2011
チミケップホテル
 北海道は網走、津別のクソ山の中にあるホテル。かつて二度訪れたが宿泊したわけではない。
 最初は91年、すぐ近くにあるチミケップキャンプ場でテント泊。もう20年前も経つがあまりの寒さに目が覚めた記憶は鮮烈。引き換えに湖面に漂う幻想的な川霧を見せてくれた。道内でも有数の極寒の地である陸別のすぐ北東に位置する。
 二度目は00年でこの時は通過のみ。北見からのアクセスはけっこうな距離のダートを走らなければならない。走行中モトパンモトジャージのWRに追いつかれたので譲った覚えがある。20年前は津別峠(屈斜路湖を望む絶景)もダートだったが、00年にきれいに舗装されており驚いた。
 このホテルだけを目的に2-3泊泊まってみたいが残りの人生ではもう無理か?
 ホテルのサイトにリンクがある近所のノーザンアークリゾート。スキーのページにUSTREAMによるライブ中継あり。広々としたゲレンデで滑る様子は優雅でありムカつく。トリッカーでヒルクライムやブレーキターンウェーデルンで乱入したい。

チミケップホテル

ノーザンアークリゾート

 父親に新たな問題発生。2-3日前より鼻息が荒い。といってもいきり立ってるわけではなく単純に息が荒い。今朝よくみてみると両方から出血している。夏の歯の件もあるが、自分の身体の異常に対し無関心で感受性も低いため聞いても「大丈夫」としか言わない。
  一人で病院に行く能力はないので仕方なく連れて行くと、なんと小さなティッシュが左右に3個ずつ入っていて、感染しびらんを起こしていた。アルツハイマー により紙を入れた記憶も入っている感覚も数分で消失し、単純に鼻が詰まっているとしか感じていない。こればかりは24時間監視するわけにもいかず、対策不能。Drも察し、また起こったら来てくださいとのこと。母親の健忘とそれからくるうつが大きな問題にもなってきておりストレスでずっと腹が痛い。今何かあったらと思うと病院行くのが恐い。

2011-12-26 11:23


Blizzard Christmas !
・工事(3/7まで)のため県道71号不明峠越えられず西平次線へ。ダート路面は雪化粧。
・左手でゴーグルをワイプしてないとまったく前が見えない。
・カフェ246の急カーブでセダンがクラッシュ。軽パトが来ているがみな車内に。寒そう。
・そこそこ民家のある道路脇で猿軍団と遭遇。その数10匹以上。家の敷地内に消えていった。
・湯来温泉では大雪。足湯には誰もおらず。
・行きの路面は単なるウエットだったが、帰りは真っ白。遅い車にイライラするが轍以外はシャーベット。ライン外すと恐い。
・帰りのセダン事故現場ではちょうど救急車が到着したところ。やはり誰も車外に出ていない。
・オーバークールで何度かエンジンが止まる。アイドリングしても走り出すとすぐ冷える。対処法は?
・雪道は楽しいけどたくさん降ってて気温が低すぎると問題あり。積雪はあるけど気温が上がって青空というシチュエーションが最適。
・ 路面シャーベットで左手ワイパー、右手だけの運転はさすがに恐い。しかしすべての雪がこちらに向かってくる様子はまるでスーパーマンのオープニングの星のよう。頭の中にテーマ曲が流れる。ライダーとして特別な何かを独り占めしている優越感がある。ゴーグルをしているのに目をパチパチしてしまう自分に笑う。

2011-12-25 09:48


ChthoniC

玉碎:台語版

Broken Jade:English Version

 おとといものすごいPVに出会った。生み出したのは台湾のChthoniC(ソニック)。すでに10年以上のキャリアがあるらしいがまったく知らず。いや、興味がなかったといったほうが正しいかもしれない。なぜならアルバムジャケットに見覚えがあったから。今年来日もしているとのこと。リーダーは美しきBassプレイヤーDoris。
 古くからメタルを聴くものにとって、アジアのバンドが世界レベルに達していないというのは定説であり、対象外というのはしかたないところ。
 和のフレーズ、二胡、水墨画タッチの背景、漢字、戦略地図、どれをとっても驚きに値する。

「玉音放送をバックに特攻しフェニックスに昇華するゼロ戦。」

 震えた・・・。高砂義勇隊(聞いたことはあるが詳しくは知らなかった。)をコンセプトに作られたアルバムの中の一曲で、調べてみて絶句。他国民のために死んでいく時代背景は想像を絶する。

高砂義勇隊

 歌詞がわからないので日本人としてむやみに賞賛することは出来ないが、映像そのものを素直に受け取れば非常に重い。
 母は終戦直前、呉の防空壕に通い電池のコアを作っていた。8月6日、原爆のキノコ雲は江田島切串の火薬工場が爆発したのだと思ったらしい。さらにその一週間後、作業中に何かあるというので広場に出た。そこで聞いたのが玉音放送。
 当時まだ13の母はその意味が理解できず、泣いていた近くの大人に聞き涙を流したという。

玉音放送(サウンド再生可能)

 真偽は定かではないが、今上天皇について気になる一説も見つけた。

「疎開先で戦況についての説明を受けた際、特攻に対して疑問を感じ、「それでは人的戦力を消耗する一方ではないか?」と質問して担当将校を返答に窮させたという。」(当時12歳前後)一般人が公に口にすればただではすまない言葉。

今上天皇

 大戦時の当事者はもちろん昭和天皇だが、何かのタイミングを感じ天皇誕生日に記す。

 写真は昔載せていた戦時中の父と小学校の卒業写真。自分も同じ小学校を出た。
 祖父初吉は日露戦争時二百三高地で戦い、目の上に銃創があった。

 うちの再生リストでしばらくの後"Amon Amarth"がかかり、一瞬"ChthoniC"かと勘違いした。(笑)サウンドは完全にヴァイキングメタル。このPVも・・・、大戦、中東、ヴァイキング。人類の歴史は殺し合いの歴史。

Twilight of the Thunder God

2011-12-23 10:19


Silence
 なるべく一日一曲ずつあげるようにしてるYou Tube。去年と今年のものを整理してみると削除されてるものがなんと多いこと!自分が選んでるものだから全部好きな曲ばかり。でもいちばん驚いたのが時間の流れ。「この曲もう半年前?」みたいな。

2011-12-22 21:49


Winter Solstice :冬至
 世界時の換算がいまいちよくわからないけど、今現在もう冬至はすぎたよう。あとは日が長くなるのみ。今年もまだまだ走ります。

2011-12-22 18:39


AIR:Links
 ブラウザのお気に入りが乱雑になってきたため10年ぶりにリンクを作ってみた。人、島、宿、場所。調べたり、買ったり、気になったいたりするごく私的なもののため、サイト下のアスタリスクにひっそりと掲載。どれも定期的にチェックしているものばかり。新規ウィンドウであくようにしたので今度から一気に飛べる。お気に入りもすっきり。

2011-12-20 22:37


ひとつの区切りが終了。
 打ち上げで9才下の女子から面白い意見。同年齢に比べ考え方がネガティブですごく老けて見えるそう。心配事が多いからかな?今一番気になっていることは両親ではなく、トリのリヤタイヤに刺さった石のこと。まだ山あるのに換えるべきか使うべきか?

NFL
 ついにパッカーズが負けた。それもチーフスに。甲子園ボウルは関学、社会人はオービック。

Katherine Jenkins
 被災地訪問が全国版ワイドショーに。

2011-12-20 09:59


ポンム・スフレ14~雙津峡温泉「憩の家」

津和野カフェレストラン「ポンムスフレ」
企画メニュー「来ら丼(シュニッツェル丼)
かぼちゃプリンのケーキ

雙津峡温泉「憩の家」

今日のメイン県道134。

次回
木部谷温泉 松の湯
柿木温泉 はとの湯荘
深谷峡温泉 清流の郷

気になる集落二つ。

2011-12-18 22:21


 こころ旅が終わってしまった。「街道てくてく旅」はキャストが変わっていたけど、こころ旅は火野正平以外考えられず。車での移送をどんどん使っていいのでぜひ続編を期待。

にっぽん縦断こころ旅

 県北、津和野に待望の本格的初雪。スノーライドできるかな?

津和野周辺ライブカメラ

12/18 甲子園ボウル
 現役時代乗り越えることが出来なかった強大な壁「日本大学フェニックス」と、日本フットボール界の名門「関西学院ファイターズ」の対戦。
 このカードは84年、1年生QB野村がタイムアップ寸前に決めた2ポイントで両校優勝。強烈に印象に残っている。あれから27年とは・・・。

第66回毎日甲子園ボウル

Nurburgring Nordschleife
(ニュルブルクリンク ノルドシュライフェ)
  レース好きなら誰もが知るドイツのサーキット。最近またツーリストトロフィー(PS2二輪レースゲーム)にハマっていて一日一回は必ず走る。現在のベストラップは6分59秒830。You tubeの動画では6分40秒のありえないタイムもあがっている。それでも7分50秒から始めて7分切るまで、50秒以上も短縮。
 ゲームとはいえ「タイムを削る」という意味がすごく理解できる。「絶対無理」と思っていたタイムが突然3秒も縮められたり、そもそも6分台なんて夢のような世界だった。
 リアルサーキットではこれに天候やセッティング、他のライダーとの駆け引きが絡み、実際のライダーの凄さがわかる。
 マシンはもちろん清成のセブンスターCBR。一箇所ショートカット、カルーセルではガードレール走りなんかしちゃってるけど楽しめればいいんです。
 10Rでの安全運転にも効果あり。古城を望むストレートエンド。360kmから人間だけ吹っ飛んでいく映像を見ると、とても恐ろしくてリミッターかかります。

 少し前にサイトに載せた動画。脇阪の解説はとてもわかりやすいので参考まで。

LEXUS LFA / 脇阪寿一

ZX-10R

Nurburgring Nordschleife
(ニュルブルクリンク ノルドシュライフェ)


 病気の父親より柔軟な対応が出来ない母親に家の中がぐちゃぐちゃ・・・。あまりのストレスに心臓がドキドキする。

2011-12-16 23:01


ログ茶房「花みずき」13~片廻山~彫刻村~南原
 前回10/23。4台も車が止まっていて大盛況。外でお願いするとご主人がパラソルを開いてくれた。
 先日ゲレンデ2ゴケの際ブッちぎれたリヤバッグのシート固定ベルトを修理するため針仕事。寒いだろうと気を遣ってくれしょうが茶なるものを出してくれた。しょうが風味はそれほど強くなくホントにお茶みたいな感じ。
 片廻山の支線は海見山アンテナ塔直下の小ピークまで延びていて、さっきまでいた花みずきがはるか下に見える。展望も開けていて山並みが連なる。土曜を含め平日は造成作業をしている可能性が高い。途中までFTRのタイヤ痕あり。表紙は支線のマディ区間。ヌタヌタでトラクションゼロ。
 彫刻村は相変わらず。こちらはいつものようにたくさんの新しいタイヤ痕。色んなところに焚き火の跡があった。
 南原峠越え。90年代中盤より来てないんじゃないだろうか。鹿避けの網を開けて入る。単独2頭、群れ3頭計5頭と出会った。1頭はありえない斜面を登っていき、2頭は道を逃げていくので追い付いたがガードレールをくぐって谷へ降りていった。
  網からしばらくして道沿いに古い石垣が続く。最近こういうのに強く反応する。むかし車の無いころ、たくさんの山越えの峠道があった。徒歩で移動するには、 多少のアップダウンはあっても最短距離を行く方が早くて楽。今は登山者しか通らないような道でも、昔は多くの人が行き交っていたに違いない。
 あの石垣はいつごろ作られたのだろう?いにしえの街道に思いをはせる。
 南原峡の一番奥にはもう暗くなり始めているのに無人の車が二台。冠山登山と思われる。
 初めてダム下流の道に下りると、パスタフレンドなる小さなお店を発見。昔沼田の伴にあり、気になっているうちになくなってしまった店と同じロゴ。帰って調べてみるとビンゴ。近々再トライ。

2011-12-11 22:13


12.10 高照寺山~上関海峡温泉「鳩子の湯」
 12:00スタート
 柱野から高照寺山(こうしょうじさん)を目指す。六呂師まで静かな里山が現れては消える。ずっとこのメロディが流れてた。景色がキラキラしてる。

新日本紀行

 高照寺山グリーンパークは誰一人いなかったが維持管理されている感じ。キャンプサイトとしてもいけそう。山頂部、ハング・パラグライダー基地展望よし。テイクオフ地点は身体を持っていかれるくらいの強風。日唯一ここで写真を撮りたいと思ったがカメラ持ってきてない。
 山頂から北西に球体の観測機器のようなものが見える。敷地そのものもかなり大きい。近づいてみると航空管制にかかわるアンテナ施設のよう。バリケードで進めず。少し下ったところにもアメリカ軍関係の施設表示があった。入口警告板あり。
 この山の最大の特徴は、通常山頂へはピストンなのに対し山頂が通過点であるということ。通津に抜けることも出来る。二本ほど未探索ルートを記憶。またいつか。
 上関海峡温泉「鳩子の湯」。12/9オープン、600円。目の前が上関大橋。当然すべてが新しくて気持ちがいい。茶褐色の露天はなかなか。露天から海峡を通る船を見ることが出来る。
 強風であまりにも寒く、露天貸しきり状態。壁で囲ってあるにもかかわらず湯面にさざ波が立っていた。浸かってれば寒いのは顔だけで一時間ほど長湯。
 内湯は41度と42度の二つと水風呂、サウナ。シャンプーもリンスインではなくコンディショナーと別。ボディソープもある。
 休憩和室も空いており、やはり一時間ほどうたた寝してしまった。極楽。
 ポイントカード作成100円で1ポイント。(食事含む)100ポイントで100円割引券。(期限3カ月)入浴だけだと1回6点。100ポイント貯めるのに17回入る計算。一生かかかっても無理。17:00帰路に。
 帰りは柳井で無意識に右折。少し遠回りになるけど久しぶりに通るイチパッパ(R188)では満月が月の道を作っていた。
 岩国は97年から00年まで3年間働いていたため街並みを見ながら走るのは久しぶり。普段はほぼ99%欽明路。絶対寒かったはず。こっち通ってよかった。
 宮島口では路肩温度計が4℃を表示。平地では真冬の温度に近い。ここでもバイパスを通らず廿日市を抜けたが、けっこう街が変わってる。

2011-12-10 22:34


12.9
 上関を計画したけど津和野も雨降らない感じ・・・。朝決めよう。

22:30
 父の風呂。宮島SAのスマートICは22:00のため母親が大丈夫と言うのを確認して家を出た。万が一足腰が立たない場合、湯を抜けと指示を出しておいた
22:50
 SAから電話してみると、湯船に10分浸かって立てなくなり、当然母だけでは上げる事が出来ず指示通り湯を抜いたとのこと。今後両親のみの場合父の風呂は禁止!ある意味基準が出来てよかったかも。

 宮島スマートSA下り出口の道が、二ヶ月あいただけで新しくなっていた。先週ののうがといいどんどん変わっていくね。あと今気付いたけど意識したわけではなくほぼ二ヶ月おきにSA。10RもKCBM以来20日ぶり。月日が立つのが早い。

 今年の年賀状はサイトに載せてる中から選択。テストプリント出し中。

 来年の手帳。いいのが見つからない。

2011-12-10 21:30


12.9 FREERIDE350
 この動画見まくり。まさにイコールアタックツーリングなんだけどフリーライドという呼び方の方が開放感も楽しんでる感も上。今度からそうしよう。
  元々バイクに乗り始めた理由が「車でいけない先へ」。だから適性として2ストトレールは間違いで、この350やトリッカーなのかもしれない。ただ残念な事 にトリッカーはストリートに振り過ぎているし、最大のネックはタイヤを選択できないこと。KTM欲しいな〜。やっぱり新車で80万前後しそう。無理!
 すごい景色でしょ?でもよその国のことではなく真っ先に隠岐・西ノ島の丘陵地帯を思い出した。ホントにこんな感じ。アンテナの山頂なんて、つい先日雲月山で同じような場所に登った。ヒルクライムの先にわずか数畳の広場。その前の週の掛頭山もそう。
 ただね〜。やっぱり似た嗜好をもつパートナーが欲しい。去年のことを考えると一人で崖に落ちて足の骨でも折ったら餓死するか、映画「運命を分けたザイル」のように果てしなく匍匐(ほふく=この漢字初めて知った)前進するか。

「今日アスファルト?それともダート走る?」

 なんて話せる友人が近所にいたら最高なんだが・・・。

2011-12-09 14:44


12.4 のうがアタック#1
 アタックツーリングとは、道なき道を突き進むトライアル的探険ツーリング。前回より3年ほど経ち、RMXと別れてさらに遠のいていた。
 スタートに際して、あまり使っていないグローブを取り出した。このグローブは92年春頃ある人から貰ったもの。
  前年、生まれて初めて新車購入した原付以外のバイクが初代'91KDX250SR。それまでCRM250の独壇場だった2ストクオーター市場に殴り込みを かけた一台だ。買ったのは当時住んでいた目黒区鷹番のアパート近くにあったBulletとというショップ。91年は初の北海道放浪を果たし、充実したオー トバイ元年だった。
 そして翌年の春、何かの用でお店を訪れた時のこと。奥さんと若い店員さんが店を片付けており、ただならぬ雰囲気に理由を聞いた。

「・・・。」

 さかのぼること正月3日。ご主人である店のオーナーは、白金トンネルで事故に遭い亡くなったという。乗っていたのはスクーターで、目撃者もいなかったそう。生まれて初めて死を意識した瞬間だった。

(前に会った時には笑顔で動いていたのに。)

 悲しさより不思議さを感じた。お店は閉じるらしく、「使うならあげるよ。」と貰ったのが真っ白いSWANSのMXグローブだった。
 先々週芸北国際を下ったとき2ゴケし、ウインターグローブを傷つけてしまった。アタック中は寒いどころか汗だくだし転倒は想定内、そんなときこのグローブを思い出したのだ。
 すでに20年が経ち記憶は薄れ掛けているが、今でも店の雰囲気やオーナーのことを思い出すことがある。

 昼ごろマイナリストのOhIkeさんよりTELがあり宮島にきているとのこと。あなご飯のおいしい店は?と聞かれるが申し訳ありません。

「知らん・・・。」

 地元のグルメってそういうものじゃない?意外に行く事がない。また別の場所でおいしいものを食べましょう。

 のうがへのアプローチは砂防工事中。最後に来た時すでに始まっておりH24.12月までとあった。ダート入口は変わりなし。ミラーを折りたたみ、白いSWANSのグローブに付け替えた。
 いくつかある木の橋がかなり傷んでいる。土台さえしっかりしていれば近くの木で補修なんていうのも面白い。それにしても倒木多すぎ。さらにその多くが新しい切り口で、誰かが管理していることに驚く。
 トリについているのは樹脂製のアンダーガードで、倒木に乗るとあっという間に割れそうで気が引ける。しかし立て続けに現れる障害にどうでもよくなった。以前知り合いに聞いた最低地上高がないことも初めて体感。それにしても・・・。

(こんなに違うものか!)

