2010
12.29
 「ポーランドの至宝」展に行ってきた。本当は先週末のミニコンサートがあったときを考えていたが体調不良で断念、年末の平日という事で多くもなく少なくもない来場者の一人となった。
 一つ一つの作品について語ることは出来ないが、ほとんどの作品において、木々のざわめき、雑踏の匂い、そして肖像の息遣いを感じた。


12.20
「20年前の真夜中の道志みち。なんでもない道路脇でボーっと夜霧を眺めている。」

 Da Vinciの"Da Vinci"、"Back in Business"、今井美樹のelfin、retour、ivory、(こちらはカセットテープ)を取り出した。カセットデッキに電源を入れるのは久しぶり。メロディとともに色々な光景がよみがえってくる。

「年をとると涙もろくなる。」

 少し皮肉を込めて使われる言葉だがけっしてそうではない。音楽は、きらめいていたあの時に戻るタイムマシンのスターターボタン。タイムトラベルには涙という副作用がともなう。頭の中に持っている引き出しが多ければ多いほどその副作用への感受性は強いが、それは誇るべき事である。
 生きていれば誰でも未来に行ける。重要なのは20年後に戻ってきたくなる大切な「今」を刻んでいくこと。

「20年前の真夜中の道志みち。なんでもない道路脇でボーっと夜霧を眺め、訳もなく涙ぐんでいる…。」


12.18
 表紙は以前も載せていた端島の人形。巻き貝のネックレスだが、倒した部族から抜き取った大臼歯に見えて仕方がない。
 遺構での「ひとがた」の存在感は大きい。端島ではあのマネキンをはじめ何人かと出会っている。そして彼らは行くたびに侵入者の手によって移動する。本当は自分で移動しているのかもしれない。

 行きつけのカワサキショップ「Kitty」に寄り夏の車検の時から預けていた10Rのエアフィルターエレメントを入手。知り合いも来店していて予想外に滞在してしまう。納車待ちの最新型11年Z1000を見れたのはラッキーだった。超スパルタンな一台。

 今日の曲はものすごい。カンタータと無伴奏ヴァイオリンパルティータを融合させて独自の世界を構築している。
 数奇な運命をたどった人間の、生まれてから死ぬまでを凝縮した美しくも哀しい情景が浮かぶ。そしてこの反響。教会?城?大胆かつ繊細な音色に反し、触れたら切れてしまいそうなカミソリのエッジを持つ。
 聴き終わった瞬間ネガティブな放心状態に陥り、自殺企図を考えそう。(笑)


12.13
 久しぶりにCDを買った。その中の一枚がグールドのインベンションとシンフォニア。録音は1964年3月18と19日。パッケージを開けてすぐにヘッドフォンをつけた。
 46年前の軽やかな音色の奥に、かすかな歌声が聞こえてくる。まるで部屋の隅に座って聴いているような感覚。

11

11.24 みんみんさん来広・お好み焼き「弁慶まる」

 先日obasanさんとの会食中、RMXのために買っていたフロントタイヤの使い道がない事を話すと、みんみんさんが引き取りたいという。再び弁慶まるでのお好み焼きとなった。(実は昨日も来店。)
 みんみんさんもこだわりの人であった。これからも究極のシフトワークを追求しましょう。
 話題の中で、大事なアニバーサリーを忘れていた事に気が付いた。帰って調べてみるとその日は先週の11月19日。新車で購入したMONKEYがなんと成人。遠出こそしないが人生のほぼ半分を共に歩んでいることになる。

「バイクは道具以外の何者でもない。」

 彼はすでに、長年展開してきたこの持論を覆すほどの人格を持ち始めている。七類から共に隠岐へ渡る計画は未だ温存中である。


11.23 サイトを開設して12年目がスタート・・・


11.20-21 美保高原・高原の宿ロマンツェ〜宇甘渓紅葉〜羽山渓・穴小屋探険〜広兼邸〜笹畝坑道〜ベンガラ館〜吹屋ふるさと村(郷土館〜旧片山家住宅)〜吹屋小学校〜吉岡銅山跡〜豊松幸運仏

 合流前の場所も含めて各ページの背景を岡山にしてみる。枯れたツタも倉敷美観地区。次回のお楽しみ。


11.14 吉水園〜深入山〜聖湖

「くるくるくる・・・。」落葉のヘリコプターが降ってくる。
「カサカサカサ・・・。」枯葉の旋風(つむじかぜ)が舞っている。

吉水園:春とは比較にならない人出。メインストリートは封鎖され駐車場は旧加計駅。この足で歩くにはまだ遠いのでまた来年。

深入山:年配のライダーと歓談。たくさんの人が山を登っていくのが見える。この辺りの紅葉はもう終わり。

聖湖:路肩に寄せてエンジンを切り、踊りながら落ちてくる葉にかなりの時間見とれる。訳もなく目が潤んでくる。

三段峡入口(県249分岐):もみじとガソリンタンク。


11.13 obasanさん来広・お好み焼き「弁慶まる」〜マリーナ・マリオエスプレッソ

 マイナリストメンバーのobasanさんが用事で広島に来られるということでお食事する事に。
 お約束のお好み焼だが、今回はぜひ行ってみたい初めてのお店があった。話は入院中の病室にさかのぼる。

 入院当初6人部屋だったが、フロアを移った際に病院の都合で4人部屋となった。この部屋のメンバーとは意気投合し、幾度となく会話が弾んだが、その中の一人がこのお好み焼屋さんのオーナーNさんであった。
 Nさんは若い頃ヨットマンで、面白い海の話をたくさん披露してくれたが、ある日小笠原の話題になり何気なく孀婦岩の話を切り出したところ、返ってきた答えに耳を疑った。

「見たことあるよ。」

 はるか昔、小学校の学級文庫には子供が喜びそうな、今でいう都市伝説のような”おもしろ恐い”本が数冊並んでいた。その中の一冊に載っていたのが孀婦岩(そうふいわ)。子供だったその頃、未亡人を意味する名前に色気こそ感じなかったが、通りかかった船を沈めるというまるでローレライのような話は今でも強く心に残っている。
 孀婦岩は、八丈島と小笠原の間にある絶海の孤島。島というより岩に近い。360度何もない海の真っ只中にこつ然とそびえ立つ99mの切先は、海底2000mから立ち上がる海山の山頂でもあった。
 さらに心躍らされるもう一つのエピソードが。2003年この岩にアタックしたチームが存在した。(現在でも検索可能。)
 初登頂した彼らが頂上で見つけたのはなんと錆びたハーケン。まるで映画「剣岳」のような演出をしたのは早大探検部。1972年の事だという。
 自分の目で見たい場所トップランクながら、恐らく一生見ることが出来ないであろう孀婦岩。それを肉眼で見た人に出会ったという事実と、何気ない会話の流れの中で知った事に驚きを隠せない。誰かと出会い話をすることは、なんと不思議で意味のある事なのだろう。

 肝心のobasanさんとのひと時はとても楽しいものだった。一つの事を追求してきた彼女の言葉はとても興味深く、すべてにおいて浅く広く拾ってきた自分にとっては未知の世界。何よりその人柄に触れる事がバイクに乗り旅をする大きな目的でもある。 ツーリングで一度だけご一緒させていただいただけだったので、今日が本当の「出会い」なのかもしれない。

「次回会える日を楽しみにしています。」

 Nさんは退院こそされたものの、まだお店に出られる状態ではなく不在。しかしこれからお好みが食べたくなったら度々訪れる事になるだろう。自分の知らない何かを求めて。。。

お好み焼「弁慶まる」。JR井口駅アルパークすぐ近く。


11.12 宮島SA

「バッテリーは走って充電するものだ。」

 昨日の夜、一番デカそうな靴を取り出し足を突っ込んでみたが、足底板(装具)を付けたまま履くのは無理。粉砕した小指はまだ完全についてはおらず、今の段階ではずして歩くのは恐くて出来ない。そもそも足丸出しで寒いし危険。そこで思いついたのがブーツカバー。これでそこそこのスピードでもサンダルが飛んでいくことはないだろう。。。
 事故の時着ていたTシャツを取った。なんでもないユニクロのシャツだがコイツを着続けるためには無事に帰る旅がどうしても必要になる。
 エアーを点検すると、乗ってない期間と気温低下で70kPaも下がっていた。足踏みポンプも軸足を怪我側にしなければならず、イマイチおぼつかない。

エンジンスタート!

 何事もなくかかった。最後に乗ったのは9月10日。やはり宮島SAだった。感触を確かめながらゆっくりとスタート。以前と何も変わらないが、どこか新鮮なフィール。バイクもライダーもブランクを考慮して早めのシフトアップ。まるで昨日乗ったかのように軽やかに加速していく。
 インターへの峠で前車に詰まった。全閉からわずかに開けただけなのに急加速!

(恐ぇ〜、ドンツキ忘れてた・・・。)

 インターのRを立ち上がりながら一気に加速。

(速〜!怪我が指だけでよかった・・・。)

 何もかも今まで通りなのに、新しい何かが始まった。

 SAに到着。4台のバイクでうまっていたので駐輪場をかわし乗用車スペースに。マシンを降りるとまともに歩けない自分に、かつてのマイケル・ドゥーハンを思い出し苦笑。おまけに右足だけブーツカバー。

 バイパスに出たところで一瞬、Tシャツの厄を払ったとの思いが浮かんだがすぐに打ち消した。無事家にたどり着いてこそ成立する。この頃には今まで通りのライディングに戻っていたが、足底板ではリアブレーキの感覚が鈍いので注意。そして、わずか30.7kmのリハビリツアーを終えて帰宅。いつもの儀式、タンクを二度叩く。

(また、よろしく。)

 今気付いた。今日は怪我してからぴったり2ヶ月。。。


11.10 R.I.P.

 10月5日のことになるが、好きなバンドの一つであるスイスのGOTTHARDのVo、Steve Leeが亡くなったそうだ。
 彼はアメリカをツーリング中、仲間のハーレーにトラブルが発生。路肩に寄せ停車していたところにトラックが突っ込み、はじき飛ばされたバイクの直撃を受けたとの事。
 たまたま今朝、入院中届いていたJAF MATEの中に気になる記事を見つけた。長時間走るトラックは、疲労防止のため無意識に前車のランプだけを追う傾向にあり、たとえ路肩に停めハザードを点灯させていようと追突の可能性は低くないと。Steveの事故当日も雨で視界が悪かったらしい。ライダーだけでなくドライバーの立場でも頭に入れておく必要がある。

8

8.22 Cucina Italiana "Ciao!Ciao!"〜Garden & Zakka "DO!"〜旧可部線廃線トレッキング
 「カフェ・ド・ドゥ」はベスト3に入るほど大好きなお店だった。梅パスタとチリチリ大根のパスタは絶品。訪ねた際にはいつもこのどちらかを注文していただけに閉店はとても残念だった。
 今のチャオチャオになってからは別のお店に変わってしまったという話を聞き数年、訪ねるのは初めて。以前のような心に残るメニューはないが、普通においしいお店に変わっていた。ただ伝票を木のクリップで挟むのは「ドゥ」と一緒?
 同じ敷地内の小さな小屋に前のお店と同じ名前の雑貨屋さん「DO!」がある。実はこのお店、いつも楽しいひとときを過ごさせてもらっている豊平のログ茶房「花みずき」さんのお知り合いで、閉店した「カフェ・ド・ドゥ」のオーナーさん。梅パスタの美味しさを伝える事が出来てよかった。いい錆び具合のヤモリのフックを買う寸前まで行ったが今回は見送る。
 廃線トレックは安佐町宮野付近。意図したわけではなく、工事中で偶然入った脇道に線路跡が続いていて誘われる。県道から少し離れたところで車通りはなく、柵の向こうに鉄橋とトンネルがひっそりとたたずんでいた。。。

 "THE PACIFIC"が後半に入った。初めて聞く激戦地ペリリューとは?
 "BAND OF BROTHERS"のノルマンディー上陸の時も思ったが、本当にあのような人垣を楯に、運を天に任せるような突撃をしたのか?そしてヨ−ロッパ戦線に展開した101空挺師団と最大の違い。バタバタと撃ち殺されていく敵兵はわが同胞、日本人であるという事。エンドロールが始まると、放心状態でしばらく動けなくなる。
 さらに・・・、アルツハイマーの父の世話に疲れた母が「心中」という言葉を口にする。暑さと疲れと、母自身の衰えにより完全な冗談とは思えないトーン。胸がドキドキする深夜。

