第4回筒井講座堺市内散策・堺都市政策研究所(フォーラム堺学)興覚寺訪問時資料
興覺寺檀家筒井家・伊達家と
日蓮宗本山堺妙國寺との関わり
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お題目道場  興覚寺(こうがくじ)








 興覚寺の歴史     〜興覚寺七百年の歴史〜

 寺伝によると興覚寺の創建は北条師時執権の徳治二年(一三○七)とされています。
日蓮聖人がなくなって二十六年目、
日蓮聖人の直大弟子日像上人が京都で心血を注ぎ命をはって法華経を弘めているまっただ中の時代であります。

日像上人は必死でお題目を京都に弘めていたが法難にあい、三度京都を追放されていますが、
その一回目が徳治二年、土佐へ流罪。
二回目が延慶三年(一三一○)紀伊国(和歌山)への流罪。
このころに興覚寺が開創されたと考えられ、
紀州街道筋に
古くより栄えていた堺の町に法華道場がひっそりと出来たことが推測されます。
残念ながら度重なる戦災や歴史の混乱期にて興覚寺に関する記録・資料・古文書類はすべて焼失してしまっています。

 
堺でもっとも古い日蓮宗寺院と伝えられていますが、
七百年の間、法華経流布の道場として、盛衰をかさね、
無住職の時期も経て、ようやく天正年間(一五七三〜九二)より
寺院としての体裁と内容をととのえて今日に至ると考えられます。

 明治時代より近年、興覚寺は戦火や火災の禍にあい、
三度の復興を経て現在に至っていますが大戦後の区画整理によって、
八百五十坪あった寺域は
現在三百三十坪となっています。

 以上の通りの寺歴をもつ興覚寺ですが、この間の歴代の住職、有縁の檀信徒の法勲がしのばれます。
興覚寺でお題目を唱えた有縁のご先祖、そしていろいろな悩みを抱えながらも何とか無事に今この世に生きる私たち、
皆の力をいただいて、今ここに
興覚寺七百年という壮大な歴史の節目を迎えます。

 一人一人のお題目の音声は小さいかもしれませんが、
興覚寺というお題目の道場に足繁く集い声高らかに唱える真のお題目は、
一層信心を深め、祖先を敬う心豊かな人格の形成を得、
世界の平和をかなえるあなたの菩薩行の実践道場として、
仏様、法華経、日蓮聖人によってあなたの心に
『南無妙法蓮華経』という真理をお返し与えて下さることでしょう!

平成19年は(2007)興覚寺開創七百年です!

参考文献 和泉日蓮宗小史(昭和52年版)





平成27年4月吉日更新

興覚寺の開創は徳治2年(1307)とされており、
今年で708年目(平成27年)となる堺では最も古い日蓮宗のお寺です。
この頃は、日蓮聖人の遺命をうけた日像上人が、法華経の教えを畿内に広めるため京都を中心に布教活動を推し進めていた時期にあたります。
関東から単身花の都に入り、公家や武家という権力者や、農民の信者に支えられる既存の宗派から激しい迫害を受けながら商工業に携わる町衆の中に信徒を拡大していった日像上人にとって、商都として勃興期にあった堺は京都同様に重要な布教の対象であり、興覚寺は堺での布教の拠点となる道場として開かれたと考えられます。 
16世紀半ばの古文書によれば、京都本山の妙覚寺への寄進が、他の寺では寺院の名前であるのに興覚寺は寺に結衆する信徒集団である「興覚寺衆徒」名で行われており、この頃も
興覚寺が法華信者の町衆によって支えられていた「お題目道場的性格」を強く持った寺であることが分かります。
日蓮宗寺院として確立されたのは、16世紀末天正年間の頃と思われます。興覚寺を支えた町衆には、本能寺の変の際に徳川家康の伊賀越えを助けた木地屋筒井庄右衛門で有名な筒井家、妙國寺を建立した油屋常言の伊達家などの豪商もおりました。
その後、興覚寺は大阪夏の陣による堺焼失後も再建され、明治以降も火災に遭い、第二次大戦の空襲では寺宝や古文書も殆ど焼失する、という数多くの不運にも耐えて蘇ってきました。
現在の御本堂は、昭和46年に再建されたものですが、戦前880坪あった寺域は残念ながら350坪となっています。
また興覚寺は、日蓮宗大荒行(だいあらぎょう)修練の祈祷道場としても、法華経信徒の信仰を集めております。



昭和52年7月
日蓮宗和泉布教師会発行発行