 これまでオフ車はずっと2ストに乗り続けてきた。(半年ほどKLXに乗ったことがあるがもの足りずRMXに。)

(乗りやすい!)

斜面でエンストしたときいくら身長があってもキックスタートはきつい。セルがこんなに便利なものとは。そして4ストトルク。RMXで苦労していた場所を何事もなくやり過ごす。何か楽をしているようで複雑な気持ちになった。それでも3年経過した路面はえぐれ、乳酸値マックス。独り言も増える。

(もう無理!)

(マジか?)

(行けるんかおい?)

 など。笑
  頂上のバリケードはサイドから入れるが、なんと近くで重機が動く音がする。何か作るのか?仕方なく戻るところで今日初めての1ゴケ。行きは枝を避けながら ゆっくり下ったが、登りはスピードをつけたため思いっきり引っ掛かってのけぞり、あわやバク転モーメント。今日は安全策をとって転倒しないように心掛けて いた。今ケガをしては今後に大きな影響がある。以前なら何も考えず突っ込んでいたのに。

(年をとったか?)

 4ストの乗りやすさも相まって、さらに複雑な心境になった。それでも2ストが好き。
 カートコースに降りる途中まで林道が出来ておりまたビックリ。かなり近距離でチェーンソーの音が聞こえ伐採作業をしてるよう。施設の復活や墓地建設などこれまでにも計画が挙がっていたが、ホントに何か出来るのだろうか?鉄塔あたりに新しいトライアルタイヤ痕を見つけた。
 最後に二つのヒルクライム。二つ目でまたバク転しそうになった。最後に小さな川を渡って舗装路に戻るのだが。

(谷がない!)

 辺り一帯の木がすべて伐採され丸裸になっている。さらに。

(索道で通れない!)

 索道とは木を運搬するためのワイヤーと滑車。通常、谷を渡したり麓まで下ろすためすごく高い所にあるが、ここでは地面に這わせてある。高さがずれているものが何本か張ってあり、映画「バイオハザード」の殺人レーザーを思い出した。

(どこ通るんだ?)

 久しぶりに倒して引きずった。
 家に戻り、服を脱ぐと部屋が枯葉だらけに。

(あの時の1ゴケ。)

 ここのところ心も身体も衰えている。良い筋トレになった。

 来年出る?KTMのFreeride350。車重99kgでトライアルタイヤ標準装備。今の嗜好にこれ以上のものはあるだろうか?まさにアタッカー!

KTM Freeride350
You Tube 1 / You Tube 2

ついでに、
Ducati 1199 Panigale
You Tube 1 / You Tube 2

 今日のGBパッカーズ-NYジャイアンツの試合は凄かった。久しぶりにドキドキした試合。特にGBのファンでもないんだけどここまで来ると全勝が見てみたい。

 今日のこころ旅は先週に引き続き熊本。何人かのブログで見た赤碕小学校跡。役場に連絡を取り、中の映像も収録されていた。建物の下に見えた土台。あれは端島小・中学校(軍艦島)」だ!

熊本県津奈木町「海の上に浮かぶ赤崎小学校

今日の中国新聞に載っていた耳寄り情報。上関に9日、温泉施設がオープンするらしい。中国電力上関原発誘致に伴う国交付金が財源となっている点がかなり気掛かり。ただ室津半島から長島へのルートは大好きな場所の一つ。津和野の天気が悪いようなので早速今週末計画してみよう。半年振りの皇座山へも。

上関海峡温泉・鳩子の湯

2011-12-07 23:19


12.3 Tools
 喘息もありタバコは一度も吸ったことがないんだけど、ライターはキャンプの必需品。忘れやすいので火を使うすべての道具には紙マッチも付属してある。
 ボケてる真ん中のがメインのジッポーで、90年ごろ大学の生協で買ったもの。結局昔話になるけど20年も使ってると人格持つよね。一緒に全国を走り回ったもん。
  一番奥のボケボケなのがウインドミルのターボライター。実は今はほとんどこれを使っていて、利便性重視で少し後ろめたい。キャンプのみでしか使わないジッ ポーは次回出かけるとき必ず乾いていてオイル補充が要る。だからどうしてもガスライターになる。次回は久しぶりにオイルを吸わせてみよう。
 手前のが北海道のローカルガソリンスタンド「ホクレン」で当たったジッポー。ミレニアムという区切りにRMXで日本を駆け抜けた大切な記憶。

「Safety Summer Hokkaido 2000」

 一度も使ったことのない宝物。
2011-12-03 16:30


12.2 Long Way Home to AIR
 サイトを始めたのはPCを買って1年くらいした頃。自分を表現するというよりサイト構築そのものが面白かった。テーマは旅、バイク、写真、音楽なのは今も変わらず。今より廃虚、遺構のウエイトが高かったか。

 継続には精神状態がもろに反映する。更新しない状態で放置はイヤ。調子に乗って書いた文が時間が経ってとても恥ずかしくなりぶっ壊したくなる。特に最近は両親の事が気持ちに大きく影響するのでコントロールが難しい。

コンセプトはいつも「シンプル」かつ「ものぐさ」。写真のところを除けば、ポインターの動く範囲は右上の一部だけで足りるはず。やたらめったら新規ウィンドウを開いたり、マウス移動が激しいのは好きじゃない。you tubeはよそ様のフォーマットなのと、見てる人はわずかだと思うので別窓。

 で、懐かしいページ。下記リンクは10年前頃のメインページ。修正してないのでリンク切れ多数。自己紹介とかリンクとか、掲示板もあったりして笑う。小さな文字にも隠しリンクがあるので色々やってみると面白いかも。期間限定。

 ライディーンのいろいろなバージョンを聴いてみたけど、スタジオ録音がいちばん落ち着く。

2011-12-02 17:48


12.1 NFL
 今夜は日テレG+でパッカーズ-ライオンズ、GAORAでブロンコス-チャージャーズ、BS1でセインツ-ジャイアンツをやってて、終盤4Qをザッピング。勉強にならん。
 パッカーズとQBロジャーズのあまりの強さはある種の爽快感。ブリーズもすごいし、ヴィック(故障中)やティーボウも見てて楽しい。
  もう20年以上前になる現役時代、180cm/82kgでディフェンスタックルとしてプレーしていた。日常では今でも大きい方だが、正面に対峙する相手 チームのオフェンスタックルは185cm/90kgクラス。もっとも大きい相手は190cm/120kgだった。当然身体的アドバンテージは一切なし。こ の話はまたいつか。
 リアルタイムでのスター選手はレイダースのマーカス・アレン、ベアーズのマクマーンや冷蔵庫ペリー、そしてジョー・モンタナなど。当時から別世界の人たちではあったが、彼らの息子世代が活躍し始めている現在あの中に放り込まれたら間違いなく殺される。
 この夏身長を測ったら180.7cmで伸びた?ちなみに体重は現在77kg。ひとまわり小さくなってる。

NFL JAPAN.COM

 今日のこころ旅は熊本は美里の二股橋。この番組の面白さは地元の人たちとのやり取り。旅先では同じように興味のある人に話しかけるので、自分が旅しているような気分になる。

「ん?」

 ハートになる橋ってつい最近どこかで見たような・・・。マイナリスト周辺の誰かのブログにあったような・・・。思いだせん。

にっぽん縦断こころ旅

2011-12-01 23:23


12.1 In for a penny In for a pound

 あと5回。

 まだ振り返るわけではないけど、去年の10Rの距離を4kmほど越えていた。いろいろ心配を抱えている中でよく走ってる。今年のハイライトはやはり隠岐。

 ショート周回コースの途中でずっと気になっているカフェ。近すぎて未だ寄れず。近々検討中。

mon*chou chou:モンシュシュ

 ジェット・リーって呼び方はいまだに馴染めなくて、やっぱり李連杰/リー・リン・チェイ。

2011-12-01 23:17

11

11.27 HDD:思い出ディスクドライブ
 町内会で要らなくなったテレビやパソコンを無料で引き取ってくれるというので、21型と14型のテレビ、VHSビデオ、97年に初めて買ったPCのモニターと本体を出した。
 出す前になにか取り外しておくものはないかと開けてみると、メモリは64MBと32MBで意味なし。HDDは念のため壊しておきたい。
  このPC。17インチ・フラットCRTモニター、ペンティアム2、HDD6.4GBと現在のものとは比べ物にならないが、当時はそこそこのスペックだっ た。ウィンドウズ98で97年から03年まで使用。たくさんのやり取り、色々な思い、チャットなんかもしたな。サイトのアニバーサリーともリンクして喜怒 哀楽が詰まった円盤。

 津和野の間が開いているので今週にもと考えていたが・・・。
 無性にテント泊がしたい。鍋山と佐賀が遠のき、最後に設営したのが09年バルーン。近くの山の中を走ってて突然、「ここ、いいな!」という場所があるのにすぐ忘れてしまう。メモしとかなきゃ。
 「テントのチャックを開けたら天空」の山の頂上がいいな。鬼ヶ城?

 アメリカンフットボール関東リーグ決勝で、わが母校、法政大学トマホークスが日大に負けたらしい。4年生目線で考えてしまうためまた来年とは言いにくいが、それもチームの歴史の一つ。お疲れ様。
 今シーズン十数年ぶりにNFL(ナショナルフットボールリーグ)にはまっている。最後に生で見た試合はなんと98年1月、東京ドームでのライスボウル(鹿島を相手に0-39というひどい試合だった。)。
 レベルは問わないので地元でやってないかと調べてみると、広島大を中心とする中四国リーグの試合が、広域公園で行われている模様。(今期終了)来春もやると思うのでぜひ見に行きたい。

2011-11-27 17:48


11.26 Empire In The Sky
 You tubeの一曲は、歌詞やタイトル、時代に関連付けているんだけど、今日は山の頂上をハシゴするのでこの曲を選んだ。でも天気は最高だし曲調としては間違っていたかも。

 何年か振りに石ヶ谷林道を通ったけどよく整備されてる。天上山林道とぶつかるところの空き地でテント泊したことがあるけど、完全に山に返り、雑木林となっていた。そうそう、見近島でボロボロになる前のテント。
 何度か焼肉したことがある天上山の東屋。女物のデニムショートパンツと怪しいスケスケ下着のようなものが放置。どうやって帰ったんだろう。
 今日の目的は初雪。降っている雪を見ることは出来なかったけど、天上山では大きな水溜りに張っている薄氷をバキバキ割って遊び、掛頭山の日陰では先日降った雪が残っていたよ。
 ホワイトバレーの近くでは誰も来ない山の中で、珍しいゾウムシを捕獲しているという人と出会った。
 芸北国際のオープンは来月。でも遠くに見えるサイオトは人工降雪機でもう営業中。双眼鏡で確認すると、けっこうたくさんの人が滑っていた。
 昨日夜久々にウイスパーライト(MSR:ガソリンストーブ:キャンプ用コンロ)を点検したら燃料だーだー漏れ。かさばるピークワン(コールマン:ガソリンストーブ)を持ち出した。やはり低温では頼りになる。
 下界を見下ろし、神の目線で食べるインスタントラーメンは最高。

「サッポロ一番みそラーメン In The Sky!」

立て続けにもう一つ食べた。

「出前一丁 In The Sky」

2011-11-26 22:44


11.25
 2ヶ月近く前靴を買った。持っているほとんどがライディングを想定しているためハイカット。ローと呼べるものは2足しかない。さらに 安全性を重視するためごついものが多く、夏はとても暑い。その中で唯一軽く履けたのがナイキ・エアズームタラックプロGTXというくそ長い名前をもつト レッキングシューズ。
 このシューズはナイキのアウトドアブランドACGのラインナップで、斬新なデザインと軽さを両立したうえ、ゴアという申し 分ないスペックだった。ところが何年か前からソールが剥離し始め、しばらく放置。今期靴用接着剤で補修するも、もって1シーズンというところ。次期ライト ウエイトトレッキングシューズを物色していた。
 最大のネックはサイズ。通常メーカーでは29cm。ナイキは幅がタイトなため30cmで、気に入ったモデルのほとんどでサイズがなく、残念な思いをしている。
 なんとかサイズがあり目にとまったのがNEW BALANCE。地味なイメージしかなく履いたことがなかったが、エアズームに似たデザインと、ヴィヴィッドなオレンジが際立っていた。
 少しグレーがかった白も気に入った。持っている靴は黒ばかり。価格はネット上で7,000円前後。

「安い。」

 面白い考えが浮かんだ。今年GPで#1をつけていたスペイン人ライダー、ホルヘ・ロレンソ。彼のスーツが左が赤、右が白という左右非対称のもの。はるか昔 セブンティーンの頃、当時流行っていたコンバース・オールスターの色違いを二足買い、クロスして履いていたのを思い出した。
 二足買っても14,000円で決定!普段履きは右足オレンジ、左足白。ライディング用は右足白、左足オレンジ。ライダーならわかるはず。左はシフトチェンジで甲が汚れやすいため。
 大人99%の指摘が「履き間違えてるのかと思った」。しかしただ一人、友人の娘だけ「カッコいい」と。

「わかるヤツにはわかる。笑」

 最近熱中している番組、「こころ旅」の火野正平が履いてる雨の日の長くつが左右色違いで、赤と黒であることに気付いた。親近感!

