2005~2007
11/18 芸北オークガーデン
県265-県38-県77-県71-R433-R191-R186-芸北オークガーデン-R186-R191-県38-県265

 天気予報がこの冬一番の寒気の到来を告げていた。そうなると恋しいのは湯。寒ければ寒いほど、温泉が温泉であることを主張し始める。具体的に、広島県南部は晴れ曇り。向かう県北はというと、曇り一時にわか雨。夜には雪。ついに来た。もしかしたら今年初の雪が見れるかも。昨日の天上山を思い出し、昔よく通った県71を経由してみた。ところが県77からの分岐、材木屋のちょっと先で全面通行止めの看板。しかしゲートは開いている。おまけに今日は日曜日だ。作業はやってないだろう。迷わず先に進んだ。
 通行止め区間だけあって路面は荒れていた。車が通行しない道独特の荒れ方。若干の未舗装区間はあったが、予想通り何の問題もなく通過できた。最後の所で作業中ではあったが。。。日曜日にご苦労様です。

 予報どおり、加計の手前から雨が降り始めた。これ以上強くなる事はないと判断し、そのまま走り続ける。紅葉は標高が高いこともあって、昨日の天上山とは違う。赤の混ざり具合も多く、視線は完全に景色に奪われた。雨にけむり、幽玄な紅葉。これもまたいい。
 温井ダムを過ぎたあたりで危ない目にあった。その時はわき見はしていなくて、右カーブの為若干中央線寄りを走っていると、四駆が中央線をはみ出し、車半分ほどこちらに膨らんできた。何とか回避はしたが…。ノリックを思い出した。自分が安全運転しているときでも、危険は向こうからやって来るという事。気をつけねば。というかもっとはみ出してきていたら、気を付けようがないわけだが。。。
 王泊茶屋のあたりからヘルメットがコツコツいいはじめた。来たー!雪、というよりアラレ。色んな所に跳ね返って、雨なら入らないメーターパネルの方まで飛んでいく。雪で喜ぶのは子供かおれぐらいだろうと、ニヤニヤしながら走り続ける。雲はさらに厚くなり、ライトをつけるほど暗い。

 芸北オークガーデンに到着した。もちろんバイクは一台もいない。時間ももう15:30くらいだし(笑)はじめて来るがずっと気になっていた場所だった。向かいのジェラートがポイント高し。まあこれは入浴後。アラレの中を走って来た今現在あり得ない。
 入浴は500円と安い。内風呂には興味がないので目もくれず露天へ。「これこれ。」露出した部分の、身を切るような寒さと暖かい湯。これが温泉。一時間くらい露天にいた。

 さて、ジェラート。この寒さの中売れるのかと疑問を持っていたが、風呂上りということもあって何人か買いに来ていた。芸北ミルク、炭焼きコーヒーのダブルコーン。ミルクはうまい。
 無料休憩所にて、再び「大放浪」を取り出し読み始める。ある一節に心を奪われた。昭和44年だったか、インドの日本人寺で住職に手相を見てもらい、50まで生きる伝えられた事。彼はその時22歳。16年後、ヒマラヤへ雪男を探しに行って遭難し、帰らぬ人となる。この時の彼は知る由もないだろう。自分に置き換える。いつその時が来るのか。もしかしたらさっきので正面衝突とか。いやいや、縁起でもない。書き残すということは凄い事だと思った。

 17:00前身支度を開始。おそらく地元民が多いのだろうが、けっこう繁盛していて、近くにいた赤ちゃんをはじめ何人かが、あり得ない身支度を始めたこちらを見つめている(笑)
 走り始め、峠で今期最低2度を記録。その後が面白かった。相変わらず小雪はちらついているが、緩やかに下っていく渓谷。温度計のたびに3度、4度と一度ずつあがっていく。高度と気温の関係を再認識。いつの間にか、雪は小雨に変わっていた。


11/17 天上山林道
県290-県41-R433-天上山林道-R186-県30-R2

 紅葉を求めて天上山に向かった。かなり間があいているはずで、TOPページを見てみると2001年3月。確かこの時は二人で車で出かけて、まわりに雪の残る東屋で焼肉をした。
 おそらく紅葉を求める行楽客だろう。やたらと車が多い。それに遅い。天上山に向かったと書いたが、家を出る時点で決め打ちではなかった。R433に出る突き当りで再度検討し右折。天上山林道は12-13年前くらいオフ車でよく出かけた道で全線舗装。林道にしては割と道幅があった。さらに記録を見てみると、94年10月に、石ヶ谷林道との合流点でキャンプもしている。この時は、目が覚めたらすぐ横でユンボが掘削作業をしていて驚いた。他にも雪中ツアーや脇道ツアーで思い出深い。

 それで今回、オフ車で出ようか迷ったが、Rタイヤの慣らしと新しいオイルをまわすためデカイので出た。走り出してすぐ驚く。オイル交換の際にはゾイルを添加しているが、販売元サイトの掲示板等で5%でも効果ありという回答もありずっとそうしてきた。だってゾイルは高い。450mlで10,000円。推奨の10%入れると300ml。モンキーやRMXのギヤオイルにも使うのであっという間になくなる。
 Fタイヤを替えた時、バイク屋でやはり10%という話が出て、今回勇気を振り絞って300(厳密に言えばオイル量は3.5lで10%にはならない)を混ぜた。そして、出ようとエンジンをかけると???音が違う。明らかに静かというか滑らかというか。さらに走り出すと、「えっ?うそだろ!」交換前とは比較にならないほど回る。。こんなに違うとは…。ケチっていたのは失敗だった。次回も頑張って300にしよう。

 天上山林道はやけに狭くなっていた。正確に言うと、両側の路肩から雑草が生い茂り、見た目が狭くなっていた。いくつかのコーナーや景色は相変わらずで懐かしいが、片っ端から入りまくった脇道はすべて完全な「山の一部」と化していた。
 95年ごろ夢中になっていたのが脇道アタックツーリング。アタックツーリングとは、林道を猛スピードでかっ飛ばすスプリントエンデューロ的な走りと違い、道なき道を、川やロック(岩)、ステアケース(段差)やヒルクライムなどトライアル的要素でクリアして先へ進む。探険ツーリングと言えばわかりやすいかもしれない。
 地図専門店で、国土地理院発行の二万五千分の一地図を買いこんだ。家から近いところから買いはじめたが、つぶしていくうちにどんどん増えていった。何をつぶしていったのかというと、地図上の破線部分。幅員1.5メートル以下の道路。道路といってもほぼ登山道に近い。そして地図の役目はここまで。後は目で見たものがすべてだ。
 この1.5メートル以下の道はまさにアドベンチャー。地図に載っている本線以外に、たくさんの未知の脇道があり、あるものは川に阻まれ、あるものは倒木に阻まれ、ひどい時には、台風などのため道そのものがなくなっている時もあった。ほとんどが行き止まりで終わりになるが、中には抜けられるものもあり、「ここに出るのか!」と驚くことも多い。
 意外なのが大昔使われていた火葬場に出くわすことが多かった事。大小二つの焼き場と、薪をストックしておく小屋のセットが多かった。
 川は、渡れるものは渡り、倒木は越えられるものは越え、くぐれるものは、バイクを倒し引きずってくぐり、極めつけは切断。そのため、のこぎりを常時携帯していた。あこがれたのはチェーンソーだ。当時、真剣に購入を考えたが、現在所有はしていない。しかし、ホームセンターなどで、いまだに気になってみている。「リョービや新ダイワは安いが、やっぱりハスクバーナが欲しいとか…。」背中にチェーンソーを背負ったオフローダー。もしかしたら警察に止められるかもしれない。
 道は生き物だった。ついこの前通ったばかりの場所が、大雨などによりまったく違う姿に変わり、難易度が一気に上がる。一番気をつけなければいけないのが下り。上りはとりあえず試してみることが出来る。バイクの登坂能力、自分の技術が足りなければ登れない。最後は投げ上げるという事も出来る。しかし、下りは危ない。どんな急坂も降りることは可能だ。しかし、うかつにそれをやってしまうと登れなくなる。もしかしたら、その先の道はないかもしれないし、抜けられたとしても崖や階段かもしれない。必ず下見しに行くわけだが、バイクを放置して一時間以上下りを歩き続け、結局引き返したこともあった。オフローダーには「置いて帰る。」という言葉がある。マシントラブルや水没、そしてこの登れないという状況により、歩いて帰り、後日取りに行くという最終手段。調査なき下りはまさにこの「置いて帰る。」という最悪の事態に陥る。
 実際、一度置いて帰ろうかと思ったことがあった。場所は95年ののうが高原。山には送電線建設のための道がよくある。その一本に入り、下調べ無しに下ってしまった。もうあがれない。いつも単独行動で助けてくれる人はいない。一ヶ月待っても誰も来ないという場所。
 バイクは130キロくらい。例えばこれがバーベルなら持てる。しかしバイクというのは持ち上げるには非常に重心が悪い。フロントもカクカクして持ちづらい。長い時間、力ずくであげようと体力を消耗したが、あれが火事場のバカ力というものだろうか?ギリギリの所で上げることが出来た。
 のうが高原と己斐町の裏山は特に面白かった。のうが高原はかつて流行った巨大レジャー施設廃墟で、子供の頃の営業時に行ったこともある。川、倒木、ヒルクライムヒルダウンとすべての要素を盛り込み、頂上では最高の展望と言う事なし。訪れる度に状況が変わり楽しくて、今でも行くことがある。裏山はものすごいヒルクライムと倒木セクションだったが今は東和祇園ニュータウン春日野となり、まるで夢でも見ているかのような変わりようだ。。

 紅葉は、素晴らしいとまではいかないまでも、減速し、視線を向けるだけの価値は十分ある。以前テントを張っていたところを通り過ぎ、焼肉をした東屋に到着。缶コーヒー、そして佐賀のテント内以来の、鈴木紀夫「大放浪」を取り出した。
 この鈴木という男。良くも悪くもとんでもない男だ。世界放浪に出たのは、昭和40年代の初め、彼がまだ22歳の時だった。レートは高いとはいえ、たった数十ドルしか持たず、なんの計画もなしに旅立つ。
 ただ、今こうしている時にも、世界のどこかで同じような旅をしている現代の鈴木紀夫は山ほどいるに違いない。真似の出来ない、というよりは真似したくない旅ではあるが、読んでいて引き込まれるという事に違いはない。
 東屋の1.5メートル四方のベンチに寝転がって読んでいたのだが、ふと、ぼやけていた天井にピントが合った。「うわっ!」そこには巨大なスズメバチの巣が二つ。だがすぐに主たちはいない事に気付いた。安心して起き上がり、見上げて観察してみる。なんという造形美。どうやって作るのだろう?
 夕方に予定が入っているので、適当な所で切り上げて帰路に付いた。


11/3-4 2007佐賀インターナショナルバルーンフェスタ
R2-玖珂IC-佐賀大和IC-R263-R34-佐賀バルーンフェスタ-県248-R263-佐賀大和IC-八幡IC-美祢IC-徳山西IC-廿日市IC-R2

 前日のブルーな出来事やそのたもろもろでテンションロー。2日の夕方出発するつもりだったがずるずると時間が過ぎる。中止にしようとは思わないがどうにも踏ん切りがつかない。
 今年で3度目となるバルーン。現地では駐車場一番北側にあるオートキャンプサイトにテントを張る。勝手を知っているので出発が遅れるとまずい。駐車場の開場は朝5:00だがこの時間に行くと恐ろしい渋滞とテント設営で朝の競技に間に合わない。前日から現地入りするべきなのだが。。。0:00を過ぎ一瞬中止という言葉も頭に浮かぶが、何とか荷造りを開始した。