8.5-6 瀬戸内国際芸術祭・直島〜犬島
Day1:
宇野港〜直島・宮ノ浦港〜シナモン〜地中美術館〜李禹煥美術館〜ベネッセハウスミュージアム〜黄かぼちゃ〜直島銭湯〜宇野港
Day2:
8.6 8時15分黙祷〜宝伝漁港〜犬島〜犬島アートプロジェクト「精錬所」〜シーマン〜家プロジェクト「F邸」〜山神社〜備前犬島簡易局〜キャンプ場〜家プロジェクト「S邸」〜中の谷東屋〜犬石明神遠望〜天満宮〜家プロジェクト「I邸」〜宝伝漁港〜岡山・パティスリー「スーリィ・ラ・セーヌ」

7

7.27

 帰りにすごいものを見つけた。背中が裂け、羽化するその時に息絶えたアブラゼミ。抜け殻はどこにでもあるが、中に本体が残ってるのは初めて見た。殻の背中に止まって白い羽根を乾かしている姿は子供の頃見たような記憶が・・・。持って帰って庭に置いたので写真が撮れないかといってみるとすでに蟻だらけ。
 6-7年地中にいるというセミの幼虫。生物の生存目的が生殖ということを考えれば達成できなかった者同士どこか親近感を感じる。同じく子供の頃たくさん捕ってカゴに入れていたら何組も交尾していたという事も。
 生殖行為は出来ても子孫は残せなかった・・・。本家なのに血を絶やすとは。先祖を荒れ墓にはできない。生きてるうちに対策をしておかないと。


7.26

 満月。実は昨日の夜も太田川河口で月見夕涼み。川面のさざなみに月の道が続いていた。
 反面、満月には不吉な意味合いもある。狼男はまだかわいいが、Lunatic(狂気の)とかLunacy(狂気・精神障害)とか、人間を狂わせる何かがあるのかもしれない。


7.24 ポンムスフレ9〜十種ヶ峰〜西石見グリーンライン〜秦佐八郎記念館〜恋・鯉・来いまつり花火大会

スタート前:
 9:12 珍しく展開が早い。(笑)熊本を汚れを洗車して10:00スタートだ〜。暑いので十種まで標高を上げてみるつもり。
 9:42 今何気なくWOWOWつけたら雷神風神図の特集やってて、あまりのタイミングの良さに吹き出した。宗達と光琳の大きな違いがあり、雷神の帯が宗達のは太鼓の後ろに、光琳のは前にあり、微妙に奥行き感が違う。さらに光琳の屏風には裏にも絵があり、重ねても綺麗な構図になるとの事。さて準備完了。10Rの雷神が宗達か光琳か確認してみよう。

・出掛けに確認してみると帯が太鼓の後ろにある俵屋宗達のを元にしているよう。

・ポンム・スフレ。マスタードのカリカリフレーバーをふりかけたチキンのメインランチ。いつも細かいところにまでシェフのアイデアが感じられてとっても美味しい。
http://www.tsuwano.ne.jp/pomme/

・ソフトクリームが食べたくて道の駅なごみの里へ。ここで必要ない情報を得てしまった。夜開催される花火大会。早く帰るつもりだったのに。まめ茶ソフトクリームはお風呂受付で。

・十種山頂。オフの領域だが電波塔まで舗装。展望はないが、昔から気になっていた山頂で満足。スキー場はもう使われていない?オフでヒルクライムしたい!

・西石見グリーンライン。脇道や交差点もあるので爆走は出来ないが、幅も路面もそこそこで快走できる。

・秦佐八郎記念館。ポンム・スフレで本を開いた時驚きのシンクロニシティが発生。秦博士(細菌学者)の名前は聞いたこともなかったが、かなりの距離と時間を使い訪ねた結果とても実りあるものだった。
 さらに・・・、付きっきりでガイドしてくれた職員さんが近くの廃虚、都茂銅山で働いていたという偶然。往時の生の声を聞くことができ感動。

・都茂町内にある秦博士寄贈の図書館(現在は別目的で利用。)と都茂銅山を見て道の駅シルクウェイにちはらに向かった。風神雷神と秦博士のシンクロニシティから宝くじが当たりそうと判断したから。ところがここで痛恨のルートミス。道の駅に着いたときにはわずか12分の差で販売終了。買っても当たらなかったという事で。

・津和野に戻り、恋・鯉・来いまつり花火大会。会場は道の駅なごみの里。この日は益田まつりも開催。恐らく各地で夏祭りがピークを迎えているはずで客足が分散したのかほどよい人出。
 3,000発という事で大して期待していなかったが、会場からすぐ近くで打ち上げられるためとても迫力があり、ここでも偶然の中の必然を感じた。やっぱり宝くじが・・・。SLの通る線路のの近くで、通過待ちがあるというのも面白い。(この時の車両はディーゼル一両編成。)

・大きな花火大会と違いすんなり会場脱出。車に遭遇する事のない山中をひた走る。自殺の名所、深谷大橋では少し(背筋が)寒かった。
 夜の住人にもたくさん出会う。もう轢いたと思った蛙。戻ってみると放心状態だった。つつこうとすると動き出したので安心してスタート。他にはタヌキともイタチともテンとも違う得体の知れないヤツ。県境の松の木峠では子ぎつねさんと出会った。山で狐を見るのは久しぶり。

 帰宅0:00。早く帰ろうと思ったのに、結局いつもと変わらない。。。


7.18-19 山幸窯〜日奈久温泉〜SL人吉〜立神峡

「雨に突っ込む・・・。」

 山幸窯さんでの楽しいひとときを終え金峰山をくだり始めたとき、進行方向にはとてつもない暗黒が広がっていた。
 平地におり、パラパラと来た時点で対向車線に休みのガソリンスタンドを見つけた。一瞬躊躇したが、まだ行けるとやり過ごした途端土砂降り。中央分離帯の切れ目を見つけてUターンするわずか200-300メートルの間にびしょ濡れになった。
 事務所入口のステップに腰を下ろすと、振動を肌で感じられる雷鳴。スタンドの高い屋根では雨が舞い込んでくる。それにしても・・・、

(今のが雨のエッジだった。)

 先日、とり天さんのブログに載っていた写真を思い出しメールしてみる。

「水溜りの波紋を数えています。」

 実際、目の前の水溜りを叩く雨粒は、とても数えられるようなやさしいものではなかった。もちろんレインウェアは持っている。しかしそれを着て先を急ごうとは思わない。激しい風雨、轟く雷鳴、そのあとに出会う何かを感じながら、波紋を数え続ける。。。
 一時間くらいたっただろうか?やっと数えられるレベルにまで弱まってきた。余韻を楽しみながら、あの激しかった暗黒を北東へと見送る。本物の風神雷神が去ったあと、今度は10Rの風神雷神の出番だ。この雨で路面も程よくクールダウン、快適な県道以下の細い道を南下していると、美しい山なみが西に。

(この辺りであの方向に見える山は・・・。)

(雲仙だ!)

 間に島原湾を挟みながら、それはまるでずっと続く平野の彼方にあるような錯覚に陥る。とにかく空が広い。水田と用水路に映る空も含め、飛んでいるような気分になる。
 そして雲仙。あの噴火以降、最高峰は平成新山というセンスのない名前になってしまったが、自分の中ではいつまでも雲仙普賢岳であり続ける。
 ウキウキロードから県338へ、今度は素晴らしい夕日が飛び込んできた。雨に洗い流された大気は、雲と協力してとてもキレのあるコントラストをつくっている。

(生の息吹だ〜。笑)

 通り雨、雷、普賢岳、そして八代に沈む夕日。

(なんという幸せな一日!)

 風神雷神にしてやられた。。。


7.10 タイヤ慣らしルーティーン周回・もみの木〜ログ茶房「花みずき」#10〜旧安芸飯室駅

 吉和までの片道で慣らしは終了し、もみの木に上がる途中、右コーナーバンク中に石に乗って、フロントがアウトに吹っ飛んだ・・・。午後からトリッカーに乗り換えて、ログ茶房「花みずき」。その帰りは、錆びた線路や信号が残る旧安芸飯室駅に寄った。


7.4 魚切ダム

 意外にも午後から晴れ間が見え始めた。ネスカフェのキャラメルマキアートとミルク、やらなければいけないことを持ち出して魚切へ。先日買った山幸窯さんのガンメタルマグカップをおろした。ミルクが白いので黒が映える。
 ウグイスのさえずりを聞きながら、ボーっとしてる合間に本を開くというサイクルを繰り返しているうちにあっという間の3時間。知り合いの武道具屋さんに寄って帰宅。
 気分転換は出来たが左背中が異常にこる。首の右側も痛いし、崖転落の後遺症か。。。

6

6.20 山本幸一「器」展
http://www.yamako-gama.com/

 ギャラリーに入るとオーナーがすぐに、

「バイクに乗る人だよね?」

「2年前に一度来ただけなのによく覚えてますね。」

「男の人が一人で来ることは少ないから。」

 こちらのオーナー、定期的に訪ねるカフェ、「ログ茶房・花みずき」さんのお知り合いで、少なからず縁を感じる。最終日は必ず会えると予測し、駐車場では熊本ナンバーの山本さんの車を確認していたが、なんと今日(6.21)まで韓国に行かれているとの事。しかし、「バイク乗りが来るのでよろしく。」言付けしてくれていたそう。うれしいな。
 06年9月の「五足のくつ」ツアーの帰り際、熊本市内の旧物産館で一目ぼれしたマグカップ。08年、瓢箪堂さんでの個展で初めて山本さんと話す機会があり、昨年は草千里09の流れで金峰山にある工房を訪ねた。
 アウトドアにおける陶器へのこだわりについては古い記事に何度か書いたので省くとして、この経済状況の厳しい中、二点も買ってしまった。
 一つは写真と色違い、黒と言うよりガンメタルなマグ。コーヒーや紅茶の持つ本来の色を楽しめる白が好きだが、それではすべてが白になってしまう。これからの暑い季節、走りはほどほどにして標高の高い場所の日陰でコーヒーを淹れながら読書する機会が増えると思うので、今年は気分を変えて。
 もう一つは言葉で表現できない鮮やかなブルーのお皿。これはかなり迷った。皿単体としては綺麗だが、実用的に何を盛るかと考えれば躊躇してしまう。かといって飾りにするようなものに興味はない。で、青に負けた。
 さらにもう一点かなりグラッときた銘々皿があったが、全部足すと10,000円越えてしまうため断念。皿はともかく、マグは気分で黒白使い分けよう。
 残念ながら山本さんと話すことは出来なかったが、またいつか金峰山の工房を訪ねてみたい。。。

 関係ないけど、地元なのに泊まってみたい宿を見つけた。
宮島・厳妹屋(いつもや):
http://www.itsumoya.jp/


6.19 Twilight Zone

 2台洗車して今年初めての蛍へ。毎年訪ねる灰塚や湯来をネットでチェックするが今年はイマイチっぽい。ふと思い出し、不明峠に向かった。
 不明峠は20年近く前、広島に帰ってきてからは初めて蛍に出会った場所。その時は数匹だったが、目を閉じれば今もその光景が浮かぶ。崖転落の三王原入口を過ぎ、不明峠を越え、川沿いの狭い道を下る。

(いた!)

 多いところでも数匹。とても写真を撮れるような数ではないが、20年前の光景がよみがえった。

(蛍は数じゃない・・・。)

 自分がいようがいまいが静かに降りて来る夜の帳。今この瞬間しかない2010年6月19日の夜を感じる。湯来に回ってみようかと思ったが、もう蛍時間は過ぎてしまった。満足してR433を折り返し同じ道を戻るが、一度も車とすれ違う事はない。行きには雪のように飛び交っていた羽虫は嘘のようにどこかへ。2-3メートル上にはコウモリが現れ先導してくれた。路面では小さなカエルがヘコヘコ横断。

(夜の住人たち・・・。)

 しらばく走ると・・・、

(今度はでかいぞ!)