 来た!明日早朝芸北の気温-2℃。ガソリンストーブ持参、願わくば初雪を祈り、掛頭山山頂を目指す。

2011-11-25 19:56


11.24
 今日所用で広島地方検察庁に行ってきた。(裁判員ではない。)この夏新庁舎になったそうで、とてもきれいでゆとりのあるオフィス。ただし出入りには手続きが要り、警備員もたくさん配置されている。良くも悪くも思うところ多々あり。
 3日ほど前、小さくはない事件があった。父が30分経っても風呂から上がらないというので行ってみると、とりあえず会話は成立する。「もう出る。」と言う のでしばらく待ってみるがいっこうに上がる気配がない。顔は真っ赤。明らかに何かおかしい。湯船から引き上げてみると自力で立位を保持する事が出来なかっ た。
 救急車を呼ぶか判断するため簡単なテストをしてみるが、脳障害が出ている様子はないのでホッとした。だが単なるのぼせとは違う。
 翌日、15分浸かった所でコミュニケーションは可能。しかし、湯船から自力で立ち上がることが出来ない。
  昨日はキッチンタイマーを10分にセットし、母に鳴ったら呼ぶよう伝えた。タイマーに安心して時間を忘れ、呼ばれて行ってみると、「15分経つが出ようと しない」と母。あれだけ鳴ったら呼べと伝えたのに。やはり父は全身が虚脱し、抱き上げても風呂の縁すら越えることが出来なかった。
 父親は仕方がない。5分前のことは覚えていない。こちらで対応するしかない。こたえるのは母親が言ったことを実行できないことと、それに対してまくし立ててしまう自分。
 そして今日。タイマーを8分にセットして自分で持った。時間になりあがらせようとすると怒り始める父。勢いよく立ち上がり、いつもの殺し文句「はよぅ死ん だ方がええ。」と繰り返す。どうやら10分が境界のようだ。少しでも長く入らせてやりたい。しかし風呂で死なせるわけにはいかない。
 心が・・・、晴れるときがない。

2011-11-25 00:56


11.20
KCBMしまなみ~母と子のミュージアム~伊東豊雄ミュージアム~ところミュージアム

 静岡の旅人モッチーよりしまなみでKCBM(カワサキコーヒーブレイクミーティング)とのメール。

 週末は雨予報だったが、土曜にずれ当日は晴れ。

 7:00スタート、8:30忠海からフェリー。港からは10数台のバイクが海を渡った。

 9:00会場到着。すでにかなりの数のバイクが集まっている。お世話になっているショップ”Kitty”の社長にメールしてみると、奥様とともに車で向かっているとのこと。しばらくして無事会場で会うことが出来た。

 3度目だと思っていたKCBM。社長と話していると勘違いであることがわかった。前二回はショップのツーリングとして参加。最初はカワサキの主催するキャンプツーリング。二度目は401会(カワサキショップのネットワークグループ)のもので、KCBMは事実上初めての参加ということになる。
 カワサキ車のみのパーキングは異様。他メーカーは遠くに隔離される。おっさん比率高すぎ。微笑ましい。
 大山祇神社に行くという社長夫妻と別れ、島を時計回りに走り出した。

 旧宗方小学校。廃校後宿泊施設として営業(ふるさと憩いの家)しており、何度か前を通過しことがある。ここは映画「船を下りたら彼女の島」のロケ地で、何年か前映画もチェック済み。
 校庭で二人の孫と遊ぶ女性にみかんをいただいた。校舎について聞いてみると、なんと一室にロケセットが残してあるという。話さないと知らないままだった!
 部屋には生活感のある備品がそのままで、まるで今にも誰か帰ってくるのではないかという雰囲気。ロケに関する資料も展示してある。

「えっ!」

 展示してある写真に「彼女の島」とは違う映画の写真を見つけとても驚いた。その写真はさだまさし原作の映画「解夏」。
 さだの原作は病気をテーマにしたものが多く、見るのにエネルギーを要するが嫌いではない。現在も「アントキノイノチ」が公開中。
 驚いた理由というのは、前夜何気なくチャンネルを変えていたとき放送中だったから。頻繁に放送される映画ではないので何かのサインかと考えたが、映画では主演の大沢たかおが難病のベーチェット病に侵され、目が見えなくなっていく過程を描いたもので気持ちのいいものではない。
 どうやら、「彼女の島」と同じ監督作品らしく、「がんばっていきまっしょい」なども展示されていた。
 かつての教室に泊まれるこの施設は、一泊二食で六千円から。近いうちに泊まってみたい。

 前置きが長くなったが、今回の目的はミュージアム巡り。ここには岩田健「母と子のミュージアム」がある。今年オープンしたばかりで新しい。
 素晴らしい空間だった。円形に隔離された園内では晴天にも恵まれ、良い意味で異質な時間が流れていた。ずっと独り占め。表紙はその作品。

 次に訪れたのが「伊東豊雄建築ミュージアム」。ここもこの夏オープンしたばかり。先ほどの「母と子の〜」の設計も担当したとのこと。
 建築のことは詳しくわからないが、面白い形の建物。内装にはヒーリング効果を感じる。何より敷地全体のロケーションが素晴らしい。
 青々とした芝生に白いテーブルセット。目の前には収穫中のみかん畑が広がり、海峡を隔てて大崎上島がある。

 最後に寄ったのが「ところミュージアム」。ここは二年前に一度訪れ、オープンテラスから撮った青空をずっと履歴ページの背景で使っていた。
 キャラの強い展示作品がインパクトあり。テラスではインスタントコーヒーが提供されている。

 三つのミュージアムはまとめて1,000円で見ることが出来る。一つ一つにボリュームのある展示物はないが、”何もない時間”そのものを楽しめる人には絶対おすすめ。
 ちなみに、島の外周は一本道のためKCBM帰りのライダーがたくさん通過していたが、各ミュージアムに止まっているバイクは一台もなかった。

 14:00過ぎ。島の南側に商店は少なかったので、宮浦のコープでお昼を買出し。15:00の船中で食べようと港に向かっていた。

「あっ!!!」

 出発時財布には3,000円と小銭。そう、

(帰りの船代がない!!!)

 早朝ATMは開いてなかったし、往復の船代と昼、入館料でギリギリ足りると計算していた。原因は、

(KCBMで買ったTシャツ1,500円だ!)

 小銭をかき集めると660円。船は840円。たった今コープで500円ちょっと使ったのが笑える。
 さてどうしたものか。腹は減ってる、宮浦に戻れば郵便局はあるだろうがめんどくさい。持っているカレーコロッケで船員を買収しようか・・・。

(恐ろしく遠回りになるが、しまなみで帰ろう。)

 ふと海に目をやると、

「あっ!」

 止まった場所には海側に東屋があり、御飯を食べようとしてまたも驚いた。ちょうど目の前にひょうたん島が浮かんでいたからだ。

ひょうたん島(瓢箪島)

 93年頃、アウトドア雑誌「Be-Pal」のシェルパ斉藤が、カブだったがリヤカーだったか?誌面で特集していた旅。
 当時しなまみ海道はまだとぎれとぎれで、多々羅大橋は影も形もなかった。刀剣や鎧など数々の国宝を所蔵する大山祇神社と、クルマでは停車できない見近島に興味を持った。(見近島ではとんでもない目に合うのだが。)
 なかでもいちばん見てみたかったのがこの島。真偽はさだかではないが、ひょっこりひょうたん島のモデルといわれ、形はもちろん瓢箪型で、島の真ん中に広島と愛媛の県境がある。鹿が二頭だけ住んでいるという話も聞いたことがある。

「なるほどね・・・。」

 94年2月にテント泊しているのでほぼ18年前のこと。
 最近昔のことを思い出すことが多い。とかく歳をとったとネガティブに捉えられる加齢現象だがそうは思わない。確かに新鮮な光景は減った。しかし、橋のなかった生口島と大三島の海峡、建設中の多々羅大橋、何も変わらないひょうたん島。曖昧な記憶の中に過ぎ去った時間を想う。今ここにいるからこそ過去と比較できる。で、鹿は?

(お金をおろさなかったことがここに導いてくれたのか?)

 その後この島には何度も来ているが、まじまじとひょうたん島を眺めるのは18年ぶり。カレーコロッケがうまい。

 大三島IC〜西瀬戸尾道IC(850円)。ETCなので問題ないが、向島IC(750円)で降り尾道大橋で現金50円払って計800円。50円の差額に喜ぶ実りある貧乏旅だった。

※見近島惨事
 1994年2月9日夜。テント設営時強風が吹き荒れた。風を避けるため屋根のある炊事場に設営しようとしたがこれが誤算。ペグが打てないため出来上がったところでテントごと吹き飛び、購入時3-4万、まだ数回しか使っていないテントのフライシートがボロボロになった。その後数年間、テントキャンプが減った。(時間の使い方がモノクロプリントやアタックツーリングにシフトした影響もある。)
 見近島は橋の歩道からアプローチするため、徒歩、自転車、原付でしか入れない。バイクで行ったか車で行ったか覚えてないが、伯方側のパーキングに置いて歩いたような。現場はここ


11.10 When I was A Young Boy.

 北野武が様々な分野のアーティストを紹介する番組「たけしアート☆ビート」。「こころ旅」の流れから見た昨日は、世界的コンダクター小林研一郎にスポットをあてていた。
 東京フィルとのリハーサル風景から始まり、北野たった一人だけを相手にしたコンサートでは、オーケストラのど真ん中やコンサートマスターのそばに座ったり、最後にはタクトまで振るという展開。なんという素晴らしい体験だろう。
 テレビなどで見る演奏会はすでに出来上がったものであり、ソリストを除けば、どうしてもコンダクターとオーケストラ全体という図式で見てしまう。しかし楽団とはそれぞれの経験と独自の解釈を持つプレイヤーの集まりであり、それらを自分の色にまとめ上げていく過程にこそ有名コンダクターの真髄がある。「個」を意識することが出来たという点で、とても興味深いものがあった。
 趣味だけでなく、人生そのものを浅く広く生きてきた自分にとって、一つのことを追求してきた人にはコンプレックスさえ感じる。なんとはなしに、これまでの音楽との関わりについて考えが及んだ。

 物心ついたとき記憶にあるのは、「母と子の名曲カード」、「母と子のくらしのリズム」という各11枚からなる幼児向けシングルレコードセット。この中には誰もが聴いた事のあるクラシックの小品が集められており、お気に入りはハチャトゥリアンの「剣の舞」だった。
 その後小学校に上がる前にオルガン教室に通った。母に勧められたのか自分でやるといったのか記憶にないが、すぐに苦痛になったことだけよく覚えている。
 音楽をはじめとするアート全般は、生まれ持った才能によるところが大きい。才能を持った人間と凡人が同じ努力をしたなら、どう逆立ちしても勝ち目はない。今思えば、それを肌で感じていたのかもしれない。いつも泣きながら弾いていた覚えがある。
 小学校に入ってからはヒーローものやアニメソングを聴いたが、「宇宙戦艦ヤマト」のサウンドトラックなどを好んで聴いていた。アニメとはいえオーケストラによる交響曲であり、幼い頃の影響がうかがえる。
 初めて自分で買ったクラシックのレコードがこれ。(かれこれ30年前のことで、検索してすぐジャケットが出てきたのに驚いた。)

You Tubeのカレル・アンチェル指揮チェコ・フィル

 「新世界」は特にムーブメント4、「ジョーズ」のイントロからホーンセクションへの流れが大好きで、スピーカーを二つ向かい合わせ、その間に頭を突っ込み大音量で聴いていた。
 このときまだ「モルダウ」を知らず、店員に交響曲と交響詩の違いについて尋ねたが、納得のいく説明を聞けなかった覚えがある。
 スメタナが故郷であるチェコについて書いた曲だが、あらためて聴いてみると、古き良き日本の農村をも彷彿させる。風になり空から田園風景を眺めている感じ。

続く。


11.6 MOTO GP 2011

 完走、リタイヤ、欠場、引退、移籍、そしてシモンチェリ。全クラスすべてのライダーにドラマのあるすごいレースだった。そして2サイクルエンジンの終焉。バルーン最終日の切なさを引きずり、なにか今年が終わったような感じ。


11.3 佐賀インターナショナルバルーンフェスタ7~武雄温泉

・メンタル
 過去のバルーンの記録を読んでみると、この時期心の面で元気がないことが多い。去年にいたっては松葉杖だった。

・一転
 モンゴルフィエ・ノクチューンのある5日、6日の天候が思わしくない。2日深夜入り3日メインと考えていたが、気分が乗らず、1日の時点で行かないことに決めていた。ところが、会場ライブを見ていてもたってもいられなくなった。もちろん真っ暗だが24時間配信中。

・手段
 ずっとZZ-Rでのテント装備だったが、おととし積載能力のない10Rに乗り換えたためクルマ。去年は松葉杖のためクルマ。今年は日帰りなので3年ぶりのバイク。
 3:27廿日市IC〜6:36佐賀大和IC。会場到着は朝の競技開始ジャスト。
 これまで北駐車場テントサイトへ深夜の乗り入れ。今回初めてメイン会場裏の駐輪エリアへ。放送塔まで歩いてすぐ。

・午前の競技
 7:00過ぎ、会場からの一斉離陸。最初にボレロを提案した人に拍手を送りたい。これ以上マッチするメロディがあるだろうか。

・仲間
 バルーンで知り合い、毎年顔をあわせている福岡のけんやさんは週末の来場を予定。
 ここ3年会うことの出来てないM家族。子供達は相変わらずスポーツに忙しいらしい。ママだけこれるかもということだったが結局顔を見ることは出来ず。また来年。
 とのじんさんが興味を示していたのでローンチサイトの雰囲気を送信。北九州から近いので是非。

・イベント会場
 祝日ということもあり大盛況。ホンダのブースではニッキー・ヘイデンのRC211Vが展示されていた。ヘイデンがナンバー69で走ったのはチャンピオンを取った06年とナンバーワンを失った翌年の08年。ドゥカティに移籍してもう3年。違和感あり。

・テントサイト
 疲労の蓄積と深夜行のため仮眠。日帰りにもかかわらず、シャトルバスで北駐車場テントサイトへ移動。やはりここがいちばん落ち着く。料金所上の土手法面、サイトを見下ろす場所にジャケットを敷き横になった。大型のキャンピンカー何台も乗りつけ賑わっている。
 ジリジリと焼ける日差しに目が覚めた。なんという暑さ。時計を見ると12:00ちょうど。2時間ほど寝ていたことになる。

・火野正平
 今もっとも楽しみにしているのがNHK BS プレミアムで放送中の「日本縦断こころ旅」。先週は一週間休みだったが、バルーンに合わせてるのではと勘ぐっていた。

「やっぱり。」

 帰ってからの情報によると、初日の11月2日に火野正平と御一行が会場内を通過したらい。来週の放送が楽しみ。
日本縦断こころ旅

・位置ボケ
 開催から現在に至るまで、家にいるときはずっと現地ライブ映像にアクセスしている。場内の距離感や配置は熟知しているので臨場感たっぷり。ライオ・E・ランドリーさんのアナウンスは会場にいるような気分になる。
 4日は時差ボケならぬ位置ボケ。映像に映っていない風景が浮かび、どこにいるかわからなくなる。

佐賀インターナショナルバルーンフェスタオフィシャル

カメラ1 / カメラ2 / カメラ3 / カメラ4 / カメラ5

・最終日
 家でPC予報どおり日曜午前中まで荒天が続いたが、正午現在雨はあがり、キーグラブレースと夜間係留開催の可能性が出てきた。晴れますように。

 キーグラブレースも夜間係留(バーナーのみ)も無事開催。ユーストリーム配信は素晴らしい。本当に会場にいるような気分になる。
 余談だが、例年より長いフィナーレの花火が上がった瞬間、ヨハン・ザルコが転倒。というのはMOTO GP最終戦バレンシアGPもライブ観戦していて、これ転倒によりタイトルが決定した。花火がチャンピオンを取ったニコラス・テロルを祝福しているような不思議なタイミングだった。

また来年!

※写真は07年11月3日午前の一斉離陸。

10

10.26 検証

 あれから3日。ふとした瞬間に何度もクラッシュシーンが浮かんだ。レプソル3台とロレンソの勝負に切り込んだ暴れん坊。オープニングラップではいきなりバウティスタとやりあい、ニヤつきながら見ていた矢先にあんなことが起こるとは。
 インディの事故と絡め、サーキットの安全性について声が上がっているが、ハードではとても避けようのないコンマ数秒単位の悲劇としか言いようがない。

 事故発生時のオーダーはトップから、
1.ケーシー・ストーナー
2.ダニ・ペドロサ
3.アンドレア・ドヴィツィオーソ
4.マルコ・シモンチェリ
5.アルバロ・バウティスタ
6.ニッキー・ヘイデン
7.コーリン・エドワーズ
8.バレンティーノ・ロッシ

・事故は2周目の11コーナー。

・シモンチェリはバウティスタと1周目からやりあい、手前のコーナーでもリヤをスライドさせていた。

<事故の瞬間のライブ映像>

・エドワーズとロッシを捉えた画面の左側から、突然ありえない軌道で転倒したシモンチェリが現れた。

・「危ない!」と叫んだが、同時にエドワーズは吹っ飛び、ロッシはかろうじて転倒をまぬがれ走り去っていった。

<後ろを走るバウティスタのオンボード映像>

・事故後に放送されたが、時系列は11コーナーの導入であり事故の直前。

・旋回中シモンチェリは何らかのスロットル操作をしているがシフトチェンジはしてないように見える。転倒するまで急激な車間距離の変化はない。マシンはRC212V。おそらくワークスと同じシームレスミッションを採用、フルバンク中のシフトチェンジも可能?

・GPライダーが肘をするのは驚くことではないが、少しバンクしすぎではないかと思った瞬間リヤがブラックマークを引きはじめた。直後に左足が外れる。フロント、リヤともスリップした形跡はなく、タイヤのグリップがバンク角に耐えられなくなった感じ。大きな挙動変化はない。シモンチェリはバイクの下に挟まったままゆっくりとカメラの左に消えた。

・10コーナーから11コーナーへのレイアウトで判断すると、なだらかな10コーナーからの立ち上がりから鋭角な11コーナーに続く。減速せずインを押さえるためさらにバンクさせる必要があるが、前後の距離から考えてオーバースピードとも思えない。そうなるとブラックマークが気になる。まさかリヤブレーキに当たったとか。いや、もしそうならリヤから大きくスリップダウンするはず。

<リプレイ検証>

・ニッキー・ヘイデンもかなり危険な状態だった。おそらく戻ってくるシモンチェリに気付いて上体を変化させている。

・コーリン・エドワーズとロッシ。コーナー立ち上がりのため開け始めているのにもかかわらず、2人ともイン側に回避行動を取っている。特にエドワーズはマシンの挙動が不安定になるほど。このときシモンチェリのマシンはタイヤと身体以外接地していない。これが最大の不運ではないかと思う。
 通常ならライダーとマシンは分離して倒れ、アウト側のグラベルに吹っ飛んでいく。ところがイン側に身体が挟まっていたためマシンが起き、ちょうど転がしたコインが倒れるときのように減速し、舵角によりコースに戻ってきた。
 エドワーズに関しては、マシンを起こして左に逃げればもしかしたら避けることが出来たかもしれない。しかし高速で走行中左から来た物体に対して左に避けることは本能的に不可能なうえ、後続にぶつかる可能性もある。
 間接的要因として、まだタイヤの暖まってない段階でのバウティスタとのバトル、さらに2周目という密集時に起こったことも大きい。

・ぶつかった直後、ロッシの右側にシモンチェリの手が見える。報道写真にもあったが、頭部や頸部はデスモセディチにヒットした可能性が高い。

・転がるヘルメット。左手をブラブラさせ立ち上がるエドワーズ。とてつもなく重大なアクシデントであることを肌で感じた。

・エドワーズとロッシが、経験という点で最上位にランクするライダーであることは皮肉としか言いようがない。それは誰も避けることが出来ないということを意味する。

・亡くなるわずか数分前、ピットやグリッドでの様子を見なおした。陽気なイタリア青年。発生直後、一瞬映った顔を覆う女の子は彼女だろうか。

・ヘルメットが飛び、あの印象的な髪型のままコース上で動かない姿は衝撃的。

・大柄でマシンを振り回すライディングは本当に見ごたえがあった。

 ドヴィツィオーソのコメントに共感した。言葉は何も意味を持たない。「冥福を祈る。」という言葉が陳腐に聞こえる。悲しめるだけ悲しみ、生き続けるだけ。
 サーキットは安全な場所。コンマ数秒の魔物は公道にこそ存在する。それもそこら中にたくさん。もっと、もっと、セーフティライドを。

 キャプテン竹田津、サルヴァトーレ・ルチートラ、ジェニー・レイン、柳ジョージ、そして世界を襲う災害。時代は天寿を全うしない命をいくつ欲しているのだろう?


