第20話 :「おぉ神よ、私の罪を許し給え」

<update/2001/11/07>

 

 

新緑も栄える初夏の午後、次の仕事先へ向かうため

俺は、とあるJR線のホームに

滑り込むように入ってきた快速電車に乗り込んだ。

 

 

「ぷ〜ん」

 

 

ん〜ん、この鼻をつくような

独特な柑橘系アルコールの匂い。

 

匂いのもとを探そうと車内を見渡すと、

 

 

 

いました。

 

 

 

古着をラフに着こなし、

ボサボサの無雑作ヘア。

ワイルドに伸びた無精髭と浅黒い肌。

 

そして、「何故着てるの?」といった

季節感の無いコートを

 

絶妙なセンスで着こなしている

 

 

 

 

ちょっと酔っぱらった、

レゲェのオッちゃん。

 

 

空席も目立つ空いている車内でそのオッちゃんは、

車両の一番端の3人掛け横長シートに

1人陣取っている。

 

当然、オッちゃんの周りには誰一人寄りつかず、

乗客は、離れた所に座っている。

 

しかし、乗客は彼をあからさまには見ていないが、

視野の片隅には必ず捕らえているという状態だ。

 

何故なら、平然を装ってはいるが、

オッちゃんが突飛な行動に出た場合、

すぐに回避できるよう臨戦体制は取っているのである。

 

そして俺は、車両の中央付近に座った。

 

 

そのオッちゃんが「モゾっ」と動く度に

車内に緊張が走る。

 

暫しその状態が続いた後、

 

 

 

ついに、

 

今や、車内全員のターゲットとなっている

オッちゃんが、

 

 

 

 

動いた。

 

一斉に視線が注がれる。

ターゲットの一挙手一投足を見逃すまいと

集中である。

 

 

「何しようとしてんだぁ?このオッちゃん」

 

 

のっそりと立ち上がったオッちゃんは、

隣の車両へと続く扉を開けた。

 

「おっ、移動か?」

 

いや、しかしオッちゃんの荷物とおぼしき物は置いたままだ。

 

扉を閉めたオッちゃんは、隣の車両の扉を開けようとはせず、

連結器の上(こちらの車両の扉と隣の車両の扉の間)で

横を向いて突っ立っている。

 

「なんだ?」

 

「えっ?」「うッそー」「ヤッダぁー」「なにっ?」

車内のあちこちからささやかれる感嘆詞の嵐。

 

 

オッちゃんの上半身は、扉のガラス窓から見えるが

下半身は見えない。

 

しかし、しかしである。

 

 

微妙な身体の動きと、腕の動きで

このオッちゃんが、今、何をしているのかを

容易に確信出来た。

 

 

あのオッちゃん、あそこで、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放尿してるよ。

 

 

マジかよ!

 

驚愕の事実発覚。

 

俺、絶句。

 

 

しかも最後には、

身体が「ぷるぷる」してるよ。

 

車内全員が一瞬にして凍りついていた。

 

事の終ったオッちゃんは、当たり前のように

扉を開け、何事も無かったように自分の席に戻り、

 

 

 

 

寝た。

 

 

車内では「信じられない」「有り得ない」

衝撃的なこの瞬間を目の当たりにしてしまって

静まり返ってしまったのだが、

 

そんな事が車内で起こっているとは

思ってもいない乗客が待つ、次の駅へと

俺の乗った快速電車は滑り込んでいった・・・。

 

 

ぷしゅ〜

 

 

列車のドアが開き、言葉を失った乗客が降り

何人かの何も知らない乗客が乗り込んできた。

 

当然オッちゃんに気づき、少し離れた席へ座る。

 

ドアが閉まり列車が次の駅へと走り始めた時である。

 

 

 

 

あぁ〜何てことだ!

むご過ぎる!

何故なんだ!

そんな事が有って良いのか!

どうしてなんだ!

なんという仕打ち!

 

 

 

俺の視線の先には、何も知らずに隣の車両から

こっちの車両に移って来ようとしている、

か弱き女性の姿が!

 

 

 

頼む!気が変わってくれ!

そっちの車両の空いている席に座ってくれ!

そこを通っちゃダメだ!

彼女が何か悪い事でもしたと言うのか!

 

誰か!言ってくれ!

「来るな!」と。

頼む!

 

あぁ〜もうだめだ。

 

彼女の手が隣の車両の扉の取っ手に掛かった。

 

もう手遅れだ・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

オッちゃんの行為を注意できなかった小心者の「俺」

 

彼女に、危険が迫っている事を教えてあげる事が

出来なかった小心者の「俺」

 

彼女を助ける事が出来ない小心者の「俺」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おぉ神よ、私の罪を許し給え」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれっ?ねえねぇ、彼女。

気づかなかったの?おしっこ。

 

 

 

平然とこっちの車両に移動してきて

「なんで私、注目されてんだろう」と怪訝な顔をしながら

俺の前を通り過ぎる彼女。

 

 

 

 

それはそれで、幸せである。

 

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