曹洞宗  大溪山  豪徳寺
  
      だいけいさん   ごうとくじ

住所:世田谷区豪徳寺   最寄り駅:東急世田谷線宮坂駅
                       小田急小田原線豪徳寺駅
招き猫伝説
招き猫置物   寺で販売している
招福猫児(まねぎねこ)の由来
今名刹の豪徳寺は、昔貧寺にして二三の雲水修行してようやく暮らしを立つる計りなりき。時の和尚特に猫を愛しよく飼いならし自分の食を割いて猫に与え愛育せしが、ある日和尚猫に向かい、「汝我が愛育の恩を知らば何か果報を招来せよ」と言い聞かせたるがその後幾月日が過ぎし夏の日の昼下がりにわかに門のあたり騒がしければ和尚何事ならんと出てみれば、鷹狩の帰りと覚しき武士五六騎、門前に馬乗り捨てて入り来たり和尚に向かい謂えるよう「我等今当寺の前を通行せんとするに門前に猫一匹うずくまり居て我等を見て手をあげ頻りに招くさまのあまりに不審ければ訪ね入るなり暫く休息させよ」とありければ和尚急ぎ奥へ招じ渋茶など差し出しける内天忽ち曇り夕立降り出し雷鳴り加りしが和尚は心静かに三世の因果の説法したりしかば武士は大喜びいよいよ帰依の念発起しけむやがて「我こそは江州彦根の城主井伊掃部頭直孝なり猫に招き入れられ雨をしのぎ貴僧の法談に預かること是れ偏に仏の因果ならん以来更に心安く頼み参らす」とて立ち帰られけるが、これぞ豪徳寺が吉運を開く初めにしてやがて井伊家御菩提所となり田畑多く寄進せられ一大伽藍となりしも全く猫の恩に報い福を招き寄篤の霊験によるものにしてこの寺を猫寺と呼ぶに至れり。和尚後にこの猫の墓を建ていと懇に其冥福を祈り後世この猫の姿をつくり招福猫児(まねぎねこ)と称へて崇め祀れば吉運立ち所に来り家内安全、営業繁盛、心願成就すとて其の霊験を祈念する事は世に知らぬ人はなかりけり。
                             
豪徳寺


豪徳寺は古くから有名で現在でも大規模な寺院といってよい。しかし、ここに「招き猫伝説」のあることはそう多くの人が知っているわけではないであろう。私のこだわりの寺院である。
なお、招猫殿の猫観音像は勢山社さんが1993年に製作したものであります。仏像の製作者を知ることは殆ど無いのですが、ここだけは知る事が出来ましたのでご紹介します。
続けて豪徳寺を紹介しましょう。
豪徳寺と十勝  江戸名所図会
十勝
@臥竜桜    A選仏場    B碧雲関    C照心堂    D枯華塔
E楓樹林    F松伯檀    G清涼橋    H黄鳥哺
豪徳寺と十勝
本堂の額
豪徳寺
本尊は釈迦如来。文明12年(1480)吉良頼高の娘で同政忠の伯母にあたる弘徳院のために城内に創建された小庵で、初め臨済宗に属し、弘徳院と称したと伝え、天正12年(1584)曹洞宗に転じた。寛永10年(1633)に世田谷領を領した近江彦根藩主井伊直孝が大檀那となって堂宇、殿社を造営、井伊家代々の江戸菩提寺となった。直孝は中興開基とされる。万治2年(1659)直孝が没すると、その法号久昌院殿豪徳天英居士にちなみ豪徳寺と寺名を変えた。直孝の娘掃雲院は父の冥福を祈るため多くの浄財を寄進した。これにより当寺は大伽藍を備えた寺となった。
幕末の彦根藩主で万延元年(1860)江戸城桜田門外で暗殺された井伊直弼は当寺に葬られた。直弼の墓は都指定史跡。
墓のぞばに桜田殉難八士之碑や、墓守として一生を当寺で終えた遠城謙道の墓塔もある。門前を通りかかった井伊直孝と郎党を招き入れ、落雷の災いから救ったという招き猫の伝説があり、猫観音を祭る招猫殿への参拝者も多い。

歴史地名大系
東京都の地名
猫観音を祀る招猫殿
願いを叶えた招き猫たち
本堂
@臥竜桜
名所図会では「仏殿の前右のほうにあり、花弁は一重白い花が咲く」とあるが、現在の桜は江戸期の桜の2代目だそうである。
A選仏場、本堂、仏殿
「選仏場」は名所図会では「仏殿の右に並ぶ、当寺十勝の一なり」とあるが、現在この建物はない。ここに掲げられていた「選仏場」の額は現在豪徳寺の中心にある「仏殿」(江戸名所図絵では(@の奥に)「本堂」と書いてあり、同じく文章では「仏殿」となっている)の東向きに掲げられている。「仏殿」の正面、南向きには「三世佛」の額も掲げられている。この仏殿は「釈迦如来」、「弥勒菩薩」、「阿弥陀如来」の仏像を安置しており、そこから「三世佛」という名称がついているようである。
「三世佛」の三は額では「弐」の内部「ン」を「三」にした文字になっている。
木立の奥「仏殿
中央奥が臥竜桜 左仏殿
B碧雲関
名所図絵に「碧雲関は総門の名なり」とある。江戸時代「総門」は豪徳寺の入口にあったが、現在はここには「門柱」があるだけで、図会の「山門」に当たる所に「総門」がある。そしてこの門に「壁雲関」の額が掲げられている。
総門
C〜H  現在存在しない


Gの名残を示すもの
江戸名所図絵では豪徳寺の門前を川が流れ、その川に十勝の一つ「清涼橋」がかかっている。現在この橋は全く姿を消したが川は暗渠化され、そこが遊歩道となっている。この遊歩道は豪徳寺の前を通る「城山通り」に平行して2筋南西を通っている。
川跡の遊歩道
豪徳寺周辺
城山通りに入るには世田谷通り世田谷区役所入口を区役所の方向に入り東急世田谷線を越えて左折するか、環八千歳船橋から線路沿いに東に入る。世田谷は道が複雑でわき道に入ると脱出困難にもなる。豪徳寺に行くにも近道を見つけるのは難しい。
電車を使う場合下高井戸と三軒茶屋を結ぶ「東急世田谷線」の「宮之阪」で下りる。2両連結の綺麗ないわゆるチンチン電車である。一度は乗ってみるのも楽しそう。宮の坂駅には暫く前まで使っていた電車が展示されている。
2003/07
現在の豪徳寺