2009
29 Nov 2009 「瀬戸田・平山郁夫美術館〜亀老山」

 今日行った瀬戸田・平山郁夫美術館は、大阪の話とつながっている。あの時の話の中で、大叔母は絵が好きで、昔よく見に行ったとの事。中でも広島県人の平山画伯はお気に入りだったそう。画集がないかとネットで調べていたが、考えてみれば画伯の出身地は瀬戸田。もう11年前になるが美術館にも行った事がある。

(再び訪ね、ミュージアムショップで買おう!)

 須波からフェリー。瀬戸田到着が昼と重なったためすぐに近くのレストランに入った。

「Cafe Terrasse」

 とてもおいしいイタリアンレストラン。ここに書こうと思ったのはウエイトレスがコーヒーを運んできてくれた時の事。

「すごい走ってますね!」

 美術館後のルーティングのためツーリングマップルを開いていた。この辺りの島々はほとんど行き尽くしページは真っ赤。聞くと、ご主人がバイク乗りで普段は後ろに。免許は持っていないがずっと取れと言われているそう。

「Ninjaはいつから乗ってるんですか?」

(ええなぁ!)

 ニンジャという言葉は普通の人からは出ない。ほんの数分だったがずっと記憶に残りそうな出来事だった。

 平山郁夫美術館。11年前に来た時の印象がまったくない。800円を払い順路を進むと・・・、

(すごい!)

 98年の記録を見返すと、当時のパートナーと二人、車で出る事が多かった。記憶がないという事は、画伯の絵を理解する感性を持ち合わせてなかったという事。11年の歳月は、平山郁夫の世界に共感する何かを身に付けさせてくれたのだろう。
 月夜の、鮮やかな色使いと柔らかなタッチに、ふと、宗太郎へ向かうナイトランを思い出した。すべての物体のエッジが柔らかく曖昧なあの夜。自分に絵心があればと残念に思う。

(ここはもっと短いサイクルでリピートしたい場所かも。。。)

 新旧網羅した画伯の図録を購入。大叔母用だが、また自分用も欲しいと思った。

 家を出る前、追加ポイントとして大島の亀老山を考えていた。来島海峡の最上級絶景ポイントだが一度も訪れた事がない。美術館で驚いた。2000年頃描かれた大作の一つが亀老山の山頂から望んだ景色。もちろんその事実は知らなかった。
 郁夫の出生地に近い事を考えればそう不思議な事ではないが、やっぱ何かがつながっているのではないかと思わせる。亀老山は期待を裏切らない絶景だった。
 島の北にある念仏山にも寄ってみようと私道のような道を登る。すぐにとんでもない道になった。どう考えてもオフ車の領域。それでも引き返せないのが自分でも情けない。
 石切り場や、なぜか馬が飼われていたりと、どこをどう回ったかわからないまま登った場所からそう遠くない海沿いに戻ってきてしまった。
 現在位置を把握できず、イライラしたりもしたが、実は本当のアドベンチャーだったりする。RMXがあったなら・・・。また一つリベンジポイントが増えた。

 なるべく早く画集を送らなくては。


「95の大叔母に会うため、77の母を大阪へ連れて行く旅」

「人は、自分の死期を知らないからこそ生きていける。しかし、今目の前で談笑している二人にはわかっている。これが今生の別れとなるかもしれない事を・・。」

 母は昭和七年、広島湾に浮かぶ島に生まれた。藁葺きの母屋、蔵、そして十軒長屋のある大きな家。自分が物心ついた頃、母屋の屋根や床はほとんど落ちていたが、弟を連れ遊びまわった静止画が今も鮮明に残っている。
 かまどのある広い土間。すでに地面の見える座敷の敷居を綱渡りのようにつたって行くと、4本足の真空管テレビの残骸があり、真空管を一つ引き抜いて、弟 に「超電子ダイナモ」(仮面ライダーストロンガー)だと自慢した。さらに奥には大きな仏壇。周りには「七色仮面」など、子供向け小冊子が散らばっていた。
 蔵は宝箱だった。クランクのように曲がりくねった鉄の棒が鍵。子供にはコツがいり、手っ取り早く扉を蹴破ると、当然親に叱られた。母の小さい頃飾ったというひな飾り。なかでもひときわ目をひいたのが蓄音機。もう壊れていたが、横の棒を回したり、針を下ろしてみたり。
 秋のみかん収穫時には、唯一生活する事が出来た長屋に泊まった。倉庫部分には脱穀機などの農機具、まるで棺桶のような櫃が並んでいた。半地下には牛がいたと言う。
 誰も手入れするものがいないその建物は、もう30年以上も前に母屋と蔵が倒れ、昨年ついに長屋も取り壊され更地となった。

 母が5歳になった昭和12年、祖父が41歳で他界する。母方の親族に会うたびに、「おじいさんによく似ている。」と言われる。出来る事なら今の知識を 持って話がしてみたいが、こちらが生まれる30年も前に亡くなった祖父。かすりもしない。例え願いがかなったとしても、「おまえ、いつまでフラフラしてい るんだ!」と、叱られるのが関の山だろう。さらに・・・、写真で見る祖父は、いつまでも年下の青年のままだ。

 母の里には不運がつきまとっていた。曽祖父は、長男をはじめ8人いた子供を次々と亡くしていく。三男は幼少期に、昭和12年に祖父である長男。昭和14年には五男と次女。19年には次男。戦争という時代背景ではあったが、失意の連続であったに違いない。
 さらに不幸は続く。戦後間もなく四男。残ったのは六男(平成まで生きたらしいが会った事はない。)と長女。今回訪ねる大叔母だった。

 その大叔母も苦難の人生を歩んでいた。10歳も年下の夫と離婚後、一人息子家族と同居していたが、なんとその息子も41歳の時、癌で亡くなる。
 残った嫁とはお互い気の強い者同士反発し合い、一人暮らしとなる。それでも、歳を取り介護が必要になると、3人の孫がみてくれていた。中でも真ん中の孫は優しく、大叔母とも相性がよかったらしく、一緒に住んでいたのだが・・・。
 あろう事か、彼が大学4年の夏、川で溺れて亡くなってしまう。なんという仕打ち。息子が亡くなって以来仏壇に向かい拝み続けていたが、それもやめたという。

 大叔母と母は“うま”が合った。母はやり手の大叔母を慕い、大叔母は幼くして父を失った母に、「兄が親らしい事をしてやれなかった。」と、負い目も感じ ていたのだろう。実際祖父は、広島市内の学校に行く弟妹たちのため役場の助役を辞め広島に出てきていた。今の寺町辺りで風呂屋をやっていたという。全員が 下宿したのでは経済的に苦しいという理由もあったのだろう。
 たまに電話で話していたが、大きな問題があった。近年、耳がさらに遠くなった大叔母は、電話の相手が誰かさえ聞き取れず切ってしまうこともしばしば。たとえ相手がわかったそしても、満足いくコミュニケーションは取れないようだった。
 自分はと言えば、大叔母と会った記憶は2-3度。覚えてない幼少期を含めても5回程度で、最後に会ってから20年とは言わないだろう。そのような状況の 中で今回付いていく様になったのは、2月の母の病気だった。無理をさせたくないが、大叔母の年齢を考えると一生後悔する事になるかもしれない。会いに行く なら少しでも早いうちに・・・。

 母と最寄駅のホームに立った。大叔母の家には新幹線とJR在来線、地下鉄を乗り継ぐ。

「二人で遠出するのは初めてじゃないんか?」と母。

「ほうかいの〜?」

 母も年老いている。大叔母に会いに行くためだけでなく、自分にとっても大切な時間なのかもしれない。
 足の悪い母は階段が苦手。乗り換えのたびにエレベーターを探す。

(なるほど・・・、)

 階段が辛いから設置されているエレベーターだが、それに乗るためにたくさん歩かされる事をはじめて知る。

「平地はええんじゃ。」という母だったが、ホームの端から端まで歩かされる駅もあった。いろいろ都合はあるだろうが、健常者が設計したという事を思い知らされる。

 小学生の頃一度だけ訪ねた事のある大叔母の家。もちろんまったく覚えておらず完全に初めての土地だが、そのへんは旅をし続けている強み。違う出口から出たので、「ここじゃない!」と文句を言いまくっている母を尻目に、一歩の無駄もなく到着。

「ええけ、付いてくりゃええんじゃ。」(笑)

 見覚えのない大叔母の家の呼び鈴を押した。。。

 玄関を開けると、暗がりの廊下の奥に明かりが点いている。迎えはなく、「入って来い。」という声だけが聞こえ、先に進む。そこで大叔母を見て納得した。
 前回会ったのが60だったか70だったかさだかではないが、ちゃきちゃきだった事は強く印象に残っている。しかし、95という年齢は絶対的だった。髪は真っ白、背中は曲がり小さくなっている。しかも2本の杖がないと移動も出来ない。
 ところが話してみて驚いた。多少耳は遠いものの、会話はまったく普通。電話の様子でかなり衰えているという想像を見事に裏切ってくれた。それどころか古い記憶だけでなく最近の事もしっかりと覚えている。

(本当に95か?!)

 世界一の長寿国となって久しいが、「90を越える。」という事は、「神に選ばれる。」という事ではないだろうか?息子や娘が先に亡くなっても不思議ではない歳。もちろん、寝たきりや痴呆が進んでいればそれはそれで残念な事だが、この大叔母のクリアさは・・・。
 「ハッ」と気付いて、すぐに電話の設定を見た。

(やっぱり!)

 受話音量が最低。これでは同じく耳の悪い母にも聞き取りづらいほど。音量を最大に変更して置手紙を書く。これだけでも来た意味があった。
 現在、一番上の孫が同居しているのだが、一番やさしい次男坊が亡くなり、あとの二人が母親に似ているという背景が嫌でも見えてくる。さらに今日も朝早く出て行ったとの事。大叔母も、

「広島からあんたらが来るのはわかってるのに。。。」と嘆く。

 実際、大叔母が寿司屋に自分で手配したお膳が四つ用意されていた。。。

 ソファに移動し、会えなかった時間を埋めていく。事前に聞いていたが、10月に近所で転倒して頭部を切り大出血したという。その場所がたまたま風呂屋の前で、客二人に助けてもらった。大叔母曰く、

「もうあんたらに会えずに死んだと思った。目が覚めた時驚いた」と。

 驚くのはこっちだ。病院へも行かずその傷を治し、倒れた翌日には助けてくれた人が誰かを風呂屋に聞きに行ったという。すぐには判明しなかったが、教えてもいないのに家に連れ戻ってくれたという不思議な出来事。そこには信じられない理由があった。
 一人は近所のおじさんだったが、もう一人の60過ぎのおばさんは、なんと小学校一年生の時の教え子。そう、大叔母は先生をしていたのだ。

(世界仰天ニュースか?!)

 60年前の教え子がまだ近所に、そして先生を覚えている!さらにさらに、まだ怪我も治ってないのにその教え子宅にお礼に行ったと。(不在だったらしい。)そして、その経緯を明確に話す大叔母!

(どんな95じゃ!!!)

 長年の疑問が解ける話もあった。母の里には墓が14基あると以前書いたことがあるが、その中の二つはなんでもない石が置いてあるだけ。取り上げるとその石が骨壷の蓋を兼ねていて、骨がもろに現れ度肝を抜かれた覚えがあった。墓参りのたび母に、

「誰の骨や?ほんまにうちのか?」という話をしていたが。

 実は大叔母の兄弟姉妹は8人ではなく10人で、昔はよくあった幼少期に亡くなった者があと二人。そのどちらかの墓は小さい頃亡くなった長女で、実は自分は次女だと。
 もう墓参りでは悩まない。あの骨は幼くして亡くなったもう一人の大叔母。いつ頃幾つで亡くなったのか知る由もないが、決して遠くない先祖。その後も母さえ知らない事実が連発した。。。
 時折、「怪我をした時死んだと思った。」と涙ぐむ。

 大叔母は自分の歳を96だと言い張っていた。家を出る時、それをわからせるために高島易の本を持ち出している母に、「90超えたら5も6もなかろう に。」と言ったが、話を聞いてそれは間違いだとわかった。易の好きな大叔母は、若い頃96まで生きると言われたらしく、その歳になったと。母は、その歳に はまだあと一年あるとわからせたかったのだ。

 大叔母が島を出た理由にも笑ってしまった。今でいう中学卒業と同時に広島市内に出た彼女。なんとその理由が虫が嫌いだったから。小さな頃から虫が大嫌いで、とにかく虫のいない街に出たかったらしい。
 自分の二倍以上生きている人生の先輩が島を出た理由が虫とは。あまりにかわいくて笑ってしまった。

 しかし・・・、

「人は、自分の死期を知らないからこそ生きていける。しかし、今目の前で談笑している二人にはわかっている。これが今生の別れとなるかもしれない事を・・。」

 横で話を聞きながら何度涙した事か・・・。今これを書いていて思う。自分はあの時、とても大切な時間の中にいた。。。

 楽しい時間はあっという間に過ぎる。大叔母は泊まっていくのだと思っていたようだが、家にはアルツハイマーの父親を一人残して来ている。

「一人で帰るけぇ泊まっていけや。」

 帰るという母。

「仏壇に参らにゃいけん。」

 そばには息子と孫の遺影が並ぶ。

 別れの時間が近づいてきた。玄関で、写真を忘れていた事に気付きカメラを取り出したが、かしこまる大叔母。

(失敗した!)

 居間で話していた時、何度もいい顔を見せていた二人。何度かカメラを取り出そうかと思ったが、会話をさえぎってしまう気がして・・・。

「元気で!」

 ドアを閉めた瞬間、言い様のない寂しさがこみ上げてきた。

 帰りの新幹線、二人で話した。

「来年暖かくなったらもう一回行こうや。いや、機会を作って何度でも。」

 大叔母の95年を聞くには95年かかるがその一部でもいい。失われてしまえばそのすべてが天に召される。

「おばさん、いつまでも元気で!」


11.7-9 マイナリスト黒島ツーリング〜うすき竹宵〜宗太郎駅〜宮崎・リトルクラフト〜佐多岬〜国分

Day One...

4:41 13,039。
 スタートの儀式。暖機開始と同時にOdoの数値を携帯で発信し記録に残す。水温計60℃を待って発進。

4:57 廿日市ICから高速へ。ゆっくりと鞍手に向かう予定出発時間を1時間オーバー。下限を160に設定し爆走。

5:55 美東SAで1回目の給油。Odo:13,178 Trip:139.5 燃費: 15.23km/l

7:01 鞍手PA。2輪駐車場に着くと、響さんがスタンバイ、OhIkeさんが今まさに動き出そうという瞬間だった。そのまま流れで響さん、OhIkeさんに続く3番手で走行。すぐ後ろはめにまるさん、さらに後ろの方は挨拶すらしておらず誰がいるのかわからない。予定では第二集合地点、基山で休憩してすぐ鳥栖で別れるはずだった。。。

基山PA。掲示板告知時点でぐらっと来ていた黒島。しかし、うすき竹宵も映画「なごり雪」を見て以来の目的地。ちゃつさん到着と同時に、気持ちが揺れながらのスタート。

鳥栖JCT。2番手で走っていたが、先導の響さんがどっちに行くのかと指差す。決断のタイムリミット。オレンジ色の登り右カーブを指差して答える。決め手は、「竹宵は明日もある。仲間は今日しかいない。」

長崎道佐賀大和付近。予期しないバルーン数機に釘付け。

川登PA。初対面の方々と改めてご挨拶。給油タイミングに気付く。

8:51 東そのぎICから一般道へ。

9:05 川棚で2度目の給油。Odo:13,425 Trip:247.0 燃費:17.61km/l。美東SA以降車が増えたため、巡航速度が下がり燃費が向上していた。残り3リットル。あと45キロは走れていた。

片島魚雷試験所。大津島の回天基地と似ている。
無窮堂。ソロなら絶対行かないスポット。家を出てからまだ一度も地図を開いていない。

ハウステンボス辺りから見慣れた佐世保の町に。知り合いの墓がある山のすぐそばを通る。線香はあげられないので、心の中で手を合わせる。駅裏通過。福砂屋に寄りたかった。

10:58 初めての観光グルメ佐世保バーガー「LOG KIT」。今まで自分にとって佐世保は観光地ではなかった。並ぶというイメージが強く敬遠していたがすんなり入店。みんなでワイワイガヤガヤ。鳥栖での選択は間違ってはいなかった。

12:00 ちゃつさんお色直しのファミリーマートで買ったガリガリ君がもう一本当たり。

13:00 フェリーで黒島へ。所要時間50分。
 雜賀雄二さんの写真集「天主堂」の表紙を飾る黒島天主堂は思い入れの強い場所のひとつ。かつて全面に畳がひかれていたという。みんなが玄関から中に入っていくの横目に、ためらいもなく裏に回った。ちょうど祭壇の裏にあたる円筒。

(あの写真の場所・・・。)

 写真を撮っていると、別の建物からシスターが現れた。

「すいません!」

 カメラの間に入った事を詫びる彼女だったが、花壇に侵入して撮影しているこちらの方が後ろめたかった。

15:30 黒島を離れる。むむさんが何やらナビのようなものを持ち出して操作している以外、みな客室内でご就寝。傾いてきた太陽が波間に煌く。瀬戸内とは違う、やはり外海を意識させる何かがある。
 書いている今気付いたが、炭住を求め2度探険した崎戸の島々が見えていたはず。

17:04 ジェラート・ミルキーウェイファーム。ここから帰路に。短い峠ではあったが唯一の快走区間だった。前を行くWakaさんのクイックな倒し込みは見ていて楽しい。そして金立SA。いよいよお別れの時間が近づいてきた。

金立SA。防寒仕様への着替えと、これからの再ルーティングのため皆を見送る。
 ついに会うことができた響さん。悪魔か天使か?OhIkeさん。一瞬、キレた走りを見せてくれたちゃつさん。3D写真、めにまるさん。アケビジャンプ、Tonojiさん。教師(無窮堂)、Wakaさん。ツナギでお疲れ様、むむさん。挨拶は出来なかったけど、ともGさん、yosiさん。皆さんありがとうございました。また次回お会いしましょう!

18:30 さてどうしよう・・・。
 この旅で初めて地図を開いた。選択肢は二つ。このまま真っ直ぐ宗太郎駅に向かうか?それとも臼杵に走るか?宗太郎の場合、竹宵は日曜。昼間はこの周辺でゆっくりするが、祭り終了後で帰りが遅くなる。今日少しでも見ることが出来たなら明日は完全フリー。

決定。

18:42 金立で給油。Odo:13,545 Trip:120.6 燃費:16.94km/l。この旅2度目の爆走スイッチがON。

20:30 臼杵着。
 「押していくなら。」という警察の指示を受け、交通規制区域内へ。会場ど真ん中のコープ駐車場に止めた。竹灯篭の点灯時間はあと30分。急いで見てまわらないと。。。
 城址入口から町の中心部ロータリーを抜け二王座へ登った。道端には延々と竹灯篭が続き、空き地や、解放された敷地内では趣向を凝らした色とりどりのオブジェが輝く。

(やっぱりろうそくは良い。)

 冷たく白いLEDの光ではなく、暖かく揺らめく炎の灯かり。キャンプのテント内で、メインの灯かりにろうそくを使うのはこの一点に尽きる。静止したあらゆる立体物が一緒に揺れる様は、心を視覚的に暖めてくれる。
 雪子の家にたどり着いた。ここは大林監督の「なごり雪」や「22才の別れ」のロケ地になった場所。もともと8月の石仏火まつりやこの竹宵を切望していたのはこの映画の1シーンを見たいがため。雪子が雪を降らせたあの空き地にも幻想的な灯かりが揺らめいていた。。。
 面白いなと思ったのが光の色。灯篭の光には青やら赤やら色付きのものがあり、どうやっているのかと中を覗いてみると、内側に色を塗っているだけだった。反射率が下がって若干光量が落ちるが、炎の色をこういう方法で変える事ができるのかと感心。
 坂を下っていく途中で21:00を回った。すると各所に配置されたスタッフが灯篭ひとつひとつの火を吹き消していく。平地に降りる頃、つい先ほどまでファンタジックだった町は、普段と変わりない田舎の小道に戻っていた。

(祭りのあと・・・か。)

 般若姫は見れなかったが、今回の旅の目的は達成した。

21:44 臼杵で給油。Odo:13,730 Trip:184.4 燃費:16.01km/l。
 灯篭は消えたが町はまだ混雑していた。臼杵での食事は避け、佐伯に出てみる事にした。ここでなぜか遠回りになる国道を選択している。合理的なルートはどう考えても高速や県36。この時点で疲労や眠気がマックスに達していた訳ではなかったが。。。

22:54 佐伯ではなにかうまい物がないかと市街地を一周してみたが、時間はすでに23時近く。闇雲に動き回るのは避け、最初に目をつけておいた「すき家」で2倍盛牛皿定食。
 R10に戻り、今日の最終行程へ。
 なぜ「宗太郎駅」か?それは竹宵と同じく映画「なごり雪」にリンクする。映画の中で何度も登場する駅が、宗太郎駅の一つ北側の駅「重岡駅」だった。映画を見て以降、緩やかなアールを描くあのホームを一度訪ねたいと思い続けていて、夏に訪れた石仏火まつりでも寝場所の候補にあげたが眠気に勝てず断念。今回のリトライとなった。
 ところが計画段階で見つけたのが宗太郎駅。もう名前だけでツボ。さらに検索してみると、鉄道ファンの間では秘境の駅として有名らしく、屋根つきのベンチも寝るのに最適。

(ここに決めた!)

 そして今、かつて難所といわれた「宗太郎越え」に挑む。(今は普通のクネクネ山道。)
 重岡駅を通過。思ったよりひらけた町で、明日明るくなってからまた見に来るつもりだった。ここからが本格的な山中路となる。
 夜中に山奥を走ることをまわりの人に話すと、決まって聞かれるのが「怖くない?」とか「寂しくない?」とか・・・。そういう人に是非体験させてあげたい。もちろん車ではなくバイクで。

 対向車のまったく来ない、うっすらと靄(もや)のかかるワインディング。時折現れるオレンジ色の街灯が、ぼんやりと現れては消えていく。右コーナーではセンターラインを、左コーナーではガードレールをトレース。アウトインアウトではなく、こうしないと自分がどこを走っているかわからなくなるからだ。
 夜ならではの危険もある。実際この日も左コーナーの立ち上がりで、ヘッドライトの先に二頭の鹿が浮かび上がった。

(おっと!)

 鹿は、すぐに境界のはっきりしたプロジェクションヘッドランプの照射外へ消えた。

(驚かせてゴメン。)

 「彼らの時間」に立ち入ったのはこちらの方だ。
 再び、靄の中を切り返す。静寂の中に響く排気音を感じながら、ライディングは自然と滑らかに。景色という昼間の情報が遮断され、照らされた一部分だけを追っていくうち、いつしか無の境地へ。これがナイトラン。

 左に「宗太郎駅」の案内標識。ついに今日の「宿」にたどり着いた。。。

23:30 左に折れた先は小さな集落の入口。すぐに左鋭角に民家の私道のような細い道を登っていく。辺りは真っ暗。とりあえずバイクを止め、ロケーションを確認。並びで二軒の民家。一軒はすでに電気が消え、住人は寝ているようだ。もう一軒は人が住んでいるかどうかさえ疑問。思いっきり人んちの前を通りスロープを登るとその先には・・・、

(うわぁ!)

 噂にたがわぬ秘境駅。というか真っ暗。ヘッドランプを点け、状況確認を続ける。旧駅舎の基礎、貯水槽に突き出た蛇口、跨線橋、ホームに小さな池、石碑、屋根のあるベンチ。そして、ひときわ存在感を放っていたのが公衆電話ボックス。誰もいないこの空間の中で、現世につながる唯一の手段のように思えた。

跨線橋から撮ったホーム(寝場所は画面右の暗闇の中に写っている。)

 一度バイクに戻って準備を整えてから、シュラフと銀ロールを持って再びホームへ。ベンチのある待合所には落書き帳があった。これは明日見てみる事にして、さすがに眠くなってきた。考えてみれば昨日というか今日というか、2:30起きで走り続けている。OhIkeさんに、「着いたらメールくれ。」と言われていたが、予想通りソフトバンクは圏外。アラームを始発前の6:00にセットしてシュラフに潜り込むと、すぐに記憶がなくなった。

 何時だか見当もつかないが、夜中に一度、列車通過のアナウンスが流れた。ひょっとしてお迎え?いや、違う世界に向かう列車だったのかもしれない。。。

Day Two...

5:30 睡眠5時間。目覚ましのなる前、パッチリと目が覚める。
(深夜の列車を調べてみると、特急にちりんが上下線一本ずつ、寝ている間に通過したらしい。)
 待合所の落書き帳を取り出して読む。決して少なくはない鉄道ファンが訪れ、書き込んでいるよう。中にはバイクで来ている人もいる。
 カメラと三脚を取り出し、夜の闇を徘徊。

6:00 !!!
 いきなり辺りの様子が一変した。突然、ホームや待合所の電気が点いたのだ。どうやら佐伯行き上り始発の30分前。写真は撮りやすくなったが、宗太郎には闇のほうが似合うような気がした。

電気が点いたホーム。

6:30 徐々に明るくなり始めた頃、始発の到着を知らせるアナウンスが鳴り響いた。線路に共鳴する音と共に列車が近づいてくる。そしてホームに入ってきたのは、なんと一両編成ワンマンのディーゼル車。複線、電化のこの線路に。
 ウィキ情報によると、この駅の一日平均乗降者数は0.3人。0.3人って乗り降りしない日の方が多いじゃん!それを裏付けるがごとく、車内には数人。なるほど・・・秘境駅。
 静かに走り出す列車を見送りながら、忘れられない宗太郎の夜が明けた。。。

ディーゼルワンマンカー。

7:03 寝床を片付けたり、落書き帳を書いたりしていると再びアナウンスが。下り延岡行きの始発が入ってくる模様。列車は、待合所をかなり通り過ぎた、かさ上げしたホームに止まった。乗客は3人。運転手には、写真も撮らず、ライダージャケットでただ見ているだけの自分がどう映っているのだろう?
 昨夜見つけた石碑にも行ってみた。正面の文字はすでに剥離し、読み取る事が出来ない。裏に回ってみると、この駅を開設するために尽力を尽くした方を称える内容が書いてある。その日付は母親の生まれた年。駅にも、そして母にも、77年経過し、今なお現役である事を誇らしく思った。
 そうそう、この駅には石の駅員さんが何人かいる。そのうち見つけることが出来た3名とご挨拶。

 さて、どうしよう・・・。地図を開いた。
 この時、すでに気付き始めていた。基山、鳥栖、金立、臼杵、そしてここ宗太郎。今回の旅は、時間と、その時々の決断により大きく行動が変わるザッピングの様相を呈してきた。ここでの選択肢は二つ。このまま近辺、もしくは帰り方向に向かうか?それとも南下するか?南下=ハード行程なのは必至。

 決定!宮崎へ。

 もう後戻りは出来ない。「陸の孤島」宮崎は、一般道を大分に戻るより鹿児島経由の高速の方が近い。必然、帰ろうと決意してから600キロを走らなければならない。

(どうする?)