10.23
58 Marco Simoncelli 1987-2011

 やんちゃなイタリアンの冥福を祈る。

http://www.marcosimoncelli.it/

9

9.12 第4・5中足骨・経皮的ピンニング術

 テロ、震災の区切りとほぼ時を同じくして1年。病院のベッドの上で、ヘッドランプを頼りに本を開いた日々がよみがえる。
 そのころFMから頻繁に聞こえていたのが「メトロ・フィルム」。このメロディを聴くと、歌詞とはまったく関係のないところで、あらためて旅をし続ける素晴らしさを感じる。
 技術的な危険回避能力だけでなく、危険な状態に身を置かない嗅覚を磨くことが大切。

「帰ろう〜♪」

 家の玄関で靴を脱ぐ瞬間、旅は初めて完結する。


9.10-11
ギャラリーKAN~JSB Rd.6 AP

gallery KAN
 300km先のおごちそう。訪ねる人、場所があるのはとても幸せなこと。料理も会話もメロディも、通常のレストランとは違うところある。
 次に何が出てくるかわからないのでワクワク。古くからの知り合いのお宅にお邪魔したような感覚。


9.4

「この家に来て一つもええことがなかった。」


9.3 あれから半年

 あらためて動画を検索してみると、はじめて見るものもたくさんあり背筋が凍る。同時に心無いコメントや醜いやり取りも。
 どうしてもこの半年の情報を踏まえて考えがちだが、やはり強く感じるのはあのような津波が襲ってくるとは誰も想像できないということ。
 悲惨な映像を公開することは賛否両論あると思うが、しっかりと分析し、わずかな「生」をたぐり寄せる根拠としたい。

津波にのまれた車載カメラ

津波に襲われた人が生きていた


9.1

 2011年の9月は2011年の9月にしかない。2012年の9月を必ず迎えられる保障はどこにもない。

 先日の豪華客船の続き。予定を確認すると関門海峡花火のとき門司側にいたのはたぶん飛鳥2。ぱしふぃっく びいなすは下関側?二隻いたってこと?
 飛鳥2は横浜出港~伊東~阿波踊り~海峡花火を経て釜山だって。
 ロイヤルスイートは大人二名で3,500,000円。MV AGUSTA F4 RR買ってお釣りがくるわ。DUCA 1198 SPも同じくらい。BIMOTA TESI 3Dも興味あるよね。こちらは4,480,000円。さらにカーボン製の世界限定20台DB7 ORONEROは6,280,000円と来た。やっぱりつながってない。
 久々に自分のF4をガレージから持ち出してアマルフィを流してみよう。(Tourist Trophy:PS2)

8

8.31

 先週長門ジャズフェスに向かう山口JCT付近で、立山で買ったお気に入り「まんだら遊苑」のバンダナが風になり今もブルー。

8月 月間走行 燃料 平均燃費 金額
TRI 1,116 37.20 30.01 ¥5,528
10R 766 41.85 18.03 ¥6,437

 トリッカーは二ヶ月連続の1,000km越え。ナイトライドが多いため平均燃費も30km/L越え。すごい。

 写真はレギュラーのトカラ・口之島からみた小臥蛇島(こがじゃしま)。
 曲は長門のジャズフェスで聴いたシャカ・カーン

※これまで30年近くチャカ・カーンだと思っていたが、ネイティブの発音ではシャカに聞こえるので調べてみるとどうもシャカらしい。
 出生名Yvette Marie Stevens(イヴェッテ・マリー・スティーブンス)ってイメージかなり違う。

 別府の事件が解決。定期に訪れていた鍋山がなくなったため、昨年二月以来大分入りしていない。元通りになるといいのだが。


8.26

 写真は隠岐、国賀海岸、摩天崖展望台から。
 ケルトミュ−ジックを聴きながら眺めていると、あのときの風が頬を撫でる。

"Book of Days"

One day, one night, one moment,
My dreams could be, tomorrow.
One step, one fall, one falter,
East or west, over earth or by ocean.
One way to be my journey,
This way could be my book of days.

O la go la, mo thuras,
An bealach fada romham.
O oiche go hoiche, mo thuras,
Na scealta nach mbeidh a choich.

No day, no night, no moment,
Can hold me back from trying.
I'll fly, I'll fall, I'll falter,
I'll find my day may be,
Far and away,
Far and away.

One day, one night, one moment,
With a dream to believe in.
One step, one fall, one falter,
Found a new earth across a wide ocean.
This way became my journey,
This day ends together,
Far and away.

This day ends together,
Far and away.
Far and away.


8.21 ぱしふぃっく びいなす

 2011 パンフレットを見ていると、予算はともかくとても面白いプランが組んであり眺めていて楽しい。9月9日隠岐・浦郷って?あの小さな港に停泊する巨大豪華客船は圧巻だろう。突然10階建てのビルが建ったような感じ?
 今日8/21は15:00横浜を出港し、熱海の花火を見て孀婦岩、じゃなくて小笠原に向かう。やっぱりうらやましい。晴天を祈る!
2011-2012パンフレット

 昔知り合いの知り合いが何百万もする世界一周クルーズにでて、船旅のあまりの退屈さにどこかの国で降りて帰ったという話を聞いた。せっかちな日本人には向かないのかもしれない。

 新たに「阿波おどりと関門海峡花火クルーズ」のレポ発見。それにしても乗客500人以上とは!
 飽きさせないイベントの連続は、うらやましいというより腹立たしいくらい。
 海峡花火は特等席。徳島では有名連の「蜂須賀連」のサポートを得て「びいなす連」を組み、有料演舞場に踊り込んでいる!いい企画だな〜。
 ここのところ今年の阿波踊りの動画を見まくっていて、行かなかったことを少し後悔。


8.20
 旅行記再編集の際気になりハヤさんに連絡を取ってみると、元気に旅を続けているとのこと。詳細は本編のタイミングで。

 有村産業からマルエーに売却された飛龍21の大きさを調べていて面白いものを見つけた。
 飛龍21はフェリーとしてはかなり大きなもの。比較対照としてあまり庶民的でないクルーズシップ「ぱしふぃっく びいなす」と「飛鳥2」の2隻を思い出した。
 特に「ぱしふぃっく びいなす」は何年か前、夢である「孀婦岩」を調べていて検索に引っ掛かった。プランの中に岩の近くを通る小笠原クルーズがあり、興味があると同時に一般ピープルには縁のない船。検索してスケジュールを見てみると、

日程 スケジュール 時刻
8/12(木) 名古屋 12:00発
8/13(金) 関門海峡
花火大会
14:30着
21:30発
8/14(土) 阿波踊り 16:00着
23:59発
8/15(日) 名古屋 14:00着

(門司側の特等席に接岸していたあれだ!)

 翌日雨予報の九州入りを諦め、トリッカーで6時間かけ(道端での仮眠含む。)深夜のR2をひた走っていたころ、瀬戸内海を悠々と阿波踊りに向かっていたのね。

 で?

おとなおひとり様◆2名様1室利用時
ステートC ステートB(6階)
150,000 162,000
ステートB(8階) ステートA
175,000 181,000
デラックス スイート
229,000 314,000
ロイヤルスイート
1003/1004 1001/1002
494,000 509,000

「海と空はきっとつながっている。」
(サイトのキャッチコピー)

 いいフレーズだが残念ながら、自分と「ぱしふぃっく びいなす」が予算的にまったくつながっていない。

「ロイヤルスイート二人で1,018,000円。」

 Kawasaki W800 [Special Edition]買っておつりがくる。


8.18
 隠岐で出会ったトチギさんより無事帰宅の連絡があった。あのあと知夫里、中ノ島、道後をすべて回ったらしい。いつか再会することを約束した。


8.15
 一昨年訪ねた大阪の大叔母が亡くなった。あの時感じた今生の別れが現実のものとなった。
 残念なのは、大叔母のために買った平山郁夫の画集がまだ手元にあること。母に早く送れとせかしていたが、一緒に何か送ると先延ばしにしているうち消息不明になってしまった。大叔母には複雑な事情があり葬式に行く事も拒否されている。画集は形見のような気がする。


8.16 でかまるくん~大玉杉(飛龍天満宮)~月輪寺

 マイナリストと走るのは去年11月の岡山以来でもう9ヶ月前!?時間が経つの早すぎ。
 5人と合流してからは珍しく国道のみ。月輪寺(がちりんじ)はつい土曜日通過したばかり。そのとき少し気になりOhIkeさんを思い出したので、寄ったときには笑ってしまった。茅葺きの屋根はなかなか。
 印象に残った出来事は、

・元気なめにまるさんと初めてご一緒するT2さん。
・高速激流そうめん流し。
・マシンをとりかえっこしてZ1000とFAZERを試乗。

 自分のマシンの後ろ姿を見るのは初めてで不思議な感じがした。ソロだと寄らないポイントも新鮮。
 適当発言でルートミス?帰って調べたマップ上の青いポイントのカフェは今後の参考ということで。
 ひとりになってからは記憶に残る豪雨に襲われる。雨宿りしても雨と一緒に動く可能性が高く強行。R262は大災害があった地域なので走っていて久々に緊張した。ある意味洗車?

 みなさんお疲れ様でした。またお会いしましょう。


8.15 Listen to the Air

 写真の入江は一泊した耳浦の東隣で、上陸して最初に走ったスカイラインから撮ったもの。陸からのアクセスはなく自然に守られた楽園に思える。
 土曜日はそれと同じものを求めて長門の二位ノ浜を訪ねたが期待はずれ。
 最近の記憶に刻まれているのはナイトランや日中の日陰で感じる風の心地よさ。
 森山直太朗の風花は、NHK朝のドラマの中でも印象に残っているオープニング。カメラアングルも素晴らしく風そのもの。

風のハルカ

 湯布院は海峡花火のあと考えていたけど天候により断念。
 トリッカーが長府〜下松間で最高燃費34.05kmを記録。


8.6-8 SKYLINE

プランニング
 隠岐に興味を持ったのは大学を卒業し広島に帰ってきてすぐのこと。島前(どうぜん)、島後(どうご)と大きく二つの島からなり、島前はさらに三つの島で構成される。
 これまで20年間何度も計画したが、四つの島をまわると船代も日数もかかるため今に至る。その方法としてモンキーをジムニーに積んで出港地である七類(しちるい)で下ろし、原付だけで渡るというもの。反面、全部の島を一気にまわりたいと思いが働き、それが今まで時間がかかった大きな理由の一つ。
 これまでの経験から欲張らず、目的を西ノ島だけに絞る。さらに興味のある未舗装路を考慮し、トリッカーを選択した。
 いつも目的地以外は何も決まっていない状態で旅立つが、今回は計画段階からとても楽しめた。島へは「おき」、「くにが」、「しらしま」の三隻のフェリーでアクセスする。それぞれ出港地と寄港順が違っていてどれを選ぶかによって行動が変わってくる。おまけに今回滞在中に盛夏時刻表に変わる可能性もあり、また盆も重なるため満車便も出てきている。
 大まかな最終決定として、往路は来居(くりい・知夫町)寄港〜別府(べっぷ・西ノ島)下船、復路は菱浦(ひしうら・海士町)寄港〜西郷(さいごう・隠岐ノ島町)寄港〜七類と今後のため全部の港に寄る計画を立てた。

Day1
23:00 スタート
 暑さによる無駄な疲労と時間短縮のため深夜出発は定番。今回は特に翌朝9:30出港の「くにが」にあわせるため必然でもある。
 深夜のため最短R54-R183-R180を選択。ジャスト200km。

Day2
2:00 Milky Way
 中国山地の道後山付近で星空のきれいさに何度もバイクを止めた。リヤバッグにもたれかかり久しぶりに見る流れ星。通過する車はほとんどいない。驚くことに蛍も数匹発見。

5:00 ポプラ
 境港のコンビニで朝食と暑くても持ちの良い食パンを買い込んだ。トンネルを抜けるとすぐに七類港。とりあえず蚊取線香と虫除けを吹きまくって寝る。

6:00 出会い
 納入に来る業者や乗船客が集まり始め目が覚める。大阪から来たスカイウェイブ650のTさんと出会う。

9:30 出港
 本土〜隠岐区間はわずか2時間半の乗船。二等と750cc未満で片道6,930円/往復13,860円は高すぎる。

12:05 別府着
 わずか一泊のため寝る場所は海岸の東屋かどこかの展望台を考えていた。Tさんが港からそう遠くない島北部の耳浦キャンプ場に向かうというので偵察もかねて先導する。ソロでもこの場所からつぶしていくつもりだった。

12:10 耳浦キャンプ場
 先客はテントを張り終えたばかりという関西からの青年一人だけ。入江では家族が一組泳いでいる。
 今回は一泊しか予定せず、テントはおろかシュラフもマットも持って来ていない。東屋で寝てもかまわないがテントを張っても張らなくても1,000円というので一瞬躊躇する。しかし神戸出身という管理のおじさんがなかなか食えない人で、高田純次のような適当な会話全開。その人柄とTさんの黒ビールに早い段階でのベースキャンプ確保を目的に決めた。

13:40 西ノ島北西部スカイライン
 走り出してすぐ今まで経験したことがない島だと直感した。路面に広がるおびただしい量の牛糞。路肩の日陰にくつろぐ角の切ってない牛。

13:50 宇賀の海岸線
 お隣中ノ島の観光ポイントとして紹介されている三郎岩がよく見える。

14:00 焼火(たくひ)林道
 大山側から進入。入口には開いたままの災害通行止のゲートあり。10年版ツーリングマップルにはフラットダートと書いてあるが、先が見えないほど草が生い茂りかなり荒れていた。このまま廃道となってしまうかも。
 ずっと道が合っているか心配で走っていたため違う意味で長く感じた。海側はブッシュにさえぎられているところが多かった。モンキーを選ばなかった判断はここで正解。

14:40 焼火神社
 駐車場から徒歩400m。炎天下のためけっこうキツイ。天然の岩に埋め込まれた社殿は見ごたえがある。
 隠岐といえば鎌倉時代、承久の乱により後鳥羽上皇が流された場所として日本史でも記憶に残る。その百年後、後醍醐天皇も1年の島流しにあっている。
 焼火山の中腹に建つこの神社は、フェリーや他の高所からもよく見える。

15:40 国賀海岸・摩天崖
 西ノ島だけでなく隠岐観光のメインイベント。期待通りというか、それ以上の素晴らしい場所。断崖絶壁の景色もさることながら、優雅にくつろいでいる牛馬を見ていると飽きない。

摩天崖〜船引運河
 車通りのあまり無い静かな道。景色は悪くない。

16:40 外浜海水浴場〜耳浦
 外浜から一気に高度を上げる。ある分岐を海に向かって下ると行き止まりに放牧場があった。道のない最奥までいって引き返そうとすると、散りじりにいた牛たちが続々と集まってきた。おそらく人が来れば食事ということなのだろうが、とても印象に残る出来事だった。
 海岸から離れると、ちょうど別府から耳浦に向かう道の途中に出るが、展望もなく退屈な道。

16:50 別府の食料品店「まつのや」
 離島のため少し物価が高いと予想していたが本土と変わらない。それどころか何かのセール1割引で安かった。
 ここで惨事。買い物を終えバイクに戻ろうと道を渡っていると、車に轢かれ粉々になったレイバンのウェイファーラーが!この時まで落としたことすら気付いていなかった。わずか一年の短い命。

耳浦キャンプ場
 一度ベースキャンプに戻るが地元海水浴客を除き誰も帰っていない。

18:15 赤尾スカイライン・赤尾展望台
 「まつのや」でTさんを見つけて夕日を見に行く事を伝え再び走り出す。
 島の西側から見ることが出来る夕日は日本の夕日百選。摩天崖からではなく明日行こうと思っていた赤尾展望台を目指した。
 展望台につくと夕日はすでに水平線上の雲に隠れていたが、誰もいない空間を独り占め。いや、近くの斜面に一頭だけ牛が草を食んでいたが、当然夕日を楽しんでいる様子はない。

 トップの写真はこの日もっとも印象に残った場所。赤尾スカイラインの途中で轍のある脇道に入った。行き着いた斜面の先には5-6頭の馬が食事中。辺りはすでに薄暗くなり強い陸風が吹き付ける中、時間が止まった。

(すべてはこの空間と出会うため。来てよかった。)

19:15 耳浦キャンプ場
 キャンプ場に戻るとすでに宴会が始まっていた。先客だったのは兵庫の豊岡から来たDFのFくん。昨夜は島後にいたとのこと。
 Tさんとは七類のフェリー待ちから話しっぱなし。65歳になるが現在も大手スーパーで調理の仕事をしている。大阪からだが出身は関東で、公務員からお店の経営まで色々な経験をされていて面白い。さらに素潜りがメインで来ており、午後から獲れたあわびとサザエがテーブルに上がっていた。もちろん勝手に採取する事は禁止されているが、大量に獲るわけではなく自分たちが食べる分なら大丈夫との許可を得ていた。一番搾りの黒も最高。
 Tさんもこちらと同じく日曜の深夜1:00に自宅を出ており、食べ終わるとすぐにテントに。午後から2-3時間潜ってたらしいしあまりにもパワフル。
 そこからはFくんと話し込んだ。といっても一人でしゃべっていた?放浪の旅はやるもやらないも自分しだい。人生は一度だけ!
 日付も変わりかける頃二人で海に入った。といっても二人とも泳ぐ準備はしておらずボクサーパンツ。Fくんにいたっては全裸だ。野郎二人でのヌーディストビーチは絵にならない。(笑)酒も入っているし、何がいるかもわからないため足が届くところまで。
 夜の海はバイクでのナイトランに似ている。ヘッドランプに照らされる部分だけ強調され昼間見えないものが見える。キラキラと輝く穏やかな波の揺らぎに身をまかせていると、また時間が止まった。

「至福のとき。」

 二人と出会っていなかったら、この夜の海を体験する事はなかっただろう。

Day3
7:00 朝から海に
 今度はかなり沖まで出てけっこうな時間浮いていた。顔だけ出して空を見上げていると海中の音だけ聞こえてくる。生まれる前、羊水の中というのはこういうものなのだろうか?

