県が受け取りを拒否しており、神田造船所で係船されている。

クイーンコーラル:マリックスライン
 2000年4月27日では往路の与論から那覇、2007年4月20日、本部〜鹿児島へ戻るときに乗船。
 下関林兼造船建造 1993年就航〜2008年引退。
 韓国DBSクルーズフェリーに売却、イースタン・ドリームとなり、2009年6月から日韓露の三カ国を結ぶ航路に就航。ウラジオストク〜東海港〜境港〜舞鶴港。週1往復を運航。

クルーズフェリー飛龍:有村産業
 2000年5月1日、那覇〜石垣まで乗船。ヒロやケンジたちと出会った最も思い出深い船。
 三菱重工業下関造船所建造 1995年名古屋〜大阪〜那覇〜宮古〜石垣〜基隆/高雄(台湾)航路に就航。
 有村産業は、2008年6月破産、航路休止となり、僚船のクルーズフェリー飛龍21、フェリー海龍とともに福山の常石造船で係船された。
 2009年12月、韓国のDBSクルーズフェリーに約7億円で売却されPYEONG SANに改名。イースタン・ドリーム(元クイーンコーラル)の代船として、境港 - 東海 - ウラジオストク航路就航。2010年、丹東国際航運に売却され、ORIENTAL PEARL 6として丹東〜仁川航路に就航。

かりゆしおきなわ:琉球海運
 2000年6月3日、石垣から宮古へ渡るとき乗船。
 尾道造船建造 1988年1月就航〜2001年11月引退。
 韓国威東航運に売却、NEW GOLDEN BRIDGE IIとなった。2005年、ASIANA ACE、2007年、ASIA ACEに船名変更。2012年1月、中国で解体。

わかなつおきなわ:琉球海運
 2000年6月6日、宮古から那覇へ戻るとき乗船。
 佐伯重工業(大分)建造 1991年2月就航〜2006年9月、琉球海運の旅客営業終了により引退。
 韓国に売却、ASIA INNOVATORと改名、精密機械を運ぶ貨物船として運航。 2015年インドネシアに売却、MUTIARA PERSADA IIIとして就航。

フェリーなみのうえ:A" LINE マルエーフェリー
 2007年3月31日、奄美大島の名瀬から沖縄本島の本部まで乗船。
 林兼船渠(長崎)建造 1994年6月就航〜2012年10月引退。
 韓国清海鎮海運でセウォルとして仁川〜済州島航路に就航。2014年4月16日、観梅島沖で沈没。

クルーズフェリー飛龍21:有村産業
 乗船はないが、飛龍の姉妹船。
 三菱重工業下関造船所建造 1995年9月竣工。名古屋〜那覇〜台湾航路に就航。
 2008年6月、有村の破産とともに運航休止。僚船のクルーズフェリー飛龍、フェリー海龍とともに売却先決定まで常石造船に係留。
 2010年1月、マルエーフェリーが購入、海難事故により廃船となった「フェリーありあけ」の代船として東京〜那覇航路に就航。2014年12月東京発那覇着の便をもって運航休止、BIRYONGに改名し、仁川〜大連航路に就航。

ゆうとぴあ(UTOPIA、理想之国)
IHI相生工場建造 1987年3月新潟〜小樽航路に就航〜2002年4月引退。
 オリエントフェリーに売却。ゆうとぴあと改名して、2002年10月より下関〜青島航路に週2便で就航。貨物、旅客の減少により、2015年12月末で航路休止。12月24日青島発の便が最終運航となった。神田造船所川尻工場で係船されている。

6.「名もなき浜にて」
 11月11日、Trickerで出発。黒瀬から安浦に抜け、R185へ。桃ドライブインを過ぎた左手の坂を下ると海岸線に出た。
「大きい。」
 一昨年末まで下関と青島(チンタオ)を結んでいた「ゆうとぴあ」だ。初めて出会うのにどこか懐かしさを感じる。そして、目的地はすでに右前方の視界に入っていた。
 16年ぶりに再会する「オハマナ」、フェリー「あけぼの」。少しでも近くで見ようと、海沿いの道を進んでいく。七浦海水浴場を過ぎると急に道が狭くなり、路面が荒れる。すぐに小さな浜にたどり着いた。倉庫のような、古いコンクリートの建物が一つだけある小さな浜。
「久しぶり!」
 船首をこちら側に向け、静かにたたずんでいた。自然と客室デッキに目が行く。
「2000年4月25〜26日、ミヤとあそこにいたんだ。」

2000年4月25日火曜 家を出て11日目
「ついにやってきた!」
 鹿児島・沖縄行きフェリー埠頭。制覇などというコレクション的な旅は好きじゃない。しかし沖縄上陸と同時に47都道府県すべてを走ることになる。持論と矛盾した感慨に浸り、そのまま日本最西端、最南端へと夢はふくらむ。
 待ち時間に愛知県豊田市から来たミヤと出会った。1981年製造のハーレー・ダビッドソン。船以外で出会ったならおそらく話をすることはなかっただろう。
 彼はタバコを吸うが、吸殻を投げ捨てることがない。バイクにも吸殻入れがついている。感心、人は見かけによらない。
 出発直前、桜島が小噴火した。そのとき談笑中だった地元のおじさんたちによると、いつものことらしいが、噴火があまり身近でない者にとってはすごいこと。鹿児島の人たちはよく平気でいられる。
「乗船。」
 丸1日船上の人となり、明日の夕方には与論島に上陸する。

2000年4月26日水曜 家を出て12日目
「フェリーあけぼの〜与論島」
 大島運輸、フェリーあけぼの船中。昨日夕方鹿児島港を出港した船は、5:00、奄美大島の名瀬港に到着した。夜になって雨が振り出したらしく、とても蒸し暑い。
 時間つぶしどころか目が釘付けになってしまったのがピッキング。巨大フォークリフトによる荷物の積み替え作業だ
 港にあるフォークは、普段街中の倉庫などで見る物と違い、数倍の大きさ。巨大なコンテナをリフトアップしながら、何台もがスムーズに離合している。あたかも後ろに目があるかのような紙一重の動き。
「素晴らしい。」
 一つ下のデッキにいるミヤも、同じ思いで眺めているに違いない。ふと時計を見ると、名瀬港の出港時間を1時間も過ぎている。まだ二つも寄港するのに予定通りつくのだろうか?(以降、徳之島、沖永良部島、そして与論。)
 しばらくすると完全に夜が明け、ミヤ、船中で知り合ったビラーゴの旅人と過ごした。最初楽しかった船旅も、丸1日近く乗っていると飽きる。Jフォンはまったく入らない・・・。
 結局与論には3時間遅れで到着した。これから那覇に向かうミヤたちはかなり遅くなるはずだ。名残惜しいがここでお別れ。お互いの無事を祈りつつ船を降りた。またどこかで出会えるかもしれない。

2000年6月11日日曜 家を出て58日目
「さようなら南の島」
 10:10、本部(もとぶ)発鹿児島行きフェリーあけぼの。ついに沖縄を離れるときが来た。切ない。でもまた来る。そのために慶良間、渡嘉敷、久米島、大東島を残しておいたよ。
 目的は達成した。日本全県制覇、最南端、最西端到達。これで9年前の北海道と合わせ日本の「端」四点すべてに立ったことになる。
※7年後の2007年、南・北大東島上陸を実現した。

2000年6月12日月曜 家を出て59日目
「もう寄る場所はない」
 朝8:20、鹿児島港到着。天気予報はよくない。そして問題再発。那覇で交換したチェーンスライダーがもう擦り減っている。都井岬、佐多岬に寄りたかったが、九州ならいつでもこれる。すぐに北上してはるかなる我が家を目指そう。
※このあと一時帰宅し、北海道に旅立つ。

 ケンジやヒロたちと話したとき、記録していることの意味をあらためて感じた。時間の経過とともに記憶は断片化され、つながりを失っていく。事実、彼らは当時どの船に乗ったか覚えておらず、船一個体に対しての思い入れが少ない。
 オハマナのブリッジに夕日が当たり、光り輝いている。これまでどのくらいの人や物を運んだのだろう。そして、非業の最期を遂げた姉妹船セウォル号(=マルエー・フェリーなみのうえ)のこと。今おかれている状況も、けっして良いわけではない。懐かしさと、寂しさがいったり来たりしながら、時間を忘れて眺め続けた。
 ゆうとぴあのファンネルから煙が出ている。エンジンに火が入っているということは移動が近いのだろうか。それともメインテナンスのため。オハマナも、いつまでここにいるかわからない。今日は双眼鏡を忘れてきた。近いうちにまた来よう。
 近くにもう1隻、小さな船が係留されている。検索情報によると、北方四島交流等事業使用船舶「えとぴりか」らしい。ビザなし交流で国後や択捉を行き来していたただものではない船。

 11月17日、ZX-10Rでスタート。三次からフライトロードを経由して竹原に抜ける。海岸線の国道を流してあの浜へ。潮流の影響か、前回と反対を向いているオハマナ号。左舷後方のランプウェイが見える。忘れずに持ってきた双眼鏡を覗いてみると、けっこう錆び付いてのがわかる。船首、客室デッキ、タラップをつける乗降口に光が点滅している。そういえば、昔沖縄海洋博のアクアポリスを調べたとき、大型の船舶は、係留中も人員を常駐させなければならないと聞いたことがある。大きな夕日が西の山の端にフェイドアウトし、宵の明星が輝き始める。
「やっぱり!」
 遠くに見える「ゆうとぴあ」の船室に灯りがともった。
「ザッザカ、ザッザカ、ザッザカ、ザッザカ!」
 暗闇の砂浜を猛ダッシュで横切っていく巨大なシルエット。楽しい演出に自然とニヤついてしまう。猪突猛進。夏の上勝成でバイクと接触しそうになったばかりだし、山中を散策中の友人が襲われたエピソードもある。とりあえず周囲を見回し、突っ込んできたとき逃げる場所を確認。
 火星、フォーマルハウト、デネブカイトス。見上げる必要もなく広がる南の夜空に、ひとつ、またひとつと現れる星々。人も車も通らない路肩に横になった。
「・・・。」
 背中側だった夏の名残り、ベガ、アルタイル、デネブ。天頂直下にペガススの長方形。左から上に向かってアンドロメダ~ペルセウス~カシオペヤが連なる。海辺で見る天の川はとても新鮮。超高速で天球を横切っていく人工天体も六つ確認した。自分のちっぽけさをポジティブに楽しむ、言葉にできない安らぎのとき。
 どれだけ時間がたっただろう。「オハマナ」に動きが!客室デッキに灯りがともった。かつてはたくさんの人や物を運んでいた船。寂しく繋がれている今も、誰かが乗っていることにほっとする。
 初めて時計を見た。
「もう19:00。」
 誰もいない暗闇の砂浜で、3時間も楽しめる人間は他にいないだろう。しし座流星群は流れそうにない。バイクに戻ると、シートが夜露に湿っている。
「また来るよ。」
 「オハマナ」、いや「あけぼの」は、旅するためだけに旅していた日々へのタイムマシーン。南の島の記憶を思い出すキー。手が届きそうなのに、穏やかな海が隔てている。泳いでたどり着けたとしても、船は碇を下ろしたまま。自分が今置かれている状況と、実現不可能な放浪旅とを重ね合わせるが、すぐに否定した。
 あの旅で学んだこと。非日常が日常になることを恐さと、日常の中での非日常の素晴らしさ。「あけぼの」との再会は素敵な偶然、最高の非日常。
 800km離れた場所にいるケンジがつぶやく。「いまからみんなで飲み屋行こ。朝まで話せるよ。ヒロ、広島行くぞ!」

・シンクロニシティ(Synchronicity)
 意味のある偶然の一致、共時性(きょうじせい)。
・セレンディピティ(Serendipity)
 素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。

「そうか・・・。」
 今気付いた。呼んでいたのは久高島ではなく、オハマナ号だったと。人間ドックの食事券は、数奇な運命をたどる船と一緒に、久高島の記憶と、東シナ海の風を運んできた。気のおけない旅人たちと、過ぎ去った日々を振り返りながら、未来への旅に思いをはせる。次に乗る船には、どんな出会いが待ち受けているだろう。

7.「The Story Ain't Over」

 物語は終わらない・・・。

11.17
 生涯最高速更新。たぶんもう少し出ていたが、ストレートエンドが迫り見る余裕がなかった。
 ジミー・カーターシビックセンター周辺は紅葉真っ盛り。プラネタリウムは途中意識がなくなる時間もあったが、熟睡ではなく、気持ち良さを認識しながら、星の海でうとうとする幸せ。
 上下駅待合にある蕎麦屋「四季」。残念ながら福塩線の列車は1時間後。待たずスタート。
 下徳良の三谷屋。牧場にいたとき通ったスーパー。おじいさんとルーティンの排気量トーク。1000ccと聞いて驚きの言葉を連発していた。

11.16 "Animal"

11.15 "No place for disgrace"

11.14 "Barbarians"
 家についても車の中から30分出てこない。
 原田マハ「本日はお日柄もよく」を読み終わったその日、比嘉愛美のインスタグラムにWOWOWの番宣が。

11.13 "Dying For An Angel"

11.12 "Lagnatti"
 スヌーピー号が予定より早く山口に移動開始。帰りを狙う。

11.11 "Weigh Me In"
 安浦の名もなき砂浜に立ち、2000年4月25日鹿児島~与論、6月11日本部~鹿児島で利用したフェリー「あけぼの」と再会。
 中国地方に帰ってきているメットライフアリコ飛行船「スヌーピー号」。阿賀マリノに立ち寄るが姿なし。今回はどこに停泊しているのだろう。
 ※最新情報ではマリノ近く、阿賀の虹村にいるらしい。

11.10 "人間の証明"

11.9 "戦士の休息"

11.8 "また逢う日まで、ひとりの悲しみ"

11.7 "流星"

11.6 "Ombra mai fu"
 おうし座流星群。30分ほど見上げたが流星流れず。

 ケンジとフェリーの話になり、前回調べてから4年後の消息を追ってみた。
 最大最悪のトピックはセウォル号となったマルエーのフェリー「なみのうえ」。2回乗った同型船「あけぼの」は、「オハマナ号」となり韓国国内航路のはず。ところが!ロシア~新潟間の日本海横断航路として国内に戻るも、契約トラブルで今年2月現在呉の川尻に停泊中とのこと。AISで確認すると、今も七浦海水浴場沖に停まっていてGoogle Map衛星画像にも映っている!双眼鏡片手に近日確認予定。
 旧琉球海運のかりゆしおきなわ=ASIA ACEは、今中国山東半島の先っぽに停泊中。わかなつおきなわ=ASIA INNOVATORは、スマトラ島とジャワ島の海峡を通過中。
 有村の飛龍21は、マルエーに移って東京~那覇を結んでいたが、2年前に引退して大連に係留されているそう。そして、ケンジやヒロと出会った飛龍。4年前のリサーチでは「PYEONG SAN」となり、境港~ウラジオストク間を結んでいたが、さらに「ORIENTAL PEARL 6」と改名し、中国の丹東港~仁川間に就航したとのこと。現在位置を検索すると丹東港に停泊中。境港なら再会可能だったが、今となっては手の届かないところにいってしまった。

 ブックオフに行くと、昨日今日で本10%引きという。
・原田マハ
「本日は、お日柄もよく」文庫410円
「まぐだら屋のマリア」文庫410円
「暗幕のゲルニカ」ハードカバー1,260円
「ごめん」ハードカバー510円
「ジヴェルニーの食卓」ハードカバー510円
・熊谷達也
「邂逅の森」ハードカバー200円
「氷結の森」文庫510円
・星野道夫
「ノーザンライツ」108円
 10%引きで計3,526円。全部新刊なら10,111円。印税に貢献できず、作者を苦しめ、後ろめたいが、安さに負ける。原田マハの「星がひとつ欲しいとの祈り」を近所の書店に注文中だが、1週間経過してまだ届かず。アマゾンなら遅くても中一日。この辺りに出版不況の一因を垣間見る。

 バルーン全日程終了。研矢さんからも元気なメールが返ってきた。来週はアメリカズカップに行くそう。デスペラードのメロディは、切ない祭りのあと。また来年!

11.5 "Hardwired"
 鳥肌ものだった。月曜偶然の沖縄料理から、翌日には最近沖縄を旅してきた横浜のケンジから久高島の便り。
 そして今朝。家にいれば必ず見る「旅サラダ」をつけた瞬間、斎場御嶽から久高島の映像。ナビゲーターは懐かしいかとうれいこ。レアすぎるつながりは、偶然と片付けるには出来過ぎ。そういえば、先月ツイッターにカベール岬への道をアップしていた。呼んだ?それとも呼ばれているのか?

