2013
12.30 "If You Were In Love"
 スペーシア搭載のサブウーファーアンプ。左リヤシートの下に何の固定もなく置いていたが、シート下側のウレタンに密着してかなりの熱を持つ。発火こそしないだろうが、なんとなく心配。ということで運転席の下に移設。2本のパイプとの間に薄いウレタンかましてインシュロックで吊る感じ。これにより配線取り回しが合理的になり、なにより股の間からシート下に手を突っ込むと、アンプ本体のレベル調整が可能になった。
 これは画期的。全体のレベルはヘッドユニットでも調整可能だが、ブースト、周波数レベルはアンプ本体でしか操作できない。ソースによっては中低音が耳障りなときもあるし、クラシックや池田綾子聴くとき低音ドコドコ要らないもんね。さらに冬はシート下が暖かくなるし、夏は冷房があたるのでクーリングになる。これで一応の環境整備は整った。あとはどこへ行くか!


12.29 "SORA"
墓参り~1分の再会(広島駅)~宮島SA33
 ゲストハウスでの1分の出会いに続き、今日は1分の再会。鹿児島の友人が27日からしまなみサイクリングに来ていた。追撃も考えたが結局タイミングが合わず。最終日の今日、福山から新幹線に乗るというので、顔だけ見ようと広島駅へ。停車時間は1分。無事再会を果たし、手土産を渡す。前回会ったのは、

2009.11.7-9
Minorist黒島~うすき竹宵~宗太郎駅~宮崎・リトルクラフト~佐多岬~国分

「4年前の国分・・・、浜勝だ。」

 年末で混雑している広島駅、しまなみサイクリング、鹿児島中央駅行き「さくら」。鹿児島には先月行ったし、なんとなく旅をしている気分に。そういえば、ちょうど種子島HOPE滞在中「今年もバルーン?」と、メールくれたのは鹿児島の二人だった。メールや電話では得られない貴重な1分。4年がリセットされることに十分な価値あり。

 宮島SA33で10Rを締めた。去年36回出撃、介護ストレスもありかなりの回数と思っていたが、今年も33回とさほど変わりない。
 スタートから帰宅まで34.7kmが10月以降34.1kmに。SAアクセス道路の整備によるものと考えられるが、600mも短縮してるとは思えない。タイヤ交換も関係ありか?
 中を取ってざっくり計算すると、34.4km、33回で1,125km。メンタル維持に必要なこの距離、果たして多いのか、少ないのか・・・。
 時間、曜日、季節で色々な表情を見せてくれるSA。これからもお世話になります。


12.28 自転車で転倒
 通勤途中自転車でこけた。記憶をたどってみると、比治山で車道から歩道への段差を、斜めにフロントアップして上がろうとして引っ掛かって大転倒。20年前くらい?それ以来。
 場所は踏切を渡りきった緩やかな下りスロープ。確かに寒かったが、決して白くなってたわけではなく、いきなりのフロントスリップダウンはまったくの想定外。注意喚起を促す、黄色に白のゼブラの路面塗装が、実は凍りやすく滑りやすいという残念な場所。しかし・・・。
 スリップした瞬間迷いもなく自転車を捨て、自分は膝すらつかず何事もなく回避。
「我ながら素晴らしい身体能力!」
 雪中トレックでは、下りのフロントごけは日常。それ込みでしっかりとプロテクターもしている。
「これぞスノーライドの成果!」
 ただね、アイスバーンでこけると、バイクと一緒の転倒は回避できても、身体一つ、滑って素でこけるというオチがもれなくついてくる。


12.27 津和野は吉和で積雪断念~大竹シシリー~廿日市モーツァルト~弁慶まる
 一度津和野に向かったが、吉和の最高所松ノ木峠手前で、フロントスポイラーが雪をラッセルし始めたので断念。ノーマルタイヤ、低い車高と、ジムニーと比較するのはかわいそうというもの。でも離合で吹きだまりに逃げた際問題なく脱出でき、4WDのメリットはある程度実感できた。
 反転、大竹でランチ、廿日市モーツァルト工場でザッハ・トルテ、最後は弁慶まるでお好み。山から海、雪から晴れ、そして雨。盛りだくさんなロケーションを満喫した一日。


12.26 湯来・雲出トンネル
 天候不良と軽度体調不良で大分はまたの機会に。午後からスペーシアで、湯来温泉とR488の偵察に出た。雲出トンネルというのは冬期通行止の起点。抜けるともみの木。
 いつも通りトンネル前で通行止め。すぐ目の前にある路肩温度計は4度を表示。除雪により路面に雪はないが、路肩にはけっこう残っている。今、車内での音楽鑑賞は至福のとき。BOSTONから池田綾子、AT THE GATESからIn Flamesで2時間以上が経ち、温泉に入ることなく帰路に。ジムニーの時こんなことはなく、新たな気分転換ツールを手に入れた感じ。温度計は2度まで下がっていた。名物の皆様方(かかし)は、小雨降る中いつものように川を眺めていた。
 明日はトリッカーで今度こそ湯来温泉〜R488スノーライド、もしくは路面しだいで津和野「ポンム・スフレ」改め、「ピノ・ロッソ」かな。
 ジムニーの燃費が下2桁まで2012年度とまったく一緒なのにびっくり。モンキーは結局修理出来ず。3月までに治したい。
 Facebookを一時利用停止に。空いた時間を有効利用しなくては。

※そうだ!ジムニー。最後EMPTYまで使い切り(おそらく残10Lくらい)そのままディーラーに渡したので30Lくらい計算に入ってない!でも今現物あっても使用量推測。廃車にするのに満タンはないしね。とにかく15年間感謝!


12.24 "Angels We Have Heard on High"
2013年のすべてに感謝!
 見れば見るほどすごい動画!クワイア、カメラアングルもさることながら、もっとも感心したのはピアノの上で叩いている太鼓の絵。
スネアドラム(いわゆる小太鼓)は、裏側に細い鎖の帯が張ってあり、それが共鳴してシャカシャカという音を出している。ほかのタムとは決定的に違うポイント。紙を叩く音、スネアに聴こえるもん。実際の録音がどういう形がわからないけど、映像エンターテイメントとしては最高!いいもの見せてもらった。

"Someday"
 Facebookに下記投稿。しばらくお休み。パソコンつけると際限なく遊んでしまうからね。ここは今までどおりで。
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「Life, Love & Hope」
 さて、国家資格取得のため、Facebookは1年間お休みします。(年内限りで一時、利用停止。)ネット時間短縮の自粛予防的措置。プライベートは引き続き旅三昧。
「自分に起こるすべての事象は、旅するためにあり。」
 マイサイト「AiR:」は更新継続。リアルで交流のある方々とはこれまでどおり変わらずに。
「それではみなさんごきげんよう。良い旅を!!!」
課題:四つのきまり
・一つ、(島で)手にはいるもので、くらして行く。
・二つ、できない相談をいわないこと。
・三つ、規律正しい生活をすること。
・四つ、愉快な生活を心がけること。
須川邦彦「
無人島に生きる十六人」より。
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 今日3回目の更新。
"Master of Puppets"
フランス国家「ラ・マルセイエーズ」からのイントロは鳥肌もの。
 年内の更新継続ということで、2013最終計画。
「人生相談 & 無明橋ナイト!!!」
 5月、行橋の道端で出会ったうちのじいさんと同い年の道祖神。その奥にさびれた金比羅神社あり。秋くらいからどうしても会いたく、ついにプランニング。来年の展開など少し相談に乗ってもらおう。
 もう一つは、5年がかり、3度目の正直の無明橋ナイト。前回、社前でテントを張るスペースは確認済みだが、面倒なので冬シュラフオンリー(-20℃まで対応)。ガソリンストーブとペットボトル湯たんぽ駆使し、おそらく氷点下の星空に挑む。ワイン必須!
 いつもならトリッカー整備開始!といきたいところだが今回はスペーシア。もちろん寒さ対策ではなく、積載量の問題と、音にあふれたいのが理由。仕事終わって3日がかりで施行したドアデッドニング。ジムニーから流用した20cmサブウーファー2発。重低音爆裂サウンドに溺れる2日間。あとは別府で温泉以外、いつものノープラン。


12.22 "路面電車に乗れば"
Winter Solstice...
 毎年恒例、冬至のことについて書こうと思ったが、たった今とても嬉しいことがあったのでそちらを。
 宮島SA32から帰宅しバイクを片付けていると、家の前の真っ暗な細い路地から、地図を持ったバックパッカーが現れた。すぐにピンときて、道を尋ねようとする彼より先に声を掛けた。
「ゲストハウス?」
 半年くらい前、家の近所にゲストハウスがあることを知った。ゲストハウスとは、安く素泊まりできる宿のことで、個人経営のユースホステルのような感じ。安いので外国人も多くとてもグローバル。千葉から来たというその若者は、昨日関西、今日明日と広島をまわるという。
「素晴らしい!」
 案内するたった1分の間、人生レベルで二度と起こることのない点としての出会いを感じていた。
「良い旅を!」
 そういえば、昔はバイクで追い抜いた、明らかに旅人とわかるチャリダーを捕まえてコーヒーを渡したりしていたが、最近やってないな。お好み焼きのことを聞かれたのでおごってやればよかった。少し後悔。旅の記憶は、旅人から旅人へ連鎖する。かつて自分がしてもらったように・・・。
 近所のゲストハウス。一度泊まってみようかな。(笑)

 さて、3日前にも書いたとおり、冬至は今日の深夜2:11。今この瞬間も、少しずつ日が長くなっているというHOPE!


12.19
 (まったくの想定外。事前に確認する努力はしたが、「大丈夫だろう。」と、推測のみで安心しきっていた。自分の中でまだ整理できてないのを実感。)

 昨夜、気分転換に車内で音楽でも聴こうといつもの場所に出た。ついさっき目が覚め、時計を見ると5:57。もう通勤の車がたくさん走ってる。近所で車中泊とは・・・。疲労、不穏継続中。

 寒さでふさぎがちになるこの時期、毎年書いているのが冬至。個人的にはクリスマスよりも大事。正確には12.22深夜2:11を折り返しとして日が長くなる。寒さは増しても、心のよりどころとなるHOPE!

 今日は心待ちにしていたボストンの"LIFE, LOVE & HOPE"が届くぞ。

「届いた!」

BOSTON "LIFE, LOVE & HOPE"
 人生トップ3に入るフェイバリットバンドの6th。クオリティの高い日本盤発売を待った。前にも書いたが、1976年デビュー、11年ぶりの6作目(37年間で!)。アマゾンには多数の酷評がありかなり不安だったが、杞憂に終わった。素晴らしい出会い!タイトルからして少し元気が出た。そして。
 スペーシア。アンプ、ウーファー取り付け完了。ジムニーならバッテリー近くにグロメットがあり、簡単に車内にバッ直引けたが、この車はエンジンの裏に穴があり利用できず。車内のその場所も中からはまったく見えず。ネット情報よりサイドフェンダー内を通し、左フロントタイヤ上のカバーを引っぺがし、小さな穴をさかのぼらせて引き入れるという超面倒なプロセスを経て無事通電。やはり肌で感じる低音は別物!今日これからも忙しいが、1時間弱ほど車で出て、大音量で聴いてこよう。


12.8-11 姫路城(動物園)~オテル・ド・摩耶2~北野~元町~ルミナリエ2
 8日の夕から、日が変わった11日の深夜まで実質2泊の行程。
 改修中の姫路城。「天空の白鷺」と銘打ち、仮設の囲いからの見学をアピールしていた。前回訪れたのは小学校高学年頃。ほぼ初めてといってもいい。それほど期待していなかったが、とても良いものを見せてもらった。あのアングルから見ることは残りの人生では無理。
 敷地内にあるおまけのような市立動物園はかなり良かった。定番の動物は押さえている上、200円とハイコストパフォーマンス。
 オテル・ド・摩耶は5年ぶり2回目。賑わっていた前回と比べ、やや寂れた感あり。すぐ下に遺構の聖地の一つ「摩耶観」がある。神戸の夜景を見下ろすジャグジーは前回に続きあいにくの天候。日帰りプランもあり要リピート。
 北野は初めて。月曜日にもかかわらずそこそこ賑わっていた。 元町に下り、老舗の洋食屋「伊藤グリル」に。良いお値段のハンバーグはもちろん美味。
 食後は元町ケーキの人気メニュー「ざくろ」。元町、三宮を歩いていると、そこかしこからハングル、中国語が聞こえてくる。
 最後は14年ぶりのルミナリエ。前回は三宮大丸内にすし詰めとなり点灯の瞬間を見れず。早めにスタンバイし、無事目的を果たした。

 もう一つの目的でもあったスペーシアの慣らし。300km強からスタートし、帰宅時1,030km。初回点検とオイル交換を終えれば気持ち的に終了。燃費は抑え目の今の運転で20km/L前後出ており、たった27Lのタンクでの航続距離は余裕の400km超。40L満タン、リッター10km/L程度のジムニーでは無理な数字。ただエンブレはローレンジしかなく、慣らし3,000rpm以下キープでは六甲の下りはとてもきつかった。
 ドアデッドニングは出発前に完了。夕方から地道に作業し、3日かかった。結局、フロント出力にドアミッド、リヤ出力にフロントツイーター単体で接続し、簡易マルチシステム構築。満足のいく音響が整った。バッテリー直の車内引き入れルートが見つかっていないため、ウーファーはまだ。


12.2
 すでに3日前アマゾンから届いていたアルパインのCDヘッドユニット。昨日の休みを利用してインストールした。
 初めて取り付けたカーオーディオは初代ジムニー。確かソニーのカセットデッキで、当時もうCDは存在していたが、まだカセットにダビングして聴いていた。スピーカーは天井に渡した突っ張りラックに吊るしたBOSEの111AD。20年以上経過した今も部屋で使用中。
 2代目ジムニーにつけたのはつい先日まで使っていたアルパインのCDヘッドユニット。15年の使用で本体のCDは壊れていたが、チェンジャーのため特に問題なし。同メーカーで統一したフロント2ウェイ、リヤ3ウェイの4スピーカーと、20cmウーファー2発を積んだ激メタル仕様だった。
 車内というのは唯一の爆音空間。ジムニーという音響的には劣悪な環境の中ではあるが、大切なリラクゼーション空間の一つ。そして今回選んだのもアルパインの1DINヘッドユニット。選択にあたり、驚くことがたくさんあった。
 まずメーカーの選択肢が少ない。パイオニア(カロッツェリア)、ケンウッド、アルパインくらい。佐賀バルーンのメインスポンサーで、馴染みのあるパイオニアは残念ながらすぐに除外、最初はケンウッドも考えたが、メーカーステータスと操作の慣れもありアルパイン上位機種に決定。価格は定価18,000円の14,000円購入。前のが50,000円近くしたことを考えると信じられない。
 グレードはどのメーカーも3種類程度、アルパインにいたってはエントリーモデルと上位機種の2種類しかない。2DINナビ全盛の今、1DINオーディオは需要が少ないのだろう。
 次に驚いたのはファイル形式。メカニカルなチェンジャーとは大違い。音質が落ちるという固定観念は拭いきれないが、色々調べたあげくMP3の320kbpsでエンコード。結局雑音の多い車内だし、聴き分けることは不可能と判断。一緒に買った16GB/USBフラッシュメモリには約1,600曲入る。今や当たり前の常識なんだろうが、「壊れるまで使う。」というスタンスゆえ浦島太郎状態。
 とりあえずフロントスピーカーは標準装備のを使い、リヤはBOSEをつなげてテスト。オーディオレスで納車したため、センターコンソールにはパネル盤のみ、音のない世界が続いていたため、とても嬉しい。音楽って素晴らしい。
 今後は慣らし終了後ドアにデッドニング施し、フロント2ウェイ上位スピーカー、車内にバッテリー直取り入れ、以前のウーファー流用。やっぱり低音がないとスカスカで寂しい。

「セルモーターの耐久性は?バッテリー上がりは?」
 アイドリングストップと、その間の電気消費にいまだ慣れず。オーディオのACCが二又だったので、10Rのチェック用に買っていたデジタル電圧計をつなげてみた。
「・・・。」
 もちろん問題なし。ここでも浦島太郎。

 慣らしの必要性は色々言われているが、気持ち的に初回点検、1,000kmオイル交換までは3,000回転以下キープ。エンジン停止時エコ運転の評価が出るが、毎回100点連発。その反動からか10R開け気味。慣らし終わったら50点以下落第間違いない・・・。

11

11.29
 写真は先週の庄原イルミ。撮り終わったと勘違いして三脚を動かすと、まだシャッターが開いていた。意図しない銀河・・・。


11.22 LONG WAY HOME~AiR: "14th"
 今日で丸14年満了、明日より15年目。来年が2014年、メインで使っているアカウントがドイツ語で14。14づくしのアニバーサリー。
 ここに書き残している文章は数年後の自分に宛てたもの。すでに確立され、変わらないものと思っていた考え方が、良くも悪くも、加齢により少しずつ変化してきているのを感じる。1年後にどう変っているか?楽しみでもあり、また、恐ろしくもある。


11.21 "ふたつの街で"
国営備北丘陵公園・Winter Illumination
 今日行っとかないともう雪。迷ったあげく10Rでスタート。キレイなイルミネーションと幸せそうなカップルの中、ひとり、焚き火を見続けていた。パチパチと弾ける火の粉を見ていると、心がニュートラルに。暑くも寒くもない秋の日のような。種子島で感じた新しい気持ちを思い出していた。
 旅の基本は、同じ場所に行くなら行ったことがない場所を優先。しかし、阿波踊り、佐賀、津和野、そして種子島と、再訪する幸せもある。
「またこの焚き火の前にいる。無事一年が過ぎた。」
 「迷ったときは行くな!」が鉄則。でも来てよかった。去年とまったく同じシチュエーションの中、いつまでも炎を見つめていた。帰りの気温2度!

 そういえば、
「何年も焚き火してないな。」
 20年以上前、山から取ってきて割った薪が、乾きに乾いて自宅裏に積んである。でも、空気も乾燥しているし、安全に火を扱える場所はなかなかない。
 細い枝で火をつつきながら、酒を酌み交わしながら、無言の会話を楽しみたいねぇ、ネモトくん。


11.20 "Holy & Bright"
 SA帰りの西広島バイパス気温5度。はたから見れば物好きな寒空に、自分の季節が来たと錯覚する幸せ・・・。

 写真は種子島最終日。県道ショートカットの広域農道。八重山の小浜島を思い出した景色。キビ畑のシンメトリー。


11.17
ひろしま美術館「オランダ・ハーグ派展
広島県立美術館「シャガール展
広島市現代美術館「フランシス・アリス展

 一度やってみたかった広島の三大美術館を一日ではしご。天気が曖昧な日に最適。行く順番にも意味あり。
 音、匂い、温度を感じたハーグ派展。ひと目見ただけでわかるシャガールの色彩。わからないことを楽しむ現美。寝転がってみるビデオ作品には驚いた。いつもながら会場レイアウト、展示方法が面白い。作ってる方も楽しいだろうね。


11.15
 先日の種子島の記は、11月の時系列に組み込んだのと、去年のとひっくるめて6年ぶりに上記カテゴリーリンクに追加。
 トップ写真はあの三叉路。右手奥の坂を登った先にある集落まで押し、トラックで連れて行かれた。自分にとっての一大観光地。


11.13 "The Call"
 鳥肌もん。ロイヤルアルバートホール、コロッセオ、お城などなど。ヨーロッパのアーティストの会場はいつも半端ない。冒頭のペガサス、女神の石像だけで写真何百枚も撮れそう。いや、像の持つ個性に負け、たぶん撮らされる。
 体格の良いクロエのダンスと、相反するフェアリーヴォイス。そして壮大なクワイア。いつかその場で聴きたいな。

パワーズコート(英:Powerscourt Estate)はアイルランド共和国ウィックロー州エニスケリー近くにある、旧パワーズコート子爵の屋敷と庭園である。きれいな庭園が存在し、日本語では単にパワーズコートと記載されることが多い。現在、47エーカー(18.8ヘクタール)の面積がある。建物は元々13世紀の城でドイツの建築家、リヒャルト・カッセルスにより18世紀に大きく改築された。建築は1731年に始まり1741年に完成した。1974年の火災で、建物の土台のみを残して焼失したが、1996年に再建された。
 パワーズコートは今日では、有名な観光名所であり、ゴルフコースやアヴォカ手織工場社(Avoca Handweavers)のレストランやリッツ・カールトンのホテルもある。



 昨日数時間だけ再会した弟。毎年夏に帰ってくるが、ほとんど話すことがない。ところが、わずか3ヶ月の違いで新車購入した同じジムニーが、つい最近寿命をむかえ、先週新たにワゴンRの中古を成約したとのこと。
 兄弟って面白いね。弟のジムニーは通勤メインで15年12万キロ。お互い時が来ていたということだ。



 夏前に同僚になり、9月、体調不良により退職した友人。(現在は回復)とても短い期間だったが、同い年と言うこともあり話が合った。メールのやり取りは続いており、先ほど衝撃の事実が。
 もう25年以上前、こちらが学生時代、わずか数キロの、同じ飯田橋駅周辺で働いていたらしい!

「飯田橋駅ですれ違っていたかも。」
「神楽坂のマックで隣りの席にいたかも。」

「初めまして!」」
 実はそうじゃなかったりして。至近距離で過ごした若き日々と、四半世紀後の再会?出会いって本当に面白い!