 思いとは裏腹に、フロントは南へ向いていた。そういえば、目的の一つだった重岡駅はまたの機会に。

8:02 日向市、富島中学前のセブンイレブンで朝食。なにやらスピードくじを引くと、「当たりました。」と500ペットボトルのコーヒーをくれた。くじ運は悪いのに、佐世保ではガリガリ君、ここではコーヒーと逆に気持ちが悪い。
 順調に南下していたが、つい考え事をしていて寄ろうと思っていた都農の旧リニアモーターカー実験軌道を通過。93年12月、実際に走っているリニアモーターカーを見た。たまたま通りかかっただけでそれが目的ではなかったが、せっかくなのでかなりの時間待ったという覚えがある。

10:20 新富町平田交差点。鹿児島曽於市のむっちゃん(旅履歴テキスト、06硫黄島、07島旅42日目参照)に、「タイミングが合えば会えないか?」とメール。

10:54 一ツ葉有料道路に並行する県11の交差点で、大きなイオンモールを発見。ここでおもむろに携帯を取り出した。かけた先は、

街の木工房「りとるくらふと」
http://www.k3.dion.ne.jp/~li-craft/

 木のアーティスト、リトさんとの出会いは07年mixi。(きっかけは忘れた。)写真はともかく、絵画や彫刻というまったくのゼロからものを作り出すセンスは自分には皆無。ましてやそれを職業としているとなれば尊敬の念を抱かざるを得ない。
 アーティスティックなものは衣食住には必要のないものだ。バイクや旅にも同じ事が言える。しかし、それが他の動物とは違い、人間である証し。気に入った絵やアクセサリーは生活にゆとりをもたらし、旅は日々頑張る活力となる。
 彼女の住む築数十年と言う洋館にも興味を持った。最近の日記に特に興味深い話があった。修復中の家を掃除している時、40年以上前にこの家に立ち寄った自転車放浪旅人の絵を発見。なんと、その本人とコンタクトできたと言う。

(すごい、その絵も見てみたい。)

 何しろ自分の旅スタイルを凝縮したような今回の行程。いつごろどこにいるかわからないし、そもそも宮崎行きの最終決定は今朝宗太郎で。連絡が取れなかったり忙しければ仕方ないし、その時は道から洋館を見るだけでも構わない。

「以前、mixiでマイミクだった404と言うものですが・・・、」

「バイク、確かトカラの・・・、」

 「初対面アポなし訪問成立。」と言うかこれがアポイントメント。手土産を買うため、イオンモールに引き返した。。。

11:30 リトさんの洋館は宮崎駅から徒歩数分という便利のいい場所にある。事前に下調べをしていたが、番地までツーリングマップルで見ることはできない。大通り右折、さらに右折、一つ目の小さな交差点で止まり、右を見た。

(あれだ!!!)

 ひと目でわかる洋館。明らかに、まわりの建物とは違う空気を漂わせている。門を抜けると、長髪の若者が現れた。

「さっき電話した者ですが・・・。」

「玄関が壊れているので裏へどうぞ。」

 表側は洋館だが、敷地は思ったより奥行きがあり、奥側は古い和風な作り。庭には鬱蒼とした木が。庭と言うより林と言った方が正しいかもしれない。裏口からリトさん。

「初めまして、突然、それも昼時にすいませんでした。」

 お父さんの食事の用意をするというので、奥(裏口から入ったので、逆に表の洋館側。)に通される。

「すごいですね!」

 ブログで見た修復中のアトリエだった。自分ちの木造モルタル二階建てとはまったく違う作り。案内してくれた若者はリトさんの息子さん。アトリエには妹さんが、パンフのようなものをプリントアウトする作業をしていた。妹さんも同じ敷地内の別棟に住み、木のアートに携わっているとの事。部屋の片隅に、あの40年前の自転車放浪旅人の絵が立てかけてある。

(なんと素晴らしい環境!)

 妹さんと世間話をしていると、食事の支度の終わったリトさんが現れ、息子さんと3人で昼食を、という事になった。

 目と鼻の先にある食堂に入った瞬間、流れていたインストのBGMに驚く。

イーグルス「デスペラード」。

 佐賀バルーンフェスタ、「ラ・モンゴルフィエノクチューン」(夜間係留)の終了時に流れるメロディ。華やかな夜間係留が終わったあとの切なさが一気にフラッシュバックした。わずか5日前の出来事。
 楽しい食事を終え洋館へ。せっかくなので、リトさんの作品を何か持ち帰ろうと物色。自分の手のひらに納まるくらいの、葉っぱの描かれた木のキーホルダーを選んだ。裏に、

「09.11.8 404~L.C(リトルクラフト)」

 と刻印してもらう。沖縄のどこかのホテルに依頼され作ったルームキーホルダーだそう。風景画を見ているとその絵が描かれた場所に立ちたくなるように、このホルダーを見ていると使用されているホテルに泊まりたい衝動に駆られる。近いうちに聞いてみよう。

「ありがとうございました!またいつか。」

 素晴らしい出会いだった。

13:37 大通りに戻って携帯を見ると、12:50にむっちゃんよりメール。

「今、メールに気付きました。通り過ぎちゃいましたか?どこに向かってるんですか?」

 すぐに電話したがつながらず。田野まで行ってメールチェックすると返信。この時点での最優先目的は、鹿児島三人娘むっちゃんとの再会。島旅の帰り、かずよ先生宅で鍋パーティーを開いて貰ったのに何の御礼もしてないのがずっと気がかりだった。しかしむっちゃんにも出発前にまったく前振りはしておらず突然。すんなり行けばお茶して都城辺りから高速、22〜23時には帰宅と言う所だったが、これにより恐ろしい第2案が再浮上してきた。

佐多岬。

 日本有数の先端スポットながら、実は一度も行ったことがない。これまで何度か「また来ればいい。」と先送りしてきた。リトさんに「宮崎は何度目?」と聞かれ答えられなかったのであわせて調べてみると。。。
 宮崎は7度目。鹿児島は6度目。やはり熊本、大分以北に比べ極端に少ない。うち佐多岬を視野に入れたのは4回。行く気にならないといつまでたっても行けない場所と考えた。ところが問題は自分の中にあった。この九州最南端のスポット。距離的な数値を頭では理解しながら、どこかすぐ行けるような気がしてしまう不思議な場所。
 これまで訪れた中に、同じ感覚に陥る場所が3箇所あった。沖縄、那覇〜辺土岬。四国、足摺岬。青森は野辺地〜大間。どれも現れる案内標識の残りキロ数に愕然とした記憶がある。

(まだそんなにあるのか!?)

 さらに今回決行すれば、上記に挙げた3ルートと違い完全なピストン。行きはともかく帰りは間違いなく途方にくれる。

(さて、どうしよう・・・。)

 返信待ちで決断先送り。

14:00 R269清武町、5度目の給油。Odo:13,938 Trip:208.2 燃費:17.79km/l。

14:24 田野を過ぎたどこか。返信なし。「都城へ。」とメール。

15:12 むっちゃんの住む曽於市中心部。返信なし。

(あ〜ぁ、佐多岬決定!)

「鹿屋へ。」とメール。

(待てよ!)

 今15時過ぎ。確か旧佐多岬ロードパーク時代には夕方ゲートが閉まったはず。その後一時閉鎖を経て今は通れるはずだがゲートは今もあるのでは?
 今考えてみても、この場所から「今日は無理。」ではなく、「急がねば!」と思うのはもう病気。で、今回3度目の爆走スイッチON!

もう何時にどこを走っていたか記録なし。「佐多。」って岬じゃない?ここからまだ20キロもある?すれ違う車ばかりで抜くのは軽トラくらい。ゲートを過ぎると、椰子の皮みたいなのが路面に散乱して危険。そして・・・。

17:00 佐多岬到着。。。
 駐車場には車2台と、福岡ナンバーのバイク1台。実のところ、まだトンネルに入る事は出来た。実際、途中で抜いて、後から到着した車のドライバーは入って行った。しかし・・・、こだわりの性格が作用する。これまで行った第一級ポイントでは、たとえそこが大した場所ではなくとも30分-1時間は滞在した。
 トンネルの先にどんな景色が待ち受けているかはわからない。だが、(ゲートのおばちゃんが待ってるから)「早く帰らねば。」ではなく、(納得したから)「そろそろ帰ろう。」でなければならない。
 数百キロを走ってたどり着いた立派なガジュマルが立つこの駐車場で、佐多岬は引き続き未到達ポイントのままとなった。。。

17:30 戻ってきた福岡のライダーと少し立ち話。同じく今日中に帰るらしく、「途方にくれてます。」と彼。
 同感どころか、こっちはプラス300キロと思いながら、一方では、「明日6時起きで仕事なのに、この時間、まだここにいるとは・・・。」と、妙な感動もあった。
 桜島〜鹿児島ICと、自走〜国分ICを二択する彼に一つ付け加えた。垂水〜鹿児島IC。船代、時刻表、移動距離、ガソリン、そして疲労。どれを優先するか?
 携帯を見てみると、圏外ではあったが電話2本とメッセージ。岬へ爆走中の電話だった。

(このタイミングでかい!?)

 とりあえず電波の入るところへ。

17:50 根占のローソンでむっちゃんにTEL。

「今どこですか?」

「根占。。。(いつも)突然でゴメン。もう遅いけど今から出れる。」

 御飯もまだで、対応可能との事。

「垂水〜鹿児島ICを考えていたけど。。。自走〜国分か・・・。」

 考える。。。そうなると隼人のかずよ先生も招集可能?

「先生に声掛けてみてくれる?」

「わかりました。何時に。」

「19:30、国分で。」

 またまた爆走スイッチON。

19:14 「帰ってきた〜!」
 国分は硫黄島や島旅の際、テントで数日間連泊した場所。コンビニ、GS、スーパー、銭湯と生活に必要な地理を把握している。ゆえにIC近くのローソンの前を通った時とても懐かしく感じた。
 すぐに何度か利用したGSで給油。Odo:14,211 Trip:273.1 燃費:19.66km/l。2度の爆走があったのにかなりの燃費。数値入力を間違ったか?ただ岬へのアタックを考慮して、節約のために高いギアで走ったし、信号も少なかった。1回の給油で最高値となる273キロまで引っ張り、タンクも軽くなっていたはず。
 すぐに向かいのファミリーマートに移動。しばらくしてむっちゃんが到着した。

「久しぶり〜!」

 2年半ぶりの再会。

「先生は?」

「御飯は食べないけど来れるそうです。」

 よかった!二人で浜勝に移動。肉の本場、鹿児島で浜勝もないが、今日の状況下では合理的。しばらくしてかずよ先生も到着。

「会えてよかった!」

 ゆりか先生にも会いたかったが彼女は鹿児島市内。ちょっと無理と判断した。お互いの近況について話す。かずよ先生が、来年のGW、三島村(鹿児島)の黒島行きに大乗り気。

「いいプランだね〜。」

 黒島へは一度渡ると3日くらい帰る便がない。そんなに休めるかな?でも凄く魅力的だな〜。東京のCさんたちも声を掛ければ来るはず。
 楽しい時間はあっという間に過ぎる。まるでここが広島市内かのように。また次回!今度はなるべく前もって連絡するので、是非ゆりか先生も!

21:37 以前は溝部まで走ったが、今は高速1,000円。最寄の国分ICから高速へ。距離と言う絶対的な現実に、予報より早く降りだした雨が追い討ちをかける。すぐにレインウェアを着て走り出したが、SAごとに休憩しブラックコーヒーとガム。まだ鹿児島だったか?すでに熊本に入っていたか?ゴールドウィングを抜いた。

23:53 その後北熊本SAまでの記憶がほとんどない。。。
 給油7回目 Odo:14,385 Trip:174.1 燃費:18.70km/l。

Day Three...

1:01 基山で夜食。日付上おとといの朝、ここからジェットコースターが始まった。。。

古賀。200キロ近く前に抜いたはずのゴールドウィングに追い付く。関西から来たというおじさんも宮原で1時間くらい寝たという。
 まだ距離は残しているが、かなり戻ってきたという感じ。さらに海を渡ってからは頭もはっきりしてきて、目覚ましに150巡航くらいの車をいじって集中力を維持。

4:05 美東。Odo:14,611 Trip:226.0 燃費:16.58km/l。家も近づき、さらに爆走。

5:05 廿日市ICを降りる。

5:11 満タン帰りの最終給油。Odo:14,738 Trip:126.3 燃費:14.53km/l。

5:30 無事帰宅。Odo:14,750km。「こんなに走りました。」という話しは嫌いなので、スタートの数値を引いてください。でもよく走ったことは確か。島旅以来久々に近所の街並みに故郷を感じた。当たり前の景色がどこか懐かしい。
 風呂入って、弁当詰めて、そのまま仕事へ。もちろん耐える一日ではあったが、火曜日が休みのためすぐに復活。
 ちなみにこれに匹敵する旅としては、06年阿波踊り〜諏訪湖花火大会〜美ヶ原〜上高地〜高山というのがあり、翌日仕事なのに20:00にはまだ高山で飛騨牛食べておりました。
 自慢のような書き方になってしまいましたが、書きたいのはそれではなく、やっぱり心残りは良くないという事。
 数年前までダメなら出直せばいいという考えでしたが、今の仕事に就き考えが変わりました。

「明日はどうなるかわからない。だから今出来る事はやっておく。それが遠くであるならなおさら。」

 多少の無理はあっても佐多岬はあれで満足だし、同時に後日のリベンジポイントに。そして何より、マイナリストたちと走り、(会えなかったけど)とり天さんと竹宵を共有し、宗太郎へ。そしてリトさん家族、鹿児島の二人とも本当に会えてよかった!みなさんありがとう!

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Sep.13 津和野「ポンム・スフレ」#6〜生雲ダム〜篠目駅・SLやまぐち

 インデックスフォトは、生雲ダムからの帰り。水溜りに落ちていた青い栗を拾い上げた時のもの。意図していない水滴が、あたかも涙のように見えて面白い。
 先週のは全日本トライアル。最終12セクションのスタート待ち。右が今年もシリーズチャンピオンに最も近いゼッケン#1黒山健一。左がこの日5位に入った#4小川毅士。応援していた小川友幸は怪我で、厳しい状況の中頑張っていた。

県226:
 いつもの県226をショートカットする農道。ループを立ち上がる右コーナーでバンク中、大きな枯葉に気付きそのまま踏むとなんと石。こけそうにこそならなかったが、フロントのダメージがあるかとシビレル。何とか無事。

ポンム・スフレ:
 アジのカツレツのメインランチ¥1,500にマロンケーキを一つ。けっこうな混雑で、入店後しばらくしてカップルに席を譲り、初めてカウンターへ。忙しく動いているシェフが見れて新鮮。注文とは別に、バナナのジェラートを付けてくれました。いつもありがとうございます!
ポンム・スフレ:
http://www.tsuwano.ne.jp/pomme/
(近々更新するとの事。)

JR津和野駅:
 SLやまぐちの警笛が聞こえていたので駅へ。ちょうどターンテーブルで回転中。面白い。

堀庭園:
 以前ネタ探しでサイトをチェックしていた。開館はしていたものの大規模改修中のためスルー。

県310:
 見通しの良い田んぼの中のストレートを緩やかなカーブでつないだ超高速県道。頭を垂れた稲穂が黄金色に輝く素晴らしい季節。既に刈り取られた田んぼも少なくない。路上駐車の車が多いのは、都会に出た家族が手伝いに帰ってきているのだろう。
 湯の瀬で風呂、佐波川ダム方面に抜けようと思っていたが、最後の1kmで災害通行止。成り行きで生雲ダムに下った。

生雲ダム:
 特に水がきれいでもなく、視界が開けている訳でも無いのになぜか落ち着く場所だった。長門峡方面の遊歩道はやはり災害通行止。1時間近くゆっくりしていたが、誰一人現れる事はなかった。

JR篠目駅:
 通行止を迂回するべく南北どうルーティングしてもかなりの遠回りになるので、目的を篠目駅に変更。
 SMAP中居くん主演のドラマ「砂の器」で印象的なロケ地として使われた。正直、ドラマ版をコンスタントに見ていた訳ではなく、イメージは豪華キャスト の74年映画版だが、あの給水塔は強い存在感を放っていた。わざわざ目指して来るほどでもないが、いつか来ようと思って早5年。。。
 JR山口線に沿ってR9と別れ、薄暗い道をさらに線路とも別れる。パッとひらけた平野部で給水塔を確認。想像通り強力な存在感を誇っている。
 駐車場には車が何台か止まっているが、駅舎には誰もいない。何気なく時刻表を見ると・・・、

(あと15分も待てば、SLやまぐちが来る!)

 SLといえば、ものすごく小さな頃、山陽本線でも見た事があるが、もちろん記憶は薄い。去年津和野駅に入ってきた時目撃したが、こういう普通の駅に、電 車と同じように入ってくる汽車は初めて。鉄ちゃんでなくともワクワクする。駅前のよろずやのおばちゃんに、ポテトチップスを買って情報確認。重連運転の時 はたくさんの人が来るとの事。
 ホームに出てふと、南の方の踏切を見ると、数人の撮影隊発見。

(やっぱり!駐車場の車は鉄ちゃんだ!あそこがベストポイントか・・・。)

 そうこうしているうちに、遠くにSLの警笛の音が響く。

(キター!!!)

 ドキドキしていると、後ろから一両編成のディーセル車。

(なんだ?)

 どうやらこの駅で離合するらしい。そして止まっているディーゼル車の左奥、黒煙と共にSLやまぐち「C57:貴婦人」が現れた。。。

 給水塔ぴったりに止まる貴婦人。

(凄過ぎる!絵になる!)

 駅から車内から続々と人が現れ撮影タイム。しかし、ここでは近すぎて良い絵は取れない。踏切では鉄ちゃん達が、望遠でシャッターを切りまくっている事だ ろう。こちらは写真はどうでもいいので、近くで見れて感動。給水塔に立ち寄っただけなのに、いいもの見させていただきました。
 耳をつんざく警笛と、真っ黒い黒煙を上げながら去っていく貴婦人。年は取っても気品のある後ろ姿を見送りながら、近距離日帰り旅もまだまだ捨てたもんじゃないと納得。

 改めて給水塔の周囲を回る。ここでまたちょっとした連鎖あり。
 数日前、端島(軍艦島)で知られている写真家、雜賀雄二さんの写真集「天主堂・光の建築」を久しぶりに取り出した。
 単なるレンガの円柱である給水塔だが、その斜光に煌く姿は間違いなく写真集の表紙を飾る「黒島天主堂」に見えた。

(何かがつながっている。。。)

 行けなかった場所の代わりに、行った場所と出会う。偶然は、結果をともない必然となる。あそこで長居したから・・・、あの交差点を右に曲がったから・・・。


Sep.6 全日本トライアル選手権Rd.5 岡山・原瀧山TRパーク

 結局スタートが遅れ、現地に到着したのは12:30過ぎ。セクション1に行ってみると、IAS(国際A級スーパー:国内最高峰クラス)が1Lap目の下見中というタイミングの良さ。12セクション2Lapという規定で、みな1Lap目はかなりの時間をかけていたが、2Lap目はかなりギャラリーも減り展 開も早かった。
 毎年同じ事を書いているが、クローズドコースで行われるスプリントロードレースが、バイクが好き、もしくはバイクに乗っている者を対象にしているのに対し、トライアルという競技はまったくバイクに興味の無い者を連れて行っても必ず楽しめるイベントだと思う。

「あんな所を上がるの?」

 という驚きは素直に入ってくるし、前売り1,200円、当日でも1,500円というチケット代はリーズナブル。何より凄いのはライダーとの距離。
 ライダーとマインダー(メカニック、ナビ、タイムキーパーなど、ライダーについてまわるサポート選手)がライン取りについて話し合う会話は筒抜け。下見中マシンはスタート付近の木に立てかけられていて見放題。年間6-7戦で全国を転戦するので興味ある方、いや興味ない方も是非。意外とはまるかも。
 ちなみに登山並みの斜面をトップライダーについて回るので良い運動になります。


Sep.1-3 越中八尾・おわら風の盆〜立山・黒部アルペンルート

尼御前SA:
八尾・おわら風の盆:
立山・黒部アルペンルート:
黒部ダム:
室堂周辺:
Bistro La Nenus:
称名滝:
立山博物館〜まんだら遊苑:
元祖ブラック西町大喜本店:
市電〜いきいきKAN:

出発前経過
9/4
 帰った。。。

8/31
 3:00スタート予定。疲れております。大分〜熊本ツアー中も天気チェックしまくり。かなり怪しい。。。プランはおわら以外まったく未定。

8/11
 こちらの計画も微妙に線が見え始めている。富山という県は比較的探索の薄い県で、記憶にあるのは93年10月、大学フットボールのチームメイト「カワダ」と運転を交替しながら、北陸〜東北全県をハシゴした怒涛の温泉旅だった。
 夜昼なく走り続けたすごい旅だったが、この時寄ったのは宇奈月側からトロッコで黒薙〜鐘釣、ラインを変え北上して小川元湯。厳密な意味での「宿泊」ではなかった。これが、探索はしたが宿泊をしていない二つの県(もう一つは滋賀)としていまだに残っている。
 そして今回。三大悲願の一つ「おわら風の盆」と、普通の観光旅行としては王道の「立山・黒部アルペンルート」で「富山宿泊」を果たす。
 風の盆は小雨でも中止になるため、1日と2日の2度のチャンスを設け、柔軟な計画で黒部ダムまでいければ最高。

7/22
 突如話が上がった現実的実行案「おわら風の盆」。諏訪大社「御柱祭」、大仙市「秋田大曲花火競技大会」と並んで、死ぬまで訪れたい三大イベントの一つ。
 まだ計画段階で実行は未定だが、旅で最も楽しいのはこの時期だったりする。最大のネックは小雨でも中止になる点。休みを取ってしまうので天気の良い、まったく違う地域での代替案も検討する必要がある。

8

Aug.29-30 えふ〜臼杵・石仏火まつり〜竹田〜草千里'09〜金峰山・山幸窯

フルーツ工房「えふ」:
 7:00五日市ICから。久々にありえない巡航速度で10:00ちょうどに県34入り。ルートはマップ通り。県242から県204へショートカットする県道以下の道。民家の庭に入り込み、切り返し転回するZX-10Rはなかなか美しい。。。
 ここでちゃつさんから入った見出しだけのメールを確認。犀川側の信号のある交差点まで出るが受信不可。仕方なく「えふ」に向かう。
 10:10到着。週変わりパスタは11:00からで断念し、いちじくパフェを頼んだ。ルートを検討していると知らない間に時間が経ちランチタイムに。パフェの後のパスタという不思議なオーダーから食後のコーヒーまで、幸せな時間を過ごした。

快走県道:
 特筆すべき点の無い県418〜県451を結び、野峠から選択の余地の無い国道へ。道の駅「やまくに」で携帯を開くと、ちゃつさんからのメールがたくさん 入っていた。事前のコメントやり取りからどこかで絡めそうな展開だったがこの時点で彼女は小国。完全にラインが違う。明日のピンポイント合流のチャンスを 残し返信。
 快走県道の一つは県43。所々狭い区間もあるが、ド田舎に突如現れる石柱「立羽田の景」には驚いた。
 もう一つは県679。スタートしてしばらくはまれに見る酷道。継ぎ目のラフなコンクリート簡易舗装が延々と続く。重量系特殊車両が通ると推測され、補修 しやすいようにという配慮だろうか?このスパンの短い継ぎ目が非常に不快。アスファルトに入り、右手に草原が見え始めてから景色は一変した。

自衛隊日出生台演習場:
 はるか彼方まで広がる草原の中、小高い丘に築かれたトーチカ。それを攻略しているのだろうか?低地に輸送トラックが数台見える。プライベート・ライアンやバンド・オブ・ブラザーズのシーンが浮かんだ。

(平和な時代に生まれてよかった。。。)

 学生時代、サバイバルゲームをかじった事がある。野山や廃墟でエアガンを打ち合うあれだがただのドンパチではなく、「死なずに」勝利するための戦略・戦術は奥が深いうえ、学べるものはとても大きい。

「訓練されていない素人が、白兵戦で生き残れる確率は限りなくゼロに近い。」

 たとえ訓練されていたとしても、(ハンドガン限定ならともかく)マシンガン戦においてのそれはわずかな運を引き寄せるためだけのものでしかなく、いとも簡単に死は訪れる。死ぬならまだ幸せかもしれない。手や足がなくなり、それを一生背負う事になる。
 絶景の草原をバイクで旅をする自分と、「殺し合い」、いや「生き残る」練習をしている自衛隊員。それを隔てている延々と続く金網には一体どういう意味があるのだろう?

臼杵の街並み:
 時間が押してきたため湯布院から高速。一度大仏まで行き交通規制の時間を確認後、市街地に向かった。
 03年暮れに見た大林監督の「なごり雪」。セリフ棒読みの不思議な大林映画に惹かれ、数日後の鹿児島ツアーにロケ地めぐりを盛り込んだ。港で休憩した後、以前訪れたポイントをさらっと回った。
 二王座の雪子の家(22才の別れにも登場)、上臼杵駅、街角の蛇口ほかすべてあの日のまま。一つ驚いたのが「トキハ」が更地になっていた事。

臼杵大仏火まつり:
 近くの温泉に着替えまで用意して入ったが、0:00までいうので祭りの後に。バイクに戻ったところで自転車の外人が話しかけてきた。聞き取れたのは。。。

「・・・ブッダ・フェスティバル・・・?」

 この温泉の敷地内にも仏像の展示物があり、大仏と間違えてしまったようだ。

「ダウン・ロード。2キロメーターレフト。」

 テケトーな説明だがなんとか伝わったよう。仲間を呼び、坂を下って行った。名前からするとフランス人かもしれない。

 会場へ到着。18:00から22:00まで出られないという事を了承済みで、満月寺敷地内へ駐輪。先ほどの外人たちも無事到着している。食堂で「とり天定食」を注文した。

(これがとり天インチョさんのとり天か。。。)

 と言いつつも、以前食べた事があるような無いような。
 法要から太鼓、そして松明への点火と、旅の一日がゆっくりと暮れていく・・・。これも「なごり雪」のワンシーン。あれから6年、また一つの目標を達成した。。。
 最終イベントの盆踊りが終わったのが20:30。動き出せるまで一時間半。さすがに持て余してきた。地元の人たちが小道へ上がっていくので、おじいさんを連れた女性を引き止め聞いてみると、どうやらR502に抜ける事が出来るらしい。
 そこまで案内してくれると言うが、準備に時間がかかるので断り、仁王像の写真を撮ったりして再びバイクに戻ると、道を教えてくれた女性が自分を探している。

「さっきの・・・。」

「間違って教えた所があるから、道に迷っちゃいけないと思って。」

(そんなわざわざ!)

 ナイトランには慣れているので困りはしないけど、こういう出来事は本当に心に残る。時間、場所、そして旅が結びつけてくれたピンポイントの出会い。

(ありがとうございました!)

 教えてもらった道を国道に出ると、なんと温泉の交差点。出来すぎ!

道の駅「みえ」:
 温泉の休憩室で閉店ギリギリまで寝る。時間はすでに23:00過ぎ。そろそろ今日の寝場所を決めないといけない。最初に浮かんだのがJR日豊本線重岡 駅。「なごり雪」で何度も登場する出会いと別れの場所。しかし、中途半端に寝たためか身体がだるい。ここはやはり一番近い道の駅「みえ」に決定。もう景色 もクソも無いので、国道をつないで(一部ショートカット)最短で到着。
 暗がりに車中泊の車が10数台止まっている。トイレ、歯磨きを済ませ、虫除けを塗りたくって、ちょうどベッドサイズのウッドテーブルに横になった。。。

 日の出前に目が覚める。地元の散歩やジョギングの方々と挨拶を交わす。さらに、車中泊、宮崎ナンバーのおじさんと立ち話になった。
 博多の息子さんのところから、豊後高田の昭和の町(知らない、かなり気になる。)と昨夜の火まつりに寄っ帰る途中だと言う。やはり元ライダー。

原尻の滝:
 有名ポイントながら、回り道をしてまで寄る価値を感じていなかった。意外と小さい。

食事処「さふらんごはん」〜廉太郎トンネル〜十六羅漢〜愛染堂:
 3年前の「音無井路円形分水」・「白水堰堤」ツアーの際心残りだった滝廉太郎関連の施設が目的。トンネルは最初バイクで通過したが、反響するエンジン音でわからない。そのまま通過してどこか止めるところは無いかと徐行していた時見つけたのがこのお店。
 この時点で時計は8:00前。のれんが出ていたので聞いてみたが、やはり11:00から。

「モーニングみたいなものは出来ないですか?」

「少し時間かかるけど、ありあわせでよかったら。。。」

「8時になったらまた寄ります。近くを見てくるんでバイク置いといて良いですか?」

 という訳で再び廉太郎トンネルへ。入口を通過するが「荒城の月」が流れない。早朝のため時間設定があるのかも。センサーに向かって手を振ってみると、

「!」

 「荒城の月」のメロディーが流れ始めた。案内板にはローテーションで3曲が流れると言うので、再び手を振ってみた。次に流れた「水あそび」と言う曲、正確には曲名を知らなかった。

♪水をたくさん汲んできて、水鉄砲で遊びましょ。
イッチ、ニィ、サンシ、シュッシュッシュッ〜♪

「えぇっ!」

 驚いたのは無理もない。この週、弟家族が帰省してきていた。小一と年長になる姪に、パパが三歳の時の歌声だと聞かせたのがこの曲。つい二日前の事。近年この曲を日常生活で耳にした事は一度も無い。

(何かがシンクロしている。。。)

 思い切りの良い弟の歌声。今は再生する事が出来ない、オープンリールのテープレコーダーに録音されている。(11秒/119キロバイト)
http://orange.zero.jp/lwh/lwh/mizu.mp3

 最後に流れたのが「花」。どれも名曲!