 初めて行った時は車だった。それも日帰り。状況はわからず、気球を見れると期待した午後の競技は風の為中止。遠くから来てこんなイベントはないだろうとがっかりし、調べてみるとよくある出来事だった。動力を持たない気球にとって風は大敵。少しでも吹くと競技が成り立たない。昨年訪れた2度目。夜中に会場入りして見た朝の一斉離陸の感動は今でも忘れられない。70機以上のバルーンがぺちゃんこの状態からわずか20-30分の間に一気に膨らみ飛び立っていく。そして夜のラ・モンゴルフィエノクチューン。嘉瀬川河川敷に係留された気球がフュージョン系の生バンドにあわせて一斉にバーナーオン。暗闇に浮かび上がる数十機の巨大ランタンは圧巻の一言だった。

 昨年、三つの家族と知り合った。鹿児島のSさん夫婦、武雄のNさん家族、福岡のMさん家族。Sさんは名刺を貰ったので年賀状を。Nさんは連絡先聞かず。そしてMさんは息子が町名までわかる地図と電話番号。皆と来年もここで会おうと拘束力のない約束をした。
 Mさんのところだが実際のところ、電話番号を貰ってもするほどでもないしせめて年賀状くらと思い、昨年末ナイトスクープ的住所探しをした。町名まではわかるので、グーグルアースで地形を確認。特徴のあるランドマークを発見。後は番地という所で問題発生。同じ名字がいくつもある。名字と番地の一致も怪しい中で、一度目の投函をした。もしかしたら親戚で、気付いて持って行ってくれるかも知れない。数日後、宛先不明で戻ってきた。二度目の投函、さらに数日後。またも宛先不明で戻ってきた。ラストチャンス、3度目の投函。表は転送の赤文字でいっぱいになった。
 3度目の葉書は戻ってこなかった。届いたのか?いくら3度目でも破棄はしないだろうに。それきり何の音沙汰もなかった。

 結局、1:30出発。再会はあてのない話だがこの情報化された社会で、何の連絡も取らない誰かと会うことが出来るのか?鈴鹿に引き続き深夜行。眠気と相談しながらSAをつないだ。日の出前佐賀市内到着。まず食材調達。昼はイベント内露店でいけるとして朝と夜はサイトで済ませたい。出てもいいがまた入るのに非常に面倒なのでその分を買い込んだ。もちろん朝早いということもあってコンビニで高いお食事代を。前後するが、サイトには仮説トイレはあるが飲用の水はないので、家から4リットルほど持って出た。
 早速テントを立てすぐ気球のローンチサイトにに向かう。テントから開場へは歩いて20分以上あり徒歩だと辛い。広大な駐車場内を無料のシャトルバスが周回していてそれに乗った。テントサイトは始発場所にあたりいつも座れる。注意が必要なのは昼間。シャトルバスも会場内渋滞の列にはまりまったく動かなくなる。
 バス降り場に着くとすでに風を見る、競技と関係ない気球があがり始めていた。降り場からもまだかなり歩くので急いで向かうとあのメロディ。
 ラヴェル編曲「ボレロ」。この曲を選曲した人はすごい。巨大な気球がゆったりと離陸していく様と見事にマッチしている。いつのオリンピックだったか?アイスダンスでジェーン・トービル、クリストファー・ディーンというゴールドメダリストペアがいた。ボレロを聴くといつも思い出す。
 ぎりぎりセーフ。会場到着と同時にどんどん離陸していく。何度見てもすごい。一斉離陸した各機は、数キロはなれたターゲットの真ん中にマーカーを落とすという競技。逆に午後からのは離れた所から飛んできた気球が会場内のターゲットを狙う。これはこれで面白いがやはり感動するのは一斉離陸だろう。少し風があったので、飛び立った気球はみるみる遠くへ飛んでいった。
 イベント会場内を少しうろつく。3度目なので特に見るものはないが、Hondaのブースで今年のF1マシンを見た。地球のラッピングは近くで見ると意外とちゃちい。近年のF1はハイテク化されすぎてあまり興味をもてない。

 テントに戻りサイトを回ってみた。日頃たまにしか見ないキャンピングカーがいつもどこにいるのかというくらい集まっている。しかし、残念ながら知り合いはいなかった。まあ予想はしていたので気を取り直し朝ごはん。全室を開放し食事をしていると、少し離れたところに見たような顔の家族がテントをたてはじめた。確認できなかったので近くに行ってみるとなんとM家族。何ともうれしい再会だった。早速年賀状のことを聞いてみるとバッチリ届いていたという。長男に一言「返事書けよ!」(笑)
 鹿児島のS夫婦は9:00過ぎに電話してみるが地元で温泉。武雄のN家族は連絡先も知らないので見つからず。この会場のどこかにいるのだろうか?

 寝てないので午前中は熟睡。午後からテント内で読書をした。普段、本は読む事がないのだが読書の秋。なんとなく読みたくなり買ったのは4冊。OUTRIDERでも書いている斎藤純の「暁のキックスタート」「風と旅とオートバイ」「オートバイライフ」。そして小野田少尉をルパングより救出し、雪男を探しにヒマラヤへ消えた鈴木紀夫の「大放浪」。
 「暁の…」は佐賀に行く前に読み終えてしまった。微妙。エッセイなのかフィクションなのか中途半端なところがあり、バイク乗りならではの思いに、なるほどと感心するところもあれば、「バイク乗りはこうだ」というある種固定観念的なことも書かれていて考えるところがあった。常日頃、バイク乗りより旅人でありたいと思っているので、バイクを前に出した考えには違和感を覚えることも少なくない。
 「オートバイライフ」は新書でデカイし、入門書っぽいので置いてきた。持ち出したのは「風と…」と「大放浪」の2冊。2泊2日で全部は読めないだろう。
 最初に読み始めたのは「風と…」これには引き込まれた。「暁の…」に比べすべて短編小説で、もちろんバイクが絡んでいるわけだが嫌味がない。そしてフェスの空気感を堪能しながら、天気のいい日にテントで読書をするという幸せを噛み締めた。

 少し風が出ている。予想通り午後の競技は中止。M家族は臨時開設のバルーンさが駅から佐賀市内へ。賢い選択だ。車で出ると戻れなくなる。実はこの案も考えたが本が面白く却下。ゆったりとした午後を過ごした。
 16:00から再び会場へ向かう準備。17:00からバイクトライアルデモ。18:30から「ラ・モンゴルフィエノクチューン」。そこへ2ストサウンドが。エンジン音が止まりこちらのテントを覗いてきた。「ここに張ってもいいですか?」みると大きなコンテナボックスを積んだストリートマジック。旅人じゃないか!奈良から来た彼はバルーンを目指した訳ではなく、話を聞いて訪れたらしい。ボックスには屋久島、種子島、垂水のライダーハウスのステッカーが。
 トライアルデモはお馴染み小林直樹と今年全日本チャンプを取った小川。9月に全日本を見たので特に目新しいことはないが、あれだけ操れると楽しいだろう。何よりこれをみて全日本に行ってみようと思ったのだ。
 反対に、楽しみなイベント「モンゴルフィエ…」は開催が危ない状況。少し風が強い。といっても、体感的には「ちょっと風がある?」程度、協賛のパイオニアの気球が試しに立ち上がり始めているがヨレヨレ。なるほど、たったこれだけの風でもあの状態とは。。。確かにあの軽さ、大きさの球皮がいかに風に弱いか納得。で、仕方なくイベントはバーナーバージョンに。気球は膨らませず音楽に合わせてバーナーだけを点火する。通常の雄大さはないがこれはこれで面白いのではないだろうか?河川敷に並んだ数十機のバスケット。見ているのは土手の法面からだが、一斉点火では熱気が流れてくる。日も暮れかなり寒いので暖かく感じる。去年薄着で出て凍えたので今年は革ジャンできて正解だった。

 テントでワインを味わっているとM家族よりお誘い。お母さんとお兄ちゃんと妹。お父さんは仕事で来れず。お兄ちゃんは来年から中学で、もう来れないかもしれないとの事。4人でトランプをした。テントでトランプとは不思議な体験だった。

 5:30起床。ゆっくりと朝食を取り、朝の一斉離陸を見た。帰りのシャトルバスは日曜ということもあって長蛇の列。歩いて帰ることにした。たくさんの人とすれ違う。最近よく思うことがある。今生きている人たちと同じ時間を、それぞれの年齢で共有することについて。例えば、家族に連れられている小さな女の子。生まれる時間が少し違えば恋愛対象だったかもしれないし、すれ違うおっさんにしても、ちょっと間違えばお母さんに抱っこされている赤ちゃんだったかも知れない。自分を含め恐ろしい偶然の中で、今この時間を共有している不思議。自分自身が過去の人であったり未来の人であったりする可能性もある。もしかしたら存在していない可能性も。。。
 昔、大学の哲学の授業のレポートで、「すべては偶然の上に成り立っている」と書いたら、「悲しい考えだ」というコメントを貰ったことがあった。哲学の先生なのにえらく主観的なことを言うと苦笑した思い出があるが、この考えは今も変わっていない。悲観的な偶然ではなく、素晴らしい偶然として。いや自分には選択の自由のない偶然としてか。悲観的・・・?(笑)

 テントに戻ると奈良の彼のテントはすでに撤収されていた。10月中ごろに家を出てきたというが、急遽家に帰らなければならないという。気を付けて。帰るまでが旅だ。
 再び読書に一日。午後のキーグラブレース(競技ではないが、離れたところから飛んできた気球で、空中に吊り下げられた鍵を取る。車が景品?)も風のため中止。球皮を膨らませた「モンゴルフィエ…」が見たいが、この調子では怪しい。
 一足先にM家族が撤収を始めた。来年はお互いもし来るならと連絡先を交換した。お兄ちゃんサッカー頑張って。 さて、こちらも撤収した方がよさそうだ。16:30帰路についた。


JSB第7戦 鈴鹿サーキット 伊勢 志摩 安土城址 2007
10/21 広島IC-栗東IC-R1-R306-県28-県41-サーキット道路-鈴鹿サーキット-県643-県54-県144-県28-県10-芸濃IC-伊勢西IC-県32-R167-R260-観光農園キャンプ村
10/22 キャンプ村-R260-県61-R167-鳥羽水族館-R42-二見浦-夫婦岩-R42-県102-県37-伊勢うどん山口屋-県32-R260-観光農園キャンプ村
10/23 キャンプ村-R260-県32-伊勢神宮(外宮げくう)-県32-伊勢神宮(内宮ないくう)-県37-R42-R23-県10-R1-県27-県13-R477-R8-県201-県511-安土城址-県2-県326-R8-栗東IC-広島IC

Day1 急遽決まった食事会から帰ったのが1時だったか2時だったか、結局、最終的に家を出たのが3:30くらい。さらなるハード行程となるが、大切な時間だった。みんなありがとう。
 といいつつも、過労と仕事を終えてからの出発で、輪をかけてきつくなった。鈴鹿までの予想所要時間は休憩込み6時間半。これは眠気を差し引いてあるのでどうなることやら。
 深夜割引リミットをあと10分切った所でギリギリ高速へ。いきなり睡魔が襲ってきた。(正直、これは無理か?)何度か引き返そうかと思うがチケットも買ったし。。。実際、小谷SAまでの記憶が完全にない。このままでは本当にノリックに会いに行く事になってしまう。それに予想よりも寒い。レザージャケットの下にフリース、下はオーバーパンツに準ウインターグローブ。さらにネックウォーマーというほぼ真冬仕様で出たにもかかわらず寒い。厳冬期仕様でもよかった。
 小谷SAで対策を練る。まずSAごとの休憩とブラックコーヒー。必要に応じて仮眠。スタートの遅れからすでに到着時間は10:00前後。しかし、今の状況では無理するとガードレールに突っ込むのは確実だ。
 福山、吉備と何とかしのぐ。SA間約50キロはちょうど眠気が出始め体が冷え切る時間帯でうまく出来ている。吉備ではさすがに限界に達し、レストランのテーブルでうとうとする。目が覚めると外は完全に明るくなっていた。吉備を出て走行中、265キロでリザーブに入った。通常は320あたり。ガソリンが先週のワインディングからの続きなのでちょっと飛ばしすぎだ。仮眠で若干回復し一気に西宮名塩まで。朝食と給油を済ませ、栗東ICを目指す。リッター16.25キロ。明らかに悪い。
 栗東からR1で鈴鹿まで。この区間を通るのは確か17-18年前、弟と車で帰省した時以来のような気がする。土山あたりから太いマフラーをつけた速い車に付いて行く。といってもすぐに遅い車に追いつくし、取り締まりやオービスの位置も知らないのでちょうどいいペース。鈴鹿峠の一方通行区間で前がオールクリア。猛然と逃げ始めた。逃げるものを追いたくなるのは生き物の習性。2車線をフルにアウトインアウトして頑張っている。こちらはというとテント一式を積んだフルパッキングながら少し余裕を持てる状態。時間短縮で楽しい下りだった。関あたりですり抜ける際、軽くサインを送った。
 鈴鹿到着。すでにすごい数のバイクがとまり、かなりの人が歩いている。当然岡山より多い。ナンバーも色々だが、荷物満載の人はいない。まあ日曜だしこれからキャンプという人も少ないだろう。そしてついに鈴鹿のメインスタンドに立った。。。