11.4 "Moonlight Shadow"
 昨日知った衝撃。なんと!原田マハの講演会が、明日ひろしま美術館で開催されるという。そしてすでに受付終了という・・・。

11.3 "Part Of Me"
 瀬戸内寂聴の「花芯」。目当ては「風のハルカ」の村川絵梨。本編は見ていないにもかかわらず、森山直太郎の「風花」流れる湯布院のオープニングにやられたのはもう10年前。「バッテリー」、「DIVE!!」の林遣都も気になる存在。残念ながら映画の内容は理解できず。

11.2 "Numbers"
 旅、映画、音楽、そしてアート。原田マハに夢中。今日現在読了。「生きるぼくら」、「翼をください」、「キネマの神様」、「カフーをまちわびて」、「旅屋おかえり」。進行中「楽園のカンヴァス」。取り寄せ中「星がひとつほしいとの祈り」。

11.1 "What's Up for Tonight's Sky"
 昨日半日人間ドックで食事券をもらった。選択肢の中の沖縄料理店に心惹かれる。地元で食すのは、00年代初頭、閉店してしまった観音の「ゆんたく」以来。
 日替わりのビーフンとハーフの沖縄そば。とりたてて美味しくはないが、店内で流れていた沖縄のメロディに乗せ、南国の風を感じた。
 そして今日。仕事終わりに携帯を開けると、横浜のケンジから1年に一度あるかないかのメール。いつものように、一枚の写真と「どこだ?」。
 最初は与那国の東崎(=あがりざき。実は勘違いで灯台のある西岬=いりざきをイメージしていた。)と答えたがはずれ。同じく一緒に旅をしたヒロはわかったというので、西表の星砂キャンプ場で見事正解。キーワード「沖縄」のまたまたすごい偶然に驚き継続中。

10.31 "Halloween"

10.30 "Take You Home"
 10:00前までパソコンのライブで見ていた佐賀バルーン。14:00には嘉瀬川の風を肌で感じ、21:00には自宅で振り返っている不思議。

10.29
"Mystery Of A Blood Red Rose"

10.28 "Orion"

10.23 "Chance"
 「スクール・オブ・ナーシング」の舞台は記憶も新しい人吉。

10.21
 届いた郵便物を勝手に開封し、包装とタックシールを分別してゴミに出したあげく、中身も廃棄しようとしている。
 間一髪で気付いたが、自分宛の郵便が知らないうちに廃棄されているという可能性あり。局止めというわけにも行かず、対応策は難題。

10.19
 "One more time,One more chance"
 存在を知って数年が経つ新海誠監督の「秒速5センチメートル」。悲しくもシネツインのさよなら興行という機会をえて、劇場で見られる幸運に恵まれた。
 9年前の短編、平日にもかかわらず盛況。「君の名は」のヒットが偶然ではないことを確信する。その切なさといったら・・・。種子島、宇宙、山崎まさよし。今読んでいる原田マハの「キネマの神様」。ここには書けない悲しい再会と合わせ、いまだ驚きの連鎖が続いている。

10.17
 車検時、財産管理上被害妄想あり。

10.15
 「翼をください」のモデルの一人が知人関係者、ウシオチョコラトルがNEXCO広報誌に、下灘駅がNHK「72時間」に。シンクロニシティの連鎖。

10.9
 ろんでんCAFE(臨時休業)~十万石~ぬまくまハーブガーデン~戸崎港~歌港~ウシオチョコラトル~予讃線下灘駅~波方港~海山城展望台
 久しぶりのろんでんは臨時休業。張り紙がなければほぼ廃墟の様相。
 ずっと気になっていた戸崎~歌航路。回転灯を回して対岸の船を呼ぶ。
 ウシオチョコラトルは高見山の中腹にあるお店。峡路アクセスだが賑わっている。残念ながら客対応の効率が致命的。5~6組並んでいるにもかかわらず、6種類のチョコの特徴を毎回説明しいらいら、世間話をする場面も。味は好みだが、明治の板チョコ2/3程度の大きさで700円は、いらいらも加わって割高感が倍増。
 下灘駅は、その規模に反して大盛況だった。90年代後半、何気なく手にした18キップのパンフレットがこの駅。単行本の表紙にもなっている。夕暮れの電車を2本見送る間も、人が途絶えることはなかった。
 高速1,000円のあおりを受け廃止になるまで四国までの足だった中四国フェリー。その四国側の玄関口が波方。何度も船を待った待合棟は、交流センターとして再利用されていた。消え去ったランプウェイのくぼみに打ち付ける波を見ながら、あの日の旅を振り返った。
 車の未合算分を合わせると、どうやら40万キロを達成した模様。

10.8
 昨年入院中読んだ本の中で最も感動した原田マハ「生きるぼくら」。そこに出てきた長野の御射鹿池。今週久しぶりに買ったハードカバー、原田マハ「翼をください」。開催中の県立美術館特別展「東山魁夷展」。1年かけ点が線に変わっていく。チケットは読みかけの本の栞となり、輪が完成。

10.7
 眼科で「あんたは信用しとらん。」と言われる。

10.3 "The Final Countdown"
 ZX-10R。6万キロ目前にして初めてチェーン、ドリブン/ドライブスプロケット交換。奥出雲あたりから異音がしていた。耐用年数の2~3倍に、ショップのマスターもあきれぎみ。今更ながら生死に直結するパーツ、時間もないため今回はショップにお願いし、工賃込み36,000円はなかなかの出費。やはり一度も交換したことのないフロントブレーキパッドも残り少ない。
 毎回今回が最後と通す車検。チェーンとパッド交換で5万仕事では元を取る必要が出てきた。
 あっという間に250km/hオーバーの交通法規に矛盾したマシン。加齢を意識し、支配不可能だと感じる瞬間あり。終盤に差し掛かった人生を意識しつつも、右膝に吹き付けるエンジンの熱風に「生」を感じる。

10.1 "What's Up for Tonight's Sky"

9.30 "Mission Complete"
 ヨーロピアン・スペース・エージェンシー(ESA)の探査機「ロゼッタ」が、すべてのミッションを終え、チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星の地表面に落下。先行した地表探査機「フィラエ」と再会できただろうか。
 その存在を知って2年程度だが、打ち上げから12年にわたる壮大な旅をを振り返り、喪失感は大きい。反面、アヒルちゃん(彗星の形が似ている)と共に軌道を回り続ける二人が誇らしくもある。いつの日か、彼らをその後を追う探査機を期待したいが・・・、おそらく、自分のライフタイムが尽きるのが先。

"Once upon a time..."
 二人を擬人化する素晴らしいアニメーション。

"Where is Rosetta?"
 ロゼッタ&フィラエの軌跡。

9.28 "Rosetta's grand finale"

9.27 "ふたりの桃源郷"
 桃源郷に行ってきた。五右衛門風呂の掘っ立て小屋は倒壊していたが、バスは健在。山から引いた水はこんこんと湧き、あの木が少し大きくなっていた。畑の手入れは行き届いていて、間違いなく現在進行形。三女さんと旦那さんの姿が浮かんでくる。
 おじいちゃんは、麦藁帽とツナギになって風に揺れていた。
「おじいちゃ〜〜〜ん。」
 頭の中に、おばあちゃんの甲高い声がこだました。
 この気持ちをもって母に接しようと帰宅するが、現実は程遠い。
 ついに400,000キロまで1,000キロをきる。

9.18
 4年ぶりに501補充。STFが4本目のRタブ。08年に購入したRタブのSTFは去年の事故で両サイド切断。事故防止啓発と、意外な収納力から壁掛け。
501-0000 STF W32/L36 @6990
501-0660 BLACK MAGIC W32/L34 @8991
501-1212 TIMBER WOLF W32/L34 @8991

9.17 "Passage Of The Crane"

9.16
 夜と昼認識できず。

9.2
 4年後の命日に更新とは・・・。

9.1 "What's Up for Tonight's Sky"

8.24~25
 観音茶屋。大島で林業をやっているという同世代に出会う。

8.14~15
 御所24~土手から見えた沈下橋、高瀬橋上で涼む~フジグラン石井で時間調整~新町小学校。
 阿波おどり8。新町小で、近江八幡CB1300のおじさんと談笑。両国本町ヤラカス前で立ち見~アーケード街~新町橋~両国橋南~出待ちできなくなった南内町の状況を確認。
 一度小学校に戻っておじさんを見送ったあと、紺屋町で有名連出待ち。
 0:00前、美馬・めん処かねか。出汁薄く麺多い。車の先客あり。
 大久保自販店三島営業所。なかなか発見できず、大王製紙通りを行ったり来たり。誰もいない埠頭の裏側にあった。取り出し口はかなり錆ついている。丸麺。
 2:00前、三島探索疲れとうどん二杯満腹ですぐ近くにあった寒川をスルー。帰宅して調べると、ストリートビューでは川鉄。寄っておくべきだったとかなり後悔したが、最新情報では富士に変わっているらしい。

8.13~14
 龍頭山、ペルセウス流星群。頂上直下1ゴケ、ナンバー脱落、すぐ帰宅。

8.11~12
 上勝成山、ペルセウス流星群。登山口導入で何かが右わき腹に激突。硬式テニスボールがヒットしたくらいの衝撃。深夜だがコウモリにしては重過ぎるし、鳥だろう。登り走行中には左山側から飛び出てきた猪が、あわや接触という状況からフロントタイヤをかすめて右へスイッチ。すぐ足の前を数秒併走したのち、右の谷へ消えていった。
 頂上に着いてしばらく経ったころ、宮島花火を見に来たという原付カップルが現れる。いろいろな生きものに出会った夜。

8.10~11
"When You Wish Upon A Star"
 吉和展望台、ペルセウス流星群、星降る夜。

8.8
 星野道夫

8.1 "What's Up for Tonight's Sky"
 行きの大谷屋、さらさらの湯だけが出て出汁出ず。おそらく同じ状況で腹を立てたのか、箸や調味料が入れてあるボックスに麺が投げ捨ててある。どうしたらそんな心無い行為ができるのだろう。連絡すると対応はおだやか。代金は、今後の存続のためささやかな寄付とも考えたが、帰路に秘密の隠し場所で返金受け取る。
 鉄道ファン傍若無人。

7.29
 先日の津和野。転車台での方向転換を見たあと駅に向かって歩いていると、足に違和感が。なんと、オフロードブーツのソールが丸ごと分離。
 オフロードバイクのステップは、グリップ重視のためスチールの剣山のようなつくりになっている。走行中スタンディングでいることが多く、ソールに全荷重がかかるため、かなりの強度が必要。普通のスニーカーではすぐに突き刺さってしまう。履いていたのは、25年以上愛用しているMXアパレル「FOX」のショートブーツ「COMP5 S」。
「チャイニーズクオリティか?」
 剥がれたあとは、インナーソールと、厚紙でできた薄い靴底だけで、ほぼスリッパ状態。ホームセンターで黒いガムテープを買い、剥がれたソールごとぐるぐる巻きにしようとも考えたが、帰るだけなのでそのまま帰宅した。
 購入日を調べてみると、2008年7月17日ジャスト8年。過酷な使用環境の中で大往生とも言え、とんだ言いがかりだった。思えばこのブーツ、Trickerとほぼ同時期を過ごし、2010年の怪我も最小限にとどめてくれた山中アタックの必須アイテム。
「お疲れさま、ありがとう。」
 そして今日届いた新しいブーツは。
「ALPINESTARS TECH2。」
 1991年、初めて買った「Super Victory」以来の2足目。泥道が呼んでいる。
 鉄道ファン傍若無人。

7.17
 Tricker整備後の慣らしで、瀬野川公園に向かった。入口のT字路は数え切れないほど通過していながら、公園を訪ねるのは初めて。
「国鉄蒸気機関車 D51 720」
 淡い夕焼けと、輝き始めた十三夜の月を背後に、その漆黒の巨体の向こうに見える「人生」について思いをはせた。
 「720」は、1943年7月、笠戸の日立製作所で生まれた。小郡機関区に配属後、翌年8月には福井、62年6月からは長野で活躍し、66年10月に津和野に戻ってきた。73年9月に長門に移動になり、75年2月、誕生から32年目でその役目を終えた。
 75年からR2沿いの上瀬野に保存、94年瀬野川公園の整備とともに、現在地に移った。そんなに前から近所にいたのにまったく気付かなかった。
 「御歳73歳。32歳で引退し、41年の余生を瀬野で過ごしている。」
 一瞬「やまぐち」や「人吉」の姿と重なったが、すぐに振り払った。「720」からは、ばい煙のにおいや、蒸気の熱気が伝わってくるはずもなく、初めて現れた訪問者など気にも留めず、沈黙を保っている。おそらく、過去41年間ずっと。
 ただ一つ、圧倒的個性を放っていたのがナンバープレート。形式D51、製造順720は、苗字と名前といったところ。「720」が「720」である所以。ネット検索すれば往事の写真が出てくる。柵に囲まれた今に愕然とし、胸を締め付けられる。
「また来ます。」
 昭和の日本を駆け抜けた大先輩を前に、自然と丁寧語になる。

7.10
 SLやまぐち。今週末レトロ客車不具合で、DD51と予備電源車スハフを加えた8両編成。津和野大橋で写真を撮り、入場券買っていつもと違う入れ替え作業見学。
 普段はピノ・ロッソに行ってしまうため、やっと寄ることができた欅がるてん。クラシックギターのパルティータと、風に揺らぐ木漏れ日。昨日八幡原の石碑で見た牧野富太郎の植物図鑑があり驚く。漂流郵便局の単行本も。
 去年春以来のウッドワン美術館。

7.9
 久しぶりのSoyuzドッキングLIVE。いつもの後方カメラから、サンセット後シルエットで近づく機影を確認。スムーズで劇的なアプローチ。13:06JST、ドッキング完了。

7.5 "NASA's Juno spacecraft"
 5年の歳月を経て、NASAの探査機"JUNO"が木星軌道に入った。ネーミングの由来は、ローマ神話の神ジュピターの妻とのこと。広島でもついさっき東の空に沈んでいった木星。その軌道を三ツ矢サイダーが回っていると思うと、感動せずにはいられない。7/4のインディペンデンス・デイにぶつけてくるところがアメリカのいやらしさ。

7.3 "Stand Alone"

7.2 "星の詩"
"What's Up for July 2016"

6.30~7.1
 23:00過ぎに家を出て、SAだけのつもりがなんとなく岩国へ。対岸の清流線を感じつつ観音茶屋。久しぶりの星空がきれいで、生見川~弥栄~羅漢と抜け吉和展望台。地面に寝転がり、天の川、満天の星と同化。夏の三角形は去年見上げたあの配置。帰宅は4:00に。

6.29 "Tonight's Sky July 2016"

6.27
 錦川清流線。かつての御庄駅、13年より改名した清流新岩国から乗車。貨車を再利用した待合室あり。列車の到着まで30分、近所の急な階段が気になり登ると、戦艦の砲弾と忠魂碑あり。
 下りはピンクのひだまり号。終点錦町まで約1時間870円。途中何度も観光徐行あり、素晴らしい景色。
 何度も通過したことはある錦町を歩くのは初めて。橋の下で鯉と戯れる。駅周辺はなにもない。集落を3往復し、古い酒蔵なども発見。クリームパンとかしわ餅購入。
 帰りはブルーのせせらぎ号。始業点検からエンジン始動まで見ることができた。車庫には黄緑のこもれび号と、黄色のきらめき号が停まっている。北河内駅で下りのひだまり号と離合。
 トイレもかねて、JR新幹線新岩国駅もチェック。周囲は商店も少なく、閑散としていた。
 一度帰宅して自販機出島。

6.26
 この1ヵ月で3度目のSL。初めての晴天で、家族連れ多い。津和野行きは4号車16列。車窓の水田の稲が伸びている。昼はピノ・ロッソ。
 帰りは1号車9列。校庭で野球をしている学校があり、選手や観客みんなが手を振っているのに爆笑。おそらく大歳小学校。

6.18 "Taking Off Over the Galaxy"
 SLやまぐちと人吉で、ローカル駅めぐり熱再燃。明日雨のため肥薩線は延期し、芸備線へ。ネットでのリサーチは内名と道後山にとどめ、未知なる世界へテイキングオフ。
 11:28五日市ICイン~12:59東城ICアウト。
東城駅:
 歩道橋が老朽化で使用禁止。そこそこの規模の町なのに、いきなりの寂れ感。数少ない列車を内名で待ち受けるべく、列車を待たずスタート。
備後八幡駅:
 この駅より、周囲の風景も含めたローカル色が濃くなってくる。使用されなくなり草に覆われたレールあり。内名に急ぐ。
内名駅:
 「秘境駅へ行こう!」でも50位以内にランクイン。人の評価はともかく、駅前には家が一軒だけの文字通り秘境駅。2階の窓から犬と住人が外を眺めている。グーグルマップの空撮に写っている車もあった。
道後山駅:
 内名駅で見送った列車を先回り。駅手前で痛恨のルートミス。音だけ残して行ってしまった。しかし、東城からスタートしたのには意味あり。40分待てば東城・新見方面の上りがくる。鳥たちのさえずりに耳を傾けていれば、あっという間に上り便がきた。
備後八幡駅:
 道後山で見送った列車を先回り。今度は一度通った道のため到着後待ち時間があった。
菅竹小学校跡:
 行きで見つけた廃校(平成15年より休校扱い)。寂しい。
小奴可駅:
 駅舎がタクシー会社の事務所。唯一窓口が開いている有人駅?駅前の近江屋フードセンターで軽食。
備後落合駅:
 木次線が乗り入れているターミナル駅。1両編成のワンマンディーセル車が待機中。
 待ち合いに鉄ちゃんが一人。壁に往事のSLの写真が貼ってある。その中の一枚にターンテーブル(機関車を方向転換する転車台)が写っている。地元のおじさんに聞くと、草木に覆われたラピュタ状態で現存。おじさんに会わなければ知らずに立ち去っていた。一期一会。
 まだ日が高いのでツーリングマップルにある熊野の大トチに。人格あり。また会いにこよう。このあたりで帰路に。
比婆山駅:
 R183に出て少し走ったところで予期せず遭遇。時刻表を見ると、6分後に三次行きが。「持ってる。」今日行った駅の中で、唯一到着を音楽でお知らせ。これでのべ5回目の列車。偶然も含め素晴らしいタイムスケジュール。この区間の一日の本数が上り下り3本ずつ、計6本しか通らない。
 駅前のお店「TAMORI」のお姉さんが「駅の看板撮った?」と。よく見ると時刻表の黒板でできている。すごい!
 大資本のスーパーやコンビニは極力避け、地元の生協やよろず屋に。ネットにはない生の情報と、その土地の人々とのふれあいは、「所さんのダーツの旅」のイメージ。
 三次の三駅東に塩町という駅が。なるほど、福塩線の「塩」の意味が初めてわかった。目からウロコ。
 18:08庄原ICイン~18:52西風新都ICアウト。
 鳥のさえずりだけがBGMのローカル駅。便数が少ないだけに、列車が入ってきたときのうれしさは格別。次は三江線、錦川清流線、そして肥薩線。来月は18キップで乗る側に。鉄ちゃんじゃないから。

6.14 "Take the "A" Train"
 四半世紀前、大学時代にはすでに廃線に興味を持っており、「消えた鉄道」(90年の二刷)と「失われた鉄道を求めて」(89年の初版)を注文していくつかの場所を訪ねた。「失われた〜」のブックカバーは「学芸堂書店」。6年間住んだ街、「東急東横線・学芸大学駅」にある小さな本屋さん。2年前、福島の旅の帰りにも立ち寄った。
 旅をしていれば鉄道との出会いには事欠かない。線路や踏み切り、鉄橋やトンネルに出会うと、ほっとするだけでなく、自分の現在位置を知るランドマークとなった。思い出されるのはやはり廃線だらけの北海道。ライダーハウスの前にあった紋別の渚滑駅(しょこつえき)などは特に印象に残っている。東北の日本海に沿って走る五能線は、あまりの寂寥感に情緒不安定になりそう。道に迷って引き返した只見線・大白川駅も忘れられない。第三橋梁のある旧碓氷線は、トンネル内にテントを張った。地元では廃線問題に揺れる三江線や、廃止区間の可部線は今も日帰り旅の定番だし、九州では駅寝した日豊本線・宗太郎駅も。挙げればきりがなく、一時的なマイブームではないことがわかる。
 そのような状況の中で、定期で出かける津和野で必ず見かけるSLに、「乗る」という興味を見出せなかったのは自分でも意外だった。そして素晴らしさを知ってしまった今、一度出会ったことのある「人吉」に目が行くのは当然の流れ。感覚的には日帰りで、今年4度目の九州へ。

6.11 Day1
 ほぼ定時に日勤終了。
18:00
 帰宅して付いていたテレビにいきなりSLが。TV朝日「人生の楽園」(北海道・名寄市~廃線の駅舎復活 夫婦の宿~)。こういう偶然がよくあるのでもう驚かない。
20:15
 明日は雨のため車で。これから支度してとりあえず熊本まで。到着時間しだいでホテルに入るか、車中泊か。
21:08
 近所のみどりの窓口に自転車で行って、SL往復の座席確保。4名BOX席は、空いていても1名では取れないとのこと。準備開始。
21:31
 準備完了。エンジンスタート。
21:49
 近所のGSでガソリンフルチャージ。
22:04
 廿日市ICイン。

