里見東白之碑




寛政十一年(1799)五月建立



(碑文)
東白翁者界府之聞人也工
於章璽最好茶事及没葬于
府之興覺寺及為碑象茶臼
凾矣蓋以其平日最好茶事
也既而以其形異懼人或摩
挲以汚々也今茲寛政巳未
之夏以石為外蕃以護焉銘曰
周之乕落石為之孝乎惟
孝可以護碑
寛政巳未五月
  霊松義讃撰
  孝子里東霞建立
(釈読)
東白翁は界府の聞人なり。章璽をたくみにして、最も茶事を好む。
没するに及び、府の興覺寺に葬る。碑を為すに及び、茶臼函をかたどる。
蓋その平日最も茶事を好むを以て也。既にその形異なるを以て、人懼る。或いは
摩挲して以て汚々也。今ここに、寛政巳未年の夏石を以て外蕃となし、以て護る。
虎落をめぐらすは、石の孝たり、おもうに孝は碑を守るべし
寛政巳未五月
                         霊松義讃撰
                         孝子里東霞建立








(現代語訳)
里見東白は堺の町の著名人である。印鑑の篆刻が達者であり、好んで茶を嗜んだ。
亡くなった時に堺の興覺寺に葬った。墓碑を作る時、茶臼函をかたどった。
それは、東白が平生に茶を嗜んだからである。茶臼函かたどった墓碑は異様なので、
懼れる人もあれば、手で触る人もおり、汚れが目立ってきた。
そこで、寛政十一(一七九九)年の夏に、垣根をつくって、石碑を守ることにした。
寛政巳未五月
                         霊松義讃撰
                         孝子里東霞建立

※現在ある石版は、茶臼函をかたどった墓碑ではない。その由来を書いた石の墓誌である。
茶臼函をかたどった墓碑は無くなっていると思われる。