 ノリックの件がなければ来なかっただろう。彼の死は2週間がたった今も事あるごとに考える。もちろんノリックという不世出のライダーがこの世からいなくなった事も残念だが、何よりも衝撃的だったのは、バイクそのものの危険性をまざまざと見せつけられた事にある。
 おそらくほとんどのライダー、いや一般の人もバイクが危険だということは周知している。そして悲惨な事故の話なども聞いている。しかし、どこかに自分には起こらないという根拠のない自信。良くも悪くもそれがあるから乗っていられるのだと。もし、なければとてもバイクなど乗っていられるものではない。それがノリックの死によって叩きつけられた。大きな悲しみと共に。あのノリックでも回避できないアクシデントが自分に回避できる訳がないと。。。
 スピードの持つ魔力は恐ろしい。トラックの横を200キロで追い抜く。こちらがそのようなスピードで迫ってきているとは知らない。前のトラックを追い越そうと右に出てくるかもしれない。その時は相対速度100キロの差で追突することをイメージする。スロットルを緩めよう。。。危険行為に及んでいる時、ノリックが浮かんでくる。普通に走っていても危険はいたるところに転がっている。ノリックの献花台にはたくさんの花が供えられていた。沼田、奥野にも。

 鈴鹿。レースに興味のない人でも知っているサーキット。日本だけでなく、世界のモータースポーツの聖地の一つ。メインスタンドから見たホームストレートは、意外に狭く短かった。しかし、期待を裏切るものでは一切なく強力なオーラをはなっている。
 1-2の複合コーナー、S字、デグナーから立体交差へ、そしてヘアピン。最高速のバックストレッチを抜けそのまま130Rへ突っ込む。あのカシオトライアングルシケインをかわし最終コーナーを立ち上がる。なんと面白いコースレイアウトなのだろう。
 思えば、87年だったか?フジテレビのF1放送開始と共にモータースポーツに目覚めた。同時にテレビ東京ではWGP。衛星ではスーパークロス。その中で鈴鹿は世界に誇るサーキットだった。
 ピケがマンセルが、セナがプロストが記憶に残る戦いを繰り広げてきた。バイクではローソン、ガードナー、そしてシュワンツとレイニー。その中へ94年ノリックが切り込んだ。
 「百聞は一見にしかず。」とはこの時の事。テレビではサーキットは平地に見える。(こんなにアップダウンがあるのか?)1-2コーナーからS字へ徐々に登っていき、デグナー。ヘアピンはけっこうバンクしている。130Rへの進入はちょうど立体交差の上。シケインはあんな高いところに。

 ノリックへの黙祷の後、JSB1000レース1がスタート。フォーメーションラップ前、各車エンジンをかけ怒涛のエキゾーストノートが響く。突然、旗が振られみなエンジンを止めた。大型スクリーンには犬?コース上を逃げ回る動物の姿に場内大爆笑。こんなことも珍しい。だが、先ほどノリックの掲示板にあれはノリックではないかと。なるほど、うなずける。。。
 数分間のスタートディレイの後、レース1がスタートした。BSB(ブリティッシュスーパーバイク)2年連続チャンピオンという看板を引っさげてスポット参戦した清成龍一が終止リード、そのままチェッカーを受けた。年間エントリーしている面々がスポットの清成にあっさり取られるのは非常にさえない。
 125決勝を前に、カシオトライアングルに移動した。シケインというかもうクランクに近い。下位のライダーでも絶妙に切り返していく。数々のドラマが繰り広げられたこのカクカクが目の前にある。
 JSB1000レース2。引き続きシケインでの観戦。清成が速い。固さが取れたのかどんどん2位以下を引き離しあっさりとダブルウィン。面白くない。。。
 250決勝。130Rへ移動した。高台から遠くに1コーナー、逆バンクからデグナーへの立ち上がり、立体交差、バックストレッチから130Rを見渡せレース展開がつかみやすい。そのままヘアピンに移動。ちょっと奥まって辺鄙なところにあるが、ここも思い入れの深い場所。2ストオイルの匂いが漂ってくる。
 1000をメインイベントと考えている人は帰りの混雑も含めて帰ってしまう。夕暮れの斜光線と、少しばかり祭りの後的な250のレース。何ともいえない良い雰囲気。スタートから数周をここで見て、移動しながら130Rへ出た。
 トップを走る高橋のバックストレッチ最高速243キロ。たいした事ないじゃんって?250で?!そのうえそのまま130Rへ突っ込みあっという間にシケインの方に消えていく。高速道路の緩やかなカーブでさえ、200キロ近いスピードで突っ込むとアウト側に吸い込まれそうな感覚に陥る。恐ろしい。。。アウト側のグラベルが広く取ってあるのが印象的だった。来年はMOTOGPや8耐も考えてみようかな。
 帰り際、加藤大治郎がクラッシュし亡くなった場所には今もたくさんの花が供えられていた。華やかなサーキットには同等の、いやそれ以上の負の面がある。それは増えることはあっても減ることはない訳で、ノリックと違い、コース上での覚悟が出来ているとしても、残された家族にとって割り切れるものではないだろう。死ぬ可能性があるスポーツなんてたくさんあるものではないのだから。
 そうそう、岡山の250決勝。フォーメーションラップで転倒し、レース終了まで正座で見ていた柴原君。今回は元気に、5台が絡む激しい11番手争いをしていた。と思ったら最終ラップにシケインで接触転倒!がすぐに再スタートして最終的に13番手でチェッカーを受けた。おめでとう!

 さて、キャンプ場に電話してみた。OKと入ってくれたものの鈴鹿からかなりある。他を当ってみてはという申し出を強引にお願いして連絡を取りつつ向かうことにした。時間がないので伊勢道を使おうと県道をつなぐが、分岐を一つ見落として遠回り。
 伊勢から県道を南下していくが車が多い!それも遅い。地図上そんなに人口が多い地域ではなさそうなのにこの交通量は。。。

 19:00過ぎ、無事観光農園キャンプ場に到着した。志摩半島も先っぽの先っぽ、御座岬にあるこのキャンプ場は、感覚的に三方を海に囲まれた感じ。すでに暗く、まわりの様子はわからないが、なんとなくいい所なのは想像できる。連泊を決めているため、二日分2,050円支払う。もちろん他に客はなく貸切。疲労の為、コンビニで弁当を買って済ませる。いつ寝たかは記憶にない・・・。遠くに潮騒が聞こえる。。。

Day2 午前中は休養に当てていた。サイトは予想通り素晴らしいものだった。階段を下りればそのまま白浜海水浴場。夏場は混雑するに違いない。雲ひとつない快晴の中、テント内で夢うつつ、涼しく過ごせるいい季節だ。
 ちょうど12:00。鳥羽水族館に向けて出発した。くしくも今年、日本を代表する水族館二つを見学することとなったが、巨大水槽とジンベエザメでブレイク中の美ら海水族館に比べやはり目玉がない。特にアシカショーのあの演出は痛かった。まあ見ごたえはあったし、見なくては何も始まらない。
 二見浦、夫婦岩。がっかりする名所の一つとして聞いてはいたがその通り!どこにあるのかと奥へ進んでいくうちに見えてきた。「これ???」その辺の海岸にもありそうな岩。いやいや、すべての名所は行く事に意義がある。その証拠に無事カエルお守りをゲット。タンクバッグのお守りはそろそろ一年だし、「無事カエル」は今もっとも切望する関心事だ。
 伊勢へ出て、ツーリングマップルにある伊勢うどんの店「山口屋」へ。特製のタレがぶっとい麺にかけてあり、汁うどんではない。抜群にうまいといえるものではないが他で見た事がない。昼から出たのでこのあたりで今日は終了。明日はテントをたたんで帰りにお伊勢参り。
 今日は時間があるので志摩のスーパーで食材を買い込み、ボトルワインで乾杯。これがテントの食事。最高!

Day3 昨日ほどではないが晴れ。テントをたたんでいると、シーカヤックの2人組がやってきた。二見から来たとの事。朝近くを散策した時、キャンプ場からしかいけない小さな入り江にカヤックの基地みたいなものがあった。英虞湾の対岸まで往復すると。やってみたい。だがこれ以上趣味を増やしても時間が。。。
 白亜の灯台が建つ大王崎に立ち寄ってみた。岬を巡る高台の石畳の道が印象的だった。そのまま伊勢神宮、外宮(げくう)。その前に大事なことを書くのを忘れていた。このあたりの道に電柱には、ほとんどすべてに赤福の看板。笑ってしまう。これだけの看板をつけるにはかなりの資金が必要だから、その金は材料を再利用して捻出したんだろうとか(笑)
 で、伊勢神宮。外宮は参道も短く参拝しやすい。さらに距離にして4-5キロ離れた内宮(ないくう)へ向かった。こちらは規模も大きく、正宮までけっこう歩く。20年に一度、社を建て替え神様に遷ってもらうらしく、次の遷宮は平成25年。どうなんだろう?いまいちピンと来なかった。神様ではないが、高野山や永平寺の方が何か感じるものがあった。やはり「人」なのか?高野山の参道、武将や大企業の碑は威厳があったし、永平寺の修行僧もそう。神とは何か?
 昔から何度か書いてきたが、神を信じない自分があえて神を語るとしたら、それは「古いもの」であり「自然」だ。祀り上げられた神は所詮人が作りあげたもの。しかし、古いものは絶対的な存在であり、自然は真理。しかもそこに善悪の判断はない。美化された古いものは虐げられた弱者の上に成り立っており、自然は現在もしかり、美しさとともに時として猛威を振るう。そういった意味からも伊勢神宮では単なる箱物というイメージしかわかなかった。そのあたりの話が午後の予定につながってくる。

 参拝を済ませた時点で13:00。神宮入り口のおはらい町とおかげ横丁を散策する。一等地に閉店中の赤福。張り紙を写真に取る人も多く、違った意味で繁盛していた。おはらい町とおかげ横丁は面白い。色々なジャンルの食べ物屋や土産物屋が軒を連ね活気があった。
 帰りをどうするか。奈良方面に抜けるか栗東へ戻るか。大事な場所があった。安土城址だ。城あとは回るのに時間がかかる。おそらく入場制限は16:00頃。間に合うか・・・。
 県道10号から国道1号、さらに国道8号へと順調に進むがどうやら間に合いそうにない。さらに8号で痛恨のミス!国道から基点に伸びる県道を勘違いして201号を行き過ぎてしまった。そしてたどり着いたのが17:00前。入り口に行く時ちょうど鍵をかけているおじさんに出くわすという出来すぎのタイミング。ダメもとで聞いてみた。「もう終わりですか?」「見るのに1時間かかるからねぇ。受付が待ってないといけないから。。。」と予想通りの答え。
 神の続き。信じるか信じないか?という不確かな存在よりも、やはり今現在実在する、そして昔実在した人間にこそ教えてもらうものは大きい。ふもとから見上げる安土山。ここに400年以上前、織田信長という一人の人間がいたのだ。彼があと10年、20年生きていたら、今の日本はまた違うものになっていたかもしれないし、遅かれ早かれ早死にしたのかもしれない。と言っても本能寺はもう50歳近く、時代を考えると早死にとも言いがたい。ただ確実なのはこの頂にあの八角形の天主が存在したことだ。
 映画のように丸く大きな夕日と、目の前を行き交う車を見ながら、信長の見た光景を想像した。信長だけではない。ここに仕えるものたちの何気ない普段の生活があった。ふと、いにしえびとに「また出直して来い!」と言われたような気がした。