 愛染堂に向かった。階段の上り口にある十六羅漢。何度数えても十五体しかない。納得がいかないまま参拝し、帰りにもう一度数えた。何度かのトライでやっと全部を確認。何度も指差し数えている姿に、掃除のおじさんが話しかけてきてしばしの談笑。(笑)

 程よく汗をかいて店に戻り出て来たものは、ありあわせとは思えない立派なモーニングだった。さらに、

「昨日の残りだけど。。。」

 と、さふらんごはんでおにぎりを作ってくれる。申し訳ないので頼んだ食後の抹茶ミルクと合わせて十分な朝食を取る事が出来た。
 廉太郎記念館開館9:00までの一時間、お二人のお姉さま方にお話し相手になっていただき、モーニング以上に感謝。さふらんごはんの仕込みなども見せて いただいて、時間はあっという間に過ぎて行った。壁には何枚かの写真がかかってたが、円形分水、白水ダム、鍋ヶ滝とここでもシンクロ。

滝廉太郎記念館:
 開館と同時に入館。まだ受付のお姉さんが掃除をしている。
 滝廉太郎に関してはここでは書かないけど、誰もが知っているその代表曲の見方が少し変わったような気がする。トンネルでの「水あそび」には本当にびっくりしたし。。。
 もう一つ。蔵の中に展示されていた空のヴァイオリンケースに張り紙がしてあった。

「09/8/30の演奏に使用するため調整中・・・。」

(それって今日じゃん!。)

 受付で聞いてみると、廉太郎生誕130年にあたる今年、シンポジウムと一緒に開催されるコンサートに使用されると言う。それが今日。
 館内貸し切り状態のこの時間、一人で一時間以上も見ている旅人に興味ありと見たのか、無料の整理券を強く勧めてくれた。
 正直グラっときた。こういうめぐり合わせは近年最も重要視している事。のちの予定をキャンセルしてでも行きたいが、午後から始まり終了は夕方近くになる との事で泣く泣く断念。「行けなくても記念にしてください。」と整理券を頂く。もちろん行く事は出来なかったが、他の半券同様、本のしおりとして使わせて 貰います。
 バイクを置いていたさふらん〜に戻ると、「暑かったでしょう。水でも。」と再びおしゃべり。竹田は臼杵と並んでいつか一泊して歩いてみたいと思う静かな城下町。また来る時は是非ランチタイムに立ち寄らせていただきます。

ちゃつ親子:
 茗ヶ原に向かったちゃつさんとは連絡が途切れていた。こちらも圏外が多く返信もしづらい。竹田から阿蘇への合理的県道135と、218のT字路で、地図を確認するため止まった。そこで久々のメールを確認。

「長崎みさるさん組と合流してブルーベルというペンションでランチして帰ります。」

(ブルーベルの場所は知らないけど、高森ってここじゃん!)

 すぐにブルーベルの場所を聞く返信をしたが、バイクは走っていると当然メールには気付かない。再び地図を取り出してわずか数分後、子供を後ろに乗せたバイクが手を振ってくる。

「お”〜!!!!!」

(どんだけ近いところに!?)

 お互い諦めかけた偶然の再会に感動!もちろんブルーベルにお邪魔するべく、のんちゃん(ちゃつさんの娘)の背中を追いかけた。

ペンション・ブルーベル〜阿蘇フォークスクール:
 みさるさん率いる(?)長崎組が到着し、賑やかなランチとなった。
 この春以降、九州のバイクコミュニティには驚かされるばかり。すごい数のグループがどこかを流しており、顔見知りをいうケースも少なくない。その上老若 男女問わず、ちゃつさんのような子連れタンデムも珍しくない。初めての光景、初めての空気感に、バイクに乗り始めた頃の新鮮な気持ちがよみがえってくる。
 ブルーベルのオーナー?さんもバイク乗り。片付けもそっちのけで、近くの廃校「阿蘇フォークスクール」で集合写真。
 ちゃつさんと言えば、他の人にちょっと道を聞いている間に、挨拶する事もなくいなくなっていた。

(棄てられた・・・。笑)さすがB型!

 さて、こちらはもう一つのメイン「草千里09」へ。朝行って来ていたみさるさんたちの情報で、ありえない渋滞の情報を得ていた。それでも10年に一度というステータスは大きく、とりあえず行ってみるしかない。

(不思議だ!)

 登山道入口のローソンまで、つい小一時間前に知り合ったばかりのみなみさん後ろに付いて走る。これも今までに無い体験。

草千里'09:
 ローソンでみなみさんと別れ、登山道へ。すぐに数台のグループの後に付いた。
 ここは走っているだけで豪快な、国内でも屈指の道。南からの登りで聞いていた渋滞は一切無いと思いきや、草千里駐車場には別世界が広がっていた。

「今まで見たことも無い数のバイクバイクバイク。」

 もともとの企画、写真に撮られることに興味は無いため、ステッカーだけ買って動き出したが、あの光景が見れただけで十分。
 さらに対向車線の路肩には、撮影待ちのバイクの長い列が続いていて、並んでいるみんなが延々と手を降ってくる。トップでチェッカーを受けたGPライダーの気分?(笑)というのは冗談だが、同じライダーだという一体感をこれほどまで感じたのは初めて。

山幸窯:
 徐々にバイクが減り、余韻の残る登山道をファームランド方面に下った。R57に出た所で渋滞発生。すり抜けを繰り返していたが、すぐに見切りをつけ流れ たのが県207。これが大正解。すいすいと市内を抜け、あっさりと金峰山へ登る県1に突入。念願の山幸窯にたどり着いた。
 これまで何度か書いた事があるが、山幸窯について少し。話しは06年8月、天草・「五足のくつ」ツアーにさかのぼる。
 旅道具にそこそここだわりを持っていて、マグカップもその一つ。チタンをはじめとする金属の口当たりが嫌いで、必ず陶器。それまで宮古島のホームセン ターで買った安物のマグを使っていたが、常日頃からまともなものが欲しいと思っていた。そこでこのツアー中、熊本物産館(今年3月に閉館したらしい。)で 出会ったのが山幸窯のマグカップ。ひと目で惚れたが価格4,000円。買うと決めながらも他の売り場を見ながら悩んだ挙句購入した経緯があった。(写真 ページ、青空と写るカップの写真がこれ。)
 そして去年。広島のギャラリー瓢箪堂で開かれた個展に出かけた際、作家の山本幸一さんとお会いする事が出来た。

続く・・・

金峰山:


8/30
 とりあえず無事帰宅。人を訪ねる旅でした。。。

8/29
 10:00えふ。4:00発表の予報では今日は持ちそうだが阿蘇方面の明日が微妙。イベント終了後ルート再検討。状況によっては「帰る」もあり。

8/27
 空模様静観中・・・。

8/11
 県道暫定ルート作成。どこまで国道嫌いなんだか・・・。快走路か、はたまたウエット落葉バンピーかは走ってのお楽しみ。災害通行止めも可能性あり。帰ってから一日あけて富山行きもあり体力温存が最重要ポイント。
 そもそもこの計画。石仏火まつりという雨天順延のイベントが目的のため、雨なら一転、代替案へ。ジムニー〜モンキーの隠岐。

7/25
 秋の「臼杵竹宵」とリンクした「石仏火まつり」と、伝説のイベント「草千里'09」(前回は知らん・・・)を絡めた旅。暫定ルートすら未定。国道を避けどう快走ルートをつなぐか・・・。


Aug.23 高島(宝当神社)〜唐津城〜鏡山〜呼子(いか本家)〜加部島〜名護屋城博物館〜名護屋城跡〜波戸岬〜見帰りの滝

高島:SAのたびに休憩を入れていたら、7:50の唐津出港にあと5分というギリギリの到着。危うくまた出港した船を見送る羽目になりそうだった。
 桟橋にわたる橋を歩いていて携帯を落とす。はずみで魔よけの唐辛子二個と葉っぱ一枚が砕け散る。なんと縁起の悪い・・・。いや、何かの身代わりに?(この時点では前向き。)
 島滞在時間はちょうど一時間。宝当乃館と宝当神社、塩屋神社を駆け足でまわる。正直なところ願掛けとかそういう強いものではなく、あくまで旅のネタとして。それでもせっかくなので西日本宝くじとグッズ(新たな唐辛子他)を少々購入。
 むしろ、細い路地の入り組んだ寂れた集落の方に興味を引かれた。たまたま島の葬儀に遭遇。お棺は海上タクシーで一足先に本土へ。帰りの船は関係者の方々で満員。
 初めて訪れる300km以上離れたこの地で、周りに溢れる喪服の“タンス”の香りが妙に生々しかった。合掌。。。

唐津城:寄るつもりはなかったが、海上に突き出た珍しい立地に思わず入城。船から見た光景は、あのモン・サン・ミシェルを彷彿とさせた。「自分がここを落とすならどう攻めるだろう?」そう思わせたのはここと竹田の岡城。。。

鏡山:虹ノ松原を眼下に見下ろす絶景。あまりの暑さにこのあたりからテンションダウン。OhIkeさんが佐世保にいるらしい。かおりんさんたちも一緒と推測。

いか本家:ちゃつさんおすすめの店。踊り食いのゲソには驚いた。昼前に入るため、鏡山から少し飛ばす。案の定、食べ終わって出る頃にはかなりの人数が待っていた。

加部島:“港”の見える丘公園は人の多さにそのまま通過したが、平地に見える田園風景が気になり海岸線へ。「かべしま」(いか食堂?)手前で遠くに灯台を発見。ここで先端病が発症し、「かべしま」の駐車場係のお姉さんに聞いた。

「その道から灯台へ行けますか?」

「手前まで行けますよ。」

 先には驚くべき光景が広がっていた!

(トカラ?)

 小さな灯台のそばの広い牧草地で、草を食む牛たち。小さな島がいくつかすぐ沖に浮かんでいる。。。それはまさに、トカラや硫黄島をはじめとする南洋の島々で見た光景だった。

(風が見える!)

 草地を吹き抜ける風に時間を忘れてたたずんでいると、ある事を思い出した。

「大好きな場所があるので連れて行ってあげるわ。あなたに見て欲しいの!」(妄想がエスカレート。。。笑)

 かおりんさんが大好きな場所とはもしかしてここ?場所も聞かなかったしauのCMも知らない。加部島という名前ですら今回のツアーのルーティングではじ めて知った。ただ、「牛とバスが入れない。」というキーワードは満たしている。どちらにしても、この場所が素晴らしい場所であるという事に変わりはない。 かなりの時間ボーっとしてしまった。
 走り出そうとした時、リヤタイヤにめり込んだ釘を発見。天国から地獄へ突き落とされ二度目のテンションダウン。それでも周回してやろうとキャンプ場の先へ進んだ。
 訳のわからない道を、民家に行き着いたり簡易舗装の悪路に入ったりして出た所がヘリポート付近。

名護屋城博物館〜名護屋城跡:博物館は入場無料。秀吉の朝鮮出兵は日本史で習った事だが、ここに名だたる戦国武将が陣を構え、海を越えて行ったかと思うと驚きを隠せない。この本丸には400年前、太閤秀吉が居た。。。
 各方角の案内板を見ていて意外にも感心したことがあった。加部島でスルーした“港”の見える丘公園。実は“港”は勘違いで、“風”の見える丘公園だそう。あの牧場では確かに風が見えた。

波戸岬:ここも混み合っているのでバイクから降りず。時間的・気分的に折り返し地点となり、帰路を再ルーティング。“おまけ”でちゃつさんおすすめの「見帰りの滝」を入れてスタート。

見帰りの滝:波戸岬から県道をつなぎ、各所に爆走を入れてアクセス。ところが、ここは“おまけ”ではなかった。怒涛の水量にあふれるミスト、そして反射する虹。恐れ入りました!

CBR1000RR:道の駅「巌木」付近で県道37の跨線橋を北に下っていくCBRを発見。なんとなくナンバーの付き方に見覚えが。。。

(teruさん?)

 一瞬追いかけようかと思ったが、まさかとは思うし、ヘルメットを確認できず、既に17:00という時間、そして10Rが猛然と追い上げると爆逃げモード (笑)に入るかと想定しスルー。もし彼だったなら、広島〜唐津ツアーでのニアミスに驚かずにはいられない。確認できないのが残念!
 そうそう、帰宅してからブログにお邪魔すると、過去ログに名護屋城の記事が。目は通していたはずだがその時点で名護屋城を身近に感じていなかったために覚えてなかった。そう考えると不思議なめぐり合わせ。

 帰りは野田ナンバー・ファイアーブレードとのすり抜けバトルや、流れを読めない車にブチキレ走り。釘が刺さっているのに!

(死ぬぞ!)

 いまだに心をコントロールできない自分に三たびテンションダウン。疲れが倍増した。

 コメント頂いた方々ありがとうございました。17:00過ぎに多久ICから高速に乗り直帰したため、残念ながらイムズはパス。次回また検討します。

 今日仕事からわりと早く帰れたため釘の修理完了。引き続きバイオリズム低調継続中。今現在、週末の天気もよくなさそう。。。



8/23 2:00スタート
 今回は風呂・夕飯終わった時点で21:00前だったため、レム睡眠2サイクル分、3時間先寝。バシッと起きれてそこそこ体力復活。現時点の唐津天気予報は最高気温30℃。良い日かも。。。それでは良い週末を!

8/22
 南大東の旅で知り合った下段くんが2年連続、18きっぷで大曲へ行くとメールしてきた。

(くそーっこしゃくな!笑)

 さらに、「今日19時からNHKハイビジョンでやりますよ。」との事。そんなもん何度も見てる。(笑)テレビで見る花火って、最もその場の迫力が“伝わってこない”番組。いつか必ず攻略してやる。
 下段くん、良い旅を。レポメールよろしく。

 さて、飯食って、何時に出るか?どこで寝るか?決めて準備して。。。

8/18
 サマージャンボの結果はハズレ。それでも下二桁がまた来て¥1,600也。(今回100万の本数が多いためか?下二桁は¥1,000。)

 唐津〜高島航路という時間制約はあるため糸島の火山は飛ばして、22日のうちに唐津入り(晴れ前提)しどっかで寝る。7:50の便で高島へ渡り、9:00の便で本土帰着。あとは適当。
 必須ポイントは、いか本家、名護屋城博物館、加部島、波戸岬。気になるポイントは福島の大山展望所と、おすすめの見帰りの滝。ただ今の気分では波戸岬から戻って火山を含む糸島半島の海岸線を流してみたい。
 実際のところ、14時15時あたりはとても走れる状況ではないので、どっかの海岸べりの日陰でガリガリ君食べながらぐったりしている可能性大。
 もう一つ。気になっているのがもう9年以上愛用しているコンパス。(00年夏ごろ購入。偶然にも弁財天と同じ年!)アメリカのBRUNTONというメー カーのもので、展望のいい場所で地図と照らし合わせる時やテント設営方向など、旅先で必ず手に取る。台座が夜光プラスティックになっていて気に入っていた のだが、長年の使用でオイル部分にかなりのエアが入っている。これを買ったのが天神の、コアかIMSかビブレの高い階にあったトラベル用品店。4-5年前 には同じものがあったのを確認しているが、今あるかどうか。。。あったとしても現行品の黒いヤツ?どちらにしても、営業時間内に近くを通ればよってみた い。

 コメントしてくれたお二方へ。一応ソロで計画しております。もし捕捉するなら7:50高島行きの桟橋、及び、戻りの9:10唐津到着時間。今日現在土曜の天気が微妙。晴れなら深夜には虹ノ松原か鏡山辺りに現れる予定。土曜夜雨なら日曜早朝出発に変更。日曜早朝雨なら9月以降に延期します。翌週マイナリストツーリングが告知されたようですね。無理のないように。

8/11 弁財天・・・
 10日昼休憩、マックでチョコレートサンデーを買うため財布を開いた。150円を取りながら、ふとある事に気付いた。

(弁財天がいない!)

 神社でたまに見かける200円くらいのおみくじ。小さな金のお守りが入っていて、財布に入れておくとご利益があるという。もう何年になるだろう?3つのお守りを入れていた。
 二つは招き猫。招き猫の一つは07年の仏通寺。もう一つはもっと前のものだがくじを引いた場所は記憶に残っていない。そして弁財天。これは00年10月の京都〜伊根ツアー、天橋立の神社で大雨の中ひいたもの。

(9年ちかくもの間、財布に入っていた・・・。)

 20枚バラ購入のジャンボが3,000円連続中。先日の自治宝くじ10,000円当たり。そして発表待ちのサマージャンボ。

(ひょっとして弁財天が役目を果たし、自ら去って行ったのではないか?)どこまで前向き?笑

(サマージャンボ、来る!!!)笑

 宝当神社はジャンボの発表を確認する前に行かないといけない。。。暫定ルートのポイントは全部回れない。「高島」と「いか本家」をメインに時間を見ながらスルー。前日入りしてどっかで寝るのもありか・・・。


Aug.15-16 阿波おどり

もともと人の多いところは好きじゃない。。。

 イベントがらみではないソロツアーでは人の少ない、いや、人がいない所を狙って行く事が多い。祭りはその対極に位置し、夏祭りは特にキツイ。西日の照り返すアスファルトを、嫌な汗でベトベトしながら人ごみの中を歩き続ける。

何を求めて?

 それを根底から打ち崩したのが00年夏の「ねぶた」だった。
 巨体を震わせながら暴れまわり、ここぞとばかりに前傾して見得を切るねぶた、傍若無人なカラス跳人の姿に、それまで人ごみを避けていた事を後悔した。
 阿波おどりには05年が最初。踊り手のキレ、フォーメーションの妙、そして鳴り物の迫力に圧倒され、本当に身体が震えた。
 あれから5年、4度目となる今年、一つの決意を持って望んでいた。05年市役所前、07年元町・藍場浜、08年両国本町・南内町と観覧し、今年紺屋町と新町橋を回ればメインの演舞場を全て回ることになる。盆前後には他に行きたい場所もあり、ある種の制約も感じ始めていて、今年でひと区切りつけようと思っていた。。。 
 豪雨、地震明けの週末、晴れを表示し続けていた予報は、金曜の朝に急変した。代替案を検討するが、九州、中四国は雨、結果的に唯一持ちこたえそうな地域が徳島と近畿圏以東。迷うには迷ったが、わざわざ休みまで取った土曜日。他に選択肢はなく「行くしかない!」という感じのスタートとなった。
 春先にETCマイレージが1,000ポイントに達し、還元後温存していたカード#2を投入。片道が広島-板野(徳島)間¥1,000と、別料金の瀬戸中央自動車道¥1,000の計¥2,000で、往復でも¥4,000。(計画では淡路に向ける予定だったが・・・。)
 バイクを置いて長時間歩き回るため、Tシャツにモトジャージの重ね着というスタイルで出た。立秋を過ぎてのナイトランが寒い事は想定されたが、仕事が終わってからのスタートで、SAごとの休憩と低速走行込み。105-110キープで最高燃費に挑戦。福山SAは満車と給油の列。バイクはいない。瀬戸中央道に入り、さすが眠気に勝てなくなり鴻ノ池SAで寝ることにした。屋根のある正方形のベンチはなかなかの環境だった。明るくなると同時に目が覚めた。本当に寝たのはわずか一時間程度だが、その後も現実と夢の狭間を楽しんでいた。駐車場には車中泊の車も少なくない。隣のドッグランでは、キレイな黒ラブが元気に走り回っている。。。
 西から押し寄せてくる怪しい雲が現実に引き戻した。とりあえず逃げようと動き出した途端パラパラときはじめた。

(残念・・・。)

 高速なので、すぐにレインウェアを着込んで再スタート。向かう東の空にはまだ青空が残っていて、雨からもすぐに逃げ切れた。しかしこの状態で夜まで持つだろうか?
 朝食と給油を予定していた津田の松原SAに到着。

(ここって・・・?)

 多分はじめてかも。。。それどころか高松道全線通過もはじめてかも。これまでは廃止された中四国フェリー〜徳島道がメインだったので当然かもしれない。
 バイクを止めてすぐ、カッパをたたんでいると、熟年夫婦が話しかけてきた。阿波おどりが初めてという尾道から来た二人に知っている情報を伝授、旅の話になった。
 諏訪の花火大会の話が出て、なかなか遠くに行っているなと感心していたが、その次に出てきた言葉に驚いた。

「大曲もよかったよ。」

(なに〜?おおまがりぃ〜?!)

 三大悲願の一つ、秋田まで花火を見に行くとはこの夫婦、ただ者ではない。これから朝メシのため無事を祈り別れた。
 このSAにはさすが地元、セルフのうどん「あなぶき屋」があり大満足。また一眠りしたり、マッサージ機にかかったりしてくつろぐ。結局二時間以上滞在してゆっくり出来た。
 再び灰色の雲とポツポツが。。。

(追いつかれた・・・。)

 東の空を確認し合羽を着ないでスタート。自宅〜津田の松原SA間232kmで、これまでの最高燃費、21.42/Lを記録。

(もう一度逃げる!)

 板野まで渋滞していたものの、ここは二輪の最大のメリットですり抜け。高速を降りてコンビニで再ルーティングしたあと、一気に眉山山頂を目指した。昨年、原作、映画ともチェックした「眉山」。その思い入れは強い。山頂では予想以上の人手。人だかりに気付くのにそれほど時間は掛からなかった。

(こんなタイミングって?)

 有名連「無双連」が演舞を始める直前だった。
 終戦記念日のこの日。山頂にある徳島の戦没者を祀った平和祈念塔パゴダの前で毎年行われる「奉納おどり」。記憶をたどれば、阿波おどりサイトの動画にあった事を思い出したが、もちろんこの時は頭の隅にもなかった。

(夕方まで待たずして有名連のおどりが見れるとは・・・。)

 鳴り物が鳴り始め、無双連が踊り込んできた・・・。ここには正直に書きたい。あまりのかっこよさに涙してしまった。
 女おどりの指先の柔らかさ、男おどりの躍動感、鳴り物の迫力、そして予想もしない眉山山頂での演舞。出来すぎだ。

(今年も来て正解だった!)

続く。。。


出発前経過
8/16 5:00
 無事帰宅。淡路はまた次回。娯茶平 「阿波よしこの」(阿波おどりのお囃子)http://gojyahei.com/top/awayoshikono.mp3
 12時間前に散々聴いたのに、もう居ても立ってもいられない。どうやら「見る阿呆」にされてしまったらしい。。。

8/15 1:00
 日が変わってしまいました。それでは出発。良い休日を!

8/14 22:09
 阿波踊り〜淡路島プラン決行!準備開始・・・。
 ルート検索をしていて面白い事に気付いた。しまなみ〜今治小松道へは一度一般道に下りなければならず、初乗りになると思っていた。ところが、休日特別割引適用日(土日祝)で6時間以内で乗り継げば以後100円となるらしい。
 今回山陽道〜瀬戸大橋〜高松道とつなげば距離260km、2,000円(瀬戸大橋料金含む)だが、しまなみ経由だと距離314km、2,100円となる。もちろんこれは徳島行きの場合。高知・松山方面に向かう時には強力な割引となる。参考までに。。。

8/14 21:04
 さて、風呂入って晩飯食って、どうする?!
 天気はまさに綱渡り。降りさえしなければ気温も低くベター。が、降れば最悪踊り中止で骨折り損。淡路のマップルガイドが無駄になる。 朝の段階で代替案隠岐の天気もチェックしていたが、こちらも微妙。隠岐は出来るなら2泊取りたいし、ジムニーから発射されたモンキーで渡るので、雨だと走行不能!もうちょっと考えます。

8/14
 明日午後いきなりの雨予報!帰宅後、状況を見て再プランニング。。。

8/12
 金曜以降の晴れ予報の信頼度はA。となると逆に昼間なんて走ってられないので、仕事終わって14日夜からナイトラン。お邪魔しているブログでは「高速嫌い」、「夜嫌い」って方が多いけど、夜の高速は楽しいです!
 フェリー時間に間に合えば、忠海〜大三島〜しまなみ〜一般道?平地の少ない四国北海岸では、R10を迂回する綺麗な直線ルートがほとんどない。眠気と相談でクネクネ県道結ぶ手もあるけど、夜のヨサク(R439)には絶対出たくないという所。
 気温も下がり、車も空いた状態で距離を稼ぎ、現地近くで時間まで昼寝と読書。元気があれば眉山上がってみるかも。
 駐車場に止めてから再スタートまで8時間以上あるので、まだ日も高い中、一本だけ頂くビールは最高!

8/7
 呼子のコメントやり取りが面白くて調子に乗っているが、先にせまっているのがこちら。淡路島単体で出ているまっぷるガイドを購入済み。そんなに見所あるのだろうか?まだ一度も開いていない。(笑)紺屋町有料演舞場は、当日の天気を確認後ローソンチケットで購入。あとは天気だけ!

7/23
 4回目の阿波踊り。残る紺屋町有料演舞場と新町無料演舞場を見てとりあえずひと区切りつけ、来年の夏をフリーにしたい。 踊り翌日のプランニングをしていてふと気が付いた。当然のごとく戻り方面の四国を考えていたが、もう目新しいところは無い。(ん?) 北東にデカイ島がある。この島は高速で一度通過したのみで、一般道へ降りて散策した事は無い。 という訳で、淡路島経由、神戸回りでプランニング。日本一の島だけに走っていても島旅感は味わえないし、いまいち何もなさそうだが、探索するには余りある大きさなのは間違いない。。。


Aug.1-2 Kawasaki Camp Touring 津山・黒木キャンプ場

 9:00前ショップに集合。たくさんの食材やビール、道具を積み込んだ社長夫妻は車。自分を含めバイク6台でのスタートとなった。
 途中一般道での坂でなんとエンスト。苦笑しながらも五日市ICから高速へ。空模様はいつ雨が降ってきてもおかしくない状況。社長の車を先頭に適度なス ピードでクルーズしていた。途中一台の普通モノトーンパトカーが追い越し車線を抜いて行った。後ろの窓には「車間とれ」の電光掲示板。

「とれ?」

「何様?」

「車間をお取り下さい。」だろう!

 税金を使った機材で命令する彼らの中に、「その言い方はまずいんじゃない?」と意見を述べた人間はいないのか?それとも、そういう意見を出すと村八分に あうか・・・。そもそもあの掲示板。天下り官僚や警察OBの怪しい関係から、ありえない費用で取り付けられ、訳のわからないところに流れているのではない かと憶測してしまう。まったく。。。
 隊列はパーシャルを維持した自然にやさしいエコライドながら、徐々に辛くなってくるのはSSの弱点。前後左右の体重移動が少ない事で腰と膝が固まるう え、両膝に吹き付ける熱風。事前に七塚原SAが第一休憩ポイントに設定され先行可という事だったので、高田IC前後で一気にスピードを上げたのだ が・・・。
 ポツポツきはじめた雨は、さほど間をあけずに急激に強くなった。

「・・・。」

 さらにスピードを上げ江の川PAに駆け込んだ。このパーキングにはバイクP、屋根がなく、仕方なく身障者トイレのひさしでレインウェア装着。ところが、かなりの時間が経ってもみんなが来ない。ずっと本線をチェックしていたわけではないので、目を放した隙に行ってしまったか?いや、それは無い。

(もしかして路肩?)