6.12 Day2
02:59
 植木ICアウト
03:34
 熊本駅着。コインパーキングにチェックイン。駅前の一等地なのに入庫後24時間最大600円というありえない安さ。シートをフラットにして仮眠。
06:01
 駅のファミリーマートで朝食買出し。モスなど駅舎の数店舗はいまだ災害閉店中。
09:02
 在来線6番ホームへ。高架で新しく新幹線のホームのよう。
09:19
 SL人吉「58654」がディーゼル機関車「DE10」(通常の赤ではなく、客車に合わせた?ブラウン!)に引かれてバックで入ってくる。6年ぶりの再会。
09:45
 熊本駅発車。座席は3両編成の2号車、進行方向左。つい先月バイクで通過したばかりの八代まではずっと市街地。車窓には、SLやまぐちと同じく列車に向かって手を振る人たち。八代を出るとこの路線のハイライト。球磨川に沿って絶景が続く。
 今回の目的の一つでもある県道158号線~県道158号線、ハートカクテルな場所二つ。人吉まで歴史のある古い駅舎に停車。撮影タイムあり。
12:09
 人吉駅着。当初のプランでは、秘境駅・大畑(おこば)駅を訪ねるつもりでいた。ところが地図をよく見ると、大畑駅で降りて引き返すとループを通過しない。さらに、その先の矢岳駅や真幸駅も素晴らしいロケーションらしい。「乗車」とバイク追っかけで次回プランとし、駅周辺でゆっくりすることにした。
 国宝5棟を有する青井阿蘇神社の前に蓮池があり、面白い光景に目を奪われた。激しい雨が蓮の葉に溜まり、真珠か水銀のごとくころころしている。そのうち重さに耐えられなくなり、ししおどしのようにこぼれ落ちる。視野を広げると、いたるところで起こっており、「次あれが落ちたら行こう!」と見ているうち、かなり長い時間見とれてしまった。
 お昼は駅で聞いたラーメン「好来」。それ以外のメニューはまったくない。はっきり言っておいしくはないが、ではまずいかというとそうでもない不思議な味。
 食後は「ケーキでも。」と覗いた「フランソア」というお店はちょっと違う。その近くのイタリアンの「ミズモト」もデザートのみはやってないとのこと。そうこうしているうちに「人吉」の転車の時間が迫ってきたため駅に向かった。
 駅に隣接した「人吉鉄道ミュージアム」はどちらかというと子ども向け。さらっと観た後、教えてもらった経路で駅構内を抜けターンテーブル(転車台)へ。小学生のころ、最も欲しかったNゲージ(鉄道模型)のパーツ。しばらく経った頃、同じ経路で線路を渡ってきた観光客が、発車したばかりの1両編成の在来線を止めていた。何度も警笛を鳴らされているのに、小走りになるわけでもなく、悪びれる様子もなく、とても驚いた。
 転車台にはかなりの至近距離まで近寄れる。そばの古い建物では、古い機材の展示。OBだかシルバーだかのおじいさんが、いろんな意味でレトロな対応をしていて、ルーズさ苦笑。ゆっくりと回る機関車は何度見ても素晴らしい。
14:38
 人吉駅発車。(帰宅してFBを開くと、見送りの地元団体「吉組」の動画がアップされている。炭水車のすぐ後ろの展望ラウンジで手を振っていたが、自分の姿は確認できず。)
17:14
 熊本駅着。ホームには、熊本と三角を結ぶ、ジャズの名曲の名を冠した特急「A列車で行こう」が回送待ち。知らず知らずのうちに、あのゴージャスなメロディを口ずさんでいた。「人吉」の後ろにまたあの「DE10」が来て連結、車庫に帰っていった。今日一日ありがとう。
18:23
 熊本市内にきたら必ず寄るラーメン「黒亭」。周辺には全壊の建物あり。
19:07
 植木ICイン。
21:50
 王司給油。
22:08
 八代に震度5弱の地震。

06.13 Day3
00:11
 廿日市ICアウト。

 旅を振り返っていて気付いた共時性。
行き:4時間55分
22:04廿日市IC~02:59植木IC 給油21:49
帰り:5時間4分
19:07植木IC~00:11廿日市IC 給油21:50
 行きも帰りもたくさんのSA/PAに立ち寄ったのに時差わずか9分、給油時差1分。面白い偶然。
 何度も書くが、SLは自分の中で人格を持っている。もの言わず黙々と仕事をこなす職人。蒸気は呼吸、ピストンは鼓動。大正11年から300万キロ以上走行し、星の数ほどの出会いと別れを見てきたのだろう。リアルタイムの「999」や、そのメロディと相まって、思いは宇宙へと飛翔する。
 「人吉」に乗ったことで、「やまぐち」の素晴らしさもわかった。家から近いし、雨の日も楽しめて、5両で座席を確保しやすい。それでいて新山口~津和野間往復がわずか3,320円。車両はモダンな「人吉」より、ナチュラルな古さを残す「やまぐち」の方がフィットする。見慣れた田園風景の区間も長い。そしてお昼はピノ・ロッソ。
 この1ヶ月、旅のバリエーションが大きく広がった。今週は二日間晴れという条件付きで肥薩線(大畑、矢岳、真幸)を考えているし、三江線や錦川清流線の列車の旅。来月には18きっぷが発売されるが、それまで待てそうにない。久しぶりに、「秘境駅へ行こう!」を覗いてみよう。

6.8 "Road to Ruin"
 思えば、物心ついたとき、すでにノスタルジックなものに惹かれていた。母方の実家は、藁葺き屋根の母屋と土蔵、十間(じっけん)長屋で構成されており、明治から昭和にかけてのタイムカプセルだった。
 母屋は屋根が落ち、敷居を選んで歩かないと床が抜けた。おそらく知らず知らずのうちに、怪我をしない探索技術を学んだ。広い土間と薪を焚き付けるかまど、巨大な仏壇、壊れたテレビの真空管を引き抜いては、弟に「超電子ダイナモ」だと自慢した話は以前にも書いた。濡れて貼り付いた、いつのものかもわからない古い書物も。ただ、新聞や出版物の版や刷から、年代を特定する知識を得た。
 土蔵は鉄のクランクのような鍵を使って開けるのだが、まだ小学校にも入ってない子どもには難しく、扉を蹴破って怒られた。
 中は宝箱だった。蓄音機と、大量のレコード。母が小さいころ飾っていたという雛飾りは、鼠にかじられていた。布団を入れる木組みの箱は、棺桶に見えた。
 十間長屋は、昭和40年代後半まで祖母が一人で住んでいた。祖母は戦前、関釜連絡線(下関~釜山航路)で看護師として働いており、船を下りてから助産師の資格を取り、北九州辺りで働いていたという。しかし唯一それを知る母の記憶も曖昧で、もう確認する術はない。今話せるなら、山ほど聞きたいことがあるのに、もう30年も前の中学3年のとき、神戸で逝ってしまった。
 長屋はその後も帰省時に使用、トイレは外の縁側にあり、もちろん汲み取り。軒に吊るした吊り手水(手水:ちょうず=手洗い用の水タンク)で手を洗った。倉庫には、冠婚葬祭で使用する大量の陶器、千歯扱きや脱穀機などの農耕器具、屋根裏には藁が積み上げてあった。かつて床下には牛がいて、えさをやる開口部があった。十間長屋の端、最も遠いところに五右衛門風呂。一度外に出なければいけないが、水まわりの配置は単なる迷信ではなく、衛生面や家屋を湿気から守るという合理的根拠があったに違いない。最後まで残った長屋も、老朽化のため10年ほど前に取り壊し、今は母屋の基礎が残るだけの更地となっている。
 自分がなぜ、廃屋や遺構、里山やローカル線に郷愁を感じるのか納得。話は現代、SLやまぐちを発端とする秘境駅マイブームにタイムワープする。

6.6 "The Number Of The Beast"
"666"

6.5 "SAYONARA"
 以下昨日からのFBアップの流れ。

 SL人吉。調べれば調べるほどのぼせ上がってる状態。機関車58654は、なんと大正11年製。SL「やまぐち」がうちの母より5歳年下だったのに対し、「人吉」は父より4歳も年上。「新製から廃車までに走行した距離は300万km余り。」って、地球75周。
「師匠!」
 2005年から2009年まで修理で4年間も運休していたらしい。レトロ自販機と同じく、時期をみていると後悔することになる。
 調べてみると、今から6年さかのぼった2010年7月19日、八代で出会っていた。その時の写真と場所を確認。撮り方からして今ほど興味を持っていなかったことが一目瞭然。さらに先を進んでいくと、とんでもないというか、とても面白い道になった記憶が。途中に遺影の残っている廃屋があった。
 前日どこまで行くか?新幹線か?在来線か?車か?バイクか?来週なら日曜、再来週なら土日。9:45熊本駅発。

 旅の楽しさの半分は出発前にあり!予定日は6.12、6.18~19。
SL人吉下り:09:45熊本発 12:09人吉着
 さっき地図を見ててみつけたループ&スイッチバックの大畑(おこば)駅に寄りたい。
いさぶろう3号下り:13:22人吉発 13:39大畑着
 SL発車まで59分。10分滞在したとしても、残49分。Google Mapのシュミレーションでは、タクシー待たせておいて12.2km、22分。時間的にはかなり余裕あるが・・・。行きもタクシー使えばもっと余裕あるが、電車でループをまわりたい。
SL人吉上り:14:38人吉発 17:14熊本着

 地図を見ていて致命的な見落としを発見。ループは大畑駅の先にあり、通る前に下りることになる。もう一駅先まで行くのは厳しい。

6.4
"Raindrops Keep Falling On My Head"
 SLやまぐちの記録を書いた後、明日SL人吉に乗れないかとリサーチ。新幹線乗り継ぎなら始発でも間に合わず。前日入りがベストか?
「6/4って何かあったような・・・。」
「あっ!」
 ライムグリーンのこの顔が浮かんできた。調べると今週、来週末。どうやら潜在意識にプログラムされているらしい。明日の優先順位吉水園。火星と土星見て寝よう。

 車で出て正解。すぐに雨が降り出した。
 かえる祭りで地元にお金を落としたと思ったら、西原のパン屋さんだった。たい焼きほおばりながら吉水園。森の人格者は、今年もすべて悟ったような顔をして鎮座。毎年季節の移り変わりを感じられる素晴らしいルーティン。
 ログ茶房「花みずき」は13時前でもランチ終了。そのままレウリに向かったが駐車場いっぱい。仕方なく伴におりてガネーシュ。しっとりと雨のドライブもまた良し。
 さて、何でどういう経路をたどるか。来週SL人吉計画立案する。

6.3 "惑星メーテルのテーマ"
5.29 SLやまぐち~ピノ・ロッソ27~自販機79長沢ガーデン~マサラ(閉)

"Never Ending Journey"

 少し前、通勤中の市内電車の中吊りにSLやまぐちの広告が。津和野には3カ月おきに訪れ、週末には必ず停車している「貴婦人 C57」。篠目駅で待ち伏せしたり、仲間たちとバイクで追い掛けたこともあるが・・・。
(実は乗ったことがない。)
 日曜日は雨予報。
(ある意味インドアレジャー。)
 8:00過ぎ、スペ−シアでスタート。すぐに最寄り駅のみどりの窓口でキップ購入。高まりすぎる期待に答えてくれるだろうか。
 10:00、始発駅の新山口駅、かつての小郡駅に到着。ホームにはまだディーゼルの在来線が停車中。雨ということもあり、ホームはほどよい人出。
 在来線が発車したあと、予想に反し、バックで入ってきた。到底「貴婦人」とはかけ離れた漆黒の巨体も、見ているうちに婦人に見えてくるから不思議だ。石炭が燃える匂い、スチームの熱気、車体のエッジからは陽炎が立ち昇り、向こうの景色が揺らいで見える。
 期待は最高潮。警笛とともに景色がゆっくりと動き始めた。自分でも興味津々だったのが、最初に頭の中に流れてくる曲。やはり「ささきいさお」のイントロ。
"銀河鉄道999"
 ピストンの鼓動だろうか?低速ではガクガクとした、まるでノッキングしたようなフィール。黒煙が車窓に流れていく。気分は地球を飛び立つスロープを登っていた。
(なぜもっと早く乗らなかったのか?)
 鹿児島の旅でもう行く場所はないと書いたが、こんな体験をせずして奢りもはなはだしい。旅の世界はまだまだ奥深く、自分が甘かったことを実感。この時点で、近年まれに見る期待を軽く上回っていた。ジョバンニ、宮沢賢治、鉄郎、メーテル、ハーロック、エメラルダス、松本零士、世界の車窓から。SLを巡るキーワードが、頭の中を渦巻いている。
 五連の客車は、明治、大正、昭和、欧風など、それぞれ違った雰囲気にしてあり、車内を行き来するだけでも楽しい。最後尾は展望デッキ。トンネルでは煙で大変なことになる。
"新日本紀行"
 市街地を抜け、農村地帯に入ると風景は一変。そこには安野光雅の水彩画の世界と、新日本紀行、冨田勲のメロディが流れていた。雨と霧に煙る緑、田植えを終えたばかりの田んぼ。まだまだ背の低い稲にも風の通り道ができ、ふわりと、やさしく撫でていくのがわかる。普段乗る電車とは決定的な違いがもう一つあった。
「手を振る人々。」
 駅周辺に限らず沿線のいろいろな場所で、笑顔で手を振る人々が現れては消えていく。撮り鉄、子どもを抱いたお父さん、畑仕事の手を止めているおばあさん。普通のお宅の窓やバルコニーからも。訳もなく涙があふれてくる。
 途中の停車駅でカメラを取り出したが勝ち目なし。「貴婦人」の圧倒的個性は、誰が撮っても同じ。自分の絵にできない。
"THE GALAXY EXPRESS 999"
 津和野に近づき、見慣れた景色が広がってくると、今度はゴダイゴが流れてきた。機械の身体をもらえる終着駅「惑星メーテル」。ネジにされることはなかったが、永遠の命と、期限のある命はどちらが幸せなのか。そうこうしているうちに津和野駅に到着、「貴婦人」は転車台で向きを変え、車庫に消えていった。
 お昼はもちろんピノ・ロッソ。通い始めて8年、27回目にして初めて車、バイク以外で訪れた。
 帰りは機関車のすぐ後ろ、フリースペースのソファで過ごした。雨を吹き飛ばしながら進んでいく。エンブレムの付いている炭水車が激しく揺れている。思えば18で東京に出たとき、電車を汽車と呼んでいて馬鹿にされた。しかし今前を走っているのは、まぎれもなく湯を沸かして動力に変える汽車。維持管理しているJR西日本に頭が下がる。
 新山口駅着。無事地球に帰ってきた気分。「貴婦人」は二度ポイント入れ替えして車庫へ。客車もディーゼル機関車「DE10」に引かれて今週の役目を終えた。ふと高架に目をやると、超特急新幹線が発車していく。

♪ The Galaxy Express 999 Will take you on a journey.
A never ending journey, A journey to the stars. ♪

(惑星ヘビーメルダー、トレーダー分岐点だ。)
 「999」が流線型の最新車両ではなく、蒸気機関車だったわけがわかったような気がした。もはやSL「やまぐち」はナンバー付き(今後リピート確定プラン)。週末の天気は?

6.2 "What's Up for June 2016"

6.1 "Walk On"

5.31 "Goldberg Variations"

5.30 "Cloudrider"

5.29 "Ghostlights"

5.28 "Down to you"
"First-stage landing Onboard"

5.27 "The Eye In The Sky"
 仕事終わっても帰るに帰れない状態。テレビとリアルに窓からのマルチ中継。市民球場跡に着陸したのが我が国家元首?普段からヘリ来てるのに、ローター二つあると大盛り上がり。楽しい足止め。

5.26 "灯台ポスト"
"Tonight's Sky June 2016"

 昨夜は久しぶりのハリーと、岩国のレトロ自販機「観音茶屋」。帰路、いつものジョイフルに立ち寄り、彼が持っている、この春出版されたばかりの「赤崎水曜日郵便局」の単行本を読ませてもらう。
「なるほど・・・。」
 沖の小島(裸島というらしい。)の灯台ポストにはそんなエピソードが。あらためて自分の旅スタイルを自画自賛。
「何も調べず、とりあえず行く。」
「帰宅後、振り返りと疑問の解消。」
「再訪。」
 美術館で絵を見るときと同じ。一つの場所を何度も楽しめる。今度は干潮狙い。また行きたい衝動をおさえるのが大変。

5.25 "The Void"

5.24 "Say It to Me Anyway"

5.23 "星めぐりの歌"

5.22 "一个"

5.21 "Inferno"

5.20 "ぼくらが旅に出る理由"

5.19 "Something About You"
5.14 Day1
01:06 廿日市ICイン
 22:00には出るつもりが結局1:00。出るのが面倒になり、朝出発検討もすでに始業点検でバイクは出しっぱなし。とりあえず高速へ。
 装備は悩んだ。日曜は天気が崩れる予報で、朝から帰るつもり。そうなるとこの夜間以外は日中走行で暑い。薄着で出てレインウェアでしのげるか?
 案の定、すぐに眠気と寒さで下松SA。フードコートには3人程度。深夜のSAの荒涼感が心地よい。テレビではNBAオクラホマシティー・サンダーとサンアントニオ・スパーズの中継をやっている。ブルズが2度目のスリーピートを達成し、ティム・ダンカンがドラフトされたころから見なくなった。その後の活躍は知識として知っているが、スパーズの黄金期は見ていない。そのダンカンも40歳とのこと。コービーも引退し、90年代はふた昔になってしまった。結果を見る前に寝落ちし、目が覚めると別の番組になっていた。防寒のレインウェア着てリスタート。

04:52 美東SA給油
 東九州道は、別府湾SA以南のガソリンスタンドが少ないという懸念事項あり。無料区間で降りることはできるが、できれば無駄な距離は走りたくない。別府湾までワンタンクはかなり勇気がいるので美東でピットストップ。

08:26 別府湾SA朝食・給油
 その後もSAごとに休憩しながら別府湾に。高速道路上で夜が明けるのは久しぶり?ここでもしっかりと仮眠。

09:29 佐伯IC~無料区間
10:17 門川本線
10:42 都農ICアウト
 佐伯までは高速で来たことがあったはず。対面通行区間ではやはり遅い車に詰まることがあるが、いらいらすることはない。たいした距離でもないのに高速道路上に10時間近くいたのに笑う。