 母親の残念度が増えてきた。今神戸からの新幹線の中。電話は17:53「今動き出した」と言う報告。母曰く、ジパングクラブと言う高齢者対象の割引に入っていて、のぞみだと割高になるらしい。時刻表を見てみるとなんと「こだま」で広島駅到着は20:45!
「ありえん!」
 すぐにその前後を見てみると、わずか20分待てば19:21広島着の「みずほ」が。1時間24分も早い。普通の人ならともかく81のばあさんの一人旅。疲労度が上がるのは間違いない。
 で、今また電話あり。「岡山を出たと」。また見てみると、岡山で19:13の「さくら」に乗り換えれば、今乗ってる「こだま」より50分も早く着く。

「残念すぎる。また発車後!早く気付いて電話すればよかった。後悔!」

 これで帰ってきたら怒ってしまい。二人とも疲弊する。

「残念すぎる・・・。ケルティック・ウーマンで心を静めよう。」
「そして、笑顔で迎えに行こう!」


11.12
 伯父が亡くなり急遽休みを取り神戸へ。新幹線に乗るのは久しぶり。移動の概念は10R自走しかないため、広島〜新神戸間1時間9分はカルチャーショック。昔は2時間かかったのに。ほんとに300km出てるんだね。
 明日の葬儀のため母親だけ神戸に残り、まったく同じ20:22新戸発のぞみで弟は千葉、こちらは広島へ。今この時間はもうお互い1,000km離れた場所にいる。すごい。
 自分を中心とした伯父・伯母はこれですべて故人となり、両親世代で残っているのは母だけになってしまった。

※今日夕方、うちのホットメールアドレスから変なメール行ってる人がいたら無視してね。その時間PC 立ち上げてないし、表示名アルファベットフルネームだから。


11.11 http://youtu.be/hthTuOIsbhQ
熊野・筆の里工房「棟方志功と熊野筆」
 可部くんから貰った招待券は今日まで。軽い気持ちで出かけたが、期待以上に面白かった。しかしトピックはレストラン。ケーキセットを注文し、何があるかと尋ねると、「安納芋」のパウンドケーキだけだと。
「それで良いです!一週間前、その安納(種子島)にいました!」
 遠くから帰ったときよくあるうれしい連鎖。コーヒーもすごくおいしかった。
 筆の里工房、次回はさらに期待大。もっとも好きなジブリ作品はトトロとラピュタ。
H26/1/23(木)〜3/9(日)
日本アニメーション美術の創造者 山本二三展
〜天空の城ラピュタ、火垂るの墓、時をかける少女〜
スタジオジブリが制作したアニメーションの背景画を手掛けた美術監督。


11.10
 サンデーモーニング。張本の今日のパートナーは石井一久。日本シリーズ第6戦で160球投げたマー君の最終戦起用について張本。
「ぼくなら使いませんね。ピッチャーは壊れたらおしまいですからね。」
 同感。で、石井。
「ぼくなら断りますね!」
 久々にテレビを見て声を出して笑ってしまった。さすが石井。彼に「あっぱれ!」(笑)


11.8 "Nova Era"
"My 4WD Days..." #7
 スズキ "Spacia" フルタイム4WD、ついに納車。正直なところ、寂しさ8割うれしさ2割。本当に人生レベルで大きなものを失った気がする。何はともあれ、マイ4WDデイズ、シーズン3スタート。


11.7
 これから洗車。島での潮風と鹿児島での火山灰、宇宙センターで付けられた鳥の糞。洗い流すのは少し寂しい気も。終了後乾燥目的のSAへ。

 帰宅。気温12度、まだまだ暖かい。島を発つ前夜にビーチで見た星空は、今見てきた空とはまったく違う空。ちょっぴりアイランド・シック。


"Re:HOPE"

2013 11.2-6
Day1
・19時過ぎまでハードワーク、終わる寸前まで気が抜けず。

・23:39、自宅スタート。23:54、廿日市ICイン。Day1といってもスタート後21分だけ。日付はすぐに11.3に。出発前、福岡・古賀SAあたりでの雨予測も、いきなり岩国で小雨がぱらつく。そのまま走っても問題なかったが、玖珂PAでレインウェア着用。2~3時間後には必ず着ることになるから。

Day2
・3:44、古賀SAで1回目の給油。建物に入る前には降っていなかったが、休憩して外に出てみると雨。
「気象予報士か?」
 笑ってしまった。
・宮原SA以降はさすがに疲れが出て記憶がない区間が。2回ほど2輪駐車場でヘルメットも脱がず、タンクバッグに突っ伏して寝た。どこのPAだったかも覚えてない。
・えびのあたりで夜が明ける。暗い時間の内に向いた思考から、見え始めた景色に気持ちが切り替わる瞬間が好き。古賀以降降り続く雨は、強くもなく弱くもなく。霧に煙る山なみは深山幽谷。これもまたよし。少しスピードアップ。
・7:13、鹿児島本線アウト。7:29、港近くの天保山で給油、船内で摂る朝食を買う。出港は8:40。車輌積込みは1時間前の7:40から。で、到着は7:45。600km走って+5分の誤差は、いつもながら苦笑。最高に合理的ともいう。
 向かいにはマリックスライン・クイーンコーラル、Aライン・フェリーきかい(喜界)。島旅の聖地!
・8:40、フェリーで錦江湾を南下するのはこれで6回目。そんなことよりzzz...。

 12:10、種子島・西之表港。天候・小雨。2等客室で再びレインウェアを着用するも・・・。
「暑い!」
 気温は23度だが、それ以上に蒸す。何よりナイトライド仕様のため厚着。脱いでも積むとこなし。現地の気温は事前にチェックしていたが、行き帰りの防寒を優先する必要があった。
 下船してすぐに立ち寄ったのは・・・、
「1543年、鉄砲伝来。」
 はるか30年以上昔、中学の日本史で習った年号の中で今も覚えているものの一つ。「種子島開発総合センター(鉄砲館)」は、前回トラブルがなければ、やはり寄るつもりだった。入った時点で他の入館者はなし。床やら天井やらシミで汚れており、かなりくたびれた感じ。
「ささっと見てお昼ご飯に・・・。」
 前半は予想通り。紹介ビデオは現在主流の液晶モニターはなく、古いプロジェクションモニター。それも壊れて映らないものもいくつか。しかし、祭りのビデオから状況は変わり始める。
「深川のめん踊。」
 鹿児島の離島には、それぞれの島で独自の発展をした神と祭りがある。トカラ・悪石島の仮面神「ボゼ」などはその最たるもの。一度見たら忘れないビジュアルと強力な個性は、恐れ多くも、その存在自体がキャラ立ちしている。壁には祭りで使われる面が。
「すごい!本物が見たい!」
 興奮冷めやらぬまま次のブースへ。砂鉄からの製鉄をベースに特産となっている種子鋏(はさみ)。なにやらボタンを押すと、超リアルな鍛冶屋が延々と吹子(ふいご)を押し続ける。なんとそのメカニカルなこと!動きより、中で動いているクランクやモーターの音が凄まじい!焼ける炭の炎が、吹子と連動している。
「壊れたら直せる人いるのだろうか?貴重すぎる!」
 隣の動かない人形の顔を覗き込み、しばらく見つめる。
(なに見てんだよ!!!)
 と、今にもこちらを睨みそう。
「リアルすぎる!怖い!笑」
 クライマックスは次のブース!
 30年前に学んだ、鉄砲伝来にまつわる大まかなエピソード。
「銃の複製を担当した鍛冶屋は、発射の反動による銃身の抜けを防ぐ方法がわからなかった。娘を西洋人に連れて行かれ、怒りのあまり木にノミを打ちつけたら、開いた穴がネジになっていて問題が解決したという。」
 ところが、詳細は違っていた。当時の日本にはネジの概念がなく、銃身の問題があったのは正しい。しかし、銃の複製を担当した刀鍛冶の娘が、何らかの取り引き、合意のもとポルトガル人と一緒に島を出たという。それによりネジの切り方を教わったと。その娘の名を「わかさ」といった。
「なるほど!」
 フェリー「プリンセスわかさ」とは彼女の名前だったのだ。
 このストーリーを、豪華などん帳のある回転舞台で、やはり恐ろしくメカニカルな人形たちが、動くジオラマとして繰り広げる一大スペクタクル!あのポルトガル人、一発で飛ぶ鳥を打ち落とすし!(笑)ポルトガルで思い出すワードといえば、「リスボン」、「カステラ」、「ルイス・フィーゴ」、「クリスティアーノ・ロナウド」、「エストリルサーキット」くらいのもの。でも知らずに使っている外来語は多いんだろうね。
「現代のCGのなんと味気ないことか?すご過ぎる!」
「たぶん・・・、これを見に来るため、またここに来るだろう。」
「どうか壊れないでいて欲しい。」
 ジオラマの最後のシーンに流れる流れ星にお願いした。
 意外なオチも。
「わかさ。プリンセスでもなんでもなく、ただの刀鍛冶の娘じゃん。」
 どういう経緯か、その翌年の1544年、種子島に帰島し、すぐに病気で亡くなっている。西之表に墓もあるらしい。
 そのあともたくさんの火縄銃の展示があり、ここを侮ったことを後悔した。さらに、1階のトイレに戻ったときには!
「うわっ!」
 その前にある漁師のリアル人形にマジビビらされた!
「鍛冶屋にガンつけた仕返しか?恐るべし鉄砲館!」
 バイクを駐車場に置いたまま近くの食堂「喜元」へ。生活感のある細い路地。歩くスピードは楽しい。HOPEさんへメールした。
「食事後、15時前後になりますがチェックイン可能ですか。」
「お待ちしております。」
 さあ、第一目的地へ!

深呼吸の必要」いつか見た大東島の風景・・・。

 小雨、レインウェア内サウナ状態で走り出す。島のメイン道路は、これまで何度も紹介した、鹿児島市内と那覇を結ぶ「海の見えざる道」国道58号線。しかし日中は遅い車につかまり快走できないだろう。併走する県道76-75を選択。初めて走る道だと思っていたが、しばらくしてピンときた。
 去年、11.2の23:00近くにHOPEさんにチェックインした。翌朝、宿から宇宙センター、そしてあの三叉路でバッテリーダウン。下中から奥さんにレスキューしてもらって宿に。翌11.4の昼前に、今度はご主人の車で港まで送ってもらった。車中での会話を思い出した。
「西之表まで信号が一個しかないんですよ。」
「あの道だ!初めてじゃない。」
 たまに遅い軽トラに詰まるが、なだらかなコーナーとアップダウンが続く快走路。走りに気を付ける。島では派手な緑のバイクは目立つ。強引なパスはツーリングライダーのイメージダウンにつながる。「わ」ナンバーにも注意。それにしても・・・。
「植生が違う。」
 延々と続くサトウキビ畑。刈り取りを前に、高さは2m以上ある。
「忘れていた旅の高揚感。ドキドキと安らぎの共存。」
 5月、決して小さくはない別れがあった。日常生活では心身ともに負荷が増大し、負の相乗効果。ダメ押しは首の爆弾悪化。一時は「前傾姿勢のバイクには一生(!)乗るな。」と言われた。痛みが軽減してからも、走っていて楽しくない日々が続いていた。結果、半年近く遠出していない。
「おれの旅は終わったか?」
 真剣にそう感じた日もあった。
「これが深呼吸?」
 いや、どちらかと言うと、トウモロコシ畑の中からユニホーム姿のシューレス・ジョー・ジャクソンが現れる感じ。(映画:フィールド・オブ・ドリームス)
「Go The Distance ! (やり遂げろ!)」
「うん、まだ旅は終わっていない!」
 中種子温泉保養センターを過ぎ、右手にマングローブの入り江が見えてきた。すぐに、
「島宿HOPE!」
「帰ってきた!緑のバイクとともに。」

 フロントで声をかけるが反応がない。そのうち、奥で物音が。ゆっくりと現れたのは奥さん。髪の毛がショートに、そしてなんと二人目ご懐妊!
「女神がマリア様になってる!おめでとうございます!」
 ここに来たのは本当に2回目なんだろうか?何度も来ているような不思議な気持ちになった。部屋は去年泊まった隣りで、入り江が見渡せる眺めのいい部屋。ポイントは、千座(ちくら)の岩屋を示す青い案内標識。
「そうそう、この絵。つい昨日見たような・・・。」
 部屋を出たところで、この宿の主人、風間さんと再会。固い握手を交わす。ここでFacebookの果たす役割はとても大きい。7月終わり、いつもの悪い癖でアカウント削除しかけた。顔を見れる地元の友人はともかく、ここでしかつながっていない友人と種子島が浮かび、踏みとどまった。継続して発信される島の風景は、かけがえのない情報。
 「積もる話は夕食時に。」ということで向かったのは中種子町温泉保養センター。ここも去年、10Rを失ったあと奥さんに送ってもらった場所。いつも来る場所のような不思議感覚が継続している。帰り、一度はやんだ雨がまた降り始めた。
 宿に戻り、初めてテレビを付けたとき飛び込んできたのは・・・、
「すごい!!!」
 佐賀バルーンフェスタ、一時間枠の特集番組。こんな偶然って!
「もう深呼吸の必要はない。完全に満たされている。」
 種子島で両方を感じられるとは!前日まですべての競技が開催され、今年は当たり年かなと思っていたが、今日は雨で中止。逆にあのイベントらしい。
 持参した着替えの1セットを使ったため洗濯に。雨のため、ケージ内で暇をもてあましている看板娘、マーブルにご挨拶。
 2泊5日という行程ながら、荷物はランドセル大のタンクバッグ一つ。手土産を断念しても持ってきたのは、去年借りたDFSの手提げ。貰っていても何の問題もなかっただろうが、また一つ、トラブルを上書きしていく。
 同泊は関西からのサーファー夫婦、東北の女の子、別館にもう一組?この日は日本シリーズ第7戦。ビールで乾杯しながら盛り上がる。いろんな話をした。
「ネットやガイド本には載っていないのはこれ!」
 細かい話の内容は徐々に忘れていくかもしれない。しかし、
「2013年、楽天イーグルス日本一!」
 その瞬間、種子島で酒を酌み交わしていた。これからは楽天と言えば種子島の夜。一生忘れられない記憶としてセットで刻まれる。薄れた記憶はまた取り戻しにくればいい。
 22:30、心地よい疲労感を意識した。考えてみれば、昨日朝から仕事、深夜は走り続け、寝たのはフェリーでの仮眠2時間だけ。深呼吸より優先されるのは「睡眠の必要」だった。

Day3
 網戸を開けたままで寝た。暖かい南の島の風に、レースのカーテンが揺らめいている。夢と現実のはざま。

「おはようございます。」
「あれっ?」
 風間さんは、宿の仕事だけでなく、地元の漁にも出ている。
「今日はしけで休みです。雨残りましたね。」
「問題ないです。ここが目的地なんで。笑」
 外はまだ雨が降っているが、徐々に回復するとの予報。心配はしていなかった。ロビーに流れているBGM。つい最近今日の一曲に挙げたばかりの"Eternal Flame"と"Lean on Me"に、思わず頬が緩む。サーファーのご夫婦も連泊とのこと。夕食での再会を約束し見送る。
「さて、どうする?」
 せっかくなので、宇宙センター見学はもう一度行きたい。あの三叉路を経由して門倉岬。そのまま海岸線を北上。カウンターにあったパンフレット、西之表のタイ式マッサージ「うたたね」(フットリフレクソロジー30分¥1,500)も気になる。最北端に寄って、島の最高所、天女ヶ倉展望台まで日があるうちに行けたらベスト。雨も上がり、セルも一発始動!
 広田遺跡を通過。ここでもエンジンがかからなくなり押し掛けした記憶あり。宇宙センターまで数キロは、フラットな路面のタイトコーナーが続く、ライダーには最高の道。左側には宇宙センターを望む絶景の海岸線。路面にはウェットパッチが残っているため、ゆっくりと景色を楽しみながら、それでいて残ったニュータイヤのひげを削り取っていく感じ。
 宇宙センターは来るたびに必ず押さえなければならないポイントだと感じた。何より1時間の無料バスツアーは最高。去年はまだあった中型ロケット発射場が取り壊され、瓦礫となっていたのが印象的だった。最新のH-IIBロケットは高さ57m、重量530t。ほぼコンバトラーVのサイズ。
「巨体がうなるぞ、空飛ぶぞ〜!」
 小さいころ聴いたアニメソングは忘れないね。あと、ツアーバスの乗降口の階段にヒエログリフ(エジプト象形文字)が刻んであったのに妙に喰いついてしまう。
 積載の制限から基本お土産は買わないが、ミュージアムショップにあったチャパティという、石に絵を描いたペーパーウェイトに心ひかれた。数が足りないが、R58沿いのティアドロップというお店から仕入れているということで、寄ってみることにする。
 バイクに戻ると、シートに新鮮な鳥の糞が。これまで全国各地で鳥との戦いを繰り広げてきたが、
「今回だけ運がついたと言うことで許す!」
 ロケット発射時、報道関係者の取材用施設となる竹崎展望台で、今回旅に出て初めてカメラを取り出した。空はまだすっきりせず。
 宇宙センターをあとにし、宝満神社と宝満池に。HOPEさんは、以前あった「宝満」というペンションをリフォームしたもの。現在もグーグルマップやストリートビューには「宝満」として載っている。ところが、おまけで寄ったつもりが意外に面白い。参道は日中から裸電球でライトアップされており、不思議な雰囲気。宝満池も思ったより大きく、岸にはたくさんの蓮の種が漂っていた。
 再スタート、そして・・・。
「ここだ!」
 今回の旅のもう一つの目的地、南種子町下中の三叉路。この場所から坂(写真右奥)を登った先の商店までバイクを押し、そのまま動くことなくトラックに運ばれていった。
「2年越しの旅の続き、ここからスタート!」

※帰ってから1週間、若田さんのソユーズ打ち上げ〜ISS船長、インドの火星探索ロケット打ち上げ成功、さらにロシアの人工衛星「GOCE」の地球落下と、関連トピックが連発している。

「?・・・、バーンナウト?」
 モータースポーツの世界でバーンナウトといえば、リヤタイヤをホイルスピンさせタイヤスモークをあげること。でもここではもちろん燃え尽き症候群。自分にとって最大の観光地、下中の三叉路で、今回の旅の目的は達成した。実はスタートではなく、終着点だったのだ。あとは気楽に、とりあえずはあの時も目指していた門倉岬へ。
 走り出してすぐ、面白いことに気付いた。去年10Rと別れたあと、奥さんの車で県道75をHOPEへ。トラックに積まれた10Rは南種子町まで北上し、R58で西之表へ向かったはず。つまり、自分が見ていない景色を見ていたということになる。10Rとバディになって以来、一緒に移動するのが当たり前。こちらが徒歩で先行することはあっても、バイクだけが移動するということはありえない。(車検時を除く。)ただ、ニュートラルインジケーターさえつかないほど完全放電したバッテリー。人間で言えば、ブドウ糖を絶たれたあまりにも深い昏睡。海馬にはすべての記憶が刻まれない、言わば仮死状態ではないか?
「何も覚えていないだろう・・・。(笑)」
 そんなことを考えているうち、前之浜海浜公園の名前に誘われ、ふらりと左折。
「これはもったいない!」
 8km続くビーチの真ん中に整備された公園とオートキャンプ場。人影はゼロ。夏以外は無料だって。近くにあったら毎週来そう。地図を見ると、宇宙センターから門倉岬までの島の下辺は全部砂浜。これを楽園と言わずして何と言おうか?その門倉岬はとてもオーソドックスな観光地。観光バスも乗り入れていて、たくさんの人で賑わっていた。
 県道75〜屋久島行きフェリーが出る島間港〜県道588〜中種子中心部。田んぼやサトウキビ畑を抜ける沖縄のような風景が続く。お昼抜きのまま中種子市街地についた時点でもう16時前。しっかり食べるとせっかくの夕食がもったいないため、Aコープでパンを一つ。目に付いた宝くじブースで200円くじ1,000円分バラ5枚。当たるかな?南種子町観光情報

 昼間のR58は予想通り退屈な道だった。おとなしく車について走る。屋久島は左後方、うっすらと馬毛島が見える。何も考えず走っていると、コンテナハウスのようなティアドロップさんを通り過ぎそうになった。
 扉を開けるとすぐに、宇宙センターにあった石のチャパティやらマグネットやら。同じものはなかったが、お土産に気に入ったものをゲット。
「島の人なんですか?」
涙:「違うんですよ。」
(やっぱり!)
涙:「どこに泊まっているんですか?」
「HOPEさんです。」
涙:「風間くんとこ!部屋に同じのなかったですか?」
「あ〜!」
「そういえば「なみ」だか「うみ」だか(去年の部屋とごっちゃ)がテレビの前に!」
 HOPE別館にも関わっているとのこと。個人的にくいついたのはフィギュア。「変身前のギターを抱えたジロー(キカイダー)」と「アカレンジャー」、めちゃくちゃマニアックな「怪傑ズバット」。
「ズバッと参上、ズバッと解決。人呼んでさすらいのヒーロー!快傑ズバット!!」
 仮面ライダーV3や、アオレンジャーでおなじみの宮内洋演じる早川健も、TVジョッキーの奇人変人コーナーで貰うような白いギターを抱えていた。昔から旅人と楽器・音楽は込み。でも今なら思うよね。さすらいのヒーローはどうやって生計を立てていたのか?(笑)
「ご主人は同世代かも。」
涙:「たぶん、知らないで買ってきてると思います。」(笑)
 西之表で給油。フットマッサージと、去年レッカーしてもらった杉自動車に寄りたかったが、日没まで天女ヶ倉に行きたいためスルー。島の最北端に向かった。
「喜志鹿崎(きしかさき)灯台」
 バイクで行けるのは岬の南東にある灯台まで。保守点検作業をしていて意外にもたくさん人が。北側の展望は開けているが、印象は薄い。あと、島の北側は路面がかなりバンピー。快走できない。
「天女ヶ倉」
 島の最高所であり、抜群の展望。眼下には安納集落とパシフィックオーシャン。背後には夕焼け。宿に帰れば島一周完了。この場所にもすばらしいキャンプサイトが整備されている。
「いつかテント張りたい!」
 そして、
「ミッションコンプリート!」
 行ってないところはまだまだたくさんあるが、自分の中でのポイントはほぼ押さえた。あたりはすでに暗い。
 宿へ帰り、すぐに中種子温泉保養センター。入れ違いに出て行く車からサーファーのM夫妻。
「宇宙センターで見かけたよ!」
 夕食後は風間さんも加わり4人、サーフィンのDVDを見ながら盛り上がった。奥さんとは干支が同じで乾杯!違う世界の話ってとても新鮮で面白い。坂口憲二ってすごいんだね。
 23時過ぎにお開きになったあと、ひとり、歩いてすぐのビーチに出た。千座の岩屋のある砂浜の北端で、入り江の河口となっている。明かりは左奥に点々、自分を取り巻く半球すべてが漆黒。またたく星と、打ち寄せる波の音。目の前には大三角形、シリウスよりプロキオンの方が明るく見える。

「・・・。」

時間が止まった。この空間を表現する言葉はない・・・。














「ドサッ!」
「何?!」
 物音にビクッとしてあたりを探索する。今は干潮。かなりのスピードで流れる川面と、自分が立っている砂浜とは40-50cm程度の段差があり、流れに削られた外側の壁が崩落していく。
「面白い!」
 物理的機序は異なるが、氷河の末端で氷が崩落していくあのイメージ。予想したポイントを凝視していると、少しずつ亀裂が入り、大きな音とともに崩れ落ちる。固まりはあっという間に砕け散り、海へと注いでいく。高いところから低いところへ。地球が平坦化していく悠久の時間を感じた。次の崩落場所を予測したり、自分で意図的に崩したりして、島での最後の夜を楽しむ。飽きたらオリオン。
「ずっとここにいたい。」
 残念ながら地面は海水で湿った砂。横になる場所はなく、ずっと空を見上げているのは首によくない。そういえば、出る前にM夫妻に聞かれた。
「怖くないの?」
 確かに、屈強なノースコリアンソルジャーが海から音もなく現れても不思議ではない。
「もう一つ流れ星見たら帰ろ。」
 楽園の夜が、静かに更けていく・・・。

Day4
「おはようございます。」
 今日も漁は休みとのこと。すでにM夫妻は宇宙センター近くのサーフポイントに出掛けていた。
 朝食で全員揃う。M夫妻、
「2人は友だちなの。」
「普通のお客さんですよ。」
 その通り!こちらもずっと感じていたこと。去年、佐賀を断念し、種子島へ。当初の野宿から宿利用、そしてあのトラブル。もしそのまま野宿していたら、トラブルなく旅を続けていたら、その一度で満足し、もう種子島に来ることはなかっただろう。甑島、黒島、竹島、口永良部、わざと残してあるトカラ平島。まだ行きたい島はたくさん残っている。
 今回久々に感じた旅の高揚感。去年のトラブルの上書きではなく、今日につながる一つのストーリー。

「HOPE=希望か・・・。」

 バイクマタガリータ撮影大会のあと、2人を送り出す。昼前のトッピー(高速船)で鹿児島、夕方の飛行機で大阪へ。

「気を付けて、また会いましょう!」

 往路雨のためチェーンメンテ。
「懐かしいな。」
 久しぶりに持ち出したこのチェーンオイルは、06年郡上八幡〜千野さん別荘ツアーの帰り際、長野の佐久で買ったもの。さあ、今度はこちらが送られる番だ。