 そこへ少年サッカーチームのバスから降りてきたコーチらしき人物と立ち話になった。

「どこまで行かれるんですか?」

「津山までです。仲間がいるんですが・・・。」

「バイクが何台か、止まって合羽着てましたよ。」

(やっぱり。笑)

 そうこうしているうちにみんなが本線を通過していく。大きく手を振って追走開始。有力情報を教えてくれたコーチに礼を言い再スタートした。
 七塚原直線で追いつき、話題になったのはやっぱり「車間とれ」。みんな思うことは一緒です。あと皆さん、「路肩はいかんですよ。」笑

 二日あいてしまったのと、気分は既に次の旅のプランニング(といっても目的地は2-3箇所に押さえ、そこに全ての時間をかけルートは成り行きといういつものプラン。)に移っているのでここからはサラッと。。。

 現地では、綺麗なバンガローを借りてもつ鍋&もつ鍋。(笑)昼間のイベントではニジマスつかみ取りやじゃんけんゲーム、なわとび大会など盛りだくさん。 一泊で酒を酌み交わしながら語り合うというのは素晴らしい。ちなみに、他のバンガローに宿泊している他のショップのとの交流はなかった。
 イベント終了直後に降り出した雨は、翌朝出発後まで残ったが、昼前から一転して炎天下となりヨレヨレ。それでも、ジャンルの違うバイクが、前を流している光景は面白いものだった。

 無事帰宅し、メンバーの管理されている登録型サイトを訪ねた。実は今回のツーリングで一番驚いたのがここ。各ツーリングのアルバムの中に、06年春に宇 部で行われたカワサキの試乗会のものがあった。この時、ツーリングの経由地として来ていた社長に気付き、軽く挨拶を交わしたのだが、その時何人かの仲間が いたのが記憶にも残っている。そして写真を見てビックリ。今回初対面で挨拶したメンバーが数人!

(会ったのは初めてじゃなかった!)

 以前のテキストで書いた事がある。初対面だと思っていた人が、実はかつてどこかですれ違っていたかもしれない。さらにもう一つ忘れてはならない事が。このサイトの管理人であるメンバーは、同じ小・中学校の一コ下だった。これぞ出会いの不思議。
 今これを読んでるお知り合いの方々。今までどこかで肩が触れ合っていたかもしれませんね。初対面が実は再会だったかも・・・。

 ちょっとした因縁がまだあった。メーカーの試乗会というものに初めて参加したのがこの'06年宇部。この年デビューした'06 ZZR1400がメインだったが、おまけに乗ってみたのがモデルチェンジしたばかりの'06 ZX-10Rだった。そう、今のパートナーだ。。。



事前計画
 ショップ主催のアットホームなものかと思っていたら、カワサキ主催の関西全体のものと知ってビックリ!何でも200人以上集まるそう。
 初体験マスツーリングから2ヶ月。また新しい展開が広がろうとしている。もちろんこのようなオフィシャルなキャンプツーリングは初めて。聞いた話による と、ショップごとにコテージを借りて一泊、いくつかのイベントも用意されているらしい。ショップからの参加者は8人と聞いているが、社長夫妻以外の誰とも 面識がない。(申し込み時、少しだけ立ち話した方が一人。)
 週末、岡山県北部の天気は微妙。爆走はないので、走行中降りさえしなければ問題ないのだが。。。
 そうそう、例の宝くじ〜八つ墓村(津山事件)の件があるので、護身用に「ベレッタM93R」を持っていくべきか?もう10年以上押入れのどこかに埋まってるはず。BB弾は?ってエアガンじゃ無理?

7

Jul.28 国宝「阿修羅展」〜フルーツ工房「えふ」

 8/29の昼間に考えていた阿修羅展だが、夏休み最後の土曜日。わざわざ嵐の中に突っ込んでいく事は無い。道も混む事が予想されるので極力フリーに。と なると8月はなかなか時間が取れない。ここは思い立ったが吉日。平日に一気にかたをつけよう。というか、早く阿修羅に逢いたい。。。

 前日飲み会でヨレヨレ。怪しい天気、10Rは軽度のフォークオイル漏れで、週末岡山のあとドック入りするので温存。車でのスタート。平日なのでとりあえず深夜割引に乗るため3時起床、4時高速へ。すぐに玖珂PAに入って寝る。
 起きたのは7:30。そば食べて再スタート。小月あたりで携帯のベルが鳴った。

(だれ?)

 携帯のサブディスプレイには「マイナリストOhIke」の表示!それはなんと、定休日で断念していたフルーツ工房「えふ」が営業している事を教えてくれる電話だった。ちゃつさんの掲示板に短く書き込んだ福岡入り。それが回りまわって、わざわざ電話まで・・・。
 大久野島の時いちばん驚いたのは、難なく円筒分水にたどり着いたGPS。自転車ツアーはとても楽しかったが、何度か訪れている場所であり、そういった意味の「驚き」は感じなかった。
 しかしこの電話には本当に驚いた。情報網と気遣い。大久野島で一緒だった天涯KSさんの言葉を借りたい。

「マイナリスト恐るべし!」

 「阿修羅」から「えふ」への線が浮かび上がり、吉志PAで再ルーティング。災害通行止めの九州道福岡〜大宰府間をショートカットし、八幡ICからR200〜県60を選択した。若干遠回りになる県60を選んだのには理由がある。
 このクネクネ県道を抜けた須恵町には、3年前、佐賀バルーンで知り合ったM家族が住んでいる。もちろん家を見つけ出し訪ねる訳ではない。当てずっぽ住所 で戻ってきた年賀状を、2度転送して届けたその町が見てみたかった。(07年佐賀バルーン記事参照)ところが、県60と県90の分岐には警備員が立ち通行 止めのバリケード。

(ここもか・・・。)

 OhIkeさんから、冷水峠旧道も先日の大雨で通行止めとの情報を得ていた。仕方なく県90に迂回。すぐに対向車2台からパッシングを受けた。

(まさかこんな所で・・・。)

 と思いながら、スローダウンしたトラックの後ろを走っていると、消防署前にレーダーが。3月の日田の山の中といいここといい、ありえん場所に網を張る福岡県警はヤバ過ぎる。
 県90から県65へ。意図した道ではなかったが、結果最短、最も直線的なルートになったような気がする。市街地に出るとすぐ「九州国立博物館」の案内標識が現れた。

 博物館駐車場は満車で、天満宮駐車場に。本堂前を抜け、巨大エスカレーターに取り付く。

(こんなん前あったか?!)

 あまりにも立派な巨大建造物の記憶が無いため調べてみると、05年完成という事で納得。Fさんに頂いたコメントで並ぶ事を覚悟してやってきていたが、チケット売り場、入場ゲートともすんなりと入れた。
 最初の一区画ではさわりの展示物、次の区画に意外にあっさりと、それは立っていた。


 三面六臂の鬼神「阿修羅」。


 極端な客観論から入るのはいつもの癖だ。

(所詮は、人間である製作者の主観から創り出された“漆の張りぼて”。)

 まわりを一周した。背中を除く三方向で目が合う。再び正面に回って来た時、そばにいた見ず知らずの子供が呟いた。

「今にも動き出しそう。。。」

 最初の客観論が吹き飛び、正面の顔が、本当にまばたきした様に見えた!釈迦に諭されたとはいえ、鬼神、闘神と云われる阿修羅。噛み締めた下唇から血を流し、三組の剣と楯を振りかざしながら、見物人をなぎ倒し始めるのではないか!!!あの苦悶の表情は、その衝動を必死に押さえているようにさえ見える。もしくは、何かの力によって像の中に封印されたか?

(なるほど、高速を飛ばしてここまで来た事は間違いではなかった!)

 ネタバレはこのあたりにして、興味のある方は是非行ってみてください。みどころは阿修羅だけでなく、八部衆、十大弟子、四天王などたくさん。ガラス無し、360度鑑賞は必見。

 回りながら考えていたのは、仏教しかり、キリスト教しかり、弟子(使徒)や配下をしたがえた派閥である事。やたらとわがままで人間臭いローマやギリシャ、インドの神々はともかく、一神教であるイスラムは偶像を持たない。唯一無二孤高の神、そしてその偶像を持つ宗教が世界のどこかにあるのだろうか?調べるほどではないけど、ちょっと興味のあるところ。

 4階の常設展へ。

(ナニコレ?広すぎる。。。)

 結局、館内全部に目を通してトータル3時間強、時刻は14:30。さすがに疲れました。せっかくなので大宰府天満宮に参拝して移動開始。

 えふ。事前に位置は確認していたものの、スタート時点で定休日と思い地図には記入せず。記憶にあったのは県34。OhIkeさんに、店はその道沿いか確認を取った。
 慌てず急がず到着したえふは、想定した16:00ぴったり。店内にはカップルが一組いたがすぐにいなくなり、席を立つ17:15までずっと貸し切りだった。すぐにOhIkeさんに報告しようとしたところソフトバンクが圏外だった。
 メールでおすすめの週変わりパスタはランチタイムを過ぎていたため不可。りんごカレー大盛り、食後にももパフェ、さらにこちらもおすすめのコーヒーを注文。通過ルート記入や、帰りルート検索などをしているとあっという間の1時間強だった。マイナリスト通信には気付いていたけど取らなかったのに少し後悔。肝心の料理はもちろん◎。近くなら常連になる事必至。次回は是非マイナリスト達と!
 来た道を戻るのではなく周回路を取りたいので北側の県204へ。出た所が香春のリンガ、ここでOhIkeさん、M家族ママに返信。
 OhIkeさんにお礼のメールを打つと、

「お礼はちゃつさんにしてください。」との事。

 阿修羅もえふも良かったけど、マイナリストたちの人の良さを感じた日帰り旅。。。ちゃつさん、OhIkeさん、Fさん、ありがとうございました。

 帰りは久々のカード3回チェンジ。#3小倉南〜小郡¥1,100、#1小郡〜防府西¥300、#4防府東〜廿日市¥1,300で21:00前、無事帰宅。


Jul.26 KAWASAKI NINJA ZX-10R

 新たなパートナーZX-10Rに乗り始めてジャスト3ヶ月。スペックに関するインプレッションはサーキットや峠の方々に任せるとして、ここでは旅ツールとして使用する事をメインとした記述。

マシン状態:
 セッティングの知識やカスタム願望は無いためノーマル。マレーシア仕様、カプラーオンのままで164ps(のはず)。スクリーンのみMRAレーシングスクリーンに交換。

エンジン:
 乗り始めてすぐ、ZZ-Rの感覚でUターンした際2-3度エンスト。比較の問題だが「下がない」とは思わない。むしろ思ったよりトルクがあると感じた。スロットルのみでフロントの荷重が抜ける感覚は初めて。一切ストレスの無い怒涛の加速、勘違いすると命がなくなる。

足付き性:(180cm/78kg)
 前車のZZ-R1100に比べ、若干シート高が上がったものの問題なし。

取り回し:
 前車比較乾燥で50kg以上減の比べ物にならない軽さ。戦車から戦闘機に乗り換えたよう。

前傾:
 SSに乗るにあたり気になったのがここ。ポジションがきついという先入観が大きく、かなり厳しいと予想していたので、思ったほどではなかった。長時間の高速道路巡航も問題なし。ただ、一般道を低速車に付いて走るのは非常に辛い。

積載性:
 最大のネック。普段はシングルシートカバー、タンデムシートも付いているが、フルパッキングで旅に出る際、どう積載するかいまだ未解決。

サービスマニュアル:
 なんと12,600円もした上、厚さも前車の2倍。その大部分がインジェクションや制御電気系統に関するもので、とても素人には手が出せない。わずか3年前の年式にもかかわらず、パーツリストが入手可不能。

常時点灯ヘッドライト:
 初めての常時点灯車だが好きじゃない。特にZZ-R最後の記憶が強いため、バッテリーが消耗していくような気になる。実用面でも、ETC車載機をナンバー灯から引っ張り、ポジションランプオンで連動させていたため、今現在はバッテリー直。ギボシの抜き差しでオンしている。抜き忘れるとあがってしまう。
 右目がロービーム、ハイビームで左目が点灯し、これがパッシングも兼ねている。

スタンド:
 SSに求めるのは酷だが、センタースタンドがなくなってサイドスタンドのみとなり非常につらい。チェーンオイル塗布が面倒なためJ-TRIPリアスタンドを購入。

 3ヶ月の下記給油データを元に分析しだいたいの事がわかった。

燃費:
 平均16.5km。最短は納車3日目いつものコース周回で13.86km。最長は地鶏ツーリングの香春〜古賀SAで20.99km。あとは概ね15-17で推移。

航続距離:
 200km前後でリザーブへ。燃料コックはなく、デジタルパネルに表示される。アラートが出た時点で確実に4L以上残っており(満タン17L)、リッター15kmで考えても確実に残り60kmは走れる計算。

メーターパネル:
 外周にアナログタコ、センターにデジタルスピードのモノアイ。デジタル表示は感覚的に捉えづらい。オーバーレブの事もあり、タコの方をよく見るようになった。
 モードは時計〜ストップウォッチ〜ODO〜TRIP。トリップ一系統のため給油時クリア。自宅出発時でODO数値、給油でODO、TRIP数値を携帯の発信履歴に残し、時間と燃費を記録するようにしている。ストップウォッチは未使用。笑

総評:
 バイクを選択する基準は、スタイリング、スペック、価格等色々あるが、最大の理由は「乗っていて楽しいか?」ではないだろうか?
 SSは乗りにくいというイメージを持っていた。確かに想像通りの面もあるが、その全てを吹き飛ばす「楽しさ」に、何の迷いもなく正解だったと答えられる。迷ったら是非購入をおすすめ。年取ったら多分乗れません。


Jul.24 連鎖

 先週月曜日、発売初日のサマージャンボ宝くじを求め売り場へ向かっていた。生まれて初めて買ったのは3年前。基本的にジャンボだけをバラで20枚と決め ている。初回からかなりの確率で3,000円(計3,600円)が当たっており、去年の年末からグリーン、ドリームと3連続3,000円。何かが起こるかと期待せずにはいられない。この日も同じくバラ20枚を買った所で、横に貼ってあった告知に気付いた。

「西日本宝くじ今日まで。。。」

 1枚100円のこのくじは、一等賞金が100万円と小額だが、確率はそれなりに高いらしい。おまけのつもりで500円玉ワンコイン、5枚を購入した。もちろんメインはサマーな訳で、このくじの当選発表の日すら知らなかったが、昨日何気なく思い出しみずほの宝くじサイトを開いた。

1枚目
「おっ!」
下一桁当選(100円)

2枚目ハズレ

3枚目ハズレ

4枚目ハズレ

(まぁこんなもんだろう)

5枚目204・・・

(ん?)

204・・・

いちまんえん!!!

 たかが一万円されど一万円。自己最高額はもちろんの事、当たった瞬間のうれしさはこれか。。。もし一等ならどんなだろう・・・。

 ふと、券のイラストが目に入った。吹屋ふるさと村と広兼邸。

(なるほど〜)

 この吹屋は大好きな映画、77年版「八つ墓村」(「祟りじゃ〜」のあれ。)のロケ地になった場所で、まだネットの普及していない94年に場所を調査して訪れた。(映画のエンドロールを静止したり、小説のあとがきなどを見て調べた。)広兼邸は劇中の田治見家本宅として使用されている。

(そういえば・・・?)

 劇中最もインパクトのある32人殺し(猟銃と日本刀を持ち、頭に懐中電灯をさしていたあれ。)の元になった実際の事件が、昭和13年、短時間に30人が殺された津山事件だ。
 驚きなのは、来週参加するカワサキキャンプツーリングが行われる黒木キャンプ場が、その発生場所となった岡山県加茂であるという事。

(どうしよう、来週殺されるかもしれない・・・。)

 事件が起こったのは今から71年前。

(良かった!ギリギリ8の倍数ではなかった。。。)

 何はともあれ、安全運転を心がけよう。。。


Jul.18 夜を駆ける…BT016皮むき・コース周回・湯来〜吉和〜羅漢

 来週は週六出勤、明日19日(日)は雨の予報と、テンションは下降の一途をたどっていた。それでも急遽空いた夕方の時間を使ってリアタイヤ交換をすることが出来た。

(来週まで走れない。もしそこで雨が降ると、8/1-2に新品のタイヤでの出発になる。)

(よしっ!ナイトセッション!!!)

 タイヤの皮むきという目的はあるが、例えば蛍アタックなど明確なビジョンのある走りではない。こういうナイトランは久しぶりだ。時計は22:00をまわっていたが、昼間のムシムシを引きずる大気の中、闇の中へすべりだした。

 もう車は少ない時間、何度も蛇行しながらグリップを確かめる。ナイトランで恐いものは三つ。厳しいタイミングで右左折してくる車と横断する歩行者。どちらも相手側に注意を求めるのは難しい。遠くに豆粒のように光るライトがあっという間に迫ってくるとは想像もできないだろう。ライトを点け忘れてコンビニから出てきた軽にヒヤッとする場面があった。
 もう一つ恐いのが落下物。昼間なら遠くから確認できるが、夜はヘッドライト照射エリアに限られ、気付くのが遅れてしまう。結果、アベレージスピードは下がり、バンクさせきれないのは仕方のない所。。。
 連休初日の夜、湯来温泉のパーキングは満車で繁盛している。そのまま爆走区間県41に。バンク中の急激なスロットルワークを避け、マシンの挙動を探りながら闇を切り裂いていく。去年ハヤブサがクラッシュしていた場所で自然とスローダウン。
 高速コーナーの連続するR186でペースを取り戻し快走。併走する中国道には一台の車も走っていなかった。
 休憩場所吉和ドライブイン前に到着しタイヤをチェックしてみると、両サイド10mm程度を残して皮むきが終了している。コーヒー2本を飲みながらの長電話。そういえば、Hoshizouさん祭りや、Horokitiさん潮岬。今頃盛り上がっているだろうなと少し恨めしい。笑
 その間、前の道路を通り過ぎていくのは地元車と走り屋4輪。スープラと軽で入ってきた二人が近くで駄弁っている。

 再スタートし先ほどのスープラが追ってくるかと期待したが、ミラーに映るのは夜の闇ばかり。吉和の集落区間はクルーズする。こんな深夜にまさかとは思うが、回転灯を消した警ら中パトをぶち抜いたりしたら目も当てられない。魅惑の里ストレートを抜けた所から開けはじめてすぐ・・・、

「おっと!」

 予想通り、かなり太目の木の枝がコーナーで車に粉砕され粉々になっている。

(危ない危ない・・・。)

 調子に乗るなというサインだ。MRC乗馬クラブを過ぎて、今度は派手なデカールを貼った峠4輪が転回中。

(逃げる!)

 一気にスピードを上げた。といっても暗いSSのヘッドライトで可能な限り。すると昼間には無い感覚が腕に伝わってくる。ライトに照らされるエリア以外の、奪われた視覚分が腕にふられるのだ。微妙なアスファルトのゴツゴツ、舗装の切れ目、橋の接合部など、明るい時に比べものすごくセンシティブになっている事に気付く。

(路面を感じて走る。これがナイトラン・・・。)

 スパ羅漢に近づく頃、ミラーがチカッとした。さっきの4輪だ。すぐに左ウインカーを出し減速、先に行かせる。

(追う!)

 今度はコーナーの先取りが出来る。腕の感覚は吹っ飛び、神経は一気に4輪のテールランプに集中した・・・。が・・・、こちらを抜いたあとまったくペースが上がらない。

(どうよ?!)

 と、思う間もなくスパ羅漢についてしまった。既に深夜0:00を過ぎているのにパーキングは満車状態。構成は車中泊の県外車と峠4輪。驚いた事にバイクも2台いるのが確認できたが、そのままスルー。次のコーナーで、さっき抜いて行った4輪が転回中だった。

 高速状態の西広島バイパスを爆走して帰ったのが1:00。考えていた時間の倍近くを使ってしまったが、意外に面白い真夏の夜だった。これで来週も何とか乗り切れそう。。。


Jul.12 上関・瀬里家

スタート前暫定プラン。
 OnOuEさんのブログに乗っていた上関の瀬里家へ。去年いつごろ行ったか見てみると一日違い。最近こういうシンクロが少なくない。昼食後スタートでCafeでの訪問予定。。。

実走ルート。
12:45自宅スタート。

13:00すぎ、岩国にて髪を切る。廿日市-大竹間高速利用で、カード#3マイレージ1,000ポイント達成。カード#2と合わせて還元額¥16,000分走行可能。休日特別で16回も乗れる!

14:00すぎ再スタート。未走行県149を柳井までショートカットするつもりが、走行済み周東広域農道を爆走してしまい県70へ。
 コスタリゾート・ゴルフ&スパ。まだ新しそうな廃墟。同じ敷地内には住宅があり人が住んでいる。

15:30瀬里家着。お店の前の道路は二度通った事があるが、入るのは初めて。ネット情報では味は普通でロケーションは最高との事だったが、頼んだケーキセット(フルーツタルト)はなかなか美味しかった。
 ウッドデッキから眺める風景は情報どおり最高。横島、八島、平群島が伊予灘に浮かんでいる。本を読むつもりだったが景色だけで十分。ちょっと高めのカレーに興味あり。次回再訪する理由になりそう。※ソフトバンク圏外。

17:00前帰路に。絶景山頂展望台・上盛山に行きかけるが、山頂はラピュタの雲に覆われている。同じく大星山もガスっているため(プロペラはビュンビュン回っていた。)スルー。県138を玖珂に抜けるつもりが直進して県158へ。走行した部分はかなりの快走路。

 玖珂PAにてリアタイヤの次の層が現れているのを発見。金が無い。。。


Jul.5 ログ茶房「花みずき」#7・植村直己『エベレストを越えて』

 昼食後、久々のスローライド。夕方からにわか雨の予報で、「花みずき」でカフェ&読書。帰路、家の近くでパラパラと降り始めた。。。昨日の筋肉痛はまだない。明日きたりして。。。笑


Jul.4 マイナリスト大久野島ツーリング〜武智丸〜円筒分水

 土曜日は基本的に仕事だが、来週11-12と神戸に行くために休みを取っていた。ところが4日の土曜日、先日初参加した北九州のツーリングチームのメンバーが広島まで遠征してくるという。神戸の実行が怪しくなっていたので1週間前倒しで調整したところ成立。ギリギリの参加表明となった。広島での合流ポイントは小谷SAに8:00-8:30。スタートが7:30となったため少しスピードを上げた。
 高速¥1,000以降、相変わらずの車の多さ。絶対数が増えているため、ダラダラと追い越し車線を走る車も少なくない。ポジションアップしながら追いついた今日第1ライダーはKLX。参加者の一人だろうか?すぐに第2ライダーに遭遇。モノトーンのBMWは北九州から今回初参加の天涯さんだとわかった。すでにミラー越しにこちらを見ている。(笑)SAも近づいていたためそのままパスした。

 SAに走りこんでいくと、1ヵ月ぶりの「再会」が待っていた。旅で最もワクワクする瞬間がこの「ファーストコンタクト」。すでに到着していた5人は皆「再会」メンバーだった。
 今回もリーダーのFZ1 FazerのOhIkeさん、前回ファームロードで前を傾いていた2台、XJRの山さん、CBRのTeruさん、BMWを駆るかおりんさん、そして広島派閥を形成するDJEBELのHirokitiさん。先ほどのK1200RS天涯KSさん、続いてER-6nのちゃつさんが入ってきた。二人とは初対面。最初に出会ったKLXは関係のないライダーだったようだ。

 本郷ICまで行くというので、いつも通る、時間・効率・快走を満たす県道を提案。うすうす予想はしていたが、嫌々(笑)先導する事となった。
 生粋のソロライダーがベテランマスライダー7人を先導する。ペース、4輪パス、信号分断、そして待機。どういうタイミングで仕掛けていいのかまったくわからない。慎重になるよりいいだろうという事で快走。250のHirokitiさんだが、九州でリッターバイクに食らいつく激走を見ているので問題ないだろう。そう距離のあるルートでは無いので、30分足らずで忠海港に到着した。

 フェリーの出港まで30分以上。島には人のみで渡るためそれぞれ準備していたが、度肝を抜かれたのが天涯さん。しばらく姿が消えたかと思うと、なんと短パンサンダルで登場。「海かい!?」と、ツッコミを入れられていた。さらに驚きなのが大容量サイドパニヤ。10Rの最大のネックがその積載性だけに、パンツからジャケットまでそっくり収納できるというのはうらやましいかぎり。
 待ち時間から島上陸までのフリータイム。こういう時間がマスツーリングに求めていたものだった。前回の阿蘇では大所帯と時間的制約のためほとんど走りっぱなし。常連ならともかく初参加で話をする時間がほとんどなかった。今回は船だけでなく、島ではレンタサイクルということもあり申し分ない。

 これまで大久野島には二度訪れているが、前回は9年前とかなりのブランク。その時よりきれいに整備されているように感じた。自転車を借りて、いざ、探険へ。。。
 最初に入ったのが毒ガス資料館。負の遺産だがみな熱心に見入っている。次にビジターセンター。前にはなかったような、いや、あったけどこんなに綺麗じゃなかったような・・・。
 海岸線を左に折れ、急な上り坂が始まった。すぐに先行していたかおりんさんたちに追いつくと、蛇を見つけたという。路肩を見てみると体長3メートルはあろうかという巨大なアオダイショウ。すぐに尻尾をつかんで引きずり出そうとしたが、大物だけにすごい推進力。引っ張ってもビクともしない。あまり引っ張りすぎて脊髄が脱臼し、下半身(?)不随になってはかわいそうなので放してやった。それにしても大きなアオダイショウで、前に来たときも何度か出会ったのを思い出した。これは容易に推測できる。えさ(ウサギ)が豊富で天敵が少ないからに違いない。獲物がその辺にゴロゴロいるため捕食に労力を必要としないのではないだろうか。

 バラけていたメンバーが南部砲台跡で合流し集合写真。今思えば、自転車を取り入れたフォーメーションで撮っていればと後悔。ライダーがバイクと一緒に写るのは当たり前だが、自転車に乗り換えてという絵はとても面白かったのに。。。
 中部砲台跡から巨大鉄塔へ。南部砲台と共に初めて登ってきた場所なので新鮮。ここで掌に乗る豆ウサギと出会った。少し弱っていたようにも見え心配だ。それはもちろん先ほどのアオダイショウ。ヤツらからしたら丸呑みサイズ。あの場所で無事に成長できるのだろうか?
 ここで昼前となり、昼食のため国民宿舎に戻る事になった。というかみんなバテ気味。自転車や上り坂はともかく、暑すぎる。。。

 国民宿舎のレストランでお昼。全員がすべて違うメニューというバラエティ(バラバラ?)豊かなテーブルとなった。注文したタコ香り揚げ定食は、値段のわりに質、量ともイマイチ。ただこの島ではここしか食べる所が無い。
 エネルギーを再充填するも、なるべく平地ルートで発電所跡、ガス貯蔵庫、北部砲台跡ほか、午前中に回りきれなかった場所を探索。どの場所だったか忘れたが、Teruさんの言葉が印象的だった。

「昨日の夜は遠足に行く前のようで眠れなかった。」と。

 そういえば・・・、同じだったかもしれない。
 長い間旅をしてきて、一泊二泊、たとえそれが長距離だったとしても眠れないという事はほとんどなくなっていた。(寝るどころかナイトランも多い。)

(そう、このドキドキワクワクを求めていた。)

 目的の場所を全て回り、疲労と満足が混ざり合った島を離れ、無事本土帰還を果たした・・・。

 と、これで終わりではない。これからがマイナリスト集団たる所以。初めてのマスツーリング参加にこのチーム選んだ理由だ。「自分ならまず行かない場所。」を目指す。
 最初の目的地は、現在防波堤として使用されているという呉市安浦にあるコンクリートで出来た船「第一・第二武智丸」。再び先導でスタートした。
 安浦まではR185の一本道。瀬戸内を望む海岸道路だが、車が多く、幅狭、黄色車線のストレス路。船の場所は知らなかったが、走っていればわかるという事で何も考えず車の後ろに付いていた。
 ふと気付くと橋が。走りなれた道だが、何を思ったか安芸灘大橋(実際は大芝大橋)だと勘違いしてしまった。

(しまった!通り過ぎたか?)

