新田一族の写真
             義貞挙兵す


二体地蔵塚 二体地蔵
二体地蔵塚 二体地蔵
 群馬県新田郡尾島町にある 「二体地蔵塚」 です。
 古墳時代後期の 円墳 の上に二体の地蔵尊が祀ら
 れています。

 元弘 3年(1333年)、鎌倉幕府執権の 北条高時 は、
 軍勢を西国へ送るための軍費の捻出を関東各地の
 荘園に掛け、特に 新田義貞 を宗家とする新田荘の
 世良田には裕福な者が多いとして、出雲介親連 と
 黒沼彦四郎 の二人が使者となり、
  「五日の内に六万貫を用意せよ」
 と強く迫りました。


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 「二体地蔵塚」 の頂上に祀られている 地蔵尊 です。

 幕府よりの使者 出雲介親連 と 黒沼彦四郎 の命令に
  『 我が館の辺を、雑人の馬の蹄に懸けさせるは
   返すがえすも無念である 』
 と憤った 義貞 は、弟の 義助 に命じて二人を捕らえさ
 せて、黒沼彦四郎 を斬って世良田の郊外にあるこの
 場所に晒したと云うことです。

 幕府に対して反抗の姿勢を明らかにした 義貞 は、
 一族を集めて評定を行った結果、鎌倉へ攻め上ること
 で意見が一致し、元弘 3年(1333年) 5月 8日に
 生品神社 で挙兵します。

 閑静な場所にある円墳の上に二体のお地蔵さんがある
 この場所へは、歴史小説家の 新田次郎さんも取材に
 訪れたそうです。

新田義貞 矢止之松 新田義貞 冠掛之松
新田義貞 矢止之松 新田義貞 冠掛之松
 群馬県新田郡新田町の 生品神社 より南方 2kmの場所
 にある 「矢止之松(やどめのまつ)」 です。

 生品神社で鎌倉攻めの挙兵をした 義貞 は、戦の吉凶
 を占うべく、南へ向かって矢を射放ち、刺さったのがこの
 松の木だと云うことです。(2km先の木に当るなんて・・)

 残念ながら、明治時代に枯れてしまい、現在の木は昭
 和 に入ってから、植え替えられたものだそうです。
 案内看板はありますが、散策道はないため、畑の中を
 歩いて行きます。

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 矢止之松の南方 1kmの 大通寺境内 にある
 「冠掛之松(かんむりかけのまつ)」 です。

 生品神社で挙兵した 義貞 が、鎌倉へ向かう途次、
 被っていた冠を脱ぎ、この場所にあった松の枝に掛け
 たことから、名付けられたそうです。
 左の「矢止之松」 同様に、この松も新たに植え替えられ
 たものだそうです。

 大通寺の隣には幼稚園があり、境内が庭と一緒のため
 遊器具が隣にあったりします。^^

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新田義貞 駒つなぎの松
新田義貞 駒つなぎの松
 群馬県新田郡尾島町にある 「駒つなぎの松」 です。

 一路、鎌倉に向かって進撃を開始した 義貞 でしたが
 上武国境(群馬県と埼玉県の県境)を流れる利根川
 を渡河する前に、岸辺で一時の休憩をし、その際に
 義貞 の乗馬を、この松につないだと云うことです。
 ただし、樹齢から見ても当時のものではなく、何度か
 植え替えられたものだそうです。

 昔の利根川は、大洪水のたびにその流路を大きく変え
 現在、陸地となっているこの辺りも当時は岸辺でした。
 それを裏付けるように、付近には今も゙川、岸辺"であった
 ことをうかがわせる地名を見つけることが出来ます。

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