9:00 キャンプ場出発
 国賀に潜りに行くというTさんを先に見送り、Fくんと走り出した。リザーブに入っていた燃料も補給し安心。
 朝飯でも買おうとスーパー「ユアーズ」に行ってみたが開店は10:00。10:10のフェリーで帰路につくFくんとここで別れる事になった。

「気をつけて!ぜひ北海道へ。」

 こちらはというと島後に遠回りして帰るには12:20の便。乗ってしまえば寝てしまうはず。本土到着はほぼ一緒。結局ぎりぎりの15:45出港七類行きまでいることにした。

9:40 珍崎
 島南西部海岸線、最終集落の珍崎を通過してたどり着いた行き止まりはまたも放牧場。牛馬入り混じっている。驚いたのは1頭の牛が海にいたこと。島のパンフレットなどで海を渡らせる行事があることは知っていたが、実際に見るのは西表の由布島の水牛以来。モーッと鳴くとみんなが答えてくれ面白い。
 対岸には昨日訪ねた焼火神社の建物がよく見える。

10:00 鬼舞スカイライン〜鬼舞展望台
 オフライダーとしてもっとも期待していた場所。といってもダートではなくその景色。サブタイトルをSKYLINEとしたのもその名に恥じないから。
 この島の道は入り組んだ美しい海岸線と尾根筋を走るスカイラインで構成される。それは名実共にスカイラインであり、多くの場所で広大な日本海と内海の美しいカルデラを左右に見ることが出来る。その凄さは、島前が海中に没した火口であり自分がその外輪山にいることを肉眼で感じとれることだ。
 ここ数年興味を持ってみてきた千島の島々に通じるものがあった。

(もっと早く来るべきだった。)

 荒波が打ちつける知夫里の絶壁の奥には本土の山並みも見える。

10:10 フェリーを見送る
 焼火の島影からフェリー「しらしま」が現れた。あの船にはFくんが乗っている。トカラの悪石で駐在さんを見送った光景がフラッシュバックした。

(ありがとう、気をつけて。)

鬼舞スカイライン〜三度(みたべ)集落
 屋根のある展望台で涼んでいると、二頭の母子馬が通りかかった。巨大な母親に比べ息子は三分の一程度の大きさで、体の大部分はまだ産毛で覆われている。時折乳を吸うしぐさもみられた。
 近づいて草地に座り観察していると子馬が寄って来た。彼にとって人間はまだ興味深い存在なのだろう。母親にも注意する。マイペースで食っているが向こうもこちらを観察しているはず。

(ここでなにをしているの?)

(君に会いに来たんだよ。)

 よくみるとチンコが伸びたり縮んだりしている。自律神経によってコントロールされてるのでこのやり取りは彼にとってリラックスなのか警戒なのか?何度もブーツに鼻を近づけ匂いをかいでいるので興味津々なご様子。
 撮った写真の時間から20分以上会話していたと思う。飽きたのか母親を追い離れていった。

(バイバイ。)



 道祖神のある分岐を左に下ると絶景スカイラインダート。景色を楽しみながら超低速で進む。スイッチバックを切り返すと隠れ家のような辺境の集落「三度(みたべ)」に抜けた。
 このまま帰るには名残惜しく、もう一度鬼舞展望台に上がった。キャンプ場も楽しかったが、ここで過ごす夜は最高だろう。

12:50 観音岩・通天橋
 2-3組の観光客がいて下まで降りていたが暑いので却下。摩天崖から下ってきたグループがいたのには驚いた。でも下りなので気持ちよさそう。

13:30 スーパー「ユアーズ」
 惣菜とトンカツ巻きを買って昼食。この旅を通してまともに食べたのはこれが初めて。食後のポッキーがうまい。

14:00 耳浦キャンプ場
 乗船手続きまで時間があったのでTさんを訪ねたが入江の左側をダイビング中。管理のおじさんにメモをもらい書置きを残した。引き続き良い旅を。

15:45 別府出港
 バイクはなにわナンバーアメリカンのタンデムカップル。ライダーの彼は、フェリーの待ち時間中売店の漫画を立ち読みし、戻す時もぶん投げたのにはドン引き。
 デッキに出ても蒸し暑く、疲れもたまっていたためすぐ寝てしまった。

17:55 七類港着

18:30 そば庄「たまき」
 友人にもらった500円商品券活用。素麺とミニ鰻丼のセット。ごちそうさま。

23:30 帰宅
 費用はかかるが一泊でも十分楽しめる島々。また行くなら違う島にも行きたいけど、西ノ島も必ず再訪したい。成長した子馬に会えるだろうか。

7

7.27 Deoxyribonucleic Acid

 父の栄養摂取量は日に日に落ちてきている。元気な者でもしっかり食べなければならないこの時期にこれでは、衰弱していくばかりだ。一方では経過を冷静に注視している。自分自身の最後。
 遺伝情報として母から精神面を、父から身体面を受け継いでいる。つまり、特発的な疾病を考えないとするなら、父と似たような老化をたどるはず。
 思えば、両親からもらったこの身体についてはとても感謝している。大学時代のスポーツでその客観的自己評価は終了していて、もちろんメリット・デメリットあるのでまた時間があれば。
 今目の当たりにする父の衰えはいつかの自分であり、それを観察することで何らかの対策を取ることが出来る。ただ、実施する余力があれば、の話だが。


7.20 "Black Clouds & Silver Linings"

 今日の夕食はうちには珍しくラーメン。限度を越えてコショウを振り続ける父の手を慌てて制止した。
「そんなに入れとらん!」と、憤慨する父。
 ラーメンは湯を追加しないと食べられないほど辛いものだった。その様子をみた母親は一利もない言葉を吐き捨て父を煽る。ふと、半月ほど一緒に過ごした二歳児たちの顔が浮かんできた。
 昨日出来なかったことが今日できるようになるあの子たちとは逆に、昨日できたことが一つまた一つと出来なくなっていく。
 先週半ば、頑張って買ったある商品には名前を刻印することができた。大切に使えば永く使用することになる道具で、考えぬいた末候補にしたのは名前ではなく次の三つ。
Look on the 「Bright Side」。Every cloud has a 「silver lining」。ポジティブな上記二つに対し最終決定は、「Heaven Knows」。
 この先訪れる近い将来は想像もできないが、強引にもう一つ意味を付け加えたい。「なるようになる。」


7.18

 徐々に病状が進行していく父とそれを受容できない母をめぐるトラブルが日に日に増加傾向にある。
 公的にも厳しい環境のなか感情をコントロールし双方を取り持つのはまさに人生勉強であり、必要のない言葉を発して沈むこと多数。小さな旅には逃避・開放・救いが存在する。


7.17 もみの木〜展望台ライブカメラ〜らかん

吉和ライブカメラ

 一日中遊ぶ時間はないのと、10Rでは日中暑くて走れないので珍しく午前中に出た。
 昨日はもみの木で本を開くつもりで出たが、いつも使うテーブルは小学生の林間学校に占拠されていて断念。中国道の側道をいくつか探険し臼谷林道へ抜けた。
 今日はいつもの周回ショートコースとロングコースをつなぎ合わせてもみの木へ。朝早いためまだ空いている。昨日の林間学校のBBQを片付け作業中。
 いつも見ているライブカメラの設置場所を確認しようと展望台にあがった。
 このカメラは特に冬期、雪中トレックに行くとき積雪状態をチェックするのに使う。東京の友人Kに連絡を取るとネット環境にあるというので、一方通行のテレビ電話を楽しんだ。
 7-8年ほど前、やはり東京の友人トシコが北海道を旅したとき、富良野のファーム富田のライブカメラで同じ事をして感動した覚えがあるが、Kも自分で操作できるカメラで面白い体験をしたに違いない。
 一年を通じて見ているのが宗谷岬のライブカメラ。かつてみつばち族を言われ、駐車場をいっぱいにしたライダーがほとんどいないことに驚く。

稚内海上保安部:宗谷岬
第十一管区海上保安本部:那覇港

 展望台についてすぐ便意を催した。マムシにビビリながら人の入らない斜面にて糞便を放出したが、今見たら思いっきりカメラの射程内。全世界に向けてライブ中継したかも。(笑)


近年まれに見る緊急事態?
 昨年11月、退院した当日の佐賀バルーン以来二県をまたいだ旅(形状的に二県になる津和野を除く。)をしていない。
 こういうとき真っ先に浮かぶ隠岐計画(モンキーを車に積んで七類までいく)を練ってみたが、島前をメインにすると船代がかさむので見送り。
 東に興味があるところはないし、四国は阿波踊りに行く可能性もあり、やはり九州?
 事件以来一年半ほど遠のいている大分が最有力。無明橋で寝る計画を実行か?


7.10 Trickerオイル/フィルター交換・チェーンアジャスト〜姫路峠周辺

 姫路峠周辺は二万五千分の一地図トレックにはまっていた90年代始め頃一度入った事があるが、森林作業中で引き返した記憶があるだけ。マムシ、キジ、野ウサギ。森の仲間達と戯れる。
 道幅が狭くなり、登山道になったところでひっそりと立つ石碑あり。阿戸に抜けるいにしえの街道を想う。
 低速でキョロキョロしていると、突然目の前に現れた松の木にぶち当たって松葉が目に刺さった。スタンディングだと目線は220cmくらいの高さになり注意力不足に後悔。
 帰って平成二年の地図を取り出してみると、広域公園はまだ造成中で、そのころの光景がよみがえってきた。


7.5 「海の色も、山の姿も、そっくりそのまゝ、昨日につゞく今日であった。」


7.3

・プロバイダー変更について
 6/26、我が家にもフレッツひかりが導入された。それに伴いプロバイダー変更が必要となり、9年半使ってきたこのURLと別れる事となった。
 ところがその解約手続きの中で、現在使用中のメインメールアドレスが無料で継続できる事がわかった。理由は移転前、移転先のプロバイダーを提供している会社が同じだったため。その確認事項の中で、やはりURLはなくなってしまうとの回答を得ていたのだが。
 7月に入り3日経過した今日、いまだにサーバーの操作ができるのを不審に思いサポートに電話してみたところ、メールアドレスの継続に連動するとのこと。どうにも振り回された感じはある。

・タイトル変更について
 LWH:LongWayHomeから離れる。
 残りの人生を考えながら生きるようになってきた。絶対とは言わないが、何ヶ月もテント生活をして旅をすることはもうないだろう。そう考えるとこのタイトルは重荷となる。
 2000年の旅から帰ってきたとき同じような思いを抱いた。その時いちカテゴリー名として使っていたのが「Air」。訪れた土地の空気、ライディング中の風という直接的な「Air」だけでなく、雰囲気というか、もっと大きく曖昧な、自分の人生も含めた何かをこの一言で表せるような気がする。自分が生まれる前、今、そして灰となったあとも変わらず存在する空気。
 ここのところ思い込みで行動し失敗する事が多い。色も形もない純粋な気持ちで物事に向かい、香りや流れなど繊細な変化を感じ取る。そのために必要なのは「家からの距離」ではなく「非日常の空気」。その中にこそ自分は存在するような気がする。

 LEFTEYEからLEFTを外した。もちろん利き目が左である事に変わりないが、デジタルカメラだけを使うようになってファインダーをのぞくことはなくなった。ファインダーの中にある自分だけの世界にも意味はあるが、デジタルカメラのモニターを両目で捉えながら、実際の空間を感じていることは上の文にもつながる。

・父親
 暑さが高齢者の生気を奪っていくのを目の当たりにする。受容できない母親は疲れ果てている。


7.2 Look on the bright side.

 何をなすべきか。

6

6.19 ALS:筋萎縮性側索硬化症

 ALSとは漠然と筋ジストロフィーと同じような疾患だと思っていたが、前者は神経細胞由来、後者は筋そのものの変性によるまったく別のものらしい。

ALS
筋ジストロフィー

 双方とも有名な難病であるだけにいく人かの有名人が罹患していることも知っていた。もっとも身近なのは、

ジェイソン・ベッカー/Jason Becker
Air
Altitudes

 80年代後半に活躍した速弾きギタリストで、年齢も近く、彼のアルバムも2枚(レコード1枚、CD1枚)所有している。
 初期コンビを組んでいたのが元メガデスのマーティー・フリードマン。(持っているレコードはこれ。)ファンタのコマーシャルに出てくる日本語ペラペラ、カーリーヘアの変な外人といえば知ってる人もいるはず。
 もう一人は車椅子の物理学者、スティーブン・ホーキング。こちらは同世代なら知らない人はいないだろう。

 今回調べてみて初めて知り驚いたのが、

ルー・ゲーリック:MLBプレイヤー
マイク・ポーカロ:TOTOベーシスト
毛沢東:中国最高指導者
篠沢秀夫:学習院大学名誉教授 ex:クイズダービー

 特にマイク・ポーカロにはビックリした。高校時代ドラムをやっていたので、彼の兄であるジェフ・ポーカロが若くして亡くなったのは強い記憶として残っている。兄弟とも不遇な人生とは。このあとCDを引っ張り出してみよう。
 ジェイソン・ベッカーもそう。こういう誰にも真似できないスキルを持った人たちが病魔に犯されるのは神の悪戯としか思えない。篠沢教授もしかり。ただし病の苦しみにスキルのあるなしは関係ない事を明記しておく。

 そうそうレコードで一つ思い出した。やはり80年代後半、アメリカはフロリダに気に入ったバンドがいた。
 バンド名を直訳すると「汚い野蛮人」で、ボーカルが血を吐いたり、ドラムが火を吹くなどお世辞にも上品なバンドではなかったが、何故か気に入りマーチャンダイズが欲しくなった。銀行でドル換えし現金をそのまま封筒に入れて送ること数週間。

「来た。」

 届いた商品は微妙に送金額と合わなかったが、この時買ったTシャツは24年たった今でも寝巻きとして着ているからスゴイ。
 大事なのはその後日談。翌年、彼らの4曲いりミニアルバムがリリースされた。当時はまだレコードの時代。ミニアルバムもしっかり12inch(=30cm)のLP盤だった。
 なにげなくスペシャルサンクスのクレジットを読んでいると、

「!!!」

 なんと自分の名前が!
 海外アーティストは、アルバムの裏やライナーノーツに普段サポートしてくれている家族、友人、製作スタッフ、さらにツアーで一緒に回ったバンドなどの名前を載せる。現金を送りつけてきた日本人がよっぽど印象に残っていたのだろう。笑

Nasty Savage:Unchained Angel

 普通の人にはノイズ以外の何者でもないと思うが、今聴いてもツインの利点を活かし、リズムチェンジの激しい面白いサウンドだった。気持ち悪いファルセットも嫌いではない。
 サルヴァドール・ダリ風のこのジャケットの裏には自分の名前がある。ちょっとした宝物。


6.18

 写真は以前Flickrに登録してみたけどなんとなくフィーリングが合わない。多数の中に一枚が埋もれてしまう感じ。
 それにしても驚いたのが撮影データ。カメラのディスプレイでもわからない焦点距離や絞り、測光モードまで詳細に記録されている。丸見えやね。JPEG (old-style)ってどういうこと?(笑)マップがついてるのも面白い。
 この間モリアオガエル撮ったとき、光が足りなくてかなり苦労したけど、隣りに来たただのおばちゃんのディスプレイ見てビックリ。何事もなくピン来てシャッターおりてた。6年も前のIXY600でよく頑張ってると笑ってしまった。逆に考えると最新のカメラならもっと楽に思い通りの写真が撮れるのだろうと残念に思う。広角が欲しい。一眼には興味ゼロ。たぶんただで貰っても使わん。

Flickr

 さっきモンキーで近所を回ってきたけど、40年住んでても行った事ない道があってとても面白かった。それに反して小学生の頃よく遊びに行ってた同級生の豪邸が売りに出ていたり寂しい事も。
 昔山だった場所がすべて宅地に。古い団地は似たような建物が多く道も狭い。もちろん住人は年老いている。
 新しい住宅地は個性あふれるデザインのお宅が並び、子供の自転車があったり庭も華やか。色々考えさせられる。


6.18 Unblievable Sight "Thousand Islands"

無人島に生きる十六人

 上のリンクにある"Islands"。大好きな本を発端にした千島列島空想の旅。事実に即した旅ならともかく、フィクションは向いてないという事を露呈した放置。
 自分にとっても行きたくても一生行けない島。離島好き、火山好きにとって、そのままにしておくにはあまりにも惜しい絶景火山島のいくつかを紹介します。

 興味のある方はウィキペディアの情報「千島列島」を基本として各島のリンク、個人サイト検索、学術サイトに飛んでね。

阿頼度島」(あらいどとう)
 海面から一気に2,339m立ち上がるだけでなく活火山である。見た目は国内で言えば利尻島が近いかもしれない。去年事故で入院した際、日本人の登頂記を読んだ。
 この島をトップに持ってきたのは、千島・樺太交換条約以降七十数年間、日本最北端だったということ。
Global Volcanism Program

※日露戦争後、樺太全土を実効支配した歴史はあるが、線引きが微妙。ここを調べていくうち一つ面白いことに気が付いた。今の日本において国境はすべて海上、もしくは民間人のいない場所にあるが、この時、南樺太・北緯50度線に「陸地の国境」が存在した。お隣はロシア人。想像できない。

黒石山、幽仙湖」(くろいしやま・ゆうせんこ)
 温禰古丹南に位置するこの山と湖の組み合わせ。写真を見た人にとって一切の説明は不要だと思う。摩周湖も真っ青。
 一度でいい。この場所で丸一日ボーっとしていたい。
Global Volcanism Program

宇志知島」(うししるとう)
 アイヌの聖地とされる。沖縄の久高島のような存在なのだろう。果たして今も神は存在するのか?
 暮田湾(くれたわん)。ジオラマ?この湾はないよね。そのうえ湾内の砂地を掘ったら温泉が出るんだって。楽園?

