戦国の写真
          甲斐の虎 川中島古戦場


武田信玄と上杉謙信の一騎討ちの像
 名 称      : 川中島古戦場

 所在地      : 長野県長野市小島田町

合戦の舞台
     第四次川中島合戦で、上杉・武田両軍が死闘を展開
     した地。

合戦の沿革
     永禄 4年(1561年) 9月10日に行われた 上杉・武田
     の 信州川中島 を舞台にした 4回目の激戦を特に
     「八幡原の戦い」 と呼びます。

     妻女山 に布陣し、動く気配の無い上杉軍に対して、
     兵を二手に分けて別働隊の奇襲により、予定戦場で
     ある 川中島八幡原 に上杉軍を追い落とし、あらかじ
     め配しておいた主力軍により、迎撃殲滅する 「啄木鳥
     (きつつき)の戦法」 を採用した 信玄 でしたが、その
     策は 謙信 に見破られており、裏をかかれた武田軍
     は上杉軍の猛攻に苦戦します。

     その最中、月毛色の馬に跨り白布で面を包んだ武者
     がただ一騎、信玄 のいる本陣に突入します・・・

 駐車場完備     地図はこちらから → 地図(Map)
武田信玄と上杉謙信の一騎討ちの像
 八幡社境内にある 武田信玄と上杉謙信の一騎討ち
 の像 です。

 馬上で太刀を振り下ろそうとしている 謙信 と、それを
 軍配で受け止めようとする 信玄 を、躍動感溢れる像
 で再現しています。
 真偽のほどは定かではありませんが、カッコイイこと
 に間違いはありませんね。
 

土塁 首塚
土塁 首塚
 八幡社境内にある 土塁 です。

 八幡社 は、信玄 が本陣を構えた場所とされ、周囲を
 土塁 によって守られています。
 高さが低いため、気付かない人が多いかも。 (^^;
 八幡社境内の西側に祀られている 首塚 です。

 海津城 の城主 高坂昌信 が戦いの後に、敵味方の区別
 なく死骸や武具を集めて手厚く葬ったのが、この 首塚 だと
 云われています。
 昔はこの付近に幾つもの 首塚 があったそうですが、
 今ではここを含めて 2ヶ所しか無いそうです。
 

逆槐 三太刀七太刀之跡
逆槐 三太刀七太刀之跡
 現在の 本殿 の東側にある 逆槐(さかさえんじゅ) です。

 信玄 がこの地に本陣を構えるに当り、土塁 の土留め
 として、槐の杭を根を上にして逆さに打ち込んだのが芽
 を出し、大木になったと云われています。
 ちなみに現在の木は、二代目とのことです。
 現在の 本殿 の東側にある 三太刀七太刀之跡(みたちなな
 たちのあと) の碑です。

 乱戦の最中、謙信 は馬上より 信玄 に三度斬りつけますが、
 信玄 はそれを軍配団扇で受けとめます。
 後にその軍配を調べたところ、刀の跡が七ヶ所あったために
 この一騎討ちの場所を 三太刀七太刀之跡 と呼んでいます。


旧社殿(鞘堂) 執念の石
旧社殿(鞘堂) 執念の石
 境内中央に位置する 旧社殿(鞘堂) です。

 平安時代中期に白河院の蔵人の任にあった 村上顕清
 が信濃国に謫流されたとき、この地に武運長久のため
 の弓矢神である 八幡大武神 を勧請創建したのが、こ
 の 八幡社 だと云われています。
 御神木の大欅に包まれる 鞘堂 は、往古の社殿であり、
 氏神の鎮座された聖殿であるため、敬神崇祖をもって
 現在も護り継がれています。
 現在の 本殿 の西側にある 執念の石 です。

 謙信 に斬りつけられて窮地に陥った 信玄 を救うべく、武田軍
 の中間頭の 原大隈 が、謙信 に向かって槍を突き出しますが、
 外された槍が 謙信 が騎乗する馬の三途(後脚の上部の骨)
 を打ったために馬は驚き跳ね上がって、謙信 を乗せたまま、
 その場から狂奔し去ってしまいました。
 謙信 を討ち漏らした 原大隈 は無念やるかたない思いで、傍ら
 にあったこの石を槍で貫き通したと云うことです。


八幡社の社殿 胴合橋
八幡社の社殿 胴合橋
 境内の奥に鎮座する 八幡社の社殿 です。

 誉田別尊(ほんだわけのみこと) と 建御名方命(たけみ
 なかたのみこと) を御祭神とし、八幡原一帯を古くから
 見つめてきた 社殿 は新たに造られ、神秘的な境内と
 相まって自然と襟が正されるような感があります。
 この 八幡社 を中心とした廣原を、神の御名にちなんで
 付けられたのが八幡原 の名の由来と云われています。
 八幡社 からほど近い ゙蕎麦屋" の敷地内にあります 胴合橋
 (どあいばし) です。

 武田軍の軍師として名高い 山本勘助 が戦死した後、家来が
 敵の手から奪い取った首と胴を合わせた場所と云われていま
 す。(一説には 信玄 の弟の信繁 とも云われています)
  地図はこちらから → 地図(Map)


山本勘助の墓 諸角豊後守の墓
山本勘助の墓 諸角豊後守の墓
 八幡社 から離れた場所にある 山本勘助の墓 です。
 (場所の記憶が定かでないため、地図は次回に・・・)

 「甲陽軍艦」 で八面六臂の活躍をする武田軍の軍師
 山本勘助 は、自らが献策した 「啄木鳥(きつつき)の
 戦法」 が 謙信 に見破られ、武田軍が苦戦に陥った
 責任を取るために、敵中へ突入し、勇壮に戦い討ち
 死にしたと云われています。

 八幡社 から離れた場所にある 諸角豊後守の墓 です。

 諸角豊後守 は、一説には 信玄 の曽祖父 信昌 の六男で、
 虎定(昌清とも)といい、既に 81歳を数えていたと云われて
 います。
 乱戦状態となり、武田軍の副大将である 信玄 の弟の 信繁
 が戦死したことを知った 虎定 は激怒し、僅かな手勢をまとめ
 て敵中に突入し、討ち死にしてしまいます。
  地図はこちらから → 地図(Map)



〜 ken-you史跡巡り記 〜

   川中島古戦場 は、現在は 「八幡原史跡公園」 として、八幡社 を中心に綺麗に整備されており、広い駐車場、軒を
   連ねる土産物屋、そして勇壮な 謙信 と 信玄 の一騎討ちの像のおかげで、観光地として賑わっています。
   果たして、「甲陽軍艦」 に描かれているとおりの激闘が展開されたのかは定かではありませんが、この場所に来ると
   そのようなことはどちらでも良くなってしまう気がします。(私もいい加減だなぁ〜)
   素直に歴史のロマンを感じられるこの場所は、私がもっとも気に入っているところの一つで、上杉、武田ファンの方は
   ぜひ訪れて欲しいと思います。
   余談ながら、「胴合橋」 は ゙蕎麦屋の敷地内" にあるため、信州名物の蕎麦を味わった後に、「諸角豊後守の墓」 は
   ゙コンビニの近く" にあるため、コンビニ駐車場に車を停めて買い物をした後に、それぞれ写真に収めるようにすれば、
   周囲を気にしないで歴史に没頭できるのではないでしょうか。(コンビニで買い物をするのがミソですね)



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