 すれ違う時には倒れた1頭の鹿に見えたが、Uターンして照らした先には4-5頭のウリ坊の塊。背中にはまだしっかり線が残っている。確かおととしも蛍を見に行って出会った覚えがある。突然のライトに固まって動けない彼ら。「これは写真が撮れるかも?」とごそごそしているうちに路肩の草むらに消えていった。もちろん母親を警戒して深追いはせず。

 梅雨でも雨でも、楽しい事はその辺に転がっている。。。


6.17 John Cage "4'33"
http://www.youtube.com/watch?v=hUJagb7hL0E

 今日ジョン・ケージの「4分33秒」を聴く機会があった。聴くと言うより考えると言う方が正しい。この曲は3楽章からなるが、譜面はすべて「休み」。つまり一音の音も発せられない。これを曲と解釈できるかは発表当時から論争になったらしくここには書かないが、映像を見た時、意識は観客席に。。。

 席に座りその沈黙に耳を傾けていた時、そこには三人の自分がいた。一人目は、恐らく大多数の観客と同じく、その「沈黙」の中に何かの「音」を見い出そうとする自分。二人目は、観客、奏者、指揮者の心理を推測する自分。そして三人目は、止まっているとも流れているともわからない時間の中で、内面へと目を向ける自分。
 お金を払ってコンサートホールに足を運び、曲を聴く姿勢で沈黙に身を置く時、普通なら考えられない部分に神経が集中する。咳払い、隣の息づかい、衣擦れの音。ケージは何を聞かせようとしているのか。ここにいる人たちは何を考えているのか?
 同じように「音」を探している人。それこそアホくさいと思っている人。指揮者・奏者の解釈は?そもそも自分はなぜここにいるのか?音楽会で唯一、絶対必要な「音」がないということ。その意味を問う時、以前書いた深夜のナイトランの光景が浮かんだ。
 明るい時目を奪われ、流れていく左右の風景は自我を奪う。「自分とは何か?」なんて思いもしない。ここで言えば、普通のコンサートを楽しんでいる状態に等しい。ところがしだいに暗くなり、あれほど素晴らしかった景色が闇にマスクされていくと同時に自我が目覚め始める。これが「音」のない演奏会。ヘッドライトに照らされたわずかな部分にはアスファルトだけが流れ、意識はさらに心の奥深くに潜行する。

「自分は何のためにこんな夜中、誰もいない道を走っているのだろう・・・?」

 観客の拍手喝さいにハッと我に返った。「沈黙」後のホールの映像は自分にとって滑稽なものだった。

(なるほど・・・。)

 いくら演奏時間があろうと「4:33」は音楽ではない。音符が走っていなければ音楽とはいえない。少なくとも夜のアスファルトでは、センターラインを五線譜にエキゾーストノートが音楽を奏でていた。その先には遥かなる我が家があり、まだ見ぬ絶景が待っている。


 ただ・・・、「4:33」という「演奏時間」にはケージの絶妙な計算があるのだろう。これ以上短いと「曲」として成立しないし、逆に長いと席を立つ。それでも結末が知りたくて最後まで聴いたなら、「金返せ!」、「時間返せ!」となるのは間違いない。それを見通したかのような第三楽章の短さには感服した。
 哲学と音楽・・・。音楽は頭ではなく、感性で感じたい。バイクと音楽はアレグロモデラートで。。。


6.12-13

6.12 Day One
打梨小学校跡〜鱒留ダム〜旧可部線土居駅〜DOG和カフェわん茶房'S〜旧可部線加計駅〜吉水園〜温井ダム〜芸北オークガーデン〜掛頭山山頂〜市内で懇親会

・木曜日OhIkeさんよりメールあり。温井ダムへ行きたいとの事。温井ダムって有名ポイント?聞くと、西日本一の規模らしい。知らなかった。「他は?」、「それだけ。」って・・・。地元なので先導はいいにしても、せめてもう少しリクエストないと・・・。
 どうせなので、自分も楽しめ、行った事がないところをいくつかピックアップ。同じく田舎で限られるランチポイントを検索して定休日と時間を調べた。それにしても究極の行き当たりばったラーにこういう段取りはキツイ。もう行った気で旅は終わってしまった。(笑)

・10R周回コースの休憩ポイント、吉和ICで待ち合わせ。10:00前到着。給油してコーヒーを買ったところで九州勢到着。現れたのはかおりん、OhIke、めにまる、タケジー(敬称略)の4台。意外にコンパクトな人数にホッと胸をなでおろす。タケジーさんは初めてだがブログでおなじみ。間近で見るB-KINGはごつい。
(これは・・・、思ったより楽だ。)
 タケジーさん以外まったく初めて会う人はいない。そのタケジーさん含め走りを知っているメンバー。一人の時と同じように、ある程度のスピード、追い越し・すり抜け問題なさそう。

・打梨小学校跡。つい先々週訪れたばかり。良い天気の中相変わらずゆっくりと時間が流れていた。

・鱒留ダム。残念ながら水位が下がっていてオーバーフローしていなかった。

・旧土居駅。03年廃線の旧可部線駅跡。気になっていたが訪れるのは初めて。実際に走っていた時乗ったこともある路線で感慨深い。

・DOG和カフェわん茶房'S。検索で見つけた犬カフェ。犬を連れた客が続々と入ってきていた。

・吉水園(よしみずえん)。加計にある庭園。名前は知っていて調べたところ開園は春に4日間だけ。この日が当たり日。大した期待もせず訪れたが・・・。
 こじんまりとした庭園の中の池。これがタケジーさん曰く「今日のメイン。」と言わしめた。モリアオガエルの繁殖地で、たくさんの卵とライムグリーンのカエルたち。そしてそれを捕食する蛇やイモリ。食物連鎖のジオラマを見た。

・木炭自動車とレトロ車館。吉水園の開園に合わせて開かれていた古い車の博物館。(閉園した幼稚園が会場。)こちらもなかなか面白かった。

・旧加計駅。短い線路と車両(キハ)展示。エンジンもかかるようメンテされているとの事。

・温井ダム。唯一のリクエストポイント。無料で堰堤の上と下を見学できる。今表紙に使っている治水太郎が強力。下では利水次郎と触れ合える。

・R186快走ルート。一般車と絡む国道でも難なく付いてくるメンバーに後ろを見ないようにした。

・芸北オークガーデン。芸北ドルチェでジェラートを食べるつもりが臨時休業。定休日は調べていたのに・・・。自販機のカップで我慢。

・掛頭山山頂。山頂付近のバンピー&でかい水溜りダート。一応手を振って合図しそのまま突入。みな付いてきたのには笑ってしまった。もちろん絶景。
 ここで信じられない展開に。OhIkeさんとかおりんが泊まりにするような事を言いはじめた。タケジーさんがそれにそそのかされ始めている・・・。(笑)めにまるさんは残念(?)ながら明日仕事の模様。聞いてて笑ったが、こちらが遠くに行った時ありえる状況で納得。

・R191快走。戸河内から高速に乗って市内へ。

・お好み焼「柳川」。知り合いからうまいと聞いていた。店でも話題になったが、基本的にシンプルなお好み焼は、よっぽどの事がない限りまずい店はない。ここもまずまず。
 どうやら泊まりが決定し、タケジーさんは生贄に。なるほど、生贄にされる様子を目の当たりにした・・・。

・五日市IC。残念ながらめにまるさんとお別れ。なるべく雨に降られないよう気をつけてお帰りください。取れたホテルに案内して一度帰宅。

・お店を予約するが、お好み食べたばかりなのでキャンセルし、部屋で飲む事になる。ヒロ吉さんに連絡するとOKとの事。自転車に乗り換えてホテルに向かう。

・懇親会。マイナリストたちを飲むのは初めて。ペースが速いとの話があがったが、速過ぎるとは言ってなかった。みんな絶対楽しんでいたはず。(笑)
 今日の出来事と、奥深いライディングの話に花が咲く。休憩以外話せないツーリングとはまた違った面白さがあった。酔った勢いもあり「奥が深い」を連発していたらしい。(笑)しかしみんな、人のシフトチェンジやら目線をよく見てるのに驚き!走っている時と同じくらい楽しい夜だった。終了2:00。普通に自転車で帰り、普通に布団に入ったのだが。。。

6.13 Day Two
広島刑務所〜広島拘置所〜潜水艦〜ナガタニ展望台〜観音崎〜御手洗散策

 全部書き上げたら・・・、

「記事を保存しないまま長時間たちましたので、保存処理ができませんでした。」との事。

 あとはみなさんのブログで。


Ton Koopman/J.S.BACH:Fantasia BWV 572
http://www.youtube.com/watch?v=JAd7bvRvGPg

 最も好きな曲の一つにバッハのファンタジアがある。そのメロディには満ち足りた日帰り旅があった。
 まだ薄暗い中、宛てもなく走り始める。もやのかかった、少しだけ肌寒い朝。しだいに日は高くなり、空はクリアに。軽快にワインディングを切り返しながらどんどん標高を上げていく。
 気が付くと植生は変わり、辺りは高原の緑に包まれていた。上空の速い風に流され、次々に通り過ぎていく雲。

(なんという景色!)

 決して飛ばさず、雲を追いかける・・・。
 そのうち遠くに黒い雲を見つけ、初めて時計を見た。夢中になり少し遠くに来てしまったようだ。

(そろそろ帰ろう。)

 反転する頃、シールドには雨粒が落ち始めていた。
 日が沈んでも雨は降り続けるが、一歩一歩、確実に家に近づいていた。そして・・・、

「今日も無事帰ることができた 。。。」

 次の旅ではいったいどんな光景が待ち受けているのだろう?


6.6 OUTRIDER TALK SHOW〜荒坂峠〜

・8:00前スタート。山陽側国道ルート選択。4時間以上かかるはず。間に合うか?

・R2竹原付近で輪禍の鹿。タヌキとは違い体長が大きいうえ肉片が散乱。当の鹿も気の毒だが轢いた方も気の毒。かなりのダメージがあるはず。もしバイクの前に現れたと思うとぞっとする。

・10:00井原市給油。

・12:00前津山到着。何とか間に合った。お昼と給油をして13:00前パドックへ。

・トークショー・・・。
 多くの話題が「そうそう」と共感する事だったが、「なるほど!」と感心する事が二つあった。
 一つが「ホイールの向こうを意識する。」という事。意図してホイールの向こうを光景を撮った事はあるが、バイク全体を入れ込んだ時のホイールの向こう側は考えた事がなかった。
 二つめが撮影ツーリング中のロケハン。菅生編集長によると、走行中、常に高い所を見ていて、そこから撮った走行写真が頭に浮かぶという。(こちらは電波塔や林道の切り通しはないかと、違った意味で上を見ているが・・・。)
 ソロが基本の自分にとってこれは新鮮だった。そもそも走っている自分を撮るという行為そのものが存在しない。考えてみれば、バイクで綺麗な場所を走っている時、自我がなくなる。普段の生活では、自分を見下ろしている客観的な「もう一人の自分」がいるが、一人で走っている時、まるで子供のように目は外にしか向いていない。(唯一の例外に深夜のナイトランがある・・・。)
 編集者としては当然の事かもしれない。会社のお金を使ってのツーリング、「今回良い写真は撮れませんでした。」という訳にはいかない。日の出日の入り、地形、方角すべてをシュミレーションして出発するとの事。もちろん偶然出会った場所もあるだろうし、予期しない絶景は、時として計画されたものを上回る。そういえば、土煙を作るためアクセルオンオフを繰り返したという裏話もあった。
 サーキットでのライダートークショーは何度か聴いたが、編集者の、それも写真に関する話というのはとても面白かった。

 さてここからは持論。自分でバイクの写真を撮る時の基本は二つ。まず第一に、バイクが最も美しく撮れる位置は、「真横と真後ろを除いた”右斜め後ろ”」。スタンドがなく、マフラー・タンクが見え、エンブレムやロゴもはっきり写る。(特別な意図がある場合を除く。)
 次にステアリング。縦にならないよう、ホイールがホイールとして認識できるよう切っておく。例えば今の表紙でハンドルを左に切っていたら面白くない写真になっていたに違いない。
 おまけはライト。特に朝夕や夜間の撮影では不可欠。昼でも効果的だけどけっこう忘れてしまう事が多い。
 最近のレタッチの傾向は「絵」。中学の美術の成績は5段階で2。まったく絵心のない自分にとって、鉛筆一本、筆一本で描かれる絵はまさにマジック。それに憧れてちょっぴり絵画テイストを盛り込んでいるつもり。(PhotoShop 7.0)
 ”最低限”にトリミングした元画像にレイヤー3枚を重ねる。一番上に”ぼかし(ガウス)”、2枚目に”塗料”、3枚目に”水彩画”。全部を50%前後で重ねて背景元画像の周辺光量を落とす。見せたいものを覆い焼きし、その他を焼きこんで必要であれば色補正。レイヤーを統合して全体のトーンカーブを調整して終了。レタッチは完全に素人で、色も出せないし恥ずかしいのでこの辺りでやめ。
 そうたろうや、鹿骸骨ではLEDヘッドランプを使用。長時間露光のデータを持ってないので、とりあえず骸骨額をスポット側光して、±2の段階露光で3枚を撮影。そうたろう駅名及び鹿骸骨にヘッドランプを当てる。特に骸骨では顔が向いている方に影が流れるよう当て空間を取った。カメラは06年IXY600(700万画素)これしか持ってない。
 うちの写真を見る人がどう感じているかはなかなか聞く機会がないけど、少なくとも「自分が好きな写真」は撮れてるような気がする。