11:30 Yさん実家
 Yさんの実家を訪ねようと思ったのは本当に数日前。25年前、北海道放浪中に積丹の沼前で出会い、一緒にテント泊。その後千歳のお宅に泊めてもらい、16年前の00年にも千歳を訪ねた。今年の年賀状に、お父さんの介護のため実家の宮崎に帰っていると書いてあったのを思い出し、今回の目的に。
 周辺は県道以下のかなり細い道で、14万分の1のツーリングマップルでは無理がある。お宅周辺だけプリントアウトして持ってきていた。なるほど近づくに従い、軽トラ一台くらいしか通れない細い道に。分岐ごとに止まり、地形と曲がり具合を確認しながら慎重に進んでいく。一分岐間違えると、くねくねで方向を見失い、自分がどこにいるか確認しづらくなる。
(ここじゃない?)
 一度もUターンすることなくたどり着いたお宅へ続く坂道、門柱のそばに新緑の木が一本。おばあさんが一人、庭いじりをしているのが見える。停止してエンジンを切り、話しかけた。
「こんにちは。こちらはYさん、YKさんのお宅ですか?」
「そうですが・・・。」
 不審な面持ちでこちらを見つめるおばあさん。
「広島からきた山本といいます。昔北海道でYさんにお世話になりました。」
 おばあさんの表情が緩んでいく。
(この瞬間のために旅をしている・・・。)
 気になるYさんの所在は?
「北海道の千歳にいるんですよ。」
 残念だが想定された答えと、さらに残念な展開が推測された。
「年賀状に、お父さんの介護で実家にいると書いてありました。」
「主人は施設に入ってます。K(Yさん名前)も2月までいたんですよ。」
 よかった。介護の必要性が消滅したわけではなかった。そこに還暦過ぎたあたりの女性が。やはり仕事をやめて介護に加わっているYさんの妹さん。もう一度これまでのいきさつを話すと、兄に伝えるので連絡先を教えてくれと。
「広島の山本といえばわかると思います。」
 手渡された紙に笑ってしまう。販促用のメモ用紙に見慣れた商品名が。
「同業です。大先輩ですね。」
 仕事の話に花が咲く。そのうちメモよりメイルの方が即効性があると気付いた妹さん。写メを撮ってYさんに送った。
「ところでYさんは今おいくつですか?」
 以前聞いているし、年賀状を何年かさかのぼればわかるはずだが、25年前のあのときYさんはいくつだったのか?
「66になると思います。」
 ということは、1991年夏、41歳。
(・・・。)
 初めて放浪の旅に出た24歳の自分にとって、41歳のYさんはかなりのおじさんに見えた。それが今の自分からみれば少し年下の若造。妹さんがスマートフォンに入っている今のYさんを見せてくれた。
「(笑)」
 自分の記憶の中のYさんは、写真に残っている41歳と、16年前の50歳。66歳の彼は、当たり前に先を行っていた。おばあさんも今年86歳。うちの母と2つしか変わらず、おばあさんよりお母さんの方がしっくりくる。
(時の流れって本当に面白い!)
 そこに本人から電話。
「お久しぶりです。」
  いくらでも連絡が取れるのに16年も経過してしまったが、まるで昨日会ったような会話。これが旅人。
「タイミングを見てまた宮崎に帰る予定です。」
「そのときは連絡ください。駆けつけます。」
 どこからか聞こえてくる時報が正午を告げる。
「お昼前の忙しい時間にすいませんでした。」
「最初は郵便屋さんかと思ったよ。でもさっき来たばかりだし。(笑)」
 と、お母さん。妹さんが、いいと言うのに小さな包みをくれた。
「緑の郵便屋さん、また来ます!」
 30分前、心地よい高揚感を感じながら登った坂道を、今度は安らぎに包まれながら下っていく。見送ってくれている二人の姿が、ミラーの中で小さくなっていく。
 年賀状や古い携帯を調べれば、Yさんと連絡を取ることはできた。ただそれをしてしまうと、Yさんのいないここにくることはなかっただろう。当然お母さんと妹さんに会うことも。
 何の保証もなしに片道400km走ってきた。馬鹿げた行為かもしれない。しかし出会いも偶然だった。人生で知ることは大切だが、旅においては知りすぎると失うものもある。25年前の積丹・沼前。自分は間違いなくあそこに立っていた。次は実物のYさんを確認しに来よう。お母さんと妹さんとも「再会」するために。

 ここまでくれば鹿児島は近い。今度は2006年を訪ねる旅にシフト。硫黄島で出会った二人。そのうちの一人、むっちゃんとは普段でもやり取りがあり、事前に連絡はしていたが、ここで確定。もう一人のK先生(学校の先生)が仕事ということで19時まで時間調整することになった。彼女とは2013年の暮れ、広島駅新幹線ホームでわずか1分間だけという面白い再会エピソードあり。

12:51 川南給油
12:56 高鍋ICイン
13:45 宮崎PA
 一般道での南下も考えたが、忘れられない思い出のある鹿児島・国分キャンプ場に寄ってみたい。とりあえず高速に乗り宮崎PAに入った。Yさんの妹さんに貰った包みを開くと、中にはオロナミンCと、竹の皮に包まれた丸いものが。
(ちまきだ!)
 再び言葉にできない安らぎに包まれ、空を見上げる。そこには宮崎の5月の青空が広がっていた。

14:19 都城ICアウト
 ここで遅い昼食に付き合わせようとむっちゃんに連絡するが、タイミング合わず。わけもなく南に走り出した。

15:46 やごろう亭
 彼女の住む町を南下し、巨人伝説の残る弥五郎どんの森「やごろう亭」で黒肩ロースステーキ。ここからは国道嫌い発症。2ケタ3ケタの県道を結び、錦江湾を目指す。

17:00 国分キャンプ場
 県道479、黒酢の壷を横目に走り抜け、湾岸のR220に突き当たる。ここからはもう地図は要らない。17:00ちょうどに国分キャンプ場到着。
 このキャンプ場はこれまで野営してきた中でも特に思い出深い場所。2006年5月、薩摩硫黄島からの帰りにテントを張り、去年急逝したチノさん夫妻や鹿児島女子3人組と忘れられない夜を過ごした。翌2007年、トカラ・大東島の帰りにも滞在し、3人とのつながりを深めた。
 土手を越え、テントサイトを望む。
(変わってない。)
 以前テントを張った場所を探した。もちろん思い出すのはチノさんの在りし日の面影。各界にコネクションを持つチノさん夫妻。汚れの旅人である別世界の自分に興味を持ったのか、軽井沢の別荘や渋谷の自宅に招いてくれた。目を閉じれば、その笑顔と、人懐っこい声のトーンまでが聞こえてくる。
(イチローさん、また来ましたよ。)
 奥さんのミツコさんにメイル。
「国分キャンプ場にいます。鹿児島のこれから二人と会います。」
 すぐに返信あり。
「キャー、懐かしいなぁ〜。また硫黄島に行くときは誘ってください。皆様にもよろしくです。軽井沢にも遊びに来てくださいね。」

 1泊のため野営装備は一切持ってきていない。季節も移り変わり、早朝もしのげない気温ではないため、キャンプ場の東屋を今夜の寝場所と考えていたが、メイルのやり取りをしているうちにパラパラと小雨が。
(撤収!)
 ホテルを取ることに決めリスタート。

17:32 国分ICローソン
 何度も買出しに来た国分IC前ローソンで電話帳を開く。もちろんスマートフォンはなく、市内詳細地図もない。深夜からずっと走り続けて疲れているし、待ち合わせのわかりやすさも考慮すると、駅前を狙うのが定石。アパホテルは予約なしですぐに取れた。ここ数年ずっと野宿かテントのため、ホテル泊なんて記憶がないくらい久しぶり。

18:13 アパホテル鹿児島国分チェックイン
 市役所前南向き、桜島を望む眺めの良い部屋。

19:00 むっちゃんと再会 九州料理 「かば屋」
 シャワーを浴び、落ち着いたところでむっちゃんより連絡あり。車で迎えに来てくれた。
「久しぶり!」
 ホテルから車で3分とかからない九州料理「かば屋」。注文は不慣れ、ドリンクはこぼす新人ウエイターが面白い。恐る恐る箸をつける鶏刺しも新鮮な体験。
 K先生はまだ仕事中のため二人で近況報告。彼女と会うのは6年ぶり。普段からLINEやFBでつながっており、違和感はない。実際に会った回数は片手で足りるほどだが、共有する記憶が意外にも多いのに盛り上がる。硫黄島での出会いが濃かったのだろう。

21:30 K先生合流 「ble cafe」
 21:00過ぎ、やはり近所の「ble cafe」に移動したところでK先生合流。彼女とは2013年暮れ、しまなみサイクリングの帰りに広島駅で捕捉、停車時間1分の再会をしている。
 念願のマンゴーソースのパフェ注文。この辺りからさすがに傾眠傾向。それでもホテルに着いたときには23:00をまわっていた。3人組もう一人のMさんにも会いたかった。ありがとう、また次回。

5.15 Day2
10:33 国分給油
 目が覚めたのは8時。ばっちり8時間の睡眠を得てチャージは万全。
 今日の予定はなし。スタートの時点で5/15日曜は天気が崩れるとの予報あり。二つの再会を果たせば、東九州道からおり返しで帰路に着こうと考えていた。しかし天気は好転し、夜までもつとの予報。
(さて、どうしよう・・・。)
 そこで浮かんだのが懐かし自販機「阿久根商店」。昭和のメカニカルな自販機にはまって早3年。南さつまにある阿久根商店は、九州に残っている唯一のレトロ自販機コーナーであると同時に、去年行った京都・舞鶴の「ドライブイン・ダルマ」とともに、西日本に2ヶ所しかないハンバーガー自販機のある貴重なお店。
 この阿久根商店という名前がくせ者。阿久根"市"といえば鹿児島のかなり北で、帰る途中にあるが、お店があるのは南さつま市。まったく逆方向に位置し、枕崎に手が届きそうな勢い。かなり遠い。ネーミングの罠にはまる。
(ここまできたら行くしかない。)
 正確な場所を把握していないため、ホテルのPCで最低限の情報収集。

10:43 隼人東ICイン
11:01 鹿児島本線アウト
 帰りの雨回避のためすぐに高速に。

12:00 南さつま・自販機76阿久根商店
 12:00の地元時報と同時に到着。隣りには阿久根商店の製麺工場あり。ボロさが際立つ趣のある懐かし自販機。
 まずはうどん。レトロ自販機はお店によりまったく違う味が楽しめるのが醍醐味。鹿児島の出汁と製麺会社の麺。600km走って味わう自販機うどんの馬鹿さかげんに、自然とニヤつくのを押さえられない。自販機仲間のハリーに報告し共有する。
 次にハンバーガー。そこそこ長い温め時間を経て落ちてきた。外箱には「チーズ入り」のゴム印。
(素晴らしい!)
 ほとんどの購入者にとって、チーズのある無しはどうでもいいことなのに、わざわざ手作業で押印。
 なかなか来られる場所ではないので、そばをもう一杯。
「ん?」
 うどんと同じ具に加えてチャーシューが3枚。なんと、「当たり」らしい。
(素晴らしい演出。持ってる!)
 30分程度の滞在中、麺類自販機は大盛況。客は絶えず、「わ」ナンバーのレンタカーも。かなりの遠回り、逆方向への寄り道も、お釣りの来る達成感を味わう。
(さて、次は・・・。)

15:30 津奈木・赤崎小学校
 ここまでくれば、帰りは必然的に九州道。寄り道に浮かぶのは津奈木・赤崎水曜日郵便局(旧赤崎小学校)と、熊本・金峰山の山幸窯さん。山幸さんは、20日から大牟田である個展に訪れるつもりなので、なかなか来れない津奈木から押さえておくのが合理的。
 いずれは南九州道となる切れ切れのバイパスをつなぎながら、北上していく。日置で見たことのある風景に出くわした。記憶をたどると、2007年にK先生たちと訪れた江口蓬莱館だった。たまたま寄った公園でやっていた水俣ローズフェスタに立ち寄り、15:30、津奈木に。橋にある金色の像は、「こころ旅」で火野正平がネタにしていた。
 これまで数多くの遺構、廃校を訪ねてきたが、赤崎小学校のインパクトは大きい。校舎が海の上に建っているからだ。実際正面玄関に立つと、下から波の音が聞こえてくる。アートプロジェクト「赤崎水曜日郵便局」のポスト、向かいの小島には、明かりはついていないが、手紙が入っているランプが見える。残念ながら干潮ではなく、泳いで渡りたい衝動にかられる。
 裏手に回ると、校舎が太い基礎の上に建っているのがわかる。瞬間、波にえぐられた端島(軍艦島)小・中学校の記憶と重なる。
(二つの再会と、誰もいなくなった小学校・・・。)
 場所は行きつくした今、求めるのは人。事故を通して、旅を続けられる幸せ。敷地のそこかしこに残された、かつての在校生たちの気配が心に刺さる。雲が厚くなってきた。
(よし、雨から逃げる!)

16:20 津奈木給油
16:47 日奈久本線イン
 高速から見える震源地、益城付近ではブルーシートがかけられた家屋が多数。一部区間は片側2車線を対面通行にして渋滞中。もちろんバイクなので渋滞に飲まれることはないが、車列からの突然の車線変更に集中するため、疲労の増大とアベレージスピードの低下は避けられない。路面の継ぎ目は段差ありバンピー。ジャンピングスポットも多数で、調子に乗って飛ばしているとサスペンションに良くない。
 熊本と福岡で小雨に降られたがレインウェア着ることなく通過。
(逃げ切った!)

18:47 古賀SA給油
 停車中のライダーがレインウェア装着中。
(スマートフォンでこの先の雨雲レーダー確認しての行動に違いない。)
 そうと知りながら雨具を着るのが面倒でそのままスタート。山口、強雨、ずぶ濡れ・・・。

22:36 廿日市ICアウト
 路面は乾いている。

22:52 帰宅時給油
(雨を追い抜いたね・・・。)
 帰宅してちょうど車庫入れしているとき、小雨が降り始めた。
(今日もお疲れ!)
 いつもより少しだけ気持ちを込めて、緑の郵便車のタンクを2度叩いた。

5.18 "Expiration Date"

5.17 "Nightfall Overture"

5.16 "MACHINE CIVILIZATION"

5.15 "Archangel"

5.14 "Divination"

5.13 "大空と大地の中で"
 夜勤そのままの流れでこのあと移動開始。準備といってもシャツ、パンツ、ソックス1セットを丸めてタンクバッグに詰めるだけ。とりあえず0時までは高速上にいて適当なところで一般道へ。
 夜の臼杵・二王座も魅力的だし、宗太郎に寄るのも一案。何気に五ヶ瀬ハイランドスキー場でみなみちゃんを探してみたかったり。
 翌日は鹿児島まで足を延ばして、帰りの経路悩み中。来週にはまた大牟田まで行くので、西回り九州道で帰るよりは、東九州道を全線走破してみるのも面白い。

1991 北海道積丹半島・沼前

 今週末は今月唯一の連休。ルーティンではない場所に行きたいとさっきからGoogleマップとにらめっこ。はっと思い出し今年の年賀状を取り出した。
「これだ!」
 今から25年前、1991年8月北海道積丹半島沼前。当時積丹半島の外周は道がつながっておらず、この沼前が行き止まり。防波堤に座り、沈んでいく夕日を時間を忘れて眺めていた。
 そこに現れたのが当時千歳在住の自衛官Yさん。その日は一緒にテントを張り、北海道を一周した帰りに千歳を通過した際にはお宅に泊めていただいた。
 9年後の2000年にも再会。その後も年賀状でつながっており、かなり昔に自衛官は定年退官。やはり何年も前に腰痛でバイクを降りたとあった。ところが今年は様子が少し違っていた。
「実家で父の介護に徹しています。」
 住所は宮崎の山の中の一軒家、電話番号は書いていない。「近いうちにに伺います。」と返信した。
 北海道よりは近く、先月末東九州道が全通した。相手の状況から考えて迷惑をかけてはいけないが、介護生活の中ではある種のレスパイトになるのでは。会えるかどうかわからない。ひと目顔が見られればそれでいい。驚いて、笑顔に変わっていくあの瞬間だけ。
 住所以外の情報収集はなし。目標はツーリングマップルに極細マジックで打った黒い点だけ。25年前のYさんと、あの日の自分を訪ねて。

5.12 "Stars"
 出島は2回連続で並んで購入。昼時は客層が違う。
 よく晴れた日の日中に走って気持ちの良い季節は終わってしまった。夕方メッシュでも暑い。止まればファンがブンブン回って熱風地獄。

5.11
"Don't Walk Away From A Goodbye"
 ついに今朝、マイヤフートップに母校不祥事のトピックが。しかも顔写真付き。
(あれから30年・・・。)
 辞任した前監督のキャラクターは、良くも悪くも青春の1ページだが、いまだ関わりのある同世代や現役選手にとってはそうもいかないだろう。
 練習前のストレッチ。何もせず空を見上げるだけの十数秒間があった。フェイスガード越しに見えた小杉の青空は、現実だったのか夢だったのか。今はもう怪しくなりつつある。

5.10 "Rain"

5.9 "Our New World"
"Transit of Mercury 2016 LIVE"
20:20~ 水星の太陽面通過

5.8 富田勲
1932.4.22~2016.5.5
"新日本紀行"
"ジャングル大帝レオ"

5.7 "Let's Start Something"

5.6 "Beauty And The Beast"
"Falcon 9 / JCSAT-14"

5.5 "A Sky Full of Stars"

5.4 "Stormfari"

5.3 "Here I Am"
"What's Up For May 2016"

5.2 "Raining Blood"
Jeff Hanneman
1964.1.31~2013.5.2


 11:30廿日市ICイン~13:11小倉東ICアウト。古賀から移転したパン工房「カウリ」へ。
 ご主人と再会し、並んでいるほとんどのパンを各一個買って外に置いてあるキャンピングチェアーへ。目の前には谷あいの景色が広がる。この奥に藤園があるらしく、意外に交通量が多い。
 奥さんは今日仕事で帰宅は17:30とのこと。顔だけは見て帰りたいと、時間まで近くの皿倉山辺りに行ってみようと思っていたが、お客さんがいないときにはご主人が出てきてくれダベリング。結局奥さんが帰ってくるまでの3時間以上、このチェアーに座って過ごすことに。放浪旅経験のあるご主人とは話が途切れなかった。
 彼女とは00年北海道大雪の岩間温泉であって以来会うのは3回目。15年ぶりに再会した去年、大した会話はできなかったのにもかかわらず、古くからの友人のような感覚。丁重に断ったのにお風呂と夕食までいただいてしまった。また近くに来た際には必ず寄りたい場所。
 帰りは一般道で。立ち寄りポイントの一つであるパンク修理の長府ローソン。自販機の長沢ガーデンに寄って帰宅。

5.1 "Stars"
Ayrton Senna da Silva
1960.3.21~1994.5.1

SBK Imola Race2

4.30 "JAGUAR'13"
"Tonight's Sky May 2016"
"360 View:First Stage Landing"