新知島」(しむしるとう)
 武魯頓湾(ぶろとんわん)、新知富士(しむしるふじ)、緑湖カルデラ(みどりこかるでら)。絶景のオンパレード。
 武魯頓湾内には衛星写真で多数の建物を確認できる。海とつながった入口が水深2.5mで、湾内の最大水深が240mの水没した火口。海面下の形が想像できる。

 千島から北東、アラスカ・アリューシャン列島の山を二つ。

ClevelandHerbertCarlisleTanaKagamilUliaga
 この六つの山は圧巻。まるでフジツボのごとく固まってベーリング海に突き出ている。多くがキレイな成層火山で、一つの山単体より引いて複数入れた写真がすごい。天地創造の名残り。

Shishaldin
 円錐!まさに氷の富士。別サイトは写真もキレイだしもうお手上げ。

 これ以上あげたらきりがないのでこの辺りで。
 Google Earth(「レイヤ>ギャラリー>火山」の項目にチェック)と両方で見ていくと何時間も最果ての島々の旅が出来ます。
 大陸棚、海嶺、プレートにも着目すると、地震とも絡んだ立体的な地球も見えてきます。

 千島がかつて日本の領土だったこと。さらにポツダム宣言受諾後のソ連侵攻によって奪われたということ。
 ウィキ情報なので鵜呑みにはできないけど、占守島での日本軍での強力な抵抗がなければ北海道への侵攻もあったとの記述があります。
 ライダー、いや日本国民にとって、北海道がロシア領になっていたかもしれないことが想像できますか?そして、千島にいた多くの日本兵が、極寒の地獄、シベリアに送られたことを忘れてはいけません。


6.17

・ろんでんカフェ看板猫のんちゃん。
・横島切石山。前回行ったのがもう5年前。早過ぎ!


6.12

 不思議な、とても不思議な夢を見た。
 思い出せるスタートは、新卒で就職した地場商社の社長と行動を共にしているところから。従業員80人足らずの小さな会社だったが、時はバブル末期。これ以上ない売り上げを上げていた。
 観察しているうち、社長は債権者に追われていることに気が付いた。最終的には捕まってしまい、書類を整理している場面で終わるのだが。
 実際に検索してみると、自社サイトはしっかりと存在しており、その経営状態まで見れることに驚いた。恐ろしい時代だ。同期がまだ一人在籍していて、すぐ連絡を取れるかつての同僚もいる。それにしても・・・。

(なぜ社長が出てきたのだろう?)

 事務所では社員全員が同フロアにおり社長はその中央に。しかしトップと新入社員の関係であり、交わす言葉は挨拶か必要事項だけ。プライベートな話題はほとんどなかった。
 今、周囲の状況が影響して18歳以降から現在に至る記憶が頭の中に溢れかえっている。

(今まで出会った人たちはどこで何をしているのだろう?)

 なるほど、これが原因か。



 竹田津さんのこと。

 ライダースクラブのサイトにある動画(今は「ディアベル」インプレッション)がまだ途中であり、どうなるのか注視していたところ、予定通りアップされた。

(この人がもうこの世にいないのか?)

(言葉にできない想いというのは、今感じている気持ちを言うのだろう。)

 竹田津さん急逝については、他の多くのバイク関連、業界関係者のブログでも触れられており、故人の生前の人柄が偲ばれる。高度なライディングテクニックも備えておられたよう。
 その名字からやはり大分出身。昨日6/11、地元でも葬儀が執り行われた。

 公道で走る危険について、もう一度頭に叩き込み、維持(ここがいちばん難しい)していく必要がある。
 状況は明らかに悪化している。高齢者ドライバーの増加だけでなく、社会情勢に比例してマナーの悪いドライバーが増えているのは間違いない。なによりそのすべては自分も含めたものであるということ。

 今更ながら、

「注意一秒、怪我一生。」

「だろうではなく、かもしれない運転。」

 予期しない状況は必ず発生する。予測、経験、回避。すべての感覚を駆使して悪条件が複数一致した状況をつくらないことが最善の方法だろう。


6.11 ログ茶房「花みずき」12

 昨年7/10以来の花みずき。これまでになく間が空いてしまったが、まるで昨日訪れたかのように迎えてくれた。
 テラスにあるいつもの席。本を二冊持ち出していたにもかかわらず、滞在した一時間ずっと庭を見て過ごした。新緑の時期を過ぎ青々と風にそよぐ桜の葉。地面には二度とない木漏れ日を落とす。店の窓からはジャズ。

「この空間のすべてが絶妙のバランスで調和している。」

 先日ライディングにおける生と死を書いた。しかしここにあるのは生のみ。昨日まで一緒に居た人たちの顔が次々に浮かんできた。

(みんなをここに連れてきたらどんな感想を述べるだろう。)

「人は生まれる場所を選べない。」

(たぶん・・・。今がいちばん幸せなときだと思う。)


6.8 Gold License

 7年ぶり2度目のゴールドカード更新。前回ゴールド期間中の01年6月、朝の一時間だけ進入禁止になる道に入り青キップ。
 04年大型二輪を取ったとき免許はブルーに格下げ。ところが定期更新ではなかったためか5年の期限がついた。さらにその2年後、大型特殊を取ったとき色はそのままでまた5年。どうやら期限満了を待たずして他の免許を取得した場合、ゴールドの期限が適用されるらしい。
 それで今回、実に10年ぶりの誕生日月定期更新。その間違反者講習は一度も受けたことがなく計30分のありがたいお話&DVDでさくっと終わっていたので、いい流れだったのかも。何より保険が安くなるのがうれしい。
 リッターバイクに乗り始めて7年。10Rも2年。もう初心者とは言えないか(笑)


6.8 Sigh Deeply...

 今6/8 0:19。連日寝る間のない日が続いており、昨夜も23:00より朝まで、そのまま日中も活動中。とても持たないため、睡眠は夕食後3時間確保。結果23:00活動開始。
 どうでもいい前置きはこのくらいにして。ついさっき今朝の朝刊を読んで思わず声が出た。

以下記事抜粋。
 6日10:20頃、堺市南区の農道で、オートバイ専門誌「ライダースクラブ」編集長の竹田津敏信さん(39)のバイクが、対向してきた無職(74)運転の乗用車と正面衝突。
 竹田津さんは首などを強く打って間もなく死亡、南堺署は自動車運転過失致死容疑で容疑者を逮捕。
 同署によると、竹田津さんは雑誌の写真撮影のため、大型バイク(1100cc)を運転中。農道脇の歩道でカメラマンが待ちかまえている前を数回往復していたという。現場は農業公園「ハーベストの丘」につながる片側1車線の坂道で、緩やかなカーブだった。

「えっ?!」

 小さくはあるが、うちでとっている地方紙「中国新聞」にも載るニュース。予期しない訃報に思わず声が出たのは阿部典史以来。
 ライダースクラブは購入こそしないが毎月必ずチェックしている雑誌で、出版元サイトでは定期的に動画が配信され、つい数日前も「ドゥカ・ディアベル」のインプレッションを見たばかり。今確認しても、「動いている」竹田津さんが見れる。
 こういう事故を聞くたび、悲しみでも怒りでもない、持っていきようのない気持ちに襲われる。昨年の自分の事故を思い出しても運命の別れ道を痛いほど感じる。前後数秒タイミングがずれれば相手方と何事もなくすれ違っていたし、逆にこのサイトが未来永劫更新されなくなっていた可能性もある。
 あのとき、珍しく家族と言葉を交わさずに走り出した。そこで経過するはずだった数秒があれば・・・。
 先週土曜も右コーナーでセンターラインをはみ出してくるミニバンや、コーナーのイン側に停車しているとんでもない車に遭遇した。もちろん自分がミスをする可能性もある。

 これを読む人、特にライダーは「死」をどう捉えているのだろうか?昨年の事故後、特にソロでは、数メートル先、数秒先に「死」を感じながら走っている。家を出るときも、ふと最後かもしれないと感じるときがある。特に先週はこのような生活リズムによるストレスのため少し攻めた。
 偶然立ち寄った神社などでは、わずかばかりの賽銭と共に未来のこと「無事帰宅」を祈願するのではなく、過ぎ去った時間「ここまで無事」に感謝する。そして帰ると、パートナーのタンクを叩いて「生」を分かち合う。

 今接している人たちの切り刻まれた前腕を見るたび思う。バンク中生と死を確認する作業。ライディングは傷のない自傷行為かもしれない。


6.4 もみの木〜打梨小〜鱒留ダム〜かえるまつり・吉水園

 まず最初に書いておくと、いつものショート周回(戸山〜魚切)と100km周回(湯来〜吉和〜羅漢)を組み合わせた約1時間半の気分転換のつもりだった。

 父親はアルツハイマー型認知症と診断されて3年。アルツハイマーは老化ではなく病気である。経過7-8年で徐々に脳が萎縮していき、最終的には運動機能も失われ死に至る。まだ徘徊は発生していないが、近所の地理があやふやになってきている模様。なるべく散歩に連れ出すようにしている。
 母親は父の現状を受容できず軽いうつ状態。正直こちらの方に困っている。
 自分はというと連日3時間前後の時間しかとれず、厳しい日々が続いている。普通ならパンク寸前なのだが・・・。

 今、心や身体に問題を持つ人たちとの関わりの中に自分を投影し、人間とは、自分とは何かを問い続けている。
 かつて、幼い自分の手を引いて色々なところに連れて行ってくれた両親。今度はこちらが手を引いて、父にとって「知らない街」になりつつある近所を旅する。

 話し戻ってもみの木。吉和の交差点で本来なら左折して羅漢経由で帰宅するはずが、信号待ち中に悪魔の思考連鎖が発生した。
 バイクで倒立(打梨小)〜吉水園。開園日が今週末だということは、スタート時頭のすみにもなかった。

 バイクで倒立は昔からやってみたくて、道端では面白くないので打梨小へ。四十肩もありさすがに力のみで持っていけないため、校舎玄関の段差を利用。大昔、バイクの上で仰向けで熟睡したことがあり、意外に転落しないのに感心した覚えがある。

 鱒留ダムは特に目指したわけではないが、ルート上必然。今日はしっかりと放流中。

「ゆく川の流れは絶えずして・・・。」

 二度とない時を刻んでいた。

 吉水園。加計駅広場では祭り開催中。動態保存の「キハ」はエンジンを始動し、公園側まで移動していた。
 モリアオガエルはすごい。人格を感じるだけでなく悟りの境地にある。

 もみの木で今年初めてセミの鳴き声を聞いた。いつも利用しているガススタンドハイオク147円。

 さて、昼過ぎには帰るつもりがサイトまで更新してこの20:20。今日も寝れないのは自業自得。バイクで逆立ちしてる場合ではなかった。

5

5.29 These Days...

 正確な位置がずっと気になっていたキャンプ場がある。00年北海道へ向かう途中行き帰りとも利用した愛知は西尾の無の里キャンプ場。唯一持っていなかった中部マップル圏内の空白地帯で夜を迎え、偶然見つけた場所だった。
 別件で地図検索したさっきふと思い出し位置を確認。R23バイパスより北にあったと思っていたのが実は南。記憶の曖昧さを感じる。
 11年経った今、北上するときの高揚感と、帰るときの切なさが同居する。今日現在最後にテントを張ったのは09年の佐賀バルーン。なかなか遠くにいけず、懐古するばかりの最近を憂う。
 00年の5月29日と言えば、石垣を離れると公言したものの、ひそかに鳩間行きを迷っていた一日だった。
 鍋山の事件のあと間があいている別府に行きたい。KANさんの『玉ねぎ丸ごと窯焼きグラタン』最高。

 写真は07年島旅終盤、鹿児島・国分キャンプ場。


5.22 広島湾ヨットセーリング

 ミレニアムの旅を更新したらここに書きます。とりあえず右上にリンク設置。千島の続きも書きたいけど時間なくて無理。

 今日は広島湾を3時間ばかりクルーズ。
 ヨットのオーナーは骨折で入院していたとき同室で、お好み焼屋さんのマスターでもある弁慶まるさん。
 ヨットには20年近く前、当時の職場の同僚に2度ほど乗せてもらったことがあるが、航海はとてもおだやかなものだった。しかし学生時代ヨットマンだった弁慶まるさんのとのセーリングは素人がイメージするものに近く、とても爽快で楽しいものだった。
 それは船体が傾き、今にも横転するんじゃないとというあれ。実際には今日最大の傾きで20度前後と大したものじゃないけど、まっすぐの状態では遠い水面が、傾くとデッキのエッジが浸かるほど接近。手で水を掻けるし、しぶきも飛んでくる。微妙な舵取りをしながら風上に向かって進んでいく。
 これってハングオフ!コーナーリング中微妙な腰の移動でバンク角を調整するのと似ている。

 広島湾に浮かぶ小さな小島、津久根島に接近できたのがうれしかった。
 この島に伝わるのがあまんじゃく伝説。ホントは山に埋めて欲しいという父親の最後の望み(反対の事をするので海に埋めてくれと言った。)だけを正直に聞き、海に埋めたという話。その頂上には実際に墓がある。
 海面すぐには階段があり、けっこう急な斜面にハシゴがかかっている。登ってみたい。
 風だけで走るというのは素晴らしい。本来ならエンジン音にかき消されてしまう「音」を感じる事ができる。下りの林道でエンジンを切って走るときの感動を思い出した。

(・・・。)

 そのときには良い気分転換になったが、家に帰ると山積みの課題に茫然とする。


 盛岡のカメラマンくまさんのブログに紹介されていた動画
 個人情報保護のため詳しく書けないが、昨日ある知り合いの霊前に線香をあげさせてもらった。
 昭和30年代?古いモノクロの写真には、黒の革ジャンに洒落たバンダナを巻き、メグロを駆る勇姿があった。遺影は今にも声が聞こえてきそうな笑顔。
 乗れるうちに乗る、いや動けるうちに動く。そう考えると、今の自分はいたずらに時間を浪費しているだけのような気がする。

4

4.20 Guardian Tree

「木に人格など宿らない…。」

 昨年、旅をメインにしたバイク雑誌「アウトライダー」の編集長である菅生さんとそのフォトグラファー増井さんが参加するトークショーに参加した。会場となったのは岡山・津山市のPaddockというバイクショップ。パドックさんは積極的にメディアにアプローチするばかりでなく、この3月にはお店に小さなカフェをオープン。バイクでのカフェ巡りはライフスタイルの一つであり、とても共感するところがあった。
 そのパドックさんが今回、バイク雑誌を中心に書いているフリーライターのコバユリこと小林夕里子さんを招いてトークショーを開催するという。コバユリさんのサイトは以前から覗かせてもらっており、やはりバイクでのカフェスタイルを提唱し興味のあるところ。さらにモンゴルツーリングを企画運営されていて、そういった話も聞けるはず。迷わず参加を決めた。

 プランニングの段階で感じるものがあった。それは真庭の醍醐桜。数年前、その種子が宇宙を旅したことで全国ニュースにもなった大木。トークショーメインのため開花時期をチェックしていたが、今年異例の寒さで開花が遅れ、満開はちょうどこの週末に。
 桜の美しさには持論がある。確かに多くの名所で見られる桜並木には圧倒される。有名な一本桜にも行ったことがある。しかし、ずっとオフロードバイクで山の中を走ってきた自分にとってもっとも美しいと感じる桜は、誰も来ない山中や小さな里山ににひっそりと咲く名もなき一本桜。一年のうちわずか一週間だけ「自分は桜だ!」と胸を張る。そして普段何もない風景を、その淡いピンクのみで春にする。醍醐桜はそれらを凌駕するほどのものなのか…。

 9:30スタート。実は山口の友人が醍醐に向かうとの情報を得ていた。しかし彼女のスタートはなんと5:00。出発地を考慮しても2時間近くのタイムラグがある。タイミング的に顔を見るのは厳しいだろう。
 走り出してすぐ安佐SAに入った。冬装備は意識したが、この時期のスタイルは難しい。走行中の暖かさを取れば降りて歩いたとき汗だくになる。そういうとき有効なのはレインウェア。すぐにジャケットの下に着込み、快適走行となった。
 思えば東城以東の中国道を走るのは実に2年ぶり。去年パドックさんを訪ねた時はトリッカーですべて一般道だった。高速ではあまりないハイスピードコーナーが楽しい。

 11:35、北房ICを降り醍醐桜へ。R313から県84への分岐でご丁寧にも渋滞表示がある。

「醍醐桜渋滞待ち3時間!」

(午前中却下!)