・14:30、パドックさん、菅生さん、増井さんに挨拶し移動開始。

・「八つ墓村の祟りじゃ〜」

 77年の八つ墓村が公開されたとき、当時小学生だった自分たちの間でも面白おかしく流行った言葉だ。大人になって再び見る機会を得たとき、子供の頃感じたそれとは大きく違っていた。
 凄惨な殺戮シーンの裏に潜む複雑な人間模様は、美しくも哀しい音楽と相俟って激しく心に響いた。同時にロケ地に興味を持ち調べていくうち、それが実際の事件を基にした話であることを知る。
 狂気の塊となった多治見要蔵(山崎努)が、猟銃と日本刀、頭に差した懐中電灯と共に村人を殺しまくるシーンは映画の中でもっとも恐ろしいシーンの一つ。フィクションだと思っていたこの場面が実話だと知った時大きな衝撃を受けた。

「津山事件」。わずか数時間の間に30人以上の人々が惨殺された。

 90年代中盤、ロケ地である吹屋の町や広兼邸を訪ねたが、事件が具体的にどこで起こったのか知る事は出来なかった。しかし現在、同じような興味を持った人々がネット上にたくさんの情報をあげている。津山でのトークショーの開催を知った時、その時が来たことを感じた。

 楽しいトークショーが終わり峠へ。地図上では破線となっているが、地元の山道となんら変わりのない普通の舗装林道。峠には一体の地蔵。脇にダートが伸びている。迷わず走り出した。いつもの脇道探索であると同時に、その先がある山に続いているかもしれないと思ったからだ。先に進むうち・・・、

 震えた・・・。

 これまで何度も書いてきたように心霊的なものには一切の恐怖を感じない。自分がこの目で見たもの以外信用しない。この社会情勢の中、生きている人間の方がよっぽど恐い。ましてや72年も前に死んだ縁もゆかりもない人間に感じる恐怖とは・・・。この山は、犯人が自殺をするために選んだ場所。昭和13年5月21日の未明、30人を殺したあと死に場所を求めて駆け上がり、自らを撃ち抜いた。

 峠を下り始めると、すぐに展望が開けた。どこにでもある、いや、むしろ美しい田舎の風景。右側の山の斜面にはさえぎるもののない九十九折れのダートが続いている。さらに下ったところでその入り口を発見し再び登り始めた。それにしてもここ、素晴らしいダートパラダイス。四方の山々にいくつもの道が走っているのが確認できる。さらにそのほとんどに高い木はなく、景色は最高だろう。見晴らしの良い場所にバイクを止め、撮ったのが6月6日の写真。この場所で、

 また震えた・・・。

 恐ろしく巨大な狂気が、まるで嵐のように駆け抜けた夜。桜の中を走ってくる多治見要蔵の姿がよみがえる。そして、この景色のどこかを間違いなく通り過ぎたという事実。目の前には、美しい田園風景だけが広がる。

(分析不可能・・・。)

 事件のあった集落を往復した。わずか数分で行き来出来るその小さな村では、もう震える事はなかった。ここで垣間見る何の変哲もない日常に、惨劇を想像する事はとても難しい。ただ、何箇所か確認する事が出来た墓地には、同じ日付が刻まれた墓が何基もあるらしい。もちろん探すつもりもないが・・・。
 帰りに犯人の墓がある場所を通過した。これまで事件の背景からわかる彼の心理を推測する事を試みたが、すぐにやめた。常人の想像できる範疇を完全に超えている。
 ここでも通りから眺めたのみ。その狂気に関われば、下手をすると飲み込まれてしまうのではないかという恐怖すら感じる。そもそも、他人の墓に立ち入る事自体妥当ではない上、親族のその後の苦悩も想像を絶する。もちろん、犠牲者の子孫がいる事も。第三者が軽々しく言及するにはあまりにも重過ぎる。

「事実は小説より奇、いや、事実は恐ろしく、そして哀しい。」

 行ってみたいロケ地があと二つ。復讐を果たした尼子義孝(夏八木勲)が、炎上する多治見家を見下ろした丘。でも、映画だから丘と多治見家はまったく別の場所にあるかもしれない。もう一つは井川丑松(加藤嘉)が遠望する中、お宮参りの辰弥(萩原健一)を抱えた多治見鶴子(中野良子)が登っていく神社の階段。あの長い階段はどこなんだろう?

・18:20北房給油。

・新見ショートカットの県50で完全に暗くなる。

・備後落合ショートカットの県23。野旅山付近で寒さに堪えきれずレインウェアを着込んだ。すぐ先で・・・。
 朝の轢かれた鹿の事を考えていたその時、目の前の左の路肩からウサギが!そのまま右へ渡ろうとしたので左にかわすとあろう事か反転した!

「あっバカ!!!」

 完全にラインがクロスしたと思った瞬間嫌な感触はなく、すぐにUターン。

(いない・・・。)

 お互い何とか紙一重で命拾いした模様。朝の鹿は前振りか、本当に思い出していた時突然現れた。それにしても殺生しなくてよかった。

・21:10三次給油。

・22:50帰宅。


6.2

大分むぎ焼酎二階堂 2006
「ゆく川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。」
 大分むぎ焼酎「二階堂」のCM。毎回ノスタルジックな映像に目を奪われる。
 昨年暮れ、その中でも気になっていた白水堰堤と円形分水に行った。先客あり。東京から来たというおじさん。二人のよそ者を前に、とうとうと水を送り出している。水をめぐるいさかいが起こり、均等に分配するために作られたという。水と人、人と人との歴史を無言で語っていた。
 白水堰堤では自分一人だけ。人工物である美しいスロープを滑っていく水に、方丈記の一節が浮かぶが、すぐにそれを打ち消した。”ゆく川”ではなく、時間が停止しているかのように感じたからだ。その空間にあるすべてが固まったような。
 だが、やはり時は確実に流れていた。湖面からゆっくりと漂ってきた木の葉は、スロープを加速し新たな世界へ身をまかす。下りきれず、よどみを回っているやつらに自分を重ね合わせた。臆病なのか?いつか来るその時を待っているのか?
 竹田には、近いうちまた行ってみる必要がありそうだ。「久しくとゞまることなし。 」次の世界に飛び出した自分を見るために。

 06年12月、竹田の白水溜池堰堤を訪ねた時に書いた短い文章。先日、白水ダムと姿を同じくする鱒留ダムで同じような事を考えた。あれから3年半、自分はどの状態にあるのか・・・。
 少なくとも、上流でおびえ、よどみに留まってはいない。どうにかスロープに身を投じてはいるが、それが自分の意思による攻撃的なものか、なすすべなく流されたのかはわからない。さらに・・・、激流にもまれ、底に沈んで朽ち果てるか?自力、もしくは偶然にでも浮き上がり、悠然と大海を目指すか?そもそも、浮き上がることが幸せとは限らない。さらなる地獄が待ち受けているなら、安全なこの場に留まるべきだろうか?
 3年半という歳月は、その答えが生きているうちには見つからないという事を教えてくれたようだ。安全な場所などどこにもない。置かれた状況の中に楽しみを見い出し、旅を続ける。。。願わくば、抜けるような青空の下で、エメラルドグリーンの大海に浮かび、最後のひと言を残して目を閉じたい。

「あ〜面白かった!」と。

5

5.30 Srilankan Restaurant & Cafe "LAMP"〜もみの木〜打梨小学校〜鱒留ダム〜那須〜田之尻駅

・LAMP。前を通り過ぎたこと数知れずだが初めて。スリランカの人が作る今までに味わった事のないカレー。リピート確定。運良くすぐ座れたが、その後繁盛し3〜4組が待っていた。
・打梨小学校跡。2年前の9月に一度訪れている。石碑によると、昭和46年、戸河内小学校への統合にともない閉校。これ以上ないのどかな雰囲気に、小学生が走り回っていた頃を想う。
・鱒留ダム。斜面を流れ落ちる水が美しい越流式ダム。二階堂の白水溜池堰堤を思い出さずにはいられない。
・那須集落。内黒峠から望むどん詰まりの隠れ里。中心部会館前での井戸端会議に軽く会釈すると、全員が答えてくれた。最奥に林道「風小屋線」があるが行き止まり。
 帰って調べたところ、その会館が先ほどの打梨小・中学校の分校だったことが判明。明治創設、昭和閉校。あの人たちは、ここで生まれ、ここで育ったのだろうか?話をすればよかった。
・戸河内小学校。別に寄ろうと思った訳ではなかった。R191を避け、何気なく旧道を通ったら偶然に出くわし驚く。打梨小学校はこの学校に統合された。今から39年前の出来事・・・。
・旧田之尻駅。(赤字ローカル線。存続の努力もかなわず03年、可部〜三段峡間廃線。)ここも幾度となく前を通り過ぎたが・・・。駅名などすべて取り外されているにもかかわらず、何故か時刻表のみが残っている。待っていたら列車が来るのではと錯覚する。


5.29 さん谷〜大塚峠〜西倉寺〜七曲り口

・15:00スタート、崖転落以降安全への信頼度が落ちやたら心配される。
・老人ホーム「春日野園」からのアプローチ。古い治水が施された静かな沢に沿って登る。キラキラ光る木漏れ日が良い雰囲気。
・頂点の見えない砂防ダムのそばを登る際減速しすぎ、止まると同時に下がり始めてまたまた冷や汗もの。ダムに落ちるかと思った。(今日は近場だし歩きメインだと思ったのでガード類一切なし。)
・無事ダムの上に出たが、急登が始まりここでバイクを捨てる。
・分岐が多いが案内板も多くよく整備された登山道。土地勘があり地図を持ってきていなかったが、目的地の正確な位置を知らないという大きなミス。大塚峠を北へ向かってしまった。
・鉄塔のすぐそばを目印にしていた。途中から逆だと気付いたが、火山で引き返そうと思っていた。
・終了時間が決まっていたので北の鉄塔で引き返す。
・大塚峠を過ぎ左下に案内板発見。

***
「江戸・明治時代、広島方面からの魚や乾物、呉服などを運ぶ行商人が、やん谷道〜大塚峠を通り、そこから「丸山」 の西の 「伴天神」 へ物を運ぶ重要な交通路でした。また、佐伯区の五日市や沼田の戸山、伴方面からは農産物を担って広島に通っていました。」広島市祇園西公民館サイトより引用。
***

・所々崩れているかなり細い道。ここがかつて行商人が行きかった道だとはイメージしづらいが、時代劇でみる峠のシーンを思い出せば、ノスタルジックな気分にならずにはいられない。すれ違う時、どんな挨拶が交わされたのだろう・・・。考えただけでもワクワクする。
・本来の目印である鉄塔に出る。すぐに木々の間から建物が見えた。
・西倉寺到着。まず鐘楼。「こんなところに!」としか言いようがない。帰りに通った七曲り口も含め東西両方からの道は狭く暗く細い。一体どれほどの交通量だったのだろう。
・鐘を一度突いて、少しはなれたところにある社へ。上記サイトによると1706年創設。(300年も前。)建物横には寄付者を記名した平成6年の板が立てかけてあった。本尊は盗難にあい今はないとの事。
・帰りは時間もなかったのでやん谷には下らず、出来るだけバイクに近い七曲り口登山道に降りたが、かなりの下り。膝がガクガクになった。
・帰ってさらに調べたところ、火山方面にもう一つ謎の神社があるそう。いつか散策。