 17:00。深夜割引まで7時間。行ける所まで下で行こうと走り出すが、疲れきった身体にこの渋滞はキツイ。栗東ICまで行った所であっさりと高速に入った。90-110の巡航速度。SAで頻繁に休憩と時間調整をして予定通り0:02広島ICを出た。上記巡航速度でリザーブまで365キロ。100キロも違うことに驚く。


温泉津温泉 元湯・薬師湯 2007
広島岩国道路五日市IC-瑞穂IC-県5-県327-邑南広域農道-千丈渓-県112-R261-県221-県302-R9-温泉津駅-あさぎ屋-温泉津温泉街-元湯-薬師湯-R9-県32-R261-R191-県38-県71-県265

 近くだからいつでもいけると言ってあとまわしになっている場所の一つに温泉津温泉があった。ここ1〜2年テレビにも出ているし(泉質の評価が、全国でも10軒くらいしかないオール5)、なんといってもすぐ近くの石見銀山が世界遺産登録されてからは客足がかなり伸びているそうだ。

 珍しく予定通りの8:30スタート。天気予報では広島、現地共に終日曇りだが、すでにぽつぽつと降り始めている。五日市IC、無事通勤割引時間帯に間に合う。すぐに安佐SAで休憩。天気は悪いが休日ということもあってそこそこ車は多い。最初は高速行き止まりの江津(割引100キロ圏内)まで行こうかと思っていたが、かなり遠回りになるので瑞穂で降りてショートカット。
 7月にも通った県道327は快走路。一直線の日和トンネルは距離2,485m。高知の寒風山トンネルを思い出した。そのまま行くにも時間があるので何かないか注意して走っていると千丈渓という立て札を発見。あまり期待せず山道に入っていく。意外や意外これがけっこうすごい。高低差と段差、さらにそれを一望できる場所もあり圧巻だった。
 滝からR261へ向かう県112がかなりの酷道。細いくねくねはともかく道路センター、いやひどいところは轍もかなり苔むしていてフロントをかけすぎるとすっ飛んでいきそうだ。道の真ん中を亀が歩いていた。(笑)少し行き過ぎあいていた路肩にバイクを止め見に行ったがすでに姿はなかった。もちろんあのノロい亀だが、近くを探しても見つからない。逃げ足は速かった。天気はいぜん小雨が降ったりやんだり。まだ合羽必要なし。長袖Tと半袖Tの重ね着で出たがけっこう寒い。確実に季節は移り変わっているのだろうが、近年秋がなくなっている。今年はしっかりと秋を確認したい。
 R261、県221でショートカット、R9と11:30頃温泉津に到着した。まず駅でなにか情報はないかと寄ってみるが何もない。こういう時は地元民。という事で、客待ちしているタクシーに聞いてみた。時間も時間なのでおいしい食事処は?教えてくれたのが旅館と併設のあさぎ屋。地元の偉人の名を冠する才一膳(さいちぜん¥1,600)をオーダー。当たり!
 すぐ近くの温泉街を偵察のため一度通り抜けた後、海辺の駐車場にとめた。ここからはゆっくり徒歩で散策するのが楽しそうだ。温泉街はそう長い距離ではないが、ちらほらと歩いている旅人がいる。程よく鄙びた感じはかなり好きな雰囲気。今日の様子を見る限りではなかなか売上的には厳しそうだが、こういうところがそのままの状態でやっていけるような社会であって欲しい。
 最初に入ったのが元湯(¥300)。銭湯のように番台でお金を払って入る。湯船は狭く、けっこう人も多かったが、古き良き湯治場の共同浴場だった。湯船の縁には結晶となって固まった温泉成分が付着し、年季が入っている。
 次に元湯の斜め向かいにある薬師湯に入った。こちらは最近改装したらしく新しい建物。館内に古い建物の時の写真が貼ってあったが昔の方が風情がある。中はほぼ元湯と同じような感じ。広島から100キロ圏内にこのような温泉があったとは、もっと早く来ておけばよかった。また来たい場所一つ増えた。さらに2階と3階屋上に無料休憩所があり、特に3階では無料でコーヒーを出してくれる。300円でコーヒーまで?そこにいた薬師湯の人と少し話をした。父親が大型運転手、息子さんが免許取得中との事。早く息子さんの運転する車に乗れる事を祈る。土曜はかなりの宿泊客がいたらしい。世界遺産効果か?
 屋上で話している頃から雨が本降りになった。考えてみると高知、徳島、そして先週のトライアルまで雨続きだ。もし雨が降らなければ、鳴き砂で有名な琴ヶ浜まで足を伸ばしてみようかと思っていたが、今日はおとなしく帰った方がよさそう。どちらにしても湿っていて砂は鳴かないだろう。簡単に来れる場所だけにまた次回。いつか古い木造3階建ての長命館に宿泊してみたい。夜歩く温泉街もまた楽しい。帰りは土砂降りとなった。合羽が意味をなさないほど。来週は晴れて欲しい。。。


16sep2007 All Japan Trial Championship Round7
 去年おととしと佐賀バルーンフェスタでデモを見てずっと行きたいと思っていたトライアル。ケーブルテレビで、ヨーロッパのインドアトライアルや全日本をチェックしていた。RMXを走らせるときも、スプリント的な走りよりセクションクリア的なものの方が面白く、近場にのうが高原という楽しい場所がある為年に数回は出かけている。

 バイクトライアルとは、岩や巨大タイヤ、コンクリートブロック、そして山の斜面や川などを利用して色々なセクションを作り、いかに足を付かずにクリアしていくかを競う競技。
 足を付くたびに1点減点。後退や落車、コースアウトすると最高減点の5点で終わり。おまけに時間をオーバーすると5点、自分のようなプレッシャーに弱いタイプは向いてない(笑)。反対に一度も足を着かずにクリアすることを「クリーン」といい、10くらいのセクションを6時間以内に3ラップし、減点の少なさで順位を決める。
 普通のスプリントレースが、「他より速く走る」という相対的なものであるのにに対し、いかにミスをしないかという「自分との戦い」である点で大きく異なる。つまり完璧(オールクリーン)にクリアすると少なくとも負けることはない。だがそんな簡単なものではなく、とんでもないコースが作ってあり、オールクリーンは至難の業だ。
 もう一つ。スキルに応じてクラス分けされていて、下から国際B級(IB)、国際A級(IA)、そして最高クラスが国際A級スーパー(IAS)。スーパーには現在ランキング1位の小川や、最近までヨーロッパに参戦していた昨年のチャンピオン黒山など世界に通用するライダーがいる。

 前日ローソンにてチケット購入。前売りで1,200円。一日楽しめるイベントとしてはとても安い。朝5:30起床。目指すは去年から全日本の会場となっている下関はフィールド幸楽。台風の影響で雨は確実だが、レースは雨天決行のため覚悟し出発。最終的に自宅を出たのは6:30。下松で早くもレインウエアを着る事になったが、その時だけですぐにやみ、8:00過ぎに現地に到着した。

 ウォームアップエリアではいきなり成田匠が走っている。成田は90年代ヨーロッパで活躍していた選手でいまなお現役で走っているとは同世代としてはうれしい限り。思っていたより背が大きい。
 会場に2ストオイルの匂いが漂っている・・・。時代は変わったが競技車の中にはいまだ健在。やはり2スト世代だ。「ボボボボー」よりは「パリンパリン」の方が耳に心地よい。テレビではわからないこの匂いと音。来てよかった。。

 9:00からIB(国際B級)、IA(国際A級)、IAS(国際A級スーパー)の順にスタートしていく。最初のころはみな団子状態。セクション前では大渋滞が起こっていた。
 コース内には札が立っており、各クラスによって違うラインが設定されている。はっきり言ってISAのラインはありえない。実際の走りを確認するまで(これは無理だろ?)というルート。

 時間内に10セクションを3ラップするので、最初は各セクションを順に追っていった。1セクションは巨大タイヤ。小手調べといった感じでさらりと流す。2セクションでいきなりぶちかまされた。たくさんのIB、IAの選手たちがトライしていく中、ついにIASの選手が現れた。3メートル近い大岩を登っていくが、下の2クラスはスロープを利用し徐々に登っていくのに対しIAS、地面のちょっとした取っ掛かりをジャンプ台にその頂上まで飛び上がった!(うそだろ!)頂上にはバイクのホイールベース分の長さしかない。自分を含め、観客からどよめきと歓声が上がった。IASはまったく別の次元にいる。時間内に走り終えないと最高減点となる為、ナビが残り時間を叫んでいる。あまり心臓によくない競技だ。(笑)

 3セクション。IB50人、IA15人に対し、IASの選手は7人しかいない。IBなどは最高齢60歳くらいの選手もいてほほえましい。若い時はきっと活躍していたに違いない。バイクが大好きなのだろう。
 逆にIASの選手は完全なコンペティション。ほとんどの選手にナビが付き、トライの何倍もの時間をかけ最適なラインを検討している。この場面も他のレースにない面白いところ。トップ選手たちが目の前(本当に目の前!)にきて話し合っている。もちろんその会話の内容はすべて聞こえてくる。
 前の選手をみてラインを読み取るが、必ずしも後が有利とは限らない。コースは刻々と変化していく。たくさんのライダーがトライしていくうち土が掘れ状況は悪化。トラクションは失われていく。駆け引きだ。
 クリーンした黒山の後、失敗した小川の泥をもろにかぶる。(笑)

 5セクション。(これはまた・・・。)言葉では説明しにくいが、一言で言ってただの山の斜面。それもかなりの傾斜の。ライン取りを検討する選手たちが登っていくのを見ても、歩いて行くのさえ手を使わないといけないほど。それに、IASのルートは飛びぬけている。最初の一人目が実際に走ってみないと、どう行くの?というルート。それを目の当たりにした時、無意識に声を発してしまうが恥ずかしくはない。みなそうだから。「おー」とか「マジか?」とかあきれ笑いまでも。そのくらいありえないところを登っていく。
 見ていて思う。人間はつくづくアホな生き物だと。何の意味があってバイクで岩や斜面を登ろうとするのか?そのために専用のバイクを開発し、費用をかけ専用のパーツを作り、選手は人生をかけ日々練習し、さらにメーカーは宣伝のためスポンサーとなる。ふと自分を振り返ってみて一瞬で答えが出た。山の中を走っていて倒木や岩が現れる。何とかクリアして先を見たいというのは自然な欲求だ。その究極であるトライアルという競技。アホも行きつけば美しくすらあるという事だろう。

 6セクション岩じゃん。7セクション川じゃん。9セクション山じゃん。10セクション壁じゃん。という具合にあきれかえる。2ラップ目以降、面白いセクションを先回りして見た。IASに付いてまわっていると、人が多く混雑する。それでもどこか見る場所はあるし他のクラスの選手たちも走っているので飽きることはない。
 何の興味もない人にもお勧めする。彼氏に連れられてきただろう女の子もたくさんいて、その多くが雨の中楽しんでいる。

 最終ラップではかなり雨も激しくなり、コース状況はさらに悪化。その中で黒山が4、5セクションで失敗し、小川が5セクションで減点を1に押さえた所で勝負が決まった。残っている観客も把握していて、歓声はさらに大きい。

