第77話:マーヴェラスな憂鬱 最終回
「風が唄った日」
<update/2017/08/19>
人生で最も貴重な瞬間、それは決断の時である。
(マジで。)
いやぁ〜久しぶり、、、、、なんてもんじゃないね。更新。
このメインタイトルの「マーヴェラスな憂鬱」の話の更新が、なんと丸10年前ぶり。
何の因果か、第76話のUPが、ちょうど10年前の2007.08.19
たまたま最終回でも書こうかと思って確認してみたら、まぁ都合のいいこと(?)に、
区切りの10年ぶりだったので、こりゃこのタイミングで書かんといつ書くの?ってことで
ボチボチと書いてみますかね。
っといっても、SNSが主流な昨今、もはやこんな死後となりつつある静的「個人サイト」なんぞ、
見に来る人も皆無だろうが、たまぁ〜に、たまぁ〜に辿りつく方もいらっしゃるので、
「あっ、最終回で終わったのね」とまぁ告知的意味合いと、自分自身のケジメも含めてね。
ぶっちゃけ、この話を書こうかどうか迷ったのだが、
人生何が起こるかわからんという戒めも含めて書いておきますよ。
結論から言っちゃいましょうかね。
今から5年前の、2012年3月、人間ドック受けて再検査をした後、
医者からこう言われた。
健地蔵さん。
食道癌です。
ステージVです。
!?!?
セイセイセイセイセイ、
せんせい、いやドクター、
意外に淡々と本人に面と向かって告知するのね。
人間ドックの再検査の時点で、胃カメラの画像見て、
なんとなく、素人がみても、
「異様な物体」がそこにあって、
なんとなく、素人がみても、
「これ、マズイもんッスよね?」と
薄々は覚悟してはいましたが、
もうちょっとこう、なんと言いますか、ドラマみたいに、
「気をしっかり持って聞いてくださいね」とか、
「今日はご家族の方はどなたかいらしてるのですか?」
とか一切無い、ド直球なのね。
まぁそっちのほうが考える暇も与えられず、よかったですが、
どのみち、
終わった。
今度こそ、俺の人生終わったわ。
48歳(2012年当時)にして終了かよ。
もっと言えば、リンパ節へも2箇所転移しておりました。
で、医者から指摘された癌になった原因、
とにかく一番大きな原因は、「酒」(俺の体質・飲み方・量)と「煙草」
とにかくつまみは食べずにひたすら呑む事。
ビールから始まり、特に焼酎・バーボンなどはロックでグイグイと。強い酒ほどロックで。
俺はもともと、酒を飲むとすぐに顔が赤くなって飲めなかった体質なのに、
だんだん飲めるようになったタイプで、
食道がんになるリスクが非常に高いタイプなんだそうだ。
と、そんな事を言われても既に遅いわけで、
いろいろ調べちゃうわけですよ、ネットとかで。
食道癌のステージVって、あとどのくらいで死ぬのかとか、
生存の可能性はあるのかとかね。
すると、見ちゃうんですよ、
「術後5年の生存率20〜30%」くらいとか、
食道癌はいろんなところに再発しやすいとか、
リンパ節に転移していると、かなりヤバイとか。
ネガティブなことばっかり。
ただそんな状況の中、一番の支えになってくれたのが、妻の存在。
動揺したそぶりも見せず、明るくいつも通りに接して傍にいてくれたおかげで
自分を見失わずにすんだ。
妻には本当に感謝しかないです。
そして、なんでしょう、
自分、バカなんだか能天気なんだか自覚が無いのか、危機感が無いのか、
とにかく何でもポジティブに考えるようにしたんですよ。
あと1ヶ月遅かったら手遅れになっていたかもしれなく、、
「今のうち、癌が見つかってラッキー!」とか、
残念ながら手の施しようもない患者さんもいらっしゃるわけで、
「手術できるだけでも有難い!」とか、
「リンパ節への転移が2箇所以外は無かったのはラッキー!」
とかね。
とにかく何でもポジティブに考えて、いっさい塞ぎ込まず、
普段どおりゲラゲラ笑い、ふざけたり、
病気のことを自虐的にギャグにしたりね。
これね素人考えだけど、なまじ外れてなくもないのよ。
「病は気から」と言いますが、ほんとソレ。
辛いかもしれないけど、塞ぎ込むより明るく笑っていたほうが、
絶対に前に進めると思います。
ただ、手術前に抗がん剤投与を1週間ずつ2回やったのだが、
治療中、これはクッソ辛かった。
で、手術は、リンパ節の切除と、腫瘍が出来てる食道をほとんど切除して、
下から胃をギューッと上に伸ばしてきて、と
喉の下あたりくっ付けるわけですよ。
そして実は、食道癌意外にも、
(食道癌の手術に結構な割合で多いらしいのだが)
声帯を動かして声を出すための反回神経が術後に麻痺してしまって、