「ありがとうございました。元気な赤ちゃんを!」

 出港の14:00まで、昨夜走行した島東部の県75を北上する。
・10:10、千座の岩屋。去年ここで初めてエンジンがかからなくなった。沖に印象的な岩のあるきれいなビーチ。
・10:56、地図チェックで止まった広域農道と県75の分岐。
「まいど〜。」
 誰もいない小さな交差点で、寂しく呼び込みする自販機がかわいそうになり、コーヒー1本。しかし、「おーきに。」とか、「ありがとう」はなし。(笑)
・11:10、立派なレンガ作りの戸畑の煙突。敷地内の水溜りに巨大なヒキガエルが。
「車には気を付けろ!」
 南の島の路上で頻繁に見かけるのが、マンガチックにぺちゃんこになり、干物状態のコイツ。
・11:20、増田宇宙通信所。軌道にのった人工衛星を監視する施設。見学可。
 港近くで昼食を摂り乗船。
「また会おう種子島、また会おうHOPE!」
 錦江湾入口、ちょうど佐多岬沖あたりでデッキに出た。かもめが船のまわりを旋回していて、かなりの至近距離まで近寄って来る。
「へ〜。」
 空中で体幹と主翼をよじらせ、尾羽でバランスをとり滑空。獲物を狙っているのか?キョロキョロと海面を見回している。昨夜見たサーフィンのDVDを思い出した。
「みんなバランスの妙。」
 バイクも同じだ。下半身で乗り、視線は行く先へ。
・15:38 佐多岬から北へ最初の突端、立目崎の高台に巨大な建物を見つけた。ホテルにしては窓らしきものがない。
「帰って調べてみよう。」
※なにかの宗教施設らしく、航空写真からもそれとわかる巨大な涅槃像が、宇宙を仰いで横になっている。一般の入場も出来るようなので、いつか訪ねてみたい。
 完全に浮いて走るトッピーにぶち抜かれる。振り返れば併走するフェリーやくしま。去年探索した指宿の奇岩竹山と、海上の俣川洲(またごし)。美しい三角錐、開聞岳。
17:45下船。走り出してすぐ、
「目、痛っ。」
 天文館で黒豚豚カツでもと考えていたが、市内はかなりの降灰。「長居は無用。撤収!」
・18:29、鹿児島北ICイン。
「気温あったか、雨なし、ヘッドライト付いてる!」
・22:07、古賀SAで給油。" 主は来ませり" 今年初めて、クリスマスソングを聴いた。

Day5
・0:00ジャスト、下松でルーティーンの給油。
・0:31、廿日市ICアウト。
・0:43、満タン帰宅の最終給油。ほぼ予定した時間で自宅車庫に滑り込んだ。タンクを2度叩く。
「お疲れ!」

 去年は場所を訪ねる旅。今回はやり残した続き。そして、次回は人を訪ねる旅。4人+2匹になった風間ファミリーを目指し、"HOPE 3"へ、続く・・・。



"島宿 HOPE"



 ハイオクリッター単価、西之表(種子島)の184円は仕方ないとして、宮原(八代)の180円は高いよね。うちの近所はみな165円前後。島では景色を楽しむため燃費もGood!最後の下松〜家の間は少し飛ばした。数値で一目瞭然。

時間/ODO/給油区間距離/給油量
リッター単価/金額

2013/11/3
3:44 42,751km 260.2km 13.49L
19.29km/L 173円/L 2,333円 古賀

5:50 42,906km 154.9km 9.01L
17.19km/L 180円/L 1,622円 宮原

7:29 43,049km 142.7km 8.66L
16.48km/L 179円/L 1,550円 天保山

2013/11/4
16:27 43,183km 134.4km 7.33L
18.34km/L 184円/L 1,349円 西之表

19:36 43,442km 258.5km 14.15L
18.27km/L 177円/L 2,505円 山江

2013/11/5
22:07 43,637km 194.5km 12.18L
15.97km/L 173円/L 2,107円 古賀

2013/11/6
0:00 43,821km 184.4km 10.01L
18.42km/L 177円/L 1,771円 下松

0:43 43,894km 73.0km 5.39L
13.54km/L 165円/L 889円 観音

全行程:1,403.0km
平均燃費:17.19km/L
合計金額:14,126円


11.6 "Home Sweet Home"
2013 11.2-6 Re:HOPE #10
 離れたのはたった3日なのに、少しよそよそしく、懐かしい我が家。トップ写真はプリンセスわかさ、佐多岬沖航行中の夕日。

ラ・モンゴルフィエ・ノクチューン(11.4 夜間係留)
 佐賀は、3日以降天候不順によりすべての競技が中止になり、最後の最後に夜間係留だけ開催された模様。上記リンクよりUSTREAM録画あり。また来年!


11.2-6 "The Galaxy Express 999"
Shima-Tabi 2013 種子島 Re:HOPE #9
Start The Engine ! Journey To The Stars ! ! !
[Through The Rain...]

See Ya !


11.1 http://www.ustream.tv/channel/sibf01
 佐賀平野に日が沈んでしまった。このsibf01のリアルタイム動画は、大会期間中24時間配信されていて、深夜も暗がりで垂れ流し。昨夜も9人くらいがアクセスしていて笑ってしまった。
 家路につく人たちのウォッチングは、テント泊する時のゆる〜い感じがまるでその場にいるよう。祭りのあとの切なさが伝わってくる。
 さて、明日はスタート時曇り?思ったより雨に降られる時間は少なそう。ハードワーク後の深夜行なので、休憩しながら安全にね。ニュータイヤだし。

10

10.31 "It's Just The Rain"
Re:HOPE #8
 おそらく雨スタート。晴れ男、雨男という言葉が大嫌いでね。そんなもん単なる偶然の積み重ねでしかない。雨なら出なければ良いし、晴れた方向へ向かえばいいだけのこと。でも、出なければいけない雨の日も確かにある。降ってしまえば、雨であることを楽しめればそれでいい。
 先ほどショップにてリヤタイヤ交換完了。M/PR2からBS/S20。ハイグリップではないけど、履いてて恥ずかしくない選択に。先日も書いたが、パイロットロード2は走行23,630km、経過月3年4ヶ月と本当にありえない数字。近場ならまだ1,000〜2,000走りそうだが、一点のネガティブ要素も摘み取りたい。もう整備する箇所はない。
 荷造りは完璧。前後のナイトライドを含めると2泊5日という行程。着替えは一組。レインウェア、カメラ、充電機器、パンク修理キット、これだけ。タンクバッグ一つに納まる。
 準備も異例の展開。どんな長い旅でもすべては出発直前。基本、宿やフェリーを予約することはない。でも今回は特別。この日程で種子島へ。あの三叉路から先を続けたいんだ。そしてトラブルなく帰宅する。

「Shima-Tabi 2013 ! さぁ、青い海が待っている。」

 その前に、試験一つと日勤一日!

"Disney Medley"

"眠りの森"

"BOLERO"
 最高!ただいま一斉離陸!会場内、ボレロかかってます。

USTREAM配信中!!!
2013 佐賀インターナショナルバルーンフェスタ
http://www.ustream.tv/channel/sibf01
http://www.ustream.tv/channel/sibf02
http://www.ustream.tv/channel/sibf03


10.30 "Heaven On Earth"
Re:HOPE #7
 もう頭の中はパラダイス!5月以降県外に出たのは、津和野とジャズフェスタだけという、ここ10年でも記憶にない状態。まさに子どもの遠足前夜!
 初日は雨になりそう。天気に左右されないインドアの鉄砲館からスタート。目的地は島宿「HOPE」さんと、あの三叉路だけ。あとはノープラン。
「ガイド本、ネットリサーチくそ食らえ!」
 情報の確認作業ほどつまらない旅はない。自分の目で見たもの、耳で聞いたものがすべて。
「冒険! 行き先は気の向くまま、見知らぬ交差点で決める!」

"BOLERO"
 7年通ったこちらも忘れてはいない。夜間通過で見れないけど、佐賀大和では雰囲気だけ貰っていくよ。朝の一斉離陸はボレロで決まり!"2012 Saga International Balloon Fiesta"

 豪華客船、飛鳥II、隠岐・西ノ島に寄港しました。
Good morning Asuka 2!

"Halloween"
Re:HOPE #6
 ♪ も~いくつ寝ると~、た~ね~が~し〜ま~ ♪


10.29 "I HAD A GOOD TIME"
"My 4WD Days..." #6
 さよなら、'97Jimny660。最後のダート、最後の鬼ヶ城山。決して戻ることのできない人生の一区切り・・・。


10.25 "Livin' For You"
 秋が来た・・・。


10.24 "Captive Bolt Pistol"
"5-speed Manual Transmission"
 スズキSpaciaブルーで成約。納車は1週間から最大1ヵ月半後。オーディオのみ後付けに。さっきからネット検索しているが、やっぱりALPINEかな。ジムニーに付けてたフロント12cm2Wayをリヤに、新規に16cmを買ってフロントに。ウーファーはいつでも取り付けられるよう配線出し。すべてを自分でできるようドアとリヤ内装のビスとツメの位置を教えてもらうよう話を付けた。
 FBではバラード系を載せることが多いが、車ではこのような曲を、それこそクラクション鳴らされても気付かない音量で鳴らしている。唯一の爆音空間だもんね。バックミラー、髪の毛一本一本が振動し、車のすべてのネジが緩むくらい。危ないけど。
 台風の雨の中、シフトワークを確かめながら帰路に着く。ATのようなスムーズな加速、ブレーキを踏まない減速。これからは、ワイパーとフットブレーキ解除以外左手を使うことはない。ブレーキングなしにダートへ進入することはできない。いや、ダート進入自体躊躇するだろう。「道なき道を行く。」が、今に続く原点。決して大げさではなく、人生スパンでの喪失感に、新車の喜びは打ち消されている。


10.23 "ここまで来るために"
 世の中に「絶対」は少ない。軽々しく「絶対」を使うヤツは信用できない。でも・・・。
 変わってしまった人の気持ちは「絶対」元には戻らないよね。3日後まで続く雨予報をみてメランコリック。

"愛は時を越えて"
 「猛烈な」と表現された台風28号レキマー。どんだけすごいのか調べてみると、日本時間午前3時の時点で910hPa、最大瞬間風速80m/s!海水温が高くさえぎるもののないはるか南東の海上でのことだが、まるでブラックホール。母屋戦前、増築50年の家は間違いなく飛ぶね。
 流れでブラックホールをウィキすると・・・。
「すごい!ライガール・トリプラ両星域会戦のシュヴァルツシルト半径とはこのことだったのか!」
 壮大な宇宙を想うとき、抑うつ気分はブラックホールに吸い込まれていった。でも台風は来ないでね。

"Legend of the Galactic Heroes : Episode 50"

 北極星ポラリス。今見てる光は約430年前の光。夜見える星のすべてがありえない時間のずれの中で夜空に広がっている。不思議すぎてメンタルポジティブ!キロに換算すると、4,068,114,103,209,744km(4千兆キロ)。時速300kmで走り続けたとして(300kmx24時間x365日)、1,522,070,015年(15億年)かかる。笑

 宇宙、台風のことを考えていて、昨日注意された点を思い出した。
「論点が大きい。いつもザックリしすぎてる。もっと疑問を持って!」
 今気付いた。
「仕事上、疑問を感じることがとても少ない!」
 最近日常生活で感じた疑問といえば・・・、「夜はなぜ暗いの?」とか、「あの星の光は、何億年前の光なの?」とか。これは致命的だ。やっぱり進む道を間違えてる。


10.21 "Eternal Flame"
 ソーラーチャージャーを接続してみようと取り上げた。昼間の直射日光では20V以上出ている。防水用ジップロック購入のため寸法を測ろうとしたとき、手がすべって落としてしまう。それが運悪くPCデスクの脚に。裏返すとウエハーがめちゃめちゃ。ガラスなのね。バッテリーに一度も電源を供給することなくお亡くなりに。寸法なんて箱見りゃわかるのに。
 環境・メンタルともネガティブでバッテリー交換開始。NEWバッテリー満充電、エンジン始動時14.2V正常値。去年のことがあるので最悪の状態を考えてしまったのが間違い。単に使いすぎたバッテリーが死んだだけだった。ソーラーチャージャーいらんじゃん・・・。トリッカーもついでに補充電。
 勢いでオイル&エレメントも交換。偶然にも前回とまったく同じ走行3,759km。経過月は6.5。
 あとはタイヤ。現在のPR2は3年4ヶ月23,561km。28,000kmもったフロントほどじゃないがありえない距離。まだ1,000~2,000kmはいけそうだがここも勢いでしょ。T30と迷う。(フロントは現在S20。)個人的にPR2はSSにはあるまじき選択だと思ってるが、ODOから考えてもあと1回?ここは少しでも”らしい”ハイグリップ寄りを履かせてやりたく、S20に。タイヤ交換は自分では出来ないので届きしだいショップにて。これが済めばもう万全の態勢。
 このあとSAにて走行時電圧チェック。

"Take On Me"
 アイドル14.1V、走行時14.3V。セル一発始動。環境、メンタルともポジティブ!
 宮島SAのアクセス道路が完成間近。来週31日より24時間化。これで22:00以降廿日市まで行かなくてよくなる。
 欠け始めた月がめちゃくちゃクリア。21:00の気温19度。ほんとに10月後半?この暖かさだと装備の選択がかなり難しい。去年は真冬仕様で出たのに。 


10.20 "Galaxy Express 999"
Re:HOPE #5
 廿日市〜鹿児島高速区間532.6km(4,400円)前後のアクセス含め、やはり600km弱。ワンストップは無理だな・・・。7:00までに鹿児島港。100km X 1時間 + 休憩回数 X 1時間 = 8時間で逆算。いつもこの計算で正確に現地入り。
 夜スタートの気分はまさに999。実はとても切ない歌詞なのに、激メジャーキー。環境ネガティブでもメンタルポジティブ。旅は現実逃避ではない。攻撃であり冒険なのだ〜。A Journey To The Stars !

"Now and Forever"
2013 World Superbike Champion !!!
Tom Sykes / Kawasaki ZX-10R
祝・トム・サイクス 2013 SBKチャンピオン!

 さて、うちのZX-10Rは、新しいバッテリーと充電器、ソーラーチャージャーが届いて今補充電中。ソーラーチャージャーはLEDヘッドランプでも結構な電圧が出ているのに驚き。


10.19 Re:HOPE #4
 買ってきた電圧計で測定したところ、オルタネーターは問題なし。原因は7年使用したバッテリーということになる。異議なし。
 Amazonでバッテリーと一緒に発注したのが、充電器、ソーラーチャージャー、簡易デジタル電圧計。バッテリー充電器は、去年短絡させて壊してしまった。これにはエピソードあり。
 目黒に住んでいた25年前、2階からの水漏れが原因で友人になったAさん。その後Aさんは、実家の北海道に帰ってしまったが、引越しの際譲り受けた物の中にこの充電器があった。モンキーの6V充電もできたので、この四半世紀とても重宝した。今はもうないけど、同じく貰った笛吹きケトルも長い間使ったな。91年、北海道初放浪のときには、Aさんの実家のある多度志にも泊めてもらった。懐かしい思い出。
 ソーラーチャージャーは念には念を入れて。車やトリッカーにも使えるし、インバーターと組み合わせれば、携帯やカメラ電池の充電にも使える。簡易電圧計はそれらのモニター。
 すべて到着後問題なければ、あとは直前にオイル換えてスタートを待つのみ。

"道ゆく空"
 今夜開催。行きたかったな。現地で聴いたら120%泣く。予報、雨時々曇、それも屋久島。やくしま森祭り2013


10.17 Re:HOPE #3
 ZX-10R。月曜夜再びメーターリセット発生。いよいよステーターコイルの異常が濃厚。今日まともなアナログテスター買ってきた。現状発電されているのを確認しただけの簡易バッテリーチェッカーはもったいなかった。
 今後の展開。オルタネーターの正確な発電状況を把握。1相丸ごとダメなら修理だが、わずか1年でダメになるのは他の要因が考えられる。3,500でオイル引っ張り過ぎとも思えんが・・・。いちいちシート外すの面倒なので、とりあえず明日バッテリー直の配線出し、コンパクトな充電器、もしくはソーラー充電器物色中。でもナイトランなんだよね。200ルーメンのヘッドランプで14V発電は無理か・・・。テスターも充電器も、前あったのが壊れたので必要ではあったが。ほんと、10Rといい、ジムニーといい、壊れてばっかりだ。


10.16 "Lost In Your Eyes"
 目薬が切れたのでウォンツに行った。いつもならセールの398円あたりに落ち着くが、異彩を放っていたのがこれ。

サンテ・ボーティエ

 オーラソーマか?パフュームボトルか?というくらいのなんちゃって高級感あり。価格も1575円。
「でも、一度買うと数ヶ月持つしね。」
 瞳のエイジングケアにいそしむおじさん、秋の夜・・・。


10.15 "Riding On The Wind"
 すごい風で寝れないぞ!風がどこから来て、どこへ行くのかがわかる。広島それてこれほどとは恐ろしいぞ!


10.14 "I HAD A GOOD TIME"
"My 4WD Days..." #4
 今朝からジムニー車内整理。12cmの2Wayフロントスピーカーはリヤに流用できそう。このウーファーとパワーアンプはとりあえず取り外したが、子供一人くらいの重量があるし、スペースも限られている。そのまま使うか検討中。でも、重低音がなくなるのはかなりの喪失感。車内って唯一の爆音空間だもんね。残ったのは音の出ないALPINEの1DINステレオヘッドユニットのみ。2シーターだった車内には、車検のときにしかつけない”なんちゃって”リヤシートを戻す。
「寂しい・・・。」
 15年といえば、これまでの人生の3分の1を共有したことになる。いろいろな光景が思い出され、単なる道具ではなく、人格が宿っていることは認めざるを得ない。
「ありがとう、お疲れ様。」

"Can'tcha Say (You Believe in Me) - Still in Love"
 やった〜!BOSTONのNEW ALBUMが正式にアナウンスされた。デビューから37年で6枚目、前作から11年。タイトルからかなり期待大。

1976 Boston (全米3位 1800万枚)
1978 Don't Look Back (全米1位 800万枚)
1986 Third Stage (全米1位 400万枚)
1994 Walk On (全米7位 100万枚)
2002 Corporate America (全米42位 50万枚)
2013 Life, Love & Hope


10.13 "つばさ"
Re:HOPE #2
 HOPEさんとフェリー予約完了し、先週10Rに再びあのトラブルが発生したその続き。
 注文していたバッテリーチェッカーが届いた。オルタネーター、バッテリーともしっかり電圧は出ている。確かあのとき坂道に止めていて、ローにいれクラッチを握ったままセルを回した。普段しないイレギュラーな操作ではある。限りなく白に近いグレーというところか。
 タイヤはあと1,000km強は持ちそう。オイルはちょうど半年の3,500km経過。出発前にエレメントも交換。トラブルの芽は摘んどかないとね。


10.12 "海の彼方"
"My 4WD Days..." #3
 次に手に取ったカタログは軽1BOX「エブリー」。膝の悪い母にとって、車高の高いジムニーの乗り降りはひと苦労。かなり痛そうだ。数年以内に介護も必要となってくるはず。そうなれば広い車内とスライドドアは強い。車椅子を載せることも考慮しておかないといけない。
 リヤシートをたためば180cm以上。ぎりぎり足を伸ばして寝られる。テントいらずの激キャンパー仕様じゃない?懐かしい記憶が浮かんだ!91年5月、初代ジムニーの車内でカセットコンロ使用し、いくやと鍋をしたことがあった。後部座席といえばガソリンタンクのすぐ上、今考えれば超危険行為。だって周囲はまだ雪が残る極寒なんだもん。挙句の果てにエンジンがかからなくなり、二人で押しがけしてピンチを逃れたという。その場所は毛無峠といい、長野の高地、湯沢林道を登りきった、小串硫黄鉱山跡を見下ろす絶景ポイントだった。(もちろん鉱山は探検済み。)
 話はカタログに戻る。ディーラーの営業が出してきたのが「スペーシア」。この春に発売された「パレット」の後継車だ。ワゴンRとエブリーの中間?広い車内とスライドドアのトールワゴン。なるほど、レジャーと介護を両立できそう。
「でも、これ、オートマしかなくない?」
 この時点でATは眼中になかった。シフトワークなくして何の楽しみが・・・。
「待てよ。」
 首の爆弾を忘れていた。今現在痛みはなく、たまに左上肢の痺れとピクつきがある程度。しかし加齢に伴い、痛みの頻度が増してくることは確実。実際、7月、ジムニーの運転は辛かった。
「増えていく喪失を受容する時期がきているのか。」
 救いはフルタイム4駆のラインナップがあること。5ナンバー軽普通車の4駆のメリットはすぐに浮かばなかったが、ウエット路面や積雪で心強いことは確か。
「妥協点はこのへんか・・・。」
 "My 4WD Days"は、まだ終わらない。

 ガレ場の多い鬼ヶ城山へは車で行けなくなるんだね。とてつもなく悲しい。


10.11 "あはがり"
"My 4WD Days..." #2
 初代Jimnyのことは何度も書いてきたのでさらっと。
・当時都内でも軽の車庫証は必要なく、駐車場のあてもなく購入。しばらく近所に路駐していたが、当然駐禁が気になって夜も眠れない。近所を探してみると相場は5万。(住んでいたアパートの家賃4万4千円)目黒から原付で30分もかかる登戸で、1万で借りることができた。
・最北到達は青森、最南は鹿児島。全国のダートを走りまくった。
 東京時代のFBの友人たちとはこの初代Jimnyで絡み多いよね。めぐみさん、椋ちゃん、本橋、初めてパトカーに検挙されたとき助手席にいたのも天龍だった。
 98年1月、新車購入したのが今の2代目Jimny。最北到達点は、越中八尾「おわら風の盆」、最南はやはり鹿児島。エアコンがついてない話は最近書いたばかり。足回りのへたり、マフラー触媒センサー異常、タイヤ寿命などかなりの衰えをみせていた。しかし、振り返ってみるとJimnyひと筋、2台で23年。何よりすごいのは、通勤にはほとんど使わず、所用とレジャーで稼いだ計15万km。今回のトラブルがなければ、もう1回だけ車検を通すつもりだった。月曜の点検中、最初に手に取ったカタログもやはりJimny。ただ、ライバル車パジェロミニの登場以降、魅力のない車に変わってしまった。

続く。


10.10 "My 4WD Days..." #1
 ある日突然、それはやってきた。この日曜、母を連れ墓参りへ。走行中エンジンから大きな異音がし、ターボの伸びがない。月曜も休みだったため、すぐに行きつけのディーラーへ。
「エキゾーストマニホールドにクラック。」
 エンジンからマフラーへの接続部分で、そこから高温の排気が漏れ出ている。修理は5万とのことだが・・・。
 新車購入から15年が経過し、10万kmオーバー、来年1月車検、走行には問題ないが、見ないふりの細かい不具合が数箇所。タイヤは8年目、車検は何とか通りそうだが・・・。
「15万つぎ込む価値が?どうする?」
 Jimnyとの出会いは1990年2月。意外に遅く、23で普通車免許を取得してすぐのこと。免許を取れば車が欲しくなる。バイト先の先輩と立ち寄ったのは、住んでいたアパート近く、目黒区五本木の駒沢通り沿いにある城南オート。東急東横線ガード下にある小さなクルマ屋さんだった。

続く。

"模型の国"
 いや〜びっくりした。見終わった今、放心状態。
 妙なタイトルとBGMに惑わされてはいけない。すべてのシーンが貴重であり衝撃的。こんなきれいな島が見れるとは・・・。丹波哲郎が滑走路を歩いていた38年前にタイムスリップした気分。
「時間とは何か?」
 哲学的思考に陥る。

"We're Ready"
Re:HOPE #1
 とりあえず3連休の休み届けは出した。通るかな?先ほど「プリンセスわかさ」と「島宿HOPE」さんを予約。半月も前に予約なんて記憶にない。ところが・・・。
 数日前ルーティーンのSAで、島で起こったのと同じメーターリセットが発生。なんというタイミング。ステーターコイルではなく、バッテリーの不具合のみであることを祈る。実は持ってなかったバッテリーチェッカー発注中。まだ時間はある。