 瞬間、急ウインカーの急路肩寄せ。みんなビビッたに違いない。一人で走っているわけではなかった。申し訳ない。(笑)
 これで二番手に下がったが、前を走るOhIkeさんのFZ1 FAZERがカッコいい。SSほどどぎつくはなく、ネイキッドよりスポーティー。ウェアはクシタニで固め、いかにも玄人というか、いぶし銀というか・・・。
 そうこうしているうちにコンクリート船に到着した。OhIkeさんが指差したが、それより早く気付いていた。確かにわかりやすい。
 しかし船はともかく、ここを目的に目指してくるとは。。。先行して訪れていた隊長、響さんをはじめとする九州の少数派集団。感心するというか呆れるというか。(笑)ただ、県外の人間を平和公園や宮島、原爆ドームに案内するよりはるかに面白い。ちなみにOhIkeさんがガーミンのGPSを持っている事に気付く。

「あとはお願いしますよ!」

 こっちは使い込んだ05年マップル。さらに次の目的地は西条の円筒分水。

(どこ?それ?)みたいな・・・。

 7番手に下がり、前2台が見た事のある光景、山さんTeruさん、後ろにはしんがりのちゃつさん。快走路、県32に入り、OhIkeさんが先行車を抜きに入った。。。

(キターッ!あの時と一緒、前の2台がナナメになっているー!)

 コレコレ!先導で飛ばしてもソロと変わりない。このCBR、無駄遣い(?)の効果か、まるでJSBマシンのようにすっきりとしたリアビューでカッコいい。タンクバッグもリアバッグもなし。そういえば、OhIkeさんやかおりんさんもタンクバッグはなくリアバッグのみ。なるほど・・・、一理ある。
 10Rに乗り換えて唯一変えたのがMRAスクリーンだが、タンクバッグがあると臥せても風を防ぎきれず、ハイスピードではヘルメットが脱げて飛んでいくのではないかという状態。ZZ-Rの巨大スクリーンがいかに絶大な効果を生んでいたか今更ながら感じる。とにかく、違うバイクを見る事はとても面白い。

 みんなが何でもない小道に左折した。すぐ脇には円筒分水が。

(どうよ、GPS・・・。)マップルじゃ無理!

 これにて全行程終了。

 西条IC手前で広島勢以外全員給油、高速へ。車に詰まっていた五日市IC手前の3車線区間で、Hirokitiさんが一番左の車線にいるのを確認。「動画を撮るのに大胆にも左から?」かと思ったが、リザーブで離脱した事を帰宅してから知った。
 自宅には行き過ぎだが、宮島SAで最後のお見送り。トップ写真はそこで撮ったため、HirokitiさんのDJEBELが抜けてしまい残念。また次回よろしくお願いします。
 SAにあるスマートICは使用せず、廿日市まで余韻を楽しんだ。走行車線に移ると、思わず右手を振ってしまった。(笑)それに答え、手を振り返しながら抜いていく6台。とりあえず無事帰宅を祈ります。

 共通の価値観を持つ人との旅も楽しいが、違うからこそ楽しいときもある。
 日帰り、家から帰宅までわずか199.3kmの旅だったが、それ以上に濃い内容だった事は間違いない。また九州で、そして山口・広島に来る時は是非、先頭ではなく付いて行きます。(笑)お疲れ様、ありがとうございました!

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Jun.27 '09蛍#3・湯来

 日曜夜よりしばらく雨。今年のラストチャンスだと思い、仕事が終わってからの出撃。出来れば灰塚まで行ってみたかったが、日の入り時間を考えると間に合わないので湯来へ。
 藤の木〜湯来線への合流からすでに車が多くイライラ。この車列には普通の仕事帰りの人も混ざっている事も想定され、突然のウインカーからなんでもない小道への右左折に注意しながら一台ずつパスし、ポジションアップしていく。
 こういうとき面白いのが、軽やらミニバンやらで逃げ始めるドライバー。普通に走っていれば即抜きにかかるか、車間をあけて付いて行くのに、逃げようとすると張り付きたくなるのは自分だけではないはず。自分がジムニーで単独走行している時バイクに付かれたら、すぐに左ウインカーを出していかせるが、バイクに乗った事が無い人にはわからない。この日も一台の軽が逃げ始めた。
 夜間とはいえ、ここはルーティーンの周回コース。コーナーやギャップの位置まで熟知している。しかし、左手川側の路肩には現れるホタルの数より多いと思われる見物客。家族連れで暗がりを横断している姿もあり、無理な追い抜きは危険だ。

(そこはブレーキいらないよ。。。)

 どうでもいいツッコミを入れながら追走していると、しばらくして小道に左折していった。。。

 再び単独走行となり爆走していると、いきなり幻想的な光景が飛び込んできた。

(竹宵?)

 規模こそ小さいが、割った竹や広場一面に広がるキャンドルライトは、今年出撃を予定している臼杵の竹宵を彷彿させた。最初に話しかけた方がたまたま運営サイドの人だったらしく、

「上でハーブティーを出しているので飲んでいってください。」との事。

 結果論ではあるが、今日の旅はこのキャンドルとの出会うためだったのかもしれない。
 このあと、丸共の製材所辺りまで足を伸ばしたが、現れる蛍の数はまばら。このルートではこんなものだろう。また来年。。。

 ついに2輪用ETC車載器の連絡が来た。(取付はまだ。)すでに丸4年以上車用を使っているので、特に目新しい事は無いが、車幅感知で通り抜けられないゲートがあるとか?警告通知が送られてくるとか?いう噂も聞いており、仕方ないと判断してからもう3ヶ月以上が経っていた。
 どうにも納得いかない点もある。取付け工賃とステー購入が必須という事。日曜プラス平日休みとしては休日特別割引だけでなく通勤割引も多用するため、引き続きカードチェンジは不可欠。雨天でのチェンジを考慮すると、やはりタンクバッグの中へしまいたい。取付費用とステー代はまったく無駄な出費となる。2輪用が音声機能が無いのも痛い。今まではランプを見なくても「ETCカードを確認しました。」の声で、走行中でも確認できたのだが。。。
 さらに価格。全部で¥15,000前後という値段は、4年前ですら¥8,000強(セットアップ込)だった車用と比較しても高すぎる。

 それに反してマイレージがいい感じでたまってきた。
カード1:今日現在、還元額、ポイントともにゼロ。カード4のサブに。
カード2:還元済み¥8,000で、長距離旅用に温存中。
カード3:あと¥1,300の走行で1,000ポイント。還元後やはり温存。
カード4:サブ使用で若干のポイント残あり、カード3還元後メインカードに。
 来月中には合計¥16,000の無料走行が確保でき、小出しにせず遠くへ行く時に使いたい。

 マイケルについてここで書く必要も無いが、1億枚以上売れたというスリラーの中の1枚は今でもうちの”レコードラック“に並んでいる。今BGMはベスト盤の"Don't Stop 'Til You Get Enough"(2003 Edit)。
 音だけ聴いていると、マイケルの魅力はやはりPVにあったと確信する。連日ワイドショーにあふれるあのキレのあるダンス込みで”マイケル・ジャクソン“だった。
 同時にファラ・フォーセット。というよりファラ・フォーセット・メジャーズといった方がしっくりくる。
 夫だった「600万ドルの男」リー・メジャーズ、「バイオニックジェニー」リンゼイ・ワグナーといくらでも話がつながるが、「チャーリーズエンジェル」を抜きにしては語ることが出来ない。
 当時世界一の美女として報じられていた事もあり、「これが世界一か・・・。」と感心したものだった。エンジェル達の中で一番好きだったのはタニヤ・ロバーツだったが。。。

Rest In Peace...


Jun.17 6/16 '09蛍#2・総領・灰塚ダム・癒香の杜(ゆうこうのもり)周辺

 普通にホタルを見て帰る予定が、非常に面白い出会いがあり2:00帰宅。一人だからこそ遭遇する出来事もある。。。


Jun.15 6/14須佐・高山風穴〜未走行県道コレクション〜'09蛍#1・湯来

 この間参加した北九州ツーリングの掲示板に突然の告知。午前3時に起床してぎりぎりまで迷ったが断念。城崎の体調不良以前から疲れ気味で、

(何でこんなに疲れているのだろう?日曜は18:30には帰宅したのに・・・。)

 と、疑問に思っていると、何のことは無い帰宅後すぐに蛍に出かけ、その帰りも深夜1:00になったのを忘れていた。身体だけでなく心も疲れているようだ。笑
 今日は午後から世羅方面を軽く流し、蛍#2灰塚ダム周辺へ。結局深夜帰宅になりそう。

 今これを書いていて、北九州入りしておけばよかったと少し後悔。最近強く感じている「自分が立てるツアープランに慣れすぎてしまっている。」というところだろうか?自分なら絶対行かない、予想もしない場所へ立ち寄るサプライズが欲しい。

6/14ダイジェスト。
 走った区間の県道は、緩やかな曲線を持つ高速カントリーロード。ショートカットに利用した県303のみ林間狭路。
 須佐手前で20台近いマス集団に追いついた。以前なら即抜きに入っていたが、しばらくの最後尾に付き観察。出会った集団にお願いして途中参加というのも面白いかも。ただ今日は、風穴と帰ってからの蛍があるため、信号や車に詰まるたびにポジションアップしていき、最終的に道に迷ったらしい先導が路肩に寄せたので、再び一人旅となった。この間のツーリングで大きく見方の変わったので、短いがちょっとしたプチマスツーリングを楽しめた。

 風穴は、高山山頂の磁石石から奥に5分ほど下ったところにある重なり合った岩の裂け目。去年入口まで行ったが、ヘッドランプをバイクまで取りに行くのが面倒で取り置きしていた。('08/7/1テキスト参照)
 入口には去年と同じく意味深なロープが垂らしてある。持ち物を引っ掛けて落としたりしないよう身支度し突入。いきなり身体の幅ギリギリの下り。

(プチケービングだ!)

 天上と地面もはさまった岩になっていて、もし下に何か落としたら拾うのは不可能。逆に落盤してきたら、ここで昇天し白骨化するまで発見出される事は無いだろう。

(今日はどこに行くか告げずに出てきてしまった・・・。)

 苔そのものか?付いた水滴か?ヘッドランプに反射して蛍光ホワイトに光っている。

(南大東地底探険だ!)

 予想通り10mほど進むと行き止まり、というより、続いているが通り抜ける事が出来なかった。しかし、ちょうど1年ぶりの心残りを一つ攻略。意外にゴミはなかったが、わりと新しそうな電機の延長コードが一つ落ちていたのが不思議だった。
 入口の説明書きによると、昔ここから臼を落としたら、海岸線に出てきて臼ヶ浦?(臼ヶ浜?)という名前が付いたそう。

 一度帰宅し湯来へ。去年6/29に良かったポイントに行ってみたが目撃ゼロ。まだ早かった。。。


Jun.7 耕三寺博物館・Caffe Cuore〜岩城島・積善山〜大日本印刷三原工場

「古くて新しい道」

 積善山の名前を初めて聞いたのは95年。当時勤めていた会社の同僚、N君からだった。彼とは仕事以外の付き合いは決して多くはなかったが、南原救出事件(08年1月26日のテキスト参照)は強烈なインパクトだったし、シノゴ(4インチx5インチの大判フィルムを使用する、箱型の大きなカメラ)で撮り歩き、チバクロームでプリントされた「夕日の赤」は、今でも忘れられない。
 そのN君が通い詰めていたのが今回ターゲットにした岩城島。合併前、旧岩城村時代の村オフィシャルサイトには、「いわぎ百景」として彼の写真が掲載されていた。

(上陸まで14年か・・・。)

 あまり通らない道をつなぐルーティングを検討していると、古い記憶が連鎖していった。
 新卒で入った地元商社時代、大型空調機械を納入する為にかよった大日本印刷三原工場。何年も前に一度通った事があるが、今どうなっているだろう?
 さらに広島空港。河内IC〜県59は多用するルートで、普段何も考えず通過するが、こちらも開港前たびたびかよった。設計士(某有名野球選手の兄)やゼネコンの面々と愛知まで行った工場検査が懐かしい。
 耕三寺にも11年前の夏、一緒に仕事をしていた美容室の日帰りツアーの撮影隊として仕事がらみで訪れている。昨夜、その時同行していた同僚から何年か振りに電話があり驚く。
 思い出がつなぐ古くて新しい道「岩城」。そこにはどんな光景が待ちうけているのだろうか・・・。

 河内ICからアクセス。長く伸びた朱の誘導灯の下を通過しながら、過ぎた日々の事を思い返していた。

(そういえば当時まだ山陽道は全線開通してなく、広島から東へは河内で行き止まりだった。)

 無事忠海に到着。便はあるので時間は調べてない。今回は次便まで余裕があるようだ。今まで何度か離岸してすぐの船を見送った事があるが、たった一度だけ桟橋を離れてすぐの船が戻ってきてくれた事があった。
 売店前のベンチでコーヒーを飲んでいると、少し離れたところに止めたバイクを食い入るように見ているカブのおじさん。センチメンタルな気分は、おじさんの心理を推測する。。。

(これで何シーシー?わしも昔乗っとった!)

 最近ふとした時に、乗り続けている幸せを感じる。経済的、家庭的、そして年齢的に、乗り続ける事が出来なくなった人の話を聞く事が増えたからだ。。これがどれほど幸せな事か・・・。そして、自分はいつまで乗り続ける事が出来るだろうか?実際におじさんと交わした会話は・・・、

「そんなもんがあるんか?」
「ただのマジックテープですよ。」

 これは乗船時マジックテープでフロントブレーキをロックしていた時の話。10Rへの乗り換えで大きく変わった事の一つがセンタースタンドが無くなってしまった事。ショップでは束ねたゴムでやっていたりするが、仕事先でオスメス関係無しのマジックテープを見てピンと来た。距離の短い航路では輪止めすらしない船もある。さらに傾斜に止めて勝手に動き出したバイクを倒した事があり、特に前のめりの駐車に効果大。ただ、発進するまで忘れていることがあるのがデメリット。
 で、下船時。

「よう乗っとるのぅ。タイヤ見りゃすぐわかる。」

 このバイクならサイドエッジまでベロベロに溶かしていても不思議ではないが、それほど走りこんではいない。でも意外に鋭いツッコミに笑ってしまった。

 ひとまず大三島に上陸。中四国フェリーがなくなってしまって以降、四国に渡るにもこの経路を使うことになる。尾道〜しなまみ自走と比較検討(高速代、ガソリン代、距離、時間)はしていないが、自走だとどうにも遠回り感が強い。何より船上は癒しの時間だ。
 海岸を走りすぐにしまなみに。そうそう、初めてここを走った時、多々羅大橋は影も形もなかった。1区間、生口島南ICで降り、旧シトラスパークを回りこんで瀬戸田入り。
 ピストンを嫌い、周回にしたかったためこのルートを選んだが、西からの最短なら本郷IC〜須波-瀬戸田航路かも。

 耕三寺。平山郁夫美術館と並んでこの島の目玉だが、今回の目的はその敷地内にある「未来心の丘」と「カフェ・クォーレ」。
 先に書いたとおり、ここへは11年前に訪れている。言ってしまえばレプリカであり、そのチープさにあまり記憶に残っていなかったが、11年という決して短くは無い時間はその見方を大きく変えていた。
 この全てが母親のために作られたという事、そして下々から見れば怪しさすら感じる財の投入。中でも惹き付けられたのが母の居宅であった潮聲閣(ちょうせいかく)と千仏洞地獄峡。
 天井板にまで惜しみなくお金がかけられている潮聲閣だが、他と違うのがその生活感。あの湯船が最後に使われたのは?錆びた電気のスイッチパネルには、どんなに豪華でも変わらない日々の暮らしがあった。。。
 千仏洞地獄峡。洞窟という閉鎖的な空間の中で見る地獄極楽画図。しかし恐怖は感じない。閻魔の審判により餓鬼に貪り食われる責め苦だが、理由なく人が殺されるこの世の中には最も必要な世界ではないだろうか。 一人殺せば人権など無い。何倍もの無間の責め苦を負ってもなお、被害者と対等になる事は無い。
 四苦(生苦、老苦、病苦、死苦)。他の三つはともかく完全な受身である「生」は、本当に「苦」なのだろうか?
 目的の「未来心の丘」とカフェ。あの洞窟が地獄なら、ここはまさに極楽だった。大理石で作られた白亜の宮殿で、昼を食べながら(注:メニューは喫茶と軽食のみ)見下ろす下界は、旅の神となった瞬間だった。笑

 再スタート。カフェの窓から真正面に見えた橋を渡り、高根島(こうねじま)に上陸。このあたりの島の名前はどうもひねくれている。高根島は普通なら”たかねじま“と読むだろうし、向島から架橋されている岩子島は”いわこじま“ではなく”いわしじま“、岩城の南にある津波島は”つなみじま“ではなく”つばじま“だそう・・・。
 一周しても特に何も無い島ではあったが、手掘りのトンネルと、ひょっこり瓢箪島を裏側から見る事が出来たのは収穫だった。

(さぁ、岩城へ!)

 生口側の州江港は静まり返っていた。30分おきに行き来する船が、すぐ対岸の小漕港に停泊しているのが見える。船そのものはもちろんフェリーだが、この距離を考えると、渡し舟と言った方がしっくりくるかもしれない。港には待合所として使用されているであろうコンテナハウスが一つあるだけ。料金も乗ってから支払うようだ。上船時には何の指示も無い。ランプウェイが降りたら乗り込み、適当な場所に止めたのがこの写真。後ろには車が2-3台いただろうか?
 今日初めてカメラを取り出させたのはやはり「ようきたのう」に尽きる。思わず答えた。

(やっとこれたよ・・・。)

 料金徴収係の船員と立ち話になった。平日のお得なETC利用法を伝授。上陸し、島を周回する県道174号へ、さらに西の海岸線をまわり、南側の港に出た。ここからは伯方や生名への船が出ているらしい。
 気温も上がり、アイスでクールダウンした後いよいよ積善山へ。集落の細い路地を抜けていくが、しっかりと道案内が立っており迷う事は無い。
 タイトな登山林道(全舗装)は一気に高度を上げ、山頂直下の駐車場に到着。ここで再びカメラを取り出した。風にそよぐ木漏れ日があまりにも涼しげだったから。(現在のトップイメージ)
 ここに載せるためあと2枚ほど撮った。
風神!雷神!
 この間の城崎で入ったみやげ物屋で、思わず衝動買いした金蒔絵ステッカー。(¥1,000)

 たかがステッカーといえど、自分なりのカスタム。他のカスタムをまったく必要としていないからかもしれない。
 新しいパートナー10R。一般公道を回して乗れば、4速以上を使うことの無い異次元のパワー。1速で130を越え、3速すら使う機会は少ない。高いギアでエコライドなんて無縁のマシンだが、家を出てから帰るまでずっと10,000回転以上で乗っている訳もなく、日帰りでリッター平均16km前後と悪くない。いや、悪いのかもしれないが、2ストに乗り続けてきたのでそれほどでもなかった。

(そう、これは2ストだ。)

 スカスカな下からパワーバンドに入った時のいきなり首根っこを掴まれ、後ろに引っ張られるような怒涛の加速。旅先での直線で、あっという間に迫ってくるストレートエンドのガードレール。この何気ない瞬間に10Rを選んだ意味がある。
 唯一変えたのがスクリーン。先日、身体の中を風が通過していくようと書いたが、それは180kmあたりまでの加速レベルにおいて。200kmを越えると、風は一転しての空気の壁となり、身体を起こした状態をとても維持できない。ほぼ100%タンクバッグを付けているため、臥せても逃げ場が無い。そこでMRAのレーシングスクリーンを購入。ジャンルがジャンルなだけに、大型のツーリングタイプはラインナップされていないし、あったとしても似合わない。効果は「ノーマルよりはまし」、程度。
 テールに貼ったFOX HEADは、どんなに舗装路を走ろうともダートライダーであるという証し。バイクに乗り始めた原点は、「道なき道の先に何があるのか?」という冒険心だった。
 話がずれたが、旅先での雷神にはあまり出会いたくない事を付け加えておきたい。

 徒歩で山頂展望台へ向かう。。。オフ車やジムニーでの登坂は可能。頂上には3層構造の立派な展望台が建てられている。2階部分はしっかりとサッシが付いていて、寝る事も出来そう。初日の出にはかなりの人が来るのでは?そのまま3階へ。

(これは・・・。)

 これまでに訪れた瀬戸内の島々の山頂の中でベストではないだろうか。パーフェクトな360度の展望、さえぎるものはまったく無い。何より特筆すべき点は、ここが架橋されていない島だという事を確認できるという事。生名島のスポレク公園方向で一箇所だけ海がさえぎられているが、それ以外では他の島とこの島をへだてるすべての海が見える。平地から一気に立ち上がった山頂は、つい先ほどまでいた海岸線を遥かに見下ろす神の目線。
 生名(岩城に沈む夕日を撮ったスポレク公園前の砂浜)、佐島、弓削。向島(高見山山頂)、因島、生口島(シトラスパークや州江港)、伯方島、大三島(銀色のドーム)、大島のしまなみの島々。沼隈の横島も見える。そして南には伊予西条から新居浜、三島、観音寺へとつながる四国。最も気になる島も目の前にあった。

四阪島。

 中学の時、社会で習って以来ずっと行ってみたいと思っている島の一つだが、一般人は立ち入る事が出来ない生きている廃墟。

(ここは凄すぎる。。。)

 福山雅治が安部礼司へ(TOKYOFM系ラジオ)、そしてそれが終わる頃、やっと重い腰を上げた。この2時間の間、誰も展望台に上がってくる事はなかった。下りながら見上げた妙見メンヒル(巨石信仰の跡)は次回へ取り置き、みはらし広場(ここも南向き絶景)やグライダーカタパルト近くにはトイレもあり、テント持参も・・・。

 帰りは生口・沢港から三原・須波港へ。すでに真っ暗だったが、DNPの工場も通って帰路についた。

航路データ
    大人 750超 合計
忠海-盛 片道 290 490 780
州江-小漕 往復 1,420(人込) 1,420
沢-須波 片道 400 490 890

5

May.31 初めてのマスツーリング

 このツーリングへの参加は、マンネリ化しつつあった休み計画に大きな変化をもたらしたようだ。決めてからの数日、現地天気のチェックが日課となっていた。前日にはワクワク感が最高潮に。一体どんな展開が待ち受けているのだろう。目覚ましを3:00にセットし、0:00頃眠りについた。。。

 4:00前にはスタートするつもりが、結局4:00を回ってしまった。辺りはまだ暗く、気温も低いため、適度なスピードで巡航。時間的余裕は十分あるはずだ。
 ワンストップ給油のため美東でくつろいでいると、いきなり声を掛けられた。振り向くとレインウェア。こんな時間に珍しくバイク乗りだ。話していると妙に共通点が多い。
「ひょっとして?」
「ヒロ吉といいます。」
 何のことは無い今日のツーリングの参加者。それも地元広島から。早くも面白い展開に笑ってしまった。
 ジェベルのヒロ吉さんは先行スタート。しばらくしてこちらもスタートしたが、現地までジェベルに追いつくことはなかった。

 第一集合場所、新門司港阪九フェリーターミナル。企画者のHoshizouさんは、なんと東京から大阪まで自走、門司までフェリーというとんでもない行程でやってきた。現地リーダーのOhikeさんをはじめ、メンバーの方々と挨拶を交わす。すでに出来上がったコミュニティへの参加で、すぐに解け込むと言う訳にはいかないが、旅人同士の出会いとはまた違った新鮮な感覚だ。
 OhIkeさんを先頭に、第二集合場所、香春のRに向かった。ここでマス集団を初体験。
(これが千鳥隊列か・・。けっこう車間は詰めるんだ・・・。)
 ソロでクルーズしている時は、ほとんどの注意力をまわりの景色や道端の興味深いもの、そしてネズミ捕り捕捉にふっており、かなりの車間を取る。ここではそれぞれのライディングやマシンの挙動を間近に見る事が出来、それはそれで面白い。
 驚いたのが写真。たくさんの人がめまぐるしく隊列を変えながら、走行中撮影している。
(なるほど・・・、ブログに掲載されている写真はこういう状態だったわけだ。。。)
 それにしても頭が下がるのは先導。長い隊列を右左折や信号分断でまとめるのは難しい。低速車の抜き所も大変だ。

 個人的に話題のポイント、ホテル「イワオ」を通過し、あっという間に香春へ。途中参加の方とご挨拶。すでに誰が誰だがわからなくなってきていた。港からここまでのみ参加の方もいて、入れ替わりも激しい。
 さらに第三集合場所の日田一品街。すごい!結構年配の方からツナギの速そうな人まで、色々なグループが入り乱れている。もちろんここから参加の方もおり、ライダーとマシンの一致も怪しくなってきた。
 第四集合場所、三愛レストハウスへ。一品街を出てすぐのトンネル前で、Ohikeさんに先へ行けと促された。
(これは・・・、勘違いしている。。。笑)
 この先がそこそこの爆走区間らしい。先頭CBRのTeruさん、2番手XJRのやまさんに続く3番手。走っている時間が大半で、身の上話などする時間はなかった。念の為ここで書いておきます。
 ほとんどのバイクライフを通勤モンキーと2ストオフで過ごし、リッターバイク歴はたったの4年半。そもそもオンロードバイク自体がそれと同じ期間。さらにその全てを共にしてきたZZ-Rと別れ、このZX-10Rに乗りかえたのはわずか一ヶ月前。しかしそんな事は誰も知る由も無い。ただのSS乗りにしか見えないはず。先に話しとけばよかった・・・。笑
 ところが、この爆走区間が今回の旅のハイライトの一つだった。コーナーでの遅れ分を、マシンにものを言わせてストレートで取り戻すという典型的素人走りながら、コーナーの先で傾いている二人の静止画が強く心に残っている。
(楽しすぎる!!!)
 二人のライディングの違いも非常に興味深い。ノーブレーキングで流しているようにしか見えないTeruさんと、時折ちょんとランプを光らせるクレバーな走りのやまさん、自分は後ろから見てどういう走りをしているのだろう?驚きなのはOhikeさんの後ろについてきているジェベルのヒロ吉さん。
(面白すぎる!!!)
 同時に通り過ぎる景色も見逃すわけにはいかない。すでにどこを走っているのか見当もつかないが、なかなかの高原ルート。カフェやキャンプ場なども点在していて、また来る事もあるかもしれない。
 ブレーキを引きずりながら回った左コーナーひとつ、ノーブレーキのTeruさんを真似して膨らんだ右コーナーひとつ。二個所で「おっと!」という場面があったが、あっという間の楽しい時間だった。
 三愛レストハウスでも驚きは続いた。何度か来たことがあるがほとんどが平日。
(なんだこれは?)
 おびただしい数のバイクとグループ。数々のトップライダーを輩出している九州の裾野はこれか・・・。知らないだけかもしれないが、広島にはこんな場所は無いのではないだろうか?
 ここで鹿児島からの合流組が加わり最終的に16台となった。

 クルーズモードに戻り、ミルクロードかぶと岩。3月にも訪れた絶景ポイントから盆地へ下り、R265の箱石峠へ。目の前に広がる根子岳の絶景に、今回の旅で初めてカメラを取り出した。それが今回久々に表紙に持ってきた写真。3枚ほど同じカットを撮ったが、今回の旅、全行程で撮った唯一のものとなった。眺めていると吹き抜ける風がよみがえってくる。
 目的の「らくだ山」はこの人数では無理という事で、「やま康」に変更。地鶏で盛り上がった。
 驚きの船中二泊行程Hoshizouさんの帰りの船の時間が迫っていたため、ここでお開きに。高速組について益城から帰路に。Hoshizouさんはすぐにかっとんでいき、しばらくの間Yamamenさんについて行ったが最終的にいつもの一人旅となった。総走行距離852km。3月の阿蘇ツアー(854km)と驚きの誤差2km。

 確かに一人は楽だ。行くか行かないかは気分しだい。その日の天候によって行き先も時間も変える。それに対し複数では、ある程度の明確な目的地とタイムスケジュール管理が必要となる。それを制約と考えるのは簡単だが、今回のように、新鮮な驚きを見い出せた事も否定できない。
 オンに乗り始めた時にも思ったことだが、自分がこうじゃないといけないと思っていた固定観念が、実は大した事ではなく、取り除く事によって大きな成果を得た。今が変わっていく、いや、変えて行く時期なのかもしれない。。。地元のツーリングクラブ、もしくは一緒に走るライダーを見つけたい。

 Hoshizouさんをはじめ、参加されたすべての皆様、ありがとうございました。また再会できる日を楽しみにしています。それまで無事故無違反で!