5.29 宮島SA

 今日はこのあと先週に引き続き宮島SA。明日は気になる上記の場所。何気なく1:25000地図を見ていると道のない山中に寺マークが。空撮をみると確かに建物があり検索してもヒットしない。
 この辺りはかつて近所の最高のアタックスポットだったが、今は春日野が造成され跡形もなくなってしまった。当時丸山山頂のマイクロウェーブ反射板を過ぎた岩場までバイクで行けた。寺へのアプローチは墓苑のそばにある「やん谷〜」からか、春日野の端から徒歩道があるはず。すぐそばに送電鉄塔があるので何かしら道があることは間違いないが。。。

20:40、宮島SAより帰宅。今日は出る時間が少し早かったため、高速・バイパスとも前がクリアではなかった。中一週間のため例の恐怖心は発生せず快走。当たり前と行ったら当たり前だが、出てから帰るまでの距離が先週とまったく同じ33.7km。


5.23 三王原

 昨日も作業中だったどうにも気になる工事の先に行ってみた。よりによって土砂降りだが、バッドコンディションはグッドコンディションでもある。
 古くからメールアドレスのアカウントに入れている”rain”は、「雨を楽しむ・・・。」にあった。確かに通常の旅では雨は嫌な要素だが、アタック・アドベンチャー的走りではむしろ楽しい要素ですらある。予想通り工事は休み。舗装化というより災害復旧かも。
 未知の領域へ。そこそこ新しい四輪のタイヤ痕がある。投棄された廃車が二台。経験上、1BOXに死体が遺棄されていないか確認。大丈夫そう。
 最初の分岐を左へ、さらに三分岐を一番左へ。朝からの激しい雨に、アクスル近くまである水溜りもありめちゃくちゃ楽しい。幼い頃、長靴を履いて水溜りに飛び込む戯れを誰もが経験したと思うがまさに同レベル。そうこうしているうちに泥流の流れる沢で行き止まった。
 例によって攻略ルートを探すが、持っているテクニックでは無理。途切れた先は雑草が生い茂り、すでに廃道と化している。少し歩いて先に進んでみると、道は続いているものの完全崩落箇所があり納得。方角的には宇賀の方に向いているはず。

(この場所、なんか好き。)

 ヘルメットに落ちる雨粒も手伝って、現実では屋久島、空想では”もののけ姫”を連想させる。居心地のよさにしばし佇んだ。。。
 反転して登りに転ずればリアはズリズリ。わざと振り回したり、意図的にグリップさせたりしてマディを楽しむ。三分岐に戻り、左は行き止まり、右もすぐに倒木。今日は伐採ツールを持参してないため路肩を避けて停車し、撤去を試みるが動く気配はない。今回は断念。
 戻って最初の分岐を右へ。ドロドロズリズリの道が延々と続く。崖に転落してはいけないのでもちろんスピードは控え目。相変わらず深い水溜りや普通に踏み越えられる倒木数箇所。伐採した木材をふもとに下ろす索道もあった。錆具合から今は使われていないよう。そうそう、トタンの建物があり中をのぞくとお地蔵さまが。こんなところにと驚く。帰って地図を確認すると、仏峠というらしい。

(もしかしてくすの木や久地に抜けるのでは・・・?)

 最初に発見した四輪の痕も続いていて展望のひらける場所もあり淡い期待を抱いたが、グーグル空撮どおりの場所で行き止まりとなった。実はこの先にも廃道が続いていたが、夕方用事もあったので少し歩いたところで引き返した。
 
 恐らく先週転落していなければ、普通にドライの道を探索して満足していたはず。2週連続4回目、雨の三王原はドラマティックレインな姿を見せてくれた。思えばこれがバイクに乗り始めた原点でもある。未知の林道を求め続けた90年代前半の記憶が蘇った。そして・・・。

 車に乗り換え事務所へ。去年秋より自走不能となり半年間放置していた98 RMXの引き取りに立ち会った。02年大学の後輩より譲り受け、今日まで8年を共にしていた。
 一番の思い出はやはり07年の島旅。鹿児島・トカラ列島から沖縄・南北大東島を一ヵ月半を掛けて回った。クレーンに吊られ空を飛ぶ姿は忘れられない。しかし、個体としてのRMXもさる事ながら、もっと大きな寂しさがあった。

(自分の人生から2ストロークエンジンが消える。)

 AMAナショナル/SX、WGP。KX250、RGVΓ500。熱中した時代のバイクはすべて2ストだった。スカスカの下から爆発的なパワーバンドへ。不規則なアイドリング、オイルの焼ける匂い、バッテリーレス、キックスタート、何もかもが戦闘的。

(パインパイン、パィーーーン・・・。)

 あのサウンドと香りをもう体験する事が出来ないとは。トリッカーは面白い。しかしどこかでRMXと比べている自分がいる。積み込みのため移動する際、タンクの右側をそっと撫でた。

(ありがとう・・・。)

 走り去るトラックを見送りながら、一つの時代が終わった事を感じていた。今はまだ・・・、喪失感の方が大きい。。。


5.22 三王原〜丹原〜大馬地

 何とか天気が持ったので再び戸山に。

・前オーナーが取り付けていたリプレイスのフリースタイルハンドル。これはこれでカッコいいが、むき出しのレバーが転倒により折れるのは時間の問題。手持ちのナックルガードが付かないため、92 RMXに付けていたMXハンドルに付け替えた。
 このハンドル、94年から03年まで使用していたもので、90年代中期のアタックツーリングだけでなく、00年には「バイクで行ける日本の果て」三つ(根室は91年にKDXで。)に到達した思い入れのあるパーツ。さらにナックルガードは去年秋息絶えた98 RMXから取り外したもの。これまで乗ったバイクの一部が受け継がれていくのはうれしい。
 正直、スタイリッシュなトリッカーには似合わないが、今日の走りでも安定感は抜群。これでいつ転倒しても大丈夫。 
・目的の未走林道はやはり作業中。側溝を埋め込んでいた。まさか舗装化?なるべく早く、晴れの日曜にリトライ。
・丹原の崩落部分で先週なかったタイヤ痕が。(笑)
・ついでに転落場所の現場検証。どう考えても路肩に寄り過ぎた。脱出時、足場に使ったありがたい倒木が若干移動していた。人為的か自然にかはわからないが、やっぱり山は生きている。転落の原因となった忌々しい木を崖下にすべて落としておいた。この場所は泥でヌタヌタの登りが面白いのでまた来る可能性大。
 あらためてみると、一人で脱出できたのが不思議なくらいの急斜面。恵まれたサイズとパワーをくれた両親に感謝。でも、まだ首が痛い。。。


5.21 宮島SA

 週末、フリーになる土曜午後より雨の可能性が高く、久々にSAに行ってきた。

 他の人はどうか知らないが、リッターSSというバイク、2週間も乗らないと走り出し最初数キロ恐怖を感じる。間であまりスピードの出ない小排気量に乗っているのも一つの要因かもしれない。序盤の短い峠でタイヤをあたため、住宅地に抜ける頃にはその感覚はなくなっている。
 ところが高速に乗り、本線合流のなだらかな左コーナーを加速、一気に追い越し車線に出ると、再び感じる恐怖。

(・・・。)

 いまだにこの乗り物が普通に市販されているというよくわからない矛盾を感じる。ただこの恐怖、それほど長くは続かない。

(ワープ。)

 一瞬のうちにタコメーターの針が見やすい位置まで回り、恐怖心は吹き飛ぶ。正確に言えば、「恐怖を感じている暇がなくなる。」と言った方が正しいかもしれない。同時にはるか先で点のように光るテールランプを確認していた。。。

 SAの案内標識はすぐに現れる。週末のせいかいつもより普通車が多い。ここで過ごす時間は自分にとって「至福の時」だ。一本の缶コーヒーとNEXCOの広報誌は、旅の途中、どこか遠くのSAにいるのではないかと錯覚させる。聞いた事もない学校名の、揃いのユニフォームを着た高校生たちが楽しそうに話している。

 帰路、前がクリアになったところで一気にスロットルを開けた。

(6速全開!)

 ギアを落とさず、6速ホールドからの全開なので爆発的な加速はないが、交換時期を過ぎたタイヤでも強烈にトラクションし、接地した路面を圧倒的パワーで瞬時に後方へと置き去りにする・・・。それ以上回転しない右手に何かを感じた。雨の週末、来週まで自分を維持するためのたった34kmの旅は、決して小さな旅ではなかった。。。


5.16 三王原〜大馬地

 14:30頃、大馬地の支線で崖から転落。林道をさえぎっていた倒木を踏んでいくか?避けるか?少し躊躇し、路肩に寄り停車、左足を出したところ、足を着いた部分が丸ごと崩落して斜面にダイブした。
 空中に浮いた状態で数メートル下に細い木の切り株がたくさん見えたので、「あれに刺さっちゃ最悪。」と思いながら4-5m転落。身体が停止してすぐ四肢の動きを確認。痺れなどは無くとりあえずすべて動いたが、右肩を強打した模様。上を見ると、バイクは林道から2m辺り下で完全に逆さになった状態で木に引っ掛かっている。道に戻りロケーションをチェックし状況判断。

・打撲にしてもまだ痛みは出ていない。とりあえず身体は動く。
・携帯の電波は圏外。理想は自力復旧・自走帰宅。
・時間は14:30過ぎ。日没まで何らかの解決は必須。(ただしヘッドランプは常時携帯。)
・転落場所、バイクが引っ掛かっている場所とも立っているのも厳しい急斜面。
・落ちた場所に引き上げるのは一人では絶対無理。
・下には道があるが10m以上あり、最後は垂直な崖。落とすのは極力避けたい。
・ロープは落ちてないか辺りを散策したが見つからず。その辺に豊富にあるツルも考えたが、結びにくいのと、万が一途中でほどけた場合、その勢いでさらに車体がずり落ちると最悪なので断念。

 結局自力での復旧方法は一つ。林道は下りなので、斜面を平行に移動しながら戻る方法。ネックは大きな切り株二つと、どうやってずり落ちずに平行移動させるか?まずどうやって起こすか?
 フロントが下がった状態だったのでリアを少し下にずらし車体を平行にした。足場を固める。下がりすぎると引き上げなければならなくなるので慎重に。最後は結局力に頼ったためすでにかなりの体力を消耗。さらに起こした状態を維持するだけできつい。ここで初めて燃料コックをオフにする事が出来た。
 少しずつ移動させるが、とにかくずり落ちないようにするのに体力を使う。二箇所の切り株では引き上げ方向に移動させなければならず途方にくれた。それでも何とか少しずつ前進し、最終局面では傾斜も緩んでエンジンをかけての脱出。転落から1時間半以上経過していた。

 ある程度の年月バイクに乗ってきてワースト3に入るビッグトラブル。正直、貰い事故以外は必ず回避できると過信していた。
 そして脊髄パッド。オンを想定した装備で、考えられる速度で転倒した場合「こんなプラスチックでは気休めにしかならない。」と思っていた。しかし帰って確認するとヒットした痕が・・・、それも胸椎部分。ほぼ垂直に落下しその高低差から考えると、装備していなかったら非常に高い確率で深刻なダメージを負っていたに違いない。今でこそ大した怪我もなくここにいるが、冷静に考えると大きな分かれ道だった。次につなげられる「学習」というチャンスを与えてもらった事に感謝。