10.9 "SAIL IN THE AIR"
http://youtu.be/73B5Dv0aNJM
http://youtu.be/yGpe3iDKT_Y
http://youtu.be/dUIdUFq-N5E
 朝一番、退屈な表計算の話をよそにネットサーフしていると、竹原で貴重な映画のフィルムがみつかったというニュースが。ふと思い立ち、「緑なき島」で検索してみた。まだ見たことがない、端島(軍艦島)を舞台にした古い映画。2番目にヒットしたページに載っていた動画がこの3本。鳥肌が立った。
「なるほど・・・。」
 軍艦島にではなく、このマシンに。昔、モーターパラグライダーからの空撮映像に心躍らせたが、最近はホバリングしたり、狭い場所を通り抜けたり、ありえないアングルの映像にどうやって撮っているのか不思議だった。
「コイツか!」
 自分が撮った端島での写真のうち、もっとも危険で無謀だったのがこれ。どうしても煙突の中が見たかったんだ。
「このマルチコプターならわけないじゃん。欲すぃ〜。」
 30号棟の吹き抜けを下降するとこは、あまりのカッコよさに震えた。タイトルの「SAIL IN THE AIR」もハマってる。いくらくらいするんだろうねぇ。


10.3-4 "ずっと探してた"
「Change of Seasons 黒瀧山Night」
・メッシュから3シーズンジャケットへプロテクター入れ換え
・信号待ちでゴーグルが曇る
・走行中ふわっと香る金木犀

 10.3 21:00スタート。明日は休みでも何でもないが、ここ読んでる人は驚かないよね。冒頭に挙げた季節の変わり目のサインが三つ。とくに金木犀は別格。数学で言うねじれの位置。一生に一度だけ、限りなく近づき、もう出会うことのない一瞬。どこで咲いてるかはわからないし、止まって探したりもしない。ただ、このモノトーンの闇夜に、まるでスポットライトでも当たっているかのように香ってくる。これは昼間では感じることができない。
2013 10 03 22:42
 写真奥のT字路がR185、JR呉線忠海駅。黒瀧山はもう20年近く通っている絶景ピーク。鎖場を登った岩場から下界を見下ろす。
 目の前には大久野島の島影、その左奥に大三島の盛(さかり)港。さらに奥には、多々羅大橋のフラッシュライトが点滅している。眼下には忠海の街明かり。
「家、街灯、信号、コンビニ、アトム手袋の工場。電気がついているということは、なんてすごいことなんだろう。」
 なければ暗闇。この思いは、震災後いっそう顕著になった。
 次に、ここでのルーティーンワーク。99年からタイムカプセルを埋めてある。入っているのはただのメモだけだが、読むとその時のことがよみがえってくる。前回から5年もあいているのに驚く。最初に埋めたとき使っていたポッキーの内袋は半透明のもの。現在は中の見えない2分包になっているためとても懐かしい。今日の日付を付け足し、ジップロックを3重にして埋め戻した。
 祠のある山頂の岩に移動し、寝転がった。ほぼ天頂にカシオペア、右下にオリオン。
「なんなんだ!」
 最近頻繁に感じる対象のない、意味不明な疑問。次に、宇宙とは?星とは?地球、人間とは?
「なんなんだ?」
 訳のわからない疑問が現れては消える。文句を言おうが イライラしようが、そんなことはどうでもいい価値スケール。
「流れ星三つみたら帰ろ。」
 ヘッドランプを天頂に向ける。
「どっかの星から見えてるかな?」
 色んな意味で、まだ十分幸せだ。(笑)

 登りでことごとく破壊したクモの巣。下山時すでに張りはじめているものが二つ。彼らにとって、夜中に突然現れ、根こそぎ巣を壊していく竜巻に同じ。
「夜分ごめんね・・・。次は最小限通れる部分だけに留めます。」

 朝目覚めた時自分の部屋にいる。そんなあたりまえの幸せを感じるため、再び闇の中へ走り出した・・・。

10.4 "18 Til I Die"
須恵・M親子来広
 前夜・・・、というか、さっき4:00前帰宅。あたりまえの朝と、あたりまえの寝不足ともに一日が始まった。
 M家族とは、06-07年佐賀バルーンで出会い、一緒にキャンプした。お母さんは同年代、長男と長女は当時小学校高学年だった。
 再会のチャンスは何度かあったが流れ続け、すでに6年、メールだけでのやり取りに留まっていたのだが・・・。
 先日LINEにメッセージが。
「長男の受験で広島に行きます。」
 そして昨夜、宿泊のホテルに陣中見舞いに。
「お〜!」
 あの小学生が身長178cmの青年に。人見知りはまったくなく、3人とも、つい昨日嘉瀬川河川敷(佐賀バルーン会場)にいたような盛り上がり。これぞ出会い。
「受験ガンバレ!」


10.1 "夕焼け"

9

9.28 "The Bigger Picture"
 9.28といってもついさっき、27日の22:00過ぎスタート。いつもの宮島SAだが、今日は気分を変え、東向き、奥谷PAを目指した。2箇所の工事に快走できなかったが、以前仕事でよく訪れていた奥谷は懐かしくも新鮮。
 帰りは榎ノ山峠へ。よく通る道ではあるが、ここでも少し気分を変え、何年か振りにクネクネ道の県33を通ってみた。途中星のきれいなのに気付き、バイクを路肩に寄せる。
「夜って何だ?暗いって何だ?」
 恐ろしく素朴で、原始的な疑問が浮かんだ。20分くらい空を眺めていたが、一台も車は通らず。やっぱり夜走りはいい。たまにはルート変更も必要だ。


9.27 "Hate is My Fuel"
 10RでのSAを基準に考えるともう1週間経過。実りのない時間がすごいスピードで流れてる。新しいPCのこととか、カブのタイヤ交換のこととか色々触れたいけど意欲低・・・。


9.23 "Kantate BWV 66"
 新規開拓のイタリアンとパティスリーは美味しいのに接客がイマイチ。もったいない。

 「こころ旅」スタート。やはり最後の旅なのだろうか。

 欠けていく月もいいね。

 来週は岡山国際を検討中。JSBはおととしのAPが最後。岡山にいたってはもう5年も行ってないらしい。前回がつい昨日のようで、ちょっとビックリした。


9.22 "Covering Fire"
 遠出する気分ではなく結局16:00前から例の牧場跡に。ヤブこぎになるため地形を入念にチェックしてからスタート。
 目印の舗装ヘアピンから、まったくの山中へ進入した。アプローチは斜面。ヤブこぎの定番、「イバラっち」に引っ掻かれながら道なき道を進むが、リサーチ通り、わずか数十メートルでひらけた場所に出た。
「新しい糞がある。」
 どう見ても廃屋と化している建物に近づくと、牛の鳴き声がする。
「廃屋ではない。」
 周囲をひとまわりして来た道を戻る。確認できた牛は二頭。建屋内に子牛か豚がいるようだ。真っ白な猫も二匹いた。確かに人の手が入っている気配はあるが、屋根は落ち、限りなく廃墟化している。わずか30分程度の探険だったが、最近忘れていた感覚を思い出した。
 帰りは舟入のマックでフルーリーキャラメルプリン、近くの自転車「あさひ」にて寿命のきているタイヤとチューブを購入して帰宅。やっぱり家にいてはダメだ。

2013 09 22 17:43
 帰りの九十九折れ。モナコGP、ローズヘアピンの逆レイアウト。


9.19 "Light You Up"
 今日が満月。宮島SAから阿品の防波堤、鈴峯公園を回ってみた。写真は阿品で4枚だけ撮ったうちの一枚だけど、見てのとおり失敗。もっと低くないと月の道も出来ない。撮る時イマイチだと感じた絵は、何度見直してもイマイチなのでした。雰囲気だけ。
 日〜月と久々の連休。プランは、
1. 日曜の全日本トライアル〜以降成り行き
2. 隠岐
3. 行橋のあの神さまと、無明橋ナイト。
 ここ2-3週間、あの地蔵さんに無性に会いたくて、ことあるごとに頭に浮かぶ。トライアルから行橋、無明橋もありえる。もちろんジオパーク認定後の隠岐も捨てがたい。


9.18 "Bark at the Moon"
 先週身内の不幸のため急遽中止となった飲み。当然今週スライドと思っていると、誰にも相手にされない。と言う訳で、月見に行ってきました。(実は事前準備していた代替案。笑)
 場所は2年ぶりに訪れた緑井の権現山山頂。涼しくて最高!タイミングよく今日かべっちに貰った抹茶ラテ。月見団子セット、そしてクラーク・シーゲルの桃のロールケーキ!


9.17 "Memories"
 すべて仕事の連休明けの今日、最高に抜けの良い空をみて朝からグーグルマップをさまようも、
「近距離で行ったことがない場所がない・・・。」
 挙句の果てに今は、スヴェン・ヘディンのさまよえる湖「ロプノール」を旅行中。ありえない大きさの「水」があるため調べてみると、2010年より人造湖建設中とか。それにしてもでかすぎない?
※「水」の左下の耳たぶみたいな痕跡がロプノール。中国・新疆ウイグル自治区。
 さて、ロプノールはこれから家出ても明日まで帰ってこれないので(笑)、大竹の残念さんと錦竜公園、忠四郎山山中の牧場跡などを探検。

※この人造湖、同スケールで日本に移動してみると、広島デルタから可部まですっぽり入る大きさ。

"All is One"
 ライダーが季節を感じるポイントはたくさんあるが、この時期感じるのは空気圧。乗るたびに下がってます。
 「残念さん」は、山陽道大竹付近を通ると必ず目に付くはず。すでに20年位前にネタバレも、実際行ったことはなかった。なるほどね。
 なんの変哲もない写真は、そのすぐ近くにある依田神社から撮ったもの。向かいの島が日本三景宮島。左奥に神社、鳥居がある。一つだけ見える白い大きなビルはアリガトール。
 次に訪ねたのが玖波駅近くからアクセスする錦竜公園。夏の間暑さで休止していたワンナイトキャンプ。そろそろ検討中で、ここも選択肢。
 次に訪ねたのは忠四郎山山中にある牧場の跡地みたいなところ。予想通り、途中の資材置き場前からゲートクローズ。
 最後にすぐ近くのピークにある電波塔。ここも展望なし。ただ、帰ってもう一度地図検索してみると、途中の道路から牧場跡まで直線距離にして100mない場所あり。リトライ予定。
 帰りはコンパスのみ頼りに北東に。すぐに見覚えのある場所に出たが、調査済みで出る探険より楽しい。稲刈り終了している田んぼもあり。路肩温度計19度。Tシャツ+長T重ね着ではかなり寒かったが、市内に入ると適温。
 3時間強のワンタンクトリップ(トリッカーでは100km少し。)でリフレッシュ。2013年、全車種合算通算走行距離が10,000km越えた。


9.16 "Dead For A Day"
 夜勤明けの今日は今が活動期。またカメラを持ち出し、少し遠出してみますか?月と一緒に・・・。(フルムーンは木曜。)


9.11 "Fertilization"
 叔父の通夜に参列し先ほど帰宅。焼香する人の顔を見ながら感じる不思議な感覚。どう間違っても親子とわかる話したこともない遠い親戚家族を見ながら、不謹慎にも微笑みそうになるのをこらえる。

「なんてそっくりなんだ!」

 減数分裂したまったく違う遺伝子が融合し別個体に。よって親世代の完璧なコピーではない。DNAで検索するとこの動画がヒット。
 「強酸性の海で皆殺しにあい、一番乗りじゃないと入れてくれない。」なんと哀しく、壮絶な生き残りゲーム。そもそも生殖になぜ異性を必要とするのだろう?
 実在する生物学的半陰陽に触れることは避けるが、一部の宗教にとって、両性具有は他者を必要としない完全な形とも言われる。客観的にみれば、自分一人で性交して妊娠するのか?それ以前に、神に生殖の概念があるのか?という矛盾に突き当たるが、日本や西欧の神話には人間より人間くさいエピソードがたくさんあり、ファンタジーと捉えた方が楽しめるだろう。
 話は人間に戻る。種の保存から考えれば、男であれ女であれ、特定の相手と一緒に居続ける必要はない。しかし、この空間に参列している男女の多くが、決して短くない年月をともに過ごしているのだろう。故人と、7年前に亡くなった伯母もそうだった。挨拶する喪主の従兄を見ながら、色々な考えが浮かんでくる。偶然か、必然か。「DNAの奇跡」は「出会いとタイミングの奇跡」。そのすべては自分にも当てはまる。

「DNA=デオキシリボ核酸。始まりはみんな酸!」

 7年前、伯母が亡くなる直前、意識のある彼女の前で、今回亡くなった叔父が言った一言。
「喪服がどこにあるかわからん。」
それに対して伯母。
「あんたぁ何言よるんねぇ!」
 これが最後の会話だったらしい。

 この動画は本当にすごい。おびただしい仲間の亡骸を乗り越えて進むあたりはまさに戦場。弱い遺伝子を淘汰する方法なんだろね。卵子内部、染色体融合の場面では震えがきた。


9.6 "One Step Away"
 20-30代のころ、なにげない移動中に辺りを見回したとき襲ってくる不思議な感覚があった。
「今この瞬間が、日常じゃなくなる時が来る。」
 久々に感じた今日、最近のすっきりしない日々を打開しようともがいていた。対策として、同じく何年かぶりに、写真を撮るためだけにカメラを持ち出した。
「なるほど・・・。」
 舟入交差点22:30。足元を行き交う車を見ていて気が付いた。
「今日の日常は、明日の非日常。」
 意味があるかないかはともかく、今日がなければ明日はない。この写真の"今"も、すでに2時間前の"過去"になってしまった・・・。
「この非日常、どうプラスに持っていこう・・・。」
 また明日考えよ。


9.4 "After The Rain"
宮島SA20
 気温21度、この秋初レザー。忘れかけていた新しい空。

 今日ノートPCでこのサイトを見る機会があった。写真の天地がかなりけられるね。全面表示のトップページを作ってそちらへ。アーカイブ(EYE)の表示も変えてみた。写真全部見ようって人いないでしょ・・・。

Air:http://i.gmobb.jp/vierzehn/


9.3 "Soldiers Under Command"
 何年かぶりにオールブラックに。長い間そうだったのにとても新鮮。
 ついにPCを発注した。(決済後のアッセンブリーになるため到着は週末。)
 初めて手に入れたマシンは97年のPentium2、Win98。メモリ64MB(増設後128)、HDD6.4GBの富士通FMV。周辺機器合わせて30万もした。2代目は03年自作。Pentium4、WinXP、メモリ512MB、HDD80GB(数年前250GB増設し、80GBをバックアップ用スレーブに。)10万はかからなかったはず。
 10年使ってきた愛機だが、ここのところ調子が悪く、何分も考え込んでしまうことがあった。CPU、チップセットファンは、固定フックが折れて冷却効果が落ち熱中症気味。メモリ不足で短期記憶低下。明らかな老化現象は他人事じゃない。
 来年厳しい経済状況に置かれるため躊躇していたが、実務的にも不可欠だし、消費増税、XPサポート終了、Win8移行を考えると今だと判断した。

MouseComputer:Lm-HH500E
OS:Windows 7 Home Premium 64ビット
オフィスソフトウェア:オフィスソフトなし
ソフト:ソフトなし
CPU:インテル Core i5-4430 プロセッサー(4コア3.00GHz)
メモリ:8GB メモリ[4GB×2(DDR3 SDRAM)
HDD:1TB 7200rpm
パーティション分割:無し
VGA:インテル HD グラフィックス 4600
ドライブ:DVDスーパーマルチドライブ
マザーボード:インテル H87 Expressチップセット
SOUND:ハイ・ディフィニション オーディオ
モニタ:モニタなし
小計:59,850 送料:3,150 合計:63,000

 もちろん第4世代i7が欲しかったが、使い方から考えるとオーバースペックと合理化。あれから15年、初号機と比較してメモリ62.5倍、HDD156倍でこの価格は、ちょっとしたカルチャーショック。

"九月の雨"


9.2 "Especially For You"


9.1 "鋼の心"

8

8.31 "Goldberg Variations"
 8月行った場所の記録はたくさんあるが、ほとんどが本持ち出しての勉強場所。おとといは追い込みで寝れず、ゆえに昨日は爆睡。1ヶ月以上ぶりにほっとする夜。明日は雨だし、ゆっくりと充電しますか?


8.30 "デスラー襲撃"
 福島の秘湯、「不動湯」が焼けてしまった。24年前宿泊し、ついさっき使った孫の手はその時買ったもの。不明者も二人とのこと。無事であって欲しい。


8.28 "Wings of Liberty"
 疲れた・・・。キツイ8月だが来月はもっと厳しい状況に置かれそう。プラス要素を見つけなくては。
 今週のジャズフェスタで久々にライディングジャケットを着たと思ったら、さっき出かけたSAではもう肌寒い。


8.27 "The Shadow Hunter"


8.25 "Tennessee Waltz"
父一周忌法要~ジャズフェスタ in 長門湯本温泉3~恩湯
 ぎりぎりまで迷ったあげく、18:00に家を出た。「迷ったときは行くな」が原則。注意散漫となり無用なトラブルを招く。いつもにましてセーフティライドを心掛ける。
 ジャズフェスタは、第一回から訪ねているイベントだが、予想通り気分はかなりほろ苦い。さらに日中降った雨の影響でいつもある恩湯下の野外ステージは別の場所で。あたりの寂しさを増幅させた。しかし、メインステージはいつもと変わらず盛況。ちょうど着いたとき演奏していた「Be Bop Stars」というバンドはオーディエンスを煽るのがうまく、大盛り上がり。救われた感じがしたが、出身地がやや皮肉。
 その後入った恩湯含めわずか2時間弱の滞在だったが、行ってよかったとは思う。美祢東ICまでの県31では、ほとんど車と出会うことがなく、久々にナイトライドの高揚感も味わった。気温22度。秋を感じずにはいられない。下松で強い雨に降られる。
 それにしてもこの夏、丸一日遊びに費やした日が一日もない。閉塞感だけが常につきまとう。
 表紙の写真。晴れていれば、温泉下のライトが点いてる所に、華やかなサブステージが組まれているはずだった。


8.23 "A Thousand Years"
 この夏初めて、ライディング中寒さを感じた。ただただ無駄に時間が過ぎていく2013年夏。

 5月だったか6月だったか、メンタル的問題と、二次的ではあるが前サーバーがいっぱいになったためURL移転。基本変らず自己記録としてのみ捉えており、問い合わせがあった人にだけ伝えようと考えていた。
 最初にメールをくれたのが友人のクロダ。出会ったのは91年頃だからもう20年以上になる。もう一人は以前URLがわからなくなったからと教えてくれと言ってたウエハラ。でも彼女はウェブに疎く、アクセスできているか疑問。唯一こちらから伝えたのはかつて放浪旅人だったタカコ。数年ぶりに連絡をくれたためタイミングがよかった。ネモト君も伝えなきゃね。
 少し前になるが、サイト開設当初相互リンクしていた先を訪ねてみた。案の定そのほとんどがリンク切れか、何年も更新されていない。この秋で14年。ブログやミクシなどは創造と破壊を繰り返しているが、ここだけは変らない。昔はアクセスカウンターや掲示板もあったし、「廃墟」の検索ワードでは上位にヒットしていた。知らない人からメールが来たりもしていた。懐かしい時代。

 今表紙にしてる写真。昨日2回だけカメラを取り出したうちの1枚。どこだったかまったく覚えておらず、カメラのGPS座標(N 34 36 29 E 132 51 49)を直接グーグルマップの検索フォームに入力してみた。これははじめてやる作業。すると、立った位置まで正確に表示されビックリ。もう豊栄まで戻ってきてたんだね。一時期GPSロガーを買おうと思ったことがあったけど、迷ったときそこで一枚撮っておくと後で検証できる。


8.22 "Hello,Again ~昔からある場所~"
神石・学校食堂~とよまつ米見山・紙ヒコーキタワー
 学校はロケーション最高。食事、管理最低。コンセプトはすごいんだけどな。
 タワーは3年前から気になっていた。ヒコーキ飛ばすなら一人じゃ寂しい。
 にわか雨が、灼熱のアスファルトを濡らす時のにおい。これでいいんだ。


8.21 "That's What Love Is For"


8.18
 手書きは恐ろしい時間の浪費。
 何気なく見始めた映画「あなたへ」は、激ロードムービー。


8.16 "Back On The Ground"


8.15 "One Second"
 4日勤終了の気分転換で普通にSAに来たが、なかなかの混雑ぶりにお盆ということを思い出した。
「いいね。」
 旅から帰ってきた気分。首はだいぶいい。


8.14 "Rain"


8.12 "Is This Love"


8.11 "風は西から"
 感じることはコントロールすることができないのであえて書かせてもらうと、人間魚雷「回天」をテーマにした映画、「出口のない海」を思い出した。

"流星群"
 3年ぶりの宮島水中花火大会。首の痛みは継続しているが、ライディングで増悪することはなかった。とはいえ、現地まで行く気力はなく、初めて廿日市木材港から。
 同じことを考える人はいるもので、宮島側の道路は上り下りとも車でびっしり。夜店も数軒出ていた。大玉の到達音がおよそ12秒かかっていたので4km程度。雰囲気だけ味わうならまったく問題ない。帰りも渋滞ゼロ。
 前回を考えれば寂寥感は拭いきれないが、それは仕方のないこと。季節は移り変わる。
 花火に負けないくらい光り輝いたのは一筋の流星。方向から考えてもペルセウス座流星群。12-13日が極大期だそう。
 急がず、前に進もう・・・。

 明日から阿波おどりという全国ニュースが。いてもたってもいられない。


8.10 "Starchild"
 今15:30、夜勤明け。お隣のリフォーム工事の物音でなかなか寝られない。課題は全然進んでない。徳島阿波おどり期間の12-15日は全部仕事。でも鳴門阿波おどり開催中。今朝、甲子園では鳴門が星陵を粉砕。最高に盛り上がってるはず。
「鳴門なら今出れば間に合うぞ!」
 いや。首痛い、外は灼熱地獄、ガソリン高い、車多そう。やめとこ。でも、ちょっぴりストレス解消。

"Traveler in Time"
 今20:35。上記時間に出ていれば、今ごろ鳴門阿波おどり会場をうろついていたはず。

"I Dreamed A Dream"
May J.
華原朋美
知念里奈
岩崎宏美
Glee
Celtic Woman
Hayley Westenra
Anne Hathaway
Lea Salonga
Ruthie Henshall
Susan Boyle
Susan Boyle


8.9 墓参り
 初盆の白い灯篭を。


8.8 "Dance Forever"
 悲しみと同じ分だけ楽しさをもらった出会い。大切な思い出をプラスにしてソロに戻ります。本当にありがとう!

