戦国の写真
          越後の龍 妻女山と雨宮の渡し


妻女山 展望台よりの眺望
 名 称      : 妻女山(さいじょさん)

 所在地      : 長野県長野市松代町清野

合戦の舞台
     第四次川中島合戦で、上杉謙信 が布陣した山。

合戦の沿革
     永禄 4年(1561年) 8月、信濃国の覇権を賭けて、
     武田信玄と上杉謙信は、川中島 に対陣します。
 
     海津城 に籠り、動く気配の無い武田軍に対して、
     上杉軍は 海津城 を遥かに望見できる位置にある
     標高540mほどの 妻女山 に布陣し、同じく動く気配
     を見せません。
     対陣から20日余りが過ぎ、戦線は膠着状態に陥った
     と見えたある夕刻・・・

     海津城より上がる炊煙がいつもより多いのに気付い
     た 謙信 は武田軍の夜襲を察知。
     謙信は、武田軍の作戦の裏を掻くべく、全軍に深夜
     行軍を命じます・・・
       「 雨宮の渡しを越え、武田軍の本陣を衝く 」 と。

 駐車場完備     地図はこちらから → 地図(Map)
展望台よりの眺望
 妻女山の山頂にある 展望台よりの眺望 です。

 正面に 川中島 、右手に 武田軍 が籠る 海津城 、左手に
 上杉軍 の千曲川渡河点の 雨宮の渡し があります。

 この展望台より、上杉軍 の進軍ルートを眺めると、主決戦場
 となった 川中島 へ対して迂回進軍したことが分かります。

妻女山の展望台 横から 妻女山の篝火
妻女山の展望台 横から 妻女山の篝火
 妻女山の山頂にある 展望台 です。

 かなり大きな展望台であり、ここから眺めれば、川中島に
 おける軍事拠点の位置関係と、甲越両軍の進軍ルートを
 瞬時に把握することが出来ます。

 妻女山の篝火(かがりび) です。

 第四次川中島合戦で、妻女山山頂で 武田軍 が見たものは
 無人の幕舎と大篝火だったと云います。
 武田軍 が見たのは、このような光景だったのかな? (^^:

妻女山の展望台 下から 妻女山の桜とバイク
妻女山の展望台 下から 妻女山の桜とバイク
 妻女山の山頂にある 展望台 です。

 下にある道路から撮影しました。高さが分かると思います。
 余談ですが、この展望台に至る道路は幅がたいへん狭い
 ので、カーブでは注意が必要です。

 妻女山の山頂駐車場でのツーショット。

 妻女山に登った 4月末は、満開の桜が咲いていました。
 美しかったので、桜とバイクとのツーショットを撮影。
 銀色が私ken-youので、赤色が友人す〜さんのバイクです。

頼山陽の詩の碑
 名 称      : 雨宮の渡し跡

 所在地      : 長野県更埴市雨宮

合戦の舞台
     第四次川中島合戦で、上杉謙信 が千曲川を渡河
     した地点。

合戦の沿革
     上杉謙信は、武田軍の夜襲の裏を掻くべく、妻女山
     の本陣に煌々と大篝火を焚かせて、あたかも未だに
     夜営しているが如くに偽装させます。
     そして、数千もの 上杉軍 は、月明かりの無い漆黒
     の山中を松明も持たずに下り、人馬とも物音一つさ
     せずに千曲川の 雨宮の渡し を渡河します。
      「 鞭声粛粛 」 と・・・。

 現 在      :
     数百年の時の流れは、千曲川の位置も大きく変え
     当時の 雨宮の渡し の場所は、住宅地や公園に
     整備され、公園には各種の碑が建っています。


  地図はこちらから → 地図(Map)
頼山陽の詩の碑
 雨宮の渡し跡にある 頼山陽の詩の碑 です。

 有名な頼山陽の詩 「川中島合戦」 が、刻まれています。
  『 鞭聲肅肅夜河を過る、曉に見る千兵の大牙を擁するを。
   遺恨なり十年一劍を磨き、流星光底に長蛇を逸す。』
 いつ読んでもカッコ良い詩です。 (^^)

雨宮の渡し 説明板 天と地ゆかりの雨宮渡入口
雨宮の渡し 説明板 天と地ゆかりの雨宮渡入口
 雨宮の渡し跡にある 説明板 です。

 甲越両軍の戦いの軌跡が、大きな説明板に詳細に書かれ
 ています。 分かりやすくて良いです。

 長野電鉄の踏み切りにある 案内標識 です。

 「と」 が抜けていて 「天と地」 になっています。
 おまけに、車にぶつけられたようで凹んでいました。 (TT)


〜 ken-you史跡巡り記 〜

   戦国時代屈指の大激闘となった 武田信玄 対 上杉謙信 の第四次川中島合戦。
   長野県長野市・更埴市の一帯は、その激闘の舞台となった場所で、合戦の史跡がそこかしこにあり、楽しめます。

   「妻女山」 は入口がちょっと分かりづらくまた山頂への道路も狭いため、車で行くときには注意が必要です。
   しかし、その山頂からの眺望は素晴らしく、のどかな田園風景の彼方に 海津城 や数々の史跡 を望むことができます。
   ここで少し休憩して、上杉謙信(当時は政虎) の気分を味わうのも良いかも知れません。

   また、「雨宮の渡し」 も公園として整備されていて、付近の人たちの憩いの場となっているようでした。
   残念ながら、千曲川の流れは北方に移動しており、゙河川敷" という雰囲気はありませんが、上杉謙信ファンにはぜひとも
   訪れて欲しい場所であり、私もすでに友人と 2回ほど来ており、今後もその回数が増えることは間違いないでしょう。

                                                                    2003.04.29



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