SBK Imola Race1

4.29 "9 Οut of 10"
 NBA。Warriorsの年間最多勝達成とKobeの引退あたりから注目してみてるのだが、Steve Kerrの持つ星に驚かされる。BSにかじりついたBullsのスリーピート。MJは当然として、実はそれより印象的だったのがRodmanの頭の色と、Paxson、Kerrの3ポイント。自分史上最も熱狂したスポーツ観戦の一つ。
 残念なことにプレーオフに入ってStephen Curryが欠場しているが、それでも圧倒的な強さは、Pippenを筆頭に層の厚さでも強力だったあのころのBullsと重なる。
 ため息が出るようなスプラッシュ。大外からあれだけ決められたら、相手チームのディフェンス戦略は根底から覆る。というより、この精度が維持されている間はたぶん防げない。
 これからも注目のカードが続くが、つくづく残念なのがCurryの怪我。MJやイチローは、とかくフィジカルや身体能力に目が行きがちだが、本当に神がかっているのは大きな怪我をしないということ。

4.28 
"The Soundtrack of the Universe"


4.27 "360°(ぜんほうい)サラウンド"
 剣スコ、レインウェア、ヘッドランプ装備で21:30スタート。入院を除けば最長3ヶ月スパンでの憩の森。前回はまだ雪があった。神原が道路拡幅工事をしてるのに驚き。隔世とはこの件。
 上部貯水槽は土砂堆積により詰まっていたが、他の場所に大きな崩壊はなし。上下貯水槽の水を抜いての大掃除と滝壺の掘り下げ。強雨で怒涛の水量だった。もちろんそこを狙って行ったのだが・・・。
 時間が経つのを忘れ、帰宅すると日が変わっていた。フローエクスペリエンス。

4.26 "Stand On Your Feet"
広島県立美術館
徳川家康没後400年記念 天下太平 徳川名宝展

"2006 KAWASAKI ZX-10R" [ZX1000D6F]
 4/26をもって満7年、8年目がスタート。

7年間の合計走行データ
 54,722km:ODO
 50,793km:実走行
 16.83km/L:平均燃費
 423回:給油回数
 2,949L:給油量
 148円:ハイオク平均単価
 433,609円:燃料費

 2006年4月16日、ZZR1400目的の試乗会に参加。フルモデルチェンジされたばかりの'06 10Rにまたがったのはまったくのついで。「こんな窮屈なマシンには一生乗ることないな。」というのがその時の印象だった。
 その3年後の2009年4月26日、縁あって共に旅することに。ZZ-R1100からの乗り換えは、戦車から戦闘機に乗り換えたようなカルチャーショック。最高速では大排気量ツアラーに及ばないが、切り返しのひらひら感は乗り方にフィット。2ストオフが原点にあるからだろう
 高速つながって3連休来ればいつでも種子島発動。8月には車検でまた2年の契約更改。

4.25 "Embers"

4.24
"Defying Gravity"/"Defying Gravity"
 午後から仕事。醍醐桜以来エンジンを回してないので吉和あたりをぐるっとしてこようかとFBを開くと、友人が早朝から角島に。益田経由で帰ってくるという。
(久々のサプライズ迎撃!)
 まず状況を整理して迎撃ポイントをプロファイル。
・9:25、記事をアップしてすぐ動き出したはず。昼から家の仕事と書いてある。
・R191に入るまでのR9は取り締まりがあったり、迂回路も少なくて我慢の道。距離も延ばせない。
・戸河内ICまで185km。4時間はかかる。
 不確定要素。
・昼食は萩か益田か?
・八幡高原や深入山に寄り道しないか?
・ルート変更しないか?
 導き出した場所は。
・戸河内セブンなら待ち時間が多すぎて仕事までに帰れない。
・深入山周辺のなんでもない路肩ではこちらが持て余す。
 よって角島から150km、八幡高原に寄り道する前の、こちら側から県境を越えた最初のお店がある道の駅「匹見峡」を選択。
 10:42五日市ICイン~11:02戸河内ICアウト。11:30ころ道の駅到着。この時点で記事アップから2時間。帰宅開始までのリミットを記事から3.5時間の13:00に設定。ルート変更なら論外だが、途中昼食に寄られても出会うことはできない。
 待ち時間の1時間半退屈しないで過ごせるのが特技。現れては消える行楽客の会話に聞き耳を立てる。目の前の茅葺き旧家に興味を示す老夫婦。ほとんど誰も乗っていない石見交通の路線バス。
「気をつけて、また会おう。」
 この週末を一緒に過ごしただろうツーリングライダー二人の別れの場面に感情移入した。セローの若い方が匹見方面へ走り出す連れを見送り、益田方面へ消えていった。
 空を見上げると、今年も戻ってきたツバメたちが、こちらの至近距離をかすめて飛び回り、ありえない旋回能力で春を謳歌している。
「残念!」
 13:00時間切れ。あいだで相手の現在位置を聞く気はまったくなし。こちらを見つけて固まり、認識して驚き、その数秒後の笑顔が見たかっただけ。
 半月前に終わった平地の桜も芸北では満開。菜の花、チューリップ、芝桜、ハナミズキ、藤。標高を下げるにしたがい、植生が変わっていく。
(3~5月のオールスターキャスト!)
 13:34戸河内ICイン~13:53西風新都ICアウト。迎撃には失敗したが、こころは春で満ち足りていた。

 深夜3:00。仕事から帰ってその後の友人の行動を確認すると、萩からルート変更して中国道とのこと。

全日本ロードレース選手権シリーズ 鈴鹿
MOTOGP Circuito de Jerez

4.23 "The Nomad"

4.22 "Purple Rain"
 こと座流星群極大。23時から家の前の広い駐車場にチェアーを持ち出して夜空を見上げた。日中暖かく、薄手の長袖Tシャツで少し肌寒い程度。
 見えて時間2個、満月が明るすぎてほぼ無理との予報どおり、一つも見えなかったが、ただ空を見るためだけに使った贅沢な時間。流星が見えない代わりに素晴らしいプレゼントを貰った。
「月暈(薄雲が月光を受け巨大な輪を作る現象)」
 南の空ほぼ全体にわたって大きな輪が広がり、その中心には紗のかかった満月。30分くらいたったかなと思って部屋に戻るとすでに0時。

4.21 "2 Hours of Celtic Music"
 常に気にかけている憩の森。雨の夜とバイオリズムのタイミングが合わない。たぶん治しがいのある状態になってるはず。

4.20 "Alive"
 帰宅して一息ついた深夜2時。いつものように、窓際に設置した望遠鏡をのぞく。今の主役は火星と土星、その下にはさそり座のアンタレスが赤く輝いている。火星は5月末の最接近に伴いかなり大きくなっており、うちの望遠鏡でも表面の質感を感じられるように。土星はもちろんリングを従え、圧倒的存在感を誇っている。それほど寒くもないため、久しぶりに外に出て空を見上げた。
(広い!)
 東の空には、窓際からは射程外の沈みかけた木星と、これから満月を迎える十二夜の月。ここ最近は月や惑星にばかりとらわれていたため、星座が大きく入れ替わっていることに気が付いた。
 木星に熱中していたころ、西の空にあったアークトゥルスは東へ移動。その代わりに西の空には3つの明るい星が輝いている。一瞬間をおいて考えたあと、すぐにその配置を思い出した。
(夏の大三角形!)
 入院中毎晩、病院の屋上から見上げたこと座のヴェガ、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブ。
(あれから1年。)
 アークトゥルスからヴェガに向かって、長い尾を引く流星が流れた。春から夏へ。生きていれば毎年繰り返される季節の移ろい。その光跡は、時間を表す矢印に見えた。
 東日本大震災の夜、街の灯りが消えた夜空には満点の星空が広がったという。
「こんなときに星なんて。」
 何も変わらず瞬く星々を、冷酷ととるか、救いとるかは見る人しだい。普遍の空を見上げて感じられる「生」もある。

4.19 "Love Gets Through"

4.18 "Mother, Father"

4.17 "FOREVER"
 この週末は今月唯一の連休で、雨予報の今日は朝から快晴。昨日行くつもりだった徳島「なは・はるフェスタ」。FBでは"いいね"している阿波おどり有名連から魅惑的な誘惑連発で午前中行くか迷ったが、やはり地震でその気になれず。
 若いころから物事を客観視してきたが、宇宙に傾倒してその思いは強まる一方。地震による神社仏閣の崩壊を目の当たりにし、神仏が人の作り上げたものであると再認識する。
「もし神や仏がいるなら、何の罪もない、ただ寝ているだけの高齢者を押しつぶす必然性があるか?」
 特に仏教系に見られるふくよかでぽっちゃりな偶像が、飢餓状態における民の救いとなり得るか?それならまだ、西洋画に描かれるあばらの浮き立ったキリストの方がリアリティがある。
 かくいう自分も、去年事故手術直後の深夜、そこそこ大きな地震があった。
「右足免荷の担送・・・。自力で避難することができない。」
 病棟にはもっと重症なたくさんの高齢者。避難優先順位のトリアージは?もし二次災害被災の可能性が高い場合、若くて元気な医療関係者が、命と引き換えに担送する必要があるのかという合理的疑問も生じる。
 昨日ふと思い出したのが端島(軍艦島)のこと。地震で崩落した建物を想像したが、FBの長崎からは普通の観光情報に拍子抜け。さらに記憶が連鎖して、古い記録を読み返した。16年前の明日4/18だったということだけでなく、宗教にも触れていたことに驚いた。

Re:Tour2000 Day4 4.18 Tue

 島に誰ひとりいなくなったあと、端島の神様はどこにいるのだろう。

SBK TT Circuit Assen Race2

4.16 "Fabulous Disaster"
 長い間旅をしてきたが、こんなかたちで中止するのは初めてかも。今日は日帰りで徳島春の阿波おどりイベント「はな・はる・フェスタ」に行くつもりだったが、やめ。震源が東に移動してきてる。出るにしても近所に。
 火星がいよいよ大きくなってきて、うちの望遠鏡でも表面の質感がなんとなくわかるように。
 現在(16:00JST)ISSでは、Dragonに載せてきた膨らませて使用するユニットを移設中。Canada Arm2のゆっくりした動き。キューポラの後ろ側に付くらしい。CAM2で中継中。

SBK TT Circuit Assen Race1

4.15 "星たちのモーメント"
 広島市こども科学館。スクリーンや椅子、投影機の外観は何も変わらず。画像は確かに鮮鋭に。ただ、リフレタリウムも天の川もほぼ全編寝落ち。もちろん良眠を意識する極上の眠りで後悔なしだが、行ってみたい島トップランクの青ヶ島が舞台なだけにリトライ必至。

4.14 "I will stand by you"
 16日のはな・はるフェスタは帰りの空模様が怪しくなってきた。
 広島市こども文化科学館、プラネタリウムリニューアルいよいよ明日。スクリーンはきれいにしたのか?期待が高まる。

4.13 "Down"

4.12 "Runaway"

4.11 "Regenerate"
 今週は木曜岩国、金曜こども科学館のプラネタリウムリニューアル、土日は徳島はな・はるフェスタ。泊りも検討していたが、日曜雨予報で土曜日帰りなら日曜県美。
 四谷シモンなど絡めてみようかと、深い意味なく去年の記録を読み返してみると。
「なるほど・・・。」
 神戸の失敗と、世界平和大観音像に明石天文台。バンドー神戸青少年科学館のそばで、途方にくれている様子を思い出した。去年の自分が下調べしとけとの教訓を投げかけているが・・・。人間1年じゃ変わらんな。フェスタ以外成り行き。ちゃっぴーがあげていた阿南の大菩薩峠が少し気になる。

4.10 "Harpsichord Sonatas"
ひろしま美術館 ボストン美術館「ヴェネツィア展」
 深夜定時明けで日勤と話し込んでいると、気が付けば10時。そうなるとなにかアクセントを付けたく、9日から始まったひろしま美術館の「ヴェネツィア展」に。
 大好きなカナレットの風景に加え、ホールにはチェンバロとパイプ椅子が並んでいる。事前にチェックしていたロビーコンサートのことをすっかり忘れていた。ラッキー!
 展示を見終わり、まだ誰一人座っていない椅子に腰をおろしたのが開園30分前。2秒で夢の中へ。
 奏者の挨拶で現実世界へ引き戻されたが、夜勤明けに聴くチェンバロの音色は入眠効果抜群。その後も夢と現実の狭間を行ったり来たり。覚醒するのは合間の曲紹介の時くらい。実はこれがいい。
 好きなパートを三つ挙げろといわれれば、チェロとオルガン、そしてこのチェンバロ(=ハープシコード)と言えるくらい思い入れが深い。二十歳の学生のころ買ったグスタフ・レオンハルトの「ゴールドベルクバリエーション」と「パルティータ」は、30年以上経過した今でも愛聴盤。カーステレオにも入っている。よく晴れた暖かい日、これを聴きながら車の窓を開けて走ると、空はカナレットの水色に、広島の里山がヨーロッパの田園風景に変わる。オケでは脇役に回ることも多いが、それでいてバロックの象徴ともいえるフレーズをこれでもかと主張。独奏ではなんともいえない浮遊感と、どこか寂しさが漂う。そんな中でうとうとする幸せ。40分間ほとんど寝ていたような気が。
 感動は終了後にやってきた。なんとチェンバロをさわっていいという。ピアノのように張られた弦を、鳥の骨で作った爪で引っ掛けて音を出す。知識としては知っていたが、こんなに間近で見るのはもちろん初めて。爪を取り外して見せてくれたり、音色の調整やメンテなどとても面白い話が聞けた。
 最も感動したのは鍵盤を叩いたとき。最初軽く、爪が弦に当たると少し重くなり、弾いた瞬間一気に軽くなる。こんな微妙なタッチは聴いていただけでは絶対わからない。素晴らしい体験!
 ただ帰って寝るだけの一日が彩り豊かに。予期しないタイミングでやってくる感動は、よりいっそう記憶に残る。

4.9 "Wake Me Up"
 ついにやった!
 2時帰宅3時就寝、5時半起きでライブにかじりついたFalcon9/Dragon Spacecraft打ち上げ。失敗に失敗を重ねてきた一段ロケットの再利用、海上に浮かぶドローンシップへのソフトランディングに成功!画面に向って拍手喝采、鳥肌がたった。
 もちろん去年爆発失敗したメインのミッション、Dragon補給船の軌道投入にも成功。これで無事ISSに到達すれば、Cygnus、Progress2機、Soyuz2機と合わせて、最大6機の大所帯が成立。微小重力空間なのに、さぞ重いのではと地上の思考から離れられない自分。
 なにはともあれ、新たな一歩を踏み出した。寝よ。

"CRS-8 Dragon Technical Webcast"
"First Stage Landing on Droneship"

4.8 "Devilman"

4.7 "Louis XIV"

4.6 "Two Way Street"

4.5 "On My Way Back Home"
 5年ぶりの醍醐桜は、おだやかな微笑みを浮かべ、訪れる人々を見守っていた。周囲を柵や歩道で囲まれ、強い光を当てられても、何も言わず、ただおだやかに。
「これだけ大勢の人を相手にするのはかなりのストレスでは。」
 ライトアップを待たずして走りだしたのは、そんな後ろめたさを感じたから。岩井畝に着くと、目の前の民家の主と、地元の人らしき軽トラックの夫婦が立ち話をしていた。車が一台もいない駐車場で、大桜と二人きりに。谷あいから差し込む夕日を受け、七百五十年先輩の大桜がそっと語りかけてくる。
(よく来たね、今日はどこを回ってきたんだい。)
 静かな里山の夕暮れに、醍醐桜で感じた後ろめたさはなかった。
 そこから三桁県道を経由し、大佐スマートSAに至る名もなき道が今日のハイライト。
(気を付けて、またおいで・・・。)
 現れては消える集落と、沿道の桜たちが見送ってくれる。
 ある三叉路では、切り通しからスリット状に差し込む夕日が、民家の庭の桜を照らしていた。あまりの美しさに息をのむ。突然、一台の軽自動車が横に止まった。
「迷われたんですか?」
「いえ、きれいなんで見とれてました。ありがとうございます。」
 軽のドライバーが笑顔で走り去っていく。振り返ると、夕日が切り通しに沈み始めていた。田んぼに映った自分の影と、スポットライトに照らされた民家の桜が、ゆっくりと夜にのみ込まれていく・・・。一期一会、今日の日はさようなら。
 新緑の醍醐桜にも会いに行ってみよう。今度は相手をしてくれるかもしれない。

4.4 "Once bitten Twice shy"
 持ってる!津山・鶴山公園、真庭・醍醐桜とも今日満開の知らせ。
 ここに書いてる内容は、その回に載せた曲のタイトル、歌詞と必ず関連付けるようにしている。生死を分けた事故に遭ったのは新見に行った日の夜。中国道は鬼門。

"Once bitten Twice shy"

 失恋の歌をかなり都合よく解釈すると、
「痛い目にあって、二度目は慎重になる。」
 桜の旅で、アクシデントをポジティブに上書き。無事帰ってきましょ。

4.3 "Restless Moon"
 4/3現在、津山城・鶴山公園のソメイヨシノは7〜8分咲き。真庭の醍醐桜は5分咲き。予想通りにすすんでない?
 4/4一日雨で開花停滞して休みのあさって晴れ。まずトップは津山の懐かし自販機「仕出しおかもと」。これで中国地方すべての麺類自販機をコンプリート。そのまま鶴山公園を訪ねれば満開のはず。
 昼は岡山B級グルメの星「ホルモンうどん」。だらだらして夕方近くに醍醐桜に向えばこちらも満開のはず。自分にしては珍しくストップ&ゴーの行程だがそれもよし。来週末は7日の雨で散るぞ。ただ、雨の散り様の方が満開をしのぐ美しさかも。水溜りに漂う桜の花びらは、いったいどこに消えていくのだろう。
 最後に呉に寄ると、飛行船スヌーピーJ号がいるというプラン!