2013 08 08 16:04
 今日、たった一度だけシャッターを押した一枚。R488はこころの道。雪中トレック、デイキャンプ、骨折。帰広以来数え切れないほど通過し、8月に入っても3度目。本多田~もみの木、吉和~匹見は激酷道区間。あたりまえの道程が、あたりまえにあることに幸せを感じた瞬間。
 二年ぶりの天上山は変わりなし。入口を間違え、出た場所があの広場。もみの木は、昨日に続き小学生。
 ジムニー触媒過熱センサー異常。


8.6 平和祈念式典
 今NHKBSプレミアムで「眉山」をやっている。つい6年前の映画だというのに、夏八木勲と、名脇役の山田辰夫がもうこの世にいないのが寂しい。
 今年は阿波おどりの開催期間すべて仕事。「まあいいや。」と思っていたが、見てると俄然行きたくなる。前夜祭という手もあるが、健康体ではないので無理は禁物。


8.2 "LEAN ON ME"


8.1 "Intuition/Intuition"
 一時はOPか?!と、人生設計に影響を及ぼすかと思われた首だが、何とか落ち着いてきた。今現在の痛みは安静時0/10、さすがにバイクに乗ると3-4/10というところ。麻痺・痺れなし。とりあえず経過観察ということになった。前傾の10Rがよくないことは間違いないので、どちらにしろ考えていかないといけない。

7

7.31 "Far Away"
「津和野は、今日も安野光雅だった。」
 いつもの田園風景、そして青野山。


7.29 "Through The Rain"
 無事で何より。早い復旧を祈ります。

 録画しておいた「こころ旅」の最終日を見た。ルートは富士裾野、忍野八海から二十曲峠。忍野八海といえば、今に続く重いエピソードがある。
 二十年以上前、先代ジムニーで立ち寄ったかの地でエアコンが故障した。5万の見積もりに修理は先送りに。当時、ホントに暑いのは7-9月の3ヶ月。何とかいけた。
 平成10年、今のジムニーを新車購入。「なくてもいけるでしょ!」と最初からエアコンなしに。10万安くついた。
 あれから15年。真夏は灼熱地獄、6-10月は暑い。来年7回目の車検を通そうという車に、今更エアコン装着する気もなく、地獄の車内から、窓の開いた仲間を探すのがひそかな楽しみ。あの日の忍野八海を思い出しながら。


7.26 1"38"041 "Ayrton Senna 1989"
 涙が止まらない。セナの死は、アポトーシスだったんだ。

 こころ旅が終わってしまった。また秋までのお楽しみ。


7.24 "AGONY"
 いつもの削除症候群発症中。Facebook、7月いっぱいで全削除を考えていたが、ここでしかつながってない人もいるし少し躊躇。いつもなら何の前触れもなく消え去るのみ。ソネットブログ退会が5月?3ヶ月スパン?
 発症起序は、ルーティーン化した日常の破壊行動。戻るべき自分のサイト、「AiR」もあるし、またどこかで破壊と再生を繰り返す。共感できる人いる?7月いっぱい、あと一週間考えてみよ。
 というのも、朝のLOVE法の2問が「嫌な前フリだな・・・。」と感じていたが、案の定、さっきその話が出た。神経ブロックしても痛み5/10。左上下肢MMT:5/5とは言い難い。先週すでに「10R乗るな!」宣告受けている。以前からW800を検討はしていたが、疼痛継続すれば乗ること自体怪しい。どうしたものか。旅がメインであって、バイクは移動方法論の一つでしかないが、乗れないとなると話は別。今、肩甲骨に生えていた翼がちぎれ、血が吹き出している感じ。実際放散痛はその辺りだし。心身とも、まさにアゴニー(激痛)!
 ま、日本全国行きつくしたし、意外にサバサバしてるんだけどね。これ書いてるくらいだから・・・。
 現在、期外収縮多発。なるほど、先週も同じだったので、神経ブロックの副作用だね。

 関係ないけどDOCTORSの高嶋政伸。野際陽子のキャスティングとあの演技、間違いなく冬彦さんリメイクよね?

 ここまで書いて、そういえば!と思い出したのがこの曲。今の心境はまさにこのイメージ。ただ、ここが地獄だとは思ってない。たぶん・・・、また違う形の翼が生えてくるはず。

"Never Again"


7.22 "Fantasma D'Amore"
 10R周回コース、県77にある「吉山Bianco」に。全体的になんとなく惜しい感じもするが、ロケーションはなかなか。涼しくなってからテラスもよさそう。
 そのまま今日初日の県美「ゴッホ展」。改装されたレストランには、メイプルシティが、主力店「Zona Italia」の名で出店。先週オープンしたばかり。ゴージャスな午後でした。


7.22 "Faster"
 ラグナセカ(MOTOGP)、モスクワ(SBK)でダブル開催となっていた昨日、 Supersportのウォームアップ以降サイトが更新されないので不思議に思っていると、25歳のイタリアンライダー、アンドレア・アントネッリが星になっていた。佐藤英吾、松下ヨシナリに続き、今年三度目の衝撃。
 たくさんの人手と大金をかけ、人より速く走ることだけを追求する。そこに何の意味があるのだろう。命と引き換えにして・・・。
 答えは簡単。いつもより1000分の1秒ブレーキングを遅らせ、いつもより1000分の1秒早く開けていく。合理性では説明できない感性の世界。人それぞれ、コーナーそれぞれ、追い求める理想のラインがある・・・。


7.20 "ここにしか咲かない花"
 先日久しぶりに、石垣で同じ時間を共有した貴子と話をした。その中で話に出たのが鳩間島。西表島のすぐ北に位置する小さな島だ。八重山の島々の中で、最も素朴で観光地化されてない島。(当時)
 民宿は三軒あったが、すべて一泊三食付5,500円。なぜ三食か?買出しできる商店は一軒しかなく、それも開くのは夕方の一時間だけ。食事ができる店など存在しない。
 初日、一緒に上陸した健司と別れ、一人で民宿「あおぞら荘」に。ここで島旅の愛読書となる本木修次さんの「離島へ行こう」シリーズと出会った。二日目は再び健司と合流し、民宿「マルダイ」。里子として中学生の男の子を受け入れていた。
 4年後、この島、そして「マルダイ」をロケ地としたドラマ、「瑠璃の島」(http://www.ntv.co.jp/ruri/old/)が放映された。主演は成海璃子、故・緒形拳や倍賞美津子などが脇を固め、無表情な竹野内豊が妙にハマっていた。そして主題歌がこの曲。
 楽しかった鳩間を思い、嫌なことは先送りする夜。さ、今日の「こころ旅」の録画見よう!明日も仕事!


7.19 "かたちあるもの"
 確か・・・、テレビ版の亜紀(綾瀬はるか)は生年月日がまったく一緒だったはず。縁起でもないが・・・。映画版(森山未来・長澤まさみ)はロケ地の香川・庵治を訪ねた。高台の神社の境内にあるブランコ、また行ってみたくなった。

"Neck Pain" http://youtu.be/aDvbAvBLQuM
"Pain","Anatomy","Neck","Bone"の検索ワードでヒット。BGMがいい。ベル・マジャンディー!
 1週間の我慢の末、あまりの激痛に初めてブロック注射なるものを。C5〜6間に問題あり。知識を得た今、首に打つのって色んな意味で怖いね。
 握力計測では、右50kg、悪い方の左が60kgで診断材料には役立たず。プチ自慢だけど、20才頃には左右とも73〜74kgあったんだ。明らかに低下しているのに・・・。

S) 「聞いてはいるけど本当に刺すの?四肢麻痺になるんじゃないかと思うと怖いね・・・」と表情を曇らせる・・・。

O) 意識レベル1、ペインスケール5。頭部左後屈にて増強の訴えあり。腱反射良好。麻痺なし、左上肢痺れ軽度、頭部まで挙上保持可。指折り、離握手可。左上下肢MMT5/5。医師により問答無用で神経ブロック施行。内服処方される。

A) 疼痛に対する耐性はあるが、痛みによる意欲の低下がみられ、メンタルは弱いと考えられる。疼痛コントロール継続の必要あり。血管迷走神経反射による意識障害、転倒の恐れあり。

P) 「がんばれ、タケちゃん!ピーっ!(笛)」と、励まし施行する。見守りなく一人でカブで帰宅する。


7.17 ZX-10Rを降りろと宣告される
 何の前触れもなく突然に・・・。さて、どうする。

こんな風にして終わるもの


7.16
 先ほど、父の墓参りに行ってきた。当たり日は14日だが夜勤で行けず。
 おとといまでの一年と、二日後の今には大きな違いがある。「去年の今ごろ大変だった。」から、「去年の今日は、もうこの世にいない。」へ。「父」は、「先祖の一人」になった・・・。
 写真は、広島の人なら「あれっ」と思うはず。古いフォルダから見つけてきた01年盆のもので、時期的には少し早い。さらに、最近このような派手な盆灯篭は、後処理や火事の問題から減ってきている。15年位前まで、この風習が全国的なものと勘違いしていたが、他県の友人から「このカラフルなの何?」と指摘され、実は安芸門徒のごく限られた地域だけのものだということを知った。うちももう何年も板塔婆で済ませているし、もし今年やるなら初盆の真っ白。暑い夏がやってきた・・・。


7.15
 先日なにやら心理テストみたいなものをやらされ、オレンジ=自分として真ん中に置いた。いまだにプレーしている同世代の物好き(注:尊敬の念!)には頭が下がる。

「ORANGE MY SOUL ! ! !」

 並べると圧巻。無意識に服とか選ぶもんね。このヘルメットから見えた景色は人生そのもの。もちろんこれからも・・・。

法政大学校歌


7.14 一周忌
 父は、民謡と篠笛をやっていた。曲名を挙げようとしたとき思い出すのが「佐渡おけさ」。なんと、父が歌ったアナログレコードが残っている。
 といっても、歌手として発売されたのではなく、もう40年近く前、何かのイベントで一枚だけ作ってもらったもの。
 子どもにとって、歌そのものには何の興味もなかったが、「合いの手」が面白く、真似した覚えがある。

♪アリャ〜アリャ〜アリャサッ・・・。

 今も好きで聴く音楽ではないけれど、「阿波よしこの」をはじめとしてこの時期ふれる機会も多く、ちょっとだけわかるようになってきた気がする。

佐渡おけさ


7.12
 2012年7月12日 18:37。血圧81/46mmHg、脈拍190回/分。血圧計に残るデータはちょうどこの時間。一年が経つ。


7.10
 今年初めて、夏どうしようかという考えが浮かんだ。休み希望は法事で使ったので、詳細が決まるのは7月終わり?恒例の阿波踊りも捨てがたいし、種子島も。でも頭の中に絵が浮かんだのは隠岐。
 2011年夏、この日の滞在者は大阪と兵庫のライダー。夕食は現地で調達した海の幸で盛り上がった。お腹も落ち着いたころ海に。泳ぐ準備はしていなかったので、ゴーグルも海パンもなくただのパンツ。真っ暗だし、同泊二人以外誰もいない。
 水面から顔だけ出し、入江の真ん中で何十分も浮かんでいた。静かな揺らぎと満天の星、そして暗黒。羊水の中はこんな感じなのだろうか?何も考えず、ただ守られていた。
 いやいや、仄暗い海の底から手が伸びてきて、引きずりこまれるのではないかとドキドキワクワク。楽園の夜・・・。
 あの子馬は大きくなったかな?

 さ、ちょっとSA走ってこ!

 今日は事故に遭遇することなく無事帰宅。背後の濃紺から薄い水色に変っていく山の端。何でもない一日が、一生に一度しかない一日だということに気付く。


7.7
 広島市現代美術館。「日本の70年代」の半券、「サイト=ヒロシマ」に行ってきた。
 今日は面白い天気だったね。拍手を送りたくなるような土砂降りだったかと思うと、キラキラヒカル走りなれた道。いつもの風景が、映画のワンシーンのようで、なんか得した気分。

Raindrops Keep Falling On My Head


7.5
 東京の友人クロダから山形の宝石が送られてきた。最後にかの地を走ったのは01年。もうひとまわりも経過してしまった・・・。ありがとう。

 サラ・ブライトマン。この16日に広島サンプラザにいるんだよね。あの人が数km以内にいるとは信じがたい。少し前、一応チケット見てみたけどB席で13,000円。広島公演ではないけど50,000円でツーショット写真が撮れるとか。写真というより、そばに立てるなら50,000円は決して高くない。どんな香りがするんだろ・・・。出待ちする?笑

 さて、これから久々に県71〜県77〜県41。なんと一年ぶり。何気なく手首血圧計をみると、去年の今ごろ、深夜まで父のデータがずらり。夜間せん妄と戦っていた。雷雨の夜、両上肢抑制して注入食施行したあの日。

 途中で新しいイタリアンレストランが出来ていた。近いうちにぜひ。

There For Me


7.2 "Twenty seconds"
 今から28年前、炎天下のグランドを走り回っていた。下級生という立場ではなかなか楽しさは見い出せず、毎日が苦痛だった。
 練習前のストレッチで、仰向けになり、ただただ何もしないメニューがあった。
(ずっとこのままならいいのに。)
 しばらくすると、キャプテンの無情の声が響く。
「アジリティ!」
 今思えば、彼も22才の若造だった。波乱の交代劇からついたコーチングスタッフには疑問を抱いていたが、チームを常勝軍団に変革した。試練をセルフコントロールする方法は、この場所で培われた。結果を出せないヤツに文句を言う資格はない。歳をとって100%頑張らない狡猾さも覚えた。
 今あの20秒間に戻れたなら、青空を楽しむ事ができるだろう。幸せを感じていないとき、実はそれが幸せなんだ・・・。

 16年の歳月を追い付いた。言葉にできない。

 とても貴重な体験をさせてもらった。ありがとう!

T'en Vas Pas/T'en Vas Pas

6

6.29
 今日は部屋写真は休みにして(誰も楽しみにしてはいないと思うが。笑)端島流れで。島の最高所「端島神社」。全盛期の神社の写真は、検索ワード「端島神社 祭り 軍艦島」なんかでヒット!
 見つけた?寂しいやろ!昔、神社の階段を神輿が登っていく賑やかな写真を見たことがあって、それを踏まえてこの地に立つと衝撃を受ける。
「三代の栄耀一睡の中にして・・・。」
「国破れて山河あり、城春にして草青みたりと・・・。」
「夏草や兵どもが夢の跡・・・。」
 まさに芭蕉!でも思うんだ。元々ただの岩礁を、石炭が出るからといって要塞化してしまった。今の端島は決して廃墟や破滅の形ではなく、自然回帰、地球の自浄作用じゃないかと。

 で、三菱端島鉱業所端島鉱病院に残されたもろもろをピックアップ、この記事のコメントに一枚ずつ連発!

・尿器:男性生殖器がある限り変わらぬフォルム。
・レントゲン:今考えると被爆したかもしれない可能性が。
・病院の封筒
・ある炭鉱労働者の胸部レントゲン写真:塵肺は避けがたい。
・孤高の診察台
・なにやらまだ液体の入っている薬瓶
・無影灯:自然なのか人為的なのかわからないが、この数年後に落下してしまった
・この冷蔵庫だか洗濯機だが?見えにくいが上に置いてあるのは電極。設置場所はOP室。必然、除細動器=AEDということになる。デカかったのね。炭鉱が死と隣り合わせの仕事だということを再認識する。

 自分で撮りながら久々にこれらの写真を見たが、現在の立場上、微妙に見方が変わったのが面白い。色々危険なものばかり。無知とは、恐ろしく、そして素晴らしい。
 休む休むと宣言しながら、実は書くことが気分転換になってるという・・・。では!


6.28 "子の刻"
 23:00過ぎ、いつもの周回コースに出た。峠はオールクリア。これだからナイトライドはやめられない。宮島SAと着くと、NEXCOの新しい広報誌が出ていたので目を通す。黒猫が入り込んでいて、自動ドアを普通に出て行ったのには笑った。朱の鳥居を一回りした時点で時計を見ると、23:38。スマートSAは22:00で閉鎖、深夜割引の0:00まで不要メールを整理して時間調整することにした。
 スタート。廿日市IC手前、上下線の合流すぐで大渋滞。そのほとんどがトラック。
(ゲートトラブルか?)
 バイクなのですぐに先頭に出た。
「!」
 トラック3台が絡む大事故。散乱した破片で通り抜けできない。パトカー、救急車はまだいない。怪我人は確認できない。
(今まで遭遇した事故の中でもワースト!)
 後方、渋滞の車列からぞろぞろと人が集まってきた。すべてがトラックドライバー。少なくとも20人はいる。みなで手分けして、当たり前のように破片を片付けていく。その中に血だらけの服を着た者が一人いたが、片付けに加わっているので問題ないだろう。大きな破片は撤去され通過できそうだが、あんなキラキラ光ってる路面なんて通りたくない。
(待機!)
 後続が全部通り過ぎると、キレイな轍が浮かび上がる。破片が起きないよう低速でトレース。
「!」
 メチャメチャの先頭車両の脇に、横たわっている人がいるのに気付いた。瞬間、”バイスタンダー”、”良きサマリア人の法”が頭をよぎる。
(状況判断・・・。何とか動いている。近くに携帯で連絡を取っている人間もいる。)
 ホット胸をなでおろし通り過ぎる。
 事故はタイミング。数分早かったら、何もない空間をただ通過していた。さらに数分違っていたら・・・。緊急車両はまだ来る気配がない・・・。


6.24 EMPTY ROOM 201X
http://i.gmobb.jp/vierzehn/er/er.html
 昨日、現美の「日本の70年代」と、県美の「新・県美展」をハシゴ。いつになく影響を受けた。とても印象に残ったのは現美の最後にディスプレイされていた70年代、一人暮らし青年の部屋。これがハマってね。小物すべて、どれもが「あるある。」みたいな・・・。続けて県美に行くと、「そこ切り取るか?!」みたいな素晴らしい作品が連発。
 14年続けている自分のサイトはマンネリ化し、記録に留まる。これからさらに時間がなくなっていく。ワンナイトキャンプはしばらく楽しめる。もう一つ何か・・・。
「自分の部屋を撮る!」
 うら若き乙女の部屋ではなく、おっさんの部屋の写真などとんだ笑い話だが、母屋は戦前、居室昭和30年代後半築は微妙にレトロ。意外に面白いモノがたくさんある。201X年代のある部屋と考えると意味がある。実はここ数週間、何かのコンセプトに基づいた写真を撮ってみたいと考えていた。原点回帰のモノクローム、スクエアフォーマットで恐ろしくシンプルなサイトを立ち上げてみた。なにしろ撮るのに時間がかからないのは素晴らしい。ちょっと続けてみたいな。


6.21 "Summer Solstice"
 今年も・・・。


6.16
 昨夜のワンナイトキャンプは・・・、ちょっとした新ジャンルを見つけた感じ?家からカブで5分。場所は山手橋に附属する歩行者専用橋の下。金属製の橋なのでコンクリート片落下の心配がない。橋脚の陰になるので土手の道路から見えにくい。雨上がりなのもあるが、ペグが踏むだけで刺さる。買出ししていたので用はなかったが、セブンイレブン徒歩1分。夜はかなり明るい街灯の陰に、朝、撤収時はすでにジリジリきてた朝陽の陰に。言うことなし。
 面白いことが2点。深夜、橋の上から立ちションするヤツがいた。小便の雨が降るんじゃないかとヒヤヒヤしたぜ。(笑)あと2時だか3時だかわからんが、ルアー釣りしてるヤツも。夜は面白い。ただ、昨夜はここ数日のうちでは比較的気温が低かったはず。もうぎりぎりかな。もし今夜なら暑くて無理かも。一般的にキャンプは夏と言うイメージがあるが、おれに言わせればありえない。防寒の手段はいくらでもあるが、暑い時は裸でも暑いからね。それにしても家から5分のキャンプサイト。素晴らしい!
 そういえば先週行った鬼ヶ城山のテントサイトから、この場所は見えるはずなんだよね。面白いな。

 行きつけのショップツーリングの見送りに。総勢9台オールKawasaki車。自分が乗っているから、Kawasakiショップだからと言うのを差し引いても、他のメーカーに比べていかつくて異色。気を付けて。


6.15
 23:00、閉店間際のイズミで買いだし完了。エビスプレミアムブラック、柿の種、マクビティービスケット、ポッキー、フランスパン。それと先週買った小瓶に取り分けたお気に入りのワイン。そうそう、ミルとコーヒーも!
 もう遠くは面倒なので、家から10分、竜王付近の太田川河川敷のどこか適当な場所。今朝の雨により念のため上流の増水状況を確認中。0:00ちょうど、カブで出撃!


6.14
 明日も仕事終わってワンナイトキャンプ計画中。鬼ヶ城、実はペグ立たず。風吹くときつい。毘沙門の権現山無理かな?竜王、三滝辺りの太田川河川敷もあり。市街地はもう気温が高すぎる?近場で標高を上げるなら極楽寺、南原。さらに蛍の見れるところ。といっても、設営時飛ぶ時間じゃない・・・。テント内に蛍、考えただけでもロマンティック。
 今度こそお気に入りのワイン。フランスパン必須!


6.13
Jeff Hanneman
Jan.31 1964 - May.2 2013

 ついさっき知った・・・。家にある800枚のアルバムの中からたった一枚だけ残すと言われたら、迷わず手に取る一枚。

"Reign In Blood" [1986]

 リリース当時、渋谷タワーレコードで購入(アナログレコード!)。反りが激しく、交換してもらったのをはっきりと覚えている。のちにCDでも買いなおす。
 そうか、死んでしまったか・・・。今、ヘッドフォン、ボリュームMAXでプレイ中。

「10曲、29分2秒の血の雨。」


6.12
 現状に楽しみを見い出してポジティブに進める方法とは?もがく・・・。


6.9 "鬼ヶ城ワンナイトキャンプ"
 時間がない・・・。それなら普通の夜をキャンプの夜にかえてやれ!お気に入りのワインとキャンドル、コーヒーミルを持って、数年ぶりのテント泊を思いつく。可部、高陽地区のお友だち、今夜は皆さんを天空から眺めて寝ます。
 あっ、今思いついたので、これから準備開始・・・。

「今朝の食卓」
 免許を取ったのは二十数年前東京で。当然ホームコースは甲信エリア。大学を卒業して広島に帰ってきた時、中四国、九州エリアは未知の世界だった。それでも何度か近場でキャンプしたことはあるが、遠くへ目が向くのは自然の成り行きだった。
 今日のテントサイトは安佐北区、鬼ヶ城山。ここももう二十年前から訪れ、お気に入りの場所のひとつ。夜景がキレイで、深夜に来る事が多い。近年、10Rとトリッカーの積載能力のなさと、準備のわずらわしさからテント泊をしなくなっていた。持ち出すのは4年ぶり?横になって外を眺める。
 放浪旅人にとってテントは家。移動すればその都度張りなおし、ベースキャンプとして何日も同じ場所に張ったままにすることもある。テントの天井が日常だった記憶がよみがえり、今とのギャップに不思議な気持ちになった。
「この空間がおれのこころの風景。」
 イズミにはお気に入りのワインがなく、チリワインの小瓶を。ここで挽いて淹れるコーヒーの味は・・・、説明する必要がないね。最近のトレンドとしてカロリーチェックなど。オレオは何枚で100kcal?このフランスパン一本で600kcal越え。"とおるくん"ごめん。笑
 それこそ近所の太田川河川敷など家から数分。コンビニ近くにテントを張れば、もうワンナイトキャンプ。平日にできないこともない。メンタルヘルス維持に一つの方法かも。

「母なる川」
 全国的知名度はないだろうし、地元でもあまり意識することはないが、太田川は広島の母なる川。テント右上に高瀬堰、山陽道をくぐって6本に分岐し、広島デルタを形成する。広島市を一望するポイントはいくつかあるが、ここからの眺めが一番好き。夜景も素晴らしい。

5

5.28 "Sad But True"
 今朝5:00過ぎ、「そろそろかな?」とTTのオフィシャルサイトを開いた。TT(ツーリスト・トロフィー)とは、イギリス、マン島で、毎年この時期に開催される公道レース。飛び込んできた写真は松下ヨシナリと三つのキーワード。
"43","was killed","incident"
 何が起こったかすぐにわかった。日本語で検索をかけるが何もヒットしない。発生してまだ時間がたっていないのだろう。デザイナー、ライター、レーシングライダーと、マルチな才能を持つタレント。もちろん会ったことはないが、バイク雑誌で顔を見る機会も少なくなかった。さらに検索すると、雨上がりのプラクティスに臨むビデオメッセージがヒット。亡くなる3時間ほど前の笑顔で話す姿。
「この人がもうこの世にはいないんだ・・・。」
 バイクに乗らない人は、やっぱりバイクは危険なんだと思うだろう。実際その通りだ。しかし、危険の中に身を置かないと見えない「生」がある。たんたんと流れる日常の中で、死ぬかもしれないと感じる瞬間。それは、生きていると感じる瞬間でもある。わかって欲しいとも思わないし、わかる必要もない。ただただ、悲しいけどそれが現実なんだ・・・。


5.25 9:47。"漢委奴國王" 志賀島
 丸一日以上走りっぱなしだった今回。ずっとクリアな満月と一緒でした。目を閉じると、浮かんでくるのはうさぎさん。止まるたびに見回し、位置を確認してた。
 今回も「無明橋の一夜」は実現できず。たぶん・・・、主役の明るい月に、引き立て役の星たちは大人しくしていたはず。
 今まで感じることがなかった思いがいくつか。少しずつ、何かが変わりつつある・・・。


5.25 5:19
 鹿児島へ旅立つオーイケ隊を見送りに鞍手IC。サプライズのつもりが5:00の時点でまだ黒崎。メールして出発を足止めするという。(笑)
 見送った後気付くYAMAHA3台。双子の兄を見送る弟といったところ。良い旅を!
 昨夜帰路では八幡でTonojiさんとお食事。マイナリストデイ。


5.19
 雨だね・・・。旅をしていると、雨宿りすることがよくある。例の「なんでもない心残る場所」には、たくさんの雨宿りが含まれる。軽く眼を閉じただけでも、宮古島の納屋の軒下とか、小さな町の集会所の軒下とか、誰もいないバス停とか・・・。橋の下なんていうのも少なくない。
 動いているときは周囲の観察に注意力を奪われる。しかし雨宿りでは、二度とない波紋の重なりを数えながら、その時の「今」を考える。そのうち考えがループし始めると、
(ずっとここにいるわけにはいかない・・・。)
 ある時は雨がやみ、光の差し込む雲の切れ間に向かって走り出す。またある時は、再び土砂降りの中に身を投じる。今は後者か・・・。走ろうが止まろうが、時間は同じ速度で流れている。雨の中に見つけるものもある。すべては捉え方しだい。
 と言う訳で、呉市美術館「クールベ展」へ。
(Let It Rain!)