 初めてのトライアルだったがとても楽しめた。ぜひ来年も行ってみようと思う。指の使い方とか間近に見れたし、自分でも実用テクとして少し練習しないと。次はロードレース、月末の岡山。MFJスーパーバイクだ。今年は久しぶりにモトクロスも行ってみようかな・・・。

 帰り、去年春以来だったか?、ひいばあさんの墓を訪ねた。数年前、母も知らなかったこの曾祖母の墓を探偵ナイトスクープばりに探し出し線香をあげた。物理的には出会う事が出来るひいばあさんだが亡くなったのは大正七年。かすりもしない。しかし自分にも確実にこの人の血が八分の一流れているのだ。どんな人だったのだろう?名前もこの時代の人にしてはハイカラ。リヱといった。享年50歳。

 高速では台風の影響か強風と豪雨。雨は嫌いではない。ライトに照らし出される中央線のみをトレースし異次元の世界へひた走る。左手ワイパーしながら安全運転するクルマを次々とパスしていく。
 下松SAでのコーヒータイム。駐輪場にポツンととまっている自分のバイクを眺めながらいつもの光景に納得。ナイトラン、雨中の走りが多いので、駐輪場には誰もいないことが多い。ホット一息つき、再び豪雨の闇へ走り出した。きっとリヱさんが守ってくれるに違いない。。。


JSB第6戦 岡山国際サーキット 2007
R2-志和IC-小谷SA-鴨方IC-和気IC-R374-県414-県46-岡山国際サーキット-県46-県96-県263-R374-和気IC-吉備SA-福山西IC-福山SA-志和IC-R2

 金曜夜ローソンにて土日通し券購入。¥3,000也。土曜の予選は行く事が出来ないが、日曜の当日券の方が割高。
 決勝当日のウォームアップランは8:00から。4:00起きも考えたが、連日深夜帰宅のため疲れ気味。5:00少し前起床。簡単な朝食を済ませて6:00ちょうどに家を出た。天気予報は広島、現地共に終日曇りの予想だが、いつ降ってきてもおかしくない空模様。休みの早朝とあって車は少なく、自宅から志和ICまで30分でたどり着く。
 高速に乗ってすぐに小雨がぱらつき始めた。旅先での雨は、場合によってはおもむきがある事もあるが、イベントの行き帰りの単純移動では辛い。今回はロードーレースのため、路面がウエットになるのも面白くない。9/4にはヘアピンで90年代活躍したライダー、沼田が亡くなっている。(タイヤテスト中。)小谷ICにてコーヒータイムの後レインウェア着用。以降完全な本降りになった。

 福山付近。雨は降り続いてる。移動オービスの看板を見て走行車線に入っていると、そこそこスピードを出しているクルマが追い越し車線を走っていった。ペースメイカーに最適。オービスも過ぎただろうと、一速落として急加速、走行車線へ移ろうとした瞬間、濡れた線上でホイルスピン!おそらく180近く出ていただろう。シビレタ。正確に言うとシビレル時間さえなかった。マシンは立っているので何事もなかったが、昔、石垣・於茂登トンネルで遅いクルマにイライラし追い越しかけ大転倒。その時はすり傷程度だったが今回はスピードが違う。危ない危ない。

 8:00に和気ICを降り、8:30頃無事岡山国際サーキットに到着。すでにそこそこのバイクが停まっている。自分も含め、皆雨の中ご苦労さん。
 身支度を整えていると朝のウォームアップランのエキゾーストノートが走り抜けていく。駐輪場からはその姿は見えないが、実はこの時が一番ワクワクする瞬間かもしれない。
 メインスタンドに出てみた。ST600クラスだった。路面はかなりウエットでライダーもカッパを着ている。何とかやんでくれないだろうか。。。

 1コーナーに近いメインスタンドからしばらく眺めた。250はクリッピングポイントから開けていく様子が音ではっきりとわかるのが面白い。ほとんどのライダーが同じ場所で加速していく。
 イベント広場に戻るとキャンギャルオンステージが始まっていた。ステージ上のキャンギャルより周りにいるカメラが気になる。高いレンズがたくさん。カメラ小僧というよりプレス関係の人間も多そうだが何をとっているのだろう???
 各ファクトリーのブースを回る。カワサキは600の高橋と1000の柳川のマシンを展示。グッズ類は販売していない。ヤマハは中須賀の去年のマシンがバンクさせた状態で展示してあり、実際に乗ってハングオンできる。それで写真を撮っている人たちも多数いるが、止まった状態でハングオンというのもかなりつらい体勢では?同じくノリックのマシンや市販車もありグッズも販売していた。去年はロッシのマシンもあったと思う。
 ホンダはやっぱり違う。GPマシンから市販車までたくさん置いてあり購買意欲をそそられる。モニターでのデモ映像も流れていて他とは一線を画している。スズキは・・・、ブースすらない。バイクより軽か?ファクトリーブース以外にグッズ専門の店もあったが、すでに移籍しているカワサキ#56中野真矢のを売っているのはどうなんだろう?

 そうこうしているうちに最初のクラスGP-MONOのマシンがコースに出てきた。見た目は125だが、250のオフ車4ストシングルエンジンを積んだ意味不明なクラス。しかしエントリーは12歳から54歳、女の子もいたりして意外に身近だったりする。広島から参加の女の子はすぐにリタイヤ。静岡の13歳の女の子は完走32台中20位。頑張った。99.9%お父さんがレースをしていたに違いない。

 ヤマハのブースでは阿部典史のサイン会が始まっていた。WGPではなかなか思うような成績は残せなかったが、94年鈴鹿での日本GP。18歳で世界のトップライダー、シュワンツとドゥーハンを追いかけまわした姿は衝撃的だった。「ついにGP500でチャンピオンを狙える日本人ライダーが出て来た!」と歓喜したものだ。今なお、そのオーラを持ち続けている様な気がした。

 GP125クラスのレースが始まった。雨は少し小降りになっている。
 125の面白さはマシンの差がないため、最後まで抜きつ抜かれつのデッドヒートが繰り広げられる事。かつて、坂田和人や青木治親など世界GPでもシリーズチャンプを取ったライダーもいる。なんといっても2サイクルエンジン。数台のマシンが目の前を通り抜けていくとき、エキゾーストノートはハーモニーを奏でる。
 これは本当だ。4ストの時には感じない和音。ストレスなく吹けあがる、パワーバンドに入った時の一番おいしい回転数。漂ってくる2ストオイルの香り。この香りは、観客としてみている状況でさえ、まるでパブロフの犬のように戦闘モードにさせる。

 JSBのトークショー。参加は亀谷、中須賀、柳川、渡辺。中須賀は去年トップ爆走中に転倒したのが記憶に新しい。雨は125の決勝中くらいからあがったが路面はいぜんウエット。

 ST600クラスグリッドに並ぶマシンの中に、パラソルを持つキャンギャルならぬストームトゥルーパー(スターウォーズの白い兵士)がいる。目立つ。
 去年は天気も良くかなり動き回ったが、ここまでずっとメインスタンド付近をうろうろしていた。600のスタートを見てレボルバーコーナーまで移動し始める。短いコースとはいえ歩いていくとけっこうかかる。(とてもここでF1が行われたとは想像できないが。)もちろん動きながらでも最終コーナーからダブルヘアピンへと見ながらいける。
 最も速いJSB1000クラスと、次に速いST600クラスの予選トップタイムの差はおよそ5秒。たったと思うなかれ。20LAPすれば周回遅れとなる。
 あとテレビでは意外とわからないのが高低差。このページのサーキットレイアウトのエレベーションを見ればわかるが、なんと最大高低差30メートル。ダブルヘアピンからホームストレートを抜け、アトウッドまで下りまくり。あのスピードであのバンク角で下りコーナーを回っていくなど考えただけでも恐ろしい。。。
 ヘアピンにはさまれた15番付近に9/4、タイヤテスト中に亡くなったベテランライダー沼田の献花台が設置してあった。菅生でも奥野が亡くなっていて、今年はまれに見る凶年といえるかもしれない。
 目的のレボルバーコーナーに到着。レースはあと3周。去年歩き回った結果、ここか反対側のウイリアムズコーナーのスタンドが最も面白いポイントといえそう。両方とも1コーナーの突込みからパッシングポイントの2コーナーまで、そして裏ストレートの最高速(上りのためほんとに最高速か不明)から一気にヘアピンへシフトダウン、レボルバーから中ストレートへ下って行く様子が見れる。テレビと違い、放送はあるがなかなか聞こえ辛いためレース展開は自分でつかまないとわからない。そのため、広範囲を見渡せ、目の前を通り過ぎていくこの場所はけっこう人も多い。売店などが遠いのが難点。600終了から1000まで1時間半あく。人が減ったレボルバーでは一転してのどかな空気が流れていた。。。

 メインイベントとなる1000クラス。雨は、あがってから2レース消化されたためライン上はほぼドライ。しかしラインをはずれるとまだ濡れていて厳しい。序盤、2番手の中須賀がホールショットこそ逃したもののすぐにトップに出てレースを引っ張る。2位はポールの徳留、3位ノリック、4位柳川。勢いのありそうな渡辺篤が8番手と沈んでいる。
 昨年のチャンプ、伊藤は辻村と一緒に10番手辺りを走っている。シュワンツやレイニーが活躍した時代、クラスは違うが同じ世界GPを舞台に活躍していた二人が並んで走っている様子は感慨深いものがある。
 しばらくの間上位は安定していたが、ノリックが徐々にポジションダウン、逆に渡辺が上がってきた。それでもトップには届かない感じだった。中須賀、柳川、徳留、渡辺という展開から、渡辺が徳留を捕らえた後、近くの観客からどよめきが。1コーナーを見ると、ライムグリーンのマシンが砂煙を上げていた。柳川転倒。そして周回遅れを絡め必死に押さえる中須賀と、プッシュしまくる渡辺という展開になった。
 結局、最後の最後まで渡辺をおさえきった中須賀の優勝。かなり見ごたえのあるレースだったといえるだろう。

 時間は16:00近くとなり、帰り始める人も多いが、250クラスは絶対見逃せない。予選タイムはST600クラスよりも2秒近く速い。
 余談だがスポーツはやるのも見るのも大好きで、見るだけならかなり幅広い。その中で最も胸躍らせた瞬間が93年、WGP250クラスで原田哲也がシリーズチャンプを取った瞬間。具体的にはカピロッシがコースアウトした瞬間だった。原田が優勝、カピロッシが4位以下にならないと無理だった年間タイトルがこれにより決定した。

 話し戻ってGP250クラス。数周レボルバーで見て移動開始。ヘアピンの金網の外には一人のライダーが正座していた。彼はなんとフォーメーションラップで転倒。つまりレースを1周も走らずにリタイヤ。その後がかわいそうだ。転倒したライダーはシリアスな怪我がない限りマシンと共にレース終了まで転倒箇所で待機。その後トラックにて回収される。周りは一般の観客も歩いているのでちょっとしたさらし者。見ているこちらはそれほどでもないが本人は嫌だろうな。。。
 ダブルヘアピンの立ち上がりで止まった。ここは一番コースに近い場所で、ギターのアームアップような感じで音が駆け抜けていく。。。音量もすごく4〜5台のグループが通り過ぎる際には耳を押さえている子供もいる。斜めになりながらヘアピンを立ち上がり、最終コーナーへと下っていく後ろ姿は圧巻の一言に尽きる。優勝した#4はなかなか速い。
 
 雨のスタートだったがこれだけ一日楽しめるイベントも少ない。また来年。帰りは皆GPライダー気分になっているし、朝のホイルスピンの事もあるので安全運転で。高速ではホンダのファクトリートラック(熊本に帰るのか?)やレースチームのトラック。普段より多いバイクに遭遇。祭りの後だった。