4.2 "Run With Me"
 さて、飛行船スヌーピーJ号。オフィシャルなスケジュールでは3/30-31山口、4/1広島、4/2兵庫だったが、昨日は雨のため予想通り山口に足止め。本日の予想。
・やや風があるのが気になるが、おそらくそろそろ広島に向け飛び立つのでは。
・明日の広島の天気は夕方から月曜昼過ぎにかけて雨。どちらかがメンテナンスで休みになるはず。
・月曜の午後からは風が強く、兵庫へ飛び立つとは考えにくい。
・となると移動は火曜日。風があればさらに滞在延長。
・可能性は少ないが、雨から逃げるように、明日曇りのうちに東進することもなくはない。
・火曜日は醍醐桜で真庭に行くため広島にいない。
 前回広島から北上したあと、トラブル修理やリニューアルで2年間ごぶさただった。よってチャンスは今日!
 気分しだい、予測不可能、風まかせな物体の捕捉は高揚感あり。
 今10:40。出た!一行目以前のパターンで風のため今日も山口足止め。停泊地はきらら。宇部方面飛行中とのこと。期待の裏切り方最高!これからのプラン変更。

"SOFTLY AS IN A MORNING"
 結局14時過ぎに家を出て、黒瀬〜安芸津〜竹原経由で16時前に忠海到着。
 コンビニではなく、地元にお金を落とすのが原則。八百屋スーパー「ひらたストア」に入った。かつてのサントリーサタデーウェイティングバー「アヴァンティ」の時間帯。店内にいる町人の話に耳を傾ける。「ねぇジェイク。」と話しかけたくなるが、近くにいるのは割ぽう着を着た地元のおばあちゃん二人連れ。和風メンチカツとお菓子を購入。
 登山口の桜は八分咲き。頂上に着くのに15分とかからない。途中に乃木将軍が休んだという石や、平山郁夫がスケッチしたという場所がある。鎖場を登った切り立ったピークのすぐ下がいつもの定位置。本当にいつ来ても絶景。
 正面には地図から消された島、大久野島。発電所跡が肉眼でも確認できる。忠海港にはちょうど大三島〜大久野島からのフェリーが入ってきたところ。アトム手袋、アヲハタ、タクボ精機など大きな工場も見える。
 大久野島の奥に大三島。左奥に多々羅大橋。Y先生にメールすると、因島まで4kmのところを走っていると返信あり。生口島にいたと思われる。
 ここでひらたストアで買った和風メンチをいただく。「美味!」味付けしたタケノコが入っていて中華まんのような味わい。
 この頂上に1999年から埋めているタイムカプセルは、登山客の通り道にあり、掘り返して埋め換え。前回は2013年10月に来ていた。カプセルといっても、思いつきでポッキーの空袋に入れたメモが最初。この空袋、現行の二つに分かれた包装ではなく、一袋に全部入った昔の半透明なやつで、妙に懐かしくずっと入れたままにしている。
 メモの内容といえば、日付とそのとき思った単語程度のなぐり書きくらいだが、なんといってももう17年。行くたびに追記しているとそれなりの歴史を持ってくる。どうしても中が結露するため、出して乾かしていると、筆記用具を持っていないことに気付いた。今日は追記できない。
 時折、遠くで踏切の警報が鳴り始め、2両〜4両編成のJR呉線がカタコトいいながらやってくる。しばらく忠海駅に留まり、またカタコトいいながら去っていく。ここからどのくらいの距離があるのだろう。見下ろす任意の地点からの距離を測れるメーターが欲しい。
 夕暮れのひととき、姿は見えないがはるか下の方で子どもの遊ぶ声や犬の鳴き声が聞こえてくる。宇宙と下界の狭間・・・。
 鎖場を降りたところにある鐘楼で鐘を2回鳴らし、登山口に戻ったころには18時を回っていた。頂上に2時間いたことになる。あんどんは「マッサン(竹鶴酒造)」も協賛。
 最後に竹原のレストラン「らんぷ」で夕食。作ったレトロではなく、ナチュラルにレトロ化した昭和空間。別府で着ていたシャツはまだ硫黄の香りが残っている。今日も素晴らしい旅ができました。

4.1 "Jump"
"What's Up for April 2016"
 NASAのUSTREAM。いろいろ試してみたが、ウェブ上のフレームから読み込めないよう。ウェブ上でもフレームなしだったり、フレームありでもPC内にあるHTMLファイルなら観られる。さてどうする。

 すごい!火星が大きい。昨日の雨で空気がめちゃめちゃクリア。今かなり地球に近づいてて、5/31最接近。あの赤い大地で、マーズ・パスファインダーやキュリオシティ・ローバー(探査ビーグル)がうろうろしてたと思うと最高にワクワクする。
 すぐ左となりには土星。リングもくっきり。

「醍醐桜開花。」
 休みは明日土曜、5日火曜、9日土曜。
・週末の大渋滞は絶対回避。
・明日はまだ早いが気温21度で一気に開くこと期待。
・3日4日雨で状態維持。
・7日〜9日あたりが満開予想も週末回避は最優先。現時点での天気予報の精度も低い。
 よって5日火曜決定。昼間は津山城鶴山公園(今日現在3分〜5分咲)。天守跡に向って上へと咲き誇る桜は、これまで観た中でも最高ランクの圧倒的スケール。もちろんホルモンうどんも。

3.31 "THE ONE"

3.30 "Fire Meet Gasoline"
「赤崎水曜日郵便局」
http://www.akasaki-wed-post.jp/
〜熊本県葦北郡津奈木町福浜165番地その先〜
 毎週水曜だけ開局する郵便局が終了。やはり水曜だけオープンするオフィシャルサイトもこれで終わりなのだろうか。今日夕方閉局イベントがあるそう。
 結局一度も行くことができなかった。津奈木はほぼ鹿児島県境。高速からのアクセスが悪いため家から5時間くらいか。大嫌いな「弾丸ツアー」も考えたがシフトが許さない。水曜日の楽しみが一つ減った。
 出島の自販機の調子が悪い。
 今日は久々のISS観測。20:05北東の空に消えた。
 オーロラのリンクはまだあった方がいい。今日もすごいことになってる。

3.29 "Highway Star"
 昨日映画を観たあと本屋に寄り、ツーリングマップル九州を6年ぶりに更新。先々週別府に行った際の東九州自動車道のつながり具合はかなり衝撃的だった。
 これまで別府に行くときはほとんど深夜移動。北九州JCTまわりの遠回り感を嫌って門司港ICで降り、県25から夜間の空いているR10へ。昼間なら京築アグリラインから九州横断道ををつなぐが、休憩込みで片道5時間はみる必要があった。今回行橋地蔵をトップに考えていたため、苅田北九州空港ICアウトで何気なく確認すると。
「えっ?」
 その先が、かつて単発の有料道路だった椎田道路とつながっている。椎田南ICでいったん途切れるが、わずか7km程度走って豊前ICなるものができ、その後はこちらも昔は単なる有料道路だった宇佐別府道路を飲み込んで大分自動車道〜東九州自動車道となる。確認はしていないが、未開通区間を時間内に経由すると通し料金になるのでは?
 別府までほぼ高速でいける。これは画期的。片道5時間の日帰りもしたことはあるが、やはり体力的にきついし、何よりせっかく300km走って遠出するのに滞在時間が短くてもったいない。それがこのルートが全通なら片道3時間も可能。あの湯気に包まれたパラダイスが完全に日帰り圏内となる。
 ただ一つ難点を挙げるなら対面通行であること、追い越し区間の距離がとても短いことが特徴。法定速度の車両を抜こうとして追い越し車線に出た中途半端な速度の車両が、さらに前に行こうとしてそのままその車線に居座り、抜く機会がないまま一車線に合流する。そのうちまた遅い車に引っかかり、次の追い越し区間でも同じことが起こる。無理すれば抜けないこともないが、最近はドライブレコーダーで撮られてるから恐い。
 そして昨日、買ったばかりの地図を開いて未開通区間を確認すると。
「えっ?!」
 未開通区間がない!先々週は豊前ICで強制的に降ろされたのに。3月末で開通?すぐにNEXCO経路検索で確認すると、普通に未開通のまま。突っ込んで「椎田南 豊前」で検索。
「きた〜!4/24、東九州道が宮崎までつながる!」
 実際に宮崎に行くなら全線片側2車線以上の九州道が早いが、とにかく国東、別府、臼杵が日帰り圏内。これは素晴らしい。同時に、深夜トイレ大休憩の道の駅「おこしかけ」が遠のくのが寂しい。怪我してる間に浦島太郎、地図は生きものだね。

 メットライフアリコ・スヌーピーが別府に。もちろん判別はできないが、先生のお宅やご家族はあの辺り。天候にしだいで来週にはまた広島に戻ってくるよう。迎撃準備。

3.28
 "I Was Buried In Mount Pleasant Cemetery"
 にっぽん縦断こころ旅スタート。
 前回八丁座に行ったとき流れていたトレイラーで気になっていたのが、映画「モヒカン故郷に帰る」。先ほど仕事帰りにサロンシネマに寄ってきた。
 事前の予想通り取り立てて面白い映画ではなかったが、それを差し引いて余りあるのがロケ地大崎下島、大長の町並み。個人的には劇中メインとなっている病院が、院長覚せい剤逮捕というのがかなりタイムリー。印象に残ったのは背後に映る岡村島。県境の2本の橋は美しすぎる。
 旅先ではコンビニを避け、なるべく地元のよろず屋に寄るようにしている。巨大資本にマージンを取られることなく地元に還元、激レア情報も得ることができる。御手洗(みたらい)にある「ばこ」のおばちゃんを訪ねなくては。

3.27 "青い地球"
 昨夜のテキストで、自分は鉄道ファンではないと書いて「あれっ」と思った。今朝ふと思いつき母屋へ。埃をかぶった3-4個の箱の中にはNゲージ(電気可動式の鉄道模型)のセット。おそらく前回開けてから30年以上経っているのではないだろうか?持っている車輌に思わずニヤついた。
「なんというマニアックなチョイス。」
 小学校高学年のころブルートレイン全盛期を通過し、弟を連れ、深夜に、早朝に、写真を撮りに行った。山陽本線を経由していたのは、はやぶさ、さくら、あさかぜ、富士、みずほ、明星、彗星、あかつき、なは。自然、地理、天体をもとにした心躍るネーミングに拍手喝采。なのに持っているのはEF66(電気機関車)とコキ(コンテナ車)。
 かつての国鉄西広島駅は貨物駅だった。たくさんのコンテナ車や貨物車、それらを入れ替えするディーゼル機関車が常時停車しており、記憶は曖昧だが、定期運行のSLも見たことがあるような。
 駅両端の踏切は駅員常駐で、列車が入るたびに手動で遮断。それも今あるような片側から棒が降りるタイプではなく、両側の支柱から吊ったワイヤーが、手回し式のハンドルを回すことで降りてくる。鐘は現在のようにスピーカーから聞こえてくるものではなく、自動で実際の鐘を打ち鳴らす。自分がいる側の鐘と、踏切の向こう側にある鐘のタイミングが微妙に違っていて、徐々にシンクロして音が一つになっていく様子にワクワクした。列車が見えると、駅員が強力な電灯を振り回して合図していた姿が忘れられない。
 40年も前の古き良き時代、駅敷地内のセキュリティは来るもの拒まずで、鍵の開いているワム(ジョージ・マイケルじゃなく貨物車。)の扉を開けたり、連結器をいじったり。今ならネット炎上沙汰。そんな背景もあり、当時ブルートレインを牽引していた花形のEF65 1000番台ではなく、主に貨物を牽引していたEF66、コキ、ワムだったんだろう。コキに載っているコンテナの表示が哀愁を誘う。
「国鉄コンテナ、戸口から戸口へ。」
 思い出した。おれはかつて鉄ちゃんだった。

 今日21時現在の木星は、イオが前面に重なり、エウロパとガニメデが後ろに回っていてカリストしか見えない状態。地球と月のようで新鮮。ただ残念なことに、かなり東に移動してきたため、高すぎてこのあと軒に隠れてしまう。わざわざ外に持ち出すのも面倒だし、これからは窓際観望はあきらめ目視で。かわりに火星と土星が見やすくなってくる。

3.26 "小さなうた"
 18:37、ちょうど帰ったらCygnusキャプチャー中。

 菜の花のじゅうたん、三分咲きの桜、水仙の黄色。ピノ・ロッソ、転車台のSLやまぐち、自販機の聖地。そして帰りはR191クルーズ。気温10度、真冬装備で衣内至適温度。走っていていちばん気持ちの良い時期かもしれない。
 余力を残した状態でコーナーを攻め、適度にアドレナリンを分泌。一方で頭はリラックスしていてアルファ波を感じる。この矛盾した状態が心地良い。
 満タンスタート、帰宅間近でF-TRIP全行程255.6km。ある晴れた日のワンタンクジャーニー。
 それにしてもSLやまぐち。動き出した瞬間は鉄道ファンでなくても鳥肌もの。土日に津和野に行くと、ちょうどピノ・ロッソを出るときにターンテーブルで方向転換中。頭の中でささきいさおとゴダイゴが交互に鳴り響く。明るい昼間だとゴダイゴのイントロかな。

3.25 "Magnificent Mars"
10 Years of Mars Reconnaissance Orbiter

"Tonight's Sky April 2016"

3.24 "THE BIRTH OF EVIL"

3.23 "You Against You"
Atras V / Cygnus
12:00JST T-5min Go For Launch
12:05JST Lift Off !
 なんか重そう。

広島市現代美術館 ディン・Q・レ展「明日への記憶」
 ディン・Q・レって誰?と期待しないで行くと返り討ちにあった。比治山公園の桜も咲き始めてる。

3.22 "Big Moon"
 十三夜の月と木星が至近距離。絶景。火星もかなり大きくて、点ではなく赤い丸に見える。

3.19
無明橋遠望~ひなた焼菓子店~すずめ草~ラパロマ~ことり~Y邸~鶴の湯

 2月下旬、3/18~3/21別府帰省予定のY先生よりお誘いあり。3/18仕事終了後天候確認し決定連絡。当初は夜移動も考えたが雨。暫定目的地は行橋地蔵~竹田津・ひなた焼菓子店~別府Y先生宅~以降成り行き。
 10:28廿日市ICイン。最後に九州入りしたのは事故以前の去年1月。東九州道のつながり具合にとても驚いた。2010年のマップルはまったく役立たずで下松SAで広域マップを確認しリスタート。
 北九州市内で小雨に降られプラン修正。13:07椎田南ICアウト。地蔵をスルーし竹田津へ。昼は中津のからあげ。
 合理的なルートを取ると必然的に天念寺通過。今日は登っている時間がないため、鬼会(おにえ)の里駐車場から無明橋を見上げた。
 スオーナダフェリーに乗らなくなって縁遠い竹田津は久しぶり。目的地のひなた焼菓子店は「こころ旅」で火野正平が立ち寄ったお店で、外観と店内のギャップが強く印象に残っていた。中に入ると、期待を上回る不思議空間。コーヒー2杯とシフォンケーキ、別府への手土産にクッキーを詰め合わせてもらう。ここで予想外のリンク発生。ギャラリーで町おこし中とのことで、オーナーが広島・芸北出身という「すずめ草」さんと、八重山のシーサーを連想する奇怪生物オブジェを製作している「ラパロマ」さんを紹介され徒歩で散策。歩くスピードの素晴らしさ全開。
 同じくひなたさんで教えてもらった海辺と珈琲「ことり」。向田海水浴場に面した静かなお店。午後三杯目の珈琲をいただきながら、火野正平から始まる人のつながりに物思う。放送で知らなければ絶対寄っていないだろう。
 R10に出てからは故郷に帰省したよう。いつも買い出しに行くマルショクやまなみ店を通過し、一度も地図を見ることなく18:00、Y先生実家に到着。前夜確認したとはいえ、初めて来たとは思えないスムーズさで車庫入れした。エンジン音を聞きつけて出てきた先生が出迎えてくれた。
 先生は12年から15年の3年間お世話になった恩師。「ひなた」さんのクッキーと「ことり」さんの珈琲を手渡しながらご両親にご挨拶。
「教え子だけど年上です。(笑)」
 お宅はいつも右折する交差点からわずか20m下った場所。2006年から看護師殺人事件が発生するまでの5年間、年末年始、鍋山の泥湯にテントを張って過ごした。おそらくその時期先生も帰省しており、この団欒の20mそばを通り過ぎていたことが不思議でしょうがない。
 すぐ近所に公共の噴出孔があり、生たまごをセット。バルブを開けると10分そこそこで温泉玉子ができる。カレーなどは焦がさずに煮込めるらしい。夕食をいただき、先生が育ったという離れに移動。
 20:30、別府秘湯三湯の一つ「鶴の湯」へ。実はこれが初めて。扇山、鶴見岳を見上げ、別府湾を見下ろす圧倒的ロケーションの鍋山と比較し、「蛇ん湯」と「鶴の湯」は谷沿いの閉鎖空間にある。蛇ん湯は09年一度行ったが、その後は一度も訪ねていない。
 連休中日のこの夜は当たりで、ちょうど到着したとき二人が帰っていくところ。以後22:30までずっと貸し切り状態。帰り際入れ替わりに地元の人が一人来ただけだった。展望はないが、露天風呂での開放的なおしゃべり。空には十日夜の月と木星、アークトゥルスが輝いていた。

3.20 Y邸~鍋山の泥湯~岡本屋~火男火売神社~塚原温泉~えふ7~行橋地蔵
 この日は午後から、国試発表間近の21回生6人と同期の剛が泊まりにくるという。レンタル布団が11時に届くので、鍋山に行ってみようということになった。
「鍋山の泥湯」
 5年間年末年始を過ごした絶景の露天風呂。下の二つの湯船は透明、少し登るとドロドロ白濁の泥湯二つ。脱衣所の類は一切なく、ただ湯船があるだけ。マルショクで3日分の食材を買い込みテント設営。その間一度も下界に下りることなく、極上の至福空間の中にいた。そして2010年のあの事件。最後に来たのは2012年3月。トリッカーで湯船そばまで来たが入浴はしなかった。
 先生の車はスカイラインR33でダート走行不能のため、バリケード(現在はオープン)手前に置き徒歩で歩き出す。前回トリッカーで通り過ぎたが、遺体が遺棄された場所に簡素な祭壇が作ってある。今回は歩きのため立ち止まって手を合わせる先生。女性が一人で来るという落ち度を感じざるを得ない寂しいところ。
 鍋山の湯入口に着くと、駐車場には一台も車なくもちろん湯船にも誰もおらず。泥湯に上がってみて理由がわかった。メインの湯船が土砂に埋まっている。以前はあまり利用されていなかったもう一つ湯船はそのままだが湯音ぬるめ。明るいグレーのお湯には赤いボウフラがうねうねしている。深く沈殿した粘土質の泥を踏み込む感覚がなんとも言えず気持ち悪いが、躊躇なく入湯。2010年1月3日以来。水の流れ管理は憩の森に通じるものがあり、次回剣スコップ持参で埋まった湯船の復旧作業もありか。
 ペースト状の泥が身体だけでなく肛門のしわの一つ一つまで入り込み、とても服を着られる状態ではない。下の湯まで50mほど裸で移動。ここで生まれ育った先生の地元情報は貴重なものばかり。
 10:30、布団が届く時間になったため帰路に。トリッカーなら湯船そばまで来れることも確認でき、キャンプ再開も検討しよう。岡本屋地獄蒸しプリンはルーティーン。
 帰宅後空いた時間で近所の火男火売(ほのおほのめ)神社参拝した。事故で役目を果たした伊勢の交通安全御守りを更新。
 14:00、ご両親に礼を言い、2台で明礬・湯の里へ。最後の春を謳歌している21回生6人と剛を捕捉した。以上先生との行動終了。
 ソロに戻って湯布院・塚原温泉へ。これまで二度閉館後に訪ね空振りし、ふられ続けていたが、念願かなうと同時に残念な場所だった。連休もあって人が多すぎるのは仕方ないが、泉質云々は別にして内湯と露天で別料金を取る温泉はあまり記憶にない。さらに金額の問題じゃなく、200円の火口見学はその価値なし。行ったことがあるというコレクションの一つにとどまるのみ。
 15:26安心院ICイン~15:48豊前ICアウト。すぐにアグリラインに入って14ヶ月ぶりのフルーツ工房「えふ」。県34で行橋に出て沓尾の金比羅神社地蔵と再会。もはや知人を訪ねる感覚。
 給油のためしばらくR10を走り、県25から18:28門司ICイン~下松SA~20:25廿日市ICアウト。帰りも昇りはじめた木星を追いかけた。
 一面の菜の花と早咲きの桜、色とりどりの春の花を横目に、事故を通過して感じる旅の素晴らしさ。今後は先生の帰省にあわせた別府計画もあり。とりあえずは今月末発売とタイミングの良い九州マップル5年ぶりの更新。ナビ、スマートフォンくそ食らえ。本当の出会いは、間違えた道の先にある。
 帰宅後何度も手を洗ったが、手の平には今も硫黄が香る。

