南北朝の写真
             国済寺(こくさいじ)


上杉氏歴代墓
 名 称      : 国済寺(こくさいじ)

 所在地      : 埼玉県深谷市

 由 緒      :
   関東管領の 上杉憲顕(うえすぎのりあき) は、
   十三世紀末、主家である足利家の宿敵である
   新田氏を抑えるため、この庁鼻和(こばなわ)
   の地に六男の 憲英(のりふさ) をつかわし、館
   を築かせました。
   館は、一辺 170mの正方形をしており、外郭を
   含めると 28ヘクタール(84,700坪)もの広大な
   面積を誇ります。
   康応 2年(1390年)に、峻翁令山禅師を招いて、
   館内に 国済寺 を開いた伝えられています。

   市指定史跡

   駐車場完備

     地図はこちらから → 地図(Map)
上杉氏歴代墓
 本堂の北側にある 上杉氏歴代墓 です。

 中央にあるのが 上杉憲英(うえすぎのりふさ) の墓
 で、周囲の五輪塔は 憲英 の子孫たち(深谷上杉氏)
 の歴代の墓と伝えられています。

本堂 瓦
本堂
 本堂 です。

 建物は新しいですが、どこか威厳のある 本堂 です。
 本堂の西側に展示(?)されていた 瓦 です。

 写真では分かりづらいですが、上杉氏の家紋である
 ゛竹に雀" が彫られています。

土塁 築山
土塁 築山
 本堂の北側にある 土塁 です。

 高さはそれほどありませんが、城の面影を残している
 貴重な遺構です。

 本殿の北側にある 築山 です。

 柵で囲われており、足を踏み入れることが出来ない
 ため、保存状態は良いと思われます。
 

関東管領上杉氏の始まり
 足利尊氏 の母方の実家である上杉氏は、内大臣 藤原高藤 を祖とする名門で、鎌倉幕府の六代将軍となる
 宗尊親王の京から鎌倉への下向に随行し、後に丹波国上杉荘を賜ったことから、゙上杉"の姓を家名にしたと
 伝えられています。
 上杉氏初代の 重房 は、鎌倉幕府内の有力御家人であり源氏の嫡流である足利氏と縁戚関係を結び、重房
 の孫に当たる 清子 と 足利貞氏 の間に産まれた 尊氏 が室町幕府を開くと、尊氏 の次男の 基氏 が治める
 ゙鎌倉府"の執事に、清子 の甥の 上杉憲顕 が就いたことが、関東管領上杉氏の始まりとなります。

【 庁鼻和城 】
 この 国済寺 がある場所は、庁鼻和城址(こばなわじょうし) とも呼ばれており、本堂の北側にある土塁や築山
 が、往時の面影を残しています。
 なお、この地に館を構えた 上杉憲英 以降、憲光、憲長 と三代に渡り、居住したと伝えられています。


〜 ken-you史跡巡り記 〜

   平成20年の 3月、冬から春へ変わりつつある暖かな日に、国道17号線沿いにある「上杉氏歴代墓」という
   看板に引かれて散策して来ました。
   丁重に祀られている「上杉氏歴代墓」も良かったですが、城郭としての「土塁」や、庭園としての「築山」等、
   色々な面を思いがけず見ることが出来て、なかなか楽しめました。
   余談ですが、「庁鼻和城」と書いて「こばなわじょう」と読める人がいたらスゴイと思います。(笑)



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