 当時ブログにも書いたが、この曲の声の主、スイスのメロディックロックバンド「ゴットハード」のスティーブ・リーは、3年前、アメリカバイクツーリング中に事故で亡くなってしまった。曲の途中で彼が言う、「Don't you cry no more!」。雨=涙は世界共通なんだろうね。

 クールベ展なかなかでした。作品の背景を知るとまた見方が違ってくる。意外にも関わりのある他の画家たちの絵がよかった。会期は26日まで。ぜひ。

 写真は先週の阿武川ダム湖。カラフルなピンク系の花は消え、新緑の道。オールグリーンです。

 さて、来週末は今月唯一の連休。ここぞとばかり、「無明橋の一夜」をもくろむ。パンク断念した時と同じ条件で。
 いつもの持論、「厄は物でも人でもなく、二つ以上の悪条件とタイミングにある。同条件でクリアしてこそ災いは払拭される。」オレンジのマシンであの神さまに会いに行く。タイヤ交換せねば・・・。

 さて、目の前にあることを片付けねば。サイト、ブログに続き、ここもしばらく休みます。一度しかない2013年、素晴らしい出来事がありますように!


5.16
 NAMM Showとは、毎年アメリカで開催される世界規模の楽器ショー。各メーカーでエンドース契約を結んでいるスーパープレイヤーたちが集結し、ありえないパフォーマンスを繰り広げる。一生に一度でいいから行ってみたい。
 やる気のあるうちに実行。先日の津和野では結局本は開かず。呉美のクールベ展は雨の日曜に変更して、比治山でアウトドア解剖決行。比治山は広島市内超街中の小さな山。猫がたくさんいるけど、実は野生のタヌキもいて、夜な夜な徘徊しています。知ってた?さて、コーヒーとポッキーを持って・・・。


5.16
 曲に合うイメージを探してて選んだのがこれ。三次は三江線の秘境駅「長谷(ながたに)駅」近くの県道112号線。江の川と単線路に沿う大好きな道。向かいのR375も狭路。
 「天空の駅」宇都井駅から1両編成のディーゼル車を追いかけ先回りした。宇都井駅では鉄ちゃんとおぼしきパッセンジャー1名のみ。通過の長谷駅では、やはり通勤通学ではなさそうな1名が増え計2名に。途中の駅から乗ってきたものと思われる。どれもたいがい秘境駅。誰もいない古い駅舎には、鉄ちゃんたちが書き込むノートが置いてある。


5.12
 この店に通い始めて5年になる。今日で17回目。シェフの行っている食育活動について聞きたいことがあったが、ランチタイムは大繁盛。またの機会に。ふと気付くと、前回はあのカラフルな落ち葉の11月。もう半年も経ったとは・・・。学生だった息子さんたちはみな巣立ち、時の流れを感じずにはいられない。
 店を出て、阿武川温泉に向かった。津和野周辺の道はどれも素晴らしく、すべてが安野光雅の世界。どこを切り取っても絵になる。季節ごとに違う顔を見せてくれるが、のどかな里山の風景は基本、何も変わっていない。


5.10
"わかりました。うまくいかないな・・・。"

2013.5.6
13:51
 さて、時系列戻ってお地蔵さんの続き。中津市内、テイクアウト専門の店で唐揚を買い、裏手の寺院駐車場で食べる。ゆったりした時間。(一個地面に落としたがもったいないので拾って食べた。笑)
15:07
 5年ぶりに天念寺へ。一夜を過ごした駐車場のベンチは傷みが目立つ。登攀開始。

 登り始めてすぐ見た時間が15:13。橋近く展望の良い石灯籠で撮った写真が15:23。
(たった10分で登れるんだ。)
 前回は民家脇の違う道から迷いながら、すごく時間がかかったような覚えが。鎖場が数箇所あるため、一気に高度が上がるのだろう。下から話し声が聞こえる。
 まず神さまに感謝してから、橋の縁に腰をおろした。ここから見えるようにバイクを停めてある。石灯籠のほうに声の主が現れた。駐車場でも見かけた二人だ。写真の邪魔になってはいけないので、付近の最高所、東側の岩峰に移動。橋に到着した二人を上から眺めていたが、こちらには気付いてない様子ですぐに降りていった。再び橋に戻り撮ったのがこの写真。
(まさに天空の橋!)
 何も考えが浮かばない。元々一夜を過ごす計画。横になってみた。風が下から吹き上がってくる。それにしてもこの気持ちよさは?!自分の瞳孔を中心とした透明な巨大半球ドームが360度展開し、その先に宇宙を感じる。
(そろそろお帰りの時間?)
 時折カラスが視界を横切っていく。暖かい日差しが降り注ぎ、そのうち意識を失ってしまった。
「ぉ〜ぃ、お〜い!落ちるなよ〜。」
(天国か・・・?)
 遠くの声に覚醒。起き上がって下を見ると、バイクのそばに数人のグループ。その中の一人がこちらに向かって大きく手を振り、大声で叫んでいる。
「ありがとう〜!」
 こちらも振り返した。
(帰らないと・・・。)
 17:00、バルス!下山開始。帰りは5分程度しかかからず、振り返って橋を見上げた。
(さっき見た半球ドームが全部星空だったら・・・。)
 やっぱり「無明橋の一夜」は必須。

 帰路、印象に残ったのは宇佐市内を通り抜ける直線県道629号線。左右には広大な麦畑が広がり、コリジョンコースでも発生しそうなロケーション。広島にはあまりない風景に感動する。
 フルーツ工房「えふ」にも立ち寄ったが、19:00を過ぎ閉店直後だった。さらに北九州の友人OhIkeさんより情報を得て、門司港にあるレストラン「陽のあたる場所」で焼きカレードリアを頂く。目の前にはキラキラの関門海峡夜景。カップル、家族向きかな?
 帰りにもまたパンクの長府ローソンに。その後もなんとなく下道を進み、寒くなってきた熊毛で高速イン、無事帰宅した。ただ残念ながら、天空の橋の効果も一時的な鎮痛薬でしかなく、自宅に到着した頃にはその効果も切れかかっていた。どうしたものか・・・。


5.8
 男は女の態度に腹を立てる。しかし・・・、実は先に腹を立ててるのは女。男の場当たり的行動と、配慮のなさにイライラしてる。男はその状態だけを表面的にしか捉えられない。ホントは自分が原因なのに・・・。
「普通気付くでしょ?」
 言ってくれなきゃわからない。普通の基準が違うんです。男のレベルに降りてきてください。開き直るわけではないけれど、気付かないんだもん仕方ない。男でごめんなさい。

 写真は長府ローソン、パンク修理現場。左奥茶色の建物がマック。コーヒーとポテトで暖を取っている最中、リヤタイヤは急激なサチュレーション低下を起こしていた・・・。5/2から5/3へ日が変わるころ、ここで黙々と作業。バイクを電柱に立て掛け、ブロック塀の縁でビードを落とす。「忘れられないなんでもない場所」。この日の帰りも休憩で立ち寄りましたとさ。今後ここ通るときにはルーティーンやね。


5.7
2013.5.6 12:41
 細く迷路のような三叉路を右に進むと、「通り抜けできません」の札。引き返して左へ。表示通りに進むと、また同じ三叉路へ出た。再び左に進み、広い場所で地図を確認する。
(どう考えてもこの道で合ってる。)
 三度目の三叉路、突き当たりの家には、ヤンチャなバイクを移動させている若者とその母親がいた。エンジンを切って声を掛ける。
「中津方面に抜けられますか?」
「大丈夫です。そのバイクなら行けます。ナビでも表示されるみたいです。」
 と、礼儀正しく若者。
「ありがとう!」
 通り抜け不可の先へ進むと、すぐに開けた場所に出た。神さまが一人立っている。
「安政六年未歳。」(1859年)
(ひいじいさんと同い年だ。さらに自分と同じ干支。)
 初めて知った。154年前、干支13まわり違う大先輩。そのまま走り去ろうとした・・・。
(まあ寄ってけ。聞いてやろう。)
(・・・。)
 路肩に寄せエンジンを止め、ヘルメットも脱いだ。
「それがですね・・・、」
 たぶん・・・、おれはまたここへ来る。そして、おれがこの世にいなくなった後も、旅人の悩みを受けとめてくれるのだろう。そのかたちある限り。


5.6
 5:00、心がちぎれそう。旅は攻撃あるのみ、けっして逃避の手段であってはならない。「煩悩があれば橋が落ちるか?」
 ここ数年、死生観が大きく変わった。今日できることが明日もできるという保証は何もない。逆に無理な強行プランになっているのも事実。家を出るときいつも思う。
「無事帰ってこれるのか?」
 でも、
「行こう・・・、あえて下道で。」
 目的地に長府のローソンを追加。パンク修理した場所で、余裕のコーヒータイムをぶちかませ。


5.4
 パンク断念を経て、5年前の写真と記録を引っ張り出してみた。キーワードはやっぱり夜、ということでこの曲。この時もしっかりトラブってるね。今と同じ思考回路も笑える。
 写真は東側の岩峰より撮影。左下に無明橋があり、赤いヒップバックを置きっぱなしにしてある。その先に続く欄干と社。山向こうの平地は豊後高田。左奥、周防灘の先に見える向こう岸は行橋あたりか。
 今日は夜勤。明日までに16のチューブは手に入らないので、行くなら10R。高速移動できるので所要時間は一気に縮まり4時間弱。リベンジなら明日夕方スタート。二度あることは三度ある?三度目の正直?やっぱりオフ車で行きたい気も・・・。決行は50/50。


5.3
主訴:パンク
既往:タイヤ裂傷
キーパーソン:運転者
家族:Jimny、10R、Cub、Monkey
レギュラーガソリン食
性格:穏やか
発症前の行動パターン:夜走る

所見:マックの駐車場から走り出したところで、後重感、ふらつきがあるのを運転者が発見。リヤタイヤソフト。明らかにパンクと考えられる。

2013年5月3日

S)ここでか?
O)エア入りゼロ。チューブ虚脱しており走行不能も、運転者に不穏みられず。サイナスリズム。レインウェア装着中のため体温上昇も、自力にて着衣交換可。タイヤソフト、ゴムツルゴール低下。母指での負荷に抵抗できない。裂傷深達度はチューブまで。パンク以外の随伴症状なし。自力での移動できないため全介助を要する。
A)自走できるようADLを高める必要あり。処置後も再発の可能性が高いと考えられる。
P)全介助でトリッカーを電柱に傾け、リヤホイール抜去。創部デブリードメント実施し、ゴムのリ塗布、パッチ貼付にて保護。エア漏れなし。空気圧1.5以上コントロール。長時間同一部位への刺激を避けるため、タイヤとチューブの裂傷位置をずらす。再発の可能性が高いため、大分・無明橋行きは中止とする。看護計画#1立案し、給油、コンビニごとの空気圧測定、経過観察実施。異常の早期発見に努める。工具等の忘れ物に注意。3回確認する。

S)お疲れ様!
O)エア漏れなし。空気圧1.7、やや高値もコントロール指示範囲内で経過。症状増強なく帰宅する。運転者コーヒー多量摂取により昼夜逆転傾向。
A)タイヤの磨耗が限界に達しており、早急な交換が必要と考えられる。
P)運転者の睡眠を得るため、現地到着後、橋上で摂取予定のワイン飲水を促す。運転者の体力回復確認後、リヤタイヤ/チューブ全置換術施行予定。看護計画#1、プラン継続する。

「ただいま・・・。」
 何度か書いたことがあるが、目的地に匹敵する「なんでもないけど特別な場所」がある。かじかむ手を温めてくれた闇夜に光る自販機、レインウェアを着るため雨宿りした軒先、友人と再会したコンビニ。特に広島を通過する基幹国道、R2ではたくさん。
 昨日は結局18:00前にスタート。あまりの寒さにいきなり佐方PAで防寒レインウェア。何とかしのげるが、2時間程度で限界。休憩回数が増える。関門トンネル手前、長府のマックに入った。十分に暖を取り走り出すと。
「重い、ん?」
「ここでか〜?!」
 半年前種子島でもつぶやいた言葉。リヤがパンクしている。今回はトリッカー(250オフロードバイク)を選択し、別府でのダートに備えていた。すぐ隣りのローソンの駐車場に移動。
 20年以上バイクに乗ってきたが、走行不能のパンクは初めて。チューブタイヤの修理は大変なのだ。ただ、ある意味自業自得でもある。このリヤタイヤ。交換してすぐ小石が刺さり、2cmほど裂けていた。それでも2年7,000km以上走行し、限界に達していた。
 チューブを取り出してみると、裂けたタイヤと同じ位置からエアが漏れる。実はタイヤを交換してから出発するか迷った。しかし貧乏性がたたり、帰ってからと先送りしたのが失敗。とりあえず修理はしたが、このまま先に進めばさらに遠くで再度発生する可能性は高い。
「撤収!」
 こういう形で何もせず帰ることになるのは、長い旅の歴史の中で初めてかもしれない。ネガティブな出来事だが、意外にも気分は落ち着いていて、赤い半月ににらまれながら6:00に無事帰宅。帰路、「6日にリベンジ!」と意気込んではみたが、なんとなく大人しくしておいた方がいいような気がする。18:00から6:00、気温一ケタ前半の修行。フロム ダスク ティル ドーンやな・・・。
「長府のマックとローソン。」また一つ、忘れられない「なんでもない場所」が増えた。
 それではおやすみなさい。良い休日を!


5.2
天念寺無明橋
 見える?尾根筋真ん中にかかっている橋に行くんだよ。17:00スタート、トリッカー下道、所要時間7時間。到着予定0:00。以後ノープラン。
 では、良い休日を!


5.1
 今日の中国新聞(広島の地方紙)にブラッド”アニマル”レスリー(54)の死亡記事が掲載されていた。成績や在籍期間以上にあの咆哮を覚えている者は多いはず。
 日本球界引退後しばらくして、うちの小杉グランドに遊びに来たことがあった。センターのロングスナップを出していた姿が印象に残っている。実際の会ったことがある人が亡くなるのは寂しい。若いし。

 明日は半ドンあさって休み。4-5仕事で6休み。遠くへ行くチャンスは明日のみ。昼食後スタートで大分プランルーティング中。タイトルは「無明橋の一夜」。まだ寒いよね。でも、時期を逃すとスズメバチ出るよね。一晩中流れ星数えます。

"SUN PRINCESS"
 クルーズシップファンとしては見逃せないと、1万トンバースに行ってきた。調べてみると喫水(水面下に沈んでいる部分)はわずか8.1mという。全長261m、全幅32mは、はっきりってその辺のビルより大きい。たった8mで浮いてるのが信じられない。
 死ぬまでに一度でいいので、アリュール/オアシス(同型船) オブ ザ シーズを見てみたい。(世界最大361m)

4

4.29 "28,391km"
 今日10Rのフロントタイヤを交換した。前回交換してから実に28,391km。約4年が経過。写真下側が進行方向右側。日本は左側通行のため、左に向かって勾配が取ってあり、路肩付近ではさらに顕著になる。どうしても接地時間の多い右側から減っていくのは仕方のないところ。それにしても・・・。
 タイヤの種類にもよるが、通常10,000km前後だろうか?市販のレース用タイヤなどは2,000~3,000kmで終わる。この驚異的な寿命は、何万回にも及ぶスムーズな加減速を、高次元で実施していることに他ならない。ただ、タイヤを使ってなんぼのコーナーリングマシンに乗っているわけで、この自慢は、ある意味的を得ていない。4年という歳月がコンパウンドにもたらす経年劣化が、決して安全ではないことも自覚している。
 交換後慣らしのため、湯来から吉和、羅漢を回る約100kmのいつものコースに出た。帰って記録を確認してみると、やはり前回もこのコースでシェイクダウンしている。
 下記に、この期間旅した記録を羅列してみると、いかに幸せな時間を過ごしているかがわかる。亡くなった父の介護では、ハイパーストレスを解消してくれた。消えていった溝に愛着がわくのも当然。次のタイヤは、どんな素晴らしい場所に連れて行ってくれるのだろう・・・。


4.28
7:54~11:21 廿日市-須恵スマート 2,450
 片道400kmの日帰り旅に8:00スタートする自分に苦笑い。目覚ましを3:00にセットしていたがonしてなかった。
 遅く出たネックがGW。追い越し車線でも100程度で距離が伸びない。大クラッシュ事故渋滞7kmにも遭遇。
 須恵スマートアウト。今回の目的のひとつがライディングウェアブランド「HYOD」福岡店オープン。ところが、降りてすぐこれがそびえ立っていた。

志免工業所竪抗櫓
http://ja.wikipedia.org/wiki/志免鉱業所竪坑櫓

志免町HP(詳しい。内部も見れる。)
http://www.town.shime.lg.jp/site/bunkazai/tatekou-yagura.html

大分むぎ焼酎二階堂2002「父」編
http://youtu.be/nHDqGyYkG40

 もちろん古くから知っている産業遺構だが街中のためわざわざ寄ることもなくずっとスルー。実は今回が初めてだし、こんなに通り道だったとは知らなかった。
 ここでこの街に住む友人にTEL。佐賀バルーンで知り合ったももちゃん。家族ぐるみで2回ほどキャンプし、今もつながりがある。長女の参観日ということだったが、竪抗の金網にもたれかかりながら、久しぶりに話ができうれしい。
 HYOD福岡店は盛況だったが、ウェアは不便なところが目立ち、ちょっと自分には合わない。

12:54~13:40 太宰府-植木 900
 大宰府ICイン。植木で降りて熊本城を迂回し、14:30、なじみの熊本ラーメン「黒亭」http://www.kokutei.co.jp/#topに。4回目かな。この時間でも数人並んでて驚き。

 二つめの目的がこれ。山本幸一「陶展」http://www.yamako-gama.com/images_folder/DM/DM2013-04.jpg
 山本さんの作品と出会ったのは06年。もう7年が経つ。会場は市内中心部の県民百貨店。普通のデパートだが、石川、確かにおれも思ったわ。良いネーミング。
 前の道路封鎖して「くまもと城下まつり」なるイベント開催中。そこでパフォーマンスしていたのが地元シンガーの大村唯維さん。着いてすぐ隣のおじさんに「誰ですか?」と聞いたが、知らなかったらしい。(笑)でも、旅先で偶然出会うイベントはいつも心に残る。応援したくなった。PVも熊本市内。広島に生まれたため、路面電車のある街はそれだけで親近感が沸く。
 6階美術画廊へ。もちろん連絡などしてなく、相手が最初にこちらを認識して驚いたときの表情が好きだ。山本さんの知り合いというバーオーナーと、一期一会の会話を楽しむ。鉢というか、小さな皿を一枚買い、振動で割れないよう厳重に梱包してもらった。
 帰路に着こうと携帯を取り出すと、ストラップのガスパールがいない。山本さんの言葉を思い出した。「(陶器も)壊れた時が寿命。」祭り会場か百貨店内ではぐれたか。旅先で別れる運命にあったのだろう。バイバイ!

18:00~22:47 植木-大竹 2,850
 広川SAで、寂しくなった携帯にくまもんストラップを。ちょっとブームに乗っかりぎみでイヤだが、出会いはタイミング。
 時間的になんとなく大竹で降りR2へ。宮島付近で北九州ナンバーの集団が追い付いてきた。少し引き離しにかかると付いてきたので、先に行かせ最後尾に。いいスピード出し面白い。ちょっとしたマスツーリングが楽しめた。と、ミラーに猛然と追いかけてくる緊急車両が。慌てて減速し走行車線へ。こういうとき捕まるのは最後尾とビビッたが、前のグループも含めスルー。別件のよう。彼らもかなりビビッたに違いない。妙なオチがついた。
 見慣れた自宅周辺がどこかよその街のような不思議な感覚。久々に感じる。

787km
 車量多くスピードが出てないため燃費がかなり良い。下松からの75.2kmが14.66km/L。(笑)ただ、下松のリッター171円はありえん。高速GSの価格設定はたしか月極。仕方ない。

 実はまだ引っぱっていたフロントタイヤパイロットロード2。走行28,391km。


4.26 18:10
 以前勤めていた会社の同じフロアに美容室があり、着付け練習用のマネキンが二体置いてあった。ある日の終業間際ふと思い立ち、このうちの一体を借り仕事場に仕掛けて帰った。次の朝出勤した同僚の驚き様はただ事ではなかったはず。その気持ちがわかりすぎるほどわかる。なぜなら・・・。
 爆笑のうちにその日が終わり、一人片付けをしていると、心臓が口から飛び出そうになった。自分が仕掛け、返し忘れていたマネキンにマジビビリ!人形(ひとがた)の持つ存在感が強烈に印象に残った。今でもたまに思い出し吹き出してしまう。
 訳のわからないエピソードでつなげるのが今日行ったひろしま美術館。

ひろしま美術館「昭和・メモリアル 与勇輝展」
http://www.hiroshima-museum.jp/index.html

 展示作品のうち3体で涙してしまった。いつもの持論、作り物の人形に魂が宿るとはまったく思わないが、その情景を、自分が過去に体験したものと重ね合わせてしまう。後ろ姿、指先にまで表情、心の動きがある。4年前に行った高橋まゆみの人形展でも泣いてしまったのを思い出した。魂は・・・、宿っているのかもしれない。

 人形の写真がないかと探していると、12年前この部屋で撮ったオレンジベアー(ハードロックカフェ福岡で買った。)がヒット。今は沖縄で元気に暮らしてるはず。キーワードは福岡。明日のプランは、HYOD福岡店オープンか、2年ぶりの神々の海ツアー(島根半島北岸ツアー)。天気リサーチ開始、今夜スタート!

