城跡の写真
          越後国 栃尾城(とちおじょう)


栃尾城の遠景
 城 名   : 栃尾城

 所在地   : 新潟県栃尾市

 伝築城   : 正平年間(1346〜1369年) 芳賀禅可 説

 伝廃城   : 慶長15年(1610年) 神子田長門守 説

 形 式   : 山城


 小説への登場場面

    海音寺潮五郎著 「天と地と」 二巻 〜 旗上げ 〜

 新潟県指定史跡

 駐車場完備

  地図はこちらから → 地図(Map)
栃尾城の遠景
 栃尾城の遠景です。

 道路の端にバイクを停めて撮影した一枚です。
 正面の標高 227mの 鶴城山 の尾根に築かれています。

二の丸跡 中の丸跡
二の丸跡 中の丸跡
 二の丸跡 です。

 バイクを停めて、散策し始めた私が最初に訪れた曲輪です。
 休憩施設があり、素晴らしい眺望が堪能できます。

 中の丸跡 です。

 二の丸 の隣に位置しますが、写真のとおりに草茫々で
 傾斜もキツかったです。
本丸跡 本丸跡からの眺望
本丸跡 本丸跡からの眺望
 本丸跡 です。

 本丸 は山頂に築かれているため、面積は広くはありませんが
 二の丸 同様に休憩用のベンチがあり、くつろげます。

 本丸跡からの眺望 です。

 本丸跡 から 常安寺 方向を望んだ一枚です。
 標高差から、城の要害堅固さが窺えると思います。
金銘泉 千人溜り
金銘泉 千人溜り
 今も湧き出ている 金銘泉 です。

 看板の下に、透き通るような清水が湧き出ていました。

 3,000m2もの広さを誇る 千人溜り です。

 この広大な場所で、将兵が訓練をしたのでしょうか?
空堀 狼煙台跡
空堀 狼煙台跡
 狼煙台に向かう途中にある 空堀 です。

 竪堀となっており、そのまま断崖へと繋がっていました。

 狼煙台跡 です。

 この場所から、連絡用の狼煙を上げたのでしょうか?
びわ丸跡 いざ出陣!
びわ丸跡 いざ出陣!
 びわ丸跡 です。

 謙信公は琵琶(びわ)の名手として知られていますが、この
 曲輪で奏でていたのでしょうか?

 栃尾城 の登山道入口に佇む 2台の鉄馬です。

 おなじみですが、銀色が私 ken-youので、赤色が友人
 の す〜さんのバイクです。 (^^)

【 栃尾城の構造と歴史 】
 新潟県栃尾市にある 栃尾城 は、標高 227mの鶴城山の尾根に築かれた要害堅固な山城で、周囲に 20を超える
 砦(支城)の中心(本城)として機能していたそうです。
 その構造は、本丸以下の諸曲輪を空堀で仕切り、さらには山腹を横断した大規模な竪堀を配するなどの厳重な構え
 とし、膝下には城主の館や家臣の屋敷を配置していました。
 その起源は、南北朝時代の正平年間(1346〜1369年 ※南朝暦)に下野国(栃木県)の将 芳賀禅可 が、足利尊氏
 の命により、下越後の守護としてここ鶴城山に立て籠もった際に、縄張りをして築いたものと云われており、室町時代
 には 長尾氏 の被官である 本庄氏 の歴代の持城となっていました。

長尾景虎の誕生と動乱の越後
 享禄 3年(1530年)、越後国(新潟県)の守護代 長尾為景(ながおためかげ) の末子として生を受けた 景虎(後の
 上杉謙信。ここでは 長尾景虎 で統一します)は後々の家督争いを避けるために、幼少より寺(林泉寺とも瑞麟寺
 とも云われています)に入れられて修行に励んでいましたが、天文 5年(1536年)に父 為景 が没し、兄の 晴景 が
 長尾家を継ぐと、晴景 を侮る各地の国人たちは、長尾家に対して反抗の姿勢を見せ始めます。

栃尾城で初陣を飾る
 天文12年(1543年)、兄 晴景 の懇請により、仏門を去り還俗した 景虎 は、本庄実乃(ほんじょうさねより) が城代
 を務める 栃尾城 へ入城します。
 翌天文13年(1544年)の春、弱冠15歳の 景虎 を甘く見た周辺の豪族たちは、三条長尾氏の 俊景 を首領にして
 栃尾城 へ押し寄せて来ますが、景虎 は兵を二隊に分けて、その内の一隊を敵が本陣を敷くと思われる場所へ
 埋伏させるという奇計を案じ実行します。
 伏兵の存在を知らずに、その場所へ本陣を敷いた 俊景 は、予想だにしなかった伏兵の急襲に驚愕し、またそれ
 と呼応した城兵の追撃のために敗走を余儀なくされます。
 後世に 「戦国最強」 と謳われる輝かしい戦歴は、この初陣のときより始まったとも言えるでしょう。

その後の栃尾城
 天文17年(1548年)に 景虎 が、兄 晴景 に代わり越後守護代となって 春日山城 へ入城した後、栃尾城 が歴史
 の表舞台に登場するのは、天正 6年(1578年)に 景虎 亡き後に勃発した 御館の乱(おたてのらん) のときで、
 ときの栃尾城主 本庄秀綱(実乃の子) は、後北条氏より上杉家へ養子に入った 上杉景虎(北条氏秀)を支持した
 ために、上杉景勝 軍の猛攻を受けて落城します。
 本庄氏が滅亡した後は、景勝麾下の諸将が城代を務めていましたが、慶長 3年(1598年)に 景勝 が会津へ移封
 されると、代わって 春日山城 に入った 堀秀治 は、家臣の 神子田長門守 を 栃尾城 へ入城させます。
 しかし、慶長15年(1610年)に堀家が改易されるとともに 栃尾城 も廃城されてしまいました。


〜 ken-you史跡巡り記 〜

   上杉謙信公、初陣の城として有名な 栃尾城 は、ほとんどの曲輪が適度に整備された状態で残っているため
   往時を偲びながら散策が出来ます。
   特に本丸から眺める風景は、難攻不落という言葉が相応しく、山城の素晴らしさを認識されることでしょう。
   余談ですが、駐車場に向かう砂利道をバイクで走ったときはコケないようにバイクを必死に制御しました。
   これも良い思い出です。(私がただヘタクソなだけか!?) (^^;
   謙信公ファン以外の方にもオススメしたい良質な 山城 です!



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