12-14AUG2007 高知よさこい-エキサイティングサマーインワジキ-阿波おどり
Day1
 15:00出発。16:20の竹原発波方行きのフェリーに乗るつもりで出発したが遅い車に阻まれ、港に着いたときには出港した船がすぐそこに。
 次発は17:40。時間の決まったイベント目的のため痛い。遅い時間のため旅のバイクはいなかった。今治湯ノ浦より高速へ。大豊でカードチェンジ、21:00前に高知市内に到着した。

 中央公園では上位入賞チームの演舞にすごい人出。銀賞金賞に大賞まで見ることが出来た。北海道で、よさこいから派生したよさこいソーランは何度か見たことがあり、そのルーツに期待したが、PAを通したサウンドをバックにした創作ダンス。どうしても阿波おどりと比べてしまう。アンプで増幅された空気の振動と生音の振動は明らかに違った。直感的に、来年以降リピートする必要はないと感じた。逆にそういう意味では、アーケードを行進していた踊りの方が生々しく、ステージより魅力的だった。

 高知から徳島にかけての四国南部地方は雨の予報。普通なら避けるところだが、今回はすべてイベントのため強行した。少しでももって欲しかったが、バイクの前で再スタート準備をしていた時あっさりと降り始めた。レインウエアを着終わるまでにかなり濡れる。
 次の目的地は徳島市の南にある那珂町。ここで明日行われるエキサイティングサマーインワジキ。阿波おどりのサイトを見ていて発見。野外フェスの経験がないので興味を持った。出演はミヒマルGT、絢香、大塚愛、チャットモンチー。

Day2
 夜明けくらいの到着を目指し、雨の中R195をひた走る。1:00休憩に入った物部「ふるさと物産館」という所で、雨をしのげる東屋を見つけ仮眠。降り出したり星が出てみたり、どうにも煮え切らない天気だ。

 4:00。再び走り出す。相変わらず降ったりやんだりだが、このR195、雨が似合う。霧の漂う川面と、那珂川を流れる水の不思議な緑。深山幽谷という言葉がふさわしい。前回通ったのは91-92年。覚えてない。。。

 7:00過ぎ無事到着。会場は大塚製薬わじき工場の敷地内。カロリーメイトや、ソイジョイを生産している。車中泊や前日入り不可ということだったが、すでにすごい人数が集まっている。会場前の待機所はすでに満員、駐車場へと続く車道をかなり登ったところが最後尾だった。そこから入場までの4時間半立ちっぱなし、降ったり止んだり、そして時折照りつける太陽にかなり過酷な状況。みな疲れ果てている。キャスト的に年齢層も若く、連休で子供づれもたくさんいて相当辛かったに違いない。野外フェスというのはこういうものなのか?

 TOPはミヒマルGT。最初のMCにvoのhiroko、「女の子寄せて上げてる〜?男の子もっこリしてる〜?」そんなキャラ?「気分上々」は盛り上がっていた。セットをチェンジ中激しい雨が降り始め、かなりの時間がかかった。まわりの観客もかなり文句を言っている。二番手、絢香。1曲目がいきなり三日月。歓声が上がる。3番手の大塚愛の前に会場を出た。もともと普段聴いている音楽ではなく、野外フェス体験が目当てだったためこんなもんだろう。出発準備をしながら大塚愛のキュートな歌声が聞こえてくる。「ユメクイ」の歌い出し、その日いちばんの歓声が上がっていた。

 ちなみに前年度までのキャストとかなり異なっていて、キャパシティーを超えた人数が集まったらしい。実際並んでいる最中もどんどん車が来ていて、絶対入れないだろうと感じていた。遠くから来た人も多いだろうし、入場制限になった人は残念だっただろう。しかしこれだけのイベントが入場無料。資金源は?

 阿波おどり。野外フェスを最後まで見なかったことで時間の余裕が出来た。前回見たのは市役所前だったので、18:00から元町の無料演舞場、20:30から藍場浜有料演舞場で見ることにし、当日券を買おうと並んでいると、知らない人に必要なくなったのでS席の前売りを買わないかと話しかけられる。当日券S席は売り切れていたのでラッキー。
 夕暮れ共に始まった元町演舞場。桟敷席は早い者勝ちで勝ち取れず道路に地べた座り。下駄の音と振動が直に伝わりかなりのライブ感。

 阿波おどりはとても奥が深い。元町演舞場では地べた座りで見ているため、下駄が地面を蹴る音が振動と共に伝わって来る。女おどりをよく見ていると、先端と前側の歯だけを使っていて、かかとは接地することがない。反対に男おどりは足袋のみ。足音はしないが、しっかりと踏みしめている。
 性格も出るに違いない。ものすごくしなやかな手の動きをしている人もいれば、動きの固い人もいる。しかしそれは比較論であって、全体としては素晴らしいし、なによりこの真夏の暑い夜、あの動きを続けるのは大変なことだろう。

 連(おどりのチーム)によっては小さい子が入っていて、やらされているだけで形になってなく、逆にそれが観客の顔をほころばせているが、中にはほぼ完成されている子もいて驚かされる。ロリコン趣味はないが、そのおどりにはもはや女を感じさせる。出来る子も出来ない子も、大きくなるにしたがってそれぞれの動きに磨きをかけていくだろうと考えると、その底辺の広さに感心する。
 にわか連というのもある。簡単な手続きで参加できるというもの。にわか連だけでなく、有料演舞場の最後で踊りたい人は踊りながら退場する。その中ではなんでもない普通のじいさんばあさんが、とても素人とは思えない手の柔らかさで踊っていてあなどれない。子供はコミカルに、若者は荒いが疲れ知らずの躍動感、熟年はそれこそ若いものにはまねの出来ない熟練した動き。人間の人生を同時に見ているような感覚をおぼえる。

 鳴物も忘れてはいけない。やっていることは同じことの繰り返しだが、緩急を織り交ぜ、特に速いテンポでは思わず拍手をしてしまう。おどりはこのお囃子に鳴物に合わせているおどっている訳で、考えようによっては、おどりを支配しているのは鳴物隊かもしれない。ある連では、二人の若い鐘打ちが、おそらく指揮を取っているであろうおじさんのタイミングを必死ではかっていたのが印象的だった。

 藍場浜演舞場に移動する時、着物を着た外人に声を掛けられた。服装からおそらくどこかの連で踊っているのだろう。奥さんとはぐれたので携帯を使わせてくれないかと言う事だった。「番号は?」と聞くとしっかりと覚えていて新鮮だった。携帯が普及して以降、電話番号を覚えなくなって久しい。 話し始めた彼は「ジュテーム、モナムール、ジュテーム、ジュボボヴォ〜ン」(←嘘)フランス人だった。日本語は出来るようなので、礼をいい去っていった。

 藍場浜では、激しい行程の疲れが出て寝そうだった。考えてみれば、昨日普通に朝起きて夕方から高知へ一気走り、よさこいからまた寝ずの一気走り、わじきでは6時間立ちっぱなし、そしてすでに3時間以上阿波おどりを見ている。しかし、阿呆連の踊に目が覚めた。大人数でのフォーメーションの妙、女おどりのしなやかさ、男おどりの躍動感。その後も天水連やうづき連など、有名連と言われるチームの踊りはすごかった。出演連の中には地元企業や学生たちのものもあり、有名連に比べれば若干見劣りするものの、タレントなどを参加させて目を引いている。その中で・・・、料理学校の連が踊っていた時の事、「ん?あれは・・・!」さっきのフランス人じゃないか!!!なるほど、料理学校という事は彼はフランス料理の講師なのだろう。あくまでいち観客として見ていた中で、言葉を交わした人間が踊っているという事に不思議な感じがした。

 おととしと今年、演舞場での踊りを堪能した。次回は商店街や広場での踊りを狙ってみよう。狭い路地ではより一体感のある踊りが繰り広げられているらしい。出来るなら泊まりで来たいがこのすごい人出を見る限り、相当早い段階で宿を取るか、郊外にベースキャンプを張り移動してくるか・・・。でもやはり缶ビール片手に見たい気もする。徳島の友達が欲しい!!!

Day3
 祭りの余韻を引きずりながらR192を一路今治へ向かう。街中では車列に同化していたがすぐにナイトクルーズとなった。さすがに眠い。遅い車のテールランプを夢心地で追い、3時過ぎ波方港に到着した。始発は4時。

 乗船後、雑魚寝部屋に転がった後の記憶が1秒もなかった。目が覚めたのは竹原港到着の船内放送。60分が一瞬のうちに過ぎ去った。後は走りなれた道を帰る。途中で同じように速そうな車に付いた。コイツが恐ろしく速い。コーナーでは付いていくのがやっと、直線では追いつくが、自分が速いのではなくバイクが速いという事だ。フロントタイヤがないからと慰める。20,000キロを突破しているのでそろそろ交換時期、というか危険。


2006

大分むぎ焼酎二階堂 2006
「ゆく川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。」
 大分むぎ焼酎「二階堂」のCM。毎回ノスタルジックな映像に目を奪われる。
 昨年暮れ、その中でも気になっていた白水堰堤と円形分水に行った。先客あり。東京から来たというおじさん。二人のよそ者を前に、とうとうと水を送り出している。水をめぐるいさかいが起こり、均等に分配するために作られたという。水と人、人と人との歴史を無言で語っていた。
 白水堰堤では自分一人だけ。人工物である美しいスロープを滑っていく水に、方丈記の一節が浮かぶが、すぐにそれを打ち消した。”ゆく川”ではなく、時間が停止しているかのように感じたからだ。その空間にあるすべてが固まったような。
 だが、やはり時は確実に流れていた。湖面からゆっくりと漂ってきた木の葉は、スロープを加速し新たな世界へ身をまかす。下りきれず、よどみを回っているやつらに自分を重ね合わせた。臆病なのか?いつか来るその時を待っているのか?
 竹田には、近いうちまた行ってみる必要がありそうだ。「久しくとゞまることなし。 」次の世界に飛び出した自分を見るために。


天草・熊本 2006
 避暑地軽井沢から火の国熊本へ。GW後半、行き残した天草を旅してきた。今回はパートナーをともない数年ぶりのレール&レンタカーの旅。
 新幹線、特急を乗り継ぎ3時間での到着。速すぎる。バイク一人旅と違い、ある程度のプラン決定済み。着いた昼はラーメン。有名店「黒亭」と近くの「埼陽軒」をはしご。黒亭はかなりいける。この日は運転がないため真昼間からのビールは最高。のち市内観光。水前寺公園と熊本城へ。熊本へはもちろん何度も訪れているが、ほとんど阿蘇周辺。繁華街のビジネスホテルにチェックインし、夜の街へ繰り出す。お目当ては馬肉。地の焼酎とおいしい料理で言う事なし。
 翌日レンタカーを借り一路天草へ。昼は道の駅「有明リップルランド」にてたこ天丼。そしてこの旅のメイン下田温泉「五足のくつ」だ。時間ぴったりの15:00チェックイン。一人一泊29550円。庶民派としては時間いっぱい堪能しないともったいない。この宿は数年来気になっていて、2〜3度予約を入れようとしたがいつもいっぱいだった。
http://www.rikyu5.jp/
 泊まったのはヴィラB。すべての宿泊は一戸建てで露天風呂付。レビューは。。。料理もおいしいし、部屋もよかった。が。。。それ以上の期待をしていったのと、ヴィラにはさまれた露天が閉鎖的空間だったのが残念だった。宿の理想像が東北のひなびた一軒宿という基準にも原因がある。もちろん五足のくつにそれを求めたわけでもなく、あくまで辛口評価で、全体としては満足。さらにハイクラスなヴィラCならその不満すべてを満たしてくれそうだが、なんといっても一泊50000円。再挑戦したい気もするが、それなら他の宿へ。次の目標は湯布院「二本の葦束」