5.15 三王原〜大馬地〜丹原

・15:00前スタート。
・三王原線入口に「5km先工事通行止」とある。
・電波塔尾根筋分岐で右へ新しい道が出来ている。
・電波塔で折り返して先ほどの分岐へ、しばらく行くと無人の軽1boxが路駐。すかさずエンジンを切ると、遠くで2ストサウンドがこだましている。もちろんこれ、作業チェーンソーの音。
 道はけっこう伸びていて、作業現場までを確認して折り返し。まだ重機で通っただけの路面はキャタピラーの跡も生々しく、土フカフカ石ゴロゴロで楽しい。
・持ち出していた1:25000地図は、登山道トレッキング(もちろんRMXで。)に狂っていた95年ごろのもの。ゆえに実測値は昭和60年代から平成初期のデータでちょっとした古地図。脇道が多数ありワクワク感上昇。帰りにゆっくりと。
・分岐を工事中の方へ。3km、1km、90mと、えらくご親切なカウントダウンで作業中に当たった。頼んで通らせてもらうほど執着もないので折りかえしすぐ手前の鉄塔ルートへ。
・展望の広がる紅白鉄塔の下に出た。送電線の建設、及び維持管理の大変さはいつも感じる事。奥深い山中で歩いている中電の保守の人に出会った事もあった。自分の立っている場所から次のピークへと伸びる送電線は文句なく美しい。
・分岐に戻り丹原線へ。知人の知人のサイトで崩落部分があるのは確認済み。しばらく舗装路を走ると問題の場所へ。
・(おーっ・・・。)地図にない道を走ると同時に、こういう災害ポイントをクリアしていくのがオフの最大の楽しみ。クリアして振り返ったところが現在のトップ写真。災害の先の、管理されてない路面状況が高揚感を高める。
・しばらく走るとクリア可能な倒木が連発するが、ピンときて伐採作業に移らず徒歩散策開始。
・「なるほど!」。先ほど右下に見た法面は9年前に丹原集落最奥部で見た記憶があった。当時石碑側からアプローチし、上にまだ道がある事が強く印象に残っていた。
・徒歩開始地点にはつぶれた屋根。この時は気付いていなかった。
・オフ車乗りの笑ってしまう共通点。どんなにありえない状況を目の当たりにしようと、どこかにルートがあるのではないかと信じて疑わない。
・とにかく倒木が多い。またチェーンソーが欲しくなる。
・「このルートは無理だ。」=諦めではなく、「違うルートがあるかも?」ととにかく前向き?
・見覚えのあるお宅を通過。
・落ちかけている丸木橋二本通過。この時点でもバイク走破不可能とは思わず、迂回路を探している。(笑)
・素手で探索していたので予期しない棘ツルを握って刺さりテンションダウン。ここで初めて時計を見て、夕方の予定を思い出し、折り返し始める。(往路で見た脇道探索の時間が計算に入っている。)基本は往路スルー、復路探索。もう少し歩けば宇賀ルートからの石碑に出ていたはず。
・中田屋跡。当時すでに建物はなかったため変化はない。写真では何もないように見えるが、敷地には井戸や錆びついた農機具などが散乱していて、三脚を持ってくればいい絵が撮れる。(日中でも薄暗い。)
・先ほどの見覚えのあるお宅。縁側のガラス戸とその上の軒だけが残っていて不思議な光景。屋根は当時すでに落ちていた。柱と柱のスパンの短い洗面所とお風呂場のみかろうじて建っていた。
・往路と同じルートを歩きつつ谷川沿いや対岸に、バイク走破可能ルートはないかとチェック。
・当時最も印象に残っていた二階建てのお宅を探すが見つからない。傾いてはいたが入る事が出来、たくさんの本と壁に掛けられたコートが目に焼きついている。「ないな?」と思っているうちバイクを止めたすぐ先のつぶれた屋根のお宅に着いた。
(なるほど!そうか!)
 ここがあのお宅だった。。。瞬時にかつての記憶がよみがえり、今目の前にある光景に愕然とする。
 9年という歳月。夏なのか冬なのか?日中か真夜中か?この建物が大きな音を立てて崩れ落ちていく瞬間を想像し寂しくなる。
(あのコートはこの下に埋もれているのか・・・。)
 気持ちを引きずりながらエンジンをスタートした。
・そうそう、今日見た限りでは丹原線から宇賀へ抜ける事はかなり厳しい。
・復路。もちろん直に帰りはしない。片っ端から往路で見つけた脇道へはいる。ほとんどが倒木や行き止まりで引き返す事になるが、オフに乗っていて一番楽しい部分。
・最後に入った道を引き返す時、何でもない水溜り跡にフロントをすべらせて1ゴケ。さらに直後の狭い場所での転回。山側の法面を利用しての切り返しで斜面を登りすぎ、足が届かなくなり立ちゴケ。一人で笑う。。。これ、TRICKERの立ち気味キャスター角と、ものすごいステアリングの切れ角に要因がある。
・TRICKERはとても面白いバイクだが、要所要所でRMXと比較してしまうのは仕方のないところか。樹脂製のなんちゃってアンダーガードがムカつく。倒木や岩に乗り上げると割れそうで、無いより気を遣う。取り外すべき?最低地上高の低さも意識せざるを得ない。
 RMXのナックルガードが流用できず、レバーむき出し。スピードが出た状態での転倒はあまりないので何とか事なきを得ているが、いずれボキッとやりそう。ハンドルバーごと変えるか。。。
・夕方の予定から帰宅して9年前の写真を探した。(旅履歴に載せ忘れていた。)今日一番驚いた出来事がここ。
 モノクロネガ撮りメインで、当時そこそこのスペックのデジタルカメラ(200万画素!今なら携帯でもこれ以上。)をサブで押さえていた。時期はいつだったかと撮影データを見て衝撃を受けた!
(2001年5月15日!今日じゃん!!!)
 もちろんまったく意識していなかった。レポ書くつもり無かったけど、一転やっぱりと思ったのはこれがあったから。丹原呼んだな・・・。ホントに驚いた。。。

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4.4 神々の海#3 十六島湾〜日御碕〜出雲大社〜三刀屋/木次桜並木〜尾関山公園

 前日のハード行程から、松江エリアをカットして10:30スタート。このツアーの由来をもう一度。

 08年4月5日、まだ行った事のない美保関を目指したのが発端だった。友人の故郷である片江を過ぎ、地図を見ているうち、南側と大きな違いがある事に気が付いた。一畑電鉄が通り、道も人も開けている中海、宍道湖側に比べ、入り組んだ地形と、深く青い日本海に面した北海岸はまさに漁村の原風景。極力海岸線を、日没ぎりぎりまで走り続け家路に着いた。
 09年、ライブカメラを登録して思い入れのある大根島から、前年の旅を思い出したその日が偶然にも4月5日。何かを感じ、続きから走る事に。岬、漁村、神社、そしてまた岬。入り組んだ海岸線の繰り返しの中に、変わらない生活があった。それは神話の神でも、出雲の神でもない。すべての集落、そこに住む人々の神。神は普遍的な存在ではなく、人間の中にいるものだと確信した。今日はその最終行程。

 高田ICで下り、広域農道からR433を経由してR375へ。この農道は以前から通っていた道だったが、今は状況が違っていた。昨年、仕事で何度か訪れることがあり、お世話になった方々の顔が浮かんでくる。
 R375では、ゆっくりと流れる江の川を横目にすっきりと晴れた最高の景色が続く。観光客のいない美郷の桜並木では、不覚にも目を潤ませてしまった。さっきの農道から色々な気持ちが押し寄せ、センチメンタルな気分になっていたからかもしれない。

(いったいいつまで、この素晴らしい旅を続ける事が出来るだろう?)

 いつまでも続くと思えた旅する日々。最近その終わりが近づいてきているような気がしてならない。

 県40で三瓶をかすめてR184へ。途中、普通の田んぼに羊が放牧されていて驚く。ヤギとか牛は見るが羊は初めて。それも耕す直前の田んぼに。

 出雲に入った。効率を考えるなら、ここから前回終了地点まで逆走するのが楽だが、遠回りをしてでも続きから走る必要があった。美保関から始まる終わりに日御碕、そして出雲大社がある。激遅な車にイライラしながら、ついに県250と県23の分岐、目的のスタートラインに立った。

 県23。それほど期待はしていなかった。これまでは探検的要素の強かった県道以下の白い道が多く、民家や行き止まりを何度かUターンしたが、それも楽しみの一つだった。しかし今回は、日御碕までずっとこの道。

(ある程度整備されたきれいな道に違いない。)

 走り出してすぐにその考えが間違いであることに気付いた。海に落ち込む急斜面に張り付く狭路、廃屋の目立つ集落。

(やっぱり、入り江ごとに神がいる・・・。)

 咲き誇る桜。春はどの入り江にも平等に訪れていた。鵜鷺から海を離れ、日御碕まではSS向き快適ワインディングロード。水を得た魚のように右へ左へと切り返すと、先ほどとは違う海に出た。
 日御碕は一度来た事があるが、今回は初めての日御碕神社へ。これまでの無事を感謝し200円のくじを引くと、いなくなった弁財天に代わり布袋さんが。よろしくお願いします。

 遅い車のあとにつき出雲大社に向かった。現在60年一度の大遷宮で、新しい本殿を建設中。完成は平成25年との事。神様は仮の社におわすそう。仮殿前でおみくじを引いた。吉凶はなく、書かれていた言葉を読んで苦笑してしまった。

「引っ込み思案や考え過ぎは禁物。大胆に行動すべし。」

(痛っ!何で知っとん?)

 参道脇では白無垢に綿帽子をかぶった花嫁さんを中心に集合写真の真っ最中。しみじみと見入る。10年前、撮る側にいた。

「新婦さん、お顔を少し左へ、少しあごを引いてください。」

「『はいっ』とお声をお掛けしますので、まばたきにご注意ください。」

「それではお撮りします。」

「はいっ!」

 カメラマンのフラッシュと共に、3年越しの旅が終わった。。。


 出雲市内を抜けるのに通った道は不思議な道だった。幅3メートルくらいの柵の無い浅い流れに、風になびく柳や満開の桜。渋滞も無く、すんなりと斐伊川の土手道に出た。見通しの良い川土手の直線をごぼう抜きしながら進むと、すぐに高台にある木次公園の桜が見え始めた。

 雲南市。木次公園、斐伊川堰堤桜並木、三刀屋川河川敷公園、城址公園と、まさに桜の里と呼ぶにふさわしい町。一番好きなのが三刀屋川。水面が凪いでいるので、両岸と水面三つの桜を楽しめる。4月中旬から下旬には緑の桜「御衣黄」が咲く。

「あんた木次?タヌキ出た?は〜こりゃこりゃ。」

 お世話になったKさんの声が頭に響きまた涙。もう会うことはないけれど、いつまでもお元気で!


 ここからの帰り・・・、結局最短はR54か。。。飛ばすと恐ろしいし、そこそこ詰まるし。といいつつ爆走で三次。予定には無かったけど広島の桜の名所、尾関山公園にも。R54からすぐ近くでおいでおいでしてたから。2010の桜は今しかないから。。。


4.2 神原しだれ桜
 つい今しがた、先週まだ咲ききっていなかった神原へ。すでに暗く、ライトアップもされていないため雰囲気だけ。それよりも大きな成果だったのは寒さ。明日早朝スタートは真冬装備必須。いいシュミレーションになりました。

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2.21 「ちゃっぴーを追いかけろ!」明神池〜椿群生林〜秋吉台

 当初の計画は油谷・俵島上陸。美祢でちゃツーリングのメンバーの顔を見て向かおうと思っていた。島へは干潮時のみ渡れるので潮見表を調べると、朝8時前と夜10時で即却下。そこへ週半ばからの体調不良が重なっておとなしくしておこうと思っていたが・・・。

 個人的にベストな旅のコンディションとは、日中10℃台前半のピンと張りつめた快晴の日。それが今日。

(こんな日に家にいるなんて考えられない。)

10:30
 美祢に9:30に着くにはハード行程になるので、気温が上がり始めるのを待ち、痛み止めを飲んでのスタート。高速、最短国道と疲れないルーティングで、目的は「マイナリスト捕捉」に変わっていた。
 メールで先手を打つのは簡単だがそれでは面白くない。明神池で待ち伏せ?通り過ぎていたら待ちぼうけを食らう。
12:48
 萩のサンリブで昼食をとりながら初めてのメールを打った。
13:06
 ちゃつさんから返信。

「シーサイドパレス萩で今から昼食。」

(やられた!もう少し早くメールしていれば昼も合流できた。)

(いやいや。)

 サンリブの出掛けに面白いおっさんと話す事が出来たのが収穫。

13:24
 ちゃつさんに返信。

「次の目的地は?」

 すると13:25返信アリ、

「明神池。」

 シーサイドパレス萩はここから数キロ。前を通過して一行がいるのを確認したが、中途半端な時間になるうえお腹も一杯。すぐ近くのマリーナで時間調整する。今週買ったばかりの2010版中国・四国ツーリングマップルを取り出した。
 実に5年ぶりの買い替え。5年という歳月は決して短くなく、変わってしまった道でちょこちょこと不具合が発生している。次回は3年おきか。記念すべき初蛍光ペンを書き込んだ。
 バイクにまたがり、いつでも発進出来るようととのえ再び待機。こういう時間も嫌いではない。そうこうしているうちに、遠くにtonojiサウンドが響いた。

(来た!)