May.29 5/31 阿蘇で地鶏を食べるツー

 まともな更新としては一ヶ月以上ぶり。

 この度、"Real Loner"のわたくし、生まれて初めてのマスツーリングに参加します。

 きっかけは日曜の先端ツアー。あまり遠出しないで走ったことの無い道を検索したが・・・、半径100キロ以内に新鮮な道はもう存在しない。。。遠出をするのは簡単でも、目的地までの単調な高速移動が苦痛。
 秋穂の海老は美味しかったが、後半の向島ではかなりの悪路に。迷いもなくダート突入していたZZ-Rと異なり、こんどのは相当きつい。挙句の果てに山頂直下でチェーン規制。
 チェーンを越え、徒歩で山頂に向かいながら、3月に北九州のやっこさんと再会した時に聞いた言葉を思い出していた。マスツーリング主体で走ってきた彼女。

「人の立てた計画に乗っかるのではなく、自分でプロデュースした旅がしたい。」

 話を聞きながら、まったく逆の事を考えていた。
 今までずっと一人で走ってきた。例外として旅先で出会った相手との行動があるが、放浪旅人とは根っから
「個」で動く人種であり、ねじれの位置における最も接近したわずかな一瞬だった。さらに3台以上というケースはまれで、その中でも先導する事が多かった。

「他人の立てた計画に、(良い意味で)何も考えずついていく旅とはどんなものだろう?」
「誰かと走ることにより、通った事のある道にも新たな何かを見つける事が出来るのではないか?」

 その夜、2-3年前より頻繁に訪れている日々の巡回ブログの掲示板を初めてクリックすると、メンバーの方が企画されたツーリングの書き込みが・・・。

「阿蘇らくだ山で地鶏を食べるツー。。。」

 北九州を拠点とするメンバーの方々が多く、複数の集合ポイントと経由地、さらに時間的な制約を考えると、ほぼ直線的なルートになるだろう。つい2ヶ月前通ったばかりの道に、今まで見たことも無い光景が広がっているに違いない。前を走るライダー達という。。。


May.3 ホボロ島遠望〜吉名・赤崎

 高速道路の渋滞状況を少し体験して、何があるわけでも無い先端ポイントを目指す。恐らく一般道も快走できないはず。面白いカフェなど発見できたら儲けもののスロークルージングツアー。時間と天気が許せば、反転してログ茶房「花みずき」もあり。

 実走ルートは、虫に食べられて消えつつある「ホボロ島」を横目に、先端ポイント赤崎。
 誰もいない寂しい所ながら、小高い岩の頂上から安芸灘の島々を見渡せる絶景。豊島・豊浜大橋も確認できる。また来る可能性大。カフェの時間はとれず。。。

御柱WEB、5年ぶりの更新
 目当ての木落しは4月の2週にわたって行われるらしく、GWよりプランを組みやすい。上社、下社、どちらがすごいのだろうか?
http://www.onbashira.jp/

4

Apr.22 フェアウェル・メンテナンス

 まず再びタンクを下ろし、先日付けたばかりのバッテリーチャージ配線とETC配線を取り外す。登録と整備を完了した次車は自走で取りに行くので、最後の出撃のための充電。
 前に書いたとおり、買い替えが決定してもしばらく乗るつもりでいた。しかし、気温の上昇に伴いとても乗れる状態ではない事がわかった上、代金を払ってショップに置いて貰うのも変な話だ。少しでも山のあるタイヤを確保したいという店側の思惑もあったに違いない。
 オイル交換はしたばかりだが、他車に流用できないオイルフィルターはともかく、最後のはなむけ的意味合いもあった。
 続いて汚れの目立つリアまわりを拭き掃除。リアボックス内の追加工具も取り出した。2月に貼った交通安全お守りステッカーもはがす。ここでランチの予定がありひとまず中断。

 戻ってからPCを立ち上げると、見慣れないアドレスからメールが入っていた。。。それはなんとN君の友人W君。このマシンの前オーナーだ。1,000キロ以上離れた福島にも惜別の思いを抱く人がいた事に感動。自分だけのマシンではなかった。
 3時間ほど充電したバッテリーをセットし、タンク取り付け、メーター上のデジタル時計を取り外した。さらにリザーブに入るまでガソリンを抜き、RMXとジムニーに振り分けた。戻ってくる事の無い、片道だけのガソリン。あの「大和」を思い出さずにはいられない。この辺りから強い寂しさを覚え始めた。
 晴れの日も雨の日も、昼も夜も、車とすらすれ違うことの無い真冬の闇も切り裂いてきた。何より、ともに今現在まで無事帰って来れた事が全て。頬を伝いこそしないが、涙目になっていく自分に気付いた。

(おいおい、ヤツは物だぜ・・・。)

 だがもう否定はしない。何でもない道端の風景や、出会った人たちの顔がぐるぐると浮かんでは消える。間違いなく“こいつ”と一緒に見た風景。神々と桜の道が最後の旅。万感の想いを込めて、タンクを二度叩いた。

「ありがとう。。。」

♪The Eagles "Desperado"


Apr.19 センチメンタルジャーニー

「使い古された言葉だが、まるで走馬灯のように旅先での一場面がよみがえって来た。。。」

 最後の更新にあったように、バッテリーから端子を取り出し、タンクを外す事なくバッテリーチャージをできるようにした。さらにFブレーキマスターシリンダにサーモスタットから引っ張った端子を固定し、ラジエーターファンのオンオフ。正直なところ、苦笑せざるを得ない措置である事は確かだ。
 さらに気温の上がった今日。信号の度に跳ね上がる水温に注意しながらファンを回すが、同時に消費する電力にも注意しないといけない。

(これからの季節は無理だ・・・。)

 あれから修理・車検、新車、中古車の検討をしてきた。そして今日、まさに新しい相棒となる中古車の契約のための出撃。それは同時に'93 ZZ-R 1100 D1との別れを意味していた。。。

 出会いは00年夏、北海道は道々106号。さらにさかのぼる事9年前、91年に見たなんでもない道端の風景を探していたこの道で、やはり同じ場所を7年ぶりに探していた福島のカブ旅人N君と出会う。通りかかったチャリダーMIZUも加わり、危険な道端で話しは盛り上がった。
 そのまま場所を稚内森林公園キャンプ場に移して数日を過ごし、旅の無事を祈り別れた。ここまではよくある事だが、運命的な出会いはその2週間後だった。

「サロマ湖へ向かう道で見たN君の後ろ姿。」

 その後、北海道でともに行動し、福島、そして地元広島でも再会を果たす。さらにお互いの中間地点での合流ツーリング第一回和歌山。
 オフロード2ストクォーターでの長距離旅のきつさを初めて感じ(遅い?)、軽快にワインディングを切り返すN君の後ろ姿(Ninja ZX-11 C2?3?)をうらやましく思った。「ダートを走れない乗り物に興味は無い。」と豪語していた自分が、オンロードに目覚めた瞬間だった。
 その一ヵ月後、福島から一本の電話・・・。
「友達がZZ-Rを売ろうとしてるんですが・・・。」
 当時勤務していた仕事が夜勤という事もあり、1週間で取得した大型免許を手に、わずか数日後には福島に向かうJRに乗っていた。
 その後の旅履歴は別ページの通り。19,000キロで譲り受け、4年半経過した現在69,000キロ。通勤には使用せず、旅のみで刻んだ50,000キロ全てが素晴らしい場面の連続だった。
 代車の申し出を断り、どこかすいている道を流して帰ろうかと思ったが、やはりこの状態では厳しい。真っ直ぐ家路へと向かった山陽道・奥谷PA。缶コーヒーを片手にしみじみとパートナーを見つめる。。。

(嫌いになったわけではないのに別れなければならない恋人みたいだ・・・。)

「バイクは機械!」
 単なる道具であるバイクを擬人化するナンセンスを書いた事があるが、それは間違いだったと認めざるを得ない。近日中に訪れる別れに直面し感じる。

「ピノキオ」は、いま「人間」になった。。。長い間ありがとう!


Apr.7 転んでもタダでは起きない。

 失意のどん底から冷静に分析を開始。まず、今回松江から帰った時点でオイル交換時期となり、すでにオイルとオイルフィルターを購入済み。1月に換えたばかりのリアタイヤはまだ3,000キロ。フロントが7,000キロのためほぼ同時期に限界が来る。車検までジャスト3ヶ月。
 買い換えるにしても、治すにしても、中古を待つにしても、この3ヶ月で上記消耗品を使い切りたい。ここぞというタイミングで今月末カワサキ試乗会。ZZR1400、DAEG、Z1000、ZX-10Rを乗り比べ、もう一度、圧倒的パワーを手に入れるか?ネイキッドで我慢できるか判断。そしてこの3ヶ月をどうするか?
 サーモスタットにつながっているファンスイッチのギボシをフロントパネルまで持ってきて短絡。水温計を見て、信号待ちなどでオンオフできるようにする。乗り換えもありなのでお金をかけず、ギボシを抜き差し。(いよいよのポンコツアイデアに自分でも苦笑。)
 満タン30キロ以上にもなるタンクをはずさないと姿を見せないバッテリー。コイツから充電用コードを取り出し、タンクを下ろさずに出撃前日にチャージャーでフル充電。ヘッドライトを使う夜は走らない。万が一のお手上げを想定して、去年のような半径100キロ以内の近距離でプランニングする。さて未来はあるか・・・。


Apr.7 あっけない幕切れ。

 ZZ-Rが終わってしまった。。。
 市内の所要で乗り出す。例によって押しがけ4回でスタート。RMXでの行動範囲だが、整備のため出来るだけタンクを軽くしたいという思惑もあった。
 日曜の最後に水温計が上がりすぎていたのが気になり注意していると、信号待ちでみるみるレッドゾーンまで上がっていく。慌てて路肩に止め下を見ると、緑のクーラントをぶちまけ始めていた。

(おいおい!)

 再度の押しがけを危惧しながらもすぐにエンジンを止め、フューズボックスを開けた。以前このケースでファンのフューズが切れていたことがあり、スペアに換える事で復旧したが・・・。取り外してみても切れている様子はない。サーモスタットがいかれたか?
 今日済ませておきたい用だったので、極力信号を回避して止まらず、風の当たるように走った。本来なら信号待ちでのエンジン停止も一つの手段だが、再スタートできないとさらに厄介な事になる。
 無事用も済ませ、そのまま行きつけのショップに持ち込んだ。。。派手な緑液ぶちまけは、やはりサーモスタット。しかし、深刻なのは電気系の方だった。
 バッテリーは使用2年。死ぬにはまだ早い。テスターで充電状況を調べてもらうと、見事に針が振れなかった。

(終わった。)

 サーモスタット、ジェネレーター、7月の車検で前後スプロケとチェーン、フロントステムベアリングでトータル概算20万円。
 新車の乗り出し価格を聞いて帰ったものの、宝くじが当たった訳ではないし、中古のタマも巡りあわせに頼るのみ。修理を断念したわけではないが、16年めの車体のこれからを考えると。。。死刑宣告を受けた感じ。


Apr.5 続・神々の海・大根島〜一畑口〜北浜〜三刀屋桜並木(2008.4.5 神々の海
スタート前
 週間予報では雨だった今日が晴れに変わった。計画していた大根島花見を実行しようと昨年を読み返すと、まったく同じ日付に驚く。
 去年時間切れになった海沿いルートを一畑口から再開。帰りは三刀屋の桜並木を見られればベスト。



 朝の時点で曇り。大根島・大塚山ライブカメラでは桜が満開。来週では手遅れになると判断しスタート。

 「ギュルルル・・・」の1回で力尽きる。5-6回の押しがけトライでエンジン始動。体の中からポカポカ。時間は9時半を回っていた。

 出発が遅れたため久々の160巡航。高田ICを過ぎて、先の走行車線に怪しい白のセダンを確認。それを先頭に2-3台が続いている。120まで減速し、横に並んで追い越し車線から中を確認すると青服二人。ヘルメットはかぶっていないように見えた。
(危ない危ない・・・)
 90まで落としたが、覆面と併走する形となり、後続車が来たので仕方なく覆面の前に出た。しばらくこの状態が続いたが、覆面が速度を上げ追い越していく。距離を開け追走するが、江の川PAに消えていった。
 「移動オービス速度取締り中」の路肩表示にもあるとおり、この区間は覆面がよく出没するので要注意。

 七塚原SAで1区間ツーリング中のCBRとホーネットの二人と雑談。詳しく聞かなかったが、福山からの彼らがこのSAにいるという事は、山陽道〜中国道〜岡山道、400-500キロの周回か?
 実際にやろうと思った事は無いが、広島以西でも山陽道〜中国道で可能。距離もお手頃だが、普段から高速を多用するのでガソリンのムダかも。
 素朴な疑問。例えば五日市ICから山口JCTをUターンして中国道上りに入り、広島北JCTを経由して再び五日市で降りると料金はどうなるのだろう?経路検索に入力してもエラーになるだけ。どちらにしても、スピードの出るバイクや車に乗らない人には意味不明な行動だろう。。。

 庄原ICでの料金表示は1,000円。五日市-庄原区間距離86.4kmのため、厳密には「高速1,000円」ではない。しかし、通勤割引や以前の休日昼間割引と違い、カードチェンジ無し、出入り時間や区間距離をまったく気にしなくていいのはかなり大きい。ちなみに帰りの三次-西風新都間も750円で半額適用。安すぎる。

 R183は飽きたのでR432へ。見逃しで少し行き過ぎた後、引き返して県110に入った。1車線のクネクネ狭路だがどこか憎めない道。俵原越以南は渓流に沿ったのどかな雰囲気。峠以北の路面はウェット落ち葉で気が抜けないが、展望が素晴らしく、高低差を意識するダイナミックな風景が続く。

 亀嵩駅扇屋。今回特に予定していなかったが、ちょうど昼時と重なったため足を伸ばす事に。日曜という事もあって店内は混雑、こちらが席に付いた所で満席となり、その後2-3組が待っていた。
 カウンターが無いので4人がけテーブルを1人で占拠し、落ち着かないのでさっさと食べて出た。

 大根島。2本の海中道路で中海に浮かぶ大好きな場所のひとつ。ライブカメラビューワにプリセットしてあって、つい先ほどまでPC画面で見ていた場所に実際に立っているのが不思議でならない。
 桜はわずかにつぼみが残っていて八分から九分咲きというところ。少し強い風に、咲いたものも散り始めている。駐車場はいっぱいだが入れ替わりは早い。ぼたん祭りは4/20からだそう。
 風に揺れる桜を空に透かして見ていると時間を忘れそう。すでに時計は14時半を回っている。

 日本海へ。

 県23。一畑口から一畑薬師に至る上りは、直線の爆走ルート。01年参拝した一畑薬師はスルーした辺りから一気に道が狭くなる。
(山陰の中の山陰だ。。。)

 海岸線にたどり着き見下ろした小伊津の集落に息を呑んだ。
(すごい!)
 港まで一気に下る斜面に広がる甍の波。一見無秩序に建てられた家々だが、混沌の中にもどこか秩序があるような気もする。ある光景が瞬間的によみがえってきた。
 端島のペントハウス、職員住宅屋上から潮降街方向を見下ろした光景。計画性があるようでないような、ないようであるような。。。

 県道から分かれた旧道に入った頃から風力発電のプロペラが見え始めた。景観論争で話題になった風車群だ。こちらも無秩序に作られたようで、実際は風の強い場所に計画されているのだろう。
 日御碕までわずかな距離を残し日没サスペンデッド。この続きはまた来年の同じ時期に取り置きという事で。

 美保関から日御碕に至る北海岸ルートは、ゆっくりと風景のみを楽しめる人には絶対おすすめの道。スピードの出せる快走路は少ないが、かしこまった「ツーリング」ではなく、「バイクで流す」という感覚を取り戻せる。
 断崖の狭路と、現れては消える集落に、思わず路肩によせ見とれるというポイント多数。「桜」が大きな役割となっているのも捨てがたい。地図に頼らず、感覚的に海へ向かう道に折れると、何かに出会えるかも。。。

 一畑電鉄武志駅。帰り道自分の名前のついた駅を見つけ思わず寄り道。何でもないローカルな駅だった。

 斐伊川に沿って走る県26を延々と走りたどり着いたのが最終目的地、三刀屋桜並木。太陽は落ち、どんどん暗くなっていく薄暮の時間帯だったが、逆にそれが幽玄さを醸し出していた。自分のいる土手、対岸の土手、斐伊川の川面に映る「逆さ桜並木」は圧巻。散り行くピンクの桜と入れ替わりに、変り種の「緑の桜」はこれから。

 素晴らしい日帰り旅に満足し近所で給油し再スタート。

「ギュル・・・」

 昼間は問題なかった。なるほど、ヘッドライトの消費電力に耐えられないという事か・・・。そうなると、ジェネレーターに問題がある可能性もあり遠出は恐い。出先で火が飛ばなくなったらお手上げだ。GS付近(平地)をグルグルと押しがけで疲労は倍増。正直給油にも迷いがあった。結果論だが、タンクが軽い状態で整備に備えるべきだった。最後の最後にケチが・・・。

「終わり悪ければ、全て悪し。。。」

3

Mar.29 岩国〜宮島SA

 前職でお世話になっていた岩国の美容室。会話も含めて通っていたが、しばらく近場癖がつき空いていた。先日その美容師先生も含めた食事会があり、久々に髪を切りに行く事に。カルテを確認してもらうと、前回は19年4月。実に2年行かなかった事になる。
 実際に切ってくれるのは、18の頃から知っている女の子。来月29になると聞いて驚いた。仕事柄色々な世代と会話をするため、とても物知りで面白い。
 行きは廿日市〜大竹間で高速を使い、帰りは高速1,000円の様子を偵察するため、同じ区間を宮島SAまで足を伸ばしてみた。。。

「ほんとに混んでる!」

 たまたま団体が重なったのかもしれないが、なんと回転の早い男子便所で小待ちの列。はじめて見た。
 駐車場はゼブラゾーンまでいっぱい。もちろん売店も混雑している。GWは仕事だが、仮に休みだとしても絶対避けたい。ちなみにバイクは3台のグループのみ。出掛けに大きいアメリカンが1台入ってきた。

 さてそれより。。。
 SAでセルを回すとエンジンがかからない。先日から書いている通り、バッテリーが弱っている。4-5回トライした所で息絶えた。

(よりによってここでかい・・・)

 SA偵察が目的で、元々ここで降りるつもりだったので、駐車場内を逆走しながら押しがけ。微妙な傾斜があり、一発でかかるも複雑な心境。そのまま宮島スマートで降りて一般道へ。
 さらに、
 家には必ず満タンで帰るためGSへ。この再スタートでもかからず、またも傾斜を利用しての押しがけ。近々ドッグ入りか?


Mar.25 平尾台〜yaccoさんとランチ〜阿蘇〜熊本ラーメン「黒亭」

 トップイメージは今号OUTRIDERにも乗っている阿蘇ミルクロード支線の絶景。左上が草千里辺りで、わずかに米塚の下部分が見える。
「一日何百キロ走った!」とかいう自慢話はナンセンスだが、日帰り854キロはさすがに濃い。体力復活に木金の2日を要した。もちろん仕事しながら・・・。

4:20...深夜割引に乗るため2:30にセットした目覚ましは、すでに過去のものとなっていた。自分で止めたかオンし忘れたかは不明。
 衛星画像では山口に雨雲がかかっている。西での晴れは確実なため、この対向する雲とすれ違えば問題ない。この時点で阿蘇は難しいと判断、とりあえず平尾台を第一目的地とした。

6:30...スタート。夜明けのグラデーションどころではなく、完全に日が昇っていた。
 通勤割引となったため、阿蘇の可能性も残しつつカード4枚持参。防府で1回目のカードチェンジ。予想された雨はシールドにポツポツ程度。レインウエアを着る事なく回避。ルートを再検索するべく、晴れ間の見え始めた壇ノ浦PAに入った。
 時計は9:00前。門司で降りてカードをもう1枚使うとしても鳥栖まで。やはりまず平尾台を目指し、ゆっくりと大休憩を取った。

9:10...気分を変えて、普段あまり使わない出口専用の門司港ICから降りる。初めてではないと思うが、ブースまでの長いトンネルが少し新鮮。さらに走りなれた県25に折れず、県71で峠越え。

10:10...平尾台吹上峠到着。いつでも来れると先送りし続けてきた場所のひとつで今回が初めて。訪れるきっかけをつくってくれた北九州のyaccoさんにメール。送信後、近くの自然の郷に移動。

10:50...平日のためyaccoさんは仕事。またの再会と、昼御飯にいい所はないかを問うメールを送信後、再スタート。

11:10...平地に出てメールチェックすると、彼女の仕事は昼までという事が判明。せっかくなので、ランチお誘いメールを送信後、県64をR322方面へ南下。

12:00...R322に出る交差点で携帯を開くと、メールは入っていなかった。またの再会を約束するメールを打っている最中に返信が入ってきた。
「14時から予定があるけどOK。待ち合わせは北九州空港では?」
 正直5分悩んだ。北九州空港は、関空や長崎と同じく埋め立て地の海上空港。一度行ってみたいと思っていたが、移動時間と14時までの時間制限を考慮した場合、ランチの時間をゆっくり取れない。さらに平尾台での再ルーティングにより、阿蘇、九重、長湯の3ルートを候補にしていた。まったく逆方向だ。
(今年のコンセプトは人を訪ねる旅。何事も次回があるかわからない。今出来る事は今やるべき。)
 ここ1年での思考の変化、さらに再会するならこのまよっている時間そのものがもったいない。決断し電話。
 少しでも時間を取るため、小回りの利くこちらが近くまで移動。この街並みが彼女にとっては日常、こちらにとっては見知らぬ風景である事に不思議な気分になる。
 車での先導で、デル・ジョルノ・イタリアという生パスタのお店に入った。もちもちの生パスタがおいしい、なかなかのお店。
 わずか1時間程度だったが、あの交差点でそのまま南下するより、8ヶ月ぶりの再会を選んだ事に間違いはなかった。12:00の段階で彼女からのメールがあと3分遅かったら、すでに走り出しこの時間はなかったはずだ。
「次回はバイクで会おう!」

14:00...とりあえず日田に向かい、クルーズモードで国道ルートを取った。主要道を単独で飛ばすのは危険ということもあるが、本当の理由は左右に流れていくピンク。1年にわずか2週間ばかりのピンクをスルーし、コーナーの先だけを見ているのは愚かな行為だ。ただ走っているだけで癒される時間。

 日田に入る。すでに目的地は決まっていた。ツーリング雑誌「OUTRIDER」今号。阿蘇ライダーハウスの特集と編集後記にあるあの風景。
 yaccoさんと別れた時まで把握していた時系列での表記が出来ない。流れていくピンクに目を奪われ、時計を見た記憶が無いからだ。
 一度だけしびれた瞬間があった。R212、正確な位置は忘れたが、大山付近?対向トラックのパッシングにスローダウンして走る事すぐ、道端にレーダーが。警官は少しはなれた木の陰に隠れていた。クルーズモードとはいっても70キロ以上は出ていたはずで、もし教えてもらっていなかったらやられていたかもしれない。御飯をおごりたいくらい感謝。
 オートポリスを通過し、ミルクロードに入った。ライダー、いや観光客を含めた全ての旅人にとってため息の出る絶景。文字や写真で伝える事など絶対に出来ない、その場に立つしか見る事の出来ない風景。
 かぶと岩展望所でワンストップのあと目的地探索に。すぐに分岐を見つけたが、通行止めの表示。工事箇所はかなり下で、まよわず進入した。

「あ〜・・・。」

 14:00からここへ向かう事に無理があることはわかっていた。休みは今日だけ。もちろん明日は仕事だ。帰りの困難を全て差し引いてもあまりある光景。
 正面には噴煙を上げる阿蘇中岳。その下には特徴のある米塚。まるでミニチュア写真のような田園が広がっているが、たくさんのミニカーが動いている事で、それが静止画ではないという事が認識できる。身体を持っていかれそうな寒風も込みで。。。
 眼下のヘアピンの連続を何とか写真に切り取れないかと、ドン・キホーテのごとく立ち向かうがこの程度。文字による説明は意味が無いのでこの辺りで・・・。

 背後に連なる外輪山に太陽が落ち始める頃、はじめて時間を意識した。ここまで来たら五十歩百歩。「黒亭」のラーメンを食べずして帰れない。

18:00...ヘアピンを下り始めた。ふもと付近の公園に、またもキレイな桜が咲き乱れている。工事箇所はダートとなっていたが、時間的に作業は終わっており、バリケードも開いていた。

19:00過ぎ...肥後大津付近で道に迷った。珍しく地図を確認せず適当に走っていると、街灯にライトアップされた長く素晴らしい桜並木に出会う。帰宅してから調べてみると、ホンダ2輪熊本工場の付近。この工場の空撮写真を見ると、各ジャンルのテストコースを網羅した広大な敷地があり、出来る事なら見学してみたかった。

20:15...2年ぶりの熊本ラーメン「黒亭」。大盛りラーメンと中ライス。相変わらずおいしい。

20:45...家に向けてスタート。

21:15...植木ICから高速へ。巡航速度を取締りを気にせず無心で走れる110に設定。取り締まりというよりは、単純にこれ以上出すと寒い。この時点で1:00過ぎには帰れると見込んでいた。広川SA、キレイになった古賀SAのトイレの温水がうれしい。
 本州に入ってから、路肩温度計がついに氷点下1℃を表示。その頃からパワーが出なくなった。ふと水温計に目をやると左端のまま。
(オーバークールだ!)
 美東SAに緊急退避。SA内に入りクラッチを握っていると、エンジンがストップした。驚いたのは同じように暖を取っていたバイクが一台いた事。それも女の子。こちらの厳寒装備でも寒いのに、あれじゃ寒くて走れないだろう。
 ファンが回るまで水温を上げ再スタートするが、巡航110ではすぐにオーバークールになるため、90に下げ下松SAまで。すると、美東で先行してスタートしていたバイクの女の子もいた。(笑)
 ルーティーンの給油も済ませ家路に。低速巡航とSAごとの大休憩がたたり、結局家に着いたのは4:30。布団に入ったのが5:00。起床は6:00。仕事はなんとかこなしたが、その晩早く寝たのは云うまでもない。それでも思い出すのはyaccoさんと阿蘇の絶景。


Mar.24 行き先は気分しだい。
 昨年の燃え尽き感から脱しつつあり、久々の長距離モードにあては無し。山陰の桜はまだ早いし明日は雨。天気予報とグーグルマップをドラッグしながら思い当たっているのは岡山・犬島と日帰り九州。ウエイトは徐々に九州にかたむきつつある。
 明日は冷え込むという予報。ピンと張りつめた空気の中で、最も闇が深い時間から日の出へのグラデーションを見てみたい。そうなると東向き。。。
 九州なら平尾台、阿蘇、熊本・山幸釜、バルーンで知り合った北九州八幡のN夫妻を、ダメ元サプライズ訪問ほか、ネタはいくらでもある。起きてから考えよう。いや、高速に乗ってから考えよう。。。

 バッテリー(まだ2年)が弱ったか?充電能力が低下したか?暖機でエンジンをストップさせるとセルを回す力が残っていない。300キロの車体を押しがけする今日この頃。


Mar.17 快走県道巡り〜道の駅グリーンロード大和〜宇都井駅

13:30スタート。この時点で目的地は三瓶〜湯抱(ゆがかえ)温泉。

13:45。大塚付近で青信号ダッシュから単独走行(メーター見てないが90キロ前後。)していると、左脇から白バイがスクランブル。瞬時に減速して走行車線の車列に入ると、すぐに諦めてUターンしていった。

R261鈴張。前4台の流れに付いていると、知らないうちに12Rが後ろに。黄色車線なので行かせると、あっという間に消えていった。白車線になり猛追すると、しばらくして前車に詰まっていた。どんな走りをするか付いていけばよかったと少し後悔。