3.21 "煌めく瞬間に捕われて"

3.20 "Every Little Monster"

3.19 "Zero Gravity"
6:26JST Soyuz TMA-20M Expedition47-48
 また3人が旅立った。

3.18 "My Land"
 出会いというのは本当に不思議。明日別府に、3年間お世話になった恩師の実家を訪ねるのだが、何度も右折した国道の大きな交差点を左にわずか20mほど下ったところ。年末年始に行くことが多かったので、帰省した先生もいたはず。面白すぎる。

3.17 "Higher"

3.16 "Remember"

3.15 "Lovin'You"

3.14
"Wir Glauben All' an Einen Gott"
「われらみな唯一なる神を信ず。」
 神は信じてないけどオルガンのトーンとメロディが好き。

3.13 "Pictures At An Exhibition"
Keith Emerson
1944.11.2~2016.3.10
 自殺との報道あり。

SBK Chang International Circuit Race 2

3.12 "Hang On Now"
 予告編から絶対うそ臭いとたかをくくっていた「エヴェレスト 神々の山嶺」。それでも避けては通れないタイトルのため、仕事帰りに公開初日の八丁座へ向かった。
 まったく予想通りの映画。マロリーの謎はストーリーが進むにつれ希薄になり、最後は死人と語り合う意味不明な精神論に。見て損したとは思わないけどね。

SBK Chang International Circuit Race 1
 Kawasakiが強いのはうれしいが、Reaが強すぎて面白くない。

3.11 "Blackbird"
 VixenのアイピースSSW 5mm(望遠鏡用接眼レンズ)が届いた。実は1月にもっとも倍率の高い3.5mmを買ったが、うちの望遠鏡にはオーバースペック。34,992円(税込定価38,880円。)はさすがに捨てる気にならず、長い間利用しているアマゾンで初めて返品した。
 屈折式望遠鏡は、対物レンズの像を接眼レンズで拡大して見るため、対物レンズの解像度を超えて拡大してもクリアな像は得られない。前にも書いたが広島で比較検討できるショップがなく、事前にわかっていたのに倍率の誘惑に負けギャンブル的に購入、失敗した。
 やはり31,715円する。(税込定価38,880円、定価が同じなのに3.5mmだけなぜか割高。)費用対効果を実感できない小さなレンズに投資するにはそこそこ勇気が必要だった。結果は5mmで十分。木星は今までの6mmよりやや大きくなり、視界が広くなった分経緯台で追いかける手間が減った。
 これで望遠鏡への投資は打ち止め。現状の装備で宇宙を旅していこう。さっきはエウロパが木星の裏に回っていた。

3.10 "Beat It"

3.9 "I had a good time"
Brad Delp
1951.6.12~2007.3.9
 けっして自虐的な意味ではなく、今自分がこの世から消えさっても困るのは母だけだが、あれから9年、BOSTONとBradのメロディが未来永劫生み出されないことに困ってる。"Had"が過去形であることにね。
 昨日木星が衝。カリストが木星の裏側にまわっていて見えない。ロゼッタとフィラエがいる67P(チュリュモフ"アヒルちゃん"ゲラシメンコ彗星)が近くに。現在位置は火星軌道の外で遠ざかっていくところ。

3.8 "Hocus Pocus"
 夕方爆弾情報が飛び込んできた。いまだ係争中のため詳細情報は控えるが、8ヶ月経過して初めて、相手のドライバーが飲酒運転だったことが発覚。
 また寒くなるらしいが、今日は今年初めて3シーズングローブとジーンズのみでライディング。
 比治山では木口子平の名前が光っていた。フランス人の墓もあり長崎の外人墓地を思わせる。おびただしい数の墓標を前に、あらためて平和の素晴らしさを感じた。

3.7
"Evolution of the Disney Princess"

3.6 "透明"
 去年7月4日以来初めてカメラを持ち出して撮った絵は、ちょうど8年ぶりのこの場所。
山口県周南市粭島(すくもじま)
 日本精蝋株式会社と旧徳山金属亜鉛精錬所煙突。正確には粭島の東の端より本土側を望む。

3.5 "Ready To Strike"
"SpaceX SES-9 Mission"
 今8:26JST。久しぶりにゆっくり見られるFalcon 9 Launch。9分後。
8:32 T-3min All System Are Go
8:35 LIFT OFF!!!
8:38 1段セパレーション。ランディングどうなる?
 まるで昔のアニメのエンディングのように、一番いいところで映像ストップ。英語コメントでは失敗っぽい。
9:02 Second Engine Burn 2
9:03 Second Engine Cut Off
9:08 Spacecraft Separetion 打ち上げミッション終了。
 通信衛星。45日後に軌道上に到達するとのこと。

 前々回成功時
"Falcon 9 launch and landing"

 断定はできないが、携帯を機種変更して5日後の昨夜初めて来たメイルが、5年半前機種変更したとき、やはり初めてメイルのやり取りをした相手じゃないかと思う。
 去年入院中たくさんの時間があり、携帯のアドレス帳を整理。1年以上使用してない電話番号、メイルアドレスはすべて削除した。実際は古い携帯のデータフォルダに知り合った時代ごとに整理してバックアップを取ったが、USIMカードを差し変えないと見られない。今度の携帯はUSIMカードを抜くのがとても大変。古い携帯の画面が真っ黒になるのも時間の問題なので、移動させるなら今か。
 その相手から最後にメイルが来たのが2-3年前?必然的に機種変更後初めて返信。ここをチェックしているとは思えないのに内容がタイムリーで、出来事もリンクしていて共時性あり。前日走った光から大島へのルートでは、湧き上がる記憶を制御できず、とても切ない思いも。なにはともあれ元気なのを知ることができ安心した。

3.4 "Under My Gun"

3.3 "Fridge Full of Stars"

3.2 "ありがとう"

3.1 "Don't Be Afraid"
"What's Up for March 2016"
"Tonight's Sky March 2016"

2.29 "Come again"
 閏日!
 27日の夜携帯が壊れた。普通に開くと画面に横線が入って真っ白になったあと真っ暗に。角度を90度くらいにすると元に戻るため、ジョイント部配線基盤の金属疲労と思われる。
 完全に断線して表示不能になると困るのでさっそくリサーチ。去年夏からキャンペーンをやっていて、5年以上使用していると手数料の3,000円のみで機種変更できるとのこと。12月に発売されているAQOUSケータイが納得いくデザインで、さあ手続きというところで大どんでん返し。どんなに設定で制限しても、勝手にデータのやり取りが発生し、月額1,000円弱のパケット料がかかるらしい。相変わらずのソフトバンクに苦笑。
 AQOUSケータイでのパケット定額導入、スマートフォン乗り換え、iPad mini 4まで検討してみたが、結論は否。そうなると選択肢はパナソニックのCOLOR LIFE 5のみ。急を要しているため仕方がない。
 2010年7月6日。5年7ヶ月使用した841SHは、サブディスプレイは表示されないし、カメラは何年も前から使えなかったが、何の支障もなかった。それにしても日奈久温泉から5年・・・、元気にしてるだろうか。
 いつまでキャンペーンがあるかわからないので、壊れてない母のも機種変更。こちらは急を要してないのと、母が新機種には適応できないため、新しい一台はストックに。
 壊れた携帯でこの曲が浮かんだ。(今日の1曲はライブを選んだが、オフィシャルPVでは携帯がぶっ壊れる。)一緒に旅した日々を思い出し、センチメンタルな2月29日。
 スコット・ケリーとミカエル・コニエンコが1年のISS滞在から帰ってくるぞ。

2.28 "明日、世界が終る前に"

2.27 "Mars"
"Curiosity Rover"
 ホルストの火星は、おそらく戦いの神マルスにちなんで勇壮なものだが、実際の火星はのどかで静かな赤い世界。
 映画"Martian"のマット・デイモンのごとく、探査機キュリオシティ(好奇心)にはすでに人格すら感じる。未踏の大地に続く2本のわだち。たった一人、寂しくも誇らしく進んでいく姿を想像し、新雪に初めて足跡をつけるときの自分に重ねる。
"Curiosity Rover at Namib Dune (360 view)"
"Pathfinder & Sojourner Rover (360 view)"

2.26 "Back to the Roots"
"Mission Juno"
 土日天候不良のため遠出は中止。侵入可能になった石内東団地を偵察。山側に登れそうな道がたくさんあるのでおいおい見ていこう。
 久々に訪ねた2軒のカフェはどちらも閉まっていて、結局どんぐり村で缶コーヒー。それでも広くて空いてる道を軽くスポーツ走行し、リヤパッドとリヤタイヤにあたりを出した。
 夜はハリーと観音茶屋。彼の5MTを運転させてもらい、マニュアルトランスミッションの面白さを再認識。
 出かける前にグーグルマップツアーに出ていて、懐かしい場所にたどり着いた。川崎市中原区にある島脳神経外科整形外科病院
 今からちょうど30年前の6月、練習試合中に左ひざ靭帯を部分断裂して救急搬送された整形外科。初めて救急車に乗り、初めて入院した病院。試合があったということはおそらく週末で、一泊だけして翌日近くの関東労災病院に転院した。とても長い時間が経ったのに、アラレちゃんを観ると言っていた夜勤の看護師さんのことを覚えている。

2.25 "Lost Without Love"

2.24 "Best of Me"
 週末の天気が良くない。

2.23 "Lagnatti"
 隣県を除く二県以上の遠出は、去年4月末の福井が最後。九州にいたってはガス気球を見送った去年1月の佐賀以来という異常事態。これも事故の影響だが、いろいろ新鮮に感じることも多く、まんざらでもない。
 母の介護や3月のシフトが厳しいため、夜勤明けの今週末3連休で計画中。とりあえずは仕事終わってすぐ高速乗ってSA泊。金・土の夜は温泉宿はしご?
 気になるポイントは行橋地蔵、ひなた焼菓子店、無明橋の星空、塚原温泉、えふ、カウリ、熊本の葵カレー、熊本行ったなら山幸窯、ランタンが終わった久々の長崎など。行き先はいつものように、信号待ちで止まった交差点で考える。
 阿久根のバーガー自販機への野望が・・・。

2.22 "Bohemian Rhapsody"

2.21 "You and I"
 去年入院していたときお世話になった理学療法士と看護師の結婚式二次会にイッチーと参加。自分が20代から30代にかけ同世代が結婚していくころ週末は仕事。ほとんど参加する機会がなかったためとても新鮮。もう二度と会うことはないと思うが、二人の幸せな瞬間にねじれの位置で立ち会ったと思うと不思議でしょうがない。ハレー彗星みたい。
 昨夜やっと観ることができた"The Martian"(邦題=オデッセイ)は生涯ベスト映画上位に。今日は火星のリサーチに熱中した。中でも印象に残ったのはオリンポス山。標高25~27km。確認されている中では太陽系最高峰とのこと。
 ついにSBKフィリップアイランドがレースウィーク突入!2016スタート。

2.20 "Ijime,Dame,Zettai"
 ISSからCygnusが分離。見慣れたアンブレラがなくなると寂しい。2本の傘で、ふわりと地上に戻ってくるかも。
 オーロラライブは連日圧巻のリプレイ。満点の星空にバスクリンをぶちまけたよう。
 更新は月末だが今年の距離データが1,000km突破。ここ2年は車の稼働率が10Rを上回っていたが、今日時点で10R稼働率75%(Tricker 6%、Spacia 19%)。これが本来の姿。
 ひろ美「最後の印象派」展は見ごたえあり。

2.19 "Border"
 6:00過ぎ、水星の位置を確認したあと、土星を追っていた。ふとあることに気付く。
「月は昼間でも見えている。土星は見かけ上小さいが、追尾し続けていれば明るくなっても見えるのではないか?」
 経緯台の望遠鏡で見る対象は、地球の自転に合わせ、目に見える速度で移動していく。6mmの接眼レンズで見ていると、1分ともたず視界からフレームアウトしていくため、ずっと追い続けていないと見失ってしまう。さすがに集中力は維持できず、ニュースを見ながら時折ファインダーで位置を確認していた。日の出前の7:00、辺りはすでに昼間の明るさに近く、もう肉眼では見えない。
「しまった!」
 わずかな時間経過で、ファインダーの中心に捉えていたはずの土星がどこにもない。
 本日の学び。
「なるほど、やっぱり昼間は見えないんですね。」

2.18 "I believe ~海の底から~"

2.17 "I Say I'm Sorry"

2.16 "Make the Change"

2.15 "The Fool"

2.14 "Death Blow"

2.13 "Heavy Birthday"
Best wishes on your birthday!

2.12 "Frontiers"

2.11 "Crystal Planet"

2.10 "Keep Breathing"

2.9 "Fire"

2.8 "Let's Groove"

2.7 "Boogie Wonderland"

2.6 "September"
 Earth, Wind & Fire。家にもベストヒットアルバムが一枚ある。ここのところ40年代生まれのスターが立て続けに亡くなっていく。

 去年6/7以来のTricker再始動。しばらく乗ることがなかったため昨年11月の任意保険更新で最低限の保障に限定しており、スタート前に、実際に乗るためには不可欠な特約を付帯した。入院期間中も一時帰宅のたびにバッテリー充電とエンジンは始動していて、コンディションは万全。舗装路で久しぶりに「花みずき」あたりに行ってみようと思っていたが、Y先生の白木山に登っているというメイルに刺激され鬼ヶ城が浮上。
 結論から言ってダートはまだ少し早かった。痛みがあるわけではないが、ガレ区間の多い鬼ヶ城でかなりの振動があるのは当たり前。立っても座っても「大丈夫か?偽関節になるぞ!(もうない。笑)引き返すか?」と自問自答した。
 路面はまずまず。頂上付近に残雪はあったがトラクションには影響なし。ただ転倒が厳禁なのはもちろん、リヤをスライドさせて右足を着くのも絶対避けないといけない。1秒たりとも気の抜けないスノーライド状態であまり楽しめず。
 登ってしまえば絶景。来るたびに書いているが、広島デルタと母なる川「太田川」を感じられる最高の場所。高瀬堰付近の川面が太陽を反射し、ギラギラと輝いている。これまでとは違う宇宙的な視野で眺めている自分にも気付く。
 小雪がちらついて寒いので、30分ほど滞在して帰路に着いた。なにはともあれ、また一つ当たり前の日常を取り戻した。今初めて履歴を確認すると、去年の2/11鬼ヶ城に行き、雪で引き返してる。最後に乗った6/7は加計「吉水園」からログ茶房「花みずき」に行っている。長い間乗っていなくても行動パターンは変わってないのに笑う。体内時計?

2.5 "Shining Star"
Maurice White
1941.12.19~2016.2.3

2.4 "Wildest Dreams"
 前にも書いたかも。2000年に博多の岩田屋で買った1万円のG-SHOCK。16年経過した今日現在、一度も電池交換することなく動き続けている。数年前、もう一つのG-SHOCKの電池を換えるとき近所の時計屋さんで聞いたことがあり、ごくまれにそのような個体が存在するとか。その時計屋の主人は、おととし病気で亡くなってしまった。
 ネットで検索してみると確かにあるらしく、去年の段階で18年動いているという先輩もいた。家のは針とデジタルのデュアルタイプなので、メカニカルな針の駆動ロスが大きく電池消費は多いはず。いつ止まるのか興味深い。

2.3 "I'm Calling You"
 興味を持ってからは初めての、コスモノート(ロシアクルー)による船外活動中。

2.2 "Mercury"
 水星は最も太陽の近くにあり、公転周期は88日。つまり約3ヶ月が地球の1年に当たる。地球より内側を回っているため見かけ上満ち欠けが生じる。
 数日前から面白い状況となっていた。2月1日21:00頃、まず最初に東の空から木星が昇る。明けて今日2日1:00に火星、その20分後には二十三夜の月。さらに3:20には土星が登り、5:20には金星が現れる。5:30、望遠鏡でも見ることができない冥王星(Pluto)に続き、5:40、今日の主役、水星が登場する。
 水星を見るチャンスはとても少ない。太陽に近いため夜明け前か日没後。夜明け前なら太陽より少し先に昇って来たとき、明るくなるまでの少しの間だけ。夕方ではその逆、太陽が沈んだ後のわずかな時間。それもすぐに沈んでしまう。公転の関係で、太陽より後に出たり、先に沈むときにはまったく見えない。さらに地平線付近でしか見ることができないため、雲がないことが絶対条件。ずっとチャンスをうかがっていたが、天気が悪く機会に恵まれなかった。今朝起きて、いつものように窓の外を覗くと、明けの明星が輝いている。
「チャンス到来!」
 望遠鏡はいつも窓際に常設。すぐにキャップを外し、金星を捉えた。そのまま少しずつ視野を左下へ移動させる。
「はじめましてマーキュリー!」
 半月ならぬ半水の水星と初めて出会った瞬間。空はすでに白み始めており、太陽が昇ってくる。
「日(太陽)、水、金、土、月、火、木が同じ空に!」
 一週間のオールスターキャストが全員揃ってカーテンコール。ただその時間は短い。太陽が昇るにしたがい、ウイークデーは徐々に見えなくなり、月を残してみな消えていった。
「すごい!」
 小学校の頃から理科の教科書で見慣れた太陽系の位置関係が、頭の中に3Dで構成される。
「やっぱり日曜は特別。暦は発明、考えたやつは天才だ。」
 家を出る頃、青空となった空を見上げ、そこにあるはずの惑星たちを想像すれば、通勤の足取りも軽くなる。今日は水星記念日。

2.1 "Hello To The World"
 急性期病院の定期受診と診断書請求で二つの病院をはしご。予約診療なのに呼ばれるまで2時間半待ち。妙に謝るので何かのミスがあったようだが聞かなかった。あの病院だから。
 回復期病院では、きれいな虹と、ほっとする笑顔があった。3ヶ月というけっして短くない日々を過ごした場所。空を見上げて目を閉じれば、あの夏の大三角形が浮かんでくる。
 憩の森はまだかなりの雪が残っていて、雨は降ってないのにそこそこの水量。軽い梗塞を起こしていたので修理。下の滝つぼがかなり埋まっている。近いうち底をさらわなくては。
 今日は18:35ころISSが通過する予定だったが、マックの駐車場から雲が多いことを確認し、フルーリーをいただいて帰路に着いた。