 数台がすぐに国道に出たが、残った2台の後ろに静かに忍び寄った。最後尾が振り向く。

(しまった!ビタワンさんに気付かれた。)

 サプライズは一瞬にして終了。

 初めましてのobasanさん、みんみんさん。お久しぶりのワイワイさん、ビタワンさん。ちゃつさん、響さん、tonojiさんは3ヶ月前の黒島以来だが久しぶりという感じはしない。ヒロ吉さんは地元で会う。停車して突っ込み。

「寝坊?」(笑)

 明神池はすごい場所だった。フレンドリーに鳥とふれあうマイナリスト達に比べ、こちらはただ一人、鳥との戦いを繰り広げてきた。(笑)

(鳶がこんなにも餌付けされるものなのか?)

(近くでもまだまだ知らない場所はたくさんある・・・。)

 椿群生林。ここも一人では絶対来ない場所だけに面白い。少しばかり歩くので話も出来た。一番時間をかけるのが動画撮影でマイナリストの本領発揮というところ。(笑)写真は皆さんのブログをお楽しみに。こちらは帰宅するまでカメラを取り出す事はありませんでした。

 ちょっぴり爆走区間を経由して山焼き後の秋吉台へ。ここで集合写真撮って解散。途中参加の短い時間ではあったけど行ってよかったと思える一日でした。
 obasanさんの先導で小郡から高速へ。しばらくヒロ吉さんと一緒に走っていたが、妙な混み具合に疲れて先行。最近特に感じる事だが、後ろを無視した追い越し車線走行がすごく多い。妙な込み具合というのはこれで、先頭を遅い車が引っ張っている。
 確かに100前後で走りたい時、走行車線では遅く、追い越し車線では速いと感じる事は多いが、その後すいて走行車線がガラガラなのに譲らない車が多数。左から抜けとばかりに。
 さて18:46、廿日市から高速を降り、そのまま市内中心部に出て一つ用を済まし、帰りにフタバ図書で買ったのは。

「2010版九州・沖縄ツーリングマップル。」

 実際の投入が楽しみ!!!

 ちゃツーリング参加の皆様、ここを読んでいる皆様、引き続き良い旅を!


2.7 鶴見岳〜ギャラリーKAN〜シシ神洞窟

3:00 スタート。スタイルの異なる三つのポイントを訪ねるためジムニーを選択。寒暖の差も激しいため着替えを用意。

4:30 美祢付近の路肩温度計が−7℃を表示。車を選択したのは正解だった。吉志でうたた寝。目が覚めたのは・・・、

7:00 再プランニング。予定通り洞窟に向かうと、11:30KANさん到着は不可能となったため鶴見岳を前倒しし、移動にすべての有料道路を組み込む。朝早い方が、厳しい寒さと引き換えに素晴らしい景色が見えるのではないかというもくろみもあった。

9:20 ロープウェイで鶴見岳へ。乗客3人。06年から行き始めた鍋山の泥湯から見続けた山頂。広島県最高峰の恐羅漢よりも標高が高い。いつか日か山頂から湯船を見下ろしたいと思っていた。広場の気温は−6℃。寒さも吹き飛ぶ、期待を何倍も上回る絶景が広がっていた。

「空、雲、山、海、街、湯けむり。」

 求めるものすべてが見える。そして・・・、持参した双眼鏡で、泥湯の湯船をはっきりと見る事が出来た。動いている人も発見。

10:15 乗客11人の下りロープウェイに乗車。それに対し上りはなんと57人。すれ違ったゴンドラは満員電車状態。さらに驚いたのは定員が101人という事。ふもと駅には次便待ちの長い列が出来ていた。

(よかった!朝にまわして。)

10:45 KANさんへ移動開始。

11:40 KANさんから電話。近くにいたにもかかわらず見つける事が出来なかったからだ。結局たどり着けず、迎えに来てもらった場所はすでに至近距離だった。
 石窯で焼かれる料理はもちろん美味しかった。でもそれより強く記憶に残ったのがお二人との会話。沖縄の話題になり、最も好きになった島の一つ(もう一つは鳩間島)、パナリ島の話が出来たのは驚きだった。それも対等ではない。こちらが日帰りツアーだったのに対し、一週間も滞在されたそうで、知らない事も多かった。さらに驚いたのが小さいけど関わりがあった事。
 一つ一つコンセプトの違う部屋を見せていただく中で、ゲストの寝室に行った時の事。天井に吊るされていた凧を見てある人を思い出した。
 大学アメリカンフットボール部の1年先輩だった人だ。Eさんは現役学生時代から違う空気を放っていた。外人の友達を連れていたり、当時人気だった阪急の投手、”アニマル”をグランドに連れてきた事もあった。プライベートで特に深い付き合いはなかったが、同じ講義を取っていた時期もあった。
 数年前、何気なく母校を検索した時、その中にEさんの名前があり驚いた。記事によると、スポーツカイト(数機の凧を操って優劣を競うスポーツ)のチームリーダーとして98年、フランスで開催された大会でなんと世界チャンピオンに輝いたという。驚きが収まっていくと同時に笑いがこみ上げてきた。

(Eさんらしい・・・。)

 そしてここギャラリーKANさん。完造さんもEさんの周辺の方と知り合いとの事。

(世間は狭いよ。)

 二階テラスのカウンターにそそぐ柔らかな日差しの中で、完造さんと二人で語り合った時間が忘れられない。ここには客としてきたのではない、お二人に会いに来たのだと確信した。人を訪ねる旅は続いている・・・。

3:00 完造さんが気を遣ってくれた。放っておいたらいつまでも話し込んでしまいそうだ。

ギャラリーKANさん:http://www.kamajii.jp/

15:30 KANさんのパンを手土産に日出を離れる。給油後、速見から高速へ。

16:02 臼杵で高速を降りる。さてここからが久々の探険らしい探険。シシ神洞窟を知ったのは昨年夏、淡路の廃虚大仏を検索した際、同じサイトの別記事にあるのを発見した。おびただしい数の骸骨が祀られた洞窟。といってももちろん人間ではなくシシ(猪)の頭蓋骨。
 目的の場所もさることながら、特に興味をひかれたのがその道程。山奥の鎖場を登ったその先にあるという。色々と調べてみると思いのほか情報が少ない。その事が逆に興味を増幅させる結果となった。ある程度エリアは絞り込まれていたが、ここだという場所は特定できなかった。いや、あえて特定しないでここまで来た。と言った方が正しいかもしれない。

 地図の多様化やネットの普及によって世界は狭くなった。GPSなどの機器を使用すれば労せずしてたどり着ける。でもそれは楽しいのか?最近よく車やバイクに乗り始めたころの事を思い出す。地図にない脇道に入りまくり、何度も行き止まりに突き当たった。時には見た事もない場所に出て辺りを彷徨う。迷っているのではなく、自分のいる場所を把握できないという楽しさ。

(シシ神は何処に?)

 日没という新たな敵が見え始めた頃、意外にもあっさりと目的地を見つける事が出来た。軽登山装備に着替え歩き始める。ここでひとつ、小さなミスを犯した。それが元で、貴重な時間を浪費する事となる。。。

 セメントで固められた歩道を道なりに登っていくと、上に民家と、動いている車が見えた。

(ここじゃない・・・。)

 車に戻り先へ。分岐がいくつかあり、取り付きが単なる道端の崖という事も考えられ、左右をよく確認しながら進んだ。最後の分岐を右へ。道はすぐにダートになり荒れ始める。路肩崩落、法面からの落石、これはもう廃道。

(ここはもっと違う・・・。)

 しかし久々の4輪プチトライアルに、先に進みたい願望が頭をもたげる。

(待て待て、暗くなってしまうとさらに発見が困難になる。)

 分岐に戻り左に進むが、似たようなガレガレ林道。わずかな情報を整理する。

(アプローチはもっと簡単なはず。。。)

 こういう時は戻るのが鉄則。最初に探索した場所に。

(あっ、思いっきり書いてある!やっぱりこの近く!)

 再び川を渡った。

(!!! なるほど。そういう事か・・・。)

 まるでアドベンチャーゲームの秘密の入口を見つけた時のような気分。実際、それほど難しい場所ではなかった。最初に来た時、もっと注意して見ていれば簡単に見つかったはず。その代償として1時間を無駄にしたが、時計はまだ17:30。完全に暗くなるまで、あと1時間はある。数歩進んだ場所で、猪の下顎の一部を発見した・・・。

(ここに間違いない。)

 さらに数メートル、見上げると一本の鎖が垂れ下がっていた。。。

 一本目の鎖に取り付いた。錆は少なく、わりと新しいようだ。狭い足場をはさんで二本目へ。それが終わる部分からすぐに右上の三本目にスイッチ。

(面白い展開!)

 ところが・・・、上にはもう供養塔らしきものが見え始めた・・・。

(もう終わり?)

 今日の「探険」はあっけなく終わりを告げた。。。洞窟の入口にはおびただしい数の骨が並ぶが、初めて見る光景にもかかわらず驚きは少なかった。そこから先は、ネット上ですでに見た光景だったからだ。

骨、骨、骨。

 強い力を持つ絵である事は確か。その中でもさらに強力な個性を放つ数個があった。

「まだ血肉をまとい、この低い気温の中でも腐敗臭を漂わせている数片。。。」

(新しすぎるぞ!いいのか?せめて煮るとかすればいいのに・・・。)

 広範囲ではないが若干散乱しているように見えるのは、まだ付いている肉を求めた野生動物の仕業かもしれない。とにかく、このモノクロームのような空間に唯一、鮮烈な「赤」だった。

 奥に進むと社。まだ新しいワンカップが数本と、わずかながら賽銭が供えてある。ここにいるシシたちと関わりはないが、ここまでの旅の無事を感謝し100円奉納。(笑)そのすぐ左上に吊り下げられていたのがあの鹿骸骨だ。
 すべてを細かく見た訳ではないが、ほとんどが猪であるのに対し、この吊り下げられた一つだけが鹿。ヨーロッパの宗教的、悪魔的絵画には、ヤギや羊の頭をした悪魔が登場する。一瞬、それを彷彿させたが、この場所に恐怖や神聖なものはなかった。
 農耕民族と言われる日本人も狩猟はしてきた。太古の昔から現代に続く「自然」ではないだろうか?強い者が弱い者を食らう弱肉強食の世界。確かに楽しむ為のスポーツハンティングは存在する。だがここに奉納された多くは美味しく食べられたに違いない。そして、人間だけが持つ殺した獲物に対する感謝と供養の念。サバンナのライオンが、捕えたヌーやシマウマを哀れみ、感謝する事はない。しかし・・・、
 いきなり弾を撃ち込まれて息絶えたシシ神がそれを許容してはくれまい。人間の一方的な免罪の場所なのかもしれない。。。

 暗くなってきた・・・。彼らが戻ってくる前に退散するとしよう。。。

18:20 来た道を戻り帰路に着いた。いや、そう思い込んでいた。辺りは完全に真っ暗になり、今日あった出来事を回想しながら、かなりの距離をボーっと走っていたが、

(・・・何か違う。)

 そう、道を間違っていた。それも真反対の東へ。すぐに路肩に寄せたかったが、山間の片側一車線。前後を車に挟まれていた上流れも速く、脇道を見つけていきなりウインカー、急制動では危険すぎる。そうこうしているうちさらに距離は伸び、やっとの事で左に続く道に退避した。
 普段なら大きなミスコースに凹み上げるところだが、まわりの風景を見て自然と笑みが出た。昨年の怒涛の九州周回、宗太郎へ向かう途中に地図を確認した場所とまったく同じ。

(あの夜、10Rと一人、ここに佇んでいた・・・。)

 同じくあの旅で書いたナイトランの一節は、今いる場所を走り抜けていく時に感じた気持ちだった。

(そうたろう、呼んだな!)

 時間に余裕があれば、重岡駅と宗太郎再訪も考えていた。全行程からみればすぐに手の届く距離ではあったが、決して近くはない。実際この場所でかなり迷った。

(また寝ないで仕事に行く事になる。今日は帰ろう・・・。)

19:41 KANさんから持ち帰ったパンをほおばりながら、大分米良から高速へ。それにしても美味しい石窯焼きパン。帰宅するまでに全部食べてしまった。

 大分から5時間強、1:00帰宅を予測。予定通り11:00過ぎには美東に到着し、車の強みとばかり仮眠したのがまずかった。目が覚めると1:00。

(やらかした!)