県道6号。栗屋峠のループは結構なスピードでバンク出来て楽しい。

県道55号の峠越え東側を除けば、概ね片側一車線でかなりの快走が出来る。

道の駅グリーンロード大和。三瓶・湯抱はここで時間切れと判断し折り返す。ベンチで休憩していると一匹の野良猫が寄ってきてエサをねだる。日向ぼっこのついでか、かなりの時間そばにいたが、そのうちどこかへ消えて行った。

県道292号、JR三江線宇都井駅。今日のメイン。鉄道の高架を通り過ぎた時、何気なくその支柱を見ると階段になっている。入り口には「宇都井駅」の表示。
(ナニコレ?)
 すぐに引き返した。偶然通りかかっただけで、駅名も聞いた事がないし、もちろん鉄ちゃんでもない。
 バイクを降りて登っていくと結構な高さ。エレベーターも付いてなく、高齢者や車椅子では厳しそうだ。券売機も何も無いペントハウス?で時刻表を確認すると、一日4往復しかない。
 ホームに出てみた。駅名の看板だけが立つ短いホームだが高所のため素晴らしい景色。左右はすぐにトンネルとなっている。
 再びペントハウス(駅舎)に戻り、時刻表をよく見てみると、あと20分で三次行きの列車が来る。せっかくなので待つ事にした。
 地元小学生が作成したパンフを頂いて詳しく読む。ケースには10冊目になる足跡帳。
「2009年3月17日、バイクでたまたま通りかかり、思わず上へ。一期一会。」と書き込んだ。
 駅名表示にもたれかかり、いつ来るかワクワクドキドキ。予定時刻になり、放送も何も無いままトンネルの壁がライトに照らされはじめた。
「来た!」
 ホームには自分以外誰もいない。到着したのは一両編成ワンマンのディーゼル車だが、運転席横には見習いか?車掌か?もしくは有人駅で勤務を終えた帰りか?もう一人制服が立っている。バスではないし、乗降がなくても止まるのだろうが、運転手に手を振って乗らないという意思を伝えた。
 乗客は4人。そのうちの2人が席を立って後部に移動し、車窓越しに写真を撮っている。
(半分が鉄ちゃんかい?)苦笑。
 本当はホームに立ちたいのかもしれないが、降りると2-3時間待ちの最終。仕方がない。放送も発車のベルも無いままドアを閉じた車両は、静かにトンネルに消えて行った。。。面白い出会い。
 下に降りて地図を確認すると、本来ならすぐ手前の三叉路を左折するはずで、もし間違えなければこの駅には気付かなかった。まさに一期一会。

県道4号。工事の迂回路で路線バスに付きかなりの時間走ったが、再び工事開始箇所に出て目が点になった。こんな間違いも珍しい。キツネにつままれたようだ。
 もう一つ。口羽の中心部でお味噌屋さんを発見。引き返そうかと気持ちが揺れたが、暗くなり始めていたのでスルー。次回は必ず。

 という訳で、近くを通るなら宇都井駅はおすすめ。パンフレット曰く、「天空の駅」との事。


Mar.1 第7回エディション展〜温泉津温泉
11:00...知り合いの知り合いが主催する写真展へ。このサイト初期に相互リンクしていただいていた。結構な年月が経過しているが、実際に会うのは今回が初めて。久しぶりにモノクロプリントを見た。

高田トシユキPhoto Gallery チャンネルT.T http://www1.linkclub.or.jp/~takata7/

14:00...自宅スタート。江津まで高速を使用。寒曳山で休憩ワンストップ。
15:30...温泉津到着後すぐに薬師湯へ。1時間ほど湯船を出たり入ったりしてゆっくり。
16:30...3階テラスにてサービスのコーヒーをいただきながら風に当たる。番台の奥さんとしばし談笑。
17:00...行きと同じ経路で帰路に。
18:40...無事帰宅。。。

 行き帰りの道程が先日書いたC.P.E.Bachの話そのままで、頭の中でチェンバロ協奏曲が鳴り響いていた。
 温泉津の泉質が日本有数なのは温泉好きには知られるところだが、入ったあと肌がバリバリになる塩素が入った都市近郊の健康ランド、もしくはペーハーの高い源泉に比べ、桁違いにしっとりしている。湯船も決して広くなく、5-6人入ればいっぱい。もちろん露天も無いが、1年半近くも間を開けてしまったことを後悔せずにはいられない。次回一泊でのプランもありか?
 帰路、県境越えでは寒風にさらされたが、今現在も保湿クリームを塗った後のようにしっとり。さらに、2ヶ月経った今もシャツに残る別府の香りも手伝い、温泉の素晴らしさをあらためて感じる一日となった。
 高速代往復2,200円。薬師湯300円。無料のコーヒー2杯。わずか4時間半、往復270キロの中に凝縮された贅沢な温泉旅。射程圏内の方は世界遺産「石見銀山」も絡めて是非!広島市中心部からは2時間をみておいた方がいいかも。1時間半というのは、ここには書けないスピードのため参考まで。
 
2

Feb.25
 さっき聴いていたグリーグ作曲「ペールギュント」。人の名前だという事は知っていたが、どういう人なのかを調べていて拍子抜けした。お世辞にも褒められるような人物ではないし、旋律と物語がどうにも結びつかない。
 ただ、死ぬまでの半生を描いているという点は興味深いし、好き勝手な放浪人生は、とても真似出来ない豪快さがある。
 ところが、ストーリーを知ってから聴いていくうちに、なんとなく想像できるようになってきた。昔のドラゴンクエスト、2だったか、3だったか?役立たずのくせして連れて行ってしまうキャラ「遊び人」。
 9曲目と11曲目だけに入るソプラノが際立つ。かつて置き去りにした恋人ソールヴェイに見守られながら逝くペールが、破天荒な人生の最後に考えた事はなんだったのだろう。

 ちなみにこのCD。ただのCDではない。90年代後半、母親が北欧ツアーに行った際、ノルウェーのベルゲンにあるグリーグミュージアムで実際に買ってきたもので、演奏も地元オーケストラ。ジャケットには小さいが小奇麗な家が写っている。母の話だとこれがグリーグミュージアムらしい。
 北欧は行ってみたい外国の上位にランクする。持っているCDの中でも、北欧メタルの占める割合は非常に高いし、なんといっても世界最大の露天風呂ブルーラグーン(アイスランド)は、露天好きには夢の中の夢。


Feb.22 Silence...

 表紙絵はしばらくお休み。お約束の長崎・坂本国際墓地で。

 頻繁に更新しているのが”Silence“。実際、その日聴いた音をただ羅列しているだけで、他人がなにを聴いてるかなんてどうでもいい事だが、このページにバラエティを持たせるため昔からずっと気になっていたアーティスト、カセットテープ・MDしか残っていない音源を再購入&レンタル・・・。はじめて2ヶ月近く経過するが、幅広いジャンルに興味を持てる事をとても幸せに思う。
 音楽というのは面白い。時間帯、気分、体調、予定・・・、その時々において聴きたいものが変わってくる。朝、出掛けに聴くワーグナーの序曲集は、「今日も一日頑張るぞ!」という気分にさせてくれるし、ジャズは夜、タングステンの光がよく似合う。休みの日、一日家にいるときなどは、アルバムのつながりでその日の気分の移り変わりを推測する事が出来る。
 音の中には旅も見い出せる。もう15年以上前に買ったCD、大好きなカール・フィリップ・エマニュエル・バッハのチェンバロ協奏曲。ヨハン・セバスチャン・バッハの息子が、300年も前に作った曲。
第一楽章:ZZ-Rに乗って、青空のもとに繰り出す。きれいな田園風景が左右に流れていく・・・。
第二楽章:向かう先の空にどんよりとした雲が。細い渓流に沿った谷あいの県道。霧雨を避け、木立の中を走り抜けていく。。。
第三楽章:雨が止んだ。海沿いの崖を縫うように走る一本道。崖下には小さな集落が点在し、沖には船が浮かんでいる。いつしか辺りは青から赤へ。視線を海に移すと、太陽に向かって一直線に伸びる夕日の道が続いていた。。。
 氷雨の今日だが、書いてるだけでエンジンをスタートさせたくなってきた。

 何度聴いても鳥肌の立つ2曲。

Gerardina Trovato & Andrea Bocelli - Vivere
 鳥肌ポイントはボチェッリの歌い出し。コーラスでは主旋律のジェラルディーナ・トロバートの裏で泳ぎまくる。

Just Show Me How To Love You
 ウィスパーヴォイスからオペラヴォイスまで、変幻自在に操るディーバ、サラ・ブライトマン。彼女と対等に渡り合うホセ・クーラも素晴らしい。鳥肌ポイントはやはり二人同時に歌うコーラス。


Feb.15 津和野「ポンム・スフレ」 & 葛飾北斎美術館
 11:30スタート。ETCマイレージの締め切りが2/20のため、遠回りでも高速を利用。この時点で500ポイント貯まれば4,000円と勘違いしていた。カード#3があと40で500ポイント。そのため、2,000円走って4,000円を得る予定だったのだが。。。ちなみに・・・、カード#1、#4は今期ほとんど使用しなかったので流れる。カード#2が1,005ポイント貯まっていて、いつでも8,000円に還元できる状態。
(帰って調べたところ、4,000円走行は600ポイントと知ってガックリ。とりあえず3月末で消える分だけを使って500円に還元。)

 中国道、戸河内〜六日市。路肩にはかなりの残雪が残っているが、路面は完全にドライ。交通量は非常に少ない。吉和インターのGSが昨年11月で潰れていた。昼前ににも関わらずクルマは7-8台しかおらず、有人SAとしての存続も怪しい気がする。
 六日市で高速を降りてからは走りなれた道を快走。ポンム・スフレに到着したのは13:00過ぎだった。さすがに山間部という事で真冬仕様で出たが、予想を上回る気温に汗をかくほど。よほど暑そうに見えたのか、奥さんが窓を開けてくれたが、それでも足りず店の中でオーバーパンツを脱いだ。ブーツを脱ぎ、ズボンを下ろす行為は、店内では少し恥ずかしい。。。
 お店ではメニューが少し変わっていた。連れの男性や、年配の方の好みに合わせるためライスものを増やしたそうで、それに答えるべくたのんでみようかと思ったが、やはりイタリアンはパン。さらにいつものパスタではなく、まと鯛のムニエルをメインにした「メインランチ」を注文。これにプチデザートをつけて1,700円。
 高速を使い、150キロも走ってたどり着く、違った意味で豪華なランチだが、シェフご夫妻との会話や、このくつろぎの空間を含めたトータルで考えると、決して高いものではない。
 スープの一口目。一瞬、(うす味・・・?)と感じたが、すぐに撤回。最近行った店は濃い味が多く、むしろ新鮮ですらある。具だくさんでボリュームのあるスープに、また来てよかったといきなりノックアウトされた。
 メインのまと鯛(まとう鯛)のムニエル。カリカリに焦げ目のついたクリスピーな皮と、肉厚で味のしみ込んだ鯛に、癖の無い手作りのタルタルソースを乗せ食べる。タルタルソースは普段あまり付ける事がないが、拭き取るくらいきれいに頂いた。付け合せの野菜の固さも絶妙。
 食後、紅茶(アールグレイ?)とプチデザートが運ばれてきた。半分ほど砂糖を入れかき混ぜる。まだ回転している紅茶に端からそっとミルクを注ぐと、数秒間だけ現れるマーブル模様。やさしい時間だ。。。
 しばらくすると、奥さんが注文していないチョコレートトリュフを一つ、テーブルに置いてくれた。
「いつもありがとうございます!」
 たとえこのサービスがなくても、この味だけでまた来ます。

 スタート前の天気予報では午後から曇り。奥さんの話では、夜には雪になるとの事。ふと気がつくと、お店に入った時差し込んでいた日差しがなくなっている。地図とにらめっこして、帰りは同じ道ではなくスピードの出そうな県道をつなぎ、途中岩国と宮島口の知り合いに会ってから帰ることに決定。そうと決まれば即行動だ。
 目的の葛飾北斎美術館だが、点数が少なく、特に印象の残ったものはなかった。ただ、風景画に登場するたくさんの町人。当時の生活はどのようなものだったのだろう?あの中の誰かが自分の先祖と関わりのある人物だったかもしれない。たった200-250年前の事。それほど遠い昔ではない。

 帰りの県道3北側はかなりの快走路だった。続くR315もなかなかの道だが、国道は黄色車線区間や、まさかのネズミ捕りが恐いし、前車に詰まる事も多い。
 久しぶりのZZ-R中距離旅に満足し、無事岩国に到着。2年近くあっていない知り合いに手土産でも持っていこうと、錦月堂で「ブルーベリークーヘン」を購入し出ようとした時、ビッグトラブルが発生した。
(バッテリーが弱い!)
 泣きの一回も空しく、完全に死んでしまった。。。
(何故だ?)
 まず、ヒューズボックスを開けて、ヒューズをチェック。以前同じ症状で、ラジエーターファンのヒューズが切れていたことがあった。
(特に異常は無い・・・。とにかくここでは何も出来ない。)
 岩国郵便局裏の広い駐車場に移動した。
(弱っていたがセルは回った。できる事は押しがけしかない。)
 すぐかかる事を前提にしているため、そのままの服装でトライすること数回。すぐに汗だくヨレヨレになった。100キロ以上で走っている状態を想定した装備で、当然の結果だった
 長袖T一枚になり、タンクバッグも下ろし、呼吸が落ち着くのを待って再開。300キロ近くある車体を、ある程度のスピードまでのせないといけない。もう完全に体力勝負だ。行っては帰るの往復を繰りかえした。
 ニュートラルからダッシュ!飛び乗った瞬間3速へ入れ、スタンディングから一気に座り、リア荷重したと同時にクラッチミート!
「ブォーン!!!」 
(かかった・・・。)
 「よっしゃ!」というよりは、「はぁ・・・」というため息まじりの終息だった。安定するまでスロットルをあおり、息と装備を整える。とりあえず・・・、かかったなら帰れる。。。
 手土産も買っていたので知り合いのお店まで行ってみたが、すでに閉まっていた。これはこれで納得。エンジンを切るのが嫌だったからだ。宮島口の知り合いも当然キャンセル。
 満タンでの車庫入りが基本なので、給油後、恐る恐るセルを回したが無事始動。内容的には良い日帰り旅が出来たが、妙な疲れの残った一日となった・・・。

 現在のインデックスイメージは2005/8/7、高知へ向かうために乗った中四国フェリー。少し前にも触れたが、この竹原-波方を結ぶ四国へのメイン航路がこの4月末を持って廃止。恐ろしく痛い!!!


Feb.12 '90 Meets '07 すごいぜ相棒!

 モンキータンクその後。
 2/2の夕方、名古屋のモンキー工場「早矢仕」に発注後、すぐにネットバンキングで振込み手続き。2/3朝イチの入金確認後、即発送してくれたようで、2/4水曜出勤前に届くというこれ以上は無理という迅速さ。納品書と一緒に、注意書きが添えられていた。
 養生用保護シールの取り方と、コックのナットを強く締め過ぎると、ガスケットをねじ切ってしまう事があるという内容。残念ながら、このガスケットねじ切りは数年前経験済みだが、感動したのはそれがすべて手書きだった事。あのぶっきらぼうさの中に、繊細な気遣いを感じた。また何かあればぜひお願いしたい。

 休みだった火曜午後、タンク装着、及びそれに伴うメンテナンスを敢行した。
 まず、現状のままでエンジンを暖め、オイルを排出。2,589キロ走行、19.47ヶ月ぶり。これは非常にまずい。常時高回転で消耗は激しい。引っ張り過ぎだ。おまけに前回はゾイル無添加。オイル交換のたびに、キャブ掃除を伴うので億劫になっていたのは確か。当然使用済みオイルは真っ黒。
 次に、古いタンクを取り外し、普段見えない部分を掃除。キャブを取り外して分解メンテへと続く。やはりフロートチャンバー内に結構な錆が流れてきていた。そのままシリンダへ送り込まれた錆の粒子が、オイルと一緒にエンジン内を巡り、リングとシリンダを磨き上げているかと思うとゾッとする。
 見て見ぬ振りをして、組み付けたキャブと新品のパワーフィルターを装着。同時にゾイル80mlを含んだ650mlの純正オイルHonda S9を注いだ。
 さらに、買い置きしておいた6Vバッテリー、最後にメインのニュータンクを乗せ作業は終了。ちなみに、バッテリーは完全に死んでいて、ヘッドライトを点灯しブレーキを踏んでいたら、ウインカーはほとんど点滅しないという危険な状態だった。

 さて、外観は大きく変貌。フロントマスクとタンクはバイクの顔だ。ゴールドのモンキーロゴから、シンプルなホンダウイングとなったニュータンクは、全体的に以前より落ち着いた印象に見えた。それでいて、大胆に光り輝くエンブレムに自然と頬が緩む。
 眺めるのはこれくらいにして、大事な行程へと進んだ。給油だ。旧タンクに2リットル近く残っているが、新品タンクに錆入りのガソリンなんてとんでもない。後でフィルターに通して、キャンピングストーブなどに流用するとして、空のタンクに給油するには押して行くしかない。
 行きつけのGSにてハイオクを満タンにした。75ccにボアアップしているため、生意気にもハイオク専用車だ。空のタンクには4.67リットル入った。キャブレター最終型12V車は満タン4.5との事で、これまでより500cc少ない。それでも距離に換算すると20キロ走行分に相当し、決して小さくはない。
 全ての状況は整った。つい昨日まで当たり前のようにしていたキックスタートが、とても新鮮に思える。色々な思いがよぎりつつ、右足を踏み下ろした。。。
(おー!)
 ニューフィルターとゾイルとの相乗効果か、アイドリングがかなり高い。吸気効率が上がり、エンジン内のフリクションロスが低減された証だ。調整には、なんとアイドリングスクリューを4分の1回転も緩める必要があった。整備記録を見てみると、フィルターも9,080キロ、4年近くも使っていて反省。正直、最近息も絶え絶えだった。人間に例えるならマスクをしてマラソンをするようなもので、かなり息が苦しかったに違いない。
 ギアを一速へ。(カツン!)
(おー、軽い!)
 クラッチをつなぐ。(グン!)
(おー、明らかにトルクがアップしている!)
 2速、3速、4速・・・(スコン、スコン)
(おー、メチャメチャ軽く入る!)
 同時に複雑な心境。まめにメンテしてればいつもこの状態か。。。この日は近所をぐるっと回ってオイルを温め、レベルを計っておしまい。恐らく、燃費も向上するはず。

 そして今日。初めて通勤で乗って出た。
(おー、素晴らしい。)
 ストレスなく吹け上がり、おととい感じたトルクアップを強く感じる。整備による状態の変化をこれほど体感できるのは、小排気量ならではだろう。
 くどいようだがカスタムにはまったく興味が無い。不具合による必然性が発生した場合に仕方なくやる事であって、整備そのものは好きではない。もちろんバイクそのものに人格を感じる事は無いし、名前も付けていない。ただ・・・、
(コイツだけは別だ。)
 19年連れ添った相棒。同じように年をとり、同じように衰えていく。だが、スクラップになるにはまだ早い。いつもより少しだけ新鮮な通勤の道を、快調に飛ばしていく。
 トンネルを出た下りの直線。先に、飛ばす普通乗用車を確認し、一気にスロットルを開けた。ノーマルメーターは60キロまでしかない。70キロ後半から80キロ前半位出ているのだろうか?針は目盛りを振り切りほぼ真下6時の位置、完全にオドメーターと重なっている。スロットルを緩めると同時に、強力なエンジンブレーキがかかり、ノーブレーキングでマシンを左に倒し込むと、一気に前車のテールランプが近づいて来た。
 一瞬クラッチを切って再びフルスロットル。みるみるうちに距離が詰まる。素早くミラーと目視で後方確認し、2車線をフルに使って右イン側へ。
(あともう少しだ。。。)
 すぐに左のイン側へ切り返す。このブラインドコーナーの先は、信号待ちの車が止まっている可能性がある。
(逃げられたか・・・。)
 スロットルを緩めると同時に我に返った。
(お守りステッカーを貼って、このライディングでは本末転倒だ。)
 原付で車を置き去りにする感覚は、大排気量とはまた違う。トンネル前の登りで譲った車を抜き返したくなる衝動に駆られ、ついつい暴走しがちだ。毎日の通勤の中で見い出す短いファンライドだが、もし路上で死ぬなら、リッターバイクではなく原付ではないかというのが近年感じている危惧。自制あるのみ。。。


Feb.8 節分祭・ログ茶房「花みずき」#5 & 『十五少年漂流記』

 昨年の節分祭。忘れられない嫌な思い出があった。
 名前と歳を書き込み、同時にお祓いをしてもらった紙の”ひとがた“。それで全身をこすり、陰陽師の野村萬斎のごとく三度息を吹きかけ、近くの川に流せという。言われたとおり全身をこすり、川岸に立った。
 もう一度念を込め、そっと水面に置く。ゆっくりと流れていく”ひとがた“を見ながら、大事な事を忘れていたのに気が付いた。
(大変だ!息を吹きかけるのを忘れた!)
 川幅100メートルを超える川。沖に出たらお手上げだ。しかし流れはゆるく、まだ手の届く距離を流れている。滑る護岸に気を付けながら、拾い上げた瞬間、なんと手のひらで砕け散った。。。
(あ”””ーーー!!!・・・)
 どんな年になるか恐ろしくなった。手がもげ、足がもげ、身体は砕け散るのか?仕方なく、すぐ起こるはずだった災いの身代わりになってくれたのだと都合よく解釈したが、しばらくブルーな気分だったのは言うまでも無い。
 その後の1年が、怒涛の短距離旅でかけがえの無い年になったのはこれまで書いてきたとおり。あの”ひとがた“の出来事があったからこそ安全に気を配り、無事走り続けられたのだと前向きに考えられる性格は、幸せの一語に尽きる。
 さて今年、
(去年の失敗を繰り返すな!)
 しっかりと念じ、息を吹きかけ、そっと川に流す。汽水域のため、フジツボのついた岸に引っ掛かりはしないかとしばらく追いかけたが、無事五体満足に流れて行った。。。それでもセーフティーライドは必須という事で、自転車・バイク用のお守りステッカーを買い、貼り付ける。
(今年も無事に走れますように・・・。)

 午後から、先週行き損ねたログ茶房「花みずき」へ。訪れるのはこれで五回目となり、とても面白い話が聞けるようになった。なかでも、美術館めぐりから端を発した話題のつながりは圧巻だった。
 娘さんが日本画家という驚きの事実から、壁に掛けられた絵が彼女の作品だという事。そして、眺めるだけでは知る由も無いその絵の背景へとスピーディーに展開。話しはさらに広がりを見せる。
 昨秋訪れた山幸窯の個展会場「瓢箪堂」での出来事を話すと、なんとオーナーとは先輩後輩の中で、同じ庭師にお世話になっているそう。いやはや・・・。
 玄関に飾られた尾道の絵にはかなり惹き付けられた。もちろんその絵に関するエピソードも含めて。。。
 帰り際、カウンター越しに話した会話も興味深い。バイクで記録した最高速の話になり、それを聞いたほとんどの人が、「恐い。」とか、「危ない。」と反応するのに対し、奥さんの発した言葉は、
「いいわねぇ、どんな感じなの?」・・・。ぜひライダーになって欲しかった。。。

 行き帰りの己斐峠と久地通りでリアタイヤのサイドまで皮むきが完了。特に行きの久地通りでは珍しく前がクリアで、小気味良い切り返しが出来た。

 モンキータンク。デカールだと思っていたホンダウイングが、しっかりとしたプラスティックレリーフ。さらに給油口下には、写真の40周年記念のデカール。シンプルかつカッコいい。


Feb.3 Honda Monkey 1990 Special Edition

 1990年11月19日。この相棒を手に入れた日だ。
 購入までの経緯についてはこれまで何度も書いてきたことだが、ジムニーで進めなくなった行き止まりのさらに先を見たかったから。今はもうなくなった中目黒のCat'sというバイクショップで、車両本体価格¥99,900で買った。もちろん新車で。発売から1年近く経過したこの限定車に一目ぼれし、バイク雑誌で探した末での対面だった。
 最初のクラッチミートの瞬間を今でも鮮明に覚えている。当時、車とスクーター(Dio)しか運転した事がなく、4速リターンのマニュアルトランスミッションは初めて。お店前の山手通り、キックスタートからクラッチを握り、ギアを1速に踏み下ろした。しかし発進した途端ウイリー。もうビックリしたのなんの。それから丸19年、4桁のオドメーターは2回転プラス6,000キロ走行し、いまだ現役バリバリだ。
 ところが、19年の間に4年間の空白期間がある。放置明け、キック一発でエンジンがかかったのにはさすがに驚いたが、タンク内の錆は防ぎようがなく、フューエルフィルターをかませて対応していた。ただ、微細な錆の粒子はそのフィルターを通過し、定期的にキャブ内のバルブを詰まらせ、燃料が垂れ流しになる。スラッジと同化した錆が、エンジン内にどのくらい堆積しているかは見ない方が幸せかもしれない。その都度、キャブをオーバーホールしながら今に至っているが、最近、また症状が現れ始めた。
 FI化に伴う最新型のモデルチェンジに旧型のパーツが薄くなると考え、ついに重い腰を上げた。19年前のパーツリストを片手にショップへ。当時の時価は¥13,300。同じ値段は無いと覚悟していたが、そもそもパーツ自体が存在していなかった。
「さて、どうしよう。」
 便利なネット検索を持ってしても、'90年限定6V車のタンクは見つけることが出来ない。数々の伝説を持つモンキー工場「早矢仕」に電話してみた。
 昼休憩初日。かなり長くコールしたが出ない。翌日、最初話し中。昼休憩中、何度も掛けなおしたが話し中のまま。受話器をはずしているのか?これがうわさに聞く「早矢仕」の伝説の一つに違いない。さらに翌日、夕方掛けてつながったが、やはり同じタンクは無いとの事。数日検討後の今日夕方、再び早矢仕に連絡を取った。
「似たような12Vの黒はありますか?」
 あったのは'03ノーマルの黒、銀抜き中のブラックウイング(¥18,312)と、受注生産の'06「40周年スペシャル」、黒にシルバーウイング(¥21,500)の二つ。
(今度は錆させはしない。)40周年スペシャルを注文。同時に新品のフューエルコックもお願いし到着を待つ。
 手に入れたら、キャブ掃除とオイル、パワーフィルター、バッテリーも交換し、見た目も変わった第二ステージへ。パーツのあるうちに12V化も検討している。
 Monkey(猿)からApe(類人猿)へ、さらにインジェクションヘ進化しようとも、'90モンキーは走り続ける。今年こそ20年来の構想、車から降ろしたモンキーでの遠出を決行したい。七類港から「隠岐・島前」を目指し、猿が日本海を渡る。。。


Feb.1 タイヤ慣らし・県77-県41-佐方PA

 結局、無理な行程の長崎は断念し、午後からタイヤの慣らしをかねて近場を一周。暮れよりRMXが続いていたので、実に40日ぶり(リアタイヤの交換を除く)となるZZ-R出撃に自分でも驚いた。あれだけ乗っていても1ヶ月以上のブランクは小さくなく、身体が完全にオフの動きになっている。圧倒的加速にスロットルを開ける手も固くなった。
 最初、ログ茶房「花みずき」でゆっくりしようと思っていたが、途中で閉店時間に間に合わないと判断、戸山別れから県77を左に折れる。
 この頃にはだいぶ勘を取り戻し爆走モードに入るが、お決まりのコース県41で、標高を上げていくにしたがい路肩の雪が増えていった。
 峠の気温表示は1℃。ライフル射撃場を過ぎると、コーナーごとに雪解けの水が道路を横切り、マシンを寝かせられない。低い路面温度、久々のオンライディング、ニュータイヤ・・・、悪条件がすべてそろっている。調子に乗ると間違いの元だ。本能的に”ビビリミッター“が働き、来た道を引き返した。それまでのコーナーで、皮は十分剥けただろう。
 帰りは佐方PAでコーヒータイム。やはり止まると寒い。
 余談だが、出掛けに何気なく取ったTシャツが別府で着ていたもので、動くたびに鍋山の硫黄の香りが漂い、癒される。。。