 すぐに路肩に寄せ地図を開く。バイクではすり抜け可能なため3時間はないと思うが、時間がかかることは確か。見れたとしてもとんぼ返りになるだろう。確かに夜間ライトアップのことは頭の隅にあった。しかしやらなければならない課題があったし何より帰りは寒い。早く帰りたいのだが…。とにかく今の時点でベストな判断はパドックに向かうことだった。
 山口のOさんだがすでに12:00前。まずここにはいないだろう。ニアミスしたことをメールし、R313を津山に走り出した。

 トークショーの開始時間到着のめどがたったところでコンビニで軽い食事をとったが、携帯を開いてビックリ。Oさんからのメール着信時間は、ついさっき引き返した場所から数キロ以内にいた事を示していた。

(残念!)

 それにしてもOさん。5:00スタートであの時間にまだ醍醐にいるとは何時間見てた?同じにおいを感じる。(笑)

 久米のガンダムを横目に余裕を持ってパドックに到着。オーナーのあこさんに導かれアンケートに記入。書き終え振り向いたそこに立っていたのがコバユリさん。

(ちっちゃくてカワイイ…。)

 彼女ももちろんライダー。自宅のある横浜から古いBMWで走ってきた。軽い立ち話をしたあと、彼女のパートナーを見入る。

(これがスラッペか…。)

 モンゴルでの写真展示、ステッカーやTシャツの販売は彼女自身が行っている。ステッカーを2枚購入。一枚はモンゴルをイメージしたバイクとテントの絵柄。もう一枚はシンプルなコーヒーカップ。単なる記念ではなくデザインそのものが気に入った。
 さらに前の人につられてツーリングマップルにサインをしてもらう。らしくない事をしてしまった。(笑)

 トークショーはモンゴルでのトイレネタなど意外に下な話も。ただ時間が30分と短く、もう少し聞きたかったというのが正直なところ。しかし来てよかったと感じさせるには十分なものだった。帰宅して知ったことだが、この日が彼女の誕生日だったらしい。



 パドックを出たのが14:00過ぎくらい。この時点で醍醐桜の夕暮れからライトアップは決定。もう一つ、こちらも何年も気になっていた場所を訪ねることにした。

「鶴山公園=津山城址。」

 西日本屈指の桜の名所だがこの時期を目指してきた事はない。正直時間調整的な意味合いもあったのだが…。

(すごい!)

 冒頭に書いた美しい桜の概念だがもちろん名所を否定したわけではない。それどころかここでは名所が名所たる所以を見せ付けられることとなった。ここの特異性は城郭の持つ直線的なラインと、それを一気引き上げる高低差。
 多くの桜の名所では、例えば平地の公園であったり、河岸堤防であったり、斜面に沿った道沿いであったり、二次元で構成される場合が多い。つまり木と同じ高さから見ることになる。ところがここでは階段状の石垣を一つ一つ登っていくうちに木は下に。そして最上部の天守閣跡からは高密度のピンクの絨毯 と共に津山平野を見下ろす事ができる。

(素晴らしい。天空の桜の塔だ!)

 すでに散り始めている桜は強烈に「今」を意識させる。二度と戻る事のできない「今」。少しでも記憶しておこうと園内くまなく歩き回っていると、小さなアンプでエレアコを弾いている若者に出会った。桜吹雪の中この場所にマッチしたメロディ…。

(夢か…?)

 ずっとこの場にいたい衝動を振り切って歩き出した。



 感動してても腹はへる。そう、ここにはあれ。

「B級グルメ入賞、津山ホルモンうどん。」

 すぐにコンビニに入ってタウン誌で情報収集。現在位置から一番近かった店は「こまつ」。細い路地にある小さなお店だった。そのお味は?
 肉がホルモンである必要性は正直感じないし、結局焼きうどんなのは否定できない。しかし、味噌ダレが効いてる。次に来たときまた違う店のを食べてみたいと思わせる。
 面白かったのは地元のじいさんが酔ってくだをまいていたこと。すでに何時間もいるみたいで、店主が他のお客さんを気遣うあまり露骨に帰らせようとする。そのやり取りが面白くニヤつきながら食べる変な人になってしまった。隣りの別のおっさんもニヤついていたが。(笑)



 17:00頃、再び醍醐桜の入口。

「渋滞2時間!」

(この時間で?!)

 表示どおりすぐ渋滞の車の最後尾についた。本当に田舎の小さな集落の一本道で離合は厳しい。何より上での駐車場の絶対量が不足しているらしく、 一歩通行となっていてたくさんの交通整理が立っている。ただここはバイクの強み。数回車の間で待つことはあったがすんなりと停める事ができた。しかしライ トアップは21:00まで。最後尾の人は時間内にたどり着けるのだろうか?

(確かに大きい…。)

 ここも散り始め。第一印象はそれほどでもなかった。実は墓場と畑に囲まれている。

(いつも先祖と一緒だ。)

 夕日が桜だけに当たり輝いている。何枚か写真を撮ってみたがすぐやめた。

(誰が撮っても一緒。おれが撮る必要はない。)

 すぐ近くに小ぶりな二代目醍醐桜がある。少女がやって来て、叩いて花びらを落とし始めた。すると母親、

「あんた!警察に捕まるよ!天然記念物なんだから。」(笑)

 それにしてもこの人出。もう暗くなろうというのにたくさんの人。見下ろすとヘッドライトの列。

(Field of Dreamsだ!)

 大好きな映画のラストシーン。シューレス・ジョー・ジャクソンが現れるトウモロコシ畑の球場に大挙して押し寄せる車。

(この木はただの木ではないんじゃないか…。)

 19:30を過ぎライトアップの効果が現れ始めた。その背後に浮かび上がる満月(満月は正確には翌18日)。

(うゎ〜やられた〜。)

 短時間に50枚以上撮って、そのうちピントを合わせるのが難しくなった。使っているのは6年も前のIXY600。ふと我に返り、客観的なもう一人の自分がつぶやく。

(木なんて単なる植物だし、花は生殖行為。満月も月面への太陽光反射じゃないか!)

 同時に3時間もこの場にいる自分にも気付いていた。

 木に人格など宿らない。ましてや神など。でも何かいる。人間など太刀打ちできない大きくてやさしい何か。それはここに住む人たちだけでなく、訪れた人々すべてを包み込む。。。


4.14 Samuel Ullman 1840-1924

 青春とは人生の一時期のことではなく心のあり方のことだ。若くあるためには、創造力・強い意志・情熱・勇気が必要であり、安易に就こうとする心を叱咤する冒険への希求がなければならない。
 人間は年齢を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時老いるのである。歳月は人間の皮膚に皺を刻むが情熱の消失は心に皺を作る。悩みや疑い・不安や恐怖・失望、これらのものこそ若さを消滅させ、雲ひとつない空のような心をだいなしにしてしまう元凶である。
 六十歳になろうと十六歳であろうと人間は、驚きへの憧憬・夜空に輝く星座の煌きにも似た事象や思想に対する敬愛・何かに挑戦する心・子供のような探究心・人生の喜びとそれに対する興味を変わらず胸に抱くことができる。
 人間は信念とともに若くあり、疑念とともに老いる。自信とともに若くあり、恐怖とともに老いる。希望ある限り人間は若く、失望とともに老いるのである。
 自然や神仏や他者から、美しさや喜び・勇気や力などを感じ取ることができる限り、その人は若いのだ。感性を失い、心が皮肉に被われ、嘆きや悲しみに閉ざされる時、人間は真に老いるのである。
そのような人は神のあわれみを乞うしかない。


4.3 神々の海4 千原温泉〜龍頭の滝〜島根原子力館

千原温泉湯治場:湯温35度冬期五右衛門風呂あり。500円。
千原−八神間:路面に石・枝多数。
飯石ふれあい農道:快走路。
龍頭の滝:滝の裏に入れる。虹がきれい。
三刀屋桜並木:まだつぼみ。
山陰自動車道:現在無料区間。
島根原子力館:すべてにおいて説得力がない。3号機稼動開始24年春。津波に無防備。
宍道湖北部農道:アップダウンを快走。マンホール多くバンピー。
三刀屋桜並木:朝と変わらず。
R54飯南:路肩にまだ大量の残雪。気温3度。
三次・尾関山公園:通過、多分まだ咲き始め。ぼんぼりがキレイ。

原発がどんなものか知ってほしい

3

3.20 The Aftermath in Japan.

The Aftermath in Japan.


3.20 Kick Start, Slow Ride.

 震災以降遠出する気にもならず、普段見もしないNHKで情報をインプットしていた。この知識が役に立つ時が来て欲しくないが、リアルタイムで学習できることはいつか生死の境目に置かれたとき運命を左右する。わずかな運を引き寄せる学び。
 頭で考えず、肌で感じて瞬間で決断する能力も大切。バイクで旅をするということは、それが無意識のうちに養われていると信じたい。

 再開した津和野のポンム・スフレに行くつもりでいた。しかし今週県北では雪が降り、恐らく10Rでは松ノ木峠を越える事ができない。さらにトリッカーは去年の事故の関係で今乗れない。仕方なくオイル交換をしようと、重い腰を上げレーシングスタンドをセットした。

「ん?」

 指先に付いたのは、

(オイルだ。どこから?)

 たどっていくと、シリンダヘッドガスケットの中央から左にかけてダラダラ。

(カワサキだ…。)

 にじむ程度なら放っておくが、見た目厳しそう。オイル交換を中止しショップに向かった。

「修理要!」

 つい2週間前にフォークの修理に出したばかりなのにまた¥30,000?

(mixiアプリのお金使えんかな?ふにゃもらけとマイ・バー足したら30万くらいあるのに…。)

 パーツ依頼をかけ、重い足取りで久々の宮島SAに。

(お〜、バイク3台発見!)

 昨年暮れよりかなりの頻度できているが、今年に入って初めて見た。みな冬眠から覚めてきたんだ。残念ながらオイル漏れを再度確認しブルーなまま帰宅。

(4台もあって乗れるのが2台とは…。)

 昨年より日常の移動が自転車となり、残りの2台はエンジンすらかけることがなくなっていた。ある程度はオイルを回してやる必要がありずっと気になってはいたが、前回いつだったか記憶にない。2台ともバッテリーは去年からあがったまま。

「Kick !」

 まずモンキーから火を入れた。やっぱりキックスタートはいい。停止してライトをつけブレーキを踏んでいると、ウインカーまで電気が回らないけど、走ってる時は何とか賄える。常時点灯じゃないのも合理的。高台の住宅地を回って帰ってきた。

 次にカブ。

「Kick !」

 3速ロータリーはシフトワークの練習には最適。登りでは狭いパワーバンド使うべくシフトチェンジは頻繁になるし、回転数を合わせないとギクシャクする。左足でのクラッチワークも楽しい。近所なのに通った事のない道に入ってみた。

「あ〜!」

 10年20年とは言わないだろう。初めて入ったと思った道は、子供の頃探険したことのある道だった。

「なるほどね〜。」

 地元に通った事がない道はないのかもしれない。今は範囲が広がったが、その頃、近所が旅そのものだった。道どころか、塀の上やよその家の屋根の上さえも通り道だった。
 はるか遠い記憶と合致する絵もあれば、明らかに変わっている建物もある。卒業した中学や、遊びに行ったことのある同級生の実家。今、どこで何をしているのだろう。

(でかいバイクじゃ絶対来ない。どんなに細い道でも無敵。)

 生まれ育った町と、広島市内が同時に見渡せる場所で止まった。ここは比較的新しい分譲住宅地で、つい15年ほど前まで山だった場所だ。

(町も歳をとる…か。)

 平地の限られた広島市は山へ山へと開発されてきた。この場所から見える風景もしかり。時代の異なる規格は、走れば一目瞭然。古い町は道幅も狭 く、公園も少ない。もっともわかりやすいのが斜面下手、基礎にコンクリートで埋め込まれた駐車場。奥行き、開口部共に低く狭く、へたをすると3ナンバーや 大型四駆は入らない。当然建物も古く、住人も高齢者が多い。反対に新興住宅地は道幅がとても広い。そして建物の色彩や作りも個性的。子供用の自転車もよく 見かける。
 市内のほうに目を向けてみた。平地は7本の河川が作り上げたデルタ。5メートルの津波でも水没するだろう。もちろん陸地に囲まれた瀬戸内海に今回のような津波が来る確率は低い。しかし想定外の事が起こることは、皮肉にも今回立証された。

(水は東から来る。逃げるならあそこかあそこ。足腰の弱った両親ならどうする?この地域は津波よりゲリラ豪雨、山からの土石流の方が恐い。それならあそこ。)

 携帯がダウンした時の事も考えて避難場所を周知徹底しておく必要がある。。。


3.18 ライダーとして…

 悪化する原発の状況に二本松のNくんの顔が浮かぶ。自宅待機はついに30kmとなり、彼の住む町へは残り20kmとなった。まだ2人の小さな子供がいる。確かチェルノブイリの時、甲状腺への影響は特に子供に強いと記憶している。大変な状況にメールもはばかられる。

「なにかいるものはないか?」

 メールしたあと方法を調べてみるが、個人への荷物は今送ることができない。安直な申し出に後悔した。そのうち返信が…。

「電気水道も復旧し、物資は何とかなります。家族を友達の所に避難させたいのですが、ガソリンがありません。」

(ガソリンか…。)

 仮に送る方法があったとしてもこれは無理。

(持っていけないか?)

 阪神大震災でオフロードバイクが活躍したことは知られている。走れても使えない車と違い、人が通れる幅さえあれば移動でき、ある程度の瓦礫や道路の変化にも対応できる。携行缶で振り分ければ30-40リットルのガソリンを運ぶことができるはず。具体的な方法論は?

+:プラス要因
−:マイナス要因

<移動>
+…高速道路は北陸から磐越道、新潟・津川まで。さらに一般道からならアクセスできるのではないか?実走距離1100キロ弱。大した距離ではない。

−…会津越えの雪。
−…本当に現地入りできるか行ってみないとわからない。

<手段>
・ジムニー
+…悪路に強い。
+…たくさんのガソリンを運べる。

−…たぶん現地入りできない。
−…燃費が悪い。
−…渋滞で役立たず。

・10R
+…高速道路区間は圧倒的に早い。支障がなければ一日で行ける。

−…雪だとお手上げ。
−…満タンでの航続距離200キロ。行くと帰れない。
−…悪路に弱い。
−…積載能力が低すぎる。

・トリッカー
+…当然悪路に強く、現地での機動力は最高ランク。

−…移動に2日を要する。
−…満タンでの航続距離100キロ少し。これは致命的。
−…こちらも積載能力が低い。

<予定>
+…抜けられない予定は来週の火曜のみ。国家レベルで「今」が必要な時。なんとかなる。
+…万が一帰られなくても、3月いっぱいくらいなら調整可能ではないか?

−…人的ボランティアはまだ時期尚早。
−…避難場所すら困窮しているのに宿泊の確保も難しく、逆に足手まといになる。

 決行はあまりにも無計画であると同時に、迷惑をかける恐れすらある。

(祈るしかないのか…。)

 返信があった。

「私は動けませんが、家族は猪苗代に移動できるようになりました。」

「よかった!」

 原発事故の早期終息。どうか家族が無事でありますように。そしてNくん、絶対無理をするな!


3.16 Satellite Photos of Japan, Before and After the Quake and Tsunami.

Satellite Photos of Japan

 高さ30メートルの防波堤を数百キロに渡って作る事は、技術的には可能でも現実的ではない。国土のすべての海岸線を塀で囲う事は出来ない。残る 手段は高台への移住。1000年に一度の災害のためにこれだけの平地を捨てるのか?しかし数万人の命のためには、たとえ5000年に一度でも必要。自然は 人間に何を求めているのだろう。命と引き換えにしない学習のチャンスは与えてくれないのだろうか?
 ただこの災害が深夜に起こっていたなら…。考えただけでも背筋が凍る。。。


3.12 無事を祈る〜無事確認!

 90年、東北の温泉をめぐる弾丸ツアーで、R107を北上から大船渡へ、R45を今回の被災地を経由して仙台へ南下した。碁石海岸から見た広大な太平洋が今も浮かんでくる。あの海が襲ってくるとは。
 終わりなく流れる映像がディザスタームービーであるならと願うが、凍る背筋が現実である事を叩き付ける。
 原発、耐震基準。今後国策にも大きく影響するだろう。しかし代償として失ったものはあまりにも大きすぎる。

 福島・二本松の友人、N君と連絡が取れない。彼とは北海道で出会い、リッターバイクの世界へ導いてくれた大切な友人。福島原発から直線距離で50km。東へ行くな!