 翌日はあいにくの雨。それも断続的に強く降ったりやんだり。まわったのは窯元三つと大江、崎津の天主堂二つ。窯元はパートナーの希望と自分の旅用カップ。現在愛用しているのは00年放浪旅中の宮古島で購入。気に入ってはいるが、そこそこ価値のあるものが欲しかった。求めるのは液体の色を視覚的に楽しめる白と、チタンなどの金属にはない口をつけたときの感触。そのためキャンプ用の金属製ではなく陶器というこだわりがある。訪ねた窯元では見つからなかったが、市内へ戻り寄った県の物産館で気に入ったのを見つけた。山幸窯という窯元のカップ。これから何年一緒に旅できるだろう。楽しみ。4000円也。
 昼に寄ったEAT730という店の天草ちゃんぽんもオススメ。この日は宿泊場所を流動的にしていたが、天候も悪いため市内へ戻った。夕食はイタリアン。旅先ではよく寄るのだがここもなかなかおいしかった。

 最終日は朝から晴れ。レンタカーを返却し、もう一度繁華街を散策した。この時先述の物産館でのカップ購入。最後にもう一度「黒亭」に寄り今度はもやしラーメンを食べた。
 二日間だけの愛車「日産 OTTI」についていたナビがよかった。ナビ初体験だったが、市街地ではとても便利。郊外でも面白いルーティングをするし、勝手に違う道に入ると、困って再検索したりするのが楽しかった。


2005

小豆島2005
 広島IC-早島IC-新岡山港〜フェリー〜土庄港-オリーブ温泉-寒霞渓-吉田キャンプ場太陽の丘ピースパーク(閉鎖中)-寒霞渓ロープウェイ-二十四の瞳映画村-マルキン醤油(醤油ソフトクリーム)土庄港〜フェリー〜新岡山港-早島IC-河内IC〜R2〜帰宅

 行きで久々に最高速トライ。230くらいで全開。あとの加速は下り勾配か距離が必要なんだろう。ノーマルでは限界か。自炊仕様フルパッキングなので車重もあるし空力も悪い。結局250止まり。というかその前にビビリが入った。
 ナチュラルな右カーブになり、それでも開け続けたが走行車線の数台の車が目に入り減速。その中の一台がもし車線変更でもしてきたなら相対速度130前後でオカマを掘るという計算。死ぬにはまだ早い。
 キャンプ場ではモンベルの企画するシーカヤックツアー(15人前後)と一緒になり、宴会に参加させていただく。一期一会。みな筋金入りのアウトドア。楽しい話が聞けて良かった。もしこの出会いがなかったらキャンプ場に一人だったに違いない。
 マルキン醤油。旅は五感の臭覚と触覚で感じるものだ。そういった意味で、あのもろみの匂いは鮮烈だった。醤油ソフトの味は秘密にしておこう。買う前に食べていた子供に聞いてみた。
 と、今回も良い旅が出来たと思っていた矢先、どんでん返しが起こった。フェリーが桟橋に着きエンジンをかけ出ようとした時…、ヤバイと思った瞬間もう支えきれず、倒れたバイクと船の壁にはさまれた。こんな言い訳のしようのない立ちゴケは初めて。さらにそのあとが屈辱。はさまれて腰を落とせないため自分では起こせない。さすがに腕の力のみで250キロ、いや荷物満載、燃料満タンで300キロ超えるかと思われる巨体は起こせなかった。実際、助けてくれた船員2人と3人がかりでやっと起こせたという感じ。今これを書いていてもブルーになる…。
 バイクはキズのみ。まったく気にならないが心に傷が残った。(笑)しかし、今回の旅は新たな目標を示した。島旅。次なる行き先は、隠岐、そして壱岐対馬。フェリーから下りる時は気を付けないと。。。


徳島・阿波おどり〜長野・諏訪湖花火大会 2005
8/14
 今回、福島・根本君との合流をあきらめ最初に向かったのは徳島。タンデムで2泊の旅は初めて。準備段階から楽しくない。制約が多すぎるからだ。感覚的に、バイクタンデムでの旅は日帰りもしくは1泊か?荷物・宿・トイレすべてに負担が大きい。

 朝5:40自宅出発。7時の波方行きフェリーには間に合わない。とりあえず志和ICより高速に乗る。走りながら計算すると、搭乗者他1名で船よりしまなみのほうが安くなる。河内ICをやり過ごし尾道ICで下りる。盆に入りおそらくいつもより多い交通量だろう。途中で「大和」ロケセットの案内板。近々立ち寄りたい。

 四国に入ってから走りなれた道を快走。途中までは、先週高知に行く際通ったばかり。直行では早すぎるため香川によってうどんを食べていく事にした。行った事がない店を選びたどり着くと、長蛇の列だった。並んでものを食うという感覚がない。限界が4〜5組か?それ以上はタダでも嫌だ。
 次の店を検索、待ちは4組、仕方がない。あとはどこに行っても一緒だろう。面白いメニューでおいしかった。

 善通寺からR438でショートカットし、徳島に向かう。今回の目的は阿波踊り。事前に地元のセブンで市役所前演舞場のチケットも購入済み。
 16:00過ぎに徳島駅ロータリーの歩道橋下にバイクを停めた。そごう前では踊りのデモンストレーション。活気がある。
 暗くなり席のある市役所前に向かう。阿波踊りを見るには、しっかりした有料のスタンドがある演舞場4つと、それ以外に無料の演舞場が何ケ所かあり、違った雰囲気で見ることが出来る。途中で無料の演舞場も通ったが踊り手と同じ目線で迫力があった。ちなみに有料のS席を買ったが前売りで1800円と映画館並み。決して高いものではない。

 席に着き演舞が始まった。来てよかった!すごい!
 もともと祭りは好きではない。むしろ人の多いところより少ないところを好むが、この数年変わってきた。いや、名の知れた祭りというのはそんな嗜好とは違う次元にあるのかもしれない。来年また来よう。

 宴の余韻を残したまま宿探しに入った。今回はその旅の特性上、2泊ともラブホテル泊にしていた。夜の時間の大部分が目的のイベントに占められるので1泊2食付旅館は無理。朝早く立つので、狭い風呂とベッドのビジネスホテルも割に合わない。
 現地の電話帳を開き検索すると非常に少ない。予想は的中しどこも満室。各部屋では、祭りの後盛り上がった単気筒エンジンがレッドゾーンに達してるんだな、いや、建物全体として考えると並列何気筒か?とアホな事を考えながら対策を練る。一人なら即決で次の目的地へ移動し始めるのだが、お互い昨夜4時間程度の睡眠しかとっておらず気を遣う。選択肢はそれしかなく、1:10の徳島発和歌山行きフェリーで船上の人となった。2時間の熟睡。疲れは大丈夫か?気遣いで倍疲れる。。。

8/15
 乗船時間の2時間すべてを熟睡で過ごしたが、パートナーは眠れなかったようだ。和歌山に上陸し再度ホテルを探すが、時間は午前3時。仮に見つかってももったいない。これはもう先を急ぐしかないだろう。とりあえず和歌山より阪和道へ。美原JCTで間違えて橿原方面に入ってしまった。道を間違えるのは大嫌いだ。
 今日の天気予報は旅立つ前から雨となっていた。先を急いだ理由の一つ。高速で移動するのに天気は問題ではない。その為に今日を移動日に設定した。雨は降ってないものの、どんよりしている。
 橿原よりR24を北上。さらに天理から無料高速、名阪国道へ。快調に距離をかせぐ。関から東名阪、名古屋都市高速をつないでついに中央道へ。東名阪では長崎を旅していた根本君よりメール。神戸付近を走行中。(笑)行きのすれ違い同様、またニアミスだ。

 中央道。何年ぶりだろう。15年は使ってないかもしれない。昔、東京に住んでいた頃、長野に向かうのによく利用していた。渋滞は土岐と恵那あたり。盆休みという事でさすがに混んでいる。2輪の本領発揮。スピードは落ちるが車間を縫ってクリア。そして目的地長野県、諏訪ICを前に大渋滞。これは想定内。

 諏訪湖の花火大会は、全国ニュースでも聞く事がある。規模は4万発。あの隅田川花火大会の2倍。当初の計画では2人で高原のペンションでも泊ってゆっくりと過ごそうと思っていた。それを変更させたのはあの前の週、偶然出くわした高知・伊野の夏祭り。あれがなかったら…、おばちゃんの術にかからなかったらこの花火はなかっただろう。

 渋滞する車を尻目に一気に湖畔へとたどりつく。時間は昼過ぎ。まず駐車場探し。16時より歩行者天国になるらしく。その前に出来るだけ会場近くにおきたい。ぐるぐるしていると市役所隣りの学校に停める事が出来た。ここでトラブル発生。意見の食い違いからケンカ。2人無言で昼ごはんのとれるところ探していると、間違って会場についてしまった。引き続き無言でのビールと焼きそばだった。

 花火大会会場は最初の打ち上げまでまだ7時間以上もあるというのにものすごい人出。特に花火がよく見える湖畔はもう場所とりでいっぱい。なんとか2人座る場所を見つけ、そこで眠りに。彼女は日焼けが嫌だとどこかへ行ってしまった。

 周りはたくさんの人でさすがに何度か目が覚めたが、疲れをとるには十分。帰って来た彼女の情報によると打ち上げの頃に雨だそうだ。雨天決行だが出来るなら降って欲しくない。北から今にも雨を降らせそうな雲が近づいてくる。そして…まだ真っ暗になっていない空に最初の花火が打ち上がった。。。

8/15
 のっけから地元花火大会のグランドフィナーレクラスの乱れ打ち。やはりレベルが違う。かなり近くに上がるため音も大きく迫力満点。おまけに風が強く煙待ちがない。エンディングは全長2キロあるというナイアガラ。終了を待ったように雨が降り始めた。。。
 大観衆。集まるのはバラバラだが帰りはみな一緒。スゴイ人ごみの中をバイクへと急ぐ。レインウエアを着込み動き出したが学校を出たとたんまったく身動きが取れなくなった。町中は歩道の段差があり路肩が狭くすり抜け不可。まったく動かないまま時間だけが過ぎていく。ずっと寝ていない彼女だけでも先に行かせるが、大きなイベントなのでビジネスホテルはどこもいっぱい。ほんの少し先のコンビニに行くのに長い時間をかけ、仕方なくそこで弁当。微動だにしない車列を見ながら電話帳を見る。
 深夜1時を過ぎ、やっと動き始めた流れに乗りホテルを探すが、調べた地域にはそれらしい建物がまったくない。流れ始めたといっても大通りに出ればやはり大渋滞。1時間以上さまよい疲れはピークに。ふと向かいの山の上を見ると華やかなネオンが。あれだ!長年訓練されたラブホ探索能力に間違いはなかった。ホテル・「ラ・セゾン」ほぼ満室の中に準備中の1室を発見。フロントに問い合わせると掃除終わりしだい開けるとの事。もう探したくない。値段を見ると驚きの16000円。どこへ行っても盆正月GWは特別料金だが、都会の街中でもこんなに高いのは見た事がない。しかし、2日間走り続けた2人にもう選択の余地はなかった。

8/16
 翌朝10時、元気を取り戻し霧ケ峰に向け出発。霧ケ峰を抜け美ヶ原ビーナスラインへ。最高地点は写真の美ヶ原高原美術館付近。武石峠から美ヶ原林道を経由して松本へ抜ける。さらに上高地へ。坂巻温泉、泊まった事もある中の湯。懐かしい…。もう少しゆっくりしていきたいが時間も押してきている。そのまま飛騨高山へ。目的は飛騨牛。地元タウン誌で情報を仕入れる。選んだ店は「京や」。火曜日が定休らしいが電話すると盆で営業しているとの事。特上あみ焼き飛騨牛は喧嘩した事など吹き飛ばしてくれた。かなり繁盛していて選択は正解。

 帰りがけに福井からの旅行客4人組に話しかけられる。さすがに広島ナンバーは目立つ。バイクならではの出会い。車では話しかけられなかったろう。良い旅を。

 さて、店を出た時点で時間は20時。明日は盆明けの仕事6時起き。で、ここは飛騨高山。帰るぜ!