1

Jan.25 のうが高原雪中アタック1

「くそっ!」
「なんでや〜?」
 雪中アタックで何度も連発する二つの言葉だ。

 11ヶ月ぶりののうが高原は、驚きの展開から始まった。野貝原入口側。昨年から開始されていた土木工事の範囲が広がり、なんと通行止。辺りの景色が一変していた。日曜のため通過できたが、平日は無理そう。
 取り付きには登山者の足跡が二つ。ガレ頂上の分岐にはトライアルタイヤ痕2-3台分。これは明らかに今日のもの。玖島方面から来たか?逆に抜けたか?方向で難易度が異なるが、トライアル車にはたいしたセクションではないのだろう。
 タイヤブロックパターンをくっきりと残している先人たちのわだちをトレースしていくが、振り返ると、それらを全て吹き飛ばす掘り下げ蛇行シュプールにガックリ。
「なんでや!」
 もっとトラクションさせることは出来ないだろうか?
 トレールバイク、五分山トレールタイヤ、テクニック五分、体力五分でヨレヨレ。なんでもない倒木にフロントをすべらせ1ゴケ。
「くそっ!」。
 ステアケースにいつになく手こずり、辺りを耕したかのごとく土をぶちまけ、
「なんでや〜?」。
 競うのはナンセンスと思いつつ、流れるようなトライアルタイヤの痕が憎らしい。。。
 いつものように展望台で休憩し、泉水峠から玖島に抜けた。タイヤ痕だけでは登りか下りかはわからないが、トライアルのグループも原ルートは取らず玖島に。


Jan.24
 インデックスイメージは、7:30am/1/4/2009別府鍋山の泥湯でのもの。氷点下だが、湯に浸かっているため寒さは感じない。もちろん絶景露天風呂独り占め。
 先日の牛ヘッドと同じく、09年年賀状パターン2として送ったが、実際に使用したのは足が無い水面だけのバージョン。判断は正しかったが、やっぱりアクセントのある足ありの方が好き。波紋をたてるため、足を動かした瞬間を撮った。両足を扇状に広げたバージョンもあり。
 湯に浸かるぐらい水面近くで手持ち、さらにISO400でノイズも多く、今日の雪中アタックで面白いものが撮れればすぐに移動。それにしても、忘れられない素晴らしい朝だった。。。


Jan.20

「ん〜」(ため息。)

 ZZ-Rのリアタイヤ交換完了。すでに購入済みのBT021。走行距離は、13,172キロ。センター全周に横ヒビが入り、一部次の層が出始めている状態だが、サイドまでまんべんなく使い切っている。
 ただ、チェーンスプロケの交換時期を指摘された。これ、タイヤ交換に行くために、センタースタンドをかけ暖機中に、(伸びてるな・・・。)とは感じていたが、アジャストできる範囲だと思っていた。3-4万?見ない振りをしているフロントステムベアリング。3万?7月に車検、5万?
 皮もむかずにRMXに乗り換えSP忠男へ。オフのメンテはほとんどが自分で出来るので、ショップに見てもらうのは、'92RMXが昇天した時以来4-5年ぶり。。
 結論から言うと、オイルを変えて保留。明らかに何かがあるが、開けてみないとわからないとの事で、5-6万掛けてエンジンをオーバーホールするか?、決定的なトラブルが発生するまで様子をみるか?最も恐いのは走行中の「ガラガラガッシャーン」なので、やはり遠くにはいけない。
 印象に残ったのはやはり2スト消滅へのカウントダウンだった。数多くのレースに参加しているショップだが、もうほとんど扱う事が無いという。JSBやGPでも今期?来期?で4スト600クラスに移行するので、世の中から消えていくのは時間の問題。なにか大きな一つの時代が終わっていく気がする。少しでも多くの時間、あの爆発的ピークパワーを全身に刻み込みたい。
 で、モンキー。錆び錆びのタンクを注文しようとしたら、もう在庫がない。12Vのをそのままボルトオン出来るか調査中。誰か知っている人が居たら教えてください。
 バッテリーも死んでる(一個在庫保有)し、この際電装系も6V-12V化を真剣に検討中。この春出るFIモンキー。4.3リットルタンクとなり、車両本体価格289,800円。3.4馬力の原付に30万出すか?!ボケッ!!!
 最後にジムニー燃費。今まで、街乗り11キロ台、回して10キロ台、エコドライブして12キロ台というのは先日も書いたが、ついに7.9という恐ろしい数値が出た。真冬だからちょっと使っただけで満タンにするので、誤差も大きいが、それを差し引いてもありえない数字。何かが起こっている事は間違いない。
 話は戻って、ZZ-Rのタイヤ交換時、ショップに売約済みの中古'06ZZR1400が一台。値段を聞いてみてビックリの95万。うーん、真剣に考えていたかも。。。ネイキッドに興味は無い。使う使わないは別にして、開ければ開けただけ加速するパワーは捨てられない。ランクは違うが、KDXからKLXに乗り換えた時感じた落胆を味わうのは間違いない。
 上に書いた状況を考えると、何もかも買い替えの時期にきているが、それこそ宝くじでも当たらないと全車種は無理。FI化の波の中で、10年以上経過した旧車のパーツがなくなりつつあり、経年劣化のダブルパンチでいつまで乗り続けられるか怪しい。
 もっと歳をとったなら、ツアラー1台と現状モンキー、両親の事を考えると車無しという訳にもいかないし、生粋のオフ車乗りとしては、最悪でも程度も良く、タマもあるセローでガマン。
(今と一緒じゃねぇか。笑)という事でピンチ!

「ん〜」(ため息。)


Jan.18
 ・トップの写真。みな届いたと思うので、今年の年賀状パターン1。丑年を差し引いても、正月から絵的に非常識なのは自覚。前回書いた通り07年は鹿児島、トカラ列島、口之島の野生牛生息地域での牛ヘッド。
 トカラ列島は今年、皆既日食で世界的にブレイクするはず。あの観光慣れしていない僻地が、どう対応していくのだろう?

 ・LWH ?の背景イメージと、テキストのレイアウトがすごく気に入っている。同じく07年、北大東島の燐鉱石貯蔵庫跡。自分でもあそこに立っていた事を疑ってしまうほど遠い場所。方角的には、見える海の400キロかなたに沖縄本島がある。

 ・毎年恒例の「ひろしま駅伝」観戦。テレビで様子を伺いながら、通過する頃を見計らって沿道に出る。地元広島もさることながら、この寒空の中、いつも最後尾を力走する沖縄チームを応援せずにはいられない。
 個人や団体が対象の他のマラソンや駅伝と違い、県ナショナリズムを刺激するユニフォームには明らかに異質な声援が送られている。
「ながのガンバレ〜(先頭で通過)、ひろしまガンバレ〜!」
 かく言う自分も、通り過ぎていく各県のランナーを見送りながら、行った地域やそこに住む友人たちを想う。47人というのもとてもわかりやすい。


Jan.11
 絶好の雪中アタック日和にRMX撃沈中。雪山が呼んでいるのだが・・・。
 代りに先延ばしにしていた年賀状の作成を完了。昨年は31日まで仕事だったので、来た物だけに返す事にしていた。もう一つ大きな理由は、07年トカラ・大東の旅のような、その年をを象徴するような写真がなかった事。そこで、別府で何か撮れればと。。。
 結果、これにしようというものを撮ったが、送り先の家族が見たら失礼なのではないかと思いながら、テストプリントに出した。あがったのを見た家族から同様の指摘がありボツ。それを削除したバージョンに。
 大部分を占める空間にアクセントが消えた。それで何かいい素材は無いかと過去の写真を見返してみると・・・。(あった。)07年トカラは口之島でのもの。ただ、これも正月にあまりふさわしいものでは無いので、2種類を使い分ける事にした。再会したヒロにだけ別府で撮った娘の写真。
 今年貰った年賀状を見てみると・・・、
 かつての同僚、けいたろーのが良い。というより好きだ。シンプルでバランスのとれたフレーミングとアングル、それにマッチした子供達のポージング、そして落ち着きのある色味。もちろん表情も良い。沖縄・あゆさんの家族への思いも伝わってくる。MIZUの礼文から望む利尻も。インクジェット全盛の中では、やはりプリントが映える。
 自分のはと言うと、署名部分が少々浮き気味。鍋山の朝陽を思い浮かべたのだが。ちなみに、3年前より全て手作り。レタッチし、KG(ハガキ)サイズでプリント出しした写真をのりで貼り付け、縁をそろえて完成。宛名とコメントは手書き必須。ここを見ていて年賀状をくれた人、朝陽が行くか?牛が行くか?お楽しみに。

 ところで、大ピンチ!まだ書いて無い鍋山の続きにも出てくるが、RMXのエンジンからカラカラと異音。噂に聞くクランクベアリングか?もし腰下ならやったこと無いのでお手上げ。5万とかする?
 さらにジムニー。平均11キロ台の燃費が暮れより8キロ台前半に。給油スパンが長くなるほど低下するので、フューエルラインからのリークか、エンジンか?こちらも自分ではお手上げ。費用は想像つかず。
 ZZ-Rはリヤタイヤ次の層が見えていてまだ未交換。(タイヤは買ってある。)モンキーも平均燃費39キロ台から現在34キロ台。08徹底出撃で、ルーティーンの整備を先延ばしにしているため急がないと。こちらも交換パーツは買ってある。。。
 とにかくまともに走れるものが一台も無い!これも酷使したみな、そして自分自身の身体も少し休めという事と判断。でも雪中アタックは今しか。。。(笑)

 さて、年賀状出してきます。(1/11 21:59)


Jan.2-4 鍋山の泥湯〜ヘビん湯(横浜ヒロと1年半ぶりの再会)

Day One...
 いつものように当日朝パッキング開始。昨夏と同じく、スオーナダフェリーを利用して国東へ。徳山まで2時間を計算し、正午の便に乗るつもりでいた。しかし、久々のRMX積載に手間取り、出発は10:30。これまたいつものようにギリギリ爆走という懲りない展開となった。
 単独では90-100キープ、渋滞ではすり抜けの連続という嫌な走りでたどり着いた徳山港には、何度も見たさらに嫌な光景が広がっていた。
「防波堤を出て行くフェリー・・・。」
 時計を見ると、12:05。次便は15:30。「あと少し早く出ればいいのに。」などというツッコミは聞きたくない。
 すぐに自走との比較検討。フェリーを待つと、15時半から2時間船上で17時半。1時間走って現地入り18時半というところか。それに対し、陸路を走ると休憩なしでも6時間はかかり、ほぼ一緒。秋から幹線道路に出ていた「関門トンネル全面通行止め」という掲示も気になる。期間は覚えていない。ただ、ここで3時間半待てるか。即決で再び走り始めた。
 すぐに雨が降り始めた。たった5分の遅れで、200キロ近い遠回りと疲労。
(ひどい事すると帰るぞ!)
 ぶちキレモードで、カッパも着ずに走る続けるが、目指す西の空にはどんよりとした雨雲しか見えない。雨の予報は出ていなかった。そう長くは降らない事を信じ、そのまま走り続けるうち、宇部辺りから晴れ間が見えはじめた。
(やっとか・・・。)
 しかし、いっこうにやむ気配が無い。すぐ左手の南の空は晴れている。どうやら雨雲の端に沿って走っているようだ。
(なめとんかコラーッ。)
 そこに、自業自得の4文字は存在していなかった。。。

 下関に入り雨が上がった。関門トンネルの工事も終了していたようで、無事九州上陸。バイクだから関係ないが、下関側入口はかなりの渋滞だった。
 ここからが長い。ZZ-Rでも休憩込み3時間はみておかないとたどり着かない。ましてや250では気の遠くなる話だ。R10をひたすら南下する。道の駅「おこしかけ」にも寄らず。ただただ南下するのみ。
 結局、3回の給油以外まったく休憩を取らず別府入り。御用達スーパー「マルショクやまなみ店」で、2日後の1月4日昼までの食材を調達した。そして何とか日が落ちる前にテントサイト到着。設営を完了して時計を見ると、18時ちょうどを指していた。。。
 ちなみに、自宅から徳山までは、走行中も含め、かなりのすり抜けで激走したが、それ以後は単独で90キロ程度。走行中、車列でのすり抜けはほとんどせず、信号で先頭に出る程度。もちろん全部一般道。
 前後するが、別府に入った時点で、ヒロとメールのやり取りをしていた。彼らはその時臼杵。どうやら今日、明日中には顔を見ることが出来そうだ。
 ヒロとの出会いは00年那覇、石垣行きフェリー埠頭。隣に止まったKLXが彼だった。以後、お互いの家だけでなく、茨城、四国、九州と、それぞれの旅ですれ違う「ピンポイント合流」が強く印象に残っている。
 テントでの携帯電波状況は非常に悪く、何度かのトライで今日は臼杵に留まるとのメールを受け、一人の夜となった。
 2スト250での7時間半いっき走りはさすがに疲れたが、マルショクで仕入れた1,200円のチリワイン、そしてキャンドル越しにゆれるポタージュスープの湯気が、そのすべてを旅の記憶に変えていく。エンジンの振動が、まだ身体に残っている。。。

 FM大分をBGMにうたた寝してしまった午前0時、今年初の露天に向かう。テントから湯船までは悪路で、これまでのZZ-Rでは不可能だったが、今回は楽にアクセスできる。暗闇で危険なので、とりあえず鍋山の湯(透明)にバイクを置いて、さらに30メートルほど上にある泥湯(灰色)に向かう。この日の湯温は少し高め、清水を引いたホースで調節した。
(・・・。)
 この満ち足りた時間。
 気に入った場所があっても、リピートするより違う場所に行きたいという気持ちが強い。ただ、すぐそばにテントを張れ、入りたい時に入れ、しかもタダという温泉は広島には無い。
 もの思いにふけっていると、凪いだ水面にひときわ明るい星が映った。見上げると同時に星が流れる。
(思い出した!)
 前回訪れた08年3月、ふたご座のアルヘナが目立った夜にもこうやって星を見た。。今日、湯船に捕まえたのはやはりシリウス。天球で最も明るい星だ。冬の大三角形は見えるが、オリオンは半分山の端に隠れている。さらに北の空を振り返る。無意識に北斗七星かカシオペアを探していた。。。
(あっ、モチモチの木だ!)
 葉を落とした広葉樹の枝ごしに、ひしゃく部分の4つ星が輝いていた。それは色こそ無いものの、モチモチの木そのものだった。
 2-3分に一つは流れ星。宇宙とは?時間とは?そして自分とは一体・・・?。思考の迷宮に入り込む前に戻った方がよさそうだ。答えは死ぬまで考えても見つからない。
 下の湯の源泉溜まりで湯を汲み、ペットボトル湯たんぽを作る。これで星の事は忘れて朝までぐっすり。。。

Day Two...
 7時前に目覚める。テント内では空を確認できず、わずかにフライを開け外を覗くと、東の空が明るくなり始めていた。思ったほど寒くなく、昨夜汲んだ湯たんぽもほんのり暖かい。
 タオルとチェアーだけ持って、ノーヘル・素手で日の出風呂へ出撃。路面状況が把握でき、なんなく泥湯湯船のすぐ下まで行く事が出来た。ガレガレの道を進みながら感じるオフライドの楽しさ。
 近年、アスファルトでバイクをバンクさせる時間の方が増えた。それはそれで楽しいが、原点はここにある。いくら300キロ出ても、ここには登って来れない。そして両方を選択できる幸せ。どちらにも優位性は無い。北海道と沖縄、どっちが良かった?とか、旅と私、どっちが大事なの?とか・・・。そりゃどっちもに決まってる。比較しようが無い。。。笑
 泥湯につかり、日の出を待った。雲の切れ目が徐々にギラギラ度を増していく。そして、一点の閃光が走った。
 目の前には蒸気の噴出す黄色と白の大地。その奥に別府の街を遠望し、正面には扇山の広大なスロープが広がる。右手には冠雪した鶴見岳が、朝日に照らされ赤く輝いている。
 09年実質的初日の出。申し分ないスタートを切ることが出来たようだ。今年はどんな年になるのだろう?
 結構な時間浸かっていたが、誰も上がって来る事はなかった。この泥湯は、下の透明の湯から少し高い所にあり、ほとんどの人が気付かず、満足して帰っていく。ゆえに展望、泉質とも素晴らしいこの湯を独り占めできる確率が高い。

 テントで朝食を済ませ、再びノーヘルで「ヘビん湯」に向かった。鍋山、鶴の湯と並ぶこの地区の野湯三湯の一つだが、入るのは今回が初めて。電波の入る高台でヒロにメールし先へ進む。駐車場では、おじさんが二人話しこんでいた。
 ヘビん湯はなかなかの野湯だった。温度の違う湯船がいくつかあり、かなり丁寧に管理されている様子。ただ、鍋山との大きな違いは、谷あいで展望が無い事。先ほどのおじさんの一人は、管理をしている地元の人らしく、駐車場から降りてきて掃除をし始めた。壊れてボロボロになった脱衣カゴについて聞いた。
「外だとすぐ朽ちてダメになりますよね?」
「いやいや、酔った若い連中が投げたりして壊れるんだよ。昨日はこれ程じゃなかった。。。」
 なるほど、ここも無料のアウトドアスペースを悩ませている問題を抱えていた。事実、昨夜(1/2深夜)は芋の子を洗う状態で、朝掃除に来たら散乱するゴミだらけだったという。
 かつて広島近郊にも24時間無料の露天があったが、週末のドンチャン騒ぎで閉鎖に追い込まれた。そういえば、去年鍋山に来た時にも、わきの草むらにT字カミソリが落ちていて度肝を抜かれた覚えがある。そういう会話の中で、何かできることは無いかと尋ねたが、
「遠くから来たんだからゆっくりしていきなさい。」と。申し訳ない。。。

 ヘビん湯を堪能し、扇山への道を登って行った。おじさんに聞いたところ、温泉祭りの時に、山焼きの火を付けに行くために道が続いているとの事。ノーヘルで危険なのに、先に進まずにはいられなかった。
 ゴロゴロ石の林間ダートが続き、結構奥まで進んだが特に面白みのある道ではなく、携帯も圏外でヒロのことも気になり引き返す。下りで石に乗り上げ1ゴケ。落し物が無いかとまわりをチェックしていると、突然人影が現れ驚いた。扇山から下山途中の登山客で、たまにこういう事があるが、誰もいないと思っている場所で人に会うと、ビックリせずにはいられない。
 登山の人を見送り、エンジンをかけたところで聞きなれない音を耳にした。
「カラカラカラカラ。」
(ん?これは・・・。)
 記憶をたどると、行きの道中での同じ音を覚えていた。今発生したものではない。スピードダウンした時、そのまま高いギアで引っ張った時のノッキングだと解釈していたが。
 今まで乗ってきたバイクで、エンジンがトラブったことは一度も無い。RMXには、クランクベアリングにウィークポイントがあると雑誌で読んだ事があるが、これがそうなのか?
(まずいぞ。。。まだ家まで300キロある・・・。とりあえずテントへ戻ろう・・・。)

 再び先ほどの高台で携帯をチェックすると、
ヒロ:「ヘビん湯着きました。」1/3 10:53
(はぁ?)
 ダートからの下り、ヘビん湯の前を通ったのに。。。
(じゃあすでにあそこにいたのか?)
 トラブルでテンションダウンし、またヘビん湯に戻るのは気が進まなかった。何度電話してもつながらない。
(やはりとりあえずテントに。)
 テントに戻ると、明らかに放浪装備の湘南ジェベルが止まっていた。そこで記憶を整理。
 話はさかのぼる事1/2朝。ちょうどスタート直前に年賀状が届いた。バツイチで独り者のヒロから届いた葉書には見たことも無い家族が。
(はぁ?)
 なるほど、届く前にスタートしていたならサプライズを狙ったか。(笑)そう考えるとバイクではないし、ましてやナンバーも湘南ではなく、横浜XRのはず。さらに暮れにはETCのベストな利用法をレクチャーしていた。念のため近寄って装備を確認したが、これはヒロのパッキングではない。
(ここでは携帯も不可だし、仕方ない、もう一度ヘビに戻るか・・・。)
 ヘビん湯駐車場に着いたと同時に、露天の方から4人の家族連れが登ってきた。
「おーっ!!!」
 これが、最もうれしい瞬間の一つだ。。。

 話しは後にしてテントの方へ先導、すぐに泥湯に向かった。湯船には今回初めて二人の男が入っていた。一人は駐車場に止めてあったジェベルのライダー。ヒロ家族は、ヘビん湯に入ったばかりだし脱衣所もまったく無いという事で足湯。お互いの近況について語り合った。
 テントに戻りお別れと思っていると、昼を食べてから発つという。風の通り道になっているこの場所は結構寒く、うちのテントの前室内でのバーベキューとなった。まだ8ヶ月の次女「ゆい」はクルマでオネム。長女「まい」と一緒にテント内に座り、奥さんは前室のチェアーに、ヒロは入り口にチェアーという今までに無い混雑となる。来年小学生のまいは、とても礼儀正しく活発な子ですぐになついてきた。
 面白い出来事が一つ。ニンニクをむいていて出た皮をビニール袋に捨てた。しかし、それはまいが切ったピーマンを入れていた袋で、その時のまいの顔が忘れられない。
 初めて会ったおっさんにさすがに怒る事は出来ないが、(てめぇ、何やってんだ!)という心の叫びが聞こえてきそうな、なんともいえない表情。思い出すだけでも笑みがこぼれてしまう。。。笑
 まいに許してもらい、想像もつかなかった楽しい昼ごはんを食べる事が出来た。奥さんもバイクで北海道を旅した経験があると知りビックリ。途中から起きてきたゆいも、テントの中でまいにいじられニコニコだった。
 そう、ヒロも'96 RMXに乗っていた事があり、確か'98とは同設計。やはりエンジンに異音で修理した事があるという。
 楽しい時間はあっという間に過ぎて行った。走り去っていくクルマが見えなくなるまで手を振る。また次回。

 15時前、地図を開き、以降のプランニングを検討し始めたが・・・、
(おいおい、寂しいじゃねぇか。笑)
 旅の中で寂しくなる瞬間はほとんど無い。唯一感じるのは、「真冬の雨の夜、明かりの無い山中を腹をすかせ走るが、テントサイトが見つからない。」時くらいか?しかし、先ほどまで賑やかだったテント内に一人。こういう時のFM大分とばかり、ラジオをつけた。
 すぐにいつもの自分に戻り、ルーティング再検討。ヒロが昼を食べていくという前には、午後には撤収して平尾台あたりに移動してもいいかと考えていた。しかし、エンジンの異音により無駄な走りは控えたい。帰りは最短のスオーナダフェリーと考えると、今日はここに留まるのが最善。
 一眠りして夕日風呂へくりだした。西側は山のため、太陽は早くに見えなくなるが、露天につかりながら見る夕暮れのグラデーションは時を忘れる。一箇所ステアケースがあるため、完全に暗くなっては危険。見えるギリギリまでゆっくりして下の湯へ。開いたペットボトル2本に源泉を入れ持ち帰った。

Day Tree...
 夜中何度か寒さに目が覚める。湯たんぽを汲んだのが19時頃と早く、そのため冷めるのも早いのだと半寝ながら考えた。この朝も7時前に目が覚め、日の出風呂行くため、前室のポールに干していたタオルに手を掛けると、
(なにっ?)
 干したままの形で凍っている。なるほど、湯たんぽが冷めるはずだ。ちなみに、使っている冬用シュラフは氷点下20℃まで使用可能なため、これぐらいでは凍死はしない。
 バイクに乗ろうとすると、こちらも夜露が白い霜ではなく、透明な氷となっている。しっかりと暖機をして泥湯へ着くと、この寒さと引き換えにしても十分な空が広がっていた。ピンと張りつめた空気の中、吸い込まれるような青。昨日と同じ景色が絶景に見える。
(なんという青空・・・。)
 今年はもういいかなと思っていた別府だが、やはりまた来る必要がある。名残惜しさと気持ちよさで、3時間以上、10時過ぎまで長居した。
 帰る途中に二人組みの登山者に遭遇。ひと山超えた伽藍岳に向かうという。昨日は由布岳にも登ったそうで、山頂では樹氷が見られたとの事。見てみたいが、歩いて登るなんて。。。

 暖まった身体で、鍋山の荒地をちょっとしたトレックライド。今トップの4日10:40の写真はその時のもの。辺りでは一番高い、火山性の風化した岩の上から撮っている。撮影者から見ると、泥湯は左後ろ。画面左から上へ伸びる轍の先に別府の街が広がっている。
 これより前に、さらに高い斜面に登った。蒸気が吹き上がる鍋山地獄は見とれるほど美しい。一体どのくらいの深さから噴出しているのだろう?
 何人かが下の湯に向かって行ったが、その中の一人がこちらに気付き、方向を変えた。恐らく、人がいるのでこっちだと勘違いしたに違いない。
「こっちにきても何も無いですよ〜!」と大声で叫ぶと、理解したらしく再び方向を変え、下の湯の方に向かって歩き出した。

 テントに戻りブランチ。残っていた牛乳500を見つけ、面白い実験を試みた。モンカフェのドリップコーヒーに、直接ホットミルクを注いだモンカフェラテ。結果は大失敗だった。
 水より粒子の大きい牛乳は、フィルターを抜けず、下に落ちない。仮に落ちたとしても、ミルクの持つせっかくの栄養素を根こそぎ漉していく様な気がする。真似しないように。笑
 さあ、撤収だ!

 バイクへの積載を完了したところで一人のお兄さん(おじさん)が通りかかった。最初はただの立ち話から始まったが、よく聞いてみると、泥湯の湯船を作った人だという。ヘビん湯と同じく、無料露天の抱えている問題など色々な話をしたが、興味深かったのが鍋山の云われ。別荘があったとか、旅館が建っていたとか、数々の伝説?を聞いたが、最も信憑性のある内容だった。
 もともと、戦後何かの鉱物資源を採取する施設があったそう。その後は、左の川を登ってアクセスしていたが、平成6年、スギノイが買い取り道を作った。ところが火山ガスのため開発の許可が下りず、人手に渡ったとの事。今誰が所有しているかは聞く事が出来なかった。しかし、入り口の「鍋山温泉郷、平成6年」の謎が解けた。
 念のためここに書いておくが、門柱前の駐車場で車上荒しの頻発しているらしい。特に他県ナンバーが狙われるという事なので注意。
 話も終盤に差し掛かった頃、朝会った登山者二人が山を下りてきた。無事、伽藍岳まで登ってきたそうだ。広島から来たと聞いて驚き、お互いの無事を祈り見送った。
 帰路は国東半島越えも考えたが、アップダウンとクネクネ道でかえって時間とガソリンを使うと判断、エンジンの事もあるし、平坦な西回り国道を選択。夏の無明橋ツアーで記憶も新しい「スパランド真玉」や「両子寺」の標識を見ながらクルーズ、何とか竹田津にたどり着いた。下船後は走りなれた道を、RMXをいたわりながら無事帰宅。

 走り続けた08年の反動で、若干の燃え尽き感あり。トラブルで4台総崩れの手足を修理しつつ、ゆったりとした計画を立てたい。とりあえずは長崎ランタンか?


Jan.2-4 鍋山の泥湯〜ヘビん湯(横浜ヒロと1年半ぶりの再会)

 とりあえず無事帰宅したが、唯一無傷だったRMXに、最も深刻なトラブル発生。4台とも10年以上経過した車体で仕方ないが、手足をもがれた感じ。


Jan.2 LWH...2009
 09初出撃は、毎年恒例、別府鍋山の泥湯。去年正月、ZZ-Rで出かけにエンジンがかからなくなりリタイア。同3月にリトライ。
 今年はRMXでとことこ走り、スオ−ナダフェリー経由のショートカットで国東入り。現状2泊3日、食料持参で鍋山にこもる予定。余裕があれば、すぐ近くにありながら一度も入ってない「へびん湯」や、恐らく冠雪しているだろう鶴見岳にも登ってみたい。
 横浜のヒロが鹿児島から北上中。タイミング合えば顔を見たいが、お互い旅人同士。会う事を目的に極端なルート変更はしないだろう。全てはタイミングしだい。おととしのGW以来の再会なるか?