声が出せなくなってしまってたんですよ。
結果的には、半年後位に声帯の手術をして
おかげさまで普通の生活には問題ない程度まで回復しました。
2012年からの経緯を大まかに書いておきますかね。
〜経過〜
▼2012年3月1日〜人間ドックで癌の疑いあり ▼2012年3月12日〜再検査にてステージ3の食道癌〜リンパ節へ2箇所転移 ▼2012年3月26日〜抗がん剤投与1クール目(がん研有明病院) ▼2012年4月23日〜抗がん剤投与2クール目 (がん研有明病院) ▼2012年5月25日〜食道がん手術 (がん研有明病院) ・手術の影響で左反回神経麻痺により発声機能の喪失。 ▼2012年11月下旬〜誤嚥による肺炎〜緊急入院(1ヶ月) (がん研有明病院) ▼2013年2月上旬〜左声帯手術 (国立国際医療研究センター病院) ・日常生活に支障のない程度まで発声機能を取り戻す。 ▼現在は約半年毎の検査にて経過観察中。 |
手術後3年くらいは、3ヶ月に一度、再発してないか精密検査をいろいろ受けて、
その後は、すこしづつ間を空けながら検査をするという感じ。
酒も、煙草も術後、一切断っております。
術後、ある程度月日が順調に過ぎた方で、
大丈夫だろうと酒や煙草を再開される方がたまにいらっしゃるようですが、
私に言わせるとぶっちゃけアホですね。
施術してくれたドクター、懇親的に支えてくれている家族、心配してくれた同僚や友人、
全ての人を裏切る行為だと思うので、
ダメでしょ。それが原因だって言われてるのに。
食事も、ありがたいことに妻がいろいろ勉強してくれて、
身体に良さそうな物を作ってくれて、
ひとつの節目といわれる5年間、
再発もなく生き延びてやったぜ!
まぁ、いつどうなるかまだまだわからないけどね。
現代医学で癌には、「完治」はないからね。
周りからも奇跡だと言われるけど、
治療をする際に、一度だけ自分が決めなきゃいけない事があった。
いろいろ説明を受けた後、
「外科療法(手術)をするか」それとも「放射線療法にするか」
なんか知らんが、お前が決断しろと。
(もちろん、きっちり丁寧に家族も含めて説明はしてもらっている)
その瞬間、俺は迷わず外科療法に決断した訳だが、
もしもあの時、まぁ結果論ではあるが、
手術はせずに、放射線療法にしていたら、
今頃、この話も書けてたかどうか、、、、、、。
それを考えると怖いわな。
怖いといえば、身体のどこかがピリピリと痛めば、再発したんじゃないかと気にはなるが、
病気に対して毎日ポジティブに向き合ってはいるものの、
毎回精密検査の結果を聞きに行く前日の夜は、流石にびびって寝つきが悪い。
そんな時は、カミさんの手を握って寝るのが一番落ち着いたりなんかして。(ぽっ)
悪かったな、
キモイ54歳(本日現在)のおっさんで。
仕方ねぇだろ、怖いときは、怖いんだよ。
でだ、
もしも、もしもだ、貴方が同じような病気になった際には、
絶対に諦めるな。
諦めたら、ハイそれまでよ。
俺は、
癌と戦うってことは、野球でいうところの延長戦みたいなもんだと思うんだよね。
先攻に点をとられても、後攻で同点に追いつけば負けはしない。
先攻で点を取って、後攻に追いつかれても逆転されなければ負けはしない。
決して勝つ(完治)ことは出来ないかもしれないけど、負けないことが大事。
勿論、俺もまだ生き続けるぜ。
ただ、万が一だ、万が一があった際でも、
このサイトはネットの世界で行き続けてくれるよう残しておきたいわな。
2001年にUPしてから何だかんだで、まさかの17年だからなぁ、このサイトも。
でも、確実に自分に残された時間は人よりは多くは無いはずだから、
その瞬間、瞬間を大切に生きなきゃな。
ほんじゃ、最後に俺の好きな甲斐バンドの曲を思い出したので、
記載しときます。
風が唄った日歌:甲斐バンド 作詞/作曲:甲斐よしひろ <1975年>
陽炎に街がゆらぐ ため息に 人がゆらぐ どんな小さなものでも すぐにこの手に拾い上げねば 時代は変わりゆく 風が唄った日
火の森に 日々はおちていく 舗道の上 逃げまどう落葉 どんな小さなものでも すぐにこの手に拾い上げねば 怒りの鐘はいつ鳴り響く 風が唄った日
窓の外 時にしばられる大人達 窓の外 時をふりまわす子供達 どんな小さなものでも すぐにこの手に拾い上げねば 全ては終わりゆく 風が唄った日
|
まだ俺は、風にはならない。
2017年8月19日
Copyright(c) 2001 Marvelous Melancholy.All right reserved