 東海北陸自動車道を南下する。くしくもGW、根本君と旅したルートを逆に下るわけだ。荘川、記憶も新しい。
 白鳥の手前で、「雨走行注意」には気付いていた…。左の上空で光っていた雷は、嫌でも目に入ってきていた…。先を急ぐあまり無視していたのだが、突如土砂降りが襲ってきた。ズブ濡れになりながらPAの出現を待つ。初めて通る対面通行の東海北陸道。ぎふ大和までの距離が恐ろしく長く感じた。

 濡れた服を着替えて、レインウエアを着るがまだ出発できない。空には閃光が走り音は近い。雨だけならすぐ出るのだが雷だけはまずい。かなりの時間足止めをくらった。2人で話す。徳島・阿波踊り、和歌山、長野・諏訪湖花火、美ヶ原、上高地、岐阜・飛騨高山。なんというルーティングだろう。

 やまない雨の中出発したが、結局名古屋を過ぎるまで降り続けた。あとはクルージング。疲れた右手を休めるため、オートクルーズスイッチをONにする。スロットルのすべりが悪く、ちょい開けを保持できるのだ。
 時々後ろの彼女が変な動きをする。寝ている。車と違い振り落としては困るのでひざをたたく。がんばれ。

そして…志和IC出口2キロ。着いたー!帰宅時間朝5時。風呂入って残り睡眠時間40分。仕事に影響させてはいけない。全走行1710キロ。


高知〜伊野2005
 大学の一つ下の後輩に会うため高知に向かった。ほぼ15年ぶりの再会。彼は4年生時キャプテンを務めた。何十人もの部員を統率するリーダーシップは、自分には到底真似の出来ない仕事だ。
 大学体育会では一般に知られているように厳しい上下関係がある。例えるなら、1年生・下級奴隷、2年生・上級奴隷、3年生・自由人、4年生・神。いっこ違いは割と近い存在だ。

 8:30に出発し、竹原港へ向かう。波方からはすべて一般道で高知へ。R194に入るまでの市街地はバイクでも路肩が狭く、抜くのに手間取る。194に入りブチ抜きモード全開。13:00位の到着と伝えたので時間がない。
 30分遅れの13:30。はりまや公園の前で携帯をとる。話すと彼はすでにこちらを認識している。どこだ?人を訪ねる旅で最も高揚感を感じるのは、待ち合わせ場所で相手を探し始めてから見つけるまでの時間だ。
おー!!!久しぶり。
 彼の案内で土佐塾高ふもとの「12か月」というレストランに入った。苦楽をともにし、同じ釜の飯を食った男との会話はまさに昨日別れたようだった。当時知らなかった話もたくさんありあっという間に時間は過ぎる。ランチで入ったレストランを出たのは17時過ぎ。3時間以上いた事になる。またいつか再会を約束し別れの握手をする。

 まだ明るい時間帰路についた。フェリーの最終便は21:30。その前の便にも余裕で間に合う時間だ。早く帰るつもりだったが。。。
 早めの帰路についた隣町伊野で突如、刺客が襲ってきた。ぞろぞろ歩く浴衣の少女や家族連れたち。まずい!状況を察知し警戒した。しかし抵抗もむなしく渋滞でスピードダウン。
ふと左の川土手を見上げると第二の刺客が待ち構えていた。色とりどりの夜店だ。音や匂いで攻撃してくる厄介なやつらだ。
今日は絶対早く帰るんだ!!!…
 一進一退の戦いでエネルギーを消耗したところへついにボスキャラが現れた。地元のおばちゃんだ。
おばちゃんには今までも何度かやられている。
「今日祭りがあるよ。」とか、「8:00から花火だよ。」とか甘い言葉で誘ってくる。今回は…こちらから聞いてしまった。。。
自分「祭りかなんかあるんですか?」
おばちゃん「これから清流太鼓、8:00から花火があるよ。」さてバイクはどこに停めようか。あっさりつかまってしまった。今思えば…おそらくあのおばちゃんは、風上から何らかの薬をまいたに違いない。そうでなければあんなに簡単につかまるはずはない。
 知らない町での祭りは不思議だ。ねぶたなどの大きな祭りと違って地元民がほとんど。何か自分だけが別世界にいる気分。かといって居心地が悪いわけではない。花火もこじんまりとしているが近くで見れるためなかなかの迫力。
 最後の乱れ打ちの後、花火で文字が浮き上がる。「オワリ。」そして我に返る。おばちゃんの薬の効力が切れたのだ。フェリーには間に合わない。ここはまだ高知。自走としまなみの帰路となった。もちろん翌日仕事で6時起き。
 行きで来た道を引き返したが寒風山トンネルは印象的だった。名前からして寒いが、高度700位らしく本当に寒い。距離は5400メートルもあり、写真に撮った場所から両出口はまったく見えない。深夜で交通量も少なく高速道路状態で、何気なく待避所にバイクを止めた。
 通常、高速道路のトンネルはもちろん駐車禁止だが、このトンネルは何ともいえない雰囲気をただよわせていた。
 よく見かける巨大送風機からの風は、弱い空気の流れを作り出しヒンヤリとしている。1〜2キロ先の出入り口から入ってきた車の音は徐々に大きくなり、目の前を通り過ぎる時は爆音だ。そうかと思えば何分も車が来ない時間もあった。
 今治からしまなみに乗る。全線通して走るのは初めて。いちいち料金所があり対面通行もさえない。
 この時点で1時過ぎ。もう高速に乗る必要もないと判断し、R2、尾道バイパスへ。結局、帰宅は3時。飯食って風呂入って4時。キツイ月曜日だった。おばちゃん次は負けない!


端島#4 2005
 外人墓地は大好きな場所だ。決してダークな雰囲気はなく静かな空気が流れている。廃墟のような、かつて人のいた場所と同じ空気を感じる。存在しない人の墓などない。人間が生まれ、そして亡くなった証。
 坂本国際墓地には100年近く前の墓が多い。異国の地で眠る事。子孫は今どこに。墓参りに来る人はいるのか、など思いは尽きない。
 シドニーの墓は、グラバー園で有名なトーマス・グラバーの墓を探している時に見つけた。今から83年前、4日間だけ生きた命。生まれてすぐなくなるのはよくあったことだ。うちの先祖にも1才で亡くなった者は多い。彼の両親もおそらく亡くなっているだろう。母親が20才で生んだとしても103才。
 なぜ死んでしまったのか?どういう経緯で長崎に生まれ、眠る事になったのか想像もつかない。
 ただ確実に言えることは、83年前の今日から4日間、彼はこの世に存在したのだ。
 2週続けての端島。何度来ても自分がそこに立っていることが不思議に思える。今回の仮眠場所は行く前から決めていた島の最高所にある職員住宅の屋上。
 土曜の仕事が19:00までかかり、夕食後「女王の教室」を見てからスタート。先週より1時間早く出た。それが災いしてか余裕かまして3ストップ。佐賀の金立SAではっと時計を見ると、ETC深夜割引まで30分ちょっと。ぶっ飛ばすも3:55に仕方なく大村で下りる。下道で向かうが今度は船の時間も危険になってきた。諫早で再び高速へ。長崎からの一般道もかなりのスピードで駆け抜け、間一髪間に合った。上陸するのは自分だけ。今までにないパターンだ。
 いつものようにその足で65号棟幼稚園へ。朝食後そのまま寝てしまった。先週今週と不眠のナイトランでさすがに疲れている。1時間ほど寝たところで人の声で目が覚めた。学校グランドを見下ろすと7〜8人の団体が上陸している。時計を見ると7:00。一人の時間はそう長くはなかった。
 職員住宅に向かったが、その途中で彼女に出会った。静かに目を閉じていた。別に少女人形自体に興味があるわけではない。無人のこの場所でヒトガタは強力な存在感を持つ。そっと目を開くと彼女の眼は生きていた。その部屋の記憶から5年前にも会っていた事を思い出した。モデルになってくれた礼を言い、そっと目を閉じる。今回撮った写真は25枚。そのうちの11枚が彼女の写真だ。島を360度見渡せる職員住宅屋上で、帰りまでのすべての時間を過ごした。時折朝の団体が遠くに姿を見せる。


端島#3
 3週雨で流れた端島行きだが、ついに状況がととのう週末が来た。仕事を終え、明るいうちに車両点検。車検前整備で万全のため、エアとチェーンオイルのみ。装備は島上陸中、荷物が放置される事を考えビジネスホテル仕様。
 夕食後2時間の仮眠を取るも眠れず。さすがに20時からは眠くない。というわけですごく珍しい定刻出発23:00。
 23:50、ETC割引のきかない広島岩国道路を避け、大竹より高速へ。交通安全週間のため、巡航120程度で安全走行するも、九州に入ったところで140程度の車に追い付かれる。ちょうど良いペースメーカーだ。あおられてると思われないよう、かなり車間を開けて追走する。
 新たなペースメーカー出現。先に行かせ様子を見ると、すぐに180〜200オーバーで巡航し始めた。走行車線から、少し後方でくっつく。さすがにこれ以上は出さないようだ。あっという間に福岡ICに近づき下りて行った。深夜2:00前、暗闇の200キロバトルと仕事疲れで疲労度が増してきた。
 福岡を過ぎてそろそろ給油しなくては。。。給油ごとクリアのトリップAは250キロを超えている。
このバイクには大きな持病がある。これまでのオーナーの管理によりタンク内に錆が発生し、リザーブが詰まり気味。去年のキャブオーバーホールでバイク屋に教えてもらってはいたが、このあいだ驚愕の事実が発覚。キャンプではストーブ(キャンプ用コンロ)の燃料をバイクから取るのだが、何の気なしにリザーブからとるとこれが全く出ない。タンク容量24リットル、リザーブ6.5リットル。つまり24リットルのタンクを持ちながら、17.5リットルしか使うことが出来ないのだ。それにもかかわらず疲れからボーっと走っていた。鳥栖JCTから長崎道へ。トリップAを見ると300近くになっている。まずい!スタンドのある金立SAまで30キロ近く、おまけに出発時の給油でトリップAの押し方がまずく、20キロ以上ゼロのままで走っていた。80キロまで落とし、下りは惰性走行しながらSAまでの距離をヒヤヒヤでカウントダウン。なんとかたどり着いて入れたガスは17.64。いつ止まってもおかしくなかった。
 規定1ストップを追え一路長崎へ。 ETC深夜割引が適用されるのは4時まで。3:40予定通り長崎料金所通過。4750円。朝昼の食料を買い込み、4:00過ぎ到着。まだ薄暗い中、3度目の端島の地を踏んだ。
 上陸と同時に同乗の人たちと別れ、ひとり幼稚園に向かった。いつもあそこで食事。きれいな朝日が登ってきた。歳月はやはり変化をもたらしていた。印象深かったのは、手術室のライト落下、寺の仏様が倒れ、変電所の機械が崩壊。幼稚園の長い落書きが壁ごと倒れていた。。。もう字は読めない。あのマネキンの下半身も見つけた。
 島に上陸できなくなるのはそう遠くないだろう。街で生活していて考えもしない事だが、コンクリート製の建造物が体重をかけることで崩壊する可能性はかなり高い。
 撮った写真は同カットを除くと全部で26枚。前2回と違い、写真を撮るために行ったのではないからだ。撮ったところでどうせ島に撮らされるのがおち。被写体の存在があまりにも大きい時、写真は誰が撮っても同じになる。説明的な写真は他のサイトを見れば済む。自分の目で見て焼き付けることが重要だ。朝6時から10時までの4時間、ずっとコンベア近くの同じ場所に座っていた。(2時間は寝ていた。)潮騒とトンボと鳶の声がすべて。神社にも1時間半はいた。来週か再来週でもう一度行ってみよう。