21:31
 なんと、広島市のみを円形に覆う雷雨が。雨やり過ごして3:00起き福岡プランに決定。日曜夜勤のため余裕あり。熊本まで足伸ばす予定。仮〜眠〜。

4.26
 昨日の別カット。じっと見てると鼻先がちょっぴりドヤ顔のスマイルマークになっていくるのは自分だけ?原版は鼻の汗腺(?)と汗がはっきり見え笑ってしまう。風下に行くと強風で飛ばされたヨダレ攻撃にあう。
 BGMを歌っているシャンティ・スナイダーは、ゴダイゴのドラマー、トミー・スナイダーの娘さん。このふわっとした時間に最適。風に揺れる新緑の風景が浮かんでくる。大好きな曲。


4.25
 透き通った青空。桜もけっこう残っていたし、平野部ではしおれはじめた花みずきが満開。ただ・・・、気分はなんとなく清明でない。
 ポニーにもホルスタインにも会えた。ほとんどの時間相手をしてもらってたのはサタニックな角を持つ黒い山羊。長方形の瞳孔がメカニック。でも笑ったのがこの二頭。お互いの吐き出した呼気でアシドーシスになるんじゃなかろうか?失礼ながら吐息が臭そう。ミニブタとあるがかなり巨大なんですけど・・・。
 明日午前中はひろしま美術館予定。
http://www.hiroshima-museum.jp/index.html
 現美も次のが始まってる。
http://www.hiroshima-moca.jp/



4.20
 楽しい時を過ごした写真をお気に入りのメロディと共に眺めていると、その時の気分になれることに気付いた。
高速道路に吹っ飛んでいったお守りは、湯布院、日御碕、足摺岬、仏通寺、由加神社、定番の唐辛子ほか、もっと付いていたがすべて覚えてない。同じリングにつけていたため、一度になくなるのは当然だが、それが何かの災いを回避した代償だとしたら恐ろしくなる。直前、久々に最高速トライをしてみた。もちろんここには書けない速度。そりゃバッグのファスナーも勝手に開くか・・・。(曲のタイトルともかけてる。)
 色んなものが飛んでいったが、残ったのは目薬、ビクトリノックスのマルチツール、そして携帯。パンドラの箱で言う希望か?


4.18
 落ち着かない日々が続く。二年前の醍醐桜(岡山)を眺めていると、無性に桜が見たくなった。明日は午前中空き。三刀屋の御衣黄と八重桜の下、自分を探す。
 3:30真冬仕様でスタート。松江道リサーチも・・・。


桜海道
 沢港に近づくと、隣接した内海造船に津軽海峡フェリーの船体を見つけた。
「定期のドッグ入り?」
 守衛所で陸地から見えるところはないかと尋ねたが、そんな船は知らないという。それだけでも北海道の空気を感じることができうれしかった。
 帰って調べてみると、4/18就航の新造船「大函丸」。言わば納品待ちの状態。まもなく大間と函館を結び、北の大地へたくさんの旅人を送り届けるのだろう。

2013-04-03 21:52

3

HORIZON...
2013.3.20
22:33 広島ICイン
 丸1日雨待ちしたのに高速乗ってすぐ小雨が。翌日日中の気温上昇を考え薄着。対策としてレインウェアをインナーとして着ていたためそのまま走り続ける。結局尾道までやまず。

23:11 尾道ICアウト 850

23:28 しまなみ向島本線イン
 休日割引0:00までと急いだが、考えてみたら同率の深夜割引時間帯だった。生口島、多々羅大橋辺りで、真っ直ぐ走っててもバンクするくらいの強風。突風で車線内を右から左へ飛ばされるのが面白い。いつものように全パーキングスルーしながら居心地の良い所を探す。深夜のしまなみのPAは、どこもトイレだけで横になれる場所なし。結局来島海峡SAまで止まらず。さすがSA。店は完全に閉まっているが、屋内の誰もいないベンチは暖かくて快適そのもの。自販機を見て無性に欲しくなったカレーカップヌードルを頂く。普段カップ麺を食べることがないのでほんと美味しい。

2013.3.21
1:00 仮眠。目覚ましを3:00にセット。

3:00 良眠、スパッと覚醒。

3:22 しまなみ今治ICアウト 1,800

3:29 今治バイパスで1回目の給油。

3:42 今治湯ノ浦ICイン
 3:00に起きた理由。今治-湯ノ浦間はバイパス区間。前に一度調べたことがあり、通し料金になるはずだが確信がなく深夜割引適用時間内の4:00までに乗る必要があった。

 伊予灘SAでプランニング。今回の目的は大岐海岸から見る水平線。付随してピックアップしていたのはその近くの温泉「海癒の湯」と柏島。宿毛まわりと中村まわり。(今は四万十市。中村の方がしっくりくる。)悩んだあげく中村まわりを選択。

4:52 大洲アウト 1,000
 ここでは料金所があり必然的に高速を降りることに。給油してそのまま中村へ向かうつもりだったが、闇夜に輝く「M(マック)」に惹かれてしまった。四万十を明るくなって走るための時間調整もあり。店内貸し切りはナイトランの特権。

5:30
 空が白み始めリスタート。中村まで四万十を下る。この道を通るのは3回目だが、前回から20年経過してる。桜がすごい。

8:27 勝間沈下橋

9:00
 四万十市(中村)市内中心部のコンビニで定番の地べた朝食。いつもチョコ系菓子パン一つ、シャキシャキレタスのサンドイッチ、おにぎり1個。いちばん希望に満ちている時間。

9:24 2回目の給油してリスタート。

10:00-12:00
 出発前にピックアップしていた温泉「海癒の湯」へ。 2012ツーリングマップルでは10:00からとなっていたが、着いてみると、なんと13:00から。玄関にあった連絡先に電話して入れることに。 13:00からと知っていたら構想から除外していたはずなので、うれしい誤算となった。素晴らしい温泉だったからだ。肌にまとわり付くようなお湯、1時間半完全な貸し切り。かなりゆったりした気分になれた。

12:30-13:00
 今回の目的地である大岐海岸は温泉からすぐ。真っ青な水平線は、気持ちをプラス方向にリセットしてくれた。例によって目線から見える距離はたった4.65km程度。少し興ざめな知識を学習してしまった。
 歩き遍路を満願成就した2人にメール。四国を走っていて他との決定的な違いはこれに尽きる。ありえない場所を歩いている白装束を目の当たりにし、本当に特殊な光景だと感心する。

13:33
 お昼は温泉で聞いた情報からマップルにも乗っている窪津漁港へ。残念ながら鰹のタタキ定食はなく、まぐろとブリの刺身定食。もちろん美味。ここまで来ると、足摺岬は目と鼻の先。金剛福寺に参拝して足摺スカイラインに登った。すでに散り始めている桜もあり。
 尾根筋を快走し、土佐清水のスーパー駐車場で最終プランニング。この時間から柏島を回るには無理がある。取り締まりや遅い車に詰まる国道を避け、ショートカットしたのは県28と県4。桜の中を走り抜ける最高の道だった。現れては消える里山、水を引き、田植えに備える村人。今年最初の県外脱出は、忘れかけ ていた旅の素晴らしさを再認識できた。
「さあ、帰ろう。」

16:40
 3回目の給油し、無料区間の津島高田から高速イン。

17:07 大洲松尾IC 250

17:14 大洲IICイン
 伊予灘SAでは、しまなみ大三島で降りてフェリーで竹原も考えたが、最終便にはどうやっても間に合わない。

18:29 今治湯ノ浦ICアウト 1,000

18:42 今治バイパスで最終給油。

18:49 今治ICイン
 来島海峡SA。今朝往路で仮眠を取った、誰もいない薄暗いベンチが嘘のように活気づいていて不思議。うどんとみかん入り食パンを頂く。

20:01 向島本線アウト 1,900

20:32 尾道ICイン

21:33 広島ICアウト 1,150

 フロントPilot Road 2が完全に終わってしまった。3年と7ヶ月、走行距離27,141km。ものすごいタイヤだった。

TIME TRIP FUEL km/L @ COST PLACE
3:29 159.3 9.57 16.65 156 1,493 今治
9:24 228.1 12.12 18.82 166 2,012 中村
16:40 164.2 9.32 17.62 170 1,584 津島
18:42 153.2 6.80 22.53 158 1,074 今治
21:57 165.1 9.31 17.73 159 1,480 帰宅
870 18.67 7,643

 旅から帰ってきた22日と23日、精神的に激しい侵襲を受けた。父に処方され残っているリスパダールかジプレキサでも内服したい心境。足摺の金剛福寺で、小さなお守りの入っている200円のおみくじを引いた。(すでに財布に4つ入ってる。)「末吉」だけ読んで結ばずに持って帰り、たった今その運勢を読んだ・・・。

 山と川にはさまれて身動きがとりにくい状況。他人はあまり頼りにならず、見通しも立たない苦しみの時です。
 この際は何事も無理をさけ、時が解決してくれるのを待つ姿勢をとりましょう。
 雪の下の新芽のように、春の雪解けを待ち、やがてつぼみがふくらむまで辛抱づよく頑張れば、良い見通しが立ってきます。
 新しく事を進める場合は急ぐな。ウマイ話には絶対に乗るな。無理にまとめた事柄は中途でこじれる。
 愛はあるのに通じない状態。強引に出るとさらに間が遠くなる。今はじっと待て。縁談はまとまりにくい。
 生活態度や食生活が片寄ってバランスを失ってはいないか。病気は一進一退でちょっと長引きそう。
 得手不得手があまりにもはっきりしすぎる。不足のところを補う努力に集中するとよい。

 先の事を語るものは基本信じないが、少なくとも今の状況を完璧に言い当ててる。ある意味勇気付けられるお言葉。実は金剛福寺、一度スルーしかけたがわざわざ引き返して参拝した。なるようになる。「無人島に生きる十六人」を読みなおそ。

 しばらく充電期間に入ります。また再開したときに・・・。

2013-03-24 10:30


Born/Guilty
 出会ったのは彼女が21の時。当時働いていた会社に就職してきた。今考えれば、21のうら若き乙女の顔を包帯でグルグル巻きとはとんだ笑い話だが、この記事のタイトルコンセプトをもとに撮った写真の一枚だった。
 先週月曜、7年ぶりに再会した彼女に、その時の気持ちを尋ねると、「ただ、そういう写真なんだと思いました。」と、彼女らしい回答。とても変わってい て、面白い子。友だち?ではないか・・・、単なる先輩後輩でもなく、自分の意味不明な行動パターンによく付いてきてくれた。金網をよじ登ったとか、廃屋でのサバイバルゲームとか、ハチャメチャな思い出話がまるで昨日のよう。
 95年撮影。場所はのうが高原宿泊棟の一室。コールマンのツーマントルランタンが光源。なぜこの写真を引っ張り出したか?今、自分の心理状態そのものだからだ・・・。

013-03-19 21:20


最後に残るもの
 山の中を走っていると、誰も住まなくなった集落や住居跡と出会う。木造建築は、その重さを支えきれなくなり、いつか倒壊する。実際、初めて訪れた時建っ ていた家が、数年経って再訪したとき倒れていたということは少なくない。そんなとき最後に残るのが風呂場と台所だ。端島(軍艦島)の鉱長宅もそうだった。 北海道にある川北温泉は、廃業した旅館の湯船だけが露天風呂として使われている。
 今日出会った住居跡は、「こんなところに住んでいたの?」と驚くほどの山の中。この五右衛門風呂以外にも、やはり台所、真空管テレビ、古いトラックなどが残されていた。いまや露天となったこの湯船も一日の疲れを癒す大切な空間だったのだろうが、陽の光も届かない鬱蒼とした杉林の中、どうしてもそのやさしい時間をイメージすることができなかった。

2013-03-17 21:30


106
 1年ぶりに福島の友人と話した。彼のようなライダーが地元にいたならどんなに楽しいだろう。

2000年8月29日、初めて出会った道。

013-03-16 23:59


Scenes from A Memory
 知ってるか?今年に入って3ヶ月半、まだ広島県から出たことないんだぞ。この日曜が怪しかったので確認してみると、マップの県115からR191に左折 した。島根県境までわずか300m。来週20-21が久々の連休。もう1日あれば迷わず種子島だが、別府、長崎、逆では明石といったところ。行ったことがない誰もいないところが希望。これからグーグルマップ散策。

 ダメだ。どこ見ても行ったことあるところだ。(笑)豊後竹田と豊島(岡山)、もしくは直島再訪を追加。

2013-03-15 21:23


あたりまえの風景
 父がカブでお世話になっていたバイク店が、突然、更地になっていた。オーナーのお父さんと父は交流があり、ぼける前頻繁に訪ねていたらしい。父が亡く なった後も、カブの自賠責の更新手続きをしてもらった。宮島SAに行くルートの途中にあり、先日貼り紙がしてあったのには気付いていたが、お父さんがもう長くないという話を聞いていたため、臨時休業程度にしか思っていなかった。
 最近古いことを書いているからか、自分が年をとったからなのか、あたりまえの風景が、あたりまえじゃなくなることがつらい。変な例えだが・・・、膝を擦りむいてシャワーを浴びるとき、最初にお湯がかかる瞬間のあのヒリヒリ感。意外に痛い。

2013-03-14 21:09


GRAFFITI "1963"
 陀峯山は大好きな場所のひとつ。家からいちばん近い瀬戸内多島美ビュースポットだ。日が沈むころ、夕日に向かって、ギラギラと反射する太陽の道ができる。その光の道は、途中の島影を真っ黒に浮かび上がらせ、良い意味で立体感のない、写真のような絶景をつくりだす。
 家の古いアルバムには40年以上前、自分が三才のころ、父とその会社の仲間と写っている写真がある。自分で運転するようになって訪れたのは90年代に入ってから。電波塔そばの東屋では、コーヒーを淹れたり、焼肉をしたこともある特別な場所。同時に母の故郷でもある。
 駐車場を挟んだ反対側に突出した岩があり、90年代後半、ここに刻まれた面白い落書きを見つけた。落書きといっても、深さ7〜8_、太さ2cmくらいのしっかりしたもので、大きさは半畳ほど、巨岩上部に直接彫り込んである。
"LOVE with PEACE and TRUE 1963 10 MAX"
 そのまま受け取るなら、1963年、"10 MAX"という人物によって書かれたとプロファイルできる。最初に岩国ベースのアメリカ兵が浮かんだが、内容がしっくりこない。江田島術科学校の関係者も考えられる。もちろん一般の日本人である可能性もないとはいえない。今の時代、バッテリー駆動の電動工具を使えば簡単だが、ノミでの手彫りならそこそこの時間がかかるだろう。彫られてから今年でちょうど50年、半世紀が過ぎたことになる。
 落書き行為そのものは推奨できないが、例えばラスコーやアルタミラの壁画ように、時間が経過することで何らかの意味を持ってくる。自分が生まれる前に刻まれ、30数年が経過した時点で出会った。3才で訪れた時にはすでに存在していたのだ。
「どんな人が彫ったのだろう?」
 当時20才だとしても今70才。それ以上ならもうこの世にいない可能性も。そういう自分も20-30年後に生きているか怪しいが、この落書きは少しずつ重みを増しながら時を刻み続ける。そして、新しく訪れた誰かを、ノスタルジックな気分に誘うのだろう。

 この日(3/10)カメラは持っていなかったが、帰って古い写真を探すと1999年5月31日17時前ごろに撮ったものが残っていた。ノストラダムスやY2K問題が話題のこの年からすでに14年が経過。元気に旅を続けられていることに感謝。

2013-03-13 20:10


雪の中で見つけた・・・
 冬の間チェックしてるのが芸北国際スキー場のサイト。もちろんスキーやスノーボードをするためではなく、芸北の積雪情報を得るため。今年は少し早く、この10日に営業終了。雪がなくなればいくらでもいける頂上だが、雪がある状態でたどりつくのが目的。昨年は3.29にトライ、二川分岐では積雪数十センチで早々に引き返した。今日は午後からフリーだがメンタル落ち気味。上記情報をもとに気分転換の旅に出た。
 二川の分岐は何の問題もなし。しかしわずか数百メートル走ったところで行く手を阻まれた。雪質はジャリジャリのフレーク状で、フロントがまったく食いつかない。密度は高く、少し埋まっているだけなのにスタンドなしでも自立している。
 少し歩いてみた。日なたではすべて融けているが、さらにその先の日かげでは同じ状況。ここだけならクリアできるが頂上到達は無理だろう。気温は15度前後はある。暖かい日差しに、そこかしこで雪解け水がチョロチョロと音を立てている。お目覚めのクマさんでも出てきそうな雰囲気。緑の季節は近い・・・。

2013-03-12 21:14


Road to Ruin
 廃虚、廃墟が嫌いだ。正確に言えば、廃墟という言葉自体が。もう何年も、それ以外の言葉では表現できない時に限定し、なるべく使わないようにしている。 (代わりの言葉として遺跡、遺構、産業遺構など。)理由は、廃墟という言葉が持つ大部分を、ネガティブな側面が占めているから。ただその解釈は、なんの根拠もなく個人的主観による。
 もともと廃墟という言葉の意味は抽象的だが、ここ10数年のブームにより工場、鉱山、民家などを限定的にイメージしてしまう。不景気で閉鎖とか、産業構造の変化とか、民家に至っては心霊スポットとか。また一方では、時間が止まってるとか、死んだ島とか・・・。バカバカしい話だ。人間の意識など寝てるか起きてるかただそれだけ。魂とか霊とかそんなもの存在しない。もし幽霊がいるなら、広島は幽霊だらけ。
 人間というのは都合のいい生き物である。その辺の霊園にある墓をあばけば大問題になるが、古代の古墳を掘れば、「発掘」という大義名分がつく。やっていることはまったく同じ。いわゆる廃墟探索はやはり前者に当たる。
 廃墟を定義するなら、生きた人間がそこに居るか居ないかというところか。確かにその場所にハッピーが詰まっているかといえばそうでもないが、それはその場に居るものの解釈しだい。目を閉じたとき浮かぶのは、きれいな花咲く緑の中、肩に小鳥を乗せたロボット兵が散歩している天空の城。やっぱり「廃墟」でな く「遺跡」がしっくり来る。文がまとまらないのでこの辺で。

2013-03-10 09:29


Bobo Doll Experiment
アルバート・バンデューラ(Albert Bandura 1925年12月4日 - )
 自己効力感や社会的学習理論で知られるカナダ人心理学者。カナダのブリティッシュコロンビア大学を卒業後、1952年、アイオワ大学にて博士号を取得。 アメリカのスタンフォード大学の心理学教授を長く務め、1974年には、アメリカ心理学会会長も務めた。1990年にはその学問的功績に対し、ウィリアム・ジェームズ賞を、また2004年には幅広い応用分野での功績に対し、ジェームズ・マキーン・キャッテル賞を、アメリカ心理学協会から受賞している。
 1950年代後半、当時優勢であった行動主義学習理論の中で、社会的学習理論(モデリングによる学習)を提唱したことでも知られる。従来の学習理論が、 学習する個体(人間や動物)自身の経験を前提としていたのに対し、学習が他の個体の行動を観察することによっても成り立つことを実証し、新たな理論づけを行った。
 1990年代に提唱された自己効力感についての理論は心理学にとどまらず、教育学や社会学にも大きな影響を与えた。

バンデューラの実験
 子供たちを実験群と対照群の2つのグループに分け、実験群の子供たちにはおもちゃの部屋で1人の大人が風船のように膨らませた「ボボ人形」に乱暴しているのを見せる。対照群の子供たちには普通に大人が遊んでいるのを見せる。その後各グループの子供たちを1人ずつおもちゃの部屋の中に入れ、その様子をフィルムで撮影する。
 結果、実験群の子供たちは対照群の子供たちに比べて目に見えて攻撃的だった。この実験からこどもは明らかな強化を与えなくてもモデルの行動を自発的に模倣することが分かった。

2013-03-08 08:26


1990 #6 SKY HIGH
1990.8.11-12 富士山・滝沢林道
 滝沢林道は他に類を見ない林道だ。終点の標高2,305m新五合目まで、峠のない、とにかく登るだけの道が続く。最後の最後で2箇所のがけ崩れに遭遇した。そこで知り合ったオフロードライダーに助けてもらい、二つともクリア。斜面をトラバースする走行では、谷側にハンドルを切るということを初めて体験し た。
 今この歳になってあのがけ崩れを前にしたなら、たくさんの考えが浮かぶはす。車ごと落ちたらとか、明日の仕事のこととか。もしかしたら引き返していたかも知れない。しかしあのとき、どうやったら越えられるかということしか頭になかった。失敗したらどうなるかなんて想像もしなかった。通り抜けても何の報酬 もないのに。
 当時、下りのスバルラインは料金徴収がなく、タダで通過できた。滝沢林道はきれいに舗装され、最後の数キロが通年通行止となっている。若さ、無謀、無知、あの頃の自分が、ときにうらやましいとさえ思う。

2013-03-07 22:42


1990 #5 遺構元年
1990.7.28-29 甲信林道めぐり
 ガイド本「林道最新情報」をもとに、無駄のないルートで林道をコレクションしていく。走ったのは、八ヶ岳林道〜ビーナスライン〜蝶ヶ原林道〜東豊・御林林道〜湯沢林道〜金倉・倉下林道。この中でもっとも思い出深いのは湯沢林道。途中渡る赤い橋が印象的。延々登り続けてたどり着いた場所は、「毛無峠」といった。辺りには見たこともない景色が。錆びついて赤茶けた鉄塔がそびえ立ち、眼下には植物の生えていない黄色いエリアが広がる。
「小串硫黄鉱山跡」
 もう23年も前のことで不確かだが、おそらく初めて出会った産業遺構ではないだろうか。翌年再び訪れることになり、面白いトラブルに見舞われた。それはまたそのときに。

2013-03-06 21:28


1990 #4 道は生きている・・・
 那須の北温泉で旅が始まり、茨城のなんでもない空き地で未舗装路の楽しさを知る。その二つが融合するのは必然だった。

・5/5-6 奥多摩林道
 この1週間前の4月終わり、試合で左ひざ靭帯2本断裂。ジムニーはもちろん5速MT。今考えるとありえない。
 助手席のめぐみさん曰く、塩山から見た夜景と、杣口(そまぐち)林道で出会ったキツネが忘れられないとのこと。
・6/16-17 南アルプス林道縦断・もっとも死に近づいた場所広河原
 同じくめぐみさんと一緒。前回書いた。
・6/19-20 富士五湖林道めぐり
 死にかけた2日後。
・7/28-29 甲信越林道めぐり
 「林道最新情報」をもとに。
・8/11-12 富士山・滝沢林道走破
 他のどこにもないロケーション。
・8/24-26 北アルプス林道群
・9/7-8 秩父・御荷鉾林道
 当時、関東最長ダート。
・10/20-21 山梨〜静岡・井川雨畑林道・寸又峡ほか
 「今日帰れないかも・・・。」と連絡を入れた。
・11/10-14 東北林道・怒涛の温泉地獄5デイズ
 温泉、林道の組み合わせとしては最強の旅。

