「資格を有した僧侶」と
「無資格の僧侶」について


平成30年8月某日
仏事をやり直したいと言う方が相談に来られました。

質問者
後で聞かされて判かったのですが、仏事をお願いして来られた方が「正式なお坊さん」ではなかったと、
参列者に言われ、お寺に尋ねたところ、「資格を持たない僧侶です」との返事を頂きました。

「資格を持たない僧侶」とはどういう方でしょうか?
「資格を持たない僧侶」は「正式な僧侶」なのでしょうか?


答え(私)

お寺の中には「資格を持たない僧侶」が、葬儀や法事、仏事をお勤めするのを
そのお寺の住職が許して執り行わせている場合が現実にあります。

気になる方はお寺の住職に、仏事法要をお勤め下さったのは
正式な僧侶(そうりょ)ですか?」とお聞きになるのが良いと思います。
お寺の住職はそのお寺の全責任を負っています。
直接聞く事が困難な場合、気がひく場合、疑わしい場合は同じ宗派の他のお寺様か
宗派の相談室(宗務院)にお尋ねになるのが良いと思います。
大変重要な確認事項ですので何の失礼もありません。
「正式な僧侶」に仏事をお願いしたい場合は
出来れば事前にお寺様に確認をとっておく事が大切です。



正式な僧侶とは(日蓮宗の場合)

~日蓮宗宗制より~
35日間の日蓮宗信行道場」の修練を修了し、
日蓮宗より「
教師(僧侶)認証」を受けた者


日蓮宗信行道場での修練科目
 一、三宝給仕
 一、正助二行
 一、法要式及び布教法
 一、宗学及び仏教学大意
 一、信行訓話
この五つを三十五日間で会得体得出来た者が
「日蓮宗教師資格=正式な僧侶」となれる



私的「正式僧侶」考察
たった35日ですが、冷暖房もテレビもスマホもコンビニも無い、「ありがたい社会」から隔絶された修行期間。
未熟故、挫折しそうになるが「信仰と感謝」にて不思議の神仏の加護を受け修行は続行出来る。
鍛錬は失敗を重ねるが、悲しみや苦しみを直に感じ取りながら、
生活上の悩みを社会上でかかえる人たちに寄り添える人格へと自身を生まれ変わらせる尊い35日。

修行を終えてからの社会にとけ込む教師(僧侶)としては、
欲に染まらず、自戒をもって生活を送り、修行期間の『毎朝の勤行・三宝給仕』を基本に、
その日一日を懸命に布教精進することによって、意味ある「信行道場35日」が完結する。 

「日蓮宗信行道場35日」は教師(僧侶)としてこの世に生きる「誓いの期間」で、
それを達成できた者が「正式僧侶」であると考えます。