 うちは最後でいいので落ち着いたら連絡ください。

 N君。家族共々無事とのこと。一安心。


3.2 Grind Today's ...

 倉本聰のドラマ「やさしい時間」以来ずっと、夕食後には豆を手動ミルで挽いたコーヒーを淹れている。昨日も回していてふと考えた。

(仕事になっている。)

 ゴリゴリとした手ごたえを感じながら、今日一日あった出来事を振り返る「やさしい時間」。日々追われ、いつのまにかルーティーンの作業となり、あろうことか高速回転(風味が落ちる)させていることすらある。

(今日誰と何を話しただろう?)

 今夜はゆっくりと回してみよう。。。



2ストバイブ

 Fフォーク左右漏れ漏れとなった10Rをショップに出してきた。代車は100ccのスクーター。スクーター乗るのなんて何年ぶりだろう?左手ブレーキがわからない。

 ショップを出てすぐの信号でハッと気付いた。

「2スト!」

 音ではなくシートから伝わってくるバイブ。RMXが死んだ一昨年の秋以来失われた感覚。

(もうこのエンジンを所有する事はないんだ…。)

 ケツと耳で感じる不規則な爆発に、センチメンタルな気持ちにならずにはいられなかった。。。


3.1 Lost and Found !

 昨日帰ると、母親が家の鍵をなくしたという。高齢の母は、病的なものではないが年相応の健忘症(最近酷くなってきた)があり、どこで落としたかは推測し にくい。まだ日があったので、通った道だけでも探してみたが、暗くなり結局見つからなかった。知り合いがレザークラフトで作ったキーホルダーが付いてお り、ダメ元で交番に届けた。
 ところが先ほど帰ると、昼間に警察から見つかったとの連絡があり、取りに行ってきたという。

「こんな荒んだ時代に…。」

 革細工が届けてくれたうれしい驚き。感謝!

2

2.25 250キロメートル・パー・アワー

♪じそ〜くにひゃ〜くごじゅっきろ〜♪

子供の頃聞いた童謡。「走れ、超特急

 今や300kmの営業時速を誇る新幹線だが、実際乗っていてその速さを感じる事はない。もちろんホームで通過する列車はとても速く感じるが、こちらが止まっている状態で見ている相対速度なら当たり前だろう。
 車やバイクに乗り始めて長い間、体験した最高速度は140km/hだった。実はこれ、大昔自炊仕様テントフル積載のまま北海道の直線ダートで記 録したもの。もし何かあればサンドペーパーの上を転がっていく豆腐に等しく、今なら自殺の一手段となるかもしれない。ところが7年前リッターバイクに乗り 始めてから一変した。

「なにこれ?」

 大型二輪を取得してすぐに福島に飛んだ。友人の友人から譲り受けたZZ-Rに乗り出して二日目、その帰路の事。

「こんなん売ってていいの?」

 恐るべき加速から数秒で自己最高速を100km/h近く更新した。

 科学技術の発達した今日、制限速度以上出す事の出来ない乗り物を作る事はたやすい。リミッターカットする一部の人間とはいたちごっこになるだろ うが、多くの者が最高速100km/hで走るだろう。しかしそれでは乗り物は売れない。そして、国家権力にとって反則金という貴重な収入源を失う事にな る。

 童謡の250km/hは夢の世界だった。今は誰もが体験する事の出来る速度だが決定的な境界線がある。

「生身で感じるという事。」

 ボディに守られた新幹線や車と違い、全身がむき出しのバイクでは一ミリ先に死が待っている。それがわかっていながら空気を切り裂く。ゆっくりと 流れる大気を、自らがくさびの先端となりザックリと切り裂いていく。背中にはモヤモヤと渦巻く乱気流。すべてが一瞬にして後方へ吹き飛ぶ…。

 あまりの風圧にのけぞり、たまらずタンクにふせた瞬間予想もしない世界が待っていた。完全に聴力を奪っていた暴風は止み、胸にエンジンの鼓動のみを感じる静寂の世界。時間が止まる。

(まだまだレッドゾーンじゃないよ。)

 マシンは余力を残し語りかけてくるが、乗り手に余裕はない。スクリーンが受け流す風が頭の上を流れていく。まるで台風の目に入ったような…。

「!」

 はっと我に返り、スロットルを緩めながら身体を起こすと、再び暴風にさらされた上半身と内股がドラッグカーのパラシュートのごとくブレーキの役目を果たす。100km/hが徐行に感じる。スピードとは何だろう。いまだにわからない。

 今は最高速トライにそれほど興味はない。ブレーキ、シフトチェンジ、コーナーリングすべてを、単体ではなく流れとして捉え、いかにスムーズにつ なげる事が出来るか。ただ、1速で150km/hを叩き出すモンスターパワー。6速低回転から一瞬だけ全開にしてひそかな喜びを得る。。。


2.11 KAWASAKI W800

人の心は変わるもの

 ダートを走れないバイクに興味はないと思っていた7年前、時速250kmの世界を知り井の中の蛙であったことを知った。しかしアメリカンやレト ロスタイルのものには一生乗ることはないだろうと思っていた。ところが、このW800の黒を見た時何かを感じた。自分が10Rに乗る能力がなくなったとき の事を。

 何年か前、静岡の友人モッチーがW650で広島にやってきた。それまではこういう系統のバイクは遅くて野暮ったいとしか思っていなかったが、実際乗ってみると意外によく走ると感じた覚えがある。やはり自分には関係のないジャンルだという気持ちは同じだったが。
 近い将来、このバイクでトコトコ走る日が来るのだろうか?特にこのダブハチの黒、モンキーをツインにして大きくしたような感じで他人とは思えない。でも、10Rフルスロットルで恐怖より陶酔がまさるうちは大丈夫か?

 で、試乗。

 一目ぼれした黒が納車待ちで置いてあり超ラッキー。かっこいい!さらに今、8万のCafe Styleパーツがキャンペーンで半額になっており、このバイクのオーナーも購入。ロケットカウルはいいけどシングルシートは欲しい。
 で試乗はというと、そこそこの重さだけどシート高が低いので取り回しは軽い。800のツインだけど振動は少なく音も静か。特筆すべきはやはり低 速トルク。低回転から力強くなめらかに加速し、ある程度の速度に達してもストレスがなくとても乗りやすい。60歳越えたらこれかな。ショップでも話したけ ど、その頃にはツインの1000ccなんて出てないかな?

 その後バイク乗り換えて宮島SAでフォークオイルの漏れ具合を見たところ、やはりダメっぽい。そのままショップに戻って相談の結果やはり修理決定。また日をあらためて。3万出費はとても痛い。

 試乗でマウスパッドもろた。

W800 スペシャルサイト

ショートフィルム Shall We Go!

らいNAVIでネモケンさん解説中



角野栄子「ラストラン」

〜74歳の女性が12歳の母を訪ねる〜

 「魔女の宅急便」の作者。時間ができたら読んでみたい。

 数年前、山口に小学生の祖母を訪ねた事を思い出した。そこには50歳で亡くなったひいばあちゃんも眠っている。
 墓参りに来いってことだな。近いうち8分の1のDNAに会いに行こう。

出版社サイト


2.10 Around The World's Museums

 ストリートビューにも驚いたけど、これにはもっと驚いた。世界各地の美術館の内部を歩いて回れる。生涯でその一つにさえ足を運ぶ事ができないと考えるとすごい。もちろん肉眼で見るのにはかなわないけど、絵の具のひび割れまで寄れる。

You tube Intro

Google Art Project


2.9 未知の力

 大分麦焼酎「二階堂」のCMファンは少なくない。それを知ってか知らずか、二階堂酒造がスペシャルサイトを作っている。中でも06年に放送された「未知の力」編は実際にロケ地を訪ねた大切な場所だ。
 このCMの中でもっとも印象的なのは、流れの美しい白水堰堤と音無井路円形分水。両方とも大分の山の中にあり、地図やグーグルアースを駆使して探し出した。
 今気付いたけど、すべてのカットに”水”。なかなかのコンセプト。

二階堂酒造

スペシャルコンテンツ:「刻の記憶


2.8 2000キロのちゃんちゃん焼き

 91年夏、初めてバイクで北海道を放浪した。今まで数え切れないほどの道を走ってきたけど、その中でも一番好きな道がプロフィールで使っている道々106号。別名オロロンラインとも呼ばれ、ライダーでだけでなくすべての人々に絶景を見せてくれる。
 サイトに載せている写真は全部自分で撮ったものだけど、唯一この写真だけ違う。10年くらい前、旧Jフォンの携帯サイト作成ソフトについていた フリー画像で、ひと目見て引き込まれてしまった。透き通るような青空の下、電柱が一本もないまっすぐな道が延々と続く。左の海上には秀麗な利尻富士。そし てなにより、人生を変える出会い。。。

 この道を北上し続けると、日本最北端の町稚内にたどり着く。20年前の自分にとって、絶対遂行しなければならないミッションがあった。

「礼文島」

 子供の頃に見たドラマ「熱中時代」で、水谷豊扮する北野広大のふるさとである。

「最果ての地から、さらに船で渡る最果ての島」

 これ以上旅心を誘う場所があるだろうか?バイクを有名な防波堤ドームに置いたまま日帰りの行程を組んだ。港に着くと、これまた有名な桃岩ユース の大歓迎(宿泊しないけど)を受け12年の悲願を達成。スクーターを借りて島を一周した。礼文林道、久種湖、スコトン岬、トド島。でも、そんな素晴らしい 景色より記憶に残っている出来事…。

 島に着いて現金が少ない事に気付いた。もちろん帰りの船賃がないわけではないが、当時のメインバンクは旧第一勧業銀行。この島にあるわけがない。広島の母親に電話した。

「5万貸してくれ。」

 待つこと数分。残高を確認すると。

「¥50,000-!!!」

「すごい!」

 2000キロ彼方から振り込まれたお金で食べたのが「ほっけのちゃんちゃん焼き」だった。ちゃんちゃん焼きとは、鮭やマスなどの魚をたっぷりの野菜と白味噌で蒸し焼きにする豪快な郷土料理。母と郵便局に感謝せずにいられなかった。

 と、ここまで書いてふと我に返った。旅は距離ではなく普段の生活に隠れている。2000キロどころか顔を合わせていながら知らない人も少なくない。もっともっと自分をゼロにして物事を捉える能力を身に付けなければ。。。そうそう、スノーマンがどうしてるかも少し気になる。


2.6 スノーマンの向こう側

  昨日引き返した反対側からアタック。湯来を県41へ。バイクを押して歩くライダーとすれ違う。軽く会釈をしてスルーしたが、直後からアイスバーンの連続。コケたのかな?声掛ければよかった。
 県41はそこそこ通行量があり全面圧雪。かなり厳しかったけど何とか転倒無しでクリア。4輪でもノーマルタイヤでは無理!
 R186に出るとしっかり除雪してある。吉和ドライブイン前で休憩。ここは10Rでスポーツライディングする時の定番休憩ポイントだが、こんな にすごい雪ははじめて見る。ただ、南北山の両側にライブカメラが設置してあり、ほぼ毎日状況をチェックしているのだ〜。めがひらのゲレンデを滑っている人 たちが、豆粒のように見える。
 ここから目的のR488に。大好きなお店、スリランカ料理のLAMPは冬期休業中。というかほとんどのカフェがやっていない模様。それに反し て、R186より徹底した除雪がされており、こんな時期にここ来る人なんていないだろうと不思議に思っていると、なんと普段よりすごい賑わい。斜面でそり 遊びをしに来ているらしい。
 みなスキーウェア。こちらもゴツいオフロードブーツに厳寒仕様なので、一見回りに溶け込んでいるように見えるが、決定的な違いはヘルメット。もちろん駐車場には一台のバイクも見当たらなかった。ポッキーとMAXコーヒーで糖分補給してR488を左折!!!

「絶対無理!」

 それでもあきらめきれず、100メートルほどラッセルしたが恐らく1メートル以上あるのでは?歩きでもスノーシュー(かんじき)がないと足がズポズポはまり込んで辛い。バイクまで戻るだけでも息を切らしながら、2秒であきらめた。

「スノーマン元気でいろよ!」

 帰りはさすがにあの県41は通りたくないので、羅漢から津田、速谷と抜けた。左右に流れる雪景色を見ながら再確認。

「四季の中で、もっとも美しい季節…。」


2.5 5 Hours Journey...

 集落の入口で迎えてくれたのは140-150くらいある雪ダルマ。先週とほぼ同じ大きさで融けた様子はない。ただ顔のパーツが落ちていたのでキレイにメイクしなおしてあげる。
 最後の集落へ抜ける道では一日中日が差さない区間があり、完全にアイスバーン。車に踏まれてない路肩部分を選んで走る。
 トンネルを抜けて冬期閉鎖区間に入った。予想通りシャリシャリ。リヤのトラクションはパウダーより得られるが、フロントの抵抗が増しステアリン グを取られやすい。さらにリヤタイヤはもうスリップサインが出ている状態で、雪を漕ぐ能力はほとんどなさそう。実際ホイルスピン状態。それでも先週引き返 した場所を越えて数百メートルは進んだ。積雪量はガードレールがちょうど隠れるくらい。

「もう無理。」

 もみの木は近いけどこの先はコーナーが続くうえ傾斜がキツイ。吉和側からなら下りだけなのでクリアできそう。さて、この辺で一人では寂しいので仲間を作ろう。
 こだわったポイントは、穏やかな表情、一緒にお茶を飲む、少し首を振る、そして玉ではなくバウムクーヘン。理想としてはシュレックのクッキーマンのイメージ。
 悪役はヤツしかいない。つるを駆使して作ったランブル鞭毛虫。感染したらウンコが臭くなるという原虫だ。
 出来上がったところで、大汗かきながらTシャツ一枚でランブル作ってるアホな状況に気付いたので終了。
 帰りに湯来ロッジの隣にあるデイリーの自販機でミルクティーを買うと、

7

77

777

7777!

「当たった?」

 今どき当たる自販機って…。うれしいけど。。。

 最近無駄な事でツイてる。。。

 そういや雪ダルマ作ったところから下りだしてすぐデカいイノシシが道端掘り返していたけど、こちらに気付いて慌てて逃げてった。


2.4 転換のバリエーション

 2-3日前、何年か振りにギターを引っ張り出した。
 最初に断っておくと、まったく弾けない。ただ、高校のときはドラムをやっていたし、音楽そのものは大好きだし、何よりギターそのものが持つ造形美に惹かれる。そんな訳で、家には4本のギターがある。
 1本は高校のとき買った3万くらいの安物エレキ。2本目は購入時期不明のアコギで、モーリスだったかアリアだったか、やはり2万くらいの安物。 3本目は面白い。IBANEZの7弦アコギ。6弦の上のもう1本太い弦があって、Low Bの重低音を発する。ただ使い方がわからない。笑
 そして一番新しい(それでも10年位前)のがIBANEZのJ Custom。20万する高級モデル。これをPOD XT(アンプシュミレーション)につなげてヘッドフォンで聞きながら練習する。

 ギターを取り出した理由は、気分転換の方法が手詰まりになったからだ。バイクももちろん有効だが、ある程度の時間を要するし、その効力が走って いるときのみに限局してきた。気分転換で一番求めるのは、その後の「さあ、やるぞ!」という効果。その点、ギターならすぐ手に取れるし、ガソリンもいらな い。
 プラグをつないでピッキングしてみると、あまりの指の動かなさに笑う。これは気分転換というよりむしろストレスだ。フレーズなど覚えていないの でローポジションから半音ずつフルピッキングするという超地味な練習。しかし・・・、小一時間、3日も経過してくると、徐々に左手と右手がシンクロしてき た。

「これは使える。」

 良い気分転換になりそうだし、右脳の活性化、左脳との連動、さらに左手の爪を切るのを忘れない。笑
 もういくつかバリエーションを増やしたいと考えたら、この日記もそうかもしれない。ただ、最も気をつけなければならないのは、気分転換がメインになってしまうという事。というか、もうなっている。
 
 こんなことを書いている時間があるなら、やらなければいけない課題は山積みなのだが…。



・一つ思い出した事を追記
 ギターのネックに近い低音部分はフレットの幅が広く、同じポジションでは指を大きく開く必要がありかなりキツイ。そこで頭に浮かんだのは常染色体優性遺伝のマルファン症候群。
 染色体異常による遺伝性疾患で、大動脈解離など重篤な症状を引き起こすとされる。その身体的特徴の中に四肢や指が細く長くなるという症状があり、話はギターにつながる。
 歴史上マルファン症候群とされる者に、ラフマニノフ、パガニーニ、リンカーンの名前がある。リンカーンはともかく、前述の2人は音楽が好きなら知らない者はいない超絶技巧のピアニストとヴァイオリニスト。長く細い指はとんでもないストレッチが可能だったという。
 手が単に巨大なだけでなく、指が細いということが重要。特に弦楽器、フレットがなくピンポイントで無段階に押さえることの出来るヴァイオリンでは物理的に有利。
 手はでかいんだが、指が短く太いので押さえたくないとこまで押さえてしまう。やはり演奏家には向いてない…。

 ついでにかつて、「エレファントマン」で映画化された同じく常染色体優性遺伝、レックリングハウゼン病のジョゼフ・メリックについても触れたかったが、ギターとは関係ないのでまた今度。

 追記書いている時間があるなら、やらなければいけない課題は山積みなのだが…。