 そもそも林道とは?オフロードも未舗装路を示す言葉だが、オンロードの対義語としてジャンル的意味合いが強い。ダートは単純に未舗装路を指す。それに対 して林道は、森林の開発・管理のため、山で隔てられた集落の生活道路、いにしえの街道を拡張したものなど目的は様々。ただ、ここで言う大前提は、未舗装路であること。そんなとき一冊の本と出会った。
「89年度版 林道最新情報vol.1」
(その後vol.4まで購入。4WDフリーク別冊の「日本林道風土記」とともにバブルとなった。)
 その冒頭に記された一文。
「林道はただの一度だって僕らに同じ顔を見せることはない。移ろいゆく季節の中で、今この一瞬しか見ることのできない風景、感じることができない大地の鼓動−。」
 林道は、時間、季節、昼夜、天候、標高、様々な条件下で違った顔を見せる。絶景のスカイラインであったり、鬱蒼とした木々のトンネルであったり、清流に沿う紅葉であったり、いつも心奪われる。反面良い事ばかりではない。突然のがけ崩れで行く手を阻む。地図にない支線、自然に帰ろうとしている廃道、奥深い 山中で迷い、孤独な自分を翻弄する。しかし、眼下に見える人間たちのちっぽけな世界や、住人である動物たちとの出会いがすべてを忘れさせてくれた。そこに は、神でも人間でもない、自然の一部と化した自分がいた。
 もう一つ、林道には「冒険」があった。地図に記されている本線以外にもたくさんの脇道が現れ、片っ端から入り込んだ。その多くは行き止まりのピストンコースだったが、誰も住まなくなった集落にたどりついたり、いつ作られたのかわからない石垣に出会ったりして、ノスタルジーをかきたてられた。その後、さらに先を目指そうと、バイクを手に入れることになる。
「道は生きていた。」
 過去形で書いたのには意味がある。そのほとんどが、今は舗装化されたり、通行止のゲートで閉ざされているからだ。(当時、走り回った自分たちにも責任がある。)さらに、たくさんの道を走ってきた慣れ、地図やネット、モバイル機器の進化によって、行く先がネタバレするようになり、「ここはどこ?どこに出る んだ?」と、不安や高揚感にドキドキして進むことは少なくなった。それでもやはり、
「道は生きている。」
 「なんだこの倒木は?」、「こんな道あったっけ?」。走りなれた道も違った姿を見せる。誰もいない峠で一人ホットコーヒーを飲みながら、今も変わらず、自然の一部となっている自分に気付く・・・。

2013-03-03 11:06


In the air...
 違うことを書こうと思っていたが、佐藤英吾が死んでしまった。また明日・・・。

2013-03-01 22:12

2

Time Travel Ticket...
 先週のこと。いつも使っている学習机の隙間に紙が挟まっているのに気が付いた。これがかなりのツワモノで、なかなか出てこない。最後は定規にセロハンテープをくっつけて何とか取り出すと・・・。
「カレーショップ サービス券。東京カリー。」
 記憶をたどらずともすぐに思い出した。

Day59 2000.6.12 Mon もう寄る場所はない
 朝8:20鹿児島港到着。天気予報はよくない。そして問題再発。本部で乗船前に気づいたのだが、那覇で交換したチェーンスライダーがもう擦り減っている。都井岬、佐多岬に寄りたかったが、九州ならいつでもこれる。即北上して、はるかなる我が家を目指した。
 鹿児島を抜けないうちに雨。スライダーはネジが外れ、左足で押さえながらの走行はかなりつらい。ノンストップで別府までたどり着いた頃には夜になっていた。
 この旅最後になるであろう今夜はリッチにビジネスホテルに。別府だからお風呂も温泉だ。
2012.3.24追記
 昼はどっかの道沿いにあった「東京カレー」というお店。夜は別府駅近くの「松美」というビジネスホテルに泊まった。ジョリィパスタで旅を振り返る。

 13年前、九州沖縄を2ヶ月かけて回り、鹿児島に帰ってきた日に寄った店。確か船が着いてすぐ鹿児島市内のコインランドリーに入り洗濯。乾燥機にかけている間に雨が降りだした。一気に家へ帰る気になり、昼食で寄ったのがこのお店。錦江湾を離れて、宮崎へ向かっている途中だと思っていたが、実は姶良町(鹿 児島市近郊)。記憶と言うのは曖昧なものだ。
 ストリートビューで調べてみると焼肉屋に変わっており、住所検索では今も「東京カリー」でヒットする。

 もう一枚紙が挟まっていた。今度は大学時代アルバイトしていた厨房設備会社の連絡先。こちらはもっと古い。93年に広島に帰ってきたのでちょうど20年経っている。よくお宝や、写真、絵画などの貴重なものが、一般家庭の何気ないところから見つかったと記事になるが、こんな感じなのかもしれない。これだけ頻繁に使う机の間に13年、20年と息をひそめていたとは、「ラストアクションヒーロー」の映画の半券を思い出した。2枚ともどうでもいい紙なのだが、 ちょっとした時間旅行に連れて行ってくれた。

2013-02-28 20:43


Just Like Paradise 黒瀧山 1999.2.17 14:49
 意図して選んだ訳でもなく日付を見ると、14年前のおととい、2月17日の黒瀧山。例によって150メガピクセルのFinepix600z。この写真もサイト開設初期に載せていたもの。右奥の小島が大久野島で、さらに奥の大きな島が大三島。山頂に立ち、同行の友人にシャッターを押してもらった。
 ここ数年訪れていないが、何度も登った山。秘密の場所にタイムカプセルが埋めてある。頂上直下には観音堂や鐘楼、鎖場など見所たくさん。

2013-02-19 18:02


のうが高原アタック
 入口の砂防工事は、もうかれこれ4-5年やってるのではなかろうか?サイト表紙に載せた、いつものフレーミング、いつもの倒木までは何事もなかったのだが・・・。
 最初の1-2本は問題なかった。しかし「これでもか!」と、越えても越えても現れる直径50cmクラスの倒木。もう引き返す方がつらい。一気に越えるテ クニックは持ち合わせていないので、フロントだけクリアしてあとは力ずく。途中からぶん投げ。そのうち乳酸値マックス。久々に心が折れ、「何の意味があってこんなつらい遊びを?」などと自問自答したり・・・。身体はヨレヨレの反面、「まさにこれがトリカルボン酸回路嫌気的解糖。なるほど効率が悪い!」などと生化学を身を持って知る余裕も。なんか焦げ臭い。
 頂上大地に雪は少なかったが、北側日陰の路面は5cm程度の雪に覆われていた。新しいトライアルタイヤ痕あり。この日いちばん印象に残ったのは、まるで白骨化した恐竜の背骨のような倒木。ここでかなりの時間くつろいだ。タイヤ痕の主2台とすれ違い、1台(ナンバーなしトライアル競技車両。)と談笑。一人になって、焦げ臭い原因に気付いた。右脚の内側のオーバーパンツ溶けまくり。経済的損失大。アタック専用にしよう。
 5年ぶりに山頂展望台(地図上のポイント)に登った。相変わらず素晴らしい眺め。この付近の倒れかけた別荘は90年代に回ったが、何気なく寄った一軒に不思議なものが。昭和58年あたりの記録物の中に、どう考えても新しいワープロ検定の証書。持ち込んだにしてもなぜ修了証書?みたいな。壁にコートが掛けたままになっていて、夜逃げしたような雰囲気。オープンリールのテープも残っていた。何が録音されているのだろう。家には再生の手段があるが、聞いてから一週間後死ぬのではなかろうか?そうそう、黒電話もあった。受話器取らなくてよかった。もしかしたら床下に井戸が・・・。

 帰ってから広島県立美術館・船田玉樹展。「異端にして正統〜」のコピーは言いえて妙。洋画より日本画、静物画より風景画が好きなのを再認識。

2013-02-18 21:45


SA5
 西広島バイパスでは0℃の表示が。距離が短いのでそれほど寒さは感じないが、やはりまだ2月。10Rの記録で面白い気付きがいくつか。

宮島SA Time TRIP FUEL km/L @ COST
2012/12/22 23:36 38.6 2.63 14.68 151 397
2012/12/29 21:56 36.7 2.51 14.62 155 389
2012/12/31 21:04 37.1 2.77 13.39 154 427
2013/1/3 13:36 34.6 2.36 14.66 155 366
2013/1/19 14:26 34.6 2.53 13.68 157 392
2013/2/2 21:50 34.7 2.52 13.77 157 396
2013/2/9 21:45 34.6 2.39 14.48 157 375
2013/2/16 22:00 34.7 2.92 11.88 159 464
             
        16.98     

・意外に長かったカブの天下が終わり、10Rが抜け出てしまった。
・12/22以降8回乗っているが、すべてSA。
・今年に入ってからは恐ろしく正確に34.6-7km。
・12/22は22:00以降のためスマートSAの出口が閉まり、廿日市ICへ。近所のGSも閉まり観音へ。
・12/29の2kmがなんなのか不明。気になる。
・12/31は時間内だが、大晦日でいつものGSが閉まっており観音へ。
・約2ヶ月でリッター単価が8円も上昇。
・高速区間が多く燃費が悪い。09年10Rに乗り始めてからの累計燃費がついに17.0kmを割る。

 と、他人にはどうでもいい解析でした。
 今年に入ってまだまともな旅をしていない。出遅れてるトリッカーで、久々の「のうが高原」か雪のあるところに。

2013-02-16 23:06


もうひとつの始まり
 オーソドックスな旅の始まりが北温泉だとすると、この場所がまさに初期旅スタイルの始まり。(もうひとつ初めてのバイク旅と言える旅があるが、こちらはまた今度。)
 自動車免許を取得したのは23と遅かった。将来的なことがメインで、特に車が好きだった訳でもなく、ましてやバイクなど何の興味もなかった。しかし、免許を持てば車が欲しくなるのは常。明けて90年2月、初めてのマイカー、先代ジムニーを手に入れた。
 そのジムニーでさえアルバイト先の同僚の影響によるもの。学生のため選択肢は軽だったが、ただの軽では味気ない。「ジムニーは遊べるぞ!」とのすすめを受け探したところ、「平成元年式ジムニー550パノラミックルーフ(4,400km走行)」と出会った。
 当時4万4千円1Kのアパートに住んでいたが、付近の駐車場の相場はなんと5万。近所の路上駐車では気になって夜も眠れない。家から原付で30分もかかる弟のアパートの近くに、1万ポッキリの物件を見付け契約した。
 翌月3月半ば、車で向かったのはチームの春合宿が行われていた茨城県石岡の大学合宿所。パートタイム4駆のジムニーでは、一度車から降りてフロントハブをロックし、トランスファを4Hにチェンジして4輪駆動となる。この空き地で、ダート(未舗装路)とは何かを知ってしまった。
「なんて楽しいんだ!」
 急にクラッチをつないだり、曲がりながらアクセルを踏み込んで、ホイルスピンさせたり、そのうち、急ハンドルを切って片輪を浮かせたりとエスカレートし ていく。免許取得からジムニーとの出会い、そしてダートへの目覚めと、正当な進化を遂げた瞬間だった。今思えば、スタートが山中の林道ではなく、市街地の空き地というのが面白い。これ以後、経験と失敗を繰り返し、必要なツールを増やしながら、日本中を走り回ることになる。

 マップを右下ににドラッグしていくと、野球場をこえてフットボール場が。今まさにスクリメージ(試合形式の練習)が始まろうとしているところ。いつの空撮?人数が少ないが、春合宿なら1年生いないからこんなもの?懐かしい。

2013-02-13 08:56


1990 Season #2
6.16-17 南アルプス林道縦断・もっとも死に近づいた場所広河原

 この時のことはもう何度も書いてきてるのでさらっと。
 大学の友人めぐみさん(2012年12月、十数年振りに甲子園ボウルで再会。)のスターレットと2台で山梨方面に向け走り出した。当時屈指のロングダー トだった南アルプス林道へ、南側の早川からアプローチ。登山基地にもなっていた広河原近く、登りの左カーブでコントロールを失い、ガードレールのない崖に前輪を二つとも落として停止した。視界に見えるのは川の向こう岸。崖下は20-30mあり、落ちていたら間違いなく即死。以後の人生は存在しない。もちろんこのブログも・・・。
 助けてくれたビッグホーンの家族。家に帰ってからお礼をしようとナンバーを控えたが叶わず。
「練馬 52 X XXXX」
 23年経った今でもすぐに思い出せる。

2013-02-06 18:09


BP=119/73 P=80...
 さっき体重を計ってみると76.0kg。
「ななじゅうろく!?」
 記憶にある高校時代ですでに77-78kg。30年以上なったことのない数値。
「病気か?」
 血圧を測ってみた。
「110/61、脈拍74」
 健康そのもの。このリストバンド式血圧計を使うたびに思い出すのはタイトルの数値。
「BP=119/73 P=80...」
 こちらも健康そのものだが、去年の7/14の朝8:30、父親が心停止する10分前の数値だ。新しく測定するたびに古いメモリは一個ずつ消えるため、なんとなく使いづらい。基準値を逸脱すれば明らかな異常があると考えられるが、基準値内だからといって健康だとは限らない。来週から落ち着くので、たくさん食べにいこ。

2013-02-02 23:33


1990 Season #1
 昨日久しぶりに、大学の友人カワダと話した。驚いたのはもう9年も会ってないということ。04年にZZ-Rを福島から持って帰るときに寄って以来。ホント、昨日のことのようだ。
 やはり近い感性を持っているのだろう。お互いが思っている言葉がポンポン出てくる。思えば、初期の旅ほとんどをヤツとともに経験した。すべて強力な記憶ばかり。もちろん見るものすべてが新鮮だったし、何より目的が明確だった。
「目的の秘湯をコレクションする。」
 そこにリラクゼーションや癒しは存在せず、無尽蔵のスタミナを使い、夜中も交替しながら走り続けた。そういえば、古い旅のことはあまり書いたことがない。ネタとしては底なしなので、90シーズンからさらっと振り返ってみよう。

12/23 伊豆温泉・今井浜ほか
11/10-14 東北林道・怒涛の温泉地獄5デイズ
10/27-28 伊豆温泉めぐり 独鈷の湯 今井浜温泉
10/20-21 山梨〜静岡・井川雨畑林道・寸又峡ほか
9/22-24 友人Kの軽井沢別荘
9/7-8 秩父・御荷鉾林道
8/24-26 北アルプス林道群
8/11-12 富士山・滝沢林道走破
7/28-29 甲信越林道めぐり
6/19-20 富士五湖林道めぐり
6/16-17 南アルプス林道縦断・もっとも死に近づいた場所広河原
5/5-6 奥多摩林道
3/26-27 大雪撤退・無念の那須三斗小屋温泉〜弁天温泉

 まず、3/26-27大雪撤退・無念の那須三斗小屋温泉〜弁天温泉。あの北温泉から1年後、再び那須を目指した。目的地は車を置いて茶臼岳を迂回し徒歩で2時間ちょっとかかる「三斗小屋(さんどごや)温泉」。この日は3月後半にもかかわらず、また大雪に見舞われた。ジーンズにウインドブレーカーという軽装で歩き出したが、吹雪でなかなか距離を稼げない。道は積雪により消え去り、ただの斜面と化している。
「ホワイトアウト!」
 距離感がなくなった。白の恐怖を感じたのは後にも先にもこの時だけ。昨日の電話でこの話になった。
「知らないということは恐ろしいことだ。」
 こちらが口に出そうと思った言葉を先に言われた。怖いもの知らずと無謀は隣りあわせだ。このときまだ引き返そうとは思っていなかった。救いはこの後、完全な冬山装備で下山してきた6-7人のパーティー。
「こんにちは。」
 挨拶を交わしてすれ違ったが・・・、これ以上進むのが無謀であることを理解した瞬間だった。そのまま下山し、駐車場近く、こちらも名の通った「弁天温泉」に宿泊し、必ず二人でのリベンジを誓い合った。

  お互い仕事を持ち、時間が取れないまま、10年の歳月が流れた。

 00年、仕事をやめ放浪旅に。その北海道からの帰りに合流し、10年越しの悲願を達成。実際、雪がなければ単なる軽登山だったが、あの日を思い感慨一入(ひとしお)。同時に、目標を失った喪失感も味わった。

2013-02-01 22:05

1

すべての始まり
 恥ずかしながら21の自分。エピソードについては数日前から考えていたが、半裸写真に躊躇していた。ところが、昨日一緒に飲んだ、ちょうど二回り違う21歳の男子が、恋に涙する様子を目の当たりにし、小さなつながりを見い出した。
「ちょうどこの頃だ。」
 この写真は、二つの大きな意味を持っている。サイトのLIFE(生涯旅履歴)の最も古い記録で、日付は24年前の1989年2月14日〜15日、ト マホークス(法政大学アメリカンフットボール部)同期のカワダとワタリが一緒だった。バレンタインに野郎三人旅というのも殺風景な話だが、今へと続く、人生を大きく変えた旅だ。
 発端はカワダが一冊の温泉ガイドを手にし、すべてを制覇するという計画に便乗したもの。わけもわからぬまま、当時行ったことのある北限を塗り替えて向かったのは那須。地吹雪のボルケーノハイウェイ。かじかむ手でチェーンを巻きたどり着いた雪深い山奥の一軒宿は、「北温泉」といった。
「なんだこれは!?」
 宿の前には15mx10mの巨大露天温泉、降り積もる雪に乳白色の湯舟。移り気な自分が24年間旅をし続けているのは、この日この瞬間からだ。
 数年ぶりにカワダに電話してみた。案の定、昨日会ったかのように盛り上がる。気になった点を確認。あの温泉ガイド、今も追い続けており、未到達はあと10軒ほど。ただ、すでに廃業した宿もあったとのこと。
 もう一つ重要なポイント。今や自分を写真に撮ることは皆無だが、この頃は普通に観光地での記念写真を撮っていた。最上級生となった89シーズン、おそらく人生史上最も身体能力が高まった時期と言える。すでに、「最小限の努力で、最大の効果を得る。」という今につながる思想を持っていた。ゆえにウェイトトレーニングはあまり好きではなく、「無駄な筋肉は必要ない、使う部分のみ強化する。」が理想。身体的に衰えきった今の自分には、他人にさえ見える。(写真削除済み。)

2013-01-31 14:46


R58
 先ほど何気なくチャンネルを変えていると、見たような風景が。
「千座(ちくら)の岩屋だ。」
 昨11月に立ち寄った種子島の名所の一つ。さらにこの番組、いつか全線走破をもくろんでいる「海の見えざる道」、国道58号を追いかけたもの。

...KKB鹿児島放送開局30周年記念番組 「海の道が結ぶ自然遺産」

 種子島宇宙センターでは、ついさっきロケットの打ち上げが成功。フェイスブックでは島宿「HOPE」さんが動画をアップしている。こころ旅では火野正平が、今週来週と沖縄を巡っている。関連なく、たまたま選んだ写真とエピソードは久高島だし。
「・・・。」
 何もかも投げ出して、荷造り始めそうになった。(笑)

2013-01-27 16:11


神の降り立つ浜へ  2007 4 17 13:21
 サイトトップ更新。琉球の始祖「アマミキヨ」が降り立ったとされるカベール岬。バイクを安座真港に置き、すべて徒歩で回った。無神論者にとって、そこが神聖かはどうかはさておき、客観的な自然をもってしてすでに神々しい。終末点の影はおそらく太平洋。
 この後、島の東海岸を南下していくと、立派なガジュマルと出会った。その近くに無人の軽が一台止まっており、何気なくのぞいた後部座席に見慣れたデザインの箱を見つけ、目が点になった。
「もみじ饅頭」
 その軽の主は島の民宿の方で、たまたま宿泊者だった広島県人の手土産というオチ。神の島の記憶がもみじ饅頭というのは笑えるが、厳島神社もやはり神の島というところで納得。

2013-01-27 11:06


Night Rider
 この写真は、2005 7 24 0:00、山陽道佐波川SA下りで撮ったもの。2週連続の長崎日帰り旅。最も心に残る旅の一つだ。
 当時、月-土みっちり、休みは日曜だけという仕事に就いていた。その中で遠くに行くには、仕事を終えた土曜の夜から走り出すしかない。前の週の17日に続いてこの日も長崎を目指した。端島(軍艦島)という唯一無二の巨大遺構が、いつ渡れなくなってもおかしくないことを肌で感じていたからだ。
 島の話はまた書くとして、夜の道は、季節を問わず今も旅の日常だ。ヘッドライトに照らされたアスファルトを見つめていると、いつしか哲学的境地に踏み入る。後にも先にも車はいない。ウインカーも出さず、二車線をフルに使って究極の直線的ラインを取る。まるで長崎まで最短距離の直線であるかのように。
 蛍光灯グリーンの色温度、長距離トラック、自分だけの二輪駐車場。この写真に、夜を楽しむナイトライダーのすべてが集約されている。

2013-01-24 21:08


In Ever Loving Memory...
 過去のアウトテイクとそのエピソード放出中。カメラを向けたのには心ひかれる何かがあったに違いない。
 この写真は、2005 7 24 14:29、長崎坂本国際墓地で撮ったもの。左右のエンジェルは、サイトにも大きな写真で載せている。この奥にはあのトーマス・グラバーの墓が、その居宅とは対照的にひっそりと佇んでいる。気になるのはやはり銘文。
 「アルマイロ・チェルビン・デ・ソウザ」と読むのだろうか。中南米系の名前。長崎という土地柄、異国の地にこれだけの墓を建てられるのは、かなり儲かっていた貿易商というところか。ただ、表記はスペイン語でもポルトガル語でもなく英語。そしてクリスチャン。どこの国の人だろう。
 5回も"LOVE"という言葉を使って葬られた愛あふれる男は、今から92年前、41歳の若さで亡くなっている。子孫はいまどこに。ここに眠るおじいさんのことを知っているのだろうか。

2013-01-23 20:19


Pilot Road 2
ZX-10R OIL TIRE/F TIRE/R
37,482 2,578 26,032 18,621
2013/1/22 2.8 40.8 30.9
 ミシュランのパイロット・ロード2は、いろんな意味で驚異的なタイヤだ。上段が交換後の走行距離。下段が経過月。このライフには正直言葉も出ない。オフでは色々なメーカー・銘柄を試したが、結局BSが一番。ZZ-R~10RでもBT014~016とつないできた。
 PR2は、SSというカテゴリーのバイクが履くようなタイヤではないが、旅主体の走りには十分。ウエットでのグリップも安定している。そして驚異の耐摩耗性。
 その減り方もすごい。センターだけとんがった感じがなく全体がまんべんなく磨り減っていて、路面に凹凸のある路肩のすり抜けでも安定している。フロントはまだ2,000位行けそうだし、リヤは20,000超え確実。これで来月・再来月辺り、種子島リベンジ計画中。帰ったらフロントとオイル交換。

2013-01-22 21:06


天皇盃 第18回 全国都道府県対抗男子駅伝
・12:30スタート、7分弱で家の近く通過。復路は14:30あたり。
・14:00、トップ兵庫が楽々園から五日市。新己斐橋まで行ってみよう。
・14:35、広電西広島アウト側で応援して帰宅。ゴールまでファイト!
・15:00、全都道府県フィニッシュ!各地の友人や風景を想う。それにしても、ゴールで出迎える各県の「ゆるキャラオールスターズ」が強力。また来年。

2013-01-20 15:04


SA2
 気分転換の宮島SA。久しぶりに勤務中のヒロ吉さんとすれ違う。珍しく明るい時間に出たら汗だくに。
「春の予感?」
帰って気温を調べてみると、日中も10度に届かず。
「真冬だ・・・。」
いつもの夜走り仕様で出たためわからなかった。そういえば、初めて入ったSAのスターバックスでは、テラスに置いたコーヒーがあっという間に冷めた。自分勝手に春を感じた瞬間。それもよし。

2013-01-19 17:03


1.17 再興 第九十七回 「院展」 福屋八丁堀本店/広島駅前店
 初日ということで、製作者本人による解説は黒山の人だかり。スルーしようとしたら、なんと知り合いの娘さんが話し始めた。あまりのタイミングのよさにビックリ。

 マシンダービー、カブ独走中。この時期しか見られないグラフ。10Rやトリッカーで出たら、一気に飛び抜けてしまう。
 一応年間指針があって、10R=全走行50%未満(小排気量機会均等)と、ジムニーよりトリッカーが上回ること(バイク中心的意味合い)。目標というわけでもないのでこだわってはいないが、2012年は二つともクリアできず。モンキーは現在要修理状態。
 さて、カブの天下はいつまで続くか?

 写真は北大東島、燐鉱石貯蔵庫跡。ここを光速で通り抜けたら、違う銀河に行けそうな気がする。映画”Stargate”を思い出した。


1.6
 輝く海に浮かぶ島影は開聞岳周回路から見た薩摩硫黄島。
 2012年、最も心に残った、のどかで、途方にくれた場所。南種子町下中、郡原三文字停留所前三叉路。動かなくなった10R。