1.31 "Moonage Daydream"
 10:10広島イン、11:33鴨方アウト。鴨方はETC早朝割引があったころ東への100km以内区間(志和から)。いったん高速を降りてすぐにまた乗った懐かしいインター。
 高速を走っているときから正面の山の上に巨大なドームがあるのに気付いた。数え切れないほど通過した場所なのに、それが岡山天文台とは知らなかった。土星しかり、ガリレオ衛星しかり。実はずっとそこにあるのに気付いていなかった。普段の生活や仕事にも通じる学び。
 11:45岡山天文台着。12:00からプラネタリウムがあるというので押さえておく。子どもも含めて20名前後いた。カータークラスの約10mのスクリーン。恐竜がテーマの内容はうとうとして記憶も曖昧だが、星の話を聴きながらのうたた寝はある意味上質。ツイッターで覚えのある篠原ともえ去年11月のサイン色紙が飾ってあった。
 目当ては188cm反射望遠鏡の見学だったが、なんと3.8mのを京大が新設中。国内はもちろん、東アジア最大らしい。一般公開は未定だが来年から稼動するとのこと。募金を募っていたので500円寄付する。「今ごろ資金難?」と帰って調べてみると、06年から動き出しているそうで、今年で10年目。本体は駐車場のテント内に仮組みされているが、ドームはまだ基礎すら無し。進捗も宇宙時間。
 188cmはとてつもなく大きい。3.8mにいたっては鏡筒を構成するトラスフレームのパイプ一本が家の望遠鏡より大きい。
 矢掛から広域農道をショートカットして美星へ。PR77からR313に出た。
 成羽で左のはるか山の上の方に見える木口小平生家。「死んでも口からラッパを離さなかった。」という話を小さな頃よく聞かされた。家の祖父は、自分が物心ついたときにはすでにボケていたが、二百三高地でこめかみに弾丸を受けたという。数年前、この生家を訪ね呼び鈴を鳴らしたが、貴重なエピソードを聞くことはできなかった。実は去年入院中友人から借りた本に彼の名前があった。「死体は語る」シリーズの中で、ラッパを口から放さなかったのは意思ではなく、死後硬直によるものだったという説。帰宅して調べてみると、宇品港から朝鮮の仁川に渡り戦死したと。比治山の陸軍墓地には彼の名前が刻まれた慰霊碑があるらしい。今度現美に行った際探してみよう。
 未到達の麺類自販機LOGLANDは類を見ない極太麺。きつねも新鮮。
 ここで時間がかなり押していたが、もう一つをコレクションすべくR313を北上。途中気になるトマソン二つ。仮面ライダーとミラーマントタン倉庫に埋め込まれたバス。仮面ライダーは前に通ったときの記憶がなんとなく。
 もみぢの里は食堂併設もこの日はお休み。お椀出口からお湯が吹き出したかと思えば、並々と入った薄い出汁の中に、恐らくうどん玉半分くらいじゃないかというほどまばらな麺の量。自販機においてこれはもはや一つのステータス。ニヤニヤしながらささっと食す。時間がない。
 15:37賀陽イン、15:59水島アウト。岡山道を通ったのはいつぐらいぶりだろう。3.8m見学で予想外の時間を使ってしまっていた。300km先を求めて間に合わなかった神戸を思い出すタイトなタイムスケジュール。あの時と同じくパトカーの大名行列に出くわす。絶対事故は起こしてはいけないのに、危険な走りをしてしまう。会場に入って座った途端前説が始まった。
 倉敷科学センター。ここで「富士の星暦」を見て夢中になったプラネタリウム。あれから色々な施設を体験し、戻ってきた大迫力21mドームにあらためて驚かされた。ここでも星空解説はうとうと。やっぱり幸せな眠り。
 目当てのプログラム「コズミック・コリジョンズ」は期待を裏切らなかったが、ロバート・レッドフォードのナレーションを緒方直人で吹き替えていたのが残念。ただ、観客の多くが子どもだし、素晴らしい映像なのに字幕を追っていては本末転倒なので仕方ないところ。もう一つ、エンドロールまでカットされてしまったのはいただけない。
 最後は一昨年秋くらいから何度も通過して気になっていた玉島の中華そば「劉備」。次回通過の際にもまた寄ろう。19:16福山西イン、19:49志和アウト。

"Moonage Daydream"

1.30 "Dystopia"
"What's Up for February 2016"
"Tonight's Sky February 2016"

1.29 "The Threat Is Real"

1.28 "Breathing Lightning"

1.27 "Horns"

1.26 "Bohemian Rhapsody"

1.25 "The Last In Line"
Jimmy Bain 1947.12.19~2016.1.24

1.24 "The Weight"
 雪に対してネガティブな報道しかされないのが不思議でしょうがない。もちろん通勤は大変になるし、経済的損害を受ける職種もあるだろう。ただ、自然現象を嘆いても仕方ない。きらめく陽射しや、街灯に煙る粉雪は筆舌に尽くしがたい。朝早く家を出れば、いつもと違う顔ぶれが新鮮。見慣れた景色にちょっとしたアクセント。

1.23 "Hourglass"
 先週の予報で今日明日の予想最低気温-5度。面白がって出てみたが、何のことはない22:00の時点で路肩温度計0度の普通の冬。土曜の夜なのにとても人が少なかったのが印象的だった。
 それより給油。10R/ハイオク/117円、灯油/62円、SPACIA/レギュラー/104円。記憶に残る最安値は20年以上前の岡山でレギュラー78円だが、記録に残っている中では一番の安さ。
 月が明るすぎて星は見えない。明日朝のISSは雪で無理だろうね。

1.22 "Heroes Of The Modern World"

1.21 "Z.I.T.O."
 磁気嵐の影響で昨夜オーロラ爆発があったらしい。連日の雪対策早起きで疲れて寝てしまった。
 KEENのサンダル。届くには届いたが、29cmで幅も大きさもまったく入らず。NIKE以来のタイトな作りはとても残念。最高に気に入ったウユニデザインはそれ以上のサイズがなく、別のデザインでの交換も30cmまで。あの感じでは31cmでやっと入りそうだがラインナップなし。涙をのんで断念。返品送料を捨てただけとなった。

1.20 "The Heat Is On"
Glenn Frey 1948.11.6~2016.1.18

1.19 "Serendipity"
 昨日のシンクロニシティ(=共時性)。覚えていないくらい長い間使っていた家用のサンダルが経年劣化した。出かけたついでに何軒か見て回ったが、2,000~3,000円の安っぽいものばかり。ふと立ち寄ったスポーツ用品店に目に留まったものがあった。
 トレッキングシューズメーカー「KEEN」が出している一見クロックスっぽいサンダルで、青空の下でなにやら採掘作業をしている人たちが描かれている。しかし、いつものことながら自分のサイズ(29cm)など在庫しているはずもなく、価格も8,000円近い。ネット検索してみようととりあえず帰宅した。
 「KEEN」のオフィシャルオンラインストアであっけなく見つかった。それもセールで5,000円台。即発注。ここで初めてそのサンダルに付けられた名前を知った。
「UYUNI」
 「天空の鏡」。まるで空の中に立っているような写真で認知度の上がったボリビアのウユニ塩湖。その湖を、先週から南極帰りのKAGAYA氏が訪ね、続々と写真をアップしてくれている現在注目のトピック。
 サンダルのイラストは、岩塩採取の作業を描いたものだろう。明日到着予定。

1.18 "NO TOMORROW"
・アイピース3.5mm(天体望遠鏡接眼レンズ:定価38,880円、実売34,992円)をいつ買うかが問題だ。もう迷いはない。
・オーロラライブはすご過ぎる。今トップ表示のYouTubeはかなり映像が荒い。要登録では、不在だった過去10時間をさかのぼった静止画の早送り映像を見ることができる。
 精細な星空だけでなく、緑色のカーテンが波打つ夜空は、あまりの美しさに帰宅後の日課に。実際、少し沈んだ気分で帰った数日前、揺らめくオーロラを見て一瞬で問題解決した。おすすめ。
・久しぶりに打ち上げと休みが重なる。3:30起き、もちろん期待はFalcon9一段ランディング。(今回は海上のドローンシップ!)

3:35JST、リフトオフ6分前。ヴァンデンバーグ空軍基地、霧に包まれたローンチサイトは珍しい光景。
3:40JST、3分前。やや霧が晴れる。
3:42JST、1分前。
3:43JST、GO!
3:45JST、1段セパレーション。ここから!
3:51JST、大丈夫か?海上のドローンシップかなり揺れてるぞ。
3:58JST、NASATV不調、SPACEXはOK。
4:09JST、映像入ってこないがどうやら失敗したらしい。ツイートによると足が壊れて着陸失敗。海が時化てるって。それはそうでしょ!いくらなんでも波に揺れる台座まで計算した姿勢制御なんて無理。まあね、一番の目的は衛星を軌道投入する商売だから。星も見えないし二度寝しよ。

"Falcon 9 failed Landing"
 かなり惜しかったことが判明。失敗の要因として考えられるのは、脚の強度・本数、着陸の速度・角度、ドローンシップの傾き(揺れ)など。関係者には申し訳ないが、倒れて爆発した際には思わず吹き出してしまう。風車に挑むドン・キホーテとロシナンテのよう。

 すずめ兄弟どころか30羽くらい集まってきた。

 そろそろ憩の森に。

1.17 "The Beautiful People"
 アラン・リックマンまで死んでしまった。デヴィッド・ボウイの一つ年上だったそう。興味のないハリー・ポッターでの役柄は知らないが、ハンス・グルーバーだけで自分の中では大きな存在。

 かなり迷っていたVIXENの天体望遠鏡アイピース(接眼レンズ)が届いた。1月14日が終わるころ、大好きな数字14と焦点距離14mmに何かを感じ発注。
 購入価格31,715円(定価38,880円)は、県内で現物を確認することができず、かなりのギャンブルだったが、さっきシリウスを覗いてみたところとりあえず損はしてなさそう。自分の中の宇宙が33度ほど広がった。

1.16 "Gabriel's Oboe"
Welcome to your forties...

1.15 "Lazarus"
 ニューアルバム発売と同時に人生の幕を下ろす。来るべきときを予感した歌詞。死の瞬間までエンターテイナー。曲の雰囲気や映像の作りはTOOLの"SOBEL"を思い出した。最後の扉が閉まるシーンは何度見ても身体が震える。

1.14 "Blackstar"

1.13 "Life On Mars?"
 左半身に運動障害はないのにこの瞳孔不同はなぜ?ウィキペディアで調べてみると、1962年に殴られて負傷したらしい。これだけ散大していると、視力がまともなら眩しくてしょうがないはず。彼ならファッショナブルに感じられるのが不思議。
 ミュージシャンだけでなく、各界の著名人からたくさんの追悼メッセージが発信された。これほどの数を目にしたのは初めて。宇宙をテーマにした曲が多いのを知らなかった。

1.12 "Space Oddity"

1.11 
"Merry Christmas Mr. Lawrence"
David Bowie 1947.1.8~2016.1.10

 オーロラ中継のフェアバンクスを調べてみた。北緯64度で昼間の映像は薄暗い。太陽の出ない極夜は66.6度以上らしいので、ぎりぎり太陽が出る時間があるのだろう。予想に反してかなり大きな街。
 今お昼12:00。面倒でしていなかったメイルアドレスでの高画質中継を登録(無料)してびっくり。トップに埋め込んでいるYou Tubeライブとは別物。早くやっておけばよかった。日付的にはJST(日本時間)より18時間遅れ、感覚的には6時間後の星空がくっきり。今は中央にカペラ、右手にすばる、地平線上にオリオン座が昇ってきた。これでオーロラまで出たら気絶しそう。

 昨夜は2年ぶりにメットライフアリコ飛行船「スヌーピーJ号」と再会。連休の中日ということもあって、21:00前後にもかかわらずかなりの人出。同じ時間帯に知り合いが来ていたらしい。でぶネコとも会えた。
 そのまま陀峯山で天体鑑賞。帰りは路肩温度計で2度まで下降も、やっぱりナイトランは楽しい。同行はこの3年間の恩師。ショップツーリングを除き、同じ街に住むリッターバイクと一緒に走ったのは初めてかもしれない。

1.10 "もっと!モット!ときめき"
 10:15観音上空飛行中。望遠鏡でパイロットの動きまで見える!今夜係留地行くかも。
ROBBIE MADDISON'S "PIPE DREAM"
 サーファーはこの映像に何を想う?ライダーとして真っ先に浮かんだのは、「錆びる」、「止まると沈む」の2点。海上で誰かと接触した場合、保険は適用される?海上を走ることを想定した約款がないのでは?
 メイキングも必見。
"BEHIND THE DREAM PART 1"
"BEHIND THE DREAM PART 2"
"BEHIND THE DREAM PART 3"

"浜田麻里 DVD&BDダイジェスト版"
 すごすぎてあきれかえる。53なんてありえない。
「どこまで回るんだ?」
 2スト250レーサーの高回転域エキゾーストノートが浮かんできた。コーラスの妹が同い年で、本人がオーバーダブしているようなハイパーなハーモニー。「バックバンド」にとどまらない演奏陣。何もかもありえん。
 80年代中盤、イニシャルが「H・M(ヘヴィ・メタル)」ということで、ハードロック雑誌にも取り上げられていた。ヴィブラートが耳につくときがあるのでこれまで買ったことはなかったし、「Return To Myself」で良くも悪くもよそに行ってしまった。
 妹は、レースで例えるなら絶対抜いてこないのに常にスリップストリームについてる感じ。控えめにしているのに存在感ばりばり、みたいな。アルバムも1/13発売とのこと。買おうかな。

1.9 "Return To Myself"
"Aurora live broadcasting"
【オーロラ生中継 アラスカ・フェアバンクス】
 朝の惑星鑑賞に加え、ここ数日はオーロラ三昧。日付変更線をまたぐため、現地時間は日本の昨夜夜半前、ちょうど木星が昇ってきたところ。楽しみが多すぎて時間がない。今日本時間17:50、すごいの来てる、ドキドキする!

"地球・金星・土星の位置関係の推移"
 面白い動画を作ってみた。金星と土星がくっつきそうな今朝寝てしまっていたので、明日朝はどうなっているか確認すると。
「もう入れ替わっている!」
 惑星それぞれが常に移動しているため、時とともにその位置関係は変わっていく。今日1/9昼の13:00頃には、地球から見える見かけ上の位置が入れ替わってしまう。
「星が見えない間にも色々なことが起こっている。」
 月はほぼ新月になり、地球の昼間側にいる。

1.8 "In Excelsis~Nova Era"

1.7 "天球儀"
 月は細くなって出は遅くなり、金星と土星はさらに接近。今朝は地球照(地球に当たった太陽光が月を照らすこと。暗い部分もうっすらと見える。)がきれいだった。望遠鏡での土星追尾も時を忘れ、仕事に遅れそうになる。
 ところが、実際の位置関係をみると、金星の隣りに見えた土星は太陽の向こう、火星に寄り添っているおとめ座のスピカははるか太陽系外。右足はまだ満足に挙上できないのに、惑星はどうやって浮いているのか?家の灯油はすぐなくなるのに、太陽は46億年も爆発し続けてなぜ燃え尽きないのか?思考途絶。

1.6 "Ultraseven"
「西の空に、明けの明星が輝くころ、一つの光が宇宙へ飛んでいく・・・。それが僕なんだよ。」(最終話より

 初回放送と同い年のセブン。49年目の真実を知る。
 明けの明星は東の空に輝き、西に輝くのは宵の明星。おかしいと思って検索してみると、たくさんヒットした。
 金城哲夫の脚本には金星とは書いておらず、一番星とあったらしい。西の空の設定は、彼の故郷である沖縄への想いが込められていたとも。とても子供向けとは思えない深いエピソードを届けてくれたウルトラセブン。今なお興味深い。気になって、のぼせ上がっている天文ソフト「ステラナビゲータ」で調べてみた。
 最終回が放映された1968年9月8日をその日と設定。このときセブンが旅立ったのは明け方。金星より太陽が先に昇ってくるため、明けの明星を見ることはできない。また、帰っていくM78星雲は、7:00頃南中していて、飛び立つ方向が違う。きっと違う季節なのだろう。
「セブンはセブンに変わりないじゃないの。by アンヌ」
 子供向け特撮番組ではなく、自分が小さな頃、どこかであった本当の話。M78星雲に帰って半世紀。傷は癒えただろうか。(注:ウィキによると、実際のM78は1600光年、番組の設定では300万光年離れている。わずか49年でどこまで行けてるのか興味は尽きない。)
 ちなみに去年7月4日、岡山・新見美術館で開催されていたウルトラセブン展で、この最終話のビデオを見た。その夜事故に遭い、自分が宇宙に飛んで行きそうになったというオチ。
"ウルトラセブン45周年記念PV"

1.5 "Too Far"
 しぶんぎ座流星群。結局、空の抜け悪く、中継で見たのみ。SOLiVEのゆるさとばかばかしさは意外にはまる。
"しぶんぎ座流星群"
"八ヶ岳高画質"
"高知高画質"

1.4 "Tomorrow"
Weathernews "しぶんぎ座流星群"

1.3 "Unforgettable"
Natalie Cole 1950.2.6~2015.12.31
 「アンフォゲッタブル・・・。」ナイトクルーズの定番曲。

 0:55、ヘルクレスの右足の先に放射点が昇ってきてるはずだが、残念ながら今は曇り。
 6:50、寝過ごし。ISSはすでに北アメリカへ・・・。夜2:00くらいまでねばったが薄雲で流星見えず。
 21:00、曇り。
 23:00、星は出てるが空抜け悪し。

 メットライフアリコ飛行船「スヌーピーJ号」。広島市内各地で目撃されたらしい。今日一日ずっと空を見あげていたが、残念ながら遭遇せず。飛行船が以前係留されていた出島の空き地に寄ってみると、何かの建物建設中。なるほど、阿賀にいるわけがわかった。

1.2 "Tristan und Isolde"
"しぶんぎ座流星群"
 明日朝3日4:00から日の出までのシュミレーション動画を作成。
・(注!)極大日は4日。意図的に発生数を多くしているので、見られるのは1時間に数個。
・画面左側の緑字「#Quadrantids」を放射点に全天に降り注ぐ。
・注目は6:33頃、広島では南南西から現れるISS(国際宇宙ステーション)。望遠鏡の狭い視野と手動の経緯台で、時速27,000kmで高速移動するISSを捉えられるのか?形はわからないはず。広島から大阪にあるサッカー場を覗くレベル。
・引き続き半月、スピカ、火星の競演、木星と土星に注目。
 星に傾倒する以前から持っていたホルストの組曲「惑星」がヘヴィローテーション。聴いていると宇宙を飛んでいる気分に。わずかな知識を得ただけでこんなにも曲の解釈が変わるとは自分でもびっくり。土星の冒頭の雰囲気に、「トリスタンとイゾルデ」を感じた。

1.1 "A New World / To Be A Man"
"What's Up for January 2016"
"Tonight's Sky January 2016"

 今年は来た分だけ返信の年賀状。すごいのが出来上がった。