近代の写真
            吉川英治記念館


椎の木
 名 称   : 吉川英治記念館

 所在地   : 東京都青梅市柚木町1−101−1

  吉川英治さんは、終戦の前年 昭和19年 3月に家族
  とともに、この地(当時の西多摩郡吉野村)へ疎開
  し、「新書太閤記」 を書き続けていましたが、終戦
  とともに筆を絶ち、一村民として数年間、晴耕雨読
  の日々を送っていました。
  それから 3年後に「高山右近」 を、続いて晩年の
  代表作といわれる大作 「新・平家物語」 を昭和25年
  にこの地で起稿しました。
  昭和28年 8月、吉川さん一家が吉野村を去ることに
  なり、吉川家の主催で村人との 「お別れの会」 が
  開かれましたが、訣別を惜しんで集まった村人の数
  は 300人にも及んだそうです。
  吉川さん一家が、村人たちからどれほど慕われて
  いたかが分かる好事例です。

  吉川英治記念館 は、旧吉川邸の景観を遺したまま
  その小高い一隅に建てられています。

 駐車場あり    
地図はこちらから → 地図(Map)
椎の木
 庭園のシンボルともいえる大樹で、樹齢は 5〜600年と
 のことです。

 吉川さんはこの樹の下に毛氈を敷いて、奥さんのたてた
 お茶で好日を楽しんでいたそうです。

記念館入口 井戸
記念館入口 井戸
 記念館の入口です。

 長屋門となっていています。 趣きがあって良いです。

 入口より入って右側にある 井戸 です。

 吉川さんもこの水を使っていたんでしょうね〜。
母屋 大仏殿瓦
母屋 大仏殿瓦
 入口より入って正面にある 母屋 です。

 吉川さんが家族とともに住んでいた大きな日本家屋
 で、弘化 4年(1847年)頃の建築物で明治初期に建
 てかえられたものだそうです。
 大きさを伝えたかったので、庭園側より撮影しました。

 庭園にある 大仏殿瓦 です。

 奈良県の東大寺大仏殿の昭和大修理に使用された
 瓦に、吉川さんの句が刻まれています。

  「 濁世にや おん汗ばみの 盧遮那仏 」  英治
書斎 〜外観 書斎 〜内部
書斎 〜外観 書斎 〜内部
 母屋 の奥にある 書斎 です。

 明治期に立てられた洋館で、創作に没頭した吉川さん
 は 3度の食事もここで摂ったそうです。
 書斎の内部です。

 百万読者を熱狂させたといわれる「新・平家物語」も
 ここで生まれました。
 時代は下りますが、自分も百万読者の内の一人です。

庭園 おまけ 〜青梅市役所の文字
庭園 おまけ 〜青梅市役所の文字
 美しい庭園です。

 吉川英治記念館 は、美しい庭園を楽しみながら、訪れ
 るようになっています。
 自然を愛する吉川さんの優しさを感じることができます。
 東京都青梅市役所の 「青梅市役所」 の文字です。

 吉川さんが住んでいた 吉野村 は、合併されて 青梅市
 となり、吉川さんはその ゙名誉市民" となりました。
 市役所の 中央玄関上 に掲げられた 「青梅市役所」 の
 文字は、吉川さんの揮毫によるものです。
 見づらくてゴメンナサイ。。。


〜 ken-you巡りある記 〜

   私がもっとも敬愛する作家 吉川英治さんの著書、遺稿等が収められている記念館は、東京都でも埼玉県や
   山梨県に近い 青梅市 の緑豊かな地にあります。
   吉川さんは終戦の前年にここに疎開をし、戦中戦後の激動の10年間を村の人たちと過ごしたということです。
   当時の風景など、私のような若輩には写真でしか知ることはできませんが、青梅市の市街を抜け、吉野街道
   に入り、多摩川の流れと梅林を目に見ると、吉川さんが愛した風景を感じることができるのは不思議です。

   記念館には、前述の著書、遺稿の他に家族や友人に宛てた手紙、家族との仲睦まじい写真などが多数展示
   されています。
   吉川作品を読んで、好きになった人にはぜひ訪れて欲しい場所です。
   きっと、もっと好きになると思いますよ。



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