 バイクなら、寒いのでさっさと帰っていたはず。帰宅は3:00。結果的にまた無理な日帰り旅となりました。

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1.24 竹ノ子島〜高塔山〜夏井ヶ浜〜天神IMS

 メインの「ギャラリーKAN」さんが取れなかった事で別府そのものも延期。告知されていたマイナリストツーリングも検討したがすでに夜遅く、8:30に香春に行くにはあさ4:30スタートって?これは無理。行った事のない場所を探し、Google Mapをドラッグしていた。
 目に留まったのは下関の彦島。下関中心部は一度散策した事があるが、そのほとんどが九州への通過点、トンネルや高速での移動では彦島を通る事はない。必然的に先っぽに目が行った。

(竹ノ子島・・・。)

 どうやら行き先が決定した模様。そうなると話は早い。すぐにフェリー移動が浮かんだ。その先は北九州。

(・・・。)

 年末年始はほとんど仕事で、貰った年賀状に一枚も返事を出しておりません。理由にならない言い訳としては、まずPCで作った写真をはがきサイズでテストプリントに、2度手直しして3度めで本焼き、宛名と本文をすべて手書きで書いて糊で貼り合わせ厚紙にはさむ、それをリクライニングチェアーの下で一晩押し、翌日乾いたところで縁をカッターで裁ち落とすという非常に手間をかけたものになっております。

 北九州のyaccoさんからもらった年賀状が浮かんだと同時に、20年前の記憶がよみがえった。
 1月2日(当時2日は配達が休みだった。)、自分で広島市内を配達して回った事があった。すぐに住所のない、宛名だけを書いたyaccoさん宛てのはがきを作り、九州のマップルにはさんだ。200数十キロ離れた友人に年賀状を配達する。面白い旅になりそうだ。

 10:05スタート。くしくも先週のスノートレックと同じ時間になり、またしても同じ場所でヒロ吉さんとすれ違う。先週あのあと連絡先を聞き、今回は面識のある10Rという事もあり気付いてくれた気配。もちろん業務中手を振ることは出来ず、アルカイックスマイルを浮かべていた。10:22、五日市から高速へ。ワンストップの美東SAで、ヒロ吉さんからのメールを受け取る。やはり気付いていてくれたようだ。

 12:19、無給油で下関を降りる。すぐに彦島方面へ。昼御飯のためマルショクに入った。食を求めていない旅ではスーパーで惣菜というケースも少なくない。外のベンチでパンをほおばりながら、地元の人たちの話に耳を傾ける。その土地の方言や顔見知り同士の挨拶など、ごく普通の会話が面白い。直接話したおじさんとの会話で、小倉行きの次便が13時過ぎという情報を得た。

 南風泊漁港を迂回して短い橋を渡り、竹ノ子島に上陸したが・・・、

(なるほど・・・。)

 ここはお世辞にも旅で目指すポイントではなかった。本当に短い橋で島という実感はない。さらに海岸線は通らず、数百メートル走っただけで民家に突き当たった。

(笑)

 強がりではなくある種の達成感。瀬戸内に生まれ、島巡りをする中で何度もたどり着いた行き止まりの民家。狭い袋小路で切り返し転回する場違いなSSに「なんやこれ・・・?」とつぶやきながら、これはこれで自分の中に刻まれる事となる。もう来る事がないとしても、訪れた事のある島の記憶。。。

(海を渡ろう。)

 小倉行きフェリー埠頭に着くと誰も止まっていない。取りあえず”軽”の列に並ぶと、掃除をしていた職員が話しかけてきた。

「今日は休み。」

 フェリーに休みなんてあるのか?そういえば何年か前、福島のN君が盆に利用しようとした際、やっぱり休みだと言っていたような記憶が。あっけに取られたがダイブする訳にもいかず来た道を引き返す。すぐ目の前に小倉が見えているのに、かなりの回り道をする事になった。。。

続く・・・


1.17 ログ茶房「花みずき」#9〜芸北スノートレック

文字で表現する事は不可能な素晴らしい一日。これで三日は仕事を頑張れる。。。

ポイントだけ・・・。

家を出ていきなり業務中のヒロ吉さんとすれ違う。直前で気付いたため挨拶できず。

花みずき。ランチ中はずっと奥さんと話していたが、途中で店に出てきたご主人と三人で盛り上がり、2時間近くも長居してしまった。家具の工房も見せてもらう。とても心に残る会話の連続。今後に影響を与えるかもしれない。

広域農道。生活道路の除雪は完璧だが脇道は1メートル近い雪道。歩くと膝上までずっぽり。四つん這いになって接地面積を増やすと速くすすめるが手が持たない。とても先に進む事は出来ないが、悔しいのでバイクで突っ込むとスタンドなしで立っていた。(笑)

農道から県306に入った所から小原まで本格的雪道。降雪から2-3日経過するためガリガリシャーベットの箇所が多く概ね走りやすい。

南門原。かなり深く雪に埋もれた大歳神社で休ませて貰う。賽銭箱が無く手を合わせただけ。

雲月山方面へ。県114に入ると路面は完全なアイスバーン。4ストトリッカーの粘りに舌を巻く。歩くだけで転びそうな路面、RMXなら確実に何ゴケかして る状況をぐいぐい登っていく。正直呆れてニヤニヤしながら走っていた。雪中トレックは、ある程度こける事は覚悟の上だが、結局、一度も転倒することは無かった。そして今日のハイライト。逆光に煌くアイスバーン。

圧巻の俵原牧場前の直線。実は県114、雲月への分岐を間違え、R186に戻る方へ進んでいた。正しく進んでいれば出会う事のなかった光景に見えない力を 感じた。R186に出た所で間違いに気付いたが、この時点で16:40。アイスバーンのナイトランは洒落にならないので帰路に。

道の駅ライムとごうち。インター前のお店はマイカーやツアーバスのスキー客でごった返していた。他県ナンバーも多数。くそ場違いなトリッカーに苦笑。


1.12 宮島SAがくれるもの・・・

 この年になってまだ感情をコントロールできない。単体ではなんでもないネガティブな要因が相互に絡み合い増幅され、落ちるところまで落ちる。それを自分の中に消化しきれず、周りにまで放出する事でさらに落ち込む。どこかに打開策はないものか。
 先日救われたのが写真家、雜賀雄二さんの1/7付Note「笑う」。もちろん頭ではわかっている事ながら、目の前の困難に直面すると難しい。ただ気持ちの下降速度を緩め、なんとかその場に留まる効果は実感した。
 それでも壁は立ちふさがる。憂鬱な気分で迎えた今日の夕暮れ、大晦日から2週間乗っていない10Rに久々の火入れ。今年最初のシートは妙によそよそしい が、絶好のウォームアップポイント「己斐峠」を過ぎ徐々に馴染んできた。五日市ICから高速に乗る。辺りはもう暗い。合流から一気に追い越し車線へ!

(速い!)

 この2週間、ジムニー、トリッカー、カブ、モンキーとその速度に慣れていた。パネルに目をやると、まだそれほど出ていない。少し乗らないだけでこんなに速く感じるのか?雪が降り始める・・・。一気にスロットルを開けた!

(すごい!)

 ハイスピードで流れる雪は、まるでジョージ・ルーカスの宇宙のように線を描いていた。

(ワープだ・・・。)

 わずか数キロの宇宙を終え宮島SAに入った。休日とはうってかわってトラックが多く、もちろんバイクなど一台もいない。何処で買っても同じ缶コーヒーとチョコ、そして米倉涼子が表紙のNEXCO広報誌が遠出の途中とリンクする。

(10Rに救われてる・・・)

 五日市ICから宮島SA、そしてSA内のスマートICから降りるたった200円の行程。これが行き詰まったときに出る癒しの旅。常々、「旅は攻撃的でな ければならない。」と思っているが、この現実逃避がもたらす効果は決して小さくない。現に今、この文章を書こうという気になった。わずか十数キロ、1時間足らずでもこれは旅なんだ。
 帰りにお世話になっているカワサキショップに寄る。ヤマハの逆ネジ右ミラーは、万が一接触した際、後方に回るようにとの事。逆恨みしてしまった事を反省すると同時に社長に感謝。年賀のチェッカータオルもいただきました。現状を打破するべく頑張らねば!


1.9

 今日の午後、アルツハイマーの父が半分以上残っていたカステラをすべて食べていた。もちろんカステラ云々をとやかく言っている訳ではない。ここ数週間旺盛な食欲をみせていた父。恐らく満腹中枢が壊れはじめているのだろう。先日はコーヒーに入れるグラニュー糖を開けて食べていた。父を責めることは出来ない。当の本人に記憶はなく、食べてはいないのだから・・・。
 自分はまだ対応できる。しかし、同じように年を取り、起こった事実をまともに受け止めてしまう母には鬱の初期症状が見られる。幼児が一日一日新しい事を覚えていくように、日々何かを失っていく父。

 おそらく一生一人でいる事になる。思考の大部分は母から貰った。しかし、肉体的なものは父の遺伝が大きく、祖父もそうだった。いつか自分にも同じ状況が訪れる可能性は少なくない。そうなると、まだ自分で判断できる段階で手を打つ必要がある。なるべく人に迷惑をかけない場所も決めてある。ただ・・・、それを実行する能力が自分に残されているかどうかが大きな問題だ。。。


1.1 上勝成山スノートレック 1.3 真木大堂〜岡本屋〜鍋山の泥湯〜馬家溝

 3:00に起きたのにスタートは5:12(12,945km〜)。7:00の便に間に合うのか?TRICKERなりに爆走。走りながら悟った。もうこれ は性格の問題。なぜいつも時間ギリギリになるか?それは何もしないで待っている時間をゼロにしたいから。そうして乗り遅れる事多数。
 爆走といっても走りは慎重。一日で最も気温の低くなるこの時間、路肩温度計はすでに氷点下を表示している。コーナーでのわずかな路面の反射を見逃せば転倒は避けられないだろう。そうして走ること6:42、最初の給油。あと18分で港まで着けるのか?
 ギリギリに到着!券売所に駆け込み、係員にせかされ乗船。バイクを停め、客室に上っていく階段の途中で船が動き始めた。。。今年もいい事がありそうだ。

 さて、年末年始に連休が取れないとこはわかっていた。年内はすべて仕事、明けても休めるのは1日と3日だけ。そのどちらか日帰りで鍋山と考えていたが、 ご存知のように31日は全国的に大雪。そのためトリッカー雪中トレックに切り替えた。ここでトリッカーのインプレッション。
 まず最大のネックはタンク。6L/リザーブ1.9Lという原付き並みの容量は遠出の足かせとなる事が予想された。
 次にポジション。高い位置のステアリングに極細タンク、低いシート。上半身は楽だが下半身がかなりキツイ。10Rに匹敵する折曲げを要求され、右足先は ブレーキペダルのかなり下になる。そのためブレーキを踏むにはシート後方へ体重移動するか、ステップから足を外し浮いた状態で。しかしこれでは繊細なブ レーキコントロールはできない。左足も同じ。シフトアップはともかくダウンは足を浮かして”かかと”でキックダウンしていた。
 最後にステアリング。今までにない立ったキャスター角のためけっこうフラフラしている。低速コーナーで石に乗り上げたりするとインに切れ込みそうな感じ。
 ヤマハ車を所有するのは生まれて初めて。おかげで29日のルーティーンの休みを棒に振った。前オーナーの付けていたライトカウル(光量がケラれる。)を 取り外し、左ミラーも取り外して右を折れ曲がるミラーに変えようとネジを緩めようとすると、恐ろしく固い。もちろん力は人並み以上にある。渾身の力を込め て左に回し続ける。

「こんなに回らないネジなんてありえない!」

 一箇所がなめた。一つずらしても同じ。今度はバイスクリップを持ち出し棒がガリガリに。もうこの時には正常な判断を失っていた。どうせ使わないミラー部 分を壊し、先っぽからメガネを通す。なめたネジでもしっかり引っ掛かってはいるがやはり回らない。わずか数分で終わる作業にすでに2-3時間を要してい た。
 知っている人のツッコミはわかっている。刻々とこの時間が経過していく中、逆ネジの可能性は何度も頭に浮かんだが、「逆ネジは回転ものに限る」という固定観念が支配し、トライする事はなかった。そして「まさかな」と思って右に回した瞬間、あっさりと回った。
 喜びは感じなかった。ヤマハへの怒りと、一回でも逆に回してみるという自分の考えの柔軟性のなさに大きなショックを受けた。これは笑い話ではない。
 RMXから取り外した10mmのミラーはもちろん正ネジ。すぐにバイク屋に走った所で追い討ちをかける。記憶の隅にヤマハ専用のミラーが存在していた事がよみがえってきた。こんな事で落ち込むほど心が病んでいるのだ。